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教育基本法を考えるトーク[斎藤貴男氏/俵義文氏/川中島合戦場]
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1315.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 5 月 07 日 00:39:13:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: 日本における「宗教右翼」の台頭と「つくる会」「日本会議」 投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 24 日 17:30:12)

「ゆとり教育」の本性は「エリート教育」(ジャーナリスト斎藤貴男さんのトーク)(1) ピエール

皆さん、こんにちは。

先日、ベルナールさんからご案内のあった「教育基本法を考えるトーク」に行って来た。
ベストセラー『機会不平等』の著者、ジャーナリストの斎藤貴男さん。お相手は「子どもと教科書全国ネット21」事務局長の俵義文さん。
時事風刺劇「ニュースペーパー」のコントもあり、とても面白く、有意義だった。
裏話も含めてお届けする。

【斎藤】
斎藤貴男といいます。フリーのライターをしています。教育の話に関わったのは2000年の11月に『機会不平等』という本を出版したのが最初です。三浦朱門という教育課程審議会の会長をしていた作家がいるんですね。奥さんが曽野綾子さんで、まあ、夫婦そろって右翼なんですが(笑)、この人が「ゆとり教育」の正体はエリート教育のための手間とヒマとお金を浮かせるためだという発言を引き出したのが、僕だということになります。実はそれまでの学歴・職歴が恥ずかしいもので、早稲田大学商学部卒、日本工業新聞記者という、森喜朗と同じだという(笑)、恥ずかしいと思っているんですけれど。ただ、彼はいずれも親のコネで入ったんですけどね(爆笑)。日本工業のあと、週刊文春とプレジデントの編集部にもいました。全部タカ派ですが(笑)。

【俵】
僕は福岡の田舎のドン百姓の11人兄弟の一番末っ子です。1941年1月生まれ。日本がアジア太平洋戦争を始めたのがその年の12月ですから、「産めや増やせや」で、12人産めば表彰された。でも、育たないから、私が生まれたときに生きていた兄弟は6人だけだった。教育基本法が施行された1947年に小学校に入った。「憲法・教育基本法1年生」なんです。これを変えられるっていうのは自分の人生を否定されるのではないかと思うようになる。だから改悪の動きに本気でファイトを燃やして立ち向かえる。1960年の安保の年に中央大学に入って4年で卒業、教科書会社に入った。その翌年に家永三郎さんが教科書裁判を起こした。その裁判を支える出版労働者の会を作ることになり、私が幹事をやった。88年から98年に支援組織が解散するまで全国組織の常任委員長もやっていた。

【斎藤】
ジョージ・オーウェルというイギリスの作家が書いた『1984年』という近未来小説に出てくる監視社会の全知全能の支配者を「ビッグブラザー」というんですね。今の日本の住基ネットの動きなどはまさにそうした監視社会に通じるものがある。で、イギリスでは「ビッグブラザー賞」という賞があり、監視社会建設に貢献した人にパロディーとして出している。それを日本でもやろうということで、「ニュースペーパー」との関係ができた。

経済ジャーナリストで、新聞にいるときに鉄鋼業界という硬い業界を担当していた。規制緩和とか構造改革全般を取材して、みんなそれがいいことだとしか言っていないが、それをやると、貧しい人はもっと苦しくなるのではないか、雇用がますます大変になるのではないか、ということをやっていた。しかし、そういうことは内橋克人さんなどがすでにやっていたので、なんか違ったこともしたいなということで社会保障だとか、学童保育、児童福祉などちょっと地味な分野もやり出した。そうしたら、ちょうどその頃、教育改革というのが急速に脚光を浴びていた。

実は、教育というのはジャーナリズムにとってはやややりにくい分野と思っている。というのは、日の丸・君が代でもそうですが、なんかすぐイデオロギーの話になってしまう。取材するとどちらかに着かなければならなくなったり、現場の話を聞こうとしても、相手が子供だから学校名や先生の名前などは言いにくい。ただ、この場合は国の教育行政なので文部省の取材をするというところから始めた。ちょうど2002年4月から新しい教育指導要領で「ゆとり教育」というのが始まるんですが、その真意を聞きに行ったということ。

三浦さんのところに行ったのは、ちょうど「日能研」という中学受験の予備校があるんですが、ここが全国の保護者にDMを送っていた。中身は学習指導要領が変わって主要中学の授業内容と時間が3割減りますということ。確かにこれまでは「詰め込み」だったから、減ること自体は筋が通っていれば悪いことではない。だけど、高校・大学受験のレベルが下がらないで、さらにその先の学歴社会が改まらなければ、ただ減らされて着いていけなくなっちゃうだけなんですね。一方の私立の小中学校は基本的に「ゆとり教育」をやらないと言っていたんです。だから、日能研は「公立の学校に行かせたらオタクのお子さんの将来はもうお仕舞です」と。つまり、私立の子が10教わるのに、公立の子は7しか教わらない。だからウチの予備校に来て「輝かしい未来」を与えてください、というものだった。これは非常にあざといけれども、一面の真実ではあるわけですね。結局、お金があればいいけど、なければチャンスがなくなるということですね。これの真意を三浦さんのところに聞きに行った。

そしたら、本当にその通りで、「ゆとり教育」とはつまりこういうことらしい。これをやれば平均学力は確実に下がる。だけど、平均学力など下がったほうがいい、と彼は言う。これは一般の認識とはだいぶ違う。日本の平均学力が今まで高かったのは、戦後、「落ちこぼれ」の尻を叩いた結果だと。だから全体の底上げは図れたけれど、その分その子たちに手がかかったからエリートが育たなかった。だから今はこんなになっちゃったんだ、というわけです。したがって、「ゆとり教育」というのは、できないヤツを教えないものだ。できない子はできんままで結構。ただ、そいつらは勉強などよけいなことはしないで、「実直な精神」だけを養えと。そうすれば、その子たちにかけていた手間・暇・カネがエリートにふりむけられてエリートが育つ。これが三浦さんの考えだったわけですね。できる子は小さいうちから育てる、そうでないのは、お前らどうせ一生使い走りなんだから半端に賢くなる必要はないというのが本音です。これを真顔で言うわけです。

僕のずるいところは、これは『諸君!』の取材で言ったんですね。文春出身ですから。『諸君!』も今でこそ単なる極右ですが、その頃はいいところもあって、一般企業の広告があまり載らないので、天皇の悪口を言わない限り何を書いてもいいという媒体だった。で、『諸君!』の編集者と一緒に行った。だから、向こうは「仲間」だと思ったんでしょうね(笑い)。でも、本にまでするつもりだったから、「しっかり」書いたら、『諸君!』は載せてくれなかった(笑)。編集者は「『諸君!』向けに書いてくれ」と言ったが、それは不可能ですから、載らないので原稿料は半分もらった。で、その本は文春からでた。文春はよくも悪しくも「いいとこの子」が多い社で、懐が深いところもある。田舎のお金持ちがいい大学を出て入ってきているのが多い。でも、今みたいになってくると、どんどん右翼になってくる。そこから本が出たが、教育ですから、こちらにそのつもりがなくても、読む側からイデオロギー的に見られて、教育については『世界』からしか原稿依頼が来なくなった(笑)。「ゆとり教育」の批判者の多くがこの点を指摘していたが、なにしろ、「ゆとり教育」を作った当事者が本音をいってくれちゃったもんだから、これ以上の証拠はないんですね。それまでは、全体のハードルを下げて落ちこぼれをなくすんだというのが建前だったのですが、そうじゃなくて、単にできないヤツを余計できなくして文句言わないヤツを作るというのが本音です。

ただ、これは僕が優秀だからそういうコメントが取れたということではなくて、その時点で彼らは「もう何を言っても平気だ」という空気になっていたのは事実ですね。僕は単行本になるまで少し時間があったので、周囲に「すごいこと聞いちゃったよ」とスクープなのに言って回っていた。でも、そのときの反応が異常でしたね。「どこが悪いの?」というのがマスコミの反応だった。「ゆとり教育」の本質はみんなわかっていたのに、誰も書かないから結果として僕のスクープになっちゃった。

【俵】
実はその伏線があってね、90年代初め当時の要領が改訂になるとき、文部省は「新学力観」というのを言い出した。今までの知識よりも、意欲・態度・関心のほうを重視するというのがそれだ。それを説明するために文部省は「これからは個性重視の教育をしなければならない」という。面白いのは、現場では文部省が「個性重視」というと個性がなくなり、「ゆとり重視」というとゆとりがなくなるんですよ(笑)。その「個性」というのは何かというと、これまで日本の教師はどの子供にも学力を付けさせたいとしてやってきたが、それは間違っていたんだ。勉強ができるとかできないというのは「個性」の問題である。勉強ができないのは、「できないという個性」なんだ(笑)。勉強ができない子供にできるまで教えるというのは、その子の「個性」を抑圧することになるから(爆笑)、これからは「個性」を大事にしてできないならできないままでいいということだった。

で、それならどうやって評価するのか。教師が生徒に質問するでしょ。そうすると手を挙げないのは意欲・態度・関心に欠けるということで、全員が手を挙げる(笑)。それを教師は答えを聞く前にチェックする(爆笑)。こんな笑い話のようなことが全国の教育現場で実際にあったんですよ。そうして文部省が90年代通じてやってきたことをもっと本格的にやろうというのが、今回の指導要領で、それを作った責任者が三浦朱門で、彼はバカ正直というか、大変わかりやすく言ったわけだ。文部省が言うと回りくどいけど、さすが作家だ(笑)。

【斎藤】
それははっきり教えてくれましたね。「それじゃ先生、目的はエリート教育じゃないですか。なんでそれを『ゆとり教育』というのか。『ゆとり』は手段なんでしょ?」と聞いたら、「だって、エリート教育って言ったらみんな怒るだろう。だからまわりくどく言っただけだよ」と答えた。「こいつは何なんだ」と思いましたね。もちろん、一人変なオジサンがいたってそれが全部ということにはならないけど、教育改革の取材で回った人全員が全員、同じことを言いましたね。完全に合意されてますね。

(続く)



「逆切れルサンチマン」で封建社会回帰を(斎藤貴男さんトーク)(2) ピエール

皆さん、こんにちは。

斎藤貴男さんと俵義文さんのトークの続きです。

【俵】
2002年4月新指導要領が実施されて、内容が3割減るのだから、「学力低下」への懸念が広がった。そこで遠山文部科学大臣が『学びのすすめ』を出し、中教審は答申で12月に要領の「一部改訂」をした。これ、ひどいでしょ。1年半ちょっとしか経っていないのにもう変えられちゃう。東京都の教育委員会は指導要領を金科玉条のように言って、まるで憲法や教育基本法よりも上にあるかのように位置づけているが、所詮、その程度ということですよ。今までは指導要領は「最高基準」で、書いていることは全部教え、書いてないことは教えちゃダメだということになっていたが、これが「最低基準」に変わっちゃった。学力問題は全部の子供のことを対象にしているのではなく、一部のエリートのことを問題にしているのに、そのことは国民には隠して議論を進めようとしている。指導要領にないことも教えていい、だからこれで学力問題が解決します、という言い方だ。日本の文部科学省は非常に悪賢いところで、学力低下批判を逆手にとって、エリート教育の法制化を先取りして要領をいじくった。小中学校の場合は10%、指導要領にないことも教えていいという。高校は20%です。しかし、すべての子供がそれを学ぶわけではない。「できる子だけがやるページ」だ。それは、教科書に「発展教材」というマークをそのページに付けるんですよね。

【斎藤】
僕に言わせればそれはシナリオ通りで、三浦さんによれば、普通の子には「ゆとり教育」で勉強させない、できる子だけやらせるということを新中教審答申がはっきりさせた。しかし、文部省はその本音をなかなかいえなかったのが、学力低下批判を利用したわけですね。京大の西村和雄教授などは「エリートの学力が下がるのがいやだ」と言っている。この発想は特に第二次産業からの要請なんですね。彼らのバックには東京電力の平岩外四というような人がいる。「普通の子はできないほうがいい」というのは第三次産業の考え方ですね。サービス業はマニュアル通りでやっていればいいんだから、できないほうがいい。そうじゃなくて、基幹産業を動かす立場のエリートは学力が下がるとまずい。

【俵】
小学校の教科書の検定をいまやっていて、5月ごろに見本ができてきて、夏ごろに採択が行われる。教科書は全員が学ぶように作られているが、その中にできる子が学ぶ進んだ内容が盛り込まれる。その分量はどんどん増えていくだろう。1冊の教科書の中にできない子向けの内容と、できる子向けの内容が混在する。将来的には5年生で小学6年間の内容が学べる子が出てくるだろう。

【斎藤】
この話は前提が必要だと思います。いろんなところでこんな話をすると、よくこう言われることがある。「斎藤さん、いい学校を出ていい会社に入るのがいい人生だと思っているのか。勉強ができない子の個性を認めないのか」。もちろん、そんなことないです。そうだったら、僕はフリーなんかやっていない。「勉強できないのは個性」というのは、これだけ聞けば間違っていないが、それは自分で決めることでしょう。問題は、お上がお前はどういう進路を進むのか決めてあげましょう、ということが決定的にいけないことです。できない子は、黙って上に立つ人の言うことだけを聞く、三浦さん言うところのいわゆる「実直な精神」だけを養えばいいということです。ちょうど、戦時中の国民学校のようなものです。天皇陛下のために死ねということですよ。逆に「できる」と位置づけられた子はお上によって帝王学のようなものをどんどん注入される。これはこれでまた不幸なことだ。何年か前に大蔵官僚の「ノーパンしゃぶしゃぶ」問題があった。彼らは東大法学部を出て国家公務員上級試験に受かると2年目で地方の税務署長になる。田舎に行くと、毎日のように地元の有力者から酒席のお誘いがある。弱冠22、23歳で60、70歳の有力者を前に上座に座って接待を受ける。これも帝王学なわけですが、舞い上がった大馬鹿者が出来上がる。仮にも22、23歳の大人でもそうなっちゃう。それを小学生の子供のうちからやるわけですから、そんなどうかしている奴らが将来「リーダー」になられたんでは迷惑以外の何ものでもないんですね。じゃあ、世間を知っていればいいかといえば、必ずしもそうじゃなくて、たとえば民間人を校長にするけど、実際は大企業の人事部長なんかばっかりを採用する。そうすると、学校が単なる企業研修と同じになっちゃう。サラリーマンの人事・労務管理を持ち込むということで、恣意的な運営ができるようになる。

【俵】
今、財界も含めて国がやろうとしているエリート教育というのは、私はこれは国を滅ぼすものだと思いますよ。あんな純粋培養された人間が本当の意味のリーダーには絶対に育たない。

【斎藤】
じゃあ、なぜそういう「教育」をしなければならないかというと、一応の理屈は、現在のグローバリゼーションの世界、国際的な大競争時代の中で、日本企業の国際競争力をより高め、国としては日本に本社を置く多国籍企業の活動がより有利にできるようにして、また海外からの投資も促進したい。そのためには、グローバリズムの考えに応じた知的エリートを育てて国家、企業の中枢に据えたい。逆に労働運動は人権という意味で重要だけれど、それらは人件費コストの高騰を招く。したがって、製品の国際競争力が下がる。これはよろしくない、ということですね。多国籍企業の利益に貢献し、意思決定する層と、そうではなくてその意思決定に従って黙って何も言わずにおとなしく安く働く層、また、余ったら黙って失業している層が必要なんですね。これが理屈なんですが、もっと言えばね、こんなことしたら世の中壊れるわけですよ。だから、「国益」とか「社会益」とか本気で考えたらこんなことやっちゃいけないわけだけど、戦後民主主義と言いながら、戦後も結局、高級官僚だとか大企業の経営者だとか保守系の政治家だとかは戦前とほとんど人的に一致しているわけですね。安倍晋三が総理大臣候補と言われるがごとしで、戦前の構造が崩れたわけではない。ただ、彼らは戦後民主主義でみんながすべて平等だと言われてきたことに対して非常に「逆恨み」しているところがあるんですね。僕は「逆切れルサンチマン」と呼んでいますが(笑)。この人たちは最近の新自由主義の中で「貴族」とそうでない層をはっきり分けて、「俺たちは偉いんだ。お前らは平民だろう」という、ようは封建時代に戻したいということなんでしょうね。意識的かどうかは別にして深層心理ではそう思っている。新自由主義は、政府の介入を排して企業の自由にさせて、そうすればいいものが残るという主張。ようは、強いものだけが残ればいいという考え方ですよね。これは封建時代に近いですね。「生産性の低い産業は退場しろ」とかね。

【俵】
封建制といえばね、封建制の一つの特徴は「世襲制」でしょ。今の政界はほとんど世襲制だ。安倍晋三は三代目でしょ。エリートの問題も世襲制が問題になっているんですよ。今日みたいな話をいろんなところですると、教師のなかでさえ「エリート教育、いいじゃないですか」と言うのがいる。親もそうだ。でも、私は冷たく言うんだけれども、「皆さん方がそう言うのは、多分、自分の子供や孫がその1%のエリートになれるんじゃないか、あるいは、入ってほしいという素朴な願望があるのでしょうが、その可能性は0.0001%くらいですよ」と言っている(笑)。その具体例として世襲制の話をしている。いま、「東大世襲制論」というのがある。東大の教授でそういう統計をずっと取っている人から聞いたんですが、東大に入ってくる子供の親はどういう親かということを調べている。もう90%なんだが、両親のどちらかか両方ともが東大の卒業生。年々増えている。いま東大に入る子供の大半は私学の中高一貫校を出てくる。麻布、開成、灘、武蔵、ラサールなどだ。そういう学校は土曜も授業していますからね。平日も7時間授業とかね。6年間やったら、差は圧倒的でしょ。そういうところの子が東大に入ってくる。何故そうなるかといえば、まず親の財力が必要になってくる。学費は年間100万円を超えている。そこに入れるには小学校低学年のうちから塾に通わせる必要がある。その費用も考えると、年収1000万円でも無理だと言われている。今、日本の労働者の平均賃金は300−400万円でしょ。無理ですよ。じゃ、お金があればいいかというと、そうもいかない。なぜなら、そういう私学には「お受験」がある。これは親が「お受験」の経験者、ノウハウをもっていなければ突破できない。これが「東大世襲制論」です。

【斎藤】
あと、「コネ」でしょうね。

(続く)



「教育改革」は「ナチス」のノリで(斎藤貴男さんのトーク)(3)

皆さん、こんにちは。
続き(最終回)です。

【俵】
子供がどういう親の元に生まれるかということで将来が決められてしまう。つまり、いやな言葉だけど、「勝ち組」「負け組」とかね、小学校入る前から決められてしまう。小学校入るときに、江崎玲於奈は「遺伝子検査」をしろと言ってるわけでしょ。斎藤さんの本にも書いてあったけど。

【斎藤】
そうそう。江崎玲於奈っていうのは、ノーベル物理学賞をとった学者で、今の教育改革の流れを作った「教育改革国民会議」という審議会の座長をしていた。ちょうど、森喜朗が「神の国」とか何とか馬鹿なことを言っていたので、ノーベル賞をとったほどの人なら、こういう馬鹿をたしなめてくれるのではないか、と期待していた。でも、実際はまったく違いましたね。「会議」は能力別の教育ということを盛んに言っていた。で、取材に行って、「能力別ってどうするんですか?」と訊いた。そう簡単に学校の先生に人間の能力なんてわかるわけないと思っている。たまたま早い時期からできる子もいれば、あとからできるようになる子もいる。しかし、それはあくまで成績であって、能力と呼んでもらっちゃ困るという思いもあった。そうしたら、子供が小学校に上がるときの就学児検診で「血を採ればいい」と言い出した。「今は遺伝子検査が発達しているから、血を採ればその子が将来勉強できるようになるか、なんぼやってもダメかわかる。できそうな子にだけ教える」という。教育には「環境」と「遺伝」の大きな要素があるが、「環境を重視するやつは共産党だ」という(笑)。「遺伝を重視する人間は優生学論者で、俺はそれだ」とはっきり言うんですよ。優生学というには、ナチスの障害者を安楽死させたり、ユダヤ人を虐殺した発想ですね。この人ははっきり言って「マッド・サイエンティスト」だと思いましたが、ノーベル賞をとった人を前に、「僕は記者として何千、何万という人と会ったけれど、お前が一番馬鹿だ」と言いたい気持ちを抑えるのに苦労しましたね(笑)。まあ、こういう人がいたっていいですよ。だけど問題は、この人がそういう考え方を買われて首相の審議会のトップに座り、その後の教育改革を進めたということですよ。彼は息子が「勇人(ゆうじん)」というんですが、これは「ユージェニクス」(優生学)からきている(エーッ!)。でも、これって所詮、隔世遺伝とかありますから、よくわからないんですね。「本物のリーダー」と「現在リーダーを気取っている人」は絶対同じではない。高級官僚とかに幻想があるかもしれないが、記者を20年もやっていると、「こいつら、おかしい」ということが本当にわかってくる。

【俵】
「実直な精神」というのは、つまり、どんなに仕打ちを受けても、消費税を30、40%上げられても、あるいは年金で掛け金だけはたっぷり取られて、しかし、受け取るときはぜんぜんもらえない。そういうことをされても、「今、お国が大変だから」と喜んで受け入れなければならないという気持ちをもった人間を育てる必要があるのだろう。そういう「負け組」対策というのが一方であって、だから、エリート教育をやるためにはそれを並行してやっていかなければならない。それが「心の教育」の問題だ。

【斎藤】
どんなにエリートが理不尽なことをしても、実直に従うということ。よく、お袋に僕も言われました。「上を見ればきりがない。下を見ればきりがない」(笑)。

【俵】
あのね、うちの親父の口癖があったんですよ。「上見れば、欲しや欲しやの星ばかり。下見て暮らせ、星の毛もなし」(笑)。というふうに貧乏な親父はそれを処世訓にしていた。そういう教育をちゃんとやっておかないと、小学校の早い段階で「お前はもうどうでもいいんだよ」とされた人間が集団的に反乱を起こすということになれば、エリート政策そのものが崩壊してしまう。それが「治安対策」であり、「心の教育」であり、「愛国心教育」なんですね。中教審答申が「国際的大競争時代の中で日本が生き残らなければならない。そのために、21世紀を切り開くために心豊かで逞しい日本人を育てなければならない」と言っている。一人一人の子供を「心豊かで、なおかつ逞しい人間」に育てようという意味ではなく、これは「心豊か」なグループと、「逞しい」グループを別々に育てるという意味だ。文部科学省もそれを認めている。

【斎藤】
今出ている『文藝春秋』で、自衛隊のイラク派兵賛成か反対かというアンケートを実施して、三浦朱門は「自衛隊員が死ねば、憲法改正の尊い犠牲になってくれる」とはっきり言っちゃっている。ようするに、彼らにとって、自分と自分の周りの「いいとこ」の子以外は単なる「コマ」なんですよ。この人は馬鹿正直だから口に出して言っているけど、ほとんどの人の本音だと断言していい。

教育問題は、他のジャンルと違って誰でも口を出せるんですよ。全員が体験者ですから、何らかの思いがある。僕も所詮、その域を出ません。で、自分だったらどうかと考えて取材する。いろんな人に自分の生い立ちを話してみた。親父は明治45年の生まれで田舎の八男坊で、丁稚奉公で東京で鉄屑屋の入り婿になり、戦争で関東軍の特務機関に行った。でも、小学校しか出ていませんからただの運転手なんですね。でも「スパイ」はスパイだから、シベリアに抑留されて、昭和31年に日本に帰って僕が生まれた。鉄屑屋は日銭にはなるが世間的に低い地位にある。しかも、朝鮮戦争が終わった後だから、業界秩序が確立しており、どんなにがんばっても零細のままだった。僕は中学を出たら鉄屑屋を継げと言われて育った。でも15歳で働くの嫌だったから、高校に生かせてもらった。で、高校を出るときも18歳で働くの嫌だったから(笑)、大学にも行かせてもらった。親父のこと好きだったし、肉体労働者が世界で一番偉いと思っていたけど、大学に入ってすぐに親父がなくなったので家業を継ぐという選択肢がなくなり、ずっと考えていたジャーナリストになろうと思った。

こういう話をして、今の教育改革だったら、僕は間違いなく中学を出たら働くことになるだろう、やりたい仕事もできなかっただろうと言った。で、「同じような境遇の子供たちは今のような教育改革では全然救われないじゃないですか」と訊いてみた。で、そのときの気持ちは2つあって、一つはライターとしてムチャクチャなこと言ってもらって原稿を面白くしたいわけ。でも一方では、「斎藤さん。あなた心配しすぎだ。我々が打破しようとしているのは結果の悪平等であって、できない子を排除しようというのではない」と言ってもらいたかった。でも、全員が本当にバカにしてくれましたね。「だって君、大学行くだけがハッピーじゃないだろう」。客観的に見ればそうですね。たとえば、「スーパーフリー」のような連中は本来大学には行くべきではなかったと思う。しかし、それは本人が考えることだ。ところが、彼らは「お前なんか行くべきじゃないから行かせないよ」と言ってくれている。渋谷に「渋谷教育学園」という中高一貫の私立学校がある。千葉の幕張にも学校がある。その理事長の田村哲夫という人は、中教審の有力なメンバーの一人なのですが、「それは斎藤さん、あんたがお父さんのこと尊敬していないから、そんなこと言うんじゃないか。お父さんのこと尊敬しているんだったら、中学卒業してそのまま鉄屑屋やればよかったじゃないか」。つまり、「職業に貴賤はない」という言葉を、ここで逆手に取られているわけですね。彼は三代目なんですが、こうも言いましたよ。「自分の祖父は貧乏だったが、勉強ができたので引き上げてもらってここを作った。明治時代はそうだった。なのに、今は甘やかされ過ぎだ。そもそも、みんなが平等でなければならないなんて余計なお世話だ」。僕はこの場で「記者辞めた」と思って、こいつ半殺しにしても許さねえぞと思いました(笑)。怖いのは、そういう切実なことを話している人間に対してそういうことを平気で面と向かって言える奴らが今、この教育を動かしているということですね。ですから、いくら「斎藤さんは飛躍しすぎだ」と言われても、僕はこれは確信をもって言えます。

【俵】
その渋谷さんはちょっと知っているんです。高校の教科書の営業をしていたんですが、あそこも担当していたんです(笑)。「渋谷女子」は女子高生のファッションの発祥地なんです。「ルーズソックス」を流行らせたのは渋谷女子だったんです。それが全国に行き渡ったころ、彼女たちは今度は「紺ソク」を流行らせた。親父さんの代までは、幅広い子を受け入れていた。しかし、三代目になってエリート教育を目指して「渋谷幕張」を作った。そこで成功して渋谷女子を共学にしてエリートコースを作った。彼は私学の連盟の会長をしていたが、今は堀越学園の理事長がやっている。これも右翼でね(笑)、「つくる会」教科書の高校版といわれる「日本会議」が作っている「最新日本史」という教科書を使っている都内でも数少ない学校だ。去年の1月に「日本の教育改革有識者懇談会」(民間臨調)を作ってその代表幹事になっている。

【斎藤】
芸能界への浸透なんてすごいかもしれませんね。怖いですね。

(終わり)

いかがでしたでしょうか。
お楽しみいただけましたでしょうか。
これからも面白いトークは、バンバン掲載していきますので、よろしくお願いいたします。



為的に作られた「学力低下」 ベルナール

ピエールさん、みなさん、こんにちは。

> 江崎玲於奈っていうのは、ノーベル物理学賞をとった学者で、今の教育改革の流れを作った「教育改革国民会議」という審議会の座長をしていた。ちょうど、森喜朗が「神の国」とか何とか馬鹿なことを言っていたので、ノーベル賞をとったほどの人なら、こういう馬鹿をたしなめてくれるのではないか、と期待していた。でも、実際はまったく違いましたね。「会議」は能力別の教育ということを盛んに言っていた。で、取材に行って、「能力別ってどうするんですか?」と訊いた。そう簡単に学校の先生に人間の能力なんてわかるわけないと思っている。たまたま早い時期からできる子もいれば、あとからできるようになる子もいる。しかし、それはあくまで成績であって、能力と呼んでもらっちゃ困るという思いもあった。そうしたら、子供が小学校に上がるときの就学児検診で「血を採ればいい」と言い出した。「今は遺伝子検査が発達しているから、血を採ればその子が将来勉強できるようになるか、なんぼやってもダメかわかる。できそうな子にだけ教える」という。教育には「環境」と「遺伝」の大きな要素があるが、「環境を重視するやつは共産党だ」という(笑)。「遺伝を重視する人間は優生学論者で、俺はそれだ」とはっきり言うんですよ。優生学というには、ナチスの障害者を安楽死させたり、ユダヤ人を虐殺した発想ですね。

下掲注 [1] のビジネス情報誌『エルネオス』の斎藤氏のレポートでも、江崎玲於奈氏の発想の優生学的発想が報告されており、また他ならぬ第2回「教育改革国民会議」における配付資料7 [2] においても、江崎氏みずからが以下のように述べています。

> 人間の能力は二つの要因によって定まる。一つは持って生まれた“天性”、即ち遺伝情報であり、もう一つは環境による“育成”、即ち遺伝外情報取得である。一般的に、生物学者や優生学者は“天性”を重視し、社会学者や社会主義者は“育成”を重んずる傾向にあるが、“天性を見出し、育成に努める”のが教育の基本理念である。 われわれの容姿や容貌、才能や素質、ある病気にかかる傾向が強いといった各人の特徴はすべてゲノム、遺伝情報としてDNAの中に刻み込まれており、この持って生まれたゲノムは宿命とでも言おうか、決して変えられないのだということ、勿論、平等ではないことを生徒、父母、教師すべて認めなければならない。“天性”を見出すとは、言わば、自分のゲノム解読なのであるが、先生の講話を聞き、級友達と交流する教育環境の中で、知性、感性の受ける様々な刺激が自己発見に結びつく。このように、先ず、自分の“天性”の発見に努め、次に、それが個性的な光彩を放つよう“天性”を最大限生かす“育成”を図るのが教育の目標である。このような教育が実行されれば、国民それぞれが生まれ持つ能力は最大限に発揮されることになり、我が国の社会の活力は限りなく増大することは明らかであろう。

「生物学者や優生学者」「社会学者や社会主義者」の並置と対照の理由もよくわからないのですが、小学校に入学する児童の採血検査のDNA分析による選別という恐るべき発想には、戦慄を覚えざるを得ません。首相の教育諮問機関である「教育改革国民会議」において主導的役割を果たしている人物の発言には、とりわけ心身に障害のある子供さんをお持ちの保護者の方々は、恐怖を感じると思います。ナチスのユダヤ人迫害から、わが国におけるハンセン氏病患者の強制断種 (ワゼクトミー) にいたる大きな惨害が歴史上明らかであるにもかかわらず、こうした発言が教育関係者の口から発せられていることを知り、慄然たる思いです。心身に障害のある子供たちの運命など、初めから念頭にもないようです。

優生学を意味する言葉、「ユージェニック」(1912)、「ユージェニズム」(1930) が辞書に登録されたのは20世紀初頭であり、ヨーロッパに全体主義的抑圧体制が林立する時期と一致しています。ドイツの医学者や法学者の一部は、とくに医者のホッヘは、治療不能な精神病患者は「どんな場合であれ、死が優先されるべき」と主張し、特に重度の知的障害者をとくに生きるに値しない「物」と決めつけ、「誰にとっても最も重荷となる連中」として切り捨てるべきだと主張しました [3]。この社会ダーウィン主義的な自然淘汰の発想は、ナチスに受け継がれて、「T4作戦」という隠語で呼ばれた、重篤な心身障害者の殺害計画に発展したわけです。

1939年9月1日、ポーランド戦線で成功を収めたヒトラーは、ある命令に署名しました。その署名には、こう書かれていました [4]。

> 帝国指導者フィリップ・ボウラーと医学博士カール・ブラントに、人知では治癒不能と判断される人間に対して、病状の最も慎重な診断の上に安楽死がもたらせる特定の医師の権限を拡大する責任を与える。

こうして、一酸化炭素による重篤な心身障害者が始まりました。「目的は奇形児 (障害新生児) を手に入れて、生後は可能な限りすぐに片付けることだった」と述懐するカール・ブラント医師の提唱によって「子供計画」と呼ばれる、知的障害を持つ新生児の殺害が医師に許可されました。ブラント医師は、ドイツの障害児殺害計画を、「遺伝病に苦しむ子供の誕生を防止するための」1933年の断種法の当然の延長線上にあるものと主張したのです [5]。

この官許の大量殺害は、当初秘密裏に遂行されましたが、徐々に人の知るところになり、特にキリスト教世界に激しい反撥と憤激を巻き起こしました。内務省のコンティから、ヴュルテンブルク州ルター派の牧師テオフィール・ヴルムに対し、カトリックの「司教はご安心下さいますよう。万端整っております。安楽死計画は機密ですが、法を守る形で実施されております」との書留の手紙が送られました。ナチスによる蛮行に対して、カトリック教会は、手をこまねいてはいませんでした。1940年の8月と11月、ベルトラムとファウルハーバーの両枢機卿が、「生命に値しないと一方的に宣言された患者の殺害が火をつけた憤りへの注意」を喚起し、「罪もない者の抹殺はキリスト教の道徳法を破るのみならず、ドイツ国民の道徳観にも背き、ドイツの評判を世界中で危機に陥れる」と、ナチスの安楽死計画を厳しく批判しました。

特にナチスは、雷鳴のような説教で知られ、「ミュンスターの獅子」と呼ばれたクレメンス・フォン・ガーレン司教の絶大の影響力を恐れていました。安楽死計画に対して、ゲシュタポ (ナチス秘密警察) への厳重な抗議に行ったガーレンは、「もうこれ以上は黙っているわけはない」として、ナチスを糾弾する説教を開始しました [6]。

> … 我々の仲間です。兄弟姉妹です。貧しい人、病気の人、非生産的な人、だから何なのでしようか。生きる権利をなぜ失ってしまったのでしょうか。皆さんも私も生産的なときだけしか生きる権利がないのでしょうか。… 秘密の命令が精神病院の処分から他の非生産的な人間も対象を拡大することができます。もう治らない肺病にかかった人間、弱った老人、労災被害者、重度の障害を持つ元軍人といった人たちです。安全な人はもはや一人もいません。誰が自分の医師を信頼できるでしょうか。… この恐るべき思想が大目にみられ、受け入れられ、実行されたらどのような堕落と疑心暗鬼が家庭生活に入り込むことになるのか、予測もつきかねます。人道も地に落ちちました。仮に「汝殺すなかれ」という神の神聖な戒めが犯されるのみならず、黙認され処罰を受けることなく実行されるとしたら、人道もドイツ人の名誉も地に落ちるでしょう。

ナチスによるカトリック教会に対する迫害と嫌がらせが激しくなり、秘密警察が司教の捕縛に向かうとの噂が流れましたが、ガーレン司教は、少しも臆することなく秘密警察にこう伝えました。「おまえたちが望むならいつでも逮捕に来るがよい。大聖堂の扉の前で司教の衣装に身を着け、頭には司教冠、手には司教区の信者の幸福のために果たしてきた責任を象徴する司教杖もしくは錫杖で待っていよう」と。この大胆不敵な言動に恐れをなした秘密警察は気勢を削がれ、司教の説教に激怒したヒトラーに対して、ゲッベルス宣伝相は、「司教に何かあれば、ミュンスターの住民をこの戦争中はもう敵に回すことになる。ウェストファリア州全体もそうおもって間違いない」と諫言し、結局ヒトラーは、安楽死計画そのものの見直しを余儀なくされたのです。ゲシュタポによる差し押さえを予期していたガーレン司教は、説教文のカーポン・コピーを用意しており、そのコピーから転載されたナチス弾劾文は、秘密警察の諜報網をまんまと出し抜き、各教会と信徒たちの手によってヨーロッパ中に配布され、遠くロシア戦線に従軍中の兵士たちの手にまでとどき、深い感銘を与えました [7]。

> 三浦さんによれば、普通の子には「ゆとり教育」で勉強させない、できる子だけやらせるということを新中教審答申がはっきりさせた。しかし、文部省はその本音をなかなかいえなかったのが、学力低下批判を利用したわけですね。京大の西村和雄教授などは「エリートの学力が下がるのがいやだ」と言っている。この発想は特に第二次産業からの要請なんですね。彼らのバックには東京電力の平岩外四というような人がいる。「普通の子はできないほうがいい」というのは第三次産業の考え方ですね。サービス業はマニュアル通りでやっていればいいんだから、できないほうがいい。そうじゃなくて、基幹産業を動かす立場のエリートは学力が下がるとまずい。

三浦朱門氏は、DNA 選別のような生物学的決定論までは主張していませんが、また別の意味でヒドイものですね。高橋哲哉さんの『「心」と戦争』(晶文社) にも、新しい学習指導要領で授業内容や時間が三割も減ったら学力低下になるのではないか、と問われた三浦氏のこのような答えが載っています [8]。

> そんなことは最初から分かっている。むしろ学力を低下させるためにやっているんだ。

「人間が物事を知り、探求し、発見し、文化や文明を発展させていくときに不可欠な」[9] 批判的知性と方法論的懐疑の精神を涵養するのではなく、むしろ人に言われたことに唯々諾々として従う「実直の精神」(道具的知性) を作り出すための意図的に作り出された学力低下策というは、人間を社会的操作の対象と見なし、道具としての生産力の効率のみを重んじる究極の収奪であり、昨今の教育現場の荒廃が、人為的・制度的に作られたものであることがよくわかります。

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[1] cf. http://www.elneos.co.jp/012sf1.html
[2] 「配付資料7」の全文は、以下の通り。

教育の在り方

> 「時には踏み慣らさらた道を離れ、“森”に入ってみなさい。そこでは、あなたがこれまでに見たことがない何か新しいものを見出すに違いありません。」これは電話機を発明したアレキサンダー・グラハム・ベルの言葉ですが、教育改革も“森”の中で行えば新しい指針が得られると提案しています。 現在日本の教育問題は甚だ多岐に亘るが、ここで、二つの面とその間に介在する諸問題として捉えてみれば整理されるのではないであろうか。 一つの面は、技術革新が目覚しい21世紀、様々の分野で日本を担い、国際貢献も出来る創造性の高い人材を如何に育成するか。これは小渕総理が言われた“創造への挑戦”であり、教育改革国民会議開催の本来の趣旨でもある。現在の我が国の教育制度では全体のレベルは上げられるが、優れた能力を持つ人材が育成しにくいという致命的欠陥がある。 もう一つの面は教育界が現在直面する病的現象、即ち学級崩壊、不登校、いじめ、自殺、暴力など国民の関心が深い諸問題に対し、学校、家庭、地域がどう対処すればよいか。 そしてこの二つの面の間に挟まれて本国民会議が課題とすべき諸問題が介在すると考えてよい。その中で特に重要と思われるものは以下の通り。限られた時間で結論を出すには、優先順位を定め、重要と思われるものに焦点を合わせねばならない。

1)教育の基本理念、目標達成のための必要条件:少人数学級と教員の資質向上

> 人間の能力は二つの要因によって定まる。一つは持って生まれた“天性”、即ち遺伝情報であり、もう一つは環境による“育成”、即ち遺伝外情報取得である。一般的に、生物学者や優生学者は“天性”を重視し、社会学者や社会主義者は“育成”を重んずる傾向にあるが、“天性を見出し、育成に努める”のが教育の基本理念である。 われわれの容姿や容貌、才能や素質、ある病気にかかる傾向が強いといった各人の特徴はすべてゲノム、遺伝情報としてDNAの中に刻み込まれており、この持って生まれたゲノムは宿命とでも言おうか、決して変えられないのだということ、勿論、平等ではないことを生徒、父母、教師すべて認めなければならない。“天性”を見出すとは、言わば、自分のゲノム解読なのであるが、先生の講話を聞き、級友達と交流する教育環境の中で、知性、感性の受ける様々な刺激が自己発見に結びつく。このように、先ず、自分の“天性”の発見に努め、次に、それが個性的な光彩を放つよう“天性”を最大限生かす“育成”を図るのが教育の目標である。このような教育が実行されれば、国民それぞれが生まれ持つ能力は最大限に発揮されることになり、我が国の社会の活力は限りなく増大することは明らかであろう。 この教育の目標を達成するためには、各人の“天性”の違いを無視する平等主義や画一的な“育成”手段を排除せねばならぬのは当然であるが、30人以下の少人数学級、習熟度に応ずる教育、優れた教師の存在は間違いなく必要条件である。これにより各生徒にカスタムメード(特注)教育が可能になる。生徒数が減少する今日、少人数学級を作る絶好のチャンスであると思われる。また、教育の質向上のために教員の再教育、修士号取得を求める時が来たと言えるのではないであろうか。

2)教育制度の改革

> 高校進学率が97%にも達する今日、高校も義務教育に含める。その際6−3−3制から4−4−4制にする。この方が各学校がまとまり易く急速に変化する社会に対応し易い。また、4年間の高等学校を大学に準じた組織にする。例えば、単位制を導入し、多くの選択科目を作る。また大学に進学したとき、大学で単位として認められる上級コースを設ける。中学、高校、大学何れも、入試を重視する現在の入学管理体制から卒業管理体制の教育に移行する。そして、これは経団連でも論じられているが、小、中、高校、大学の各卒業段階で全国レベルの学習到達度試験を実施し、各生徒の学力評価を行うとともに、学校、教員の教育成果の評価にも活用する。生徒の学力がある基準に達しなければ卒業証書は与えない。また、生徒はこの学力テストの成績によって希望する中学、高校あるいは大学に進学し、現在のような学校個別の入学試験は中学、高校、大学何れにおいても一切行わない。これにより生徒達は学校の勉強には励まねばならないが、受験のための勉強からすべて解放されるし、大学のレジャーランド化も防げる。また、テストの成績はすべて公開し、企業はこの成績に基づいて採用を決めてもよい。

3)道徳・倫理

> 幼児期に家庭、学校、地域における“しつけ”教育の徹底、自制心や克己心の涵養、偉人伝などを通じて情操モラル教育、インターネットの普及、テレビゲームの蔓延による仮想世界(ヴァーチャルワールド)や人間疎遠への対抗策、キャンプなどの集団生活を体験させて規律や協調性を培う。学校と家庭を結ぶインフラネットワークを築くことによって学校を中心とする地域社会を形成させる。今、生徒、両親、教師が何を求められているか知る。愛するに値する学校、郷土、国家を作る努力を傾け、それを通じて愛校心、愛郷心、愛国心の高揚を計る。

[3] cf. http://www.nakayama.org/polylogos/books/morishita11.html (中山元氏による書評)
http://www.lifestudies.org/jp/shinano03.htm#20020217 (「信濃毎日新聞」2001年2月17日付)
[4] ヒュー・G・ギャラファー『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』現代書館、1996、34頁。
[5] cf. 上掲書、129-131頁。
[6] 同上、276-277頁。
[7] 一度はヒトラーの電撃的勝利に幻惑されてしていた人々の間にも、ヒトラーに対する疑念とドイツの将来に対する懸念が起こってきました。ガーレン司教のナチス批判は、カトリック・レジスタンスの触媒となり、ロシア戦線では、「白バラ」運動の中心的人物となるハンス・ショルらミュンヘン大学の学生たちによる抵抗運動が開始され、司教文書が回覧されました。しかし、絶望的な戦局になってもまだ停戦せず、ドイツと全ヨーロッパを破局に導こうとするヒトラーに対しては、直接行動により打倒すべきという声が段々大きくなりました。シュテファン・ゲオルゲという現代詩人の弟子で参謀本部付の将校であった、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐 (Claus Graf von Schenk von Stauffenberg, 1907-1944) が大本営に爆薬を仕掛ける「ワルキューレ計画」が始動したのです。
cf. http://members.aol.com/weisserose2002/hans.html
http://homepage2.nifty.com/snafkins-lifework/stauffenberg.htm
[8] 111頁。
[9] 43 頁。
http://bbs8.otd.co.jp/kawanakajima/bbs_plain?range=-50&base=700



第1回口頭弁論 訴えにあたって ジャーナリスト斎藤貴男 [住基ネット差し止め訴訟を支援する会]
http://www.asyura2.com/0401/it05/msg/450.html

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