★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ33 > 922.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
松下政経塾と「中田人脈」の研究 (4)
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/922.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 2 月 27 日 03:52:49:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: 松下政経塾と「中田人脈」の研究 (3) 投稿者 なるほど 日時 2004 年 2 月 27 日 03:45:41)

 2003年7月14日

平 智之(商学部教員)

W 「連合」と松下政経塾・「中田人脈」の関係(承前)

2. 旧同盟・民社党系の「職業政治家」=佐藤行信・小幡正雄両市議

連合設立への「立役者」となるのと並行して、松下政経塾の塾長を幸之助翁から引き継ぎ、中田宏氏を育て衆議院議員に仕立て上げた「恩師」が宮田義二氏であったという注目すべき事実は、前回で明らかになった。1993年の初当選以来9年間も落選知らずの中田衆議院議員は、日本新党を皮切りに新進党、そして「無所属」ながら民主党との統一会派と渡り歩き、「構造改革」を支持して2001年4月には小泉首相指名に投票して再び無所属となった。しかし、「陣笠代議士」に飽きたらなかったのか、そんな中田氏を、2002年3月の横浜市長選挙に際して、高秀秀信市長への「多選批判」を掲げて対立候補にかつぎ出して見事当選させた「功労者」になった5人の民主党市議のうちで、中核となったのが旧同盟・民社党系の「職業政治家」のコンビ、佐藤行信・小幡正雄の両市議だったのである。

 今回の公選法違反と入札妨害の各容疑で2度逮捕され、前者はすでに起訴された佐藤行信市議の「キャリア」については、本人のホームページhttp://www.f6.dion.ne.jp/~yukinobu/index.htmと逮捕後の新聞報道など以外には情報は乏しい。前者のプロフィールによれば、1955年に茨城県に生まれた佐藤氏は、高校卒業後の1972年に日産自動車に入社し、10数年間は自動車工として技能を錬磨し、1989年にはエンジンの組立作業で一級技能士を取得して神奈川県知事賞を受賞したことを、「熟練工」として自ら誇っている。おそらく、日産の工場内で「職制」に昇進するのとともに労働組合の活動家としても頭角を現していったのだろう。その結果、1993年には専従活動家として「全日産労組」の横浜支部書記長という、いわゆる「労働貴族」の一翼にまで出世するのである。また、それと表裏の関係にある民社党の旭支部長代行にも就任する。そして1995年4月には、前年末に民社党も結成に参加した新進党公認で、横浜市議会議員に旭区から初当選したのである。

 佐藤氏が所属していた日産自動車工が組織する全日産労組は、かつては「自動車労連」という日産グループ各労組の連合体を構成していたが、1989年に連合が結成されるに際し「日産労連」(全日産・一般業種労働組合連合会)と名称を改めて、現在に至っている。そのホームページhttp://www.ngu.or.jp/ には、その「生い立ち」が以下のように書かれている。

■ 第二次世界大戦が終わった昭和20年(1945年)以降、占領軍の民主化政策にそって、労働組合が次々につくられるようになりました。自動車産業に働く人々は昭和23年3月に「全自動車」という産業別組合を結成し、日産自動車の労働者も全自動車日産分会として参加しました。しかし、不幸なことに、この組合は職場闘争や無期限ストなど無謀な闘争をくりかえしたため、生産はストップし、職場は荒れ果て、賃金カットなどで働く者たちは苦しい日々を強いられることになりました。

■ やがて、こんなことでは働く者の生活は守れないと考えた人たちによって、新しい組合づくりがはじまりました。そして昭和28年8月30日に「日産労組」が結成され、止まっていた生産もようやく再開。結成1年後には、ほとんどの人が日産労組に加入したため、昭和29年に全自動車は解散に追い込まれました。

■ 日産労組は関連する販売会社や部品メーカーに働く人たちと一緒に一つの組織をつくる努力を重ね、昭和30年1月23日「自動車労連」を結成しました。「自動車労連」はその後、日産グループを中心に組織を拡大し、活動の幅を広げながら、自動車メーカー、販売会社、部品メーカー、輸送会社、それに一般業種の仲間も加えて、業種別組合の連合体へと発展してきたのです。

以上のように日産労連が非難している、戦後日本の労働運動史上の一つの転換点となった1953(昭和28)年の「日産争議」から、今年2003年はちょうど50周年に当たる。奇しくも、その争議の中心となった神奈川県・横浜市の工場の地元として、わが横浜市大でさる4月に記念シンポジウムhttp://labornet.yokohama-cu.ac.jp/zenji/index.html が開催された。「第二組合」の日産労組によって争議敗北と「全自動車・日産分会」の解散に追い込まれた反対側からの歴史も、そのページでぜひ参照いただきたい。

それはともかく、争議後まもなく生まれた佐藤氏が、日産に入社し組合活動に入った直後の第1次石油危機を乗り超え、「世界の日産」としての地歩をトヨタなど他のメーカーとの企業間競争のなかで固めていくのと、佐藤氏の同盟系の有力組合幹部としての台頭が重なるのである。その後、日産労連の組織内の地方議員としての佐藤氏の歩みは「順風満帆」に見えたが、新進党の解散に伴い1996年から民主党所属となり、1999年に再選された2期目の後半に中田宏氏を市長候補にかついだことによって、佐藤市議の「転落」が始まるのである。そのあげく、2003年5月に公選法違反容疑で逮捕された佐藤市議の初公判は7月7日に開廷したが、『朝日新聞』神奈川版、7月8日付けによると、検察側の冒頭陳述は以下のように述べていたという。

また、検察側は、佐藤市議が02年3月の横浜市長選で中田宏市長の擁立に加わったため、労働組合からの資金援助がうち切られたと指摘。慢性的な資金難に陥り、政治資金として受け取った金から生活費を捻出するようになったと述べた。

また、5月の逮捕翌日の『読売新聞』神奈川版、同21日付けは、もっと具体的に次のように報じている。

民主党公認として出馬した四年前の市議選で佐藤容疑者は、選挙資金として、民主党県連から二十万円、出身の労組関係の政治団体から二百万円の寄付を受けていた。しかし、昨年三月の横浜市長選のしこりで党内が事実上分裂した今回の選挙では、こうした党や労組の支援が得られず、資金繰りに困っていたとみられている。

以上の報道によっても、特に日産労連関係からの選挙資金の交付が受けられなくなったので、起訴事実だけでも、佐藤市議は100万円の資金供与を複数の土木業者に要求して受領したことは明らかである。

次に、「民主党・横浜みらい」の市議団長の小幡市議についても、自身のホームページhttp://plaza17.mbn.or.jp/~obata/index.html 程度の経歴しか分からない。それによれば、 佐藤市議よりちょうど一回り年長の「ベテラン政治家」の小幡氏は、市大の地元の金沢区に1943年に生まれて高校まで区内で通し、明治大学に学んで卒業後すぐの1966年に民社党中央本部に就職している。いきなり専従の同党職員となった背景は不明だが、10年余り機関紙局や政策審議会に勤務したという。その後、1979年に民社党から金沢区選出の横浜市議会議員に初当選して以降、7期連続当選で、今年「還暦」を迎えるばかりなのに、すでに「長老市議」の1人である。

 佐藤市議と表裏をなすキャリアで、旧民社党系の地方議員としては相当の「エリート」であり、国会議員は先輩が頑張っているとはいえ県議にもなろうとしなかったのがむしろ不思議なくらいである。前述のように、民社党は1994年12月に新進党に参加するために解散したが、同じ行動を採った公明党が「公明」という地方議員などの組織を温存し、新進党解散の後は元の公明党を復活させて自民党と連立政権を組んで現在に至るように、民主党に参加した旧民社党勢力も「党中党」を組織している。それが小幡氏が神奈川県支部の副会長を現在務めている「民社協会」という組織である。その青年組織の「民社ユース」というホームページhttp://member.nifty.ne.jp/~demsoc/ には、1年前まで民社協会の動向も掲げられていたが、ご多分にもれず活動が沈滞したのか、それ以後は更新されていない。それでいささか旧聞に属するが、2年余り前の民社協会の年次総会の模様を以下に引用しよう。

■ 民社協会・年次総会開催

――平成13年度活動方針決定(2月25日)

 民社協会(米沢隆会長)は去る2月25日年次総会を、東京千代田区・全国町村会館ホールで開催。「あり方懇談会」最終報告に基本的に沿った平成13年度活動方針案を採択、役員を一部改選した。

 米沢隆会長挨拶、来賓の吉井眞之友愛連絡会筆頭代表幹事、堀江湛政策研究フォーラム理事長挨拶に引き続き議事に入り、「平成12年度活動報告」「同決算報告」「同会計監査報告」が行われた。続いて「平成13年度活動方針案」「第19回参議院選挙対策案」「平成13年度予算案」が提案され、いずれも一括質疑・採択された。また「参議院選挙ならびに都議会議員選挙必勝決議」も採択された。

 平成13年度活動方針案は民社協会が「いかなる厳しい状況下にあっても、何らかの形で存続していくべき」とした「あり方懇談会」最終報告の趣旨に基づいている。「会員確保と全国ネットワークの維持」、「ブロック会議の強化と地方協会との連携強化」、「友愛連絡会等との連携強化」、「情報・政策ネットワーク活動の強化」、「地方議員研修会の開催」、「参議院選挙と中間選挙への対応」、「財政基盤の強化と本部事務の合理化」の大項目を掲げ、友誼団体との一層の連携、分権的組織運営、『月刊民社』『地方政治情報』発行継続、「月例研究会」開催、IUSYを通じた社会主義インターとの連携確保などの活動に取り組むことにしている。

 役員も新たに選出され、「あり方懇談会」座長を務めた中田一郎新理事長が挨拶した。また今泉昭参院議員、名取憲彦前都議が参院選・都議選候補者決意表明を行った。新役員は以下の通り。

▼会長=米沢隆

▼理事長=中田一郎(北関東ブロック)

▼副理事長=中井洽/玉置一弥/今泉昭/名取憲彦(東京ブロック)/冨田健治(近畿ブロック)/鎌滝博雄(友愛連絡会)

▼専務理事=田中慶秋

▼最高顧問=吉田之久/中野寛成

▼常任相談役=寺崎昭久/西村章三

▼理事=(国会議員若干名)/高村仁(ゼンセン同盟)/山田幸一(日産労連)/小川直人(電力総連)/石田一夫(CSG連合)/高比良芳紀(造船重機労連)/堀口良三(交通労連)/風早俊男(北海道ブロック)/錦戸弦一(東北ブロック)/小山善次郎(南関東ブロック)/市川政広(北陸信越ブロック)/大川信也(東海ブロック)/松山茂樹(中国ブロック)/松下愛信(四国ブロック)/山口哲雄(九州ブロック)/伊藤郁男/梅澤昇平/佐分利一昭/山崎東吉(民社ゆーす)

▼監事=抜山映子/和田一仁/増田光儀(全郵政)

▼事務局長=真鍋貞樹

最後の民社党委員長だった米沢隆氏がいまだに民社協会の会長を務め、前民主党幹事長の中野寛成氏らの国会議員のほか、日産労連も含めて旧同盟傘下の有力単産から理事もそれぞれ出ており、まさに文中にあるように旧民社党の「温存組織」として「民主党後」に備えているのである。神奈川県・横浜市関係で注目されるのは、 当時は専務理事を務めていた田中慶秋氏の名前である。ゼンキン同盟の幹部から県議を経て横浜選出の民社党衆院議員となり現在4期目の田中氏は、今も神奈川民社協会の会長を務めており、その副会長が小幡氏なのである。http://www.keisyuu.com/ ところが、田中氏は現在の所属する民主党でも神奈川県連の代表代行の任にあり、同党の横浜市議団が分裂した一方の「横浜みらい」の団長の小幡氏とは、「微妙な関係」にあるといえよう。

以上、中田市長を誕生させた5人の民主党市議のうちでも特に中心の、旧同盟・民社党出身の佐藤・小幡両市議の系譜を明らかにしてきた。次回では、彼らがなぜ民主党中央・県連に反旗までひるがえして2002年市長選に臨んだのかを検討しよう(続く)。

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/030714taira.htm

 次へ  前へ

Ψ空耳の丘Ψ33掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。