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松下政経塾と「中田人脈」の研究 (3)
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/921.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 2 月 27 日 03:45:41:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: 松下政経塾と「中田人脈」の研究 (2) 投稿者 なるほど 日時 2004 年 2 月 27 日 03:41:23)

 2003年7月10日

平 智之(商学部教員)

W 「連合」と松下政経塾・「中田人脈」との関係

1. 富士政治大学校と松下政経塾の「深い関係」

本連載も3回目となったが、最も明らかにしたかった「眼目」は、中田ブレイン一派の追加的な紹介ではなく、上記の章名どおり、日本最大の労働組合のナショナル・センター「連合」(日本労働組合総連合会)と松下政経塾はじめの「中田人脈」との密接な関係である。ただ周知のように、現在の連合は1989年に、民間企業の労組中心の「同盟」(全日本労働総同盟)が中心となった旧連合と公務員・公益企業の労組中心の「総評」(日本労働組合総評議会)が合同して結成され、現在に至っている。したがって、現在の連合傘下の加盟単産(企業・職場別組合の産業別連合体)のうち、元同盟系で政党では旧民社党系の単産・組合をここでは対象とすることを、あらかじめお断りしておきたい。

というのは、本ホームページにもリンクされている旧総評系で連合傘下の横浜市の行政職員の一組合、自治労横浜は、別のナショナル・センターの「全労連」(全国労働組合総連合)に加盟しているもう一つの組合、横浜市従と同じく中田「民営化」市政に真正面から反対しているからである。この立場は、同じ旧総評系で連合傘下の横浜市の交通労組や水道労組なども同一の立場だと思われる(この両組合のホームページはないようである)。ちなみに、自治労横浜のホームページにはhttp://www.j-yokohama.or.jp/ 、市従組合http://www.siju.or.jp/ とも、わが市大教組http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/ ともまったく観点は同じ、以下のような取組みの最新報告がなされている。

第6分科会 新時代行政プランIから見る中田市政この1年 6月26日

 本部の浅井副委員長が講師。関心の深いテーマで、申し込み者が殺到し、急きょ同じテーマで7月14日(月)にも第2回を行うこととなりました。  

 中田市長の国会議員時代の活動、松下政経塾の理想などと、市長就任後1年間に進められた「改革」の手法が紹介されました。「日本のネオコン(新保守主義)はニュージーランドを一つの指標にしている。ニュージーランドでは公共サービスの民営化や廃止を進め、一時経済も好転したが、今は逆に弊害が大きく出ている。そのため、行政はNPOの善意に頼る状況になっている。一部の者だけで決め、発表まで当事者にも議論すら許さない『改革』手法は問題が多すぎる」と指摘されました。

 以上、戦後日本の労働運動の歴史的系譜から由来する、やや複雑な前置きが長くなったが、本題に入ろう。まず、本連載の (1)で紹介した松下政経塾のホームページなどをブラウズしていると、私には何か別の「政治的教育機関」がだんだん思い当たってきた。それは何かというと、労働運動の活動家や研究者などにしか知られていないが、旧同盟系を中心とする「富士政治大学校」という、静岡県御殿場市にある労組幹部の養成学校である。この研究をした文献まで当たる余裕がなかったので、私の『横浜市史』編集事業での同僚、三宅明正氏(千葉大学)による、以下の簡潔な紹介に負うことにしよう。

富士政治大学校は、一九六八年八月に財団法人として認可された「富士社会教育センター」が翌六九年一〇月に開設した機関である。第一期の「特別労働講座」から、同盟系ならびにJC系【金属労協のこと。鉄鋼・金属・自動車・電機・造船などの単産が組織した国際的労働団体−引用者注、以下同じ】の労組が若手の職場活動家を派遣している。同校では当初から「活動家養成講座」や「幹部研修講座」が開設されている。そこでは「進歩的な市民を発掘し、これを闘う民主主義者に養成する」ことが目的とされ、その「最大の相手は共産主義に立つ人々」とされた。……

同校には創立者西村栄一【創立当時の民社党委員長】の「遺訓」をもとにした『三訓五戒』が掲げられ、「己をすてよ」「けじめをつけよ」のスローガンのもとに、「評論家的民主主義者ではなく行動的民主主義者を」育成することが強調された。実際の講座を見ると、「かけあいコール」で「絶叫」による「興奮」を味わい、参加者は「演壇」「訓練」で批判派を実力で「撃退」する「訓練」を受けた。

 一九七〇年代前半に同校の講座は急速に数を増している。開催回数は一九七一年七回、七二年三一回、七三年五六回、七四年六七回、七五年八〇回で、以後毎年一〇〇回を超えた。……

 さらに一九八〇年代になると、富士政治大学校での労働講座は企業の「研修」名義で行われることが多くなった。経費は会社持ちの出張扱いにされ……【別の団体名義の】「研修」とされたのは、外部の批判を避けるためであった……〔三宅明正「インフォーマル・グループ小史」、『市史研究よこはま』第14号、2002年、36〜37ページ〕

 そして、三宅氏は事例として、横浜市にも大事業所を有する複数の造船重機企業の同校への社員派遣の具体例もあげている。富士政治大学校の場合は、大企業の本社や工場の中堅層を労組幹部へと、短期間で大量養成をめざしている点やファナティックとも思える政治訓練を実践している点で、松下政経塾が政財界のエリート候補生を少人数のオーソドックスな授業で中長期で育成するという、目的やスタイルの違いは少なくない。しかし、寝食を共にした合宿制の研修方式を採用し、ともに創立者の精神主義的なスローガンを掲げて精神修養を重視し、単なる「座学」ではなく現場や地域での実践的な研修や自己表現と他者の論破を重視する教育方法、さらには「行軍」のような肉体・精神練成まであるところが、私には10年置いて設立された両校の共通性が非常に感じられたのである。

 そして、やはり両校に大きな人的な連続があることを決定的に裏づける証拠を探し当てたので、以下で明らかにしよう。すなわち、松下政経塾の役員には、幸之助翁の嗣子の松下正治・理事長(松下電器産業・名誉会長)の下に、キラ星のごとくの有名かつ有力な財界人、および意外にも大学界の大物教授が各種の役員に就任している(政治家はむしろ少ない)。http://www.mskj.or.jp/how/yakuin.html そのなかでやや異色のグループが、鉄鋼労連の委員長や前出の金属労協(JC)の議長を長年務めた宮田義二氏が「相談役」を、その鉄鋼労連での後継者で連合の前会長を務めた鷲尾悦也氏(現・全労済理事長)、および鷲尾会長の「女房役」の事務局長から後任の連合現会長に昇格した笹森清氏がそれぞれ「評議員」を務めているという、「連合トリオ」の存在である。

 実は、これには以下のような、意外かつ重要な事実が存在したのである。というのも、現在の松下政経塾のホームページでは分からなかったが、3年前の『毎日新聞』朝刊、2000年5月11日付けには以下のような記述がある。

「【国会議員の世代交代の】この流れは止めることはできんでしょうな。今度の選挙で大事なのは、若い人にバトンタッチさせること。2世? 3世? それでもいい。若いことが大事なんです」。若手政治家育成スクール・松下政経塾の塾長を15年間務め、国会議員15人を永田町に送り込んできた宮田義二氏がこう力説する。「これまでの政治はメンコの数(当選回数)とゼニカネで決まったが、これからは直接、国民に政策を語れる若手の時代。国民もよく見てますよ」というのだ。

現在の松下政経塾には「塾長」というポストは存在しないか空席のようだが、2000年まで宮田氏が15年間もそれを務めていたということは、1980年に開設された同塾のバックボーンを、89年に死去した幸之助翁の遺志も受け継いで、実質的に固めたのは宮田塾長だということが明らかである。このことによって、金属労協(JC)の議長として宮田氏も設立や運営に大きく関与したであろう、「先輩格」の富士政治大学校と、松下政経塾のコンセプトやスタイルが酷似してくるのは、むしろ理の当然だったのである。

 そして、宮田氏は塾長時代や引退した後も、手塩にかけて育てた「教え子」の各種の選挙運動には足繁く応援に駆けつけていることは、たとえば、以下のような卒塾生のホームページからよくうかがえる。http://www.ykj.or.jp/akaike/report/2000/0613.htm  http://member.nifty.ne.jp/yamanoi/kiseki/_tosenmae/nikki/0003_05/000326.html 

そのなかでも、上記の両名と同じ7期生の1人、広島県議会議員の中原好治氏が、以下のような「恩師」の引退に対する、心を込めた「贈る言葉」を自身のホームページに書いている。そこでは、宮田塾長の活躍ぶりと塾の「政治団体」まで結成してきわめて組織的に国政選挙に臨んでいる様がよくうかがえる。http://www.nakahara.gr.jp/mirai46.htm 

(財)松下政経塾 宮田 義二塾長退任慰労会と青年政治機構選対本部   平成12年3月31日

 去る3月29日(水)、東京の憲政記念館で上記の宮田塾長慰労会と、次期衆院選に挑戦する31名の候補者(うち現職14名)を政経塾の同志としてバックアップしていくための青年政治機構選対本部の発足式が合わせて行われ、参加してまいりました。

 宮田塾長には在塾中より大変お世話になり、私の過去の4回の選挙にも必ず応援に来てくださいましたし、事前の準備活動特に労働組合へのごあいさつ等、本当に親身にご指導いただきました。鉄鋼労連の最高責任者として労働界を引っ張り、連合結成にも大きな力を発揮し、個人的に親交の深かった松下幸之助氏から政経塾を引き受けられてから14年、今日の政経塾を築かれたわけです。宮田塾長は私が在塾中から徹底して選挙に出ること、そして勝つことを塾生に指導してこられました。松下幸之助氏とどういうお話をされていたのかわかりませんが、政経塾の使命は若い政治家を送り出すことにあるとの信念でした。現在の15名の国会議員、23名の地方議員、3名の首長という勢力は宮田塾長の力に負うところが大です。慰労会のごあいさつで宮田塾長は、「@政策優先の選挙をすること、A議員立法に必要な21名の当選を期すこと」を目標として掲げられました。31名の候補者の所属政党は、自民党が9名、民主党が17名、自由党が1名、無所属が4名です。現職14名、新人17名で、21名の当選というのはたいへん厳しい目標だと思います。私の同期(7期生)は2人が出馬予定です。民主党比例近畿ブロックから山井和則君、山梨1区から無所属で赤池誠章君です。所属政党もこれだけ分かれて、地域もバラバラで、統一された政策が打ち出せるのかという大きな問題があります。むしろ既存の政党の枠組の中で各人精一杯という感じもしています。私達も間違いなく歳をとっていくわけで、松下政経塾の存在意義はどこにあるのか厳しく問われる時期がきているとも思います。

今回の記事の最後に、もちろん中田衆院議員(当時)も3年前に引退直後の宮田前塾長に来駕を仰いで、応援を受けている招待講演会の模様をご参照いただきたい。http://www.nakada.net/toast/morita.htm 今回も、意外な事実の連続で予定分量を軽くオーバーしてしまったので、中田氏を取り巻く旧同盟・民社党系のより身近な「人脈」については次回を期したい(続く)。

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/030710taira.htm

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