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『私たちが目指すべき社会』:ビルトッテン新春の集い講演
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投稿者 鳥の目と虫の目 日時 2004 年 1 月 30 日 09:24:53:C.KjJ27t0yxbg
 

これだけ絶望的なニュースばかりがあふれるなか、下記のビルトッテンさんの力強い未来展望の提示には、本当に励まされます。
ぜひご一読下さい。
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http://www.ashisuto.co.jp/corporate/rinen/totten/ow_text.php?A=1&B=622

題名:No.613 新春の集い  『持続可能な社会をつくるために』

From : ビル・トッテン
Subject : 新春の集い  『持続可能な社会をつくるために』
Number : OW613
Date : 2004年1月29日
アシスト 2004年 新春の集い講演資料

(ビル・トッテン)

新春の集い  『持続可能な社会をつくるために』

 本日は、私たちが目指すべき社会についてお話したい。私が目指すべき姿だと信じる「持続可能な社会」が、私が生きている間に実現することはないと思う。なぜならそれは今の社会において最も力のある、既得権益を持つ人々に真っ向から対立するからだ。ごく少数の既得権益者の抵抗に打ち勝つには、持続可能な社会が一般の人々にとってどれだけ良いものかを説得し、その実現を阻んでいるのが貪欲な少数の権力者だということを理解していただくしかない。また政治家や官僚は真に目指すべき姿ではなく、自分達が達成可能な範囲内で現代の問題に対処しようとしている。したがって、真に目指すべき姿を誰かが啓蒙する必要があると私は思う。

衰退する日本

 地球規模でみると日本は経済的にも社会的にもうまくいっている国である。国民1人当たりの所得は高く、優れた技術や高い生産性を誇り、他の国を侵略することも自国の価値観を他国に押し付けることもない。しかし、長い期間でみると平成になってから日本は大きく衰退した。経済は停滞し、産業は空洞化し、国家債務は最悪となり、失業、倒産、自殺、麻薬、犯罪などすべてが悪化している。若者は学校を卒業しても就職できず、将来得るはずの年金は破綻に向かい、我々大人は彼らに巨額の借金を残している。

 この状況に陥ったのも、千年以上もの間日本人の生活を豊かにしてきた価値観を捨て、世界で最も強く、しかし、最も有害で急速に衰退しつつあるアメリカに従い、模倣したためだった。日本は今、国民ではなくアメリカを喜ばせることを使命とする人々に統治されている。日本政府はそのために80年代に金融バブルを起こし、90年代には規制緩和と民営化を推進した。また、銀行にバブル崩壊と規制緩和で下落した資産を安値で米金融海賊に売り渡すよう圧力をかけた。そして今、イラク侵略の戦費、米軍事予算・財政赤字を支援している。日本政府が巨額にドルを買い込んでいる結果、円の対ドルレートが1円下がるたびに日本は7,480億ドルの損失を出している。
 
 ある人は、日本の支配者はアメリカに洗脳されている愚か者だという。または米政府と結託し利益を得ている数社の大企業に仕えつつ、日本で権力と地位を維持しようとする売国奴だという。愚か者か売国奴か、私は判断するだけの内部情報は持たないが、この目でみて彼らが過去20年くらいの間に行ったことのほとんどすべてが日本国民を犠牲にしてアメリカとアメリカから利益を得る少数の大企業を潤していることは確かである。

 しかし、たとえ政治家が愚か者か売国奴でも、日本の国民が自己満足に浸ることなくその義務を果たしていればそれも避けることはできた。ある人は、日本人は官を信頼しているから政府が何をしているか考えないのだという。政治家や官僚が、聖徳太子の時代から敗戦まで日本に綿々と続いてきた儒教、仏教、神道、武士道といった古来の価値観に基づく教育を受けていた時代は信頼に価していたのはわかる。しかし、それらの教育を受けていない今日の政治家や官僚に信頼を寄せることは間違いだ。平成の15年間はひどかったが、将来はさらに暗澹としている。デフレは悪化し、経済は生産よりも博打中毒になり、国家債務は増え続けるだろう。利子や地代、配当金で生活できる一握りの富裕者は、大多数の国民の労働や才能によってもたらされた国家所得からますます多くを手にし、一般国民との貧富の格差は拡大する。それを助長するように政府は富裕者層への減税を行い、一方で労働や才能をもって日本の繁栄に貢献している一般の働く人々は増税となり、福祉などの国家サービスは削減されていくであろう。

 これは日本社会が保守派によって支配されているためである。彼らは何を「保守」しているのか。国民の安寧や幸福か、それとも自分たちや権力を持つ少数派の持つ既得権益なのか。答えをいうまでもないだろう。強者がその力を弱者のためではなく自分のために使うようになったのも、日本が儒教、仏教、神道、武士道の価値観を教える教育を捨てたことによるからだ。これらの価値観とは道徳であり、私がいつもこれを強調するのは、日本が実際に道徳教育を行い、人格や徳を人間の、特に指導者の持つべき素養としてきたからだ。しかし、「私利私欲をなくして公のために奉仕すること」は「国のために死ぬ」という意味に先の戦争ですり替えられているため、もしこれに拒絶反応を示す人がいるなら西洋の古典哲学を学べば良い。賢者の教えは洋の東西を問わないことがわかるはずである。

デフレと生産要素

 日本の経済問題であるデフレについて考えてみる。デフレは商品やサービスの需要を供給が上回り、その社会で消費する以上に商品が生産される時に起きる。日本はこれからもデフレが続く。それは消費には限界があるが、供給はエネルギー革命によって過剰な供給が可能になったことが一因である。足りない消費を補うためヨーロッパでは多くの国が社会民主主義をとり政府支出を増やす一方で、アメリカでは軍事消費をすることによって過剰な供給を爆破している。
 
 1945年の敗戦以後、国土復興のために走り続けた日本が個人消費経済に移行し、供給が需要を上回るようになったのは80年代半ばだった。そして一度デフレが始まると急速に供給が消費(需要)を上回り、それが過去10年間続いている。

デフレを理解するために、数式で考えてみよう。
 
生産 = 所得 = 消費 + 貯蓄

生産者(所得を受け取る者)は住宅や教育、老後の資金として所得の一部を貯蓄する。しかし、もしある地域社会全体が一定期間、所得の一部を貯蓄すれば、その社会の消費はその分だけ生産を下回る。そのため誰かが常に過去に行った貯蓄で預金以上の消費をしない限りデフレになる。

生産 = 所得 = 労働賃金 + 地代 + 預金利子

経済学では生産要素を労働と土地と資本に分類している。生産物からの収益は、労働や才能を提供した人には賃金、土地を提供した人に地代、資本を提供した人に利子として支払われる。政府統計によると日本の国民所得の約75%は賃金、10%が地代、15%が利子として支払われている。
資本主義や競争、市場経済を提唱する人々は、生産者が生産活動を自由に行えるようにすれば、生産はもっとも効率的になると信じているか、信じているふりをしている。そう主張することで、政府に生産者への規制撤廃と減税を求め、生産に寄与しない者を甘やかすとして政府の保護(福祉や補助金)に反対する。

 では、いわゆる「生産要素」と呼ばれるものを精査しよう。サラリーマン、派遣社員、パート、アルバイト、または調理師、会計士、医師、技師など、さまざまな職業につく人はその才能を「労働」というかたちで生産に提供している。そのやる気をいかに発揮させるかが大切だということは誰もがわかるはずだ。

 生産物が生産される「土地」を供給しているのは誰か。それは土地の「所有者」だが、彼らが土地を作って供給しているわけではない。土地を供給している人はその所有権をどうやって手に入れたのかといえば、それを遡れば日本でも外国でも、最初に土地を「所有」した人は、土地を盗んだか盗んだ人からそれを受け取った人である。日本の場合、力によって土地を手にしたのは、戦国時代か初期の徳川時代、または明治時代初期に遡る。つまり今、土地を「所有」しているとして、それを提供している人は武力か権力で奪った土地を受け継いだ人々なのだ。(私が土地の所有者と呼ぶ時、その土地で農業をしたり、土地に家を建てて住んだり、またはその土地で事業を行っている人をさすのではなく、その土地を貸して、支払われる地代を受け取るだけの人をさす。)さらに土地の所有者は、国民所得の10%を手にするために何をしているのだろうか。何もしていないのである。

土地への課税

 例えば、銀座5丁目は1坪4,200万円だが、同じ繁華街でも鳥取市栄町は1坪130万円である。銀座の土地所有者は鳥取の32倍の地価にするために何をしたかというと、何もしてはいない。ただ単に東京が日本の経済、政治の中心であり、交通の便が良く、人を引きつけるさまざまな店舗やデパートが軒をならべているというメリットを享受しているだけである。

 同じことはすべての土地所有者にいえる。地代を得るための付加価値を自ら生み出すことなく国民所得の10%を手にしている。土地所有者は、その地域社会の発展の度合いにあわせて利益を享受しているのである。もともとは盗まれた土地からの、労せずして得る「地代」を社会は「地主」から取り返すべきだと思う。そしてそれは労働や才能によって商品やサービスを提供している人々に分配されるべきなのだ。

 これを実現する方法はいくつかあるが、1つの簡単な方法はマルグリット・ケネディ(*1)が提案している方法で、すべての土地に、年間地価の3%〜4%を課税することだ。なぜ3%〜4%かというと、それが地代の最低の率だからである。インフレから見込まれる利益やリスクをのぞくと基礎利子率(貨幣を保有しているだけで稼げる元本保証の利子率)は、ローマ帝国の時代から3%〜4%である。土地の所有者は利子収入よりも地代収入が少なければ土地を売って預金しようとし、また地代収入が利子収入より多ければお金を持っている人は土地を買うため、基礎利子率と地代の最低率は同じになると考えられる。そのためケネディは労せずして得ている「地代」を取り返すための課税率を基礎利子率と同じ3%〜4%とした。

 地価に年3%を課税するというと、そんな急な増税、と反発があるだろうが1989年に政府は消費税として急に3%の徴税を始めたし、1997年には5%に増税した。また数年以内に消費税を17%に上げようとしていることを考えれば不可能ではない。さらにケネディの提案は地主に税金を払わない選択肢も与えている。税金を払えばその限りにおいて土地を所有し続けられるが、税金を払わないという選択をした地主は、33年間で土地を譲り渡す契約を結べば、支払わなくてもよい(33年 × 3%=100%)。しかし33年以降、税金を払えば優先的にその土地を使い続けることができるようにする。(4%であれば25年間。)

 土地の私有を廃止した社会主義国が崩壊した今、資本主義国で土地所有の廃止などというかもしれないが、これによって土地への投機がなくなり、使われない土地は市場に売りに出されて地価が下がり、必要な人が買って生産的に使えるようになるということが、今の日本にどのような影響をもたらすか、2001年のデータでみてみよう。日本の土地資産額総額は約1,500兆円であり、その3%は45兆円である。一方、国家税収は約50兆円である。したがって土地に3%課税することで、ほとんどの税金を廃止することができるのである。

 あなた自身について考えてみてほしい。所有する土地に3%の税金を払うのと、所得税と消費税を払うのとどちらを選ぶか。企業であれば法人税をなくすのとどちらが良いだろうか。長期的に地価が下がれば3%の土地税では税収が足りなくなるので、政府はいずれ所得税や消費税、法人税を復活させなければならなくなるだろう。しかし、住宅は安くなり、地代として土地所有者へ回っていたお金が生産に貢献した人に賃金として回るようになる。労働に対して支払われていた国民所得の75%が85%に増えることで、労働に対してより正当な代価が支払われるようになるのである。

 また個人が土地を所有することは、社会の他の構成員に対して独占的な利点をもたらす。生産者は商品が陳腐化、または本当に腐る前に売らなければならないし、生活のために大部分の国民は働かなければならない。商品同様、労働も売らなければ陳腐化する。しかし土地は違う。地主は急いで売る必要はない。道路や駅ができれば地価が上がり利益を得られることを知っている。商品を売りたい企業、労働力を売りたい労働者を、こうして土地所有者は利用する。しかし、税金を課すことでこの不公正で独占的な土地の利点を取り上げることができるのだ。

貨幣の目的

 もう一つの生産要素である資本は貨幣(お金)だが、これも劣化しないという独占的な力を持っている。貨幣は銀行に預けると利子を生む。商品とは逆に時間がたつと価値が上がるのだ。だからこそ企業は商品を売りたがり、労働者は労働力を提供したがるが、資本家はその供給を拒む(資金を提供しない)という強い立場に立つことができる。土地への課税で土地の所有者と労働者が同じ立場になるのと同様に、お金も価値が劣化すればお金の供給者はため込むことなく早く手放すようになる。この解決方法で最も良いと思われるのがマイナス金利の導入である。
これを理解するために、貨幣の理論的根拠を認識する必要がある。つまりお金の目的だ。もともとお金は物々交換の手間を省くために生み出されたものであり、その道具だったものが金利によって価値を生み出す性質に変わった。物々交換の時代から現代の経済システムへの移行が可能になったのは、労働が分配されたこと、つまり分業による。基本的に自給自足でわずかの取引だけならお金は必要ないが、分業になるとほとんどのものがお金を介して交換される。お金がなければ商品は手に入らないために、お金に対する需要が生まれ、この経済的な必要性が無条件にすべての都市生活者にのしかかり、お金が労働の分業の前提条件となったのである。

 道路や通信網の流れが妨げられてはならないように、お金の流れを止めることは許されない。もし私が労働で得たお金で他の人の商品や労働を買うことを拒めば、それはお金の流れを止めることである。それによって他の人の商品は売れ残り、失業か、倒産かデフレをもたらすからだ。しかし、お金が劣化しなければ、所有者は価値を生み出すために買うのを先延ばしたり、賃金をねぎったり、値下げの圧力をかけたりすることができる。近代社会が分業によってもたらされ、お金を社会的な商品とみなすなら、そのお金の循環を滞らせてはならない。そのためにマイナス金利を導入すべきなのだ。

 これは19世紀にシルビオ・ゲゼル(*2)が提案した。ゲゼルの考え方は、商品や労働のようにお金の価値を劣化させることで、お金を手にしたらすぐにそれを使うように奨励するというものである。今日、お金はコンピュータの数字で管理されているため、その社会が選んだ割合でお金の価値が劣化するようプログラムによって設定することは可能であろう。または支払いに採用されている「スマートカード」のような媒体でも利用できるだろう。

 マイナス金利、つまり保管料という考え方は、倉庫に物を保管すると保管料をとられるのと同じく、銀行にお金を預けると利子の代わりに手数料をとるようにすることである。これによって、お金の所有者だけが持つ独占的な力、つまり「お金を使わない力」を排除できるのである。

博打経済を阻止

 マイナス金利になればお金は株式市場に向かうという人がいるかもしれないが、私はそうは思わない。株の売買は1975年には GDPの2%だったのが、2002年にはGDPの106% にも増加した。つまり、GDPの106%相当ものお金が商品や賃金にまわっていない。それらが消費や賃金にまわればデフレも解決するだろうし、倒産も失業の問題もなくなるだろう。ところが株取引の99%は純粋な博打であり、企業が資金として利用する新規公開株のために売られた株は、株式取引額のわずか1%にすぎない。
商品やサービスを生産するよりも多くのお金を株に使っている社会は、あとどれくらい持続可能なのだろうか。日本の政治家や経営者は1929年の大暴落を忘れてしまったのだろうか。大暴落を思い出すとともに、それに続いた世界大恐慌と、世界大戦という歴史をもう一度学ぶ必要がある。

 預金者は自分のお金をそのような危機にさらしたくないだろう。しかし、銀行、保険会社、年金基金などは預金者や加入者のお金で、株という賭け事に興じている。しかし、それは純粋な賭け事ではない。なぜなら賭けの勝ち分は自分が取り続け、また政府は税金を投入して株価を支え、それでも負けが出ると「不良債権」と呼び税金を投入するからである。株式市場で行われているこの博打は政府が援助を止めればすぐに終わるだろう。いや、博打と呼ぶのも親切すぎるかもしれない。結局は、政府は国民のお金を盗んでこれを行っているに等しいからである。

 株と同じく、通貨売買も博打である。2001年には世界で1日に150兆円の通貨が売買された。これは1日の世界貿易取引額の68倍であり、その年の1日の世界の総生産額の14倍である。2001年の通貨取引は1973年の75倍にものぼった。73年には外貨を買う理由は海外旅行や貿易だけだった。通貨取引が商品やサービスの取引の68倍もあるということは、これもまったくの博打である。しかし、これも政府に補助金を出してもらって行う博打なのだ。

 日本政府は昨年、国税収の半分にあたる21兆円もドルを買った。ドル買いは、円安にすることで輸出業者を助けるためらしい。らしい、というのは、政府はそれを口実に、しかし別の目的で介入していると私は考えるからだ。日本政府のドル買いにもかかわらず、2003年、ドルは119円から107円に下落した。通貨トレーダーが円安になる方へ投機する時、彼らは政府がそれを後押しするよう介入してくれることを知っている。政府がスポンサーの博打なのだ。いや、政府は国民の税金を盗んでいるに等しいのだから、これも博打というにはあまりにも親切であろう。しかし、この通貨売買も、政府が補助、つまり税金でドル買いをして円安にしようとするむなしい試みに時間とお金を浪費させるのを止めればよい。政府がもはや賭けに保険をかけてくれないと知れば、日本の金融機関は賭けるのをやめるであろう。

 お金が商品や労働のように劣化するものとなり、日本政府が国民のお金で博打の援助をするのをやめれば、日本はどうなるだろうか。この質問に答えるには、プラス金利が短期的な展望を、マイナス金利が長期的な展望、つまり持続可能な社会に向かうために必要なものを提供するということを認識する必要がある。

持続可能な社会を作る

 お金の所有者は常にお金の使い方を比較して儲かる方へお金を動かしている。投資判断に活用されている将来のキャッシュフローを予測する手法を見ると、正味現在価値法でも割引キャッシュフロー法でも、プラス金利では将来のキャッシュフローは金利と反比例するため、金利が高くなればなるほど、生産的なものへの投資は減る。逆にマイナス金利では、預金しておくだけで劣化するために、お金の使い方を比較し、マイナス金利が高くなればなるほど、人々は何か他のものへ投資する道を探すだろう。したがってプラス金利だとローンの支払いを遅らせ、マイナス金利ではローンの支払いを急ぎ、お金の価値が減る前に持っているお金で返済しようとする。またプラス金利だと、銀行に預金するだけで利子がつくなら、後から大きな見返りをもたらすものへの投資を控える。
 
 逆にマイナス金利だと預金しておけば劣化するだけなので、後からの見返りを期待して投資に向けるだろう。具体的には、プラス金利だと木を切って売り、儲けを預金して利子を得る方を選ぶが、マイナス金利なら、預金をせずに木を植える方へ投資をするということだ。
しかし、お金を劣化させて預金への意欲をくじかせれば、それによって企業が借りる資金が足りなくなり、将来の発展やより生産的な投資がなされないのではと懸念する人もいるだろう。私はそうはならないと思う。自分のことを考えてみても、所得の一部を預金するのは将来に備えてであり、私は保管料を払っても預金をするだろう。預金をするのは利子だけが目当てではないからである。

 土地への課税、そして、商品や労働と同じようにお金を劣化する性質に変えることによって、土地とお金が、もう一つの生産要素である労働に対して持つ権力をなくすことができる。そして日本の国民所得の25%を占めている地代と利子分が、商品やサービスを提供するために才能と労働を提供している人々へ分配されるようになる。こうして、労働者はその才能や努力にあわせてより正当な報酬を手にすることができる、真の自由競争社会が実現するだろう。

 労働によって所得を得ている人々はその多くを消費に使っている。しかし、利子や地代で生活している一部の富裕者層は、過去に蓄積された富を使って土地や資本を提供し、その所得の一部しか消費に回していない。土地への課税、または地代をなくすことはお金を富裕者層から一般の人々またはより貧しい人々へ移転することにもなる。そしてこれによって生産(供給)に対する消費(需要)が増え、デフレが改善されるであろう。

私の話を皆さんが既成の秩序に対する脅威と解釈しないことを願う。私は世界を変えられるとは思っていない。私の考えは理想論であり、多くの国民がそれを求めない限り実現されることはないからだ。娯楽に興じ国家や社会のあり方、人類社会の抱える弊害を除去することに興味のない人は聞き流すだろうし、現在の社会から大きな既得権益を得ている人々は自分たちの持てる特権を何がなんでも「保守」しようとするであろう。そして自分たちの持つあらゆる手段を利用して、既存の秩序がかき乱されることがないようにするだろう。

 私は基本的に自由競争や市場経済を理想だと考えている。それは皮肉にも今の保守派と同じである。しかし、彼らはその「言葉」だけを掲げ、実際に行っていることは自分たちに特権を与える独占や、政府の介入を求めている。土地やお金の独占的な力を排除すれば、本来主役となるべき人間が持てる才能や努力でのみ行われる真の自由競争が実現し、博打のない真の市場経済になるはずである。また私は反動主義者でもあると思う。現代の社会を保守するよりも、我々が捨て去った過去に、多くのすばらしいものがあると思うからだ。それらを取り戻したいと私は強く願っている。


(*1) マルグリット・ケネディ
建築家、都市計画家、エコロジストで「金利ともインフレとも無縁な貨幣」(Interest and Inflation Free Money:1995 New Society Publishers)の著者。建築家として、環境を損ねない建築が常にコストの問題にぶちあたることから、ケネディは貨幣の利子を前提とした力が経済的な過剰成長や、貨幣資産の集中や不平等な配分の主要原因となっていると指摘。第三世界の借金、失業や環境問題、ひいては兵器の生産までもが利子といかに密接に結びついているかを問題提起し、経済システムの変革の必要性を訴えている。

(*2) シルビオ・ゲゼル
ドイツの経済学者(1862〜1930)。著書「自然的経済秩序」で不労所得(金利収入のほか地代も含まれる)の問題点を指摘、お金の特権を廃止することを主張。具体的には他の商品と同じく時間とともに価値が劣化するお金を提案した。これは大恐慌で苦しむ1932年〜33年にオーストリアのヴェルグルでスタンプ貨幣という劣化する貨幣として実際に行われた。これは月の定められた日に、スタンプを買って貼らないと通用しないという紙幣で、人々は貯め込んでも仕方ないので物を買い、貨幣の流通速度を上げて地域の経済を振興しようとする試みだった。しかし中央政府によって翌年発券が禁止された。

参考:
ゲゼルの理論を簡潔に表したロビンソン物語の漫画 http://www.grsj.org/manga/robinsonnagashiyomi.html
ゲゼル研究会http://www.grsj.org/home/about.html

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