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(回答先: 女子高生コンクリ詰め事件について 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 1 月 11 日 23:14:26)
以下は、わたしがこの事件に興味を持ち、色んなとこらから以前、集めてきていたものです。
よって、リンク先を示せません。どこから拾ってきたのかを憶えていないためです。
読むとあまりの酷いリンチに気分が悪くなる恐れがありますので、それでも読みたい方だけお読み下さい。
あと、実名の部分は、わたしが投稿のために消しました。(エンセン)
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東京都足立区女子高生監禁リンチコンクリート詰め殺人事件
平成元年3/29
練馬少年鑑別所で綾瀬警察署捜査官が元年11/08に強姦窃盗などにより少年鑑別所に送られた少年Aを取り調べた際、担当の刑事がなにげなく言った「お前、人を殺しちゃ駄目じゃないか」という言葉に、他の3人が自供したと勘違い。
担当官は当初の目的であった余罪の窃盗に関する調書を取ることなく、半信半疑のまま、自供内容をたよりに、東京江東区若洲15号地海浜公園整備工場現場空き地へと向かった。現場にはひとつだけドラム缶が転がっていた。
ドラム缶に詰められたコンクリの隙間から腐臭がしており、警察は305kgあるドラム缶をクレーンでつりあげ署に持ち帰った。
翌日の午後、警察署内でコンクリートを解体。中にはボストンバックに詰められ、掛け布団2枚にくるまれた女性の死体が入っていた。死後2ヶ月以上経過、腐敗が進行しており状態は悪かった。
皮下脂肪の厚さは通常の6割程度で栄養失調状態。全身に殴打による浮腫(リンパ液が多量にたまり腫れ上がった状態)があり、死因は外傷性ショックまたは胃の内容物を吐いたことによる窒息死とされた。
顔面が陥没・変形していたため、外見からの確認は困難だったが、指紋や歯などの照合から、11/25夜アルバイト先からの帰宅途中で行方不明になった埼玉県三郷市高州1丁目の県立八潮南高校3年生の少女(17)であることが確認。
八潮市内のアルバイト先に行ったまま帰宅しないと吉川署に捜索願を出していた両親は、無事に帰ってくることを心待ちにし、父親は仕事を休んで行方を探していた。
S63/11/25/20:00
自転車で帰宅途中の少女を見つけたAが、共犯の少年Cに少女を蹴るよう指示、少女は道路の側溝に自転車もろとも倒れる。共犯C逃走後、主犯Aが現れ、危ないから送っていくと言葉をかけ拉致した。
共犯者C少年の部屋へ被害者を連れて行き、数人で暴行・レイプする。
Cの父親はこの時少女の叫び声を聞いて注意したが息子が怒鳴ったので、それ以上何も言わなかった。
犠牲者に対しては、逃げて警察に知らせてもヤクザが家族を皆殺しにすると脅し、逃亡を阻止しようとした。
11/30
Aの提案で、被害者の母親・親友に「友達の家にいるから捜索願は出さないように」と公衆電話から電話させる。
この頃、Cの母親は被害者を目撃している。Cの母親が台所にいたとき、玄関から「今晩は」と少女が連れられて入ってきた。
「もう遅いから帰りなさい」と言ったが返事をせず二階に上がって行った。
Cの父親もCが降りてきた時「早く返せ」と言った。
翌日、あの子は帰ったと言われ、Cの両親は疑問を抱かなかった。
一週間後、Cの母親がトイレを掃除した際、生理用品があったため二階に上がった。
二階には共犯の少年Dと被害者の少女がいた。このとき被害者と言葉を交わしており、住所は埼玉で、高校三年生、就職は決まっている、と言ったという。
その後、少年C・その母親・少年Dは夕食を共にしており、最中に帰宅したCの父親は「ガールフレンドか。オレにも紹介しろよ」とCに声をかけるが無視される。Cの母親によれば、食後、テレビを見たりファミコンをやって仲良さげにしており、少女がタバコを吸っていたという。
Cの母親の説得により帰宅することになるが、外にはCとCの兄が待機しており失敗。
結局、両親が寝静まるのを待って電柱をよじのぼり二階のCの部屋に戻る。
帰宅したCは、関係ないことをするなと母親を数時間にわたり殴る。
63/12月始め
A少年ら4人が昼寝していた隙に被害者は一階に降り110番通報する。すぐAに気づかれて、電話を切られ殴打。警察が逆探知、かけ直してきた電話にはAが出て誤魔化す。全員でリンチしライターのオイルを足首にかけ火をつける。
12/19
Cの家にAが来て、被害者にライターオイルをかけ火をつける。再度にわたる火傷により傷が化膿し異臭を放つ。臭気でCの両親が気づくことを恐れ、階下のトイレを使用させず、紙パックに用を足させた。この時既に自力で立ち上がることができなくなっていた。
12/20
A少年ら3人の他に女が1人やってきて、「化粧」と称し被害者の頬にマジックで髭を書く。
この頃少年Cは、家に「面白いのがいる」と知人に公言し、100人程度は監禁について知っていたと見られ、裁判記録に出ているだけで10人が強姦等に参加している。
度重なる暴行により、頬が鼻の高さを超えるまで腫れ上がり、目の位置が分からないほどになっていた。
監禁当初、被害者が持っていた3000円で出前を取らせたり、Cが歯ブラシなどを買い与えたりしていたが、ケガや火傷が酷くなるにつれ、食事・風呂に対して気を配らなくなった。12月下旬までの食事はカップラーメン、パン、牛乳、卵など家にあったものを、Cの兄が食べさせたが、それ以降からは衰弱したせいもあり1日に牛乳をコップ1杯飲ませるだけだった。
12/21
もし開放されれば警察には何も言わない、信じて貰えるまで何でもすると被害者が言ったため、「裸で踊れ」「気違いの真似をしろ」などと指示。
12/28
AとCとBの三人が夜中にCの部屋に入ると、被害者が腹部を押さえ倒れていた。Aの顔を見るなり、被害者は水が欲しいと頼んだ。Aは水・コーンスープ・ぶどうパンを渡した。部屋から出ることは禁止されていた。
牛乳を飲ませたが吐いてしまう。その後、被害者がパックの尿をこぼしたとAは激怒。謝る被害者の下腹部を数十回殴打。上半身を裸にして酷寒(12月)のベランダに立たせ、煙草を2本同時に吸わせるが嘔吐、両大腿部・膝・脛部等にライターオイルをかけて点火、熱がって火を消そうとすると手にも点火、火が消えると再度点火した。
1月4日
JR綾瀬駅近くの雀荘で賭け麻雀をし10万円負けたAは苛立つ。
小泉今日子の「なんてったってアイドル」のテープをかけ、歌詞の中の「イエーイ」に合わせて被害者の脇腹に思いっきり殴打する。
被害者は、声を出すと殴られるため、痛みをこらえて顔を歪めた。その表情を見て少年達は面白がった。
顔面・腹部を殴打して転倒させ、顔面等を足で蹴り、倒れては起こし殴る。
鼻や口から血を流している顔にロウソクをたらし、両目の上にロウソクを立てるなどの暴行に及び、さらにはパックの容器にさせた尿を飲ませた。
被害者がステレオにぶつかり、全身を痙攣させ倒れたのを見て「仮病だ」とCが激怒。
Aは6kgの鉄アレイを被害者の腹に落とし、大腿部、顔面をさらに殴る。
殴り終わった後、反応しなくなったためライターオイルをかけ火をつけた。
最初は動いたが最後には動かなくなった。暴行は2時間近くに及んだ
公判記録によると
弁護士
それだけの暴行を加えていながら、彼女が死ぬと思わなかったんですか?
少年B
……考えることができませんでした
1/05
被害者は既に死亡していた。
Aは以前勤めていたタイル工場に行き、モルタル砂・ドラム缶など調達。遺体をバックにつめ、Aの家の前でドラム缶に入れコンクリートを流し込んだ。
この時、工場の元上司は人を殺したことに気づいていたとされている。
Aが借りてきたワゴンを運転して東京湾の埋め立て地に行ったが、適当な場所が無く道路脇の草むらに捨てた。
犯 人
A(主犯)
昭和45/04月生
父親:証券会社社員。母親:ピアノ講師。妹一人
当時から父は愛人宅にいて、家庭は崩壊していおり、夫婦仲に問題があった。
小学校の頃には既に問題行動があった。
話し上手で面白いという評判もある。
小5でパンチパーマ。
ヌンチャク・木刀を持ち小学校に「殴り込み」をしたことがある。
「悪いことはかっこいい」と思っていたが、6年生の時に出来た勉強好きの親友に影響され真面目になる。
卒業文集には中学入学と同時に周囲の人のすすめで、柔道部に入部。
体型は小柄(160cm)だったが、練習熱心で3年の時に都大会で2位になり、東海大付属高へ推薦入学。
高校の柔道部の先輩・顧問に体罰を受ける。その内容はAの父親が裁判所に訴えたほど酷く、殺虫剤にライターをかざしあぶるなど度を越したものだった。
外に出て手当たり次第に喧嘩を売るようになり、家でも物を壊し、母親に肋骨を折る重傷を負わせたこともある。
高校を中退、中学の頃から付き合っていた同級生(Dの姉)と同棲。
18になったら結婚しようと1年半、タイル工として真面目に働くが、自動車学校の合宿場で知り合った暴力団員と知り合い銀座の生花商でアルバイト。やめられる雰囲気でなく、現実逃避するためにシンナーを始める。
シンナーを吸っている時にしか楽しいと感じない生活。
暴走族の特攻隊長、暴力団との交際、使い走り
前科
在学中に体罰を受けたことを動機に東綾瀬中学に乱入、窓ガラスを割るなどして補導、保護観察処分に。
最終判決 懲役20年
猥褻誘拐.略取.監禁.強姦.殺人.死体遺棄.傷害.窃盗.
判決後、Aの両親は家を売り、計5000万円を被害者の両親に支払う。
C(被害者の監禁場所の次男)
昭和47/12生
父親 病院の事務長(日本橋近くの薬局の社長)
母 同病院の看護婦。兄1人。
仕事一筋の父親はきびしい体罰をふるった。少年が決められた家事の分担をしないことなどを母親から相談されると、少年をたたき起こして叱った。泣いて逃げる少年を追いかけて殴ったり、深夜外へ引きずり出して、公園を走らせたこともある。
父親は、毎晩酒を飲んで帰宅した。少年とその兄(18)は「週に1回はなぐられていた。ぞっとするほど怖かった」と、弁護士に証言。父親は、「月に1度いや、年に数回しかなぐった覚えはない」と述べている。父親が体罰をしなくなったころ、C少年の家庭内暴力がはじまった。
通っていた公立中学校は進学名門校だったが、ここでも教師の体罰が横行していた。生徒は毎日のようになぐられた。C少年も、バスケット部顧問の女性教師になぐられ退部(90/11/17朝日)
中学でAの2年後輩。工業高校に入るが2学期には中退。
この事件が発覚した際、別件で既に栃木の少年院に送られていた。東京に呼び戻し逮捕。
前科
バイクの無免許運転で補導「保護観察処分」
最終判決 懲役9〜5年(少年刑務所で満期。すでに出所)
猥褻誘拐.略取.監禁.強姦.殺人.死体遺棄.窃盗.
弁護側は傷害致死(殺意がなかった)を主張
Cの両親は2人とも共産党員。警察が逮捕状を取った段階で弁護士を用意し、家宅捜索も弁護士立ち会いの元で行われた。
党は、事件後すぐの段階でCの両親を除名、党とは一切関係がないと発表。そして、「監禁という認識がなかった」「少女は帰る気がなかった」等のCの母親の自己弁護的記事を、機関紙赤旗によって5/20-5/27連載コラムでバックアップ。
Cの母親は毎回欠かさず裁判を傍聴している。
裁 判
東京高裁判決(確定)
両親は、いまなお、被告人側からの面会の申し入れ及び墓参の許しを拒み、その悲痛な心情を裁判所に吐露している。
手塩にかけて育て上げてきた一人娘を平然として手許から取り上げられ、不安焦燥に居たたまれない長い日々を送らされた挙句、無惨にも甲を殺害されるに至った両親らの被害者感情は、極めて厳しく、被告人らに対し、激しく厳罰を求めており、甲の父は、当審証言においても、被告人らに対する原判決の科刑は余りにも軽すぎてるとして、強い不信感と不満の情を切々と吐露している
被害者の母親は、一人娘が死に至った詳しい経過を聞かされたあと、精神科に通うことになった。
なお、主犯A以外は既に出所している。
=== 事件の解説 ===
この事件は、限りなく死刑に近いとはいえ、現在の日本で死刑判決が出る可能性はない。
成人が死刑になるのは、犠牲者の数が2人以上で、強盗や強姦などがあって悪質、計画的で反省が不十分、等々の基準を満たす場合だ。
本件殺人以外にも様々な犯罪を行っているが、犠牲者の数や年齢を考えると死刑判決は不可能だ。
アメリカで全死刑の1/3を執行しているテキサス州でも少年A以外は死刑にできないだろう。
日本では年間5-10件程度の死刑判決しか出ない上、執行まで極めて長い時間がかかる。
これは死刑を維持しながら死刑廃止論を考慮した結果だが、数を限定したり、冤罪を防止するために判決から執行まで長い時間をかけるのは、必要不可欠だ。
西欧を中心に死刑廃止の潮流は盛り上がりつつあるが、日本では過半数の国民が死刑に賛成している。ただ、死刑の是非にかかわらず、無期懲役と死刑の間があまりに広すぎることは、早急に解決すべき問題だろう。
現在、無期懲役の場合、理論的には10年から出獄が可能で、平均が17年程度となっている。
有期刑の上限である20年を40年程度に拡大したり、仮釈放なしの終身刑などを設け、死刑と無期懲役の間を埋めていくことが必要だろう。
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東京都足立区女子高生監禁リンチコンクリート詰め殺人事件、犯人の氏名
●(A)
主犯格。懲役20年の刑で服役中。
●(B)
サブリーダー。すでに刑務所から出所。
●(C)
犯行現場の部屋の提供者。すでに刑務所から出所。
●(D)
少年院でいじめに合い、現在引きこもり症候群。
●(E)
A、B、Cからささいなことでリンチにあう。現在は地元スナックでこの事件のことを面白おかしく語る無反省人間。
●(F)
結婚し娘をもうけ、新聞配達員をやっている(最近どこかの地方紙にこいつの記事が載ったらしい)。
一日に牛乳コップ1杯しか与えずオイルを両大腿、膝、すねにたらして着火
熱がって火を消そうとすると手にもオイルをかけて着火
火が消えるとまた点火
トイレにも行かせてもらえず尿を飲まされる
無理矢理シンナーを吸わされる
性器に強引にオロナミンCの瓶を入れさせられる
自慰を強要
少なくとも100人が監禁について認知
少なくとも10人が強姦に参加
頬が鼻の高さを超えるまで腫れ上がり目の位置が分からないほどになるほどの暴行
顔にろうそくをたらし上半身を裸にして12月の寒空のベランダに立たせる
死の間際には6kgの鉄アレイを腹に落とし大腿や顔面を殴る
ガムテープで全身をぐるぐるまきにされて死んだそうだ
そして妊娠させられていた。
さらに、ニュースで鉄道事故があると「お前の父親が死んだってよ」といい被害者が呆然としていると「ウソだよ!ははははっ」という行為を繰り返し精神的に追い詰めた。
被害者はストレスで髪の毛が全て抜け落ちていた。
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何年か前、女子高生をドラム缶にコンクリ詰めにした少年グループの犯罪がありましたよね。
よく遊ぶ友人の家族が警察関係に勤めておられまして、その方からの当時のお話です。
その方が警官になるときの教官がこの事件の取り調べをなさった方で、被害者が監禁されていた部屋を見てただの青少年の犯罪とは思えなかったとおっしゃったそうです。
床・壁はもちろん天井にまで犠牲者の血が飛び散っていたのです。
私がそこを聞き流す様子を見て、「でもね、いっとくけどね。人を殴って天井に血はつかないよ。もう、だらだら血を流している人間の顎を更に殴り上げるようなことをなんべんもくり返したんだよ」と。
「さらってきた女の子相手に、いわゆるやくざや過激派のリンチ顔負けだよ」。
聞くところによるとドラム缶の中から出てきた遺体には頭髪が残っていなかったそうです。
なぶられ続けたストレスで、生きている間に全部抜けてしまっていたんですね。
「あの事件は本当に悪いヤツが実はつかまっていない。つかまったのはグループのメンバーで、一番悪どいその頭はつかまっていないんだよ」。
事の次第は当時いろいろ取りざたされたことでもあるし、ここでの筋から少々はずれてしまうから、詳細には触れませんけれど、確かあの事件の舞台となったのはある政党の幹部の家の2階、主犯格の少年はその幹部の息子。
この政党というのは警察と昔からものすごく仲が悪いもので、裁判ざたには慣れているらしく、あの手この手を使ってどうしても有罪にできないのだそうです。(私個人はどちらとも喧嘩したくないので、あくまで聞いた話であることを断っておきます。)
「そしてほんとは誰もつかまるはずじゃなかった。ほとんど完全犯罪だったんだよ」。
犯行グループの一人がオートバイの暴走行為でつかまり、他にもいろいろやっていたので少年院に送られたそうです。
彼がそこである晩以来、毎晩毎晩、壁をひっかきだすのです。
同房の人間がやめさせようとしても、その手を振り払って、がりがりがりがりと爪がはがれるほどひっかきつづけ、やがてそれは所内の職員のお偉いさんの耳にまで入ることになりました。
どうしてそんなことをするのか尋ねられ、彼はぽつりぽつりと話し始めたそうです。
実は、人を殺したことがあって、その娘が壁の中から出してくれ出してくれって言うものだから、と。
はじめは精神鑑定を受けさせよう(受けさせたのかな?)ということになったらしいのですが、どうも気が触れたにしてもうそをついている様子ではない。
供述された場所に行くと、本当に空き地があって、ドラム缶があって、中から遺体が出てきたという事です。
話を聞き終わって、その友人がぼそり、「俺はお化けや幽霊がいるかどうかは知らない。だけど人には、自分の心を欺けない時っていうのがあるんだな」と言いました。
たしかにそういうのが心の働きであるのだからと思うと、おもわず自分の胸を押さえて、ぞくりと震えがきたのでした。
17歳の少女が、どういう気持でこの仕打に40日間も耐えて、犯人達にどれほどの恨みをもって死んでいったのかは、想像を絶するものがある。
・夜になって不良少年達が集まりだすと、全裸にされて晒し者にする。アソコの中に火をつけて何度も気絶させる。
・自慰を強要する ・全裸で踊らせる ・性器に異物を入れられて弄ぶ ・やりたい奴が強姦(輪姦)する
・遊び仲間を誘い、誘いにのってやってきた男達に被害者を強姦させる
言う事を聞かないと、執拗に殴る、蹴るの暴行を受けるので逆らう事は出来ず、彼女は言いなりになり、このムゴイ仕打ちに耐えざるをえなかったのである。
そして110番通報したら、その報復としてむごいリンチを行う。
・一日にコップ1杯の牛乳しか与えない ・オイルを両大腿、膝、すねにたらして着火する
・熱がって火を消そうとすると手にもオイルをかけて着火、火が消えるとまた点火する
・トイレに行かせない ・自分の尿を飲ます
・犯人達の尿の入ったカップラーメを食べさせられて「おいしかったです」と言わせる
・無理やりゴキブリを食べさせる ・無理矢理シンナーを吸わせる
・性器にライターを入れて着火する ・性器を灰皿代わりにする ・性器にオロナミンCの瓶を入れる
・性器に強引に直径3Cmの鉄の棒を突っ込んだり抜いたりして性器を破壊する
・頬が鼻の高さを超えるまで腫れ上がり、目の位置が陥没して分からないほどになるまで暴行
・上半身を裸にして12月の寒空のベランダに立たせる
そして死に至ったリンチでは
・歌謡曲を流して、歌詞にあわせて脇腹に思いっきりパンチをいれる
・痛さをこらえるので口が変なふうに歪むのを見て面白がる
・犯人2人の真ん中に立たせ、左右から肩や顔に回し蹴りを数発入れる
・顔にろうそくをたらす ・眉間に短くなった火のついたろうそくを立てる
・6kgの鉄アレイを腹に落とす ・鉄アレイで大腿や顔面を殴る
・逃げないようにガムテープで全身をぐるぐるまきにする
そして、死んでいることが判ったら、ドラム缶の中にコンクリート詰めにして埋立地に捨てたのである。
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<検察側の指摘の一部>
平成2年5月21日 論告要旨
「被告人らは、犯行当日の昭和64年1月4日午後8時ごろから同10時までの間、約2時間にわたり、被害者の脇腹部、脚部等を多数回にわたって手拳で殴打し、さらに長さ約20センチメートル、直径2センチメートルの蝋燭2本のとけた蝋を被害者の顔面にたらした上,短くなったろうそくをその両眼瞼にたて、あるいは500cc用パックにはいった尿を強引に飲ませるなどし、また倒れている被害者を引き起こしては手拳で顔面を殴打し、あるいは顔面、腹部、大腿部を足蹴にし、被害者が鼻血をだし、火傷部分から血濃がでるや、手に血等がつくのをいやがり、ビニール袋で手を包んだうえ、再び数十回にわたり顔面、腹部を手拳で殴打して転倒させ、顔面等を足蹴にし、引き起こしては顔面、腹部等を手拳で殴打するなどの暴行をくわえ、さらに重さ約1.6キログラムの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打し・・・・・・」
@「なんでもするから家に返して」と必死に哀願するにもかかわらず、全裸にしておどらせたり、自慰を強要し、直径3センチメートルの鉄棒や飲料水オロナミンcのびんを陰部に挿入したり、陰毛をそり、足首等をライターの火で焼いて火傷をおわせたり、あるいは再三にわたり、無理やりシンナーを吸引させるなど残虐非道の行為をくりかえした。
<鬼畜(※※達)の所業(判決文より)>
**さんに買ったBと同じ名前の品物を見せ、名前を聞く。
**さんが答えるとBを呼び捨てにするとはなんだと殴り、困った**さんが、今度は品物にさんを付けて呼び直すと品物にさんづけするとはなにごとだと殴る。
BがCに、「おい、あれやれよ」と言って小泉今日子の「なんてったってアイドル」のテープをかけた。
歌詞の中の「イエーイ」に合わせて脇腹に思いっきりパンチをいれる。
「痛い」と声を出すとまた殴られるため、こらえるので口が変なふうに歪む。
「先輩、この顔が面白いんですね」とB。
曲が終わってからも全員で殴る。
**さんの顔にロウソクをたらしたり小便を飲ましたりした。
Dはいつもは無関心でいるが、AやBに、なぜお前殴らないんだと言われるのが怖くなりリンチに加わった。
すでに、**さんは鼻や口から血を流しており、自分の手に血が付くことをいやがったDは、Aが吸っていたシンナーのビニール袋を手にはめ殴る。
その後、Aは疲れたのでタバコを吸う。BとCは、**さんを真ん中に立たせ、Bが右からCが左から、肩や顔に回し蹴りを数発いれていた。
そのうち、**さんにパンチがもろに入りステレオにぶつかり倒れる。
全身を硬直させブルブルと痙攣して前のめりに手をつきながら倒れてきたのを見て、「仮病だ、このやろう」と湊がすごい勢いで怒る。
Aも、蹴るとかでは甘いんで、もっとひどいことをやってやろうと思い、鉄球の着いた鉄棒を持ち出し**さんの腹の上に落とし顔面などを殴った。
殴り終わった後、反応しなくなったので怖くなりいつものようにライターのオイルをかけ火をつけた。
最初は動いたが最後になったら動かなくなった。
A「こいつ、死ぬんじゃないか」
C「大丈夫ですよ。こいつはいつもこうなんですよ」
ガムテープで**さんの両足首を二周か三周縛る。
10時になったので「いい時間になった。サウナに行こう」と部屋を出る。
<事件の概要>
昭和63年9月頃
家庭内暴力で両親が立ち入れない聖域となったCの部屋は、9月頃から、中学時代の先輩や後輩が集まる格好のたまり場となった。
10月中旬
Aが運転する車にBとC、それにCの中学時代の同級生の4人が乗り、自転車に乗った制服姿の女子高校生に対して「道を教えて」と声をかけた後、ナイフで脅し、ホテルで輪姦。
10月20日頃
Aが運転する車にBとCが乗り、Aの顔見知りの女子高生をホテルに連れ込んで、強姦
10月25日
AとBでひったくりで12万円を稼ぐ
11月8日
Aが運転する車にBとCが乗り、足立区内で自転車で帰宅中の19才の女子会社員を車に連れ込み、ホテルで輪姦。
11月25日
Aが「ひったくりに行くぞ」とCを誘い、バイクで出発。午後8時すぎ、自転車に乗っている被害者を見ると、Aは、Cに「あの女、蹴れ。あとはうまくやるから」と命令した。 Cは、バイクで女子高生に近づき、左足で女子高生の右腰を思いっきり蹴って、角を曲がり様子を見ていた。 バランスを失った女子高生は自転車に乗ったまま転倒。溝に落ちた。そこへAが近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。おれも脅された。危ないから送っていってやる」と声をかけた。 Aは、女子高生を近くにある倉庫の暗がりで「おれはヤクザの幹部だ。おまえはヤクザから狙われている。セックスさせれば許してやる」と脅しホテルに連れて行って強姦
11月26日午前1時過ぎ
「ヤクザが来るぞ」と被害者を騙しながらCの部屋に連れ込む。
11月28日
Cの部屋でD、Cの中学時代の友達2人が、被害者を輪姦。Cは緊張して出来なかった。
11月30日
Aは、被害者の家から捜索願いが出されないように、被害者を連れ出すと、近くの公衆電話から母親と親友に電話をさせている。このとき被害者は「友達の家にいるから、捜索願いは出さないで」と、Aに言わされている。
11月末
午後9時頃、Cの母親が被害者と自宅で会う。母親が被害者に「遅いから帰りなさい」と言ったが、そのまま二階にあがる
12月初め
Cの母親が二階にあがり、Dと一緒にいた被害者に対して「どうしてここにいるか」を尋ねるが、被害者は答えず。翌日 午後7時過ぎ 母親がCの部屋のぞくと被害者とBがいたので、もう一度、すぐ帰りなさい。お父さん、お母さんが心配しているから」と言ったのだが、被害者は動かなかった。(脅されていて動けなかった)
12月初め午後4時頃
少年達が夜遊びに疲れて、Cの家で昼寝をしていたすきに被害者は、二階から階下の居間に降りて110番したが、そのことをAに発見され、暴行を受ける。警察からの逆探知はAが出て「何でもない。まちがいです」と返事をした。
被害者の行為を裏切られたと感じた少年達は、以後被害者に対して顔面を殴ったり、足首にライターのオイルをかけて燃やすというリンチを繰り返して行うようになった。これらによって出来た怪我等により、少年たちは、ますます被害者を解放できなくなるとともに、火傷が化膿して、放つ異臭により、被害者を疎んじるようになり、その処分にこまるようになった。
12月初旬
AがB、C、Dを連れて、Aの所属する暴力団の上部団体の忘年会に出席、Aは組員達に「会長が自分で、Bが組織本部長、Cは事務局長」と紹介。
この頃からシンナーを売り出す。
12月中旬
被害者を輪姦したCの中学時代の友人に対して、些細なことからA、B、Cでリンチを加え、3週間以上入院する大怪我をさせた。
昭和64年1月4日午前6時30分
A、B、C、Dで被害者に対してリンチを始めた。顔面にろうそくを垂らしたり、次々と顔面を殴り、被害者は血だらけの状態となった。更に1.7キロもある鉄製のアレイをAが持ち出し、Dが被害者の腹に落とした。
リンチが終わったのが午前10時ころで、その後、被害者が逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにすると4人でサウナに行った。Aは、後に「ひょっとしたらあぶないんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという気持ちが出てきたと思うんですが、鉄の棒で殴っても動かないんで」と述べている。
1月5日昼過ぎ
Cの兄からBに「被害者の様子がおかしい」と電話がかかり、A、B、Cで駆けつけて見ると被害者は敷きっぱなしの布団で冷たくなっていた。
Aは、後に「”じゃあ、どうする”、”捨てよう”ということになって、自分が劇画を読んでいて、ドラム缶のなかに、コンクリートを流しこんで、海に捨てちゃうという場面を思い出して、そのことがとっさに浮かんで、自分、まえにセメントとか、そういう会社に勤めていたんで、作り方もわかるので、ドラム缶の中に捨てようということになりました」と述べている。
バックに詰め込んだ遺体は、Aの家の前で、3人でドラム缶にいれ、コンクリートど流しこんだ。近くの川に捨てようとしたが、Bが「家が近いので怖い。化けて出るかもしれない」と反対して、東京湾に捨てることにした。
Aが借りてきたワゴン車を運転して、東京湾の埋め立て地まで行ったが、適当な場所がなく、道路脇の草むらに捨てた。
平成元年1月23日
11月8日に犯した強姦によりA等が逮捕される。逮捕後の調べでコンクリート殺人を自供。
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「ショー子さんの兄探し」
ショー子さん(仮名)に初めて会った時、彼女は14歳だった。国立駅近くの家庭教師センターの学習室。中学校の制服を着たショー子さんは顔立ちの整った美人だったが、僕が挨拶をしても少し頷いただけで、警戒したような硬い表情のままだ。家庭教師の指導役の職員が言うには、前の家庭教師とトラブルがあったらしい。ショー子さんと会う前に彼女の母親と面談をしたのだが、部屋に入るなりいきなり睨みつけられて、何事かと思う。前の家庭教師と性格が合わず、ショー子さんも彼女の母親も家庭教師というもの自体に不信感を持っていたようで、そういう場面で後を任されたのが、この僕なのである。
この時、最初に教えたのは、英語。彼女の持参した教科書を開き、ビートルズの話を読んだ。英語の教科書の紙面に「Let it be」の楽譜がついていた。気むずかしげに僕の話を聞いていたショー子さんは「学校でこの歌、歌わされたの」と言った。それが僕とショー子さんが初めて交わした勉強以外の私語だった。レッスン後の作文にショー子さんが「とても丁寧に教えてくれる先生です」などと書いているのを見てから、僕はイケダ達と野球をしに行ったのだが、心は平穏ではなかった。やれやれ。大変なことになった。わがままな美少女と恐ろしげな母親。この教師サイテーと美少女が騒ぎ出し、母親がホウキで殴りかかってくる妄想を何回も見た。
だから、初めての家庭訪問で僕を出迎えた母親の好意的な様子に僕は驚いた。母親は休み時間に手間暇かけた料理を出してくれ、男前の父親までが丁寧な挨拶をしに来た。何ときちんとした家庭なのだろう。何よりもありがたいことに、僕はショー子さんとすぐに仲良しになった。彼女は美少女は美少女でも、気さくで人なつこい方の美少女だったのだ。僕の前の家庭教師は理系の神経質な堅物で、彼女の部屋に溢れるぬいぐるみを見るだけでイライラし始めるようなタイプだったとか。合わなかったのは、必ずしも彼女が悪いわけでもなかったようである。
2時間の勉強時間がすぐに3時間くらいに延びて、その3分の1はお喋りに消費された。中学生の女の子が喋ることなんて、まあだいたい想像できるであろう。友達とのもめ事と好きな男の子の話。自分の両親のこと。昔飼っていた犬の思い出。彼女は勉強は特に向いていなかったけれど、陸上が好きで、絵画に興味があった。彼女にどんな素晴らしい未来があるだろうと考えると、僕は彼女に勉強を教えることが心底楽しかった。また彼女の母親も僕のことをとても好いてくれた。
「うちのお母さん、○乙先生のこと、すごく信用してる。前の先生の時とか、私と先生だけ家に置いて絶対に外出しなかったもの。お母さん、人の目を見るの。先生の目を初めて見た時、この人は信用できるってわかったんだって」
そんなセリフは当時つき合っていた女の子の母親からも聞かされた。教訓。人は目なんかじゃわからないってこと。まあ、それはこの話の本題には関係がない。
2年後。42くらいだった偏差値が53くらいになって、ショー子さんは無事高校に合格したのである。僕も嬉しかった。未来を背負う子供達のために何かができるということは自分で実感してみないとわからなかった本当に素晴らしいことだ。ショー子さんとご両親と4人で八王子の山の中にある別荘のようなステーキ屋へ出かけ、ご馳走になった。当時の貧しかった僕にとっては、これも夢のような時間。目の前でワインをかけてステーキが焼かれ、ウエイターが写真を撮ってくれた。写真の中で肩を寄せ合う幸せそうな4人は僕も含めて家族のように見える。
そう、ショー子さんは3人家族ではない。兄がいるはずなのだ。僕はショー子さんに彼のことを訊いた。もう働いていて、別のところにいるの。どんな人? 昔は不良だった。自分の感情を抑えられない人で。私のおもちゃなんて全部庭に転がっていたし。一回お兄ちゃんの彼女からの電話を取り次ぎ損ねたら、歯を食いしばれって言われて、後はお兄ちゃんの気が済むまで往復ビンタ。あまりにひどいんで、一時期私が親戚の家に預けられていたんだ。そこから帰ってきたら、いなくなっていた。ふうん。
ショー子さんは高校生になり、僕は就職した。それからもショー子家との連絡は途切れなかったのだが。ショー子さんにはハンサムな彼氏ができて、2人で撮ったプリクラを封筒に詰めて送ってきたりした。いったい僕にどうしろと言うのか。母親の方はとある新興宗教に夢中で、すっかり気に入った僕を勧誘することに熱心だったわけで。そうして、また2年半。ショー子さんの短大受験が近づき、僕は再び駆り出されたのである。18歳のショー子さんは今や女性としての美しさを完成させつつあった。白いセーターを着た胸は柔らかに膨らみ、ミニスカートから覗く長い足が気になって、僕は目のやり場がなかった。恥ずかしいので、目を背けて机の横のまぬけな犬のぬいぐるみに向かって授業をするハメになった。短大に合格したのがぬいぐるみの方でなかったことはひとつの僥倖である。
家庭教師としての役目を終えた僕だったが、それでもショー子さんは僕とモスバーガーで待ち合わせ、街を歩いたり。若い盛りを過ぎつつある僕と大人になりかけの美少女の変な組み合わせは昔よりもいろんな話をするようになった。例えば、(月並みながら)セックス。彼に処女をあげようかどうしようか迷っていた彼女。もちろん、セックスの話ばかりしていたわけでもない。彼女は今まであまり話に出なかった自分の兄のことを気にかけていた。どこにいるか知りたいの。会いたい。でも、お母さんに訊いても、いつかショー子が大人になったら教えてあげると言うだけで。ふうん。
ショー子さんと最後に会ったのは3年前のこと。井の頭自然文化園の中を歩きながら、ショー子さんは言った。友達に調べてもらって、お兄ちゃんのことがわかった。どこにいたの? 刑務所。何をしたの? 人を殺しちゃった。
ショー子さんの兄は10年ほど前に起きたあまりにも有名な事件の主犯格だった。
不良高校生数人が美人女子高生を自室に監禁し、食事も満足に与えずに集団レイプと暴力を一か月以上も繰り返した末、死んでしまうとドラム缶にコンクリ詰めにして遺棄したというあまりにもショッキングな事件。目の前にいる性格の穏やかなショー子さんと女子高生コンクリ詰め殺人とが結びつくわけもなく、僕は間の抜けたふうんという返事をすることしかできなかったのだ。彼女のお節介な友達が当時の新聞を図書館でコピーしてきて、見せてくれたという。
殺された女子高生とその家族の無念、痛ましさは想像するに余りあるが。親はいったい何をやっていたんだと気楽な世間が加害者の家庭にもその牙を向けた頃、ショー子さんの家族は都心に近い家を捨てて、この地へ逃れてきた。当初、僕には理想的な家庭に見えたショー子家。傍目には親密な夫婦だったが、実際のところ、事件以来夫婦仲は疎遠。母親はただ宗教に救いを見いだしているばかり。僕には何もわかっていなかったのだ。お兄ちゃん、いつか出てくるんだよね。その時、どうしよう? 少なくとも、ショー子さんは全然悪くない。そして、心乱す様々な感情を静かな表情の奥に沈めてしまえる彼女は今や大人だった。シックな服装に身を包み、背筋をまっすぐ伸ばして立つ背の高い彼女を見ていると、感動に近いような感慨を覚えた。中学校の制服を着た彼女に初めて会った時のことを昨日のように覚えているというのに。教育者の喜びというものがあるのなら、おそらくこれがそういうことなのではないか。
今でもほんのたまにショー子さんから手紙がやってくる。彼氏とどうなっただとか。彼女の母親からも留守番電話が入っていたりする。僕からはかけ直したりしない。新興宗教のことだとわかっているものだから。ただ、皆に救いあれ。