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菅原道真の恨み晴らします
http://www.asyura2.com/0401/idletalk8/msg/117.html
投稿者 リーマン 日時 2004 年 2 月 20 日 01:54:39:FagqpUDXKcu9o
 

(回答先: Re: なんで私は阿修羅に投稿しているのか? 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 2 月 20 日 00:07:59)

プチ熟女さんこんにちは。

「良質の投稿」なんて言葉で、豚を木に登らせないでくださいね。
劇団の稽古がはねて、皆で飲み屋に行ったときに、突然幹部の姐さんに「ちょっとキミ」と声かけられてしまった新人のようにドキドキ緊張するじゃないですか。
実は、仕事のイライラで胃の調子が昨年末あたりからおかしくなってしまい、ストレス解消で書いていたのです。すみちゃんと温泉卓球やらしてもらった気分で今はもうよくなりました。
(ところが投稿グセがついてしまいました。今はこっちの方が問題です。)

ところで、上のレスで菅原道真のことに触れていましたよね。
下の文章を書いてあっしらさんの藤原氏のスレにレスしようかと思ったんですけど、あまりにテーマが違っているんで、チョッと躊躇していたんです。ちょうど菅原の名前が出ましたので、思い切ってここに投稿しちゃいます。


まず、前提として、藤原氏の陰謀立案・実行能力が卓越したものであることは皆さんご承知のこととして、前提におきます。
例えば、日本書紀成立前後の歴史捏造能力は、現代までその効力を失わずに現代日本人を騙しつづけていることや、奈良時代・平安時代初期において、他氏を蹴落していく陰謀の切れ味はチョッと日本人離れしたものがある点、などを挙げておきたいと思います。

これら藤原氏の陰謀の手口の数々の解説は、聖徳太子について今まで従来の歴史学者が想像つかなかった考察を見せた梅原猛に始まり、その後何人かの人によって、一族の陰謀の数々は一般向けの本にも書かれるようになりました。
(因みに梅原猛が聖徳太子と藤原氏に関してあれだけの認識力・洞察力を発揮できたのは、彼が当時の大学紛争にもまれ、まさに「政治」の只中にいたからこそ、だと思っています。日本史の学者先生たちも、部屋の中で本ばっかり読んでないで、現実のドロドロの中に自分を置いてみる経験を味わうことを是非薦めたい。そうすれば、今まで学んでいた知識が、まるで砂鉄が磁石にすいつくように「事実」のほうが自分にくっついてくる、という感覚を味わえるだろうに、、、。)

私も、ロンドンから藤原氏の歴史を振り返ってみるうちに、彼らの陰謀の手口の一端に気付きましたので、ご紹介したいと思います。(本邦初公開? 藤原氏め、覚悟しろヨ!)

そそれは菅原道真に関することです。
彼に関する一般人の知識といえば、
@「894年遣唐使を白紙(ハクシ)に戻す」という年表的な断片知識、
A藤原氏によって天皇に讒訴されたために九州の大宰府に流され、彼の霊が死後カミナリ様となって京都で祟ったため、天満宮を作って丁重にお祭りするようになったこと、
B彼は名門の生まれではなかったにもかかわらず、勉学だけを頼りに右大臣の位まで出世した為、天満宮は勉強・受験の神様になっていること、
という三点ぐらいではないでしょうか。


私も特にこれらのことについて今まで特に疑問を持ったことはありませんでした。
しかし、なんか変なのです。菅原道真は、お勉強がよく出来た人だったはずです。当時お勉強ができるといえば、即ち中国語が良くできるということとほぼ同義だったはずです。事実、彼の作った漢詩は、和臭がないといって誉められたそうです。この「和臭がない」という言葉は当時では最高のほめ言葉だったようです。今でいえば、「○○さんの書いた英文ってぜんぜん日本人っぽくなくて、まるでNativeのアメリカ人が書いたみたいな文章ね。」といってほめられるのと同じだと思います。
いってみれば、門閥はないけれども、持ち前の語学力を含めた能力を背景にのし上がっていった人だったのだろうと思います。特に外交部門は彼の能力を十分に発揮して活躍できる部門だったはずです。
それなのに、自ら進んで、外交を止めちゃいましょうという内容の「遣唐使の廃止案」を
提案するものでしょうか?
な〜んだか変です。

ところで、「遣唐使ってさあ、正式な外交使節団ではなくて、文化芸術を吸収するための非公式な存在だったはずでしょう」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかしこの説明は、いわゆる国内向けの説明であって、対中国に対しては、何らかの形で正式な外交使節(朝貢使節)として振舞っていたはずです。実際見てきたわけではありませんが、ほぼ確信をもっていえます。(小野妹子のように帰国の途中で皇帝からの文書を瀬戸内海の海あたりで捨てていた(紛失していた)のではないかいな。)
日本の首相が就任直後アメリカの大統領に「首脳会談」をやりにワシントンに行くタテマエがありながら、実際は親分に就任の挨拶に行っていることや、明治時代に日露戦争を前後として、イギリスに不平等条約を改正してもらって「対等な国家」になったと国内では説明すると同時に、ガーター勲章をあたえられる、のと同じです。(表面上は「日英同盟」という名前を貰って、実際は正式に「英国企業グループ」という大企業の専属下請け企業として認知されたに過ぎない。)

ロンドンにおける金融業界の今の実態から推測して、当時北京には、日本語の話せる「唐外交部・日本管理担当官」のような人がいて、遣唐使が北京に到着するや、「いやいやよくいらっしゃいました。私も12年前に遣唐使の帰りの便に乗船させてもらい日本に3年ほど滞在したことがあるのですよ。だからこうやって片言ながら日本語がしゃべれるわけです。ところで今回の遣唐使の代表団の方々は流暢に中国語を使われますなあ。」とかいわれてその気にさせられたりして、上手にあしらわれていた姿が目に浮かびます。(現代のロンドンにおける日本人と1200年前もそれほど違わなかったに違いないという前提をおいています。)

以前、「円とドル」のところでご紹介した「国内向けと海外向けの対応やセリフを政府が使い分ける」という一貫した基本姿勢がそこには見られたはずです。

そのような状況の中で、「和臭」のない中国語の使い手であった菅原道真が遣唐使を進んで廃止するわけがないと思いませんか。唐の力が衰えたりとはいえ、中国の情勢を的確につかんでおくことは当時の朝廷でも重要な課題であったはずです。また、遣唐使派遣にはおいしい利権も付随していたはずであり、それらの利権はむしろ彼の縄張り(藤原氏から奪った?)だったのではないでしょうか。

一方で、自らの出自を隠すことに関心があった藤原氏にとっては、海外からの新たなる政治の風をシャットアウトし、国内事情を藤原氏だけでコントロールできる体制に収斂させることこそ望ましいことであったはずです。

以上のような観点から私の結論をいいますと、
「遣唐使を廃止するように働きかけたのは実は藤原氏である。しかしそのことが後日何らかの形で日本にまずい結果を生む可能性が生じたため、その責任を権力闘争に負けた菅原道真におっかぶせ、いわば濡れ衣を着せた。濡れ衣を着せるに当たっては、天皇も一枚かんだ疑いが濃い。」
ということになります。(遣唐使を廃止したことがその後の日本にとってそれほど悪影響を与えなかった為、この悪事が露見しにくかったのかもしれません。)

菅原道真以前にも、藤原氏に権力闘争に挑み、敗者となった氏族は数え切れないほどいます。(大伴氏、橘氏、源氏、紀氏、etc)。それらの人々も怨霊になったと伝えられる人は何人かいますが、考えてみれば、権力闘争に挑めば負ける可能性があることははじめから分かっているべきことがらであり、天皇という上司に告げ口されて出世競争に負けたからといって怨霊になれるのだとしたら、現代のサラリーマン達からおびただしい怨霊が発生しなければならないはずです。
そうではなく、菅原道真が巨大な怨霊となって朝廷と藤原氏に祟らなければならなかったもっと重要な理由が他にあったのだと思います。そうでなければ、どうも「陰謀」と「怨念」の間のバランスがとれない。
それが、「よりによって自分の得意な分野である外交部門で、藤原氏の私的な都合のために実施した政策をあたかも自分がやったことのようにでっち上げられてしまった」ことに対する怨念ではなかったか、と。

「陰謀者自らが行ったことの罪を、何の関係もない自分に着せられて葬られること」の無念さ、は現代人でも想像できます。そして、一方で陰謀実行者の後ろめたさ・恐怖もそれだけ大きかったでしょう。
「ごめんなさい。あなたを大宰府に流したのは間違いだった。だから位階も死後ながら高い位を差し上げます。大きな神社も作ります。だから勘弁してください。」そういって改心したかのような素振りを見せながら、「実は遣唐使廃止は俺達がやったんだもんね。責任は菅原におっかぶせたもんね。」という肝心の部分は決してしゃべらなかったわけです。

これぞ藤原氏の真髄ダ。

そしてめでたくこの企みはばれることなく、1200年後の我々をも騙しつづけることに成功しています。

これは、「征韓論を唱えたのがむしろ自分たちでありながら、その帰責を西郷にかぶせようとした手口」に似ています。むしろ陰謀を立案するに際してはこの手の手口は「基本」なのかもしれません。


上記のエピソードは例え事実であったとしても、現代の我々の生活に直接響いてくることではないので、明治天皇南朝論よりは雑談の話題としては気が楽です。
但し、「自分がやってもいない他人の事跡をいつのまにか自分のせいにされてしまう」という陰謀は個人レベルでも今でもそこここに存在しているでしょう。

そして、「日本」という国家も、「自分がやってもいないこと、或いはやろうとは夢にも思っていなかったこと」をいつのまにか自分がやったことにされてしまう可能性は今後もきわめて高い、と危惧しています。

そういう観点から、上記エピソードを現代日本人それぞれが噛み締めてみる(例えば、天満宮にお参りした後、「お勉強も大事だけど、人生それだけではだめなのよ」とお母さんが子供に教えることも含む)ことは今でも意味があることではないか、と思っています。


以上読み返してみたら、今回も全く根拠がありません。
誰かまじめに調べて活字で発表してくれないでしょうか。さがせば結構証拠は出てくるような気がするんですけど。

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