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(回答先: 反論の反論の反論・・・と無限に続けるのは文科系論理体系の欠陥です 投稿者 岩住達郎 日時 2004 年 7 月 10 日 04:33:54)
 
 岩住達郎さん、はじめまして、こんにちは、横レスにて失礼します。
 氏が過去に寄稿されたものには興味を覚え殆ど目を通しているつもりです。
 そこで、今回のあっしら氏と遣り取りされている趣旨とは少しズレるかも知れませんが、常々伺ってみようと思っていたことがありましたので、この際にと意を決してレスしました。
 さて、「日本が取るべき戦略」シリーズを概観してみますと、日本の絵図面もしくは将来像は何となく理解できるのですが、それを実現するためのDriving force(駆動力)が如何なるものか全く見えて来ないのが残念です。
 岩住氏は人々が絵図面を見せられることで動機付けられ変革にシフトするとお考えでしょうか、あるいは国の中枢に蠢く政治家や官僚達が絵図面を手にしたとして実際にその通りに遂行するとお考えでしょうか。
 Driving force(駆動力)についてどんなものを想定されているのか何時か是非詳述していただけることを期待しております。ただし、理科系を自認される氏がよもや旧来の日本的Ethosに資源を求めることはないものと推量しています。
 さらにこのシリーズの中にも頻出しています「欲望」について、例えば人間というFunctionにおいて「欲望」はどのような意味や表象となるのかについても展開していただければ有り難く思います。
その昔、東工大出身の吉本隆明が『異端と正系』の中で、小林秀雄等の戦後思潮にたいする批判を繰り広げましたが、その主なるものは当時の文壇が旧いContextに固執しようとしていることに向けられていました。様々なFunctionにおいて新旧のParameterを試行し、反復検証することでしか、それを克服することができないというのが吉本の中心的なIssueでしたが、批判された文科系の文壇の人達にはそもそもそうした視座を全く理解ができなかったようです。
ところで、あっしら氏を擁護するつもりは毛頭ありませんが(といっても氏は浅薄な支持や賛同は斥けられるでしょう)、少なくとも私は今までの論理の展開を文科系的思考の産物であると裁断してはいませんし、むしろ理科系・文科系を問わず思考実験として成立し得る形象を十分具備していると考えています。あっしら氏の投稿の基底を貫いているのはFunction&Parameter的思考の流布であり、その累積によって政治経済問題のより現実的な解ににじり寄ろうとするものであって、自発的なDriving force(駆動力)の在り処を探索していくためには今のところ他には手立てがないとの諦観に基づいているのではと想像しています。
 また、会いましょう。
 
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
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