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レゲエの発生とラスタファリズムとアイデンティティ
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/687.html
投稿者 ペルソナノングラータ 日時 2004 年 6 月 04 日 03:59:48:8w0tzQMk7FaoM
 

(回答先: ロックと悪魔崇拝とドラッグ 投稿者 ペルソナノングラータ 日時 2004 年 6 月 03 日 06:16:49)

こんにちは。

>デスラー総統さん

過去ログをちょっと読みました。パンクですねぇ。
ちょっと怖いけど、よろしくお願いします。
ヒーローものが好きなんですかね?過去ログにもいろいろ書かれていたので。
天皇家の話はおもしろかったです。
軍艦マーチを聞くと、パチンコで食ってた頃を思い出します。
自己最高記録は25連チャンです。

>マドオンナさん

投稿しようとしたらレス発見。ちょうどレゲエをやろうとしてたとこです。
時代からいって、もうご存知の方もいっぱいいらっしゃると思うのですが
あらためてラスタファリズムの「悲劇」をもう一回考えてみたいと
思っていたんです。
なにもかも羨ましいお話です。ゼッペリンは、正規DVDがやっと出た
ので買って見ました。ボンゾの姿に涙・・・・・・・。またいろいろ教えてください。
用事がすごい貯まってしまっているので、すぐにお返事差し上げられない
かもしれませんがよろしくお願いします。

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ひとり言

それにしても、今までの自分の投稿を読み直すと、助詞も形容詞も
めちゃくちゃだなぁ・・・鬱。読みにくくてすみません。
言い訳すると、「3〜4通りの話」を考え書いてみて、それからツギハギして一個
にしてるからなんです。
書き散らした投稿がウンコのようで恥ずかしい・・・・・。
汚い話で申し訳ないんですが、ちょうど、ウンコを踏み続ける夢を見たもんで。
ウンが付いたから、ロト6でも当たるんじゃないかって思って(これもオヤジギャグ)
よーく見たら激辛カレーだったって話です。
明日家を出るときに、空から生ゴミとか降って来ないか気をつけよう。(深い意味なし。)
Q太郎さんの上のスレッドの話、おもしろかったです。

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本題です。

【レゲエの発生とラスタファリズムとアイデンティティ】

ロックの魂(ソウル)を受け継いだものは、イギリスでもアメリカでもなく
ジャマイカのミュージシャンでした。
若き日のスティングは、次の世代はレゲエだと宣言しました。
レゲエに限らず、アフリカ音楽、中近東音楽なども注目されました。
ロックと民俗音楽のコラボレイト、音楽の分類でいうニューエイジもこのあたりから
始まっていると思います。

ラスタファーライ


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エチオピアニズムとラスタファリアニズム
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~letsrock/What_Rasta.html


アフリカ大陸に北東部に位置する国エチオピア。19世紀の奴隷制度下
の黒人達にとって、エチオピアニズムという神話こそが宗教を活性化した
のである。
エチオピアニズムとは、聖書に出てくる文章をエチオピアと結びつけて
解釈し、エチオピアの栄光をたたえるといった考えである。
ラスタファリアニズムの基本はこの部分にあると言えるのではないだろうか。
後の皇帝ハイレ・セラシエが皇帝の座についた時にその運動は最高潮に
達するのである。

ラスタファリ運動の誕生

エチオピアニズムを基本として、ラスタファリの運動はマーカス・ガーヴェイ
のイデオロギーとインスピレーションが強く反映されたものとなっていった。
そして、彼が黒人の皇帝を予言し、エチオピアでハイレ・セラシエが実際に
皇帝の座につくと、多くのジャマイカ人が彼をメシアと思い込み、この即位
をきっかけに運動をジャマイカ全土に広め、その運動は揺るぎ無いものと
なっていった。
ラス・タファリという名が、ハイレ・セラシエという称号になったわけであるが
、ラスタファリアンという名称はラス・タファリのジャマイカ的表現で、運動の
メンバーへの呼称でもある。彼らが祈りを捧げるときに唱える「ジャー・ラス
タファライ」という文句のジャーとは聖書にあるエホバの短縮形であるらしい。
英国国王とジャマイカ政府はこの運動を危険視し、指導者達を次々と逮捕
していった。彼らは政府を権力や罪悪が集まった場所やものの象徴として
「バビロン」と呼び、常に政府と戦っていた。ちなみに「バビロン」の反対の
言葉として、「ザイオン」という言葉がある。「ザイオン」とは、黒人が解放
される約束の地を指している。

教義

ラスタファリアン独自のの基本的教義は少なくとも6教義はある。


1. ハイレ・セラシエは生き神である
2. 黒人は古代イスラエル人の化身であり、白人の手により、現在ジャマイ
カで異郷生活を送っている。
3. 白人は黒人より劣る。
4. ジャマイカの状況は光りなき地獄である。エチオピアは天国である。
5. エチオピアの皇帝は、現在国外にいるアフリカ起源の人々がエチオピア
に帰還するための準備をされている。
6. 近い将来、黒人が世界を統治する。

以上の6項目がラスタファリ運動の基本となっている考えである。


ナイヤビンギ


ラスタファリアンはさまざまな集会や会合を持つ。その中でも、「ナイヤ
ビンギ」と呼ばれる集会が最も重要なものである。
通常は週に一回ならびに月一回の集会がもたれる。しかしながら、ナイ
ヤビンギはラスタファリ運動の大会に相当するもので、島のいたるところ
で一日から3日時には1週間続くこともある。
集会は、ダンスやガンジャの吸引、食事、訓戒、祈り、音楽、霊感、社交、
討論といった、ラスタファリアンたちにとって重要なことがらをする集いの
場である。
集会は祈りによって始まり、祈りによって終わる。まず始めに至高の存在
「ラス・タファリ」への礼拝、そして飢えるもの、病めるもの、幼きもの、そし
て敵の破滅への祈願が続く。最後に礼拝で終わりとなる。

ガンジャについて


ラスタファリアニズムにとってガンジャは初期の段階から宗教儀礼として
礼拝と瞑想の儀式に欠かせないものであった。
ラスタファリアンの出現以前には、土地の薬草医によって民間療法として
用いられ、お茶や、パイプ用調合タバコとして使われた。しかし、ラスタフ
ァリアンの出現以後、ガンジャは宗教上神聖なものとして、新しい意味を
持つようになった。
彼らはガンジャがジャマイカでは非合法であるということをもちろん知って
いる。彼らにとってガンジャの吸引は宗教上の意味づけだけではなく、社会
への抗議としての反抗の最初の手段であり、「バビロン」の法からの解放
を示すことを意味する。
儀礼にかかわる文脈で語られるときは「聖なる草」と呼び、聖書の中から
数多くの聖句でその神聖さが証明されているとしている。
ガンジャの吸引はナイヤビンギの儀礼では欠かせないものである。ナイヤ
ビンギの儀礼ではラムなどのアルコール類を飲用することや、タバコを吸う
ことはタブーとされている。彼らはラム酒の飲用は人間を暴力的にすると
考えているが、ガンジャは人間を穏やかにすると考えている。


ドレッドロックス


真のラスタファリアンを示すものの一つに髪型がある。髪を刈ったり、髭を
剃ったりしてはならないという道徳律がある。また彼らはハーブを入れた
天然水でしか洗髪せず櫛などを入れないため(実際には櫛を使うラスタ
ファリアンも多いが)、それを忠実に守るとボブ・マーリーをはじめとする
あの迫力のある髪形になるのである。
また、社会的な意味合いとしては、ジャマイカではまっすぐでつやのある
髪がよいとされているため、彼らの髪型は社会的反抗のシンボルとなって
いるのである。保守的なジャマイカ人は彼らのドレッドロックスに対して、
嫌悪感を抱いていて不潔な外観であり、粗野で危険であると恐れている。
しかしながら、彼らにとっては力、自由、反抗のシンボルとなっている。

アイタル・フード


ラスタファリアンは菜食主義である。特に肉類は体に有害とされている。
その理由としては、肉類を食べると体内に虫がわいて、それが胃の中で
排便すると気分が悪くなるからだという。同じ肉類でも特に豚肉はかたく
禁じられているが、豚肉しか食べるものがないときは、自分の名前をラスタ
とは関係のない名前に変えてから、それを食べるのだそうだ。
ラスタファリアンの主食の一つは魚であるが、12インチに満たない小魚に
限られている。それを超える大きさの魚は略奪者であり、人間が人間を
食べるバビロン――すなわち体制を意味する。
菜食主義であるラスタファリアンにとって野菜は非常に価値のあるもので、
「自然な」、「真実の」という意味を持つ「アイタル」な食事をしている。
飲み物に関しては、アルコール類、ミルク、コーヒーを彼らは飲まない。
代わりにハーブティーや自然の草木や根菜類で作ったものを飲む。また
市販の薬も使わず、民族伝統にそった草本植物を調合した薬を利用する。
果物も主食の一つとして好まれている食べ物である。ジャマイカの果物の
ジュースは彼らにとってはご馳走なのである。
彼らは女性に対しても厳しい掟を課していて、聖句で禁じられている通り、
妻であっても生理期間中は料理できないのである。彼らは自分たちの農園
で採れたものを好んで食べている。

ユダのライオン


ユダ族の征服獅子王、ハイレ・セラシエを象徴するライオンはラスタファリアン
にとっては最も名高いシンボルであり、いたるところで見ることができる。
ライオンは王の王を象徴するだけでなく、男性優位をも象徴している。

ラスタ・カラー


ガーヴェ運動のころから使われている、赤・黒・緑の3色がラスタ・カラー
としてラスタファリ運動の色として使われている。この3色の組み合わせは
ユダのライオン同様いたるところで目にすることができる。
赤はジャマイカ史における殉職者の血を、黒はジャマイカ人の黒人の色を、
緑はジャマイカの植物と抑圧に打ち勝つ希望をそれぞれ表している。
手編みのニット帽やドレスなどに見られるレゲエでお馴染みの赤・緑・金(黄)
は基本のラスタ・カラーにジャマイカの国旗の金色を付け加えたものであり、
ハイレ・セラシエの国エチオピアの国旗と同じ色である。この金色は太陽を
意味している。

ラスタ言語


ラスタファリアンの言葉は訛りが激しく、彼らの会話を聞き取るのは部外者
では不可能に近い。非文法的な話し方は当たり前で、"me"や"you"を使
わず"I and I"という表現方法を用いることを好む。
ラスタ言語とは、社会で悩む他者を自己同一視する過程において、二項
対立を乗り越える魂の言語である。始めて会った人に対してポジティブな
感応が得られるかどうかが彼らにとっては重要であり、ラスタ言語とは文法
がどうこうというのではなく、心が通じ合うことができるかどうかが重要な
言語なのである。

イスラエル12部族


イスラエル12部族は、白人を含むきちんとした身なりの郊外居住者達で、
高い教養を身につけている組織である。
創始者はキングストンに生まれたヴァーノン・キャリントンである。彼の
演説は階級意識のあるジャマイカ人の心を掴み、メンバーを増やしていった。
彼らの掲げる信条は以下の通りである。


1. 毎日聖書を1章読み、3年半で聖書全体を読みとおすこと。
2. 12という数がすべての中心となる。
3. 神の選民は144,000人に限られている。
4. イエス・キリストは、ジャー・ラスタファリ、ハイレ・セラシエ一世に化身して
再生した。そのため、イエス・キリストとハイレ・セラシエ一世が併用される。
5. レゲエにあわせて、月1回の踊りが儀式となる。ボブ・マーリーはその中で
も重要な歌い手であり、演奏者である。
6. メンバーはあらゆる人種からなる。このことは旧来のラスタファリアンよりも
明確である。
7. 男女は平等であり、同じ役割を持つ。


その他にもいくつかの信条があるが、このような彼らの考えはキリスト教の
考えに近いものがある。事実、その考えを良しとせず脱会する者もいた。
旧来のラスタファリアンは、話し合いを重ねて合意をするが、彼らの場合は
常にヴァーノン・キャリントンの審判が必要であった。
「レゲエ」の広まりが中流階級や非黒人にも強くアピールされたため、
イスラエル12部族は1970年代において急速に世界中に広がっていった。
しかし、旧来のラスタファリアンはラスタファリアニズムの真の音楽は
ナイヤビンギであり、レゲエではないと考えているため、イスラエル12部族
に対しては批判的であった。
しかし、現在では活動は有名無実となっており、活動は完全に停止されている。

現在のラスタファリアニズム


1975年にハイレ・セラシエが亡くなり、その後ラスタファリアニズムを世界に
浸透させてきたボブ・マーリーが1981年に亡くなった後、1983年7月18日
から25日にかけて、ジャマイカの西インド大学で行われた第2回ラスタファ
リアン国際会議に東カリブ諸島からたくさんの代表者が出席したことは、
この地域でのラスタファリ運動の浸透を証明している。
東カリブ諸島でのラスタファリ運動の発展はイギリス同様ブラック・パワー
運動がもたらした。また、この地域のラスタファリ運動はハイレ・セラシエの
死後に起こったために、ハイレ・セラシエの神性という罠にかからずに
発展を遂げてきた。
ナイヤビンギが拡大していき、今ではラスタファリアン国際会議にまで
発展している。
第1回目はカナダのトロントで、第2回目にはジャマイカで行われ、アメリカ
やカナダ、カリブ諸島などさまざまな地域から代表団が送られて開催された
。会議のメンバーは弁護士、大学教授から作家、レゲエ・スターやゲットーの
住民までもが参加した。しかし、この中にイスラエル12部族のメンバーは
含まれておらず、旧来のラスタファリアンとイスラエル12部族の間は必ずしも
良い関係とはいえなかった。
1980年代に入ると、旧来のラスタファリアンの間にも少しずつではあるが、
男女平等の考えが認められるようになってきた。
現在のラスタファリ運動はイスラエル12部族での活動が停止していることを
はじめとして、ラスタファリ運動自体もやや下火になってきている。
またその体質も変わり、拝金主義や物質主義を嫌悪していた彼らであるが、
現在は儀礼をカセットやビデオで売ったり、ポスターやパンフレットを作成し
販売するといったビジネスを行っていたりもする。
カリブ諸地域に発展したラスタファリ運動は現在ではその国に則した形で
今でも存在している。
イギリス、アメリカ合衆国、カナダにおいてはジャマイカのいくつかのグループ
の支部として、活動が行われている。
その内容は多岐にわたり、文化的、教育的また社会的な活動として民主主義
や平等、人種差別などの問題を取り上げ、強く抗議している。

マーカス・ガーヴェイとハイレ・セラシエ
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~letsrock/MGarvey_HSerasie.html

マーカス・ガーヴェイ


上の写真右側の男が、マーカス・ガーヴェイである。
彼は皇帝ハイレ・セラシエの登場を予言した男として現在でもボブ・マーリー
と並ぶヒーローとしてジャマイカでは称えられている。
ガーヴェイは1887年ボブ・マーリーが生まれたのと同じセント・アンの地で
生を受けている。
14歳でキングストンへ出て、ジャーナリズムを志したガーヴェイはロンドンに
渡った時にアフリカの本当の歴史を知り、その後黒人民族自決運動に力
を注いでいった。
キングストンへ戻ったガーヴェイは、1914年に「全黒人地位改善協会(UNIA)」
を設立。2年後には組織をニューヨークに移し、ハーレムで機関紙「ニグロ・
ワールド」を発行した。
そういった活動を通して、ガーヴェイの考えは確実にアメリカのアフリカン・
アメリカンの黒人たちの間に浸透していき、彼は救世主として崇められていった。
彼の演説は、わかりやすく、反復のテクニックを用いて、聴衆の心をおおいに
沸き立たせたのである。
彼は、アフリカに黒人独自の国家を建国することを夢見、蒸気船会社「ブラック
・スター・ライン」を設立し、アメリカの彼の信者たちに株を売ることで富を築いていった。
彼の信者は増え続け、1922年ごろには最大で600万人もの会員がUNIAには
いたのである。
しかし、その後は会社の倒産と郵送詐欺、脱税といった憂き目に会い1925年
には投獄されてしまう。2年後にパナマに流刑となったガーヴェイはキングス
トンに戻り再び説教を始めたのであった。

解放の時の予言


説教活動を続けていく中で彼は色々と予言めいた発言をしている。1960年まで
に新世界の黒人全員がアフリカに帰還すると言ったりもした。
その中でも最も有名な予言は1927年に放った予言である。曰く「アフリカを見よ、
今に黒人が王座につくだろう。その時こそ解放の時だ」と。
そして、1930年に黒人が皇帝の座に本当についたのである。
この王の出現こそが、ガーヴェーが予言した言葉そのものであった。多くの
ジャマイカ人が彼をメシアと思い込んだのは想像にがたくない。ガーヴェー
主義を受けついだ者たちが、この即位をきっかけに運動をジャマイカ全土に
広め、その運動は揺るぎ無いものとなっていった。
一方ガーヴェイは1940年にロンドンでアフリカの地を一度も踏むことなくこの
世を去っている。

ハイレ・セラシエ


上の写真左側の男が、ハイレ・セラシエである。
エチオピアのサヘカ・セラシエ王の曾孫であるラス・タファリは、1930年に
皇帝の座につくことになった。彼こそが「三位一体の力」を意味するハイレ・
セラシエであり、「王の王」、「ユダ族の獅子王」がその名に加えられ、伝説の
ソロモン王の血統と自称したのである。
ジャマイカのラスタファリアンたちはガーヴェイの予言が的中したことに興奮し、
ラスタファリアニズムは1930年から1933年にかけて開花し始める。そして、
ラスタファリアンたちにとってハイレ・セラシエは唯一絶対の神となったのである。
1955年に皇帝のハイレ・セラシエが商船の建造に専念し、500エーカーの皇帝の
私有地を西側の黒人のために用意しているという情報が流れた時には、ラスタ
ファリアンたちは狂喜乱舞し、母国への帰還が現実のものになると信じて疑わ
なかった。この報道のおかげで、ラスタファリ運動のメンバーはあっという間に
2倍に膨れ上がったのである。
しかし、母国アフリカへの帰還は現実には起こらなかった。
1960年には、ジャマイカ政府がアフリカ諸国にラスタファリアンを含む使節団を
送り、ジャマイカ人の入植の準備を進めると言った提案も出された。この提案を
当時の首相であるノーマン・マンリー首相が積極的に進めるように努力し、
小規模ながら、ジャマイカ人がアフリカへ送られた。そのため、ラスタファリアン
たちの間で再び母国帰還の機運が高まっていった。しかしながら、その試みは
失敗に終わってしまう。

ハイレ・セラシエの来訪


1966年4月21日、皇帝ハイレ・セラシエがジャマイカを訪れた。皇帝の来訪は
ラスタファリアンとは無関係であったが、ラスタファリアンたちは興奮を押さえる
ことはできなかった。皇帝はジャマイカでの彼に対する称賛のあまりの
大きさに対しては、夢にも思っていなかったようで、意気を高揚させている
ようであった。
この来訪時に、皇帝は主なラスタファリアンに、「ラスタファリアンがジャマ
イカ人民を解放するまで、エチオピアへの移住は控えるように」という私信
を送ったといわれている。この新しいイデオロギーが若いラスタファリアン
の間で、この運動の社会内での定着化のための手段として活用された。
そして、4月21日はラスタファリアンの特別な聖日として祝うようになった。
 皇帝の来訪によって、ラスタファリ運動はジャマイカ社会内で大きく知れ
渡ることになり、徐々に社会に根づいていった。

ハイレ・セラシエの退位と死


1970年代初期において、エチオピアをはじめとするアフリカ諸国では生活
水準の低い一般市民が、食糧不足によって次々と餓死していった。それ
とは対照的に、王族、家臣、貴族といった支配階級者たちは裕福な
暮らしをしていた。
一般市民の生活水準の改善に何の手立てもしない支配階級者たちに
対して、その不満が高まり、1974年11月12日軍部の戦闘的な兵士を
中心に武力闘争が起こり、大臣や皇帝の側近が逮捕されていった。
そして、ついには皇帝であるハイレ・セラシエまでもが逮捕され、1975年
8月28日に83歳で亡くなった。ハイレ・セラシエが亡くなった後、皇太子の
アスファ・ウォッセンがハイレ・セラシエ2世として皇帝に即位するはずで
あったが、軍部が権力を握り、エチオピアを支配するようになったため、
結局それは実現しなかった。
生き神と信じていたハイレ・セラシエが亡くなったことで、一時ラスタファ
リアンたちは混乱状態に陥ったが、彼らにとって肉体の死という現象は
重要ではなく、彼の死後は霊的なものとしてハイレ・セラシエは生きて
いると信じているようである。
彼らにとって皇帝の死は精神的領域で神および王としての任務を果た
すために現世から移り去っただけのことになるのである。精霊となった
皇帝はラスタファリアンにとっては、より近づきやすい存在となり、
彼の名を唱えるだけで、彼の霊気を感じ、その力に触れることができる
とラスタファリアンたちは信じている。

+++ジャマイカンミュージックの歴史+++
http://homepage3.nifty.com/ahuron-net/reggae_history.html

ジャマイカの音楽は、歴史と共に様々に変遷してきた。

1950年代にアフリカから奴隷として連れてこられた黒人により、
ジャマイカの地にメントという土着音楽が生まれた。メントはトリ
ニダード&トバゴのカリプソを泥臭くしたアフロカリビアンミュージ
ックである。このメントがアフリカ色を残しながらトランジスタラジオ
の普及と共に米国のR&Bの影響を受け、スカが生まれた。
レコード・の延長であったサウンドシステムが、音楽とダンスを楽し
む庶民の娯楽の場所へと変化し、野外移動ディスコという形となる。

その後ジャマイカのダンス音楽はスカからロックステディにスポット
ライトが当たった。
ロックステディは突飛なスカよりややスローな安定したリズムで、
アーティストの意識が歌われるようになり、当時のジャマイカで
一世風靡する。
しかしそんなロックステディも移り変わりの激しいジャマイカ音楽史
において長くは続かなかった。1968年頃短命だったロックステディ
に変わってキングストンのゲットーからルーツ・レゲエが生まれた。
ルーツのサウンドはロックステディよりさらにスローで、ベースが基に
なっているためもっとパワフル。
独立後の混乱期にあったジャマイカで社会的政治的・精神的な表現
が歌詞の中に盛り込まれるようになり「反逆の唄」とも言われた。


+++ボブ・マーリィとラスタファリズム+++

70年代に、レゲエとラスタファリズムを世界に広めたのがレゲエの
神様ボブ・マーリィである。1945年ジャマイカ北部のナイン・マイル
ズという町で、イギリス人の軍人を父、アフリカ系ジャマイカ人を
母として生まれた。
少年のころキングストンのトレンチ・タウンに移り住んできたボブは、
ここで音楽的な基礎を作り、65年バニー・ウェイラー、ピーター・トッ
シュらとウェイラーズというバンドを組みデビューすることになる。
社会からはみ出した人間たち、そしてトレンチ・タウンのことを歌った
バンドは一躍ルード・ボーイ達のヒーローになった。

また、ボブとともにレゲエを世界に知らしめたジミー・クリフもトレンチ・
タウン出身で、62年に「ミス・ジャマイカ」という曲でデビューしている。
そして、レゲエがジャンルとして確立するのは、ボブがラスタファリズ
ムにのめり込んでいった60年代後半のことになる。


ラスタファリズムはジャマイカから現代史で最も強力な文化であり、
レゲエ創造の基とも言える。
ラスタファリズムとは1920〜30年代に活躍したジャマイカ出身の
黒人開放運動化、アフリカ回帰を唱えたマーカス・カーヴィの予言を
機に、ジャマイカ人が何よりも根底にした一種の宗教といえるものである。
「アフリカを見よ。黒人の王が誕生するであろう。その時開放の日が
やってくるのだ」というカーヴィの予言どおり、1930年エチオピアに
旧約聖書にもあるソロモン王とシバの女王の血筋を引くと言われる
ハイレ・セラシエ皇帝が即位した。
ハイレ・セラシエの幼名がラス・タファリ・マコネンであり、「ラスタ」の
語源がここにある。
ゆえにエチオピアの国旗の色、緑・黄・赤(それぞれ自然・太陽・血を
表している)をラスタカラーという。
ラスタファリアンは、ジャマイカに奴隷として売られてきた自分たちの
前身を旧約聖書の迷えるイスラエルの民と同一視し、ハイレ・セラシ
エを生き神「ジャー」と崇める。
そして現在の自分たちはバビロンの捕われ者で、ザイオン(=シオン)
を黒人安住の地として、アフリカ=エチオピアに真の自由があると考える。

自然を大切にし、アイタルフードとよばれる自然食を食べ、身体に刃を
あてず(髪を切らず櫛も使わず)自然のままのドレッドロックスという
独特の髪型をシンボルとする。
これらのラスタのライフスタイルはジャマイカでも少数派であるが、根底
にある黒人のルーツ、つまりアフリカを自分たちのマザーランド(母なる
大地)とする熱い思いは大多数のジャマイカ黒人によって、その思想・
文化に表れている。

レゲエ史を語る上で欠かせない存在であるボブ・マーリィ。どんなレゲエ
を知らない人でもその名前ぐらいは聞いたことがある筈。そんな彼も81年、
癌によって36歳の若さでこの世を去る。
しかしボブ・マーリィによって世界に飛び立ったレゲエは、ジャマイカ移民
により、定着し世界中の多くのミュージシャンに受け継がれている。

ラスタの歩みとその信仰世界
〜レナード・E・バレット・Sr.『ラスタファリアンズ−レゲエを生んだ思想』
(山田裕康訳、平凡社)書評
(『図書新聞』2315号=1996年10月26日号掲載)

http://homepage2.nifty.com/tipitina/RASTREV.html

ラスタファリアンとは,西インド諸島のジャマイカで生まれた新宗教運動と
そのメンバーの呼び名だ。ラスタファリアン・カルト(以下ラスタと略す)は,
その母国に根付いただけでなく,ジャマイカからの移民の波にのって広がり,
今では対岸のアメリカやカナダ,旧宗主国のイギリスなどにもかなりの
数の信者を持つようになった。

略)

植民地支配によって政治・経済・文化的な剥奪状況に置かれて「文明化」の
隘路さえ阻まれた人びとは,自らを肯定的に捉えるために,新しい集団的
(つまり民族主義的)自画像とそれを支える世界観を編み出す必要に迫られた。
こうしたアイデンティティの問題は,奴隷交易によって新世界へのディアスポラ
(離散)を強いられたアフリカ起源の人たちの中で,もっとも深刻だったといえるだろう。
宗教学者のバレットは,ラスタの運動をメシア的千年王国運動として分類するが,
この運動は同時に,白人のキリスト教とアフリカ的伝統という素材を使って
新しい世界観と歴史を編み出し,自分たちのアイデンティティを再確立する試み
でもあったのだ。


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