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丸山真男の『日本政治思想史研究』と子安宣邦さんの『伊藤仁斎』
http://www.asyura2.com/0406/idletalk11/msg/1224.html
投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 11 月 20 日 05:29:18:akCNZ5gcyRMTo
 

(回答先: Re: 上田秋成 vs 本居宣長の 「天皇神話論争」両者痛み分け? 投稿者 南青山 日時 2004 年 11 月 19 日 05:42:37)

南青山さん どうもです。
(引用は複数レスから前後します。)

元レスで丸山真男の『日本政治思想史研究』と子安宣邦さんの『伊藤仁斎』を挙げたのは、小林秀雄という鬼門を避けるために予防線を張ったのですが、やすやすと突破されてしまったようです。(笑)
プレ近代政治思想としての江戸思想史については『日本政治思想史研究』において丸山がそれこそヘーゲル的に見事に話を作っています。安藤昌益−>本居宣長ー>荻生徂徠というように系譜学的に遡行(還元)し寸分のすきもない。「国民主義の前期」という意味づけも丸山が作った「星座」の様なものです。子安さんはそのことで個々の思想家の差異や、18世紀という本来の共時性が消去されることに苛立って、なんとか丸山スキームを壊したい、ある意味確信犯的に丸山が恣意的に無視した伊藤仁斎に依拠したわけです。方法論的には前も書きましたがフッサールの現象学です。しかし、フーコーさえ「マルヤマさんはすばらしい」と言い、今なおアメリカで日本思想史、政治史をやる人の「不磨の大典」であり、簡単に批判できない。
ですから、ありていに言えば小林秀雄には興味がないのです。敢えて挑発的に言えば「骨董屋の親父がよく頑張った」ということです。「学術的価値がない」などとは言いません。しかし『本居宣長』は宣長を語りつつ小林秀雄みずからを語る二重底、三重底になっています。それを腑分けして語るのは非常に大変だし、多大の労力を要する割には得るものが少ない、むしろ宣長のテキストに直接当たる方が能産的だと思っています。


>地球儀を見ても世界の本質はわからないわけで、それをわかったような気になって
>しまうところが、近代理性主義(俗流と言うカッコ付きで「啓蒙主義」と言い換えてもいい>と小生は思っていますが)の悪弊、限界、欠陥と言えるように思います。
前レスで書きましたが、例えば大阪の商人が地球儀を見たらどう言う(思う)かということでもいいでしょう。
「いやーようできてまんな、ところでなんぼだす?」でしょうか(笑)
つまり「地球儀を見ても世界の本質が判るわけがない」なんて当たり前です。商人はモノをモノとして見据えるわけです。背景にある垂直的なデーターの蓄積、原料調達から、加工、流通と一体どれだけの人間が関わったのかという水平的なネットワークを、判らないなりに必死で「値踏み」しようとする、それは「想像力」ということであり、小林に決定的に欠けている物です。
小林は地球儀に「世界は丸くて日本は小さい」という「意味」しかみない。「意味」を支えるモノが宣長に否応なしに突きつけたのは「啓蒙主義」とかふにゃふにゃしたものではなく、動かしがたい「外」という現実なわけです。
「地球儀を見て世界の本質を考える」人間がいるわけがない。それは小林一流のレトリックか、小林秀雄が本当にそう思っているならニーチェの言う遠近法的倒錯です。そういう小林が過去の人間の感性、感覚を理解できるか疑問です。

丸山真男の『日本政治思想史研究』では荻生徂徠が「もののはじまり」という話になっているわけですが、丸山が全く見ていないことがあります。(話を作るのにじゃまだから)いわゆるエクリチュールの問題で、松岡正剛も書いていますが徂徠は「漢文訓読をやめる」と言い出したのです。要は漢文は中国語で読めば良い、意味は和訳して和文で解釈すればいいんだということで当時としてはコペルニクス的転回ですね。つまり中国をオランダと同じように「外国」として対象化しようとした。徂徠は中国語も習っています。たいしたレベルではなかったようですが。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0992.html
松岡正剛の千夜千冊『本居宣長』
「この方法はものすごい。ものすごいのだが、はたしてそんなことが可能なのだろうか。
徂徠のものを読んでいくと、必ずしもこの方法が実践されているとはいいがたい。それは、徂徠が和訓読みをしながらも、ついに漢語漢文を離れなかったからである。」

松岡先生もずるい、結論はわざと書かない、書いてしまうと後の話が全部崩れるからです。
結論はそんな事はできっこないだろう です。
徂徠が中国語を習ったのは18世紀の中国人です。古代の歴史書や孔子、孟子の時代の古代中国語(音声言語)は既に失われていたわけです。つまり当時の中国語ではそのまま読み下せないという根源的な不可能性に突き当たったんですね。つまり「今の中国語」で読んでさらに注釈を入れるなら「漢文訓読み」と大して変わらない、和訳する必要もないという事です。このことを宣長が知らないわけが無い。

宣長の古事記読解は前レスで書きましたがフッサール的な「自然主義的態度」の停止です。つまりなんの前提もなしでテキストとして読むということです。宣長の言葉を借りれば

「ただただ、古ヘを記せる語の外には、何の隠れたる意をも理をも、こめたるものにあらず」
(以降ことわりないものは『古事記伝』より引用)

ですから現在から見て、過去を目的論的に再構成することについても否定しています。

「凡て漢籍(からぶみ)の説は、此ノ天地のはじめのさまなども何も、みな凡人(ただびと)の己がこころもて、如此(かく)有ルべき理(ことわり)ぞと、おしあてに思ヒ定めて、作れるものなり」

「天地創造なんか全部つくりごとだ、あとから作ったものだ」ですね。ところが日本の話になると全部ひっくり返る、

「此間(ここ)の古ヘノ伝へは然らず。誰云出(たがいひい)デし言もなく、ただただ、いと上ッ代より、語り伝え来つるままなり。此の二つをくらべ見るに、漢籍の方は、理リ深く聞こえて、真に然こそ有けめと思はれ、古伝の方は物げなく浅々と聞ゆるからに、誰も彼レにのみ心引かれて、舎人ノ親王をはじめ、世々の識者(ものしりびと)、今に至るまで、惑うものなし」

つまり日本の古文は一見すると(不合理で)中国の言説に比べると論理的に貧相で誰も本気にしてこなかった、だから逆に全く操作なくあるがままで伝わってきたんだという理屈ですね。漢文は「作為」だが「古文」は「不作為だ」という前提が無媒介的に出てくる。さらに上田秋成どころではない、過去の日本の知識人は全部「啓蒙主義者だった」ということになるわけです。
私は小林秀雄に賢しらと言われようが、「理」を立てざるをえないのです、なにか深遠な真理があって、「判ったふりをすればいいのだ」というのは知の自殺だと思っています。秋成と同じ「どんくさい田舎モノ」で結構です。(笑)

まぁ、その話は置いて『古事記伝』自体は徹底的に方法論的な「注釈学」の本になっている。つまり古事記が書かれた時代の古人がどのように読み下したのか、発声したのかということすら判らないわけです。単語の意味するところも違う、前後の文脈から丹念に追いかけるしかない。現代(江戸時代)の感性で安易に意味づけてはならないというのが方法論としての「からごころ」批判だということです。
つまり宣長は古代人の「心性」に同化して読むなんて出来るわけがないというという認識から始まっている。、ましてや小林秀雄は明治以降の「言文一致」以降の人で古文は素養であって生活ではないわけで小林は「注釈学」というものがまるで判っていないではないかと思います。
宣長は古事記読解で用いた方法論としての「からごころ」批判と、政治的言説としての「からごごろ」批判とは同じようで、実はずれているんじゃないか、小林の様な話で簡単に解決できるようなものではないと思っています。

宣長の「理を立てるな」という言説こそ「理」なんです。つまり自己言及性をはらんでいる。平たく言えば「そういうお前はなんなんだ」ということでしょう、「理を立てるな」と言いながら、ずいぶん理を立てて反論している。(笑) 宣長自体

「古への大御世には、道といふ言挙げもさなになかりき、其はただただ物にゆく道こそありけれ」

と言っているわけです。つまり「語ることではなく生きることだ」、ロゴス批判自体がロゴスだというアイロニカルな認識があるはずです。
そうした自己言及性のループをバッサリ切り捨てようとすれば「不条理故に我信ず」と言った時に根源的な対話不能性、「他者性」の問題があらわれる、肉体性(暴力性)が露出してこざるをえない、つまり理を立てる人間にたいする抑圧、暴力の問題です。「弱者」である上田秋成はそれに物凄く敏感なんですね。仰るように「論争」はすれ違っていますが、たぶん宣長はその辺をまったく判っていないと思います。
上田秋成は遊郭の生まれで(中上健次は「中国人」と呼んでいますが)出自も確かでない、寄る辺なき身で言説で立つしかないわけです、シビリアンですから。
小林はまるで宣長を「被害者」みたいに話しを作っているけど、宣長はエスタブリッシュメントなんです。
宣長の「理を立てるな」に対し中上健次の言葉を借りれば上田秋成は「てやんでぃ」でしょうね。(笑)

上田秋成を「啓蒙主義者」に仕立てたのは小林秀雄のレトリックですが、それをそっくりそのままお返しすれば、宣長は啓蒙主義に対する「ドイツロマン派」的反動じゃないでしょうか。
「てやんでぃ」(笑)
むしろこっちの方が恐ろしいくらいにはまっています。こういう問題構成自体が不毛なんでこの辺で止めますけど、もちろん宣長は「ナショナリスト」ではない、しかしその「萌芽」はある、それは徂徠にも現れていますが、「音声中心主義」への傾斜ですね。むしろそっちが本筋の話でしょう。「外」にたいして言語による等質性を確立しようとする。フーコーのアルケジオではありませんが言語に対する言語「言語学」の発生というのは「近代」の指標でもあるわけです。
ドイツで言えば特権階級の言語であるラテン語に対してルターが当時のバナキュラー(俗語)なドイツ語に聖書を翻訳した。それが印刷術というテクノロジーで広がって「ドイツ語」が成立することによって「ドイツ民族」が形成されるというベネディクト・アンダーソンのタームですが、当時の日本の言語空間ってどうだったんでしょうか。
例の如く話が横道にそれますが、当時の「読み本」「滑稽本」「落語」などのサブカルに大量の資料があります。「左様、しかじか、仕(つかまつ)る」という武家言葉ですが、これは漢文訓読そのままです。つまり人工的な「共通語」を使わないと意思疎通が出来ない位、方言がきつかったわけです。地方から出仕した武士の方言は江戸庶民の軽蔑の的でしたね、落語の世界では。もう一つ「人工語」の閉鎖社会があった。遊郭です。「わちきは○○でありんす」という廓(くるわ)言葉ですが亡八者ではありませんが「浮世の憂さを忘れる、この世ならぬ世界」というのと、客と「里言葉=方言」で話すと情が移るのを防ぐという意味もあります。
言葉は情動と直結してます、ですから宣長は「源氏」や「詩歌論」こそ見るべきなんじゃないかと思っています。中上健次によれば維新の志士たちは「浄瑠璃」の語りを「共通語」にして彼我を区別していた、同じ音声言語というのは、それだけで一体感を創生するということでしょう。
ですから宣長が古の「言」に見ていたものはそうした音声言語の想像的回復なんじゃないか、例のごとくコンセプトだけで書いていてブツ(実証的知識)は無いんで突っ込まれると困るのですが。 大江健三郎がやっていた宣長をソシュールから読むというのは中身はしりません。あまり知りたくもないですが(笑)

私はそういう子安さんや柄谷の言っている「共時性」から考えないと全く面白くない。小林秀雄のテキストは今ちょっと読むに耐えないし、どう解釈しようと宣長のファナティクな部分はネグれないわけで、小林より保田輿重郎の方がその辺を見抜いていたと思っています。つまり小林は宣長を語っているんじゃなくて宣長を介して自分を語っている、極めて政治的に読み飛ばして目的論的に話を作ってしまう、小林の仕事はいつもこうでしょう。

日華事変の時、中国で会った大阪のポンプ屋の親父に「この機会を見逃す手はありまへん」とか言われて閉口してしまうんですね。小林は。そういう身もふたも無い事実を捨象して「国民は黙って事変に対処した」とか勝手に話をつくってしまう。
「いや戦線拡大は不味いんじゃないか」と言おうものなら「賢しらな言挙げ」と言って蓋をして回る。小林秀雄にはポンプ屋の親父との間で語るべき言葉がない。知(サイエンス)に対して感心がないからです。「そのポンプはどういうものか、それがどう戦争と関係があるのか」という問いを全く思いつかない。
『ドイツ・イデオロギー』じゃないけど戦争=交通ですからね。ヒトとモノが奔流のように流動し、衝突、混合し流れを変える。小林なんかより配管屋の親父の方がそれを判っているわけです。そこに歴史がなかったら何処にあるんでしょうか。

柄谷行人が「小林秀雄は『本居宣長』に11年かけた、そんな時間があれば俺だったら自分で古代史をやる」と言ったのを受けて中上健次が「小林秀雄は『知』=サイエンスに感心がないんだ、サイエンスをやれば間違うし、必ず時代と共に古びる、そういう場所に立つのが怖いんだ、いつも安全な場所でものを言いたいんだ」と言っていましたが、これ以上の小林批判はありませんね。


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