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超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/444.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 5 月 09 日 21:00:26: SO0fHq1bYvRzo

超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ


このシリーズもいよいよ佳境に入ってきました。今回は、予定の題名とはやや異なりますが、『「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ』と題してお送りします。本当はここにもう一つ『イスラエル』と入れたいところなのですが、今のところバチカンとイスラエルの関係が私にとってはもうひとつ明らかでない部分があるため、とりあえず米国とバチカンの2国だけにします。

今までの「超巨大カルト、バチカン研究」シリーズは以下の通りです。
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http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/282.html
超巨大カルト、バチカン研究:(1)第2バチカン公会議「カトリックの米国憲法化」
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/299.html
超巨大カルト、バチカン研究:(2)第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/351.html
超巨大カルト、バチカン研究:(3)ユダヤ人教皇ヨハネ・パウロ2世?
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/377.html
超巨大カルト、バチカン研究:(4)「ユダヤ教カトリック支部」?

(参照)
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/336.html
『オプス・デイ』の最終的目標、世界観について
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/389.html
米国指導部にとって、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教はすでに「一つ」ではないのか?
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超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ


●4月9日付のスペイン語の情報誌IAR-Noticiasに、「バチカン=オプス・デイと米国=CIA」の関係、およびその中でのヨハネ・パウロ1世の暗殺や「ミスター冷戦」ヨハネ・パウロ2世などに関して、極めて優れた記事が載せられた。著者は中南米の左派系の人物を思われる。

20世紀後半の米国とバチカンの関係をまとめ直すに際して、数多くの様々な種類の資料(英語、スペイン語、日本語)に目を通してきたのだが、この文章ほど多くの事実と鋭い推論を掲げ、それを一つの論文としてまとめているものは見当たらない。(特に日本語の資料は概してお粗末極まりない。)そこで、私があれこれ申し上げるよりは、このスペイン語の資料をそのまま翻訳してお目にかけることにする。ただし、本文は非常に長いので、その一部を抜粋しながら全体の3分の1ほどの内容をご紹介することにしたい。

なお、この記事には1960年代から70年代にかけての、シカゴの枢機卿でバチカン銀行総裁のポール・マーチンクスとP2ミケーレ・シンドーナ、そしてCIAとの関係、ヨハネ・パウロ1世の暗殺などに関しても詳しく書かれてあるのだが、申し訳ないがここでは割愛させていただき、ヨハネ・パウロ2世のバチカンと米国指導部との関係を中心に紹介させていただく。


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http://iarnoticias.com/secciones_2005/europa/0019_conexion_cia_opusdei_mafia_vaticano_08abr05.html

『ワシントン、CIA、オプス・デイ、バチカン経済マフィアの陰謀』

IAR-Noticias  2005年4月9日

マニュエル・フレイタス著

ヨハネ・パウロ2世はどのようにしてローマの権力の座に着いたのか。その教皇座への就任と死の中で、ワシントン、CIA、教会の極右勢力、そしてイタリア・米国マフィア組織の役割は何だったのか。彼の教皇の地位と米国の戦略的利益はどのように結び付いていたのか、そしてラテンアメリカで反抗的な武装勢力とカトリック僧を拷問にかけ殺害した準軍人部隊への資金にバチカンがどのような役割を演じたのか。オプス・デイはローマ教会の権力構造にどうやってもぐりこんだのか、また各国政府と民衆によって伝説化され神格化された「傀儡教皇」の背後でうごめいた本当の権力のシナリオは何だったのか。
【中略】

BBCのあるドキュメント番組が、元CIA副長官のヴェルノン・ウォールターズ(Vernon Walters)将軍、およびレーガン政権の国家安全保障委員会に所属していたリチャード・アレン(Richard Allen)の証言を明らかにした。
ウォールターズは、教皇ヨハネ・パウロ2世がどのようにCIAおよびホワイトハウスとの間の同盟を作ったのかを説明し、その一方でアレンは、米国が主導した世界資本主義システムの中でこのバチカンの首長が果たした協力者としての役割を指摘した。それはこの時代を通してエキスパートたちが共謀して成し遂げた最大の秘密同盟として考えられる結びつきである。
【中略】

ロペス・サエス(López Sáez)によると、バチカンのマフィア的な構造は直接にCIAによってコントロールされているようである。そこには、このイタリアの歴史的な時期の「暗黒のプリンス」、リーチョ・ジェッリ(Licio Gelli)が深く関わっただろう。
イタリアのジャーナリスト、エンニオ・レモンディーノ(Ennio Remondino)によれば、CIAの元協力者リチャード・ブレニーク(Richard Brenneke)は、「ジェッリとP2は大量のカネを受け取る代わりにCIAのために働いていた」、そしてそのブレニーク自身がこのメーソンの首領に金を渡していたことを示唆した、と強調していた。
彼の話によると、そのカネはCIAの特別な作戦に資金を与えるために使われたのである。その作戦は70年代のテロ事件【70年代から80年代にかけて中南米各国で起こった「反共テロ」を指すものと思われる:訳注】を伴うものであり、これは本来はCIAにコントロールされた麻薬と武器の密輸に源を発したものであるが、その目的は「親共産主義的な」あるいは「反ワシントン的な」国々の政府を揺さぶり転覆させることにあった。それは第一に米国の裏庭であるラテンアメリカ各国に向けられた。
 【中略】
 ロベルト・カルヴィ(Roberto Calvi)に関するまとめの中で、アンブロシアーニ銀行は、CIAにコントロールされる「反共」準軍人組織の形成に向けて大量の資金を供給するための、CIAとマフィアに仕えるある種のトランポリンだった。それはバチカンの法的な有利さにつけこんだものであった。
 これらの途方も無い額のカネは、パナマやナサウといった無法の天国を通して送られて行った。そしてそれはその後に、基本的にラテンアメリカでのあらゆるタイプの秘密作戦(左翼の軍人や指導者の暗殺、クーデター、政権の不安定化など)の資金に充てられた。
 パナマの元独裁者であるノリエガ(Noriega)はマフィアのロッジに参加していたCIAの手先だったが、パナマの大統領職を追われた後でバチカンに仲介してもらおうとしたが、運悪く無駄だった。
 【中略】

 教皇ルチアーニ【Luciani:ヨハネ・パウロ1世のこと:訳注】が(「突然の死」によって)終了させられ、ポーランド人のヴォイティーワがペテロの座【教皇の位:訳注】に推されることとなったのだが、これは、バチカンの最大級に腐敗した組織の上にその支配権を広げようとする、イタリア=米国マフィアにつながるオプス・デイとその他の統一主義者たちが求めていた解決の仕方にとって、「たまたま偶然に」有利に働くものであった。
 そして4年後、オプス・デイとその仲間の極右坊主どもは、ジョバンニ・ベネッリ(Giovanni Bennelli)という最後の障害物、行く手をふさぐ暗雲が取り払われたのを見て取った。ベネッリは、このワシントンにまでそのマフィア的な触手を伸ばすエスクリバー(Escrivá)の組織【オプス・デイのこと:訳注】の影響力増大に対する最後の反対者であったのだ。【このベネッリもヨハネ・パウロ1世同様に「心臓麻痺」で死ぬのだが、当然これには疑いが持たれる:訳注】
 ルチアーニの死後、ヨハネ・パウロ2世は1978年にバチカンの首長に挙げられたわけだが、それはワシントンとモスクワの間で冷戦がその影響力を十分に広げている時期であった。
 ヴォイティーワの「反共主義者」の顔、ポーランドでの「反アカ」の使徒職は、ワシントンと金融・麻薬マフィアの利権確保におあつらえ向きだった。彼らは、ラテンアメリカと同様に他のいわゆる第三世界の国々の中で、『対共産主義戦争』に同乗する極右政権を相手に商売をしていたのだ。
 ルチアーニの死にともなって、このポーランド人ヨハネ・パウロ2世=「オプス・デイの教皇」は、その反動的な教義を実行に移し計画された二つの政治目標を達成させるのに、今や天馬空を駆けるが如し、となった。その政治目標とは、一つは東ヨーロッパの政権に最後の秘蹟を与える【日本風に言えば「死に水をとる」:訳注】こと、他方は軍事クーデター実行者やラテンアメリカの「解放の神学」主義者に対する抑圧に祝福を与える、というものであった。
【中略】

 バチカンとワシントン=CIAとの『神聖同盟』は、ホワイトハウスでのオプス・デイのロビイストたちによって推進されたのだが、資本主義がソ連に対して勝利を収めるのを助けた。
 ヨハネ・パウロ2世は、ソビエトの衛星国家の中で『赤い無神論』に対する戦争に加わり、彼の説教は資本主義の旧ソ連圏への侵略に「霊的に」正当化する役を果たした。
 その一方で、ヨハネ・パウロ2世とワシントン=CIAとの『神聖同盟』の間に、バチカンの陰謀のもう一つの主人公であるオプス・デイがローマで強大な権力を手に入れたのである。
【中略】

その影に潜む触手であるオプス・デイの不思議な力は、専門家によると、ヨハネ・パウロ2世の時代に、バチカンを覆う陰湿な取引の世界と政治的コントロールの間に彼ら計画を押し付けていった。
CIAおよびイタリア=米国マフィアとのこういったつながりは、レーガン=ブッシュ政権の時代に急激に強化された。ラテンアメリカ、とりわけチリ、アルゼンチン、パラグアイ、中央アメリカ諸国での極右カトリック教会との接触を通してである。
ヴォイティーワ枢機卿はオプス・デイの教皇候補であった。そしてその教皇選出の中では、ウィーンの大司教でこの組織に近いケーニッヒ枢機卿が決定的な働きをした。
クラクフの司教であったときにすでにヴォイティーワ神父はオプス・デイの招きでローマを訪れていた。そして閑静なローマ市郊外のBruno-Bozzi N° 73にある美しい宿舎に泊まったのである。
 【中略】

 修道士ロペス・サエス(López Sáez)の著書の中に現れる多くの調査によれば、IOR(バチカン銀行)とアンブロシアーニ銀行経由の資金は、ポーランドにおけるヴォイティーワの政治的代理人であるレフ・ワレサ与えられた5億ドルで、ポーランドの労働組合「連帯」の活動資金として、違法に提供された可能性が高い。
 【中略】

 一方でレーガン政権の国家安全保障委員会にいたリチャード・アレンは「レーガンとバチカンの関係はあらゆる時代の中で最も偉大な秘密同盟であった」と明言した。
 実際に、そしてロペス・サエス修道士の本に著されているように、ヴォイティーワのべテロの座への推挙は、70年代の間を通して、ホワイトハウスと米国の経済的な権力者層の人脈の中で決定されていたことであった。
 ロペス・サエスは十分に「コネクションを持った」大学教授の助けを借りて、ヴォイティーワがフィラデルフィアの枢機卿クロール(Krol, John)と著名な政治家ズビグニュー・ブレジンスキー(Zbigniew Brzezinski)(この両者ともポーランド系)を通して、ワシントンの権力周辺の人脈に紹介された、と強調した。
 他のバチカン筋は、ヨハネ・パウロ2世とワシントンのつながりを決定的にするもう一つの要素を告げた。それは教皇の個人秘書でポーランドの大司教であるスタニスラフ・ジーヴィッツ(Stanislaw Dziwisz)(ヴォイティーワを操った「ポーランド・グループ」のリーダーであると言われている)と、米国の支配権力集団「三極委員会」との関係だった。それは70年代終わりごろのカーター政権の間にブレジンスキーの周辺で作られたものだった。
 ブレジンスキーは米国の「考える戦車」と呼ばれた人物で、共和党のヘンリー・キッシンジャーと知的に結ばれており、カーター大統領の国家安全保障担当補佐官であった。そしてヴォイティーワがヨハネ・パウロ2世となった時には、彼とすでに手紙のやり取りを行っていたのだ。
 ヘンリー・キッシンジャーの熱烈な崇敬者ズビグニュー・ブレジンスキーは、ソビエト連邦を軍事的に弱め包囲するための理論を推奨していた。(この理論はソ連崩壊の背後で発展し続けたが)それは、最良の方法は周辺地域の不安定化と思想的な浸透、何よりもソ連圏内で共産主義の確立以来おとしめられていたカトリック信仰を通してであった。
 この戦略的なチェス板の上で「反共主義者」ヴォイティーワのバチカン指導者への推挙は完璧におあつらえ向きのものであった。これはブレジンスキーとキッシンジャーが、オプス・デイやカトリック教会保守派との同盟の中で、ワシントンと米国権力者階層の大広間の中で練り上げた計画であった。
 このヨハネ・パウロ2世という人物は、ある意味では、ワシントンの基本的な目的を「包み隠していた」といえる。その目的とは、ヴォイティーワの「反共的な」お説教の手を借りて東ヨーロッパに彼らの国際企業を浸透させる道を開くことと、国家安全保障委員会の方針をバチカンの力で補強すること、つまりラテンアメリカでその地域の「赤い無神論者」の危険に対して戦っていた独裁政権の推進力としてである。
 レーガンが権力の座に着くとともに、バチカンとホワイトハウスの間柄はどんどんと近くなっていった。このとき、この元俳優はオプス・デイの戦闘的カトリック教徒たちを外交政策の代表者たちの一部として指名したのだ。バチカンの政策をコントロールしていたこの参謀本部【オプス・デイを指す:訳注】と接近する戦術の中で、である。
 【中略】

 ポーランド人ヴォイティーワが教皇になってから何年か後になって、バチカンの広報担当者、つまりヨハネ・パウロ2世の情報宣伝戦略の実行者、オプス・デイのメンバーであるスペイン人ホアキン・ナバロ・バジュス(Joaquín Navarro Valls)が、ジョージ・W.ブッシュ(元大統領でレーガン政権の副大統領ジョージ・ブッシュの息子)政権に対して、先ほど死んだ教皇との間を結び付ける最大の関係者の一人になった。
 同時にナバロ・バジュスは、バチカンおよび多くが「オプス・デイ主義者」であるスペイン教会が、スペインの元首相ホョセ・マリア・アスナール(José María Aznar)とワシントン政府との同盟を承認するための鍵となった。
 1984年12月にヨハネ・パウロ2世は教皇庁新聞報道室の新しい所長として、そしてバチカンの唯一のスポークスマンとして指名したのが、オプス・デイの独身会員でジャーナリストでもあったこのホアキン・ナバロ・バジュスである。
 この指名は、バチカンのエキスパートたちが警告するのだが、教会権力構造の内部に強い抵抗を引き起こした。ヴォイティーワ教皇に対するオプス・デイの影響力がバチカンの通路に響く「民の声」に変わったからである。
 このメーソン・マフィア的な集団の権力は、オプス・デイの戦略によってあふれ出すほどの勢いで現れてきた。一人のオプス・デイのスポークスマンを通してこの「影の教皇」の戦略が世界を目指していたのだ。
 実際に、教皇庁の新聞報道室はすぐにナバロ・バジュスの作業によって影の司令部に変わったのである。
 ナバロ・バジュスはこうして教皇の「右腕」となった。彼だけが、ヴォイティーワの歴史的な私設秘書で「ポーランド・グループのボス」と呼ばれるジーヴィッツ神父と並んで直接に教皇と接することのできる地位を維持した。
 教会権力の人脈の中で、教皇の伝達係としてナバロ・バジュスを指名した責任者は、ジーヴィッツ秘書の声明から、オプス・デイの政治指導者であるマルティネス・ソマロであった、と言われる。
 専門家たちによると、この新聞報道室は、オプス・デイの手によって後の教皇庁委員会から社会的通信のために分別されて、そしてヨハネ・パウロ2世の直接の指揮下にある国務省に所属する独自の機関に変えられたのである。
 ホアキン・ナバロ・バジュスこの新聞報道室の戦略を再編成し、ヨハネ・パウロ2世の幻影を投げかけ影の教皇座の「本当の係官」を覆い隠すために働く、オプス・デイの道具に変えた。
 このオプス・デイの教皇のスポークスマンは、バチカンにおけるヨハネ・パウロ2世の、何よりも彼の世界中を飛びまわる旅という戦略の裏で、変身した。その旅は、巨大な国際的な一連の組織で覆われ、カトリック教会の資金から出された何百万ドルものカネで為されたものであった。
 バチカン研究家ジアンカルロ・ズィゾラ(Giancarlo Zizola)は「ヴォイティーワ教皇の好意で、この近年はオプス・デイがその新たな闘いの基盤を豊かにし、より堅固な権力の地位を固めるに至るまでその増大を続けることになった。」と断言する。
 バチカンの専門家たちは、現大統領のブッシュ、元大統領のクリントンとブッシュ父がヨハネ・パウロ2世の告別式に出席したことは、オーガナイザイーであり第一実行者としてのホアキン・ナバロ・バジュスの計算で、オプス・デイによって企まれた作戦であった、と指摘する。

【以下略、翻訳終り】

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●バチカン=オプス・デイと米国指導部との関係について、上に引用したIAR-Noticiasの文章に付け加えることは少ない。強いていくつか上げるならば、まず米国におけるカトリックとユダヤ人(特に右派・シオニスト系)との関係、次にカトリックと一般の「保守系」人脈である。

ユダヤ系人脈に関しては、上の記事にもブレジンスキーやキッシンジャーの名前が出てくるし、イスラエルから最も信頼されているウィーンのシオニスト枢機卿クリストフ・シェーンボーン(Christoph Schoenborn)にも注目されなければならない。しかし、実はもっと「草の根レベル」でのカトリックとユダヤの「融合」が進んでいる。もちろん主要にオプス・デイの力で、である。


●今から述べる事柄について一つ一つの資料の和訳文は示さないが、使用した資料は後に掲げておくことにする。数多くの資料の中から総合的に言えることだからである。

2002年にエンロンなどと一緒に不正経理、インサイダー取引などで騒がれた会社の中にタイコ・インターナショナルがあるが、その最高顧問弁護士がマーク・ベルニック(Mark Belnick)である。彼は元々は非常に熱心なユダヤ教徒でいくつかのユダヤ人団体で中心的な働きをする活動家でもあった。ところが2000年に突然カトリックに鞍替えし、米国のユダヤ人社会に大きな衝撃を走らせた。

ベルニックはタイコの不正経理事件で逮捕された元会長のコズロウスキー(Kozlowski:これもユダヤ系ではないか?)の不正を知らなかったはずは無いだろう。しかし彼は連座しなかった。そして個人の懐から2百万ドルものカネを、あるカトリック系の高校にポンと寄付したのである。

その他、ウォールストリートの著名なエコノミストであるラリー・クドゥロウ(Larry Kudlow)、同じく投資家のルイス・レールマン(Lewis Lehrman)、以前は堕胎推進活動家として勇名をはせたバーナード・ナサンソン(Bernard Nathanson)、テレビや新聞で辛口の論評で人気のある保守系政治評論家ロバート・ノヴァック(Robert Novak)、大手出版社社主アルフレッド・レグネリィ(Alfred Regnery)、カンザスの共和党上院議員サム・ブラウンバック(Sam Brownback)なども、すべて同様にユダヤ教からカトリックに改宗した米国での有名人たちである。

そして彼らはすべて一人のオプス・デイに所属するカトリック僧から洗礼を受け、この教団のメンバーとなっている。その神父の名はジョン・マックロウスキィ(John McCloskey)。名前からしてこの男もユダヤ系ではないか、と思われる。事実、同じマックロウスキィの姓で有名はユダヤ人が何人かいる。まだ50歳前後の若い神父だが、奇妙に神秘的な魅力のある人物らしく、ユダヤ人だけではなく、ルター派の女性牧師ジェニファー・フェラーラ(Jennifer Ferrara)は彼に会ってからカトリック(オプス・デイ)に改宗した。かつてウォーターゲート事件を担当した最高裁判事ロバート・ボーク(Robert Bork)も同様である。またペンシルベニアの上院議員リック・サントラム(Rick Santorum:極めてユダヤ主義に近いカトリック信徒)とも深い親交を結んでいる。

このように、米国社会の最上層部からだけではなく、「中上層部」といえる階層でも、ユダヤ人社会を中心にしてカトリック(オプス・デイ)が浸透している。そもそもこの教団は中下層階級には関心を持たない。社会的影響力の大きいエリートだけがその布教の対象である。そして彼らと、同じくカルト集団である統一教会などによって現在の米国保守層が支えられている。


●元大統領候補で現在は保守系評論家としてTVなどで活躍するパット・ブキャナン(Pat Bchanan)もやはり保守系のカトリックでありオプス・デイとは親交を結んでいる。そして2004年の大統領選挙でブッシュが再選された裏には、不正選挙や対抗馬ケリーの「やる気の無さ」もあったが、カトリック票の動向が大きかった、と言われる。

2000年のブッシュ初当選の際も同様で、元々反共和党色の強かった米国カトリック社会を、カール・ローブ(Karl Rove)が主催する保守系カトリック雑誌クライシス(Crisis)をブキャナンと共に支える評論家・ジャーナリストとして名高いディール・ハドソン(Deal Hudson)の尽力で、その一部を切り崩すことに成功した。ただそれでもカトリック全体の半分には満たなかったが。(鍵を握ったフロリダが、ブッシュ弟が知事を務め亡命キューバ人が多くカトリックの影響が強い地区であることは注目される。ここでブッシュはカトリック票の54%を獲得。)

そして9・11以後に急激に「保守化」した米国社会の中で、2004年の選挙ではラツィンガー教理省長官(現教皇)などのバチカン幹部による全面協力で、前回の47%を上回り、52%のカトリック票が共和党に流れた、といわれる。もちろん熱烈なブッシュ支持者であるハドソンやブキャナンの働きかけは重要である。

このハドソンだが、実は以前はリベラルなプロテスタントであり、1984年(つまりレーガン=ブッシュ父時代)にカトリックに改宗した男である。オプス・デイとのつながりは今のところ発見できないし、一部には批判的であるともいわれているが、全く無関係とは考えられない。いずれにせよ米国社会では、ハドソン、ノヴァック、ブキャナンのような言論界の大立者の影響力は、日本では考えられないほど大きい。ブッシュがイラク戦争にのめりこむに際して、彼らの力による世論形成が重要な役を果たした。

こうやって、一見プロテスタント社会と思われている米国で、着実にオプス・デイを中心にした「保守的」カトリックがキャスティング・ボードを握るようになってきている。そしていわゆる「保守的な」プロテスタント、カトリック、ユダヤ教の不思議な連携が形作られつつあるようだ。そしてその中でのオプス・デイや統一教会といったカルト集団の位置づけには、非常に興味が持たれるところであろう。

なお、以上に示した人物に関しては、興味がおありの方はGoogleなどの検索で調べていただきたい。(そのために原文のつづりを示している。)いずれも米国社会に大きな影響を与えうる人物ばかりである。

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(以上の論考に使用した資料:すべて英語)

http://www.boston.com/news/globe/magazine/articles/2003/11/02/the_crusaders/
Boston.com News : The Crusaders

http://www.catholicity.com/mccloskey/articles/firmvoice.html
McCloskey’s Perspective

http://www.ewtn.org/LIBRARY/PROLIFE/bernconv.txt
Bernard Nathanson's Conversion

http://www.nationalcatholicreporter.org/washington/wnb081904.htm
Deal Hudson resigns as RNC outreach chair

http://www.philly.com/mld/inquirer/news/nation/10103020.htm
In reversal from 2000, Bush got Catholic vote

http://www.beliefnet.com/story/155/story_15598_1.html
It Wasn't Just (Or Even Mostly) the 'Religious Right'

http://www.nationalreview.com/thecorner/04_11_12_corner-archive.asp#045895
PAT BUCHANAN, ARAFAT & ME [by Larry Kudlow]

http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Novak
Wikipedia : Rovert Novak

http://www.msnbc.msn.com/id/7420532/
'Hardball with Chris Matthews' for April 6

http://www.countercurrents.org/kay230405.htm
Pope Benedict XVI’s Political Resume: Theocracy And Social Reaction

http://www.odan.org/media_passion.htm
Vatican Intrigues: “The Passion,” the Pope, and the Phantom Review

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●さて、先日の私の阿修羅投稿
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http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/389.html
米国指導部にとって、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教はすでに「一つ」ではないのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
の中で、オプス・デイの米国上院議員リック・サントラムがブッシュを評して「米国初のカトリック大統領」と発言したことに関して、私は「ケネディこそ米国初のカトリック大統領であることを知らなかったのだろうか」というようなことを申し上げた。

しかしこれは私の誤りで、サントラムは100%承知していた。これについて彼は次のように語っている。

****************************************

http://www.natcath.com/NCR_Online/archives/011802/011802f.htm
Opus Dei prestige on display at centenary event(National Catholic Reporter, January 18, 2002)

【前略】

近年の欧米での論争の中で、信仰と政治的忠誠心の結合というこの考え方は、右派系のオプス・デイの影響を受けた政治家がよく口にするものである。

サントラムはこの見解を支持するチャンピオンであった。彼はNCR(National Catholic Reporter)に対して次のように語った。1960年にジョン・ケネディの有名な演説の中に盛り込まれた個人的な信仰と政治的な責任との間の区別、つまり、もしも大統領に選ばれたらカトリック教会の命令には従わない、という言葉は、サントラムに言わせると、『米国に非常な害悪をもたらした』のである。

『我々全員は、人々が「私は個人的には中絶やホモの結婚、幹細胞の研究、クローニングには反対である。しかし私は、それが他のどんな人にとっても正しくない、と断定してはならないのではない?」と言っているのを聞く。一見すると良いことのように感じる。しかしそれは良心の自由の悪用なのだ。』このようにサントラムは言った。

【後略】

****************************************

この上院議員の頭の中に「政教分離」という言葉は存在しない。そしてこれはブッシュにとっても同様であろう。9・11以後の米国社会は、明白に「政教一致」「政教融合」へと向かって変化している。あたかも新しい「神権国家」を目指しているかのようだ。

バチカンと米国の間柄は「政治的同盟」を超えて「カルト的同盟」にまで進んでいるのではないのか。そしてここにネオ・コン、つまり極右ユダヤ思想が絡んでいる、という指摘もあるが、ここではそれには触れないでおく。

そういえば米国の南隣の国メキシコでも、ブッシュと同年の2000年にビセンテ・フォックス(Vicente Fox)が1938年のメキシコ革命以来の政教分離政策を廃止した。もちろんこのフォックスを支援しているのは、オプス・デイを中心とした「保守派」カトリック教会である。英国でもオプス・デイの会員が閣僚入りし、トニー・ブレアーもどうやらカトリック教徒でオプス・デイに極めて近い女房のシェリーに振り回されている、と言われている。


●中世の「政祭一致」が当たり前であった体制が近代社会によって崩され、そして現在、新しい形態の「政教一致」の哲学が生まれつつあるのか。これが「ポスト・モダン」なのか? この流れは絶対に軽視されてはならない。社会科学が近代にこだわって宗教を軽視しているうちに、すでに「先手」を打たれているのだ。このままでは子々孫々にまで悔いを残すことになるだろう。

次回はこのテーマをもう少し掘り下げて、「オプス・デイ=カルト支配の哲学」と題してお送りしたい。ただし、作成するのに数週間の期間が必要かもしれない。

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