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「完」 イタリアの黒いプリンス byアレン・ダグラス (5)
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/704.html
投稿者 kamenoko 日時 2005 年 6 月 09 日 23:49:01: pabqsWuV.mDlg

(回答先: Re: イタリアの黒いプリンス byアレン・ダグラス (4) 投稿者 kamenoko 日時 2005 年 6 月 08 日 01:23:13)

Italy's Black Prince:
Terror War Against the Nation-State
by Allen Douglas

http://www.nationmaster.com/encyclopedia/Lyndon-LaRouche

イタリアの黒いプリンス
対国家テロ戦争 by アレン・ダグラス (5)完

マルタ騎士団(The Sovereign Military Order of Malta)

P2、グラディオ、”黒い貴族”、国際テロリズム、もしくは国際ナチスを
調査すると、どこかでSMOM(マルタ騎士団)にあたるはずだ。

彼らは第二次大戦中とその直後から、近代国際テロリズムの資金的・人的
土台を作る過程に常に関わってきた。SMOMメンバー実業家ルイジ・パリッリ
(Luigi Parilli)男爵は、ヒトラーのSS、イタリアのSD、そして
ムッソリーニの情報部隊と繋がりを持ち、SSカール・ヴォルフとベルンの
アレン・ダレスの連絡係を勤めた。 ボルゲーゼを救い、戦後はITTコーポ
レーションの副会長の座に就任し、73年9月11日のアレンデ・チリ大統領
失脚と独裁者ピノチェト配置計画を組織したエレリー・ストーン伊駐在
米大使は、SMOMから最高位Croce Al Merito Seconda Classeを授けられた。
OSS長官ジェームス・ジーザス・アングルトンは、46年にボスのアレン・
ダレスとともにCroce Al Merito Seconda Classe(2位)を、翌年は
ヒトラーの東側フロント情報部長官ラインハルト・ゲーレン(Reinhard
Gehlen)が一時期4名に与えられるGran Croce al Merito con Placca の
ひとつを受けている。ゲーレンの兄弟は、マルタ騎士団の5名の統治
メンバーのひとりトゥン・ホーヘンシュタイン(Thun Hohenstein)の
秘書だった。移民協会(Institute for Associated Emigrations)の長
ホーヘンシュタインが印刷した2千あまりのパスポートは、ナチスの
リーダーたちを世界のあちこちに安全に逃がすために使われた。

CIA長官アレン・ダレス、ジョン・マッコーン(John McCone)は、
リーダー的騎士である。国際ナチスの騎士オットー・スコルツェニーは、
実業家ピーター・グレイスとして、SMOMの外交特権をイラン-コントラ
隠蔽工作活動に利用した。

多くのイタリア情報組織のリーダー、ジュゼッペ・サントヴィート
(Giuseppe Santovito 77年にSIDから置き換えられたSISMI元長官)、
ジョヴァンニ・トリージ(Giovanni Torrisi元陸軍高官)、ジョヴァンニ・
アッラヴェーナ(Giovanni Allavena SIFAR元長官)らは、SMOM・P2の
メンバーである。騎士とP2メンバーを兼ねるのは他に、ムッソリーニの
元カウンタースパイでありSMOM内部評議会重要メンバーでもあるウンベルト・
オルトラーニ公爵がいる。かつてはP2背後のブレインであり、リチオ・
ジェッリの騎士団入りを支援したオルトラーニには、投資家として注目
すべき点がある。ウルグアイ第二位の銀行を所有しており、そこから
巨大な影響力を発していた。ファシストとしてラテン・アメリカに追放
されたジェッリは、60年代初頭に大きな権力によってP2ロッジになるべく
イタリアに戻された。

どんな組織においても、メンバー全てがやましいというわけではなく、
組織の犯罪性を知らないメンバーすら存在するだろう。しかしながらこの
ケースは、人の天性の性質から言っても、その可能性はなさそうである。
再三浮上してくる第二次大戦末期のSMOMメンバーによるテロ関連活動から、
最近の工作活動まで、組織の本質をよく現している。

78年、ドレスデナー銀行頭取ユルゲン・ポントー(Jurgen Ponto)、
ドイツ実業家ハンス-マルティン・シュレイヤー(Hanns-Martin Schleyer)、
アルド・モーロ暗殺後、マルタ騎士はリンドン・H・ラルーシュ暗殺工作
幇助で現行犯逮捕される。ジュニア・ラルーシュは、その年開催された
ブレーメンサミットの学会からの創設提唱者であった。ワレリー・ジス
カールデスタン仏大統領、ヘルムート・シュミット西独首相、ジェイムス・
キャラガン英首相(脅迫を受けていた)がブレーメン・コミュニケに署名し
欧州通貨システム構想を公表したサミットである。EMSは、あるドイツ高官の
ことばを借りると、”新世界の通過システムへの布石”を目指したもので、
「ブレーメンは世界のオリガルキーの心臓を恐怖で襲った」。ベルギー
ロスチャイルド家が所有するブリュッセル-ランバート銀行のある上級行員に
よると、「ブレーメンに行くのは、ラルーシュのプログラムと考えられていた。
もし通過すれば、権力を失うことになる金融センターがある。沢山の人々が
そうなることを望んでいなかった」。騎士団が運営するベルギーの機関の
ディレクターはさらに簡潔に、「ラルーシュはロンドングループの第一の敵
だった」。ラルーシュを65年に暗殺されたマルコムXに例え、「非常に危険だ」
と断じのは、ニューヨークの投資銀行ウォーバーグ ピンカスのディレクター、
ヘンリー・S・ブロシュ騎士(Bloch)。この銀行は暗殺計画と幾重もの糸で
繋がっていることがわかった。

パンフレット”’黒い’国際テロによるリンドン・H・ラルーシュ暗殺計画”
にも書かれているように、ラルーシュ協会の調査でわかったことは、SMOMの
名前をほんの少し仄めかすだけでも、政府高官、主要銀行家、軍の上官や
ビジネスリーダー、上級外交官、そして情報局高官たちに、畏怖と恐怖を
連想させるようだ」。さらにそのパンフレットでは、「騎士団は、なにより
金融力を持つことに専心する。こらが西側世界の大きな投資会社を直接支配
することでこれが可能でも、第二の力を持つための供給源は、彼らの情報力
も適わない」。つまり、SMOMは世界の大貴族、投資家、そして特に軍と
情報局高官を合体させるシナルキーの筆頭組織である。騎士団メンバーが
待望するのは、ルネッサンス期の主権国家の興隆以前に存在していた教皇至上
主義世界なのである。主権国家の興隆は、特権階級に権力の喪失を意味した。
しかし彼らにとっての世界の消滅は、昨日のような出来事なのである。実際
完璧に消滅したわけではなく、マルタ騎士団のように、世界各国に存在する
ベネチアの末裔”独立中央銀行”に基盤を置き、一点に集中して生き残って
きたと、ラルーシュは強調している。

11世紀後半に設立された聖ヨハネ騎士団は、1095年第一次十字軍で名を上げる。
1120年ウルバーノ2世教皇に宗教軍として認められて以来、最初はロードス島を、
次はマルタ島を本拠地として18世紀にナポレオンに駆逐されるまで、キリスト教
世界最大最強の軍隊として存在し続けた。16世紀にハプスブルグ帝国から
認められた主権は、現在もローマ コンドッティ通り68を本拠地として存続
する。独自の航空隊を持ち、92カ国及び国連、バチカンと外交関係を結び、
その外交特権を大いに活用している。カトリック集団の上位を固める層は、
少なくとも3世紀続く家系と紋章を持つ貴族に限られ、最高位であるグランド
マスターは世俗世界のプリンスと教会の枢機卿。この歴史を強く反映する
メンバーシップは、軍隊や情報機関を背景とする個人で構成されている。
1950年ピウス12世は、この名ばかりのカトリック組織の調査を命じた。
騎士団の主権存続を嫌う教皇委員会は、「教皇庁の希望にかなったものに
するべく」SMOMの改変を命じたが、騎士団が教皇庁の完全支配下に収まる前に
ピウス12世は死亡した。

ローマ・カトリックのSMOMの他に、ここ150年間で欧州貴族が動かすプロテス
タント系騎士団が4つ設立されているが、カトリックとプロテスタントの
騎士団は、ケネディ暗殺から4日後の63年11月26日に効果的に融合した。
英国騎士団の長はエリザベス女王、オランダ騎士団の長はユリアナ女王の
夫君ベルンハルト元SSがつとめていた。

ローマ・ベースのSMOMは、メンバー入りに貴族血統証明のいらない米国支部
を27年に設立。監督者兼実行支配者には、34年ルーズベルト大統領に対する
クーデター計画を資金援助した反ルーズベルト派の民主党全国委員会
(Democratic National Committee)ジョン・J・ラスコー委員長
(John J. Raskob)が、グランドプロテクター&スピリチュアルアドバイザー
にはフランシス・スペルマン(Francis Spellman )NY大司教が就任した。
タイム/ライフの発行人、文化の自由評議会福創設者ヘンリー・ルース
(Henry Luce)とは冷戦を通じた親しい間柄である。

通称バチカン銀行と呼ばれる Institute for Religious Worksの財政担当
プリンス マッシモ・スパーダ(Massimo Spada)騎士は、戦後イタリアの
財政的、経済的、政治的歴史に根本的な役割を演じた。スパーダは、
マフィアコネクチョンのヘロインロンダラーと後にP2財政担当となった
ミケーレ・シンドーナを、バチカン金庫における仲間として引き入れた。
(ムッソリーニと教皇庁の29年協定以来)イタリア国内に存在する納税
義務のない教会主権国家は、その手の仕事に計り知れない価値がある。

「バチカンは誰のもの?教皇たちのものか?それとも黒い貴族?」
バチカンの研究を進めてゆくと行き当たるこのような疑問は、慎重に口に
すべきであろう。オルトラーニ、ジェッリ、カルビ、スパーダといった
”バチカン・コネクション”に関わると、その疑問はさらに複雑になる。
さらに進んで、イタリアにおけるテロの”永続的な”インフラを徹底的に
調べてゆくと、ヨハネス・パオロ1世がベネチア総司教時代に”いにしえの
者たち’と呼んだ一派が、未だに強大な権力を振るっていることがわかる。
ラルーシュが強調したように、ベネチアの”いにしえの者たち”は民営中央
銀行の監督権を有する現代の英蘭議会制度を世に送り出し、シナルキーの
動因が統治する世界を作った。ベネチアの”いにしえの者たち”は、英米の
指揮下でムッソリーニを権力の頂点に引き上げ、オルトラーニ、ジェッリ、
カルヴィらを引き入れてバチカンの金融部門を組織した。

 歴史の遺産:ベネチアの金融

1582年、ベネチアの莫大な資産と広大な情報網を支配していた40幾つかの
ファミリーが、ヌォヴィ(新しい nuovi)とヴェッキ(古い vecchi)に
分裂する。表面的には、1297年の大評議会後に貴族に列した家系をヌォヴィ、
それ以前からの家系をヴェッキと呼び分けたように見えるが、実際は
ルネッサンスによる史上初の主権国家成立の結果であった。人口20万足らずの
都市国家ベネチアは、庶民の公益促進を目指して台頭してきた新しい勢力や
科学、技術、軍事力に対し、セレニッシマ(Serenissima ベネチアの別称)の
狡猾な大将たちをもってしても抗えずにいた。

1511年カンブリア同盟が不首尾に終わったことを受け、ベネチアは欧州に
血なまぐさい宗教抗争をふりまくが、これが長続きしないとみたヌォヴィは
幾つかの戦略的行動を起こす。@まずはパオロ・サルピ(Paolo Sarpi)の
指導の下、プラトンの仮定法打破を方便として経験主義哲学を打ち立てる。
A次にやはりサルピの指導で、反啓蒙主義的ローマに対して”啓蒙された”
欧州の砦を築くポーズをとりながら、バチカンに熾烈な戦いを挑む。B更に、
ベネチアの富の礎石である東インド交易に、新興勢力英蘭プロテスタントを
引き入れるのである。1600年、ベネチアはイギリス東インド会社(英基盤の
ベネチアの会社とトルコの会社の合弁)を設立し、次いで1602年にオランダ
東インド会社を設立。ここから得た富で、両国にベネチアモデルの大貴族
たちが勃興。ラルーシュが何度も強調するように、自ら仕組んだ7年戦争で
イギリスがベネチアの伝統的手法”分割して統治する”を用いて欧州覇権
争いを抜け出した1763年、イギリス東インド会社は世界最大の力を持つように
なる。Cその後、ヌオヴィは財産の多くを北部へ移動する。(移住した
ファミリーもあった)。まずはオランダへ、そしてイギリスへ、そして
その地で18世紀に”ベネチアン・パーティ”と呼ばれたものを形成する。
その一部を使い、自分たちの貴族寡占私有銀行を規範としたヴィッセルバンク
(Wisselbank 世界最強の投資銀行)を、次いで1694年に英国銀行を設立。
この2つは以後誕生する中央銀行のモデルとなった。

上記の政策転換もあり、ベネチアの金融力と、フリードリッヒ・シラー
(Friedrich Schiller)の中篇”Der Geisferseher(The Ghost-seer)や
米情報工作員ジェイムス・フェニモア・クーパー(James Fenimore Cooper)の
”The Bravo”で描かれている諜報システムは、比類なきパワーとして18世紀
まで存続した。英東インド会社の銀行ベアリングス・バンク(Barings)は、
英国銀行とともに、英国のベネチア資本と”ベネチアン・パーティ”の
いわば原動力だったのである。

ナポレオン・ボナパルトは、ベネチアとジェノバ(Genova)のファミリーから
一部支援と資金援助を受けていた。「我が家は彼の肝心な部分(buona parte)
を握っているのよ」。当時ジェノバのプリンセス・パッラヴィチーニは、この
ような語呂合わせをしたそうだ。ナポレオンのコルシカファミリーは、何世紀
にも渡ってジェノバ、ベネチアに仕えた。また上記のように彼のお気に入りの
妹は、ボルゲーゼに嫁いでいる。ナポレオンの狂騒が終わりを告げると、
ロシア政府の大臣として振舞っていたベネチア貴族ジョヴァンニ・
カポディストリア公爵(Giovanni Capodistria)が、およそ単独で1814-15年
ウィーン会議の草稿を書き上げ、これを元に超反動神聖同盟(Holy alliance)
が結成される。カポディストリアはまた、近代国家に仕立て上げたスイスの
一部をベネチア貴族の資産庫とし、この資金から18世紀終盤にリウニオーネ・
アドリアーティカ・シクルタ(RAS)やベネチア・トリエステ保険などの
保険会社が誕生した。

20世紀。一時の勢いは失ったものの、ベネチアの”いにしえの者たち”は、
依然金融・諜報の要を代理人を使って動かしており、またイギリス(その後は
英米)の一部として、彼らの祖先が創造した世界を支配していた。1582年の
分裂/再編を経た後、前ハプスブルグ統治の南欧州カトリック、特にイタリア・
スペイン・ローマ教会に権力の座を維持しながら、概ねフリーメーソンで
あった北欧州のプロテスタントに彼らの制度、統治方法を持ち込んで増殖
し始める。エドワード7世積年の計画だった第一次世界大戦勃発の前哨となる
バルカン戦争に暗躍し、20世紀初頭に古のベネチア総督に遡る家系の出で
あるピエロ・フォスカリ公爵(Piero Foscari )率いるベネチアの投資家
グループが多数の企業や銀行を設立する。その筆頭はイタリア商業銀行
(BCI)の、特にベネチア支店である。

ベネチア・グループの実質的主導者がフォスカリであったことは間違いないが、
進んで表に出たのは、ムッソリーニのリビア占領の後にミズラータの爵位を
名乗り始めたジュゼッペ・ヴォルピ(Giuseppe Volpi)・ディ・ミズラータで
ある。英国銀行、メロン、ハウス・オブ・モルガン等国際金融シンジケートの
顔として振舞いながら、後年シャハトがヒトラーをドイツ権力の座に押し上げた
のとまさに同じ方法で、ムッソリーニを権力の座に登らせた。25-28年7月まで、
ムッソリーニの財務大臣であったヴォルピは、次いでファシスト大評議会の
メンバーに、そして34年には産業協会のチェアマンとなり、シナルキーの創始者
アレクサンドル・サン-イヴ・ダルヴェイドレ(Alexandre Saint-Yves
d'Alveydre 1842-1909)の原案をモデルに、近代シナルキーを生んだマルティ
ニスト(Martinist)メーソンリーの啓発を受け、ムッソリーニの強調組合主義
経済政策の下図を描く。企業・国・労組で結ばれる三者間契約とは名ばかりで、
企業、すなわち個人投資家が実効支配するものだ。

29年、ヴォルピはイタリア-バチカン協定、なによりイタリアがバチカンを
主権国家と認め、19世紀後半の占領に対する賠償金を支払うことに重点を
置いて画策する。1,550億リラという当時としては莫大な賠償金の管理者と
して選ばれたのが、ベルナルディーノ・ノガラ(Bernardino Nogara )という
おそらく”非青系(out of blue)”の人物であった。高名な米国外交官ジョージ・
ケナン(George Kennan )は著作”Memoirs: 1925-1950”で、ノガラの法外とも
いえる指揮権をこう表現している。「教皇庁は、ラテラノ条約で得た9210万ドル
の富を、”ミステリー・マン”と呼ばれるイタリアの銀行家ベルナルディーノ・
ノガラひとりに任せていた。・・・バチカン高官たち、いや教皇自身でさえも、
ノガラの決定を拒否できなかった。ノガラ自身も頑なに教会の宗教的、教義的
指針を自分のやり方に採用しなかった。不可侵と考えられている教皇達すら
持ち得なかった包括的権威を、非カトリック(ユダヤ人)のいち俗人に託すなど、
近代カトリック教会史上存在しなかった例外的ケースである」。ノガラが教会に
与えたインパクトは、58年の彼の死に際してSMOMアメリカの長スペルマン大司教
が送った碑文にも現れているだろう。「ベルナルディーノ・ノガラは、
カトリック教会に生じたイエス・キリストに告ぐ偉大な出来事だった」。

彼がユダヤ人であろうとなかろうと、”ミステリー・マン”は正体不明の人物
ではない。遡ること1901年に設立されたオスマントルコの合資会社を動かす
フォスカリ、ヴォルピらの経営取締役を務め、この繋がりからオスマントルコに
対するIMF(目的は搾取と分割である)ともいえるオスマン負債協議会
(Ottoman Debt Council)イタリア代表に就任。英国の援助を受けたサロニカ
(Salonika)フリーメーソンロッジの”若いトルコ人たち”を組織して
スルタンを追放する。フリーメーソンのヴォルピはこのクーデターに深く関わる。
ノガラの関与は疑いのないところだ。BCIイスタンブール支社長ノガラは、
オスマン帝国の消滅までヴォルピのチーフエージェントでもあった。
ヴォルピとその仲間たちは、第一次世界大戦中にフリーメーソンロッジと
バルカンにおけるベネチアの財政的、家系的繋がりを使い、オスマン帝国崩壊に
寄与したのである。

バチカン協定で得た資産運用を行う特別財産管理部(のちの教皇庁資産管理部)の
代理人に選ばれたノガラは、BCIの副会長に就任。(戦後にここからP2ロッジが
創設された)そしてシナルキーの上層部であるパリ・ロンドンのロスチャイルド、
クレディスイス、ロンドン・ハンブロス銀行、NYバンカーズ・トラスト、
戦中戦後シナルキーの拠点であったパリのバンキュ・ド・パリ・エ・ペイバス
(Paribas)らと緊密な財政関係を築く。またバチカンにたむろすカトリック、
非カトリックで構成される”信頼おける男達(Men ofConfidence)”を投じて
膨大なバチカンの新しい資産を管理させ、数ダースの大手銀行、公益企業、
保険会社を買収する。

この”信頼おける男達”の中でも最重要人物は、44年にマルタ騎士に叙勲
されたプリンス・マッシモ・スパーダ(Massimo Spada 称号はバチカンのもの)
であり、ノガラが買収した持ち株会社のトップに就任、もしくはボード
メンバーに名を連ねた。60年代後半の主だったものだけでも、ローマ銀行
(ローマ黒貴族と関係のあるイタリア最大の銀行)副頭取、兼スイス支部
ボードメンバー、イタリア最大のガス会社ソシエタ・イタリアーナ・ペル
イル・ガス(374億1200万リラ)ボードメンバー、トリエステを本拠地とする
保険会社リウニオーネ・アドリアーティカ・ディ・シクリタ(4,320億リラ)
会長、イタリア保険副会長兼取締役、ウニオーネ・サバルピーナ・
ラヴォーロ・エ・シクリタ保険(7億5千万リラ)副会長、ロイアル・ダッチ・
シェルのイタリア支部シェル・イタリアーナ(129億リラ)副会長、
イタリア銀行協会(10億リラ)副会長、クレモナ商業銀行(2億リラ)副会長、
バンカ・プリヴァータ・フィナンツィアーリア ボードメンバー、ソチエタ・
メリディオナーレ・フィナンツィアーリア(122億リラ)と中央投資協会
(150億リラ)ボードメンバー、商工業銀行副頭取、ヴェネト・カトリック銀行
頭取、ファシスト時代に作られたIRIの一部で国内の巨大なカルテル 
イタリア汽船/アリタリア航空/アルファロメオ社/電話会社を実行支配する
国営持ち株企業FINSIDER(195億リラ)ボード/執行メンバー があり、他にも
数多くの銀行、保険会社、工業会社の役員を務めていた。
当時イタリア製鉄鋼の90%を生産していたFINSIDER社は、IRIの屋台骨である。
63年、スパーダは兄のフィリッポ(Filippo)バチカンの最高称号
Privy Chamberlain of Sword and Capeを叙勲された。

これほど巨大な権力とバチカンにおける主導的立場を得たにも関わらず、
スパーダはバチカンの”信頼おける男たち”のひとり、ミケーレ・シンドーナの
昇進を支援する。一風変わったこの選択肢は、シンドーナが戦時のファシストで
あっただけではない。彼が(米OSS繋がりのギャング ヴィート・ジェノヴェーゼ
Vito Genoveseを通じて)インゼリッロ(Inzerillo)やガンビーノ(Gambino)と
いった犯罪組織と築いたヘロイン・マネーロンダリングコネクションゆえである。

上で描いた構図を再び見てみよう。ジュゼッペ・ヴォルピ・ディ・ミズラータ
公爵と彼のベネチア貴族仲間たち、ベルナルディーノ・ノガラらが築いた
複雑な金融網は、60年代にミケーレ・シンドーナ(グラディオの遺児’黒い
プリンス’ボルゲーゼを支援した)を迎えて成長する。グリーン/マッシニャーノ
によると、シンドーナは70-74年のクーデター計画の「おそらく最も重要な
支援チャネルであった」。シンドーナはその後、P2の資金援助も行っていた
ロベルト・カルヴィが頭取を務めるアンボロジアーノ銀行を支援する。
カルヴィは82年にロンドンのブラクフライアー橋に首を吊った状態で発見
されたが、メーソンによる典型的な処刑儀式である。そしてP2の金銭
スキャンダルが発覚すると、中心人物として逮捕されたのはヴォルピの友人
ノガラの後見人マッシモ・スパーダだった。

名ばかりのカトリック、ゆえに名ばかりの反メーソンであるSMOMは、
おそらくフリーメーソン’非聖職者’集団P2と重なりあう部分があるだろう。
そして彼らはベネチア・オリガルキーたちの’双子’組織なのである。

民間による国際金融システムは、いまや崩壊の危機に瀕している。そして
捨て鉢の金融オリガルキーたちは、911テロや04年3月11日のマドリッド
駅舎爆破などの新しいテロの波をテコにしながら、世界的規模でファシズム
強化を試みている。この文脈から、新しいファシズムに対抗する勢力に
よって超組織グラディオが暴露されつつある。これも欠く事できぬ要素で
あるが、我々は”いにしえの者たち”のベールをはぎとり、それを通じて
シナルキーを生んだ者たちと現存する重要構成員に迫ってゆかねばならない。

・・・完

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