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現代改憲動向と私たちの未来/愛敬浩二/月刊保団連 2005 6月号
http://www.asyura2.com/0502/senkyo9/msg/983.html
投稿者 NJ 日時 2005 年 6 月 13 日 03:51:27: QZEFwNzGXHdaQ

(回答先: いま改憲論とどう向き合うか (渡辺治) 投稿者 外野 日時 2005 年 6 月 11 日 05:33:42)

現代改憲動向と私たちの未来
名古屋大学教授
愛敬浩二

月刊保団連 2005 6月号

(前略)
貧弱な社会保障と25条改憲

他方、新自由主義的な改革のために明文改憲が必要なのはなぜか。生存権を保障する憲法25条は最高裁によって、政府に政策上の責務を課すに止まる「プログラム規定」と理解されている(朝日訴訟)。よって、社会保障のレベルを低下させて日本で「小さな政府」を実現する上で、必ずしも明文改憲という手法が必要不可欠のもとのはいえない。
実際、日本の社会保障のレベルは低い。社会保障給付費と国民所得費の国際比較をみると、日本の社会保障のレベルはスウエーデンの3分の1、英独仏の2分の1で、国民共通の社会保障さえないアメリカとほぼ同じという状況にある。また、国民所得に対する税金・社会保障の比率(国民負担率)も、高負担で有名なスウエーデン(70.2%)は別格としても、フランス(65.3%)、ドイツ(55.9%)、イギリス(48.3%)といったヨーロッパ諸国と比べて、日本は37.0%とかなり低い(唐鎌直義「直視すべき12の指標B社会保障」世界2004年8月号)。
それにもかかわらず、改憲派は憲法25条を改定して、日本の社会保障をさらに貧困なものにしようと目論んでいる。たとえば、2004年読売改憲試案は現行25条に新たに3項を創設し、「国民は、自己の努力と相互の協力により、社会福祉及び社会保障の向上及び増進を図るものとする」と定めた。この規定は、社会保障を国民各人の責任とすることで、国の責任を軽減しようと目論むものである。読売試案よりも露骨なのが、自民党の「大綱」だ。日本国憲法は第三章「国民の権利及び義務」の中に、信教の自由や表現の自由のように、「国家からのじゆう」としての性格を持つ古典人権と一緒に、「国家による自由」という性格を持つ社会権(生存権・教育を受ける権利・労働基本権)を保障している。このような条文構造を持っているからこそ、日本国憲法の下では、「人権としての社会保障」というスローガンも成立するわけだ。
ところが、「大綱」は現行第3章を「第一節 総論的事項」、「第二節 基本的な権利・自由」、「第3節 国民の責務」、「第4節 社会目的(プログラム規定)としての権利及び責務」の4節に細分化する。信教の自由や表現の自由は第2節に、社会権は第4節に配分されるが、「納税その他の社会的費用の負担の責務」を含む第3節を、第2節と第4節の間に挿入したのがミソである。まず、古典的自由とは別の節に社会権を放り込むことで、社会権から基本的人権としての性格を剥奪する。さらに、「国防の責務」と並ぶ国民の義務として「社会保障その他の社会的費用を負担する責務」を規定した第2節の後に、明文で「プログラム規定」と宣言された社会権を置くことで、社会保障に対する政府の責任を大幅に軽減しようという魂胆なのだろう。
NJ注;プログラム規定説 国の努力目標を定めたのであり、国民が国に対して権利の保障を求められることを示したのではないとする説。現在、この説をとる学説はほとんどなく、抽象的権利説が多数を形成している。抽象的権利説では、具体的な法律で補充されることで権利性を有すると考える。ただし、ここでは、憲法の明示上の権利である生存権の内容が法律によって確定され、法律の内容を憲法が拘束しえないという致命的な欠陥がなおざりにされたままである。

しかし、前述したとおり日本の貧困な社会福祉の現状を思えば、なぜその状況を変えるために明文改憲が必要なのか、疑問に思う人もいるだろう。それは、戦後日本社会の特徴と関っている。戦後日本は、「機軸」部分では、財政・行政を経済成長のための社会資本投資と企業競争力喚起のための施策に振り向ける一方、その国家主動の経済成長によって増大する税収を、公共事業という形で農村や都市自営層に還元することで「周辺」部分の統合を実現した。渡辺治氏はこのような国家のあり方を「開発主義国家」と呼ぶ(渡辺治「高度成長と企業社会」同編『日本の時代史27 高度成長と企業社会』吉川弘文堂、2004年)。ところで、国内で生産される工業製品の多くが国内で消費されるのであれば、企業の立場から見ても、社会保障には「経済効率」があるといえる。しかし、海外輸出の割合が高くなればなるほど(企業の多国籍化が進めば進むほど)、社会保障の「経済効率」は低くなる。そこで、企業はグローバルな競争に勝つために、企業の社会負担の軽減を強く求めることになる(後藤道夫『反「構造改革」』青木書店、2002年)。
また、税制の問題に目を転じれば、所得配分政策の緩和も、改憲とは関わり無くどんどん進められている。所得税の累進構造は20年前には最高税率70%で15段階あったが、1999年改定で最高税率37%の4段階となり、高額所得者の税負担率は大幅に軽減された。最近、日本社会における「中流の崩壊」や「階層の二極分裂」などがいわれるが、政府が意図的にそのような社会に日本を変えようとしている面があることを見落としてはならない。
ともあれ、税制改革と同様に、社会保障の問題も、企業優先か、国民各人の生活の「安心・安全」を優先するのかという、日本社会の根本的あり方が問われる問題である。しかし、この根本的な問いを回避して、企業優先の方向へと議論を誘導する便法がある。それは、国民の多くがもはや時代遅れと評価している「開発主義国家」と日本国憲法が前提とする国家・社会のあり方をイコールで結び、憲法の平等主義的性格が官主導の「開発主義国家」を形成したと論じて、「開発主義国家」批判をいきなり「新自由主義的な競争社会」の擁護へと結びつける論法である。たとえば、日本経済新聞政治部長の芹川洋一は、「21世紀が競争原理を働かせた自己決定・自己責任型の自由な社会が望ましいと考えるなら、足かせになっている福祉国家目標の根拠となっている25条のとらえ直しも迫られることになる」とか、「福祉国家のためだからと言って、官が民を帰省できるものではないことを明確にする仕組みを、憲法の中に組み込むことさえ考えていいのかもしれない」と述べるが、この論法などがその典型である(芹川洋一『憲法改革』日本経済新聞社、2000年)。
(後段は後ほと転載します)

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