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理論の前に…
http://www.asyura2.com/0601/dispute24/msg/153.html
投稿者 秋元健一 日時 2006 年 8 月 09 日 04:27:27: EjfswsyCJQQaY
 

(回答先: 新しい理論造りをいたしませんか。本当の歴史が解るように。 投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 8 月 08 日 10:46:12)

縄文ビトさん、レスありがとうございます

「新しい理論造り」をご提起いただきましたが、たぶん僕には無理です
歴史の専門家でもなく、またその分野にあまり深く首を突っ込むつもりもありません、ごめんなさい

ところで縄文ビトさんの書き込みを読むと、僕にはいろいろ疑問が生じて来ます
最初にご紹介いただいたウィキペディアの「搾取」の項目ですが、その中の「資本制以前の搾取」で次のように記述されています

> マルクスが言うところの原始共産制社会とは、考古学上では中石器時代社会の、後半社会に該当する部分である。現在の考古学ではその時代を生産力が低いとは決して見ていない、狩猟採集経済であったが家族関係の延長線上にある親族社会であり、この関係が親族を他者とは考えない観念となっていることによってこの社会では搾取は行われない。つまり現在社会でいえば家族の中で搾取が行われないのと同じである。

★ところが続く文章の中では次のように記述しています

> 搾取が発生し始めた社会、人間が栽培植物を発見し、本格的な植物栽培に乗り出したとき、つまり農耕の発生が始まった社会であり、そこから多くの余剰生産物が発生し、本来共同体全体の労働による余剰生産物であるにもかかわらず、一部の者がそれを私有として消費した時点が、他者の労働の一部を私有化したということになる、そのことが搾取の始まりと言える。

★搾取のない「親族社会」の中で始まった農耕で、誰が誰の労働を私有化したのでしょうか?
上の文章を読む限りでは家族的な親族社会の内部で搾取が発生していることになりますが、何か矛盾していませんか?
一方では「現在社会でいえば家族の中で搾取が行われないのと同じである」と書きながら、農耕による余剰生産物が発生するようになると家族同士、いわば身内の中で搾取し合うようになると書いているのと同じだと思えるのですが…

それからレスいただいた文章の中で次の一文が不可解です

> 無階級・無階層の社会に、階級・階層社会を持ち込んだのがいわば渡来人です。
★当時の縄文社会に渡来人が階級・階層社会をを持ち込んだということはどのように証明されているのでしょうか?
これは僕が http://asyura2.com/0601/dispute24/msg/114.html で縄文ビトさんに質問したことの繰り返しですね
縄文ビトさんは http://asyura2.com/0601/dispute24/msg/141.html でも「渡来人は階級・階層社会で生きていた人達です」と断定なさっていますが、これも何を根拠としておっしゃっているのか僕にはわかりません

考古学的な論証がなされていないままに日本での階級社会の発生について論じてしまうのは、僕には即断に過ぎると感じます

> http://www.bund.org/opinion/20040915-2.htm 日本人は縄文毛糸弥生系
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E6%9D%A5%E4%BA%BA ウィキペテイア「渡来人」参照  
> http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/152.html 渡来人のルーツ
★荒氏の講演内容はひとまずおいときます
ウィキペディアの「渡来人」の記述に「古く縄文時代の終わり、約2500年前頃よりアジア大陸から、春秋時代やその後の戦国時代にかけての混乱と戦災を避けて日本に渡ってきたと思われる人々のこともさす。考古学的調査により、彼らが最初に水稲を持ち込んだ(陸稲は約3500年前から存在。約6000年前からという説も)と考えられている」とありますが、これはたしかでしょうか?特に「考古学的調査により…」という部分が気になります。こんなこと書くと失礼ですが、何となく縄文ビトさん流の前提に立って記載したかのような印象を受けます
この点、僕も少し調べてみようかと思います
疑り深くてすみません(汗
九州大学総合研究博物館のページでは、 http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/166.html という項目もあります
そこにはこんな記述が…
「少ない縄文人の中に相応に『少ない渡来人』が加わることで、形質も変化し、文化も渡来文化一色になることはなかったと考えられるのである」
ここでは形質人類学や考古学的な調査・研究で倭人の形成が論じられていますが、渡来人による縄文人征服の有無には立ち入っていません

> ★すでに書いたように吉野ヶ里遺跡の防御的な性格は、対縄文人を想定できません
> 「倭人」同士の問題です
>
> これも紀元300年という時代の復元と説明しております
★そうです
吉野ヶ里遺跡で縄文と弥生の過渡期の逆茂木が発見されているのでしょうか?
僕は http://asyura2.com/0601/dispute24/msg/109.html で縄文ビトさんが書かれた「本来は外部の敵侵入に備えてのサカモギの先端が内部を向いている」を意識して書いたつもりなのですが…

小山修三氏のご説は単に仮説としての提起ではないのでしょうか?
三内丸山遺跡での高床式倉庫の復元がどのような理由で行われたのか知りませんが、農作物などの剰余生産物収納保存を想定しているのでしょうか?

> ここにはある見方は偏った見方であり、これらの人が学会の上部を占めている限り正当な評価ができないと考えています。つまり階級・階層社会が古代からあったという前提に立っている論議だからです。私から言わせれば一部の人間が外部との接触(交易を通じ)からそれまでの親族社会を宗教により徐々に壊し階級・階層社会を形成していったと考えます。つまり伝播です。
★失礼ですが、縄文期に階級・階層社会を想定することが「偏った見方」であることと、縄文ビトさんの「渡来人は階級・階層社会で生きていた人達です」「渡来人としての弥生人が縄文人を征服した」と断定することは、僕にはどちらも五十歩百歩のような気がしてなりません
貨幣論を進める上での仮定としても、考古学的な手法によって立証できない以上、仮定はあくまで仮定でしかないように思えるのですが…

> 次は階級・階層社会がなぜ発生し、現在どのようになっているのかを論じましょうか。
★申し訳ありません
今回の議論で僕はたまたまむかしかじった分野に関わる疑問が生じたことでコメントさせていただいただけで、貨幣論や経済学分野についての論議に加わる意志はないのです
単に疑問が解決できればそれでよし、です

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