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わが国の核政策史 その2
http://www.asyura2.com/0610/senkyo27/msg/1054.html
投稿者 きすぐれ真一 日時 2006 年 11 月 01 日 00:07:18: HyQF24IvCTDS6
 

(回答先: わが国の核政策史 その1 投稿者 きすぐれ真一 日時 2006 年 10 月 31 日 22:35:21)

http://sun.ap.teacup.com/souun/51.html

2006/3/4
「わが国の核政策史 その2」  原子力・核問題

核武装研究

 佐藤栄作が日本の核武装をカードに沖縄返還交渉を行っていた時期に、日本政府中枢にはただならぬ気配が漂っていた。外務省、防衛庁、海上自衛隊幹部などが、それぞれ別個に日本の核武装の可能性についての研究を行なっていたことが次々と判明した。この一連の研究が行なわれたのは、佐藤栄作が非核三原則を国是とすることを公式に表明した時期と相前後する。
当時(1969年から71年まで)海上自衛隊幕僚長を勤めた内田一臣は、「日本の防衛のために核兵器がぜひ必要だと思って、それなりの研究も(個人的に)していた」(毎日新聞1994年8月2日)と語っている。内田は、日本防衛の最大の脅威は極東ソ連海軍であり、特に原子力潜水艦の存在は、当時の海自の対潜能力では対処のしようがなかった、という。そこで強力な威力を持つ核兵器があれば相手の大まかな位置を知ることが出来るだけで、打撃を与えることが出来るとして、戦術核の先制使用が効果的と考えた。内田は「研究は個人的なもの。軍事の専門家として当然のこと」と語るが、この時期に「核搭載可能な原潜の必要性が政官で議論されたり、米軍から原潜供与の情報が持ちあがるなど、個人的意思を超えた動きがあった」と毎日新聞は指摘している。
 また、外務省も69年に「わが国の外交政策大綱」なる極秘文書を作成していたことが明らかにされた(毎日新聞94年8月1日)。それによれば、「当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持するとともに、これに対する掣肘(せいちゅう)を受けないよう配慮する」「核兵器の一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発する」などと書かれている。作成したのは68年頃内密にスタートした「外交政策企画委員会」、外務審議官が委員長になり、各局の次長・審議官が69年5月から9月にかけて会議を開きまとめたという。
 自衛隊や外務省がそれぞれ核武装の研究に着手する前に、防衛庁に属する「安全保障調査会」は「日本の安全保障(1970年への展望)」(朝雲新聞社刊)と題する冊子を67・68年の二ヵ年にわたって公表し、具体的に日本の核武装の可能性を論じている。67年版は政策的議論を、68年版は技術的議論を中心に編集されている。
 この一連の動きを見れば、佐藤内閣時代に、外務省と防衛庁が連携して日本の核武装の可能性について研究していたことは明かだ。佐藤は徒手空拳で、ジョンソン相手に“はったり”で核カードをちらつかせたのではなく、また米国政府はそれを知って、本気になってこの核武装論者を押さえにかかったことが、この一連の資料によって明らかになった。


防衛庁の核武装研究報告

 ここでは私達(核開発に反対する物理学者の会・代表槌田敦)が入手した防衛庁安全調査会による二つの報告、1967年版と68年版によって、当時の政府が考えていたことを整理する。

(1)われわれは核武装に賛成ではない
 わが国の核兵器生産潜在能力を検討する文書の冒頭に、この研究の位置付けの項がある。「憲法の規定をはじめ、現在の政治、社会情勢は、とても核武装を認める状態ではない。もっとも、経済的あるいは技術的な面だけからみた場合、日本の核武装は必ずしも不可能ではない。」「法律上、政治上の制約をいっさい無視して、まったく白紙の立場からその能力を検討してみた。誤解のないように断っておくが、われわれの立場は、核武装に賛成ではない」(「日本の安全保障」1968年版(以後68年版)p293)とある。

(2)対象は中国だ
 67年版には、日米安保によってアメリカはわが国を防衛する義務を負担しており、いかなる攻撃に対しても、ということは核攻撃に対してもと言う意味であることは明白だ、としながらも「仮にアメリカの約束が信頼できないとして、わが国が独自の核兵器を開発するとしたら、その軍事的意味は、どのようなものとなるであろう。この場合の核兵器は、結局ソ連とか中共とかに対しての武器として考えられるから、当然攻撃的な核兵器でなければならない。防衛的な核兵器をいくら積み重ねても、それは相手方に何の脅威をも与えないから、相手の行動を制約することにはならず、抑止力として働かない。
 相手を制約する場合の目的は、その攻撃企図を封止することであるから、敵を圧倒するだけの力のものでなければならない。ところがソ連を対象として考えると、これは全然問題とならない開きがある。(略)結局、核兵器開発の意味としては、中共との関係が残るだけである。」と述べ、さらに、中国の核武装(実験・1964年10月)に伴い、日本とインドが核武装することは当然の成り行きであるとしている。
 さらに「たんげいすべからざる隣人の、不測の行動に備えるためには、その隣人の持つ打撃力と同等以上のものを持たなければ、安心できないのは、人間の性質として自然の結論である」とも述べている。

(3)プルトニウム原爆が妥当である
 広島型のウラン原爆、長崎型のプルトニウム原爆、それに核融合反応を利用する水素爆弾のそれぞれの利害得失を検討し、プルトニウム原爆が妥当であるとしている。
 広島型ウラン原爆について、「原爆一発分のウラン235所要量を約10キログラムと仮定すると、これを製造するのに必要な天然ウラン量は3〜5トンと考えられる。日本のウランの埋蔵量は(中略)約3000トンといわれている。したがって日本中のウランを残らず掘り起こして使用したとしても、入手できる原爆数は約1000発かそれ以下である」。「年間に天然ウラン500トンを処理する濃縮工場が建設されたと仮定してみる。そしてこれは98パーセント濃縮ウランを生産する工場であるとする。(中略)外国の例を用いて工場建設費を推定すると(中略)原爆一発分の原価は一億円程度になる。」と述べ、ウラン原爆(広島型)製造に消極的態度を表明している。
 しかし、プルトニウム原爆について、「ウラン238に中性子を吸収させてプルトニウムを作るには特別の施設は必要としない。平和利用目的に使用されている通常原子炉の運転方を変更するだけで容易に達成出来る(68年版306頁)」とし、民間の発電用原子炉の使用済み燃料からプルトニウムを抽出する方法が最も優れているとしている。

(4)求むるは軽水炉級プルトニウムではない
 「通常の中性子作用時間で、軽水炉で生産されるプルトニウムの組成(Pu239、65%)では、原爆用としてはとても使えない」(同312頁)とまず断言した上で、黒鉛炉について次のように述べている。
 「軍用プルトニウムの専用生産原子炉を現在持つ国は、米、英、仏、ソの四カ国である。これらの生産炉はほとんど例外なく黒鉛減速型炉と呼ばれる物であり、特に原子力発電用として英国等で多数用いられているコールダーホール型原子炉は、まったくこのプルトニウム生産炉の一変形にしか過ぎない」(68年版308頁)。軍事用プルトニウムの組成は98%以上が必要であるが、東海原発は黒鉛減速型炉であって、これを軍事炉として使うことは可能であるとし、次のような試算を行なっている。
 東海炉を軍事用プルトニウム炉に転換した場合、必要な濃度のプルトニウムを得るためには、「中性子の作用時間を5分の一程度に短縮する必要があるから、年間取替え量は約5倍の約300トンが必要となるだろう。この場合、軍用として使用できるプルトニウムの生産量は、取り替え燃料一トン当り約0.8キログラム程度であり、年間プルトニウム生産量は約240キログラムとなろう。これは、少なくとも原爆材料として、年間20発分ぐらいに相当することになる。ただし、この場合は原子力発電は全く不能か、または通常経済べ一スでは行ない得ないことになる」(同314頁)と極めて具体的に検討が加えられている。
 また、目的変換を行なわずに、つまり発電を通常通り行なって秘密裏に軍用プルトニウムを取り出す場合についても検討されていて、その場合には「年間取替え量は60トンであり、プルトニウム生産量は年間約180キログラムであるが、その大部分のプルトニウムはプルトニウム240、241、242を多量に含んでおり、原爆に使用できる部分はごく少ない」、「原子炉の周辺部分では中性子の量が少ないので、中性子の照射時間が長くても、結果的にこの部分から出てくるプルトニウムは、プルトニウム239が主成分となる。(略)この部分からのプルトニウム生産量は、約年6〜10キログラムになり、これは原爆約一発分に相当しており、東海炉を運転すればこれを生産するのは困難ではない」。

(5)再処理は動燃東海で
 さらにこの黒鉛炉から取り出した使用済み燃料からプルトニウムを抽出する再処理に付いては、「わが国では旧原子燃料公社(後の動燃)が、多年にわたり英・仏の技術をもって設計してきた再処理工場が近く建設を開始出来るところまできている。昭和40年(1975年)までにはこれが稼動していると考えて良い。この再処理工場の技術的問題はほとんど解決できているといってよく、まったく時間の問題である」としている。
 その後米国はこの東海村の再処理工場の建設に介入し、軍用プルトニウムを分離回収することが困難になるよう設計変更を求めた。日米再処理交渉は曲折を経て1977年9月に妥結し、11月に試験的なプルトニウムの抽出に成功した。

(6)弾道ミサイルの開発を急げ
 報告書はさらに、核爆発の核反応の問題核兵器を搭載するミサイルの開発の見とおしなどについて検討を加え、東京大学生産技術研究所の開発したロケットについて次のように評価している。「65年5月には、直径1.4メートル、全長12メートルの大型ブースター、ミューM10の地上燃焼実験に成功し、翌年10月末に2段目はダミーだが、ともかく重量43.3トンのミュー1型の飛行実験に成功した」(同320頁)として、更に、構造体の高抗張力鋼の技術開発の現状、固体燃料の性能、ロケットの推力、誘導システム、などを具体的にフランスのロケットとの比較を行ないその差は僅少であるとして、将来有望であることを強調している。

(7)ミサイル潜水艦の開発
 「わが国ではICBM、またはそれに準ずる弾道兵器の開発が将来行なわれるとした場合、当然現在の核時代の構想から見て、その非脆弱性が問題となろう。日本のような国土狭隘な国で、しかも人口密度の高いところでは、地下サイロ基地のような、いわゆる硬基地化は、故障に対して有効ではない。また、日本の国土は大規模な地下機構の存在にとって、多くの地質的ハンディキャップがある。(中略)結局、わが国がICBM級弾道兵器を開発し、保有することがあるとしたならば、その発射台は潜水艦の可能性が強いものと考えられる」(同330頁)。

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