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Re: それでも、ご健闘を祈っております。
http://www.asyura2.com/07/jisin15/msg/357.html
投稿者 日 日時 2009 年 1 月 10 日 21:21:01: IR1H95zbmUf8k
 

(回答先: それでも、ご健闘を祈っております。 投稿者 彼岸楼 日時 2009 年 1 月 10 日 13:17:31)

> 昨年の三月にHNを“如往”から“彼岸楼”に変更したのですが、それは【In the Year 2525 [日さんへ]投稿者 彼岸楼 日時 2008 年 12 月 22 日 】にも記しましたように松浦氏の言説に少なからず影響を受けています。それ故に“In the Year 2525”は夢想にはあらず、そこに描出された未来は松浦氏の考察から導かれるのと同じように人類の運命を表象するものと私の心に映じたのです。

In the Year 2525は現象の外に立って見た未来ではないでしょう。多分に感傷的で漠然とした個人の想像の限界の中に描き出されたものであり、それは取りも直さず現状認識から想像した未来であり、つまりは現象の内からの考察に過ぎません。
その悲観的未来がいったい何の力に成り得て、より切実で現実的な話にどう繋がるのか、それが分らないのです。
【今回はかなり具体的な話をしていますし】と言われても、何処が具体的で、それと松浦さんとどんな繋がりがあるのか。

> “彼岸楼”とは彼岸にある楼台から此岸より来たる船団の航行を望もうとするスタンスであり、言い換えれば時を超えんとして現象の外に立とうとすることを意味します。断じて辺際(畦)に多く咲くような曼珠沙華(彼岸桜)のことではありません。

それは錯覚に過ぎません。彼岸も此岸も立ち位置的には現象内。真に現象の外に立つなら、自他を区別する名付けに意味を持たせない、或いは表明しない(不立文字)事の方が重要なのです。

参照(抜粋)

柱四方を飾る美徳
http://www.asyura2.com/07/idletalk22/msg/803.html
投稿者 金十字架 日時 2007 年 3 月 06 日 06:01:35: mfAWtS4GF8MpY

(回答先: Re: 不立文字 投稿者 日 日時 2007 年 3 月 06 日 02:34:20)

はいずれ伝える事にして…

その前に一つ用意していた問いがあります

…ですが
もはやその必要もなくなりました


日の上に十(字)を足せば
ある一つのシンボルを象る

私とあなたもまたその様なハチアワセと呼べるものとなれば良いと考えます

元より本名なるもの
当人に何の同意書も手渡される事なく
名付けられ

名という名
元より無く
金十字も同様
由来は仄かあるが
やはり
由来たる由来もなし
明確な意図なく生まれたサインを選ぶのは
反面には自我を出さないというappealにある
何も染まらず
自我を消す決意の現れ

要は夢に従順である為に
己に課した謎かけでしかない
つまり根本には
由来は己にも解らないままである


> 確かに日さんにとっては連帯(=協働)することの意味はあるのでしょう。しかしながら、他者(=私)にとって日さんと連帯することの意味を見出し得るかどうか、それはまた別の問題ではないでしょうか。日さんが忘失しているのはそうした視点ではないかと思っています。

これも大いなる錯覚でしょう。連帯出来るかどうかはお互いが了承し合わねばならず、非公開で合う合わないの問題とは違います。
実体無き交流ではそれも決められないと言っているのです。そしてそれはお互い様なのです。
日にしてみても結果的に連帯する意味を見出せぬ相手との徒労はかなり費やして来ているのですよ。
それでも、何処に逸材が居るのか、分らないから探しているのです。無論、カリスマ性で人を集める手法もあるでしょうが、趣味ではありませんし、そんな魅力も持ち合わせてはおりません。

そして人は皆否応無しに真剣勝負で生かされている存在です。遊びのドライブでも車の運転を誤れば誰でも重大な損傷を負う現実に直面せざるを得ないのは、そうした事の証です。人との出会いも一期一会です。ほんの僅かなやり取りの中にしかチャンスは無く、それを見逃せば永遠に失われるモノが何であるか、それを見極める行動を起さねばならないのです。
そこに失望があるかどうかは事後に求めれば良いことです。

> 無論、完全に無視することはありませんが、“礼儀”について私は絶対視しているわけではありせん。何故なら、時として “礼儀”の基準は力関係等によって如何様にも変わってしまう曖昧なもので、不確定な要素を多く内包しているからであり、殊更にそのような事由に翻弄される事態は避けたく思っています。

礼の定義が違っているようです。【力関係では変らぬ】、誇りある、近似的には武士の、そうしたモノが本来の「礼」と思い、使っています。
また、礼がほぼ礼であるなら、その解釈の違いも交流後に互いに学び合い修正して行けるはずです。

> また、日さんが求められる“熱意”とは果して何なのか判然としては来ないのですが、仮に日さんの言葉を借りて敢えて“熱意”について解説を試みるならば、私にとってそれは企て(=計画)の中(うち)に内在する“論理性”に外ならず、第一義的には物事を構造化しようとする当事者性(=)を意味します。

当事者能力+問題意識がまだ足らないと言えばそれは甘受しますが、会う会わないという入口でこう停滞しているようでは、これ以上お誘いは致しません。日の力及ばずです。

> インフォーマルな組織の創設者が中核となるメンバーを構成する場合には、減点法でも加点法でもない認証の方法が必要であり、すなわちそれは互いの世界認識(=思想性)との折り合い(=共認の形成)をつけることであり、それが組織構築の礎になるのではないでしょうか。
 勿論、外圧のことも勘案しつつ、マスター・プランや実行計画の策定は非公開でなされるべきであることには然程異論はありませんが、何も非公開の場だからと云って、例えば考察者k氏の非論理性を質したり、ワヤクチャ氏のマーケット・インに偏重した発想を転換させたりすることなど叶いますまい。

その通りですが、全力は尽くせます。そこますれば諦めもつきますし、バーチャルとは違う体験があり、それをして初めて得られる体験とも出会い、そこからどういう道が開けるかは予想もつきません。
そうした試行錯誤から、日は事業とも出会い、神との出会いもあったのです。
敷かれているレールからはみ出し続けた結果、そこには予想もつかない出会いがあることを学んで来ました。

>つまり、前項に関するものは公開であっても見定めることは可能であり、その段階で煮詰められ合意形成がなされたことに基づくポーテンシャルが事業の初期的な推進力を構成することにもなるのではないでしょうか。

帰納的結論の矛盾を感じます。見定める結論が「否定」であれば、それは可能と言っているだけです。
「肯定」であればそれは論じてもいないのですから、見定められぬ内容です。故に勿論否定も。

> 何度も申し上げていますが、日さんが開発した事業が何であるかは私にとっては第二義的な意味を持つに過ぎません。

ではこれまでとしましょう。日には何の魅力もありません。日の事業に魅力があるのです。そこに力強く細胞分裂する細胞見本を見出すほどの。それはそのシステムを知ってこそ理解出来る。それを知らずに自己の立ち位置から第二儀的とか仰るから、真に現象の外には立てないのです。

 


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