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第13回 反日デモの統制にも使われた逆説としてのインターネット (2005/04/26)
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投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 10:25:37: Dh66aZsq5vxts
 

(回答先: 第12回 歴史認識の“修復”なしに反日デモは終わらない (2005/04/25) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 10:09:35)

第13回 反日デモの統制にも使われた逆説としてのインターネット (2005/04/26)
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050426_internet/

2005年4月26日

4月24日の朝日新聞で、北京特派員の藤原秀人記者が、「水平線/地平線」というコラムに書いていた、「胡主席 デモはいつ知ったか」は、現代中国社会のあり方を考える上で、きわめて興味深い情報を伝えている。

日本のメディアが連日大々的に報道した反日デモについて、中国の新聞もテレビもニュースとしてはまるで伝えていなかったので、中国人から「反日デモというのは本当ですか?」とたびたび聞かれたのだという。上海の領事館で破壊行為が起きたあと、当局は、愛国的なデモであろうと、それが破壊行為に転ずるのは許せないとテレビではっきり警告したが、それを聞いても、中国人の大半は、そのような破壊行為があったということそれ自体を知らなかったので、藤原記者の方が逆に、「いったい何があったのですか?」と聞かれる始末だったという。

日本人はついつい、日本のメディアが日本国内で報道しているようなニュースは当然中国人も知った上で、あのような事態が進行しているのだと思ってしまっているが、大半の中国人は、事実自体を知らないのである。これは中国に限られた話ではない。北朝鮮の人はいま北朝鮮で何が起きているのかも、北朝鮮が世界でどう評価されているかも、基本的には知らないのである。日本で起きた拉致事件も、もちろん知らない。

 
一般メディアが報じないもう一つの現実

私は冷戦時代のソ連にも東欧諸国にも、中国にも行っているから、それらの国々のメディアが伝える情報が、どれほど真実と遠いものであるかを如実に知っている。

その社会に、自由で、信頼性の高いメディアがどれだけあるかが、その社会に自由と民主主義がどれだけあるかを測る最良のバロメータになる。全体主義社会は、必ず自由なメディアを抑圧するところから、全体主義化をはじめるのである。戦前戦中の日本社会がまさにそれだった。あの時代の日本人がメディアを通して受けとっていた情報のレベルは、今の北朝鮮の一般国民が受けとっている情報のレベルとそう違ったものではない。そして戦争がひどくなってくると、ウソだらけの大本営発表をみんな信じこまされていた。

 
next: では、いまの日本は…
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050426_internet/index1.html

 では、いまの日本は、メディアを通して十分な情報伝達があるのかというと、必ずしもそうとはいえない。

 最近つくづくそれを感じたのは、友人のジャーナリストから、麻布の中国大使館の取材に行って見聞きしたことを詳しく聞いたときである。

 たしかに、一般のメディアでも、中国大使館にいやがらせの電話があったとか、塀にペンキで落書きされたといった程度の話は豆ニュース的に報道がされてはいる。しかし、現場の様子はそんな生やさしいものではないのだそうだ。

 「それはもう唖然とするほどすごいです。右翼が次から次に大型の街頭宣伝車をつらねてやってきて、ボリュームをいっぱいに上げて、耳がこわれるほどの大音声で、中国攻撃を延々何時間もやってます。それも、『×××××は死ね!』だの、『×××××は日本から出て行け!』だの、差別語丸出しの聞くに堪えない攻撃をガンガンやりつづけるわけです。聞いてるほうがウンザリしていやになるほどやりつづけます。放っておけば、大使館の中に突入しかねないので、警官隊が二重三重に防護しています。中国の日本大使館、領事館と同じです。あれを見たらいま日中両国がただならない緊張関係にあることがすぐわかります」という。

 こういうことが一般のメディアで全く報じられないのは、それを報じることが、彼らの行動を宣伝することになり、その悪い影響が世に広がることを心配してのことだろう。その基本的な心理は、中国政府が反日デモの事実を、一般メディアに報じさせないようにしているのと共通しているといってもいい。

 
危機的状況をメディアはどこまで伝えるか
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 それと同じような報道自主規制が、しばらく前の日本の金融システムがシステム破綻寸前まで来ていたときに大手マスコミの経済部内であったはずである。そのあたり、あと何年かたって、「あのとき実は…」ということが気軽にしゃべれるような時代にならないと、なかなか出てこないだろう。

 しばらく前からやっと、97年経済危機(三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券などの連続倒産)の裏話が多少とも出るようになったが、まだすべてが明るみに出ているわけではない。一般論でいうと、歴史的大事件の裏話がある程度世の中に出てくるまでに2、30年かかり、本当の裏話が出てくるには、50年以上かかると思ってよい。

 私は、バブル崩壊前後、特に97年以後、昨年あたりまでつづいた日本経済の危機的状況は、あと20年もすると「平成恐慌」の名で呼ばれることになるのではないかと思っているが、あの危機がどんどん深化しつつあった時期、マスメディアの経済担当記者たちは、自分たちが書く記事が本格パニックの最後の引き金を引く役割を果たすことになることを恐れて、経済危機の実態をゆるめにゆるめに伝えていたと思う。

 
next: 実際、昭和のはじめの昭和恐慌の時代は…
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050426_internet/index2.html

 実際、昭和のはじめの昭和恐慌の時代は、風説ひとつで銀行が取り付けにあってつぶれたことが事実問題としてあったのだから、その心配も故ないことではなかったと思う。

 だが、そのような心配からの自主規制をやりすぎると、ジャーナリズムの第一義務である「真実を伝える」との間に矛盾をきたすことになる。その結果は、メディアが伝えることと、客観的な現実の間に乖離が生じ、メディアに対する信頼性が大きくゆらぐことになる。

 社会の現実が危機的状態にあるとき、それをどこまで伝えるべきかの判断はなかなかむずかしい。下手をすると危機の煽り役になってしまうが、危機を煽らない限度で危機状況の現実をできるだけ伝えるためには、どこに一線を画すべきなのか。これは、昔から難しく、これからも常に難しい問題で、一般解はないといってよい。いつでも個々のケースにおいて、個々のジャーナリストが自分の信念に従って自分なりの一線を画すしか仕方がないことだろうと思う。

 
現実となったネットを使った国家統制
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 それに対して、中国のような社会では、マスメディアが何を伝え、何を伝えないかの一線は、政府当局者によって引かれてしまう。中国共産党には、政治局に直属する「中央宣伝部」という機関があって、ここで、毎日のニュースで伝えられるべきアイテム、その取りあげ方、用いるべき用語すら厳重に管理されている。その基本方針は、「(党にとって)よいことはなくてもあったことにされ、悪いことはあってもなかったことにされる」ということである。そのためには、白を黒とし、鹿を馬としてしまうことも稀ではないと、焦国標「中央宣伝部を討伐せよ!」(草思社)は書いている。

 北京大学の助教授であった焦氏が書いたこの本は、最初から本として書かれたものではない。焦氏がインターネットを利用して友人に送ったメールが転送に転送を重ねられて世界中に広まり、本人の了承なしに、世界各国で翻訳出版されてしまったという本である。この本が出てから、中国国内では、焦氏が社会的に発言することが一切できないようになってしまったというが、この本に書かれたような状況がこの反日デモの報道に関しても中国に現にあるのだということが、先の藤原記者の一文からわかるだろう。

 
next: 先に書いたような…
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050426_internet/index3.html

 先に書いたような、焦氏の本が生まれる経緯を知ると、中国ではインターネットがある時期まで、国家のメディア管理体制に大きな穴を開けていたということがわかる。今回の北京、上海などの大規模な反日デモに集まった人々への呼びかけは、ほとんどがインターネットを通じてのものであったことが知られており、これは中国の言論封鎖体制にインターネットが大きな風穴を開けたということだなと思っていたら、最近のニューヨークタイムズ紙は、中国のインターネット事情の裏の現実は、その逆の方向に向っているのだということを大きな写真付きで紹介した。

 それによると、中国のインターネット網を流れる大量の情報が、常時多数の係官によって厳重に監視されていて、政府が不都合と考える情報は、複数のスーパーコンピュータを用いた精致な複合フィルター装置によって、個々の単語、センテンスまで検出され、トレースされてしまう。個人のメールであろうと何であろうと、少しでも不都合な内容が発見されると、容赦なくすぐに削除されてしまうのだという。まさに、ジョージ・オーウェルの「1984年」にあったような、ビッグブラザーによる完全監視社会の電子版がそのまま実現したような感じの社会になってしまっているわけだ。

 
いまこの社会で本当は何が起きているのか
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 ここまでくると、かつて焦氏がインターネットの個人通信内容の秘匿性を利用して書いたようなバクロ本が世界に流布してしまうといったことももうなくなってしまうだろう。そして、インターネットが唯一の頼りだった反日デモのオーガナイズなども、当局の意図ひとつですぐにストップがかけられるとことになってしまったわけだ。

 また、これまでは、中国をウォッチする側も、中国の官製メディアからはうかがい知ることのできない情報を、中国のインターネットから拾い出していたのだが、それもこれからは政府管理情報のかたまりしか見られないことになってしまったわけだ。

 実は、中国政府が反日デモに対して、厳しい姿勢を取りはじめた最大の理由は、1年以上前から、中国の特に内陸部の地方で起きていた経済的欲求不満が爆発しての暴動まがいの不穏な騒動が思いがけないほど広がったことにあったと思う。

 
next: 反日デモに対する政府の基本方針が…
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050426_internet/index4.html

 反日デモに対する政府の基本方針が野放しから規制に転じた最大の背景は、反日デモにあらわれた民衆の巨大エネルギーが、その種の欲求不満に結びつくことを恐れたことにあるといわれる。その方針転換を決めた政治局常務委員会に出た胡主席は、反日デモが他の欲求不満に結びつくことだけは絶対に防止しろと強く命じたといわれる(ニューズウィーク誌の報道)。

 ニューメディアの広がりによって、いま何が起こっているのかを伝える手段が多様性を増し、それに応じて社会の透明性が増していくのかと思ったら、技術の進歩を逆に利用することによって、社会の透明度を減らし、社会をますます「見えない社会」にしてしまうという逆説的な動きが一方にあるということも知っておかないと、いまこの社会で本当のところ何が起きているのかというもっとも基礎的な認識すら危いものになってしまうだろう。

 
「見えない社会」を「見える社会」に
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 また同時に知っておくべきことは、インターネットの情報収集能力を積極的に利用すると、中国のような「見えない社会」と化した情報閉鎖社会で起きていることであっても、相当程度まで自分の努力で「見える社会」に化すことができるということだ。

 たとえば、共同通信の「海外リスク情報」のページにアクセスすると、昨年末中国各地で起きている暴動やデモの様子がかなりわかる。昨年10月重慶市で起きた5万人の暴動、四川省の田舎で起きた10万人の抗議デモ、広東省で起きた数千人の座り込みによる幹線道路4日間封鎖事件などなど、死者が出るような深刻な事件が頻発している。

 興味深いのは、これだけデジカメが普及してしまうと、そのような事件の、死者の写真とか、放火されたパトカーの写真などの現場写真が、すぐに当局によって削除されてしまうが、ほんのちょっとの間にしろインターネットに流れてしまうので、それを見た世界の中国ウォッチャーたちがすぐに保存して、流してしまうということが積極的に行われていることである。こうしていつの間にか情報閉鎖社会に穴が開いてしまうという事態が起きている。天安門事件のときに、当局がいくら情報をおさえても、世界がそれを知ることを防ぎとめきれなかったと同じ事態が、ちがう形で同時に進行しているのである。

 
next: メディアの発達が不満と怒りを呼ぶ
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050426_internet/index5.html

メディアの発達が不満と怒りを呼ぶ
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 基本的に問題の背景にあるのは、急速な経済成長の波に乗ってどんどん豊かになっているのは、中央あるいは沿海地方の豊かな地方都市に住むエリート層だけで、成長から取り残された地方農民層、またそういう階層から出てくる都市の下層労働者層との間に激しい階級分化が広がっていることである。

 それら都市富裕層と地方貧困層の間の所得格差は十倍以上に広がっており、しかも、中国では移動の自由が万人に保障されているわけではなく、地方から都市への住所変更は厳しく制限されているから、この所得格差は固定する方向にある。その結果、中国は世界でも珍しい独特の階級社会になってしまっているのである。中国のメディアの発達によって、中央の豊かさが広く伝えられればられるほど、地方に不満と怒りがたまっていくという構造になっている。

 これは高度成長期の日本でもあらわれた現象で、70年代の学生運動の高揚期に、暴動化するデモに欲求不満のかたまりになった都市細民層が沢山加わって、現場をどんどん過激化させていったことはよく知られている。

 インターネットには、もっと小さなページにも沢山情報がある。グーグルにキーワードをこつこつ入れれば、すぐに玉石混交の情報が山ほど出てくる。たとえば、私がたまたま読んだ「西安反日暴動事件で明らかになったこと」というページでは、昨年西安で日本人留学生がやった寸劇から反日暴動事件になった背景を分析して、同じような結論に達している。そして西安では特にその前から、「マクドナルド」での爆弾事件、サッカー試合で不満を持った観客が暴徒化した事件、路線バス内の爆弾事件、レストラン街での爆弾事件などで死傷者が出る騒ぎがこの1、2年で18回も起きていることを紹介している。

 ただ注意しておいたほうがいいのは、このような問題での小さなページの情報には、反中国の感情むきだしのページが少なくないことである。頭の中で、そのページに盛られた情報とそれに対する感情的コメントを分離しつつ読んで、その情報の確度を冷静に評価しながら読まないと、客観的情報集めをしたつもりなのに、感情的バイアス情報集めに終わってしまったという結果になることが往々にしてあるから注意が肝要である。

 
立花 隆

 評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。2005年10月から東大大学院総合文化研究科科学技術インタープリター養成プログラム特任教授。

 著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
 

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