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「戦争と平和」を考える/戦後65年、夏の番組<上>(しんぶん赤旗)
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/398.html
投稿者 gataro 日時 2010 年 7 月 18 日 11:04:19: KbIx4LOvH6Ccw
 


http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10593814892.html から転載。

2010-07-18 09:11:34
gataro-cloneの投稿
「戦争と平和」を考える/戦後65年、夏の番組<上>【しんぶん赤旗】
テーマ:映画・テレビ番組紹介

国内だけでなくアジア全域に甚大な災厄をもたらした日本の侵略戦争が終結して今年は65年。また「韓国併合」によって朝鮮半島を植民地化して今年は100年になる。

今年もNHKはテレビ・ラジオで「戦争と平和」を考える番組を8月に数多く放送する。主なものを「しんぶん赤旗」が紹介している。


(「しんぶん赤旗」7月14日付・テレビラジオ欄から)

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「戦争と平和」を考える/戦後65年、夏の番組<上>
「原爆を語り継ぐ」吉永さんの軌跡/甲子園球児、戦場へ
「しんぶん赤旗」7月14日付・テレビラジオ欄から

今年は戦後65年。NHKテレビ・ラジオで8月に放送する「“戦争と平和”を考える」主な番組を紹介します。

 6日「吉永小百合・平和への絆〜原爆の事実を語り継ぎたい」。俳優・吉永小百合は20年以上、原爆詩の朗読に取り組んできました。今年は、その集大成として、多くのミュージシャンも参加する「事実を語り継ぐ会」をNHKホールで開きます。また、広島・長崎を訪ね、吉永自らが物語る場所に立ち、映像とともに、吉永の軌跡を送ります。

 6日 NHKスペシャル「封印された原爆報告書」。アメリカ公文書館のGHQ(連合国軍総司令部)機密資料から原爆被害の調査報告書を発見。被害者のため活用しなかった日米の思惑に迫ります。

 7日「幻の甲子園〜戦時下の球児たち」。1942年、夏の大会が行われました。球児たちは、大会後、戦場へ。球児たちは戦意高揚に利用されました。

 7日「二重被爆 山口彊さんの歩んだ道のり」。今年、長崎市で亡くなった山口彊さん93歳。広島と長崎に投下された原子爆弾、両方に被爆しました。なぜ二度被爆したのか、なぜ被爆体験について沈黙し続けたのか。本人のインタビューで、その人生を、被爆当時からの再現映像を交えて描いていきます。

 8日「ヒバクシャからの手紙〜そして、ヒバクシャヘの手紙」ヒバクシャからの手紙と、ヒバクシャヘの手紙を募集。双方向で朗読していきます。

 9日「被爆者の子に生まれて〜肖像写真100枚に込める“2世”の決意」。長崎のカメラマンが撮る被爆2世の肖像写真。カメラマンの活動を入り口に、2世たちが原爆の記憶を、どう継承するか考えます。

 9日「生命(inochi〜孤高の画家・吉田堅冶」。去年パリで、1人の日本人画家が84年の生涯を閉じました。その名は、日本では知られていません。金箔や銀箔を配した輝く色彩と大胆なフォルム、ほとんどの作品のタイトルは「いのち」。吉田の絵の原点は、海軍航空隊での体験、亡くなった戦友たちの鎮魂のために描きました。残された日記や手紙、証言をもとに命を描き続けた画家の心の旅をたどります。

 9日「被爆した女たちは生きた〜長崎県女、クラスメイト達の65年」。長崎の三菱兵器工場で勤労動員中に被爆した、長崎県立女学校の生徒たちの人生、そして80歳を迎えようとしている今の思いを、ドキュメントと再現ドラマで伝えます。
     (つづく)

 

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コメント
 
01. 2010年8月07日 00:13:27: oX1STTPLao
「封印された原爆報告書」後半から見ました。
なので以下の理解の仕方に誤謬があればご指摘ください。

被爆者たちを、まるで人体実験のモルモットのように、「標本」として扱っていた事実もさることながら、
大事な問題は別にあると思いました。

広島への原爆投下の2日後には東京帝国大学医学部の精鋭たちが、現地に調査団を派遣しているとのこと。その調査結果の一つが、爆心地からの距離と死亡者数との相関を示す「死亡率曲線」なるものとか。しかしこれはアメリカによって公表された資料であり、日本の「研究業績」ではない様子であった。現在90歳の当時の日本人調査員がNHKのインタビューに答えていたが、「被爆者のためではなく、アメリカのための調査」だったという。それしか考えてなかったと。たとえば被爆者にアドレナリンを投与したらどんな反応が出るか、とか、治療はせずにそんな「実験」ばかりしていたらしい。それにしても、
投下の2日後?つまり1945年8月8日?つまり長崎への投下よりも前?つまり終戦よりも前?アメリカの命令で?

やはり、というか、でも驚かなければいけない事実でありましょう。

NHKは、この件そのものには一切突っ込みを入れてませんでした。

東大の、少なくとも一部は戦中からアメリカに支配されていた。
おそらくは、広島への原爆投下も事前に知らされていて、調査準備を整えていた。
これはもっと厳しく追求されるべきではないでしょうか。

日本人の若い調査員が「入市被曝」で発病し、調査終了後に山口県で入院していたら、東大病院の都築正男博士(「原爆症研究の父」。第五福竜丸の被災に際しても医学調査を担当)がわざわざやってきて、彼に、調査中の日々についての「日記」を書くことを強く勧めたらしい。
その日記が「英訳」されていて、これも今回アメリカ側から公表されている。
80歳台になったその「入市被曝」した調査員は、現在寝たきりで、NHKの取材に応じたときに初めて、自分の日記が英訳されていたことを知った。
都築博士も、早い段階でアメリカと気脈を通じていたのかもしれない。


02. 2011年1月16日 11:25:47: FE60Jg8oP2
GHQはひどすぎますね。負けた枢軸国は、これと似たようなことをされたと聞きました。いくらあのころの日本、ドイツ、イタリアがおかしかったといえ、そこまですることではなかったのでは?私は、イタリア語を学び、平氏の直系の子孫ですが、先代も争そいわ望まなかったでしょう。同じ人間が、ほかの問題をよそに、利益のために殺しあうなど、あの時代のひとも、みんなも、決して繰り返してはいけないと思っているでしょう。

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