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クリスチャンへの質問
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/491.html
投稿者 なぞの精神科医 日時 2010 年 2 月 09 日 01:11:17: lw39CwyCQGQ7s
 

 全国のクリスチャンの方、私の疑問に答えてください。


1、天国の問題
 
 キリスト教を知らなかった昔の人は、天国に行けていないのでしょうか?
 キリスト教以外の信仰を持っている人は、天国には行けないのでしょうか?
 天国は、クリスチャンのためにあるのでしょうか。それとも人は誰でも死んだら天国に行けるのでしょうか?

 地獄はあるのでしょうか?


2、父なる神とイエス様の問題

 宇宙を創造したのは、父なる神であり、イエスは神の一人子ということですが、キリスト教では、父なる神よりもイエスを主に信仰の対象とし、賛美しているように感じられます。イエスは父なる神によって地上に使わされたとすれば、本来信仰の対象は父なる神ではないでしょうか?

 父なる神とイエスの関係について教えてください。


3、サタンの問題

 宇宙を創造した父なる神は、なぜサタンを創造し、そのまま放置しているのでしょうか?
 サタンも父なる神によって創造されたとすれば、その存在意義があるのでしょうか?

 なぜ聖書にサタンの性質や意義について詳しく書かれていないのでしょうか?


4、悪の問題
 
 私は、人間は、生まれながら誰でも悪の衝動やさまざまな欲望、煩悩、弱点をもっていると思います。

 クリスチャンはそれを左サタンや悪霊のせいにする傾向がありますが、私は、サタンのせいではなく、人間はそういうふうにできているのではないかと考えています。悪の衝動は、サタンの働きだと考えますか?

 悪の衝動や煩悩が全くないという人は人間ではなく、神様ではないでしょうか?

 私は、悪の衝動や欲望との葛藤は、人間に課された試練ではないかと思います。
 私はすべての欲望を制御したり、すべての欠点を直す必要はないと考えています。あるがまま、ありのままで生きていくのが良いのではないかと。神様がそのように作られたのだから、弱点をしっかりと自覚した上で、長所を伸ばして生きていくことが大切ではないかと考えています。

 人間にはさまざまな欲望や煩悩をもっていますが、神様は、どんな人にも何か一つ長所(使命)を与えてくれていると思います。それに気づき(発見し)、それを生かして生きることが大切ではないかと思います。欠点を直すより、長所を伸ばすことが大切ではないかと思います。

 すべての人間が悪を内包しているとしても、80%〜90%の人は、基本的には良い人だと思います。誰にでもエゴ(利己主義)はありますが、本当にひどい悪人は、冷酷な犯罪者と戦争をお金儲けのために引き起こす国際金融資本と呼ばれる一部の白人大富豪だけだと思います。


5、神様の愛

 人間は誰でも、一人一人が神様に愛され、見守られて生きているのではないかと思います。信仰心に関わらず、誰もが神様に愛され、見守られているのではないかと。

 ただし、「求めよ、さらば与えられん」ということも真実のようで、神様の方を向かなければ、向こうから近づいてきてくれないように思います。
 どうして神様の方を向き、神様の門をたたかないと、神様は助けてくれないのでしょうか?
 あらゆることは順風満帆に進むことは少なく、大きな試練があって、落ち込んで、「もうだめかもしれない」と思った時に、初めて救いの手が差し伸べられる気がします。
 これに関して、ご意見をお聞かせください。

 
 
6、 聖書について

 福音派のクリスチャンは、聖書が神様の啓示によって(精霊が降りた信者の手によって)書かれたものだから、聖書に書かれていることはすべて真実であると信じています。
 先生はご存知だと思いますが、聖書は何回も編纂されており、その編纂には政治的な要素も絡んでいました。

 私の大学時代のドイツ語の教師は、カトリックの信者(プロット神父)でしたが、「旧約聖書は、信仰の書であり、歴史書であり、神話であり、伝説であり、物語であり、詩であり、箴言であり、律法である」とおっしゃっておりました。

 旧約聖書と新約聖書の論理的な矛盾、および旧約聖書で描かれている極めて人間的な神の姿を考えれば、「旧約聖書の内容を言葉通りに鵜呑みにしてはいけない」ということは自明だと思います。しかし、そのことを福音派のクリスチャンに話しても、全く受け入れてもらえません。

 福音派の教えにもいろいろあるのかもしれませんが、私は福音派の教えそのものに問題があるのではないかと感じています。

 黙示録も、聖書に入れるかどうかで激しい神学論争があったと聞いております。
グノーシス派などキリスト教異端派の教えも切り捨てられ、当時のカトリック教会が教えやすい(人民を統治しやすい)部分だけを聖書に残したと聞いております。

 私は、「聖書(黙示録)に書かれているように、未来が決まっている」などということは、全くあり得ないと思います。私は、未来はある程度(80%くらい?)決まっているかもしれませんが、人間の意志の力でいくらでも変えて行けます。

 未来予知が100%当たることがないのは、未来を知った人間が何らかの行動を起こすことによって、未来を変えてしまうからだと考えられます。
 SFの世界の話のようですが、世界はパラレルワールドになっていて、現在を起点に未来は無数に分岐しており、無数の未来があると私は考えています。

 アメリカでも、対イスラムの戦争を福音派(キリスト教原理主義者)は賛成しているようです。これは神の真意を無視した暴挙だと私は思います。そんなことを続けていたら、キリスト教全体が毀損されると思います。心あるクリスチャンは、声を上げてほしいと思います。

 福音派の教義に関して、先生のご意見をお聞かせください。


7、他の宗教との関係

 私は、キリスト教だけが信仰の道ではなく、カルト以外のまともな宗教はすべて、同じ一つの神を信仰していると考えています。キリスト教は、さまざまなアルペンルートの中の一つだと思います。

 新約聖書の一節に「キリストを通してしか神の道に入れない」という言葉があり、その言葉が一人歩きして、本来イエスが意図した意味でなく、後世に伝わってしまったのではないかと私は考えています。
 創価学会も、日蓮の言葉を誤解して?、日蓮宗だけが正しいと教えています。

 自分が信じる信仰を絶対だと信じることには問題ないと思いますが、他の宗教を全面的に否定するのはおかしいと思います。愛をテーマにする宗教が、他の宗教を頭から批判したり、憎んだりするのはおかしいと思います。


8、ユング心理学について

 これは質問ではなく、私の考えです。ご意見があればお聞かせください。

 ユングは、「無意識下で、すべての人、動物、植物、鉱物(地球)、宇宙全体がつながっている」と考えていました。その総体が「大いなる存在」、すなわち神だと考えていたようです。
 人間は死ねば、魂がその「大いなる全体(大いなる存在)」へ戻っていき、必要があれば生まれ変わって、輪廻転生を繰り返しながら、魂が成長していくと考えていたようです。

 ユングは、神と悪魔を分離して考えることなく、悪魔は神様のもう一つの姿(後姿)だと考えていました。これは、クリスチャンには許容できないところかと思います。
 ちなみに、ユングの父はプロテスタントの牧師でした。ユングは父の信仰に子供の頃から疑問を抱いていたようで、キリスト教を批判しながら、最終的にはユングなりの信仰心に行き着いたようです。

 夢は、意識が無意識とつながる接点です。人間が神聖なものとつながる一つの接点です。
 夢以外でも、深い瞑想、深いリラクゼーション、宗教的な啓示体験でも、意識が無意識と一時的につながるようです。

 あらゆる芸術活動も、発明や発見も、ひらめきも、無意識から生じます。日常生活でも、人間は無意識の力を借りて生活しています。意思決定も、理性による部分は少なく、無意識からの衝動やひらめきの力が大きいです。
 無意識は、時間も空間も超越しています。ですから未来予知が可能であったり、夢や白昼夢に太古の神話が出現したりします。

 すべてはつながっていると考えると、自分が冷酷な犯罪者や乞食さんや精神病の患者さんともつながっているということになって、少ししんどいですが、動物や植物と会話できる人がいることを考えるとおそらく真実だろうと思います。

 これまでに死んだ魂も、今この世で生きている魂も、これから生まれてくる魂も、みんな一つにつながっていると考えられます。亡くなった大切な人とも、かつて愛した恋人とも、遠くで暮らす友達とも、心の奥底ではいつもつながっていると考えると、何だかホッとできる気がします。人は一人でいても、決して孤独じゃないんだと。

(注1)2月6日の日本テレビで放送された『天才!志村どうぶつ園キセキの絆スペシャル」に、動物と心を通わすことができる人が出演しておりました。

(注2)無意識下で人は網の目のようにさまざまな人とつながっていますから、現実の生活で一歩踏み出すと、いろんな人とつながっていきます。
 現在ひきこもりがちな生活を送っている方は、勇気を出して外へ出て、一歩踏み出してください。必ず人とつながっていきます。一人の人とつながると、どんどんつながりの輪が広がっていきます。  

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コメント
 
01. 2010年2月09日 14:02:29
天国より前に、「無からの創造」を行う者がありえるのかを考えるのが最初だと思います。

02. 2010年2月09日 19:41:11
上でなんとなく1の天国についてコメントされているので、私は2の、"父なる神とイエス"
についてコメントしてみます

>父なる神よりもイエスを主に信仰の対象とし、賛美しているように感じられます。

"賛美"をしますが"信仰の対象"とは言えないのでは。対象は、"キリストが行ったわざ"とその何者によっても曲げる事の出来ない信念、姿勢のほうではないでしょうか。実は。


>イエスは父なる神によって地上に使わされたとすれば、本来信仰の対象は父なる神ではないでしょうか?

それでは"キリスト教"である意味が無いと思います。イスラムでもユダヤでも一緒になってしまう。ついでに言うと、、カトリックは、、いや、これはちょっと言えないかな。公の場では止めておきます。


03. なぞの精神科医 2010年2月09日 21:42:32: lw39CwyCQGQ7s
 無からの創造を行うものがなければ、人間やその他の生物、生命という不思議な現象が起こるとは考えられません。生物や医学を勉強してください。人間の体は、微細なところまで精緻です。私は不毛な哲学論争などしたくありません。現実を知った上で、天国の話、神の話をしているのです。

04. 2010年2月09日 23:51:13
>キリスト教を知らなかった昔の人は、天国に行けていないのでしょうか?

宗教というのは結局は何重もの信仰(証明でなく)の積み重ねで成り立っていますが、ここで選択すべき信仰は、
人には生まれ変わりがあるかないかだと思います。
もし生まれ変わりがあるのならば、福音が全世界に行きとどいた現在では、昔の人でも生まれ変わっているうちにキリスト教に接しない魂はいないわけですから、この質問は成り立ちません。(この回答はカルトへの道なんでしょうが)

もし正統的解釈に従って死者は墓場で休み、生まれ変わりがないとすると、
おそらくキリスト教を知って運動をしないと天国には行けないと過去の教会の人は思っていたはずです。それでなければ彼らが布教に熱心だった理由が見つからなくなります。


05. 2010年2月10日 08:45:25
02で発言した者です。
いまふと気づいたのですが "1、天国の問題" について、01の方が

01『天国より前に、「無からの創造」を行う者がありえるのかを考えるのが最初だと思います。』

とコメントされていましたが、それに対して、

03『無からの創造を行うものがなければ、人間やその他の生物、生命という不思議な現象が起こるとは考えられません。』
『生物や医学を勉強してください。』
『人間の体は、微細なところまで精緻です。』
『私は不毛な哲学論争などしたくありません。現実を知った上で、天国の話、神の話をしているのです。』

と言われたところで、
これはどうも、破綻しているな、と感じたのですが、少しまとめていただけませんか。これでは03で言われている事の全てについて、01で正されてしまうだけなののでは。

私自身はこの質問群が、人々からとても興味深い意見を引き出すのではと期待して見ています。


06. 2010年2月10日 09:30:39
>>05

別になぞの精神科医さんにとっては解決済みの問題なんだからいいんじゃない。
聞かれていることだけ答えれば。
ただでさえ質問が多いんだから、これ以上問題を増やしたくない。
(ピノ)


07. 2010年2月10日 09:57:21
雑談的に書きますね。キリスト教の神は一般に三位一体の神と言われています。それは父なる神と、子なる神であるイエスキリストと、霊的導きの中心である聖霊なる神、これで三位一体の一つの神と言われています。イエスキリストを信じ、洗礼を受けた信者は自分から離れない限り一生聖霊によって導かれると言われています。

イエスキリストを神の子であり救世主、メシアであるとを信じているかどうかで、反キリストかどうかが決まり、救われるかどうかが決まると言われています。イエスキリストを信じる者には永遠の生命と様々な御利益が与えられると。

意外に思われるかもしれませんが聖書をよく読むと、天地創造をしたのは父なる神ではなく、子なる神のイエスキリストとされていますね。ヨブ記などではサタンが出て来て神の許しの下に、ヨブにとんでもない災害と苦難を与えるのですよね。サタンに殺されてしまった者も多いと思うのですが・・・、神のサタンを使った鍛え方の一つと考えるには酷過ぎる気がします。黙示録では確か、神が天地全てのサタンを完全に殺してしまうのですよね。善人を道ずれにした最後の審判は、まじめな人ほど受け入れられないでしょう。


08. 2010年2月10日 10:09:30
>>06
『解決済み』とは、もしや03で言われていた

03『無からの創造を行うものがなければ、人間やその他の生物、生命という不思議な現象が起こるとは考えられません』

で見られる、"無からの創造"を認めていると思われる部分の発言の事でしょうか。

ではしかし、と言うことは、これによって全ての質問は全て終わっていることになりませんか?後は人間が人間的に考える事しかない、と。

ところで04での、もとの質問00『キリスト教を知らなかった昔の人は、天国に行けていないのでしょうか?』についてのコメントとしての04が、全体的にかなり破綻しまくっているように見える事については、そっとしておくとしても、

『昔の人でも生まれ変わっているうちにキリスト教に接しない魂はいないわけですから』

こうつなげようとするのは、もう綱渡りさえ出来ないバラバラな言い草になっている、と言えるでしょう。
『昔の人』と言ったのは『キリスト教以前の』という範囲の事でしょうから。
それから

『この質問は成り立ちません。(この回答はカルトへの道なんでしょうが)』

ここまで誰も辿り着けません。"カルトへの道"とは一体?



09. 2010年2月10日 10:40:09
>>8

なんで全ての質問は全て終わっていることになるのかわからないけど、クリスチャンに質問されているんだから、クリスチャンが聖書から回答すればいいんじゃない。
(ビノ)


10. 2010年2月10日 11:46:19
キリスト教徒ではないので私的見解に過ぎませんが
1に関しては天国という概念でかなり変わるのではないでしょうか。

キリスト教徒の言う『天国』とは全て人にとって『向こう側の世界』ではなく、
キリスト教徒の為に用意された、向こう側にある『ジーザスの国』みたいなもので
イスラムや他の教徒ではそこへの永住権やビザは交付されないかもしれませんね。
でも、『私は邪教徒でしたごめんなさい』とジーザス本人に謝ったら
許してくれて、中に入れてくれるかも。

日本神話の中では天照がこの世界に来る代わりに
大国主命が黄泉の国へ行き、王としてそこにいるんじゃなかったかな?
って事は 神道系の日本人なら大国主命の国に行くのかも。

また、生まれ変わって来る必要のある人は
すぐにこの世に返されてしまうかもしれません。

天国とは この世界と同じ様に、
思想や系列によって国境があるのかも知れませんね。

天国は『天にある国』であって、向こう側が全て『天国』とは限りません。
しかし人間は自分はどの国に行くのか分かりませんから不安でなりません。
そこで人によっては 『どうやらジーザス王国は楽園らしい』という噂を聞き、
この世でキリスト教というパスポートを手に入れたいと願う。

『さぁ、いらっしゃい、いらっしゃい 他所に行ったら悪魔がいるよ!』
『こっちはジーザス王の楽園だよ。パスポートを持つだけで入れる。楽しいよ!』
『どうお兄さん? そこの美人は? 今なら洗礼無料キャンペーンやってるよ!』

ん? そういえば
行ったら最後、帰ってこれない楽園が地上にもあったような… 汗

そうならないように祈りましょう。


11. ルツの娘 2010年2月10日 13:17:32: yf0BqbtGIicAU
すべての疑問に答えるのは、多量の解説が必要になってしまうので躊躇したのですが、とりあえず少し書いていきます。わたしは教師では無いので上手にこたえられません。ごめんなさい。

キリスト教はイエスだけ、創造主だけでは無く『三位一体(父なる神(創造主)、子なる神(イエス)、聖霊(御霊)なる神)』を信仰対象にしています。これらは、天地創造の時からいたものとしています。どれもかける事無く旧約聖書の時代から人とかかわってきたものです。

※唯一神とされているのに何故複数形か?これは主(神)の性質をひとつのものとするというのがわかりやすいでしょうか?聖書の神は、血統?家系を大変重視します。何故なら、主の約束は、約束した当事者というより、その子孫に対してされているからです。
ひとつの性質を持った神が唯一神という事なのですが、ごめんなさい。うまく説明できません。

■(例)旧約聖書からとりあえず抜粋します。
@
創世記:1章27節 天地創造=人の創造のはじまり部分
「われわれ(※複数形)のかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」

A
詩篇110 (ダビデ)
主(父なる神:創造主;父なる神)は、私の主(購い主:キリストとされている)に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」

Bサムエル記上10章6節
その時、主の霊(聖霊)があなたの上にもはげしく下って、あなたは彼らと一緒に預言し、変って新しい人となるでしょう。

■<参考>これはFの疑問にも通じるかも?但し、私は古事記は参考文献として勉強会でかじった程度なので、何が真か偽かしっかりと把握していない事を宣言(笑)しておきます。

@
古事記上巻 天地初発より抜粋
天地初めて発れし時に、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、
此の三柱の神は、並に独神と成り坐して、身を隠しき。

天地が現れた時(できた頃?)にタカマノハラ(天)に成った神として3つの神が記されています。身を隠すとは、姿を見えなくして見える世界を治めたと習った記憶があるのですが、当時のテキストが無いのではっきりはわかりません。

A
↓こちらは時代が新しいのでここであげるはどうかとも思いますが・・・。
明治6年 小学読本(教科書)から

天津神は、月、日、地球を造り、のち、人、鳥、獣、草木を造りて、人をして諸々の支配をなさしめたり。
神は万物を創造し、支配したもう絶対者なり。

ノアの洪水の後から増え広がった人間はもともとは同じ祖から出たものであるという考え方はキリスト教にはあります。
どこか似ている、似通っている=本当はひとつでは無いのか?と考える人がいるのと同じように、聖書にあるように、もともとはひとつところから出ているのでは無いかという考えがある事も理解して下さい。

※ノアの子 セム、ハム、ヤペテについて諸説
セムの意味は名声、ハムの意味は色黒、ヤペテの意味は色白とされています。
黒人奴隷化と深い感関係がある解釈では、セム=黄色人種、ハム=黒人種、ヤペテ=白人種となっています。

■予言書は預言書です。
一般に誤解されているのですが、聖書にあるのは予言(未来起こるであろう事を予言する)では無く預言(神のことばを預かる者)です。
ヨハネの黙示録については、多々意見があり、聖書のひとつとするか否かについても論議は大変多くありました。
誰が聖典としたかでは無く、ヨハネの黙示録は旧約聖書のダニエル書と対なる物である事も考えなければならないのです。
これについてはおもしろいサイトがあるのでURLを残しておきます。
http://carobchip.at.infoseek.co.jp/prophecy/top.htm

また、筆者がこれを書いた当時という視点から、これから起こる事の定義をして666をネロとする教師もいるようです。

■信仰
仏教やその他諸々の宗教が指す信仰とキリスト教が指す信仰は大きく異なります。キリスト教でいうところの信仰とは神への信頼です。主なる神を信頼し、信じる事=信仰です。これは、良い親子関係のようなものです。
また、自分を高めるとか、聖に近づけるとかそういった努力や思いでもありません。完全な信頼です。
信じるという事も、これは神であるといったように信じるのではく、今悲しみに落ちていたとしても、必ず、主が1番良いとされた時(それにかかわる周囲の人達にとっても良いと思われる時期)に必ず良いようにして下さると信じる事です。これは信頼から来る物です。

■聖書の誤訳や改ざんについて
聖書の誤訳や意図的な改ざんについては事実です。それによって、ヘブライ語原典を読む、又は七十七人訳原典を読むといった事をしているクリスチャンや教師も多数います。
語学力が必要ですがこいったサイトを利用する人もいます。
http://unbound.biola.edu/
http://www.khouse.org/blueletter/index.html
また、こういった事情もあります。
聖書は西洋の書物ではありません。アジア側の人種には宗教で指す塩といえば清め等(多少違いがあっても同じような意味合いで)連想できたりします。しかし、西洋文化の人は違います。そういった連想度?理解度?の違う文化を経てさらにそれが翻訳された事も着目しなければなりません。

もうずいぶんと文章が長くなってしまったので、このへんで終わります。このようにひとつひとつの疑問に答えるにはずいぶん長い文章になってしまいます。1度に全てを答えるのはなかなか難しいです。
カトリックについては古代宗教のイシュタルについても解説が必要があるかと思います(但し、カトリックは教義面では異端ではありません。)。簡単な文面で解説できる人は、知っていると思っている人だと思います。こういった事を書くとカトリックの人が反論してきたりするので嫌なのですけどね^^

それでは機会があったらまた・・・・。SeeYou!


12. 2010年2月10日 14:35:43
三位一体はだいぶ後の時点の説で、信者が信仰しなければいけないとされている
項目の一つに過ぎません。

思うに、『無からの創造』と創造者を信じるということは、
物事には初めが存在する、という説を信じるのに通じるのではないですか。
(つまりエネルギー不滅の法則とかは嘘または相対的にすぎないという信仰)
ユダヤキリスト教では、物事には初めがあり、終わりがあるという信仰が大事ですね。
だからこそ、ユダヤキリスト教の影響下では、宇宙のビッグバン説とかが生まれる余地があり、またマルクス主義で、今までの人類史が終わり新しい人類史が始まるという共産主義社会という考えが生まれる余地があるわけでしょうから。

天国、というのは、「物事には始まりと終わりがある」と信じた場合の
終わりの何かに相当するものだと思います。
ところがこの天国に行けるのは選ばれた人だけだというのがユダヤキリスト教であり、入る人はアブラハムの子孫として定義できます。
もっともこのアブラハムの子孫の定義は、旧い契約では血縁でつながった子孫ということになっていますが、キリスト以降の新しい契約では、血縁の代わりに信仰という要素が重視されているようです。


13. ルツの娘 2010年2月10日 16:17:16: yf0BqbtGIicAU
三位一体の定義はキリスト暦以降です。キリスト教がキリスト暦以降のものですから。また、私達は説を受け入れて信じているわけではありません。そういった方がおられるので旧約から抜粋して例をあげました。

天国(日本のキリスト教では御国という呼称が正しいと思います)は終わりではありません。死んだら行く場所では無い事を書いておきますね。死んだ次の世界ではありません。また違う人間として生まれるわけでもありません。

今生きているこの世の後という捉え方にズレがあります。でも、あえてそれに合わせるとするなら、御国ははじまりに寄ると思います。聖書てきに天国は「諸々の天」と表現されているので、数階層になっているとされています。
第1の天、第2の天等と呼称をつけて説教をする教師もいますが、私はちょっと説明しきれそうにありません。また、ひとつひとつ解いていかなければならないので、いつまでもタイピングしなければならなくなってしまうでしょう。

旧約聖書=古い契約 新約聖書=新しい契約 と認識のようですが、旧約の旧は永久の久の方が正しいと現代クリスチャンの中では認識されています。

アブラハムの子孫とは誰か?ノアから増え広がった人間です。聖書ではノアの時にノアを含む8人と、共に水の上を漂った動物以外は全て死んでいます。余談ですが、ノアの時代の洪水の時まで、地球上に雨は無かったとなっています。ノアから増え広がった子孫はアブラハムの子孫では無いと考えるのは、クリスチャン側の考えでは大変不自然です。

また、アブラハムの子孫であれば誰でもといった契約はされていません。聖書のいつの時代も人が何を選びとるかで判断されています。それは信仰から来る物です。血縁の変わりに信仰は決め付けではないかと思います。

旧約聖書の歴代史にヤベツという人が出てきます。彼は異邦人です。しかし、彼の祈りは聞き届けられ大きな祝福を神から受けています。ヤベツは異邦人だから、御国には入れないけどこの世では祝福を受けたのでしょうか?信仰は無関係ですか?
現在ユダヤ人を指すのにアシュケナジー系などとわけていますが、過去は違いました。ただのユダヤ人です。もちろん、改宗した時からユダヤ人です。信仰は無関係でしょうか?選民思想は実際根深いですが、大きな歪曲や誤解もあります。

マルクス主義についてですが、表面の論拠、論文、訴えを見るだけでは奥にあるものが見えません。当時ユダヤの長老をやっていた人が残した著書や論文がまだありますので参考にしてみて下さい。
表面にある物だけでは無いのです。宗教的価値観や理論や思想だけではありません。
これも余談ですが、ヒトラーは何故かイエスが好きだったよです。彼の説では、キリスト教を大きく曲げてしまったのはパウロだと言っています。聖書をよく知る人には「なるほど」と思う事もあるかと。説としてはおもしろいと思いました。

私が教師等でしたらもっときちんと答えられるのかもしれないですね。役不足でごめんなさい。というわけでこのまま消えます。
疑問に思う事も、否定する事も大変有意義な事だと思います。新しい知識や違う人の考えを知る事も楽しいですよね^^
それでは・・・。さようなら^^ノ


14. ルツの娘 2010年2月10日 16:24:15: yf0BqbtGIicAU
読み返して気がついたのですが、何度も訂正したて切り貼りしたのでごめんなさい。アブラハムはノアの後です。
やっぱり私だめですね^^;
では、本当にさようならです^^ノ

15. 2010年2月11日 22:12:04
>旧約の旧は永久の久の方が正しいと

一目でわかるユダヤ人により導入された思想ですね。悪魔教として断定まではできないけど。

「ex nihilo」と「世界の始まりと終わり」ともう一つ信仰しなければならないのは、『真実は一つかどうか』という問題です。
このサイトは正統説以外の説を大幅に扱うサイトですが、ホームページにある「真実が…」という文を見ると、真実は一つしかないと言っているようにみえます。
もし「真実は一つ」と信じるならば、神は一つ(他の複数神信仰は悪魔を信じている)という結論に達します。

「ex nihilo」と「世界の始まりと終わり」と「真実は一つ」を頭から信じれば、紀元前のユダヤ教その他の一神教の信者に近づいたというわけです。
(キリスト教とか、カトリック教会が作った信者が信じるべき山ほどの説に比べればまだまだ以前の問題ですが)

(茶道でいえば、ここまでの説は抹茶の作り方に当たるのかな。
茶道家元が作っては変えて弟子に実行させている礼儀が、カトリックの三位一体以降の説に対応するという感じで)


16. なぞの精神科医 2010年2月11日 22:52:11: lw39CwyCQGQ7s
ルツの娘さん みなさま
真摯なご意見ありがとうございました。
 
 私は、精神科の医者を生業としており、ユング心理学に少しかぶれています。
私の立場は医者であり、科学者です。そしてユング心理学に影響された私なりの考えを信じて暮らしています。

注)ユング心理学というのが、体系だった心理学の理論だと考えるのは誤りです。ユング自身もさまざまな理論を説いており、死ぬ直前まで『ユング研究所』を作って、ユングの心理学を後世に伝えることに反対していました。ユングが考えていた人間の最終目標は、自己実現(個性化)です。それは、それぞれの人が自分らしい生き方をすることです。ユングは、それぞれの心理療法家が模索しながら、それぞれの理論を打ち立てて、患者さんに対応していくことが、心理療法家の自己実現だと考えていたようです。ユングの理論を学んで、ユングのまねをしても、何の意味もないと。

 私は、唯物論は、一つの仮説に過ぎないと考えています。唯物論が正しいと証明されていないので、唯物論を信じる方は一種の宗教家に近い存在だと思います。
 もちろん神の存在も、魂の存在も、死後の世界も科学的には証明されていないので、あらゆる宗教も仮説に過ぎません。
 しかし、この世にさまざまな宗教が存在し、それを信じて人類が生きてきたという歴史は真実です。そして、無意識の世界(目に見えない世界、現代の科学レベルでは知ることのできない領域)を探求すれば、確かに目には見えない世界が存在し、それは時空を超越していることが実感できます。
 ミクロの世界でも、素粒子論が行き着いたのは、「知ることができない」という量子論です。詳しくは知りませんが、最先端の素粒子理論は、宗教的な領域に踏み込んでいるようです。

 私は、生きる意味や目的は人間には知らされていないけれども、確かに存在するだろうと考えています。大いなる存在がその個人に求める方向に向かって、その人が生きていれば、いろんなことがうまく行くし、それに反する方向に進めば、恐ろしいほどの艱難辛苦に遭遇すると。
 もちろん、どんな生き方をしても、必ずさまざまなトラブルや問題に遭遇するのですが、その人が進むべき方向というものが確かに存在する気がします。

 クリスチャンに質問したかったのは、キリスト教が、私の疑問にどの程度答えてくれるのか、知りたかったからです。
 大学時代からずっと私の側にはクリスチャンがいて、何度も勧誘されながら、私は抵抗してきました。仏教が衰退した中で、私には、キリスト教が唯一日本人が触れられる筋の通った信仰ではないかと期待してきました。しかし、どこか根本的に信じきれない部分がありました。

 それは、唯物論を信奉する人と同じです。証明されていない核心部分を盲信し、それがすべてだと決め付け、それ以外の考えを排除する排他的なところです。科学は永遠に進歩し続けていますから。いつか形而上的な問題にも科学的にアプローチできる日が必ず来ると思います。その日が来るまで、最終的な判断は保留にしておくのが、科学者としての、真理を探究するものとしての誠実な態度ではないかと私は思うのです。

 解らないことがあるということを認めることで、人は謙虚になれるのではないかと思います。宇宙の神秘も、生命の神秘も、素粒子の世界も、人類はまだ真理を知り得ません。
 広大な宇宙の、気が遠くなるような長い歴史の中で、人間の人生はちっぽけです。しかし、人間は反面、偉大です。人間の作り上げた文明、芸術、技能は素晴らしいです。このような掲示板で、遠くで暮らす人と議論できるということも、素晴らしいことではないかと思います。


17. 2010年2月12日 07:33:18
基本的にキリスト教はイエスキリストの復活を信じなければ成り立たない宗教ですからね。まともな科学者、現代人ほど復活信仰は受け入れられないでしょう。五つのパンを五千人以上の人に分けた奇跡など、科学的に証明できませんしね。

イエスキリストが私の、私たち人類の罪のために十字架にかかり、罪を贖ってくださった。ここに神の愛と真理、人類の将来の目的があるというのですよね。
イエスと一緒にいた弟子たちがイエスの死後、あれほど熱心に福音を伝えようという気にさせた物は何だったのでしょう。初期キリスト教徒をあれだけ迫害していた熱心なパリサイ派ユダヤ教徒のパウロがなぜあれだけ急変したのでしょう。どこの宗教も、宗教はその信仰を信じさせる何かがあるのですよね。


18. 2010年2月12日 12:44:05
ユング心理学

>輪廻転生を繰り返しながら、魂が成長していくと考えていたようです。

すみませんユングの著書のどの箇所にありますでしょうか?よろしければ教えてくださいよろしくお願いします。

 


19. 2010年2月12日 16:06:12
ひとつ言うと、クリスチャンは勧誘はしません。
何をもって自他をクリスチャンと"呼ぶ"か、にもよりますが。
カルトと呼ばれるものでキリスト教を騙ったものがいくつかありますが、
彼らは熱心に勧誘しているようです。
目的が違うようなので数がとても大事なのでしょう。

>解らないことがあるということを認めることで、人は謙虚になれるのではないかと思います。

その通りと思います。
その部分でどう考えるかは十人十色でしょう。しかしあまり変なことを信じ込んでそれがこそ正しいのだ、それ以外は間違っているとか悪魔だとか決めつけると魔女裁判と同じ事になってしまうのです。


20. 2010年2月13日 00:07:15
福音派にも幅があって、聖書は原典において真実であると信じています。
歴史の中で聖書学は大きく変わりますが、
その時代その時代の解釈が入ります。

旧約聖書はマソラ学者たちが書きつづってきたので、
非常に精度が高く、厳密に書きつづられてきました。
それに対して新約聖書は付け加えられたり削られたりして、
原典からは ほど遠いものとなっています。

聖書批評学は福音派も多くの神学者が書いています。
なにしろ福音派のあがめるルターですら「ヤコブ書はわらの書だ」と
批評しているくらいですから、ゆるされていることですね。
ファンダメンタル主義と福音派は違いますので注意なさって下さい。


21. 2010年2月13日 00:11:51
19番さん
「ひとつ言うと、クリスチャンは勧誘はしません。」
それは違います。
マタイ28:19 それゆえ、あなたがたは行って、そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
とありますから、「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」という点で伝道というか
勧誘をするのは 主イエスのクリスチャンに対する命令ですね。
一生涯1人だけかもしれませんが、
それでも勧誘しない伝道しないのは主イエスの言葉に反します。

22. 2010年2月13日 14:29:44
>>21
ではどこが勧誘をしているか、教えていただけますか。
伝道と勧誘は全く違うものですが。

23. 2010年2月13日 15:09:41
>>22
勧誘=あることをするように勧めて誘うこと。
イエスの命令=わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。

だから、全く違うとは言えないんじゃないかな?
実際問題、伝道していて戸口に「宗教の勧誘お断り」って表示してある家をノックできます? 
(ピノ)


24. 2010年2月13日 15:50:31
「勧誘」って言葉を聞くと確かにマイナスのイメージを抱くかもしれないけれど、問題になるのはその目的や手法であって、勧誘という言葉自身には悪い意味合いはなにもないよね。

25. 2010年2月13日 16:47:32
私も今聖書を読んでいるのですが、頭の悪いせいもありますが分かるようで、分からない書物ですね。特に旧約は、ああ言って、こう言う、こう言って、ああ言うの繰り返しが多いですね。どっちが本当なんですかと叫んでいる日本人の読者も多いと思う。それと我々はユダヤ人を過大評価し過ぎている面がありますね。アブラハムの孫、ヤコブの子孫200万人ほどがエジプトで奴隷状態にあったのを神の使者、モーセがエジプトから連れ出し、シナイの荒れ野を40年かけて連れまわして鍛えた民族、これがユダヤ人のオリジナルですね。この民族、ユダヤ人に地球人類がすべてかかっているなんて、ほかの民族、特に東洋人は承服しかねますよね。

26. ルツの娘 2010年2月14日 01:03:46: yf0BqbtGIicAU
気になってのぞいてみました。
------------
■25さんへ
キリスト教では、ユダヤ人が選びの民としてその血統が守られたのは、キリストの救いを成就するまでの時間であり、後々の預言者のことばを成就させるためです。
聖書もあれこれあって、全部聖書と呼ばれているのでどれを読んでいるのがわかりませんけど^^;

聖書には読み方があります。たとえば預言書を預言学で読むか宗教的に読むか、思想で読むかでだいぶ解釈や理解が変わってしまいます。初心者で楽しんで読める書は少ないです。
詩篇なんておそらくちんぷんかんぷんかもしれません。

旧約聖書はおもしろいけど初心者には難しいかもしれません。新約聖書は読みやすいですが、旧約聖書を理解しないとわからない事が多いです。

福音書ですが、ルカのもともとの職業は医者です。私は読みやすい物だと思います。わりと個人情報?人物の名前等をふせて書いていたりします。
マタイは取税人であったので、分類?分別?がきっちりしている特長があります。それぞれ特長があるのでそういった読み比べも楽しいですよ。
------------
私の教会では、勧誘はしないけど伝道はします。
他の宗教や団体と違うのは、聖書を売り歩かない(笑)
恐怖心を煽って救いをとくような事はしない。
親切にしてもらったから断れないという環境に相手を置かない。
集団や複数でひとりを訪問したりしない。
細かい事をあげればまだまだありますが、「良かったら来てね」と相手に選択権を残す事が決まりとしてあります。
教会や伝道所を共同育児の場所として、教会以外のおかあさん達にも開放しているので、クリスマスやイースターを含む行事等は教会員以外の人がたくさんいます。ヤンキー風のお兄ちゃんお姉ちゃん、ギャル系の変な言葉の若い男女等も遊びにきます。
牧師を含む教師達は自分を先生とは呼ばせません。聖書に書いてあるからです。
子供達にはおじさん、おばさん、おねえさん、おにいさんと呼ばせます。大人との間では苗字や名前にさんや君、姉妹や兄弟をつけて呼び合います。
「仕える者のようでありなさい」と聖書にあるので、教会以外の事(男手が必要な家に力仕事に行ったり等)でも「手伝わせて下さいよ」と積極的に声をかける自慢の牧師です。
牧師が徹底しているので、牧師の家庭のお金も牧会の長達に経理させていました。子供が大きくなって負担が増えてきたので給料制にしようと説得してようやく給料を受け取るようになった人です。著書やクリスチャン紙等でエッセイを書いたりもしていますので、他の伝道師や牧師、神父が教会に来たりしますが、その方達は牧師も教会員も先生と呼びます。その逆はありません。
教会やクリスチャンにも色々あります。
教会に来始めた人が、この教会がその方に合うかどうかも気を使い、違う教会を紹介したりもします。牧師が事前に先方に連絡を取って紹介状を書いたりもします。
来なくなった方にも、たまに「元気ですか?」と連絡したり、行事の案内を送ったりはしますが、やめる=悪のようなカルト的な図式も皆無です。
------------


謎の精神科医さんへ
ユングでは無く、ヘルメスの思想理念ではありませんか?ユングはヘルメスに通じる者があるので大きなズレは無いかと思います。ヘルメス無くしてユングは無かったと思いますので。
ヘルメス文書又はエノク書を残した知恵の賢者。
ピラミッドの建造の賢者、バビロニア賢者、エジプトの賢者、ソロモン神殿の石工の棟梁。

呼び名
ヘルメス、エノク、イドリス、サウリド、ヒラム(アビフ)、ルシファー、フリーメーソンの始祖。

上昇と下降を繰り返す転生の思想=全宇宙と小宇宙が同一、反相対するものをひとつとする全は一、一は全であるとした思想理念。入れ子のまた入れ子。

ノアの洪水の時、ノアひとりが正しい(全っき)人であった=純粋に神につくられたままの体質?血統的に正しい人と解釈するクリスチャンを名乗る異端の方々やサタニストの方ならおもしろい答えをもらえますよ。
彼等は、エノクは神に取られたのでいなくなったと書かれている事にこだわり、エノク書が大好きです。

イルミナティーやフリーメーソンに詳しい人とも議論はできるかもしれません。

そういう事でしたら普通のキリスト教クリスチャンでは議論も回答も無理です。私はたまたまクリスチャンを自称する(と私は思っています)方とブログとメールで意見のやりとりしたので多少はわかりますが基礎知識というところまでもいきません。
学習する必要も無いし、興味も無く、その意見交換の中で多少知っている程度の知識があるぐらいの話です。

そういうわけでやっぱり私のようなあまり賢くない(泣)女子には無関係だったようです。^^
でも良い機会を与えられた気がします。ありがとうございました。


27. 2010年2月17日 22:07:47
私はカトリックです。
一部のみご回答いたします。


>1、天国の問題
 
> キリスト教を知らなかった昔の人は、天国に行けていないのでしょうか?
行けません。

> キリスト教以外の信仰を持っている人は、天国には行けないのでしょうか?
行けません。
煉獄に行きます。煉獄からやがて天国は行くことは出来ます。

> 天国は、クリスチャンのためにあるのでしょうか。それとも人は誰でも死んだら天国に行けるのでしょうか?
人はキリストを通してしか天の国に入ることは出来ません。


>地獄はあるのでしょうか?
実在しています。私達は誰でもそこに行く危険性があります。
一度地獄に落ちると敗者復活はありません。永遠にそこで苦しみます。

>2、父なる神とイエス様の問題
父なる神、子なる神、そして聖霊なる神は3体で唯一の神です。
その神秘は地上にいる私達は残念ながら知ることは出来ません。
神は永遠の昔から存在されていましたが、2000年ほど前に
この子なる神が受肉されて私達の世界にいらっしゃいました。
それがイエス・キリストです。
その目的は、キリストを信じた者をお救いになるためです。

>3、サタンの問題
サタンといわれているのは、多分ルシファーのことだとおもいます。
彼(天使に性別なはいですが)はかつて天使の最高位にいましたが、神に逆らい地に落とされました。
その時彼に従う多くの天使も同時に地に落とされました。
これらは地上にあって悪霊としてよからぬことをしましたが、地獄に落とされたのは、イエス・キリストの十字架の死の頃です。
イエス・キリストの犠牲によって、人の霊魂も天国に入ることが可能になりました。

このことにより、悪魔達の最大の仕事、人間を騙し魂を盲目のうちに地獄に落とすという彼らが血道を上げる最大の悪事が始まりました。

聖書にはは省略されて書かれていない事が沢山あります。聖書は、キリスト教の信仰において唯一絶対のものではなく、多くあるもののひとつです。
聖書以外にも教義、聖伝、聖人が獲得してくれたものなど多くのものがあります。


>4、悪の問題
人間の煩悩についてはまったくそのとおりだと思います。
ですから、洗礼という秘蹟、赦しの秘蹟があります。


>5、神様の愛
神の愛についてはお考えのとおりだとおもいます。
神の愛は無差別です。
なので私達は正しい信仰を持ってそれにお答えしなければなりません。


>6、 聖書について
福音派が、キリスト教といえるかどうか甚だ疑問です。
カトリックでは、福音派の洗礼は有効な洗礼とは認めません。
福音派の方がカトリックに改宗する場合は、洗礼からやり直します。
福音派は北朝鮮とのパイプや麻薬など悪い噂が絶えません。

カトリックが人民を統治しやすい部分を聖書に残した云々というお考えは、
事実誤認です。何かのプロパガンダをそのまま信じていらっしゃるだけとおもいます。ご自分で聖書の福音書をお読みになれば新鮮な驚きがあるとおもいます。
聖書は日本聖書協会のものかフェデリコ・バルバロ神父が訳したものがよろしいと思います。

未来が決定されていないというお考えはその通りだと思います。
神ももっとも愛した天使が自分を裏切らとは思われなかったでしょう。

カトリックはかつてイスラム教徒の方に対して戦争を挑んだ過ちを悔い改めています。私も十字軍でイスラムやビザンチンを攻撃したのは間違いだったと思います。

>8、ユング心理学について
キリスト教では輪廻はありません。人生は一回限りです。
ただし霊魂は永遠に存在します。
私は輪廻というのは、この世に対する「執着」の表れと思います。
この世が大好きなので、何度も生まれ変われると思って安心しているだけだと思います。
人は生まれ変わるということはありません。

人間は死ぬと私審判をうけ、やがて公審判を受け最後に天国か地獄に行きます。



28. 2010年2月18日 03:24:15
天国てのは、かなり神殿みたいなものなんだな。
寸法もわかっているし、それに入る石の数も決まってる。

29. 2010年2月18日 08:07:54
キリスト教と教会。この世にあって教会の役割は大きいと思います。十字架をシンボルにしている教会でもいろいろあります。牧師や役員さんが権威的・権力的なところは初心者は行きにくいですよね。あまり家族的な教会も信仰を見失いがちになります。でもやはり感じのいい、暖かさを感じる教会がいいですね。教会と会社を一緒にしてはいけませんが、やはりトップの人柄、技量、知識、信仰の質に大きく関わってきますね。

30. 2010年2月18日 16:37:03
パリサイ人が出ましたね。イエスに咎められていた。

>福音派が、キリスト教といえるかどうか甚だ疑問です。
カトがキリスト教であると言えるならば、統一教会などもそうだと認めなければならなくなるでしょう。カトのおかしさはこの発言者が証ししてくれているようです

>カトリックでは、福音派の洗礼は有効な洗礼とは認めません。
権威主義丸出しでも全く自覚がありません。虎の威を借りていい気になる。
ジーザスはそんなひとりよがりな人の為にも愛を説いているのに

>福音派の方がカトリックに改宗する場合は、洗礼からやり直します。
穢れていると決め付けて、洗礼というファンタジーによって払う訳ですね。

>福音派は北朝鮮とのパイプや麻薬など悪い噂が絶えません。
それは韓国系の福音派でしょう?それしか知らないのでしょうが、
福音派を韓国系だけで語って貶めるから
カトはやはりカトで同じ穴のムジナですね
人口が多いからといって正当面はさせられないですね。

>カトリックが人民を統治しやすい部分を聖書に残した云々というお考えは、
この方の言動からも容易に推測できます。何かのプロパガンダをそのまま信じていらっしゃるだけとおもいます。
以上。


31. 2010年2月18日 20:54:45
誰に言われなくても、自分から進んで聖書を読むようになり、祈れるようになり、教会につながるようになることが伝道の目標なんですよ。人間ですから教会にもいろいろ嫌な者がいるのはどこでも同じですよ。

32. なぞの精神科医 2010年2月19日 10:16:46: lw39CwyCQGQ7s
私 はクリスチャンではありませんが、昨年「みんなつながっている」(日新報道)という本を出版してから、「つながっている」というテーマについて考えていて、十字架のシンボル性に気がつきました。
 全くの私の思いつきですが、下方は、大地(自然、現実)にしっかりと根を下ろしながら、上方は、宇宙(信仰、神、理想)を追い求め、水平方向には、いろんな人とつながっていく、人間存在そのものが十字架のシンボル性ではないかと考えています。
 十字架は、左右に手を伸ばしていますから、右派(保守)の方とも、左派(革新派)の方とも仲良くしていくという意味もあるかもしれません。
 
 「心の健康を保つためには、バランスをとることが大切だ」とずいぶん前に、友人のクリスチャンから教わりました。私はその考えを取り入れています。十字架は、バランスをとるということの象徴かもしれません。

 もう一つ、大切なことは、謙虚であることだと思います。自然は暖かく生物を育んでくれますが、時には脅威となって襲いかかって来ます。自然は、畏れ多いものだと思います。神様もそうだと思います。人間が語ることも不遜なことかもしれません。神と直接対話を試みるということが畏れ多いことなので、仲介者として神主が必要なのでしょう。天皇制も、神事を司る家系として、尊重すべきものかもしれないと最近は考えるようになりました。


33. 2010年2月20日 16:46:12
>>32
十字架のシンボル性ってのは考え過ぎなんじゃないかな。
キリスト教では単なる刑具でしょ。
それに十字を神聖視することは、キリスト教より古くいろいろな宗教で使われてきた。
たとえば中近東の農耕紳タンムズ崇拝は、十字はタンムズの頭文字Tから派生した形だともタンムズをはりつけた刑具だとも言われている。それでも、そのシンボルはタンムズ崇拝もその崇拝者も今日まで存続させることはできなかった。他の古代宗教にしても同じ。
キリスト教は「この印にて勝て」と世界に広まっていったけれど、救いや一致とは程遠い状態だよね。
(ピノ)

34. 2010年2月23日 23:28:26
救いは見えないのは当たり前です。
聖書には残りの思想がありますし、隠された救いという思想もあります。
また狭い門からはいる思想もあります。
見えたら 残りもなく 隠されてもいない 広い門になり、滅んでしまいます。

35. 2010年3月12日 20:17:15
一般に言われているキリスト教は大いなるバビロン

なので、真理は得られませんよ。


36. 2010年7月05日 13:43:17: F7veNDVTXs
1、天国の問題
ヨハネによる福音書:14: 6
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

ヨハネによる福音書14: 1
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14: 2
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14: 3
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
14: 4
わたしの行く道はあなたがたも知っています。」

2、父なる神とイエス様の問題

ヨハネによる福音書14: 5
トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」
14: 6
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
14: 7
あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」

3、サタンの問題


黙示録:20: 2
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って

蛇はサタンであるので 他の聖書箇所の蛇の所を検索すると役割がわかります。

宇宙というみことばは聖書に使われていないので、それを基に考えると変な方向に行きます。


4、悪の問題

ローマの手紙7: 4
私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。
7: 5
私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。
7: 6
しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
7: 7
それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
7: 8
しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。
7: 9
私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。
7:10
それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
7:11
それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
7:12
ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。

ヤコブの手紙2: 8
もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行ないはりっぱです。
2: 9
しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。
2:10
律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。
2:11
なぜなら、「姦淫してはならない。」と言われた方は、「殺してはならない。」とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者となったのです。
2:12
自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行ないなさい。

自由の律法はクリスチャンにならないと得られません。

ヤコブ書1:25
ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。

6、 聖書について (聖書での剣の定義)

エペソ: 6:17
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

剣はことば関係であり それを元に旧約を読むと実は・・・

7、他の宗教との関係

14: 6
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

8、ユング心理学について

テトスの手紙: 1:14
ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。


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