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西洋の達人が悟れない理由 2 _ タルコフスキー2
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/629.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 8 月 08 日 13:29:03: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: 西洋の達人が悟れない理由 投稿者 中川隆 日時 2010 年 7 月 15 日 21:42:45)


Andrey Tarkovsky on "Andrey Rublev"
http://www.youtube.com/watch?v=nQVzjR8Y918

http://www.youtube.com/watch?v=97Ep4OtbSOM&feature=related


彼の発病は突然だった。

誰一人そんなことは思ってもなかったし、悲劇的なものとも思ってもいなかった。

1985年12月に体調がすぐれなくて、徹底的なメディカルチェックを受けたことは知っていたが、フィレンツェに発つ前、クリスマスイブに空港まで連れて行ってくれと頼まれたときには驚きが待っていた。

その道中で、彼はシンクロされたサウンドトラックの最終版の指示を始めた。
彼は映画の献辞を変えるように言った。

「我が息子アンドリューシャに捧げる、こうして闘うために私は彼から離れることになる」

とするように。

クリスマスの翌日、私はアンドレイが癌だと知った。


しかし1986年6月のあの日に、ドイツで彼は治ったように見えた。回復期が目前にあるかのようだった。私たちは高揚して、昔のように冗談を飛ばしていた。

アンドレイはベッドの傍らの小さなテーブルに置かれた聖書に手を伸ばして、「伝道者の書」の一節を読んだ。

1:2傳道者言く 空の空 空の空なる哉 都て空なり

1:3日の下に人の勞して爲ところの諸の動作はその身に何の益かあらん

1:4世は去り世は來る 地は永久に長存なり

1:5日は出で日は入り またその出し處に喘ぎゆくなり

1:6風は南に行き又轉りて北にむかひ 旋轉に旋りて行き 風復その旋轉る處にかへる。

1:7河はみな海に流れ入る 海は盈ること無し 河はその出きたれる處に復還りゆくなり

1:8萬の物は勞苦す 人これを言つくすことあたはず 目は見に飽ことなく耳は聞に充ること無し

1:9曩に有し者はまた後にあるべし 曩に成し事はまた後に成べし 日の下には新しき者あらざるなり

1:10見よ是は新しき者なりと指て言べき物あるや 其は我等の前にありし世々に旣に久しくありたる者なり

(伝道者の書第1章第2節から第10節)
http://bible.salterrae.net/meiji/html/ecclesiastes.html

テクストが私を短調の気分に誘い、私たちの地上の生は時には無目的に思えると、地上的な反応を私がすると、アンドレイの反撃が閃光のように帰ってきた。

私たちの地上の生は、そんなひとつの見方で分類して片づけられるほど単純なものではない。

彼はページを繰って、また読んだ。

11:7夫光明は快き者なり 目に日を見るは樂し

11:8人多くの年生ながらへてその中凡て幸福なるもなほ幽暗の日を憶ふべきなり 其はその數も多かるべければなり 凡て來らんところの事は皆空なり

11:9少者よ汝の少き時に快樂をなせ 汝の少き日に汝の心を悦ばしめ汝の心の道に歩み汝の目に見るところを爲せよ 但しその諸の行爲のために神汝を鞫きたまはんと知べし

(伝道者の書第11章第7節から第9節)
http://bible.salterrae.net/meiji/html/ecclesiastes.html

宗教は、タルコフスキーの生で重要な役割を果たした。

彼は宗教者と会って、彼らと信仰の問題を話し合いたいといつも願っていた。

私たちがよく話したテーマに、私の叔母の人生と宗教があった。

病気の時にアンドレイは彼女の見事な人生観から多くの力を引き出した。

彼女の精神的支えと宗教的省察は、アンドレイの魂にはっきりとした刻印を残した。

映画が完成すると、私は彼から、叔母への言葉を添えたポスターを受け取った。

彼は、一度もあったことのない、しかし、自分のために多くの祈りを捧げてくれたことを承知している女性に、それを贈ったのである。

アンドレイは、現代人が祈る力を失ってしまった、そしてそれこそ私たちの精神の枯渇を示すものだと信じていた。


彼はしばしば聖書のテクストに基づいた映画を作りたいという欲求を感じていたが、そんな大それた仕事をやり遂げるのに、自分は卑小すぎると思っていた。

しかし、他の誰がそんな試みを出来たであろうか?


療養所のまわりを午後に散策することがアンドレイの日課だった。
その道行きで、私たちはヨブ記に描かれた愛の複雑な性質について話した。
かくも厳しい試練にさらされた愛。かくも厳しき苦悩。
それと同時に苦痛と悲惨を生み出す愛について。


散歩はおよそ45分だったが、私たちが歩いたのは、あちこちに置かれたベンチに腰を下ろしたりして、300メートルほどだった。
そのとき初めて、私はアンドレイの体力がどれほど弱っているか、気がついた。


歩いたために疲れ果てて、アンドレイはベッドに横になり、聖書に手を伸ばして『伝道者の書』をまた読み始めた。

3:1天が下の萬の事には期あり 萬の事務には時あり

3:2生るるに時あり死るに時あり 植るに時あり植たる者を抜に時あり

3:3殺すに時あり醫すに時あり 毀つに時あり建るに時あり

3:4泣に時あり笑ふに時あり 悲むに時あり躍るに時あり

3:5石を擲つに時あり石を斂むるに時あり 懐くに時あり懐くことをせざるに時あり

アンドレイは言った。

「覚えているかい? 私が『石を擲つに時あり石を斂むるに時あり』という題を私たちの映画につけたかったのを。

スウェーデン語では響きが良くなくてね。」

タルコフスキーは床についたまま、療養所の部屋の壁に掛けられたイコンを見やった。

彼の言葉の響きが消えて、森のささやきとツバメのさえずりが聞こえてきた。

しばらくしてから、彼はまた読み始めた。

3:6得に時あり失ふに時あり 保つに時あり棄るに時あり

3:7裂に時あり縫に時あり 默すに時あり語るに時あり

3:8愛しむに時あり惡むに時あり 戰ふに時あり和ぐに時あり

3:9働く者はその勞して爲ところよりして何の益を得んや

3:10我神が世の人にさづけて身をこれに勞せしめたまふところの事件を視たり

3:11神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり 神はまた人の心に永遠をおもふの思念を賦けたまへり 然ば人は神のなしたまふ作爲を始より終まで知明むることを得ざるなり

(伝道者の書第3章第11節まで)
http://bible.salterrae.net/meiji/html/ecclesiastes.html

アンドレイは聖書を脇に置き、毛布を引き上げて、うやうやしくそれを隠すと、沈黙が再び訪れた。

それは虚無の沈黙ではなかった。深い瞑想に満ちた沈黙だった。


暗くなり、私の帰るときが来た。私たちは抱擁とキスを交わし、「イタリアで会おう」と言った。それが最後の出会いだった。1986年7月26日。


* * *

12:1汝の少き日に汝の造主を記えよ 即ち惡き日の來り年のよりて我は早何も樂むところ無しと言にいたらざる先

12:2また日や光明や月や星の暗くならざる先 雨の後に雲の返らざる中に汝然せよ

12:3その日いたる時は家を守る者は慄ひ 力ある人は屈み 磨碎者は寡きによりて息み 窓より窺ふ者は目昏むなり

12:4磨こなす聲低くなれば衢の門は閉づ その人は鳥の聲に起あがり 歌の女子はみな身を卑くす

12:5かかる人々は高き者を恐る畏しき者多く途にあり 巴旦杏は花咲くまた蝗もその身に重くその嗜欲は廢る 人永遠の家にいたらんとすれば哭婦衢にゆきかふ

12:6然る時には銀の紐は解け金の盞は碎け吊瓶は泉の側に壞れ轆轤は井の傍に破ん

12:7而して塵は本の如くに土に皈り 霊魂はこれを賦けし神にかへるべし

12:8傳道者云ふ空の空なるかな皆空なり


(伝道者の書第12章第1節から第8節より)
http://bible.salterrae.net/meiji/html/ecclesiastes.html


彼の葬儀の日、パリの聖アレクサンデル・ネフスキー教会で、私たちはろうそくを手に、偉大な芸術家に別れを告げようとしていた。

僧はろうそくに火をつけて、最前列に立つ人々にその炎を近づけた。

次々と炎が点されて、最後には、ちらちらと踊る火をいただいたろうそくのすべてが、私たちのアンドレイ・タルコフスキーの想い出の連鎖をつくり出していた。

http://homepage.mac.com/satokk/mihal/mihal.html


________________

サクリファイス (1986)

http://www.youtube.com/watch?v=zENPuEqgT4U

http://www.youtube.com/watch?v=kK9pHTyyKA4&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=k4izcNMy4rY

http://www.youtube.com/watch?v=ahxujJlYwZU&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=2_aEjbYED0Q&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Mr5cYiRPf3E
http://www.youtube.com/watch?v=QeQCb5uyIFY

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9-DVD-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/B000062VMC


『ノスタルギア』の撮影前に書かれた、『魔女』と題された『サクリファイス』の最初の脚本コンセプトは、癌にかかった人間の治癒をめぐって展開した。

不治の病と知り、自暴自棄の状態になると、アレクサンデルは不思議な人物と出会う。

彼はアレクサンデルに、回復の唯一の希望は、魔力をもつ魔女と噂される女性のところに行って、彼女と寝ることだと告げる。

アレクサンデルがそうすると、彼は驚異的な治癒を経験し、医者は茫然自失することになる。

ところが、ある日その魔女がひょっこり姿を現し、雨にうたれながら家の外で待ち受けて、彼をさらおうとする。

脚本のこの段階で、アレクサンデルの犠牲は、家族と所有物を捨てて、貧者の姿に身をやつし、この女性と家を去ることだった。

『ノスタルギア』の撮影中に、タルコフスキーは、当時映画で気になっていることと自分の実生活との数多い平行関係に驚いた。

映画の主人公、アンドレイ・ゴルチャコフは短期間滞在するだけの予定でイタリアを訪れたが、望郷の念に消耗していく。

そして、ロシアに帰ることは叶わず、最後にはイタリアで客死する。

タルコフスキー自身、最初は、映画が完成するとロシアに戻るつもりだったが、 彼もまたイタリアで病気になり、滞在を延ばすしかなかったのだ。


タルコフスキーは、また、アナトーリ・ソロニーツィンの死にひどく心を痛めていた。

タルコフスキーの作品の多くで主役を演じたソロニーツィンは、『ノスタルギア』でもゴルチャコフの役を演じる予定だった。

また最初から『魔女』のアレクサンデルの役がふられていた。

ソロニーツィンは、物語の第1版でアレクサンデルの人生に転機をもたらすあの病気で死んだ。

そして「今では、数年後に、私もまたその病気で苦しんでいる」

林の木の下でアレクサンデルが、小さな息子に話す言葉は、痛いほどの意味を秘めている。

「死なんてものは存在しない。死の恐怖だけが存在する」

http://homepage.mac.com/satokk/pgreen.html


タルコフスキーは家にほとんど異常なほど愛着があった。

『サクリファイス』で家が焼け落ちるのをワンシーン、ワンカットで撮影するのは、それ自体が彼にとって目的になった。

我々は、『サクリファイス』で焼け落ちる家が、潜在的に実生活で病魔にむしばまれつつある彼の肉体の映像になるのを実感し、それを目撃する。

撮影は1度失敗して、2度目に成功した。
http://homepage.mac.com/satokk/house.html

サクリファイス製作風景
http://homepage.mac.com/satokk/offret/offret.html

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1. ノスタルジア 1983年

http://www.youtube.com/watch?v=IU1gNassY04
http://www.youtube.com/watch?v=KrmsCdaZb7Y&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Qvwei4WvMDM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Z5CZhY4S8Nk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=0uXHCiueZ2w&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=739uYeCImyA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=kyc9w8tYmM0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=g5BSEaHnbJg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Mv1dZKIFEgY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=8eRKKgDiQLM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hS0M0YZd9G4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=kLZB8PDYaZU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=JWNVhaATCKI&feature=related

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A2-DVD-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/B00006S25R

サンガルガノ大聖堂の廃墟 


 アンドレイ・タルコフスキーの映画はすべてすばらしい映画的光景を映し出している。

『僕の村は戦場だった』はテーマの重さと拮抗するような映像のリリシズムがあった。

『惑星ソラリス』も突出したSF?映画だった。

東京の首都高速が未来都市のイメージとして活用されていることで話題になったが、むしろ、その後のタルコフスキーに頻出するブリューゲルとバッハの融合が印象に残る。

『ストーカー』も晦渋な映画だが、水のイメージがじつに美しい。

そしてタルコフスキー的な映像というてんでは、なかでも、『鏡』と『ノスタルジア』が秀逸だと思う。

 『ノスタルジア』は、イタリアが舞台だ。

ロシアから亡命してきた詩人(アンドレイ・タルコフスキーそのものだ)が、創作の自由のためにはロシアから離れねばならず、しかしその創作の源泉である故郷の原風景やロシアの大地から切り離されることによって生じる心理的葛藤(それをノスタルジアという)に苦しむ姿を美しい映像で描いている。

 ノスタルジアのラストに、ある廃墟の寺院が出てくる。

それがサンガルガノ寺院である

 私は、映画に導かれてこの寺院を訪問した。1993年のことである。


 資料として『タルコフスキーatワーク』(芳賀書店)の「ノスタルジアへの旅」(鴻英良)をみた。彼はノスタルジアのロケ現地をめぐる旅にでかけ、詳細にその発見を記している。

それによると、タルコフスキーの撮影チームは、ラストシーンをサンガルガノで、印象的な地下の聖母のシーンをトゥスカニアで撮影したことになっている。

私は、仕事でローマを訪れたさいに、フィレンツェに移動し、そこでレンタカーをして、トスカナ地方をドライブしてローマに戻る計画をたてた時、ぜひともこのサンガルガノの廃墟とトゥスカニアを訪れてみたいと思った(まぎらわしいが、トゥスカニアは、トスカナ地方にはない。ここもじつに素晴らしいところだった。町にはホテルが一軒しかなかったが、ここが素晴らしかった。)


(トゥスカニア全景と地下の聖母が撮影された場所)


 トスカナ地方をドライブしはじめると、すぐさま人生の至福につつまれるような感慨を味わった。

こんな素晴らしいドライブはそうはない。

フィレンツェもすばらしいが、サンジミニャーノ、シエナ、ペルージャ、アッシジといった小さな町々が途方もなく素晴らしい。

しかしサンガルガノは探し出しにくかった。

さきの鴻英良氏もサンガルガノへ行くのにはたいへん苦労している。
彼はレンタカーでなく電車をつかっていたのだ。

シエナから行くのだが、観光地ではないため、何もない田園のなかを迷いながら運転してたどりつくほかはない。

 うつくしいトスカナの田園のなかに、それはあった。

 夏のあいだには、臨時の売店なども開かれているから、訪れる人は案外少なくはないのかもしれない。絵はがきやカレンダーなども売っていた。

 サンガルガノがどういうものかは、次の写真をみてほしい。


 サンガルガノ大聖堂(廃墟)


 イタリアのガイドブックや、ミシュランの緑には、きちんとサンガルガノが紹介されている(小さくだが)。ミシュランによれば、人は、この廃墟を訪れると、あらためて栄華のはかなさと、人生についてしみじみと想いをいたすだろう、とある。

たしかに廃墟には、そういう想いへと人を誘う不思議な力がある。

ためにヨーロッパには廃墟趣味というのがあって、わざわざ廃墟を建築する!ことも多かったようだ。

もちろんサンガルガノは正真正銘の廃墟である。


 タルコフスキーのノスタルジアでは、ラストシーンで、イタリアに亡命した主人公が死んでゆく意識のなかで、故郷ロシアの原風景が蘇ってきて、その懐かしい風景の中に包まれて死んでゆくのだが、その故郷ロシアのノスタルジアに満ちた風景が、サンガルガノの廃墟のなかに再現されて、廃墟の建物と渾然一体となってえもいわれぬ効果を生み出していた。

そしてノスタルジアの風景のなかに、やがていちめん雪がふってきて静かに映画はおわってゆくのだ。この最期の風景だけでも、ノスタルジアは映画史に残るものではないかと思う。
http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~adachi/sangalgano.htm

Andrei Tarkovsky - "Tempo di viaggio" (italian with french subtitles)

http://www.youtube.com/watch?v=PY9DPNQSET0
http://www.youtube.com/watch?v=P0pcra3oGQk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=OAP7Iv4Z0SI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=bkygo4Kn7CI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yyXeDNPzXFs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=R8hrHfv2Ou4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=5M4Md2S7Mtk&feature=related


イタリアのタルコフスキー

タルコフスキーは『ノスタルギア』を「単純なラブストーリー」だと言う。

(ヤンコフスキイ演ずる)アンドレイ・ゴルチャコフはロシアの大学教授で、長年講義してきた建築を実際に見るために、イタリアを初めて訪れる。

彼は自分の通訳兼ガイド(ドミツィアナ・ジョルダーノ)に思いを寄せる一方で、トスカーナの数学教授のドメニコ(ヨセフソン)に自分の一種の分身を見いだす。

ドメニコは世界の終末は近いと信じているので狂人と見なされているのだった。

ローマのRAIでの製作発表記者会見で、タルコフスキーはこう述べた。

「『ノスタルギア』のテーマは、人々がお互いを本当に知らずに共に生きるのは不可能なことと、相互理解の必要性から生まれる問題を扱っています。

名前を知るくらいなら非常に簡単だが、他者を深く認識する段階に達するのははるかに困難だ。

また表面にはさほど現れませんが、この映画には、文化を輸入したり輸出したり、異文化を取り入れるのは不可能だという主張を扱った一面もあります。

私共ロシア人もダンテやペトラルカが分かると主張出来る。

それはイタリア人の皆さんがプーシキンが分かると主張出来るのと同じ理屈です。

けれども実はそんなことは不可能なのです。

つまり同じ国民でなければならないのです。

文化を複製し伝播するのは、その本質に有害であり、皮相な印象しか広めない。

異文化を教えるのは不可能なのです。」

「この映画で、通訳のエウジェニアが『どうしたら分かりあえるのかしら』と訊く。

アンドレイ・ゴルチャコフは『境界を壊すことだ。』と答えます。

これは複雑な地球規模の問題で、単純なレベルで解くか、全然解けないかのどちらかです。

単純なレベルでは子供が解決してくれると言えますが、もっと複雑なレベルでは自己認識の問題と関連しています。

アンドレイは自分の分身とも言える狂人にこうした難題を肩代わりさせようとします。
アンドレイは真理を探求しているのですが、自分が直接分かってもいないものを教えても無駄じゃないかという思いが心をよぎることがあります。

彼は、あの狂人に、自分の行動に確信を抱いている人物を見いだす。

世界の救済法を知っていると言って、それに基づいて行動する人間を見いだします。

ドメニコは反省を知らぬ、ただ行動するだけの無邪気な子供に似ています。

ですからある意味でアンドレイに欠けているものを代表しているのです。」

ドメニコのキャラクターは、部分的には脚本が既に脱稿した段階で、グウェラがたまたま見た新聞記事からインスピレーションを受けたものだった。

タルコフスキーによると、それは映画に重要な総合性をもたらす幸運な発見であった。

「グウェラは類い稀な才能に恵まれた詩人で、偉大な発見が出来る。

幸い私は映画畑で、グウェラは詩の方ですから、嫉妬しなくてすんでいますがね。」

タルコフスキーは最初はモスクワでかなりの部分を撮影する計画だったが、ソヴィン・フィルムとの協約が破棄されて、彼はモスクワのシーンに振り分けたフィートを半分に減らさねばならなかった。


「運命は私たちに救いの手を差し延べてくた。

トスカーナで見付けた家はモスクワより映画的にはるかに興味深いものです。

イタリアに、ロシアのこのささやかな一角を拡張出来るのを私はとても嬉しく思っています。」

タルコフスキーは今でも水にとりつかれたままなのだろうか?

「水は神秘的な要素です。一個の分子であり、とてもフォトジェニックです。」

とタルコフスキーは語る。

「水は運動と、変転と流動の感覚を伝えることができる。

『ノスタルギア』にもたくさん水があるでしょう。

たぶん水には潜在意識の反響があるのかも知れない。

ひょっとすると、私が水を大好きなのは、先祖の輪廻転生を隔世遺伝で記憶していることから生まれるのかも知れない。」


彼の映画の「悲観主義」とイタリアの人生観の「楽観主義」に生じうる軋轢について、また、イタリア人には彼の映画を理解するのが困難なのでは? と問い質すと、タルコフスキーはこう答えた。

「私にだって楽観主義はある。

今度の映画は比較的単純で分かり易いラブストーリーです。

けれども同時に私は、表面下に潜むもっと深遠で混沌としたものを、底まで掘り下げる努力をしています。

悲観主義は、気遣いと人が自分に課す問題の複雑さが絡んで生まれてくる。

こうした問題は、歓喜に満ちた態度で世界に向かっても解けるはずもない。

私の関心は、世界の現状を気遣い、胸を痛めている人々にあります。

このために、時には、余りに複雑になるのかも知れません。」

「映画は高度の緊張を伴う芸術形態です。

一般には理解されないことかも知れませんがね。

私は理解されたくないというのではなく、例えばスピルバーグのように、一般大衆向けに映画を作るのは私には出来ないということです。

もし自分にそんなことが出来ると分かったら、恐ろしく恥ずかしいでしょうね。

一般大衆に届きたいなら、芸術とは何ら関係のない『スターウォーズ』や『スーパーマン』のような映画を作らなければならない。

私が、大衆を白痴のように扱っていると、とらないでください。

ただ確かに私は、大衆を喜ばせようと苦心したりしない。

ジャーナリストの皆さんの前で、どうして私はいつもこんなに自己弁護ばかりしているんでしょうね。近頃私には、皆さんが欠かせないでしょう。

私の映画がアンゲロプロスと同じくらいの配給を得るのなら、特にそうでしょう!」
http://homepage.mac.com/satokk/at_in_italy.html

タルコフスキー、『ノスタルギア』を語る

内面への旅 ギデオン・バックマン


バックマン:
まず最初に、西側で仕事をする感想を話してもらいたいですね。

アンドレイ・タルコフスキー:今回は初めて外国で映画を撮るだけでなく、私は外国の条件下で初めて仕事をしています。

世界中どこに行っても映画を作るのは難しいと思います。

でも、何が難しいかが場所によって変わってくると私は気づきました。

こちらで、最も大きい障害は金と時間の不足がずっと続くことです。

特に資金不足は創造性を妨げ、また資金が不足すると時間が足りないということになる。

映画に取り組む時間が長くなるほど、コストも高くなる。


ここ西側では、お金が支配する。

ソビエト連邦で私は一度も費用のことは考える必要がなかった。

とにかく心配無用だった。

イタリアのテレビ会社RAIがとても気前よく、この映画製作に招いてくれました。
実際そうなんですが、割り当てられた予算は明らかに乏しい。

これまで外国で働いた経験がないので、いくらかは私の思いこみかも知れませんが。
現在のプロジェクトは実際に「文化的なイニシアチブ」と分類されていて、商業的ヴェンチャーとは思われていません。

一方では、イタリアの映画チームと技術的クルーと一緒に仕事をするのは、とびきり報いのある経験です。

彼らは極めつけのプロで、高度な知識があり、自分の仕事を楽しんでいるようです。
誰もが自分のやっていることを愛しているように見えます。

しかし私は、私たちロシア人の方法とイタリア人のやり方の比較をしたくない。
どこへ行っても、理由が何であれ、映画作りは複雑で骨の折れる仕事です。
私が西側で一番批判に値すると思うのは、全く経済的な要素に全面的に依存していることです。

これは、芸術形式としての映画の未来そのものを危難にさらす可能性をもっています。

ギデオン・バックマン:
あなたが20 年間に作った5作品:『僕の村は戦場だった』、『アンドレイ・ルブリョフ』、『ソラリス』、『鏡』そして『ストーカー』すべてに、個人と個人を取りまく環境の間にいつでも強い対立があります。
『ノスタルギア』でもこれがテーマですか?

強いのは常に葛藤そのものであり、個人ではありません。

それどころか、私の中心人物は必ずと言っていいほど、弱い人間です。

その人間の強さは彼らの弱さから生まれてくる。

彼らがその環境に上手く適応していない、環境と調和していないという事実から彼らの強さは生まれてきます。

当然、個人と社会の間には、際だった個人と彼を取りまく環境の間には、いつでも葛藤があります。

すなわち、これらの間にはいつでも対立が存在していて、これこそ私たちは葛藤だと言うのです。

人間関係の存在しないところには、葛藤もまた存在しない。

私は、社会との関係が対立の強い要素によって特徴付けられる人物を使うことに興味があります。

そういう人は自分を囲む現実に対して強烈な関係を持っていて、このために、そういう人は常に、最後には環境と衝突してしまうようです。

私はそういう人間を追いかけて、彼が自分の問題をどのようなやり方で解決するのか見つけだしたいのです。

自分のなかに閉じこもってしまうのか? 
それとも自分自身に誠実であり続けるのか?

ある意味で、これは私の作劇法のまさに根っこにある問題だと言えるかもしれません。


ギデオン・バックマン:
どのようにして『ノスタルギア』が誕生したのか、話していただけますか?

私は何度かイタリアへ来たことがありますが、およそ3年前に、よい友人で、イタリアの作家、詩人であり脚本家であるトニーノ・グウェッラと一緒に映画を作ることに決めました。

映画は私のイタリア体験をめぐるものになる予定でした。


オレグ・ヤンコフスキー演じるゴルチャコフは仕事でイタリアに来たロシアの知識人です。

映画のタイトルは、『ノスタルジア』という言葉では非常に不満足な翻訳でしかないのですが、私たちから遠く離れたものを求める苦悩、憧れても憧れても一体化することの出来ない諸世界を求める苦しみを示しています。

しかし、それは内面の故郷への憧れ、何らかの内的帰属感を表してもいるのです。

映画の「アクション」、出来事そのものの順序は、何度か修正されました。

一部は脚本を書いている準備段階で、また一部は撮影中にも修正されました。

私は分断された世界で、引き裂かれて砕け散った世界で生きることが不可能であることを表出したいのです。


ゴルチャコフは歴史の教授、国際的に知られたイタリア建築史の専門家です。

彼はそれまで複製と写真だけで知っていた、そして教えていた記念碑と建物を今こそはじめて、眼で見て手で触れる機会に恵まれたのです。

イタリアに到着するとすぐに、彼は、芸術作品を生みだした文化の統合的な部分にならない限り、芸術作品を伝えたり、翻訳することは出来ない。

知ることすら出来ないと実感し始めます。

さて、彼は18世紀の少しは知名度のある作曲家の足跡をたどるためにイタリアに来ます。

その作曲家は元はロシアの農奴だったのですが、主人によって宮廷音楽家として教育を受けるようにイタリアに送られたのでした。

彼はボローニャ音楽院でジャンバティスタ・マルティーニを師とし、やがて有名な作曲家となり、その後は自由人としてイタリアで生活をしました。

映画の重要なシーンに、ゴルチャコフが、イタリア人の通訳であり旅の連れである若い女性に、作曲家がロシアに書き送った手紙を示すところがあります。

そこで彼は、ホームシックを、彼の「ノスタルギア」を表現しています。

それが何を指示しているかと言うと、この作曲家は実はロシアに帰ったが、アル中になり、最後に自殺したということです。


ゴルチャコフにとっても、イタリアの経験は人生を変えるものになります。

イタリアの美とその歴史は、彼の魂に大きな印象を刻み込み、彼は苦しみます。

なぜなら、彼は自分自身の背景をイタリアと内的に和解させることができないのです。

彼のイタリア体験ははじめは全く外的な性格しか持っていないのに、ソ連に帰ったらそれが何かの終わりを内包するだろうと、彼はやがて気づきます。

そのため彼は憂鬱になります。

自分がイタリアで経験したことを忘れることも、捨ててしまうことも決して出来ないと知っているからです。

自分のイタリア経験を生かすことが自分にはできないのだと思い知ると、彼の内的な苦痛、「ノスタルギア」は増します。

このノスタルギアには、彼が自分の体験を故郷の愛する人々と共有することが出来ない、イタリアに出立する前には彼の最も近しい人々とも共有できないということを自覚することも含まれます。

他者と、自分の印象と経験を共有できないことをこのように意識すると、彼の滞在はひどく辛いものになります。

彼の魂は拷問をされたようになりますが、同時に、心の友を見いだす欲求が彼の中で揺れ動きます。彼を理解し、彼の経験を共有出来る者を求めます。


映画はノスタルギアの本性を探る一種の論考です。

あるいは、ノスタルジアと称されるかも知れないが、実際には憧れよりも多くのものを含んでいるあの経験に関する論考です。

ロシア人は、最大の困難を経験しなければ、新しい友人や知人と別れることが出来ない。

ソ連への帰郷が迫ると、それは悪夢になりますが、このイタリアへの憧れも、「ノスタルギア」と呼ばれるこの複雑な現象を創り出す多くの要素のひとつにすぎないのです。

ギデオン・バックマン:
映画では何が、魂の友を求める気持ちをあらわしているのですか?

ゴルチャコフは彼の経験を本に書くという最初の意思を放棄し、むしろ出会ったイタリア人に、その経験を手渡す、あるいは渡そうと心を決めます。

エルランド・ヨセフソン演じるトスカナの村の出身の数学教師に手渡そうとします。
7 年間このイタリア人は、彼が最も恐れる災害から妻子を救うために妻と子どもたちを家に閉じこめました。

彼は世界の終末を恐れていたのです。


この幾分異常で、神秘的な狂信者はゴルチャコフにとって、一種の「第二の自我」になります。

ゴルチャコフは彼に自分自身の感情と疑惑を認めます。

ドメニコ、その教師は映画の肯定的な力と見なせるかも知れません。

彼の性格は、未来に必要な状況を人格化しているからです。

彼はゴルチャコフの主な話し相手になりますが、彼は、ゴルチャコフが自分の内面に現れ始めていると感じる精神的な不安の極端な事例を表しています。

ドメニコはまた、人生の意味、自由と狂気の概念の意味の、絶えざる探求を表象しています。
もう一方では、彼は子どもの受容性を、しばしば子どもに見つけられる並はずれた感受性を、保持しています。

しかし、彼は、ロシア人に欠けているある特徴を併せ持っています。

ロシア人が容易に傷つき、生命の深い危機に陥る状況でも、このちょっと頭のおかしいイタリア人は単純で、核心にずぱっと斬り込んで、彼自身の啓発された外向性で、一般的な問題の解決を見いだします。

トニーノ・グウェッラが新聞の切り抜きでこの人物を見つけてきて、私たちはそれをもう少し展開しました。私たちは彼に子供じみた気前の良さといった感じを与えました。
一種無邪気な寛大さが彼には強力にある。

彼を取りまくものとの関連で彼の率直さは、子どもに見られるような信頼感を強く思い出させます。

彼は信念の行為を遂行するという思いに取り憑かれています。

火のついたロウソクを手に、トスカニアの村の真ん中にある巨大な、四角い古代ローマの温泉、バーニョ・ヴィニョーニの湯を抜いた温泉場を渡りきるといった行為です。

ゴルチャコフがこれをやろうとするのですが、ドメニコはさらに大きな犠牲が必要だと考えて、ローマに行き、カピトレウムのマルクス・アウレリウス像の上で焼身自殺をします。

それは暴力的な犠牲行為ですが、しかし狂信の要素はいささかもなく、 啓示の瞬間に啓示される救済への心穏やかな信念で行われます。

ギデオン・バックマン:
主人公の2人、建築学の教授と数学教師は、あなたが個人的に自己同一視出来る性格を持っていますか?

私が2人のどこが一番好きかと言うと、狂人の行為にある信頼感であり、旅人のほうは、より大きな理解を達成しようとする執拗さです。

その執拗さは希望と呼ぶことも出来るでしょう。

ギデオン・バックマン:
この2人を結びつける関係はご自身の気持ちを反映していますか?…

私のヒーローは、「狂人」を首尾一貫した強い人格だと考えている。

「狂人」は自分自身の行動に確信があるが、ヒーロー自身にはこのような確信が欠けている。

それで彼はドメニコにすっかり魅了され、最後には、ドメニコこそ、私のヒーローがいつも考え込んではすべてを合理化していたのを、そうすることなく生きる勇気を与える助けになります。

この意味で—この展開のおかげで—ドメニコはゴルチャコフの「もう一つの自我」になるのです。

人生で最も強い者は、子供の信頼と直観的な安心感を保持することに成功した者である。

ギデオン・バックマン:
この映画を作る何らかの外的な理由があるのですか? 
その内的緊張を解読する鍵を与える何らかの明らかなテーマが?

私にとって、人々が互いに出会って一緒に働くことがどれほど重要であるかを何度でも示すことがとても大切なのです。

独りで、自分の秘密の片隅で生きるときには、欺瞞的な平穏が支配するように思えます。しかし2人の人間が互いに接触すると途端に、この接触がどのように深められるか、意味深いものになりうるかという問題が生じます。

この映画は、ですから、何よりもまず、文明の2 つの形式、2 つの生き方、2つの異なる考え方に内在する葛藤を扱っています。第二に、人間関係で巡り会う類の困難を扱った映画です。

男女の愛情関係ということになると、一緒に生活することがどれほど難しいか、お互いをよく知らないときにお互いに感じた愛情を感じるのがどれほど難しいか、そういうことを示したいと思います。表面的に知り合うことは簡単ですが、お互いを本当に知るようになるのはずっと困難です。ゴルチャコフはイタリア女性の通訳と一緒です。若い女優ドミツィアーナ・ジョルダーノがエウジェニアを演じています。

それは—単純に言うと— 教授と女性との、始まりもしないラヴストーリーでもあります。


しかし、もっと広いパースペクティヴから見ると、映画は文化を輸入したり輸出することが不可能であることを示すでしょう。ソビエト連邦の私たちはダンテとペトラルカを理解していると思っているが、これは正しくない。またイタリア人はプーシキンを知っていると思っているが、これもまた誤った考えである。抜本的改革がない限り、その文化に疎遠な人に、ある民族の文化を移植することは絶対不可能でしょう。

ゴルチャコフの苦悩がはじまるのは、彼を取りまくすべての新しいもの—イタリア滞在中に彼の関心を惹いた感情と人間に魅了されるのを自分が遅かれ早かれ止めなければならないと気づくときです。新たな魅惑と興味が彼の中でうごめき始めます。

彼はある人物に出会う。彼自身のように、真の関係を築くのは不可能であると理解していて、それゆえに自分自身を犠牲にする人物です。その人物、ドメニコは同じような心の断片化に苦しんでいます。自分の内側で全世界と、あらゆる良きもの、人間、情緒、そして霊性と、一体化することが出来ないことで苦しんでいる。

誰もがドメニコを「狂人」だと思っている。もしかするとそうなのでしょう。
しかし彼が狂人だと見なされる理由、彼の反応と感情を生み出す理由、ゴルチャコフが非常にはっきりと認識する感情は、全く正常なものです。

ギデオン・バックマン:
それは別の受肉をした自己との出会いなのですか?

ゴルチャコフは類似を認識し、出会いが比較的短いという事実にもかかわらず彼は2人の間のつながりを感じることができます。2人の苦しみが似ていることが、2人を結びつけるのです。

映画を撮影していくうちに、ドメニコはさらにもっと重要になり、私たちは彼に、当初よりずっと堅固な造形を与えました。真の触れあいが不可能だとゴルチャコフがますます自覚するようになったことを、彼はさらに明確に表現します。

ある程度、彼はまた私たち全員が生きざるを得ない恐れ、来るべき未来の私たちの不安をも、表現しています。恐怖こそ、未来を待ち受ける私たちの心理状態の問題なのです。—未来が抱えた問題なのです。


誰もが未来を憂慮している。未来に安心できない。

この映画はこの私たちの不安と深く関わっています。
また我々の無感動もテーマです。

無感動がいかなる方向にでも状況を展開させてしまうからです。私たちは憂慮していますが、それと同時に状況を変えるために何もしていない。確かに、私たちは実際には多くのことをしていますが、私たちが「実際に」していることは、絶望的に不十分です。もっと多くのことをすべきなのです。

私がかかわっている限りでは、私にできるすべてがこの映画です。私が捧げるささやかなすべてです。ドメニコの苦闘は私たちすべてと関わっているのだと示すこと、あまりに受け身だと私たちすべてを責めるときドメニコが全く正しいのだと示すしか私には出来ない。彼は「正常者」が怠惰すぎると訴える「愚者」です。彼を取りまくものすべてを揺すり起こすために、自己を犠牲にして、自分自身の警告を強調します。これが彼の犠牲であり、彼に出来るすべてなのです。

彼の意図は、私たちに行動を強制することであり、「現在」を変えることです。

ギデオン・バックマン:
ドメニコにこの行為をさせる世界観はあなたのものでもありますか?

ドメニコの性格の本質的な要素は、彼の世界観そのものではありません。

究極の犠牲行為へと彼を導くあの世界観ではありません。

むしろ彼が内面の葛藤を解決するために彼が選択するやり方なのです。

従って、私は彼に立ち現れる葛藤ほど、彼の出発点に興味がありません。

私は彼の抗議がどのように生まれたのか、彼がどのようにそれを表現したのかを、理解したいし、示したいのです。

私は実は、彼がそれを「どのように」表現するかにも興味がないのです。

最も重要な事は、抗議そのものの存在自体なのです。

私は、個人が抗議を表現するのに選ぶ方法が重要だと思います。

恐れることなくはっきりと表明された素朴な意見すら(頭がおかしいと思われても仕方がない意見でも)、いわゆる「正常人」の話より、怠慢なおしゃべりに身を委ねて、決して何も実際は「行動」しない人の言葉よりも、多くのことを意味しうるのです。

ギデオン・バックマン:
あなたの考えが多数の聴衆に達することが重要だと思われますか?

万人が理解できる芸術映画の形式が存在すると私は思わない。

従って、すべての観客の役に立つ映画を作ることはほとんど不可能です。もしそれが出来たら、芸術作品ではなくなるでしょう。芸術作品は、異議申し立てを受けずに、認められることはないのです。

スピルバーグのような監督には大変な観客がついていて、巨万の富が懐に入り、だれもがそれを喜びますが、彼は決して芸術家ではないし、彼の映画は芸術ではない。もし私が彼のように映画を作るなら—自分に出来るとは思いませんが—私はまったくの恐怖で死んでしまうでしょう。芸術は山のようなものです。山頂があり、それを取りまいて丘陵がある。山頂に存在するものを誰もが理解できるわけではない。


観客を虜にして、私がやっていることに興味をもたせることが私の課題だとは思いません。それが暗示しているのは、私が彼らの知性を過小評価しているということだからです。結局、観客が馬鹿ばかりだとは思いません....

しかし私が芸術作品をつくるということだけ、プロデューサーに約束したら、世界のプロデューサーは誰も私に、びた一文投資しないということを私はしばしば考えます。

ですから、私は自分の作る映画の1作1作に私の精力と勤勉さのすべてを投資します。

私は私のベストを尽くそうとします。そうしなければ、私は二度と映画を作るチャンスに恵まれないかも知れません。

私は私なりのやり方で、自分の理想を妥協させずに、観客の関心を獲得するのに成功してきたと思います。

そしてそれが、結局、大切なのです。

私は、青い空の彼方をただよう知的なタイプではないし、別の惑星からやって来たわけでもない。

それどころか、私は地球と地球の人々に親密な絆を感じます。

端的に言うと、私は知的に実際以上にも実際以下にも見られたくない。

私は観客と同レベルですが、私には別の役割がある。私の使命は観客の使命とは異なっている。

あらゆる人の理解を得ることは私には重要でありません。
私にとって最も重要ことは、万人に理解されることはないということです。

映画が芸術形式なら—私たちは同意見だと思いますが—芸術の傑作は消費財ではない、むしろ、創造性の見地からも、それを生み出す文化に関しても、時代の理想を表現する芸術的頂点なのです。それを忘れてはいけない。

傑作は、私達が生きている特定の時代の理想に形式を与えます。

理想は、決して万人にすぐ近づけるものではない。

理想に近づくには、精神的に発達し、成長しなければならない。

大衆の精神的なレベルと芸術家が証す理想の間の弁証法的な緊張が消えるなら、芸術が本来の目的と働きを喪失してしまったということになります。

残念ながら、目にする映画が単なるエンターテインメントのレベルを超えていると言えるのは稀です。

私がドヴジェンコ、オルミ、ブレッソンの映画を大切に思うのは、彼らの純粋で素朴な禁欲的な感触に私が惹かれるからです。芸術はこうした特徴に到達する努力をしなければならない。それから信頼感に。


観客の意識に創造的な理念が到達する前提条件は、創作者が観客に信頼を寄せているということです。両者は共通のレベルで相互に意思疎通することが出来なければならない。他に道はありません。

創造者にとって全く明白なものに関するときですら、観客に理解を暴力的に強制しようとしても無価値です。しかし、観客の倫理原則を尊重しなければならないとしても、近代的映画芸術形式を創造する自らの義務に妥協があってはならない。

観客の後ろ向きの趣味に支配されてはならない。

私は、文学的、演劇的、劇的な構築を信じない。


それは芸術形式としての映画特有の作劇術と共通点がない。

ほとんどの現代映画はアクションをとりまく情況、映画の叙述を観客に説明することに終始する。しかし映画に説明は要らない。むしろ情緒に直接訴える必要がある。その時高められた情緒の状態が知性を自ずと前進させるのです。


私は、主題自体の論理の代わりに主観的な論理—思念、夢、記憶—を伝えさせてくれる映画を編集する原理に到達しようと努力しています。

私は、現実の状態と魂の人間的な状況、言い換えると、人間の行動に影響を及ぼす要因から発生する形式を探しています。

それは心理的な真実を提示する最初の条件です。

ギデオン・バックマン:
「主題の論理」は映画のプロットと同じですか?

私の映画では、物語自体は特に重要ではありません。

私の作品で真に意義深いものは、映画のプロットに表現されたことは一度もない。

私は不必要に気を散らすものを排除して、重要なことについて話そうとします。

純粋に論理的なレベルでは必ずしも結びつかない事物を示します。

内的な人間性において、私たちにそうした事物を結びつけるもろもろの思念をひっかきまわすのです。

ギデオン・バックマン:
ということは、あなたにとって重要なことは映画で伝えられる情緒であって、語られるストーリーそのものではないと言うことですか?

私は、私の映画であれはどういう意味なのか、これはどういう意味かとよく尋ねられます。

ひどい話です! 

芸術家は自分の狙いを答える必要はない。

私は、自作に関して特に深い考え、深遠な思想を持っていません。

私の象徴が何を表すのか、私はまったく分からない。

私が唯一追求しているのは、そういう象徴が特定の情緒を生み出すということです。

どのような感情が出現するにしろ、それは内面からのあなたの応答に基づいているのです。

ひとは常に、私の作品に隠された意味を発見しようとします。

しかし映画を作り、同時に、自分の思考を隠そうとするのは変ではないですか?私のイメージは、ありのままのイメージであり、何の意味もない.... 私たちは自分自身をあまりよく知らない。

つまり、 時々私たちは慣習的なやり方では計りきれない力を表出することがあるのです。

ギデオン・バックマン:

あなたの映画で「旅人」が頻繁に隠喩として用いられて来ましたが、『ノスタルギア』の場合のように、はっきり定義された主題であったことはありません。あなたはご自身を「旅人」と思われますか?

1 つの旅しか可能でない. 内面への旅です。

地球の表面をあちこち駆けめぐっても大したことは学ばない。

いつか出発点に帰り着くように旅をするとも私は信じない。

人間は決して出発点には戻らない。

なぜなら旅の過程で彼が変わってしまうからだ。

そして言うまでもなく、私たちは自分自身から逃れられない。

私たちは、私たちであるものを、担っている。

私たちは私たちの魂の住処を、カメが甲羅を運んでいるように、運んでいる。

世界中の国をめぐる旅は、単なる象徴的旅でしょう。

どこに到達しようとも、探しているのはやはり自分自身の魂である。

ギデオン・バックマン:
自分自身の魂を探索するためには自分自身に強い確信がなければならない。しかし今日、自分の立場を取りうる自分自身の能力への人間の信念は、 —いたるところで—外的な出来事、外側から来る理念への信念に価値をおく狂信に屈服してきたように、私には思えます。

そうです。私は、人類が自分自身を信じることを止めてしまったと感じています。

言い換えると、「人類」そのもの—ではなく、そんな概念は存在していません—むしろひとりひとりの人間個人を信じる気持ちがなくなってしまった。

現代人の魂を考えるとき、私には合唱隊の女性歌手に見えます。

彼女は音楽のリズムに合わせて口をパクパクするのですが、一音も発声しないのです。

結局、他の皆が歌っているのです!

彼女は歌っているふりをしているだけです。

他の人たちの歌で十分だと思っている限り、そうです。彼女がこんなふうに振る舞えるのは、自分自身の個人の行動の大切さに信頼を失っているからです。

現代人は信念を欠いている。自分の行動で社会に影響を及ぼすことが出来るという希望を喪失している。

ギデオン・バックマン:
そのような世界で映画を作る意味は何ですか?

人生の唯一の意味は、精神的に成長するときに求められる努力にあります。

誕生したときとは別の何かに私たちは変わる。

人生の意味は、発達してそうなるのに必要な努力にある。誕生と死の間の期間にこれを成就するなら、それが困難であり、進歩が時にはのろのろしたものに思えるとしても、私たちは実際、人間性に奉仕したことになるのです。

私はますます東洋哲学に興味をそそられています。

そこでは、人生の意味は観想にあり、人は宇宙の不可分の部分なのです。

西洋世界はあまりにも合理的になり、西洋の人生観は、より実用主義に根ざしているように見えます。
つまり、あらゆるものを少しずつ完璧なバランスに保ち、体を生き続けられるようにして、出来るだけ長い間ただ「存在」していればよい。

ギデオン・バックマン:
存在の経験を描く計器としての時間の概念を信じないのですか?

私は、「時間」が本質的に客観的なカテゴリーでないと確信しています。

「時間」は、人間がそれを知覚しなければ存在できないからです。

科学的な発見の数々も同じ結論を引きだしているようです。

私たちは「今」に生きていない。

「今」はあまりにも移ろいやすいので、ゼロではないが近づくほどにゼロに近づくので、それをつかまえる方法がない。

私たちが「今」と呼ぶ時間の瞬間はただちに「過去」になり、「未来」と呼ぶものが「今」になり、それもまたすぐに「過去」になる。

「今」を経験する唯一の方法は、自分自身を「今」と「未来」の間に存在する深淵に突き落としてみることです。

こういう理由から、「ノスタルギア」は過ぎ去った時をめぐる単なる悲嘆と同じではないのです。

ノスタルギアは、私たちが自分の内的な天賦を当てにするのを諦めて、それらを適切に整え利用しないとき、そうすることで自分の義務を行うのを怠ったとき、そうやって消え去った時をめぐる強烈な悲しみの感情なのです。
http://homepage.mac.com/satokk/bachman.html

カンヌのタルコフスキー

50歳になるアンドレイ・タルコフスキー、この繊細な詩人にして見事な映像芸術家(20年で5作−5つの傑作映画の創造者)がカンヌ映画祭にやってきた。

明日『ノスタルギア』を上映してイタリアの旗を高く掲げることになる。

この映画は彼とトニーノ・グウェッラとの共同脚本で、RAIとゴーモンの出資でローマで撮影された。

真剣なテーマの映画を見せることになる彼は、真剣なテーマを語ることになる。


ポルロ:
何への郷愁なのでしょうか、タルコフスキーさん?

タルコフスキー:私たちの「ノスタルギア」はあなたたちの「ノスタルジア:郷愁」ではありません。

個人的な感情ではなく、国外に出たロシア人が経験するとても複雑で深遠なものなのです。

それは、病です。

魂の力、仕事の能力、生きる喜びを枯渇させる病気です。

私は、このノスタルギアを、具体的な物語、イタリアに来たソヴィエトのインテリゲンチャの話と突き合わせて、分析します。

ポルロ:
そのノスタルギアにさいなまれながら、イタリアでの仕事はどうでしたか?

きわめて良好でした。

なぜなら、なんといっても、映画というものはどこでも大きな家族なのです。

この映画をつくるのに通訳もいらなかった。

ブロークンなイタリア語で言いたいことは通じましたから。

映画は普遍的な言語を使っています。

お互いを理解し、自分を説明するのに役立ちます。

ところが、この手の仕事、つまり映画作りの財政面に関して、議論が多すぎるのには驚きました。ロシアでは、議論にもならないことですから。

ポルロ:
ロシア人の主人公を見ていると、自伝的な映画として見たい気持ちに駆られるのですが。

そうですよ。ただし芸術的な観点からに、限られますが。

実際、そういう意味では、この映画ほど暴力的なほど私の気分を反映させた映画をつくったことがありません。

私の内面世界をこれほど深く解放させた映画は初めてです。

私自身、完成した映画を観たとき、この表出力に直面して愕然としました。

気分が悪くなったほどです。

鏡に映った自分の姿を見たときや、自分のもくろみを踏み越えてやりすぎたと感じたときに経験するのと同じ気分です。

ポルロ:
それでは、何があなたのもくろみだったのですか?

私の願いは、イタリアにやってきて、自分に関して思いがけない情緒を発見するロシア人を観察することでした。

もちろん、私がアフリカに行っても、どこに行っても、同じことが起きたことでしょう。

この男は国と国を隔てる障壁がある理由が分からない。

人間同士を分離しようとする人工的な慣例を受け入れない。

こういうことは当然、彼に恐ろしい苦悩を引き起こします。

お互いにもっと理解するにはどうしたらいいか聞けば、子どもでも、国境を開放したらいいと答えるでしょう。

もちろん、これは素朴で、理想主義的な答えですが、基本的には正当なものです。

この素朴な世界観と祖国を出た人間の現実的な生活状況がこのように衝突することから、ドラマが生まれるのです。

ポルロ:
お仕事が助けになりましたか?

映画はもっとも高貴で重要な芸術です。

とはいえ、商業と商品市場から誕生したという原罪をいまだに贖っているところなのですが。

ポルロ:
このすべては悲観論に非常に近いとは思いませんか?

その逆です。真の悲観論者は、幸福を求め続ける人たちです。

2,3年待って、それからどこまで実現したか、訊いてみたらいいのです。

ポルロ:
あなたの楽観論がどこにあるのか訊いてもいいですか?

私たちの文明のドラマは、科学技術のニーズが、精神性の要求から調和を欠いて、一方的に発達していることにあるのです。霊性の完成こそ、人生の本当の目的なのです。
http://homepage.mac.com/satokk/canne.html

アンドレイ・タルコフスキー・インタビュー2

(ナタリア・アスペシ)1983年カンヌ
私たちロシア人には、あの優しい感情が致命的な病なのです

アスペシ:
賞に関心はないのですか?

タルコフスキー:ないと言えば、嘘になります。

自分の本が読まれようが読まれまいが、気にしないという作家のようなことになってしまいます。

映画は観られるためにつくられるのです。

万が一、『ノスタルギア』がここカンヌで受賞したら、私はとてもうれしいでしょう。

『ノスタルギア』はイタリアで構想、撮影、製作されましたが、私の映画の中で最もロシア的な映画です。

アスペシ:
イタリアの生活はどうですか?

とても気に入っています。

イタリアは私が長期間いられる唯一の国です。

他なら一週間以上いられないでしょう。

けれども、月末にはモスクワに戻ります。

私の国、私の人々から離れて私は長くは生きられないのです。

私には多くの企画があります。心を決めなければならない。

なかでも、ドストエフスキーの『白痴』に基づく映画を構想しています。

私の教養は、偉大なロシアの作家たちによって、形成され、養われました。

彼らのように、私は物質生活と精神生活を融和させようと苦闘する劇的な状況を経験しています。

アスペシ:
カンヌ映画祭に持ってくるまでに『ノスタルギア』を一度しか観ていないというのは本当ですか?

そうです。大満足です。私の一番うまく実現した映画だと感じています。

私の内面世界を最も良く表現した映画です。

主人公は私の「分身」みたいなものです。

私の感情、私の心理、私の本性、そのすべてを持っています。

彼は鏡に映った私の姿です。

アスペシ:
なぜ自分の映画について話したくないのですか?

それは正確ではありません。映画のプロットを繰り返したくはない。

それ自体は意味がないからです。

ロシアの作家が、同郷の人間の研究をしにイタリアに来た。

その音楽家の足跡は2世紀前に失われている。

そこで、イタリア人の教授と金髪の通訳に出会って・・・。

こんなことを知って、何が面白いのですか? 

しかし、映画が言おうとしていることは説明しようとすることは出来ますよ。

それは情緒の表出です。私の中に最も深く根ざしている感情です。

ソ連を出るときに、それを最も強烈に感じたのです。

まさにその理由のために、イタリアだから『ノスタルギア』を撮影できたと言うのです。

私たちロシア人にとって、私たちにとって、ノスタルギアは優しく優しく甘い感情ではありません。

あなたたちイタリア人にとってはそうかもしれませんが。

私たちにとって、それは一種の死の病です。命に関わる病気です。

この深い共感が私たちを、自分だけの苦しみ、あこがれ、別離に縛らないで、他の者の苦悩に結びつけるのです。情熱に満ちたエンパシーです。

アスペシ:
『ノスタルギア』をご自分の作品のどこに位置づけされますか?

『ノスタルギア』は私にとってきわめて重要な映画です。

私が自分自身をすっかりと表出することができた映画です。

こう言いましょう。映画というものが真に偉大な芸術形式で、人間の魂のもっとも知覚不能な動きすら忠実に表象できるということを私に確証してくれました。

アスペシ:
たとえ一度でもご覧になって、完成した映画でもっとも心に残ったのは何でしょう?

そのほとんど耐え難い悲しみです。

ところが、それが精神性に自分を浸したいという私の欲求を非常に見事に反映しているのです。

とにかく、私は悦楽に耐えられない。

陽気な人たちは有罪だと私には思えます。

なぜなら、彼らは存在の憂慮すべき価値を理解できないのだから。

子どもと老人には幸福を許しますよ、でも、他の連中に関して、私は不寛容だ。


アスペシ:
23年のキャリアで、なぜ6作しか作っていないのですか?

作りたい映画だけを作ったからです。

相当な資金が必要でしたね。今、50歳になり、このような慎重さや、私自身の欲張りな点といった問題を自問し始めています。

私は急がなければならない。

もっと仕事をしなければならない。すべてを言わなければならない。
http://homepage.mac.com/satokk/aspesi.html

20年ぶりのタルコフスキー映画「ノスタルジア」


群馬会館でタルコフスキーの「ノスタルジア」を20年ぶりぐらいで見ました。

むかしはタルコフスキーに熱狂していた一時期もあったのですが、しばらく前からその熱も冷めてしまってよいのか悪いのか映画の中身とは関係ないところを見てしまいます。

登場する犬はシェパードみたいですが、この犬がとてもかしこい。

おそらくこの犬がうまく「演技」していなかったら、「ノスタルジア」の完成はおぼつかなったでしょう。


ロシアの田舎のシーン、詩人アンドレが滞在するホテル、狂人ドメニコの家などさまざまのシーンで犬が登場しますが、よほど訓練されていて勝手に動き回るような無駄な演技をしません。

まあ、動物のことですから何度かはNGを出したのだろうが、いい演技をしています。

追記 : このシェパードだが、タルコフスキー自身が飼っていたダックス(ダーネチカ)という愛犬じゃないかと思う。


あと、あらためて思ったのはカメラの撮影がとても丁寧に撮られていたこと。

その前に見た河瀬直美の「火蛍」の撮影ハンディ・カメラだったので対照的に感じられました。

「ノスタルジア」は人物など画面の中心を見ているとわからないのですが、画面の端を見ていると超スローでアップしてゆくのがわかります。

あれはカメラ自体に備わっている機能を使ってズームしたのか、それともレールの上でカメラを移動させたのだろうか?

ラストシーンのロシアの田舎とイタリアの遺跡を合成させたシーンもあらためて見るととても奇妙です。前景と後景とでは雪の降り方が異なっているのだ。

CG全盛の今日からすれば新鮮に感じられます。

もっともタルコフスキーには東京の首都高速を撮って未来都市を表現するというウルトラCの大技がありますね。撮影を担当したのはジョゼッペ・ランチという方らしい。

詩人アンドレのホテルの部屋、アンドレが窓を開けると外は雨降りなので部屋の向こうがわからないのです。

最初植え込みか森だろうと見当をつけていたが、しばらくすると薄黒いかたまりがゆっくりと下に流れていくのです。

なんだろう思っていると、また黒いのがゆっくりと下に落ちていく。
フィルムのキズでもなさそうだし。

窓ガラスはないはずなのですが仮にガラスがあったとすれば、窓に貼りついた木の葉が雨に打たれて流れ落ちている感じがした。

そのシーンではその黒いものの正体はわからずじまいだったのだが、ラスト近くで雨ぬきのシーンがあったので確認してみる。窓の外は土壁。

つまりあの黒っぽいものはどうやら土壁が剥がれて流れ落ちていたのだ。
詩人アンドレのホテルの部屋は映画用のセットだろうから、インスタントにこしらえた壁がホースで散水した水で流れてしまったようです。
ノスタルジア・コム http://www.acs.ucalgary.ca/~tstronds/nostalghia.com/
http://fuqusuke.s32.xrea.com/archives/000050.html

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2. ストーカー 1979年 


http://www.youtube.com/watch?v=dGwpgSW8wQA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=dTakMaoJUl0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=2O_XGItZVOc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=fxkBTdnNd0k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=dp2rdb4wCyM
http://www.youtube.com/watch?v=VZ0FczfG8yY&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=Rw8zxBuB4zg&feature=related
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http://www.youtube.com/watch?v=eRG5gD_euMs&feature=related
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http://www.youtube.com/watch?v=bSxqIH3h2Kg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=5Ej387lNJGk&feature=related


http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC-DVD-%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/B00006RTTS/ref=pd_cp_d_0_img

『ストーカー』でゾーンが出来た説明の1つとして、4号炉の崩壊が挙げられていた。
6年後にチェルノブイリ原子力発電所の4号炉とその建屋が爆発しようとは…
この映画、タルコフスキーが祖国で撮った最後の映画は、予言と予兆に満ちあふれている。

ちょうど20年前に『ストーカー』はスクリーンに映し出された。

…ストルガツキー兄弟もタルコフスキーも名を挙げていない地域に突然ゾーンが出現した…

謎が出現し、それと軌を一にしてそこを調査したいと願う人々が現れた。

ストーカーもまた出現した。

ストルガツキー兄弟によると、ストーカーはうろついている観光客にゾーンの謎を売る略奪者だ。

タルコフスキーによると、ストーカーは、失われた魂をゾーンに導く運命にあり、彼の目標はそうした魂の救済である。

…『ストーカー』が封切りとなり、ゾーンに注がれる観客の関心がいっこうに冷めることもなく、20年が経過した。

何たることか! 映画に大きな貢献をした人たちはほとんど誰もこの世にいない。

偉大なロシアの芸術家アンドレイ・タルコフスキーは 墓地で眠っている。

ラリッサ夫人もまたこの世を去った、『ストーカー』の助監督だった。

編集のリュドミラ・フェイギノーワは悲劇的な焼死をした。

才能豊かなカメラももういない。ゲオルギ・レールベルクが最初のカメラだった。

撮り直しをしたアレクサンダー・クニャジンスキーもいない。

主役の俳優たちも死んだ。

傑出した俳優たち、アレクサンダー・カイダノフスキー、アナトーリ・ソロニーツィン、ニコライ・グリンコ…『ストーカー』に関わった数少ない生き残り、音響デザインを手がけたウラジミール・イヴァノヴィッチ・シャルンは、『ストーカー』の長期に及んだ過酷な撮影スケジュールこそ、キャストとクルーの状況に影響を及ぼして、それが彼らの若死にを招いたのだと、考えたくなるという…


耐えられないタルコフスキー


ヴラジミール・シャルンはこう回想する。

偶然タルコフスキーと仕事をする者はいなかった。

この人物がまさしく手強い人物であると誰もが知っていた。

一方で誰もが彼の厳しい要求を恐れていた。

もう一方でタルコフスキーの映画はひどい時間超過になることも知られていた。

ソ連時代にクルーは残業しても金にならなかった。

そしてタルコフスキーの「欠点」のなかで最も重要なものは、この偉大な芸術家が何でもかんでも自分でやろうとすることだった。

結局彼は『ストーカー』のセットデザイナーも務めることになった。

撮影の全ショットで草の葉先の一本いっぽんまで彼自身の手で位置を決められたものである。

私が『ストーカー』の仕事の契約に署名したとき、同僚はこう警告した。

「ダビングが始まって、プリントの準備をしようとすると、ますます困ることになるぞ。

最後の最後の瞬間に何か新しいアイデアが浮かんで、あんたは独りですべてをやり直すような羽目になるぞ。」


作曲家エドゥアルド・アルテミエフはこう想い出す:

「私がタルコフスキーに初めて会ったのはー『ソラリス』の時だったがー私は困り果ててしまった。

自分に必要なのは、音楽ではなく、音楽的にアレンジされた一連のノイズだと言明したのである。

おまけに、『アンドレイ・ルブリョフ』と『僕の村は戦場だった』のスコアを書いたヴャチェスラフ・オフチンニコフ以上の作曲家は想像できないと宣言した。

タルコフスキーと仕事をしている間ずっと、信頼されてないのではないのかという思いが私を去らなかった。

一作ごとに試験を受けて、自分のベストを絞り出そうとしている感じでした…」


タルコフスキーとUFO


「タルコフスキーは奇蹟があると信じていた、それは間違いない。」とシャルンは続ける。

「彼は空飛ぶ円盤の実在を堅く信じていたし、リャザン郡のミアスノエにある自宅の近くで見たと主張すらした。

彼の確信を覆すことは誰にも出来なかった。

地球外生命の存在にタルコフスキーは何ら疑念を差し挟もうとしなかった。

ちなみに、こういうことが神への信仰と見事に合わさっていました。

聖マタイと聖ルカ福音書を文字どおり暗唱していて、全文を空で言うことが出来ました。

「尋常でないものならタルコフスキーは情熱を傾けたので、エドゥアルド・ナウモフという男がいつの間にか私たちの仲間に入ってきました。

彼は超常現象に関して人気のある映画を何本か作っていて、超常現象に関する講座をやっていました。確か、彼はこういう自分の大規模な集会のチケットを不法に販売したために実際に臭い飯を食ったことがあります。

タルコフスキーのサークルは彼を可能な限り援助していました。

一度ナウモフは彼の映画の1本を見せてくれました。

当時有名なサイキックであったニネル・セルゲイエヴナ・クラギナを扱ったものでした。

戦時中彼女は戦闘機の射手ー航空士でしたが、ドイツ人にパイロットもろとも撃墜されました。

そのパイロットとそれから結婚して、3人の子どもをつくりました。

3人目の子どもが出来た後、テレキネシスの能力があることに彼女は気づきました
ー視線で物体を動かせたのです。

スクリーンに映ったクラギナは、科学者のような人々に囲まれて、透明のテーブルの向こうで腰掛けていました

ーいかさまと言われるのを避けるためにです。

テーブルの上にはライター、スプーン、その他のものが載っていました。
クラギナの顔が緊張で暗くなりました。

瞬き1つしない視線をライターに向けると、ライターは彼女の視線のままに動いたのです。

タルコフスキーは興味深げにナウモフのフィルムを見て、上映が終わるや否や叫びました。

「やあ、どうだい、これは『ストーカー』のエンディングだぞ!」

「あいにくセットにサイキックはいなかった。

ストーカーの娘の半ば呆けた視線を受けて動くことになっているカップは、見えない糸1本で結ばれていて、テーブルの向こうから私たちがそれを引っぱりました。

私はこの引っぱる仕事をしっかりやろうとしたのですが、タルコフスキーは私を蹴飛ばしてー犬の鳴き声の録音に行かせた。

それでカップは自分で引っぱったのでした。」

『ストーカー』の数々の拷問


「『ストーカー』にはいくつか問題があった。

映画の運命は不思議なものだった。

西ベルリンにガンバロフというプロデューサーがいた。

彼はタルコフスキーのいくつかの映画の世界配給権を持っていて、タルコフスキーに、当時まず手に入らないコダックのストックを供給した。

『ストーカー』のために、出たばかりの新しいコダックフィルムを送ってきた。

ゲオルギー・レルベルクがその頃『ストーカー』のカメラマンだった。

彼はタルコフスキーの『鏡』の撮影を務めたカメラマンだ。

しかしそこで災いが襲ってきた。

モスフィルムの掘り抜き井戸が壊れて、フィルムを加工するのに必要な水がなかった。
連中は私たちに何も言わずに、フィルム素材は現像されないまま17日間ほったらかされた。

感光されたまま現像されないフィルムは質が落ちる。感度が落ちて劣化する。

簡潔に言うと、第1部の素材の全部がスクラップの山になった。

おまけにーこれはアンドレイ本人が私に言ったことを繰り返しているのですータルコフスキーはフィルムをぱくられたと信じていました。

『ストーカー』のために特別にガンバロフが送ってきたこの新しいコダックは盗まれて、どうわけなのか、タルコフスキーの敵である、さる著名なソ連映画監督の手に入った。

そして、連中はアンドレイに普通のコダックを与えたが、誰もそれは知らなかった。
それで彼らはいつもと違う現像をやった。

タルコフスキーは敵の計略の結果だと思っていた。
しかし私は、日常的なロシアの怠惰さの結果にすぎないと思います。」

「おシャカになったフィルムの試写はスキャンダルになった。

タルコフスキー、レールベルク、ストルガツキー兄弟、ラリッサ夫人が映写室に集まっていた。

突然ストルガツキー兄弟のひとりがレールベルクのほうを向いて、ナイーブに訊いた。

「ゴーシャ、なぜここで何も見えないのかな?」

レルベルクは、自分のやることには一点の非もないといつも自負しているので、こう言った。


「うるさいぞ、黙っていろ、お前だってドストエフスキーじゃないだろ!」


タルコフスキーは怒りで我を忘れた。

しかしレールベルクの気持ちも分かりますね。

カメラマンにとって素材のすべてがおシャカになっているのを見るのがどういう意味か、想像してみてください! 

レールベルクはドアを乱暴に開け閉めして、車に乗ってどこかへ行ってしまった。
二度とセットに現れなかった。

それでカメラマンのレオニード・カラシニコフが登場した、間違いなく名人だ。
2週間一緒にいて、最後に、タルコフスキーが自分に何を望んでいるのか、分からないと正直に認めた。カラシニコフは自分から現場を離れたが、タルコフスキーはそういう誠実で勇気ある行動のために、彼に感謝していた。

それから、アレクサンドル・クニャジンスキーが加わった。」

ゴスキノUSSRの前代表議長ボリス・パヴリオノクの回想録から:


「タルコフスキーが映画を再撮影するチャンスを与えられないなら、映画が出来上がらないのは明らかだった。

政府は決定を下した:映画を再撮影せよ、必要な資金を供出せよ(40万ルーブルほど)…」

予想外の撮影日

タリンでの撮影が新たに始まったが、クルーはあまりうまくやっていなかった。

6月のある日に雪が降った。

木の葉が一枚残らず散ってしまったので、撮影機会もまた散ってしまった。

またぞろ製作中止の問題が持ち上がった。

クルーは2週間何もすることがなかったので、退屈をまぎらすために多くの者が酒瓶を愛するようになった」とウラジミール・シャルンは回想する。

「タルコフスキーはこの状況がどれほど危険であるか、承知していたので、行動する決意を固めた。

私たちはタリン郊外のひどいホテルに泊まっていた。

部屋に電話があるのは私だけだった。

ある夜タルコフスキーは私を呼んで、明日の7時から撮影を開始するとみんなに言ってくれといった。

しかし言うのは簡単ですよ! 

この間私の助手は退屈を紛らすために「トロイナヤ」というオーデコロンに砂糖で味付けをして飲んだくれていたんだ!
 
ソロニーツィンの部屋にはいると、トーリャと彼のメーキャップもすっかりへべれけだった。

明朝の撮影の話をすると、彼はパニックになった!
 
彼はアンドレイ・アルセェーニヴィッチを神のように崇拝していたからね。

彼のメーキャップは優れた技術をもっていたので、ジャガイモを3キロすぐ持ってくるように求めた。

下ろし金でおろして、2週間も飲んだくれてむくれてしまった顔につけるためだった。

しかし早朝3時のホテルのどこでジャガイモが手にはいるだろうか? 

外の店まで走っていったら、その女性警備員は警備を私に任せて、ジャガイモを取りに自宅に行ってくれた。

私は一生懸命ソロニーツィンのためにボウルいっぱいのジャガイモを下ろし金でおろした。

おかげで私の両手は切り傷だらけで血まみれですよ。

よくやったという思いで私の助手に、おろしたジャガイモを渡した。

で、戻ってみると何を見たと思いますか。

メーキャップの奴は酔いつぶれて床にころがり、ソロニーツィンがジャガイモのローションを自分で顔につけていたのです!」

骸骨の話


ヴィチアという名前の監督官が私たちのグループにいた。

悪い奴じゃなかったが、行動が読めない。

ある日タルコフスキーは時間をかけて、[映画の]登場人物達が藪の中に、まるで愛し合う瞬間にあるかのように絡み合っている ひと組の骸骨を発見する場面を準備していた。


むきだしの頭蓋骨に白髪が生えたー奇妙な女性の骸骨があって、その上に男性の骸骨が乗っている。

爆発なのか何なのか、ゾーンを創造したものの後に残ったのがそれだけだった、というわけだ。


タルコフスキーはずいぶん前からそのシーンの準備をしていた。

カツラも自分で見つけてきた。

2体の骸骨はなかなか見つからないし、おまけに値が張った。

とうとう撮影の用意がととのった。

白いシーツを広げて、その上に2体の骸骨を寝かせて、撮影の準備をした。

ところがここで監督官ヴィチアがセットに姿を現し、シーツを見るや、横になってすぐに眠ってしまった。彼は骸骨に気づかずに、2体とも壊してしまった。

タルコフスキーの4日がかりの仕事がおじゃんになった。

鼻息の荒い監督官のいろいろな難癖にずっと苦しめられていたから、タルコフスキーはもう我慢できなくなり、ヴィチアを荷造りしてモスフィルムに即刻送り返した。

奴は空港に車で送られたが、タルコフスキーは私の所にやって来て、言った。

「いいかい、あの馬鹿たれを連れ戻してこい、そうしないとまた厄介なことになる。」

それで私がヴィチアを連れて帰ってきた。

クルーの全員はタルコフスキーの善意の発露を喜んだ。

しかし骸骨の場面はタルコフスキーが本来望んだ形にはならなかったのである。

4号炉の崩壊

『ストーカー』では、ゾーンが実は何なのか、何がゾーンをつくり出したのか、はっきりとは説明されていない。

フィルムではゾーンの出現理由がいくつか挙げられている。

地球外生命が残した物である。落下した隕石が創造した。

作家(ソローニツィン)が主張しているようにー4号炉の崩壊で出来た。

インタビューでタルコフスキーは、プロットには全然興味がない、厳密に言って映画の出発点が唯一ファンタジーと関わる要素なのだと述べている。

映画が完成した6年後にチェルノブイリの4号炉と建屋が爆発して、30kmのゾーンが実在となった。

フィルムの美術監督としてタルコフスキー自身がゾーンの荒れ地の風景の複雑なパノラマをデザインした。

そうしたショットのひとつには、カレンダーからちぎれた12月28日という日付の紙が水に沈んでいるのが見える。

この日はタルコフスキーの人生最期の日だった。
彼は1986年12月29日に死んだ。


「私たちはタリンの近くで、半分稼働している水力発電所があるピリテ河という、そう大きくない河の周辺で撮影していました。」

とウラジミール・シャルンは言う。

「上流に化学工場があって、有害な液体物質を垂れ流していました。

『ストーカー』にこんなショットがありましたね:夏に雪がちらついて、白い泡が川面に浮かんでいる。

実際にあれは恐ろしい毒だったのです。

多くの女性クルーの顔面にアレルギー反応が出ました。

タルコフスキーは右の気管支のガンで死にました。

トーリャ・ソロニーツィンも同じです。

『ストーカー』のロケ現場とすべてがつながっていることが私にはっきりしたのは、ラリッサ・タルコフスカヤがパリで同じ病気で亡くなったときでした…」

「死んだら途端にタルコフスキーには友人が増えました。

私は自分がそういう一人だとは思わなかった。

私たちは『ストーカー』で一緒に仕事をしただけです。

アンドレイが祖国で撮った最後の作品です。

彼は私とアルテミエフを『ノスタルギア』の仕事に招きましたが、残念ながら、彼はイタリア人のクルーと仕事をせざるをえなかった。

写真は、ゾーンを出来るだけリアルに見せるために指導するタルコフスキーの姿。
http://homepage.mac.com/satokk/chernobyl.html


●ゾーンの謎

映画「ストーカー」で大きな謎はゾーンです。ゾーンとは何でしょうか?

81年日本公開時の映画パンフレットのあらすじから言葉を三つ拾い上げます。
その言葉からゾーンの正体を連想してみることにします。

                鉄条網が張られ
                発電所の跡
                足の動けない娘


この映画の完成は1979年。この時点でゾーンの正体を連想することは困難です。
事故は1986年に起こりました。タルコフスキーが予言者にも思えてきます。
ゾーンはチェルノブイリ原発事故跡地です。


  ●ストルガツキ―兄弟

原作と脚本は旧ソ連のSF作家、ストルガツキー兄弟。

映画「ストーカー」の脚本をめぐってのアルカジー・ストルガツキーの証言。


サイトより引用
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「アルカジー、『路傍のピクニック』を10度も書き直すのはうんざりするだろ
うね。」

「うん」私は慎重に、そして、全く誠実に答えた。
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脚本はうんざりするほどの書きかえが行われたようです。原作のオリジナルタイトルは「路傍のピクニック」。原作と映画はまったく違う話になっていて、共通点はゾーンという設定だけのようです。


サイトより引用
-------------------------------------------------------------
彼は、時間をかけて読んでは読み返す。彼の口ひげがぴんとなっている。
そして、ためらいがちに言う。

「まあ、今のところはこれで間に合う。少なくとも、とっかかりができた・・・・
この対話は書き直すことができるし。」

何だか私がしづらい言い訳をやっているかのようだ。
それを、その前後のエピソードに合うようにしなければ。

「合ってないよね?」「うん、合ってない」
「会話の何が気に入らないのですか?」
「分からない、とにかく直してよ。明日の夜までに仕上げて」

とうの昔に公式の許可と承諾を得ていたこの脚本をめぐる私たちの共同作業はこんな具合だった。
-------------------------------------------------------------

タルコフスキーに促されながらも、ストルガツキー兄弟は脚本を書きかえていたようです。


サイトより引用
-------------------------------------------------------------
「どうだろう、アンドレイ、この映画にSFがどうして必要なんだ?
SFはやめよう」
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脚本の書きかえで、SFとしての形すらなくなってしまったようですが、映画「ストーカー」はSF大作として知られています。

この映画は「不自然なSFの意匠」をまとっている。ということが言われています。

また、この映画は「原作が意匠」である。と言う人もいます。
さらに、この映画は「脚本すら意匠」である。と言えるかもしれません。

なぜタルコフスキーはこのような意匠を映画「ストーカー」にまとわせる必要があったのでしょうか?


  ●ゾーンの設定

冒頭のタイトル。パンフレットのシナリオより引用
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”隕石が落ちたのか宇宙人が来たのかわからない。
とにかく、ある地域に奇怪な現象が起きた。そこがゾーンだ。

軍隊を派遣したが、かれらは全滅してしまった。
それ以来、ゾーンは立入禁止になっている。
手の打ちようがないんだ・・・・

ノーベル賞受賞物理学者ウォーレス博士がライ記者に語った言葉より”
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戦車の残骸シーンが映画には出てきます。
しかし、原発事故が発生したら「軍隊を派遣」しないはずです。
「全滅してしまった」はわかります。放射能で汚染された地域だからです。

なぜ、ここに戦車や軍隊が出てくるのでしょうか?

いろいろと考えてみました。いろいろと考えてみた結果は・・・・、
ゾーンは果たして原発事故跡地なのか?ではなく、ゾーンは果たして原発事故跡地だけなのか?です。

ゾーンにはもう一つの設定があったのです。そのもう一つの設定と原発事故跡地との組み合わせによって、国家批判が発生します。

映画に意匠をまとわせることによって、タルコフスキーはこの国家批判を隠そうとしていたのです。

冒頭のタイトルは、おおまかにゾーンを説明したような文章です。
このゾーンの設定が二つあるために、おかしなことになっているわけです。
二つの設定がぶつかってパラドックス(矛盾)になっています。

「”隕石が落ちたのか宇宙人が来たのかわからない。
とにかく、ある地域に奇怪な現象が起きた。
そこがゾーンだ。」

これは原発事故発生のことです。もう一つの設定では何にあたるのでしょうか?

「軍隊を派遣した」

これはもう一つの設定に関係します。ここから連想できることは?

「それ以来、ゾーンは立入禁止になっている。手の打ちようがないんだ・・・・」

これは、原発事故跡地ともう一つの設定と両方に共通します。


パンフレットのあらすじより引用
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「部屋」を眼前にして、三人とも無事にここにたどりついたことを喜ぶストーカー。

がこの時、教授は、かって友人と共に製造した爆弾をリュックから取り出す・・・・。

かれは、人間が胸に秘めている最も大切な夢をかなえるというゾーン内の「部屋」が、犯罪者に利用され、人類が不幸に襲われるかもしれないという危倶を抱いていたから、「部屋」を爆破することを目的にゾーンに来ていたのだ。
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「部屋」は原発事故の中心部、事故をおこした原子炉のあった部屋です。
もう一つの設定でも、「部屋」は中枢部にあたります。

「軍隊を派遣した」から連想するのは軍事体制。
「奇怪な現象が起きた」は、軍事体制の始まり。

タルコフスキーはゾーンを原発事故跡地との組み合わせによって、もう一つの設定を放射能で汚染され、立入禁止になった手の打ちようがない地域に喩えたのです。

そして事故を起こした原子炉のあった「部屋」をもう一つの設定の中枢部として、これを爆破しようとしたわけです。

ゾーンのもう一つの設定は、スターリン体制後のソ連です。


  ●ノスタルジア

チェルノブイリには放射能汚染地域に今でも住み続ける人々がいます。
また、避難先から戻って来た人々もいるそうです。
チェルノブイリはそこに住む人々にとって故郷です。


ゾーンに到着した直後のストーカー。シナリオより引用
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「さあ、着きました。この静けさ。ここが一番ですよ。
いま、ご案内します。きれいな所で、人ひとりいません。」
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この映画は単なる国家批判ではありません。
タルコフスキーの故郷に対するノスタルジアのようなものが感じられます。


あらすじより引用
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ゾーンには鉄条網が張られ、警戒厳重な警備隊がゾーンを守っていた。
だが、このゾーン内には、人間の一番切実な望みをかなえる「部屋」があるといわれていた。
そこで、禁を犯してゾーンに侵入しようとする者たちが現われる。
彼らを「部屋」まで案内する者はストーカー(密猟者)と呼ばれた。
この日も、ストーカーは妻が引きとめるのを振り切って、ゾーンヘと出発する。
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ストーカーもチェルノブイリに住む人々と同じく、ゾーンへと戻っていくのです。

しかし、タルコフスキーはこの映画の次の映画「ノスタルジア」完成後、亡命を宣言しました。


  ●母なる大地

映画では、教授、作家、ストーカーが「部屋」へと進む道筋を決定するのに、ナットに白くて細長い紐を結んだものを投げ、それが落ちた場所へと一人ずつ進み、3人がその場所に揃ったら、もう一度同じことを繰り返す。これを何度も繰り返して、「部屋」へと進みます。

ナットに白くて細長い紐を結んだものは何を意味するのでしょうか?

ところで、「部屋」に到着して、ゾーンの外へ出る行程のシーンがないことを不自然だと言う人がいました。


シナリオより引用
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3人の男たちは"部屋"の前に、互いに背を向けあったまま坐り、考えこんでいる。
ひとしきり雨が降って、"部屋"の中の水面が波紋で光る。
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ポスターにも使用された印象的なシーンです。
このあと数分のシーンの後、すぐゾーンの外です。
これは何を意味しているのでしょうか?

ある人は眠っているストーカーが胎児のようだ、と言います。

別のある人はゾーンとは子宮ではないか?と言います。

ゾーンにはもう一つの設定があります。

ナットに白くて細長い紐を結んだものは男性の精子。
「部屋」はゾーンの出口、女性の性器です。


あらすじより引用
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かれらは、水が滝の如く流れ落ちる「乾燥室」という皮肉な名を持つトンネルを通り、何人もの生命を奪った「肉挽き機」と呼ばれる非常に危険で恐ろしい管(バイプ)をくぐりぬけ、深い井戸をもつ、波紋が連なる砂丘の部屋を通過し、ついに「部屋」の入口にたどりつく。
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胎児のシーンは「乾燥室」と「肉挽き機」の間に入るシーンです。
「管(パイプ)」とは産道です。

母なる大地という言葉があります。ゾーンの三つめの設定は母体。
彼ら3人は胎内回帰をはたし、そしてもう一度新しく生まれたのです。


  ●ラストシーンの謎

この映画のラストシーンは、ゾーンとともに大きな謎です。

大江健三郎の小説「案内人」で、このラストシーンと関連するシーンを指摘しているようです。

それは冒頭シーンです。

シナリオより引用
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ベットには娘をはさんでストーカーと妻が寝ている。
かすかに汽笛が聞こえくる。

ベットの傍の椅子の上には綿や水を入れたコップが置いてある。
列車の近づく音と振動につれて、コップが静かにずり動く。
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ラストシーンは超能力でコップが動きますが、冒頭シーンは列車の振動でコップがずり動きます。


  ●20世紀の精神

想像力―ベケット『ゴドーを待ちながら』 より引用
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このヴラジーミルの言葉は、夢のなかで働くわずかの昼の意識のように聞こえる。
決して分からないゴドーを、まるで会う約束をしていて、彼に会うと救われるような相手として人格化しているのも夢と似た置換ではないか?

このとき夢という言葉は、当人にも分からない願望から、ある種のメカニズムを経て形成されるものをさしている。
ベケット劇に固有な性格は、不在の中心(ゴドー)があり、すべての行為、すべての科白は、この不在の中心との関係であるが、決して当人たちに異様と思われていないのは、夢同様である。
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「決して当人たちに異様と思われていないのは、夢同様である。」

これは映画「ストーカー」にもあてはまります。
映画の登場人物の科白も「夢のなかで働くわずかの昼の意識のように聞こえる」ようです。

 
無意識−フロイト『精神分析入門』 より引用
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無意識はすべての意識的に生きている人びとが、それぞれの精神世界を生きているときに気づかずにもっている願望が宿る心的な領域である。

無意識に関係する重要な研究のひとつは夢の形成に関するものである。

いうまでもなく夢には奇妙なところがある。
たとえば何人かの人が一人の人物に合成されていたり、出来事が不明瞭で非合理的なのに、夢のなか
ではそれなりに物語になり、一向に不思議に思わないのである。

夢思考が夢内容に変換する際に、夢内容にこうした歪曲を生み出す過程を「検閲」と名づけた。
「検閲」という言い方が出てきたのは、彼の時代ではまだ政府による検閲が新聞にたいして行われていたからである。

フロイトは『夢判断』の終わりで次のように述べている。

「夢形成に際しての心的作業は二つの仕事に分かれる。

夢思考〔潜在思考〕の生産とそれの夢内容〔顕在内容〕への変容である」とし、

後者、すなわち潜在夢を顕在夢に置き換える作業、つまり材料の省略、模様変え、編成変えが「夢の作業」と呼ぶに相応しい、と。

それと反対の方向、つまり顕現夢から潜在夢に到達しようとする作業が「解釈作業」である。


フロイトによれば「夢の作業」には四つの機制が働いている。

まず「圧縮」である。顕現する夢は「潜在する夢の、一種の短縮された翻訳である」。

第二に「置換」がある。

夢の作業はフロイトを超えて、言語化の方向に発展させられている。
ラカンはさらに発展させ、置換を換喩、圧縮を隠喩と見なすようになる。


第三に思考の「形象性への配慮」がある。
つまりすべてが視覚化されるとは言えないにしても、多くの場合、思考は視覚像に置き換えられる。
われわれの通常の思考の前段階は感覚的印象の記憶像であるとするなら、夢の作業とは、思考になんらかの退行的な処理を行って記憶像にまで戻ることを意味する。

言語によって論じられることと、視覚的イメージは食い違う。
したがって視覚化は、思考を変容させる。
しかし夢内容は、なんらかの方法によって因果関係を仄めかす方法をとっている。

第四に「二次的加工」と呼ばれる夢の作業がある。
これはむしろ顕現夢に関するものだと言えよう。
つまりこれまで述べてきたような夢の作業の直接の結果は知的に理解することが困難な結果をもたらすが、右の三つの夢の作業の結果にたいして働きかけ、それを一種の物語に整えていくもうひとつの作業がある。

三つの作業の結果を組み立て直し、「ある全体的なものとし、ほぼ調和したものとする」ことである。

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ゾーンには、さらにもう一つの設定があります。

四つめの設定、それは夢の中です。

  ●夢

感覚的に上の引用文と映画「ストーカー」を結びつけてみました。

無意識は「部屋」。3人は無意識へと向かっていたのです。

検閲は文字通りソ連当局の検閲。

換喩と隠喩はゾーンの設定。
タルコフスキーの父親は詩人です。
タルコフスキーも映像において換喩と隠喩を用いる、いわば映像詩人です。

そして、潜在夢は冒頭シーン、顕在夢はラストシーンとすると、3人は「夢の作業」をしていたことになり、顕現夢を冒頭シーン、潜在夢をラストシーンとすると、3人は「解釈作業」をしていたことになります。

3人はゾーン内で冒頭の列車の振動でコップがずり動くシーンを、ラストの超能力でコップが動くシーンへと、置き換える作業をしていたわけです。


  ●眠り

この映画には多くの眠りのシーンが出てきます。冒頭シーンも眠りです。

作家と教授、そして、胎児も眠っています。

シナリオより引用
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妻の声「"私が見ていると大地震が起こって、太陽は毛織の荒布のようになり、月は血のようになり・・・・」

ストーカーうつ伏せになって眠っている。
(画面は変わってモノクロとなる)
ストーカーのあお向けの寝顔のクローズ・アップ。
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画面がモノクロとなり、ゾーンの外でストーカーは夢を見ています。

そして、画面はカラーとなり、ゾーンの中。


シナリオより引用
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(画面は再びカラーとなる)
コンクリートの広場に坐っていた黒い犬、突然、立ちあがる。
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黒い犬も謎です。

シナリオより引用
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眠っているストーカー、夢うつつでため息をつきながら、目を覚まし、上目づかいにちょっと見て、起きあがる。

ストーカー(つぶやく)

「この日、ふたりの弟子が・・・・」

眠っている教授に重なるようにして横になっている作家。

ストーカーの声(つぶやくように)

「エルサレムから7マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、語りあい、論じあっていると、イエス自身が近づいて来られた。

しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。」

折り重なるように横たわっていた作家と教授、すっかり目を覚まし、ストーカーに注視している。

ストーカーの声

「イエスは彼らに言われた。
互いに語りあっているその話は、何のことか?」
-------------------------------------------------------------

胎児が目を覚し、ストーカーが生まれかわる。


  ●再びストルガツキ―兄弟

ゾーンに到着した直後のストーカー。シナリオより引用
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ストーカー、草叢にひざまずいて、溜息をもらす。
やがて草叢に顔をうずめ、大地にうつ伏せになる。
そして静かにあおむけになり、額に手を当てて何か瞑想している。
-------------------------------------------------------------

「瞑想」という言葉は、ストルガツキー兄弟がタルコフスキーの意図を理解せず、ストーカーを観念論者として脚本を書いている為です。

アルカジー・ストルガツキーの証言。サイトより引用
-------------------------------------------------------------
私たちは、SFのシナリオではなく、寓話を書いた。
(寓話では、登場人物が時代の典型であり、典型的な理念と行動を担う者として登場するお話であると理解するならば、の話である。)

流行作家、及び、傑出した科学者が、自分の最も大事にしている夢を実現してくれるであろうゾーンに入る。2人を導くのは、新しい信仰の使徒、一種の観念論者である。
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あらすじより引用
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わが家に帰って、ストーカーは

「あんな作家や学者ども、何がインテリだ!・・・・骨折り損だった」

と絶望的に叫ぶ。
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  ●ラストシーンと黒い犬の正体

映画「ストーカー」はタルコフスキーの一種の「芸術論」に近いものとして観ることもできます。


3人がゾーンの外へ出て、画面はモノクロとなり、そして、しばらくして画面は再びカラー。

黒い犬が夢の中からゾーンの外までついて来る。ストーカーは眠る。

カラーは夢の続き。

そしてラストシーン。


シナリオより引用
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机の脇に少女が本を読みながら腰かけている。
やがて少女はふと眼をあげ本を膝に置いて、じっと窓の方を見据える。

少女のモノローグ

「ふと、まなざしを上げ、まわりを閃光のごとく、君が眺めやる時その燃える魅惑の瞳を、私はいつくしむ
だが一層まさるのは、情熱の口づけに目を伏せそのまつ毛の間から、気むずかしげでほの暗い、欲望の火を見る時・・・・」
-------------------------------------------------------------

黒い犬は原作からの置き換え。
そして黒い犬は映画「ストーカー」へとさらに置き換わり、映画「ストーカー」そのものが自らのラストシーンへと置き換わる。

シナリオより引用
-------------------------------------------------------------
犬が鼻を鳴らす声が聞こえる。
少女はいったん、窓の外に眼をやると、その眼差しを机に置かれたコップに注ぐ。

コップはひとりでに静かに机の上を滑りだす。少女は机の上のコップと花びんに次々と視線を向ける。
視線を受けると、コップが静かに動き出し、床に落ちる。
少女は机の上に頬を載せて、眼を凝らしている。
ベートーヴェンの”歓喜の歌”が響き、やがて消える。
-------------------------------------------------------------
http://www.he.mirai.ne.jp/~ssrc/stalker.htm


タルコフスキーのストックホルム・インタビュー


Q:あなたのフィルムに登場する人物はロマン派のヒーローに似ています。いつも旅の途上にあり、この旅ー巡礼が秘儀参入になる。例えば『ストーカー』は典型的なロマン派の秘儀参入のパターンに沿ってつくられています。

その場合-ドストエフスキーがロマン主義者だとあなたが主張するとは思いませんが。
彼は全然ロマン主義者ではないー彼が生きた時代、彼の人生観が示しているように。
しかし、彼の主人公はいつも旅の途上にありましたね。

Q:むしろ迷路に入ったような。

それはどうでもいいです。
いつも、探求する人間の物語です。

目標に向かって進んでいく人間です、カンテラを下げたディオゲネスのように。

『罪と罰』のラスコーリニコフーこれももちろん同じ事です、いささかの疑いもない。
アリョーシャ・カラマゾフも、そうです、もちろん。

彼もまたいつもどこかを目指しているーしかし彼は全然ロマン主義者ではない。

こういう訳で、「いつも旅の途上にある人間」とあなたが言うとき、それは必ずしもロマン主義の決定する特徴ではないのです、それはロマン主義でもっとも重要なことではありません。

物質の崩壊と精神の創造


Q:あなたの主人公たちについて話しているとき、私たちは彼らを放浪者、巡礼と呼びました。ここで疑問があります:あなたの主人公、放浪者、巡礼者にとって、彼を脅かす混沌とした出来事から抜け出すチャンスはあるのでしょうか? あなたの作品に現れる時間は無慈悲です。すべてを廃墟に変えてしまいます。つまり、時間と出来事が登場人物を害し、無力にしてしまう、すべての物質的なものを損ない、無力にする。あなたは、誠実さ、個人の尊厳の感覚、個人の自己実現の権利といった価値の永続性を信じますか?


うーん。これを質問というのは難しい。

あなたは、おびただしい、さまざまな問題を列挙したといったほうが良い。

そんなおおざっぱに組み立てられた質問に答えるのは、私にはとても困難です。

一方では、登場人物を無力化する無慈悲な時間に言及されるー
それから「すべての物質的なもの」と言われる。

これが私にははっきりしません。

結局、あの登場人物たちはもっぱら「物質的な」ものではない。

物質的なものはすべて破壊にさらされますが、これらの登場人物は物質だけではないー
何よりも彼らは精神なのです。

Q:もちろんです。


だから、私はいつも大切だと考えてきましたーどの程度人間の精神は不壊であるのか、破壊不可能なのかー崩壊と破壊を被る物質を示すこと、破壊不可能な精神に対立するものとして、物質を示すことが、です。

まだ『ルブリョフ』には見つからないでしょう。

明らかにあそこで私たちは破壊、無力化を扱っていますが、それは或る意味で道徳的な破壊です。

物質性と精神性の対立ではありません。

一方『ストーカー』では、いやすでに『鏡』には、例えば、もはや存在しないあの家があります。

そしてもしかすると、永遠に残るその場所の精神の感触があります。

母は、外へ出るときー覚えていますかーいつも同じです。

母のこの姿、魂は朽ちない、不死であると示すことが私には重要だったのです。
それ以外のものは崩れ去ります。

もちろんこれは悲しいことですー
魂は、時には自らが身体を離れつつあるのを見守りながら、悲しく感じるものですから。

そこには何かノスタルギアのこもった憧れがあります。

アストラルの悲しみです。

この破壊が登場人物に関わるものではない、物質だけに関わるものだということは私には自明のことなのですが。

だからこそ、この対比を獲得することが重要だったのですー
移りゆくものの視点から現実を提示するために、です。

それが古くなったとか、その時を生き抜いたとか、或る特定の時期のその存在を生き抜いたといった狙いがないとしてもです。

一方、人間のほうはいつも同じです、いやもっと正確に言うと、同じままではなく、発達を続けます、無限にまで。

尊厳と言われましたね。

明らかに人間の尊厳はとても大切です、きわめて大切です。

それから、道のことも、旅のことも。

もし旅を、比喩的な意味でも、語るとするなら、どこにたどり着くか、は実は重要でないと言い添えておかねばなりません。

重要なのは、旅をはじめたということです。

『ストーカー』をめぐって

Q: 例えば『ストーカー』で-

いつでもそうです。いかなる状況でも。

『ストーカー』の場合は?
 
さあ、どうでしょう。

ただ、私は別の事を言いたかった。

つまり、重要なことは、最後にひとが達成したことではなく、最初にそのひとがそれを達成する道に足を踏み入れたということです。

なぜ、どこにたどり着いたのかが、重要でないのでしょうか。

なぜなら、この道に終わりはないからです。

そのために、まだ出発点に近いか、すでに終点に近いかはまったくもってどうでもいいことなのです。

あなたの前には旅があり、それに終わりは決してないのです。

で、もしあなたがその道に足を踏み入れていないなら?

そのとき、一番重要なことはそこに足を踏み入れるということです。

これこそ問題なのです。


そういう訳で、私にとって重要なのは、道そのものではなく、人がその道に、どの道でもいいです、踏み込む瞬間なのです。

 例えば『ストーカー』の場合、もしかするとストーカーは私にはそれほど重要ではありません

私にとってずっと重要なのは作家です。

冷笑家として、プラグマティストとして、ゾーンに入って、自分は善人でないと悟って、人間の尊厳を口にする人間になって帰って来る作家なのです。

初めて彼は次の問いに直面します。

人は善なのか悪なのか?
 
で、もし彼がすでにそのことを考えていたなら?

こうして彼は道に踏み込むのです-

ストーカーが自分の努力のすべては無駄に終わった、だれも何も理解していない、だれも自分を必要としていない、と言う時?彼はまちがっているのです。

なぜなら作家はすべてを理解したからです。

そういうわけで、ストーカー自身もそれほど重要でないのです。


この文脈で、もう一つ重要なことがあります。

実は、私はもう1本映画を、『ストーカー』の続編を作りたかった。

まあ、そんなことはロシアなら、ソ連なら出来たでしょうが、もはや不可能です。

ストーカーとその妻は同じ役者が演じる必要がありますから。ここでは別のことが重要です。

つまりストーカーはひとが変わります。

人々が、この幸せにたどり着くことができる、自己変容の浄福、内なる変化に向かって進んでいけると、もはや信じていません。

それで彼は人々を力づくで変えはじめます。

怪し気なやり方で人々をゾーンへと拉致しはじめます?

彼らの生活をよりよいものにするために、です。

彼はファシストになります。

ここには、純粋な理想が?
純粋にイデオロギーと関わる理由から?
その否定になりはてる姿があります。


つまり、目的が手段を正当化すると、ひとは変わるのです。

ストーカーは3人の男を力づくでゾーンに連れて行きます。

これこそ続編で描きたかったことです。


彼は自分の目標を達成させるためには流血も辞さない。
これはすでに大審問官の理念です。

大審問官は自ら犯罪を引き受けます、いわば-

Q:救済

救済の名において。このテーマはドストエフスキーがいつも問題にして来たことです。

Q:『悪霊』-


『悪霊』と『カラマーゾフの兄弟』で。

『悪霊』ではそれに触れてすらいない?

あそこで彼は一般にそうした最初の衝動すら否定している。

どんなものであれ、たとえきわめて高貴な衝動であれ-。
彼はそれすら否定している。

Q:それは『悪霊』ですね。


そうです、『悪霊』です。

しかし『カラマーゾフの兄弟』で彼は社会主義について、大衆の幸せの名において暴力の罪を引き受ける人々について 、書いています。

Q:あるいは、何らかの理念の名において。


そう、理念。それは重要ではありません。

この意味で、私にとってそれよりずっと重要なものは、道そのものではありません?
もちろんそれも重要ですが?

むしろ、道に足を踏み込む人、踏み込まない人の問題全般です。

彼らが旅を引き受けるか否か、なのです。

精神の自由

ですから、ここに挙げたこれらの側面のすべてが私には当然重要なのです。

あらゆる人間の特質が私にはきわめて重要なのです。

尊厳、自由-内的な自由ーご承知のように政治的な自由と精神的な自由は2つの異なる概念だからです。

政治的な自由について話すときには、実は自由の話をしていないのですー権利の話をしているのです。

私たちの良心に好ましいやり方で生きる権利、私たちが必要と考えるやり方で生きる権利。

社会に奉仕する権利ー私たち自身がこの課題を理解する限りでですが。

自由に感じる権利。権利です。いくらかの義務ももちろん伴います。

他のものとは関係なく、人は権利を有していなければなりません。

しかし私たちが自由について話すとき、私たちが心に描くのは-わからないなあーもし自由になりたければあなたはいつでも自由なのです。

人間は、牢獄に閉じこめられても、自由でいられるのだと私たちは知っています。

また自由を進歩と結びつけるべきではありません。これは絶対だめです。

人間の意識と個我が始まって以来、人間は自由であるか自由でないか、どちらかしかありえないー自由という言葉の内的な意味においてですよ。


こういう訳で、自由を話題にするときには権利の問題を、自由、内的な、精神の自由と混同すべきではないのです。

ここまで来ると、このテーマについて私が何を言っても連中には分からない。

先頃私はそういう会合に出ていました。

彼らは新聞に書きました。

「タルコフスキーが精神性について語るとは非常に不思議だ。」ー

彼らには不思議なのです、彼らにはさっぱり分からない、私が何を言っているのか、理解できないのです。

私が精神性について語っているとき、人間は、なぜ自分が生きるのか、知るべきである、自分の生の意味について考えるべきである、という意味なんですが、それがまったく理解できない。

それについて考え始めた人は、或る意味で、すでに精神の光に照らし出されているのです。

彼はこの問いを二度と忘れることはないでしょう。

この問いを投げ捨てることはないでしょう、彼は道に足を踏み入れたのです。

しかし、彼がこの問いを決して自分に問いかけないなら、精神性が剥奪されているのです。

動物のように、功利的に生きるのです。

こうなると人は何も決して理解することはないでしょう。

連中にはこういうことがまるっきり理解できない。

あの記事を書いたジャーナリストということになるとー私にはとにかくショックでした。

彼は確かに考えています。

つまり、精神性に触れていますから、これは間違いなく、正教会に関わっているものでしょう。

聖職者主義に関わっていると言ってもまず差し支えないでしょう。

彼にとっては、人間の魂とか人間が生きている間に果たすべき道徳的な努力といった疑問はまったく存在していないのです。

Q:彼らは自由の奴隷、進歩の奴隷に思えますね。

そうです、その通りです。そういう人には自由の理念は-

Q:価値である。

その通り。

それで、私が彼に自由とは何かと訊いたら、決して答えてくれないでしょうね。
なぜなら分からないのだから。

なぜならそれをどう扱えばよいのか、この自由をどうしたらいいのか、知らないからです。

でも脱線しましたね。質問はこんな風には述べられなかった。

しかしこの問題は私には恐ろしく重要なのです。

私は人間の権利の問題を決して持ち出そうとはしなかった。
私には興味のないことです。私は内的な自由の問題に興味があるのです。
http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html

アンドレイ・タルコフスキー 「ストーカー」

使われた音楽 バッハ「マタイ受難曲」 等
使われた意図 芸術の荒廃と受難


20年ほど前に「ゾーン」という「思いがすべて実現される領域」が出現した。

ここで主人公はそのゾーンの案内人でストーカーと呼ばれる。

今回そのゾーンに連れて行く人間は、小説家と学者(いずれも固有名詞はなし)の2人。
ストーカーはこの2人を苦心のはてにゾーンに導くが・・・

今回は79年の作品「ストーカー」を取り上げます。
この作品のあと、タルコフスキーはソ連から亡命となったわけです。

ちなみに、ストーカーという言葉は、元々は「領域侵犯者」という意味ではなかったかな?
「入っちゃいけないところへ入っていく。」

その点では、女性を付回すストーカーと基本的には同じ意味なんですね。


このタルコフスキー監督の「ストーカー」では、クラシック音楽が4つ使われています。


ワーグナーのオペラ「タンホイザー」から巡礼の合唱。
バッハの「マタイ受難曲」から「哀れみたまえ。わが神よ」。
ラヴェルの「ボレロ」。
ベートーヴェンの「第9交響曲」。

まず、このゾーンへの旅の前にワーグナーの「タンホイザー」の「巡礼の合唱」が鳴らされます。

つまり、このゾーンへの旅は一種の巡礼である。

そのことをタルコフスキーは示しているわけですね。
「聖」なるものへの巡礼。


ソーンは「聖」なるものの象徴ではないか?
映画を見ている観客はそのように予感することになるわけです。


次に使われるのはバッハの「マタイ受難曲」からの第39番のアルトのアリア

案内人たるストーカーに導かれながら、ゾーンを進んでいく小説家が口笛を吹くわけです。


イエスが捕らえられて、ペテロ(イエスの第1弟子)が心配そうにしている。
そんなペテロを見つけた周囲の人から「アンタもイエスの仲間だろ!」と追及されるわけです。

自分も逮捕されたくはないペテロは、それを否認するわけです。
「オレはイエスなんて男は知らないよ!」ってね。

新約聖書で有名なシーンです。

心ならずもイエスを否認したペテロの心情を歌ったアリアが、この第39番のアルトのアリアですね。

「憐れみたまえ、わが神よ。

私のこの涙を。ご覧ください。

私の心と目はあなたの御前でさめざめと泣いています。」


という歌詞です。

深い悔恨の音楽と言えるものです。

一番重要であるはずの神の子たるイエスを、自分の弱さから否認してしまった悔恨です。

イエスを否定してまで、自分は生きるに値するのか?

自分自身の弱さから、イエスを否定したペテロは、心の弱さを持つ人類そのものですよね。


映画では小説家が口笛で歌っています。まあ、口笛には不向きな曲ですよね?

「サクリファイス」でも使っていることとも合わせて、よっぽどの意図があるわけですね。

イエスを否認したことについてのペテロの悔根の曲を使って、この「ストーカー」という作品においては、誰が何を否認したの?

鼻歌でうたっているのは小説家なので、小説家が否認したとみるのが自然ですね。

では、何を?

多分小説家が否認したのは神なのでしょう。

あるいは超越的な存在と言い換えることもできるでしょうか?

それとも「聖」なるもの?あるいは「良心」と言えるものかも?

映画を見ていた観客の方ならスグわかるでしょうが、この小説家はなかなかに鋭い洞察を持っている。

特に意識が朦朧としている時には、実に的確なことを言う。

今日における芸術の位置づけとか、
芸術家の創作の原動力とか・・・

例えば

「人間がものを書くのは苦しみ、疑うからだ。
自分自身や周囲に自分の価値を証明しようとするからだよ。」


とか・・・

このあたりの言葉はタルコフスキー自身の考えと全く共通でしょう。
そのような意味では、この映画における小説家とタルコフスキーは同じ問題意識を持っているわけです。

しかし、小説家は否認した。
イエスを、というより神を否認したわけ。


映画においては、この小説家はこのマタイ受難曲を口笛で吹いて、「イエスの否認」を示すだけでなく、様々な堕落した様相を見せています。

敬虔さがないし、
意思が弱いし、
妙な自意識がある。

つまり、この名前も与えられていない小説家は「堕落した芸術家」の象徴なんでしょうね。

そして同行する学者は物理学者という設定ですが、どうやらテクノクラート(官僚)のような組織内のインテリを象徴しているようです。

つまりこの「ストーカー」という作品は極めて知性の高い人間2人を、「聖なる場所」に導く巡礼の旅を描いた作品なんですね。

そして結果はどうなったの?

見事に大失敗ですよね?


2人のインテリは「望みがすべてかなう場所」に到達しても何もできなかった。

望むことができなかったわけです。

人間が最高の歓喜に至ることができるはずの場所で、どうすることもできない。

案内したストーカー(これも名前なし)の労苦は徒労に終わったわけですね。

人々の望みがすべてかなう場所。
「聖」なる場所であるゾーン。

これが「芸術」の世界を象徴していることは明白。
人々をその芸術の世界に導くストーカーはまさに芸術家。

世俗のことに全く無能で、できることといったら、聖なる世界への案内人。
この設定はまさにタルコフスキー本人を象徴しているわけですね。

そして、散々な労苦のあとで、人々に文句を言われることもタルコフスキーと同じでしょう。
特にタルコフスキーはソ連の人でしたし、周囲から色々と文句を言われたはずです。

その「芸術家」を象徴するストーカーにとって、今までに行った案内で、一番苦労した案内が、その小説家と学者を案内した旅の時。

妙な自意識があるインテリが、「聖なる世界」とは一番無縁である。
当時のソ連だけではなく、人類の歴史ではいつものことですね。


しかし、そのような不遜な人間なのに何故にゾーンに到達できたの?

この映画の中でストーカーは言います。

「不幸な人しかゾーンには到達できない。」

そのようなインテリが一番不幸というわけです。
だから文章を書いて自分を証明する必要があり、とにもかくにもゾーンには到達できる。


ゾーンという存在が象徴するものといえる芸術だって同じなんでしょうね。

「聖なる芸術」に到達できるためには、「不幸でないとダメ!!」・・・

ちょっと身もフタもない発想ですが、残念ながら現実でしょう。


芸術ということで、ストーカーは言ったりします。

「ここではまっすぐが一番近道とは限らない。」

これも、ソ連に限らず事実でしょう。

とはいえ、ソ連の音楽家のショスタコーヴィッチの音楽がいかにヒネリがあったのか、その点を思い出す人もいらっしゃるかも?


ゾーンへの旅から帰還したストーカーが、2人を散々に酷評します。

その酷評の言葉は、本物の芸術家が、ブランドだけの芸術家を評するときの常套句がちりばめられています。

「自分を売り込むことしか考えていない!」とか・・・

実はそのストーカーも、教養のある人なんですね。
だって、ストーカーの部屋の本棚を見てごらんなさいな。
いかにも本を読んでいる本の並び方になっていますもの。

このようにストーカーの仕事は世間に報われないシジフォス的な仕事の繰り返し。
まあ、だからラヴェルのボレロなのかな?

最後ではベートーヴェンの第9交響曲が使われます。

交響曲の中で何回も繰り返されるフレーズ「歓喜よ!美しい天上の火花よ!歓喜の楽園の娘よ!・・・」

映っている映像はストーカーの娘。生まれたときから足がないという設定です。

「楽園の娘」という言葉を背景に映っているということは、この娘が大きな意味を持っているわけですね。

映画では、その足がない娘が超能力を使えることが示されています。

コップを念力で移動させたりする。
いつからその能力が使えるようになったのかは描かれていませんが・・・

そして、それまでゾーンにいて守護していた犬がストーカーについてきてしまった。

つまり、「聖」なる「楽園」であるゾーンがその娘のもとに移動したということですよね?

それまでのゾーンの「力」が衰えつつあることは、映画の中で描かれています。

花が咲かなくなってしまったり、あと「もう誰もあの部屋を必要でないんだ!」とストーカーが嘆いたり・・・もう人が必要としなくなってしまった。

もう、従来のゾーン・・・つまり芸術が末期的であることが示されているわけです。

この「従来のゾーン」を「ソ連の芸術界」とみると、実に意味深長になります。

従来のゾーンの限界を示しているわけですから、こうなると新たなゾーンを作るために環境を変える必要が出てくる。亡命という発想も現実味を帯びてくるわけですね。

20年前に登場したゾーンという設定も、映画製作から約20年前頃にあったフルシチョフによる「雪解け」と関係があるのかも知れません。

父であるストーカー以上に、世俗の能力に欠け、父であるストーカー以上に「超越的な力」を持つ。
その娘がアンドレイ・タルコフスキーの父の詩を読む。
親子2代にわたってのストーカー・・・つまり芸術家の姿が見えるわけ。

その娘は新たな「楽園の守護者」になった。ということで、芸術家(ストーカー)の子供であるその脚のない娘も、タルコフスキー本人を表しているんでしょう。
アンドレイ・タルコフスキーの父親は詩人で芸術家でしたものね。


この「ストーカー」という作品。実に個人的な作品と言えるんでしょうね。
しかし、タルコフスキーという芸術家の姿を臆面もなくさらしているために、逆に普遍的な芸術家の姿を映し出していることになる。
だからこそ、この映画では登場人物が画面に正対するシーンが多い。観客に直接語りかけているわけ。

当時のソ連からの語りかけなので、ちょっと晦渋になっていますが、語っていることはどこの国でも、どの時代でも芸術家の関わる問題として全く同じ問題なんですね。

様々なクラシック音楽によって、芸術家の境遇や受難が象徴されている・・・
まっすぐではなく、回り道の表現で・・・そんな作品なんだと思います。
http://magacine03.hp.infoseek.co.jp/old/04-06/04-06-22.htm
http://magacine03.hp.infoseek.co.jp/old/03-12/03-12-30.htm

バッハ「マタイ受難曲」

Maestro Mengelberg's Massive Mammoth "Matthew"
http://www.youtube.com/watch?v=xU2Ivcz-nKs

Mengelberg: "Matthäus-Passion" - Final Chorus
http://www.youtube.com/watch?v=10HEjbrW5UQ

 

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コメント
 
01. 2011年2月11日 18:19:13: MiKEdq2F3Q

ストーカー 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1840924
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1841131
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1841280

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1841507
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1841694
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1841884

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1842217
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1842368


_____


ノスタルジア

http://www.nicovideo.jp/watch/sm9864730
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9864786
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9864867

http://www.nicovideo.jp/watch/sm9864910
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9864936
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9864961


_______


サクリファイス

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026762
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2025583
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2025880

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026086
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026399
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2027422

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2029092
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2031292



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