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間違いなく日本の朝鮮統治は全てが悪
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/500.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 8 月 23 日 20:26:04: 3bF/xW6Ehzs4I
 


間違いなく日本の朝鮮統治は全てが悪
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/392.html


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http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html

中国人も日本人が大好き
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/291.html
 

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コメント
 
01. 2010年8月24日 08:29:14: dChYV980ro
あなたのおかげで色んな知識を得られました。有り難く思っています。

02. 2010年8月25日 01:32:09: iFtK8wfhr2
馬鹿じゃねーの?
じゃあ、韓国人が自分の国をどうやって獲得したんですか?アメリカ・中国・フランス・カナダ・メキシコはどうやって?自分の国を持ってるってどういうことなんですか?ある時点で強盗をやめたっていう証拠じゃないですかね。

日本の朝鮮支配が悪なら、これは内容の問題じゃなくて時間軸の問題ですよね。いったいいつからですか?


03. 2010年8月26日 00:43:27: 2kygrfHAsQ
馬鹿は、帰れ。

04. 2010年8月27日 01:08:03: o6cl6un3as
■崔洋一を発狂させた古屋君がチャンネル桜に出演!

■NHK日韓討論で崔洋一に恫喝された古屋君がチャンネル桜に出演!

【古谷経衡】日韓のこれから NHKのこれから[桜H22/8/25]
http://www.youtube.com/watch?v=cX3ekzSD6vQ&feature=youtube_gdata

NHK総合「日本のこれから 〜ともに語ろう日韓の未来〜」に出演された古谷経衡氏に、放送から削除されたやり取りやその舞台裏など、
NHKの番組作りの問題点や、ご自身が考える日韓関係構築の在り方などについてお聞きしていきます。


05. 2010年8月27日 04:19:41: TcJwcmz5Jk
日本を奴隷化して利用しようとする韓国に反対。

韓国はシナの千年奴隷に戻ればいい。

日本を使ってシナに対して戦争などさせて、韓国を独立さす為に、当てる方法はもう出来んぞ。

在日を使ってきたCIAそのものが、在日の日本支配や田布施の朝鮮への日本の富の移転を暴露し始めてるぞ


06. 2010年8月27日 16:25:47: eLOWuzhYpM
その南朝鮮の側から日本に、併合してくれと言う依頼が有って日本も生き残り
のためにそれに応じて併合を決めただけのこと。
中川隆と言う成りすまし日本人は、日本=韓国侵略の悪の権化のようにして
おきたいと考えているような。
こういう脳障害の基地外大バカ野郎に、つける薬はどこにも無いな。

07. 中川隆 2010年8月27日 21:05:05: 3bF/xW6Ehzs4I: MiKEdq2F3Q

阿修羅は小林よしのりファンが多いね:

小林よしのりは、マンガ『戦争論』(幻冬舎)で一進会にふれ「日韓併合
はコリア最大政党一進会が望み世界が承認した」と書きたてました。

  あたかも韓国の多数派が日韓併合を望んでいたかのような書き方ですが、
あまりにもマンガチックな見方です。これを多くの人が真に受けるかと思うと
空恐ろしくなります

一進会の最高幹部・宋秉oは暗殺者の命をうけ日本へやって来ました。

ねらったのは、日本と結んだ甲申政変の首謀者・金玉均でした。

しかし、かれは暗殺の目的を果たさず帰国したため、韓国で危険視されるようになりました。そのため危険を感じ、かれ自身も日本に亡命せざるを得ませんでした。

  かれが再び韓国に帰国したのは日露戦争のときで、日本軍の通訳としてで
した。もちろん身の安全は保証されました。こうした事実からわかるように、
かれは日本の庇護のもとでしか生きられなかったようでした。


宋秉oが日韓併合の最も熱心なる主張者であったと云ふことは如何なる理
由であったのであろうか。此の点は少しく考へて見たい。内田(良平)に言は
せると、宋秉oは内田等の画策指揮に依りて動いたものの如く思はるるも、必
ずしも然らず。彼れは久しく日本に亡命漂浪して居った。彼は日本語に通じて
居った。彼れが朝鮮に帰って来たのは、日露戦争の初め、日本軍の通訳として
である。
 (中略)彼れは金玉均を庇護したと云ふので李太王より睨まれて居るので、
其の身の安全を保つには日本の庇護に立つのが一番安全であるから、終に親日
主義の一進会を起して飽迄日本党として戦い、日本が保護条約の決意あるや、
突如として保護条約の韓国に有利なることを唱へて韓人を驚かし、終に進んで
日韓併合を提唱するに至ったのである。
 ・・・
  彼れが李太王の譲位問題の時、最も勇敢に最も露骨に李太王に譲位を迫り
しが如き、又日韓併合の提唱に邁在直進したのは彼れの精神の根底には日本の
監督無き李太王の治下と朝鮮人の内閣の下に在るのは、宋其れ自身の命ちの危
いと云ふことも、彼れをして徹底的の親日派たらしめた所以(ゆえん)である。
故に必ずしも内田良平等の慫慂使嗾(しそう)を待たずとも、彼れは飽迄親日
の方針で終始する外は無かったのである。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  宋は、身の安全を守るため親日に終始せざるを得なかったという見方はあ
るいは単純すぎるかも知れませんが、当たらずといえども遠からずでしょうか。
日本軍の威を借りてはじめて帰国できたのだし、その後も親日の立場に立って
こそ政治活動が可能でした。

一進会の活動は、朝鮮人は無論のこと、朝鮮併合の急先鋒
だった京城(ソウル)にいた日本人居留民や日本人新聞記者団からも強く反対
される始末でした。当時、在京城日本人新聞記者団は次のような決議をしまし
た(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ・・・今や韓国の政党一進会突如として日韓合邦論を提唱したるに、与論の
痛烈なる反対を受け初期の目的を達する能(あた)はず、唯徒(いたずら)に
韓人朋党軋轢の具に供せられ、一敗地に塗るるの悲境に沈淪したるは同会の為
に是を遺憾とするのみならず、日韓関係の促進上甚大なる障害を残したるを痛
嘆せずんばあらず。
 ・・・
  一進会の合邦提議は各派団体の大反対を受け、京城の天地は忽(たちま)
ち鼎(かなえ)の沸くが如く、一たび伊藤公の兇変に驚駭したる人心は、更に
合邦問題に逢着して一層の危懼心を起し、相率ひて排日気勢を昂騰せしめ紛糾
混乱の状態を現出し、之を小にしては親日党に以て標榜する一進会を窮地に陥
らしめ、之を大にしては日韓関係の促進を妨害するに至りたる等、吾人の深哭
痛嘆措く能はざる所也。
 ・・・
 「斯の如くにして一進会の運動は全然失敗に終り、其の合邦提議も有耶無耶
の間に消滅せんとす」
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  文中にある「伊藤公の兇変」とは、韓国統監をつとめた伊藤博文がハルビ
ン駅で義兵・安重根に銃殺されたことをさしますが、この事件をきっかけに韓
国では排日の気運が高まっていました。そこへ一進会が「日韓合邦」を提議し
たものですから、韓国民の袋叩きにあったのは当然といえます。
  そのように韓国民の反感を買った一進会の存在は、日本の既定方針である
韓国吸収合併に障害になりこそすれ一利もないので、日本人からもついに見放
されたのでした。
  一進会は日本のお先棒をかついだつもりが、当の日本人からも邪魔者扱い
にされ、はては統監府から集会・演説が禁止されました。さらに韓国併合が達
成されるや、もはや無用の長物である一進会はついに解散させられました。哀
れなピエロ、民族反逆者の結末でした。

  こうした歴史からすると、小林よしのりの「日韓併合はコリア最大政党一
進会が望み」という記述は、およそ読者をたぶらかすレトリックであることが
歴然としているのではないかと思います。

(注1)『朝鮮を知る事典』平凡社
(注2)山辺健太郎『日韓併合小史』岩波新書,1966
(注3)海野福寿『韓国併合』岩波新書,1995
(注4)山田朗他『君たちは戦争で死ねるか』(大月書店),1999
http://www.han.org/a/half-moon/hm065.html#No.417



08. 2010年8月30日 00:08:14: YPVWF19WXR
どうも歴史の教えは、
朝鮮人は100年以上前から今と同じくらい馬鹿だったということですね。

これはやはり日本併合時代の日本の教育失敗をいみするのでしょう。


09. 2010年8月31日 05:19:04: eslbIb803k
中川隆さんの投稿は毒舌があって面白い。オレは、投稿タイトル名だけを見たら >>6 のコメントと同じく「成りすまし日本人」かと思ったが、これを掲示板でやると、悪魔の証明になり不毛な争いとなってしまう。これは掲示板荒らしとは別の話しだから、投稿者の属性が何人かどうかは不問だな。

このタイトルは、朝鮮民族の事大主義を皮肉って付けたのかとオレは解釈するな。

もし、朝鮮戦争で赤化統一化されていれば、冷戦の柵が対馬海峡になっていただろうし、朝鮮人の多くは中央アジアからシベリアへ強制移住、公用語はロシア語になっていたかもしれず、この影響により日本の憲法も改正されていたのかも知れないな。これはオレの勝手な考えだけとね。


10. 2010年8月31日 11:32:11: dDXo59s3zE
三国人は、未だに読み書きできないのかい?

11. 2010年8月31日 17:38:45: YPVWF19WXR
>>09
モンゴルの例からすると、
公用語がロシア語になることはないでしょう。
文字はハングルでなくキリル文字になっていたでしょうが。

12. 2010年9月04日 01:41:04: sUpHQ8Q75g
聞こえてくるのは恨み節ばっかりだ
教育システムとか下水道とかを導入してもらったことなんか
有り難いと思わんのかねぇ
いつまで経っても餓鬼の思考回路じゃいかんよ

13. 2010年9月04日 16:27:37: K6AEu7ybNI
じゃあアメリカ様に頂いた超先進的な憲法九条も有り難く頂いとけ、奴隷ども。
ついでに前時代的な天皇制も廃止しちゃあどうだ?あ?w

14. 中川隆[-8864] koaQ7Jey 2019年7月29日 09:44:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3856] 報告

2018年05月06日
木村光彦『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_14.html


 中公新書の一冊として、中央公論新社から2018年4月に刊行されました。

https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE-%E7%B5%B1%E8%A8%88%E3%81%A8%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%81%8B-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9C%A8%E6%9D%91-%E5%85%89%E5%BD%A6/dp/4121024826

本書は経済問題に限定して、日本の朝鮮半島支配を実証的に検証しようとしています。著者はかつて、韓国の高校生向け教育番組において、朝鮮における日本の支配は世界の植民地支配のなかで最悪だった、との見解が受け入れられている様子であることに疑問を抱き、それが本書の執筆動機になっています。世界の植民地支配をすべて調べて比較したのか、そもそも最悪とはどのような意味なのか、などといった疑問です。

 本書はまず、1910年の日韓併合時点での朝鮮の経済状況を概観します。当時の朝鮮は都市商業や工業が未発達で、1870年代の日本よりも農業への依存度が高かったようです。当時の朝鮮の米作の生産性は、同じ頃の日本よりかなり低かったそうですが(半分程度)、これは技術的な問題が大きいようで、灌漑設備が少なく、肥料は自給自足といった事情がありました。前近代おいて、朝鮮の初等教育は日本より未発達だったようです。両者の大きな違いは、日本ではそれなりに女性がおり、「実用的」知識も教えられていたいのに対して、朝鮮では女子がほぼおらず、「実用的」知識は教えられず、ほぼ儒教の古典に依拠していたことです。

 日本による保護国化を経て、1910年以降、朝鮮は日本の統治下におかれます。これはオランダ領東インド諸島と同じく直接的統治で、イギリスによる間接的なインド統治とは対照的です。日本の朝鮮統治は、1919年の万歳騒擾事件(三・一独立運動)を契機に武断政治から文化政治へと大きく変わりました。警察の拡充など朝鮮における支配機構の肥大から、朝鮮総督府の財政自立が進んで1919年には全廃された補充金が、1920年以降再び、1911〜1912年以上の水準にまで増額されました。しかし、後述するように、日本財政における負担割合は低下していきました。とはいえ、朝鮮の租税負担率は「内地」の3〜4割、台湾の6〜7割程度だったので、朝鮮財政は補充金と公債金が欠かせなくなり、「内地」依存型から完全には脱却できませんでした。

 1910年以降、朝鮮の産業構造は大きく変わりました。1912年には国内総生産のうち第一次産業が7割近くを占めていましたが、1939年には4割程度に低下しています。これは第一次産業の衰退を意味するのではなく、相対的には縮小したものの、絶対的には成長しました。米の生産量は、1910年代初めには1200万石前後でしたが、1937年には2700万石まで増加します。米の生産性も1.6〜2倍程度に上昇しました。ただ、朝鮮総督府は土地改良や優良品種の普及などによる米の生産性の向上には熱心でしたが、大豆・大麦・粟など畑の作物への関心は低く、生産性は低下傾向にあったようです。なお、この間、土地調書事業で農民の多数が土地を喪失したわけではなかった、と指摘されており、じゅうらいの有力説が否定されています。

 上記の国内総生産の割合の変化から窺えるように、朝鮮は日本統治下で工業化が進展します。これは欧米の植民地にはない特異なものだった、と本書では指摘されています。「内地」にもない巨大水力発電所とそれに依拠する大規模工場群の建設は、日本統治下の朝鮮と欧米の植民地との違いを際立たたせる、というわけです。産業発展の主導者は「内地人」でしたが、朝鮮人の側にも、自発的な模倣や企業者精神が明瞭に見られました。驚異的な工業化の進展は、統治側・被統治側双方の力が結合したものだった、と本書は評価しています。なお、このように朝鮮人が主体的に工業化に関わった一因として、朝鮮における華人の少なさが指摘されています。華人がいれば、朝鮮人は経済的にその家風に立たされていたのではないか、というわけです。

 このように、日本統治下の朝鮮では、農業生産が増大し、工業化が大きく進展しました。では、多数の朝鮮人の生活水準はどうだったのかというと、主観的要素も大きいので評価は難しい、と指摘されています。日本統治下で激減したと推定されている1人当たりの米消費量について、たとえば、1920〜1930年にかけて0.63石から0.45石に減少したとの推定は間違いで、減少はしたものの、その程度はさほど大きくなかった、と指摘されています。具体的には、1915〜1919年には0.589石、1930〜1933年には0.556石、1934〜1936年には0.511石、1936〜1940年には0.555石です。

 身長を指標とすると、日本統治下の朝鮮では、一般人の生活水準は大きくは変わらなかったのではないか、と推測されています。経済は大きく成長したものの、人口増加と平均寿命の向上により、生活水準自体は大きく変わらなかった、ということかもしれません。経済が成長しても生活水準が大きく変わらなかったとすると、主観的には貧しくなった、との実感が生じるかもしれません。ただ、公衆衛生や鉄道のような交通手段の発達は顕著なので、その点では生活水準の向上を実感した人もいるかもしれません。

 総合的には、日本は朝鮮を比較的低コストで統治しました。朝鮮における治安維持に成功し、経済成長も促進しました。朝鮮からの米の移入が「内地」の農家に打撃を与えたようなこともあったものの、総じて日本経済に占める朝鮮の比重は小さく、財政面でも日本政府の負担は小さくて、歳出総額に占める朝鮮統治の財政負担割合は、併合後次第に低下していきました。日本の朝鮮領有はレーニンの帝国主義理論のような経済決定論では説明できず、安全保障的観点が色濃いものでした。

 このような比較的安定した日本の朝鮮統治が大きく変わったのが、日中戦争以降、とくに太平洋戦争以降のことでした。当時の日本の国力では無理のある総力戦体制が企図され、経済統制が進展していきます。1940年代になると、農業生産は低下し、生産性も低下します。これは、朝鮮および「内地」の工業部門への労働力流出、資材・肥料の不足、過大な供出などが要因でした。一方、1940年以降、農業生産とは対照的に鉱工業生産は増大しました。これは、戦争遂行が優先されたからでした。1940年以降、とくに太平洋戦争以降、日本は絶望的な総力戦に突入し、朝鮮を巻き込みました。現在の日韓の歴史問題の多くはこの時期に根源がある、と本書は指摘します。

 朝鮮経済は戦時期に内地経済により従属するようになった、との見解がじゅうらいは有力でしたが、じっさいには逆で、大日本帝国政府は、長期戦に備えての朝鮮における「戦争経済」構築のため、本国から自立した軍事および非軍事工業の建設を企図しました。戦時期には朝鮮と満洲との経済的結びつきが強くなり、朝鮮・満洲の自立的工業の建設は、完全に達成されたわけではないとしても、敗戦までに大きく前進しました。朝鮮は米軍の爆撃対象にならなかったので、インフラ・工業設備は温存されました。

 本書は、表題とは異なり、北部(朝鮮民主主義人民共和国)と南部(大韓民国)に分断された第二次世界大戦後も検証しています。本書はまず、南北の違いを指摘していきます。日本統治下の朝鮮では、インフラ・鉱物資源・工業設備の多くは北部に存在しました。鉄道の路線距離も、面積・人口あたりのいずれでも北部の方が上でした。農業に関しても、1人当たりの食糧生産能力では、北部が南部を凌駕していました。こうした状況を前提として、本書は南北の違いを検証していきます。

 第二次世界大戦後の朝鮮に関しては、人材面では、北部の非連続性と南部の連続性が指摘されています。しかし、イデオロギーの観点からは、全体主義という点で戦前と戦後(独立後)の朝鮮北部における連続性が指摘されています。北部では、体制転換は統治の理念もしくは精神の根本的変革を必要としなかったので、大きな混乱がなかった、というわけです。一方南部では、統治理念の全面的な転換が図られ、北部と比較して大きな混乱が見られました(李承晩大統領のデモによる退陣など)。経済面に関しては、北部では日本統治時代の戦時期に続いて統制経済が採用されました。しかし南部では、市場経済が基盤となりました。

 ソ連は朝鮮北部から穀物・工業原料・製品のみならず工業設備も解体して持ち去りましたが、それは初期に留まり、規模も限定的でした。北部は軍事優先の国家体制構築を進め、日本統治時代の産業遺産は経済の根幹であり続けましたが、軍事偏重は長期にわたる経済停滞をもたらしました。一方南部では、軍事工業の解体と民需中心経済への転換が図られました。南部が日本統治時代から継承した工業設備は北部よりずっと少なかったものの、交通・通信・農業など、さらには人材面で継承した遺産は少なくはなく、朴正熙政権の優れた指導力のもと、経済が発展して北部を圧倒するに至ります。

 本書はこのように、日本統治下の朝鮮を経済に限定して検証し、さらには戦後の南北朝鮮をも視野に入れています。日本統治下の朝鮮の近代化を強調する見解は大韓民国でも主張されており、「ニューライト」と呼ばれています。こうした動向自体は、随分と前から知っていたので、本書の見解はさほど意外ではありませんでした。しかし、この問題に関しては不勉強だったので、本書のように一般向けにやや詳しく解説した書籍を読んだことがなく、本書は大いに参考になりました。本書の見解に激しく反発する人は少なくないでしょうが、議論の前提となる根拠を具体的に提示したというだけでも、一般社会における本書の意義はとても大きいと思います。
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_14.html

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

15. 中川隆[-8877] koaQ7Jey 2019年7月29日 17:37:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3844] 報告

2019年07月29日
韓国の暴走 日米の甘やかしで増長し自滅


韓国はアメリカから優遇され「自分の方が上」と思い込み反米活動を激化させた


画像引用:https://img.kaikai.ch/img/29544/6

甘やかした犬は噛みつくようになる

日米の政治家や外交専門家は、肩書を捨てて訓練施設で子犬の飼い方を習ったほうが良いかも知れない。

それほどこの70年間の朝鮮あるいは韓国への対応は間違いだらけであり、正しい外交は一つも行われなかった。

朝鮮や韓国への正しい対応を知っていたのは中国だったが、この75年間北朝鮮をソ連(ロシア)が、韓国をアメリカと日本が育ててきた。




その結果北朝鮮と韓国は甘やかされ放題でしつけを受けなかった子犬のように、ルールに従わなくなった。

こういう犬が噛みつくのは育てた飼い主が悪いのであり、犬は教えられた通りに行動している。

北朝鮮は核弾道ミサイルを保有して日米を火の海にすると言い、日米が北朝鮮に服従している。


韓国も自分が特別に優遇されてきたのを当たり前と思い、日米に対して主人のように振舞い、服従を求めている。


日本と南北朝鮮の関係がうまくいかないのはこういう事で、難しいことなど一つも無いが、日本の政治家と官僚は理解していない。

韓国がわがままを言い出すたびに、これ以上吠えないようにと援助や技術供与や謝罪を繰り返してきた。


韓国はまったく何の努力もしないのに、日本から莫大な資金を貰い、無料で最先端技術を供与され、国際協力の美名で工場も無料で建ててもらった。

それが現在のサムスンやヒュンダイやLG、ハイニックスなどで、元をただせば日本政府が謝罪と賠償の一環として日本企業に援助を強要したものです。

安倍政権になっても慰安婦に謝罪したり慰安婦基金、技術流出を見逃すスパイ行為で韓国を助けてきた。


当然の結果として韓国はますます主人として振舞うようになり、日本企業の資産没収を始めた。

アメリカは日本を支配するため韓国に味方したが、これで韓国はアメリカを見下すようになった


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画像引用:https://i.ytimg.com/vi/wR8IeWcL2ho/hqdefault.jpg

米軍が韓国から撤退し日本が最前線になると、米国による韓国優遇もなくなる


i1207000

画像引用:http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2006/2006/image/i1207000.png


日米の特別待遇で勘違いした韓国

日本は半導体素材などの重要品目で韓国を特別優遇し、事実上無制限無審査で輸出していました。

また通称ホワイト国と呼ばれるキャッチオール規制では、軍事転用可能な製品をアジアで韓国にだけ、無制限無審査で輸出していました。

韓国は日本による優遇措置を当然の権利と思い込み、自分が主人で日本が従っているのだと認識した。


日本がこうした間違った外交姿勢を取るようになったのは同盟国アメリカの影響であり、GHQ占領時代から始まっていた。

日本政府は敗戦当初朝鮮(韓国も北朝鮮も存在しなかった)に厳しい態度を取ったが、アメリカは日本統治に朝鮮人を利用し対立させた。

欧米の歴史ではわりと普通だが、支配下にある民族同士を対立させて両方をコントロールする手法を取りました。


韓国が騒ぐとアメリカは必ず韓国に同調して日本を叩き、日本が軍事大国になったり再びアメリカに挑戦するのを防いでいました。

1950年に発生した朝鮮戦争でアメリカは事実上の敗北を喫し、最前線の韓国を優遇し日本に協力させる方針を取った。

日本に財政援助させて日本企業に無償で技術を提供させ、その金と技術で韓国経済を発展させ、北朝鮮やソ連より軍事的優位に立たせるためでした。


アメリカの韓国優遇はソウル五輪以降も続き、中ロとの最前線基地である事から冷戦崩壊後も続いた。

北朝鮮の核危機以降も韓国が最前線だった事から、やはりアメリカは韓国を優遇し日本に金を出させた。

そうすればアメリカの財布は痛まず朝鮮半島でアメリカ陣営が優位に立ち、日本に打撃を与えて中ロと北朝鮮に対して優位に立てるからでした。


韓国の増長は留まるところを知らず、在韓米軍が韓国の指揮下に入るよう要求し、「韓国の命令に従えないなら出ていけ」と言ったところ米軍は出ていく事になった。

そこに北朝鮮の核危機などがあり、韓国は米軍に留まるよう要求し、「米軍が韓国を守らないなら謝罪しろ」と無茶苦茶な要求をしていた。

米軍はとっくに韓国から撤退する時期なのだが、ずるずると駐留を続け次第に縮小している。


数年後に朝鮮半島には少数の航空部隊や対空ミサイル部隊しかなくなり、米国は日本を最前線にする方針です。


米軍が撤退した韓国は米国にとって利用価値ゼロになるのを、韓国人だけが分かっていない。


米トランプ大統領は19年7月にWTOの中国の韓国への途上国優遇廃止を要求し、日米と同じルールを守らせるよう要求しました。

現在のWTOでは「途上国」と自己申告すれば途上国になり、WTOの多くのルールを守らなくても良くなる。

これで日米だけがルールを守り、中韓は守らなくて良かったのだが、韓国を甘やかす間違いにアメリカも気づいたようです。
http://www.thutmosev.com/archives/80523412.html

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


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