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河野談話見直し早期提案と国家公安委員長(読売)在日コリアンがほざく軍が強制連行したという証拠が1つも発見できず
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/834.html
投稿者 木卯正一 日時 2012 年 9 月 09 日 12:28:00: xdAt6v.ugMgqA
 

松原国家公安委員長は3日の参院決算委員会で、いわゆる従軍慰安婦問題に関する1993年の河野洋平
官房長官談話について、近く政府内で見直しを提起する考えを示した。
松原氏は8月27日の参院予算委員会で、河野談話に関し、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による
強制連行を直接示す記述は見当たらなかった。閣僚間で議論すべきだ」と述べていた。

(2012年9月3日19時08分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120903-OYT1T00879.htm


地獄の朝鮮半島1000年地獄の生き残り民族 ⇒ 「大嘘つき」が、【民族性】

まずは少し前の統計結果から紹介するニダ↓


★ 韓国人は 日本人の671倍 ウソつきらしい http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/3250/noriasa/k2.htm

■ 偽証が氾濫する 法廷

> 何の罪もない人を 罪人に仕立て上げ、罰を受けるべき人の罪を覆い隠す 「偽証」が 法廷ではこびっている。
> 偽証とは 民・刑事および行政訴訟などで、事実を明らかにするために裁判に出頭した証人が 嘘をつくこと。
  (略)
> 特に、偽証自体がほとんどない 日本とは 統計だけでも はっきりと その違いが 分かる。
                                                     ※↓しかもこれ、もしかして全員、在日同胞ニカ??
> 2000年の場合、韓国で 偽証罪で起訴された人が 1198人であることに比べ 日本は 5人だった。
> 韓国と 日本の人口の差を考慮した場合、国内の偽証が 日本の 671倍に達するというのが 最高検察庁の分析だ。

> 偽証が このように多い理由は、嘘を大したことと思わない 社会の風潮と、「情」にもろい韓国の文化が 最も大きな
> 理由だと判・検事は話す。
  (略)
【朝鮮日報】 朴世鎔(パク・セヨン)記者 2003.02.13(木)

■ 大嘘つき・他人に濡れ衣を着せるのが 【民族性】ニダww!!

  【解説 動画】 『息を吐くように 嘘を吐く人々』  2012年 6月5日  時事通信社 (元)韓国ソウル特派員 室谷克実
  http://www.youtube.com/watch?v=Mvj_Y8Uyh60


         
  『 私が小さい頃、嘘を付きますと、明治生まれの祖母から、 「そんな嘘を付くと、お前は 朝鮮人になっちゃうぞ」
  と、そんな風に 怒られました。                  

  ある時、近所の悪ガキが 嘘を付いたので、早速 祖母の真似をして、「お前 そんな嘘を付くと、朝鮮人になっちゃうぞ。」
  と言ったところ、 母親に 「 「朝鮮人に」 なんて 言っちゃいけません!」と 物凄く 叱られました。

  で、5年間、韓国に駐在し、韓国人との関係も 今も細々と 続いております。 そういう 体験を通じて、本当に 私が 実感いたしますのは、
  はあ〜 やっぱり、韓国人は、本当に よく 嘘を付く・・・ということです。
  (略)
  2010年、韓国で 「偽証罪」(ぎしょうざい)で起訴された数は、同じ人口比で、日本の 165倍。
              ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~                      ~~~~~~~~~~~~~~~~~    
  (略)
★ 【朝鮮日報】 また、他人を陥(おとしい)れる為、濡れ衣を着せて 告訴する 「誣告罪」(ぶこくざい = 日本で言う、「虚偽告訴罪」)は
              ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  日本の 305倍であり、 詐欺事件は 13.6倍もある。


■ 韓国人教授(88)が告白 「殺される覚悟で言う。 韓国人は 強制従軍慰安とか 歴史捏造を やめるべきだ」

> "私は 88才です。 もう 事実を話したいと 思います。 [チェ・ケイホ 伽耶大学 客員教授] 

> 朝鮮末期の私は 1923年の生まれです。 もう 韓国のためでも、日本のためでもなく 「事実」を話したいと 思います。
> それは 相当な覚悟が 必要です。 生命の危険も 覚悟しています。
> しかし、これは 私の使命であると 信じています。
  (略)
> 「親切で やさしい日本人」 という印象を、必死に消すために 「反日」を 指導者は そそのかしてきました。
> 韓国と 日本の 歴史教育を比較すると、日本が 10%の歪曲といえば、韓国は 90%が 歪曲です。
  (略)

  http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1341435138/l50
  http://anago.2ch.net/test/read.cgi/asia/1341660202/l50

最近の保守派からの「証拠ねーじゃん」という問いかけに、
韓国や朝日新聞やサヨク学者からの「これが証拠じゃボケ!」という声がまったくない
韓国などは「河野談話が証拠」と言い出すしまつ

やっぱ強制連行って無かったんだな♪

ついでに

朝鮮人からカネもらって嘘ついてた奴らは外患誘致罪で逮捕すべきだな♪


  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    

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コメント
 
01. 2012年9月09日 22:06:45 : HNPlrBDYLM

慰安婦強制連行は東京裁判で日本軍関係者が全員認めたので、既に決着が付いている:

子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母­親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・


韓国、中国の従軍慰安婦の女性が日本政府を相手取ったアメリカでの訴訟の法廷での日本の反論が

「この種の問題はサンフランシスコ講和条約で解決済み」

という内容になっている。サンフランシスコ講和条約では慰安婦強制連行が有ったという東京裁判の判決を認めている。

従って、今の日本政府も慰安婦強制連行を認めてしまった事になる。

いずれにしろ、日本政府は慰安婦は強制連行されて逃げたらリンチで残虐に殺されたという事実の追認をしてしまった。


慰安婦関係の資料は終戦時に証拠隠滅の為にすべて焼却した筈だったんだけど…
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/408.html


02. 2012年9月09日 23:49:47 : BnZEbGDBC6

今いる在日コリアンや自称慰安婦の主張についての証拠がないというだけで
サンフランシスコ講和条約による中での該当者がいると何故決め付けることができるのか?

たかしの悪質で頭の悪いすり替えのコメントにより阿修羅掲示板の目指す真実の邪魔になっていることを良識ある日本人の皆さんに知ってほしいです。


03. 2012年9月10日 00:10:00 : HNPlrBDYLM

日本軍は組織的略奪、食料・女性の現地調達を沖縄を含む全地域でやっていた。

指示したのは昭和天皇だとわかっている。

朝鮮だけ例外というのは有り得ない。


沖縄・朝鮮・台湾は日本の役所が有ったから、慰安婦関係の資料は完全に焼却して
証拠隠滅は完璧に行われた。

一方、他地域は焼却できなかった資料が幾つか残ってしまったので、東京裁判で強制連行が認定された。


04. 2012年9月10日 10:50:11 : BnZEbGDBC6
日本語も理解できないタカシクン!

娼婦売春婦を慰安婦に置き換えるとか
以前まで従軍慰安婦とか喚いていたブサヨも「従軍」の部分外して
再び日本人に集り工作をかけるんだからみっとない

親日保守の韓国人はどこへ行ったのか?(freejapan)元韓国空軍大佐「慰安婦は大嘘」 ついに在日ブサヨの嘘がバレる!
http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/120.html


05. 2012年9月10日 11:42:55 : Et818GU30E
>>01
あれ、解決済みじゃないですか

06. 2012年9月10日 17:04:10 : poRxZgP8CY
わざと混同させるような論調が多いが、「慰安婦はいた」し、「(本人の意思に反する)強制連行もあった」が、国家が組織的に関与した「証拠はない」ということだ。
こんなことは当時日本人に対しても行われていたし、今でも世界各地で行われている。あくまで民事契約上の問題なのだ。
だから韓国の慰安婦が「契約違反だ」として請求すべき相手は、日本国でなく「ピー屋」の親父だ。
韓国の裁判所も何をトチ狂ったのだか・・・

07. 2012年9月10日 23:51:28 : HNPlrBDYLM

何れにしろ日本政府は東京裁判で慰安婦の強制連行を認めたから、世界の歴史学会でもそれが結論になっている。 アメリカの教科書はすべて東京裁判の判決に基づいて書かれている。

アメリカ人の常識

ニューヨークタイムズは名前は明らかにしないが日本人歴史学者達によると日本軍慰安婦は最大20万人であるとしている[102]。
慰安婦のほとんどが家庭から拉致され最前線に連行された10代の朝鮮女性であるとしており、アメリカ軍の場合とはこの点で大きく異なるものであるとしている[39]。

アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、

最大で30万人もの14-20歳の女性たちを
強制的に徴集して性行為を強要したとしている[109]。

さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。
慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。

逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている[109]。

この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている[109]。


08. 2012年9月11日 00:41:30 : BnZEbGDBC6
>>07
>ニューヨークタイムズは名前は明らかにしないが日本人歴史学者達によると日本軍慰安婦は最大20万人であるとしている

南京虐殺並の言いがかりレベルだな

しかしながら米軍嫌いの反米阿修羅ユーザさんは何故かここでは黙りしている不思議!

タカシはいくら在日コリアン統一教会工作員から金もらって工作しているのでしょう笑


09. 2012年9月12日 14:37:54 : 9afJHhr7cg
松原てのも朝鮮ぽい名前であるからこの辺の謎はさらに深い。
(前原が親米に見せていて実は反米朝鮮手先の疑いとか、原口も右派に見せていて
 わかったものではない点など、民主党は自民党ほど単純ではないから)

10. 2012年9月12日 17:48:08 : Et818GU30E
>ニューヨークタイムズは名前は明らかにしないが日本人歴史学者達によると

凄まじいまでに実体の無い情報源だな

米国のメディアが、(架空の)日本人数人に聞いたって言ってた。

よく根拠として挙げる気になったな。

しかも、数十万人女性が居なくなって
韓国の男達は問題になる数十年間どうして忘れてたんだ?
女性が隠ぺい目的に殺されたから?
終戦して戻ってこなかったら、それこそすぐに問題になるだろう
でも、数十年間問題にならなかったんだよな


11. 2012年9月12日 18:05:08 : Et818GU30E
韓国済州島における吉田清治の「済州島から慰安婦を拉致して 戦場に送り込んだ」
という慰安婦狩り発言は地元紙「済州新聞」からも否定され結局捏造だったと発覚したが

※この吉田清治の1983年上梓された『私の戦争犯罪』の内の捏造「慰安婦狩り」発言が従軍慰安婦問題の発端

これは、韓国政府、韓国軍により
1948年4月3日島民の5人に1人村々の70%を焼き尽くした大虐殺事件
済州島四・三事件を覆い隠す為に日本に罪を着せようとしたか
ただ単にこいつが日本軍のせいだと盲目的になって年月日見てなかったんじゃないの


12. 中川隆 2012年9月12日 19:59:42 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

詐欺師 秦郁彦が捏造だというデマを流しただけだろ:

吉田清治を「詐欺師」扱いする本物の詐欺師 秦郁彦


産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

 韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、
一個人の独断の域を出るものではない。

 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が
旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。

 吉田氏は、「太平洋戦争当時、国民総動員令を執行する労務報国会の山口県
動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦の女性も多かった」、

「昭和18年に軍の命令で、済州島で女性200人以上を挺身隊として強制連行し、慰安婦にした」などと1983年に出した著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」などで体験談を語った。

 日本のメディアも吉田証言を「昭和十八・十九の二年間で千人以上」
(赤旗1992年1月26日)「吉田さんらが連行した女性は少なくみても
九百五十人」(朝日新聞1992年1月23日夕刊)と報じ、従軍慰安婦の存在が世に知られるところとなった。

 それは日本政府を動かし、1993年8月、河野洋平官房長官は、1年8ヶ月の調査を経て「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり、募集は軍の要請を受けた業者が主に行なったが、甘言・強圧による事例が多く、更には官憲等が直接これに加担したこともあった」として、公式に謝罪を表明した。


そうした動きに反発したのが、産経新聞などの右派メディアであった。

 産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。
 しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。

 「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。

 済州新聞(1989年8月14日)に「(吉田証言の)慰安婦狩りの話を
裏ずづけ証言する人はほとんどいない」と書いた許栄善記者を利用することを
思いつく。そうして、「『なんでこんな作り話を書くのでしょうか』と、今は
『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史から聞かれ、私も答えに窮したが、『有名な南京虐殺事件でも、この種の詐欺師が何人か現れました。彼らは土下座してザンゲするくせがあります』と答えるのが精一杯だった」と、自著「昭和史の謎を追う」、「慰安婦と戦場の性」などで臆面もなく披瀝している。

 ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。
 案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。

「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。


秦氏らのデマゴーグとしての本性を端的に示すのは、当初は慰安婦の存在を無視し、そのうちに慰安婦らが勇気を奮って名乗り出ると、今度は「戦時売春婦だ」と言い換え、詭弁を弄したことである。

 「軍は戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に開業させていた。業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などはしたが、直接的な強制はしていない。当時は公娼制度は合法であった」が秦氏らのロジックだが、それによると、「ナチスの蛮行も合法であった」ということになる。

 秦氏らの詭弁は、「従軍慰安婦は朝日新聞の造語だ」と言葉の問題にすり替え、その存在を否定していることにも現れている。
 厩の王子を聖徳太子とするなど過去の現象を後世の言葉で表現することは歴史ではしばしば用いられることで、実体が問題であることは言うまでもない。

 吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html


13. 2012年9月12日 23:32:35 : BnZEbGDBC6
>>12
タカシクンは統一教会や韓国民潭などから時給いくらもらって工作コメントしてるのでしょうか?

14. 2012年9月14日 00:44:25 : qEqycsVtxE
 明治の末ごろから大正にかけての生まれで南京、重慶等に遠征し、中国人をさんざん殺害し、あらゆる女を賞味したと、のたまう爺さんが其の辺りにたくさんいた。あらゆる女を捜してやった。纏足の女現地人の慰み者の女もやった。銃剣を利用して調達するのだから、挙句は殺したりしたのだからこれは、従軍慰安婦なんてものではない。現地調達強姦だろ。
 日本の軍隊について来る女達の幾多の写真も披露してくれた。この女達は日本兵にやらすのだから、そのまま中国人の間に帰っていったら命がない。身の安全のため、日本兵の行軍についてきたのである。金をとって生活したのだろうけれども、これも従軍慰安婦か。鉄兜の配給を受けたりしていたのだから、そんなもの道端で買ったりして調達していたわけがない。軍人軍隊の関与なくしてありえないことだ。日本の軍人は膏血で線刷りで済ましていたのだろうか。

15. 2012年9月16日 15:50:01 : aRY3n35QVI
>14

作り話じゃ誰も信じないよ。
それこそ証拠持って来れば?


16. 2012年9月17日 00:30:23 : qEqycsVtxE

 其の年代の者達はモウめでたくも死んでしまったからな。お前のような餓鬼には分かりようもない歴史的事実に属することに至った。
 祖先の潔癖を信じたいのは分からないでもないが、お前の祖先がそれほど完璧であるはずがないではないか。少しは日本人の自ら宿す劣性遺伝の研究でもしてみろ。無知と歴史研究の不足が自己正当化を生成しているだけ。世界に通用しない。まるで低脳の端のしたの論法。馬鹿が理解できないことは存在しないと考えることは幸せになる手段か。女の論法

17. 2012年9月17日 22:41:03 : lTDP8nUKUY
糞ウヨが肥溜め陰謀論サイトでいくらうんこ理屈をこね回しても事実は変えられん。

18. 2012年9月18日 14:22:25 : BnZEbGDBC6
>>17
在日韓国統一邪教工作員おつかれです♪

19. 2012年9月19日 03:58:08 : 7uPtGleutM
もう馬鹿嘘つき在日が何を騙そうとしても誰も信じないよ。全部嘘がばれてる。事実は全部反対だったんだろ。シナや半島と戦争になる時期に、、もうあんたらは終わりだ。利用価値がなくなれば在日は始末されるか白丁に逆戻りだ。日本で天国だったな。逆恨みをして日本人を貶めた因果応報のカルマだ。銃剣による強制インチキの東京裁判なんかだしても無駄よ。強制で嘘がばれた時点で無効だろ。信頼関係が無くなった時点、信じなくなった時点で東京裁判も終わりだ。放射能が子供にくるから早く半島に帰ったほうが偉いぞ。サンフランシスコなんて日本語の正文もないんだから条約ではなく下げ渡しだろ。もう無効だ。息を吐くように嘘をつく劣等民俗が。1000年再びシナの奴隷だ。もう助けるものはいないぞ。

20. S.T 2012年9月25日 09:00:16 : TNEHs1z1b5edM : ZtbpEPgUTA
一番解りやすい「慰安婦」のデマ流れを非常に解りやすく説明されているブログがあります。
これは参考になりますよ。

>所謂「従軍慰安婦」問題を整理してみよう!
http://blog.livedoor.jp/cordial8317/archives/51847204.html

(一部転載)

事の発端は吉田清治という人物が昭和58(1983)年に書いた「私の戦争犯罪」​という本だ。吉田は「済州島で9名の兵隊と共に約200名の​朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした」と記述し、済州島での様​子を描写した。

 後の調査で直ぐに創作だったことが判明したが、​本だけが独り歩きし始める。平成元(1988)年、この本が韓国語に翻訳されると韓国の人々は激昂。

 そして平成4(1992)年、朝日新聞がこのトンデモ本を取り上げ、根拠もない儘に日本軍や警察が「慰​安婦狩り」をやったと書き立てて韓国人の怒りを煽り、福島瑞穂ら名うての売国奴らがこれを支持し、支援した。

 この本に疑問を持った「済州新聞」記者の許栄善氏は、現地を取材し、「慰安婦狩りの話を裏付ける証​言者はいない。島民の名前もデタラメ」と一蹴している。

 韓国の郷土史家・金奉玉氏も現地調査を実施し次の様に述べた。

「昭和58年に日本語版が出てから、何年かの間、​追跡調査をした結果、事実でないことを発見した。この本は日本の​悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」(「ほんとうは、『​日韓併合』が韓国を救った!」松木国俊著WAC社)

 吉田氏も調査結果を突き付けられ、「創作だった」と事実を認めたが遅きに失した。日本発の嘘から始まり、韓国全土で「慰安婦​狩り」が独り歩きしてしまった。本を売る為という私利私欲の所業が国家を​売ることになったのだ。

(部分転載終了)
あとは直接読んで下さい。
他にも参考になる事が書かれています。


21. 2012年9月25日 17:29:41 : BnPQDnro5g
<ウヨク、ファシストどもの不都合な真実>

例の大戦中の、いわゆる「大本営発表」と称した、悪辣極まる組織的、大虚報徹底洗脳「プロパガンダ」の、あれは一体何なんだ!!!

尽くウソ八百の欺網シャワーで、戦局の敗退に告ぐ敗退事実の、隠蔽と捏造で騙し欺き続け、ナチス崩壊後も抗戦を続け、世界を相手に、ズルズル孤立無援の絶望と悲惨な末路へと、虫けら扱いの国民全体を突き落としていった、これほどの大ウソ、マヤカシ犯罪が他にあるか!!!


22. 2012年9月26日 07:57:26 : HNPlrBDYLM

証拠はいくらでも有るよ:


チョン・オクスン(ChongOkSun)


現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。


「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。

13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。

10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。

その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。

一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、

彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。

最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、

「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」

と語りました。彼はまた

「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」

とも言いました。


ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。

あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。

○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。

○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた

○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた

○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた

○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った

○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ

○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました


守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。

彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/


23. 2012年9月27日 10:08:19 : bW0kgIpTJg
22のひと、、、事実であれば鬼畜達だな、、それじゃあまるで朝鮮人の所業だぜ!!!!人間じゃねえ

NJ


24. 2012年9月27日 15:49:14 : BnZEbGDBC6
>>22

統一邪教で在日コリアンの手先である たかし!

向こうからいくらの時給なんですか?♪


25. 2012年9月27日 17:36:33 : FqFTMwaDLQ

  反対派の松原氏が国内にいないのを狙って【人権侵害救済法】を閣議決定しやがった野田売国総理。 死ねばいいのに。


26. 2012年10月05日 09:01:24 : bJe2B6tvlw
韓国人ならやりそうだ
ライダイハン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3
フォンニィ・フォンニャットの虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

27. 2012年10月07日 02:54:39 : 3tvoCYMTEI
朝鮮人は、自分たちの夢か妄想の中に生きてるから、まず、話し合い自体が成立しないと思うよ。幼稚園児を相手に裁判する様なものだから。

28. 2012年10月08日 18:57:07 : 6kuobrWeYc
妄想はおまえの方だろ。
事実を隠しても無駄だよ。
知らぬは日本人だけとなって、国際的には孤立。

29. 2012年10月09日 00:55:10 : 3tvoCYMTEI
↑え?、なに?、韓国は日本の領土だって言いたいの?。良く、分かってるじゃん。

30. 2012年10月14日 09:23:54 : knNcbeDrsw
軍に喰い付いた売春婦が高級貰ったのほっかぶりして、また金遣せとは流石の国だ。

31. 2012年10月14日 17:33:28 : HNPlrBDYLM
東ティモールにおける日本軍性奴隷制

 四半世紀にわたるインドネシア支配の陰で、封印されてきたもうひとつのの占領の記憶がある。それは1942年2月から1945年8月までの日本軍占領期の歴史、特に「慰安婦」という名の性奴隷にされた東ティモール人女性の体験である。


■証言

 1942年から1945年の間に慰安所はポルトガル領ティモール全土に設置された。関係者の証言や東ティモールに駐留した部隊の記録によって現在までに確認された慰安所の所在地は、ボボナロのメモ村、ウアタ村、マロボ村、オアト村、バウカウのティリロロ村、アイレウ、サメのキラス、クレディリ、アラス、オッス、バギア、アビス、ラウテンそしてディリである。

日本軍は、リウライと呼ばれる伝統社会の王や村長に命じて少女や女性を集めさせた。彼らは反抗すれば殺されると脅された。また多くの住民が日本軍の治安管理を助ける「ポムベラ」として使われた。 


◇エスメラルダ・ボエさんの話

 ある日、私が兄と畑でタピオカを収穫していると、日本軍の兵士が5人やってきて、何か言いあいながら私の腕を取り、首を締め、彼らの家に引きずっていった。そこからシモムラ(Shimomura)という司令官の家に連れていかれ、そこで私はシモムラに強姦された。私はその後解放されて家に戻り、両親に自分の身に何が起きたか告げた。両親は村長に相談した。村長は両親を「逆らうと殺される」と諭した。当時私は12、3歳ぐらいで初潮もむかえてなかった。

 それから夕方になるとシモムラがやって来て、私を家に連れていき強姦した。こうして約2年間私はシモムラの相手をさせられた。シモムラが去るとシモムラと同じ家にいたカワノ(Khawano)の相手をさせられた。カワノの次はハルカ(Haruka)だった。兵舎にいる一般の兵士のために女性たちが連れて来られているのも見たが、別の村の女性たちなので誰が誰かわからなかった。

 性の相手をさせられる以外に農作業もさせられた。働きが悪かったり疲れて休んだりすると、その場で殴られたり、厳しい罰が待ち受けていた。私は日本の歌を憶えさせられて日本軍の娯楽のためによく歌わされた。私は3人の司令官の名前と何度も歌わされた日本の歌を決して忘れない。

 東ティモールに侵攻した日本軍はすべてを破壊した。私たちの牛や豚や鶏を奪い、男や女を殺害した。多くの女性が慰安婦にされた。ティモール人はみな重労働を強いられた。農作業も木材伐採も道路や橋の建設も全部ティモール人の仕事だ。

 午後、外の仕事が終わると男は家へ帰されるが、女性は慰安所で働かされた。女を求めて兵士が村へやってくることもあった。少女が家から引きずり出され、慰安所に連行され、強姦された。そうした少女の中には死んだ者も重い病気になった者もいる。強姦された後殺されて山の中に捨てられた者もいる。私とマルタがこうして生きていられるのは幸運だ。生きてこうして話ができるのはありがたいことだ

 私の兄のひとりは日本軍に殺された。兄は逆さ吊りにされて喉を切られた。死体は埋葬されなかった。埋葬されるどころか吊るされたまま火がつけられた。なぜ兄がこんな目にあったかというと、彼は私の姉と妹を助けようとしたからだ。この姉と妹は10人以上の兵士に強姦されて殺された。彼女たちの遺体は山の中に放置された。

 兵士たちは既婚女性の家にも踏み込むことがあった。そこに夫がいても気にせず、その妻を連行し犯した。夫が家にいない時間をみはからって踏み込み、その場で妻を強姦するという場合もあった。日本人は本当にひどい国民だ。既婚の女性に何の敬意も払わないのだから。残虐だよ。あるティモール人の男は日本の憲兵に協力して働いていたのに、日本軍の酒宴に妻を出すことを強要された。

 私たちには着る服も与えられなかった。しかたないので米の袋を切って服をつくった。それでもその時着ていた服よりははるかにましだった。私たちの身なりがあまりにみすぼらしい時は、酒席に呼ばれても行く気がしなかった。しかしそんな時でも「お前たちは慰安婦だ。俺達を楽しませるのが仕事だろ」といわれ引きずり出された。

 日本軍は私たちから何でも奪った。あらゆる食べ物を奪った。キャッサバ(いも)さえだ。日本は豊かな国だと聞いたが信じられないね。何でも私たちから奪ったんだから。キャッサバさえも。

 兵士は私たちの家にやって来て、何か欲しいものを見つけると、金はあるからそれをくれといった。でも金など払ったためしはない。ひと度機嫌を損ねると厳しい罰が待っている。例えば片手に岩を持たせ片足で立たせるとか。疲れて手や足を下ろすと竹の棒で肘や膝をしたたか殴られた。

 心の傷が残っているかだって?今でも誰かのおしゃべりが聞こえると「エスメラルダは日本軍の慰安婦だ」って嘲笑されている気がする。思いだす度つらくてこれまで人に話したこともない。でもしゃべってよかったよ。すっきりしたよ。シモムラたちが生きて目の前に現れたら?そうだね、思いきり殴ってやるさ。(2000年12月11日談)

◇マルタ・アボ・ベレさんの話

 エスメラルダも言ったが、当時、私たちは日本軍からさまざまな労働を強制された。私たちは、橋や道路や家屋の建設のための労役に従事させられたし、家屋をつくるために必要な竹などの資材を遠くから調達し運搬しなければならなかった。

 私はオアト村から温泉のあるマロボに連れて行かれた。マロボには慰安所があり、そこで働かされた。その慰安所で私は毎日10人もの兵士に強姦された。

 昼は昼で畑仕事やその他の労働をさせられた。そして夜になると慰安所に戻される。マロボの慰安所で毎日10人もの男性に強姦されて、私は自分が家畜になった気がした。実際私たちは家畜のように働かされた。まるで日本軍に所有された馬だ。昼は戸外で働かされ、夜は兵士に対する性的サービスをさせられた。

 あれは動物としての扱いだった。その慰安所にはいくつかの部屋があり、小さめの部屋に5人ほど、中くらいの部屋に7人ほどが入れられた。寝床と寝床の間にはカーテンなどの仕切は一切なく、他の少女たちが犯されるのを見ながらまた自分も犯された。

私たちの性器は彼らのためのものだった。まるで動物の、牛の性器のようだ。ひとり以上の男、十人以上の男に毎日使われて。十人以上の男に強姦された後はもう普通に歩けない。ちゃんと立てなくてこんなふうにしか動けない。でも昼は昼で外で働かされるんだ。私たちはいつも牛の角で作ったメガフォンで呼び集められた。「さあ出てこい。男も女も。仕事だ、仕事だ」って。

 あんたたちは本当に酷いことを私にしたよ。あんたたちは強姦したんだ私を。あの時私たちの性器はすごく痛いんだ。十人以上の男にされたらもう何もできないんだよ。

 もし嫌だといったら、仕事を拒もうものなら、逆さ吊りにされて喉をしめられた。怖いよ。すごく怖くて、だから行くしかないんだ。

 私たち女性は神様が造られたものだ。でも日本の男たちは女性が神の創造物と考えない。自分たちだって女性から生まれたのに。母親が産んでくれたのに。どうしてこんなふうに女性を扱えるんだろう。私たちだって彼らの母親と同じなのに。

 あの男たちだって、疲れれば家に帰り休息を取るだろう。私たち女だって人間なんだから疲れるんだ。男と同じ仕事を昼間して、夜は一晩中セックスの相手をしなければいけない。私たちだって疲れるんだ、人間なんだ。

 仕事が終わっても家(宿舎か?)に戻って何か食べてくることも許されない。お腹がすいて死にそうだった。あまりにひもじい時、私は日本軍のために働かされているティモール人の村長に食べ物を取りに家に帰らせてくれと頼んだ。何も食べる物がないと働らけないんだ。(2000年12月11日談)


【補足/マルタ・アボ・ベレさんが慰安婦にされた経緯】

 ある日、日本軍の兵士と東ティモール人のガイドが家にきて

「いっしょに行こう。キャッサバを食べに行くのだから怖がらないでよい」

と言った。日本軍のために道路や兵舎をつくる仕事をしろということらしいが、怖かった。しかし、叔母に自分が行かないと両親や叔母が日本兵に殺されるといわれ、しかたなく従った。マロボに連れていかれると、集められた他の少女たちとともに草刈りや道路づくり等をさせられた。しばらくしてそういった仕事が一段落すると、アツァベ出身のドミンゴスという男が適当な少女を選んで慰安所に連れていった。マルタも連行され約3カ月間慰安婦として働かされた。三カ月後病気になり、両親の懇願によりもとの村に帰ることを許された。)

 ボボナロに駐留した部隊は、1944年3月まで駐留した歩兵第47連隊の第7中隊、 1944年3月に同部隊と交代した台湾歩兵第1連隊の第6中隊、軍用道路の建設に携わった台湾工兵第48連隊などである。

◇エルメネジルド・ベロさんの話

 日本軍がバウカウに来た時、ほとんどの者が山へ逃げた。オーストラリアに避難した者もいる。私の親族にもオーストラリアに逃げた者がいる。しかし私と妻は東ティモールに残り、一旦山へ逃げた。町に戻ってくると自分の家は日本軍に奪われていた。

 日本軍が駐留するようになると、彼らは「慰安婦」にする若い女性を求めた。私も日本軍に差し出すための美しい若い女性を捜さなければならなかった。命令に従わなければ殺すと脅された。若い女性を捜すだけでなく、私の家も明け渡せと命じられた。家は大きく慰安所にするのにうってつけだったからだ。家は改造され「ティリロロ慰安所」となった。

 ティリロロの慰安所にいるほとんどの女性は17才から20才くらいだった。全員がバウカウ出身というわけではなく、オッスなど他の場所から連れてこられた女性もいた。また、インドネシアのジャワ島のような東ティモール以外から送られてきた女性もいた。ティリロロの慰安所には中国(台湾?)出身の女性もいた。ほとんどが独身の女性だったが、結婚しているのに無理やり夫から引き離された女性もた。ジャワや中国から来た女性たちはずっとその慰安所にいたわけではなく、2、3日あるいは2、3週間で別の場所に移された。

 慰安所の女性たちは苦しんでいた。昼間は農場で働かされ、日本兵のために洗濯をし、料理をつくり、夜は性的欲求を満たすことを要求された。もし日本兵に対する性的奉仕を拒否すれば、彼女たちは拷問を受けたり、ひど暴力を受けるのが常だった。あまりの野蛮さに耐えられず逃げ出した女性もいた。

中にはうまく逃げおおせた女性もいた。しかし、例えば、ススディオという女性が逃げた時の話だが、私は罰としてひどい目にあった。ススディオは17才くらいで、褐色の肌をしたとても美しい女性だった。彼女はカイシドゥ・ポボサンというティリロロ村の出身で私が差出した女性だった。日本軍は私がススディオを逃がしたと疑った。日本軍はススディオを見つけることができなかったので、逆上し、私を尋問し暴行を加えた。血だらけになった私は馬の背に括りつけられて家へ返された。

 私のいとこのアナシタシアは慰安婦にされる前、カルロス・レモスという男性と暮らしていた。彼女も日本軍の慰安婦にさせられた。自由の身になった後、二人は別れた。その後アナスタシアは今日まで結婚せずひとりで生きてきた。彼女が二度と結婚しなかったのはこの時経験した心の痛み故だ。

 ブランカという女性はポルトガル人ピレス中尉の妾のひとりだった。ピレス中尉はかつてバウカウの警備隊長だった。彼は日本軍侵攻時に一旦オーストラリアへ避難したが、その後東ティモールに潜入し、しかし結局日本軍に捕らえられてディリに護送された。ピレス中尉が逮捕されるとブランカは日本軍に連行され慰安婦にされた。

 日本軍のある軍曹の「妻」にされたエルダ・サルダーニャは既に亡くなっているが、その軍曹との間に娘がいる。その軍曹の「妻」にされる前、彼女は結婚していた。彼女の夫は日本軍に殺害されていた。(2001年1月2日談)

【補足/エルメネジルドさんの記憶にある慰安所設置の責任者の名前及び階級は、捜索第48連隊所属のある将校の名前及び階級と一致した。さらにエルメネジルドさんは多数の将校写真の中からその人物を特定した。】

◇クレメンティーナ・カルドゾさんの話

 私はスアイのティリマールのワラ村の出身だ。ある時、日本軍の命令を受けたジョン・オリベイラというリウライ(村長?)の指示で、村の者は男性も女性もズマライに行かされ、軍用道路建設の人夫をさせられることになった。ズマライでは、村の男性と女性は分けられ、別々の住まい(小屋)をあてがわれた。日本軍の兵士は女性たちの住まいから気に入った女性を次々とバラック(兵舎)に連行し、性の相手をさせた。これらの女性たちは昼間はその他の村人とともに肉体労働に従事させられた。

 当時、私は17、8歳で結婚していた。私も軍のバラックに連れていかれ、慰安婦をさせられた。そのバラックにはたくさん、そう60名ぐらいの少女たちがいた。私は一度女性たちの小屋に戻された。二度と連れていかれたくなかったので、夜中に密かに男性小屋へ行き、夫に事情を打ち明け、助けを求めた。夫はその時まで私の身の上に起きていたことを知らなかったので、非常に怒った。

その後夫は女性小屋までやってきて、日本軍の兵士が私を連れていこうとするのにはむかった。兵士が夫に向かって武器を振り上げたのを見て、私は夫をかばおうとして抱きついた。兵士は抱きついた私ごと夫を殴った。夫は死んだ。

私はこの時に右手首を骨折した。大怪我だったので、その時は兵舎に連れていかれなかった。傷は薬草で癒したが、私の右手首は折れたまま二度と動くことはなかった。その後も日本兵は私を慰安婦にしようと連れにやってきたが、

「夫が死んだのだから命は惜しくない。連れていくなら死んでやる」

と叫び、抵抗し続けた。夫の死後、私が慰安婦として働かされることはなかった。私の知るかぎり、自分の意思で慰安婦になった女性などいないし、また女性たちに報酬など一切支払われていない。
(2001年3月26日談)

◇リム・ファ・ニエさんの話

 私はアイリウの出身だ。アイリウには日本軍の中枢があった。ある日、中国人のポンベラが家にやってきて日本軍のために働けといった。14歳か15歳の頃だった。

母親が死んでから父親は病気がちだった。それから二年間は飯炊きとして働かされた。この時未婚の少女が3人とティモール人の男性3名がいっしょに働いていた。ポンベラが来た時自分はまだ幼かったが、ポンベラたちは

「しばらくすれば使いものになるだろう」

と言った。二年たつと、慰安所(小さなホテル)に移された。その慰安所には中国人の少女だけが集められていた。アイナロやボボナロ出身の女性もいた。アイナロ出身のある女性は、日本軍によって夫を殺された後、連行されたと言っていた。

 慰安所で私はハナコと呼ばれた。アイリウは軍事拠点でアイリウの兵営にはヘリコプター、タンクその他様々な兵器・機器が置かれており、兵士は夜間それらの警備を行なうため、私たちが慰安所で兵士の相手をさせられたのは朝から夜までだった。相手をさせられた兵士の数は1日20人ぐらいだったと思う。仕事が終わると立って歩くこともできなかった。兵士はコンドームを着用していた。性病検査はなかった。

 賃金は一切支払われなかった。すごくつらかったが逃げようとは思わなかった。そんなことをしたら親が殺されると思った。ある中国人(英国人との混血)は娘を差出すのを拒んだため殺されたという話を聞いていた。私が解放されたのは日本軍が撤退する時だった。

 その後結婚したが、ある時夫は娘と自分をおいて逃げた。夫には自分が慰安婦にされたことを話していないが、夫はそのことを誰からか聞いて知っていたのかもしれない。夫が逃げたのは自分が慰安婦だったことを知ったためだと思う。

 何か、あんたの祖父(だったかもしれない男たち)が戦争中ここでひどいことをして、その孫がその話を聞きに来ているっている感じだね。(2001年3月27日談)

◇ガブリエル・ラランジェラさんの話

 私はサメ県バブル村のある慰安所で警備長だった。バブル村には慰安所がみっつあった。慰安所には毎日担当の軍人がやって来て「女たちを清潔にしろ」と私に命令した。私は部下に命じて女性たちを水浴びさせ、よごれがないかチェックさせた。その軍人はこういう時にも現れ、慰安婦たちの身体を検査し、例えば足の指に泥がついたままだったりすると私たちを叱りつけた。

一日の終わりには女性たちの部屋の床は使用済みのコンドームでいっぱいだった。私たちは毎日その掃除をした。寝台の間に仕切はなかった。慰安婦たちは穴のあいたボロボロの服を着ていた。いくらさがしても布らしきものは穀物袋だけ。女性たちはそれらを利用して服を縫った。女性たちへの報酬はなかった。もし彼女らが金をもらってたら、あんなボロを身にまとったりしないだろう。

 日本軍の将校は村の女性を気に入ると、その女性が既婚者でもかまわずに、性欲を満たそうとする。ある女性が所望された時、その夫婦は困ってリウライに相談した。リウライはその女性を自分の娘だと偽って、その将校とかけあったが、無駄だった。言うことを聞かなければ妻も夫も殺すと脅された。結局、その将校はその女性を思いのままに扱い、事が済むと家へ返した。

 慰安婦たちに食事は支給されなかった。だから親が食料を運んだり、女性たちが食料をもらいに家に戻ることもあった。だからといってそれが逃亡の機会にはならない。女性たちは自分たちが逃げたら身内にどんな害が及ぶか理解していた。逃げ切れないことも知っていた。あの状況で日本軍の意向に逆らえる者などいなかった。(2001年3月30日談)
http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html


32. 2012年10月23日 18:27:31 : 9OeN62iWZ6

   反対派の松原仁氏を国外に出し、留守の間に【人権侵害救済法案】を閣議決定しやがった売国民主党政権。


33. 2012年10月27日 11:19:36 : AwwtYWnddE
22.31は自分に都合のいいとこだけ添付するな。以下も添付してくれ。

「東ティモールにおける日本軍性奴隷制」の最後には

ポルトガルの植民地支配、日本軍の占領、インドネシアによる占領、数世紀にわたる外国の支配を通じて、占領者のなぐさみ者にされる女性の苦しみはいつも同じだった。たとえ東ティモールが独立しても、女性たちを「最後の植民地」にする東ティモール社会の封建制と家父長制との闘いが残っている。「法廷」の東ティモール人参加者たちは、50年前の日本軍の犯罪、住民投票前後のインドネシア軍と民兵による犯罪、そしてずうっと続いている家庭内暴力は、どれも根っこは同じで、だから被害者による告発、真相究明、被害者救済及び責任者処罰は、女性たちが家畜ではなく人間として生きるために絶対に必要なことと口をそろえて言う。本当に長い間、当事者たちは言葉を奪われ、言葉を発せないまま、その想いや願いは勝手に解釈され代弁されてきた。


 今の「現実の問題」をまず解決してくれ。

韓国人によるDVや惨殺事件が多発しているため、ベトナム政府は2011年以降、
「満50歳以上、または年齢差が16歳以上」の韓国人男性とベトナム人女性と
の国際結婚を禁止する厳しい制限規定を設けている。



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