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なぜ、八百万(やおよろず)の神々は11月に出雲大社に集まるのか? (気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板)
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/821.html
投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 11 月 23 日 00:33:01: ulZUCBWYQe7Lk
 

http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
「気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板」の[128]「なぜ、八百万(やおよろず)の神々は11月に出雲大社に集まるのか? 」から下記を転載投稿します。

=投稿開始=

今日は11月21日ですが、11月(旧暦の10月中旬)に、日本の神々が出雲に集まるのは、よく知られています。神々は旧暦の10月10日から7日間滞在して、いろいろ議論するのだそうです。このとき、出雲大社では、神在祭(かみありさい)と呼ばれる祭りが間催されます。

旧暦では10月なので、「日本中の神々が出雲に集まるので、10月は神無月(かんなづき)と呼ばれる」という話がまことしやかに語られています。出雲では、逆に、10月は「神在月」と呼ばれているそうです。宮崎駿のアニメ映画「千と千尋の神隠し」にも、神々が集まってくる場面がありましたが、これは出雲大社が舞台でしょう。

さて、ではなぜ、旧暦の10月中旬に神々は集まるのでしょうか?

納得できる答えはないようです。

1978年、稲荷山古墳の鉄剣に、文字が記されているのが発見されました。これにより、いわゆる倭の五王と呼ばれる「讃、珍、済、興、武(それぞれ、履中天皇、反正天皇、允恭天皇、安康天皇、雄略天皇)」の実在が証明されました。

この稲荷山古墳鉄剣の文字の最初には
「辛亥年七月中記」
と記されています。ここに「七月中」という文字が見られ、普通は、これは「7月に」と解釈されています。

しかし、これは単に「7月に」という意味ではありません。この「中」は二十四節気(にじゅうしせっき)と呼ばれるものです。二十四節気では、ひと月に「中(ちゅう)」と「節(せつ)」の2つがあります。今では、春分、秋分とか我々が呼んでいるものです。(米山忠興著『空と月と暦』)

例えば、立春は「十二月節」(ウイキペデイアでは「正月節」になっている)、秋分は「八月中」です。

したがって、稲荷山古墳の鉄剣の「七月中」は「処暑」、現在のお盆の頃になります。

中国の初期道教である五斗米道(ごとべいどう)では、この二十四節気で「一月中」、「七月中」、「十月中」の3回、一族が集まって祝宴をしたことが知られています。以下、ブリタニカの道教のところの初期道教のところから引用します。

<引用開始>
Both the nuclear communities and the “Daocratic” realm as a whole were bound together by a ritual cycle, of which only fragmentary indications remain. Among the most important ceremonial occasions were the communal feasts (chu) offered at certain specific times throughout the year (during the first, seventh, and 10th months) as well as on other important occasions, such as initiation into the hierarchy, advancement in rank or function, or the consecration of an oratory. These feasts were of varying degrees of elaborateness, depending on the circumstances. The common essential element, however, was the sharing of certain foods, in prescribed quantities, among masters and disciples. This was envisaged as a communion with the Dao, at once attesting the close compact with the celestial powers enjoyed by the members of the parish and reinforcing their own sense of cohesion as a group.
<引用終了>

なかなか読みにくい英語です。

真ん中に「最も重要な儀式はchuと呼ばれた住民の祝宴であり、一年間に決められた時(最初と七回目と十回目の月の間)に催された」とあります。chuは「中」だと思います。ブリタニカでは、1月、7月、10月の3回、「中」という祝賀があったと解釈しています。

いずれにしても、一月中、七月中、十月中の三回、そろって祝賀をする風習があったことがわかります。

したがって、稲荷山古墳の鉄剣も、埋葬のため7月に作られたわけではありません。辛亥の年の「七月中」という一族の祝宴の席に添えるため、わざわざ、この鉄剣を用意して作らせたということです。一族の名前が金文字で刻まれている鉄剣ですから、まさに、この饗宴の場にふさわしかったでしょう。ちなみに別の江田船山古墳の剣では「八月中」となっています。これは、二十四節気そのものだと思います。

現在では、一月中は上元、七月中は中元、十月中は下元と呼ばれています。夏にお中元を贈る人も多いと思いますが、あの「お中元」はここから来ています。

また、上のブリタニカの文章では ”initiation into the hierarchy” (階級社会の入会)の時にも一族でお祝いをしたとあります。これは入社式や成人式(1月15日ですから「一月中」です)にあたりますから、これらが現在の日本でも残っているのは興味深いことです。西洋には、入社式も成人式もありません。


さて、それでは元に戻って、なぜ旧暦10月の半ばに、出雲に全国の神が集まってくるのでしょうか?

実は、上のブリタニカの文のなかに、「全体としての道教国(the “Daocratic” realm as a whole、Daocratic は神政政治(Theocratic)のしゃれ)でも、祝いの儀式を行っていた」という重要な記述があります。この王国はいわゆる祭祀(さいし)同盟(Amphictyonia)と呼ばれるものです。同じ神や宗教を持った国々がゆるやかな都市連合を組んでいたわけです。古代ギリシャのポリスみたいなものです。五斗米道では24の地域に分けていたことが知られています。

有名な三国志魏志東夷伝には「辰韓(しんかん)12国」「弁辰(べんしん)12国」の都市同盟があったことが記されています(岡田英弘「日本史の誕生」より)。これらは合わせると24国です。魏志倭人伝から、倭にも都市同盟があったと見ていいでしょう。

問題は、この都市同盟が、本当に祭祀同盟、特に、道教国(the “Daocratic” realm)だったかです。

今、それはおいといて、このような祭祀同盟があったとすれば、なぜ10月の半ばに、出雲に全国の神が集まってくるかが説明できます。つまり、旧暦10月に神々が集まるということは、倭国内の祭祀同盟の王たちが「十月中」に出雲にあつまって、話し合いと祝宴を一週間行っていた、そして、それが出雲神社に伝承として祭りの形で残った、と考えることができるからです。


これは、前に書きましたが、あの邪馬台国で有名な卑弥呼が仕えた「鬼道(きどう)」とは、上記の初期道教である五斗米道(ごとべいどう)の神、あるいは五斗米道そのもののことです。歴史学者の岡田英弘氏が「日本史の誕生」の中で述べています。ですから、祭祀同盟(Amphictyonia)があったとすれば、まさに、卑弥呼は道教の祭主であったということになります。

そして、下のブリタニカの文章を読むと、なぜ、卑弥呼が倭王として祭り上げられたのかという日本古代史最大の謎の答えがわかります。

<引用開始>
Under a worthy dynasty, which governed by virtue of the Dao, the role of the celestial masters was that of acting as intermediaries for celestial confirmation and support. Only when a responsible ruler was lacking were the celestial masters to take over the temporal guidance of the people and hold the supreme power in trust for a new incumbent.
<引用終了>

「王(a responsible ruler、責任のある支配者)がいないときに限って祭主(the celestial masters)が人々を導き、新しい王の最高権力を一時的に預かる(in trust)」と書いてあります。つまり、ジャンヌ・ダルクのようにさっそうと卑弥呼が現れて、人々がそれにひれ伏したわけではないのです。もめて(倭国大乱といいます)、新しい倭王が決まらなかったので、「仕方なく」、「慣例に従って」、祭主の卑弥呼が最高権力を握ったということです。

また、逆に、卑弥呼という女性祭主が、倭王の決まらないときに倭の女王に選ばれたという歴史的事実が、この祭祀同盟(Amphictyonia)が存在したことのひとつの証明になっているわけです。

倭国には、このように「鬼道」を共通の神とする祭祀同盟、都市連合があったわけです。

=投稿終了=

 

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コメント
 
01. 2010年11月23日 00:46:19: fFXyPZphjT
上の投稿は置いといて
相変わらず、副のところは、お馬鹿投稿多いな。

02. 五月晴郎 2010年11月23日 01:11:00: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
正でも副でもいいから記事内容に就いて語りなされ。

03. 2010年11月23日 03:51:04: 7IpsRZdKJk
神無月の由来が中国の二十四節気からきてるってのは興味深い説だね。
ただ、どうなんだろう。宗教って社会に受け入れられて浸透していくには長い時間がかかる。
それを考えると、大陸での五斗米道の発生から卑弥呼の時代までってのは短すぎるんじゃないかな?


ちなみに10月終わりから11月にかけては、世界各地で死者を祭る祝いが行われる。
例えば、ケルト人は11月1日を新年の始まりとして死者の神を祭ったらしいが、これは後にカトリックに取り入れられハロウィーン、万聖節として祝われている。
聖書ではノアの洪水が起きたのがちょうどこの時期で、ノアの家族8人を除いて地上の人間が滅んだことになっているんだけどね。

(ピノ)


04. 五月晴郎 2010年11月23日 09:42:53: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
>>3

>ただ、どうなんだろう。宗教って社会に受け入れられて浸透していくには長い時間がかかる。

岡田英弘説によると、「辰韓(しんかん)12国」「弁辰(べんしん)12国」の都市同盟や倭の都市同盟の都市は、overseas chineseが作ったもの、だったと思います。


05. 2010年11月23日 10:03:05: ED09P8eLVU
これこそ、日本正統原住民系の天孫系の民族が、外来出雲教に乗っ取られて
歴史を偽装された証拠と言えるものだ。

日本民族のほとんどを形成する「かんながらの道」を信奉する天照大神系の天孫族
が、中国伝来の二十四節気とか鬼道など行うわけがなかろう!

天照大神を大和から追放し、伊勢に幽閉したのがオオクニヌシ系の出雲教である。


06. 五月晴郎 2010年11月23日 10:22:09: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
文末に「!」を使って興奮するような話題なんでしょうか。・・ついていけん(笑)

07. 2010年11月23日 17:36:28: 2hXNXzolHY
とりあえず、アジアか文化に投稿すべき話題だろうな。
投稿者は良識なしか。

08. 五月晴郎 2010年11月23日 19:04:14: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
雑談版にまでナイーブ(あほ)な荒らしが来るとは・・。

09. 2010年11月23日 20:09:58: Wpa39bsErw
箸墓古墳を卑弥呼の墓とし
邪馬台国を奈良に持って来ようとする
トンデモ考古学がもてはやされているが、
これは右翼とマスゴミによる新たな皇国史観の
復活であり、先の戦争と古代史の2大歴史改竄の
策動です。右翼は、平安時代や江戸時代なんかには
全く興味を示しません。当時、中国に正式に認められていた
邪馬台国が奈良にあり、それが発展、連続してヤマトに
成っていったという万世一系を正当化するため、
強引に卑弥呼を奈良に引っ張って来るという茶番を
演出してる訳だ。九州で卑弥呼が輝いていた頃、
奈良盆地がオオカミが徘徊する湿地だったじゃ、
天皇は後からやって来た事になり、なんとも
情けない事になってしまう。右翼にとってもっと
可哀想なのは、天皇家は加羅からやって来てるんですね。
嫌韓なんて変態的な主張をしたら罰が当たりますよ。

10. 2010年11月23日 21:38:53: cORSSWBvlQ
良識のなさを指摘されて、(あほ)というとは、そりゃ良識ないといわれても仕方ない・・・・・
と、いいつつコメする自分(笑)

>これは、前に書きましたが、あの邪馬台国で有名な卑弥呼が仕えた
>「鬼道(きどう)」とは、上記の初期道教である五斗米道(ごとべいどう)の神、
>あるいは五斗米道そのもののことです。
>歴史学者の岡田英弘氏が「日本史の誕生」の中で述べています。
「日本史の誕生」を読んでいないので、本来は読んでからコメすべきなんでしょうが、
魏書東夷伝に出てくる卑弥呼の鬼道=五斗米道というのは、どうにも安直な気がします。
卑弥呼の行っていた祭事に、陳寿が新たな名前を与えることをせず、
道教の一部の祭事に似ていることから鬼道とした。
ただ、それだけのような気がします。

五斗米道国家が制圧されたのが215年、東夷伝で卑弥呼の記述が出てくるのが238年と言われています。
たしかに、五斗米道は制圧されたのち華北に移住させられていますが、
この23年間の間に、その一部が倭に日本に渡って君臨するまでになったというのは、
かなり無理があるのではないかと考えます。
卑弥呼の鬼道=道教で話を進めるなら、むしろ状況的には
太平道のほうが適しているのではないでしょうか。

また、道教的に鬼道=神にはならないはずです。これは書き方が悪いだけなのでしょうが、
茶道や剣道=神にならないのと同様です。術式や作法のほうがまだ適しているかと思います。


11. 2010年11月23日 21:48:07: cORSSWBvlQ
>可哀想なのは、天皇家は加羅からやって来てるんですね。
たしか一般的にはエチオピアあたりからやってきてるはずですが?

ついでにいうと加羅付近は魏書では倭の範囲ですよ。


12. 五月晴郎 2010年11月23日 22:01:04: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
>>10さん
「雑談」で投稿していますから、「アジア」か「文化」に投稿すべきと力む、のってナイーブじゃないですかね。

記事の話題に戻り

>この23年間の間に、その一部が倭に日本に渡って君臨するまでになった

と、思いこむのはどうかと。

>五斗米道国家が制圧されたのが215年、東夷伝で卑弥呼の記述が出てくるのが
>238年と言われています。たしかに、五斗米道は制圧されたのち華北に移住

したことと、

>>岡田英弘説によると、「辰韓(しんかん)12国」「弁辰(べんしん)12
>>国」の都市同盟や倭の都市同盟の都市は、overseas chineseが作ったもの

というのは別な事象と考えるのが自然じゃないかと思うわけです。


13. 2010年11月23日 23:13:42: cORSSWBvlQ
>>012
>>五斗米道国家が制圧されたのが215年、東夷伝で卑弥呼の記述が出てくるのが
>>238年と言われています。たしかに、五斗米道は制圧されたのち華北に移住
>したことと、
>>>岡田英弘説によると、「辰韓(しんかん)12国」「弁辰(べんしん)12
>>>国」の都市同盟や倭の都市同盟の都市は、overseas chineseが作ったもの
>というのは別な事象と考えるのが自然じゃないかと思うわけです。
そう考えるには、五斗米道が制圧以前に魏や呉にも広がっていたという
前提が必要になるかと思いますが、その前提にするよりは
太平道が弾圧されて海を渡ったと考えるほうが、まだ自然に思えます。
もっとも、倭の鬼道と道教が関係あるかも不明ですが。

また、倭の都市同盟の主が漢からの渡海者だとすれば、
卑弥呼という当て字的名前にはならないと考えますがどうですか?


14. 五月晴郎 2010年11月24日 00:03:40: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
>>13
考え方は良くわかります。
岡田英弘説によると、海路で、「辰韓(しんかん)12国」「弁辰(べんしん)12国」の都市同盟や倭の都市同盟の都市と、結ばれていたとなっていたとおもいますので、そこら辺がポイントかと私は考えた次第です。

15. 2010年11月24日 00:03:42: YYivQ6JYPo
まっとうな指摘に、ナイーブで済ませりゃいいのに、
あほとか、荒らしとか余計な一言書いた五月晴郎氏こそナイーブすぎ。

16. 五月晴郎 2010年11月24日 00:11:56: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
面倒くさいが、言っておくけど、naiveって「厨房(料理作る厨房じゃなく)」とか「あほ」って意味だよ。
わかったから、御立派なのはアジア版か文化版でやってくんない。

17. 2010年11月24日 07:41:14: fFXyPZphjT
なんだろうね、この五月晴郎ってのは。キレやすい老人か?

副ピーのところで相手してもらえないからって、コッチ来るなよ。

naiveには無垢や傷つきやすい、転じて騙され易い、愚かって意味はあるけどね。

あほは阿呆、呆に中国的に阿(ちゃん)をつけたものでnaive的愚かとは意味合が違う。

それをまた中坊とか言ってのけるとか、笑わせる。

半端なのに「英単語とか漢字で当て字使える、俺かっこいー」って
元暴走族かなにかですか?

こういう態度の奴がいるから、言葉の解釈が変わって言って、
原文の意味が掴みにくくなっていってることに気付けよ。


18. 2010年11月24日 07:55:52: NDqBZWrDM6
相手してる奴も同類と思われるだけだから、無視するか場所変える提案でもしたらどうだ?

19. 五月晴郎 2010年11月24日 11:16:38: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
>>17
>原文の意味が掴みにくくなっていってることに気付けよ。

「原文」って、>>8だよ。
これ、「雑談版にまでナイーブ(あほ)な荒らしが来るとは・・。」

この意味が掴みにくいですか↑。そうですか。


20. 2010年11月24日 11:23:03: L0TE8cTeWY
ここで議論されてる方には周知の事も含まれるとも思いますが参考までに。

十月を「かむ(ん)なつき」と書くのは万葉集が最古で、その頃(800年頃)には呼称が一般化していたと思われています。
ただこの時点では「神な月」とあり、「神無月」ではありません。
万葉集には他に「神なびの森」などの表記があることから、「神の月」という意味での「神な月」であったというのが一般的な解釈となっています。

「神無月」「神在月」というのは平安中期以降に広まったようで、藤原清輔の『奥義書』や釈由阿の『詞林采葉抄』(1300年ごろ)に記載がありますが、「神無月」「神在月」は俗説ではないか、という論調で書かれています。

つまり、邪馬台国の頃(300年頃)に「神在月」(出雲に神集う)という概念はなかったと思われます。
(少なくとも、一般的にはそのように考えられています)


21. 五月晴郎 2010年11月24日 11:28:07: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
>>20
有難うございます。

22. 2010年11月24日 11:32:53: xVXjWUQ7Ko
在る為しは別にしても、その月が神に関係してるってのは不思議だ。

(ピノ)


23. 五月晴郎 2010年11月24日 11:52:48: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
>>22
全く。当に「ではなぜ、旧暦の10月中旬に神々は集まるのでしょうか?」(記事)で。考えたら不思議で。

子供のころ親にこの話をされた時、なんか楽しいというか、神様に親しみを感じたのを思い出します。畏れの感情でなく。

あと、英国の地域研究(植民地経営研究?)って、やっぱすげぇな、と。


24. 2010年11月24日 13:22:30: L0TE8cTeWY
なぜ十月が「神の月」なのか、に関しては「収穫が終わり神へ感謝する時期」「厳しい冬の始まり」だからというのが一般的です。

旧暦の十月十日に「収穫祭」を行い、田の神に感謝する習わしは東日本を中心に見られますが、これを西日本では一般に亥の子の日、沖縄では庚申の日に行います。
双十節、亥の子の日、庚申の日と、それぞれ少しづつ違う「理由付け」がされていますが、つまりこの時期に「神への感謝」をするという習慣が先にあったという考えが自然でしょう。
そうした豊穣と季節の区切りに「神事(祭)」を行う月、という認識が「神の月」の根底にあったのではないかと思われます。


25. 2010年11月24日 18:54:59: NDqBZWrDM6
あ、五月晴郎は本当に理解力ないわ。

言葉の解釈が変わっていって(言っては誤変換)を無視して、
原文が自分の書いた文のことだ捉えてる辺り、
それが窺える。
誤変換しちまったから人のこと言えなくなったがw


26. 2010年11月24日 21:53:59: 8ofO7bFE4M
(13)
>>20
あ、万葉集が現時点では最古なんですね。
日本書紀や古事記にはなかった気はしてたのですが、
何が最古か知りませんでした。

>>14
>海路で、「辰韓(しんかん)12国」「弁辰(べんしん)12国」の
>都市同盟や倭の都市同盟
魏書倭人条の記載では、弁辰12国のうち狗邪國は倭国扱いです。


27. 五月晴郎 2010年11月24日 23:00:02: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
>>25
NDqBZWrDM6さまは博学でございますねぇ。素晴らしゅうございます。

>>26
有難うございます。


28. 五月晴郎 2010年11月24日 23:45:18: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
「邪馬台国の謎を解く」http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/825.html
を、フォローアップ投稿しました。
博識、博学過ぎて文脈や記事が目に入らないNDqBZWrDM6さま系の方は来ないでね。

29. 2010年11月25日 00:04:00: fFXyPZphjT
つか、なんで雑談版に、こだわるんだ?
規制でもされてんの?

30. 五月晴郎 2010年11月25日 00:34:06: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
俺の投稿記事内容への理解は雑談レベルだからってのと、雑談レベルで話したいから。
あと、ここ(雑談)まで粘着馬鹿が来ないと思ってた。

31. 五月晴郎 2010年11月25日 00:38:38: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
>>30補足
>俺の投稿記事内容への理解
とは、自分で投稿した記事内容への自分自身の理解が雑談レベルだからってこと。

雑談版に自分(俺)が投稿した記事は全部そう。


32. 2010年11月25日 23:24:57: saPeNFbO7g
24さんの説に同意します。
稲を持ってして、狩猟採集民族を定住させて、権力を集中して、国家形成が始まるのだという。

ただ、神は、特殊なアニミズムで、森羅万象万物に宿るという。
全てのモノ、人には、歴史があり、魂があり、物性があり、組成があり・・・
熊送りはわかり易いですが、針供養や様ざまな供養があります。
モノにはモノの、個人、各地、個々固有の魂が宿ります。
太陽のように全てに共通のモノもあるでしょうし、
個々人、個々固有のものもあります。
各々の精神も人生の歴史も各地の自然も全く異なるからです。
太陽にしても、北海道の太陽と沖縄の太陽は異なりますし、
個々人で思いいれも異なります。。

道教が元のものもあるでしょうが、各地個々個々人固有のモノが神ですから、
道教がどうのという比較や同一化することには意味がありません。

国家的な体系神道になれば、全国から中央権力に
挨拶に訪れさせ、統治会議=国会を行わなければならなくなりますから、
大権力による捏造です。
我が家の便所の神は、隣の家の便所の神とも異なりますが。
出雲に参ることもありません。

体系化された神道や天津神、国津神は、権力構造以後の新興宗教です。
人類の歴史は、キリスト教がいうたかだか数千年ではありません。

人類の歴史については、エホバの証人と語ってみてください。
縄文時代は消えうせ、とても、日本人とは思えません。

キリスト教などのゴッドは神ではなく中東かあちらの絶対主です。
絶対主崇拝の全くの新興カルトです。
パキスタンなどのイスラムも同じです。
聖書を燃やすだのコーランに小便をかけるなどで本気になります。
国旗を燃やすだのも同じです。
私の魂や精神や神はそんなところにありません。
私の漫画本を燃やされたり、近所の森を破壊されたなら本気になります。


33. 2010年11月27日 22:10:45: WrBl7tYjLY
こういう話題は、国の在り方を考えるきっかけになります。
嫌がらせコメントををする人たちは古い日本人
最近阿修羅にコメントが送れません。
出入り禁止にされる理由はないと思うが

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