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臓器移植で変わる性格・嗜好、心は各種臓器に分散して宿る!?
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/359.html
投稿者 藪素人 日時 2010 年 10 月 11 日 20:22:49: BhHpEHNtX5sU2
 

臓器移植で変わる性格・嗜好、心は各種臓器に分散して宿る!?
『内臓が生みだす心』西原克成/NHKブックス‘02年から抜粋
・心というのは動物の器官や組織・細胞の持つ働き(機能)のことです。多細胞動物の出発点は細胞一つからなる原生動物ですから、心の源は、細胞という生命の最小単位の構造体が持っている働きによって発生するエネルギーです。
・心臓と肺臓を同時に移植されたクレア・シルビアの心が、ドナーの若い男性の心(性格・趣味・食の好み)に替わってしまったことが報告されています(「記憶する心臓」クレア・シルビア/ウィリアム・ノヴァック 角川)。…肺が腸管に由来する肝臓に相当するくらいに大きな臓器であり、腸管が生命の源であることが、現代医学では完全に忘れられています。心臓移植しただけでは、ここまで心は変わりません。
 脳細胞は単なるトランジスターのごとく電極として電流を配電するだけです。したがって脳細胞を移植しても人格や心に何事も変化が起こりません。一方、内臓を移植すると心まで変わってしまう事実が、心のありかたが内臓にあることを物語っています。
・生命の本質の新陳代謝は、まず腸から酸素と栄養の吸収がなければならない。この吸収能力が新陳代謝(リモデリング)の能力つまり欲求となります。腸の消化・吸収の能力と好き・嫌いが、とりもなおさず五欲の源です。つまり腸の能力が心を表すのです。それゆえ、腸を移植するとドナーの欲望が移植されるのです。欲望が心の源なのです。
・顔は、生命の中で最も重要な呼吸を司る鰓(えら)腸の内臓筋で出来ています。腸には鰓のほかに消化吸収の腸と、余った栄養と老廃物を排出する腸(鯡(はい)長)の三種類があり、皆等しくこの内蔵腸管系に魂や自我や心が宿っています。
 心は心臓にも宿りますが、本当の心のありかは肺のほうです。心臓は鰓の脈管系で、肺が鰓腸の腸管上皮から出来ているためです。
・脊椎動物ではまさに腸管内蔵系が、生命の本質チモデリング(新陳代謝と生食)を支える…命の源の器官なのです。高等生命は腸から生れ、腸で支えられています。腸がなければ生命はありえないのです。生命の本質(心・魂)はやはり腸にあるのです。腸管上皮に備わった神経が、腸管の…状況を身体の皮膚の筋肉(体壁筋肉)に知らせるのです。この知らせを受けて体壁筋が動きます。つまり腸が感じて、からだの筋肉がその望む方向に動くのです。
・生命には目的がなく、ただ生命の仕組みそのものが自ら再生産するシステムとなっている。リモデリングに無常の悦びがあるのが生命なのです。この生命の本質が腸にあるのです。このリモデリングが細胞の再生と個体の生殖を生命の目的と考えることも出きる。
・腸の機能が種々の理由で衰えて腸の門脈の酸素不足になると、内蔵から活力が失われます。これは往々にして心の病になります。骨休めの不足の内蔵下垂と腸を冷やす冷たい物中毒、噛まない雑な食べ方と口呼吸で腸の内蔵筋をいためることにより、…心の病が起こります。
・腸を三区画で見ると、心と精神・思考を担当するのが鰓腸で、全腸管の9割方を支配します。鯡腸は出来た卵子や精子によって生ずるうずきの心を体であらわします。…名誉欲が性欲に近似しているのです。腹の腸の欲は財・食・唾で生存の欲です。鯡腸がいわゆる性欲で最も制御しにくいといわれています。
・「背に腹は変えられない」という言葉があります。背筋のリズム運動が精神思考を発生し、腸管の蠕動のリズム運動が心を発生します。精神・思考と心の源となる腸のリズム運動から生れる財・名・色・食・唾の欲(本能)は相容れないことが多いのです。思考と精神の源は、背筋で代表される体壁筋肉系の錐体路系に存在していたのです。頭脳労働をすると背筋がコチコチになるのはこのためです。

(ヤブ人)
 西野皓三氏もその著作で、上と同じ事例を詳しく取り上げておる。(同一のドナーからの)心臓と肺の同時移植を受けた女性が術後、性癖・好みがガラリと変わっぢまった。不思議に思った彼女がドナ−の追跡調査を行ったところ、そのドナーはバイク事故で死んだ18歳の青年だった。彼女が引き継いだ性癖・好みはこの青年のものだった。彼女のような例は決して珍しくねえとして、他の多くの事例も挙げておる。そぢて、「まだ多くの科学者は<細胞記憶>という考えを受け入れてはいないが、一方では<一つの細胞には『こころ』がある>ということを信じる科学者は増えつつあるようだ」としておる。(「生命エネルギーを高める西野流呼吸法」三笠文庫‘03年)。

 男女の性質の違えはもっばら、男脳・女脳の違えから説明されているようでがんすが、当然、生殖器という臓器の違いからも来ているどごろあるんでねえかえ。
 

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コメント
 
01. 2010年10月11日 22:22:18: EuxaAd0Fno
面白いけんきゅうですね。

米では魂の入れ替えとかしてますが、あれなんかはどうなるのでしょうかね。

魂は死んでもなんどでも生まれ変わるし。魂の転送センターがいくつもあるみたいですが。

クローンは意思が薄いみたいですね。魂を泥棒する宇宙人もいるそうですよ。


02. 2010年10月12日 14:54:17: tMdb5SxMco
肝臓を移植された方の文章を読んだことがありました。
自分の事をIではなくWeという感じだと書かれていました。
自分とは何か?IではなくWe?
大変興味深く今でも心に残っています。

03. 2010年10月12日 20:40:35: EHbN1WJKno
型破りな研究結果ですね。

人間に型があると言うような話しを野口なんとか先生が説いていたような気がします。

人間には型が数種かあり、その型に入ってくる魂というか精霊みたいな精神体があるとして、それとどう強調しあって生きて行くのか興味ある話しです。

細胞は新旧交代しながら、産まれながらの細胞はもう無いというのに、晩年までその身体の細胞の記憶を持ち続けるとか、う〜む、運転手が乗りこんだ車もマツダ、ニッサン、トヨペット(古)などで、しかも、ファミリア、ブルーバード、コロナマークUなどで、性格もあるていど左右されちゃうんでしょうかねえ〜

って、ふるい車種だすねって!


04. 2010年10月14日 12:39:16: AVAR68Gizs
>>03
野口晴哉の体癖(たいへき)のこと?

体癖 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E7%99%96

五行類型論
http://www.unity-design.jp/takeshita_toyo/toyo09/toyo09.html


05. 2010年10月14日 18:50:32: AVAR68Gizs
背筋というとあれですね。あれですか。小沢一郎氏の姿勢のよさを連想したなりよ。

http://www11.ocn.ne.jp/~f-kikou/kikohanasi/NewKikohanasi/New_kikohanasi_frame.htm

口呼吸をやめるのは呼吸法以前
鼻呼吸をしていても、姿勢が悪いとだめ、気分がすぐれないとだめ
感情の中で免疫力を高めるのは喜びと悲しみです。だから笑うか泣けばいい。
気功は当初は呼吸法
オイリュトミーではアは上外開き、イは垂直伸展、ウは前水平突出、オは円環、エは左右斜め交差、ウムは閉鎖凝固

http://www11.ocn.ne.jp/~f-kikou/kikohanasi/kikouhanasi_bak4.htm

表情筋は、感情の倉庫であり、顔面は感情の展示会場である
快感を、感受性の方向と量という軸と体運動の偏向特性という軸をもって整理したのが体癖理論
個体生命の基本は脾(腸管)
脾を活性化させる仕掛けが肺(呼吸器)
個体維持のための排泄と類延命のための生殖(産卵)の未分化な腎が生命の根幹
これらを補充するものとして、肝、心が相次いで登場した
『背骨の記憶』と『五臓は語る』


06. 2010年10月14日 19:30:50: zqw7Lv8Ckk
「体癖」でなく「体壁」でんした。原著はてえへん興味深いもんです、へえ〜。
しかる理由により「脳死」による臓器移植にも著者は賛同しておらへん。

<臓器移植の医学>
・クレア・シルビアの手記が示す通り、生きたヒトを脳死として内臓を抜き取って移植することが、心を移植するのと同じことが明らかとなった現在、自然法にてらして脳死の考え方が誤っていることを認めざるを得ません。同種間移植をやめて、早々にハイブリッド型(移植されたヒトの遺伝子を利用した複合型)の人工器官を開発するか、私が明らかにした、原始脊椎動物のサメの組織を活用した臓器移植術を実用化すべき時が来ました。
(ヤブ人)


07. 2010年10月14日 19:53:33: hSyEGRNh2A
人間いちばん長生きの秘訣は?
良寛さん: ひとは死ぬべき時には死ぬが善かろう(このまま言ったわけじゃないけど)

その死ぬべき時が判らぬから人間もがくのだナ。
そして、もがいた結果が、やっぱり死ぬときだったという(大苦笑)

現代医学の象徴的なのがガン治療現場でしょ。

死ぬべき時が判らぬためにもがき苦しんで逝く。
しかし、それが本当に延命だったのかは誰も判らない。

その人の選択肢はたったひとつだからだ。
田の方法だったら? という「もしも」別の選択肢は無いのだ。

畑の方法だったら、どうなっていただろうか?
と、よく言われるが、そんなことは神でさえも判らんだろう。

そのひとが選んだ道に神がよこぐるま入れるわけがない。
それが「ひとの尊厳」というものだろう。

臓器移植という選択肢が最高だと決めつけるも最低だと決めつけるのもその人の選択権で選んだだけだ。
ただ、良寛さん「ひとは死ぬる時には死ぬがよかろう」などという、いっけん、むちゃくちゃな覚りからは縁遠いだろうな。

まあ、もがくのも貴重な人生体験。良くも悪くも無し・・かも。


08. 2010年10月14日 23:40:26: AVAR68Gizs
にんげんは いぬにくわれるほど じゆう だ のけんきゅう。


死ぬるときには 死ぬがよく候
http://www.kanshin.com/diary/2600019

基本的に脳死移植とは、人食いである。
http://sun.ap.teacup.com/souun/77.html

脳死と臓器移植 田中康夫さん米本昌平さん森岡正博さんの言葉を読む。
http://d.hatena.ne.jp/manuka/20090807


09. 2010年10月15日 12:47:34: AVAR68Gizs
むしろ生殖器という臓器の違いからこそ来ているどごろあるんでねえかえ。


女と男はどちらも同じ人間だと考えられています。
同じ人間であっても、女は男と違った構造をしている。構造という点から言えば、ライオンのメスや豚のメスの方が、人間の男よりは似ているのです。男はライオンのオスには似ているけれども、女には似ていないのです。最初にこのことを念頭に入れておかなければならない。男と格好が同じだからとか、運動系が同じだからといって、同じ人間だと考えて手をつけると失敗があります。


女である時期
http://www.zensei.co.jp/haruchikabookpage/seitaiho.htm

特に「妊娠分娩のできる時期」と女を限るのは、この時期には男とは全く違う動きをするからである。


女性必読の書!?いえいえ男性にも。
http://www.rakutendo.com/m-tayori/0604.html

オニババ化する女たち
http://kashino.exblog.jp/1088545/


10. 2010年10月16日 19:48:15: he5DE9MkMk
人よりも短い寿命を選び、ひとよりも悲しい人生を選び、ヒトよりも苦しい病気を体験しにやってきた。
なのに、さっぱり忘れてしまって、もがきまくっているスガタ。

せっかくあの世へのひとより貴重な体験談を、
貴方は反故にしようとしているのか?

わずかばかりの延命と引き替えに(延命かどうかは誰も証明できないけど)
自己でないモノに対する免疫との狭間に生きても、苦しみが延長したに過ぎないのでは?
それでもこの世に長くいたいという切ない願い。
お釈迦さんでも無理だなあ。 
縁無き衆生にはてをつけられませんわ。あきまへんなあ〜〜。

わたしは延命しようとしなかった。
翌日の事はすでに知ってはいたが、逃れようとはしなかった。
ああ〜〜メン。

そして、わたしは自分の永遠の生命を得たのだ。 



11. 2010年11月11日 23:12:28: 38lDYW3Kgg
◇身体の中の記憶
http://www.h7.dion.ne.jp/~s-kihou/shikou.htm#%E5%BF%97%E5%90%91%EF%BC%93

さて、身体にもこのような、ストック作用があります。
トラウマについて、現在は一般的となっておりますが、トラウマはいわば、身体に刻印された心の打撲、
といえます。つまり、身体の何処かに必ず、その衝撃が残されているのです。

腹部にその観察点があるのですが、そこで、その人が何処で吃驚したかが、判るのです。
(喩えば、胃袋で驚いているとか、肝臓で衝撃を受けたなどです)
深く衝撃を受けるトラウマ(心的外傷)は、深い位置で、その姿をとどめています。
「硬結」と云うのですが、字の通り、傷や障害(つまり鈍り)が硬く、結ばれたものとして、
小さな粒状の塊になって、皮膚下あるいは筋肉の間奥深くにストックされているのです。
表面に浮かび上がらせるように、気的な集注で、押さえないかぎり本人は全く、気づかないものです。
鈍りの塊りですから、身体が耐えてストックすることで、意識に感じさせないようにしているとしか、
思えないような非常に精妙な作用です。

ただ、「鈍り」であるので、常にその復活を身体は目論見ます。
身体にとっては、鈍りは死に直結する異常事態ですから。そこで、その系統の異常感を持たせることで、
身心の復元作用を盛り立てようとします。
トラウマの潜伏性と過敏性は、身体の巧妙な作為の結果ともいえます。
死に至る衝撃を、一旦鈍りとして、ストックしたのですから。

EMDRは、臨床心理セラピーの一種ですが、眼球運動とカウンセリングを併せて行なうことで、
トラウマを回復させるというのです。
眼球を斜め上下方向に動かしながら、セラピー(問いかけと受容)を行なうのですが、眼球運動がトラウマの
消除に関係すると云うところが、とても面白いのです。

「EMDR眼球運動による脱感作と再処理法」二瓶社刊
フランシーヌ・シャピロ著

眼球の動きは腸骨の動きに関係するのです。骨盤の底部の縮み過ぎ、
可動性の失調はトラウマとなりやすい傾向の人達に共通する体勢ですから、
眼球を動かすことで、骨盤に刺激を与えているわけで、
トラウマを解消させる入り口になるだろうなと思えるのです。


◇鈍りとストック化
http://www.h7.dion.ne.jp/~s-kihou/shikou.htm#%E5%BF%97%E5%90%91%EF%BC%93

本来ならば、感情を表に噴出して、個体としてのバランスを保ちたいところですが、
意識的に、あるいは、条件反射的に抑制されることで、行き場のないこの不快感は
身体のある部位に、集約されて、硬く結ばれます。
結ばれることで、不快と云う感覚は感じられなくなりますが、「鈍り」として蓄積されてゆきます。

この人の腹部を観察しますと、喩えば左肋骨弓下部、胃袋の辺りに広く硬張りが観察されるはずです。
あるいは、ずぶずぶの弾力のない中に、しばらくすると小さな塊りが浮かび上がってくるでしょう。
この人のストレスはこうしてストックされているわけです。
しかし、触れなければ本人は全く気が付かない。別に胃袋の違和感としては意識されないのです。
あるいは人によっては、右肋骨弓下部、肝臓の辺りにこの硬張りを見つけられるでしょう。

果たしてこれが脳の指令によって、行なわれているのかは判別が出来ません。
痛みや過度な不安に対して脳神経ネットワークにて自家用麻酔作用が発令されて処理されたり、
「忘れる」ことで貯蔵されるメカニズムは発見されていますが、
喩えば、この人の頭を刺激しても、潜在ストレスは溶解することはありません。
腹部の硬結を処理しない限り、表面化し、鬱散させることはかなわないのです。

胃袋で怒った人、肝臓で驚いた人と感受性のタイプの違いで
外からの刺激に反応する身体の部位が異なるのです。そしてその感じ方も勿論異なる。
イメージされるものも異なる。
同じ言葉から感じるイメージは同一ではないと云うことです。
どうやってお互い分かり合えているのか不思議なくらいです。


12. 2010年11月12日 12:41:53: 38lDYW3Kgg
http://www.h7.dion.ne.jp/~s-kihou/taiheki.htm#2shu


上下型二種
二種は、頭が緊張する、使うと云うことでは共通しますが、頭が回ることで
疲れてしまう人たちです。
知らずしらず頭は、回っているのですが、じつに些細なことで回し、緊張が抜けません。
神経過敏と云う風情の人たちで、「そんな先の先のことまで、気にしなくても、」
と周りの人は思うのですが、本人は気にしないようにすればするほど、
気になることが増えてゆくと云う頭の回し方をしてしまいます。
大事なことが、一大事ではなく、十大事になっている人たちです。
ところが緊張の抜けない頭は、本当に大事なことでポカをします。抜けてしまう
のです。本当に緊張すべきところで、緊張できないと云うことなのです。
(日本は、表面的には偶数種の世界で、上下型二種であり、自分が何を表現したいかではなく、
人にどう思われるかが行動の基準になっています。
具体的な相手が居なくても、仮想の相手を頭の中で作り上げ、見られる自分を気にします。
おだてに乗りやすく、人を褒めることも上手な上下型二種は、けれど大事なところでは、
いとも簡単に相手を裏切ります。
日本の独特の「公正さ」は、二種や四種の馬鹿正直さが基底にあり、民話の主人公の
世界観によく現れています。誰にも知られなくとも、お天道様がいつも見ているんだと馬鹿正直を
貫き通す「公正さ」は、きわめて日本的な偶数種の熟成された世界観です。
二種や四種の感受性を突き詰め、練り上げて築きあげた世界に誇れる世界観なのです。)


左右型四種
四種は、逆に食べれなくなります。
何故、食べれなくなるのか本人は判らないのです。
しかし、必ず感情につかえたものがそこにあります。
問題はその感情を、自分がどう感じているのか、どう表現してよいのか、
その時に判らないことです。
相手の生の感情がそのまま堆積してゆくのです。
感情で表現できないため、胃袋が拒否反応を表現すると云うタイプです。
感情型でありながら、感情の色盲ともいえます。
(日本は左右型四種。四種(感情型)の感受性は、人に嫌な感じに思われたくない
と云うのが行動の基点となっています。
日本的な偶数種の世界観は、良寛さん(四種)が確立した境地と通底する世界観です。
四種の良寛さんは自分の中で、堆積した自分や相手の感情が渦巻いて、
暗い怒りと懊悩がいつも、ふつふつ煮立っている自己をイヤと云うほど知り尽くし
認めたうえで、そのような自分の特性を極め極めて、活かしきった達人の人といえます。)


前後型六種
六種は、呼吸器が草臥れやすい人たちです。
陰気で、暗い人と云う印象を与えやすい。(特に、奇数種からは、そう思われやすい)
しかし熱中しやすく、そのことについて語らせると実に熱い言葉を吐きます。
ドグマと云うものに弱く、そういうものを持ちやすい人たちです。
腰椎五番が弛緩しやすい身体は、決断を下すことがなかなか出来ません。
現実の中で、判断をしがたい為、空想の中で生きている人たちです。
(九種の現実と空想の区別がつかないものと違い、境界をもった空想です。)
非日常的な世界ともいえます。
非日常的な世界に憧れ、与しやすく、そちらの世界に住み着いてしまいがちです。
かつての新左翼的な世界、この間のオームの世界に入り込んだ人たちなどは、
極めて六種的な人たちです。
呼吸器が発達し、強い身体は、「我慢」と云うことが出来るのです。
目的があれば、今は一歩引いて抑制することが出来るのです。理性的ともいえます。
これらは五種の特性ですが、六種はこれが出来ません。
思春期は呼吸器が最も発達する時期ですが、それ以前の時期の子供たちに
我慢を強要させたり、抑制ばかりを心理的に与えると、呼吸器を毀します。
喘息は、呼吸器の未発達の子供に、口喧しく制限ばかりを加えた結果といえます。
そこで、必ずどこかに逃げ道を作っておいて、「頑張らせる」ことが肝要なのです。
ロマンチストで夢想的と云うこの人たちの作りだす世界は、しかし美的で、独特の
魅力を備えています。毛嫌いする体癖もありますが、非日常の世界から現実世界を
見直すと云う意味で、価値を見出すことが出来ます。
(日本的な偶数種の洗練された世界は「四国遍路の世界」でもあります。
四種六種の世界、「お接待」と呼ばれ、訪れるものに誠意を尽くすと云う世界観の中で、
訪れる者は偶数種の生き難い人々で、それを包含し、全てを受容するかのごとき島世界と
その受け容れる人々は偶数種の「真っ正直」な人々である、非日常に旅して、
其処から帰ってくると云う魂の救済は、六種的なメンタルセラピーの経過そのものです。)


13. 2010年11月12日 12:43:06: 38lDYW3Kgg
お人よしと馬鹿正直〜∵偶数種の世界
http://www.h7.dion.ne.jp/~s-kihou/ohitoyoshi.htm

★無残な6種の敗北と新時代の始まり

数ヶ月前、鳩山前首相が小沢氏と道連れ辞任して、今また民主党代表選で、
この人は妙な立ち回りを演じている。
せっかく、「道連れ」で少し男を上げたのに、またまたココにきて、この人は
評判をひどく落としてしまった!
この人の前後6種ぶりは、本当に見ていて、憐憫さえ感じられるジタバタぶりである。
傍目には落ち着いてるようでもあるけれども、独特な内向きツブヤキに世間は唖然とせざるを
得ないのである。
思えば、この人は数ヶ月前首相と云う座を追われた「無残な敗北」感を今まだ、ひきづって
居るのである。
そして前後型6種であるこの人にとっては、それは意外にも居心地の良いヤツレ感”なのである。
「敗北」、これは6種にとっては実に甘く誘惑的な境涯である。
暗く憂愁を帯びながら、何か物陰からふらふらとヤツレた歩行で、時たま夜空を仰いで
へっ!とかすかに口元を曲げて嘆息する、この風情はたまらないのである。
前首相にこんな崩れた風情は許されないので、普段はピシッと決めているが、
気分はつい、このように崩れてしまうのである。
ことあると、今回のように表舞台に再び連れ出されるが、しかしこの“ズレ感”はいかんとも
しようがないのであって、またまた失態を演じてしまうのである。
まったく世間に理解されない、現実感の乏しい「甘ちゃん」!宇宙人と揶揄されるこの人は
けだし、次代のエースなのである。

捻れ5種王国のアメリカが、いかに小賢しく権謀を図っても、5種的世界は近々終わりを告げる。
省力減速運転型の6種世界が訪れるのである。
現在、飛ぶ鳥も落とすほどの勢いのある中国も、けだし今がもっとも旬なのである。
開型5種3種のこの国も、アメリカ並みに覇権的であり、ぶいぶい主張する国である。
主張したもん勝ちと云うある意味、アメリカからインテリジェンスだけを取った、とても良く似た
この大国が、次の世界のトップに君臨するに違いないと世界の多くの人々が感じ、思っている。

けれど、人の歴史はもはや完全に山場を越えてしまったのである。
旺盛な創造力も生産力も、拡大するだけ拡大したのである。
新たなものはもう、生まれない。
古い圧倒的な想像力を、焼きなおしたり複合してみたり出来るだけなのである。
すでに生み出されてしまったパーツを、積み木のように、積み重ね替えしては
新しい世代は、創造的欲求を満足させる。
今、まさにもっとも高らかに歌うべき若い世代は、しかしハードルが随分、下げられている。
そ、それはもう50年も前に古い世代がクリアしたコトガラなのに、そこから始めるのかっ!と
云うことが、新しい次の世代には起こっている。
そ、それは玄人のやることじゃないでしょ、と云うコトがしかし、商品化されビジネスに乗せられ
ている。
彼らの幼稚さには、ある意味、驚きを通り越して可愛らしさ、愛おしさのようなものさえ
覚える。

これが、人の歴史なのである。もう、退行してゆくだけなのである。
衰退し、朽ちてゆく。
人類の歴史は、老境期に入ったといえる。
人の創造性は、衛星活動に入ったといえる。
本物や強靭なオリジナルと云うものの周りをぐるぐる回り続ける衛星の活動しか
出来ないのである。
本物やオリジナルに憧れを抱きつつ、けれどそれ以上近づくことも遠のくことも出来ず、
ぐるぐるぐるぐる回り続けるしかないのである。

しかし、世界の中心ではなく常に、周縁で、辺境でおのれを隠して生きてゆきたいと、
最初から思っている人たちが居る。
なるたけ尖がらず、無事や無難だけ願う人たちが居る。
この人たち、偶数種の、その世界観がしかし、すべての人にしっくり来る時代が
やがて次に訪れるのである。

スキルやらドリームやら、尖がり自分を際立たせ、声高に主張することだけが
鼓舞される、遅れたアメリカ世界の焼き直しにヤッキのこの国に、しかしサッパリ牛歩の
速度で思い通りに進まぬのは、この国に通底した偶数種の水脈が、うぬうぬ効いているから
なのである。

しかし、偶数種の世界はまだまだ、世間に受け入れられない。
鳩山前総理の言動は、叩かれ、揶揄されているばかりであることからも
うかがい知れる。
また、偶数種自体もまだまだ、である。
心配事や繰り言、愚痴と引きこもり、自分の中に閉じこもるばかりで
偶数種の世界観たる融和、なぎの世界と云うものを体現できるほどに練磨されていない。
かつて世界観として結晶したような昔話、おとぎ話の馬鹿正直、お人よしの世界を
さらに、磨き上げないといけないのである。


14. 2010年11月18日 12:57:55: 38lDYW3Kgg
内田 樹×小松秀樹
医療崩壊の文化論
http://lohasmedical.jp/archives/pdf/32-talk.pdf

第1回 『健康』は体に悪い

(上記記事より抜粋)
内田 僕は武道をやっているんですけど、そのお師匠さんがよくおっしゃるのは「病は治すものじゃなくて、一緒に生きてくものだよ」って。
 この間、杖の稽古をしていて、たとえ話で「うちの道場に歯医者の先生がいるんだけれど、彼が言うには合気道をやっている人は入れ歯が合うんだそうだよ。合わない人は何回作り直しても合わない。合う人は一発で合う。ということは入れ歯が合う合わないというのは、口腔の解剖学的な問題は関係ないんだね、マインドの問題らしいよ。道具を使うのも一緒だよ」とおっしゃっていて、なるほどねえと思ってね。
 入れ歯って異物ですよね。その異物に対して、ああ口の中に違和感があるなあというのをずっと思っていて、作っても作ってもこれ合わないこれ合わないと言っている人と、口にカパッと入れた瞬間に、ウン、これでいいですっていう人とではね、結局何が問題かっていうと、その人と外界とのインターフェイスですよね。その人の自我と自我の外側にあるものとのインターフェイスが、ソリッドな人とフレキシブルな人とで、たとえば自分の体の部分が機能不全になった時に、それを所与の条件として受け入れて、生活習慣とか身体運用とか変えていける人と、とにかく困る元通りにしろと言う人とでは、機能の不調に対する構え方が全然違うと思うんです。それを直せば、たぶん医療の負荷って減るような気がするんですね。
小松 アメリカ的になってきたのかな。アメリカでは、白人男性が競争を一番やっていて一番自殺も多いんですよね。それで白人男性って、ものすごく健康願望が強くて、何か悪いところがあったら取り換える、奥さんもキレイじゃなくなったら取り換えるというような。
内田 そうでしょうね。臓器移植とかが出てくるのも、あるべき自分の健康体ってのがあって、欠損があったら何とかそこを元に戻そうとする。でも、欠損したら欠損したのが自分である、それで何ができるかしらっていうね、悪くなったら悪くなったなりに生活習慣を変えていけば日常生活でそれほどの不愉快なんて感じずに生きていけるわけですよね。
小松 アメリカは、職業召命説と予定説っていうカルバン派の教えの影響があって、金銭欲を神の認めるものにしました。だから、ものすごく金儲けが好きで、しかもそれが個人対個人の徹底した競争になっていて、そのために勝った経営者は従業員の千倍くらいの給料を勝手に取っちゃうわけです。
 自分の能力が決定的に重要なんです。能力に信頼を置いて、能力をひけらかして、下から地位を脅かそうとする者に対しては差を見せつけて、それによって自分を保つわけですよ。だから能力がなくなることに、ものすごい恐怖があって、それが病気の概念まで広げてると思います。


15. 2011年1月22日 21:01:44: 9A44BeQ5L6
 人間の目に映る可視範囲を二十万分の一センチ広げるということは、並たいて
いのことではない。最低百五十日の日数が必要である。しかし一生を無為に過ご
す人が大部分なのであるから、そのうち百五十日くらいで、普通の人が見えない
オーラ現象や霊界をのぞくことができるなら、別に気にするほどの日数でもある
まい。しかも実行するとなれば、一日中というのではなく、一日のうち十分間ず
つ三回で十分である。かりに百五十日に達して、オーラ現象が見えなくとも、体
力が非常につき、健康な身体になることは確実である。その方法を記述してみよ
うと思う。
 人間の5感覚のどれでもが、訓練によって驚異的に発達する。そして、もう一
つ重要なことに注目しなければならない。人間の5感覚に共通していえることで
あるが、一つの感覚が集中的になにかを探りだそうとするとき、たとえば、なに
かを見て、なおいっそうの客体を見極めようとするときとか、ある音に耳をすま
してききわけようとするときなど、われわれは、いったん自分の呼吸を無意識の
うちに止めてしまう。
 これは自分の考えから呼吸を止めるのではなく感覚の障害となるために、無意
識のうちに、そこへ神経を集中させるための連動作用なのである。
 これをいいかえると神経を集中させ、意識的に呼吸を止めても、感覚を発達さ
せることができる。そして、意識的に呼吸を止めるにも、むやみやたらと呼吸を
止めたところで、弊害がでるだけで、なにもならない。まず呼吸を止める前に、
身体の中に入っている炭酸ガス(空気)を一度全部吐き出す。普通呼吸している
ときに吸ったり吐いたりする動作のうち吐く方をそのまま吐きつづけていると、
これ以上吐くことができないというところまで来る。そこで呼吸を出来る限り、
止めておき、限界まできたら、一気に空気を吸い込む。同じことの繰り返しを十
分間行い、これを一日起きたとき、昼休み、寝るときと三回規則正しく繰り返す。
初めの一ヶ月ぐらいで、この動作にもほとんどなれてくる。この時点では、食欲
が急に出てきたことと、睡眠が一定し、規則正しくなり、不眠などということが
なくなる。
 しかし、まだオーラを見るまでにはいっていない。はじめの一ヶ月は無我夢中
でよいが、二ヶ月目に入ったらこの動作を目をつむって行うようにする。そして
精神を一点に集中するように心掛ける。はじめのうちは、なかなか精神を集中す
るということがむずかしく、次から次へと雑念が湧いてくるものであるが、これ
も次第になれてくると、必ずできるようになる。この動作を2カ月繰り返して、
途中でやめないことが大事である。
 これを終了した時点で、つまりはじめの日から数えて三ヶ月の終わりになると、
今まで病院通いばかりしていた人が、これにより大分体力がつくため、日毎に丈
夫になっていく。そしてそれに気がつく。例外なく、寒さと暑さを感じなくなる。
これは身体に十分な抵抗力がつくためである。何事においても、忍耐力がつく。
今まで小さなことにも、気をつかっていた人でも、あまり物事にこだわらなくな
る。この時点でもオーラはまだ見えない。だが、柴地の布や黒地の布に自分の手
をあててみると、なんだか見えるような気になってくる。
 そしてなによりよいことは、神経を集中することが習慣になるため、人のいっ
たこととか、小さな物音でも聞きのがさなくなる。しかも、耳に負担がかかって
苦になるというようなこともない。今まで見過ごしたり、気がつかなかったよう
なものが、視覚神経を通して、はっきり知覚するようになる。四ヶ月目からは、
はじめの動作と神経を一点に集中する動作に、「自分は目をつむっていても、目
の前にあるものが見えるのだ」と自分にいいきかせ、自分を暗示にかけてしまう
ことが加わる。
 これは精神を一点に集中する以上にむつかしいが、四、五日すると、だいぶな
れてくる。できれば、四ヶ月目からは、一回の動作を二十分くらいに引き延ばす
とよいのだが、このような時間のとれない人は、十分間を実のある動作にするこ
とが望まれる。そして決してあわてないことと、あきらめないことが最も肝要な
のだ。
 四ヶ月目が過ぎ、五ヶ月目を迎える時点では、自分の気持ちに対しても、自分
自身にも湧き出てくるような自信が生まれてくる。これは一つのことを忍耐強く
行ったものだけが得られる貴重なものである。少しくらいのことでは、自分の自
信はビクとも動かなくなる。どんな人にあっても、気おくれがしなくなる。これ
は自信によって、裏付けされているので、人がこれを観察しても、少しも不自然
ではない。自分の頭の上には、レーダーか、アンテナがついているように、物事
によく気がつく。セールスマンが、これを実行できれば、たとえ、オーラが見え
なくとも、十分な好結果が得られるはずだ。自信に裏付けされた人間は、自分よ
り馬鹿に見える人に、いくら頭を下げても一向に平気なものであり、決して屈辱
感など湧かないものである。
 この時点では、必ず毎日実行した人は、オーラが、ボンヤリ見え始めることに
気がつく。しかし、ああ見えるなあ、と思うと消えてしまう。不連続的なもので
あり、それは連続してみることができない。
 このときのオーラは、主に乳白色で、見かけの長さは、一センチ程度のもので
ある。しかし、それは決して本人の錯覚ではないから、自信をもってさらに続け
るべきである。聴覚は枯れ葉の落ちる音でも、聞こえるようになっている。
 昔の剣士が、無念無想になって、五年も十年もかけて自分の感覚を研ぎすまし
たことを五ヶ月ほどでやるのだから、毎日の訓練は、絶対欠かさないようにした
いものである。名人といわれるピアニストでも、バイオリニストでも、必ず自分
の感覚をその世界に適応させるための訓練を毎日欠かさず実行している。そして、
その忍耐力がある者のみが、一流といわれる人になるものなのだ。
 五ヶ月目にはいる時点では、他の動作は加わらない。身体の空気を吐き出すこ
とと、神経を集中することと「無我の境」に入ることを努力するだけでよい。「
無我の境」とは、雑念を一切追い払い、何事も考えないで、神経を一点に集中す
ることである。門外漢は、無我の境などにそうたやすくなれるわけがない、など
とはじめからあきらめている人が多い。しかしこのような人は、例外なく意志薄
弱な人で何をやっても途中で挫折する人たちなのだ。毎日四ヶ月間頑張った人と
は、忍耐力と自信という、かけがえのない財産を手に入れた人たちである。これ
らの人には、無我の境に入るにしてもたいした苦労もなく入れるはずである。い
よいよ百五十日目の五ヶ月間が経過すると、次のようになる。
人間の可視範囲は普通、
 0.00004センチ〜0.00007センチ
の波長に感じるだけである。オーラは、この範囲の中に入っていない。つまり普
通の人には見ることができない。
 しかし百五十日の訓練によって、視覚神経はどんどん発達し、見えないものも
見えるようになる。つまりピアノの調律師の耳のように、普通の人では感じるこ
との出来ない音の振動の差を確実に正確に聞き分けるのと同じことが、視覚にあ
らわれるのである。このときオーラ現象をはっきり見ることができる。オーラは、
人間の身体の部分によって相違するが、平均すると三〜5センチの光の長さであ
る。それは何かをもやしたとき、光が長くなったり、短くなったりするように、
人間の身体から光が出ている。五ヶ月くらいの訓練では、まだ無理なことである
が、同じことを三年ほど根気よく続けていると、オーラ現象の色の識別がつくよ
うになる。乳白色に見えていたものが、だんだん識別できるようになると、赤、
青、黄、紫、黒など、太陽光線をプリズムに通したときと同じように、はっきり
と色の識別がつく。この色によって、人間の身体の具合の悪いところがある程度
見当がつく。なぜなら具合の悪いところは、ぼけてしまったり、色が変わったり
するからである。
 世の中には大勢の人間が住んでいるが、たいてい皆が同じ様なことを考え、同
じ様に諦めている。だが、人間に備わった超感覚が、運をとらえ得ることができ
ることがわかったら、諦めていずに、自分なりに努力すべきではあるまいか。
 われわれはオーラ現象を見るために、また四次元を知るために、視覚範囲を広
げることに気がつき、視覚神経を高感度に発達させることができた。ところが、
視覚だけ発達するものと思っていたところ、聴覚も同時に、また一般感覚器も同
じように発達した。一般感覚器の発達は、他の感覚器まで連鎖的に呼び起こし、
同時に発達していくということだが、これは、視覚のみにいえることである。一
般感覚器の発達が目的の場合は、そこだけに精神が集中するため、他の感覚はこ
れと平衡して発達するということがない。
 五感覚が高度に発達すると、六感というものの正体がわかってくる。つまり5
感覚全体でもう1感覚を構成しているのである。5感覚の発達は、当然六感の発
達をうながし、四次元からくる波動の流れをはっきりと感じ、正確にとらえるこ
とができるのである。

津島秀彦著「四次元への挑戦」より抜粋


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