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いま日本の大問題 憲法を考える 五日市憲法ほか(BS朝日)
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/429.html
投稿者 gataro 日時 2014 年 5 月 05 日 09:16:29: KbIx4LOvH6Ccw
 



いま日本の大問題 憲法を考える 五日市憲法ほか

BS朝日 いま日本は 2014.5.3


5月3日は憲法記念日。いま、政治の場で議論が交わされている憲法
だが、昨年、誕生日に際し皇后さまが言及したのは「五日市憲法」。明治初期、大日本帝国憲法制定に先立ち市民の手で作られたという「五日市憲法」とは、どのようなものだったのか。そして五日市憲法に込められた一般の市民たちの"国創り"への想いは、今の日本国憲法にも引き継がれているという…
憲法記念日の放送で、改めて私たち国民と憲法の関係を考える。

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<参照>

五日市憲法(Wikipedia)


五日市憲法(いつかいちけんぽう)は明治時代初期に作られた私擬憲法の一つ。1968年(昭和43年)、色川大吉によって東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)の深沢家土蔵から発見されたためこの名で呼ばれる。


別名を日本帝国憲法という。全204条からなり、そのうち150条を基本的人権について触れ、国民の権利保障に重きをおいたものである。五日市学芸講談会のうちの一人である千葉卓三郎が1881年に起草したとされる。国民の権利などについて、当時としては画期的な内容が含まれ、現日本国憲法に近い内容もみられる。


五日市憲法は東京都の有形文化財(古文書)に、深沢家屋敷跡(土蔵などが残る)は史跡に指定されている。前者は東京経済大学に保管されていたが、現在はあきる野市の中央図書館に移管された。



 

コメント
 
01. 2014年5月06日 05:04:03 : Q3JEI42fT2
権利権利だろ、ちょっと考え直してみませんか?
権利より義務、
「権利の体系」より「義務の体系」でなくては、世の中動きませんよ。
たとぃば企業内組織を考えてみなさい。各人が権利ばかり主張するようでは
組織は動かない。逆に、各人が自分の義務と責任を自覚してこそ、組織は
いごく。
 護憲派・人権はとゆのは、結果として社会を破壊しようとゆう運動なのです。

反日勢力の実態↓
http://www.youtube.com/watch?v=qSJb8WKqiP4


02. 2014年5月09日 00:07:51 : dp4XTYfT2A
gataroさん、良番組ご紹介ありがとうございます。

03. 2014年5月10日 12:06:39 : FuzQrknbGg
ゴケン馬鹿


[32削除理由]:意味ナシ
04. 2014年5月14日 12:53:55 : aIjrukObbg
反日2文字の罠

反日本と反日帝に別れていることを

認識して下さいな。


05. 2014年6月16日 22:51:11 : BhqPMD8ZQw
後方支援拡大 武力行使のできる米軍補完部隊へ
 集団的自衛権をめぐる状況は異様の度を高めてきた。安倍首相が今国会中の解釈改憲を閣議決定するよう指示し、永田町の空気は日に日に緊迫感を増している。

 多国籍軍の後方支援をめぐる与党協議のドタバタ劇は、この問題のポイントをのぞかせた。政府は3日、以下の4条件を満たさなければ「他国の武力行使との一体化」とはみなさないという形で、事実上「武力行使との一体化」違憲論を見直す案を示した。だが6日にはこれを撤回し、現に戦闘行為を行なっている現場では活動しない、状況の変化で現に戦闘行為を行なっている現場となる場合は活動を中断する、などの新たな3基準案を出した。これでも「現に戦闘が行なわれておらず、活動の期間を通じて戦闘が行なわれることがない」という従来の「非戦闘地域」の考え方が放棄されることに変わりはない。しかも、3つ目の条件として「人道的見地から実施する捜索救助活動は例外」が加わり、抜け穴として機能する仕組みとなっているという念の入れようだ。

 安倍首相は戦闘行為・武力行使目的の海外派兵は行なわないと繰り返すが、「一体化」違憲の立場が放棄され、加えて、派遣先で実効支配をしている相手国政府以外は、これへの武器使用が戦闘行為とみなされる「国または国に準ずる組織」ではないとされれば、兵たん支援や武器使用への障害は決定的に小さくなる。さらに、集団的自衛権行使を容認すれば、名実共に海外での武力行使を可能とする「法的基盤」が整うという段取りだと思われる。

 また、この後方支援の問題を別の角度から見ると、首相が与党合意を日米ガイドライン(防衛協力指針)改定に間に合わせよとハッパを掛けることの意味が透けてくる。すなわち、もともと3条件目の捜索救助は、ガイドラインで日米がおのおの主体的に行なうものとして挙げられている活動の柱である。そしてガイドラインの枠組みとは、自衛隊をあくまで米軍の補完部隊として共同軍事態勢の中に組み込むことに他ならない。与党協議とは、ガイドライン改定協議の影絵なのだ。

 首相は、集団的自衛権行使を認めれば抑止力が増すと繰り返す。しかし、そこで暗黙のうちに前提とされている自衛隊が米軍と肩を並べて戦い米軍を助けるという「戦友」的イメージは、現実の姿ではない。首相は、もっと米軍にとって使い勝手のよい自衛隊にしなければと言っているだけだ。

(社会新報2014年6月18日号・主張)

http://www5.sdp.or.jp/publicity/shimpo/opinion/140618.htm


06. 2014年6月21日 14:32:25 : yBZ5ptWw4o
第161回(6月20日):照屋寛徳 議員
自民党と公明党「下駄の雪」はどっちだ
〖写真〗6月17日の与党協議(6月19日付東京新聞より)

http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/img/161teruya.jpg

 今日の憲法コラムのテーマは、単なる愚痴や揶揄で論ずるものではない。誤解なきように願いたい。

 「下駄の雪」とは、ご存じのように、「力のある者についていく者のこと」と辞書にはある。

 語源になったのは、「踏まれても蹴られてもついていきます下駄の雪」といった内容の都都逸(どどいつ)との説もあるが、詳しいことは承知してない。永田町界隈の単なる政治用語かも知れないのだ。

 かつて、歴史的な政権交代を経て、民主党、社民党、国民新党の三党連立政権が発足した。その直後から、どうせ社民党と国民新党は民主党の「下駄の雪」だと揶揄された事があった。だが、社民党は米軍普天間飛行場の辺野古移設問題で連立政権から毅然として離脱し、民主党の「下駄の雪」になることを拒否したのである。

 一方の国民新党は、「下駄の雪」であり続け、しまいには解党に追い込まれた(もちろん、筋を通して除名された者もおったことを記しておく)。

 さて、自民党と公明党、どっちがどっちの「下駄の雪」かを考える前に、集団的自衛権行使容認を巡る自公の与党協議について若干触れておこう。

 去る5月17日、公明党の支持母体である創価学会広報室が次のような見解を発表した。

 「私どもの集団的自衛権に関する基本的な考え方は、『保持するが行使できない』という、これまで積み上げられてきた憲法第9条についての政府見解を支持しています。

 したがって、集団的自衛権を限定的にせよ行使するという場合には、その重大性に鑑み、本来の手続きは、一内閣の閣僚だけによる決定ではなく、憲法改正手続きを経るべきであると思っております。

 集団的自衛権の問題に関しては、今後、国民を交えた、慎重の上にも慎重を期した議論によって、歴史の評価に耐えうる賢明な結論を出されることを望みます。」――と。

 私は、創価学会員でも公明党議員でもないが、報道で創価学会の見解に接した時は、密かに拍手喝采した。

 創価学会の見解発表に対する政府・自民党の反応は、素早かった。

 菅官房長官は、「与党協議や政府の閣議決定に影響はない」と語り、自民党石破幹事長も「政教分離だ。公明党の判断に主体性がなくなったとか、支持母体の言うがままだということはない」と記者に述べ、公明党を強く牽制した。

 一方で、巧妙な公明党への恫喝、圧力もあった。

 去る6月10日、飯島勲内閣官房参与がワシントンで講演し、公明党と支持母体の創価学会との関係について、憲法が定める「政教分離」の原則にあえて触れ、牽制する内容の発言をしたようだ。

 飯島氏は講演で、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認をめぐる自民・公明両党の対立にも触れ、こう言及したようだ。

 「公明党と創価学会の関係は政教一致と騒がれてきたが、内閣法制局の発言の積み重ねで政教分離ということになっている。」

 飯島氏は党と支持母体の関係は憲法の「政教分離の原則」に反しないとする政府見解を説明しつつ、こう続けた。

 「法制局の発言、答弁が一気に変われば、『政教一致』が出てきてもおかしくない」(6月12日付朝日新聞)。

 私は、創価学会に限らずどの宗派も、憲法第20条が定める「政教分離」の原則を厳守すべきと考える立場だ。

 一方で憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認を実現するために、法制局長官の首を恣意的にすげ替える安倍内閣は、「政教分離」の原則に関する政府答弁を変更して、公明党、創価学会を「政教一致」だとして攻撃することを平気でやるだろうと思った。

 飯島氏の講演は、与党協議の中で集団的自衛権の行使容認に対し、慎重姿勢を示し、徹底した議論を挑む公明党に対する露骨な圧力、言葉による威迫であり、揺さぶりである。

 前記朝日新聞の記事によると、ある公明党幹部は「レベルの低い挑発行為」だ、と反発の声を上げたらしい。私の独り言、「ヤサ ヤサ ヤンドー」(そうだ そうだ その通り)。

 自公連立政権下では、三党連立政権下で社民党が揶揄されたように、公明党は自民党の「下駄の雪」だ、と揶揄する者がいる。その一方で小選挙区制にあっては各選挙区での自民党の公明党依存は想像以上であることも動かぬ事実だ。公明党の協力がなければ、約7割位の自民党国会議員は落選してタダの人になる。その意味において、自民党が公明党の「下駄の雪」かも知れない。

 私は、「平和の党」公明党に期待したい。集団的自衛権行使容認を巡る与党協議で安易な妥協をして欲しくない。譲れないことは、譲ってはならない。自公連立政権からの離脱や独自路線の確立も視野に、自民党の「下駄の雪」になることを拒否して欲しい。

 その与党協議は、実質的な会期末となる6月20日現在、たったの8回しか行われていない。

 しかも、与党協議は非公開で行なわれ、会議後にマスコミ向けに発表される概要でしか国民は知らない。国会での与野党のオープンな議論は皆無に近い。

 「一強多弱」の国会、有効な野党共闘がつくれない無力状態の野党のやっかみで言うのでないが、この間の与党協議は先述した創価学会生命の「国民を交えた、慎重の上にも慎重を期した議論」にはほど遠い、と批判せざるを得ない。

 どうやら、集団的自衛権を巡る与党内合意と閣議決定は、今会期内は無理のようだ。だが、政府・自民党は閉会後も協議を続行し、7月4日を目途に閣議決定し、秋の臨時国会に関連法案を提出しようと目論んでいる。

 なぜ、そんなに急ぐのだ。この間の与党協議の中で政府、自民党は、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認の法的根拠を変えたり、憲法が禁じる「他国による武力行使との一体化」の判断基準として4条件を提示して、3日後には撤回したり、最近では集団的自衛権行使の「新3要件」案を示したりと、与党協議の論点が猫の目のようにくるくる変わる。日替わりメニューのようだ、と批判する人もいる。

 とにかく、公明党には「平和の党」として、憲法の平和主義と立憲主義を破壊する解釈改憲に反対し、初志を貫いてもらいたい。

 かく言う私は、与党協議に一喜一憂せず、国会内外の運動を大きくつくり上げ、閣議決定による集団的自衛権行使容認に断固として反対する決意をいっそう固めた。

(2014年6月20日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/161teruya.htm


07. 2014年6月24日 17:58:51 : jo8TYZm62w
新3要件 文字面からでは分からぬ点が危険
 自民党は集団的自衛権行使合憲化の「閣議決定案の柱」とされる自衛権発動の「新3要件」案を示した。従来の自衛権発動3要件と比べると、第1要件の「わが国に対する急迫不正の侵害がある」ことが「わが国に対する武力攻撃が発生したこと、または他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」に変えられている。

 後段の部分は、いまやよく知られるようなった72年政府見解から引いてきたものだが、この見解は、安保法制懇報告書が並べて記載しているように、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」は憲法9条の下でも容認されるという論理を、砂川事件最高裁判決から引き継いでいる。

 ひところ、閣議決定による憲法解釈変更は立憲主義にもとるという批判を意識して、司法の憲法判断に依拠するのだから行政権専横ではないと強弁するために、砂川判決は盛んに持ち上げられたが、すぐ下火になった。これには、砂川判決は政府からも外国の権力からも独立して出されたものではないというやましさを抱えているとの事情もあるだろう。だが、72年見解には「国民の生命、…覆される」という政府にとって魅力的な言い回しがあることが、やはり大きいと思われる。

 では、「覆される」の後に「おそれ」が入るかどうかが、政府に歯止めをかけられるのかどうかの大問題とされているが、本当か。決定的なのは、(早く出せというわけではないが)実際の法文がどういう組み立てになるのかではないか。

 12年に自民党が策定した「国家安全保障基本法案」概要は、(個別的・集団的)自衛権行使の第1要件を、「わが国、あるいはわが国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態であること」とすっきり規定している。ここで言う「集団自衛事態」とは、わが国にではなく、他国に対する急迫不正の侵害があることであり、全ての物事は基本的にここから動き出す仕組みとなっている。「覆される」事態なのか、「覆されるおそれがある」事態なのかは、集団自衛事態の認定にとっては副次的な問題であり、他国への攻撃があった時点から、戦争マシンは必ず相応の法的根拠を持って作動し始めると見るべきだろう。観客向けの応酬に目を奪われてばかりではいけない。

(社会新報2014年6月25日号・主張)

http://www5.sdp.or.jp/publicity/shimpo/opinion/140625.htm


08. 2014年6月27日 00:35:02 : 7kwrNuXCl2
第162回(6月26日):照屋寛徳 議員
「国体護持」の捨て石にされた沖縄戦の悲劇
〖写真〗6月23日「慰霊の日」、義父の名が刻まれた礎の前で、孫たちと一緒に
http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/img/162teruya.jpg

 去る6月23日は、太平洋戦争末期の悲惨な沖縄戦における旧日本軍の組織的戦闘が終結して69年目の「慰霊の日」であった。旧日本軍の組織的戦闘が終結したのは6月22日である、との説もある。また、旧日本軍は6月23日以降も散発的に戦闘行為を繰り返したり、ウチナーンチュや強制連行した朝鮮人を虐殺した、との戦史を読んだ記憶も新しい。

 あの悲惨な沖縄戦で20万余の尊い命が失われた(奪われた!というべきか)。

 しかも、沖縄戦では軍人よりも民間人の犠牲者が圧倒的に多い。沖縄戦の実相の一つに、「軍民混在の戦場」が挙げられるが、軍人よりも民間人の犠牲者が多いのは、その何よりの証左であろう。そのうえ、旧日本軍は、壕やガマ(自然の洞窟や自然壕)に避難した住民を砲煙弾雨の中に追い出して、自分達が隠れたのである。

 やむなく、住民らは亀甲墓や門中墓に避難し、私と同じ昭和20年生の中には、お墓の中で生まれた者もいる。本島北部に避難する途中の馬小屋、山羊小屋で誕生した同年生も数多い。それらの事実をもって、沖縄戦の実相の一つである、いや、戦争の本質というべきか、「軍隊は住民を守らない」ことが明白となろう。

 69年前のイクサ(戦争)の実相を短い言葉で語り尽くすのは困難である。何年たっても不可能かも知れない。かろうじて生き残った者の中には、未だにあのイクサの体験と記憶を胸深く封印し、語る辛さに苦悩している方々が多いからである。心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しむ方々もいらっしゃる。

 「鉄の暴風」「ありったけの地獄を集めたような戦争」「集団自決(強制集団死)」「島くとぅば(沖縄の方言)を使用しただけでスパイ視して虐殺」など、悲惨な沖縄戦は結局

 「国体護持」のための捨て石であった、と多くの沖縄戦研究者が語っている。これが沖縄戦の真実である。

 なお、沖縄は40余りの有人離島から成る島嶼県であるが、沖縄戦では旧日本軍の軍事施設がある島や旧日本軍が駐屯する島だけがアメリカの攻撃に遭い、甚大な被害を受けている。これも沖縄戦(イクサ)の真実だ。軍隊や軍備の強化で平和が構築できる、との主張は沖縄戦(イクサ)の真実に反する真っ赤な嘘だ、と思う。

 さて、69年目の慰霊の日に「平成26年 沖縄全戦没者追悼式」が挙行された。私も式典に参加し、全ての戦没者に哀悼の誠を捧げ、不戦の誓いを新たにした。

 今年の式典には、安倍総理や外務・防衛の4大臣、衆参両院議長、ケネディ駐日米大使らが参列した。

 私自身のここ20数年の「慰霊の日」には、朝早くに家を出て、追悼式に参加する前に平和の礎に刻銘された義父に会いに行き、家族の一年の歩みを報告のうえ、ご加護をお願いし、沖縄と世界の恒久平和を祈っている。今年は、初めて長男一家と二男も参加し、親子3代の鎮魂の日となった。小4、小2、2歳の孫らにとっては、平和の礎に刻銘された義父(ひいおじいさん)との会話なき初対面であった。

 ところで、安倍総理は、全戦没者追悼式でのあいさつの中で、沖縄に集中する米軍基地に関し、「沖縄の方々の気持ちに寄り添い、できることは全て行う」と述べ、基地負担軽減に全力を尽くす姿勢を示した。

 だが、式典参列者の多くの遺族らは、安倍総理のあいさつを苦々しい思いで聞いたに違いない。安倍総理のあいさつ中、式典会場は静寂に包まれていたが、場外からは「集団的自衛権反対」「戦争やめろ」「帰れ!」の怒声も聞こえてきた。

 私も内心では、普天間基地の辺野古移設を強行し、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認の閣議決定を急いで、憲法9条と平和主義を破壊せんと躍起になっている人が、よくも「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」などと「正直な嘘」を平気でつくものだ、と思った。

 残念ながら安倍総理のあいさつには、沖縄戦の実相と教訓から学び、不戦の誓いを立てる、との思いは微塵も感じられなかった。白々しく、むなしく響く、無内容な官僚作成の作文朗読であった。まさに「感じ悲しむ能力の欠如」だ。

 それに比べると、公募で選ばれた石垣市立真喜良小学校3年の増田健琉(たける)君の平和の詩「空はつながっている」の朗読が万感胸に迫るものがあった。少し長いが全文紹介する。請う、熟読玩味を!

空はつながっている
石垣市立真喜良小学校3年 増田健琉(たける)

ぼくのお気に入りの場所
みどり色のしばふに
ごろんとねころぶと
そよそよとふく風がぼくをやさしくなでる
遠くでひびくアカショウビンの鳴き声
目の前ではお母さんやぎがやさしい目で
子やぎたちを見まもっている
青あおと広がるやさしい空

でも
遠くの空の下では
今でもせんそうをしている国があるんだって
ばくだんが次つぎとおとされ
なきさけびにげまわる人たち
学校にも行けない
友だちにも会えない
家族もばらばら
はい色のかなしい空

空はつながっているのに
どうしてかな
どこまでが平和で
どこからがせんそうなんだろう
どうしたら
せんそうのない
どこまでも続く青い空になれるのかな

せんそうは国と国のけんか
ぼくがお兄ちゃんと仲良くして
友だちみんなともきょう力して
お父さんとお母さんの言う事をきいて
先生の教えをしっかりまもる
そうしたら
せんそうがなくなるのかな
えがおとえがおが
遠くの空までつながるのかな
やさしい気もちが
平和の心が
丸い地球を
ぐるっと一周できるかな

まだ子どものぼく
いのる事しかできない
どうか
せかい中の子どもたちみんなが
学校に行けますように
友だちとあそべますように
にこにこわらって
家族でごはんが食べれますように
夜になったら
すてきなゆめが見れますように
しあわせでありますように
いつか友だちになれますように

白い雲
ぼくの平和のねがいをのせて
この地球をぐるっとまわって
青い空にそめてきて

きっと
せかいは手をつなぎ合える
青い空の下で話し合える
えがおとえがおでわかり合える
思いやりの心でつうじ合える
分け合う心でいたわり合える
平和をねがう心で地球はうるおえる

だから
ここに
こんなにきれいな花がさくんだ
だから
こんなに
ぼくの上に
青い空が広がっているんだ


(2014年6月26日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/162teruya.htm


09. 2014年7月03日 21:58:22 : CBHhmWJKOk
第163回(7月3日):照屋寛徳 議員
安倍内閣による憲法クーデター決起
〖写真〗首相官邸ホームページ http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201407/01kaiken.html
http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/img/163teruya.jpg

 2014年7月1日、この日は長く歴史の記憶に残るであろう。

 この日、安倍内閣は与党合意を経て、集団的自衛権行使容認(解釈改憲)の閣議決定をしたのだ。閣議決定により、憲法9条の実質無効化を宣言し、平和主義を破壊して、立憲主義を否定する憲法クーデターを決行したのである。

 安倍総理は、憲法クーデターの決起にあたって“檄”を撒き散らし、NHK総合テレビの電波を占拠して声明を発表した。

 安倍内閣が作成した憲法クーデター決起の“檄”は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を題する文書におどろおどろしく綴られていた。撒き散らされた“檄”を子細に読み込むと、その内容は嘘と欺瞞に満ちた言葉を羅列したものであった。

 占拠したNHK総合テレビを通じ、憲法クーデターを発表する安倍総理は、高揚した気分で得意満面に見えた。だが、私をはじめ多くの国民は、反発と怒りで苦々しく思ったに違いない。

 この安倍内閣の憲法クーデター決起をもって、日本は「平和国家」から「戦争国家」へと転換する。国際社会からは、アメリカに従属する「好戦国家」と名指しされ、嫌悪されるであろうことは間違いない。

 安倍内閣による憲法クーデター決起の予兆は、この間幾度となくあった。

 最初は2013年、安倍総理が憲法96条の「先行改憲」を唱えた時である。その際は、憲法学者の小林節氏(現慶応大名誉教授)から姑息な「裏口入学」と批判され、咄嗟に「潜行改憲」へと鳴りを潜めた。

 次は、「安保法制懇」報告書提出前の今年3月ごろから、高村正彦自民党副総裁が突如として唱え始めた1959年の砂川事件最高裁判決を根拠とする解釈改憲論だった。

 この高村説に対しては、自民党議員のほぼ全員が賛成したが、憲法クーデター決起の一翼を担う公明党が強い懸念と難色を示し、クーデター部隊内の足並みは揃わなかった。多くの憲法・政治学者らから「砂川事件最高裁判決は個別的自衛権を認めたにすぎない」との批判もあった。

 私などNHK「日曜討論」で、一緒に出演した高村氏の面前で「砂川事件最高裁判決を縦から、横から、斜めから読んでも集団的自衛権を認めたものではない」と真っ向から批判し、痛罵したものだ。その結果、高村説はいつの間にか雲散霧消した。

 安倍内閣と自民党の解釈改憲への執念と憲法クーデター決起への決意は、凄まじかった。7月1日の閣議決定では、1972年の政府見解を持ち出してきて、憲法クーデター決起の正当性をアピールした。

 1972年10月14日、参議院決算委員会に「集団的自衛権と憲法の関係」と題する政府資料が提出された。俗にいう1972年政府見解である。

 1972年政府見解は、大要次のように記述する。

 「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される急迫の事態」では「必要最小限度の範囲」の自衛の措置が認められるが、他国への武力攻撃の阻止をその内容とする集団的自衛権行使は「憲法上許されない」―と。

 集団的自衛権の行使は「憲法上認められない」と結論付けている政府見解を行使容認の根拠にする真逆の論理である。そのような憲法クーデター決起の論理に正当性があろうはずはない。強い批判が膨湃(ぼうはい)と渦巻いていることも頷ける。当然だ!

 7月1日の閣議決定では、従来の政府見解である武力行使の3要件で、「我が国に対する急迫不正の侵害」がある場合にのみ、個別的自衛権の行使しか認められなかったものを、次のような武力行使の新3要件に捻じ曲げて、集団的自衛権発動の根拠としてしまった。

 1.我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、

 2.これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、

 3.必要最小限度の実力を行使することは(中略)憲法上許容される―と。

 安倍総理は、憲法クーデター決起の記者会見で、集団的自衛権発動の新3要件は、従来の個別的自衛権発動の3要件と「基本的な考え方はほとんど変わっていない、表現もほとんど変わっていない」と詭弁を弄した。

 とんでもない。これまでの憲法解釈では「我が国への急迫不正の侵害があること」との明確かつ厳格な基準があったが、新3要件では「明白な危険」と抽象的で、国民への具体的な説明もない。要するに、日本が攻撃されていなくても他国の戦争に参加し、自衛官が人を殺し、殺されることを認めたのだ。時の政権の恣意的判断で、国民が戦禍に巻き込まれる恐れは必至である。

 このように、現行憲法9条が戦力の不保持と交戦権の否認を明定している中で、姑息な議論、密室による与党協議を尽くしても、論理の正当性を持ち得るはずもない。にもかかわらず、憲法破壊のクーデター決起に行き着いたのである。

 私は本日のコラムで、あえて安倍内閣による憲法クーデター「決起」と表現した。その理由は、クーデターは未だ完遂されず、成功していないと思うからである。

 7月1日の“檄”や過去の安倍総理の言動に照らすと、クーデターの最終目標は現行憲法を「破壊」(壊憲)し、「国防軍」を有する天皇主権の自主憲法を制定することである。その意味で、クーデターは未だ「決起」の段階だ。

 したがって、安倍内閣のクーデター決起に反対する全ての国民が、小異を残しつつも大同につき、共に声を挙げ、創造的な運動を緊急に構築して粘り強く闘えば、クーデターを未遂のままに終わらせることは可能である。

 私は、平和と民主主義を愛する多くの国民と共に、安倍クーデター部隊と対峙し、最後まで闘い抜くつもりだ。

(2014年7月3日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/163teruya.htm


10. 2014年7月08日 23:32:26 : KQnBZ5mt2Q
第164回(7月8日):照屋寛徳 議員
自主規制の名による俳句弾圧と表現の自由
〖写真〗『ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨――11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと』(ブックマン社、小林 凜・著)
http://bookman.co.jp/shop/essay/9784893087997/
http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/img/164teruya.jpg

 小林凛の俳号で知られる「天才俳人」の句集『ランドセル俳人の五・七・五』を発売とほぼ同時に読んだときの感動と感激は、相当のものであった。

 たまに幼稚で下手くそな俳句を詠んでは、一人ほくそ笑むしかない私にとって、944gで出生し、小学校入学と同時に壮絶ないじめに遭い、教師の理解も得られずに不登校という選択をした俳人・小林凛の登場(存在)は、余りにも眩しかった。

 学校でいじめに遭い、不登校を選択した「天才俳人」小林凛が、たしか小学3年生のときに詠んだ句が「いじめられ 行きたし行けぬ 春の雨」である。

 小学校という教育現場で、同学年の児童や教師から尊厳が破壊されかねない程のいじめに遭った少年は、母や祖母の温かい協力を得て、句集『ランドセル俳人の五・七・五』に収められた秀句を詠み、俳句に生きる意味を見出して立派に成長するのである。

 小林凛の俳句の持つ力に比べると、最近の都議会や国会における自民党議員による女性の人権を否定し、差別視する下品なヤジ、政務調査費の不正を質されて泣き喚いた「号泣県議」ら政治家の放つ言葉の力など、限りなくゼロに近い。嗚呼、情けなく悲しい。

 さて、本題に入ることにする。

 冒頭、長々と「天才俳人」小林凛に触れたのは、7月4日付の東京新聞で、さいたま市大宮区の三橋公民館が毎月発行している「公民館だより」から俳句欄を削除した、との記事を読んだからである。

 大宮区に住む句の作者である女性(73歳)は去る6月上旬、東京銀座に出かけた折、女性たちのデモを見かけた。デモには、ベビーカーを押す母親やお年寄りが参加しており、安倍内閣が積極推進する憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認(解釈改憲)に反対する意思表示をしていたようだ。

 4歳の時に東京大空襲に遭遇し、入院していた病院で生死を分かつ体験をした女性は「日本が『戦争できる国』になりつつある。私も今、声を上げないと」との思いで、咄嗟にデモ行進の列に加わったという。

 その際に女性が詠んだ句が「梅雨空に 『9条守れ』の 女性デモ」である。

 女性が通う俳句教室では、会員約20人が詠んだ俳句の中から互選で1句を選び、大宮区の三橋公民館が毎月発行している「公民館だより」の俳句欄に掲載してきた。

 ところが、6月25日に公民館側から教室側に「掲載できない」との電話があった。教室側が「おかしい」と異議を伝えると、翌26日に公民館長から「意見が二つに割れている問題で、一方の意見だけを載せるわけにはいかない。7月号は俳句欄を削除する」と通告されたらしい。(7月4日付「東京新聞」朝刊)

 東京新聞の取材に対し、公民館を管轄する市生涯学習総合センターの小川栄一副館長は「この句が市の考えだと誤解を招いてはいけない。公民館の判断は妥当だ」との見解を示している。

 でたらめ極まりない、詭弁だ。聞いて呆れる。当然、掲載された俳句には作者の名前も載る。その句を読んで、市の考えだと誤解する市民は誰一人おるまい。

 一方、全国9条の会事務局長の小森陽一東京大教授は「この句だけを掲載しなかったのは、表現の自由を保障した憲法21条に違反する」と批判するコメントを出している。

 おそらく、大宮区の三橋公民館は解釈改憲へと暴走し、憲法クーデターへと決起する安倍内閣の意向を忖度して、自主規制という美名による表現の自由弾圧に走ったのだろう。

 日本国憲法第21条は、次のように定めている。

@ 集会、結社及び言論、出版その他集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

A 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 憲法21条が保障する集会、結社、言論、出版など一切の表現の自由は、民主主義と国民主権の根幹である。憲法21条が自主規制という名の公権力行使によって制限され、弾圧されるとき、民主社会は一挙に崩壊し、言論統制のファッショ的暗黒社会の再来となる。

 7月4日付の東京新聞に、新俳句人連盟副会長の石川貞夫氏が次のように語っている。

 「戦時中に戦争に批判的な俳人が治安維持法違反で投獄された俳句弾圧事件があり、今回の問題は、将来の言論弾圧を招く『卵』のような出来事だ。軽く見ることはできない。俳句は花鳥風月だけでなく、社会問題を積極的に表現する作品もある。掲載拒否の作品は情景を素直な気持ちで描写しており、公民館は神経質になりすぎている。俳句教室が選んだ句を尊重するべきだった」―と。

 石川貞夫氏の前記コメントを読んで、私なりに調べてみた。その結果、歴史的な「俳句弾圧事件」をいくつも見つけ、絶句した。

 1940年2月14日から8月13日までの三次にわたる「京大俳句弾圧事件」、1943年6月3日に俳句同人誌「きりしま」の同人が検挙された「きりしま事件」など、俳句誌や俳人に対する新興俳句弾圧事件(昭和俳句弾圧事件ともいう)の多さに驚愕した。

 これらの新興俳句弾圧事件では、「厭戦」「反皇室」「共産主義賛美」など特高警察の担当者が判断した句を掲載した同人誌や俳人が、次々に治安維持法違反や不敬罪で摘発されたようだ。秋の季語である「菊枯れる」「枯れ菊」を「皇室の衰退」とこじつけて検挙した事例もあるという。

 たとえば、有名な「きりしま」弾圧事件では、鹿児島日報(現南日本新聞)の記者2名、販売員1名をはじめとする総勢37名が鹿児島県警察部特高課に治安維持法違反並びに不敬罪で検挙され、記者2名は起訴猶予、販売員は懲役2年・執行猶予4年の有罪判決を受けている。

 当時、鹿児島県警察部特高課長だった奥野誠亮は、@ 食糧難から馬肉を食す心境を綴った句が「厭戦的」である、A 南国花である椿の赤色の見事さを賛美した句が「共産主義の肯定」である―との理由から同人が共産主義者であると断定し、検挙に踏み切った。

 一連の俳句弾圧事件は、本当に恐ろしい。

 かつての特高課長・奥野誠亮(奈良県出身、旧内務官僚、靖国神社に参拝する国会議員の会初代会長・自民党)的判断に従えば、「アンコ椿は恋の花」を歌った歌手・都はるみは共産主義者と認定される。

 「天才俳人」小林凛の句集に触発され、米軍嘉手納基地の殺人的爆音を「三線(さんしん)の 調べ掻き消す 爆音禍」と詠んだ「てるやかんとく」も“日米両政府批判罪”で逮捕・投獄され、重刑に処せられることになるらしい。くわばらくわばら・・・

(2014年7月8日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/164teruya.htm


11. 2014年7月11日 18:19:20 : KQnBZ5mt2Q
自衛隊員の命は鴻毛より軽いのか!!
〖写真〗7月6日付の東京新聞
http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/img/165teruya.jpg
 鴻毛(こうもう)とは、鴻(おおとり)の羽毛のこと。手元の広辞苑には「きわめて軽いことのたとえ」とある。

 デジタル大辞泉では、「死は或(ある)いは泰山より重く或いは鴻毛より軽し」について、「《司馬遷「報任少卿書」から》命は重んじて惜しむべき場合と、潔く捨てるべき場合とがある。その判断は義にかなうか否かによるべきである」と解説している。

 ウィキペディアを検索すると、1882年(明治15年)1月4日、明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した勅諭(正式には『陸海軍軍人に賜はりたる敕諭』という)に「鴻毛の軽さ」の記述があった。

 それによると、「戦いに於いては『義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ』と、『死は或いは泰山より重く或いは鴻毛より輕し』という古諺を言換え、『普段は命を無駄にせず、けれども時には義のため、喩えば天皇のため国のために、命を捨てよ』と命じた」とある。

 ところが、今の自衛隊員の命は、普段から(正確にいうと、入隊直後の教育訓練の時から)「鴻毛の軽さ」の扱いを受けている―というのが今日の憲法コラムのテーマである。

 去る5月24日、神奈川県横須賀市田浦港町にある海上自衛隊潜水医学実験隊の訓練水槽で、2等海尉1名が死亡、海曹長1名が意識不明の重体(のちに死亡)となる潜水訓練中の事故が発生した。

 上記事故報道に接した私は、議員会館居室にて6月4日、11日の2回にわたり、事故原因や潜水訓練の実態等に関する説明を防衛省人事教育局等関係職員から聴取した。

 6月11日の説明聴取の際、防衛省担当職員より「教育訓練に係る隊員の死亡事故について(平成16年度〜平成26年度(現在))と題する資料(以下、「死亡事故資料」という)を実にさりげなく手渡された。

 手渡された「死亡事故資料」を見て、一瞬目が点になった。「死亡事故資料」には、平成16年度から平成26年度(現在)の間、陸上自衛隊で47件、海上自衛隊で9件、航空自衛隊で6件、合計62件の教育訓練中の死亡事故が、発生年月日と概要毎に記載されていた。

 戦地に赴き、戦闘に参加(=有事)しているわけでもないのに、普段(=平時)の教育訓練中にかくも多くの自衛隊員が死んでいる。なぜだ?納得できん!

 しかも、死亡原因を見ると、陸上自衛隊における死亡事故47件のうち19件は「持続走訓練中」に、航空自衛隊における6件の死亡事故のうち4件が「3km走」や「持久走訓練中」に、海上自衛隊では9件の死亡事故のうち3件が「航海中行方不明」に、もう3件は「潜水訓練中」に死亡、となっている。

 自衛隊員は日々訓練しており、肉体的には他の同年代の青年男女より強靭と思われる。その自衛隊員が「持続走訓練中」にバタバタ死んでいるのだ。

 これは、きっと訓練内容と指導監督、訓練時の救急救命体制に大きな問題があるに違いない、と疑念を抱くのは至極自然であり、常識的だろう。

 早速、6月18日付で「自衛隊の教育訓練に係る隊員の死亡事故等に関する質問主意書」を提出し、政府の見解を求めた。

 6月27日付で、私の質問主意書に対する政府答弁書が閣議決定され、即日受領した。

 政府答弁書を一読して、またまた驚愕した。いや、強い衝撃を受けると同時に落胆した。

 私が質問主意書で全国の警察官及び消防職員の教育訓練中死亡事故件数、その発生率等を自衛隊員のそれと比較のうえ明らかにするよう質したのに対し、次のように答弁したのである。

 教育訓練中の死亡事故は、自衛隊員が合計62件であるのに対し、警察官は9件、消防職員は10件である―と。

 私の国会事務所で、死亡事故発生年度の各定員数等を勘案し、発生率(概算)を算出したところ、自衛隊員は警察官の約7倍、消防職員の約3倍も多く死んでいることが判明した。

 私が質問主意書で「訓練中または訓練直後の隊員の突発的な体調異変に対する救急救命体制は如何様なものか」と具体的な説明を求めたのに対し、答弁書は「教育訓練の実施に際しては、教育訓練の実施責任者や安全係を配置するなど適切な安全管理体制をとることにしている」―と、さも安全配慮義務を尽くしているかのような、それでいて具体性のない木で鼻を括った回答にとどまっている。

また、私が「死亡事故資料」に記載された全62件の当該訓練死亡事故の主たる死因について「隊員個人の健康状態によるものか、それとも訓練内容に起因するものなのか」と質したところ、「教育訓練の内容それ自体のみが直接の原因となったとされたものはない」と、頓珍漢な答弁を返してきた。

 ふざけるんじゃない!と、思わず叫びたくなる。やはり、自衛隊員の命は「鴻毛より軽い」扱いなのか、と怒りを禁じ得ない。(私の質問主意書と政府答弁書は、衆議院のホームページで検索・閲覧できる)
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a186252.htm
http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/img/165_02teruya.jpg


 7月6日付の東京新聞には、私の質問主意書で明らかになった自衛隊員の教育訓練中の死亡事故が1面トップ記事で報じられている。

 記事中、元自衛官で軍事評論家の小西誠氏が次のように論評している。少し長いが全文引用する。

 「持久走中の死亡事故が頻発している点から、倒れた場合の基本的な救命措置が十分でないことがうかがえる。救命知識のある消防士の3倍にも上るのは、現場の指揮官に医学的な知識が足りないことを表している。

 自分も経験し、今も多くの相談を受けているが、現場は根性論を強調する雰囲気が強い。精神を鍛えるとして、肉体の限界を度外視した訓練が行われやすい。旧軍の精神主義は今も引き継がれている。集団的自衛権の行使容認で、訓練よりも実戦化される。自衛隊が精神主義を引きずったまま戦争に向き合うとすれば、恐ろしいことだ」―と。

 すでに防衛省では、集団的自衛権の行使容認で「現実的に海外派遣時の戦死に関して考える段階に来ている」として、「戦死」についての扱いをどうするか、検討が始まっているという。

 陸上自衛隊では、隊員の死をいかに崇高な「戦死」として扱うかという計画案作りにも着手した、とも報じられている。(7月10日付沖縄タイムス)

 普段の教育訓練時も、海外派遣時も、ましてや集団的自衛権行使容認に伴うアメリカとの共同戦闘中であれ、自衛隊員の命を「鴻毛の軽さ」に扱うことは断じて許されない。

(2014年7月11日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/165teruya.htm


12. 2014年7月29日 21:31:51 : iIvu3h02Y6
第167回(7月29日):照屋寛徳 議員
「徴兵制みたいだ」「赤紙がきた」は単なる杞憂か
〖写真〗「沖縄県内の高3生に送付された自衛隊募集案内のリーフレット」
http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/img/167teruya.jpg
 去る7月1日、安倍内閣は憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認(解釈改憲)を閣議決定した。

 奇しくもその日は、来春高卒予定者への求人広報活動解禁日と重なった。自衛隊(防衛省)は、その日に合わせ「自衛官募集」の案内封書(ダイレクトメール・DM)を全国の高校3年生の自宅宛に送付したのである。

 自衛隊(防衛省)によると毎年、高卒予定者への求人広報活動解禁日から『自衛官募集』のDMを送っており、「ことしは、閣議決定と募集広報の解禁日がたまたま重なった。むしろ、いい宣伝になった」と説明しているようだ。(7月14日付沖縄タイムス)

 してやったり、とほくそ笑む自衛隊(防衛省)幹部らの顔が目に浮かぶ。

 ところが、インターネット上では全国各地の高校3年生から「徴兵制みたいだ」「なんだか怖い」「すごいタイミング・・・」「赤紙がきた」などと不安や戸惑いのコメントが書き込まれたようだ。(7月4日付東京新聞、同12日付琉球新報)

 前記・琉球新報は、沖縄本島南部の高校3年生の男子が「まさか自分にこんなものが届くとは思わなかった」と困惑の声を挙げ、DMを受け取った別の男子高校生は「僕は戦争には行きたくない。今から自分の夢に向かって頑張りたいのに、こんな文書が来ると将来が不安で、嫌な気分になる」と声を落とした―と報じている。

 早速、国会内にある防衛省政府控室(国会連絡室)を通して、沖縄県内の高校3年生宛に送付された「自衛官募集」のDMを入手し、読んでみた。

 DMには、写真やイラストを多用したカラフルな「自衛官等募集案内」と題する自衛隊沖縄地方協力本部作成のリーフレットが同封されていた。リーフレットには、次のようなフレーズが大きく刷り込まれている。

 「そこにしかない仕事が君を待っている」「あなたの特技・適性を活かす場所がココにある」―と。

 「自衛官等募集案内」リーフレットは、高校卒業(予定)の方にお勧めのコースとして、それぞれの謳い文句で次のように紹介する。

 ・防衛大学校学生「誇りある組織のリーダーになる!」・防衛医科大学校医学科学生「生命をつなぐ平和と医療の先駆者!」・防衛医科大学校看護科学生「誇りを持てる看護師に!」・一般曹候補生「部隊の中核となる自衛官を目指す!」・自衛官候補生「技術と体力を一心に磨く任期制自衛官!」・航空学生「大空で活躍する夢を最年少で実現できる!」―などと魅力ある「職業」「職場」としての自衛官、自衛隊であることを強調している。

 他に、中学卒業(予定)の方にお勧め、大学卒業(予定)の方にお勧め、社会人と学生の方にお勧め―の3コースの案内もリーフレットには記載されている。

 私は、職業としての「自衛官」、職場としての「自衛隊」を全否定するつもりは毛頭ない。職業選択の自由は、国民が保障された基本的人権であり、経済的自由権のひとつでもある。

 日本国憲法第22条1項は「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」と定めている。

 憲法第22条1項は、職業を選択する自由と選択した職業を遂行する自由を謳っており、職業を遂行する自由は、営業の自由とも呼ばれている。

 さて、「自衛官等募集案内」のリーフレットが、魅力ある職業(自衛官)と職場(自衛隊)であることを前面に打ち出しているのに、DMを受け取った高校3年生が困惑し、不安を抱いたのは何故だろうか。

 おそらく、安倍内閣が閣議決定した憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認(解釈改憲)が大きく影響していることは間違いあるまい。

 きっと高校3年生の諸君も、専守防衛の自衛隊が変質し、「他国が攻撃された場合」も海外に出動すること、しかも「非戦闘地域」に限らず、「戦闘地域」でも武力行使=戦争をしなければならなくなったことを知ったのであろう。

 そのうえで、すでに自民党が「日本国憲法改正草案」で「国防軍」の創設と軍事法廷を準備していること、天皇を元首とする「戦争ができる普通の国」を目指していることを見抜いているのであろう。

 7月14日付沖縄タイムスに、與那覇里子記者の署名入りで、「軍隊化案じ自衛官辞職」「戦争で命落とすかもしれない」などの見出しを付した記事が掲載されている。

 記事は、県内在住の20代男性が、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認の是非の議論が沸騰する中で、今年3月に自衛隊を辞職した理由を次のように語った、と報じている。

 20代の元自衛官は、18歳で入隊している。「衣食住を保証するという趣旨が書かれた自衛官募集のポスターを見かけた」ことがきっかけで、「経済的に苦しい家族を支えるため」に入隊したようだ。最近、昇任試験にも合格したばかりであったという。

 20代の元自衛官は「自衛官は、死ぬことは考えていない。自衛官も一生活者。先輩に定年まで国に面倒を見てもらえるよと言われたが、政権や世界情勢によって自衛隊の立ち位置は変わる。10年後、どうなっているのか分からない」と打ち明ける。

 辞めた理由については、「自衛官は人を殺すことを想定していなかった。だから仕事としてやれたが、今後は戦争で命を落とすかもしれない」と語っている。

 20代の元自衛官は、集団的自衛権の行使容認を「戦争への参加宣言」とみており、「今後は相手を撃つことになる。人殺しは嫌だ」と述べ、辞職を選択した思いを正直に告白している。

 安倍総理をはじめ、巨大与党や野党内自民党補完勢力の「戦争を知らない大人(政治家)」たち」には、集団的自衛権の行使によって自衛官が「人を殺し、殺される」というリアルな感覚がまるで欠如しているのだ。

 私は、政治家の最大にして最重要な使命は「二度と戦争をしない、させない」ことだと思っている。

「自衛官等募集案内」のリーフレットには、自衛官がいじめ自殺に追いやられていること、教育訓練中の自衛官が消防員の3倍、警察官の7倍もの割合で死んでいること、防衛大学校で今現在、上級生の悪質ないじめで退学に追いやられようとしている学生がいること、退職した自衛官に警務隊が根拠なき不当な嫌疑をかけ、人権侵害の捜査がなされていること―などは露ほども記載がない。嗚呼・・・。

(2014年7月29日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)

http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/167teruya.htm


13. 2014年8月16日 01:50:06 : KzvqvqZdMU
現行憲法は戦勝国により作らされた、日本に着せられた拘束衣である。
早急に脱ぎ捨てなければならない。
ゴケン論者は、GHQの衣鉢を受け継ぐ、獅子身中の虫。


[32削除理由]:削除人:アラシ
14. 2016年5月03日 11:51:12 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[2870]
Domestic | 2016年 05月 3日 00:59 JST
憲法施行69年、改正で対立

 日本国憲法は3日、1947年の施行から69年を迎えた。安倍晋三首相は国の最高法規である憲法の改正を目指して積極的な発言を繰り返しており、夏の参院選で改憲勢力が国会発議に必要な「3分の2」に届くかが焦点だ。自民党は、大規模災害時などに内閣に権限を集中させる「緊急事態条項」創設を念頭に置く。民進党は「安倍政権下の改憲には反対する」と反発している。

 首相は参院選を巡り「改憲を考える責任感の強い人たちと3分の2を構成していきたい」と強調。衆院では自民、公明両党が3分の2超を占めており、両党と、おおさか維新の会など一部野党が連携する形で議論を加速させる考えだ。

〖共同通信〗

http://jp.reuters.com/article/idJP2016050201001719



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