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参考資料1 _ トマス福音書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/372.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 7 月 18 日 02:03:59: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: イエスが殺された本当の理由 投稿者 中川隆 日時 2010 年 7 月 17 日 23:32:33)

これらは生けるかたであるイエスが語り、デドモ.ユダ.トマスが書き記した秘密の言葉である。

1   そして彼は言われた。”だれでもこれらの言葉の解釈を見出す者はけっして死
    を味わうことがないであろう”。


2   イエスは言われた。”探す者は見出すまでやめてはならない。見出すときに、
    彼は当惑するであろう。当惑してさらに彼は驚くであろう。その時、彼は天地
    万物を支配する”。


3   イエスは言われた。”あなたがたを惑わす者たちが[見よ、神の国は天にある]
    あなたがたに言うならば、空の鳥があなたがたより先にそこにいるであろう。
    彼らが[それは海にある]とあなたがたに言うならば、魚があなたがたより先
    にそこにいるであろう。しかし神の国はあなたがたの中にある。そして、外にも
    ある。あなたがたは、自分自身を知るならば、知られるであろう。そして、自
    分が生ける父の子らであることを知るであろう。しかしあなたがたは、自分自
    身を知らないならば、貧困の中にいるのだ。そしてあなたがた自身が貧困なの
    だ”。


4   イエスは言われた。”日で満ちた老人は生命の場所について7日の幼な子に問
    うことを躊躇してはならない。そうすれば彼は生きるであろう。多くの最初の
    者は最後となり、そして彼らは単独者として生きる事になるであろうから”。


5   イエスは言われた。”あなたの面前にあるものを認識せよ。そうすれば、隠さ
    れているものはあなたに現れされるであろう。明るみに出ないまま隠されてい
    ものはないからである”。


6   彼の弟子たちは彼に問うた。彼らは言った。”あなたはわたしたちが断食する
    ことをお望みになりますか。わたしたちはどのように祈り、どのように施しを
    行うべきでしょうか。そして何を糧とすべきでしょうか”。イエスは言われた
    。”偽りを言うな。そして、自分自身にとって憎むべきことを他人に行うな。
    これらすべては、天の見るところに明らかであるからである。隠されているも
    ので現わされえないものはなく、秘密にされているもので言い広められないも
    のはないであろう”。


7   イエスは言われた。”人間に食べられる獅子は幸いである。そうすれば獅子は
    人間になる。しかし、獅子に喰われる人間は禍いである。そうすれば、人間は
    獅子になる”。


8   それから彼は言われた。”人間は網を海に投げ込む賢い漁師のようである。彼
    は小さい魚で一杯になった網を海の中から曳き上げた。そのまんなかにこの賢
    い漁師は一匹の大きな、すばらしい魚を見つけた。彼は小さな魚をすべて海に
    投げ返した。彼はためらわずに大きな魚を選んだのである。聞く耳のある者は
    聞くがよい”。


9   イエスは言われた。”見よ、種まきが出て行った。彼は手をいっぱいにし、種
    をまいた。いくつかは道のうえに落ちた。鳥が来てそれらをついばんだ。いく
    つかは岩のうえに落ちた。それらは地に根を張ることがまったくできず、天に
    穂を出さなかった。いくつかは茨のなかに落ちた。茨がそれらの種をふさぎ、
    虫がそれらを喰いつくした。しかし、いくつかは良い地に落ちた。そしてそれ
    は良い実を結んだ。それは60倍、120倍の収穫をもたらした”。


10  イエスは言われた。”わたしは世界に火を投じた。そして、見よ。それがそれ
    を燃えたたすまで、わたしはそれを見守っているのだ”。


11  イエスは言われた。”この天は過ぎ去るであろう。そして、その上のものも過
    ぎ去るであろう。そして、死者たちは生きない。そして生きている者たちは死
    なないであろう。きょう、あなたがは死んだものを食し、それらを生かす。し
    かし、あなたがたが光の中にいるとき、あなたがたは何をするであろうか。あ
    なたがたがひとつであった日に、あなたがたはふたつになった。しかし、あな
    たがたがふたつになったとき、あなたがたは何をするであろうか”。


12  弟子たちがイエスに言った。”あなたがわたしたちから去っていかれることを
    わたしたちは知っています。だれがわたしたちの上に長となるのでしょうか”
    。イエスは彼らに言われた。”あなたがたが行く場所で、義人ヤコブのもとに
    行くがよい。天も地も彼のゆえに造られたのである”。


13  イエスは彼の弟子たちに言われた。”わたしを比べてみよ。そして、わたしが
    だれに似ているかわたしに言いなさい”。シモン・ペテロは彼に言った。”あ
    なたは聖なる御使いのようです”。マタイは彼に言った。”あなたは賢者、哲
    学者のようです”。トマスは彼に言った。”先生、わたしの顔はあなたがだれ
    に似ているかを理解してそれを言い表わすことはまったくできません”。イエ
    スは言った。”わたしはあなたの師ではない。なぜならばあなたはずっと飲ん
    でいるからである。わたしに属し、わたしが広げた湧き出ずる泉であなたは酔
    っているのだ”。それから彼は彼を連れ、わきへ引き寄せ、三つの言葉を彼に
    語られた。トマスが仲間たちのところにもどると、彼らは彼に尋ねた。”イエ
    スはあなたに何を言われたのか”。トマスは答えた。”彼がわたしに語られた
    言葉のひとつをわたしがあなたがたに告げるならば、あなたがたは石を取って
    わたしに投げつけるであろう。そして、その石から火が生じ、あなたがたを焼
    きつくすであろう”。


14  イエスは彼らに言われた。”あなたがたは断食をするならば、自分自身に罪を
    もたらすであろう。祈るならば、罪に定められるであろう。施しを行うならば
    、自分の霊を害するであろう。あなたがたがどこかの国に入り、地方をめぐる
    とき、もてなしを受けるならば、あなたがたの前に置かれたものを食べ、それ
    らの場所で病人を癒せ、なぜならば、あなたがたの口に入るものはあなたがた
    を汚さないであろうから。しかし、あなたがたを汚すであろうものは、あなた
    がたの口から出るものである”。


15  イエスは言われた。”あなたがたが女から生まれなかった者を見るならば、平
    身低頭し、彼を崇めよ、彼はあなたがたの父である”。


16  イエスは言われた。”まことに、人々はわたしが世界に平和をもたらすために
    来たのだと考えている。しかし、彼らはわたしが地上に不和、火、剣、戦争を
    もたらすために来たことを認識していない。まことに、ある家に5人いれば、
    3人はふたりに、ふたりは3人に、父は息子に、息子は父に対立するであろう
    。そして、彼らはひとりで立つであろう”。


17  イエスは言われた。”わたしはあなたがたに目がいまだ見ず、耳がいまだ聞か
    ず、手がいまだ触れず、人の心にいまだ思い浮かばなかったことを与えるであ
    ろう”。


18  弟子たちはイエスに言った。”わたしたちの終わりがどのようなものであるか
    をわたしたちにおっしゃってください”。イエスは言った。”いったいあなた
    がたは、終わりについて尋ねるために、初めを明らかにしたのか。なぜならば
    、初めがあるところに、終わりがあるであろうから。初めに立っている者は幸
    いである。彼は終わりを知り、死を味わうことがないであろう”。


19  イエスは言った。”生まれた前に存在していた者は幸いである。もしあなたが
    たがわたしの弟子になり、わたしの言葉を聞くならば、これらの石があなたが
    たに仕えるであろう。なぜならばあなたがたはパラダイスに5本の木を持って
    おり、それらは夏にも冬にも動かされず、その葉は落ちないからである。それ
    らを知る者はだれでも死を味わうことはないであろう”。


20  弟子たちはイエスに言った。”天の国はどのようなものであるか、わたしたちに
    おっしゃってください”。彼は彼らに言われた。”それはどの種よりも小さい
    一粒のからし種のようである。しかし、耕された土地に落ちると、それは大き
    な枝をはり、空の鳥の隠れ場となる”。


21  マリアはイエスに言った。”あなたの弟子たちはだれに似ていますか”。彼は
    彼女に言った。”彼らは自分たちのものではない野にはいった子供たちに似て
    いる。その野の所有者たちが来ると、彼らは言うであろう。[わたしたちの野
    をわたしたちに残してください]。すると所有者たちは、彼らの野を彼らに残
    すために、彼らの前で裸になり、それを彼らに手渡した。それゆえにわたしは
    あなたがたに言う。家の主人は、盗賊が来ようとしているのを知っていれば、
    目を覚ましており、彼が彼の王宮に押し入って彼の財産を運び去ることを許さ
    ないであろう。そのようにあなたがたも世界を前にして警戒しなければならな
    い。大いなる力の帯を腰にしめよ。それは強盗どもがあなたがたを襲う道を見
    出し、あなたがたが守っている利益を奪うことがないためである。あなたがた
    の間に知者がいるならば、実がいったとき、その人は鎌を手にして急いで行き
    、それを刈り取った。聞く耳のある者は聞くがよい”。


22  イエスは乳を飲んでいるいくにんかの幼な子をごらんになった。そして彼は弟
    子たちに言われた。”乳を飲んでいるこの幼な子たちは神の国に入る者たちに似
    ている”。彼らは彼に言った。”それではわたしたちは幼な子として神の国に入
    るのでしょうか”。イエスは彼らに言われた。”あなたがたがふたつのものを
    ひとつにするとき、そして、内を外のように、外を内のように、上を下のよう
    にするとき、そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、
    女性が女性ではないようにするとき、そしてひとつの目の代わりに目を、ひと
    つの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像
    の代わりにひとつの像をつくるとき、あなたがたは神の国に入るであろう”。


23  イエスは言われた。”わたしはあなたがたを選ぼう。1000人の中からひと
    りを、1万人の中からふたりを。そして、彼らは単独者として立つであろう”
    。


24  彼の弟子たちは彼に言った。”あなたがおられる場所をわたしたちに教えてく
    ださい。わたしたちはそれを探さなければなりませんから”。彼は彼らに言わ
    れた。”耳のある者は聞くがよい。光の人のうちに光はある。そして、それは
    全世界を照らす。それが全世界を照らさないならば、それは闇である”。


25  イエスは言われた。”あなたの兄弟をあなた自身の魂と同じように愛せ。彼を
    あなたのひとみと同じように守れ”。


26  イエスは言われた。”あなたはあなたの兄弟の目にあるちりを見るが、あなた
    自身の目にある梁を見ない。あなた自身の目から梁を取り除いたとき、あなた
    はそのときに見えるようになり、兄弟の目からちりを取りのけることができる
    であろう”。


27  イエスは言われた。”あなたがたはこの世に対して断食をしないならば、神の国
    を見出さないであろう。真の安息日を守らないならば、父を見ないであろう”
    。


28  イエスは言われた。”わたしはこの世の真只中に立っていた。そしてこれらの
    人々に肉において自分を現わした。わたしは彼らがみな酔いしれているのを見
    出した。彼らのなかに渇いている者はひとりも見出さなかった。そして、わた
    しの魂は人の子らのために苦しんだ。なぜならば、彼らは心の中で盲目であり
    、見ることがないからである。彼らは空でこの世に来たゆえに、空でこの世か
    ら出ることをいまだ求めているからである。しかし、だれかが来て、彼らをた
    だしてくれるように。そのとき、彼らが眠って酔いから目をさましたとき、彼
    らは、悔い改めるであろう”。


29  イエスは言われた。”肉が霊のために生ぜしめられたとすれば、それは奇跡で
    ある。しかし霊が肉のために生ぜしめられたとすれば、それは奇跡のなかの奇
    跡である。いかにしてこの偉大な富がこの貧困のなかに住まわったのか、わた
    しは不思議に思う”。


30  イエスは言われた。”3つの神がいるところに神々がいる。2人がいるところ
    、あるいはひとりがいるところでもわたしは彼とともにいる”。


31  イエスは言われた。”預言者は自分自身の町では歓迎されない。そして、医者
    は自分を知るものたちを癒すことはない”。


32  イエスは言われた。”高い山の上に建てられ、堅固にされた町は、落ちること
    も、隠されることもできない”。


33  イエスは言われた。”あなたが自分の片方の耳で聞くことを、あなたの屋根の
    上で他方の耳に宣べ伝えなさい。なぜならば、だれもあかりをつけてそれをま
    すの下に置かないし、それを隠された場所に置かないからである。そうではな
    く、出入りするすべての人がその光を見ることができるように、それを燭台の
    上に置く”。


34  イエスは言われた。”盲人が盲人を手引するならば、ふたりとも溝に落ちてし
    まう”。


35  イエスは言われた。”だれも強い人の家に入って、彼の両手を縛らなければ、
    それを奪い取ることはできない。そのとき、彼は彼の家を略奪するであろう”
    。


36  イエスは言われた。”朝から夕まで、夕から朝まで、何をまた着ようかと思い
    煩うな”。


37  彼の弟子たちは彼に言った。”あなたはいつわたしたちに現われるでしょうか
    ”。イエスは言われた。”あなたがたが恥じることなく衣服を脱ぐとき、小さ
    な子供らのように着物を脱いでそれを足もとに置き、踏みつけるとき、そのと
    きあなたがたは生ける者の子らとなり、恐れることがなくなるであろう”。


38  イエスは言われた。”あなたがたはわたしがあなたがたに語っているこれらの
    言葉を聞くことをしばしば欲した。しかし、あなたがたにそれらを聞かせてく
    れる人はほかにだれもいない。あなたがたがわたしを探してもわたしを見出す
    ことのない日が来るであろう”。


39  イエスは言われた。”パリサイ人たちと律法学者たちとは知識の鍵を取って隠
    してしまった。彼ら自身もなかに入らなかったし、なかに入ることを願ってい
    る人々にもそうさせなかった。しかし、あなたがたは蛇のように思慮深く、鳩
    のように無邪気であれ”。


40  イエスは言われた。”一本のぶどうの木が父の外に植えられた。それは強くな
    らなかった。それは根こそぎにされ、枯れてしまうであろう。”


41  イエスは言われた。”手に持っている者には与えられるであろう。しかし、持
    っていない者は、彼が持っているわずかのものまでも取り去られるであろう”
    。


42  イエスは言われた。”過ぎ行く者たちのようになれ”。


43  彼の弟子たちは彼に言った。”このようなことをわたしにおっしゃるあなたは
    、どなたなのですか”。彼は言われた。”わたしがあなたがたに言うことから
    、わたしがだれであるかわからないのか。しかし、あなたがた自身ユダヤ人た
    ちのようになってしまった。彼らは木を愛してその実を憎む。実を愛して木を
    憎む”。


44  イエスは言われた。”父を冒涜した者は赦されるであろう。そして、子を冒涜
    した者は赦されるであろう。しかし聖霊を冒涜した者は、地上でも天でも赦さ
    れないであろう”。


45  イエスは言われた。”人々は野ばらから葡萄を集めないし、茨からいちじくを
    摘むむこともない。これらは実を結ばない。良い人は彼の倉から良いものをも
    たらすが、悪い人は彼の心の中にある倉から悪いものをもたらす。そして彼は
    悪いことを話す。そして彼は悪いことを話す。なぜならば、彼は心に満ち溢れ
    ているものから、悪いことを語るからである”。


46  イエスは言われた。”アダムから洗礼者ヨハネにいたるまで、女から生まれた
    者のなかで、洗礼者ヨハネより偉大な者はいない。あなたがたの眼が盲目にな
    らないためにわたしはこう言った。[あなたがたのなかで最も小さい者が神の国
    を知るにいたり、ヨハネよりも高められるであろう]”。


47  イエスは言われた。”だれも同時に二頭の馬に乗れないし、二つの弓を引くこ
    ともできない。そして、どの僕も二人の主人に仕えることはできない。さもな
    ければ、彼は一方の主人を尊び、他方の主人から手荒く扱われるであろう。だ
    れも古いぶどう酒を飲み、ただちに新しいぶどう酒を飲もうとはしない。新し
    いぶどう酒は古い皮袋の中に注がない。皮袋が破れないためである。また古い
    ぶどう酒は新しい皮袋の中に注がない。腐敗しないためである。そして、だれ
    も新しい着物に古いつぎを縫いつけない。裂け目ができてしまうであろうから
    ”。


48  イエスは言われた。”ふたりの者が同じ家で平和のうちに共にいるならば、彼
    らは山に向かって[移れ]と言うであろう。そして、それは移るであろう”。


49  イエスは言われた。”単独である者たち、選ばれた者たちは幸いである。あな
    たがたは神の国を見出すであろうから。あなたがたはそこから出て来たのである
    から、再びそこに帰るであろう”。


50  イエスは言われた。”人々があなたがたに[どこから来たのか]と尋ねるなら
    ば、こう言いなさい。[わたしたちは光から来た。光が自ら生ずる場所から。
    それは立って彼らの像において現れた]。彼らがあなたがたに[あなたがたは
    だれか]と言うならば、[わたしたちは彼の子らである。わたしたちは生ける
    父の選ばれた者たちである]と言いなさい。彼らがあなたがたに[あなたがた
    の中にあるあなたがたの父の徴は何か]と尋ねるならば、[それは運動と休息
    である]と彼らに言いなさい”。


51  彼の弟子たちは彼に言った。”どの日に死者の休息が生ずるのでしょうか。そ
    して、どの日に新しい世界が来るのでしょうか”。彼は彼らに言われた。”あ
    なたがたが待っているこの休息はすでに来ているのだ。そして、あなたがたは
    それを認識していない!”。


52  彼の弟子たちは彼に言った。”24人の預言者がイスラエルの中で語りました
    。そして、彼らのすべてのがあなたにあって語りました”。彼は彼らに言われ
    た。”あなたがたはあなたがたの面前で生きている者を捨て、死んでいる者た
    ちについて語った”。


53  彼の弟子たちは彼に言った。”割礼は有益ではないでしょうか”。彼は彼らに
    言われた。”もしそれが有益であるならば、男たちの母親はその父親により彼
    らをすでに割礼を受けた状態で産んだであろう。しかし、有益なのは、霊にお
    ける真の割礼である”。


54  イエスは言われた。”貧しい人々は幸いである。天の国はあなたがたのものであ
    るから”。


55  イエスは言われた。”父と母を憎まない者はわたしの弟子であることができな
    い。そしてわたしのように兄弟を憎み、自分の十字架を負うことのない者は、
    わたしにふさわしいものとならないであろう”。


56  イエスは言われた。”この世を知るにいたった者は、屍を見出したのである。
    そして、屍を見出した者に、この世はふさわしくない”。


57  イエスは言われた。”父の国は自分の畑に良い種を持っていた人のようである
    。夜、彼の敵が来て、良い種のうえに毒麦をまいた。この人は毒麦を引き抜か
    せなかった。彼は彼ら彼の僕たちに言った。お前たちが毒麦を引き抜きに行く
    ときに、それらといっしょに麦を引き抜くといけないから。本当に、収穫の時
    までには、毒麦はわかるようになるであろう。それらは引き抜き、焼くことが
    できる]”。


58  イエスは言われた。”労したも人は幸いである。彼は生命を見出した”。


59  イエスは言われた。”あなたがたが生きているあいだ、生ける者のほうを見よ
    それは、あなたがたが死んだとき、彼を見ようとしても見ることができない、
    ということがないためである”。


60  ひとりのサマリヤ人が小羊を連れてユダヤに向かっているのを彼らは見た。彼
    は彼の弟子たちに言われた。”この男は小羊をどうしようとしているのか”。
     彼らは彼に言った。”彼はそれを殺して食べようとしているのです”。彼は
    彼らに言われた。”それが生きている間は、彼はそれを食べないであろう。し
    かし、彼がそれを殺し、それが屍になるときにのみ”。彼らは彼に言った。”
    彼はそうするほかありません”。彼は彼らに言われた。”あなたがたは、屍と
    なって食べられることがないように、自分自身のために休息の場所を捜し出せ
    ”。


61  イエスは言われた。”ふたりがひとつの寝台で休むであろう。ひとりが死に、
    他のひとりは生きるであろう。”サロメが言った。”あなたさまはどなたです
    か、そして、あなたはどなたの子ですか。あなたはわたしの寝台でお休みにな
    り、わたしの食卓からお食べになりました”。イエスは彼女に言われた。”わ
    たしは同じである者から出た者である。わたしにはわたしの父のものから与え
    られている”。”わたしはあなたの弟子です”。”それゆえに、わたしはあな
    たに言うのである。人は結び合わされるとき、光で満ちるであろう。分かたれ
    るとき、闇で満ちるであろう”。


62  イエスは言われた。”わたしはわたしの奥義人々に奥義を語る。あなたの右手
    が何を行なっているかを、あなたの左手に知らせるな”。


63  イエスは言われた。”たくさんの金を持っている富める人がいた。彼は言った
    、[わたしはわたしの金を使って蒔き、植えて、わたしの倉を実でいっぱいに
    しよう。何もわたしに欠けることがないためである]。彼は心の中でそう思っ
    た。しかしその夜のうちに彼は死んだ。聞く耳のある者は聞くがよい”。


64  イエスは言われた。”ある人が客たちを招待しておいた。彼は祝宴の準備をす
    ませたとき、その客たちを呼ぶために自分の僕をつかわした。彼は最初の人の
    ところへ行き、彼に言った、[主人があなたをお呼びです]。彼は答えた。[
    わたしは商人たちから金を受け取らねばなりません。彼らは今夜わたしのとこ
    ろへ来ます。わたしは出て行って彼らに指示を与えなければなりません。祝宴
    には失礼させていただきたいのです]。僕はほかの客のところに行き、言った
    、[主人があなたをお呼びです]。彼は彼に言った、[わたしは家を買いまし
    た。そして、そのために一日中働かなければなりません。わたしには時間がな
    いでしょう]。彼はほかの客のところに行き、彼に言った、[主人があなたを
    お呼びです]。彼は彼に答えた。[友人が結婚しようとしています。そして、
    わたしは彼の婚宴の用意をしなければなりません。わたしは行けないでしょう
    。祝宴には失礼させていただきたいのです]。彼はほかの客のところに行き、
    彼に言った。[主人があなたをお呼びです]。彼は彼に言った、[わたしは畑
    を買いましたが、まだその地代を集めに行っていません。祝宴には失礼させて
    いただきます]。僕はもどり、主人に言った。[あなたが祝宴にお招きになっ
    た人々は、失礼させていただきたいとのことです]。主人は僕に言った。[街
    に出て行き、見つけた者をだれでも連れて来なさい。彼らが正餐にあずかるよ
    うに]。小売商や商人はわたしの父の場所に入らないであろう”。


65  彼は言われた。”ある善人が葡萄酒を持っており、それを栽培者たちに貸した
    。それは彼らがそこで働き、彼が彼らから果実を受けるためである。彼は彼の
    僕を遣した。栽培者たちが彼に葡萄園の果実を渡たすためである。彼らは彼の
    僕を捕え、彼を打ち、彼を殺さんばかりにした。その僕は来て、主人に告げた
    。彼は主人に言った。[たぶん、彼は彼らを知らなかったのだ]。彼は別の僕
    を遣した。栽培者たちはこの僕をも打った。すると主人は彼の息子を遣した。
    彼は言った。[たぶん、彼らはわたしの息子を重んじるであろう]。しかしこ
    の栽培者たちは、彼が葡萄園の相続人であることを知ったので、彼を捕え、彼
    を殺した。聞く耳のある者は聞くがよい”。


66  イエスは言われた。”家造りらの捨てた石をわたしに見せなさい。それは隅の
    頭石である”。


67  イエスは言われた。”[すべて]を知っていても、自己に欠ける者は、すべて
    の所に欠けている”。


68  イエスは言われた。”あなたがたが憎まれ、迫害されているとき、あなたがた
    は幸いである。そして、あなたがたが迫害されてきた所で、あなたがたが場所
    を見出さないときに”。


69  イエスは言われた。”心の中で迫害された人たちは、幸いである。彼らは、父
    を真実に知った人たちである。飢えている人たちは、幸いである。欲する者の
    腹は満たされるであろう”


70  イエスは言われた。”あなたがたがあなたがたの中にそれを生み出すならば、
    あなたがたが持っているものが、あなたがたを救うであろう。あなたがたがあ
    なたがたの中にそれを持っていないならば、あなたがたがあなたがたの中に持
    っていないものが、あなたがたを殺すであろう”


71  イエスは言われた。”私はこの家を壊すであろう。そして、誰もそれを再び建
    てることができないであろう”


72  ある人が彼に言った”私の兄弟たちに、私の父の持物を私と分けるようにと言
    って下さい”。彼がその人に言った、”人よ、誰が私を分配人に立てたのか”
    。彼は弟子たちに向かって、言った、”私が分配人なのか”


73  イエスは言われた。”収穫は多いが、働き人が少ない。だから、主人に願って
    、収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい”


74  彼が言った。”主よ、泉のまわりには多くの人々がおりますが、泉の中には誰
    もおりません”


75  イエスは言われた。”多くの人々が戸口に立っている。しかし、花嫁の部屋に
    入るであろう者は、単独者だけである”


76  イエスは言われた。”父の国は、荷物を持っていて、一つの真珠を見出した商
    人のようなものである。この商人は賢い。彼は荷物を売りはらい、自分のため
    にただ一つの真珠を買った。あなたがたもまた、衣蛾が近寄ってくわず、虫が
    食いつくさぬ所に、朽ちず尽きることのない宝を求めなさい”


77  イエスは言われた。”私は彼らすべての上にある光である。私はすべてである
    。すべては私から出た。そして、すべては私に達した。木を割りなさい。私は
    そこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私をそこに見出
    すであろう”


78  イエスは言われた。”あなたがたは、何を見に野に来たのか。風に揺らぐ葦を
    見るためか。あなたがたの王やあなたがたの高官のような柔らかい着物をまと
    った人を見るためか。彼らは柔らかい着物をまとっている。そして、彼らは真
    理を知ることができないであろう”


79  群衆の中から一人の女が彼に言った。”あなたを宿した胎と、あなたが吸われ
    た乳房とは幸いです”。彼が彼女に言った。”父の言葉を聞いて、それを真実
    に守った人々は幸いである。なぜなら、あなたがたが、「はらまなかった胎と
    、ふくませなかった乳房とは幸いだ」と言う日が来るであろうから”


80  イエスは言われた。”この世を知った者は、身体を見出した。しかし、身体を
    見出した者に、この世はふさわしくない”


81  イエスは言われた。”裕福になった者は支配するように。力を持つ者は棄てる
    ように”


82  イエスは言われた。”私に近い者は火に近い。そして、私から遠い者は神の国か
    ら遠い”


83  イエスは言われた。”像(複数)は人間に現れている。それらの中にある光は
    父の光の像の中に隠されている。彼は現れるであろう。彼の像は光によって隠
されている”


84  イエスが言われた。”あなたがたがあなたがたの似像を見る日に、あなたがた
    は喜ぶ。しかしあなたがたが、あなたがた以前に生まれた−死にも現れもしな
    い−あなたがたの像(複数)を見るならば、どれほどあなたがたは耐えられる
    であろうか”


85  イエスは言われた。”アダムは大いなる力と大いなる富から成った。そしてそ
    れにもかかわらず、彼があなたがたにふさわしくならなかった。なぜなら、も
    し彼がふさわしくなったなら、彼は死を味わうことがなかったであろうから”


86  イエスは言われた。”狐にはその穴があり、鳥にはその巣がある。しかし、人
    の子には、その頭を傾け、安息する所がない”


87  イエスは言われた。”一つの身体によりかかってる身体はみじめである。そし
    て、この両方によりかかっている魂はみじめである”


88  イエスは言われた。”御使いたちと預言者たちがあなたがたのもとに来る。そ
    して、彼らはあなたがたにあなたがたに属するものを与えるであろう。そして
    、あなたがたもまた彼らに、あなたがたの手中にあるものを与える。そして、
    あなたがたは自らに、どの日に彼らが来て、彼らのものを受けるかを言う”


89  イエスは言われた。”なぜあなたがたは杯の外側を洗うのか。あなたがたは、
    内側を造った者が、また外側を造った者であることが分からないのか”


90  イエスは言われた。”私のもとに来なさい、私のくびきは負いやすく、私の支
    配は優しいからである。そして、あなたがたはあなたがた自身に安息を見出す
    であろう”


91  彼らが彼に言った。”あなたが誰であるかを私たちに言ってください。そうす
    れば私たちはあなたを信じます”彼が彼らに言った。”あなたがたは天地の模
    様を調べる。そしてあなたがたは、あなたがたの面前にあるものを知らなかっ
    た。そしてあなたがたは、この時を調べることを知らない”


92  イエスは言われた。”捜せ、そうすれば、見出すであろう。しかし、あなたが
    たが私にある日々に聞いたこと、そして当時私があなたがたに言わなかったこ
    と、それを今私は言おう。そして、あなたがたはそれを問うことがない”


93  イエスは言われた。”聖なるものを犬にやるな。彼らがそれを汚物に投げ入れ
    ないためである。真珠を豚に投げてやるな。彼らがそれをしないためである”


94  イエスは言われた。”捜す者は、見出すであろう。また門をたたく者は、開け
    てもらえるであろう”


95  イエスは言われた。”あなたがたがお金を持っているならば、利子をつけて与
    えてはならない。そうでなくて、あなたがたがそれを取り戻さなくてよい者に
    与えなさい”  


96  イエスは言われた。”父の国はある女のようなものである。彼女が少量のパン
    種を取って、粉の中に隠し、それを大きなパンにした。聞く耳ある者は聞くが
    よい”


97  イエスは言われた。”父の国は、粉を満たした壺を担い、ある遠い道を行く女
    のようなものである。壺の耳が壊れた。粉が彼女の後ろ、道に流れ落ちた。し
    かし、彼女はそれに気づかなかった。彼女は禍を知らなかったのである。彼女
    が家に着いたとき、彼女は壺を下に置き、それが空であることを発見した”


98  イエスは言われた。”父の国は、高官を殺そうとする人のようなものである。
    彼は自分の家で刀を抜き、自分の腕がやり遂げるかどうかを知るために、それ
    を壁に突き刺した。それから、彼は高官を殺した”


99  弟子たちがイエスに言った。”あなたの兄弟がたとあなたの母上が外に立って
    います”。彼が彼らに言った。”私の父の御旨を行なう、ここにいる者たちこ
    そ、私の兄弟、私の母なのである。彼らが私の父の国に入るであろう”


100 人々がイエスに金貨を示し、そして彼に言った。”カイサルの人々が私たちか
    ら貢を要求します”。彼が彼らに言った。”カイサルのものはカイサルに、神
    のものは神に返しなさい。そして、私のものは私に返しなさい”


101 イエスは言われた。”私のようにその父と母を憎まない者は、私の弟子である
    ことができないであろう。そして、私のようにその父とその母を愛することの
    ない者は、私の弟子であることができないであろう。なぜなら、私の母は偽り
    を与えた。しかし私の真実の母は私に命を与えた”


102 イエスは言われた。”彼らパリサイ人は災いである。なぜなら、彼らは、牛の
    まぐさ桶の中で寝ている犬のようなものだから。犬は食わないし、牛にも食わ
    せないからである”


103 イエスは言われた。”盗賊がどこに入って来るか分かっている人は幸いである
    。彼は、彼らが入って来る前に、起き上がり、自分の支配下にあるものを集め
    、腰に帯をしめている”


104 彼らが彼に言った。”来てください、今日は祈り、断食しましょう”。イエス
    が言った。”私が犯した罪とは一体何なのか。あるいは、私は何に負けたのか
    。しかし、花婿が花嫁の部屋から出てくるときには、そのときはいつでも彼ら
    は断食し、祈るべきである”


105 イエスは言われた。”父と母を知るであろう者は、娼婦の子と呼ばれるであろ
    う”


106 イエスは言われた。”もしあなたが二つのものを一つとするならば、あなたが
    たは人の子らとなるであろう。そして、あなたがたが、「山よ、移れ」と言う
    ならば、山は移るであろう”


107 イエスは言われた。”神の国は百匹の羊を持つ羊飼のようなものである。それら
    の中の一匹を捜した。彼は苦しみの果てに羊に言った、「私は九十九匹以上に
    お前を愛する」と”


108 イエスは言われた。”私の口から飲む者は私のようになるであろう。そして、
    私もまたその者になるであろう。そして、隠されていたものがその者に現れる
    であろう”


109 イエスは言われた。”神の国はその畑に宝をもっている人のようなものである。
    それ(宝)は隠されており、それについて彼は何も知らない。そして、彼が死
    んだときに、彼はそれを自分の息子に残した。彼の息子もまた何も知らなかっ
    た。彼はその畑を受け取り、それを売った。そして、買い取った人が来て、耕
    作しているときに、宝を発見した。彼はお金を、彼が欲した人々に、利子付き
    で貸し始めた”


110 イエスは言われた。”この世を見出し、裕福になった者は、この世を棄てるよ
    うに”


111 イエスは言われた。”天は巻き上げられるであろう。そして地もまた、あなた
    がたの前で。そして、生ける者から生きる者は死を見ないであろう”−イエス
    は言っていないか。”自己自身を見出す者に、この世はふさわしくない”と。


112 イエスは言われた。”魂によりかかっている肉体は災いである。肉体によりか
    かっている魂は災いである”


113 彼の弟子たちが彼に言った。”どの日に神の国は来るのでしょうか”。彼が言っ
    た。”それは、待ち望んでいるうちは来るものではない。「見よ、ここにある
    」、あるいは、「見よ、あそこにある」などとも言えない。そうではなくて、
    父の国は地上に拡がっている。そして、人々はそれを見ない”


114 シモン・ペテロが彼らに言った。”マリハムはわたしたちのもとから去った方
    がよい。女たちは命に値しないからである”。イエスは言われた。”見よ、私
    は彼女を天の国へ導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あ
    なたがた男たちに似る生ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女
    らが自分を男性にするならば、天の国に入るであろうから”

http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html

 

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01. 2010年8月14日 08:01:46: MiKEdq2F3Q

The Gospel of Thomas


These are the secret sayings which the living Jesus spoke and which Didymos Judas Thomas wrote down.


(1) And he said, "Whoever finds the interpretation of these sayings will not experience death."

(2) Jesus said, "Let him who seeks continue seeking until he finds. When he finds, he will become troubled. When he becomes troubled, he will be astonished, and he will rule over the All."

(3) Jesus said, "If those who lead you say to you, 'See, the kingdom is in the sky,' then the birds of the sky will precede you. If they say to you, 'It is in the sea,' then the fish will precede you. Rather, the kingdom is inside of you, and it is outside of you. When you come to know yourselves, then you will become known, and you will realize that it is you who are the sons of the living father. But if you will not know yourselves, you dwell in poverty and it is you who are that poverty."

(4) Jesus said, "The man old in days will not hesitate to ask a small child seven days old about the place of life, and he will live. For many who are first will become last, and they will become one and the same."

(5) Jesus said, "Recognize what is in your sight, and that which is hidden from you will become plain to you . For there is nothing hidden which will not become manifest."

(6) His disciples questioned him and said to him, "Do you want us to fast? How shall we pray? Shall we give alms? What diet shall we observe?"
Jesus said, "Do not tell lies, and do not do what you hate, for all things are plain in the sight of heaven. For nothing hidden will not become manifest, and nothing covered will remain without being uncovered."

(7) Jesus said, "Blessed is the lion which becomes man when consumed by man; and cursed is the man whom the lion consumes, and the lion becomes man."

(8) And he said, "The man is like a wise fisherman who cast his net into the sea and drew it up from the sea full of small fish. Among them the wise fisherman found a fine large fish. He threw all the small fish back into the sea and chose the large fish without difficulty. Whoever has ears to hear, let him hear."

(9) Jesus said, "Now the sower went out, took a handful (of seeds), and scattered them. Some fell on the road; the birds came and gathered them up. Others fell on the rock, did not take root in the soil, and did not produce ears. And others fell on thorns; they choked the seed(s) and worms ate them. And others fell on the good soil and it produced good fruit: it bore sixty per measure and a hundred and twenty per measure."

(10) Jesus said, "I have cast fire upon the world, and see, I am guarding it until it blazes."

(11) Jesus said, "This heaven will pass away, and the one above it will pass away. The dead are not alive, and the living will not die. In the days when you consumed what is dead, you made it what is alive. When you come to dwell in the light, what will you do? On the day when you were one you became two. But when you become two, what will you do?"

(12) The disciples said to Jesus, "We know that you will depart from us. Who is to be our leader?"
Jesus said to them, "Wherever you are, you are to go to James the righteous, for whose sake heaven and earth came into being."

(13) Jesus said to his disciples, "Compare me to someone and tell me whom I am like."
Simon Peter said to him, "You are like a righteous angel."
Matthew said to him, "You are like a wise philosopher."
Thomas said to him, "Master, my mouth is wholly incapable of saying whom you are like."
Jesus said, "I am not your master. Because you have drunk, you have become intoxicated from the bubbling spring which I have measured out."
And he took him and withdrew and told him three things. When Thomas returned to his companions, they asked him, "What did Jesus say to you?"
Thomas said to them, "If I tell you one of the things which he told me, you will pick up stones and throw them at me; a fire will come out of the stones and burn you up."

(14) Jesus said to them, "If you fast, you will give rise to sin for yourselves; and if you pray, you will be condemned; and if you give alms, you will do harm to your spirits. When you go into any land and walk about in the districts, if they receive you, eat what they will set before you, and heal the sick among them. For what goes into your mouth will not defile you, but that which issues from your mouth - it is that which will defile you."

(15) Jesus said, "When you see one who was not born of woman, prostrate yourselves on your faces and worship him. That one is your father."

(16) Jesus said, "Men think, perhaps, that it is peace which I have come to cast upon the world. They do not know that it is dissension which I have come to cast upon the earth: fire, sword, and war. For there will be five in a house: three will be against two, and two against three, the father against the son, and the son against the father. And they will stand solitary."

(17) Jesus said, "I shall give you what no eye has seen and what no ear has heard and what no hand has touched and what has never occurred to the human mind."

(18) The disciples said to Jesus, "Tell us how our end will be."
Jesus said, "Have you discovered, then, the beginning, that you look for the end? For where the beginning is, there will the end be. Blessed is he who will take his place in the beginning; he will know the end and will not experience death."

(19) Jesus said, "Blessed is he who came into being before he came into being. If you become my disciples and listen to my words, these stones will minister to you. For there are five trees for you in Paradise which remain undisturbed summer and winter and whose leaves do not fall. Whoever becomes acquainted with them will not experience death."

(20) The disciples said to Jesus, "Tell us what the kingdom of heaven is like."
He said to them, "It is like a mustard seed. It is the smallest of all seeds. But when it falls on tilled soil, it produces a great plant and becomes a shelter for birds of the sky."

(21) Mary said to Jesus, "Whom are your disciples like?"
He said, "They are like children who have settled in a field which is not theirs. When the owners of the field come, they will say, 'Let us have back our field.' They (will) undress in their presence in order to let them have back their field and to give it back to them. Therefore I say, if the owner of a house knows that the thief is coming, he will begin his vigil before he comes and will not let him dig through into his house of his domain to carry away his goods. You, then, be on your guard against the world. Arm yourselves with great strength lest the robbers find a way to come to you, for the difficulty which you expect will (surely) materialize. Let there be among you a man of understanding. When the grain ripened, he came quickly with his sickle in his hand and reaped it. Whoever has ears to hear, let him hear."

(22) Jesus saw infants being suckled. He said to his disciples, "These infants being suckled are like those who enter the kingdom."
They said to him, "Shall we then, as children, enter the kingdom?"
Jesus said to them, "When you make the two one, and when you make the inside like the outside and the outside like the inside, and the above like the below, and when you make the male and the female one and the same, so that the male not be male nor the female female; and when you fashion eyes in the place of an eye, and a hand in place of a hand, and a foot in place of a foot, and a likeness in place of a likeness; then will you enter the kingdom."

(23) Jesus said, "I shall choose you, one out of a thousand, and two out of ten thousand, and they shall stand as a single one."

(24) His disciples said to him, "Show us the place where you are, since it is necessary for us to seek it."
He said to them, "Whoever has ears, let him hear. There is light within a man of light, and he lights up the whole world. If he does not shine, he is darkness."

(25) Jesus said, "Love your brother like your soul, guard him like the pupil of your eye."

(26) Jesus said, "You see the mote in your brother's eye, but you do not see the beam in your own eye. When you cast the beam out of your own eye, then you will see clearly to cast the mote from your brother's eye."

(27) "If you do not fast as regards the world, you will not find the kingdom. If you do not observe the Sabbath as a Sabbath, you will not see the father."

(28) Jesus said, "I took my place in the midst of the world, and I appeared to them in flesh. I found all of them intoxicated; I found none of them thirsty. And my soul became afflicted for the sons of men, because they are blind in their hearts and do not have sight; for empty they came into the world, and empty too they seek to leave the world. But for the moment they are intoxicated. When they shake off their wine, then they will repent."

(29) Jesus said, "If the flesh came into being because of spirit, it is a wonder. But if spirit came into being because of the body, it is a wonder of wonders. Indeed, I am amazed at how this great wealth has made its home in this poverty."

(30) Jesus said, "Where there are three gods, they are gods. Where there are two or one, I am with him."

(31) Jesus said, "No prophet is accepted in his own village; no physician heals those who know him."

(32) Jesus said, "A city being built on a high mountain and fortified cannot fall, nor can it be hidden."

(33) Jesus said, "Preach from your housetops that which you will hear in your ear. For no one lights a lamp and puts it under a bushel, nor does he put it in a hidden place, but rather he sets it on a lampstand so that everyone who enters and leaves will see its light."

(34) Jesus said, "If a blind man leads a blind man, they will both fall into a pit."

(35) Jesus said, "It is not possible for anyone to enter the house of a strong man and take it by force unless he binds his hands; then he will (be able to) ransack his house."

(36) Jesus said, "Do not be concerned from morning until evening and from evening until morning about what you will wear."

(37) His disciples said, "When will you become revealed to us and when shall we see you?"
Jesus said, "When you disrobe without being ashamed and take up your garments and place them under your feet like little children and tread on them, then will you see the son of the living one, and you will not be afraid"

(38) Jesus said, "Many times have you desired to hear these words which I am saying to you, and you have no one else to hear them from. There will be days when you will look for me and will not find me."

(39) Jesus said, "The pharisees and the scribes have taken the keys of knowledge (gnosis) and hidden them. They themselves have not entered, nor have they allowed to enter those who wish to. You, however, be as wise as serpents and as innocent as doves."

(40) Jesus said, "A grapevine has been planted outside of the father, but being unsound, it will be pulled up by its roots and destroyed."

(41) Jesus said, "Whoever has something in his hand will receive more, and whoever has nothing will be deprived of even the little he has."

(42) Jesus said, "Become passers-by."

(43) His disciples said to him, "Who are you, that you should say these things to us?"
"You do not realize who I am from what I say to you, but you have become like the Jews, for they (either) love the tree and hate its fruit (or) love the fruit and hate the tree."

(44) Jesus said, "Whoever blasphemes against the father will be forgiven, and whoever blasphemes against the son will be forgiven, but whoever blasphemes against the holy spirit will not be forgiven either on earth or in heaven."

(45) Jesus said, "Grapes are not harvested from thorns, nor are figs gathered from thistles, for they do not produce fruit. A good man brings forth good from his storehouse; an evil man brings forth evil things from his evil storehouse, which is in his heart, and says evil things. For out of the abundance of the heart he brings forth evil things."

(46) Jesus said, "Among those born of women, from Adam until John the Baptist, there is no one so superior to John the Baptist that his eyes should not be lowered (before him). Yet I have said, whichever one of you comes to be a child will be acquainted with the kingdom and will become superior to John."

(47) Jesus said, "It is impossible for a man to mount two horses or to stretch two bows. And it is impossible for a servant to serve two masters; otherwise, he will honor the one and treat the other contemptuously. No man drinks old wine and immediately desires to drink new wine. And new wine is not put into old wineskins, lest they burst; nor is old wine put into a new wineskin, lest it spoil it. An old patch is not sewn onto a new garment, because a tear would result."

(48) Jesus said, "If two make peace with each other in this one house, they will say to the mountain, 'Move Away,' and it will move away."

(49) Jesus said, "Blessed are the solitary and elect, for you will find the kingdom. For you are from it, and to it you will return."

(50) Jesus said, "If they say to you, 'Where did you come from?', say to them, 'We came from the light, the place where the light came into being on its own accord and established itself and became manifest through their image.' If they say to you, 'Is it you?', say, 'We are its children, we are the elect of the living father.' If they ask you, 'What is the sign of your father in you?', say to them, 'It is movement and repose.'"

(51) His disciples said to him, "When will the repose of the dead come about, and when will the new world come?"
He said to them, "What you look forward to has already come, but you do not recognize it."

(52) His disciples said to him, "Twenty-four prophets spoke in Israel, and all of them spoke in you."
He said to them, "You have omitted the one living in your presence and have spoken (only) of the dead."

(53) His disciples said to him, "Is circumcision beneficial or not?"
He said to them, "If it were beneficial, their father would beget them already circumcised from their mother. Rather, the true circumcision in spirit has become completely profitable."

(54) Jesus said, "Blessed are the poor, for yours is the kingdom of heaven."

(55) Jesus said, "Whoever does not hate his father and his mother cannot become a disciple to me. And whoever does not hate his brothers and sisters and take up his cross in my way will not be worthy of me."

(56) Jesus said, "Whoever has come to understand the world has found (only) a corpse, and whoever has found a corpse is superior to the world."

(57) Jesus said, "The kingdom of the father is like a man who had good seed. His enemy came by night and sowed weeds among the good seed. The man did not allow them to pull up the weeds; he said to them, 'I am afraid that you will go intending to pull up the weeds and pull up the wheat along with them.' For on the day of the harvest the weeds will be plainly visible, and they will be pulled up and burned."

(58) Jesus said, "Blessed is the man who has suffered and found life."

(59) Jesus said, "Take heed of the living one while you are alive, lest you die and seek to see him and be unable to do so."

(60) a Samaritan carrying a lamb on his way to Judea. He said to his disciples, "That man is round about the lamb."
They said to him, "So that he may kill it and eat it."
He said to them, "While it is alive, he will not eat it, but only when he has killed it and it has become a corpse."
They said to him, "He cannot do so otherwise."
He said to them, "You too, look for a place for yourself within repose, lest you become a corpse and be eaten."

(61) Jesus said, "Two will rest on a bed: the one will die, and the other will live."
Salome said, "Who are you, man, that you ... have come up on my couch and eaten from my table?"
Jesus said to her, "I am he who exists from the undivided. I was given some of the things of my father."
"I am your disciple."
"Therefore I say, if he is destroyed, he will be filled with light, but if he is divided, he will be filled with darkness."

(62) Jesus said, "It is to those who are worthy of my mysteries that I tell my mysteries. Do not let your left (hand) know what your right (hand) is doing."

(63) Jesus said, "There was a rich man who had much money. He said, 'I shall put my money to use so that I may sow, reap, plant, and fill my storehouse with produce, with the result that I shall lack nothing.' Such were his intentions, but that same night he died. Let him who has ears hear."

(64) Jesus said, "A man had received visitors. And when he had prepared the dinner, he sent his servant to invite the guests.
He went to the first one and said to him, 'My master invites you.' He said, 'I have claims against some merchants. They are coming to me this evening. I must go and give them my orders. I ask to be excused from the dinner.'
He went to another and said to him, 'My master has invited you.' He said to him, 'I have just bought a house and am required for the day. I shall not have any spare time.'
He went to another and said to him, 'My master invites you.' He said to him, 'My friend is going to get married, and I am to prepare the banquet. I shall not be able to come. I ask to be excused from the dinner.'
He went to another and said to him, 'My master invites you.' He said to him, 'I have just bought a farm, and I am on my way to collect the rent. I shall not be able to come. I ask to be excused.'
The servant returned and said to his master, 'Those whom you invited to the dinner have asked to be excused.' The master said to his servant, 'Go outside to the streets and bring back those whom you happen to meet, so that they may dine.' Businessmen and merchants will not enter the places of my father."

(65) He said, "There was a good man who owned a vineyard. He leased it to tenant farmers so that they might work it and he might collect the produce from them. He sent his servant so that the tenants might give him the produce of the vineyard. They seized his servant and beat him, all but killing him. The servant went back and told his master. The master said, 'Perhaps he did not recognize them.' He sent another servant. The tenants beat this one as well. Then the owner sent his son and said, 'Perhaps they will show respect to my son.' Because the tenants knew that it was he who was the heir to the vineyard, they seized him and killed him. Let him who has ears hear."

(66) Jesus said, "Show me the stone which the builders have rejected. That one is the cornerstone."

(67) Jesus said, "If one who knows the all still feels a personal deficiency, he is completely deficient."

(68) Jesus said, "Blessed are you when you are hated and persecuted. Wherever you have been persecuted they will find no place."

(69) Jesus said, "Blessed are they who have been persecuted within themselves. It is they who have truly come to know the father. Blessed are the hungry, for the belly of him who desires will be filled."

(70) Jesus said, "That which you have will save you if you bring it forth from yourselves. That which you do not have within you will kill you if you do not have it within you."

(71) Jesus said, "I shall destroy this house, and no one will be able to build it [...]."

(72) A man said to him, "Tell my brothers to divide my father's possessions with me."
He said to him, "O man, who has made me a divider?"
He turned to his disciples and said to them, "I am not a divider, am I?"

(73) Jesus said, "The harvest is great but the laborers are few. Beseech the Lord, therefore, to send out laborers to the harvest."

(74) He said, "O Lord, there are many around the drinking trough, but there is nothing in the cistern."

(75) Jesus said, "Many are standing at the door, but it is the solitary who will enter the bridal chamber."

(76) Jesus said, "The kingdom of the father is like a merchant who had a consignment of merchandise and who discovered a pearl. That merchant was shrewd. He sold the merchandise and bought the pearl alone for himself. You too, seek his unfailing and enduring treasure where no moth comes near to devour and no worm destroys."

(77) Jesus said, "It is I who am the light which is above them all. It is I who am the all. From me did the all come forth, and unto me did the all extend. Split a piece of wood, and I am there. Lift up the stone, and you will find me there."

(78) Jesus said, "Why have you come out into the desert? To see a reed shaken by the wind? And to see a man clothed in fine garments like your kings and your great men? Upon them are the fine garments, and they are unable to discern the truth."

(79) A woman from the crowd said to him, "Blessed are the womb which bore you and the breasts which nourished you."
He said to her, "Blessed are those who have heard the word of the father and have truly kept it. For there will be days when you will say, 'Blessed are the womb which has not conceived and the breasts which have not given milk.'"

(80) Jesus said, "He who has recognized the world has found the body, but he who has found the body is superior to the world."

(81) Jesus said, "Let him who has grown rich be king, and let him who possesses power renounce it."

(82) Jesus said, "He who is near me is near the fire, and he who is far from me is far from the kingdom."

(83) Jesus said, "The images are manifest to man, but the light in them remains concealed in the image of the light of the father. He will become manifest, but his image will remain concealed by his light."

(84) Jesus said, "When you see your likeness, you rejoice. But when you see your images which came into being before you, and which neither die not become manifest, how much you will have to bear!"

(85) Jesus said, "Adam came into being from a great power and a great wealth, but he did not become worthy of you. For had he been worthy, he would not have experienced death."

(86) Jesus said, "The foxes have their holes and the birds have their nests, but the son of man has no place to lay his head and rest."

(87) Jesus said, "Wretched is the body that is dependant upon a body, and wretched is the soul that is dependent on these two."

(88) Jesus said, "The angels and the prophets will come to you and give to you those things you (already) have. And you too, give them those things which you have, and say to yourselves, 'When will they come and take what is theirs?'"

(89) Jesus said, "Why do you wash the outside of the cup? Do you not realize that he who made the inside is the same one who made the outside?"

(90) Jesus said, "Come unto me, for my yoke is easy and my lordship is mild, and you will find repose for yourselves."

(91) They said to him, "Tell us who you are so that we may believe in you."
He said to them, "You read the face of the sky and of the earth, but you have not recognized the one who is before you, and you do not know how to read this moment."

(92) Jesus said, "Seek and you will find. Yet, what you asked me about in former times and which I did not tell you then, now I do desire to tell, but you do not inquire after it."

(93) "Do not give what is holy to dogs, lest they throw them on the dung-heap. Do not throw the pearls to swine, lest they [...] it [...]."

(94) Jesus said, "He who seeks will find, and he who knocks will be let in."

(95) Jesus said, "If you have money, do not lend it at interest, but give it to one from whom you will not get it back."

(96) Jesus said, "The kingdom of the father is like a certain woman. She took a little leaven, concealed it in some dough, and made it into large loaves. Let him who has ears hear."

(97) Jesus said, "The kingdom of the father is like a certain woman who was carrying a jar full of meal. While she was walking on the road, still some distance from home, the handle of the jar broke and the meal emptied out behind her on the road. She did not realize it; she had noticed no accident. When she reached her house, she set the jar down and found it empty."

(98) Jesus said, "The kingdom of the father is like a certain man who wanted to kill a powerful man. In his own house he drew his sword and stuck it into the wall in order to find out whether his hand could carry through. Then he slew the powerful man."

(99) The disciples said to him, "Your brothers and your mother are standing outside."
He said to them, "Those here who do the will of my father are my brothers and my mother. It is they who will enter the kingdom of my father."

(100) They showed Jesus a gold coin and said to him, "Caesar's men demand taxes from us."
He said to them, "Give Caesar what belongs to Caesar, give God what belongs to God, and give me what is mine."

(101) "Whoever does not hate his father and his mother as I do cannot become a disciple to me. And whoever does not love his father and his mother as I do cannot become a disciple to me. For my mother [...], but my true mother gave me life."

(102) Jesus said, "Woe to the pharisees, for they are like a dog sleeping in the manger of oxen, for neither does he eat nor does he let the oxen eat."

(103) Jesus said, "Fortunate is the man who knows where the brigands will enter, so that he may get up, muster his domain, and arm himself before they invade."

(104) They said to Jesus, "Come, let us pray today and let us fast."
Jesus said, "What is the sin that I have committed, or wherein have I been defeated? But when the bridegroom leaves the bridal chamber, then let them fast and pray."

(105) Jesus said, "He who knows the father and the mother will be called the son of a harlot."

(106) Jesus said, "When you make the two one, you will become the sons of man, and when you say, 'Mountain, move away,' it will move away."

(107) Jesus said, "The kingdom is like a shepherd who had a hundred sheep. One of them, the largest, went astray. He left the ninety-nine sheep and looked for that one until he found it. When he had gone to such trouble, he said to the sheep, 'I care for you more than the ninety-nine.'"

(108) Jesus said, "He who will drink from my mouth will become like me. I myself shall become he, and the things that are hidden will be revealed to him."

(109) Jesus said, "The kingdom is like a man who had a hidden treasure in his field without knowing it. And after he died, he left it to his son. The son did not know (about the treasure). He inherited the field and sold it. And the one who bought it went plowing and found the treasure. He began to lend money at interest to whomever he wished."

(110) Jesus said, "Whoever finds the world and becomes rich, let him renounce the world."

(111) Jesus said, "The heavens and the earth will be rolled up in your presence. And the one who lives from the living one will not see death." Does not Jesus say, "Whoever finds himself is superior to the world?"

(112) Jesus said, "Woe to the flesh that depends on the soul; woe to the soul that depends on the flesh."

(113) His disciples said to him, "When will the kingdom come?"
"It will not come by waiting for it. It will not be a matter of saying 'here it is' or 'there it is.' Rather, the kingdom of the father is spread out upon the earth, and men do not see it."

(114) Simon Peter said to him, "Let Mary leave us, for women are not worthy of life."
Jesus said, "I myself shall lead her in order to make her male, so that she too may become a living spirit resembling you males. For every woman who will make herself male will enter the kingdom of heaven."


http://www.gnosis.org/naghamm/gthlamb.html


02. 2011年7月22日 14:20:47: MiKEdq2F3Q


荒井献 「トマスによる福音書」から引用


(3)


「御国はあなたがたの只中にある。そして、それはあなたがたの外にある。

あなたがたがあなたがた自身を知るときに、そのときにあなたがたは知られるであろう。

そして、あなたがたは知るであろう、あなたがたが父の子らであることを。

しかし、あなたがたがあなたがた自身を知らないなら、あなたがたは貧困にあり、そして――貧困である。」

人々を貧困にしているのは誰か。そして、われわれの多くがいまだに貧困にある。

(イスラーム神秘主義では、神の御前に貧困=ファキール−となる

貧しき者(ファキール) = 心に神のみをおもう者

http://emikikuchi.exblog.jp/850436


(14)


「あなたがたの口に入っていくものは、あなたがたを汚さないであろうから。

しかし、あなたがたの口から出てくるものは、あなたがたを汚すものである」

(26)

「あなたが自分の目にある塵を取りのぞけば、そうすればあなたは(はっきり)見えるようになって、兄弟の目から塵を取りのけることができるであろう」


(34)


「もし盲人が盲人を導くなら、二人とも穴に落ち込むであろう」

(シェイフ参照
http://emikikuchi.exblog.jp/i154/)


(22)


「あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、

――男と女を一人(単独者)にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にするならば、

――一つの目、手、足、像の代わりに一つの目、手、足、像をつくるときに、そのときにあなたがたは、(御国に)入るであろう」

(39)


「パリサイ人や律法学者たちは知識の鍵を受けたが、それを隠した。

彼らも入らないばかりか、入ろうとする人々をそうさせなかった。

しかしあなたがたは、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」

(42)


「過ぎ去り行く者となりなさい。」


(46)


「アダムからバプテスマのヨハネに至るまで、ヨハネより大いなる者はいない。

あなたがたの中で小さくなろう者が、御国を知り、ヨハネより大いなる者となるであろう。」


(48)


「二人の者が同じ家でお互いに平和を保つならば、山に向かって、「移れ」と言えば、移るであろう。」


(52)


「あなたがたはあなたがたの御前で生きている者を捨て去り、死人たちを語った。」


(59)

「あなたがたが生きている間に、生ける者を注視しなさい。

あなたがたが死なないように。

そして、あなたがたが彼を見ようとしても、見ることができないであろう。」


(60)

「あなたがたが屍になって食われないように、あなたがたも自分のために安息のうちに場所を求めなさい。」


「「主はまず死んで、(それから)よみがえった」と言う者は間違っている。

なぜなら、彼はまず復活し、(それから)死んだからである。

もしある者がまず復活を得ないなら、彼は死なないであろう。」

(「ピリポ福音書」22)


(67)

「すべてを知っていて、自己に欠けている者は、すべてのところに欠けている」

(68)


「あなたがたが憎まれ、迫害されるならば、あなたがたは幸いである。

そしてあなたがたが迫害された場は見出されないであろう」

(69)


「飢えている人たちは幸いである。

欲する者の腹は満たされるであろう」


(70)


「あなたがたがあなたがたの中にそれを生み出すならば、――あなたがたを救うであろう。

――それを持たないならば、――あなたがたを殺すであろう」

(74)


「主よ、泉の周りには多くの人々がおりますが、泉の中には誰もおりません」

(76)


「衣蛾が近寄って食わず、虫が食いつくさぬ所に、朽ちず尽きることのない宝を求めなさい」


(77)

「木を割りなさい。私はそこにいる。

石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう」


(78)


「あなたがたは、何を見に野に来たのか。

柔らかい着物をまとった人を見るためか。

彼らは柔らかい着物をまとっている。

そして、彼らは真理を知ることができないで{あろう}」


(79)


「はらませなかった胎と、ふくませなかった乳房とは幸いだ」と言う日が来るであろうから」

(82)

「私に近いものは火に近い。――遠い者は御国から遠い」


(83)

「像(複数)は人間に現れている。

それらの中にある光は父の光の象の中に隠されている。

彼は現れるであろう。彼の像は光によって隠されている」


(87)


「一つの身体に寄りかかっている身体はみじめである。

そして、この両方に寄りかかっている魂はみじめである」

(89)

「御使いたちと預言者たち があなたがたのもとに来る。

――あなたがたに属するものを与えるであろう。

――あなたがたもまた、――手中にあるものを与える。

そして、――自らに、どの日に彼らが来て、彼らのものを受けるかを言う。」

「なぜあなたがたは杯の外側を洗うのか。

――内側を作った者が、また外側も作ったものであることがわからないのか」

(93)


「聖なるものを犬にやるな。真珠に豚を投げてやるな。」

(94)


「探す者は、見出すであろう。(また、門をたたく者は、)開けてもらえるであろう。」

(113)


「「どの日に御国は来るのでしょうか。」

「それは待ち望んでいるうちはくるものではない。」」

(114)

「見よ、私は彼女を(天国へ)導くであろう。」


(5)


「あなたの目の前にあるものを知りなさい。

そうすれば、あなたに隠されているものはあなたに現れるであろう。

なぜなら、隠されているもので、あらわにならないものはないからである。」


(18)


「はじめのあるところに終わりがある。」


(グノーシス者にとって終末とは「始源」 荒井献)

(18)


「あなたがたは一体、終わりを求めるために、はじめを見出したのか。

なぜなら、はじめのあるところに、そこに終わりがあるであろうから。

始めに立つであろう者は幸いである。

そうすれば、彼は終わりを知るであろう。

そして死を味わうことがないであろう」


(19)


「成った前に在った者は幸いである」


(「存在」が「当為」に先行する

覚知者は、「二人の主人(至高なる「父」と創造神)に兼ね仕えることはできない」のである。


「父にして母」の至高者

荒井献のグノーシス者への解説)


http://emikikuchi.exblog.jp/i40


03. 2011年7月22日 14:46:24: MiKEdq2F3Q

イエスは乳を与えられている小さな者たちを見た。

彼は彼の弟子たちに言った。


「乳を与えられているこの小さな者たちは、王国に入る人々のようなものだ」。


彼らは彼に言った、

「私たちが小さければ、王国に入るのでしょうか」。

イエスが彼らに言った、

「あなたがたが、二つのものを一つにし、

内を外のように、外を内のように、

上を下のようにするとき、

あなたがたが、男と女を一人にして、男を男でないように、女を女でないようにするならば、

― そのときにあなたがたは[王国に]入るであろう」。

(荒井献訳 ナグ・ハマディ文書U 「トマスによる福音書」22)


イエス、子たちが乳をふくむのを見て弟子たちに言う


「乳をふくむこの子らこそ〈王国〉に入る者のようだ」


弟子たち、イエスに言う

「では私たちは子供らであって〈王国〉に入るのですか?」


イエス、彼らに言う


「あなたがたが二つを一つとなすとき

内なるものを外なるものと外なるものを内なるものと上なるものを下なるものとなすとき

そしてあなたがたが雄性(おとこ)なるものと雌性(おんな)なるものを

おとこはおとこではなくおんなはおんなでなくなるようにひとつ単一なるものとなすとき

そのときにあなたがたは〈王国〉に入る―」

(和尚ラジニーシ著 マ・アナンド・ナルタン訳 
「愛の錬金術―隠されてきたキリスト(上巻)」)

http://mahachohan81.blog133.fc2.com/?tag=%C5%B7%B9%F1%A4%CB%C6%FE%A4%EB%A4%BF%A4%E1%A4%CE%C9%AC%CD%D7%BE%F2%B7%EF


シモン・ペテロ彼らに言う。

マリアを我らより離れしめよ。

女は生命の価値なかりければ。


ペテロは言った。

「マリアを私たちの間から出てゆかせよう。

女性は〈生〉に値しないのだから」

                       
イエス言いたもう。

見よ。我マリアを導きて、マリアを男となさん。

マリアまた、汝ら男たちのごとく命ある霊となりぬべし。

おのれを男とせし女らみな、天国に入ることを得たればなり。 


イエス、言う。

「見ていなさい。私が彼女を導く。

彼女を男性にし、彼女もまたあなたがた男性と同じように生ける精霊となることができるように。

なぜなら、自らを男性となす女性はすべて天国〈王国〉に入るからである」

http://mahachohan81.blog133.fc2.com/?tag=%A5%A4%A5%A8%A5%B9%A4%AC%B8%C0%A4%C3%A4%BF%A1%D6%BD%F7%C0%AD%A4%F2%C3%CB%C0%AD%A4%CB%A4%B9%A4%EB%A1%D7%A4%C8%A4%A4%A4%A6%B0%D5%CC%A3

イエス、言う。

「選ばれて独り立つ者は幸いである。

その人は〈王国〉を見出すだろう。

なぜなら、人はそこから出てきて、ふたたびそこに戻ることになるからだ」  

(マ・アナンド・ナルタン〈中沢藤胡〉訳版「トマスの福音書」より)

http://mahachohan81.blog133.fc2.com/?tag=%C3%B1%C6%C8%BC%D4%A4%C8%A4%CA%A4%EB%A4%B3%A4%C8

イエス、言う。

「人々は、私が世界に平和をもたらすためにやってきたと思っているかもしれない。

彼らは、私が地上に分裂を、火を、剣を、闘いをもたらすために来たことは知らない」

http://mahachohan81.blog133.fc2.com/?tag=%C5%B7%B9%F1%A4%CB%C6%FE%A4%EB%A4%BF%A4%E1%A4%CE%C9%AC%CD%D7%BE%F2%B7%EF



04. 2014年5月29日 21:04:21 : Lo8eqPLQUA
Au pire des cas, nous virerons vers un terrain bonsouple qui ne drangera en rien les chevaux ayant une aptitude au bon terrain. Comme souvent lorsquune runion de galop est choisie pour tre lattraction<a href

5. 中川隆[-9244] koaQ7Jey 2019年7月06日 14:23:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3440] 報告

聖トマスについて 野口幹夫
(1997年9月から98年1月にかけて、茅ヶ崎教会「使徒による宣教の研究会」で発表
http://kozu5.my.coocan.jp/HPJesus/thomas.htm

一、聖トマスと私


 私の洗礼名はトマス。ためらいもなくこの名をいただいたのは、ヨハネの二〇章の次の場面による。

ヨハネ 第二〇章

24 十二弟子のひとりデドモと呼ばれるトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一しょにいなかった.

25 ほかの弟子たちが,彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと,トマスは彼らに言った,「わたしはその手に釘あとを見,わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ決して信じない」

26 八日ののち,イエスの弟子たちは、また家の内におリ,トマスも一緒にいた.戸は閉ざされていたが,イエスははいってこられ,中に立って「安かれ」と言われた。

27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になリなさい」

28 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ,わが神よ」 

29 イエスは彼に言われた,「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信する者ば、幸いである。」

 彼の頑固におろかしいところに共感したからである。この節はそんな縁で繰り返し読むが、その都度いろんな思いが湧く。

 何故トマスは皆の集まりの時にいなかったのか。彼は大工であったとされているが、イエスの死後再び大工の仕事に戻っていたのか。ペテロも魚師に戻っていたではないか。

 トマスは悔しかったにちがいない。イエスが皆の前に姿を現わされて何故自分にはお姿を見せられなかったのか。昔はイエスも同じ大工の仲ではないか。そんな鬱積した気持ちがあの頑固な言葉をはかせたのかもしれない。しかし彼の本心は違った。本当にあのイエスの復活を信じたかった。

 『八日ののち』にと聖書は述べる。その一週間トマスの憂鬱は続いた。イエスはいつでもよかった。しかし一週間イエスは我が友トマスの憂鬱を楽しんでおられた。そして頃合を見て彼の前に姿を現わされた。そして彼の頑固な言葉を口まねして語られたとき、イエスは笑っておられたはずである。良く聖書の仲でイエスは笑われたことがあるかという話しがある。私はこの場面こそイエスのユーモアと笑いを見る。頑固のトマスは喜びにうちふるえる。そしてただ『我が主、我が神、』というのが精一杯でくずれ伏したに違いない。

 この場面はそんな想像をして、興味にかられるのである。

 「信じない者にならないで、信じる者になリなさい。あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信する者ば、幸いである。」ともイエスがいわれたとあるが、イエスとトマスの関係や、その状況からすれば、そんな説教っぽい言葉が語られる筈もない。

 福音者ヨハネが、イエスをまだ知らない人々への宣教を容易にするために、付け加えた言葉であろう。確かにその時代その場所から遠く離れた我々には、その言葉も意味深いものである。

 二、聖トマスについてブリタニカの紹介

 名前の意味は双子 ヨハネ(六ー一六)ディドモと呼ばれるも双子の意味
エウセビウスによれば、彼はエデッサのパルティア出身の宣教師としている。エデッサ には彼の遺骨が保存されている。この遺骨はインドからエデッサにもたらされたと伝承されている。

トマス行録によれば、聖トマスはインドに布教し殉教したと伝えている。このトマス行録はシリアで作られ、内容が歴史的に正しいかどうかは異論もあるが、シリア文学の最古のものであることは確かである。四世紀にはギリシャ語に翻訳され、ついでラテン語にも翻訳された。しかし当時から、マニ教の文書と共にもちこまれ、宣教旅行はあったとしても、その宣教言葉はマニ教の影響があり、アウグスチヌスにより異端とされた。そのような次第でラテン語の翻訳書には彼の言葉はほとんど載っていない。原文はシナイで発見される四〜五世紀の羊皮紙に断片があるのみである。

トマス行録はユーフラテスの東の諸国に伝えられた初代キリスト教の代表的なものである。それは禁欲的なもので、結婚は避けるべきで、現世的なことへの没頭は勧めない。聖撒はパンと水のみで行う。主の祈りは同じである。
彼はJudas Thomas とされ、その名前からJesus Christ と双子であるとの説があった。

聖トマスの名前は古代の南インドのキリスト教会によく使われている。これはトマス行録に結び付けたことによるものである。伝説によれば聖トマスはマラバール(南西海岸)にキリスト教会をたて、ついで大陸を横断してミラプール(現在のマドラス郊外)で殉教した。そこに墓地があり、一五四七年ポルトガル宣教師によって再建された。そこには聖トマス教会があり、七世紀のパーラビ語が記された十字架がある。

現在残されている文献によって、五五〇年以前のペルシャ起源のキリスト教ネストリア信条が、セイロン、マラバール、ボンベイ北のカリアナには残っていることが知られる。古代インドのキリスト教はトルキスタンや中国に並行して伝えられたのネストリア派のミッションの生き残りともみられる。しかし彼らは聖トマスのインド宣教を歴史的事実と考えている。トマス行録にあるインドのグンダファール王は、歴史上のガンダーラ地方の支配者ゴンドファーレスの時代と一致するし、ほぼその大筋は歴史的事実とみるのが説明しやすい。エデッサ教会の伝説とも一致する。
"( ENCYCHROPHEDIA BRITANICA 一九六四 THOMAS, ST.,)"

三、聖なる使徒トマスの行伝


聖書外典として扱われている聖なる使徒トマスの行伝の概要を紹介しよう。

 使徒ユダ・トマスの第一行伝 主が彼を商人アバネスに売り、彼が下ってインド人を悔い改めさせたときのこと

そのころ、わたしども使徒は皆エルサレムにいた。ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、アルパヨの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダである。そしてわたしどもは、全世界の諸地域を分割し、各自にくじで当たった地域と、主が各自を遣わされた国民のもとに行くことにした。さてくじ引きの結果、インドがデドモ(双子)とも呼ばれるユダ・トマスに当たった。しかし彼は出て行くことを欲しなかった。彼は、身体が弱いので旅をすることができないと言い、また、へブル人であるわたしがどうしてインドにいきインド人に真理を述べ伝えることが出来ようかといったのである。

ところが、この夜救い主が彼に現われ、彼に言った。

『恐れるな、トマスよ。インドにいき、そこでみことばを、宣べつたえよ。わたしの恵みが汝とともにあるのだから。』

しかし彼は従わずにいった。

『あなたが遣わそうと思われるところにわたしを遣わしてください。しかし、ほかののところに!わたしはインド人の所には行かないのですから。』

彼がこのように言い、思案していたときに、たまたま、インドからやってきた名をアパネスという商人がその地にいた。彼はグンダフォロス王から遣わされ、大工を購って王のもとに連れてくるようにという命令をうけていたのである。さて、主は正午ごろ彼が町の広場アゴラを歩いているのをご覧になって彼に言われた。
『大工を買いたいのですか。』

彼は主にいった。

『はい、そうです。』

すると、主は彼に言われた。

『わたしが大工の奴隷を持っています。それを売りたいのです。』

主はこう言われて、彼にトマスを遠くから示され、刻印のない銀三リトラで彼と取り引きされ、次のような証書を書かれた。

『わたし、大工ヨゼフの子イエスは、貴殿インド人の王グンダフォロスの商人アパネスに、名をユダというわたしの奴隷を売ったことを誓約します。』

そして、証書を書き終えると救い主はトマスとも呼ばれるユダを商人アパネスのもとにつれてきた。すると、アパネスはユダをみて彼に言った。

『この人がお前の主人か』

使徒が答えて言った。

『はい、このかたがわたしの主です』

アパネスがユダに言った、

『わたしがお前をこの人から買った。』

するとユダは黙っていた。
翌朝使徒は祈り、主に願って言った。

『主イエスよ、あなたの欲するところにまいります。あなたのみ旨が行われますように』

こうして彼は商人アパネスのもとに行ったが、支払われた自分の代金以外は何もたずさえていなかった。主が彼にそれを与え、次のように言われたからである。

『お前がどこに行ってもわたしの恵みと共にお前の代金もお前と共にあるように!』

こうしてトマスはインドに行った。

王都アンドラポリスにつくと、折しもの王の一人娘の結婚式に招かれた。そこでかれは、神の使徒であることを見抜かれて、結婚する二人の部屋に彼らの祈りのためにつれていかれた。二人に語りかけられたのは、ユダ・トマスの姿をした主イエスであった。

彼らに説かれたのは、汚れた欲望から遠ざかり、大いなる愛の中に生きることであった。

王は、普通の初夜を期待していたにもかかわらず、清いままでいる二人をみて怒り、トマスを捕えよといったが、彼ははや出航していた。

使徒ユダ・トマスの第二行伝 グンダフォロス王のお前へ登場したときのこと、

目的地のグンダフォロス王のもとにきて、宮殿の建築を請け負った。図面を描き王は満足し資金をトマスに与えた。彼はそれを町町をめぐり貧しい人苦しんでいる人々に施して、安息を与えた。追加の資金も同様であった。やがて王が見に来たが、もとよりない。

問われてトマスはこう答えた。

『今あなたはそれを見ることはできません。あなたがこのいのちから離れた時に、あなたはそれを見るのです。』

王は直ちに商人とトマスを投獄し、どんな処刑をしようかと考えた。

その時王の弟が病に倒れ、天使に天に連れて行かれた。そこにトマスが王のために作っている宮殿をみた。弟は生き返って王にそのことを告げ知らせた。

王は商人とトマスを牢獄から出し帰依した。トマスは王兄弟にキリストの封印(洗礼?)を与えた。主が夜次の地に行くよう指示された。

トマスはここを去り悪魔のへびに殺された若者を生き返らせる奇跡をし、へびの悪魔との問答をしたり、言葉を話すロバと会話したりするエピソードがある。これらを通してトマスの信条が語られる。

このあとトマスはインドの全土で神の言葉を述べ伝えた。マツダイ王の将軍からの頼みで悪魔に取り付かれた妻と娘を救うなど様々の奇跡を起こし、多くの信徒を得た。純潔と、聖、愛と信仰を説くトマスによって、帰依した妻達が自分の夫から離れるので、夫たちが怒り、王に訴えて使徒を捕らえてしまう。

マツダイ王は指揮官と四人の兵士に命じ、トマスを群集には見えない山に連れ出し槍で突いて殺させた。古の王の墓に葬った。残された信徒はトマスによってたてられた長老らによって、信仰を広めた。骨は密かに西方に持ち出された。『これは彼がインドの地で、自分を遣わされたかたの命令を果たすために行ったことである。栄光が代々に彼にありますように。アーメン。』


四、ザビエルによる発見

 
 時は、聖トマス行録から千年以上後の一五四二年のこと、インドに布教にいったフランシスコ・ザビエルは、聖トマスの信者たちに出会うのである。聖トマス関連記事があるザビエル書簡を紹介しよう。

ザビエル書簡 第六 九ー一〇  一五四二・九・二〇

九、このメリンデ市からインドに来る途中、二五或は三○レグア位の大きな島に着いた。名はソコトラ島といふ。士地はやせて、荒れてゐる。小麦も米も黍も葡萄酒も、更に果物も採れない。甚だしく不毛で、ひからぴた土地である。しかし棕櫚の実が澤山ある。それで、ここのバンは棕櫚の実で作つてある。家畜は多い。住民は、乳と棕櫚の実と肉とを食物として生活してゐる。

一〇、この地方は無風である。島民のいう所によると、彼等は皆キリスト信者であり、またさうであると思い込んでゐる。信者であることを大いに自慢し、霊名を示して得意である。頗る無智な民族で、誰一人として読むことも書くことも知らない。本も無いし書いたものもない。僅少な知識の人間である。信者であるといふことを以て、名誉だと心得てゐる。教会や十字架やランプを持つてゐる。

どの村にも、カシズが居る。これは私達の聖職者のやうな職務を司つてゐる。しかし、このカシズとても、やはり読み書きができないし、本も、書いたものも、何も持つてゐない。祈りは暗記してゐるのであつて澤山知つてゐる。彼等は教会へ毎日四回位いく。即ち、眞夜中と、朝と晩課と、それから牛後の終課の時である。鐘はない。その代りに、私達が聖週間に行なうやうな方法で拍子木を叩いて人々を集めてゐる。カシズ等の誦へる析りは、彼等の言葉ではないから彼等には意味が少しもわからないが、私はカルデァ語だと思ふ。彼等のとなへる祈りを、私は三つ四つ書き留め、前後二回この島を訪れた。彼等は使徒聖トマを尊敬し、自分達は使徒聖トマが洗礼を授けた信者の子孫だと言つてゐる。

カシズ等は祈りの中で時々アレルヤ、アレルヤといふ。その発音は殆ど私達と同じである。けれども、彼等は洗礼を授けないし、洗礼が何であるかをも知らない。それで私は、この村々ヘ行く毎に大勢の子供に洗礼を授けた。親達は、子供が洗礼を授けられるのを見て、大変喜んだ。これらの善良な入々は、貧乏であるにも拘らずその僅少な物を、更に私に分けあたえようとした。綜欄の実などを与えようとするのである。私はその厚意だけで満足した。彼等は、また、私がこゝに留まることを懇望した。さうして、大人も子供も、みな洗礼を受けると言つてゐる。

そこで私は総督に、こんなによく成熟してゐる収穫があるから、もつとこの島に留まりたいといふ許可を願つた。すると総督は、この島にはトルコ人が襲つて来るので、ボルトガルは住んで居ない。トルコ人が私を奴隷として捕へてゆく危瞼があるから、ここに留まることは許されない。それは我等の主なる神に、もつと大きな奉仕を致すため、ソコトラの住民以上に、私を必要とする他の信者の地方へ、私を送るからであると言はれた。


ザビエル書簡 第一四  一五四五・一一・一〇


キリストに於て敬愛する兄弟達よ。今から一ケ月半程前、私はマラッカに来た。こゝから更にマカッサル諸島へ渡るために、順風を待つてゐる。神が思召すならば、私は一ケ月半以内に出発することになるだろう。マカッサル地方は、ゴアから随分遠くて、一千レグア以上も離れてゐる。この地方から来た人々の云う所によれば、そこの住民は、偶像の家も持つていないし、偶像を頼む人もいないから、多致の者が信者となるために好條件の所だという。住民は太陽を見る毎に、これを拝するけれども、その他の偶像の宗教はない。好戦国民で、各種族は絶えず互に干戈を交へているといふ。

マラッカは大なる港都であるから、こゝヘ来て後は、聖職者としての仕事に欠けるものはない。日曜日には、いつでも司教座聖堂に於て説教する。人々はそれを忍耐して聴いていてくれるけれども、私自身は自分の説教に一向満足してゐない。毎日一時間以上子供に祈りを教へてゐる。私の住んでいる所は病院てあつて、こゝで哀れな病者達の告白を聴き、彼等のためにミサ聖祭を奉献して聖体を拝領させている。其の他の人々で私の所へ告白に来ることを望む者は、私の手に余る程の多致で、私には全部の人に満足を与へることができない。私の主要な仕事は、祈祷文をラテン語からマカッサルの言葉に翻訳することである。言葉を知らないのは、非常に苦しいことだ。

私が乗船した印度の町は、サン・トメと言ぷ。そこの信者等の言ふ所によると、使徒聖トマの身体が、その町に保存されてゐるといふ。サン・トメには、妻帯してゐるボルトガル人が、百人以上住んでゐる。信心のために頼る気持のよい教会があつて、皆そこに光栄ある使徒の遺骸があると思つてゐる。

ザビエル書簡 第一六 一五四六・五・一〇

我等の主イエズス・キリストの恩寵と愛とが、つねに我等の援助と支持とにならんことを。アーメン

キリストに於ていと敬愛する兄弟達よ。

一、西紀一五四五年にマカッサルと呼ばれる土地に於て、二人の王が、多致の国民と共に信者になつたことは、詳しく書いた。人々の報ずるところによれば、その士地は我が聖なる信仰の弘布のためには、よい状態にあるといふ。コモリン岬からマカッサル諸島までの距離は、九〇〇レグア以上あり、陸地を通つては行かれないから、海を渡つて往つた。コモリン岬の近くにあるセイロン島には、フランシスコ会の修道士五人と、他の二人の聖職者が留まっている。ボルトガル王の要塞の外部には、信者が居ないし、内部に住んでいるいる人々には、司教代理等が教義を教へたり、洗礼を授けたりしているのだから、私は必要欠くべからざる存在ではない。ましてコモリン岬やセイロンの信者等は、私が居なくても困らないと考へたので、マカッサルヘ渡航することに定めた。そこで乗船するために、港へ行つたのである。

すると船を所有せる一人の商人に出会つた。彼は告自を聴く事を私に頼んだ。それから彼は人間的な右顧左眄を以てしては決定する事の出来なかつた所を、猛烈な力を以て自己に克ち、天国への道を選んだ。神は、その御憐みによつて、彼の魂の中に、大いなるものを感ぜしめられたので、彼は罪の告白をしたのである。次の日には−−それは使徒聖トマが殉教した場所であつた−−船やその他すべての所有物を売り払い、自己のためには何一つ残すことなく、寛大な施者としてすべてを貧者に分け与えた。かうして二人でマカッサルヘ出帆した。二 航海の半途にして、王の要塞のあるマラッカという所に着いた。

 註)ザビエル書簡に出てくる地名を地図で調べてみても、サントメが今のインド地図では見つからなかった。会員の加藤さんがお父さん譲りの一九二五年のアトラスで見事に見つけて下さった。またそれに関する最近の文献も見つけて下さった。それを追加したい。


『南インドの綿布はキャラコと呼ばれ、西洋諸国や東南アジア、そして日本にまで運ぱれ、もてはやされていた。キャラコに縦縞を入れたものは桟留縞と呼ばれ、江戸時代の人々に人気だったが、これは主にポルトガル人が日本にもたらしたものである。

ボルトガル商館は、イギリス商鎗から南に五キロの地にあり、ここを彼等はサントメ地区(今のマイラボール地区)と呼んだ。ここは紀元一世紀に、キリスト十二使徒の一人、聖トーマスが殉死したと言われる地であり、聖トーマスはポルトガル語でサントメと言うのである。ここのサントメ教会で私は聖トーマスの骨なるものを見たが、恐らく眉唾物であろう。ともかくサントメが桟留になったのである。』「心は孤独な数学者」藤原正彦より

五、トマスによる福音書


一九四五年エジプトナグハマディで発見されたトマスによる福音書は、発見当時、聖書学者の間で失われた聖書Qではないかとされた。そのごの研究ではそれとは別のものとされている。

以下はそのはじめと終わり、それにいくつかの特徴的な章句の抜粋である。


(序) これは、生けるイエスが語った、隠された言葉である。そして、これをディディモ・ユダ・トマスが書き記した。

(一) そして、彼は言った、『この言葉の解釈を見出す者は、死を味わうことがないであろう』

(三) イエスが言った、もしあなたがたを導く者があなたがたに、『見よ、御国は天にある』と言うならば、天の鳥があなたがたよりも先に御国に来るであろう。かれらがあなたがたに、『それは海にある』と言うならば、魚があなたがたよりも先に(御国へ)来るであろう。

そうではなくて、御国はあなたがたの只中にある。そして、それはあなたがたの外にある。あなたがたがあなたがた自身を知るときに、そのときにあなたがたは知られるであろう。

そして、あなたがたは知るであろう、あなたがたが生ける父の子らであることを。しかし、あなたがたがあなたがた自身を知らないなら、あなたがたは貧困にあり、そしてあなたがたは貧困である」


(七七) イエスが言った、

「一、私は彼らすぺての上にある光である。私はすぺてである。すぺては私から出た。そして、すぺては私に達した。

二、木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう」


(百十三) 彼の弟子たちが彼に言った、「どの日に御国は来るのでしょうか」。

二、〈彼が言った〉、「それは、待ち望んでいるうちは来るものではない。『見よ、ここにある』、あるいは、『見よ、あそこにある』などとも言えない。三、そうではなくて、父の国は地上に拡がっている。そして、人々はそれを見ない」

(百十四) シモン・ベテロが彼らに言った、「マリハム(マグダラのマリアのこと)は私たちのもとから去った方がよい。女たちは命に値しないからである」。

イエスが言った、「見よ、私は彼女を(天国へ)導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから」

六、トマスの宣教したキリスト


 トマス行伝とトマス福音書とみてきた。西欧キリスト教には忘れ去られていたこれらのトマスが、伝説の通り存在したことが、十六世紀になってザビエルによって劇的に発見されたことも見てきた。インドにおいては、今もトマスは生きている。マリアテレサの葬儀が行われたのも聖トマス教会であった。しかし今も異端の匂につきまとい、日の目を見ないトマスであるが、その特徴を二つの面で掘り下げて見たい。

 さてトマス行録がつくられた二〜三世紀には、こればかりでなく、外典として残っているヨハネ パウロ など多くの使徒行録がある。これらともトマス行録は似通っている。新約聖書よりも、物語調の特徴をもっており、その点では聖なる書としてでなく、大衆的な読み物であったように感じる。内容も死者の復活奇跡、使徒の姿を借りたイエスの登場、結婚した夫婦の妻に純潔を求め、夫が怒りそれが元になって使徒が迫害されるといった筋がどの書にもでてくる。性を禁秘しながら、一方でかなり扇情的な性的描写が多く、奇妙な印象を与える。キリスト教初期に徹底した純潔主義が鼓吹されたことがわかる。

 これはイエスの教えに反することである。パウロも結婚はできればしない方が良いと勧めているが、それはキリストの再臨、世の終わりが近いそれまでにできるだけ多くの人間の回心に急がねばならず、結婚は邪魔だと考えていたからである。

 イエスとその集団は、『開放された自立的な女性ー男性から独立した平等な女性ーという理想を生み出すように導いてきたからである。……キリスト教はその歴史の発端において女性に積極的なメッセージを提供したのであるが、二世紀以来キリスト教は女性にとっておよそ「喜ばしい知らせ」などではなくなった。』
(カレン・アームストロングキリスト教とセックス戦争)

 トマスにおける異常なまでの性の禁欲主張をみることで、キリスト教と元来無関係な禁欲思想がどうつながったのかそのはじまりを知ることができる。

 禁欲主義は、ストイズムと称せられるごとく源流は、キリスト以前、洗練されたギリシャ思想のストア派が完成させたものである。キリスト教の母体であったユダヤ教、例えば十戒も禁欲主義とは言えない。

 禁欲主義の起こりをみると、ストア主義でも、また後のキリスト教禁欲的修道会の創始者たちも、例外なく提唱者は、貴族か富豪の息子で、物質的には不自由ない暮らしの中で育っていて、都市生活に飽きるなかで、そのままでは自分を見失う危機感にあってうまれている。 

その点では、イエスは貧しい人、罪人の友としてあらわれるから、元来彼らに禁欲は必要なかった。言うなれば禁欲などという自分自身へ戻るだけのけちな教えはなかった。ではなぜキリスト教に禁欲主義がつきまとったか、一つは初期キリスト教の境遇にある。ユダヤ教とローマ帝国教の弾圧の中で生まれ、キリスト自身スダヤ教の弾圧の中で殺された、キリスト教団は、それに従って生きることは、現世の欲望を捨てることを意味した。

 ついで、先のトマス行伝にも見られたように、キリスト教の禁欲主義は、徹底して性の禁秘に向かっていくのが特徴である。財と食にについてはそれほど言わない。成熟した女性は誘惑のもととして、恐怖に近いほどの避けようである。女性は処女に限るとして、マリアの徹底した処女崇拝に結びつき、裏返しに魔女刈りに形を変える。

 過去のキリスト教の不思議は大体において、教団支配の仕組みから考えると理解できることが多かった。この性に対する禁秘も、男性聖職者支配のために仕組まれた思想ではないか疑うと意味が見えてくる。民衆にとっては、男も女も、金持ちでも貧しくても、健康な大人であれば性への欲望の発露は神の与えたものである。それを醜いものと洗脳すれば、もっとも身近で拘束性の強い戒律になり、逆に性の禁欲を実践する独身主義の聖職者は高い尊敬をえることになるわけである。(ただしこれは発端の理由を推定するための極論である。特定の女性への執着を放棄することで、より好みすることなくすべての人を愛することができるという司祭の存在は確かに深い意味があることである。)

 このような行き過ぎた禁欲主義は滑稽であるが、自らの欲望を制御することは人間にしかできないことであり、稔り多い人生観ではある。 近代の合理的禁欲論では、M.ウェーパーの禁欲論が知られている。彼によれぱヨーロッパの近代資本主義は、世俗的な経済営利活動が禁欲倫理(ブロテスタンティズム)の洗礼をうけてできあがったものだという。これは人間の経済活動を宗教的な禁欲原理との連関のもとに説明しようとした試みであるが、エンゲルスは同じこの禁欲原理を人間の政冶行動に適応し、献身的な犠牲を要請する革命行動のうちに禁欲的精神の要因をさぐろうとした。日本の二宮尊徳の分度もそうであろうし、アジアではインドのガンディーが反英独立運動過程で、ヒンドゥ一教の原理であったブラフマチャリヤ(性的禁欲)と断食を採用し、その抵抗運動を成功にみちぴいた。


七、異端という名の主導権争いと東方宣教 


 さてトマス福音書の特徴がいくつかある。その第一はイエスの教えは隠されたものであって、その意味を理解するものが永遠の命に与るとする。第二はその教えを理解できたものは、死後の天国でなく、この地上で父の国の境地に達する。第三は女性を尊重するが、求めるのは純潔であり、愛欲を通り抜けることである。
 トマス行伝もその主張は統一されており、確立したセクトが存在したことを感じさせる。それはヨハネの福音書にも近い。ヨハネの福音書だけがディドモとよばれるトマスのことを二度もとりあげているのである。

 このように新約聖書の与えるイメージとはいささか異なるとは言え、トマス福音書は、イエスキリストを主としており、使徒信経を共にしており、その点では二世紀以降に急速に拡大したキリスト教の広がりのひとつの様相とみることができる。そしてこれが後代に伝えられなかったのは、これが二〜四世紀にローマを本拠とするヘレニズムキリスト教とシリアエジプトユダヤ本拠の東方キリスト教との主導権争いで、異端とされていき抹殺されたからである。

 はっきりした異端闘争はトマス伝説の成立のすぐ後にきた。ネストリウス・コンスタンティノープル主教(在位四二八ー四三八年)が、キリスト論をめぐる論争で異端とされた事件である。彼はシリアに生まれ、皇帝テオドシウス二世によってコンスタンティノーブル主教に任じられ、首都の教会の代表として聖職者の規律を引きしめ、異端の撲滅にのりだしたのであったが、ネストリウスの意を受けた司祭アナスタシオスが、当時ひろく行われていた聖母マリアの尊称テオトコス(神の母)に反対する説教を行い、キリスト教世界全体に大きな衝撃を与え、論争が始まった。

ネストリウスは、キリストにおける神性と人性の区分を明確にするために、〈テオトコス〉の尊称がキリストの完全な人性を損うとしてこれを退けたわけだが、一般には聖母に対する冒涜と受けとられた。アレクサンドリア主教キュリロスは、ローマ司教とともに、ネストリウスの教説を異端ときめつけた。問題の解決のために開かれたエフェソス公会議(四三一年)は分裂会議となったが、ネストリウスは罷免され、のち追放の身となり、エジプトでみじめな死をとげた。現在では、ネストリウスの教説は、キリストの神性と人性の緒ぴつきを示す術語の暖味さを除けぱ、特に異端とするものでもなく、その失脚は政冶的なものであったとされている。

イスラムの支配下にあってもネストリウス派は繁栄を続け、特にギリシア語文献の翻訳者、医師、技術者としてイスラム文化の形成に貢献した。ネストリウス派教会の首長はカトリコスと呼ばれるが、五世紀末から東方総主教と称した。その座所はアッパース朝時代にパグダードに移った。典礼用語はシリア語で、それは布教地においてもだいたい保たれた。布教活動は同教派の黄金時代を現出した東方総主教ティモテオス一世の時代すなわち八世紀後半から九世紀初頭にかけてもっとも盛んであった。アラビア半島から海路インド南部に達し、大きな勢カを築いたほか、北方の陸路を伝わっては中央アジアから中国までのほぽ全域に及んだ。

 この断罪に同意しなかったシリアのキリスト教徒はネストリウス教派を作り、ペルシアを中心に、海路インド、陸路中央アジア、シペリア、中国まで拡大していった。初期の有能な指導者パル・サウマーは、ローマ帝国の弾圧を逃れて、五世紀中葉にシリアのエデッサからペルシア領ニシビスに達し、ここに神学校を設けて拠点とした。パル・サウマーはぺーローズ王の厚遇を得て、ネストリウス派をペルシアにおける支配的キリスト教派となし、ぺート・ラパト会議(四八四)で公式にネストリウス主義が受けいれられることになった。六世紀には修道制も確立した。

中国には、唐の太宗冶世の六三五年ペルシア僧のアラホン(阿羅本)を団長とする伝道団が堂々と長安に到着するや、太宗は宰相の房玄齢らをして宮中に迎えしめ、その経典の翻訳を勅許し、布教を勧めた。三年後には長安の義寧坊に一寺を建立させ、僧二十一人を出家させた。

つぎの高宗も景教を保謹し、諸州にその寺院をおかせ、アラホンを崇んで鎮国大法主とした。仏教に傾斜した則天武后の冶世には少し衰えたが、玄宗によって保護され、アブラハム(羅含)やガブリエル(及烈)といった有力な僧侶によって大いに教線を拡大した。

彼等は更に東の日本まで到達したとの記録が残っている。天平八年(七三六)のことである。『続日本紀』の聖武天皇紀に

「天平八年秋七月庚午、入唐副使從五位上中臣朝臣名代等率景人三人波斯人一人一拝朝」、

「十一月戌寅、天皇臨朝詔授人唐副使從四位下唐人皇甫東朝波斯人李密等授位有差」

と記してある。

天平八年は、蓮唐留學士吉備眞備が僧玄防と共に録った翌年、唐僧道璃が華嚴宗を伝えた当年である。天児屋命の子孫と伝えられる神道家の中臣名代が、ネストリウス派基督教徒即ち唐で云わゆる波斯人、景人を案内して帰り、聖武天皇に拝謁せしめたと伝えている。

 なお西方からの伝教士ガブリエルが玄宗の恩寵をえて布教に便せんと奇器異巧を造って献上し、非難されているが、これなど、明末のイエズス会宣教師マテオ・リッチらが天文儀器や時計などを朝廷に献上したことの先駆といえよう。唐の武宗が八四五年の会昌の廃仏(三武一宗の法難)の際、外釆の宗教を一括して禁断したので、景教も迫害されることになり、急速に衰え、宋初年には景教徒の姿は中国本土では見かけられないまでになった。

 中国のその後は、初めはこの教えを波斯経教、その寺院を波斯寺。つまりペルシア人の宗教とよんできたが、発生の地がペルシアではなく大秦国(ローマ)であることを知り、七四五年には詔によって波斯寺を大秦寺と改めろことになった。ひきつづき粛宗・代宗・徳宗の治世に優遇され、七八一年には、篤信の居士イズドプジド(伊斯)の出資によって《大秦景教流行中国碑》が建てられたのである。この碑によって初伝以来の中国における盛衰の跡をたどろことができる。この碑は、明の天啓年間(一六二一〜)に偶然に発見されてから内外の注目をひき、今は西安の陳西省博物館内の碑林に陳列されているが、その複製は京都大学文学部陳列館と高野山にある。

 しかし西北辺境方面や中央アジアではその信仰が維持され、十一世始めにはモンゴル族のケレイト部やトルコ族のオングート部に多数の信者を擁していたため、ケレイト部と通婚したチンギス・ハーン家にも多くの信者を出した。したがって、モンゴル族がユーラシアにまたがる世界帝国を建設し、あらゆる宗教に寛容な態度をとると、ふたたぴ中原にあらわれた。とにかく元朝にあっては長江(揚子江)下流域にも相当の信徒がいたのであって、一二八九年以後、崇福司という官庁を設けて事務を管掌させた。しかし、明朝が興ると、いっさいのキリスト教が禁断され、ネストリウス教徒も後を絶ったのである。

一方インドに伝えられたネストリウスキリスト教が、ザビエルによって再発見された経過は先に述べた通りで、彼等はほとんどカトリックに吸収されて現在にいたっている。


八、今日的課題としてのトマス


 イエスのメッセージの宣教がパウロやペテロによって西に伝えられた時ヘレニズム文化の影響を受けたように、使徒トマスやかれのセクトが東に宣教した時、東洋思想に影響をうけていったことであろう。世界の文明の多様さになれていないこの時代、その差は一方の側から見れば、異端と言うほかなかったのであろう。

 トマスキリスト教は、イエスの教えを秘められたものとし、知恵によってあるいは悟りによって理解したものが永遠の命にあづかるとする。それは悟りを意味し、釈迦仏教や中国の教えに親近性のあるものである。

 また逆に、景教キリスト教が、仏教などの東洋創出の宗教にも影響を与えた可能性も考えられる。二世紀にあらわれた大乗仏教は、原始仏教とはかなり異質なものといってよく、そのあるものは、ヒンズーの影響をうけて密教となったが、浄土宗の流れをとことん押し詰めた親鸞の浄土真宗にいたっては、イエスの教えた愛の宗教と紙一重に達しているのである。

二十一世紀を迎えるこの三年ローマ法皇ヨハネパウロ二世はアジアの司教団にこの千年のアジアの宣教を振り返り、次の千年の準備をするように求めた。それに答えて昨年五月アジア西はイスラエルから東は日本までの司教たちが集まって、アジアシノドスという会議を開いた。

トマスの話は出なかったが、テーマはイエスのメッセージを東洋の文化の中で発見していこうと言うことであった。従来の宣教は西欧化されたキリスト教を頭から教え込もうとするもので、それにあわないものは異端として切り捨ててきたやりかたであった。

 知られていないトマスの存在の意義は、実はとてつも大きいものであったかも知れない。
http://kozu5.my.coocan.jp/HPJesus/thomas.htm

6. 中川隆[-9240] koaQ7Jey 2019年7月06日 18:38:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3438] 報告

神の至聖所 〜聖書とキリストの啓示より〜


トマスの福音書1、2〜開かれた聖書の骨格 
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/06/26/230212


 以前FBで紹介したトマスの福音書について、再掲します。昔の原稿です。トマスの福音書13〜15節はすでに掲載していますが、残りの節を徐々に載せていきます。


 ここ数年、外典のトマスの福音書をコプト語の英訳を参考に、英語→日本語に少しずつですが訳しています。大変難解な文章ですが、主の語られたことだけを記録した初期の「Q資料(語録)」(聖書の骨格)と呼ばれるものに近いといわれています。言語学者や聖書学者が訳したものを読んでもピンとこないのですが、翻訳すると聖書の中のレーマも共通しており、大変な宝が隠されていると感じています。特にその隠喩を解読することで、今までになく聖書の解釈が変わってくるのは不思議です。今の日本語の聖書がいかに原文から外れた訳をしているかも少しずつわかってきました。

 トマスによる福音書は、イエスの語録集として古くから外典の中でも注目され、その真偽のほどが議論されてきました。真偽のほどは確かではないが、その文章の中には共観福音書との共通点も多く見受けられると同時に、四福音書には見られない難解な文章も多く、それゆえに福音書としての採用を敬遠されたとも思われます(そもそも、1945年ナグ・ハマディ写本の一部としてエジプトで見つかったので、中世の編纂対象にならなかった)。しかし、この福音書に少しでも主イエスの御言葉アグラファ(現行の新約聖書の福音書には収録されていないが、その他の初期キリスト教文献で言及されているイエスの言葉が幾つかあり、これを「アグラファ」(ἀγράφα. 「書かれざるもの」の意)と呼び、新約聖書学上、大きな意味を持つ)が含まれているならば、114節の短い言葉を解読することは価値のないことではありません。否、多くの収穫を得ることができるかもしれないと感じています。序文にある「だれでもこれらの言葉の意味に行きつくなら、彼は死を味わうことがない。」とは永遠のいのちを示唆するものであり、それが本当なら驚くべき宝が隠されている可能性を示しています。その真偽については、114のことばの意味を解釈してみれば結果として見出すことでしょう。資料としては、すでに出版された日本語の訳も参考になるのですが、わかりにくい訳が多く、深い理解がしにくいので、自身で「Coptic/English.Translation of The Gospel of Thomas.Revised November 22, 2002.Copyright ã1997-2002, Michael W. Grondin. 」を資料とし、解読しました。なるべく最初は原文に忠実に「直訳」を心がけ、四福音書の共通項を参考に、ことばの意味を「解読」し、最後は「意訳」を試みました。またその解釈を新旧約聖書(主に新改訳、回復訳、口語訳、新共同訳)を参考にして試みました。また羊皮紙に穴が開き欠落しているところもあります。そこは英文の()で表しています。この解釈を試みることによって、この福音書(イエスの語録と言われる)がどのように英知に富んだものかが少なからず理解できました。また解釈の作業には、神の尊い導きと、旧新約聖書のレーマとが欠くことのできない助け手となったことは言うまでもないことです。


”According to John The Secret Things”
「ヨハネによる隠されたこと」

 これは、トマスが書いたと言われるものですが、もともとはヨハネの話した内容を書き留めたものと言っています。ヨハネの福音書では、使徒ヨハネは,自分をイエスに愛された弟子であると言っています。ヨハネ21:07 「そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。」

 イエスに愛された使徒ヨハネであれば、この秘密のことばを聞いていた可能性が高いのです。それをトマスが聞いて書き留めたものであると言いたいのでしょう。


1節
Prologue These are the-words ()-hidden, which-JS01 who-lives-spoke(them), and he-wrote-them, viz-Didymos1> Judas Thomas,> and said-he this: Who--ever-falls onto-the-meaning of-these-words, he-will-take-taste not o f(the)Death. 

序文 隠された言葉


1直訳  
JS01 「これらは、生きておられるイエスが彼らに語った隠されたことばである。そして彼即ちデドモ、ユダ トマスはそれらを書いた。そして彼はこう言った。:だれでもこれらの言葉の意味に行きつくなら、彼は死を味わうことがない。」
デドモ、ユダ、トマスとは、どれもトマスの呼び名であり、ヨハネが彼に話したことを記録したということだろう。これらの言葉の意味を理解するなら、死を味わうことがないとは、驚くべき言葉です。理解しやすい句です。

2節
*S a id-JS02 (this) Let-not-him-stop, viz-he-who--seek, as-he--seek, until-he-find, > and w hen h e-should-find, h e-will-be-troubled, > and i f-he-should e-troubled, h e-will-become- (left-half of line is blank) amazed, > and he-will-become- -king o v er-the-All.

2直訳

JS02 「イエスはこう言われた。彼を止めてはならない。即ち捜す者は見出すまで、捜すのをやめるな。彼が見出すべきとき、彼は悩まされるだろう。たとえ彼が悩まされても、彼は(左半分の行が欠落)驚かされる。そして彼はすべてを支配する王となるだろう。」

 「捜す」とは,いったい何を捜したらよいのでしょうか。「捜す」という語は、福音書の中ではあまり見かけないが、マタイ7:7「 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」の聖句が有名です。ここでは「捜しなさい」と「求めなさい」は対になって同義とも言える使い方をしています。そこで「求める」を含む聖句を開くと、マタイ6:33 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」ルカ12:31「 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」この2句は,「求めなさい」と訳されていますが,「捜しなさい」seekが使われているのです。

ヨハネ15:7 「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」ここでは「求めなさい」askを使っています。

最初に捜すべきものとして「神の国とその義」が挙げられています。「神の国とその義」とは,いったい何か。それは、次の3つの聖句から推測できます。

ルカ17:20「さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われました。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。」 ルカ17:21「『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」」   ローマ人への手紙14:17「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」

 上の3つの聖句を要約すると、神の国は「やって来るものであり、あなたがたのただ中にある」ものということがわかります。また、「神の国」とはKingdom of Godであり、kingdomには王の支配という意味が含まれています。われわれのただ中にやって来る「義と平和と聖霊による喜び」とは何でしょうか。神の王権、聖霊の喜びによる支配です。われらの心に聖霊が降るとき,聖霊に満たされ御霊の教示を受け語り歩むことができます。これは聖霊のバプテスマを受けた者ならば,だれでもわかることです。聖霊の満たしは、神による支配,即ち神の国籍にはいることなのです。イエスの十字架は、「神の義」そのものですが、聖霊により神の支配に入れられたとき、人間は自分で行動するのではないので、罪を犯すこともなくなります。これが「神の義」です。神に支配された人間は,すでに神の御心と同じ思考をし,御霊に動かされ話し、行動できます。天地万物を治める創造主の霊を受けたのですから,「彼はすべて(天地万物)を支配する」と言えるのです。捜しものを見出した結果として「すべてを支配する」というのは本当であり、当惑する驚くべき力が与えられるということです。ヨハネ15:7「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」〜「何でもあなたがたがほしいもの」がかなえられるとは、「彼はすべてを支配する王となるだろう。」を裏付ける聖句であると言えましょう。しかし今のキリスト教会は如何でしょうか。聖霊の存在を否定した暗く沈んだ頭でっかちの人々。病人や老人ばかりの集いも見受けられます。生命に満ち溢れる力強い礼拝を見る教会もある反面、聖霊を否定する世的な教会もあります。神に支配された兄姉はどこにいるのでしょうか。私は聖霊のありありとした働きを見たいがため、聖霊を求める諸教会をめぐりました。中には異端とよばれる集会にも関わりました。しかし聖霊様の大いなる顕現(shekinah)はなかなか見つからないのでした。自分自身が経験した御言葉の啓示や解き明かしを教役者に投げかけても、まるで理解できていない。主がニコデモに語ったように「こんなこともわからないのか」と言いたくなりました。しかし自身は、ただ主の恩寵で救われた罪びとでしかない。教役者を批判する立場もない。でも霊においてしっかりしてほしいと心からお願いします。教会の中には、稀に聖霊の熱い取り扱いを受ける礼拝に出くわすことがありました。聖霊の喜びに歓喜する兄姉、啓示や幻を見て語る兄姉。そんな恵まれた教会が世界中に増えることを切に望みます。

1、2節を意訳しますと

1意訳

JS01 「これらは、生きておられるイエスが彼らに語った隠されたことばである。そしてデドモ、ユダ と呼ばれるトマスはそれらを書いた。そして彼はこう言った。:だれでもこれらの言葉の意味に行きつくなら、彼は死を味わうことがない。」

2意訳
JS02 「イエスはこう言われた。(隠されたことばを)捜す者を止めてはならない。即ち捜す者は見出すまで、捜すのをやめるな。彼が見出すべきとき、彼は悩まされるだろう。たとえ彼が悩まされても、彼は(左半分の行が欠落を推測:そのことばの真理を知れば)驚かされる。そして彼はすべてを支配する王となるだろう。」
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/06/26/230212

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