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イエスが殺された本当の理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/371.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 7 月 17 日 23:32:33: 3bF/xW6Ehzs4I
 


1. ローマ人の目に映ったイエスの虚像 _ 革命家イエス


イエスは山を下って平地に立たれたが、大ぜいの弟子たちや、ユダの全土、エルサレム、ツロとシドンの海岸地方などから大群衆が、教えを聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。

そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。

また群衆はイエスにさわろうと努めた。

それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。


そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた


貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである

今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる

今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる

しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている

今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる

今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/042.htm


____________________


歴史はイエスを抹殺した。


しかし、そのあとを完全に消し去ることはできなかった。
それで、今度はかかえ込んで骨抜きにしようとした。

そしてそれは、一応見事に成功してしまった。

大勢への反逆児が、暗殺されたり、抑圧による貧困の中で死んでいったりしたあと、体制は、その人物を偉人として誉めあげることによって、自分の秩序の中に組み込んでしまう。

マルクスが社会科の教科書にのった時、もはやマルクスでなくなる、ということだ。


こうしてイエスも、死んだあとで教組になった。

抹殺と抱え込みは、だから、本来同じ趣旨のものである。

キリスト教は、イエスの抹殺を継続するかかえ込みであって、決して、先駆者イエスの先駆性を成就した、というものではない。

イエスは相変わらず成就されずに、先駆者として残り続けている。
http://fanto.org/diary-new/archives/669.html


● イエスはなぜ殺されたのか

イエスは、侵略者であるローマの官憲により、ローマ皇帝に対する反逆者として、ローマ法に則り十字架刑に処せられた。これはキリスト教にとって最大の謎である。

なぜイエスはローマ帝国に対する政治犯として処刑されたのか。

独特な話術と奇跡的な治療行為により、民衆の間に絶大な人気があったイエスは、当時のユダヤ教支配層の腐敗堕落を厳しく批判した。

一方、そんなイエスを救世主と担ぐ民衆の動きは次第に高まり、これを危険視するローマ当局の介入がユダヤの自治権剥奪を招きかねない情勢であった。

そこでユダヤの宗教指導層は、姦計を弄してイエスを逮捕し、涜神罪による死刑を宣告したのだが、かれらは死刑執行権を持たなかったのでイエスをローマ当局に引き渡し、総督ピラトは不本意ながらも、イエスを十字架刑にせよとのかれらの執拗な要求に屈した。

これが古くからある学界の通説である。


イエス処刑の責任は全面的にユダヤの宗教的支配層にあるというわけだが、この見解はローマ帝国統治下において反ユダヤ・親ローマ的立場を装った、初期キリスト教徒たちの護教的意図を斟酌していない。


これに対し、イエスは初めからローマ帝国に対する政治犯とみなされていたと主張し、先の通説を批判する学者も多い。

イエスはユダヤ民族独立運動の指導者だった。いや、虐げられた貧しい人々との連帯を志向した革命家だった、云々。

いずれにしても、通説とその批判がともに全面的に依拠する福音書の受難物語は、文献学的研究により細部の記述の歴史的信憑性がほとんどすべて否定されている。
そこで進歩的な学者たちは、イエスの死の理由を「イエスの思想」に求めなければならない。

しかしかれらといえども、イエスの死をその思想の必然的結果とするのはどうしても無理なので(悔い改めの決断を呼び掛けるとなぜ殺されるのか?)、結局、それはイエスの思想に対する周囲の無理解と誤解の結果だったと説明する。誤解されたのは必然だった!

しかし、イエスは決して誤解されたのではない。少なくともユダヤとローマの支配権力には、きわめて正確に理解されていた。だから殺されたのだ。

そうして権力がイエスの肉体を抹殺したあとに、「弟子」たちはイエスを「救い主」とすることによりイエスの精神を抹殺し、現代の神学者たちはイエスを「先駆者」とすることによって、その精神的抹殺を継承しているのだ。

さて、「食い意地のはった大酒飲み」といわれたイエスとは、いったい何者だったのか。
http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/opinion/tagawa_jesus.htm


ローマ史家の土井正興氏が『イエス・キリスト』(三一新書)で熱心党とイエスとの関係を詳しく論じ、またローマの重罪犯に対する正規の死刑法である十字架刑に絡めて、

イエスが「ユダヤ人の王」を僭称して、ローマの植民地支配への反逆者、「神の国」の到来を告げる黙示録的な政治的メシアとして処刑された

と主張しているのは、明らかに正しい。


土井正興氏は『イエス・キリスト』(三一書房)の149ページで、

「それ(イエスの歴史的性格)は、・・・・

彼が、ローマ支配をくつがえして『神の国』=『ユダヤ人の王国』を建設しようとしたメシアとして、この運動を鎮圧したローマの代官によって、ローマの刑罰たる十字架刑によって刑死した

ということである」と述べている。


また八木誠一氏は『イエス』(清水書院)の188ページで、

「十字架刑はユダヤ式の死刑ではなく、ローマのものであり、ローマに対して反乱を起こした者がこの刑に処せられた。

これは重要な事実である。

イエスはローマに対する政治犯として処刑されたのである」

と記している。
http://www.geocities.jp/toryon33/iesuotoko.html

パウロ書簡から史実のイエスを傍証する


ちなみに、パウロ書簡は現存する最古のキリスト教文書ですが、新約聖書の約3分の1を占める膨大な量であるにもかかわらず、そこには史的イエスの描写が「一切」といっていいほど存在しません。唯一つの例外は『コリント人への第一の手紙』(11:23〜26)で、そこに、

「主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行ないなさい』。食事ののち、杯をも同じようにして言われた、『この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい』」

という記述があります。たったこれだけです。

これでさえ、死の影にほとんど包み込まれたイエス、生身のイエスの消滅を前提とした最後の晩餐でのイエス、それもその教義的解釈の枠内でしか史実のイエスを記述していません。これを史実のイエスへの言及と言っていいかどうか?

パウロがイエスに触れるのはキリストとしてだけ、つまりその十字架の死と復活と栄光の来臨についてだけであり、それもそれぞれについての神学的意味づけに関してだけです。

パウロは「意図的に」史実のイエスには触れません。
イエスがどのような家庭に生まれ育ち、いかに成長し、いかなる目的で伝道を始め、どのような集団を構成し、どのようにして死に至ったかについては何も語りません。
つまりそこには肉のイエス論(生前のキリスト論)はなく、霊のキリスト論(死後のイエス論)しかありません。『コリント人への第二の手紙』第5章16節には、

  「かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方はすまい」

と記しています。手紙としてこれを記しているというのは、読む人々にも「そのようにしなさい」と薦めてもいるわけです。

肉のイエスに関わる「作り話やはてしない系図などに気をとられることのないように、命じなさい」とも記しています。

「もうそのような知り方はすまい」というパウロの態度は、史実のイエスへの単なる無視ではなく、むしろ拒否を意味しています。


しかし、もしマタイ、マルコ、ルカなどの共観福音書で描かれたように、十字架贖罪死へ意図的に歩むイエス像が史実として正しいならば、最強最大の十字架贖罪論者であるパウロがイエスの言行についてほとんど一言も触れないのは言語に絶する不可解なこととなります。

そこには当然十字架贖罪死へ向かう感動的なイエスの言行が数限りなく存在した筈だからです。


なぜパウロはイエスの言行について一切触れなかったのでしょうか? 

この重大な問題については、ふつう、「史実のイエスと直接接触のあったペテロ・ヤコブ・ヨハネなど直弟子たちに対する劣等感からくる反撥や開き直りかもしれない」と解釈されて、納得が求められています。

しかしパウロ自身のそのような個人的な境遇が救い主の生涯そのものへの無視へと続くことは決してありえません。これはさも解答があるかのようにみせる一種の誤魔化しや誤導です。

とにもかくにもイエスは彼と全人類にとって「神の子」で「救い主」だから、そのイエスの生涯について一言も語らないというのは、本当は信じられないほど奇妙なことなのです。

その奇妙さを実感していただくために、ここでひとつ質問してみたいと思います。もしあなたの命の恩人がいて、その人がまた家族一人ひとりの命の恩人でもあり、さらに存亡の危機にあった国家をも救った恩人だったとしましょう。

これでもパウロが信じた「全人類を救ったイエス」という大恩人よりはまだもう一つスケールの小さい恩人ですが、それでも、もしこういう人物がいたとするなら、あなたはその人の生まれや成長や活動内容に全く無関心でいられるでしょうか? 

そのようなことは人間として100%ありえません。

ところがパウロはそういうこと一切に対して拒否の態度を示し、事実上、積極的に「無視せよ」と薦めているのです。

これは非常に不自然です。言葉に尽くせないほど不可解です。


もしイエスが十字架死へ向けて意図的に生きたのが史実として正しければ、熱烈な十字架贖罪論者のパウロは彼一流のあの素晴らしい筆法で、十字架への道を歩むイエスの感動的な生き様を数多く紹介してくれたことでしょう。

むろんイエスの生き様に対するパウロのこのような度外れた無視と拒否は、事実上、史実のイエス・本当のイエスへの甚だしい侮辱に他なりません。


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パウロが、イエスの言行・史実のイエス・肉のイエス・生前のイエスに一切触れようとしなかったのは、「史実のイエス」と「彼の信じたもの」とがその質において正反対と言っていいほど全く違っていたからなのです。 

それはイエスが自覚的に十字架贖罪死へ向けて生きたのでなかったこと、言いかえれば、イエスはこうした彼岸的・肉否定的な「宗教的メシア」でなく、本当はダビデ王の子としての、此岸的・肉肯定的な、栄光の「政治的メシア」を目指した者であったことを意味しています。


当時の主なメシア像には、


 (1)ローマの植民地からユダヤを独立させる軍事闘争をやっていれば、必ず神からの助けがあるとする戦闘的で自力本願的なもの

 (2)神の定めた時が来れば宇宙的な変動が起きて一切が転覆され神の国が到来するという待望的で他力本願的なもの


とがありましたが、積極的か非積極的かの違いはあるものの、ともかくどちらも直接的にはローマ支配の終焉によるユダヤの解放を意味していたわけですから、ともに政治的でした。


事実、ヨハネとヤコブなどイエスの直弟子たちは生前のイエスに、近く地上に建設される神の国でイエスの左と右の座を占めさせてほしいと頼み(マルコ10:35〜40)、あるいは、神の国では自分たちのうちで誰が一番偉いかと論議もしています(マルコ9:33〜37)。『マタイによる福音書』(21:20〜21)では彼らの母も同伴して頼み込んでいます。

福音書にあるような自己犠牲的な贖罪死を目指す「宗教的メシア」のもとでは、弟子たちのこういう世俗的野望は辻褄が合いません。
だから十字架の贖罪死を目指す「福音書のイエス」は彼らを強くたしなめます。しかしこれは史実のイエスがもともと「政治的メシア」だったことの痕跡なのです。

また四つの福音書全てに、処刑時、十字架の上に「ユダヤ人の王」という罪状の札があったことが記されていますが、「ユダヤ人の王」を決めるのはローマ皇帝の専権事項であったため、これはイエスが「政治的メシア」として「ユダヤ人の王」を僭称して活動したことで処刑されたことを示すもう一つの痕跡です。

また、イエスは自分を「人の子」と呼んでいますが、これは旧約聖書の中の「ダニエル書」7章13〜14節にある次のような預言を根拠にして使っている自称です。

  みよ、人の子のような者が、
  天の雲に乗ってきて、
  日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。
  彼に主権と光栄と国とを賜い、
  諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、
  なくなることがなく、その国は滅びることがない。

その他にもイエスが「政治的メシア」だった証拠としては、


 ・ガリラヤの海の漁夫ペテロとアンデレ兄弟に「人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1:17)と述べている

 ・幹部弟子のなかに軍事戦闘派の熱心党員がいる(マルコ3:18 マタイ10:4 ルカ6:15 行伝1:13)


などもあります。 したがって、


 神の力によって神の国を打ち立てローマの植民地支配からユダヤを独立させようとしていた「政治的メシア」としてのイエス


これが史実 (中川隆 注:実際は史実ではなくて、ローマ人にはイエスはこういう姿で捉えられていたというだけでしょうね) のイエスであり、そのためにローマ兵に捕らえられて、ローマ総督ピラトから「ユダヤ人の王」という罪名の死刑宣告を受け、ローマの処刑法である十字架に掛けられ、ローマ兵によって刑殺されたのです。


イエスが十字架贖罪死を目指して生きたのでないことが、すでに上記の五つの理由や史的イエスに対するパウロの徹底的な無視から明らかになっていて、しかもローマの官憲によって刑死した以上、彼は「政治的メシア」だったということです。
むろんこの「政治的メシア」はその独自の律法解釈やそれによる破戒行動を行なうため、必然的に既存のユダヤ教権力層とも宗教的対立関係に入ります。

イエスが軍事戦闘型の「政治的メシア」だったのか、それとも待望型のそれだったのか、福音書の捏造があまりにも甚だしいためどちらであるか決定するのは難しいですが、

弟子たちの中に軍事戦闘型の熱心党員のシモンがいることもあり、またイエスが逮捕される際に弟子たちのうちのある者(ルカ22:50では弟子たちのうちの誰か、ヨハネ18:10ではペテロ)が剣を抜き、イエスを捕らえに来た祭司長あるいは大祭司の僕(しもべ)の右耳を切り落としたとあるように、

私は闘争型の要素を持つ待望型だったのではないかと想像しています。
つまり戦闘性も多少持つが主に納税拒否などさまざまな反ローマのサボタージュを行なう非軍事的な性格のものです。熱心党員の弟子はシモンの他にも幾人かいたかもしれません。

「政治的メシア」としてのイエスは十字架死によって敗北しました。
これを弟子たちは「宗教的メシア」に仕立て直してイエスを勝利者とし、みずからも勝利者としたわけです。
そのとき史実のイエスは直弟子たちからも見捨てられ放棄されたわけです。

イエスが逮捕された後、直弟子筆頭とされているペテロが官憲などに三度尋ねられて、そのたび「自分とは関係ない」と告げ、雄鶏が鳴くまでに三度イエスを裏切ったという福音書の話も、ひとつはそういう事情を反映したものでしょう。
キリスト教は史実のイエスとは何の関係もありません。それは直弟子たちの創作物です。

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パウロはイエスを直接知っていた直弟子たちから、先ほど述べた「最後の晩餐」の様子(これについては、パウロは、十字架贖罪死信仰を前提とした「これは私のからだ、これは私の血」などのイエスの架空の言葉によって、すでにペテロなどに欺かれているか、あるいは、たぶん、自分自身を欺いている)だけでなく、イエスの言行について無数の事実を知らされていましたが、ほとんど全て「政治的メシア」に関する史実であったため、あえて「肉のイエス」には一切触れませんでした。


彼は過去の「肉のイエス」に触れないことを、

「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」

(『コリント人への第二の手紙』第5章17節)と神学的に正当化さえしています。


パウロが史実のイエス・肉のイエスに一切触れずに済ませることが「できた」ということは、すなわちイエスの直弟子たちも、「政治的メシア」と直結する部分は全て排除するという仕方で、イエスの生涯や生き様を無視したということを示しています。


現代聖書学ではルドルフ・ブルトマンの福音書に対する詳細な様式史研究などによって、

「史的イエス研究のための唯一の資料である福音書からは史実のイエスを再構築できない」

という結論が出されています。つまり福音書に書かれているイエスの記事はほとんど信用できないということで、これは福音書が非事実の塊だということに他なりません。


さて、「政治的メシア」から「宗教的メシア」へ転換することで、キリスト教はイエスの政治性から脱してローマ帝国と妥協可能になり、その成功とともに際限なく非政治化してゆき、帝国内部に広く浸透できることになりました。

しかしそのかわりローマ帝国との妥協の産物として、

「ローマ人でなくユダヤ人たちがイエスを刑死させた」

というありもしない罪が捏造され、それが史実とは異なる十字架贖罪論の福音書に描かれて、その後の二千年に及ぶユダヤ人迫害の土台を形作ることになりました。


キリスト教がイエス殺害の主犯としての罪をローマ人からユダヤ人に転嫁したのは、ローマ総督がイエスを殺害したという姿のままではローマ帝国内部での成功がとうてい不可能だったからです。

その姿はイエスがローマ支配に反抗する「政治的メシア」として処刑されたことを示すもので、ローマ人は帝国内にこういう敵性宗教が蔓延するのを絶対に許さなかったことでしょう。

また、「宗教的メシア」を強調するために治癒奇跡や自然奇跡(風を叱って止めさせる・水上を歩く・パンと魚を数千倍にする)など様々な奇跡を次々と行うイエス像が捏造されるに至りました。

http://www.geocities.jp/toryon33/syuukyoukaitou.html#hitonoko


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2. 奇跡の丘


1964年 製作:アルコ・フィルム リュックス・フランス映画会社
原案・脚本・監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ(「マタイの福音書」に基づく)

http://www.youtube.com/watch?v=Y5BmG6ZU8jo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=j5M7Qx9kSX8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=eV9SwyfPw2I&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Y7In5tL4HCo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=F9JHnweOkLc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fnMa-rj4EFg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=dayjdaOLhnU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=H6OgYdxMwJ8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=22JmBmjB1cI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=VJ4wpna3Zjo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=z3oVPnqJeVk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=EOo5QORzRas&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=4zR_Ih1h528&feature=related


http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001SSXXWA/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=B00005FX1A&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=119821XWDXY28ESY9S8Y

Q資料...これがイエスの本当の辻説法


群集を見ると、彼は弟子たちに言った

何と幸運な者だ、貧しい者は。 彼らには神の王国がある。

何と幸運な者だ、飢えている者は。 彼らは腹いっぱいに満たされるだろう。

何と幸運な者だ、泣いている者は。 彼らは笑うだろう。


おまえたちに言っておこう。敵を愛し、呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈ってやれ。

おまえの頬をピシャリと打つ者には、反対の頬も向けてやれ。

上着を奪い取ろうとする者には、シャツもくれてやれ。

求める者には与えてやれ、おまえの持ち物を奪うものがいても、返してくれなどと言うな。

人さまにしてもらいたいと思うことを、彼らにもしてやれ。

おまえたちを愛してくれる者たちを愛したところで、それが何だというのだ。

徴税人たちでさえ、彼らを愛する者たちを愛しているじゃないか。

兄弟たちだけに挨拶したところで、ほかの者より何か善行でもしているというのか?

誰でもそうするじゃないか。

返してもらうことをあてにして貸すなら、それが何だというのだ。

悪人どもでさえ、返してもらうことをあてにして、身内の者に貸している。

しかし、おまえたちは、敵を愛し、よいことを行い、何も期待しないで貸してやれ、そうすれば、おまえたちの受ける報酬は大きく、おまえたちは神の子らとなる。


なぜならその方(神)は、邪しまな人間の上にも善良な人間の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨をお降らせになるからだ。


おまえたちの父が憐れみ深いように、憐れみ深い者になれ。
裁くな、そうすれば、裁かれないですむ

おまえたちが「裁きに」使う物差しが、逆におまえたちを裁く物差しになるからだ。

盲人は盲人の手を引けるか? 二人とも穴に落ちはしないか?

弟子は師にまさらない。師に似ていればそれで十分だ。


おまえは兄弟の目の中にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の中にある丸太に気づかないのだ?

自分の目の中にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、

「あなたの目にあるおが屑を取らせてください」

と、どうして言うことができるのだ?

偽善者よ、まずおまえの目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきりと見えるようになって、兄弟の目の中にあるおが屑を取り除くことができる。


よい木は腐った実を結ばず、朽ちた木はよい実を結ばない。

茨からイチジクが採れるか?

アザミから葡萄が採れるか?

どの木もその結ぶ実によってしられる。

善良な人間は倉から良い物をを取り出し、邪しまな人間はいかがわしい物を取り出す。
なぜなら口は、心から溢れ出るものを語るからだ。


わたしを「先生、先生」と呼びながら、なぜわたしの言うことを実践しないのだ?

わたしの言葉を聞き、それを実践する者はみな、岩の上に家を建てた者に似ている。

雨が降り、激流が襲っても倒れなかった、岩が土台だったからだ。

しかし、わたしの言葉を聞いても実践しない者は、砂の上に家を建てた者に似ている。

雨が降り、激流が襲うと、倒れてしまった。ぺしゃんこだった。


ある人が彼に向かって言った。

「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。」

するとイエスは答えた。

「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」

別の者が

「まず、わたしの父を葬りに行かせてください」

と言うと、イエスは彼に言った。

「死んでいる者たちに自分たちの死者を葬らせるがよい。」

また、別の者も言った。

「先生、わたしはあなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいをさせてください。」

イエスは彼に言った。

「鍬に手をかけてから振り返る者は、神の王国にふさわしくない。」


彼は言った。

「収穫は多いが、人手が足りない。だから収穫の主に、刈入れのために働き手を送ってくれるよう願うのだ。

さあ、行け。わたしはおまえたちを遣わす。

それは、小羊を狼の群れの中に送り出すようなものだ。

金も、バッグも、サンダルも、杖も携えてはならない。

道中では誰にも挨拶をするな。

どこかの家に入ったら、開口一番、(この家に平安があるように!)と言ってやるのだ。

もし平安の子がそこにいるのならば、おまえたちの挨拶は受け入れられる。

もしいなければ、その平安はおまえたちに戻ってくる。

同じ家にとどまり、そこで出される物を食べ飲むがよい。

働く者が報酬を受けるのは当然だ。

家から家へと渡り歩くな。

町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べるのだ。

病人の世話をし、そして彼らに、(神の王国はあなたがたに近づいた)と言ってやるのだ。

しかし町に入っても、迎え入れられなければ、出ていくときには、足についた埃を払い落として、

「だが、これだけは確実だ。神の王国は近づいた」

と言ってやれ。

祈るときは、こう言うのだ。


「父よ、あなたの名が崇められますように。

あなたの支配がありますように。

わたしたちに毎日、日々のパンを与えてください。

わたしたちの負債を赦してください。

わたしたちもわたしたちに負債のある者をみな赦しますから。

わたしたちを誘惑(試される状況)に遭わせないでください。」


求めよ、そうすれば、与えられる。

探せ、そうすれば見つかる。

叩け、そうすれば、開かれる。

求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者はには開かれるのだ。

おまえたちの中に、パンを欲しがるわが子に石を与え、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか?

おまえたちは、よい者でなくても、わが子にはよい物を与えることも知っている。

もしそうなら天にいる父は、どんなに多くのよき物を、求める者に与えてくださることか!

隠されているもので知られずに済むものはなく、明るみに出ない秘密はない。

わたしが暗闇で言うことを、光の中で言うのだ。

耳にささやかれたことは、屋根の上で言い広めるのだ。

体を殺すことができても、魂を殺すことができない者たちを恐れるな。

五羽の雀は二セントで買えないか?

だがその一羽でさえ、おまえたちの父が知ることなしに、地に落ちたりはしない。

おまえたちの頭髪までも、一本残らず数えられている。

だから、恐れるな。おまえたちはたくさんの雀よりもまさっている。


群集の一人が言った。

「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟にいってやってください。」

イエスは彼に言った。

「なあ、誰がわたしを、おまえさんたちの裁判官や調停人に立てたのだ?」

彼はたとえで彼らに語った。

「ある金持ちの土地が豊作だった。金持ちは、

(どうしよう、作物を蓄えておく場所がない)

と思いをめぐらし、やがてこう言った。

(よし、こうしよう。倉を壊してもっと大きなやつをつくり、そこに穀物や財産をみなしまい、わが命の君にこういってやる。

(命の君よ、おまえさんには何年分もの蓄えが十分にできたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして陽気にやれ。))

しかし、神は彼に言った。

(大ばか者!今夜おまえの命の君は取り上げられる。おまえが生産したものは、いったい誰のものになるのか?)

自分のために富を積んでも、神の目に豊かでない者は、これこのとおりだ。」


おまえたちに言っておく

何を食べようかと、命のことで心配などするな。

何を着ようかと、体のことで思い悩んだりするな。

命は食べ物よりも大切じゃないか。体は衣服よりも大切じゃないか。

烏のことを考えてみるのだ。

種蒔きもせず、刈入れもせず、納屋に穀物をためもしない。

それなのに、神は烏を養っておいでだ。

おまえたちは烏よりも価値がないのか?

おまえたちのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命を一日ひき伸ばすことができようか。

なぜ、服のことで思い悩んだりするのだ?

百合がどのようにして育つのか考えてみるがよい。

働きもせず、紡ぎもしない。

だが、栄華をきわめたソロモンでさえ、これほどには着飾っていなかった。

もし神が、今日は野にあっても、明日は炉に投げ込まれる草でさえこのように美しく装われるなら、信仰心の薄いおまえたちにはなおさらのことじゃないか。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかなどと考えて、思い悩んだりするな。

それは世の誰もが切に求めているものだ。

おまえたちの父は、おまえたちがこれらの物を必要としていることを知っている。

ただ、おまえたちへの神の支配を確信するのだ。

そうすれば、これらの物はすべておまえたちのものになる。

自分の持ち物を売り払って、施しをしてやれ。

自分自身のために、富を天の口座に積み立てるのだ。

そこでは虫が食うことも、錆つくこともなく、盗人が忍び込んで盗むこともない。

おまえたちの富のある所に、おまえたちの心もある。


彼は言った。

「神の王国は何に似ているか。それを何にたとえよう。

それは一粒のからし種に似ている。

これを取って庭に蒔くと、成長して木になり、空の烏がその枝に巣をつくる。」


彼はこうも言った。

「神の王国は、パン種に似ている。
女がこれを取って三升の粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」


偉そうにふんぞり返っている者は赤恥をかくが、へりくだる者は褒められる。

ある人が盛大な宴会を催そうとして、大ぜいの人を招いた。

宴会の時刻になったので、彼は僕を客人のもとに遣わして言わせた。

「さあ、もう用意が整いましたので、お越しください。」

するとみな、言い訳を口にしはじめた。

最初の者は彼に言った。

「畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください。」

別の者はいった。

「牛を二頭ずつ五組買ったので、しらべねばなりません。どうか、失礼させてください。」

また別の者は言った。

「新婚ホヤホヤなので、行けません。」

僕は帰ると、このことを主人に報告した。

すると、家の主人は怒りを爆発させて僕に言いつけた。

「さあ、すぐに町の通りに出て行き、見かけた者は手当たり次第連れて来るのだ。」

そこで、僕は通りに出て行き、見かけた者を集めて連れてきた。

こうして、その家は客人でいっぱいになった。


父や母を憎まない者は、わたしから学ぶことは出来ない。

娘や息子を憎まない者は、わたしの弟子になれない。

十字架を受け入れて(非難に耐えて)わたしに従わなければ、わたしの弟子の一人になれない。

自分の命を守ろうとする者は、それを失う。

しかし、わたしのために命を失う者はそれを保つ。

塩はよいものだ。

だが、塩味を失えば、どのようにしてもとの味にもどるのだ?

土地のためにも肥料のためにもならず、外に投げ捨てられるだけだ。
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_qtxt.html


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ヨーロッパ諸国の中でも特にカトリックの勢力が強いイタリアでは、パゾリーニがキリストを冒涜する映画を撮るに違いないと早合点し、激しい反対の声をあげ、撮影中から早くも妨害される。映画が完成してヴェネチア映画祭に出品されたときも、右翼の学生がパゾリーニに怒号を浴びせ、腐った生卵を投げたりした。

ところが映写が始まってみると、何と忠実なキリストの映像化…

満場はシーンと静まりかえった。 というエピソードがあります。

何故こんなに信用されなかったのか?

それはウルトラ左翼のパゾリーニだからです。http://blogs.yahoo.co.jp/legendofbenji/12024963.html

無神論者・パゾリーニが、キリストの生涯を新約聖書の「マタイの福音書」を元に映像化した作品。

マリアの懐妊に始まり、東方三博士の礼、ヘロデ王の嬰児大虐殺、パンと魚の奇跡の話、サロメが洗礼者ヨハネの首を所望した話、最後の晩餐、釈放されたバラバ、磔刑、そして復活と、絵画等の主題になるような内容はほとんど描写されているし、 「汝の隣人を愛せよ」というような、よく知られたキリストのことばも、作中に多数含まれている。

他のパゾリーニ作品に見られるような”毒気”はなく、敬虔なキリスト教信者の視点で描かれているといえるだろう。 飾り気のない映像も、キリストを語るにふさわしい。パゾリーニが無神論者であることを知らなければ、キリスト教信者によるキリスト教布教の為の作品にも思えるほどである。いったい、パゾリーニの意図はなんだったのか。

パゾリーニがアッシジ滞在中に時の法王、ヨハネ23世のアッシジ訪問に遭遇し、ホテルで街の喧騒を聞きつつ手にした聖書が、この映画製作のきっかけとなったらしい。しかし、「奇跡の丘」撮影前に発表したオムニバス映画「ロゴパグ」の第3話「リコッタ」で、キリストの磔刑映画のパロディーを描き、「宗教を侮辱した」かどで告訴された(判決は無罪であった)という経緯があったので、パゾリーニによるキリストの映画製作には反対も多かったという。

ところが、「奇跡の丘」が発表されると、国際カトリック映画事務局賞を受賞。ローマ法王庁がキリスト教徒に適した映画を選出する「ローマ法王のオスカー」と呼ばれるリストでも、「奇跡の丘」は上位に入っている。ヴァチカンのお墨付きになったわけである。
http://www.cinemaitalia.jp/primipiatti/primo-ka.htm

ヨハネパウロ二世の推薦する映画第二位の映画。

カトリック信者ならこれ以上の信頼できる評価は無いでしょう。

1位「シンドラーのリスト」(93)
2位「奇跡の丘」(64)
3位「ライフ・イズ・ビューティフル」(97)
4位「モダン・タイムス」(36)
5位「ナザレのイエス」(77)
6位「ベン・ハー」(59)
7位「わが命つきるとも」(66)
8位「2001年宇宙の旅」(68)
9位「8 1/2」(63)
10位「山猫」(63)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B001SSXXWA


パゾリーニはコミュニストであったにもかかわらずなぜにこの映画を作ったのか。
彼はこう語っている。

[パゾリーニの言葉]

 私はアッシジのプロ・チヴィターテ・クリスティアーナに泊めてもらっていた。その後も何度か訪ねているが、そこは私のような人間にもいつも扉を開いている。1962年10月2日だった。アッシジはロレート・ジョヴァンニ(ヨハネ)23世の来訪を待っていた。

ヨハネ23世はヴァティカンを出て、宗教会議のさだめによって“貧しくつつましき者”と名付けられた聖フランチェスコの墓に祈るためにやってきた初めての法王だった。

私はベッドに横になり、町の音に耳を澄ました。町は人々の声や足音で沸き立っており、好奇心と幸福感で熱くなっていた。大聖堂に向かう道にはたくさんの足音が聞こえた。ありとあらゆる鐘が鳴り始めていた。

私は優しい農民法王のことを思っていた。彼は難しいと当時は思われた希望へと人々の心を開き、またレジーナ・コエリの扉も彼に開かせたのだ。そこで法王は《自分の目で》泥棒や殺人者たちを見たのである。厚い慈悲の心以外は何もまとわずに。

 私も一瞬起き上がってそば近くで彼にまみえたいと思った。しかし、鐘が私の頭の上でも鳴り響いているあいだ、彼に会いたいという望みは突然鎮まった。自分がたくさんの人にとって苛立たしいはみ出し者になるのではないか、安易な宣伝をしようとしていると非難されるのではないかと思ったからだ。

私は自分のことを“放蕩息子”とは思わなかったが、多くの人にとってはそうした振る舞いは趣味の悪いシナリオのように映るだろう。

 本能的に手をナイトテーブルの上にのばして私は福音書の本を手にした。それはすべての部屋に置いてあるものだった。私は最初のところから読み始めた。

つまり4つの福音書の最初、マタイ伝から。最初のページから最後まで、今でもよく覚えているのだが、祝典で沸き立つ町の喧噪から喜んで身を守るように私は読み耽った。ついに本を置くと、私は最初のざわめきから、鐘が巡礼法王の出発を告げるまで、自分がこの厳しいと同時に優しい、かくもヘブライ的で激しやすいテキスト、それこそがマタイ伝だーーを全て読んでしまったことに気づいた。

 福音書を映画化しようという考えは何度も浮かんだが、この映画はまさにそこで、その日の、その時間に生まれたのである。

パゾリーニは「信者の中に入り込まずには神の子イエスを描くことが出来ず、無神論者である自分自身と信者との、2つの物語の間をきわめて難しい均衡をこの作品で実現せねばならなかった」と書いている。

これでなるほどと思い当たるのが、この映画の極めて客観的なイエスの描き方だ。俳優は素人であり、現代的な感情を込めた演技をしていない。

本作のすばらしさはその音楽によるところが大きい。聖書に書かれている事実は、淡々と語られていく。

ゴルゴタの丘にのぼる場面。このシーンを「パッション」と比べるといかに違うかわかります。

熱心なクリスチャンのメル・ギブソンが作った「パッション」と比較するとあらゆる面で対照的だ。パゾリーニ版のこの淡々とした進行が、彼の客観的な視点、信者でないという事実を如実に物語っているように思える。

信仰というのは理屈でないので、「パッション」ではメル・ギブソンの思い入れの深さが、時に執拗なまでに残酷な描写に行き着いたり、観ている私からするとうんざりしてしまったりするのだが、「奇跡の丘」には見事にそれがない。やはりパゾリーニは信仰心からイエスを語っているとは思えない。非常に冷めているなあと感じる。

ではこの淡々とした語り口が、なぜ数あるキリスト教映画の中でももっとも感動的であるといわれる作品といわれるようになったのか。

まず聖書を読んでみるとわかることだが、聖書が淡々としているのだ。現代的なストーリー展開に慣れている私たちにとっては、入りにくい文章である。

なにより、いつどこでだれとだれがどうした、という現代なら当たり前の歴史記述が聖書にはない。唐突に物語りははじまり、ある記述はとても長かったり、ある記述はあっさりしていたり、時系列であったりなかったり、そのときにその場に誰がいたりというのが定かでない。

そしてそのとき「と思った」という登場人物たちの思いは見事に省かれている。だからそれは文脈から汲み取るしかないので、そこにイエスを物語にするときの醍醐味があるといえるし、難しいところであるのだ。そしてこれが様々な聖書解釈、異端信仰を生む。

だいたい、どうしてユダがイエスを裏切ったのか、その理由は一切書いていないのが、私からすると本当にミステリアスだ。

では、キリスト教に興味がない私が、もし聖書のイエスの生涯を映画にするとしたら、どうするだろう?

そう考えると、この映画も非常にすっきり理解できる。

おそらく、パゾリーニが聖書を読んで最も共感できた箇所が、この映画でもっとも感動的な場面になっているのだと思う。だから「イエスの奇跡」といわれる処女受胎や湖の上を歩いたことや、病の治療、復活は淡々と描かれる。削ってはいないという点もミソだと思う。あくまでそれは事実として描いている。

この、ことさら奇跡を大げさに映像にしていないことが、信者でない多くの人がこの映画に対して拒否反応を示さなかった理由だと思う。

そして、コミュニストらしい解釈というか、お金持ちや権威ある階層に対しては戦いを挑むイエスが描かれる。

過ぎ越しの祭りのときに、イエルサレムに入城し、両替人の台や、鳩を売る者の腰かけをくつがえし、天使のような子どもたちが宮に入り、イエスを祝福する。その子どもたちが、ロケ地周辺から集められて演技させられてますっていう感じが非常にほほえましく、子どものたちの純粋さに溢れている感動的な、私の一番好きな場面。

「神の国はこのようなものたちである」と、そのかわいい子たちをいとおしく、優しい表情で見つめる人間としてのイエス。

こういったキリスト教の教えの根幹にあたる小さきものたちへの「愛」のシーンの普遍性こそが、この映画の素晴らしいところだと思う。

これこそキリスト教の教えがどうこうよりも、信者でないパゾリーニの心をも揺さぶった聖書の一場面であったろうし、同じく信者でない私が見ても感動する場面なのだ。
聖書に懐疑的な人間が、どうしても信じられない奇蹟は淡々と(鞭打ちもなければ、磔で苦しむさまも出てこない)、現代人でも共感できるエピソードはしっかり描く、このバランスが優れているのが、本作の素晴らしいところだ。

また、キリスト教の信仰では、「自らの罪を認める」というのが重要だが、この映画からはガチガチの罪悪感が感じられない。象徴的な場面としては、イエスがムチ打ちと磔で苦しむ場面で最もそれが強く表される。が、映画にこのシーンはない。人類の罪を背負ってイエスは磔刑にされた、というイエスの受難は、ぽっかり抜けているのが興味深い。
http://myvoyagetoitaly.seesaa.net/article/11038795.html


黒と白の対照を最大限に生かした美しい画面。黒の美しさ、白の美しさが心を動かす。

 画面は動でなく、静を目指して構成されている。その静は石で作られ直線で象られた建物によってしっかりと支えられている。

 そのような静かな美しさに充ち満ちた映像でイエス・キリストの生涯が語られる。

 『奇跡の丘』でイエスの起す奇蹟は、ほとんど大道芸のように表現される。パゾリーニは奇蹟の中に聖なるものを示さない。パゾリーニの視線を追うとき、パゾリーニの視線が熱を帯び、炎をあげるのは、イエスが怒りを言葉に表す時だということに気付く。

 パゾリーニは言葉の中にイエスを見ているのだ。

 イエスの言葉は激しい。イエスの言葉はこう叫んでいる。全てを破壊せよ。私だけを見ろ。私だけを愛せ。

 イエスの言葉は静かな美しさに充ち満ちた映像によって支えられている。映像の静かさの背後には激しさがある。その激しさが抑制されているところに生まれているのが『奇跡の丘』の映像の静かさなのだ。だからイエスの激しい言葉を支えることができる。

 イエスは手に太い釘を打ち付けられるとき、苦痛の叫び声を上げる。それはキリストに対するパゾリーニの冒涜ではない。そうではなく超人でないイエスに対するパゾリーニの愛なのだ。

パゾリーニはイエスの中に一人の反逆者を見ていると言ったら、たぶん間違っているだろうが、パゾリーニのイエスに対する共感は怒れる反逆者という点にあるのだと僕は感じたことも確かなのだ。

 『奇跡の丘』では常に鳥たちの鳴声が聞える。鳥たちの鳴声は、イエスという一人の人間の物語を、人間社会という閉ざされた所ではなく、世界という開かれたところに投げ入れる。イエスは世界と繋がり、人間を超える。いや人間たち全てが世界に投げ入れられているのだ。そこにおいてこそ神がその顔を見せる。

 パゾリーニは神を信じていないとしても、絶対的なものを求めている。だからイエスに共感しこのように力の籠った映画を作るのだ

 これは本当に僕の勝手な感想なのだが、パゾリーニは絶対的なものを求めているが、最後の最後のところで絶対的なものを信じていない。パゾリーニは信じていないものに必死に手を伸ばしている。そう僕は映画が終わったとき感じたのだった。
http://www.ne.jp/asahi/akira/flick/flick/movie/1999/9905.html

管理人
『奇跡の丘』は、『マタイによる福音書』を元に〈無神論者〉のパゾリーニが撮ったキリストの生涯です。日本で最初に公開された記念すべき作品でもあります。キリストはカッコ良かったですね。おいしんさんはよくわかんなかったみたいですけど。


BABA
いや、おいしんもああ見えてなかなか鋭いんだよ。

「にしてもこの役者さんはこんなテンションの高い役を演じてしまって、通常の生活に戻れたんかなあ?」

と書いてたけど、

この役者さん、撮影が終わった後に「自分はキリストだ!」とか言い出して精神病院に入っちゃったらしい。


管理人
……。それは凄いですね。


ヤマネ
この映画、カソリック教会とかは大嫌いだけど、キリストその人は愛しているパゾリーニの気持ちがよく出てますね。


オガケン
革命家としてのイエスだな。


BABA
説教がほとんどアジテーションだもんね。なんか教会から賞をもらった作品らしいけど、細かい事は抜きにしてそれくらいイエスがカッコ良かったってことかな。中盤のマシンガン・トークとかスゴかった。取りあえず眉毛がつながってるし。


管理人
……。それはどうでもいいでしょう。


オガケン
とにかくザックリ感がスゴイ。細かいところはどうでもいいっていうか。終わり方も全部スゴいし。『デカメロン』とか、パゾリーニ扮するジオットが、「夢の方が素晴らしいのに、なぜ絵を描き続けるのだろうか?」でバスっと終わる。


BABA
ホント。もう話終わってるんやから、とっとと終われや! っちゅう映画が多すぎるからね。


オガケン
アントニオーニの『太陽はひとりぼっち』ってのを見たんだけど、パゾリーニの後に見るとやっぱり終わり方がダラダラしてて参った。


BABA
パゾリーニはとにかくスパッというか、バスッというか、ゴリゴリッとしたところがいい。
http://www.cafeopal.com/reviews/99/dec/reviews991214.html


パゾリーニが何故マタイ伝を基にしたキリストの映画を撮ったのであろうか。


 彼が描きたかったのは素朴な民衆を導く者の姿ではないのだろうか。

それは田舎に生きる人々の生活習慣に関心を寄せ、またプロレタリアートの解放を訴え、左翼運動を続けていたパゾリーニ自身の反映――。

であれば『奇跡の丘』は、十二使徒や説教を受ける人々は、田舎の人々やプロレタリアートと見なし、その説教を説いているキリストはパゾリーニ自身として捉えられるのであろうか。

 この映画のキリストはまるでアジテーションのように教えを民衆に訴えかける。
特に「山上の垂訓」といわれるシーンでの、たたみかけるような説教は他の介入を許さない。

カメラが捉えるのはアップで映し出されるキリストの険しい表情のみで、それが幾カットも力強く切り返し挿入される。パゾリーニの内面に秘められた熱き魂の叫びのようでもあり、また彼の生き方の姿勢とも見れる。 
http://www5b.biglobe.ne.jp/~satonaka/kiseki.htm

個人的なことになりますが、私がローマの・・・正確にはバチカンのサン・ピエトロ寺院に行ったときに一番驚いたのは、その壮麗さでもなく・・・周囲にお店がいっぱいあったことでした。

ご存知のように、新約聖書にはこんなエピソードが出てきます。

神殿の前で商売をやっていた屋台をキリストが打ち壊し
「ここは聖なる場所だ!金儲けをするところではない!」

有名なシーンですよね?

「よりにもよって、カトリックの総本山の寺院の前で商売かよぉ・・・何故にそんなことを許すの?」

私も絶句してしまったわけです。まさかバチカンの人が聖書を読んだことがないはずもないでしょうし・・・

まさに聖書の言葉ですと、「言葉は聞いたが、内容は理解しなかった。」ということなんでしょうか?バチカンも、なんと罪深い・・・

勿論、宗教だって現実と折り合いを付けないといけない。何といっても現実に存在する人間を救うのが宗教の目的の一つ。

しかし、ものには限度というものがあるはずです。
ということで、どのような宗教にも必ずある時点で原理主義的な運動が起こってくる。

「この宗教の本来の姿だった、精神的で厳しいスタイルに戻ろうよ!」というわけです。


カトリック圏ですと、ポール・ロワイヤル修道院を中心としたジャンセニストが活躍した時期がありました。

ジャンセニストは、今で言うと原理主義者の典型といえるでしょ?
禁欲的で、ある種、教条的。

そもそもイエス・キリストだって、ユダヤ教における原理主義者ですし・・・


「形を守っていればいいわけではないんだ!

周囲の人が許してくれるから、それでいいというものではないんだ!

一人一人の内面が重要なんだ!」


というわけですからね。典型的な原理主義者の発想です。

ロシア正教においても、分離派の運動がありました。

ロシア正教の主流から分離して精神的で厳しい宗教活動を行った一派です。
オペラ・ファンの方はロシアの分離派の問題を扱ったムソルグスキーのオペラ「ホヴァンスティーナ」でご存知でしょう。

分離派はロシア語でラスコリーニコフ。

ラスコリーニコフというとドストエフスキーの「罪と罰」の主人公の名前です。
つまり小説「罪と罰」は「宗教的原理主義者(=分離派)が、金の亡者(=質屋のばあさん)を惨殺するシーン」で始まるわけです。

19世紀のロシアの小説と全く同じシーンで21世紀が始まったことを考えると、
人類は全く進歩してない。昔も今も同じことをやっているだけ・・・
ということが実感できます。

・・・念のため申し上げますが、あの同時多発テロ事件について、アメリカ人が金の亡者だと申し上げているわけではありません。そう思っている人が起こした事件だということです。

さてさて、長い前置きですが、今回取り上げるのはパゾリーニ監督の「奇跡の丘」。
原題を直訳すると「マタイによる福音」で・・・新約聖書のマタイ伝の映画化といえます。

ストーリーはまさにマタイ伝そのもの。

では何故にマタイなの?

何故、ルカやマルコやヨハネではないの?

福音史家にも4人いるわけですからね。その選択における意味もあるでしょ?
どんな観点から、マタイを選択したの?

まずもって、ヨハネは文学的なので映画の原作には向かない。
ヨハネによる福音書は読むものであって、見るものではない。
あとマルコとかルカでもいいのでしょうが、マタイには大きなメリットがあるわけ。

バッハが音楽を付けた「マタイ受難曲」の音楽が使える。
あのすばらしい音楽を使えるのはメリットですよね?マルコやルカだとそういうわけにはいかない。

このパゾリーニ監督の「奇跡の丘」でも、当然のこととしてバッハの「マタイ受難曲」が使われています。 今回はその意図を考えてみたいと思います。

しかし、パゾリーニ監督が聖書のマタイ伝を映画化するに当たって、バッハのマタイ受難曲を使うってそんなにメリットなのかな?

何と言ってもバッハのマタイ受難曲はドイツ語の歌詞。イタリア人には理解できないでしょう。もうひとつ問題があります。バッハはプロテスタントであって、カトリックにしてみれば異端に属するもの。かつては長年にわたる戦争もやっていたわけですから、よりにもよって聖なるキリストを描くに当たって、使いにくい音楽でもあるわけです。

流行音楽だったら、その作り手がプロテスタントに属する人であっても、それほど問題にはならない。しかし、宗教的な題材を描く際には、その作り手の宗教的なバックボーンにも目を向ける必要があるわけ。だから、キリストの受難を、マタイ受難曲を使いながら描いていくスタイルを持つカトリック系の作品となると、ちょっと矛盾している。

しかし、どうやらパゾリーニはあえてプロテスタントの音楽としてバッハを使ったように見受けられます。というのはロシア正教圏からの代表?としてプロコフィエフの「アレクサンドル・ネフスキー」も使われているからです。

プロコフィエフの音楽の使われ方は、ヘロデによる嬰児虐殺のシーンなどで使われています。確かに、その音楽は、死者累々の場面にはふさわしい音楽ですからね。

しかし、そのような場面でも別にプロコフィエフでなくてもいいわけですし、あるいは無理に音楽を付けなくても問題はない。むしろ、あえてプロコフィエフの音楽を使うことにより、ロシア正教圏代表のプロコフィエフと、プロテスタント圏代表のバッハ、そしてカトリック圏代表のモーツァルト(それにウェーベルンも?)の三位一体を狙っていたのでは?

単なるカトリックの範疇を超えて、キリストを描くこと。そのためにはカトリック,ロシア正教,プロテスタント・・・そしてアメリカのゴスペルと様々な文化圏のキリストに関わる音楽を使う・・・そのような魂胆があったように見受けられます。プロコフィエフの「アレクサンドル・ネフスキー」はキリストとは縁がありませんが・・・ロシア圏では宗教曲って昔からあまりありませんものね。

プロテスタント陣営から参加したバッハの音楽ですが、マタイ受難曲のみを使っているわけではありません。ロ短調ミサのラストの部分「ドナ・ノヴィス・パーチェム」やヴァイオリン協奏曲も使われています。ロ短調ミサはプロテスタントのバッハの典礼音楽ということで、これもまた、ちょっと矛盾した存在といますね。

プロテスタントではそのようなミサ曲は使わないんですから。これはプロテスタントとカトリックの橋渡しくらいの意味もあるのでしょう。カトリック圏のウェーベルンがバッハの音楽を編曲したリチェルカーレも同じ意味もあるのでは?

とりあえずここでは「マタイ受難曲」を中心に考えてみることにいたします。
バッハの「マタイ受難曲」は新約聖書のマタイ伝に自由詩やコラールを追加したもの。全曲を演奏するには3時間はかかる超大作です。ですから、映画においてそのマタイ受難曲を使う場合でも「3時間の全曲の中からどの部分を選ぶのか?」という点に注目する必要があります。


パゾリーニはマタイ受難曲から2箇所使っている。

ひとつは「哀れみください。わが神よ!」。

タルコフスキーの作品では「ストーカー」と「サクリファイス」で使われています。

使われるもう一つが「マタイ受難曲」の最後「涙ながらにひざまずき・・・」

2つともマタイ受難曲でも自由詩に属する部分です。聖書の詩句でもなく、コラールでもない。イエスではない民衆の感情を歌った部分といえます。

「哀れみください。わが神よ。」では、イエスを否認したペトロの悲しみが歌われるわけですが、イエスの否認はペテロだけでなく民衆すべての問題ですよね?

そしてマタイ受難曲のラスト「涙ながらにひざまずき・・・」も民衆の感情を歌っているわけです。

ですからこのパゾリーニの「奇跡の丘」では、キリスト本人よりも、キリストを死に追いやった民衆の問題がテーマであるといえるわけです。聖なるものを認めない民衆。

この映画では、キリストが熱く説教するシーンが、長時間にわたって続きます。


「どうして人の目の中のチリを指摘するのに、自分の目に梁があるのに気がつかないのか?」

「彼らは重い荷をくくって、人の方に乗せ、自分は指一本さわろうとしません。」

「宴会の上座や会堂の上席が大好きで、広場で挨拶されたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。」


・・・笑っていいのか?悲しんでいいのか?2000年前も21世紀の現在も、人類は全く変わっていませんね。

あるいはこのような言葉もあります。


「愚か者!あなた方は預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って

『私たちが先祖の時代に生きていれば、預言者たちの血を流すような仲間にならなかっただろう。』

と言います。こうして預言者を殺したものたちの子孫だと自分で証言しています。」


この言葉から、大昔より存在する創作する芸術家と、それを外から論評する評論家の関係を想起することは簡単でしょう。評論家っていつもこんな感じですよね?先代の評論家を否定し、同時代の芸術家も否定する・・・これって、典型的な評論家のスタイルです。

昔も今も、そして世界中どこも同じなんですね。パゾリーニ監督はそのような、創作する芸術家としての共感からこの部分を引用したのでしょう。


イエスと民衆の関係から、パゾリーニ監督は芸術家と民衆の問題が提起されているわけです。

実際として、パゾリーニは自分自身とイエス・キリストを重ね合わせている。

1. 父親との微妙な関係。
2. 周囲の人に混乱をもたらす。
3. 神から霊感を受けている。

勿論、最大の共通点は迫害と受難でしょう。

聖書に記述されたキリストの行動を読んでみるとお分かりになるでしょうが、キリストの行動は典型的なカルト宗教のもの。

それこそ、神殿の前で商売をやっていた人を妨害する威力業務妨害をやったり、マジメに漁師をやっている人たちを布教活動に引っ張り込んだり、「持っているお金を全部寄付せよ!」とか言ったり、「家族なんかと関わるな!」と言ったり・・・

しかし本来は宗教というものは現実社会を重視するのではなく、現実を超えた精神的な世界を重視するものですから、現実の生活と齟齬が出て来るのは当然なんですね。

では、それこそオウム真理教の麻原氏も何百年か後には聖人扱いになるの?

それはありませんよ。だって「この世のことより大切なことがある。」という言葉はいいとして、それについて、ちゃんと実行しないとね。

麻原氏のように、この世に富を蓄えたりしては言行不一致ですよね?

また、この世より大切なことがあるのですから、自分の命に拘っていてはダメなんですね。

堂々と・・・あるいは従容と死に赴かないとね。

死に赴くこと・・・受難を受け入れること、これこそ神を受け入れている証でしょ?
裁判でブツブツ言っているようではダメなんですね。ちゃんと黙って死なないと・・・

死んでこそ聖人への道といえるわけです。

これについては、パゾリーニ監督だって十分にわかっていたことでしょう。

パゾリーニ監督が「キリストにならいて」75年に撲殺されたのは、勿論意図的でしょう。

パゾリーニ監督は無神論者だったとか解説されています。
しかし、パゾリーニはキリストには共感を寄せていたわけ。

世の中の不正と戦う同志として・・・
そして聖なるものに殉じる芸術家として・・・

バッハのマタイ受難曲におけるイエスの否認の部分を取り上げることによって、2000年前の民衆がイエスを否認し死に追いやったように、今現在の我々が聖なるものを放擲していることを確認しているわけです。

パゾリーニ監督はデビュー作「アッカトーネ」でもマタイ受難曲のラストを使っています。貧民街の娼婦のヒモが主人公の「アッカトーネ」。あの作品では受難という面が強調されていました。

この「奇跡の丘」では、聖なるものの受難という面だけでなく、「哀れみたまえ、我が神よ。」も使うことにより、聖なるものを受難に追い込む民衆の問題も提起しているわけです。

そしてイエスが捕縛されてから映画の視点は、イエスからむしろ離れる傾向があります。意図的にペテロの視点になったり、ヨハネの視点になったりする。

ペテロやヨハネは12使徒としてキリストにつながるものとしての扱いではなく、精神的な弱さを持つ我々の代表としての扱いです。

この「奇跡の丘」という作品は、キリストを主人公とするより、民衆を主人公としているわけです。だからこそ「マタイ受難曲」で民衆の感情を歌った部分が使われているわけ。

あるいはこのようなセリフがあります。旧約聖書の言葉なのかな?

『耳で聞くとも理解できぬであろう。目で見るとも判別できぬであろう。

人々の心は感覚を失っている。彼らは耳を固くし、目を閉じた・・・』


ほぼ同じようなセリフがタルコフスキー監督の「ストーカー」でもありました。

タルコフスキーの「ストーカー」と、今回のバゾリーニは、同じ音楽を使っているだけでなく、同じようなセリフも登場するわけ。

民衆は神の言葉を聞く意思がなくなっている。

神の啓示を受けた芸術家の言葉を聞く意思がなくなっている。

パゾリーニは、聖なるものを受け入れない民衆に対して怒っている。
ニーチェ流にいう、「神は死んだ!我々が殺してしまった!」そのもの。

パゾリーニの行動と生涯は、神殿の前で商売をしている屋台を打ち壊したイエスと同じ。

彼もゴダールと同じように、聖なるものに殉じる伝統的な存在と言えるでしょう。
まさに「パッション」を受け入れる存在として自分自身を規定している。
昔も今も芸術家がやっていることは同じ。そしてそれを認めない民衆も同じ。

そんな何千年も変わらない人間の姿が、マタイ受難曲の中での選曲で示されているわけです。
http://magacine03.hp.infoseek.co.jp/old/04-07/04-07-20.htm


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3. 神の子とは古代ユダヤでは父なし子の俗称だった

マリアは「レイプ被害者」説の番組でBBCに抗議

 【CJC=東京】処女でイエス・キリストを産んだとされるマリアは、実はレイプ被害者だった、との説を取り上げた英BBCテレビのドキュメンタリー番組『処女マリア』がクリスマス直前の2002年12月22日に放映された。

 人気女優らを起用し、マリアの生涯をドキュメンタリー・ドラマ風に追ったもの。

マリアは貧しい無学な女性で、ローマ軍兵士にレイプされてイエスを身ごもったと受け取れる内容で、馬小屋で出産し3人の博士が立ち会ったなどの伝承は間違いとしている。

視聴者から翌日までに500件以上の抗議電話が殺到したという。
 共同通信によると、BBC担当者は

「微妙なテーマだが、われわれは番組を支持する。マリアは好意的に描写されていると思う」

と述べた。
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イエスは私生児か?


・・・生前のイエスがユダヤ人からどう見られていたかについて、記そう。

当時のユダヤ人には姓がなかった。
通常は自分の名の次にベン(ヘブル語)もしくはバル(アラム語)をつけ、次に父の名を置いた。

正確ではないが、イエスがヨセフの子なら、イエス・ベン・ヨセフという言い方をする。

この点、ロシヤ人の父称とやや似ている。いわばイワン・イヴァノヴィッチ・イワノフとはイワンの息子のイワンで、もしイワノフという姓がなければイエス時代のユダヤ人と同じ言い方になる。

当然のことだが、私生児には父称はない。トルストイの『復活』で、カチューシャが法廷の人定尋問で父称をきかれ、顔を赤らめて「私生児でございます」という場面があるが、父称のある国では私生児であるか否かが名前を見ただけでわかる。・・・

父称が姓のかわりをする社会で私生児がすぐにわかるのはユダヤ人も同じであった。
ではイエスは一体なんと呼ばれていたのか。


マルコ福音書(六3)に

「・・・この人は大工ではないか。マリアの息子(・・・・・)で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここの私たちと一緒にいるではないか」

という言葉がある。この「マリアの息子」という言葉は私生児に対する軽蔑的な表現であると、シュタウファーはいい、この表現の例をタルムード(ユダヤ教文書)からあげている。

私生児でも敬虔な生活をしている限り、その出生について何も言わないのが彼らの習慣だが、しかしその者が、不敬虔なまたは背教的な生活をしたときは、公然とその出生について誹謗するという。

いわばイエスが普通の敬虔な大工であるときは何もいわないが、柄にもなく会堂で妙な説教などはじめると、途端に「マリアの息子ではないか」といった言葉が出てくる。
こういう誹謗の言葉を後代が福音書に付加するとは思えないから、これは真正の伝承であろう。

さらにシュタウファーはマタイ福音書十一章九節やルカ福音書七章三七節の

「食をむさぼる者、大酒を飲むもの」

というイエスへの誹謗の言葉も、私生児を表すと指摘している。

これらのことは、イエスがヨセフの実子ではなかったこと、いわばヨセフは自分の子と認めず、周囲もそう見ていたことを示している。・・・


では、イエスは私生児なのか。

ユダヤ教ははっきりとイエスを私生児とし、タルムードには

「姦淫の女の息子」
「娼婦の息子」

とさえ言われている。まことにこまったことにマリアは、聖母とされるか姦婦・娼婦とされるかどちらかであって、それ以外に呼びようのない対象になっている。・・・

イエスは終始母マリアに冷たかった。

聖母マリア信仰は、聖書の記述によるのではなく、後にキリスト教信者が作り上げたものである。

それは賛美歌と共に信者を集めるのに大きな役割をはたしたが、イエスの行いとは相容れないものだ。
http://www.kojintekina.com/monthly/monthly60704.html


セム族は「父系社会」で、その名前=アイデンティティは「父**の子」として現されるものでした。

 ところがイエスは「ヨセフの子イエス」とは呼ばれないし、その父系もたどれない(マタイ1-16とルカ3-23の系図の不一致を見よ)。

ルカ3-23は「イエスは…人々の考えによれば、ヨセフの子であった」と微妙な言い回しをしています。さらにマルコ3-33は、イエスが「母や兄弟」を拒絶したとは伝えるが、父については何も言わない。

 これら全てを考えるなら、イエスは「父なし子」だったのでしょう。「私生児」だったかもしれません。

 父系社会の「父なし子」とは、きわめて厳しい運命です。
暮らしが苦しいだけでなく、人からもバカにされる。自己のアイデンティティさえ保持できない立場なのです。

 ここで注目すべきことは、古代ユダヤでは、このような「父なし子」は〈天の子=バル・アッバ〉と呼ばれた−ということです。

〈アッバ〉には、天=父=神の意味があります。

 想像すれば、人から「父なし子」と嘲笑されて育ったイエスは、「ちくしょう、オレは天の子なんだ!」と言い返していたのではないでしょうか? 劣等感が〈特別な自覚〉へ反転した−というのは、いかにもありそうだと思うのです。
http://yumiki.cocolog-nifty.com/station/2006/10/post_77f1.html


●マリアは、ヨセフと結婚する前に、誰か他の男性と関係を持ってイエスを身篭った。つまり、マリアは未婚で私生児を身篭ったティーンエイジャーだった。

しかし、夫となったヨセフは、その子供を父親として認知した。
イエスの「処女降誕」を主張しているのは、マタイ・ルカ福音書のみで、新約聖書のほかの部分には全くない。マタイ・ルカの福音書はあくまでもイエスを神格化するために、「処女懐胎」の思想を生み出した


●マリアが関係したイエスの父親は、ローマ軍の兵士だった。(ギリシャの思想家ケルススが178年頃書いた『真理の言葉』)。

イエスの父親は、ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラという名前で40年間、ローマ軍の兵士として務め、61歳でドイツで亡くなり、墓が1859年にドイツのビンガーブリュックで見つかっている)


●イエスには、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの腹違いの弟四人とマリア、サロメの腹違いの妹二人がいた。

(マルコ福音書)みんなマリアの子であるが、イエスとは父親が異なるー父親はヨセフもしくはその兄弟のクロパと思われる。

ユダヤの戒律により、夫が亡くなった時にその兄弟が跡継ぎとなることが決まっていた。クロパは正式な名前ではなく「呼び名」の可能性が高く、クロパはギリシャ語形で(聖書の中で)何度も登場するアルファイである。

イエスの磔に立ち会い、埋葬に加わった女性三人は、@マグダラのマリアAイエスの母マリアBイエスの妹サロメである。

(ここで「腹違い」と書かれているが、原文か翻訳の間違いであろう。イエスも兄弟姉妹もすべて母親がマリアなら、イエスと「父親違い」が正しいだろう)


●マリアもヨセフも先祖を遡るとソロモンやダビデらイスラエルの王に辿ることができる。つまり、イエスも正統な王家として、王位継承を求めていたのではないか。(つまり、斟酌されるのは、イエスの行動は宗教家としてではなく、政治運動だったのではないか。そのために、反政府勢力として殺害されたのではないか。

弟たちもこの「政治運動」に使徒として参加し)イエスとシモンが磔刑、ヤコブが石打ちの刑というふうに、五人のマリアの息子のうち三人がむごたらしい死を迎えた。


「マルコによる福音書」では、12使徒は、

@ペテロと名付けられたシモン
A猟師ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ)
Bヤコブの兄弟ヨハネ
Cアンデレ
Dフィリポ
Eバルトロマイ
Fマタイ
Gトマス
Hアルファイの子ヤコブ(小ヤコブ)
Iタダイ
J熱心党のシモン
Kイスカリオテのユダ

であることが書かれています。12使徒の12は必ずしも12人ではなく、イスラエルの部族の総称という説もありますが、イエスの異父弟のヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの四人が12使徒だとしたら、ヤコブはHのアルファイの子ヤコブ、Iのタダイは、ヨセかユダの別名、シモンはJの熱心党のシモンのことでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/goo1956718/e/d36c199613e1dd41f56cd591aa4ae444


ドイツ(ビンガーブリュックの町)にはイエスの実父のお墓があるとも伝えられています。

イエスはタルムード(ユダヤの律法とその解説)によると、ローマ兵の射手(姓:Panthera)とマリアの間の私生児でした。

教会はそれを否認しましたが、パンテラのお墓が発見されたことにより、タルムードの中のこの話の信 憑性が高くなりました。

墓碑銘によると、パンテラは西暦9年までシドンというフェニキアの町(現在レバノン)に派遣されていて、その後ライン地方へ転勤させられたそうです。
http://kobe.cool.ne.jp/daini_densho/page010.html

新約聖書は、四つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)と使徒行伝、パウロのロマ書とかれの書翰集からなっている。

 実際には、現在にキリスト教は、イエスの死後の弟子であるパウロの解釈によって成り立っており、キリスト・パウロ教である。

しかもこれはローマ帝国で公認された内容(コンスタンチヌス大帝のニケーア会議)であり、このとき採択されず破棄または追放された文書を研究して原始キリスト教を復元しようとする研究もある。

 福音書も矛盾だらけである。

イエスの父ヨハネの系図は、アブラハムからつづいているが、マタイ伝とルカ伝で大きく異なっている。しかもイエスは母マリアの処女懐胎によるものであれば、父ヨハネの系図はまったく無意味であろう。

わたしはこのことを中学生時代に気付き、大いに悩んだ。ただし、武者小路実篤か倉田百三の本で、当時ユダヤを占領しているローマ兵によってマリアは犯されたのだという説があることを知り、妙に納得した。

当時、わたしの町も進駐軍の支配下にあり(敗戦当初は英連邦軍もいた)、近くの進駐軍の集会所には、夕方ともなると、焼跡の娘たちが群がり、兵士から貰うパン、缶詰、ビスケットなどを代償として売春をしていた。

パンパン・ガールという。松本清張の『ゼロの焦点』の世界である。

当時、小学校2年生のわたしは、「鬼畜米英」の兵士たちに、なぜお姉ちゃんたちが嬌声をあげて群がっているのか意味が分からず、夕方になると見物に行っていた。駅前で書店を経営していた祖母は、どこの娘か分かるらしく、見に行っちゃあいけないと云っていた。

その集会所(敗戦前は帝国海軍の将校集会所)は空襲で全焼したが、幅50メートルの川を隔てた我が家は、被災を免れた。落下してきた焼夷弾を屋根に上っていた祖父がモップのようなもので叩き、庭の池に落下させ、不発に終わった。ただしこれは祖父の武勇伝で、どこまで本当か分からないが、その焼夷弾筒はながらく池の傍においてあった。

もしその焼夷弾で我が家が炎上すれば、20歳前後の3人の叔母たちは、パンパン・ガールになっていたかも知れない。焼け残ったから、我が家は母が娘時代の着物などを売って食糧を購入し、一家の飢えを凌いだのだが、もし焼けていれば、女は身を売るしかなかったのだ。

身を売ればやがて私生児が生まれる。混血児である。混血児はわが町にも多くいたと思う。

そのためか、イエスが占領軍のローマ兵とマリアとの私生児、混血児であり、だからこそ、狭いユダヤ民族主義を脱し、愛を基調とする新教を提唱したというのは、妙に納得できた。 
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/hikka100505.htm


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4. 魔術師イエス _ イエスの実像


キリストの実在を示す直接的史料、アレキサンドリアでキリストの名前が刻まれた世界最古の壷が発見【Technobahn 2008/10/2 21:04】


イエス・キリストに関して直接言及した記述が残されたものとしては世界最古の壷がアレキサンドリアの海中遺跡で発見されていたことが1日までに、この壷の発見に成功した発掘調査グループの発表によって明らかとなった。


この壷の発見に成功したの水中考古学の分野では世界的権威となるフランス人考古学者のフランク・ゴディオ氏を中心とする発掘調査グループ。


発掘調査グループはアレキサンドリアの海底遺跡の発掘の過程でこの壷を発見。その後の調査によりこの壷は紀元前2世紀から紀元1世紀のものであること、更に、壷の表面には古代ギリシャ語で

「DIA CHRSTOU O GOISTAIS(魔術師たるキリストによるもの」という意味)」

という文字が刻み込まれていることを突き止めた。


発掘調査グループではこの壷はキリストについて直接言及した史料としては世界最古のものとした上で、この壷によってキリストが実在した人物であること、更に、

キリストの同時代にはキリストは「魔術師(magician)」的存在として見なされていた貴重な史料だと述べている。


新約聖書「マタイによる福音書」には「東方のマギ(magi=magusの複数形、英語のmagicの語源)」と呼ばれる賢者達が壷を使って儀式を行ったという記述が残されており、発掘調査グループでは今回、発見された壷に刻まれた「GOISTAIS(magician)」という表現もこのマタイ伝にあるマギの由来する可能性を指摘、その上で当時のマギは壷にキリストの名前を刻み込むことで彼らの神秘的能力を正当化していたのではないかと見ている。


キリストと同時代のキリストに関わる史料の発見に成功したことは、キリスト教文明を知る上で近代考古学史上、稀に見る成果となりそうだ。

http://kurokamenews.blogspot.com/2009/06/blog-post_30.html

要するに、イエスは同時代人からはグノーシス派の始祖_魔術師シモンと同じ様に捉えられていたという事なのですね:

魔術師シモンの明暗

イエスの伝道時代から、十字架に架かって後弟子達がローマまで福音を述べ伝えた頃まで、ローマではイエスキリストは無名でした。当時有名な人物に魔術師シモンがいました。

シモン・マグス(偉大なシモンと言う意味)と呼ばれた人物は、サマリアの小さな村で生まれたと言われてます。洗礼者ヨハネの弟子だったとも言われますが、ヨハネが斬首された後、アレクサンドリアの町で哲学と魔術を学び、その後サマリアに戻り伝道活動を行い、後にフェニキアからローマに移動して活動した宗教家であり、魔術師シモンで知られます。

ローマ皇帝ネロから宮廷魔術師の地位を得たとも伝えられますが、真偽は不承です。ただし、ローマ帝国内では相当知られた人物であったのは、間違いないようです。

魔術師シモンと聞いてピンと来る人は、クリスチャンだけでしょうか?シモンはキリスト教の使徒たちと同時代人で、それゆえに新約聖書にも登場します。

使徒言行録著者ルカの記述では、シモンはフィリポから洗礼を受けた、ペトロに聖霊を授けられる力を金で売ってほしいと持ちかけて叱責され反省した事になっています。ルカらしい書き方で、魔術師シモンは悔い改めたように、やんわりとさりげなく説明を入れてますが、実際は少し違うようです。

シモンの教義は、様々な文書に断片的な形で残っているようです。

「エンノイア」と呼ばれると呼ばれる至高神が最初の流出を起こし活動を開始、その神より劣るものが世界を創造し支配している。

だからこの世界は悪に満ちたものであり、人間の魂が物質世界にとじこめられてしまった。

シモンは、こうした物質に閉じ込められた魂の解放者であり、解放のための「呼びかけ」を行った。

彼の信徒達は、彼を「至高の力」を示す神の体現者であったと伝える。

肉体に閉じ込められている霊が高まれば、人間は神と同等の力を持つという考え方を人々に説いた。

初期キリスト教史をかじった人ならすぐに分かると思いますが、グノーシス派の源流の一つと理解できます。


霊的に高次元であると自負した彼は、様々な魔術を見せます。

彼の魔術は、病気の癒し、死者の復活、悪魔の呼び出し、石をパンに変える、空を自由に飛ぶ、岩をくぐり抜ける、様々な獣に変身できたと言われます・・・

まさに奇跡のオンパレードですね。
 
シモンはヘレナと呼ばれる女性を常に随行させていました。

キリスト教界側の記録では、

「彼女はシモンによって売春宿から身請けされた女性である。

彼の信者達は、この女をシモンから生み出された第一の思考の流出、エンノイアであると言う。

この女はあらゆる人間の母であり、天使をも創造した。

そして天使たちは世界を創造したが、やがてヘレナを妬むようになり、彼女を人間の肉体の中に幽閉した。

こうして彼女は物質的な肉体に幽閉されたまま、何世紀もの間、転生を続けたが、売春婦として生まれ変わっていたところに、救済者となって天から降りてきた神であるシモンによって見出され解放された。

ヘレナを幽閉した天使たちは、世界を支配するためにこの世を悪く治めた。

彼ら天使の首長は、旧約聖書の神と同一である(デミウルゴス)。

そこで、こうした事態を正すために、至高神たるシモンは降臨した。

彼はまずヘレネを覚醒させ解放する。

そして、全ての人類に救いをもたらそうとしている。

この救世主をユダヤ教徒の一部は受難したと見なしているが、本当は受難したのではない」

と伝えます。

シモンの教義は弟子たちにも引き継がれ、2世紀頃にはその哲学も高度化していったと言われ、シリア・アレクサンドリア型のグノーシス思想に分類されるそうです。

この思想は一部キリスト教集団にも取り込まれ、異端宗教となります。

4世紀ごろまでには完全に消滅したと推測しますが、キリスト教界が危機感を持って排除した歴史でもあったようです。

その証拠に、新約聖書外典のペトロ行伝は、かなりの部分が魔術師シモンとペトロの対決で描かれてます。ただし、ペトロ行伝はほとんどが大衆読物の域を出ない、トンデモ系の書物ですが・・・

内容は、サマリアではシモンがペトロに聖霊を授ける力を金で買おうとして(聖職売買Simonieの言葉はここから生まれた)断られ、空中浮遊の魔術をシモンが見せれば、ペトロは祈りでシモンを落下させて骨折。

シモンがローマに渡ると、ペトロも追いかけて行き、最後は皇帝ネロの前で奇跡対決。

シモンが空中飛行を行うがペトロの力で塔から落ちて死んでしまう。


・・・キリスト教側の宣伝が入っている所がミソですが、お笑い系の話とも言えそうです。

結局、奇跡と区別される魔術に反対する宣伝材料として(キリスト教内部で)使われたのは間違いないと思いますが、魔術の時代は、シモン・マグスが聖なる道に落ちて滅びた時に葬られたと言えるのかも知れません。

結局、最後にキリスト教が残ったのは、書物志向としての聖書や文書類があり、貧者救済の教義が広く受け入れられた事にあったと考えます。

シモンが魔術を見せた事はかなり民間伝説では有名だったようですが、その真偽は調べようがありません。

しかし、当時の時代背景を考えると、奇跡や魔術が当たり前の時代と思われますし、福音書著者が奇跡伝承資料を盛り込んだ一部には、シモン教団との対決があったのかもと想像するのは、多少なりと根拠があると私は受け止めておりますが・・・

結局、魔術師シモンはキリスト教側の反感から付けられた名前かもしれません。

実際は、宗教家哲学者であったと思います。キリスト教のライバルであったのは間違いないでしょう。

余談ですが、ゲーテが書いた『ファウスト』に登場する魔術師ファウストは、魔術師シモンをモデルにしたという話も有ります。
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/appendix-01.htm


即ち、イエスは革命家でも大工でも教祖でもなかった。

トマス福音書やユダの福音書のイエスが本当の姿だったのです:


303 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 06:10:51 ID:tucU7Ix0

トマスによる福音書はなんだか哲学的で仏教にも通じる思想があるね。

キリストは仏教思想に触れえる文化圏に居たことが分かっているし
ユダヤ教に比べ仏教の影響臭い部分もあるし
本来の思想を色濃く残してるのかもしれないな。

仏教でもブッダ死後、理解の浅い弟子達は徐々にバラモン教的に教えを歪めたが
同じようにキリスト以後本来のユダヤ教的なものへの退化は程度のほどはあれ起こっているだろうし。

330 :神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 23:26:53 ID:tY2wbx3O

正典にも、天に上げられたとか書いてあるし、グノーシスの霊と物質の二元は仕方が無いと思うんだな。

現代のように人工衛星が太陽系の端まで行ってないし、物質も最小の単位はエネルギーとか知らないから

驚愕するのは、トマス福音書の説く迷妄の無さだよ。

物質と霊は一元、御国や新しい世は、天にも海にもなく自己を見出せば地上に拡がっていると説く。

インドの聖者、ラーマ・クリシュナやラマナ・マハルシの説く不二一元論の境地にも読み取れるところが凄い。

331 :神も仏も名無しさん:2009/04/02(木) 18:52:46 ID:CdQJdcon

よく読めば、トマス福音書はグノーシスとも違うよ。

グノーシスは物質界が悪で、旧約の創造主が否定されたらしいから

トマス福音書は、どちらかといえばヴェーダンタの不二一元の境地だと思うけど、
もし、仮にそうなら、正典が何故あそこまで外界に救いを求めるような教義なんだろう?

と不思議に感じるけど、最古のマルコ福音書が受難から40年も経てから記されたり、
その長い空白期間と大量に処分されたグノーシス文書にその答えがあるのかも知れない。

332 :神も仏も名無しさん:2009/04/03(金) 21:21:58 ID:LoXAcH/N

旧約とあまりに矛盾したり、ユダヤ教の改宗者や律法やら色々とあったのだろうけど、そりゃユダヤ教のメシアだったわけだからそれでも第三者が選別するべきではなかったね。

恐れ多いからと全ての資料を後世に残してくれる気概が欲しかった。
マルコ福音の記者がグノーシス文書の記者と同一人物かも知らないし、そんなことも現在なら色々とわかるから、宣教のために奇跡や奇抜なことを大袈裟に説いていただけかも知れないし

下手に選別して処分なんてしたから、終末論や再臨信じてカルトがのさばるわけだし、

トマス福音書が仮にイエスの真意ならカルト要素無いわけだから相当重要なことだと思うね。


333 :神も仏も名無しさん:2009/04/03(金) 22:16:05 ID:nrjuKGw9

この世界が完成された物なら人類は死ぬことも無く、飢えること無く、互いに憎み合うこともない 世界を造った者が意図した事なら、憎しみ故か、怠慢故か。造った者に人類の救済の責任を「媚びずに」当然の事として求めた形だと思う。

他の宗教が神に媚びるなかグノーシスの毅然とした対決姿勢は「神」に依存し過ぎる状況に決別を採択した結果だと考える。


334 :神も仏も名無しさん:2009/04/07(火) 13:06:08 ID:Iwgw2a/G

トマス福音書のイエス語録は本物っぽい

物質界には救いがないとしたグノーシス派の人たちが、ヨガマスターの真我意識、ニルヴィカルパ・サマーディなんて知ってるわけないから、語録で似たような境地を表現しているので本物ではないのかと思っている。

337 :神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 17:53:53 ID:7k58Tugo

ユダヤ教主流の地に、イエス降臨後なぜグノーシスのような禁欲的な仏教みたいなのが
不自然に一大勢力になるほどに現れたのか

トマス福音書はクリスチャンが思っている以上に外典どころか、貴重なイエスを知る一級資料だと思うけどね。

354 :神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 11:58:32 ID:1aBKH4bk

釈迦の周りに居たような求道者でもなく、寄せ集めの5,6千人くらいだから
トマス福音書やヨハネ福音書の使徒が記した梵我一如思想が難解すぎて理解されなかったのだろうね

ユダヤ教と違いすぎるのもあるから、グノーシスがいきなり現れた歴史がそれを証明してるような
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1147765258/

神の子の本当の意味は

マルコ3-33

わが母、兄弟とは誰ぞ
誰にても神の御心を行うものは、是わが兄弟、わが姉妹、わが母なり。


ヨハネ 10-34

われ言ふ、汝らは神なり。
かく神の言を賜りし人々を神と云えり。


本当の神の国は

トマスの福音書113

神の国は地上に広がっている。 そして、人々はそれを見ない。


トマスの福音書3

神の国はあなたたちの内側にある。
常に自分を認識する人は、神の国を見出すであろう。


ヨハネの福音書18-35

神の国はこの(外なる)世界には属していない。

ルカ17-20

神の国は汝らの中に在るなり。

トマスの福音書113

「どの日に神の国は来るのでしょうか。」

「それは待ち望んでいるうちはくるものではない。」


トマスの福音書22

イエスは乳を飲んでいるいくにんかの幼な子をごらんになった。
そして彼は弟子たちに言われた。

”乳を飲んでいるこの幼な子たちは神の国に入る者たちに似ている”。

彼らは彼に言った。

”それではわたしたちは幼な子として神の国に入るのでしょうか”。

イエスは彼らに言われた。


”あなたがたがふたつのものを ひとつにするとき、

そして、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、

そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、女性が女性ではないようにするとき、

そしてひとつの目の代わりに目を、ひとつの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像の代わりにひとつの像をつくるとき、


あなたがたは神の国に入るであろう”。

http://ime.st/emikikuchi.exblog.jp/i40


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ユダの福音書

キリストはユダに対し、自分達を取り巻く圧迫が最終局面に至っている事を語り、それへの「最終的な打開策」を打ち明け、最も信頼する弟子と考える彼に対し「最後の助手としての役割」を果たす事を要求した。


「過越(すぎこし)の祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」

これは秘密の啓示である・・・。

イエスは過越しの祭りの3日前にユダにこう語られた・・・

イエスは地上に出現されたとき、人々を救う奇跡を行われた。

正しい道を歩くものもいれば、誤った道を歩く者もいたので、12人の使徒を集められた。

イエスは時にご自身としてではなく、子供として姿をお見せになった。


福音書の初めの部分で、イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。 この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。

そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。


イエスがユダヤに居たある日の事・・・

12人の使徒たちは信心深く食事をしていた。
イエスは祈りを捧げている使徒たちに近付き笑い出した。

彼は使徒たちの間違った信仰を笑っていた。

使徒たちは世界の創造主を崇拝していた。
だが、ユダだけは違っていた

イエスは言う・・・

イエス「なぜ怒るのだ?あなたたちの中で強い心をを持つ者が立って私に示すがよい・・・・
己の内にある真の魂を」

ユダを除く使徒たち「私たちは強い心を持っています!」

しかし、言葉には出しても本当に立ち上がる者はいなかった。
・・・イスカリオテの『ユダ』を除いて・・・。

ユダはたった一人立ち上がってイエスに向かってこう言った。

ユダ「私は、あなたが何者か存じています・・・
あなたを送られた方の名は畏れ多くて申し上げられません。」

イエスはユダに近付きいて彼にこう言う・・・

イエス「他の者たちから離れよ・・・私はあなたに王国の秘密を教えよう。
     そこは果てしなく広がる国。天使させ見たことがない土地。人の
     心には想像さえ及ばぬ世界。その国に名前はない。」


■『キリスト』が『ユダ』に自分を『ローマ』に売るように諭す場面。

キリスト「You will ge greater than all athers. Judas, you will sacrifice the man that clothes me. 」

 (あなたは誰よりも素晴らしい。ユダよ。犠牲にするのだ。私の魂の衣ある者を。)


■『キリスト』が『天国の秘密』を『ユダ』に明かす場面。

キリスト「Step away from the others, and I shall tell you the mysteries of kingdam. It is a great and boundless realm which no eye of an angel has ever seen, no thought of the heart has ever comprehended.」

(他の者から離れよ。あなたに教えよう。王国の秘密を。そこは果てしなく広がる国。天使させ見たことがない土地。人の心には想像さえ及ばぬ世界。)

http://wildoldboy.cocolog-nifty.com/wild_old_boy/2006/04/the_gospel_of_j_eab8.html

イエスはユダに語ります。

「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」

「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」

「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」
 
「お前はこの世代の他の者たちの非難の的となるだろう
   ――そして彼らの上に君臨するだろう」


ユダは他の弟子たちから猛反発を受ける幻視を見たと語ります。

「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」


「ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった」

地上の人間たちは雲から聞こえる声を耳にします。

福音書の記述は、次のような場面で唐突に終わっています。

「彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、
『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。

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マタイ28-13

その弟子ら夜きたりて、我らの眠れる間に彼(イエスの亡骸)を盗めリ
此の話ユダヤ人の中にひろまりて、今日に至れり。


イエスの復活については、ペテロら弟子たちがイエスの遺体を墓から運び出して、イエスの復活をふれ回ったとする解釈(自作自演説)もありますが、どうにも不自然です。

ペテロらの自作自演なら、福音書によって記述がかなり食い違う点も説明が困難です。目撃証言や伝聞をつなぎ合わせていったから、あのような食い違いが起きたのであり、自作自演なら矛盾なくきれいに話がつながったはずでしょう。


イエスの遺体を墓から運び出させたのは誰でしょうか。

イスカリオテのユダしか考えられません。

イスカリオテのユダは、他の弟子たちがイエスの真意をようやく悟り始めたことを知りますが、弱い彼らは時が経てば逃げてしまうだろう、そうなれば、イエスは忘れ去られ、その教えは地上から消滅します。

イスカリオテのユダにとって、それは耐えられないことでした。

彼は、イエスの復活を演出します。墓からイエスの遺体を密かに運び出させました。

早朝、空になった墓を見て、イエスの遺体に香油を塗りに来た婦人たちは悲鳴を上げて逃げ出します。やがてイエス復活の噂がエルサレムの街のあちこちで囁かれるようになりました。

それを見届けたイスカリオテのユダは首を吊って自殺したのではないでしょうか。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/juda.html


ユダの福音書解読

◎イスカリオテのユダは、最高位の弟子だった。

イスカリオテのユダの福音書が出ることになりました。

出版前なのでナショナルジオグラフィックの広告ページの情報しかありませんが、気がついたことを、挙げてみます。(【】内は、ナショナルジオグラフィックのプレスリリース和訳からの引用です。)なお、プロットだけからの考察なので、全体が出るとまた内容が変わるかもしれませんが。

私の見方では、イスカリオテのユダは、神を十分に承知していたし、イエスを官憲に引き渡すことの意義と結果を十分に承知していたし、それは単にイエスから指示されたから実行したというものではないように思います。


1.イスカリオテのユダの悟境

【イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。】

「お前たちの神」とは、自分とは別の存在として位置する神という認識のことを言っているのであり、自らのうちに神があるのを知らないと指摘しているのだと思う。


イエスがこの私を直視し、真の姿を理解せよと迫ったところは、バガヴァッド・ギータで、全能の聖者クリシュナが弟子のアルジュナに同じ言葉で迫ったのと同じ響きがある。全能の神の顕現として現れたイエスが、もう少しで覚醒しようとしている弟子たちに「神のありのままを目をそらすことなく見なさい」と詰め寄っているのである。

この話の中では、ユダが裏切り者でなかったことよりは、ユダの悟境が他の弟子より進んでいたことが確認されていたことのほうが意義は大きい。


【イエスがユダにこう語りかける場面もあります。「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」】

これは、長い講義が終わったから、一息ついて空の星を見ようというものではなく、ひとつの冥想状態の中で、見なさいと指示しているもので、「雲とその中の光」とは、神そのもののこと、それを囲む星々とは、実際の空の星に仮託された神々の一柱のことだろう。

「目を上げ」というのは、肉体の目を上げることではないだろう。いずれにせよこれで、ユダが13人の弟子の中で最上位であったことがわかる。


死海文書によると洗礼のヨハネはエッセネ派に属し、イエスもエッセネ派に属していたと推測されているが、イエスもクンダリーニ・ヨーガ系の技法が伝わるその集団のメンバーと見られる。

クンダリーニ・ヨーガ系では、神々の姿をありありとイメージするトレーニングがよく行われている。

星々とは、イメージ対象の神々であり、ここは、その冥想過程の中の出来事を書いたものではないかと思う。

師弟相承のルールというものは、師匠を超えるレベルの弟子を出すことが師匠の責務であるということ。禅の場合でも、一人でも半人でも本物の弟子を出すことが師匠の最低限の責務であり、かつ師家(老師)以上の力量の弟子を出さねばならないことになっている。

イエスの場合でも、その例外ではなく、自分が神を知っている師家である以上は、自分以上の力量のある弟子を育成することが、覚者としての責務であったと考えられ、イスカリオテのユダが正に力量ある弟子であったと考えられる。

また師匠を超える弟子を出すというのは、当時の考え方からすれば、革命的なことであり、一人一人が神の顕現であるニューエイジ(アクアリアン・エイジ)の考え方の先駆と見ることができる。

【ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった。】
光輝く雲は、例の荘子の見た混沌であり、神の姿であり、それに入って行ったというのは、神と合一したことを言うと考えられ、これは見神や見性などという軽いものではなく、神人合一を指しているように思う。これでユダの力量のほどが証明されている。
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/99ffcbce33957c1622488284f1e54d21

◎ユダのカルマは昧(くら)まず

一度神を見るという体験をした者は、いかに師のいいつけとはいえ悪事を為すことはできない。そこで次の疑問が湧き起こる。イエスが「自分を官憲に引き渡せ」と指示したのは悪行であったのか、師に対しては絶対服従のユダがそれに従ったとしても、それは悪行ではなかったか。

【最も重要なくだりは、イエスがユダにこう語る部分です。「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」】

イエスが十字架にかかるが、それと同時にユダも裏切り者の汚名を甘受するとともに、聖者殺しのカルマという重荷を負った。裏切り者の汚名は1700年を経て晴らされようとしているが、聖者殺しの意義は別格である。

神を知る者でない限り、その重荷を受けることはできないと見て、イエスはユダにそれを指示し、ユダもそれを了解したのだろう。間接的ではあるものの、聖者殺しの引き金を引くというのは、その行為のカルマの重さを考えれば、創造主と同等の意識レベルにある人でないと、容易になし得る業ではない。自分というものが少しでも残っていたら、たちまち落ちてしまう。従ってユダも自らの残りの人生・転生を、この神業に捧げたと考えられるのである。

ここは、古代インドのバガヴァッド・ギータで、聖者クリシュナが王子アルジュナに、人(敵)を殺すことを勧めた場面を彷彿とさせるものがある。

全体の構図としては、覚醒者イエスが、その力量に匹敵するほどの弟子ユダを養成し得たこと、そしてユダも、イエスを官憲に引き渡すことの意義を十分に理解していて、それを行ったというものではないだろうか。

この福音書は、【彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した。】で終わっている。

イエスが自らを官憲に引き渡せというような指示をしたというのは予想外であったが、ユダもある程度自らの意思によって官憲に引き渡したのだと思う。そしてユダは、師たるイエスの指示したとおり、官憲に引き渡し、その秘密の指示を生涯他に漏らすことなく守り切って死んでいった(自殺とされる)が、ユダの高潔さもまた並みはずれたものである。
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/92d2b6b940b5e978ea3082e03f241177


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神とは何か?


ユングが、1920年頃だったかアメリカ・インディアンのところに行くと、みんな太陽を拝んでいるのです。

ユングは感心して見ていた。いろいろ訊きたかったもので、昼頃になって長老のところに行き、

「あなた方は太陽を拝んでいるけれども、太陽は神なのか」

と訊いた。そしたら長老が笑って、

「あんなのは神ではない」

と言ったらしいのです。ユングが

「朝、あなた方は太陽を拝んでいたじゃないか。 神様じゃないのに拝んでいたのか」

と言うと、インディアンの人々はユングの質問の意味がわからなくなってくる。

話をしていてだんだんわかってきたことは、要するに朝拝んでいるときだけは太陽は神様なのです。

「太陽は神であるのか、ないのか」という我々の考え方は、悪いところでもあり、いいところでもある。我々は、どうしてもそういう考え方をしてしまうのですね。

 今の話で言えば、西洋の発想では「薔薇は神ですか、神ではありませんか」と訊いて、神だったら拝む、神でなかったら拝まないということになるというふうに、何でも二つに分けて考えようとするのです。

インディアンの話を聞いてユングがわかったことは、こういうふうに書いているのですが、

太陽が昇る瞬間のすべて、つまり、それを見ている私、共にいるみんな、それからおそらく雲など、そのすべてのものがものすごく内的な感動を生みます。

それこそが「神」だと言うのです。

だから、これが神だと指し示せるものではなく、生きているということが神の体験になっているから拝むのです。

それをどうしても近代人は、拝んでいる対象が神だと間違ってしまう。

ここが非常に大事なところです。

今でも日本人には名残が残っています。

山に登ったら大きな木にしめ縄がしてあったり、大きな岩にしめ縄がしてあったりする。

あれは、別に木や岩が神様なのではなく、大きい木や石に対面したときに感じるすべて、これが神なんです。

区別して考えるのは我々の癖であって、昔の人はそういう考え方ではなく、全体的なものを神と感じていたのです。
http://ime.st/www.geocities.co.jp/Milkyway/4017/meigen/kamisyu.html

C・Gユングは、人間の心というものは人それぞれ違うが、深層意識の中には万人共通のファクターがいくつも存在している、とした。

そのファクターのことを元型(アーキタイプ)と呼び、代表的な元型は影(シャドウ)、太母(グレートマザー)、アニマ、アニムス、老賢者(オールドワイズマン)の4つである。

大雑把に言えば、、これらの元型が外界の刺激を受けて互いに反応しあい、人の思考・行動パターンを左右する、というわけだ。


対馬の神は海の中に住んでいる。その姿は子ども、老人、そして蛇体の神として感得された。潜水漁法で生計を立てていた水人(海女、海士)たちの崇める神の名を海童磯良という。

磯良のイメージが老翁や童子の姿になるのは、ユングの深層心理学の立場から見ても老賢者(Old Wise Man)の元型に関連づけてみることができる。

それはわれわれの普遍的、集合的意識の表現されたものであると考えられる。 老賢者は自己性(Self)=超越的自己=神が人格化されてイメージされるもので、われわれに知恵を与え、その人の進むべき道を示唆する指導者的な役割を果たす元型である。
http://ime.st/homepage3.nifty.com/yahoyorodu/kaidoh.htm

http://ime.st/contest.thinkquest.jp/tqj2000/30110/ryu2.html

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イエスと弟子の会話  


過ぎ越しの祭りの三日前、弟子たちが着席し感謝の祈りを捧げていると、
やってきたイエスが声を立てて笑う。

弟子たち「先生、感謝の祈りを捧げる私たちを笑うのですか?
      正しきことを行っていたのですが。」

イエス「あなた方のことを笑ったのではありません。
    あなた方は自らの意思によってではなく、
    あなた方の神をたたえるために、祈りを捧げているのです。」

《注:生かされていることに対する感謝は、この世の低位の神に捧げる祈り。
 グノーシスの叡智はこの世は低位の神が造ったものと考えている。
 イエスは上位の神・世界から使わされた存在》

弟子たち「先生あなたは・・・・私たちの神の子です。」

イエス「どうして、あなた方は私をわかっているというのですか?
    本当のことを言いますが、いかなる世代でも、
    私をわかるという人はいないでしょう。」

弟子たちは怒りを覚えた。

イエス「なぜあなた方は怒りを感じるのですか?
    あなた方の内にいる神・・・完全なる人を取り出して私の眼前に立たせなさい。」

弟子全員「私にはそれだけの勇気があります。」

口ではそういいながらも誰もイエスの前には立とうとしなかった。
そのときユダだけがイエスの前に立った。
しかし彼はイエスの眼をまっすぐに見る勇気は持たなかった。

ユダ「あなたが誰か、何処から来たのか私は知っています。
   あなたは不滅の王国バルベーロー(あらゆるものの神聖なる母である)から来ました。」
  「私にはあなたを遣わした方の名前を口にするだけの価値がありません。」

イエス「来なさい。
    いまだかって何人も眼にしたことのない秘密をお前に教えよう。
    それは果てしなく広がる永遠の地だ。
    そこには天使たちでさえ見たことがなく、あまりにも広大で、
目に見えず、いかなる心の思念によっても理解されず、
いかなる名前でも呼ばれたことのない『み国』がある。」

二人だけになるとイエスはユダにこう告げる。

イエス「お前はそこ(み国)に達することは出来るが、大いに嘆くことになるだろう。」

ユダ「そういったことについてあなたはいつ私に教えてくれるのですか?」

イエスは謎のごとく立ち去ってしまう。

翌朝、戻ってきたイエスは弟子たちの前に再び姿を現す。
そしてユダに向かって言う。

イエス「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、
    すべての弟子たちを超える存在になるだろう。」

弟子たち「今この地上の王国には存在しないが、私たちよりすぐれ、神聖なあの世代とは何を意味しているのですか?」

イエスは笑い出すとその秘密の場所と時に到達するのがいかに難しいか、詳しく語った。

イエス「死をまぬかれない生まれのものは、そこへはいけない。」
   「あなた方が見た、生贄の牛は、あの祭壇の前であなた方に道を
誤らせる人々なのです。」

   「恥知らずにも、私の名において実らぬ木々を植える人々がいる。」
   「あらゆるものの主であり、命じることのできる主が、
    最後の日にその人々を裁くであろう。」

ユダ「先生あの世代は一体どのような実りをもたらすのですか?」

イエス「人間の魂はやがて死んでしまうものです。
    だが、み国の時を成就した人々の霊魂は彼らから離れます。
    肉体は死んでも魂は生き続け、天に上げられるでしょう。」

ユダ「その他の世代の人々は何をもたらすのですか?」

イエス「実りを得たければ岩の上に種をまくことはできません。」

時が過ぎ、ユダは自分の見た幻について質問する。

ユダ「先生、(他の弟子たち)皆の話に耳を傾けるなら、私の話も聞いてください。 とても奇妙な幻を見たのです。」

イエスは再び笑う

イエス「13番目の聖霊であるお前が、
どうしてそんなに躍起になるのですか?

    それはそれとして、さあ、話してごらんなさい。
    私はお前の話を信じるでしょう。」


ユダ「あの12人の弟子たちが私に石を投げて(私のことをひどく)
虐げるのです。

  (大きな家)を見ました・・・。
たくさんの人々がそこへ向かって走っていきます。・・。
   家の中央には(大勢の)人がいます。
   先生、私を連れて行ってあの人々の中に加えてください。」

イエス「ユダよ、お前の星はお前を道に迷わせてしまった。
    死をまぬかれない生まれのものは、お前が見たあの家の中へ入るに値しない。

    あそこは聖なる人々のために用意された場所なのだから。」

ユダ「先生やはり私の種(霊的な部分)は支配者たちの手中にあるというのですか?」

イエス「来なさい・・・。だが『み国』とその世代の人々を見れば、
    お前は深く悲しむことになるでしょう。」

ユダ「私がそれを知るとどんな良いことがあるのでしょうか?
   あなたはあの世代のために、私を特別な存在にしたのですから。」

イエス「お前は13番目(の聖霊)となり、後の世代の非難の的となり
    -―そして彼らを支配するだろう。

    最後の日には、聖なる世代へと(旅立つ)

お前を彼らは罵るだろう。」

イエスは自分を引き渡し犠牲となるようユダに求めているのだ。
そのわけは徐々に明らかになっていく。

イエスの地上における人としての生は、うわべだけのものに過ぎない。
その人間は内に存在する霊を、覆い隠す衣装のようなものである。
イエスは永遠なる存在であり、より高次の神の一部である。
人間とは異なる偉大な存在であり不滅なのだ・・・・・・・。

イエス「見なさい、前にも告げたように雲とその中の光、
それを囲む星星を見なさい。

    みなを導くあの星が、お前の星だ。」


こうしてユダは自分の特別な立場を確信する。

そして重大な瞬間がやってくる。
新約聖書の四福音書の記述にも劣らない、強烈で劇的な瞬間だ。

――ユダは眼を上げると明るく輝く雲を見つめ、その中へと入っていった。――
http://mandalaya.com/juda.html


これも参考にして下さい:

独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html

リヒアルト・ヴィルヘルムと易
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/606.html

東洋ではどんな分野の達人でも超能力者
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/607.html

西洋の達人が悟れない理由
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/608.html

イエスのヒーリングは本物のシャーマンには敵わない
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/609.html

 

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コメント
 
01. 2010年7月19日 21:26:29: MiKEdq2F3Q

5. イエスは クンダリーニ・ヨーガ と ヒーリング の技術を何処で学んだのか?

十三歳になったイエスはひそかに両親の家を離れ、エルサレムを立ち、商人とともにシンド (Sindhはパキスタン南部の州) に向けて出発した。

神のことばにおける完成を目指し、大いなるブッダの法を学ぶために。

若いイエスは十四歳のとき、シンドのこちら側に来て、神の愛された地、アーリア人の間で一人立ちしていた。

イエスはジャイナの謝った信仰を捨てて、オリッサの国ジャガナートに行った。
そこにはヴィアーサ・クリシュナの遺骸が安置されており、バラモンの白い僧らがイエスを歓迎した。

彼らはイエスにウェーダを教え、祈祷によって病人を治すことを教えた。
聖典を講じ解釈することを教え、人体から悪霊を払い、正気に戻すことを教えた。

イエスは、夜に紛れてジャガナート地方を去り、山に入って、仏教徒の国、唯一にして崇高なブラフマンを信じる人々の間に住むことにした。

すなわち、かの偉大なブッダ・シャカムニ誕生の地である。

義の人イエスは、パーリ語を完全に習得した後、聖なる仏典の研究に専念した。

六年後、聖なる教えを広めるため、ブッダが選んだ人イエスは聖典の完全な講術者になった。

その後は、ネパール、ヒマラヤ山地を離れ、ラージプータナの谷へ降り、さまざまな国の民に、人間の究極の完成について説きながら、西へ向かった


われらの主、神のご加護により、イエスは苦しむことなく自分の道を進んだ。


堕落して、真の神に背いた人間に警告するために、創造主が選んだ人イエスは、二十九歳のときイスラエルに帰った。

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十九世紀末、ロシアの探検家ニコラス・ノトビッチはカシミール地方を旅した際に、ある仏教徒の集会で「聖イッサ」という名の
外国から渡来した超人的人物にまつわる言い伝えを耳にした。

イッサというのはイエスのインド名で、このイッサの東洋伝道を記録する古文書が、チべット各地の寺院に保管されているというのである。

イッサに輿味をもったノトビッチはその古文書を探す旅に出た。

そしてラダックの首都レーにあるヒミス寺にその文書が保存されていることを突き止めた。

そしてその内容を、通訳を介して書きとめて故国に持ち帰り、「イエスの知られざる生涯」というタイトルで出版した。

以後それが英訳されてイエスのインド渡来説の有力な資料とされるようになった。

それによるとイッサはインドでバラモン憎に迎え入れられてヒンドゥー教の聖典を学びながら六年を過ごした。

が、イッサはその感化は受けなかった。

それどころか、カースト制度や偶像崇拝、人身供犠に我慢できなくなり、下層階級の救済に着手。

特権階級のバラモン(聖職者)やクシャトリヤ(貴族)の横暴を非難し始めた。

いかにもイエスのやりそうなことである。

そして遂には「ヴェーダ」 「プラーナ」といったヒンドゥー教の根本聖典の権威、三位一体説(ブラーフマ・ビシュヌ・シバの三神)を否定し、
「天の父」たる唯一神への信仰と、人間のすべてが等しく宿している霊性への回帰を説き始めた。

これもイエスらしい。

そのことに脅威を感じ始めたバラモンたちはイッサの殺害を計画。

それを察知したイッサはヒマラヤ山脈に逃れて釈迦生誕の地ルンビニ一に入り、仏典の研究を始めた。

入山から七年後、イッサは下界に下り、西方への伝道を開始した。

その教えは入山前と同じだったという。

http://www.gusuku.sakura.ne.jp/characters/main/ishadow1.html


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 イエスの人生は13歳から30歳に至る記録がまったくないそうだ。

キリスト教では「エジプトへ行っていた」としているらしいが何一つ証拠がないとのこと。

ところがこの間、アジアへ行った形跡がある。

過去に3人の人物がチベットで「イッサ=イエス」にまつわる経典を目撃しているのだ。

(※ニコラス・ノートヴィッチ著『知られざるイエス・キリスト伝』で紹介されたチベットに伝わる写本『聖イッサ伝 人の子の最も秀れしもの』)

物語は素早くイッサの13歳に飛ぶ。「失われた歳月」の最初の年である。

物語によれば、それは「ユダヤ人が妻を迎えねばならない」年齢でもあった。

見すぼらしい(ママ)両親の家だったが、若いイッサを養子にしようとする金持や、高貴の人々がここに集まった。イッサは「すでに全能の神の名において、教えを語ること

によってその名を知られていたから」

 しかしイッサの目標は他にあった。

ノートヴィッチが公刊した写本によると、イッサはひそかに父の家を離れてエルサレムに行き、東へ向かう隊商らとともに旅し、「神のことば」に生きる自らを完成させるた

め、偉大な仏たちの法を学ぼうとした。


 イッサがシンド――今日のパキスタン東南の地域を横切ったのは、14歳のときだった。

インダス川下流の渓谷地帯である。彼はその地の「アーリヤ人」の間に落ち着くことにした。

この人たちが、紀元前の第二・千年紀の初め、インダス川の渓谷に移住したとされるアーリア人に関係があることは明らかだ。

イッサの名声はそこで高くなり、彼らジャイナ教徒は、イッサに共にとどまるよう求めたが、彼はそうしなかった。

彼はやがてジャガナートの神殿に赴き、バラモンの祭司たちから歓迎された。

彼らはイッサにヴェーダの聖典を教え、説教と癒やし、また悪魔祓(ばら)いの方法を伝授した。

 イッサはジャガナート、ラージャグリハ、ペナレス、またその他の聖都市で、学び、教えて6年を過ごした。

彼は下位カーストの民衆、つまりヴァイシャ(農民と商人)やシュードラ(小作人と労働者)に聖典を教え、そのことによって上位カーストのバラモン(祭司)、クシャトリ

ヤ(王族)との紛争に巻き込まれた。

バラモンの定めによれば、シュードラはヴェーダ聖典に近づくことも、目で見ることも許されなかった。ヴァイシャは祭りのときに唱えられるヴェーダの章句を、聞くことだ

けはできたたが、シュードラにはそれさえ許されなかった。

 その掟に従うことなく、イッサはバラモン、クシャトリヤに逆らって、ヴァイシャ、シュードラに伝道した。

この反逆に気がついた祭司、王族階級はイッサを殺そうと計った。

 危機をシュードラに警告され、イッサは夜陰に乗じてジャガナートを離れ、南ネパール・ヒマラヤ山麓へ脱出した。

500年前、シャカ族の王子として生まれた偉大なる正覚者(ブッダ)、ゴータマの称号をもつシャカムニ生誕の地であった。

シャカムニ――ことばの意味はシャカ族の賢者(ムニ)。


 6年間の学びの後、イッサは「聖典のいう完全な解脱者となった」。

その後にヒマラヤを去って、西に旅立つ。

道々、偶像崇拝を非難して教えを説きながら、そして遂に29歳、パレスチナへ帰る。


 こうした内容が現地の各所で言い伝えとして残っているという。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090228/p1


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 キリスト教について考える時、ここで私たちが考えてみなければならないのは、

「人類は果たしてどれだけ『イエス』と呼ばれる人物を知っているのか?」

ということです。  実はキリスト教徒が使っている聖書には、イエスの生まれた時から12歳くらいまでの記述と、30歳を過ぎて人々に教えを説きはじめてからの記述しか

ありません。

ですから現在、正統とされているクリスチャンは、12?30歳までのイエスの姿について実は何も知らないわけであり、イエスの人生の半分以上は何も分かっていないのです。


 
実はニコラス・ノートビッチという方が、一八八七年にチベットを旅行して、ヒミスの寺院を訪問し、そこで「聖イッサ伝」の写本を発見しました。

聖イッサとはイエス・キリストのアジアでの呼び名です。

つまりニコラス・ノートビッチという方は、アジアにおけるイエス・キリストの言い伝えを発見したわけです。

 そして彼は現地の人にその写本を読んでもらい、書き写し、そして『知られざるイエス・キリスト伝』という本を世に発表しました。

その本の中で、イエスはインドに趣き、そして修行しながら、人々に教えを説いているのです。

 当然ながら『知られざるイエス・キリスト伝』は様々な問題を呼び、その真偽についていろいろと議論されました。

そしてその後、インドのアグラにある公立大学のある教授が、実際にヒミス寺院へいって、聖イッサ伝について調査しました。

 彼がチベットの寺院に行って、「イッサの伝記を書いた書物があるそうだが、知っているか」と聞くと、僧侶は答えました。

「イッサという名のついたものについては聞いたこともありません」と。

 そしてその教授は「『知られざるイエス・キリスト伝』の信頼性は薄い」と発表したのです。

 しかしこれで終わりにはなりませんでした。

その後、一九二二年にアベーダナンダという方が、ヒスミ寺院に立ち寄り、

「ニコラス・ノートビッチは、ここで聖イッサに関する写本を見つけて、『知らざれるイエス・キリスト伝』という本を出したが、それは事実なのか?」

と僧侶たちに訊ねました。 

すると僧侶たちは「まさに真実だった」と教えてくれたそうです。

 そしてそれから三年後、ヒミス寺院を訪問したニコラス・レーリッヒという方は、イッサについて書かれた古文書を発見し、のちに公刊したそうです。

 またさらに一九三七年、エリザベス・カスパリという方が、ヒミス僧院の図書係りから三冊の本をみせられ、こう言われたといいます。

「あなたがたのイエスはここにいた。この本にそうかかれています」

 イエスが生きた当時のインドは、仏陀が地上を去ってから約500年くらいでありますが、相変わらず厳しい身分社会でした。

ですから低い身分の人々、すなわちシュードラと呼ばれる奴隷階級の方々は、その生まれによって判断されて、宗教家たちから心について学ぶことが許されていなかったので

す。

 しかし聖イッサはそうした中でも、低い身分の人々に教えを説きました。

バラモンと呼ばれる当時の宗教家たちは、聖イッサに言います。


「ただ死のみが、彼らを奴隷の状態から自由にすることができるのだから、彼等に真理を教え説いてはいけない」


 もちろん聖イッサが、現実にイエス・キリストであるならば、そんなことで引き下がるわけもございません。


なぜなキリスト教徒なら誰でも知っていることでありますが、イエスという方はとても激しい愛の人であったからです。

 聖イッサはバラモンの言葉には一切従わず、奴隷階級の人々のところに赴いて、真理を説いまわりました。

そして聖イッサは、同じ人間が他の人間の権利を奪い、横取りするような卑劣な行為に対して厳しく批判した上で、こう言っています。

「父なる神は我が子に、どんな差別も置いてはいません。

 父なる神にとっては万人が平等であり、万人が等しく我が父の愛する者なのです」

 これは紛れもなくイエスの愛の教えそのものでありますが、こうした教えが確かにインドから「聖イッサ伝」として発見されたわけです。

 確かに「聖イッサ伝」の信憑性は議論の余地がありそうですが、しかし言えることが三つあります。

 まず一つ目は、「新約聖書にはイエスの十二歳から30歳くらいまでの記録が何も書かれていない」ということです。

そして二つ目は、「聖イッサ伝にはその間の修業時代のことが書かれている可能性がある」ということです。

そして最後の三つ目は、「新約聖書に画かれるイエス・キリストと、聖イッサ伝に描かれる聖イッサの人物像がとても似ている」ということです。


 そしてもしもインドの地で伝わる聖イッサが、キリスト教徒たちが知らないイエス・キリストであるならば、イエスは転生輪廻の教えを説いていた可能性はますます高くなり

ます。

なぜならインドは仏教発生の地であるのみならず、転生輪廻の教えが深く根付いている土地であるからです。

http://ngomisumaru.blog19.fc2.com/blog-entry-949.html


E.C.Prophet イエスの失われた十七年

*エリザベス・クレア・プロフェット著 下野博訳
イエスの失われた十七年 立風書房 1998年6月15日発行
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8D%81%E4%B8%83%E5%B9%B4-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%

83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A2-%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88/dp/4651930174/ref=sr_1_1?

ie=UTF8&s=books&qid=1279451077&sr=1-1


資料的な要素が強く、読み物としてはさほど面白くない。

だが、桁外れのインパクトがある。

イエスの人生は13歳から30歳にわたる期間の記録がない。

キリスト教ではこの間エジプトに行っていたことになっているそうだ。

本書ではイラン(ペルシャ)からアフガニスタンを経由してインドへ行ったことを検証している。

つまりイエスは、17年間仏教を学んでいたって話。

凄いのは証拠があるところ。

チベットのあちこちで伝説が語り継がれ、僧院にはパーリ語で記された『聖イッサ伝』(※イッサ=イエス)という
羊皮紙状の仏教経典が多数現存しているそうだ。

で、この文書を直接目撃した3人のテキストの一部を各章で紹介している。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090221


81 :名無しさん@3周年:04/12/31 20:46:49 ID:tx9M/aNl

近東ではイエスはイーサーで知られている。
イーサーの伝承は近東共通。

その本よりも1900年近く古いインドの歴史に書かれている
イーサーの書そのものはパーリ語でかかれた古文書です


121 :名無しさん@3周年:04/12/31 21:43:13 ID:tygoO1yj
トマスがインド教会の創始者であるのは歴史的事実。

http://mimizun.com/log/2ch/psy/life7.2ch.net/psy/kako/1104/11044/1104485156.dat

63 名前:会員NO3 :02/05/26 21:07

「ヒマラヤ聖者の生活探求」は統一教会やカルト系諸派が使っています。
霞ヶ関書房の本は怪しいのが多いですね。ISBNコードで「フィクション」になって
いないかどうか、よくご確認下さい。

ただし、アメリカではその後続々と「インド時代のキリスト」関連の資料が出てますが、概ね「カルト系」に利用される傾向が強いです。

95 名前:会員NO3 :02/06/25 00:02

この本の原典はヒマラヤのヒンズー教僧院で保管され、1995年に発見されたとか。

出来れば「原典」の科学的年代調査などしてくれればいいのですが。
実際に1世紀にまで遡れば、歴史が変わります。

ちなみにここでは引用していませんが、キリストの復活に関する記述は無く、親族の墓に葬られたあと遺骨が行方不明になったとの記述です。また、使徒は弾圧を恐れて、世界各地に伝道に赴いたとのことです。

96 名前:会員NO3 :02/06/25 00:06

ただし、この本を書いたのはアメリカでもあまり有名ではない「カルト」
です。その点が気に掛かります。

しかし19世紀にすでに「原本」は発見されて、
当時概に全文が公表されていますので、あながち荒唐無稽とは言えません。

97 名前:会員NO3 :02/06/27 22:03

宝瓶宮福音書(1908年発行)の記述と、「聖イッサ伝」のインドにおけるキリスト
の話が非常に酷似しています。

「法瓶宮福音書」(英文)
http://oak.zero.ad.jp/padoma/main/kirisuto/issa/fissa.htm

「聖イッサ伝」
http://pw1.netcom.com/~mokeeffe/AquarianGospel1-15.htm

これは、どちらかが文章を参考にしたのか?それとも共通の「テキスト」があるのか。

http://mimizun.com/2chlog/psy/life.2ch.net/psy/kako/1018/10184/1018498606.html

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熊楠が〔高山寺〕所蔵の書簡の一つに次のようなことを書いている。


近頃、チベットで秘密の書を発見し、イエスの伝記をくつがえす珍書を著した豪傑がある。

インド北部に住むある女性とマックス・ミュラーがこれを論駁した。

ところがこの男は一向に服せず、反駁を試みたが、新聞各紙はこれを相手にしなかった。

そこで男はこの女性と直接対決するためにインドに渡り、さらにこの書を写し取るためにチベットに入ることに決した・・・


熊楠がこれを書いたのは1894年の10月であるから、この年欧米でかなり話題になった出来事と推察された。

プロフェットの本で分かったことは、ロシア人のニコラス・ノートヴィッチなる人物が、ラダックのへミス・ゴンパで発見したという

『聖イッサ伝』という秘書に基づいて、『イエス・キリストの知られざる生涯』という本を出版して話題となったのが、まさにこの年であったということである。

これによるとイエスは東方に旅し、インドからチベットに入り、ラサに到達した後、ラダックを経由してパレスティナに戻ったことになっている。

この書はマックス・ミュラーらから手厳しく批判された。

熊楠のいうインド北部の女性とは、ミュラーに一報してノートヴィッチの「嘘」を告発したレー在住のイギリス女性と思われる。


ノートヴィッチのこの本は、ラーマクリシュナの高弟アベーダーナンダや芸術家のニコライ・レーリヒなど、当時の神秘主義者に与えた影響は大きかった。
http://okuyama08.blog120.fc2.com/blog-date-200905.html


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福音書で見る限り、イエス・キリストは12才から29・30才くらいまでの消息が全然分からない。

私たちが知っているイエスの知識は生誕から幼年期の少しとあと12才くらいの説明が少し、それから30才くらいからの3・4年の活動期だけなのである。

E.C.Prophet イエスの失われた十七年 はその失われた空白の間、イエスがインド及び現在のチベットを訪れたというものである。

ここでイッサという名前で知られるイエスは仏教の奥義をマスターしてブッダとなった後、再びパレスチナに戻ったとこの書は主張する。

ブッダはもちろん悟りをひらいたものへの尊称である。

最初から常識とは違う結論を与えられ、それを順々に解明していくという手法を取っている。

一般的にはイエスは父ヨゼフの大工の職をついで、青少年期から布教を開始する30才くらいまでパレスチナないしエジプトあたりにいたのだろうというのが通説だろう。

ただそれを裏付けるものは何も無いが、漠然とそう想像されているようである。

それに真っ向から対立するものだから、奇想天外のように聞こえるが、必ずしもそうではない。

本書にも出てくるルナンがイエス伝を書く19世紀まで、厳密な意味でのイエス伝は書かれなかったのではないのか。

イギリスに行ったとか、あるいはコーランではイエスは十字架の上では死んではいないと書かれていることなど私も以前に聞いていることは多い。

それに福音書を初めとする新約聖書と言われるものが、果たして本当に原始キリスト教ないしキリストの教えを正しく反映しているものなのかどうか。

もともとキリスト教はアジアに発生し、その後景教やユダヤ教の一派としてアジアの各地でも広がりを見せていた。

それが西の方に向かったキリスト教がローマ帝国の国教になり、そしてなりよりヨーロッパが世界史の中で果たした影響もあって、私たちはその解釈を通してのイエス像に親しいんでいる。

だからイエス像が見えにくくなっているのも確かだろう。

ローマカトリックないしはそれに反抗する形で発生したプロテスタントの教えより、ビザンチン帝国内で信じられた正教の方がより原始キリスト教の影響を残しているというのは、今でもかなりのかなりの人が信じている。

さらに一般的に12使徒のうち、トマス、パルトロマイ、マッテアの3人はチベット・インド・中国で福音を説いたらしい。

現在残されている手書きの福音書は、もっとも早くても4世紀にまでしか遡らない。

キリスト教成立よりその時までに、グノーシス派を始めとするさまざまな教えが異端とされ消えて行った。数多くの文書が失われ、そしてその中には現在の福音書と微妙に異なる教えの重要文書があったかもしれない。

現代になって、新約として編纂される以前のそうした原始文書のいくつかが発見された。そしてアジアに向かったキリスト教もなんらかの文書をしたと考えても別に不思議ではない。

もちろんこうした議論が現代においてはたして意味を持つものなのかどうか、少し疑問の点もある。しかし少なくとも真のイエス像がはたして新訳聖書に書かれたとおりだったのかどうかについては多くの謎があることは確かなのだ。

それに私には仏陀とイエスの教えの間には、そんなに相違は無いようにも思える。

1894年、ロシアのジャーナリスト、二コラス・ノートヴィッチが「知られざるイエス・キリスト伝」をかいた。

彼は1887年ラダーク(小チベット)を旅行中、古代仏典の中にキリストがインド及びチベットにきて、修行してブッダ・イッサとなったという言い伝え、及びそれを記録している「聖イッサ伝」の写しを手に入れたとされる。

この本は成功を収めるのだが、当然一部学者たちからの批判反撃も激しかった。

この過程でミュラーやルナンも登場するのだが、一応ノートヴィッチの業績というか、その本の内容は正統の学会からは無視されたままになるらしい。

しかしそのあと、かなり信頼すべき人物たちがその真実性を認める。

本書は第1章でそうした流れを概観し、2章以下ではノートヴィッチ(2章)、スワーミー・アベーダナンダ(3章)、二コラス・レーリッヒ(4章)、エリザベス・カスパリ(5章)など、そうした写本が存在すること、及びアジアの人々の間にイッサの伝説が広く伝わっていることを聞いた人々の証言から成り立っている。

ラダークは中国、インド、パキスタンの国境が接しているところで、私が持っている平凡社の地図でも国境線は確定していないし、1996年版のTIMEのWORLD Atlasを見ても、やはりあいまいでわからない。あまり詳細な地図を持たないから、仕方が無いのだが。

イエスは聖書に書かれていない17年間どこにいたのかという問題は、歴史的な大問題だけになかなかスリリングである。

チベットの寺院には古代の文書が数万巻もあるとか、その中にイエス関係のものも多く含まれているとか、またバチカンの地下室にも古代のイエスにかんする文書は残っているとか、いろいろ書かれているが、そうした意味では一種の謎解きを含んでおり、ミステリーを読んでいるような趣もある。

実際作者は、1章はそうした視点から書いている。

何故チベットなのかという気はするが、この地は古代の教えを多く伝えているのだろうか。

私には河口慧海の名前が思い浮かぶくらいだが、そういえばヒットラーの晩年には何人かのラマ僧が共にいたとか言う話も聞いたような気もする。神秘主義者にはチベットは魅力的な土地らしい。

ただ面白かったのは、聖書の中でも私などが読んでも少し不思議に思う点をうまく説明していることである。


例えば、福音書の記述とは違って、

イエスの処刑を決めたのはユダヤ人祭司長や長老ではなく、ピラトであったこと、

そしておそらくローマ帝国内でキリスト教を普及するためには、ピラトとユダヤ人僧侶たちの実際の果たした役割を交替して記述せざるを得なかっただろうという説明はなかなか説得力がある。

イエスが磔にされる瞬間叫んだ言葉、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」の謎もそうであったが、私もこのへんは少しおかしいと思っていたから、なかなか面白かった。

さらにイッサことイエスはインドでもバラモンやクシャトリアから迫害されていたバイシャやシュードラの味方であったことなども書かれている。

ここでの革命家イエスの描写は、新約で描かれたように既成の権威を恐れず民衆の立場にたって行動したイエスを髣髴とさせるものがある。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~ohto/reading/read00/read000202.html

イエスが磔刑にかけられる裁判においての記述は、

「ユダヤの長老達が死刑を迫り、ピラトがそれを拒んで最後には潔白を示すために手を洗った」

という聖書に対し、イッサ伝では

「ピラトがイエス様を目の敵にしていたが、長老がそれに反対して、手を洗った」

と180度逆になっています。

ローマ布教に際して、ローマ提督を悪者に出来ない為、ピラトと長老たちの立場を入れ替えたという解説がありますが、

「手を洗って潔白を証明」する行為はユダヤの風習であり、

ピラトが現地の風習にならってそうしたというように聖書にはわざわざ説明を入れて記述されていますが、

ローマ提督であるピラトがそのように媚びたことをするのは、考えてみればおかしなことです
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-651.html


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イエスは、二十九歳のときイスラエルに帰った。

彼がいない間、異教徒はイスラエルの民に、なお一層恐ろしい苦しみを与え、人々の気力はどん底に沈んでいた。

イエスは町々を巡り、絶望の重みに耐えかねていたイスラエルの民の勇気を、神のことばによって強めた。

数千人の群集が、イエスに従って説教を聞いた。

町々の指導者らは、イエスを恐れはじめた。

そしてエルサレム駐在の統治者に通報した。

イエスと呼ぱれる男が町に来たこと、説教しながら、権威に抗うよう民をそそのかしていること、群集は国の仕事もかえりみず、熱心に彼に聞き従っていること、そして侵人

して来た統治者が、間もなく迫い払われるだろうと彼は断言している、と。


エルサレムの統治者ビラトは、説教者イエスの身柄を抑え、町に迎れて来て裁きにかけよ、と命令した。

しかし民衆の怒りを買わぬよう、祭司や学識あるへブライの長老たちに、イエスを神の宮の中で裁くようにと勧告した。

しかし、イエスの釈明を聞いた祭司と、賢い長老らは、彼を裁かぬことに決めた。

なぜならイエスは、だれも傷つけてはいなかったから。

そして彼らは、ローマの国の異教徒の王によって、エルサレムの統治者として定められていたピラトの前に出て、こう述べた。

「町々の長らは、あなたに間違った報告をしています。

というのは、この男は民に神のことばを教える義人です。

彼を尋問して私たちは安心し、彼を行かせました」


これを聞いて統治者は怒りに駆られ、変装させた家来をイエスの身近に送り込んだ。

イエスの行動すべてを監視させ、彼が民に向けて語ることばを、細大漏らさず報告させるために。

イエスの驚くばかりの人気は、統治者ピラトをおののかせるようになった。

イエスに敵対するものたちによると、民衆の中にはイエスこそ王だと主張するものがあり、イエスが彼らをそそのかしているという。

ピラトは彼のスパイの一人に、イエスを告発せよと命じた。

そこで兵士らが、命じられてイエスの逮捕に向かった。彼は捕らえられ地下牢に囚われた。

牢にはさまざまな拷問が待っていた。彼らは彼を死に定めるため、拷問にかけて自白を得ようとした。

聖者が受けている苦しみと、拷問のことを聞き知った大祭司、賢い長老たちは、統治者のもとへ赴き、近づいている祭りの栄光のためにも、イエスを自由にしてほしいと頼んだ。

だが為政者は、にべもなく拒んだ。

イエスは総督に向き直り、こう言った。

「どうしてあなたは、自分の品位を恥ずかしめるのですか。
どうして家来に、間違った生き方を教えるのですか。
自分の手は汚さずに、無実のものを罪に落とす方を持っているあなたが」


総督はこれを聞いて怒り狂い、イエスに死の宣告と、二人の盗賊の赦免を命じた。

協議を終えた裁判官らは、ピラトに言った。

「私たちは無実の人を有罪にし、盗賊らを釈放するという大きな罪を負うことはできません。 それは法に背きます」。

「だからどうぞ、あなたの思いのままに」。

祭司と賢い長老たちは、こう言い残して法廷を出、聖なる鉢で手を洗って言った。


「この義人の死について、私たちに責任はない」


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_____________________

イエスが言った。

この世は橋である。

渡って行きなさい。

しかしそこに棲家を建ててはならない。


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イエスが言った。

過ぎ去り行く者となりなさい。


02. 2010年7月26日 13:39:10: fgm1McgQfY

投稿者さんへ

中川さんの投稿はいつも興味深く拝見させて...と言いたいのですが、

ちょっと長すぎていつも途中であきらめてしまいます。

おもしろそうなのもたくさんあるのに...もうちょっと短くなったらと思うのはわたしだけでしょうか。


03. usamon 2010年10月07日 02:54:53: xcyx6nfOyt6go : tkAzLseScQ
http://video.google.com/videoplay?docid=1431037135738418803#

この製作者のローマ帝国が人々を支配するため神話を利用したという主張に賛成です。

イエスは実在の人物ではなかった。

ギリシャ方面にはエジプトの神話が伝わっており、それはイエス神話と同じようなものだった。
さらにそれにユダヤ教を習合したのがキリスト教。


イエスの磔刑の内容は、プラトンの国家の中に既に描かれています。
ただしイエスではなく、義人と称される人が本当に義人かどうかを確かめる方法として。


「貧しい人は幸いである。」や「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」はクムランの教えの中に既にあった。

山の上の教訓の内容は、主語が途中で変わっているところがあるそうで、それは、多数の書物を編修する際に、他のところのものを間違えてここに持ってきてしまったからと言われています。
編修次第(言葉の並べ方次第)で別物になってしまう。

上に張ったビデオは途中からのもので、この動画の最初は下記のリンクのものです。

http://www.youtube.com/watch?v=U4288OS5V3U

時代精神(zeitgeist)は、他に2と3があります。

新世界秩序で世界を支配しようとする集団がいて、それはかつてのローマ帝国がやったことと同じことだという主張です。
陰謀論とも言われていますが、日本がどうして第二次世界大戦に巻き込まれてしまったかも説明されています。


04. 中川隆 2011年1月29日 10:12:43: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

私の投稿はトマス福音書、ユダ福音書、マルコ福音書と聖イッサ伝を素直に肉付けしただけですから、間違っている可能性はあまり無いと思いますが、03さんの様な異常な意見が未だ出て来る事からわかる様に、イエスの生涯や本当の教えは深い闇に包まれています。


キリスト教とイエスの教えとは全く違うものです。

キリスト教の正典はあくまでマタイ伝であり、そのマタイ伝というのは危険思想の持ち主であったイエスの真の教えを隠す為に作られたものなのです。

従って、新約聖書だけからイエスの生涯や本当の教えを推測するのは不可能です。

新約聖書に書かれたイエスの言葉(?)と口伝で伝えられていたイエスの言葉がどれ位違うかはマタイ伝とルカ伝の山上の垂訓を比べてみればすぐにわかります:


口伝で伝えられていたイエスの言葉
ルカ(6章17−26)

山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆・・・イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。


貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである

今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる

今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる

人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている

今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる

今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる

すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである


改竄・捏造されたイエスの言葉
マタイ(5章1−12)

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである

悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる

柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる

憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである


__________


新約聖書で行われているイエスの言葉の改竄・捏造については


イエスとは誰か (NHKブックス) 高尾 利数 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%81%8B-NHK%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E9%AB%98%E5%B0%BE-%E5%88%A9%E6%95%B0/dp/4140017635


イエスの本来の教えは03さんの言うクムランの教えではなく、イエスがインドで学んだ部派仏教に近い様です。イエスの神の国というのは”涅槃”の言い換えでしょう。

仏教については、未定稿ですがこれを参考にして下さい:


釈迦の悟りとは何であったのか? _ 1
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1058.html

釈迦の悟りとは何であったのか? _ 2
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1111.html

釈迦の悟りとは何であったのか? _ 3
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1110.html


05. 2011年7月15日 07:21:34: MiKEdq2F3Q

中川隆_宗教関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1883.html

中川隆_西洋文化関連投稿リンク
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1884.html

中川隆_映画関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1882.html


06. 中川隆 2014年12月24日 21:21:31 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

The Gospel According to St. Matthew (1964) - Pier Paolo Pasolini
https://www.youtube.com/watch?v=h7ewh5k5-gY

7. 中川隆 2015年6月27日 07:52:20 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs
The Gospel According to St. Matthew (1964)
Pasolini's Classic Film in English
https://www.youtube.com/results?search_query=The+Gospel+According+to+St.+Matthew+%281964%29+
https://www.youtube.com/watch?v=L2a1gBrca6A
https://www.youtube.com/watch?v=q6qVYmfmEDI

8. 中川隆[1177] koaQ7Jey 2016年1月16日 12:16:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[904]

1. ローマ人の目に映ったイエスの虚像 _ 革命家イエス 追記

イエス・キリストは実在したのか? 2014/7/10
レザー アスラン (著), Reza Aslan (原著), 白須 英子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163900934/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4163900934&linkCode=as2&tag=zaimoney01-22


レザー・アスランは1972年にテヘランで生まれ、7歳のときにイラン革命で両親とともにアメリカに逃れた。「1980年代のアメリカで、ムスリムであることは火星人みたいなものだった」という環境のなかで自分の居場所を探していたアスランは、高校2年生のときにカリフォルニア州の福音伝道キャンプでイエスの物語を聞いてたちまち魅了される。

 熱心なクリスチャンとなった彼は大学で宗教史を専攻したが、その頃から聖書の記述と歴史的事実の矛盾に気づくようになった。その後、20年にわたってイエスの実像に迫る研究をつづけたアスランがその成果をまとめたのが『イエス・キリストは実在したのか?』(文藝春秋)だ。

 この本は発売直後から全米でセンセーションを巻き起こし、20万部を超えるベストセラーになった。なぜこれほど評判になったかというと、アスランがキリスト教信仰を捨て去ったあとイスラームに改宗したからだ。

 欧米社会(とりわけアメリカ)には、ムスリムにイエスについて客観的で公正な学術研究などできるわけはない、という偏見がある。

 本書の刊行直後、アメリカの右派寄りテレビ局「フォックス・ニュース」のキャスター、ローレン・グリーンが「なぜ、ムスリムのあなたがイエスのことを書いたのか?」とアスランに意地悪な質問をした。これに対してアスランは、自分は学位を持つ宗教学者・歴史学者として歴史上の人物としてのイエスを研究してきたと説明したうえで、「キリスト教徒の学者がイスラームの歴史やその始祖ムハンマドについて書いてはいけない、あるいは書けるはずがないと決めつけるのがおかしいのと同様、ムスリムがイエスのことを書くことを疑問視するのは妥当ではないのではないか」と反論した(本書の翻訳者、白須英子氏の「訳者あとがき」より)。このインタビューが大きな反響を呼び、アスランはすっかり時のひとになった。

イエス・キリストは実在したのか?

 原書のタイトルは『ZEALOT』で、「狂信者」とか「熱狂者」の意味だ。副題は「ナザレのイエスの人生と時代」という素っ気ないものだが、日本版の『イエス・キリストは実在したのか?』も間違いとはいえない。アスランの主張は、「イエスは実在したが、キリスト(救世主)はフィクションだ」というものだからだ。

 新約聖書では、聖母マリアが処女のままイエスを懐妊したことになっている。こんなことは現実にはあり得ないから、これをどう解釈するかで古来、侃々諤々の議論が行なわれてきた。私が知るなかでもっとも大胆な説はイギリスの進化心理学者ニコラス・ハンフリーによるもので、マリアはヨセフと結婚したときすでに別の男性と性的関係があり、妊娠していたというものだ。当時はこのようなふしだらはとうてい許されないから、マリアは夫に対し、「自分は処女のまま懐妊したのだ」と言い張るしかなかった。イエスはものごころついたときから「神から授かった子ども」と母親にいわれつづけ、自分が特別な存在だと思うようになった……(『喪失と獲得』紀伊國屋書店)。

 だがこの魅力的な(というか不謹慎な)解釈は歴史的事実とは異なるようだ。本書によれば、生前のイエスに対して彼が処女から生まれたと考えるひとはいなかった。その理由は単純で、イエスには複数のきょうだいがいたからだ。イエスに「義人ヤコブ」と呼ばれる弟がいたことは文献的に明らかで、それ以外にヨセフ、シモン、ユダという兄弟と、福音書では触れられているが名前も数もわからない姉妹がいたらしい。兄が磔刑に処せられたあと、ヤコブが使徒とともにエルサレムでイエスの教団を継いだことも間違いない。


だが同時に、アスランはイエスの出生に不審な点があることにも言及している。

 イエスがはじめて故郷のナザレで説教を始めた頃、聴衆の一人が「この人はマリアの息子か?」とつぶやいた。ユダヤ人の男児を「ヨセフの息子」ではなく「マリアの息子」と呼ぶことはふつうは考えられない。ここから聖書学者のあいだでは、イエス私生児説だけでなく「ヨセフはもともと実在していない」との説も唱えられた。

 イエスの生涯についてのもうひとつの謎は、彼が既婚者だったかどうかだ。新約聖書にはイエスが結婚していたという記述はないが、当時のユダヤ社会では30歳を過ぎた男性が妻帯していないということはほとんど考えられなかった。イエスは修道僧ではなく世俗の預言者なのだから、妻や子どもがいたとしてもおかしくはない。

 だがアスランが述べるように、こうしたことはすべて推測の域を出ない。イエスの名がローマ世界で広く知られるようになったのは死後100年以上たってからで、パレスチナの地にあまたいたZEALOT(狂信者)のことなど生前は誰も興味を持っていなかったし、後世に書き伝えようとも思わなかったからだ。

当時のユダヤ社会は「革命前夜」だった

 アスランは、イエスが生きた当時のユダヤ社会は「革命前夜」の熱狂に包まれていたという。

 紀元後6年、ナザレのイエスの誕生とほぼ同時期にユダヤは正式にローマの属州となった。当時のユダヤ人の生活はエルサレムの大神殿が中心だったが、大祭司はローマ人総督と癒着して私腹を肥やし、ほしいままに振る舞っていた。神殿は奴隷たちが耕す広大な領地を有する「封建国家」で、ユダヤ人から徴収される神殿税や巡礼者からの膨大な供物、神殿内で商売を許された商人や両替商からの上納金などでその歳入は巨額のものになった。敬虔なユダヤ教徒は祭司貴族階級の堕落を批判し、ローマから「神の土地」を取り戻すことを求めた。こうした「ユダヤ原理主義の過激派」がZEALOTで、洗礼者ヨハネに影響を受けて宣教活動を始めたイエスもその一人だった。

 イエスはローマ総督ピラトによって紀元30〜33年頃にゴルゴダの丘で十字架にかけられるが、これはローマ帝国ではありふれた処刑方で、反抗者への見せしめとして街角、劇場、丘の上、高台など目立つ場所ならどこにでも十字架が立てられた。ユダヤ人がローマ支配に抵抗するようになると処刑者の数も増え、ゴルゴダの丘には十字架が林立していた。イエスの死も、やはりありふれたものだった。

 当時の革命的熱狂は、イエスの死後、ユダヤの地で起きた出来事を見るだけでも明らかだ。紀元36年に「サマリア人」と呼ばれる預言者が蜂起を起こし、44年にはテウダの蜂起があり、56年には神殿の大祭司ヨナタンが暗殺される。それ以降も57年に「エジプト人」と呼ばれる預言者の蜂起があり、66年にはついにユダヤ全土が蜂起してエルサレムからローマ人を追放する。これが「革命」の頂点で、70年にはローマの大軍によってエルサレムは陥落し、神殿も徹底的に破壊されてしまうのだ(このユダヤ人蜂起の中心になったのがZealot Party(熱心党)と呼ばれるユダヤ原理主義者の過激派グループだ)。

 ユダヤ人がローマに反抗したのは、圧政に苦しんだからではない。ローマ人の支配は植民地の宗教に寛大で、ユダヤ教徒の奇妙な慣習や律法の厳格な遵守、計りしれない強烈な優越感も大目に見られてきた。それではなぜ、ユダヤ人は勝ち目のない反抗を繰り返したのか。それは、神が彼らのために選んだ土地に外国人が一人でもいることを許さないからだ。

 ユダヤ人がはじめてこの地にやってきたとき、出会った人間は男も女も、子どももすべて虐殺し、雄牛、山羊、羊は手当たり次第に殺し、すべての農場、畑、穀物、生き物を例外なしに焼き払えと神が命じた。

「あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民の属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない」
「あなたの神、主が命じられたように必ず滅びつくさねばならない」(「申命記」20章16‐17節)

 聖書によれば、ユダヤ軍が「息のあるものをことごとく滅びつくした」あとでやっと、神は入植を許した。だがその聖なる土地はいまやローマの偶像崇拝者に占領され、大祭司は総督の雇い人となってその片棒をかついでいる。

「昔の英雄たちなら、そのような屈辱と堕落をどう受け止めるであろうか?」とアスランは問う。そのこたえは一つしかない。


――彼らならこの土地を血の海にするであろう。彼らなら、異教徒の頭を砕き、彼らの偶像を焼き払い、彼らの妻や子を虐殺するであろう。彼らなら、イスラエルの神に、天から戦車に乗って突如現われ、罪深い民族を踏みつけ、山々を神の怒りで身悶えさせてくれと頼むであろう。

 大祭司はわずかな金と虚栄心のために神に選ばれた民をローマに売った裏切り者だ。そんな輩は抹殺してしまわなければならないのだ。

「イエスは暴力革命をも辞さないZEALOTだった」とアスランはいう

 紀元30年、イエスは驢馬に乗り「ああ救いたまえ!(ホサナ)」と叫ぶ群衆を従えてエルサレムに入場した。その翌日、弟子とともに「異邦人の庭」と呼ばれる教会の神殿に入ったイエスは、両替商のテーブルをひっくり返し、食べ物や土産物を売る露天商を追い払い、生贄に用意されていた羊を放し、鳥かごを開けて鳩を逃がした。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの正典福音書すべてに書かれているこの名高い事件は、イエスが暴力革命をも辞さないZEALOTであったことのなによりの証だとアスランはいう。

 だが新約聖書からはイエスのこうした暴力性はきれいに消えてしまう。その代わりに「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」の言葉に象徴されるように、イエスはローマ帝国の地上の権力を容認したことになった。だがこの解釈は、イエス本来の意図とはまったくちがう。

 エルサレム当局から「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているか」と問われたイエスは、皇帝の名前と肖像が彫り込まれたディナリオン硬貨を指差して、「皇帝のものは皇帝に返しなさい」といった。なぜなら、皇帝の偶像が彫られた硬貨は神とはなんの関係もないからだ。だとすればその硬貨は、皇帝のものとするほかはない。

 それに対して、ユダヤの土地は神のものである(「土地はわたしのものである」〈「レビ記」25章23節〉。ローマ皇帝はその土地となんの関係もないのだから、ローマ人はユダヤから立ち去らなくてはならない。「神のものは神に返しなさい」との言葉は征服者であるローマにとって許すことのできないZEALOTの論理で、イエスが磔刑に処せられたのは当然だった――アスランはこのようにいう。

 それではなぜ、イエスの死後、異なる解釈が流布されるようになるのか。それは、サウルという一人の野心家が現われたからだ。

 熱心なユダヤ教徒(ファリサイ派)であったサウルはある日、目が眩むような光とともに「わたしはイエスだ」との声を聞き、視力を失ってしまう。だがアナニアというイエスの信奉者が彼の上に手を置くとたちまちサウルの視力は回復した。この奇跡によってサウルは回心し、名をパウロと変えてイエスの教えを伝えはじめた。

 だがパウロの宣教は、イエスの弟ヤコブに率いられたエルサレムのイエス教団とはまったく異なっていた。

 この頃、イエスの教えはエルサレムのユダヤ人と、ローマ帝国各地に離散したユダヤ人(ディアスポラ)のあいだで広まっていた。前者は正統派、後者は分派で、そこに対立や軋轢があたったとしても、あくまでも「ユダヤ人の王」を奉じるユダヤ人の宗教だった。ところがパウロは、ユダヤ人ではなく異邦人たちにイエスの教えを説いたのだ。

 パウロはなぜ、異邦人を相手にしたのか。

 このときはまだ十二使徒が存命しており、エルサレムにはイエスの弟「義人ヤコブ」がいた。ユダヤ人への宣教では、パウロはイエス教団の末端の一人にしかなれなかった。だが宣教の相手を異邦人にすれば、パウロは(異邦人に布教した)イエスの「最初の使徒」になれるのだ。


パウロによる大胆な改変

 こうしてパウロは、イエスの教えを異邦人にも受け入れられるよう大胆に改変していく。とりわけ「モーセの律法」を「石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務め」(「コリントの信徒への手紙U」3章7-8節)と否定したことはイエス教団の幹部たちを仰天させた。

 パウロが宣教を始めて10年ほどたった紀元50年頃、その異端を見逃せなくなったヤコブはエルサレムにパウロを呼び出して厳しく糾弾した。だがパウロは自説を頑として譲らず、ヤコブは対抗上、パウロが信者を集めていた土地に自分の息のかかった伝道者を送り込みはじめた。パウロの最大の拠点であるローマでその任を任されたのが十二使徒の一人ペトロだ。

 パウロはイエス教団の傍流であり、どれほど「信徒への手紙」を書いても、ヤコブやペトロなどの正統派の攻勢を跳ね返すことはできなかった。このまま時が過ぎれば、パウロの教えはイエス教団の異端のひとつとして歴史のなかに埋もれてしまったかもしれない。

 しかしここで、予想もしないことが起きる。イエス教団の神殿への批判を疎ましく思った大祭司アナヌスによって、紀元62年にイエスの弟であるヤコブが処刑されてしまう。さらに紀元64年のローマ大火の首謀者として、皇帝ネロがローマの伝道の中心だったパウロとペトロを処刑してしまった。それに加えて紀元70年には、ユダヤ人の反乱への報復としてエルサレムが灰燼に帰してしまう。こうして「イエス」の関係者がすべていなくなってしまうと、ローマ帝国に残された信徒たちはイエスの教えのなかから都合のいいものだけを取り出して、布教のしやすい物語――すなわち「キリスト(救世主)の物語」を自由に創作できるようになったのだ。

イエスは「愛」を説き救済を約束するメシアへと変貌した

 紀元70年にエルサレムが壊滅すると、キリスト教の宣教運動は古代ギリシアの影響を受けた地中海沿岸のアレクサンドリア、コリント、エフェソ、ダマスカス、アンティオキア、ローマなどに移り、非ユダヤ人信奉者の数がユダヤ人信奉者を上回るようになった。諸福音書が書かれた1世紀の終わりごろには、宣教の主な対象はローマの知識エリートになっていた。

 ZEALOTであるイエスはこのときすでに、「愛」を説き救済を約束するメシアへと変貌していた。だがこの教えをローマ人に布教する際には、そのメシアを殺したのがローマ人総督ピラトだという歴史的事実がどうしても問題になる。そこで福音書作者はこの事実を巧妙に書き換え、ピラトを免責しようとする。

 紀元90年頃にダマスカスで書かれた「マタイによる福音書」では、ピラトはイエスの死にいかなる責任もないしるしとして、群集の前で手を洗い、ユダヤ人たちに対し、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」と注げる(「マタイ」27章1-26節)。

 マタイと同じ頃、アンティオキアで執筆していたルカは、ピラトに「あなたたちは、この男を民衆を惑わすものとしてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪は何も見つからなかった。(中略)この男は死刑にあたるようなことは何もしていない」(「ルカ」23章13-15節)と語らせている。

 さらにヨハネは、血に飢えたユダヤ人の説得の失敗したピラトがやむなくイエスを十字架にかけるとき、イエスは「わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」と語ったとして、すべての責任をユダヤ人に押しつけてピラトの罪を許す(「ヨハネ」19章1-16節)。

 こうした「創作」によって、「イエス=キリスト(メシア)の死に責任を負うのはユダヤ人であってローマ人ではない」という都合のいい筋立てができあがっていった。

 こうしてキリスト教はローマ帝国の国教となり、カトリックや正教の教会は権力と繁栄を謳歌するが、その代わりすべての「悪」を担わされたユダヤ人は厳しい差別にさらされ、それはやがてナチスによるホロコーストへとつながっていくのだ。

 ここで述べたことはアスランの独創ではなく、近年の聖書学の知見に基づいた“標準的な”歴史解釈のひとつだ。日本では新約聖書学者の田川健三氏が『イエスという男』(作品社)などで同様のテキスト批判を行なっているので、両者の見解を比較してみてもいいだろう。
http://diamond.jp/articles/-/63202


イエスという男 – 2004/6/10 田川 建三 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4878936819/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4878936819&linkCode=as2&tag=zaimoney01-22



9. 中川隆[7365] koaQ7Jey 2017年3月27日 12:01:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7842]

ドイツ(ビンガーブリュックの町)にはイエスの実父のお墓があるとも伝えられています。

イエスはタルムード(ユダヤの律法とその解説)によると、ローマ兵の射手(姓:Panthera)とマリアの間の私生児でした。

教会はそれを否認しましたが、パンテラのお墓が発見されたことにより、タルムードの中のこの話の信 憑性が高くなりました。

墓碑銘によると、パンテラは西暦9年までシドンというフェニキアの町(現在レバノン)に派遣されていて、その後ライン地方へ転勤させられたそうです。
http://kobe.cool.ne.jp/daini_densho/page010.html


ナザレのイエスのY染色体ハプログループが判明しました。

ここで、神にY染色体なんてあるのか、神の子にY染色体なんてあるのか、と思った人は熱狂的なキリスト教徒です。


ナザレのイエスのY染色体グループが判明しました。ちゃんと根拠のある確かな学説です。


フェニキア人・ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ(Tiberius Iulius Abdes Pantera, 紀元前22年頃-紀元後40年)の

Y染色体は、ハプログループJ2(J-M172)であると推定される。

ティベリウス・ユリウスは、フェニキアのシドン出身で、約40年にわたりローマ帝国の兵士として、

第一コホルス弓隊に属し、積年の功によってローマ市民権が与えられた(注3)。

パンテラ(注4)とは「豹」を意味し、アブデスは「神のしもべ」を意味する。

彼は「アブデス・パンテラ」という名であったが、

ローマの市民権が与えられた際に「ティベリウス・ユリウス」というローマ人名に創氏改名する栄誉を得た。


このアブデス・パンテラのY染色体ハプログループがわかったのです。

アブデス・パンテラと同一人物なのかはわかりませんが、二世紀の学者がイエスはローマ兵士パンテラの息子であると主張している文献は存在します。


このパンテラがナザレのマリアと子をなして、イエスを生んだという一つの有力な学説であります。


この学説によると、イエスのY染色体ハプログループはJ2ということになり、中東系であるということになります。


ただし、あくまでも学説の一つです。、ぼく自身はあくまでもイエスはマリアの夫ヨセフの息子と信じていますから、J1に属すると思っています。


まあ、イエスのY染色体ハプログループに関してこんな学説もあるんだよということを知っていただければと思います。キリスト教会がどんな対応をするか楽しみです。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881148365/episodes/1177354054881541891


Y染色体ハプログループJ2系統 【中東系】

ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ

フェニキア人・ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ(Tiberius Iulius Abdes Pantera, 紀元前22年頃-紀元後40年)のY染色体は、ハプログループJ2(J-M172)であると推定される(注1)(注2)。

ティベリウス・ユリウスは、フェニキアのシドン出身で、約40年にわたりローマ帝国の兵士として、第一コホルス弓隊に属し、積年の功によってローマ市民権が与えられた(注3)。

パンテラ(注4)とは「豹」を意味し、アブデスは「神のしもべ」を意味する。

彼は「アブデス・パンテラ」という名であったが、ローマの市民権が与えられた際に「ティベリウス・ユリウス」というローマ人名に創氏改名する栄誉を得た(注5)(注6)。

巷間では、アブデス・パンテラの息子とされるナザレのヨシュア(イエス, イェースース/Ίησοῦς)が、キリスト教の開祖とされる。

キリスト教(キリストきょう、基督教、ギリシア語: Χριστιανισμός、ラテン語: Religio Christiana、英語: Christianity)とは、「ナザレのイエスをキリスト(救い主)と信じ、イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものである」と信じる宗教。世界における信者数は20億人を超え、すべての宗教の中で最も多いと言われる。

しかし、一方でイエスはキリスト教を説いておらず、あくまでユダヤ教の一派として教義を説き、それを、ユダヤ教と異なる教義として体系化したのは、彼の弟子であるペテロであるとする主張も存在する。

ナザレのイエスが救い主であるとする確証は現在のところ発見されておらず、聖書の記載内容に関して疑問視する人々が、欧米を中心として増加傾向にある(注7)。


注1)"Identifying Genetic Traces of Historical Expansions: Phoenician Footprints in the Mediterranean"
http://www.cell.com/ajhg/abstract/S0002-9297(08)00547-8?cc=y=

注2)"Haplogroup J2, Romans, Viticulture and Christianity."
http://www.anthrogenica.com/showthread.php?1614-Haplogroup-J2-Romans-Viticulture-and-Christianity

注3)P.Haupt/S.Hornung, "Ein Mitglied der Heiligen Familie! Zur Rezeption eines römischen Soldatengrabsteines aus Bingerbrück", Kr. Mainz-Bingen. In: Archäologische Informationen 27/1, 2004, S.133-140.

注4)パンサー(panther, 豹)を意味するラテン語。

注5)Marcello Craveri, La vita di Gesù, Feltrinelli, Milano, 1966, 466 pp

注6)Origenes Adamantius, Contra Celsum, AD 248

注7)『イエス・キリストはキリスト教の創始者ではありません』(2017.1.6)
http://oyakochoco.jp/blog-entry-1659.html?sp


http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93J%E7%B3%BB%E7%B5%B1


ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%A9


アブデス・パンテラの墓碑(バート・クロイツナハのローマンハレ博物館所蔵)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%A9#/media/File:R%C3%B6merhalle,_Bad_Kreuznach_-_Tiberius_Iulius_Abdes_Pantera_tombstone.JPG

発掘当時に描かれたアブデス・パンテラの墓石の絵(左端)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%A9#/media/File:Pantera_Grabstein.jpg


ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ(Tiberius Julius Abdes Pantera、紀元前22年頃 - 40年)は、古代ローマの兵士である。

2世紀のギリシア哲学者、ケルススがイエス・キリストの実父だと主張したとされるローマの兵士「パンテラ(Panthera)」を、彼に比定する説がある[1][2]。


発掘当時に描かれたアブデス・パンテラの墓石の絵(左端)

1859年、ドイツのビンゲン・アム・ライン近郊の村ビンガーブリュックで行われていた鉄道工事の際、ローマ時代の墓石が発見された。そこにはラテン語で下記の碑文が記されていた。

Tib(erius) Ivl(ius) Abdes PanteraSidonia ann(orum) LXIIstipen(diorum) XXXX miles exs(ignifer?)coh(orte) I sagittariorumh(ic) s(itus) e(st)

ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラシドニア出身、62歳かつて弓兵第一コホルスにて軍旗手(?)を務め40年軍務に服した者ここに眠る

この碑文から、アブデス・パンテラの出身地はフェニキアのシドンと解釈される。また、長年の兵士としての貢献により彼にはローマ市民権が与えられたと考えられ、ティベリウス帝治下にあって、ティベリウス・ユリウスというローマ人の名を授かったと推定された。

マリアがイエスを身籠もった時期、アブデス・パンテラの所属する弓兵第一コホルスはユダヤの地に駐屯していたことから、彼も同地で軍務に就いていたことが推定される。このことから、その際にマリアとの間で不貞を行い、彼女を孕ませたのではないかとする説が生まれた。

しかし、このような推定は、上記の碑文が唯一の論拠である上に、文は短く簡潔で解釈の余地が多々あり、推論に推論を重ねているに過ぎない。また、ケルススの主張自体もその著書『真言(Logos Alēthēs)』が湮滅し内容が伝存しておらず、オリゲネスの反論文 『ケルスス反駁(Contra Celsum)』に引用される形で現存するのみであり、明確な学術的根拠がある訳ではない。

脚注

1.^ イエスの父についてのケルススの主張
http://jewishchristianlit.com//Topics/JewishJesus/celsus.html

2.^ La vita di Gesù, 1966, 466 pp


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%A9


10. 中川隆[7367] koaQ7Jey 2017年3月27日 12:13:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7844]

地中海やメソポタミアの民族のY-DNA は J と E1b1b の混合

■J : 中東のハプログループで、北方のJ2と南方のJ1に分かれる。


J2の分布図
http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/0/d/0d3ee44d.jpg


・J2はメソポタミア北部で誕生し、西はアナトリアからヨーロッパ南部、東はペルシアからインドまで広がっていった。古代のエトルリア人・ミノア人・アナトリア人(南方)・ポエニ人・アッシリア人・バビロニア人がそれに当たる。

・J2はギリシャに数多く見られ、特にJ2bはギリシャで誕生したと思われる。また、J2aが最も集中しているのはクレタ島であり、この地に起源を持つものだろう。興味深いことに、J2aはインドのカースト上位者にも多く見られる。バラモンは主にR1a・R2・J2aで構成されている。これら3つのハプログループがアーリア人の侵入における遺伝子の移動経路を示している。


J1の分布図
http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/d/c/dcaf6923.jpg

・J1はアラビア半島の人々のほとんどに見られ、中でも72%に達するイエメンが発祥の地と思われる。中世のイスラム人の侵攻によって中東・アフリカ北部からスペイン南部まで広がった。

■E1b1b


E1b1bの分布図
http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/8/e/8e25b66c.jpg


・最後にアフリカからヨーロッパへ大規模移動をしたのがE1b1b(公式にはE3b)である。26000年前にアフリカの角あるいはアフリカ南部で登場し、新石器または旧石器時代に中東に進出した。

・ヨーロッパ〜近東で最も多いEのタイプがE1b1b1a(またはE-M78、E3b1a)である。新石器時代初期にエジプトからレバント・アナトリア・ギリシャに進出し、J2と混血した。

・E-V13はレバントで興った農業の伝播を担った部族である。ギリシャ北部のテッサリーが伝播の起点であり(約8000年前)、バルカン半島やドナウ盆地からフランス北部、ロシアまで広がっていった。

・E-V22はレバントに在住していた部族のものであり、フェニキア人やユダヤ人に多い。フェニキア人が地中海沿岸で活発に活動したため、E-V22がその領域に広がった。

「2000年前のヨーロッパにおけるY遺伝子の分布図」がこちらです。
http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/8/4/841806fa.jpg

http://blog.livedoor.jp/nandeya_umeda/archives/51174468.html


11. 中川隆[7368] koaQ7Jey 2017年3月27日 12:22:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7845]

ユダヤ人のY-DNA遺伝子
 

  10月8日付けのNature Communicationsに「アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ」という内容の論文がでました。 一般常識ではユダヤ人は中東のセム族出身の民族です。ユダヤ教から分かれたキリスト教もイスラム教も含めセム族が世界の宗教の発信者だと言うことは驚くべきことです。

  過酷な中東の砂漠環境で部族をまとめるために「神」が必要だったらしいのですが、無信心の当ガラパゴス史観には理解が大変難しい項目です。 先日、近所のモルモン教の伝道師と立ち話をしていて、あなたの宗教は?と聞かれ、「サイエンス」だと答えました。 ガリレオ以来サイエンスはキリスト教と対立する新しい宗教だ、と言うのが当方の考えです。

  40才過ぎで研究・開発生活とオサラバしマーケティングに転身し、研究者時代に身に付けたデータマイニングによる仮説を引き出す手法をそのままマーケティングに応用することで、 なんとか定年までビジネス屋としてまっとうしたわけです。そして今はY-DNAの論文をGlobalでかき集め、得られた国別・民族別等の頻度データをマイニングして 日本文化に対する縄文の貢献度を発掘し、縄文を軽視する御用学者達に対抗したガラパゴス史観を構築し仮説を立て当ホームページから発信しています。

  しかし理科系人間でもオウムのような新興宗教に走る者もいるようにサイエンスを学んだ者が必ずしもサイエンティスト(サイエンス教徒)になるわけではなく、 オウムなどに改宗する者もいるのです。

  するとアシュケナージの人々は中東からヨーロッパに離散した際にヨーロッパ大陸の先住民を現地信仰から大量にユダヤ教に改宗・入信させたということになります。

ユダヤ教のどこが改宗・入信するほど魅力的なのか、もしくは精神的な抵抗がないよう現地信仰をうまく取り込んだのか (たとえば日本では仏教が「お盆」など当時の日本列島の縄文-弥生系の先住民の祖先信仰・習慣を大量に取り込みやっと民衆に受け入れられたように) は門外漢にはわかりませんが、短絡的に考えると離散したユダヤ人は男性がほとんどで、 まだ生活が不安定だった数千年前のヨーロッパの先住民の女性と交配し部族集団(むしろ宗教集団か?)に取り込み民族化していったと推測することも出来ます。

  mtDNAのハプロタイプの頻度分布は次のようにヨーロッパ大陸(つまり欧州白人)起源が81%も占めており、ユダヤ人本来の出自の中東系はわづか8%に過ぎなかった。 つまりアシュケナージ系ユダヤ人とはユダヤ教という宗教でまとまった珍しい宗教民族集団だと言えるのでしょう。

  興味のある方は是非、下記原著をお読みください。

A substantial prehistoric European ancestry amongst Ashkenazi maternal lineages

Marta D. Costa, Joana B. Pereira, Maria Pala, Veronica Fernandes, Anna Olivieri, Alessandro Achilli, Ugo A. Perego, Sergei Rychkov, Oksana Naumova, Ji?i Hatina, Scott R. Woodward, Ken Khong Eng, Vincent Macaulay, Martin Carr, Pedro Soares, Luisa Pereira & Martin B. Richards

Nature Communications Volume: 4, 2543, Published 8-Oct-13

  ただし、図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」は西ユーラシア系ではあるのですが中東でもかなりの頻度を持つので必ずしもヨーロッパ起源とは言えません。 メソポタミア農耕文明を興したのはY-DNA「J」系の「J2」ですが、 農耕がヨーロッパに浸透する際にY-DNA「J2」のパートナーのmtDNA「K」も一緒に移動したと考えると「K」は中東起源とも言えるのです。

  欧米人はどうも敵対するイスラム文明の担い手であるY-DNA「J」が自分たちの出自に直接関与していることを認めたくないのでしょう。 もしAshkenajiのmtDNA「K」32%を中東起源とすると、ヨーロッパ起源は49%、中東起源は40%となり拮抗するのです。欧米白人にとってはおぞましいことなのでしょうね!!

  ちなみに図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」はアルプスで凍ったまま発見された約5300年前のアイスマンのmtDNAハプロタイプでもあります。 ただしアイスマンのハプロタイプ「K」の子亜型「K1o」は現代では既に失われ母親の女系は断絶したことが知られています。 一方、アイスマンのY-DNAの子亜型は「G2a」になりスターリンと同じコーカサス系となります。   

アイスマンの時代にコーカサスから既にアルプスまでコーカサス人は移動をしていたことが良くわかります。 アイスマンの父親はヨーロッパに入った後先住民の女性と交配したと考えられますが、中東経由で母系と一緒に移動してきた可能性もあるのです。

  更に言えば図中のmtDNA「M1」は「M」系列の中で後述の「M*」の次に古い子亜型です。中東から西に出戻りしマダガスカル島の「M23」と共にアフリカ唯2の「M」系です。 これもヨーロッパ系ではありません。中東系(あえて言えばアフリカ系)なのは明らかです。 この論文の著者の分類は若干恣意的です、西欧系mtDNA「N」系が最も多いのはその通りですが、アシュケナージの母方がヨーロッパ系と言いきるのは正しくはないですね。 ヨーロッパ系と中東系の混合というのが正しいです。

  では、Y-DNAから見たユダヤ人はどんな集団なのか?一体何故、欧米人はユダヤ人のことを謎解き扱いするのだろうかY-DNAの頻度分布から調べて見ました。


  この分野の重鎮中の重鎮のHammerが2009年に子亜型・孫亜型までしっかりと調査した論文がありました。 しかもこの論文の共著者にはこの分野の創始者のひとりのKarafetも、ユダヤ遺伝子研究専門のBeharも名を連ねているそうそうたるメンバーの報告になっています。 研究者にはユダヤ人が謎の存在として調査せずにはいられないようです。

     また調査中にわかったことは、欧米人が話題にするユダヤ人とはほとんどアシュケナージのことであってセファルディではないことも面白い一面です。 それほどアシュケナージが欧州ユダヤ人の中核で欧米の政治経済を動かす存在なのでしょう。

  調査では、海外の研究者はユダヤ人集団をひとくくりではなく「Cohen」、「Israelite」と「Levite」の3種類に分けて調査していました。

    また当方には良くわからないのですが、要するにユダヤ教を信奉する人は全てユダヤ人らしい。 エチオピアのユダヤ人=Beta・IsraelのようなY-DNA「A」の黒人もユダヤ教信者なのでユダヤ人になるのだそうです。

・Cohen(Kohen)は世襲の司祭者の末裔らしく、アロンの男系子孫と考えられているらしい。 アロンはモーセの兄なので当然Levite出身であることは言うまでもないのですが、何故モーセの子孫がいないのか?は、これから調べてみます。

・Israeliteは俗人、要するに一般大衆のことらしい、勿論、政治家も首相も宗教従事者以外は皆ここに属するようです。

・Liviteは「主みずからが嗣業」だそうで、あのモーセの出身部族だそうです。Cohenの男系先祖はモーセの兄のアロンと考えられているらしい。 ということはCohenも本来はLeviteの一部のはずなのですが違うらしい。

  また研究者はAshkenazi(アシュケナージ)とSephardi(セファルディ)に分けても調査しています。

・Ashkenazi(アシュケナージ)は、ディアスポラ(離散)後にドイツ語圏や東欧圏に定住したユダヤ人を言うそうで、大雑把にヨーロッパ系ユダヤ人と言われているそうです。

・Sephardiはアシュケナージ以外の中東系ユダヤ人のことらしいが、それなら本家ユダヤ人ではないかと思われるのだがどうだろうか?


ともかくこの分野の重鎮中の重鎮のHammaerとKrafetの二人が加わって研究・調査しているくらいなので、ユダヤ人の起源は欧米人にとって、 我々が想像できないほど重大な?魅力的な?題材のようです。

以上の前提でY-DNAの頻度分布を見ると

● CohenのY-DNA頻度分布はAshkenaziでもSephardisでもセム系のY-DNAであるY-DNA「J」が80%近くを占めており、 ユダヤ人本来のセム系の遺伝子を維持しているオリジナルJewであることが見て取れます。

  いわゆる純系のレヴィ部族に近いと言え、由緒正しいユダヤ教徒=ユダヤ人のようです。「司祭」なので厳しく男系部族遺伝子を守ってきたのでしょう。

● LeviteはSephardiとAshkenaziでかなり異なる様子です。

  Ashkenajiではスラブ系Y-DNA「R1a」が52%も占め、10%のセム系「J」からスラブ人がレヴィ族を乗っ取った様子が見て取れます。   

「主嗣系」にもかかわらずです。過去に何か入れ替わる歴史があったはずですが、一体何が起きたのだろう?   Ashkenaziをにせユダヤ人と呼ぶ人もいますが、この遺伝子頻度を見るとAshkenajiのLeviteに関しては充分納得出来ます。

  一方、Sephardiではスラブ系「R1a」は4%しかないのですが、代わりにインド亜大陸発の移行期のY-DNA「K」が23%も占めており、 バルカン系と思われるY-DNA「I」も20%を占めています。40%以上が他遺伝子に置き換わっているのです。   不思議な頻度分布です。主嗣系にもかかわらず、他の遺伝子の混入が激しい。一体どこで交配したのだろう? これではSephardiを中東系と定義するのは非常に無理があります。

  ともかくLeviteと呼ばれる集団は、本来のセム系ではなくすっかり他の遺伝子集団に変貌している。ユダヤ教にとってはLeviteという存在はどうでも良い包末集団なのかもしれない。

いや、それも変です。Leviteを調べると包末どころか、他のCohenやIsraeliteのように相続できる土地や財産を持たない代わりに、彼らから寄付・寄進を受ける神聖な立場のようです。   何しろモーセの出身家系の子孫のはずなのですから。その神聖な存在のはずにも関わらず、ある時Y-DNA「R1a」,「I」や「K」等の異遺伝子集団にごっそりと乗っ取られたのだと思われます。 そうしてAshukenaziとSephardiは確立し、現代まで存続してきたようです。   

歴史に残るような内紛が起きなかったんですかね?ユダヤ史は当ガラパゴス史観のテリトリーではないのでここまでにしておきます。

● Israeliteは俗人=一般ユダヤ人なので現代イスラエル人の標準的はY-DNA頻度と考えても差し支えなさそうです。 36%程度が本来の中東セム系Y-DNA「J」であるが、ラテン(地中海)系Y-DNA「E1b1b」も20%程度あり、   ゲルマン系のY-DNA「R1b」も13%もあり、パキスタン系のY-DNA「R2」もあるなどCohenやLeviteとも異なる頻度分布を示しています。 一体どんなキッカケでユダヤ人に紛れ込んできたのだろう?不思議です。

  ユダヤ人が布教活動でいかに多くの信者を取り込み、ユダヤ教徒=ユダヤ人という宗徒=民族を実践してきた特異な「宗教民族」であることを如実に表しているようです。

  余談ですが、あのヒトラーの父親はユダヤ人だったとの説が根強くありますが、ヒトラーのY-DNAはユダヤ人Israeliteの重要な構成成分の「E1b1b」なので間違いなさそうです。

● ユダヤ人全体としては、セム系Y-DNA「J」が約43%なので今でも中東系と言っても差し支えなさそうですが、次が約17%の地中海(ラテン)系、11%のゲルマン系Y-DNA「R1b」と続きます。

  いかにAshkenaziやSephardiのLeviteが異様で特徴的な特異なY-DNA頻度分布を持つかが改めて良くわかります。   

とにかく「主嗣系」のLeviteが何のためにセム系以外の他Y-DNA遺伝子をAshkenajiでは71%も取り込んできたか、非常に興味深いのです。 当然そうしなければユダヤ教は消滅する危険性があったからには間違いなかったのでしょうが、どんなことが起きたのか?ディアスポラなのか?  

 Leviteがヨーロッパ系Y-DNA遺伝子「E1b1b」,「I」,「R1a」と「R1b」を71%も取り込む過程で、現地の先住ヨーロッパ女性と交配を強力に進めた結果、 mtDNAの約80%もがヨーロッパ系に変貌したものと考えられます。   

アシュケナージやセファルディはユダヤ人が中東をでてヨーロッパ大陸に新天地を求めて移動したときに現地ヨーロッパの先住女性と交配しながら 新しいユダヤ教徒=ユダヤ民族を形成していったものと思われます。   その間に現地改宗男性も教徒に加わり、アシュケナージはセム系からヨーロッパ的に大きく変貌していったと思われます。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm


12. 中川隆[7369] koaQ7Jey 2017年3月27日 12:38:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7846]

ユダヤ人周辺のDNA


(1) ユダヤ人固有の DNA:


  ユダヤ人とは、すでに多くの人種が混合してしまい、現在では ユダヤ教を信奉する宗教的ユダヤ人が”ユダヤ人”と定義されている。それにもかかわらず、アシュケナジー、スファラディーを問わず、コーヘン(男系で継承する 祭司職の家系、 イスラエル12部族の「レビ族」よりも狭いグループ)にだけある特徴的なDNA断片群が見出され、ユダヤ人種を識別するのに用いられている。

  * アシュケナジム: 東欧系ユダヤ人・アシュケナズ=ドイツの意、 現在 米国のユダヤ人の大半)

    セファルディム: 1492年に追放されるまでスペインに住んでいたユダヤ人で、その後北アフリカなどに拡散、元 駐日大使のエリ・コーヘン氏など

    ミズラヒム: 長らくアラビアに居住、 ミズラ=東
    その他、 エチオピアのダン族、 ミャンマーのマナセ族、 ジンバブエのレンバ族 など。


  1997年、テクニオン-イスラエル工科大の腎臓の専門家であるカール・スコレスキー(Karl Skorecki) 博士と、アリゾナ大学の遺伝学の専門家マイケルF. ハマー博士によって、その特徴あるDNA配列がY染色体上にあることが発見された。

  Y染色体のイントロン(ジャンク(がらくた)遺伝子 = 生体機能を発現しない部分、全DNAの95%以上)における、突然変異が起こった場合その形質が継承されやすい3つの部位(サイト)と、突然変異が頻繁に起こる6つの部位(サイト)の、 計9つのサイトを一つの組として調査し、コーヘン階層では非常に多く変異が起こっているが、普通のユダヤ人の間ではそれほど一般的でなく、ユダヤ人でない集団の間では稀であるという結果が得られた。その 9つのサイトがすべて変異している割合は、

アシュケナージ系コーヘンで45%、 
スファラディー系コーヘンで56%、 
一般のユダヤ人では全体の3〜5%

  したがって、アシュケナージ系コーヘンも、スファラディー系コーヘンも、ほとんど同じように約半分はこのコーヘン特有の男系遺伝のDNA群を保っていることになる。(それぞれ1000人近くからサンプル) アシュケナジーを にせユダヤ扱いする人もいるが、実際はそうではなく、ロックフェラー、ロスチャイルドのほうが DNA的に偽者であることがわかる。

(→ 下のJ2a系統参照)
http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93J%E7%B3%BB%E7%B5%B1


  この調査結果により、アフリカ・ジンバブエの レンバ族がユダヤ人の末裔であることが証明された。 彼らは、外見上完全な黒人であり、割礼と安息日を守り、豚肉とカバの肉を食べないなどの風習を持ち、イスラエルからセンナという所を経て南アフリカに移住してきた という伝承が代々伝えられている。

また、彼らの祭司職のグループは”ブバ族”と呼ばれ、彼らによるとブバ族はイスラエルの12部族の一つであるとされている。

彼らのY染色体DNAの変異箇所の調査により、レンバ族全体の男の 9%、”ブバ族”では 53%が、コーヘンに特徴的なDNA変異を持っていることが分かった。

これは、イスラエルやアメリカのユダヤ人と全く変わらない割合である
by.ニューヨークタイムズより、 文献1999年、 ニューヨークタイムズ(2003 9 27・再))

  注) アシュケナジー系は ハザール国(コーカサス)とは全く無関係。(↓(2)の2)) 

またアシュケナジーはれっきとしたユダヤ人であり(↑)、東欧の血が濃い。(↓(2)の4)) 

これに対して、”にせユダヤ”とは、ワスプ(ドイツ系白人)のロックフェラーや クレタ島出身のロスチャイルドを言う。

  ただし、北イスラエル10部族のDNAについては、祭司職を含む「レビ族」の大部分が南ユダと北イスラエルの分裂の時、ヤロブアムから職を解かれ、南ユダへ移動したので(U歴11:13−15)、今のところ、このDNA変異箇所によっては、イスラエル10部族の手がかりを知ることはできず、新たに特徴あるDNA変異を見つけなければならない。その中にまだユダ族などが混じっていれば、ユダと共にいるコーヘンのこのDNA断片群が発見されるかもしれない。


  * コーヘンのY染色体DNAのハプロタイプは、  J1a1b1b1a2a1a1a4(J-L147.1*, subclade-YSC234)  ・・・・ 

(J系統のハプロタイプ) 
http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93J%E7%B3%BB%E7%B5%B1

で、紛れも無くJ系統。

ただし、J1?(マホメットなどと同様に、むしろアラビア人に近い??) 

他の一般的なユダヤ人は、J2a系統。(↓)


  ** 英語版ウィキの『アロンのDNA』では、 コハニムの約半分が J1c3(J−P58)、 15%が J2a(J−M410) となっている。

(Y-chromosomal Aaron)
https://en.wikipedia.org/wiki/Y-chromosomal_Aaron

J系統 というだけなら、アシュナジー・コハニムの 88%(67人、n=76)、スファラディー・コハニムの 76%(52人、n=68)で、どちらも8割は J系統。 残りは E3b、R1b、R1a、K2など数%。

  ・・・・ 確かにモーセ五書におけるアロンの出自には曖昧さが残る。「レウィイ(レヴィ)族のあなたの兄弟アハロン(アロン)」(出エジプト4:14)で登場し、エジプトにおける在留異国人のイシュマエルの子孫の可能性がある。

(兄弟 アフ(EX) = 創世記25:18「(イシュマエルの子孫の)すべての兄弟たちは互いに敵対して住んだ。」: 肉親の兄弟のほかに、民族的な兄弟の意味もある) モーセが口下手ではなくアロンを必要としなければ、J2aだけだったかもしれない。 モーセは、アムラムとヨケベデ(どちらもレヴィ人)の子供。
(出2:1、民26:59) 

アロンの子の祭司はエルアザル。大体ここから、すべての祭司職への父系遺伝が繰り返されていった。そして、意外にも、長い歴史の中で比較的よくその特徴あるDNAが保たれてきたことが立証された。

  (2) ユダヤ人が属する Y染色体DNAハプログループ:   

Y染色体DNAハプロタイプ系統樹(2003)
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000sekaiidennsi101.htm

List of haplogroups of historic people(有名人のハプロタイプ)
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_haplogroups_of_historic_people#Y-DNA

    F(セム) >  G、H、I、  J  > J系統=アブラハムの子孫  > J2a が オリジナルのユダヤ系、 G2c(アナトリア) は捕囚の時混血? or ディアスポラ時代?

    (ハム)  > A、B、C、  D、E  >  E系統= クシュ、ミツライム、プテ、カナン  > E1b1b1a3 は 主にフェニキアとの混血

    K(ヤペテ) > L、M、N、O、   P > Q、R  >  R1a1 は ディアスポラの時に東欧系が混血 (アシュケナジムのみ)


  1) J2a系統:  Y染色体DNAハプロタイプの J系統は、セム系の J1系統と J2系統に分かれる。

(ヨーロッパのY遺伝子分布)
http://blog.livedoor.jp/nandeya_umeda/archives/51174468.html


  ・ J1(M62、中東の南部系) ・・・ アラビア半島全体 30%、 特に イエメン 70%
       ex) モハメッド(イスラム教創始者ムハンマド、570-632; ヨルダン王族2名より分析) J1a2b2*、 ペルシャ・カージャル朝の王(1772-1834) J1
      ・・・・・ これはどう見ても イシュマエルの子孫である。父親はアブラハムで、母親はエジプト人。

  ・ J2(中東の北部系) ・・・ J2a(M41): クレタ島、インドのバラモン階層(R + J2a)
                     J2b(M63): ギリシャ、アナトリア(トルコ中部)、バビロニア、エルトリア(ローマ初期の支配層)

  この J2a 系統に ユダヤ人が集まっている。 J系統は アブラハムの子孫と考えられ、オリジナルのヘブル民族(セム → エベル)の流れがここにある。

  ∴ J1: イシュマエルの子孫(ハガルはエジプト人)
     J2: イサクの子孫(=イスラエル民族、サラは同族) + ケトラの子孫(ミデヤン、 ヨクシャン → シェバ、デダン など、 創25:1−4)

       ex) あるロシア系ユダヤ人 J2a1b(J−M67)、 あるルーマニアのユダヤ人 J2(J−M172)、

  ロスチャイルド家 J2a1b3(J−L210) ・・・ もちろん、J2aであるからといって本当のユダヤ人であるとは限らない。(ロスチャイルドはJ2a(M41)の多いクレタ島出身であり、実は にせユダヤである。ユダヤ教は全く信奉していない。 

「クレテ人(クレタ島の人)は昔からのうそつき、(性的な意味で)悪いけだもの、なまけものの食いしんぼう」(テトス1:12) ・・・ BC600頃の クレタ島出身の哲学者エピメニデスの格言を 流用。当時、キリスト教宣教を妨害する 評判の悪い自称ユダヤ人たちがいて、間違った教えで人々を翻弄していた。

  (ロックフェラーはドイツ系白人のワスプで、出自が明らかに異なる。デビッド・ロックフェラーのユダヤ教は形だけ。)

  ヨーロッパのユダヤ人家系は J2が多い。

現在のイスラエル国はJ2が 20−30%。(レバノン 30−40%、ヨーロッパ 5−10%、その他 アナトリア、イタリア中部、南イタリア、アラビアなどに広く分布) 

ところが コハニム(レビ族のうちの祭司職、アロンの男系子孫)に アラビア系の J1系統が集まっているのは驚きである。主が しるしのために、本来のユダヤ人でないアロンを任命したとしか考えられない。(↑の(1))

  また、ヨセフの時、外国人支配時代のエジプト(ヒクソス時代)なので、エフライムとマナセには E系統(YAP)は入っていないで J系統・セム系が保たれていると思われる。

  晩年のアブラハムのケトラの子(東に行ったが)は 父系遺伝から J系統であり、日本人にはJ系統がいないため、日本人がケトラの子孫であるという説は間違い。

  2) G2c系統:  これもセム系で、アシュケナジ系ユダヤ人に G2cのみが見出される。コーカサスのG2aは入っていない。

  ・ G2a ・・・ コーカサス(黒海、カスピ海の北)、 イラン、アフガニスタン、カシミール
         ex) ヨシフ・スターリン G2a1a、 アイスマン(コルシカ島・特殊) G2a2a1b
  ・ G2c ・・・ アナトリア(トルコ中部)、 アシュケナジム・ユダヤ

       ・・・・・ したがって、アシュケナジムが ハザール王国(コーカサス)の改宗者の子孫(7−10c)という説は、DNAから見て間違いで、現在では俗説とされている。

  3) E1b1b1a3(E-V22)系統:  E系統は、創世記10章の ハムの子孫(クシュ、ミツライム、プテ、カナン)の代表であり、D系統と共に、Y染色体DNAに YAP変異を持ち、アフリカ、地中海沿岸に、ごく普通に非常に幅広く分布している。

(A系統、B系統を半ば駆逐するような形で) 日ユ同祖論に近い議論でたびたび言及される YAP共通の点は、E系統と D系統が ごく初期の段階で分かれ、その後は互いに交流の形跡が無いことから、YAPのしるしはそれほど重要な意味を持たないと考えられる。

(初期の 階段状ピラミッドまでは共通と思われる。 バベルの塔 → エジプトの階段状ピラミッド → エジプトの大ピラミッド → 小規模のピラミッド状の墓; → チベット・中国のピラミッド、 → 日本の海底ピラミッド)

  ・ E1a(E−M33)系:  西アフリカ   

(→ るいネット)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=245376

  ・ E1b1a(E−M2) ソマリア、エチオピア、ギニア、サハラ以南  ・ E1b1a7(E−M191) モザンビーク、ジンバブエ、南アフリカ
          ex) ラムセス3世 E1b1a(E−V38) (・・ 2012 12)、  バラク・オバマ E1b1a(E−V38)

  ・ E1b1b(E−M215、M35 (旧)E3b)系: 東アフリカ、北アフリカ、南ヨーロッパ(ドイツとオーストリアに9%弱もいる)

          ex) アドルフ・ヒトラー E1b1b1(E−M35) ・・・  E1b1b1a3 と異なり、フェニキア・ユダヤ系ではない

  ・ E1b1b1a(E−M78、 (旧)E3b1a)、 ・ E1b1b1a1(E−V12)、 ・ E1b1b1a2(E−V13) 古代ギリシャ人、 ・ E1b1b1a4 モロッコ人


  ・ E1b1b1a3(E−V22) フェニキア人、古代ユダヤ人(レヴァント(=シリア、パレスチナ(ペリシテ人の地)))、アラビア半島
     ・・・・・・ E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があったことを示す。(アハブの妻イゼベル)、 さらに古くは ヒッタイト(ヘテ人)、モアブ人などが混じっているはずである。

   ● ハム系 → ミツライム(エジプト) → カスルヒム → ペリシテ人(E系統)  + J2系統(シリア人)  ≒ フェニキア人(言語はセム語系の フェニキア語、 人種は混合)  → BC9cにはアッシリアに服属、 カルタゴへ移る → ポエニ戦争以降 共和政ローマに併合

  ハム系 → シドン人
  ハム系 → カナン → ヘテ人(ヒッタイト) ・・・ エジプトに、”鉤鼻”のヒッタイト兵士の彫刻、ヘテ人とはアブラハムの頃に交流、
  エサウの妻(ヘテ人2人と ヒビ人1人) → 5人の子 → エドム人 ・・・ このエドム人がフェニキアの航海技術を持ち、ユダヤ人と共に 南洋ルートで沖縄・山陰に来たと考えられる
(→ (1) エドム人とユダ族の移動 ) 
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000sekaiidennsi3.htm

琉球人から見たフェニキア人は 背の高い人々だったとされる

(下に 沖縄のフェニキア遺跡)
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00%200%200%20seisyo%20syuuhuku3.htm


  モアブは、アモンと共に、アブラハムの甥のロトと彼の娘たちとの近親相姦の子孫

  ・ E1b1b1b2(E−Z830) アルバート・アインシュタイン ・・・ 上記(E1b1b1a3)と異なるので、本当のユダヤ人ではない
  ・ E1b1b1b2a1*(E−M34) ナポレオン・ボナパルト ・・・ 家系が中部イタリア出身
  ・ E2(E−M75) サハラ以南

  ・ セファルディム(北アフリカ)や、特に エチオピアのユダヤ人(ベト・イスラエル(ダン族)、A3b2(M13) 41%、E3*(M40) 18%、E3b(P2) 32%、 J2(M172) 5%・・・ E系統50%、黒人系で90%以上、ユダヤ系は5%もいない)への E系統の混入率は高い。(ディアスポラ時代に混入)

   

  4) R1a1系統:   R1a1: 東欧系、 R1b: 西ヨーロッパ人の40〜80%

  2005年の調査により、 アシュケナジー系男系 Yの 11.5%が R1a1系統であり、母親がユダヤ人で 一部の東欧系の父親の子供がユダヤ教になったことを裏付けている。 ( R1a: 東欧人で 54−60%、2001年) 母系(ミトコンドリア↓)の80%以上との違い

  * また、アシュケナジムのミトコンドリアDNAの解析では、はるかに多く、母系の81%がヨーロッパ系(mt−DNAの H 20.5%、K 31.8%、N1b 9.2%、J6.3% など)、中近東(ペルシャ、アナトリア) 8.3%、アジア1.1%であり、80%以上が(コーカサスではなく)ヨーロッパ人種であることを裏付けている。

(→ Nature Asia、 
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/8799

Figure10 (2013 10))
http://www.nature.com/articles/ncomms3543


  これは、エルサレム陥落後まもなく ヨーロッパ人の妻を多く娶ったためといわれる。歴史では、8-9世紀に北フランスにユダヤ人集団の記録があり、14末-15世紀にかけて西ヨーロッパを追放され(イギリス1290−、フランス1394−、ドイツ15c−)、東欧へ移動し、特に ポーランドの保護に入った。この時、特に 現地人の妻との間に子孫が多くできたことを表している。(同族結婚では奇形などが多くうまく育たなかったと思われる。)


  ** アシュケナジー系の 人口ボトルネックの存在:

  25〜32世代前、すなわち 1200-1400年頃に アシュケナジムが わずか250−420人程度にまで減少した形跡が発見された。これは、ヨーロッパ人と比べて、劣性遺伝疾患が100倍に増幅されていることなどから推測されたものである。 この時期には、十字軍による組織的虐殺、あるいは ペストの罹患 および その迫害 という、きわめて厳しい環境下に置かれた歴史を経てきた事を表している。(申命記28章の のろい、「星の数ほど多くても、残された者はわずか。」(28:62) ただし、今は回復の時になってきている。)

(「東欧系ユダヤ人は250〜420人が創始者」ゲノム解析で判明、2014、記事元・WIRED.jp.)
http://wired.jp/2014/10/02/ashkenazi-jewish-population-has-distinctive-yet-similar-genomes/


13. 中川隆[7373] koaQ7Jey 2017年3月27日 14:03:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7850]

ヨーロッパY-DNA遺伝子調査報告 セム度・メソポタミア農耕民度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm

10-7. セム度・メソポタミア農民度調査 Y-DNA「J 」 rev.3

  ヨーロッパ人の遺伝子Y-DNA「I 」の兄弟遺伝子は「J 」です。「J1」はセム種です。ヨーロッパ人にとって、セム語族は極めて重要です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、 この3つの宗教全てを始めたのはセム語族だからです。欧米の宗教はセム種によって開示されたのです。 当時ローマ人以外は野蛮だったヨーロッパ人は宗教なんて高尚な概念はなかったのです。ただの未開集団に過ぎませんでした。しかしローマがキリスト教を受け入れて変化が起きたのです。

  そのローマ人は地中海系民族だったのでやはり野蛮なヨーロッパ人とは一線を画していたのです。そしてヨーロッパに農耕文明をもたらしたメソポタミア文明人は 「J2」遺伝子集団と考えられています。農耕技術を持ってヨーロッパ大陸に拡散をしていったためほとんどの欧州人に「J」遺伝子が交配されています。 「J」はラテン遺伝子の「E1b1b」と共にヨーロッパ人の重要な遺伝子なのです。「J」は「G」と同様にコーカサス発祥の遺伝子です。コーカサスはヨーロッパの母なる土地です。

  欧米では、世界最古の民族はアルメニア人だと、以前言われていましたが、Y-DNA遺伝子の調査では、シーラカンス古代遺伝子のY-DNA「D」と「C」以外の新世代遺伝子Y-DNA「F」の中で 最も古いタイプがコーカサス遺伝子Y-DNA「G」ですが、その頻度が最も高いグルジア人が最古のような気がします。いずれにせよアルメニア人も発祥の地であるコーカサス一帯が 現代文明人の故郷のような気がします。実は「G」遺伝子を持つコーカサス民族には農耕をヨーロッパにもたらしたメソポタミア遺伝子「J2」の頻度も高く、 当時最先端の文化を誇っていたはずなのです。

____


3-7. Y-DNA「J 」   セム度・メソポタミア農民度調査 rev.4

  ヨーロッパ遺伝子度調査で最もアクセスが多いのはY-DNA「J」と「R1a」です。訪問者の方々は世界を揺り動かしているイスラム教とアラブを含むY-DNA「J1」のセム族に非常に 興味がおありのようです。そこで当ガラパゴス史観はEupediaからヨーロッパの情報を転載したいと思います。次に「R1a」情報をお伝えします。Exiteの機械翻訳なので オリジナルが読みたい方はEupediaをどうぞ。

Y-DNA「J1」 アラブ度調査

Y-DNA「J1」遺伝子の現在の分布です。アラブ人の基幹遺伝子ですが、ヨーロッパに意外に浸透していることが良くわかります。


  Y-DNA「J1」は、恐らく東アナトリアのクルディスタン中部のヴァン湖の近くで始まった中東のハプロタイプです。 東アナトリアは ヤギ、羊および牛が中東で最初に飼育された地域です。Y-DNA「J1」は、中東とヨーロッパの至る所で牧羊者の生活様式の拡大にほとんど確実にリンクされます。

  ヨーロッパと西アジアのY-DNA「J1」の出現頻度は、ある1つの地域社会と隣の地域社会では相当に変わる傾向があります。

  ヨーロッパで最も高い国毎の頻度が、ギリシャ、イタリア、フランス、スペインおよびポルトガルで見つかりますが、人口の5%を滅多に超えることはありません。
  しかしながら、イタリア・フランスおよびスペインは、Y-DNA「J1」が全く出現しないエリアを持っています。

  北ヨーロッパでさえ「J1」の頻度は0.5%未満ですが存在します、「J1」の非常に局所的な出現地域がスコットランド、イングランド、ベルギー、ドイツおよびポーランドで観察されました。

  Y-DNA「J1」のより明確な分布図を得るにはより大きなサンプル・サイズが必要です。

  驚いたことに、このY-DNA「J1」が起こったと思われる地域、コーカサスとアナトリアでさえ、地方間に広い不一致があります。

  例えば、北東のコーカサスのダゲスタンのKubachi人およびDargin人はY-DNA「J1」が80%以上ありますが、北への200kmしか離れていない隣人のイングーシの「J1」出現頻度は かろうじて3%に過ぎません。

  ヴァン湖の周囲の東アナトリアのY-DNA「J1」の出現頻度は30%以上ですが、しかし南西アナトリアにはわずか2%しかありません。

  クルディスタン内でさえ頻度は大幅に変わります。

  地域のサンプル・サイズの小ささが確実に問題となります(特定の集団のみを調査している可能性があり地域の平均ではないかもしれない)。

  アラブの国々の中で、南イラクのマーシュアラブ人(81%)(湿地のアラブ人:チグリス-ユーフラテス湿地の住民)が最大頻度になります。スーダンのアラブ人(73%)、イエメンの住民(72%)、 ベドウィン人(63%)、カタール人(58%)、サウジ人(40%)、オマーン人(38%)およびパレスチナのアラブ人(38%)と続きます。

  他に、アラブ首長国連邦(35%)、湾岸アルジェリア(35%)、ヨルダン(31%)、シリア(30%)、チュニジア(30%)、エジプト(21%)およびレバノン(20%)で高頻度で観察されます。

  アラブ人の大部分はY-DNA「J1c3」小亜型に属します。


___


10-7. Y-DNA「J 」   セム度・メソポタミア農民度調査 rev.4

世界の主要な宗教であるユダヤ教も、ユダヤ教から生まれたキリスト教もイスラム教も全てセム系Y-DNA「J 」が興した宗教です。

ただしヤーヴェやキリストが「J1 」か「J2 」かは 現在の遺伝子調査では定かではありません。

イスラム教のムハンマド(マホメット)は成立年代から見てアラブ系のY-DNA「J1 」と思われますが。

Y-DNA「J2」 メソポタミア農耕文明民度調査

  Y-DNA「J2」遺伝子の現在の分布です。チグリス・ユーフラテス川の肥沃な三角地帯で農耕革命を興しヨーロッパに農耕を伝えた集団なのでほぼヨーロッパ全土に浸透しています。

http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm

  ローマ帝国の最大版図です。ローマ帝国の拡大とともにY-DNA「J2」メソポタミア農耕文明の農民が拡大していったことが良くわかります。

http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm

  ローマ時代のキリスト教徒の分布図だそうです。Y-DNA「J2」の分布と重なります。

「J2」農民がローマ帝国の拡大とともにキリスト教を拡大していったことが分かるそうです。 つまり先住民がキリスト教に改宗したと言うより、ローマ人が進出したと考えられるようです。(現代の中国の少数民族政策に似ています、漢族を大量に少数民族の多い地域に送り込み、 地域ごと漢族で乗っ取るやり方です。)


  Y-DNA「J2」は、最後の氷河期の終わりごろ15000年〜22000年前に間で、中東のどこかに現われたと思われます。

  その現在の地理的な分布は、肥沃な三日月地帯からの新石器時代の拡大を支持していると議論されています。

  この(第一次の)拡大はY-DNA「G2」とY-DNA「E1b1b」に関連ずけられるレヴァント地域での穀物農業の開発より、むしろ紀元前8000年〜9000年ごろから始まったZagros山脈および 北メソポタミアからの牛およびヤギの飼育法の拡散と恐らく関連付けられます。

  第二次の「J2」の拡大が、銅の製作という冶金法の到来(ドナウ谷の低地、アナトリア中部および北メソポタミアから)と最も古いいくつかの文明の興隆で生じたのかもしれません。

  ほとんどの古代の地中海・中東の文明はY-DNA「J2」が優勢だった領域で繁栄しました。

  これはハッチ人、フルリ人、エトルリア人、ミノア人、ギリシャ人、フェニキア人(とそのカルタゴの支流)、イスラエル人の場合と、より低い程度ですがローマ人、アッシリア人および ペルシャ人もです。

  中期青銅器時代から鉄器時代までの偉大な船乗り集団の文明はすべてY-DNA「J2」男子によって支配されました。

  雄牛崇拝を伴った古代「J2」文明の別の関連付けがあります。

  雄牛のカルトの最も古い証拠は、新石器時代のアナトリア中部、特にCatalhoyukおよびAlaca Hoyukの遺跡に遡ることが出来ます。

  雄牛描写はクレタでミノア文明のフレスコ画およびセラミックスに遍在しています。

  雄牛仮面のテラコッタ小像および雄牛角のある石の祭壇は、キプロス(新石器時代までさかのぼった西アジアからのY-DNA「J2」の第一次と思われる拡大)で見つかりました。

  ハッチ人、シュメール人、バビロニア人、Canaait人およびカルタゴ市民にはすべて雄牛崇拝(インドヨーロッパ語族か東アジアの地方と対照的に)がありました。
  シヴァ神またはパールヴァティー女神に専心的なすべての寺院で示されるヒンズー教の脅えた雄牛、白い雄牛、はインドヨーロッパ語族に起源を持っていないが、インダス渓谷文明まで さかのぼることができる。

  ミノア人のクレタ、ヒッタイト人のアナトリア、レヴァント、バクトリアおよびインダス渓谷は、さらに雄牛を飛び越える伝統(雄牛の突進をよける儀式)を共有しました。

  それは、Y-DNA「J2」頻度の高い頻度の2つの地方、スペインのアンダルシアおよびフランスのプロバンス地方で伝統的な闘牛として今日まで残存しています。

  Y-DNA「J2」の世界で最も高い頻度は、北東のコーカサスのイングーシ人(男性のY-DNAの88%)およびチェチェン人(56%)に見られます。

  両者はNakh民族グループに属します。彼らは少なくとも紀元前3000年以来その地域に居住しています。

  彼らの言語は他の言語のグループではなく、離れているダゲスタンの言語と関係があります。

  しかしながら、ダゲスタン民族(Dargin人、Lezgin人、アバール人)は、Y-DNA「J1」(Dargin人では84%)に属し、ほとんど完全にY-DNA「J2」は欠損しています。

  Y-DNA「J2」の他の高い出現頻度は、Azeri人(30%)、グルジア人(27%)、Kumyk人(25%)およびアルメニア人(22%)を含む他の多くのコーカサス民族中に見られます。

  しかしながらこの地域の低い遺伝的多様性のために、コーカサス一帯でY-DNA「J2」が始まったとはほとんどありえません。

  ほとんどのコーカサス民族の人々は同じY-DNA「J2a4b」(M67変異)子亜型に属します。

  観察された高い局所的な頻度は、むしろ創始者効果(例えば一夫多妻の長い伝統による首領および王の血統の増殖、ロシア人が19世紀にコーカサスの征服以来抑えこもうとしたこと)の結果に なるでしょう。(貧民が自由に結婚できる現代と異なり、古代は権力者のみが女性を独占し自分の子孫のみを世に送り出してきた事実、このため権力者のY-DNAのみが長い間受け継がれてきた。 中央アジアのジンギスカンの子孫1500万人現存が良い例)

  コーカサスの外で、Y-DNA「J2」の最も高い頻度は、キプロス島(37%)、クレタ島(34%)、イラク(28%)、レバノン(26%)、トルコ(マルマラ海沿岸地域およびアナトリア中部ではピークで30%)(24%)、 ギリシャ(23%)、イタリア(23%)、シシリー(23%)、南イタリア(21.5%)中部北部)等で観察されます、 そしてアルバニア(19.5%)、ユダヤ人の人々(19?25%)も同様です。

  ワラキア人の人々の4分の1(バルカン諸国のロマンス語話し手の孤立したコミュニティー)はY-DNA「J2」に属します。彼らが住んでいるマケドニアおよび北ギリシャでは平均以上になります。

  これは彼らがラテン語から伝わった言語を話すという事実に組み合わせられます、ということは彼らの大部分がバルカン諸国の他の民族グループよりローマ人(あるいは少なくともイタリア人)を 祖先に持つことを示唆します。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm


14. 中川隆[7374] koaQ7Jey 2017年3月27日 14:12:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7851]

ギリシャ人とローマ人の Y-DNA遺伝子


ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm

  集めたY-DNAデータの中から地中海周辺とバルカン半島、旧オスマン帝国領土に絞りまとめて見ました。先ずはインターネットから借用した地中海周辺の地図を頭に叩き込んで下さい。 そのあとでY-DNA頻度データを見て下さい。 地中海の北岸と南岸に限り、東岸の近東諸国のデータは省きました。


結果をまとめて見ました。


1.ギリシャ
  予想通りラテン系Y-DNA「E1b1b1」が主要で、次いでメソポタミア農耕民系Y-DNA「J2」やアナトリア系Y-DNA「R1b」やスラブ系Y-DNA「R1a」、クロマニヨン系Y-DNA「I」等が続いています。

  またY-DNA「J2」と共にメソポタミア農耕を興したらしいY-DNA「G」もある程度残っています。 このアナトリア系のY-DNA「R1b」はロシアのバシキ―ル人がほぼ純系で、恐らくアフリカのチャド系Y-DNA「R1b」も同系ではないかと推測しています。


2.トルコ
  最も多いのはメソポタミア農耕民系のY-DNA「J2」です。テュルク民族のオリジナル遺伝子と思われるY-DNA「N」(ヤクート人の遺伝子)が、 西に民族移動を進める過程でイスラム化すると同時に各地の遺伝子を取り込み 最後に到達したアナトリアで東ローマ帝国を形成していた先住民のY-DNA「J2」と「R1b」と「 I 」、更にラテン系の「E1b1b1」を取り込み成立したのがセルジュクトルコと 後継のオスマントルコなのでしょう。 調査の対象によって出現頻度がかなり異なることがわかります。現代トルコ人は均質ではなく調査対象の選び方でかなり変わるか、地域差がかなりあるのでしょう

  またオスマン帝国時代にアフリカ北岸も領土にしたため、アフリカ系Y-DNA「A」や東ユーラシア時代に取り込んだと思われるY-DNA「C」(タタール系でしょう)も現存しています。


3.バルカン諸国家
  アルバニア人だけがラテン系遺伝子を強く残していますが、他は見事にバルカン系遺伝子のY-DNA「 I2」が主要遺伝子となっており、旧ユーゴースラヴィアの国名にもなった スラヴ系Y-DNA「R1a」が続きます。

  どうやらアルバニア人だけが極めて特徴的な遺伝子構成のようです。他の諸国は遺伝子構成は現代では基本的に似通っているのですが、宗教と言語の違いが極めて厳しく、 紛争地帯の最大の要因のようです。


4.バルカン周辺諸国家(旧オスマン帝国の影響があった諸国)
  バルカン系遺伝子Y-DNA「 I2」とスラヴ系遺伝子Y-DNNA「R1a」が核の民族群のようです。

5.イタリア
  ここではイタリア北部の遺伝子調査結果は出てきません、キチンと系統的に調査されたデータは意外にないのです。

  研究者の注目はやはりイタリアらしいラテンの色彩の強い地中海ど真ん中のイタリア靴のつま先最南端部のカラブリア州や島々のようです。 Y-DNA「E1b1b1」が核のシシリー島とバイキングY-DNA「 I1」が核のサルディニア島の違いがはっきりとわかります。恐らく島民の気質も大きく違うのでしょう。 特に不思議なのはマルケ方言を話すイタリア中央部のMarchigiano方言民の人々で、非常に希少なY-DNA「T」がほぼ100%なのです。 勿論ジェファーソン元アメリカ大統領(Y-DNA「T」)の出身地なのでしょう。このようにイタリア半島部と島々は遺伝子的にかなり面白い国なのです。


6.フランス・プロバンス地域
  フランスの地中海沿岸部のため、もう少しラテン系遺伝子の割合が多いのかと推測をしていましたが、ケルト系Y-DNA「R1b」が60%近くを占める典型的な北欧系地域でした。 恐らくイタリア北部も同じような傾向ではないかと推測できます。つまりヨーロッパ大陸部は北欧で、バルカン半島やイタリア半島、イベリア半島のような地中海に飛び出した地域と島々のみが南欧 つまり地中海地域なのでしょう。もう少しイタリア研究論文の調査を進めて見ます。

7.スペイン
  スペインは各地方がスペインからの分離独立を声高に叫ぶような不思議な国家なのです。スペインを統一したのはカスティーリャ王国ですが、 現代にいたっても国家への帰属意識は意外に低いのだそうです。 それぞれの州が好き勝手に叫んでいるようなのです。実は予想に反してラテン度は低くケルト度が高いのです。スペインのY-DNA「R1b」はラテン気質をみても ゲルマン系ではなくケルト系に近いと思われます。

  バスク人はイギリスのケルト系と並ぶほぼ純系のケルト系遺伝子集団です。
  ガリシア州はスペインの中で最もラテン系遺伝子が多い州。
  アラゴン州はバルカン系遺伝子が最も高い州。
  独立の声が最も大きいカタルーニャ州はバスクの次にケルト度が高い州です。
  ポルトガルは独立していますが、遺伝子的にはイベリア半島民の一部です。


8.ベルベル人
  アフリカ北岸一帯に分布するベルベル人は見事にラテン系遺伝子Y-DNA「E1b1b1」の民族です。アフリカ北岸はカルタゴやハンニバル将軍などの歴史があり、 恐らく古代ローマ時代は当時の文明の先端に位置していたと思われます。 特にトゥアレグ族はほぼ純粋なY-DNA「E1b1」遺伝子集団です。

9.アラブ人
  サラセン帝国など、アラブY-DNA「J1」の拡大でアフリカ北岸はアラブ一色に染まりY-DNA「E1b1b1」はひっそりとわき役に落とされました。 しかし遺伝子調査は極めて明快に今でもY-DNA「E1b1b1」が民衆の遺伝子の核であることを示しています。 つまりアラブの文化を取り入れイスラム教に改宗した集団はイスラム・アラブ人の一員となり改宗せずに独自の信仰を守った集団はベルベル人として非定住・遊牧の生活を選んだものと思われます。

  これは中国で中華文明に取り込まれた異遺伝子集団は漢民族に取り込まれ、そうでない集団は辺境の少数民族化したのと同じような様相です。

  ベドウィン人はアフリカ北岸のアラブ人の中でも古いアラビア語を話す集団らしいですが、ラテン度はほとんどなくアフリカの主要遺伝子の一つであるY-DNA「E1a」を多く含み、 恐らく交易を通してだろうと推測できますが、むかなり特殊な交配を行ってきた民族集団のようです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm


15. 中川隆[7490] koaQ7Jey 2017年4月03日 13:51:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7974]

独裁者が誕生するのは、独裁して欲しいと思う人がいるから

ロシアの政治がきな臭くなっている。ウラジーミル・プーチンは政治的指導者として2000年に大統領になってから17年もロシアに君臨している。


プーチンは絶対に自分に対抗する人間を認めない。それが政敵であれ民間人であれ、ことごとく脅迫・拘束・逮捕・殺害によって葬っていく。だからこそ、プーチンは17年もロシアの政治に君臨できたとも言える。

組織をまとめる方法はいくつもあって、百人百様でもある。それぞれの指導者が、自分に合った方法を採用して組織運営に当たっている。

しかし、世の中は常識人だけで構成されているわけではない。当然、中には異様な手法を取る指導者も出てくる。

崇拝を強制するような指導者が世の中に存在する

異様な組織運営の最たるものは、「自身の神格化」と「崇拝の強制」である。ドイツのヒトラーも、中国の毛沢東も、ソ連のスターリンも、カンボジアのポル・ポトも、強烈な独裁で国を支配して崇拝強制を国民に強制した。

こういった独裁体制は現在は通用しなくなりつつあるが、それでも絶滅したわけではない。北朝鮮ではまだそのような異常な体制が続いている。北朝鮮の場合は金(キム)一族が3代に渡って独裁政治を敷き、国民が今も崇拝から抜け出せないのだからどうかしている。

国家だけではなく、組織という名前の付く集団の中には、規模が大きくても小さくても、無理やり人を洗脳し、崇拝させるようなやり方をする指導者が星の数ほどいる。

独裁者が国というスケールでそれを行うだけでなく、企業家が自分の企業の内部でそうすることもあるし、カルト教団が信者に崇拝を押し付けることもある。

これらの「強制崇拝」をする指導者は規模の大小に関わらずどこにでもいて、あの手この手で人間を押さえつけて、その人の人生を奪う。

ひとりのトップがふんぞり返り、上層部が個人崇拝を強制し、関わっている全員が自分の人生を捨ててトップのために人生のすべてを捧げる。そんな狂ったような世界がある。

個人崇拝を強制する組織は、それがどんな組織であれ人々を不幸にするのは100パーセント間違いない。

誰かを盲目的崇拝するというのは、まさにその人の奴隷になるということだ。自分が誰かの歯車や、都合の良い人間になる。そんな馬鹿げた人生があるだろうか。

優れた人間を見ると、誰もが自然な尊敬の念を抱く。誰でも人生の中で尊敬する人をひとりやふたりは持つ。

しかし、神のような絶対的存在として「崇拝させられる」というのは、自然な尊敬とはまた別種のものだ。それは、異様なことなのだ。


誰かを盲目的崇拝するというのは、まさにその人の奴隷になるということだ。自分が誰かの歯車や、都合の良い人間になる。そんな馬鹿げた人生があるだろうか。


崇拝を強制する組織は、その人の人生を奪う

自分の人生を生きるというのは、迷い、ぶつかりながらも、自分の頭で考えて、自分の意思で行動することである。他人を崇拝して、奴隷になることではない。

しかし、世の中には往々にして崇拝を強制する力が働くことがあり、大勢の人々がそれに巻き込まれる。崇拝を強制され、誰かの奴隷にされる。

「誰かを崇拝せよ」と言われれば全身全力で反撥する必要がある。崇拝を強制する人間や社会に抵抗し、戦わなければ生きている意味がなくなる。抵抗しないと、身も、心も、金も、すべて奪われる。

崇拝するということ自体が危険なのに、それを強制させるのだから異様であると感じなければならないのだ。

崇拝を強制する組織は、そこに属する人の人生を奪う。それは人を「奴隷化」する。それは一種の地獄だと言ってもいい。本当は信じていないものを強制されるほど、人間の尊厳を破壊するものはない。

独裁国家は国民全員に指導者の崇拝を強制する。

独裁者やその一族を崇拝することは、どんな任務よりもまして優先される。国民は、あらゆる仕事、あらゆる法律、そして親兄弟よりも優先しなければならない。

その個人崇拝は全執行部によって徹底され、裏切り者は家族もろとも処刑される。市民・軍隊はすべてひとりの人間の指示によって行動し、自ら考えてはならない。

忠実に命令を執行しなければならない。そして、命令のためには生命を投げ出さないとならない。独裁者が「指導」したら、それがどんなに理不尽であっても従う必要がある。

それはあまりにも馬鹿げた世界だ。

しかし、このような他人を強制崇拝や隷属化させる組織が存続できるというのは、逆に言えば、他人に隷属してもいいと考える従順な人がいるということでもある。


独裁者が「指導」したら、それがどんなに理不尽であっても従う必要がある。命令のためには生命を投げ出さないとならない。


なぜ「他人に人生を委ねてもいい」と思うのか?

誰も彼もが反逆者の精神があったら、強大な独裁者は生まれることはない。

独裁者が誕生するというのは、「他人に人生を委ねてもいい」という人も大量にいるということを意味している。逆らうよりも前に、相手に委ねる人がいるのだ。

なぜ、そのような人たちが生まれるのだろうか。その答えは「楽だから」だ。「考えなくてもいいから」だ。

自分の人生を自分で切り拓いて生きるというのは、とても大変で面倒なことだ。生き方を自分で決めて、生活を自分の力で成り立たせるというのは並大抵ではない努力が必要だ。

誰かに服従して、その誰かが食べさせてくれるのであれば、自分でどうするか考えるよりも「楽でいい」と考える人が確かにいる。

指導者が独裁的であればあるほど、すべてを委ねて何も考えずに生きていける。ロボットや歯車になるというのは、責任はすべて独裁者に取ってもらえるということでもある。

世の中が共産主義や社会主義や全体主義になったら、上が何か言えばそれに従って生きれば、少なくとも生活は保障してくれるのでとても楽なのだ。

もちろん、自分のやりたいこと、好きなことはできないが、責任は取らなくてもいいし、どう生きるかという「面倒なこと」を考える必要もない。

だから、我が指導者が「自身の神格化」と「崇拝の強制」を押しつけてきても、面従腹背でも何でもそれに従って長いものに巻かれていく。

ところが、人間の心は単純にできていない。崇拝がこれでもか、これでもかと続くと、いずれは反撥心も不満も怒りも湧きあがっていく。

しかし、そのときに反撥しても遅い。崇拝することによって、人生のすべてを掌握されてしまっており、もうそこから逃れられなくなっているからだ。崇拝に染まりきっていると、ある時点でそこからもう抜け出せなくなってしまう。

だから、私たちは他人を崇拝するという社会現象に気を付けなければならない。尊敬すべき人間はいるが、崇拝すべき人間はこの世にはいない。


指導者が独裁的であればあるほど、すべてを委ねて何も考えずに生きていける。ロボットや歯車になるというのは、責任はすべて独裁者に取ってもらえるということでもある。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170403T0400140900.html


16. 中川隆[-7953] koaQ7Jey 2017年4月30日 13:33:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人に投稿・コメント禁止にされましたので、本日をもってこのスレは閉鎖します

17. 中川隆[-7855] koaQ7Jey 2017年5月01日 12:46:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

参考に、僕が阿修羅原発板で反原発派の嘘とデマを明らかにした為に、阿修羅で投稿・コメント禁止にされた経緯を纏めました:

これが阿修羅に巣食う電通工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c73


18. 中川隆[-12445] koaQ7Jey 2018年5月13日 09:08:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-13930]

イエス・キリストが聖母マリアの処女懐胎によって誕生したというエピソードには、元ネタがあります。

エジプトで、永遠の処女とされる女神イシスが、太陽神ホルスを処女懐胎によって生んだという神話に基づく聖母信仰です。

ユダヤ教もキリスト教も、本来は太陽信仰の要素を含んでいたことを、精神分析学のフロイトが指摘しています。彼はユダヤ人知識階級の大学者ですから、間違えることはまずないでしょう。

処女懐胎のエピソードは、高句麗国の始祖である朱蒙や明姫の生誕の神話にも見られる、太陽信仰特有のものみたいです。明姫の生誕を祝う非公開神事は今も当家が伝承しています。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1195894356


19. 中川隆[-12674] koaQ7Jey 2018年5月30日 16:56:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14584]

新説!キリストを殺したのは誰だ? - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ofZR13y20as

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