★阿修羅♪ > 近代史02 > 403.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
その時、馬に神が宿った5 _ ライスシャワー
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/403.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 9 月 04 日 18:03:14: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: その時、馬に神が宿った4 _ カンパニー 投稿者 中川隆 日時 2010 年 9 月 03 日 23:13:44)

20世紀の名馬 ライスシャワー
http://www.youtube.com/watch?v=aXvP9ggoRkA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=38a2fzCB6N0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=r3ow-HbBv1E&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DGfsq6bn6bw&feature=related


ライスシャワー 天に駆けた最強のステイヤー [DVD]


ミホノブルボンの3冠を阻み、メジロマックイーンの春の天皇賞3連覇を阻んだ馬。

関東の刺客と呼ばれ、敵役を割り振られた馬。

ふてぶてしくて、気まぐれで…そんな悪役のイメージと、実際の彼とは対照的だ。

小柄で、真面目で、かしこい馬だったと言う。

このDVDを見ると、やはり「強い」馬、「速い」馬ではなかったように思う。

記録のかかった大レースで皆の期待をぶち壊して勝つくせに、普通のレースで惨敗する、とよく非難されていたが、この馬は極限の気力で走る馬だったのではないか。

大レース、能力を超えて、気力で頑張る馬だったから、そのダメージも大きかったのではないかと。

感動したのは、復活の春の天皇賞。

自ら動いたロングスパート、ふらふらになりながら粘りきった。

もしかしたら、あそこでふりしぼった気力は、命すら縮めるものだったのかもしれない。

このDVD。いつも彼の側にいた厩務員さんのコメントは出てこない。

あの宝塚の後、引き綱を持って号泣していた。

昔話ができるほど、まだ思い出にはできないのだろうか?

ライスシャワーはいい奴だった。 ちょっと頑張りすぎる奴だった。

私は彼の走る姿を見るのが好きだったので、あの宝塚の後、しばらく競馬を見なかった。

競走馬は命がけで走っているということを、思い知らされた瞬間だった。

このDVDを見て、真っ黒な小さな馬がただただ懸命に大きな馬に食い下がり、最後、ねじ伏せる瞬間を思い出した。

覚えておくなら、この姿の方がいいと改めて思った。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC-%E5%A4%A9%E3%81%AB%E9%A7%86%E3%81%91%E3%81%9F%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC-DVD-%E7%AB%B6%E9%A6%AC/dp/B0001DD2LA


 90年代前半に大活躍し、宝塚記念で無念の骨折、予後不良となってこの世を去ってしまったライスシャワーは、めずらしいほど人間くさい性質がある変わった馬だったそうです。

 ライスシャワーはなんと、競馬のレースで勝った負けたをやたら気にする馬だったそうです。

当時の関係者も「この馬はレースで勝った、負けたがわかるらしい」と言っていたくらい。

 レースで勝った直後の日は、厩務員さんなど人が通るたびに馬房から首をぬーっと伸ばして出してきて


えへん!
今日は勝ったんだぞ!
すごいだろ!


と人に対して威張るような自信満々な態度を見せていたそうです。

 レースで電光掲示板入りもできないくらい惨敗だったレースの後は、もういじけて馬房の奥でしょぼんとしていたそうです。

 あとライスシャワーは現役時代の夏の放牧シーズンで大東牧場に放牧されていた時、ライスシャワーに会いに見学にいらしていたファンの方に写真を撮られるのが大好きだったと言います。

カメラを見せるとライスはにゅーっと首をのばしながらカメラに対してカメラ目線になってじーっとカメラを見つめていたそうです。

なのでこの馬はいつもカメラ目線で映っていてとても写真写りがよかったそうです。


 ライスシャワーが夏期休暇をとった大東牧場の当時の牧場長:深谷登氏の証言


 「ライスは目立ちたがりやでね、人が来るのを喜ぶんだ。

特に写真をとられるのが好きでね・・・」


 牧場にマスコミやファンがくると、ライスシャワーは気になってしかたがなかったそうです。

 だれかがカメラを向けるとその前で立ち止まり、ポーズをとる。

だから、ライスシャワーの写真はほかの馬よりもきれいに、よく写っているものが多いと競馬関係者の間では言われています。

 しかも、後で自分の写真を見せられると、ライスシャワーは照れくさそうに喜んだそうです。

「ライスはどうも、カメラがどんなものなのかを知っていたらしい。」

http://www.geocities.co.jp/Outdoors/6952/H_story_A001.html

_____________

1. 打倒 ミホノブルボン


名馬を訪ねて 第1回 ミホノブルボン
http://www.youtube.com/watch?v=15PQTkTmphk


20世紀の名馬 ミホノブルボン
http://www.youtube.com/watch?v=zNtj7LAlyT4
http://www.youtube.com/watch?v=siE_AaLJ2L0&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=TV_Ph1fW5Wk&feature=related


1992年 日本ダービー
http://www.youtube.com/watch?v=DJpgItIgZk8&feature=related

日本ダービー(Gl)当日、ライスシャワーの人気は単勝11410円で、18頭中16番目だった。

人気薄もここに極まれりである。

それもそのはず、春になってからの着もろくに拾えない戦績。

それに加えて馬体重も430kg、これは春になって減る一方で、デビュー以来最低の数字だった。
 
 ライスシャワーに見向きもしない一般ファンの注目は、当然のように1番人気のミホノブルボンただ1頭に集中していた。

こちらの人気は単勝230円である。無敗の5連勝で皐月賞(Gl)を制した栗毛の超特急に向けられたファンの興味は、もはや彼が真の王者への戴冠を果たすか否かに絞られていた。
 
 スタートとともに飛び出したミホノブルボンは、自らの戦いをすべく先頭に立ってレースを引っ張った。

後は、ゴールまで逃げ切るのみ。

それがミホノブルボンの競馬だった。

まさに我が道を往く、最強馬のクラシックロード。 他の馬にその影を踏ませはしない。
 
 それに対し、ライスシャワーはミホノブルボンを見ながら馬群の先頭で競馬を進めた。
その位置は、好位というよりも2番手といった方がはるかに分かりやすい。


 直線に入っても、ミホノブルボンは突っ走る。

躍動する筋肉の塊に、距離の壁などありはしなかった。

その往く道は、栄光のゴールのみ。

止まるどころか逆に後続を突き放しながら爆走するミホノブルボンの、史上8頭目となる不敗のダービー馬への道を阻む者は、誰もいなかった。

 
 だが、その遙か後方でも、凄まじい死闘が続いていた。

少しでも順位を上げようと仕掛けてきた後続馬に対し、ライスシャワーが激しく抵抗し、2番手を死守していたのである。

いったんは2番手に上がってきたマヤノペトリュースに対し、いったん交わされたはずの小さな馬体が懸命に抵抗し、逆に差し返そうとしていた。
 
 結局、ライスシャワーはミホノブルボンから遅れること4馬身、マヤノペトリュースと2頭並んでゴールした。

ゴールの瞬間、16番人気のライスシャワーはほんのハナ差、5番人気のマヤノペトリュースより前に出ていた。

人気薄でのダービー2着という大殊勲は、勝ったのがガチガチの本命馬であるにもかかわらず、馬連が29580円をつけるという形となって現れた。

 
 しかし、ダービーはミホノブルボンの強さだけが圧倒的に目立つレースだった。

距離の壁がささやかれながら、皐月賞よりさらに差を広げ、4馬身差で圧勝したミホノブルボンの強さの前に、史上2頭目となる不敗の三冠馬という夢がいよいよ現実のものとなりつつあった。

ライスシャワーに対しては
 
 「展開に恵まれた」 「フロックだ」
 
という声が一般的だった。


______________


1992年 京都新聞杯
http://www.youtube.com/watch?v=JhyIxWd4S58


菊花賞(Gl)に直結するトライアルとして知られていた京都新聞杯(Gll)。

ここでもミホノブルボンは逃げた。

鍵になると見られた同じ逃げ馬のキョウエイボーガンが出遅れて単騎逃げとなったことから、ミホノブルボンの逃げを阻む者は誰もいなくなった。

無敗の二冠馬は、正確に200m−12秒のラップを刻む精密機械のような走りでレースを支配し、その支配を終わらせることなくゴールまで突き抜け、そのまま戦い自体に終止符を打ってしまった。

 この日は3、4番手から次第に押し上げていったライスシャワーも、直線で差を詰めたものの、ミホノブルボンにはまたも及ばず1馬身1/2差の2着に終わった。

ライスシャワーにしてみれば、スプリングS(Gll)を手始めに、ミホノブルボンとは4度戦って4度とも敗れたことになる。
 
 しかし、このレースの中から、結果とは全く別の捉え方をした者もいた。
7連勝で臨む菊花賞(Gl)、そして三冠への展望を問われて
 
 「あの馬が怖い」
 
とライスシャワーについて語ったのは、ミホノブルボンを管理する戸山師だった。
 
 勝つには勝った。だが、戸山師は、自分がそれまで抱いていた不気味な感覚が間違っていなかったことを悟っていた。

京都新聞杯(Gll)を経て、得体の知れない不安ははっきりとした恐怖に変わった。

マルゼンスキーの肌にリアルシャダイがかかった長距離の血。

頭が低い姿勢とテンポのいいピッチ走法が物語る、彼自身の明らかなステイヤー資質。

そして、夏を越して、ダービーの時には4馬身あった差を、一気に1馬身半まで詰めてきた成長力。
 
 ミホノブルボンについて一貫して「距離の壁はない」と言い続けていた戸山師だったが、彼自身3000mがミホノブルボンの適距離でないことは、誰よりもよく知っていた。

成長したライバルの姿を目の当たりにした戸山師は、ダービーから約半年の時を経て、さらに距離が伸びる菊花賞(Gl)で、果たしてこの馬に勝てるのかをを思うと、薄ら寒さを感じざるを得なかった。

ダービーの時点ではライスシャワーのことを「大したことないと思っていた」という小島騎手も、このレースで初めて戸山師が危惧することの意味を知ったという。


______________


1992年 菊花賞
http://www.youtube.com/watch?v=bON0bpsZSIg
http://www.youtube.com/watch?v=8cUsmIsHExI


打倒ミホノブルボン。そして、その先にある菊の大輪。

そんな野望を現実のものとするために飯塚師や的場騎手は、菊花賞本番を目前にして、ライスシャワーにこれまでにないハードトレーニングを課した。

ハードトレーニングといえばライバルのミホノブルボンの方がその代名詞だが、連日坂路を繰り返し繰り返し追われるミホノブルボンに対し、ライスシャワーは2頭の僚馬を並べて追いまくられた。

これは、ライスシャワーのスタミナを強化し、闘志を引き出すためだった。
 
 そして迎えた菊花賞(Gl)、ライスシャワーの馬体は完全に仕上がり、馬の走る気も充分だった。

この日の1番人気は7戦7勝、無敗の三冠に王手をかけたミホノブルボンで単勝150円である。

ミホノブルボンにとっては地元の関西で、京都競馬場のスタンドを埋め尽くしたファンは、誰もが無敗の三冠馬誕生の瞬間を見ようという期待に胸を躍らせていた。

 大観衆の重い期待と、当事者の不安。それぞれの思いを秘めて、ファンファーレが鳴り響き、戦いの幕はまさに開こうとしていた。

 スタートとともに順調にゲートを飛び出したミホノブルボンだったが、すんなりとハナを切ることはできなかった。

キョウエイボーガンの松永幹夫騎手が外から出鞭を入れ、強引に先頭に立ったからである。

キョウエイボーガンは先頭に立った後もペースを緩めることなく、ハイペースでレースを引っ張った。
 
ミホノブルボンは戸惑った。

4歳になってからのミホノブルボンは、一度も前に馬を置いたことがなかった。

常に先頭を走り続けるために坂路でのスパルタ調教で鋼鉄のような肉体を作り上げたミホノブルボンにとって、他の馬の背中を見ながら走ることは屈辱以外の何ものでもなかった。
 
 ミホノブルボンは、行きたがった。

先頭を走りたい、と口を割った。

別のレースならば、小島騎手も行かせたかもしれない。

しかし、この日の小島騎手には、3000mという未知の距離が重くのしかかっていた。

馬の行く気に任せれば、最後に脚をなくしてしまう。

その不安が彼の手綱を抑えさせ、その結果ミホノブルボンは完全に折り合いを欠く結果となった。

 
 こうして無敗の二冠馬が苦しんでいる時、ライスシャワーはいつものように好位からレースを進めていた。

的場騎手の目に他の16頭の姿は入っていない。

ただ、慣れない2番手で明らかにペースを乱しているミホノブルボンの姿があるのみだった。

このレースについていうならば、的場騎手がマークすべき相手は他に考えられなかった。

これぞ的場均の競馬、騎手人生の真骨頂。

ゴール板の前でミホノブルボンより前を走っていれば、結果は自ずからひとつしかない。
 
 ミホノブルボンを前に置き、常に一定の間隔を保ちつつ競馬を進めた的場騎手の視線は、ただ一点だけに集中していた。

そして彼の手元は、ライスシャワーとつながった手綱の凄まじいまでの手応えに震えていた。

予想どおりの有利な展開、―そして、予想以上の手応え。

 京都の難所は、第2コーナーから第3コーナーにかけての長い長い上り坂、そして第3コーナーから第4コーナーにかけての、これまた長い長い下り坂である。

ただでさえ消耗を誘う長距離レースで、その坂は馬たちの背中に重くのしかかる。

真の実力馬にとってさえつらく苦しいこの難所を、自らの実力を超えた無謀な逃げを打ったキョウエイボーガンが、無傷で乗り切れるはずはなかった。
 
 坂の入り口ではまだ充分にあったキョウエイボーガンとミホノブルボンとの差は、第3コーナーでは大きく縮まった。

そして、キョウエイボーガンは下り坂で力尽き、ついには為すすべもなくとらえられていった。

ミホノブルボンは、ようやく待望の先頭に立った。
 
 しかし、淀の坂はライスシャワーにとっても勝負の刻の到来を告げる合図となった。

ミホノブルボンが動いたのを見て、的場騎手の手も動いた。

そして、的場騎手の手応えは、その時確信に変わった。
 
 「これなら、勝てる! 」
 
それまでミホノブルボンだけに照準を定めてその様子を厳しく観察していた的場騎手は、ミホノブルボンが折り合いを欠いていたこと、そしてそのせいで小島騎手の手応えもよくないことを既に見抜いていた。

それに対してライスシャワーはどうか。的場騎手の指示に鋭く反応し、それまでためていた末脚を爆発させようとしているではないか。

晩成の血が、ステイヤーの宿命が、ついにここに花開いたのである。

 第4コーナーを回って直線に入ったミホノブルボンは、三冠へ向けた最終局面を迎えつつあった。

皐月賞では、ダービーでは、ここからもう一度脚を使って後続を突き放してきた。

その脚がもう一度甦れば、夢の三冠は現実のものとなる。
 
 しかし、この日のミホノブルボンには、いつものような二の脚がなかった。

これまで乗り越えてきた距離の壁に突き当たったのか、それとも道中折り合いを欠いたことの影響か。

その走りは、それまでのように余力さえ感じさせる強い走りではなく、限界に挑むぎりぎりの走りだった。
 
 そんなミホノブルボンに非情にも襲いかかったのは、ライスシャワーとマチカネタンホイザだった。

ともに好位からレースを進めた2頭はともにステイヤー適性を生かし、限界に挑むミホノブルボンを、さらに危険な領域へと追いつめてゆく。

 そして、歴史の証人となるべく京都競馬場に集結していた大観衆から、ついに悲鳴が上がった。

外からライスシャワー、内からマチカネタンホイザの2頭が、あえぐ二冠馬をとらえたのである。

ミホノブルボンが負ける。無敗の三冠の夢が、今この瞬間に消えようとしている。
 
 ライスシャワーが前に出た。 ミホノブルボンを置き去りにして。

長距離を走ってなお衰えない末脚こそがステイヤー・ライスシャワーの切り札だった。

狙った獲物をとらえるべき時期を、その研ぎ澄ました視線で測った上で、勝機とみるや一気に置き去りにする騎乗こそが、的場騎手の真骨頂だった。
 
 人馬一体のライスシャワーの前に心身ともにうち倒される寸前のミホノブルボンは、ライスシャワーだけでなくマチカネタンホイザにも差されようとしていた。

しかし、ミホノブルボンは信じられないほどの粘りでマチカネタンホイザを差し返した。

限界を超えた走りの中で彼を支えていたのは、もはや無敗のままに二冠を制した意地と矜持だけだった。

能力の限界を超えてなお燃え続ける、あまりにも重い誇り。

だが、その誇りをしても、ライスシャワーの背中はとらえられない。

ライスシャワーの背中とともに、…三冠の夢が遠ざかっていく。


 ライスシャワーはミホノブルボンに1馬身1/4差をつけて、ついに先頭でゴールした。

勝ちタイムは3分5秒0、見事な菊花賞レコードだった。

ミホノブルボンはマチカネタンホイザを差し返したものの、抵抗もそこまでで2着に敗れた。

その瞬間、ミホノブルボンの不敗伝説は終わりを告げた。
 
 負けるべからざるミホノブルボンが、負けた。

無敗の三冠の夢は、うたかたと消えた。

京都競馬場を埋め尽くした大観衆は、予期せざる事態に言葉を失った。

彼らはミホノブルボンが無敗の三冠馬となる瞬間を見に来たはずだった。

それがこの結果である。
 
 戦いを終えて凱旋するライスシャワーに対してスタンドの大観衆が投げかけたのは、まばらな拍手と、戸惑いに満ちた視線であり、普段のGlの勝者を包むものとは全く異質の空間が、京都競馬場を支配した。

だが、それこそがライスシャワーの成し遂げた仕事の大きさを物語ってもいた。

夢に酔っていた人々をたちまちのうちに冷厳な現実の世界へと引き戻したライスシャワーの走りは、人間たるスタンドの大観衆をしてその場では受け入れがたいほどの衝撃を与えたのである。

そして、このレースがミホノブルボンの最後のレースとなった。

その後ジャパンC(国際Gl)を目指しての調教中に故障を発症したミホノブルボンは、そのまま2度とターフへ帰ってくることはなかった。

ライスシャワーに敗れたことで競走生命まで燃え尽きてしまったかのような現役生活だった。
http://www.retsuden.com/vol32-05a.html


________________
________________

2. 打倒 メジロマックイーン


N23 メジロマックイーン引退特集
http://www.youtube.com/watch?v=UubGGhTVGl4&feature=related

1991年 天皇賞(秋)
http://www.youtube.com/watch?v=EpkqX4rW-gg&feature=related

1992年天皇賞(春)
http://www.youtube.com/watch?v=WahaBVZO93E&feature=related

1993年 宝塚記念
http://www.youtube.com/watch?v=f_DuB3xq8qQ&feature=related

1993年 京都大賞典
http://www.youtube.com/watch?v=EpYl3Zj-mCA&feature=related

____________


1993年天皇賞(春)
http://www.youtube.com/watch?v=5G_yZ0uujpQ


当時の競馬界には、飯塚師、的場騎手、そして当時のすべてのホースマンたちが畏れ、そして敬う絶対的な王者がいた。
 
 その王者の名前は、メジロマックイーンといった。

メジロマックイーン。

日本有数のオーナーブリーダーであるメジロ牧場が送り出した最高傑作。

4歳時に菊花賞(Gl)制覇、そして5歳時、6歳時に天皇賞・春(Gl)連覇を果たし、祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続いて天皇賞三代制覇の偉業を達成した名馬の中の名馬である。

先に挙げた勝ち鞍からはステイヤーとしての姿が想像されるが、この馬は5歳時には天皇賞・秋(Gl)で後続に6馬身差をつけて1着入線を果たしており(他馬への進路妨害のため18着降着)、スピードとスタミナとを兼ね備える距離不問の名馬だった。
 
 メジロマックイーンは、前年に史上初めて天皇賞・春(Gl)連覇を達成したものの、その後骨折して長期休養を強いられていた。

しかし、1年近いブランクを乗り越えて産経大阪杯(Gll)で復帰すると、ブランクなどなかったようにたちまち5馬身差のレコードで圧勝し、王者健在を世に広く知らしめたのである。

復活なった王者が次に目指すものは、当然のことながら前人未踏の天皇賞・春(Gl)3連覇、まさに天を握る覇業しかなかった。
 
 また、記録と野望に賭けるのは、メジロマックイーンだけではなかった。

メジロマックイーンの鞍上たる武豊騎手は、1991、1992年とメジロマックイーンで天皇賞・春(Gl)を勝っただけでなく、1989年にはイナリワン、1990年にもスーパークリークでやはり天皇賞・春(Gl)を勝っている。

そのあまりの強さに「平成の盾男」と言われた武騎手にとっても、この年は天皇賞・春(Gl)5連覇を賭けた戦いだった。
 
 老練の王者と若き天才。

この絶対的なコンビにとって、天皇賞・春(Gl)の舞台となる京都芝3200mは最も得意とする戦場であり、死角はどこにも見い出せなかった。

ライスシャワーは、この最強の敵に戦いを挑まなければならなかったのである。

▲ ▼

『鬼神となりて』

 しかし、ライスシャワー陣営には、強敵への畏れはあっても、勝負への諦めはなかった。

最強の敵を倒さずして、何が最強馬か。

この戦いも、最強を目指すサラブレッドの宿命に生きるライスシャワーにとって、なんとしても越えなければならない壁だった。
 
 飯塚師は、ライスシャワーが勝てる可能性を少しでも高めるために、菊花賞以上のハードトレーニングを課した。
 
 「怖いのは故障だけ」
 
そう漏らしながらも、メジロマックイーンを倒すためにはそうするしかない、とばかりに連日ライスシャワーを激しく追いまくった。
 
 「故障に負けるようなら、王者に勝つことなどできはしない」
 
そう言わんばかりの厳しい調教だったが、ライスシャワーもそれに懸命に応えた。

小柄な黒い馬体は、一度追われるたびに引き締まり、黒光りを増していった。
 
 この時期のライスシャワーについて、的場騎手は次のように語っている。
 
 「まるで馬に乗ったんじゃなく、猛獣みたいな、馬じゃない別の生き物に乗っているみたいだった。

下手に怒らせたら、指や足を食いちぎられるんじゃないか。そう思わせるような眼をしてた」
 
 「まるで獲物を見据えるような眼をしてて、馬ってこんなに怖い生き物だったんだ、と思ったね」
 
まるで自分が倒すべき敵がいることを知っているかのように、戦いだけを見据えていたライスシャワーは、あるいはこの時競走馬としてのピークを迎えようとしていたのかもしれない。


『鬼の棲む戦場』


 天皇賞・春(Gl)当日、京都競馬場に姿を現した王者メジロマックイーンを迎えたのは、大観衆の歓呼の声だった。

前年の菊花賞でミホノブルボンに託した無敗の三冠馬の夢をうち砕かれた関西のファンにとって、天皇賞・春(Gl)3連覇を目指すメジロマックイーンは、砕かれた夢に勝るとも劣らぬ希望だった。

パドック、本馬場入場、そして返し馬…。単勝160円という圧倒的支持を集めたメジロマックイーンへの、レースが近づくたびに増してゆく大声援は、まさに天皇賞・春(Gl)3連覇、武騎手の天皇賞・春(Gl)5連覇への前祝いのようだった。
 
 だが、ゲート入りの段階で思わぬトラブルが起こった。

15頭の出走馬のうち1頭が、ゲート入りを嫌がったのである。

その1頭だけが、押しても叩いてもゲートに入ってくれない。

その影響で、発走時間が3分ほど遅れてしまった。
 
 出走馬がレース直前にゲート入りを嫌うこと自体は、競馬全体で見れば、そう珍しいことではない。

しかし、Gl級の馬ならば、強い精神力と百戦錬磨の経験を兼ね備えているはずであり、そんな醜態をさらすことなど滅多にないし、またあってはならないはずである。

いわんや、その1頭がメジロマックイーンであるなどという事態を、誰が想像できただろうか。
 
 あるいは、百戦錬磨の経験を持つ王者は、比類なき賢さを持つが故に、感じ取ったのかもしれない。

この日に敵となる馬の中に、1頭猛獣のような眼で自分だけをにらみ据えている鬼がいることを。
 
 単勝520円の2番人気にとどまったライスシャワーと的場騎手は、そんなトラブルがあっても何事もなかったかのように、ただ静かに戦いの時を待っていた。

ファンを驚かせた前走比マイナス12kgの馬体重も、完璧に思えた菊花賞をさらに越える究極の仕上げの結果にほかならない。

当日のライスシャワーを見た飯塚師も「これは凄い」と震えたその肉体と闘志は、半年前にミホノブルボンを破ったのと同じ舞台で、王者との決戦のみに集中していた。

彼らはまるで暗闇の中の静水のような、言い知れぬ殺気を漂わせていた。

 
▲ ▼
 
『敵はただ1頭』


 メジロマックイーンの持ち味は、スタート直後から好位の中でも特に前の方、いつでも先頭をうかがえるような位置にとりつき、勝負所で先頭に立つや、決して抜かせることなくゴールへなだれ込む競馬である。

ゲートを嫌がる馬はスタートで立ち遅れることも多いが、ここはさすがにメジロマックイーンで、発走時のトラブルなどなかったかのように2番手にとりつくと、レースを作りにいったメジロパーマーを前に置き、自らは好位に陣取った。
 
 しかし、その後ろにぴたりとつける形で、ライスシャワーも好位につけた。

単に前の方というだけではない。メジロマックイーンを見て動くことができ、さらに圧倒的1番人気を背負ったメジロマックイーンに、無言のうちにさらなる圧力をかけるという意味でも、その位置は絶好位だった。

 レースは、メジロパーマーが大逃げを打つ形で、淡々と進んでいった。

メジロパーマーもメジロマックイーン不在の間とはいえ、前年に宝塚記念(Gl)、有馬記念(Gl)のグランプリ連覇を達成した老巧な逃げ馬である。

早すぎず、遅すぎないペースは、他馬が仕掛けどころを誤れば逃げ切られてしまう絶妙の戦いぶりだった。
 
 もっとも、京都競馬場に限っても8度目のレースとなるメジロマックイーン、そして関西を本拠地として「天才」とうたわれる武豊騎手も、京都の戦い方は熟知していた。

「ゆっくり上がって、ゆっくり下れ」が原則とされる京都の坂だが、武騎手は上り坂で次第にペースを上げると、メジロパーマーとの間隔を詰めにいく。
 
 だが、メジロマックイーンの動きを見て、それまで虎視眈々と戦機をうかがっていた漆黒の馬も動いた。

ミホノブルボンを差した刺客が、王者に圧力をかけながら上がっていったのである。
 
 長く苦しい淀の上り坂を上がり切ったとしても、その先に無情に待ち受ける下り坂は、長丁場に疲れた馬たちからさらにスタミナを奪っていく。

その下り坂で、ライスシャワーはあえて動いた。


 長い長い坂を越えて、第4コーナーを回った時も、先頭はやはりメジロパーマーだった。

グランプリ連覇の逃げ脚は、まだ余力を残していたのである。

道中からこの馬を捉えるために上がってきたメジロマックイーンもいよいよ並びかけようとするが、メジロパーマーのスタミナも尋常ではなく、激しく競り合いながらも互いに前に出ることができない。
 
 だが、そんな2頭をあざ笑うかのように、その外を弾丸のように駆け抜けていく馬がもう1頭現れた。
 
 京都競馬場に、再び悲鳴があがる。
 
 「また、またあの馬か!? 」

472kgのメジロパーマー、500kgのメジロマックイーンを、並ぶまもなく撃ち抜いた小さな黒い影は、わずか430kgのライスシャワーだった。

しかも、脚色が全然違う。

メジロマックイーンは最強の王者ではなかったのか。

それも、一番得意なはずの京都芝3200mでメジロマックイーンが敗れるなんてことが、あっていいのだろうか?
 
 メジロマックイーンも、天皇賞・春(Gl)3連覇の野望に賭けて踏ん張った。

いや、踏ん張ろうと努力はした。

しかし、メジロパーマーより前には出たものの、これを一気に置き去りにするには至らず、完全に抜け出したライスシャワーとの差を縮めることはできない。

逆に、ライスシャワーの方が引き離していく。

 
▲ ▼
 
『関東の黒き刺客』


 ライスシャワーはメジロマックイーンに2馬身半の差をつけて、先頭でゴールした。

京都芝3200mを駆け抜けた3分17秒1の勝ちタイムは天皇賞・春(Gl)のレコードだった。

メジロマックイーンも従前のレコードを上回るタイムで走破したものの、ライスシャワーにはさらにその上を行かれたのである。

王者にとって、それは惜しむことすらできない完全なる敗北だった。
 
 京都の大観衆が、またも沈黙した。

メジロマックイーンが敗れた。

最強の王者が、その最も得意とするコースで、完膚無きまでに叩き潰された。

ミホノブルボンの夢をうち砕いたのと同じ、あの関東から来た黒い馬に。

メジロマックイーンの天皇賞・春(Gl)3連覇の偉業も、武騎手の天皇賞・春(Gl)5連覇の野望も、すべては関東の黒い刺客の前にぶち壊されてしまった。

京都競馬場を埋め尽くした11万の大観衆は、まるで半年前と同じように、目の前の信じられない事態に言葉を失った。
 
 「関東の刺客、ライスシャワー! 」
 
そう叫んだ実況の台詞は、そのまま京都競馬場の大観衆、そして関西のファンの心の叫びを代弁していた。

 
 
 レース後に的場騎手が
 
 「馬もこの大一番を分かっていたんでしょう」
 
と語った通り、この日のライスシャワーはどの馬を倒し、何をすればいいのかを知っているかのようであった。

ライスシャワーにとって、第107回天皇賞・春(Gl)は、心技体とも完璧の状態で臨み、そして栄冠を勝ち取ったレースだった。

http://www.retsuden.com/vol32-07a.html


___________
___________

3. 伝説のロングスパート _ 的場均の大勝負

この馬は、関西の刺客、黒い刺客、壊し屋、稀代のステイヤーと色々呼ばれてきました。

現在でも熱狂的な固定のファンがいる珍しい馬です。

競馬漫画家の先駆け「よしだみほ」さんはこの馬をこう表現していました

「レコードブレイカー」と。

つまり「記録を破る人(馬ですが)」です。

分かりやすく言うと、他人(他馬)の偉大な記録誕生をブレイクするのです。

そしてこの馬の凄い所は、なんと競馬史上に残る記録を2回も破ってのけたのです。

要は単なる嫌われ者ということですね。


事は、ライスシャワー4歳のダービーから始まります。

18頭中16番人気。当然私も完全ノーマークです。

調度この世代にはかの有名なミホノブルボンという無茶苦茶強い馬がいました。


新潟3歳ステークス11着、皐月賞8着、NHK杯8着のライスシャワーなんて誰も気にもしていません。

そのライスが先行なんとか粘りこみなんと2着。表舞台に出た瞬間でした。

まあ当然観客の誰もが3万馬券を作った張本人ライスをフロック視していました。

そしてミホノブルボンは驚異的な強さで2冠馬になっていました。

ところが夏にどう言う訳か馬が変わってしまいました。

セントライト記念2着。そして菊花賞トライアル京都新聞杯でもミホノブルボンの2着。

段々とブルボンとの差が詰まって来ています。

ここにきてようやくブルボンの陣営も注目するようになったようです。

そして迎えた菊花賞。

このレースはミホノブルボンの史上5頭目の3冠達成という記録がかかっていました。

そして誰もがその3冠を疑わなかったことでしょう。


ブルボンには4代目3冠馬皇帝ルドルフ(シンボリルドルフ)の後を継ぐ能力は十分にありました。

なにせここまで無敗ですから。

しかし。そこには恐るべき落とし穴がありました。

そう。まさかのライスシャワーのステイヤー(長距離)適性。

ステイヤーに関してはこの馬、普通の馬のレベルをはるかに超えていたのです。

ゴール前、悠然と3冠に向う王者ブルボンの後ろからなにやら黒い影が迫って、瞬く間に交わしてしまったのです。


結果、ブルボンまさかの3冠ならずの2着。


3冠当然とわざわざ京都まで遠出をしてきた人たちでごった返す場内が異様な空気に包まれ、そして一部からブーイング。

後に「競馬最強の法則」という雑誌は、この日のことを「日本が一番しらけた日」と掲載しました。

まずこれがレコードブレイク記念すべき1回目です。


そして、半年が経ち5歳の春。嫌われ者は春天(天皇賞春)に出走することになりました。

春天は3200mのもっとも長距離GIです。

この時期は、菊のブルボンに負けず劣らない恐ろしく強い馬がステイヤー界にはいました。

競馬知らない人でも聞いたことはあると思います。

その名もメジロマックイーンと武豊。

なんと2年連続、天皇賞春制覇。そして3年連続をかけて大勝負に来ていました。

当然3年連続同一GI制覇なんてJRA始まって以来の大事です。

これは競馬人気にも拍車をかけることが出来るほどの一戦。

しかもマックイーンに衰えはまったくない。未だ全盛期を思わせるような強さです。

まあ今回はさすがにライスもおとなしいだろうと言うのが大方の予想です。

いやマックイーンがステイヤーで負ける姿なんて誰も予想していませんし、期待していませんでした。


が! またやってしまったのです。

直線見事な差し切り。あのマックイーンを2着に追いやってしまったのです。

またしてもレコードブレイク。

ここで杉本清さんの実況も後押しし、「刺客」という言葉が植え付けられました。

また、ライスのコンビ、的場均騎手も燻し銀。何事ににも動じずせっせと自分の仕事をこなすまさに口数の少ない職人。

しかも当日は2枠の黒色。

これで「黒い刺客」となったのです。

以上が、「レコードブライカー」ライスシャワーの半生であり黄金期です。


そしてこの後、またしても期待を裏切るスランプに陥ります。


あのマックイーン、ブルボンに勝った馬が、オールカマ−で3着、秋天で6着、JCで14着、有馬記念で8着。

年が明けても京都記念で5着、かなり格下の日経賞ですら勝てない2着。

挙句の果てこの後、骨折。

なんと9ヶ月も戦線離脱することになり、

「これほど期待を裏切られた馬は初めてだ」と言われるようになります。

復帰後、最初の有馬記念でナリタブライアンの3着。

これでみんなよし復活した!と思ったのもつかの間・・・・・・

京都記念では1番人気6着、去年よりもさらに格下相手の日経賞では1番人気6着・・・・・・・・・

もう完全に沈黙していました。
http://aho-dori-web.hp.infoseek.co.jp/raisusyawa-.htm


競馬界屈指の悪役を演じたライスシャワー。


圧倒的1番人気の馬を蹴散らすのが快感だったライスシャワー。

競馬史上に残る記録のかかったGIレースで、その記録を阻むのが得意だったライスシャワー。


日本競馬史上2頭目シンボリルドルフ以来の無敗の三冠馬、日本競馬史上5頭目の三冠馬への挑戦をした3歳最強馬ミホノブルボンを淀の菊花賞の舞台で1馬身4分の1差をつけて快勝した3歳の秋。

日本競馬史上初の春の天皇賞3連覇に挑んだ現役最強馬メジロマックイーンを菊花賞と同じ淀の舞台で2馬身半差をつけて圧勝した4歳の春


どちらのゴールも望まれないものでした。

競馬ファンのため息と悲鳴を耳にしながらのゴールでした。

罵声を浴びせられるのには慣れているライスシャワー。

「ライスシャワーこそ最強だ」という声があがる中、93年の春の天皇賞以降、ライスシャワーは大スランプに陥ります。


93年 3着 1番人気 オールカマー(GV)
93年 6着 1番人気 天皇賞秋(GI)
93年14着 7番人気 ジャパンカップ(GI)
93年 8着 5番人気 有馬記念(GI)
94年 5着 2番人気 京都記念(GU)
94年 2着 2番人気 日経賞(GU)
94年 3着 4番人気 有馬記念(GI)
95年 6着 1番人気 京都記念(GU)
95年 6着 1番人気 日経賞(GU)


既に燃え尽きたライスでしたが…

95年の春の天皇賞。 大好きな淀の舞台にライスシャワーが帰ってきました。


大スランプに陥りながらも、懸命に復活を目指して競馬を続けるライスシャワーに、競馬ファン達は、いつしか声援を送るようになりました。

95年の春の天皇賞は、前年(94年)に史上5頭目の三冠馬に輝いたナリタブライアンの一人舞台になるはずでしたが、阪神大賞典後に故障(股関節炎)を発生し出走を回避。
http://keiba-yosou-douga.sblo.jp/article/3122799.html


____________

1995年 天皇賞・春
http://www.youtube.com/watch?v=Sr1E6bqFa5Q

さあ、完全にライスシャワー先頭だ!

ステージチャンプ!ステージチャンプが2番手に上がった!

ライスシャワー! ライスシャワーとステージチャンプ!

いや〜、やったやった〜!

ライスシャワーです!!

おそらく、おそらく、メジロマックイーンもミホノブルボンも 喜んでいる事でしょう!

ライスシャワー!

今日はやった〜!

勝ち時計3分19秒9!

ライスシャワーです!

  ----- 杉本アナの実況 ( 1995年天皇賞・春 ) -----

ライスシャワーに対する厳しい見方は第三者だけではなく、飯塚師や的場騎手たちも、ライスシャワーの調子は戻っていないと見立てていた。

7歳という年齢は明らかに競走馬としてのピークを過ぎていたし、現状も2年前にメジロマックイーンを差したときの出来を100とするなら、ひいき目に見てもせいぜい70程度でしかなかった。

 しかし、飯塚師は諦めてはいなかった。2年前の出来に戻すことは無理でも、せめてそれに近い状態には戻したい。

そんな思いとともに、調教ではまたもや壮絶な追い切りを繰り返した。

 ライスシャワーは、本気になると「目が吊り上がった」という。

菊花賞(Gl)の時然り、2年前の天皇賞・春(Gl)の時もまた然りだった。
 
「あの目をもう一度取り戻すことができれば…」
 
肉体を2年前に戻すことができないなら、せめて精神、闘志だけでも2年前に戻してやりたい。

そんな思いの結果が、既にピークを過ぎたライスシャワーへの厳しく激しい調教となった。
 
 的場騎手は、天皇賞・春(Gl)本番が近づくに連れ、ライスシャワーの目が吊り上がり始めたことに気が付いた。

「あのころ」と同じ目は、ライスシャワーの心が「あのころ」に戻りつつあることの証明だった。

ようやく戻り始めた戦う姿勢をレースまで持続させるため、飯塚師はライスシャワーの京都競馬場入りを直前まで待つという工夫もした。
 
 こうして天皇賞・春(Gl)当日、飯塚師が連れてきたライスシャワーは、肉体こそ二年前には及ばぬまでも、久々に精神力と闘志を甦らせていた。
 
「これなら勝ち負けに持ち込める」
 
当日のライスシャワーを見て、飯塚師は自分たちの努力が形となって現れていることを確信した。
 
 ある競馬評論家は、天皇賞・春(Gl)当日の解説で
 
「今日の出走馬の中で真のステイヤーといえるのは、ライスシャワーだけです」
 
と評した。ステイヤーに不可欠な資質は、肉体だけではなく不屈の闘志も含まれる。

いったんピークが過ぎると立て直しは難しいサラブレッドの中で、明らかにピークは過ぎていたのに、2年間まったく眠っていた闘志の炎をもう一度燃え上がらせようとするライスシャワーは、確かに稀代の精神力を持った馬だった。
 

 しかし、ライスシャワーの最も良い時を知る人々は、ライスシャワーに全盛時と同じレースをさせたのでは勝てないことにもはっきりと気づいていた。

第111回天皇賞のスタート直後、的場騎手が中団に控えた判断は、やはりライスシャワーの全盛期との状態の違いによるものだった。

全盛時のライスシャワーならば、長い間いい脚が使えたし、ミホノブルボンやメジロマックイーンのロングスパートに付いていくためにもなるべく前に付けた方が良い結果が期待できた。

しかし、ピークを過ぎた現在のライスシャワーでは、道中ずっと好位に付けながら、さらにゴール前でロングスパートをかけるだけの持久力は残っていないだろう。

的場騎手はそう考えたのである。
 
 だが、そんな的場騎手の手綱も、いったん燃え上がったライスシャワーの闘志を完全に抑え込むことはできなかった。

飯塚師の渾身の仕上げで甦った闘志は、ライスシャワーに懐かしい京都競馬場での自分の走り方を思い出させたかのようだった。

彼は、まるで鞍上の作戦が不満であるかのように手綱をぐいぐいと引っ張って、とにかく前に出たがっていた。

的場騎手は、懸命にライスシャワーをなだめながらも、その手綱を通して復活の予感を確かに感じとっていた。

 最初こそ的場騎手の手綱に従っていたライスシャワーだったが、淀の坂を迎えると、ついに自らを抑え込むことができなくなった。

ライスシャワーは京都競馬場の難所、長い長い上り坂で、自ら敢然と上がっていったのである。

淀を知り、淀で最も輝いた馬ライスシャワーが、自らの意思のもとに勝負を仕掛けていった。
 
 的場騎手は、ライスシャワーがぐんぐんと伸び始めた時、
 
「まだ早い」
 
と思って、いったんは手綱を押さえようとした。

しかし、3年間もの間をともに戦った戦友のことである。

彼はすぐにライスシャワーを止めることは不可能であることを悟った。

栄光の後、何度も地獄を見てきたライスシャワー。2年間勝利から見放され、その間には大きな骨折まで経験しながら、ついにここまで甦った戦友が、思い出の京都競馬場で、思い出の淀の坂で、勝つために自ら動いたのである。

的場騎手には、ライスシャワーを止める手綱がなかった。
 
 ライスシャワーはみるみるその位置を上げると、坂を上りきった第3コーナーでは早くも先頭に立った。

下り坂でも他の馬を引っ張って、先頭で直線に向かっていく。
 
 その戦法は、それまで好位で我慢しながらマークした相手が動くのを待って勝負に出てきたライスシャワーの勝ち方にはないものだった。

それだけではない。京都・芝コースのセオリーにすらない。

それどころか、第3コーナーで先頭に立つことは、京都においてはむしろ最後に脚をなくす必敗の方程式とされていた。
 
 スタンドからは、ライスシャワーの進出に合わせて大喚声が沸き上がった。

だが、それはライスシャワーの復活を確信する歓喜の声ではなく、勇敢な…というにはあまりにも無謀な動きに対する驚きと失望の声だった。
 
 しかし、冷静になって考えてみると、ライスシャワーにとって、これはこの日勝つための唯一の戦法だった。

無名の馬が逃げてスローペースとなったこの日の展開では、直線での瞬発力勝負とならざるを得なかった。

しかし、直線ヨーイドンの瞬発力勝負になれば、ピークを過ぎたライスシャワーでは、100%負けてしまう。
 
 では、どうすればよいか。

自らのスタミナを生かすため、自らレースの主導権を奪いに行ってよどんだレースの流れを断ち切る。

そして、他の馬たちの体力を削りながら、無理矢理にでも極限のスタミナ勝負に持ち込む。

それが、後世に「最後のステイヤー」と呼ばれることになるライスシャワーの、自ら選び取った選択だった。

この日の「仕掛け」は、まるでライスシャワー自身が勝ち方を知っているかのようだった。

 

 第4コーナーでなお先頭にいたライスシャワーは、直線に入るとすぐに、ゴールへ向けて懸命のラストスパートをかけた。

すると、ライスシャワーの鬼気迫る走りに気圧されたかのように、他の馬はみるみる引き離されていった。
 
 メジロマックイーンが引退し、ライスシャワーが長いスランプにあえいでいる間に、競馬界は大きく変わりつつあった。

ステイヤー軽視という時代の流れがいよいよ完成に近づき、いつしか真のステイヤーは姿を消していたのである。

ステイヤー不在の長距離レースでは、消耗を防ぐために道中はずっと緩やかな流れとなる。

このころはもう、たとえ長距離レースであっても勝敗を決するのは極限のスタミナではなく、直線での瞬発力、ということが当たり前のようになっていた。

そんなレースが幅を利かせる時代に生き、そんなレースに慣れきっていた他の馬は、本当のステイヤーが作り出した極限のスタミナ勝負の前に、なすすべもなく沈んでいった。
 
 ライスシャワーは、こうして直線半ばにして完全に抜け出した。

後続との差が何馬身なのか判断に迷うほどの差が開き、誰もがライスシャワーの復活、2年ぶりの勝利を確信した。

しかし、その時。大外から、もう一つの黒い影がライスシャワーに迫っていた。


ライスシャワーのステイヤー適性を疑う者は誰もいないにしても、年齢的な衰えについてはまた別の話である。

7歳になったライスシャワーの持久力への不安は、鞍上の的場騎手もの胸をも苛んでいた。

上り坂でライスシャワーの行く気に任せて進出させた彼の頭では、後続への不安が渦巻いていた。

前半は中団で控えていたとはいえ、第3コーナー前から掟破りのロングスパートをかけたライスシャワーの脚は、果たして最後まで続くのか。

脚をなくしたところで一気に襲ってくる馬は、本当にいないのか。
 
 そして、的場騎手の不安は、残り100m地点で現実のものとなった。

それまで抜群だったライスシャワーの手応えが、突然悪くなったのである。

過酷な長距離レースをこのような強引なレース運びで最後まで押し切ることは、世紀のステイヤーであるライスシャワーをしてもやはり不可能だった。
 
 そんなところへ津波のように押し寄せてきたのが、ライスシャワーと同じリアルシャダイの血を引くステージチャンプだった。

この馬は、前年の日経賞(Gll)でもライスシャワーにゴール直前で強襲をかけて差し切っている。

この日ステージチャンプ鞍上の蛯名正義騎手が狙ったのも、日経賞と同じ勝ち方だった。

ライスシャワーと同じステイヤーの血を持つ者だからこそできる、効率的だが残酷な勝利。それは、ライスシャワーがすべてを賭けて作り出したステイヤー優位の流れを利して最後にその成果をかっさらう、というものだった。

 的場騎手は、背中に気配を感じた。

ここまできたら、彼にできるのは力の限り追うことだけである。

ライスシャワーも踏ん張った。
 
 しかし、ステージチャンプの脚色はライスシャワーを完全に凌駕していた。

2頭はほぼ並ぶ形でゴールに入線したが、ゴール板を一歩過ぎたところでは、ステージチャンプがライスシャワーをいとも簡単に置き去りにしていった。

ステージチャンプの鞍上では、勝利を確信した蛯名騎手がガッツポーズまでしていた。
 
 しかし、ゴール板でハナ差前に出ていたのはステージチャンプではなくライスシャワーの方だった。

当時年齢的な衰えを隠せなかったライスシャワーが、まだピーク時の実力を維持していたステージチャンプをなお抑え切った原因はどこにあったのだろうか。

それは、歴史に残る強敵と数々のスタミナ勝負を展開してきたライスシャワーの経験と気迫が、血統こそステイヤーのそれを持っていながら、本当の意味でのスタミナ勝負を経験することなくここまでやってきたステージチャンプの能力を凌いだからなのかもしれない。
 
 ライスシャワーにとって2年ぶり2度目の天皇賞・春(Gl)制覇は、2年ぶりの勝利でもあった。

 そして、ライスシャワーにとっては、この日が生涯最後の勝利となった。


http://www.retsuden.com/vol32-11a.html


__________
__________


4. そしてライスは風となった

1995年 宝塚記念
http://www.youtube.com/watch?v=klv9ltzBKJk&feature=related

 
的場均

「そうそう、天皇賞からここと、ライスシャワーはいい顔してたよ。

目が澄んでね。

今でもそれははっきり覚えている。」
 
 かつて獲物を見据えるような眼で敵を睨んでいた関東の刺客が、2年という時を経てたどりついたのは、この優しい視線だった。
http://www.retsuden.com/vol32-13.html


天皇賞の反動は大きく、陣営は疲労回復のために秋までライスシャワーを休ませ、それで調子が戻らなければレースに出さずそのまま引退させることも考えていた。

しかし第36回宝塚記念のファン投票で1位に選出され、またこの競走が当年1月に発生した阪神・淡路大震災の震災復興支援競走と位置づけられたことにより、出走が決定する。

レースでは後方を進み、第3コーナーで人馬共に前のめりに転倒する。

左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折を発症しており手当ての術が無く、予後不良と診断された。

トラックが直ちに用意され現場まで直行し、その場に幔幕が張られた中で安楽死処分となった。

最期の様子は明らかではないが、遺体を運ぶ馬運車を最敬礼で見送る的場の写真が残されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC


 二度目の天皇賞・春(Gl)制覇を果たしてGl勝ちを三つとし、「功成り名遂げた」といってよい実績を残したライスシャワーだったが、種牡馬入りの話は不思議なほどに出てこなかった。
 
 もちろん、ライスシャワー陣営の人々が種牡馬入りを考えなかったわけではない。

しかし、種牡馬入りの道を模索したライスシャワー陣営の人々に対し、馬産界の反応は冷たかった。

ライスシャワーの種牡馬入りの話を持ち込んでも、断られ続けてしまったのである。
 
 ライスシャワーが5歳時に天皇賞・春(Gl)を勝った時には、高額のシンジケートを組んで種牡馬入りする話が馬産界の方から持ち込まれたこともあった。

しかし、その話は5歳秋の惨敗続きで立ち消えになり、ライスシャワーの種牡馬としての可能性の評価は地に堕ちていた。
 
 それはある意味仕方のないことかもしれない。

5歳春当時、ライスシャワーが現役最強馬となる可能性を秘めていた時に比べると、その後惨敗を繰り返したことで評価が落ちるのはむしろ当然のことである。

しかし、ライスシャワーにとって悲劇だったのは、2年ぶりの復活勝利が彼自身の評価を上向かせる材料とは見てもらえなかったことだった。
 
「ライスシャワーは、天皇賞・春と菊花賞を絶対能力ではなくステイヤー適性で勝った」
 
というのが、ライスシャワーに対して下された馬産地の評価だった。
 
 ミホノブルボン、メジロマックイーンという最強級の名馬を破ったライスシャワーは、5歳時には、これらのレースを絶対能力で勝ったと思われていた。

なればこそ、ミホノブルボンやメジロマックイーンを超える絶対能力を子に伝えることを期待されて、高額なシンジケートによって種牡馬入りする話も持ち上がっていたのである。

しかし、その後情勢は大きく変わった。5歳秋から6歳にかけて長いスランプに陥り、7歳の天皇賞・春(Gl)にしてようやく復活を果たしたライスシャワーへの評価は「長距離向きのステイヤー」というものに過ぎなかった。
 
 この時既に、競馬界の流れはスピード化の一途をたどり、もはや誰にも押しとどめようがない時代のうねりとなっていた。

レースの編成から長距離レースは減り、レースの展開は、ステイヤーの実力発揮を妨げるスローペース症候群が蔓延しつつあった。

スピード豊かな種牡馬が歓迎され、アメリカからどんどんスピード競馬に対応できる種牡馬が流入する反面で、真性のステイヤー、それも内国産種牡馬であるライスシャワーのような馬への需要は、ほとんどなくなろうとしていたのである。

 ライスシャワー陣営の人々は、悲しかった。

彼らは、ライスシャワーの不人気を時代の流れとして恬淡と受け入れるには、あまりにもライスシャワーの長所を知り過ぎていた。

距離が伸びれば伸びるほどに勢いを増す末脚と長距離適性、自らの故障を短期間で治す並はずれた賢さ、そしてどんなに疲れていても真面目に走り抜く気性。

そして、ライスシャワーは競走馬として自らの限界に挑み続け、サラブレッド多しといえど、我が国では数年に1頭くらいの割合しか出ないGl3勝という輝かしい実績を残した。

そんなライスシャワーだったからこそ、彼らは後々までの幸福な馬生を約束してやるために、種牡馬として成功させてやりたかった。
 
 そうした時にライスシャワー陣営に飛び込んできたのが、宝塚記念(Gl)出走馬を決するファン投票でライスシャワーが1位を突っ走っているという知らせだった。

これならば、出走の意思さえ表明すれば、夏のグランプリ・宝塚記念(Gl)に優先的に出走することができる。
 
 宝塚記念は、例年ならば阪神競馬場の芝2200mコースで開催される。

しかし、この年は阪神大震災があった影響で阪神競馬場も大きな損傷を受けて改修工事が施されている最中であり、急きょ京都・芝2200mコースで開催されることになっていた。
 
 2200m。通常中距離に分類されるこの距離は、ライスシャワーにとってお世辞にも適距離とはいえない。

しかし、裏を返せば、この距離で勝つことができれば、長距離でしか勝てないと思われているがゆえに低迷していた種牡馬としての評価も大きく変わってくるはずである。
 
 宝塚記念への出走が予定される顔ぶれも、多くは天皇賞・春で破った相手だった。

小回りの阪神開催ならば勝ち目はないにしても、この年に限っては、得意な京都競馬場での開催である。

飯塚師、的場騎手、馬主、その他ライスシャワーを取り巻く人々のすべてをして、この年の宝塚記念の条件は「これならば」と思われた。
 
 そして、ライスシャワーの宝塚記念出走が決定した。

だが、次なる戦いへ赴くことを告げた的場騎手に向けられたライスシャワーの眼は、かつて的場騎手をして「猛獣のよう」と言わしめた射すくめるような厳しい視線とはうって変わった、優しく澄み切った眼差しだったという。

流れゆく風はさわやかに、夏の到来が近いことを告げていた。だが、風の行方を知る者は、誰もいない。



 
『最後の戦い』

 第36回宝塚記念(Gl)が開催されたのは、天皇賞・春から1ヶ月半後のことである。

 この日のライスシャワーは、パドックから何となくこれからレースを走るという気迫が感じられなかった。

また、的場騎手も、ライスシャワーにまたがった時から「何かがおかしい」と感じたという。

だが、その感触の正体がなんなのか、その時の的場騎手には分からなかった。

 
 案の定、レースが始まってからのライスシャワーの行きっぷりは良くなかった。

菊花賞の、そして2度の天皇賞・春で感じた手応えは、やはりなかった。

いくらゴーサインを出しても動こうとしないライスシャワーに、的場騎手は第1コーナー時点で早くも
 
「今日は勝ち負けどころじゃない。無事に回ってこさせるだけこさせよう」
 
と諦めにも似た気持ちを感じた。

 しかし、自らがみたび栄光に輝く舞台となった淀の坂にさしかかったところで、ライスシャワーは何を感じたのだろうか。

坂を上がるライスシャワーの中で、何かが燃え上がった。

第3コーナー付近で、ライスシャワーはまたしても動いた。

的場騎手の意思ではなく、自分自身の意思で。あるいは、戦いに生きる宿命がライスシャワーにそうさせたのかもしれない。

皮肉なことに、ライスシャワーに戦いに生きる宿命を教えたのは、的場騎手だった。

加速するライスシャワー。そして…。

 場内を包む、大レース特有の期待に満ち、張りつめた空気が、悲鳴と絶叫によって切り裂かれた。

加速しかけたライスシャワーが突然前のめりになり、的場騎手が放り出されたのである。
 
 的場騎手を振り落としても、ライスシャワーはまだもがいていた。

左前脚を地に着けることができないまま、崩れ落ちるように倒れるライスシャワー。

何が起こったのかは、誰の目にも明らかだった。

そして、これから何が起こるのかも。
 
 左前脚第1指関節開放脱臼。

しかも、脱臼した箇所より下の部分の骨は、粉々に砕け散っていた。

淀を愛し、淀で輝いた最後のステイヤーに待っていた結末は、故障のあまりの酷さで馬体を動かすことさえできず、その場で安楽死処分がとられるという、あまりにも悲しい最期だった。

 
 すべてが終わって、ライスシャワー陣営の人々がとぼとぼと引き揚げようとしていると、的場騎手が突然妙なことを言い出した。

 
「ライスが死んだはずがない。もう一度見てくる」

 
そして彼は、まわりの人が必死で止めているのになおライスシャワーの方へ戻ろうとした。

もう目を閉じて、冷たくなっているライスのところへ。
http://www.retsuden.com/vol32-13.html


ライスシャワーを担当していた川島厩務員は「俺の息子が!」と叫びながらライスシャワーの元に駆けつけ、ライスシャワーの馬具を胸にかかえいつまでも泣き続けた。

落馬後、的場自身も全身を強打し重傷だったが、這いずるように亡骸に駆け寄った。

「僕の体の痛みは時間が解決してくれるが、ライスはもう戻ってこない」。

今でも的場はライスシャワーの話をすると大泣きすると言う。

http://ameblo.jp/waseda-mba/entry-10073785844.html

的場均


的場はGIで勝利してもウイニングランをしなかった。

これは的場曰く「全力で走った後の馬をまた走らせるのはかわいそうだから」ということだった。

また、ゴールした後は無事に馬を止めることが何より大事だという理由で、ゴール後にガッツポーズをすることもなかった。

彼の優しい性格を物語るエピソードである。

また、レース終了後は必ず当日騎乗した馬の全ての馬房を訪ね、丁寧に馬の体調を気遣っていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%84%E5%A0%B4%E5%9D%87

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2012年7月13日 00:04:26 : HNPlrBDYLM


【競馬CM】2012年JRA G1レースCM天皇賞(春) ライスシャワー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17556022

名馬物語 ライスシャワー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm331422
http://www.nicovideo.jp/watch/sm331199
http://www.nicovideo.jp/watch/sm331498


ライスシャワー 淀に咲き、淀に散った最強のステイヤー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14527985
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14528325
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14528715


20世紀の名馬 第11位 ライスシャワー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3828055


1992/菊花賞(GI) ライスシャワー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3734075

ライスシャワーVSメジロマックイーン 1993年 天皇賞・春(GT)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10634432

1995 天皇賞(春) ライスシャワー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6089600


02. 2012年10月12日 00:23:58 : HNPlrBDYLM

1994年 日経賞(GU) 
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8530547

03. 2013年3月10日 14:44:08 : W18zBTaIM6

何故メジロマックイーンは強いと言われてるの?

33 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/12(土) 13:47:33.16 ID:3qzpH7L90

マックのまくりからの圧殺劇は迫力あったな。まさにステイヤーな感じで。
そのマックを完璧マークで捩じ伏せたライスは尚恐ろしいと思ったが。


103 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 03:33:20.22 ID:nSd9SvPI0

相手が弱いというか、5歳以降こいつにだけは敵わないという勝ち逃げを許した相手などいないのがこの馬の凄いところだよ
5歳から引退するまでずっと王者だったわけでブルボンやハヤヒデとの対戦も見たかったが、捉え方によってはオグリやテイオーの名シーンを台無しにする可能性が非常に高かったわけで

108 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 09:02:06.01 ID:WaG6aT3E0
>>103
春天の舞台では、ライスにはどうやっても勝てなかったと思う。

パーマーを前に置いてのメジロタッグで完璧なまくり圧殺モードに入ってたのに
それを更に超えるとんでもねー手応えでマークされ、直線捩じ伏せられてるわけだから。
ほぼ最高の勝ちパターンで二対一、これで負けてるんだから言い訳は一切出来ないよ。


109 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 09:12:50.00 ID:B4w7J+mf0

7歳の春天はステップレース選択のミスやろうね
長期休養明けで産経杯選んで次は宝塚?みたいなレースやってるんだから
まあでもライスは3000以上では負け無しだし強いよな
3000未満が弱すぎるが

111 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 09:23:25.29 ID:+0JaHCz60
>>108
むしろパーマーをかわいがって仕掛けを遅らせたのが敗因だと思うけど。
上がっていったまま突き抜けていたらライスも届かない。


112 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 09:28:06.26 ID:l8IHR5aI0
>>111
いやいや パーマーがいない方がマックには有利だったよ
あの時のパーマーは山田が勝つ気で乗ってるからマークせざるを得ないし
実際パーマーの粘りは凄かった
パーマーがいなければもっとゆっくり仕掛けられたと思う

ライスはボーガンとパーマーの作ったハイペースを利しただけ
強いのは確かだが、自分でレースを作れない
つか作った二度目の春天はギリギリだった

115 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 09:34:26.52 ID:X55XXlp40
>>112
菊も一回目の春天も本命が逃げ馬に思わず釣られてそれをマークする展開だよね
的場さんじゃなかったらああまでマーク屋に成れなかったかもしれんが

130 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 14:24:20.32 ID:U2PEv+qN0
>>112
ゆっくりしかけたら瞬発力の差でまけるだろ…・・・
マックが勝つにはより早い時点でペースあげて最後の脚をなくさせるしかない

119 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 09:40:08.96 ID:WaG6aT3E0
>>111
いや、あれ前に目標になるパーマーがいなかったら
もっとあっさりだったよ。

ってか、ライスの手応えが明らかに異常。
マックがまた先にまくって抜け出す完璧な勝ちパターンで、迫力ある走りだったんでそれが更に際立っている。
あんなの、先抜け振り切り型で勝つのは無理だわ。
ブライアンとかみたいな超爆発力があるなら別かもしれんが。

113 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 09:31:12.28 ID:X55XXlp40

マックが亡くなった時に豊が自分の番組で長々とやってた
最近その部分の動画が上がってて懐かしくなったなあ

ライスの春天の時はゲート入りがスムーズじゃなかった上に道中はずっと引っかかってて、ライスとのスタミナ比べに自滅した印象
前走大阪杯から急に乗りにくくなって、それ以降更にそういう面が出てたからこそのマイルでも走る発言なのかな

116 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 09:35:53.59 ID:kmeUuh1zP
>>113
調教すら拒否してたんだっけ?


117 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 09:39:16.21 ID:X55XXlp40
>>116
調教以前に馬場に入るのも一苦労だったとか


355 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/26(土) 21:00:55.71 ID:bhPAKOyL0

最後の方は武が調教に乗ると強い稽古されるのを悟って馬場入りで動かなかったらしい
武は隠れてて追い切り寸前に跨ってた

ライスに負けた春天も枠入りを嫌がってたしあの時は本当に走りたくなかったんだろうね

121 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 09:43:50.00 ID:WaG6aT3E0

ブルボンにしても、マックにしても、確かに

「この馬は一番強いから、負けたなら何か理由がある筈」

こういう風に見られるほどの格だった、でも現実は完全に実力負けだからね。明らかに完敗しているわけで。

勿論、勝負の展開次第では、競馬だし、逆転は当然あり得たわけだけど
実際の一度きりの勝負をきっちり勝ち切ったのは、いずれもライスだから。
それが強さだし、それが勝負だよね。

それも、基本この二レースについては、勝負のあや、なんて言えるような大きな紛れなんてない、真っ向からのレースだったでしょうに。

124 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 10:01:48.84 ID:rKRsqFrgO
>>121
競走馬としての評価は各自に任せるが、マックとライスはお互いの存在をもってより光る関係と言ってよい
それが好敵手というものだ


125 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 10:10:24.45 ID:a210Ndxv0
>>121
マークされる側で結果を出して初めて明確な格付けがされるもんだよ
ライスは立派な馬だが、あくまで倒したという立場であって迎え撃ったわけではない


126 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 10:17:08.02 ID:kmeUuh1zP
>>125
ライスの末路は悲劇としか言えんしな。
ブルボンの三冠、マックの三連覇を阻止するために生まれてきたような馬だった。


127 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 10:40:21.77 ID:noFbEI/20
>>126
その上で、王者不在の95春天をマークでなく先抜けで押し切って勝ったことで
ライスは真のチャンピオンステイヤーとして己の証を立てたと思うよ。

だからこその、宝塚でのあの人気。
そこで逝ってしまったのは、残念でしか無いけどね。


129 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 11:08:11.02 ID:kmeUuh1zP
>>127
95年はまさにボロボロの勝利だったが、追われる立場になった己自身に勝ったという感動があった。

しかしそれでも種牡馬需要を満たせず、京都開催のアドバンテージ+ファン投票1位の余勢を頼みに出走した宝塚記念……。
リアルシャダイの後継として細々と生き延びていりゃ、今のステマみたいな復活もあり得たかと思うと、やりきれんね。


132 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 15:09:17.31 ID:zuHLf/H40

天皇賞でライスシャワーに負けたのは体調だろう。
当時は骨折休養後であり、更に故障箇所に骨膜が出て苦しい仕上げだったと記憶している。阪神大賞典に間に合わず大阪杯から復帰したが脚元に不安があり、普段のコース追いが出来ず大阪杯、天皇賞とも坂路調整での参戦。状態はせいぜい7分程度ではなかったかと思う。

それでも大阪杯は地力で圧勝したけど、天皇賞に生涯最高の状態で乗り込んできたライスシャワーには負けてしまった。万全とは言わないまでも順調に調整出来ていれば展開云々関係なくマックイーンが勝っていたと思う。


133 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 15:13:58.20 ID:U2PEv+qN0

前2年よりレースパフォーマンス上なんでその辺は微妙かなあ
実際この歳は殆どのレースをレコードに近いパフォで走ってるんで体調どうこうはあまり関係ないだろうなと

器はマックのが1枚以上上だったと思うけどね
タイキシャトルが1200でバクシンオーに負けるようなもんだと思う


143 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 18:53:55.68 ID:9JedCbF+0

93春天のライスは究極の仕上げ
早目に栗東入りして猛調教で鍛え上げ的場も馬でなく猛獣のようだったと言っている

マックは3年連続春天制覇の大偉業の為に急仕上げで阪神大賞典は間に合わず大阪杯で復帰
調教も普段のウッドでなく坂路での追いきりで仕上がり途上
過去のパーマーとの着差を見ればマックが本来の出来にないのは明らか

次走宝塚記念では超ハイペースでパーマーを早々と捻り潰して楽勝
競争生命を賭けるほどの仕上げでないとステイヤーのライスでもマックには勝てなかったってこと


144 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 18:59:07.62 ID:+Az+IL1/0

無茶苦茶だなあ、まあ基地ってのはこういうもんかw
じゃあ、マックが調子良ければ、更にあのライスを突き放してたとでもw
マイナス要素分、全部足してw 阿呆かw

146 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 19:08:27.01 ID:VjBxKQqC0

無理でしょ
ライスはマックぶっちぎってるしな


151 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 19:49:34.94 ID:VjBxKQqC0

パーマーも強くなってたんだろ
実際に有馬と阪神勝ってピークのころだったんだろうし
京都3000m以上ではマックはライスに絶対に勝てないと思う
キレが無いから必ず差される


152 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 20:09:46.11 ID:9JedCbF+0

ライス基地はライスの最高到達時点とマックの最低点で能力を測ろうとする

95春天のライスがマックより強いか?って考えると公平だけどね

そうは考えないところに両馬の能力差に開きがあるってのがよく解るよね

93春天後のマック・パーマー・ライスの状態とレース結果が能力を物語ってる

154 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 20:25:05.35 ID:+Az+IL1/0

へいへいw
まあどんな理屈コネても。
二対一で完璧な形に持ち込んだ上で、決して伏兵ではなく二番人気の前年の菊花賞馬、それも三冠のかかったブルボンを倒して来た馬に真っ向から捩じ伏せられたって事実は永遠に変わらんよw

まあ君らは永遠に脳内でタラレバレースでもやってなさいw


155 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 20:33:09.81 ID:VZiCxdkiO
まあライス基地なんて死んでからファンになったミーハーの集まりだから、
まともに>>152に答えられないでファビョるのも無理はないな。


156 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 20:36:23.91 ID:9JedCbF+0
>>154
まぁ基地の君がどう考えようとも主戦の的場が横綱マックに勝つには究極の仕上げでないと勝てないと言ってるんだから後先考えない勝負だったんだろうね

結果的に競争能力半減させるほどの仕上げにしてその後凡走の繰り返し

方や王者は次走宝塚記念圧勝→京都大賞典圧勝と一戦必勝じゃなかったわけだけど


161 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 21:02:19.90 ID:VjBxKQqC0

ライスは生粋のステイヤーだから3000以下は雑魚でしょ
春天後の低迷とか小型馬故の斤量負けもあって当然と言える
反動で低迷したわけじゃない


163 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 21:10:52.65 ID:vn4L9EOk0

ライスに負けても弱いとはならないでしょ。

164 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 21:12:53.48 ID:Z9NknqQQO

春天なら今でも通用するんじゃね?
ついでにライスも春天なら通用しそう

165 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 21:27:27.09 ID:vWI8JC8/O

淀の3000以上だったら何回やろうがマックイーンをぴったりマークしてライスがきっちり差しきる

170 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/13(日) 21:58:08.79 ID:+Az+IL1/0

ってか、あの春天を貶めることこそ
マックを、ブルボンを小馬鹿にする事だと思うねい。

最強厨かなんか知らんが、あの名レースを

「あれはマックが万全じゃなかったからニィ」

とかほんとしょーもないと思う。

97春天とかでも思うけど、ある馬を持ち上げたいがために目の前の究極レベルの名レースをコケにするのはよせと。

193 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/14(月) 17:38:54.12 ID:1txWaAJz0

本物のステイヤーじゃないね
ライスシャワーに負けてたし
太めで完璧じゃなくても大阪杯でぶっちぎるようなすごい馬なんだよ
普通は勝てない


194 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/14(月) 18:09:08.14 ID:prLPzkWJ0

ライスは一級のマーク屋
強い相手をマークすれば最高のパフォーマンスを出すことが出来る
そして、当時長距離であれだけの差し脚を出せる馬はいなかった。

ただ、差し脚だけなら今の馬の方が切れるからね。
当時のクソ馬場だとしても、あれくらいの脚使える馬は、今なら他にもいると思う。


242 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/17(木) 15:19:58.58 ID:b1g9YOWSO

JCは別として、マックイーンが常に王者として君臨して、その敗戦ごとにドラマがうまれたんだよな。

ライアンの悲願。秋天の失格。

あっと驚くダイユウサク。黒い刺客ライスシャワー。

そして引退レースになる大賞典でレガシーをよせつけず底を見せずに引退して
総合成績以上に強いイメージが植え付けられた馬。

245 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/17(木) 15:34:27.67 ID:b1g9YOWSO

マックイーンは最強ってカテゴリーではなくG1に立ちふさがる大きな山みたいな馬だな。


285 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/01/19(土) 01:29:59.60 ID:DAd11iY2P

マックが強くなけりゃテイオーも強くないし、ライス・ブルボン・レガシーもダメダメで、テイオーに負けたビワも強くない。

ブライアンはその強くない上の世代まとめて有馬で負かしたものの、ケガしたとはいえ古馬以降G1二度と勝てなかったから結論としては強くない。

……90年代前半は競馬暗黒時代ってことにならね?

593 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2013/03/06(水) 02:44:30.70 ID:oXeYP8H60

有無を言わせない強さを持った馬だった。
マックにしてもオグリにしてもパーマーにしてもブライアンにしても。
その場にいないと多分強さがわからないと思うわ。
そのときの空気とかはその場にいなきゃわからん。
ビワよりは絶対にパーマーやマックのが強いと思ってた。

ライスシャワーが勝った春天のときのあの仕上げ方とかパドックをモニターで見てて、ここまでするかと思ったから。

あれだけの仕上げをする馬を見てない。
1レースだけ最強を選べというなら春天のライスを上げるぐらいの仕上げ方だった。

あのときのライスであのときの春天ならどの馬が行っても負けると思う。
でもそれはリアルタイムでその場にいないと感じられないと思う。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1357956953/610n-


04. 2013年3月19日 04:31:44 : W18zBTaIM6

メジロマックイーン 全レースダイジェスト
http://www.nicovideo.jp/watch/sm218923

豊メモリー メジロマックイーン
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19102922

20世紀の名馬 第12位 メジロマックイーン
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7666872

名馬物語2 メジロマックイーン
http://www.nicovideo.jp/watch/sm339876
http://www.nicovideo.jp/watch/sm340142
http://www.nicovideo.jp/watch/sm340340

【マックイーン】91 ジャパンカップ - ゴールデンフェザント【敗れる】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16267297

[1991年]有馬記念(GI) ダイユウサク
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6819276

1992 天皇賞(春) メジロマックイーン 【全部盛り】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6919667

ライスシャワーVSメジロマックイーン 1993年 天皇賞・春(GT)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10634432

【競馬】1993/宝塚記念(GI) メジロマックイーン
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3754215


05. 中川隆 2015年5月03日 18:51:38 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

孤高のステイヤー ライスシャワー 京都伝説
https://www.youtube.com/watch?v=vYJPX4Zr7L8

6. 中川隆[6815] koaQ7Jey 2017年2月24日 10:11:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7276]

「坂路の申し子」ミホノブルボン死す 老衰、28歳
日刊スポーツ 2/24(金) 9:28配信

q

 92年の皐月賞、ダービーを制した2冠馬ミホノブルボンが22日に老衰のため死んでいたことが23日、分かった。28歳。

12年の種牡馬引退後は、北海道日高町のスマイルファームで余生を送っていたが、21日朝から寝たきりの状態となり、22日午後6時すぎに息を引き取った。同ファームの中村広樹代表は「ひと冬ごとに体がさみしくなっていきましたから。ファンからいただく贈り物も多すぎるくらいで、本当に愛された馬でした」と残念がった。

 91年9月に中京競馬場でデビュー。当時、最新施設だった坂路で4本追いを消化するなど、故戸山為夫師の元で徹底的に鍛え上げられ、「坂路の申し子」と呼ばれた。

圧倒的なスピードを武器に快進撃を続け、朝日杯3歳S、皐月賞、ダービーなど、無傷の7連勝を達成。ダービーは4馬身差の逃げ切りだった。

秋の菊花賞でライスシャワーの2着に敗れて惜しくも3冠制覇は逃したが、92年の年度代表馬にも選出された。

 その後は骨折など、度重なる脚部不安に悩まされ、94年に8戦7勝(うちG1・3勝)で引退。その後は種牡馬入りしたが、JRA重賞勝ち馬を送り出すことはできなかった。


7. 中川隆[6816] koaQ7Jey 2017年2月24日 10:13:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7277]

追悼・・・さようならライスシャワー
https://www.youtube.com/watch?v=81Yf2dCsk48

8. 中川隆[-7937] koaQ7Jey 2017年4月30日 18:21:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人に投稿・コメント禁止にされましたので、本日をもってこのスレは閉鎖します

9. 中川隆[-7856] koaQ7Jey 2017年5月01日 12:45:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

参考に、僕が阿修羅原発板で反原発派の嘘とデマを明らかにした為に、阿修羅で投稿・コメント禁止にされた経緯を纏めました:

これが阿修羅に巣食う電通工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c73


10. 中川隆[-12887] koaQ7Jey 2020年4月28日 10:41:55 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[4] 報告
【天皇賞・春 連覇の証言(1)】メジロ牧場の信念が生んだメジロマックイーン史上初の偉業 2020/4/28


92年の天皇賞・春で初の連覇を決めたメジロマックイーン。23歳の武豊は馬上でV2を示した
◆第161回天皇賞・春G1(5月3日・芝3200メートル、京都競馬場)

 昨年の覇者フィエールマンが史上5頭目の連覇を狙う今年の天皇賞・春。過去4頭の連覇はどのように達成されたのか。快挙を成し遂げた名馬の関係者の言葉で当時を振り返る。第1回は92年に春の盾での初の連覇を決めたメジロマックイーン。

 春秋を含めて今回で161回目。長い歴史を誇る天皇賞だが、1980年までは勝ち抜け制度があったため、一度勝った馬は次回以降は出走できず、連覇は平成の時代までなかった。史上初の春の天皇賞連覇となったのは、92年のメジロマックイーンだった。

 前年の91年に皐月賞、ダービーを制し、無傷7連勝で春の盾に臨んだトウカイテイオーとの激突は“TM対決”と話題になった。Tが先に来るのはテイオー優位という下馬評の表れで、菊花賞制覇から守り続けた1番人気を9戦ぶりに譲る形になった。だが、キャリアの差を見せつける形で、5歳のマックイーンの圧勝。好位から進めて2周目の坂の下りで先頭に立つと、4歳のライバルを置き去りに。直線では“独り舞台”で、連覇のゴールへと飛び込んだ。

 「強がるわけではなく、(テイオーのことは)気にしていませんでした。有馬記念が終わってから、ずっと今日のこの日を待っていました」と話したのは当時23歳だった武豊で、渇望していた勝利だった。91年は天皇賞を制したあと、宝塚記念はメジロライアンの前に2着に敗れ、春秋連覇を狙った天皇賞・秋は1位入線しながら悪夢の降着(18着)に。ジャパンC(4着)、有馬(2着)も敗れ、1年ぶりの勝利で威信を取り戻した。

 父メジロティターン、その父のメジロアサマも天皇賞を勝っており、父子3代の盾制覇。84年にこの世を去ったメジロ牧場の創設者である北野豊吉氏は「私たちの年代の人間には天皇賞を勝つことが一番の名誉。父子三代、天皇賞を勝ちたい」と遺言を残しており、その思いに応えた武豊は口取り式で遺影を掲げた。

 3連覇の快挙に挑んだ93年はライスシャワーの前に2着に終わったが、管理した元調教師の池江泰郎さんはこう振り返る。「私の調教師人生の真ん中あたりで出合えた名馬。あれから28年もたったんですね。こういった素晴らしい馬を管理できて、本当に幸せでした」。ディープインパクトも管理した名伯楽にとって、思い出深い連覇だった。(内尾 篤嗣)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200428-04270190-sph-horse

11. 中川隆[-5761] koaQ7Jey 2021年4月13日 18:43:32 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[48] 報告
10分でわかる【ウマ娘】ダークヒーロー【ライスシャワー】




今回は【ダークヒーロー】として活躍した名馬ライスシャワーの紹介動画となります!
ウマ娘プリティーダービーではとても気弱で何かあるとすぐに泣いてしまうが、誰かのためなら一生懸命頑張る事ができる健気なウマ娘として活躍しました!

25戦6勝(2着5回、GT3勝)

1991年
00:31​ 3歳新馬 1着
新潟3歳S(GV) 11着
芙蓉S(OP) 1着

1992年
00:59​ スプリングS(GU) 4着
皐月賞(GT) 8着
NHK杯(GU) 8着
01:21​ 日本ダービー(GT) 2着
02:29​ セントライト記念(GU) 2着
02:35​ 京都新聞杯(GU) 2着
02:47​ 菊花賞(GT) 1着
03:48​ 有馬記念(GT) 8着

1993年
03:56​ 目黒記念(GU) 2着
04:11​ 日経賞(GU) 1着
04:21​ 天皇賞春(GT) 1着
06:02​ オールカマー(GV) 3着
06:11​ 天皇賞秋(GT) 6着
ジャパンC(GT) 14着
06:16​ 有馬記念(GT) 8着

1994年
京都記念(GU) 5着
日経賞(GU) 2着
06:49​ 有馬記念(GT) 3着

1995年
京都記念(GU) 6着
日経賞(GU) 6着
07:16​ 天皇賞春(GT) 1着
07:59​ 宝塚記念(GT) 競走中止

09:09​ 安楽死と石碑
12. 中川隆[-4439] koaQ7Jey 2021年6月04日 16:18:21 : gFTpnByYk6 : Nll1WVVkQTN5b2M=[25] 報告
今年のダービーを見て感じた追憶…ウマ娘ファンにも知ってほしい「ミホノブルボンvs.ライスシャワー」“激闘譜”
江面 弘也
https://bunshun.jp/articles/-/45878


  エフフォーリアがダービーに勝てば2年連続で無敗の二冠馬が誕生することになる。

 過去に2年連続で無敗の二冠馬が現れたのは1991年のトウカイテイオー、92年のミホノブルボンだけという希有な事象である。

 そういう意識があったからなのか、今年の日本ダービーのパドックを見ていて、気になる馬がいた。


 コンパクトな黒鹿毛の、きれいなシルエットに目を奪われた。「ライスシャワーもこんな感じの馬だったな」と思った。

 この馬が2着になれば、菊花賞でエフフォーリアの三冠を阻んだりして…。

 そんなことを想像しながら見ていたのは、エフフォーリアを鼻差で破ってダービー馬となったシャフリヤールである。


今年の日本ダービーは1番人気のエフフォーリアをシャフリヤールが鼻差で破った
この記事の画像(14枚)
https://bunshun.jp/articles/photo/45878


29年前「ミホノブルボン」と「ライスシャワー」の時代
 ミホノブルボンとライスシャワーがクラシックを戦ってから29年になる。

 2頭はすべてにおいて対照的な馬だった。栗毛のミホノブルボンの鍛え抜かれたボディーは筋骨隆々で、とくに、“トモ”と呼ばれる、腰から尻にかけての筋肉は二重三重に盛りあがっていた。それに対してライスシャワーはシャフリヤールのように小さな黒鹿毛で、体のラインがきれいな、見ていて飽きない馬だった。


 ライスシャワーは父リアルシャダイ、母ライラックポイント(父マルゼンスキー)という血統で、89年3月5日に北海道登別市のユートピア牧場でうまれた。ユートピア牧場は馬主の栗林英雄(栗林商船)が営む牧場である。ライスシャワーが誕生した当時、繁殖牝馬は30頭ほどで、仔馬は1歳までユートピア牧場で育てられたのち大東牧場に送られ、競走馬となるトレーニングが積まれるシステムができあがっていた。

 先代の栗林友二は戦前の最強馬クリフジの馬主として知られている。戦後はオーナーブリーダー(馬主兼生産者)として多くの名馬を送りだす一方で、馬主のトップとして競馬の発展に寄与し、競馬関係者から「ミスター競馬」と呼ばれて尊敬された人である。息子の栗林英雄もカツアール(宝塚記念)などの活躍馬を所有してきた有名馬主だったが、ライスシャワーの口取り写真に姿はない。


馬主席で競馬を見るのがあまり好きでなかったそうで、GTのときには牧場にきて従業員と一緒に応援していたという。ライスシャワーの口取り写真にはいつも上品な女性が写っていた。栗林英雄の夫人、育子である。

 一方で、ミホノブルボンはライスシャワーから遅れること約50日、4月25日に北海道門別町の原口圭二牧場で誕生した。原口牧場は51年の創業で、原口圭二が2代目になる。ミホノブルボンが誕生した当時はアラブ馬や馬主から預かっている馬も含めて11、12頭の繁殖牝馬がいた。ミホノブルボンが登場するまで、生産馬の多くは地方競馬に行っていて、中央では特筆すべき活躍馬はいない。日高地方によくある家族牧場である。


ミホノブルボンを発掘した調教師・戸山為夫
 ミホノブルボンの母カツミエコー(父シャレー)も公営南関東の浦和で1勝しただけの馬だった。原口は地方競馬で産駒が大活躍していたミルジョージ(イナリワンなどの父)を種付けしたかったが、種付け料が高く、父親がおなじミルリーフというマグニテュードを配合する。85年の桜花賞馬エルプスの父だが、カツミエコーに配合されたときは2年分の種付け料が50万円と、桜花賞馬の父とは思えないほど格安だった。


 そんなミホノブルボンを発掘したのは栗東トレーニングセンターの戸山為夫調教師だった。時間をかけたインターバルトレーニングで知られる戸山は、68年のダービーを逃げきったタニノハローモアなどを育ててきた。

 ミホノブルボンは栗東に完成して間もない坂路コースを使って徹底的に鍛えられる。血統は二流でも、抜群のスピードとそれを持続する体力とスタミナをつけていった。2歳時は3戦3勝。2着のヤマニンミラクルとは鼻差だったが、GTの朝日杯3歳ステークス(当時)にも勝った。騎手は障害戦を中心に乗ってきた地味なベテラン、小島貞博。戸山は自分の弟子を優先して乗せることを条件に馬を預かっていた、男気のある調教師である。


92年、圧勝続きのミホノブルボン
 92年の春。ミホノブルボンは硬質な逃げでクラシックを圧倒した。

 皐月賞トライアルのスプリングステークスはスタートから先頭を奪うと、のちのチャンピオンスプリンター、サクラバクシンオーをさしおいて逃げ、逃げきってしまう。2着とは7馬身差あった。


 皐月賞はスプリングステークスを再現するようにスタートから先頭に立ち、楽に逃げきった。2着のナリタタイセイとの着差は2馬身半。これで5連勝。


 5月31日、日本ダービー。2400mという距離もミホノブルボンには問題ではなかった。ゲートが開いてすぐに小島が促すと、1コーナーの手前で先頭に立ち、あとは自らが標的となって逃げていく。持ち前のスピードと、ハードトレーニングで培ったパワーとスタミナでそのままゴールまで突き進むだけだった。

 このとき、ずっと2番手を進み、4馬身差の2着に踏ん張ったのがライスシャワーだった。

16番人気だったライスシャワーが見せた踏ん張り
 生まれたときから体が小さく、牧場でもめだつ存在ではなかったライスシャワーは、2歳の夏にデビューして3戦2勝。その後、骨折で半年ほど休み、復帰戦がスプリングステークスとなった。ミホノブルボンとの初対戦は4着、9馬身の差をつけられた。つづく皐月賞も8馬身余離された8着。そのあとNHK杯でも8着に敗れ、2着にはいったダービーは16番人気だった。

 3歳秋。シンボリルドルフ以来の無敗の三冠馬をめざすミホノブルボンは菊花賞トライアルの京都新聞杯を逃げきって連勝記録を7に伸ばした。ライスシャワーはセントライト記念ではミホノブルボンとおなじ戸山厩舎のレガシーワールドに頭差、京都新聞杯はミホノブルボンに1馬身半及ばなかったが、しっかりと2着を確保していた。

92年菊花賞、5度めの「ミホノブルボンvs.ライスシャワー」は激闘に
 そして迎えた92年11月8日、菊花賞。

 京都競馬場はミホノブルボン一色に染まっていた。ライスシャワーは2番人気。2頭の対戦はこれが5度めだが、走るたびに差が縮まっていた。そしてこんどは3000mである。「チャンスはある」と騎手の的場均は思っていた。大久保房松厩舎で飯塚好次の弟弟子だった的場は皐月賞から主戦騎手となっていた。

 レースは思いもしない展開となった。キョウエイボーガンが強引に先頭を奪い、速いペースで逃げる。ミホノブルボンの小島は無理をしないで2番手に控える。ライスシャワーは5番手。標的を決めたときの騎乗に定評がある的場はじっとして動かない。

 2周目の3コーナーの坂を下りながらミホノブルボンが満を持して先頭に立つ。ライスシャワーも差をつめてくる。そして直線。逃げるミホノブルボンの外からライスシャワーが追い抜いていく。5度の対戦で初めて2頭が交差した瞬間、ミホノブルボンの三冠が消えた。


 ライスシャワーの完勝だった。内から迫るマチカネタンホイザを抑えて2着を死守したミホノブルボンに1馬身半の差をつけ、優勝タイム3分5秒0は当時の菊花賞レコードである。栗林家はクリノハナ以来40年ぶりのクラシック優勝であった。クリノハナが故障で出走できなかった菊花賞を妹の曾孫が勝ちとった。


ミホノブルボンとライスシャワー、その後
 菊花賞ではじめての敗戦を喫したミホノブルボンは、その後、故障がつづき、一度も走ることなく現役を引退する。

 ミホノブルボンを無敗の二冠馬に育てあげた戸山為夫は、ダービーから1年後の93年5月29日、61歳で亡くなった。ミホノブルボンが厩舎にきたころに食道癌の手術をしたが、肝臓にも転移し、治療をつづけていた。

 ライスシャワーは翌年の天皇賞・春ではメジロマックイーンの3連覇を阻止して関西のファンから「関東の刺客」などと呼ばれ、春の天皇賞に2勝するなど名ステイヤーとして活躍した。しかし、京都競馬場でおこなわれた95年の宝塚記念で故障、安楽死となる。

 一転して悲劇の名馬となってしまった小さな黒鹿毛。

 その功績を称える碑は、いまも京都競馬場内に佇んでいる。(文中敬称略)

  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)|(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(なしでも可能。あったほうが良い)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 コメントの2重投稿は禁止です。  URL紹介はタイトル必須
ペンネームの新規作成はこちら←  最新投稿・コメント全文ページ
フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 近代史02掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 近代史02掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧