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その時、馬に神が宿った6 _ レッツゴーターキン
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/480.html
投稿者 中川隆 日時 2011 年 4 月 23 日 14:50:50: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: その時、馬に神が宿った5 _ ライスシャワー 投稿者 中川隆 日時 2010 年 9 月 04 日 18:03:14)


なんとびっくりレッツゴーターキン!!


1992年 第106回天皇賞(秋) レッツゴーターキン
http://www.youtube.com/watch?v=V_qY6F8Og1Y

大崎「天皇賞に行こう」

周囲「え?」

記者「レッツゴーターキンなんてwww」

大崎「レッツゴーを馬鹿にするな!」

記者「wwwwwwww」

大崎「坂路で鍛えているし、東京の坂だって大丈夫」

記者「はいはいwww」


________

「さあ、さあ17万の大歓声!

4コーナーをカーブして直線コースに入ってきた!

先頭はダイタク! ダイタク先頭! ダイタクが先頭だ! ダイタクが先頭だ!

さあ、まだか! テイオーはまだか! テイオーはまだか!

テイオーは2番手! テイオーは2番手!

外のほうから懸命にナイスネイチャ突っ込んで来ている! ホワイトストーンもやって来た!

さらにはヤマニングローバル!

さあインコース懸命にテイオーだが、トウカイテイオーがインコースから!

ダイタク! テイオー! さあS・B対決になるのか!

しかし外から一気に後続が押し寄せてきた!

外から一気に後続が押し寄せてきた!

一番外からレッツゴーターキン!レッツゴーターキン!

レッツゴーターキン! ムービースター! レッツゴーターキン! ムービースター!

ヤマニングローバル! ヤマニングローバル! レッツゴーターキンだー!

何とびっくりレッツゴーターキン!

そして2着にムービースター! 大崎昭一やった!

レッツゴーターキン大外一気に駆け抜けた! 1分58秒6!

勝負はインコースのS・B対決ではなかった! 外から伏兵レッツゴーターキン、ムービースター!」

(三宅正治アナウンサー)

http://aimar.s18.xrea.com/meigen.htm

107 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 19:46:24 ID:yQsvRBcR0

ローカル帝王だったターキンを福島の後天皇賞に行かせたのが凄い。
前走福島の馬なんて買えるかってことで人気まるでなし。
あれは衝撃的だったなぁ。
パーマーとダイタクのバカ逃げ争いのハイペースに、
テイオーもついて言って巻き添え死亡してたなw


214 :名無しさん@恐縮です:2011/02/01(火) 18:45:27 ID:vB5tBG450

レッツゴーターキンってローカル競馬なんかに出ていたんだよね。
馬は知らなくても府中の乗り方を騎手が知っていたってのが当時話題だった。w


66 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 18:20:56 ID:EGCs0QEmO

このレース前に大崎が、

「レッツゴーを馬鹿にするな!」

と息巻いていたのは名言w

「レッツゴー」ってw


100 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 19:36:31 ID:7NBbDFBm0

レッツゴーターキンはパドックでも

「ここは福島や小倉じゃねーぞ」って野次られてたらしいね


166 :名無しさん@恐縮です:2011/02/01(火) 00:30:15 ID:BMhVto5i0

メジロパーマとダイタクヘリオスの喧嘩で超殺人ラップになった伝説のレースだな


169 :名無しさん@恐縮です:2011/02/01(火) 00:47:38 ID:hX3WvZvAO
>>166
最近はそんなレースがほとんどなく、スローのヨーイドンばかり

その辺も競馬離れが進んでいる理由のひとつでは?

ツインターボが出るだけで楽しみだったし、ズルズル下がって“バックターボ”とか見るのも楽しみだった


______________

 『地獄を見た男』


6歳になってからも相変わらず不振が続いたレッツゴーターキンだったが、新潟に遠征した彼は、そこでようやく復活の兆しを見せた。谷川岳S(OP)に出走したレッツゴーターキンは、そこで実に1年1ヶ月ぶりの勝利をもぎ取ったのである。レッツゴーターキンに復活のきっかけを与えたもの、それはある男・・・かつて地獄を見た騎手との出会いだった。

 大崎昭一・・・それが、レッツゴーターキンが新潟で出会った男の名前である。大崎騎手は、当時既に47歳を迎え、騎手の中でも指折りの大ベテランとなっていた。そして、そんな彼の大レースでの実績は、一流騎手として十分誇るに値するものである。大崎騎手は、

1969年のダイシンボルガード、81年のカツトップエースで日本ダービーを2勝、
67年のカブトシロー、79年のグリーングラスで有馬記念を2勝し、さらに
天皇賞も、75年秋にフジノパーシアで勝っている。

「泣きの昭ちゃん」の愛称で親しまれた彼は、確かに関東の一流騎手であり、日本の騎手界を代表するスター騎手にふさわしい活躍をしていた。

 しかし、そんな大崎騎手の運命は、1985年8月を最後に暗転した。大崎騎手は、この時新潟競馬場でたいへんな「事件」を起こしてしまったのである。そのことをきっかけに、大崎騎手の運命は暗転し、その後の人生には暗い影が落ちることになる。

 1985年8月25日、第2回新潟競馬6日目第9レース、赤倉特別。レース前に馬が外ラチ沿いへ寄っていった時、大崎騎手に1人のファンが声をかけ、大崎騎手もそれに返事をした。・・・そのひとことが運命の分かれ道だった。


 数日後のスポーツ紙に踊ったのは、「大崎不正行為」「騎乗停止処分」というショッキングな見出しだった。大崎騎手は、外ラチ沿いで声をかけられて返事をしたことで、

「特定のファンに対して馬の調子を教えた」

という疑惑を持たれ、「公正競馬に反する」と問題にされたのである。

 この事件についての大崎騎手の言い分は、

「馬の調子はどうだ?」

と聞かれ、反射的に

「いいよ」

と答えた、というものだった。しかし、周囲は必ずしもそうは見てくれなかった。それどころか、一部では

「金の動きがあったのではないか・・・」
「予想だけでなく、八百長もしていたのではないか・・・」

という何の証拠もない憶測が乱れ飛び、大崎騎手の名誉を失墜させた。この事件を理由として大崎騎手に課せられた処分が4ヶ月間の騎乗停止処分という極めて重いものだったことも、そうした憶測に輪をかけた。・・・そして、時を同じくして、ある週刊誌で大崎騎手の暴力団員との交際疑惑が報じられた。記事自体は出所すらはっきりしない記事であり、こんな時期でさえなければ、あふれる情報の波の向こう側へとたちまち消えていくようなものにすぎなかったが、そんな記事でも、「不正行為をはたらいて4ヶ月間もの騎乗停止処分を受けた」ということで既にうさんくさい目で見られるようになっていた1人の騎手に致命傷を与えるには十分なものだった。

http://www.retsuden.com/vol8-02a.html

 今いろいろしゃべると主人に叱られますけど、新潟のあれは仕組まれたんです。あの事件の少し前、若い人たちが調整ルームに外の人を入れて、新聞を広げて○×を付けていたんですって。それを主人が注意したそうなんです。その逆恨みなんですよ。主人のあのレースのとき、変だと思ったら新潟の場長さんに言えばいいのに、直接競馬会の本部に密告してるんですからね。最初から仕組んでたんですよ。
 もしも、これが真相であれば、その若い騎手たちに話が及ぶかも知れない。だからこそ、大崎は語らない。そういう見方もできるだろうか。

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20090610/p2


 それまで大崎騎手を取り囲み、ちやほやしていた人々は、潮が引くように彼のまわりから離れていった。気がつくと、かつて彼を取り巻いていた人々の姿は消え、さらに彼に騎乗を依頼しようという調教師も、ほとんどいなくなっていた。

 ・・・この時のことについて、大崎騎手は多くを語らない。ただ、後にこの事件を振り返った彼は、

「あの時、俺は死んだんだ」

と述懐している。このひとことが、この事件で彼が失ったものの重みを感じさせてくれる。


 この事件の後、大崎騎手の本拠地である関東の調教師たちからは、大崎騎手への騎乗依頼がほとんどなくなった。馬に乗れない騎手が騎手を続けることはできない。こうして大崎騎手の騎手生命は風前の灯となったが、そんな苦境にあっても、すべての人々が大崎騎手を見捨てたわけではなかった。彼を救ったのは、関西を本拠地とする何人かの若手調教師たちだった。

「大崎の処分はおかしいんじゃないか」
「いくらなんでも、4ヶ月の騎乗停止は重すぎる・・・」

 大崎騎手が何をしたのか。その内容は、4ヶ月の騎乗停止処分という重い処分に見合ったものだったのか。・・・そんな基本的な部分さえもはっきりしないままに決まってしまった処分に対しては、当時から疑問の声も少なくなく、関東に比べて自主の機運が強いとされる関西では、特にその傾向が強かった。

 大崎騎手に対する処分に疑問を抱き、大崎騎手に同情した調教師たちの一部は、関東ではほとんど騎乗機会がなくなった大崎騎手のために自分たちの厩舎の馬の騎乗を依頼するようになった。この動きには、一流騎手とのつながりが薄い若手ゆえの、技術を持った騎手を確保するための動き、という側面もあったかもしれない。しかし、調教師たちが大崎騎手を信じてその再起を願い、大崎騎手もまた、彼らの助けによって引退の危機を免れることができたことは間違いない事実である。1986年以降の大崎騎手は、関東に本拠地を置きながら、その勝ち星のほとんどを関西馬で挙げるようになっていった。

 大崎騎手を支援する調教師たちは、一部で「大崎昭一に1000勝させる会」と呼ばれるようになった。それまでに通算631勝を挙げていた大崎騎手だったが、新潟での事件のせいで、騎手を引退した後に調教師になることは絶望視されていた。そんな大崎騎手を競馬界に残すため、事実上無試験で調教師になることができる特典を伴う1000勝を挙げさせてやりたい・・・。そんな思いを共有する調教師たちの中に、レッツゴーターキンを管理する橋口師も含まれていた。

http://www.retsuden.com/vol8-02a.html


 『ローカルのスペシャリスト』


 同じ宮崎県出身という地縁で結ばれていた大崎騎手と橋口師は、谷川岳Sを勝ったことにより、レッツゴーターキンという馬でも手を結ぶことになった。谷川岳Sを境として、レッツゴーターキンには大崎騎手が騎乗するようになっていった。

 すると、それまで成績の波が激しかったレッツゴーターキンが、安定した成績を残すようになってきた。北九州記念(Glll)ではヌエボトウショウ、小倉記念(Glll)ではイクノディクタスの2着に入り、さらに福島民報杯(OP)ではこの年2勝目を挙げた。そして、レッツゴーターキン陣営は、中央開催へと打って出ることを決意した。

 ただ、それまでのレッツゴーターキンの戦績を見ると、良績はローカル開催に偏っていた。それまでのレッツゴーターキンの戦績は29戦6勝2着5回だったが、そのうちいわゆる「中央開催」での戦績は16戦2勝2着1回だったのに対し、「ローカル開催」での戦績は13戦4勝2着4回である。全国の競馬場を回りに回り、このとき既に阪神・京都・中山・中京・小倉・新潟・福島に出走経験を持っていた(後に東京にも出走)レッツゴーターキンだが、そのことの背景には、そんな数字があった。

 ローカルが得意な馬は、「小回りが得意」「坂が苦手」といった理由があることが多い。そうした観点からすれば、コーナーのつくりが広く、さらに大きな坂もある東京競馬場は、最も不向きなコースにも思われる。事実、レッツゴーターキンはそれまで1度も東京競馬場でのレースには出走していなかった。しかし、そんなレッツゴーターキンが次走に選んだのは、東京競馬場のレースであるだけでなく、古馬の最高峰でもある天皇賞・秋(Gl)だった。

 レッツゴーターキンの関係者たちの中でも、橋口師などはレッツゴーターキンの天皇賞出走には消極的だったという。そんな彼に天皇賞行きを強く勧め、最終的に決断させたのは、大崎騎手の

「天皇賞へ行こう」

という言葉だった。・・・それでも橋口師の方は、レース当日まで半信半疑だったようだが。


 大崎騎手は、あらかじめ橋口師と話し合い、採るべき作戦を決めていた。レッツゴーターキンは、もともと末脚に賭ける差し馬である。ダイタクヘリオスとメジロパーマーという2頭の逃げ一手の馬が揃ってハイペースが必至と思われるこのレースでは、下手な小細工はせずに、最後方待機の直線勝負に賭けた方がいい。小回りのローカルで鋭い脚を使って勝ってきたこの馬なら、展開さえはまれば見せ場は作れるはずだ・・・。

 枠順の決定の際に、外枠不利といわれる東京2000mで、先行に有利な2番という内枠をひいた時には、ほんの少し好位につけての先行策に心が動いたという大崎騎手だったが、彼はついに作戦を変えることはなかった。ローカルとはいえ、それまでの競馬で築いてきた実績と信頼が、彼の作戦に自負と確信を与えていた。

 ただ、この作戦にはひとつだけ不安があった。レッツゴーターキンは、臆病といっていいほど繊細な馬である。初めての東京競馬場の大観衆、それもGlの異様な雰囲気に入れ込んでしまうと、最後方待機で我慢できないまま、なし崩しに脚を使ってしまうのではないか・・・それだけが心配のタネだった。

 レース直前になると、レッツゴーターキンは案の定、それまで経験したことのない大歓声に興奮していた。大崎騎手は、馬を落ち着かせようと思い、本馬場入場の時には、レッツゴーターキンを他の馬とは逆に回らせた。それで一度は落ち着いたかに見えたレッツゴーターキンだが、ゲート入りの際にはまた暴れ始め、今度は大崎騎手を振り落としてしまった。場内からは、思わぬアクシデントに苦笑いも起こった。

 ・・・しかし、大崎騎手を振り落としたことで、結果的にレッツゴーターキンは平常心を取り戻した。大崎騎手が再び騎乗すると、今度は至極冷静にゲートに収まったのである。しかも、大嫌いなゲート入りが最後に回されたおかげでゲート内にいる時間も短く済んだ。・・・そして、レースが始まった。


 この日展開されたレースの内容は、恐ろしいものだった。―それは誰もが予想したとおりの展開のはずだったが、まさかそこまで激しいものになるとは、誰1人予想していなかった。

 戦いは、メジロパーマーとダイタクヘリオスの激しい先頭争いによって始まった。1番人気のトウカイテイオーも、好スタートを切って2頭のすぐ後ろにつけた。

 この日のトウカイテイオーは、18頭立ての15番枠に入っており、外枠不利とされる東京府中2000mでは決して有利とは言いがたい位置にいた。スタートしてすぐに全馬が一斉に第2コーナーへ殺到するこのコース構造は、外枠をひいた場合、位置取りで大きな不利を受ける。トウカイテイオーの父シンボリルドルフが敗れたのも、17頭立て17番で出遅れたことが最後にたたったものである。

 しかし、府中コースを熟知した岡部幸雄騎手は、トウカイテイオーに見事なスタートを切らせることに成功した。・・・まさか、このことがトウカイテイオーにとってむしろ仇となっていくなどとは知る由もない。

 『死のハイペース』

 レースを引っ張るメジロパーマーとダイタクヘリオスは、互いにまったく退く気配を見せなかった。希代の逃げ馬であり、しかもいずれもGlをそれ以前に1つ、その後にもう1つ制した実力馬である彼らが互いに一歩も引かないまま激しく競りあったのだから、ペースがどうなるかは火を見るより明らかである。

 レースのペースは、みるみる吊り上がっていった。そして、トウカイテイオーをはじめとする先行馬たちも、否応なくこのハイペースに巻き込まれていった。

「速い!」

 ラップを見た人間は、皆自分の目を疑った。1000m通過は57秒5。通常の天皇賞・秋のラップより1秒は速い。それでもダイタクヘリオスとメジロパーマーは互いに譲らず、2頭の競り合いは第3コーナーと第4コーナーの間まで続いた。1400m通過が1分20秒8。これは、もはや驚異を通り越して狂気のハイペースである。いくら前の2頭が実力のある逃げ馬でも、これでは粘れるはずがない。

 トウカイテイオーは、前が失速していく中、第4コーナーのあたりから抜け出しにかかった。しかしいくらトウカイテイオーでも、この殺人ペースで3、4番手についてきて直線で抜け出し、後続を突き放すことは不可能だった。1600m通過タイムは1分33秒3であり、マイル戦の日本レコード1分32秒4と1秒も違わない。この年の春に同じ東京競馬場で行われたマイルGl・安田記念でのヤマニンゼファーの勝ちタイムは、1分33秒5だった。2000mの中間ラップなのにマイルGlを上回るタイムなのだから、いかに狂気のペースだったかが分かろうというものである。

 案の定、いったん先頭には立ったものの、坂を上がると、トウカイテイオーの行き脚はみるみる怪しくなっていった。無論、地獄を見たのはトウカイテイオーだけではない。先行馬有利のはずの府中2000mで、先行した有力馬がことごとく無惨な総崩れとなったのである。トウカイテイオーの横を、後方にいたがために殺人ペースに巻き込まれなかった格下の馬たちが駆け抜けて行く。その中に、大崎騎手に押されたレッツゴーターキンの姿もあった。

http://www.retsuden.com/vol8-03a.html

レッツゴーターキンは、ダイタクヘリオスとメジロパーマーが刻んだ狂気のハイペースに惑わされることなく、折り合いもしっかりとついたまま、直線まで後方に控えて脚をためていた。そして、先行馬たちが総崩れになる中で、彼の末脚は最大限の破壊力を発揮したのである。

 レッツゴーターキンの末脚は、直線で炸裂した。後方待機を決め込んだ橋口師と大崎騎手の作戦が、ピタリとはまった形である。もっとも、騎手も調教師もここまでのハイペースを予想してはいなかっただろうが、このハズレは、レッツゴーターキンにとってむしろ好都合なものだった。

 失速するトウカイテイオー、ダイタクヘリオスをかわしたレッツゴーターキンは、残り100mで突き抜けた。第4コーナーでは馬が後ろに4頭しかいなかったレッツゴーターキンが、その数十秒後には先頭でゴール板を駆け抜けていた。


___________

 『嗚呼、天皇賞馬』


 長い旅路の果てにようやく栄光を手にしたレッツゴーターキンだが、その栄光の向こう側に待っていたのは、厳しい現実だった。 レッツゴーターキンは、種牡馬入りした年には、繁殖牝馬の質はお世辞にも高いとはいえないながら、何とか25頭の種付けを確保した。・・・しかし、それだけだった。高くない人気は、落ち込むのも早い。次の年から種付け頭数は早くも一桁になり、落ち込んだ人気はその後回復することもなかった。

 1990年代以降、北海道の生産牧場は構造不況の直撃を受け、おまけに外国産馬の大攻勢もあって、経営者の冬の時代へと入っていった。種牡馬レッツゴーターキンも、やがて種付けがなくなって最初の繋養先を出され、何処かへと消えていった。種牡馬登録こそ抹消されていないものの、その行き先は杳として知れず、様々な憶測が飛びかった。


 『牛の牧場にて』

 一度消息が途絶えたレッツゴーターキンの行方が知れたのは、ある競馬雑誌の取材によってだった。その雑誌が内国産Gl馬たちの近況を伝える特集を組んだ際にレッツゴーターキンを発見し、その現況を世に伝えたのである。レッツゴーターキンは、「牛の牧場」にいた。

 北海道の牧場といっても、馬の牧場ばかりではない。レッツゴーターキンは、牛の飼育をメインとする牧場に引き取られ、牛たちと一緒に放牧されていたという。レッツゴーターキンがどのような経緯を経て牛の牧場に辿り着いたのか、その雑誌は詳しく語っていない。

 しかし、取材に際して牛の牧場で繰り広げられたという光景は、非常に印象的である。レッツゴーターキンの写真を撮ろうとした記者に対し、牧場の人たちは

「やめて下さい!」

と強い口調で止めたという。

「天皇賞馬が牛と一緒にいる写真なんて、あんまりだ」

と・・・。


人気が思わしくない種牡馬の中には、登録の抹消すらされないうちに行方不明となり、闇に消えていく者も少なくない。そんな中で、レッツゴーターキンは、純粋に彼を愛する人によってその命を救われたようである。ちなみに、その牧場がレッツゴーターキンを引き取った理由については、牧場主がレッツゴーターキンと大崎騎手のファンだったからである、と伝えられている。

http://www.retsuden.com/vol8-04a.html


126 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 20:55:43 ID:e50lmUK30

2011年1月30日 午前5時30分

レッツゴーターキンは23歳9カ月をもって命終いたしました。生前のご厚情を心より御礼申し上げ慎んでお知らせ致します。 1月8日朝に突然倒れ専門医とともに加療、一時小康を得ましたが、食欲の回復不十分、手を尽くしましたものの力及びませんでした。
(所有者コメント)
http://meiba.jp/detail.php?sn=1223

用途変更になる2008年まで毎年種付けもできてた。お相手が婆さん馬ばっかりだったから仔を取る気はなかっただろうが。 多分幸せな余生だったと思う。


23 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:40:34 ID:eh6NGyrP0
ほんと馬肉にされずに召されたのは良かったな

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1296462251/

「醜いアヒルの子」


 干された騎手と期待されない馬。
 陽の当たらない裏街道を歩いてきた一人と一頭が、中央の桧舞台で光を放つ。
 誰にも認められることのない一度きりの煌き。


 平成11年1月9日。競馬サークルにあるひとつのニュースが流れました。大崎騎手引退。現役最年長の大崎昭一騎手引退のニュースです。15日に、54回目の誕生日を迎える、その目前にしての引退。通算970勝、1000勝まであとわずか30を残しての引退でした。

 大崎昭一・・・通称“泣きの昭ちゃん”私の、大好きな騎手でした。

 その昭ちゃんが、1頭のサラブレットを引き連れ、中央の、しかも天皇賞という檜舞台に出てきたのは、今からもうずっと前のこと。昭ちゃんの思い出を胸に、最後の天皇賞を語ります。


******  フロック  ******

 競馬は、人知の知り得ない意外性の連続でありかつ固まりである、と誰かが言いました。とはいえ、大波乱の主役には勝つためには、“それなりの、根拠・・・”というものがレースの後につき、解釈がされるものです。

 例えば、

「もともと潜在能力はあったものの、体調の不備が重なったため結果が出せなかったが、本番で絶好の状態に仕上がった。」

 例えば、

「能力はあるものの、展開や流れに注文が多く、たまたま本番で条件が揃った。」

 などなど。しかし、レッツゴーターキンの天皇賞制覇については、誰もが

 「夢のような・・・」

出来事だったと振り返るのです。それは、レース後のあらゆる解釈の前提となるべき勝馬の能力を、「ついに、信じきれなかった」からに他なりません。

 “フロックでGTは勝てない”という格言に対して、ファンは天皇賞馬レッツゴーターキンだけはフロックだったのではないか、と最後までその実力を疑い続けています。しかし、私はレッツゴーターキンにとって、ファンのそうした疑念でさえ、ひとつの勲章であると考えます。なぜなら、歴代天皇賞馬の中でレッツゴーターキン、ただ1頭だけが “フロックで勝った”希有な存在であった、とも言えるのですから。


******  期待されない馬  ******

 レッツゴーターキンは、そもそも社台ファームの“売れ残り”でした。ダイナースクールでも売れ残った馬で、会員さんも「これしか残ってないので、仕方なく、」買われたそうです。その年の社台の男馬の中では、一番安い馬でした。 入厩してからも、腹が上がっていて全く見栄えが悪く、気性の悪い。坂路コース
から逃げ出すこともあったそうです。

「気性が悪いというよりも臆病だったのでしょう。ですから全く期待なんてしていませんでしたよ。1つか2つ勝ってくれればいいなって感じでした。」

橋口弘次郎調教師が当時を振り返る言葉です。


 その言葉通り、レッツゴーターキンはほとんど誰にも期待されない一介の凡馬として、平成元年12月デビューしました。14頭立ての6番人気。結果13着。惨澹たるものでした。もちろん、デビュー前から凡馬とみなしていた橋口師は、この結果に落胆することはなかったでしょう。

 その後も未勝利戦を6着、8着と負け続けましたが、2ヶ月半の休養でリフレッシュした後、ようやく未勝利を勝ち上がります。このとき18頭立て12番人気。単勝3920円という高配当。

 レッツゴーターキンがその素質を垣間見せたのは、500万条件を勝ち上がって迎えた中日スポーツ賞4歳Sでした。12頭立ての11番人気の評価に反発するように不良馬場のなか鋭く伸びて、ロングアーチとタイム差なしの2着。何はともあれ準オープンのドアをノックする地位までステップアップしました。

 菊花賞は11着と惨敗でしたが、これは出られただけでよし。そして5歳になってちょっと成長したレッツゴーターキンは、小倉大賞典、中京記念と重賞を連覇します。


「あのときは、能力があるのかな、とも思いましたけど。その後は惨敗が続きましたからねえ・・・」

橋口師が言う惨敗の足跡を列挙すると、次の通り。


 陽春S 6着
 新潟大賞典 9着
 阪神競馬場新装記念 12着
 金杯 12着
 日経新春杯 12着
 小倉大賞典 6着
 マーチS 5着

 まさに目を覆うばかりの参状。しかし、ここで転機が訪れます。


******  干された騎手  ******

 レッツゴーターキンにとって大崎昭一という1人のベテラン騎手、そう昭ちゃんとの出会いは、まさに邂逅と言っていいものでした。コンビを組んで第1戦、ウラ開催新潟の谷川岳Sでハヤブサオーカンをクビ差押さえて久々の勝利。当時すでにJRAから干され、かつ若手騎手の台頭によってますます華やかな舞台から追いやられていたベテラン・ダービー2勝ジョッキーと、凡馬の烙印を押されたサラブレットは、このとき歩みを共にすることになったのでした。

 橋口師はこう振り返ります。

「大崎さんは意外性のあるジョッキーと言うか、勝負強い人でしょう。これまでダービーをはじめとしてGTレースをたくさん獲っているけれど、人気馬に乗って、というのはあまりないんじゃないですか。

 レッツゴーターキンという馬も意外性のある馬だと思っていましたから、相性がいいんじゃないかなあ、と思ったんです。大崎さんはレッツゴーターキンの能力を完全に掌握していたし、レース展開や流れに応じて上手く乗ってくれたと思います。」

 谷川岳S後、人気になった新潟大賞典で

「ゲートで馬が何かに怯えて硬直してしまった」(昭ちゃん)

ため13着に惨敗するものの、レッツゴーターキンと昭ちゃんはこの後後方一気の追い込みで安定した成績をあげるようになります。

 北九州記念ではヌエボトウショウにクビ差惜敗。 小倉記念では58.5Kgを背負ってイクノディクタスにハナ差負け。しかし福島の民放杯で3馬身差をつけ強い勝ち方を見せると、昭ちゃんは“泣きの昭ちゃん”の異名に反してこう橋口師に言います。

 「天皇賞に行こう!」

 この年の天皇賞ではイクノディクタスが人気になっていたほどですから、その比較からすればそう差はないはず。内容を考えれば天皇賞でもかなりいい競馬ができる、そう昭ちゃんは踏んだのでしょう。そして何より、嫌われ者の自分に乗る馬を与えてくれる橋口師に、少しでも恩返しをしたい、という気持ちが強かったと思います。橋口師は、昭ちゃんと同じ九州の出身でした。橋口師は最後まで天皇賞に出走させることは半信半疑だったといいます。

「福島民放では強い勝ち方をしたんで、これなら天皇賞に出しても笑われることはないだろうと思って出しました。レッツゴーターキンはクラブの馬でしたから、会員さんの希望も強くて。使う前は勝ち負けなんて毛頭考えていませんでした。 色気なんてものは本当に、100%持っていませんでした。」


******  信じること  ******

 第106回天皇賞(秋)が行われた東京競馬場は、天皇賞(春)で5着に敗れた後、骨折による長期休養を余儀なくされたあの2冠馬・トウカイテイオーの半年ぶりの復帰戦とあって、18万ものファンによって埋め尽くされていました。もちろん、私も18万分の1。

馬場コンディションはパンパンの良。ターフの帝王の帰還に舞台は整っていました。

 当然のことながら1番人気はトウカイテイオー単勝2.4倍。以下ナイスネイチャ、ダイタクヘリオス、イクノディクタス、ムービースターと好調馬が続き、レッツゴーターキンは18頭立ての11番人気。まあ、そんなものか。

 レースは予想された通りメジロパーマーの先行で始まり、これに毎日王冠をレコードで逃げ切ったダイタクヘリオスが絡む。それはもう、緩みのない、すさまじい流れとなりました。

 トウカイテイオー、先行馬を射程に入れる3番手。これをマークする各馬もつられるように前々を進みペースが上がる。メジロパーマーの1000m通過は57秒5という超ハイラップ。このハイペースに、ひそかにほくそ笑んでいたのが、レッツゴーターキンの昭ちゃんでした。もともとスタートのいい馬ではないレッツゴーターキンを無理せずにスタートさせ、速い流れになると確信して後方待機に徹します。

「橋口先生からも道中は我慢して直線勝負と言われてました。好位につけるレースも考えたんですけれど、この馬の末脚を信じることにしました。」

 スタートしてレッツゴーターキンと昭ちゃんはピタリ折り合い、最初のコーナーをスムーズに廻ると案の定の速い流れ。これを3コーナー過ぎから徐々に仕掛け、追ってみるとグッとくる手応え!

「いけるかもしれない、と思いました。このペースでは前を行く馬は4コーナー手前で脚が鈍くなるだろう。レッツゴーターキンは左回りだと内にもたれる癖があるので左に鞭を入れたのを覚えています。勝利を確信したのは坂を上りきったあたりでしたね。もう後は横なんか見ないで真っ直ぐ追っただけです。」

 “馬の能力を信じて、逆らわずにその馬に合った乗り方をする”

というのは、ほとんどの騎手が使う常套句です。ですがもちろん、これは言うは易し行うは難しのことで、レースの明暗を分けるのは、どこまで馬の能力を信じきれるかにあるといえるでしょう。騎手がその馬の能力を把握しきる、これは並大抵のことではありません。レースの流れの中で仕掛けどころをどう見極めるか、その
一瞬の決断は馬への信頼度によって微妙に変化するものです。

 とくにレッツゴーターキンのような追い込み馬の場合、馬への信頼が結果に直結することは明白。過信と不信の狭間で、騎手は決断を迫られます。そして昭ちゃん渾身のステッキに抜群の手応えを示したレッツゴーターキンは、総崩れとなった先行馬群をすさまじい勢いで捉え、同じ社台ファーム生産の僚馬・ムービースターを引き連れるようにして盾の栄冠に飛び込みました。

http://www.geocities.jp/anato_senka2/meiba/letsgot.html

16 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:37:03 ID:YkscA8IVO

昭ちゃんといえばテンノリのグリーングラス・・・
泣けました。


31 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:44:40 ID:VIopCf840
>>16
あれは滅茶苦茶上手かった。
あとカツトップエースのダービーも上手すぎ。

40 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:49:47 ID:/eCvUGks0

大崎は本当に仕事人だったよな
オグリローマンの勝った桜花賞でも最内をついてツィンクルブライドで
あっといわせたのが記憶に鮮明にのこってる


43 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:54:26 ID:VIopCf840
>>40
懐かしいなあ。
最内を縫って抜け出して来てやったと思ったら外にオグリローマンが・・・
あれも人気薄だったし。

111 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 19:51:46 ID:xd/Et79QO

カツトップエースみたいなどん臭い馬に二冠を取らせた大崎の技術は本当に凄かった
ただ映像見る限り太がモタモタモタモタしなければサンエイソロンがダービー快勝してたが


_____________


1967年 有馬記念 カブトシロー
http://www.youtube.com/watch?v=WeUzRErZpAo

1979年 有馬記念 グリーングラス
http://www.youtube.com/watch?v=svXfIu-RnLU

1981年 カツトップエース 皐月賞
http://www.youtube.com/watch?v=68ma3xgt83E

1994年 桜花賞 ツィンクルブライド
http://www.youtube.com/watch?v=URbkJmCDU0k

_______________
_______________

213 :名無しさん@恐縮です:2011/02/01(火) 18:26:54 ID:LIgtNnGZ0

この頃の競馬が一番面白かった。

223 :デブネコ ◆DEBU/4SWxE :2011/02/01(火) 20:51:30 ID:6rLh15el0

昔の馬って一頭一頭に個性があったし差別化があった。
今は似たような馬と血統ばかりでつまらないレースばかり。
最近の若い女と同じでみんな同じ顔に見える。


233 :名無しさん@恐縮です:2011/02/01(火) 22:41:40 ID:vB5tBG450

サンデーサイレンスが出てから急に競馬が面白くなくなったんだよ。
勝つのは社台の父サンデー馬だけだもの。


29 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:43:13 ID:n9R5dLVtO

競馬には展開があると痛感したレース、そして年末の有馬記念の伏線となった隠れた名レースだと思う。


122 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 20:15:02 ID:eVuW/PLm0

あの天皇賞は前年が伏線なんだよな。

マックイーンの降着事件で府中2000のコース不備が議論されるようになり
控えると不利を受けやすいという論が広まった。
そして92年。ムービースターの武も「後ろじゃ不利だからなるべく前に押してでも行く」と吹きまくる。

で、ゲートが開くとガッチリ控え。前々を意識しすぎた有力馬は全部討ち死に。

209 :名無しさん@恐縮です:2011/02/01(火) 17:31:15 ID:FKcqh8q60

パーマーとダイタクが暴走して1番人気のテイオーが付いて行ったもんだから、他の馬も付いていくしかなかったんだよね。

案の定、直線で先行馬は逆噴射していった。
このレースで4着に残ったテイオーを評価できた人間が次のJCで美味しい汁を吸うことになる。

パーマーもダイタクもG1馬だから簡単には逃がせられないよね。

250 :名無しさん@恐縮です:2011/02/02(水) 12:52:40 ID:I4YZYdfY0

この翌年あたりから東京競馬場は極度のスローペース症候群になり、
直線ヨーイドン、ひどい時には残り400m-200mの坂だけ全力疾走するレースばっかりになってしまいましたとさ


18 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:37:50 ID:ST4oQwHZP

今の時代じゃG1ホースでさえ乗馬→肉の運命もおかしくないのにターキンは勝ち組の馬生を送れたな。 実績的にはフロックの秋天ホースだったけど この馬の名前だけは何かずっと覚えてたよ

35 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:47:24 ID:iurpDP5iO
>>18
この馬もオサイチジョージ同様にその手順を踏んでいたが それをたまたま聞きつけた牛の農家に拾われた

昔の別冊宝島の競馬読本とかに書いてあった結構有名な話


200 :名無しさん@恐縮です:2011/02/01(火) 08:18:53 ID:9FUZVn130

一時期消息不明だったのになw
見つかったときは牛の牧場で片隅で草を食ってるような環境って出てたな


25 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:41:00 ID:ST4oQwHZP

丁度その年はミホノブルボンとライスシャワーのクラシック年でもあったな


30 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:43:43 ID:lVxTtS7F0

ライアン、マックイーン、ホワイトストーンの世代か
おつかれさん


28 :名無しさん@恐縮です:2011/01/31(月) 17:42:05 ID:d40X8vAS0

この翌年トウカイテーオーが復活するんだよね。このころの競馬って、すっげーおもしろかったよ

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1296462251/


A. メジロパーマー


1992年 新潟大賞典 メジロパーマー
http://www.youtube.com/watch?v=LtiIolm05-I

1992年 宝塚記念 メジロパーマー
http://www.youtube.com/watch?v=XOemekB7rSU

1992年 有馬記念 - メジロパーマー
http://www.youtube.com/watch?v=YJnw9zJ_tf4

1993年 阪神大賞典 メジロパーマー
http://www.youtube.com/watch?v=L9t9GvV2vF0&playnext=1&list=PL2ABC1EE7AA6BFCE2

20世紀の名馬 メジロパーマー
http://www.youtube.com/watch?v=IdSqcUIEkME
http://www.youtube.com/watch?v=b6CmcqHreMc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=AT39ALRwuRA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=4ZR0PZEOLwA&feature=related

B. ダイタクヘリオス

1991年 高松宮杯(GU)
http://www.youtube.com/watch?v=hx0ULyetKUE

1991年 マイルCS ダイタクヘリオス
http://www.youtube.com/watch?v=rzYzKmBKJow

1992年 読売マイラーズカップ ダイタクヘリオス
http://www.youtube.com/watch?v=pK57QxK3rpM

1992年 毎日王冠 ダイタクヘリオス
http://www.youtube.com/watch?v=IoC7lPDPNbs

1992年 マイルCS ダイタクヘリオス
http://www.youtube.com/watch?v=KTpGEY0pm5w

栄光の名馬たち ダイタクヘリオス
http://www.youtube.com/watch?v=87UKoHheKBw
http://www.youtube.com/watch?v=QnQZG_niPjk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=5-0Vzhlz04k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hX3knTqTs5E&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=SwgClhbPKyE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=IY0hDAkNqEI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=CjziPTtv948&feature=related

C.トウカイテイオー


1991年皐月賞 - トウカイテイオー
http://www.youtube.com/watch?v=zkKmmxiTNJg

1991年 日本ダービー
http://www.youtube.com/watch?v=0EVnCFFkmSM&feature=related

1992年 トウカイテイオー  産経大阪杯
http://www.youtube.com/watch?v=0G-mWLPkoak

1992年 天皇賞(春) メジロマックイーン
http://www.youtube.com/watch?v=WahaBVZO93E&feature=related

1992年ジャパンカップ トウカイテイオー 
http://www.youtube.com/watch?v=nY0LpQej_Sw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=8ct0zx9dQTs&feature=related

1993年 有馬記念 トウカイテイオー
http://www.youtube.com/watch?v=FRPSVXkvT2c&feature=related

淀がゆれた日トウカイテイオーvsメジロマックイーン
http://www.youtube.com/watch?v=14D5y43RZi4&playnext=1&list=PL450AC3D9D5F63345
http://www.youtube.com/watch?v=1zIZcyFJ6sA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=V5hLzlwNQRY&feature=related

20世紀の名馬トウカイテイオー
http://www.youtube.com/watch?v=ypZ0aWdPOwg
http://www.youtube.com/watch?v=PQLSFRQjwf0&feature=related
 

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