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日本の朝鮮統治は摂取と収奪の地獄だったとは歴史の捏造、朝鮮は一番、得をした。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/414.html
投稿者 Ama 日時 2010 年 9 月 29 日 08:04:14: 5QqkiER9MH.ic
 

目から鱗とはこのことか、最近、若狭和朋著の”日本人が知ってはならない歴史”を読んだ。それによれば 韓国は韓国人だけの努力ではどうしようもない状態に陥っていた。 帝国主義の時代において政治、経済、社会、文化、教育、衛生。。。全ての面で国家再建の見込みは立たない状態に李氏朝鮮は陥り、日本との合併を決意したのだ。 日帝36年、韓国の人口は940万から2500万になり、日本は小学校を多く建て、ハングル文字を普及、身分制度を廃止。病院、郵便、司法、警察、消防、水道の制度を作った。

氏によれば日本が朝鮮を植民地にしたのではなかった。 それは併合、合併したのだが、その合併が対等併合ではなかったというのが、正しい認識であると言う。
そして、その併合の時、人口の10%の100万人の朝鮮人が日本に移住してきた。  それは何故か。 日本には職があり、悲惨な朝鮮より比較にならなかったのだ。 彼らは朝鮮の姓を名乗らず、日本名を名乗り、今日に至るとの事。

興味のある方は一読をお勧めします。

知るべきは事実で、両国のおかれた歴史をもう一度、正しく知り、相合理解に辿り着くことは可能なのでしょうか。  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2010年9月29日 19:34:16: MiKEdq2F3Q

日本政府が朝鮮人の土地を奪って食ってけない様にしたから日本に来たのだけさ。

02. 2010年10月01日 00:10:24: qiTjLoZ4fs
日本も一回くらい占領・搾取されてみたら朝鮮や中国の言い分もわかるだろうに。
今だって実質アメリカに占領されてるのに、日本を独立国だと思ってるようなおめでたい人には無理かも知れないけどな。
すぐ敵味方に分けたがるのは人格障害って言う病気なんだよ。朝鮮の言い分を認めたからって、すぐに反日だとは限らないのだぜ。

03. 2010年10月05日 23:17:59: CmREBQLvrL
>日本政府が朝鮮人の土地を奪って食ってけない様にしたから日本に来たのだけさ。

で、日本の統治期間に朝鮮での朝鮮人の人口が、ほぼ倍になるのか?
不思議な話だな。
ちなみに本当に収奪された土地の現地人の人口は、減少こそすれ増えることは
ほとんどなかったから。中国侵略の後のチベットやらウイグルを見ればすぐわかるだろ。


04. 中川隆 2010年10月06日 09:21:16: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q
03さんの指摘は悪質な嘘ですね。


>で、日本の統治期間に朝鮮での朝鮮人の人口が、ほぼ倍になるのか?

そんなのは政治とは関係ない事ですね。

スターリン支配でも当時のソ連は人口が2倍以上になりました。


1.こっちが悪質な嘘:


ここ数日の討論で、朝鮮併合時における朝鮮半島の人口の急激な増加が取りざたされた。

今回、その人口増加現象を主テーマに朝鮮併合において、韓国側の捏造する「日帝の暴虐と搾取の歴史」を告発したい。

先頃の討論の中で、

朝鮮半島の人口について1852年度680万人、1909年度1200万人

であり、その後のいわゆる人口増加現象はこの増加ベースで考えれば、決して不自然なものではないと言うことであった。(注:これが正論)


この事実を検証するべく、様々な情報を検索した結果、もう少し詳細なデータを見つけることが出来たのでご覧頂きたい。

(注:人口統計の取り方が大昔と近代以降で違うのを隠している)


朝鮮半島人口の推移

1753年: 730万人
1850年: 750万人
1906年: 980万人(第二次日韓条約により、1905年より朝鮮は日本の保護国へ)
1910年:1312万人(日韓併合条約により、1910年より朝鮮は日本の一部となる)
1920年:1691万人
1930年:1968万人
1940年:2295万人
1944年:2512万人(1945年、日本の敗戦により総督府の統治権は米軍へ移譲)


討論の中で1852年と1909年ののデータを持ち出してきたのは、数字のマジックによって我々の目を錯覚させるものである。

ここで注目しなければならないのが、1905年より朝鮮は日本の保護国となり実質の朝鮮の施政は日本側が執り行っていたことである。

であるなら、朝鮮の人口増加ベースが自然であるとするなら李朝時代の朝鮮の人口を比べるべき(つまり、1905年以前までの朝鮮の人口)であり、その上で日本の保護国には行ってから以降の人口増加ベースを比べて、それが自然であるかどうかを判断するべきである。

では、李朝時代の人口増加ベースと、日本が朝鮮を保護国としてよりの人口増加ベースを比べてみよう。

実際、日本が直接的に朝鮮を収める1905年までの朝鮮の人口増加ベースは、上記からも分かるとおり1850年の李朝末期を基準にとると1906年の日本の保護国なった翌年までの56年間に30%程度の増加ベースでしかない事が分かる。
そして1906年より日本の敗戦の前年1944年までの38年間の人口増加ベースは、156%という驚異的な増加ベースを辿っている。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/414.html

2.これが真実


悲惨な朝鮮農民の生活 投稿者:まっぺん 投稿日:2010年 7月29日(木)10時53分19秒  

あ呆は「人口増加」を朝鮮人の米消費減少の「原因」とする。
では実際に統計数字を比べてみよう。

以下は朝鮮総督府の調査結果を基にした資料だが、次のようになっている。


年次 日本に輸出 朝鮮人一人当た   日本人一人当た
    (1000石) りの米消費量(石) りの米消費量(石)

1912 │ 2,910 │ 0.7724 1.068
1917 │ 1,296 │ 0.7200 1.126
1920 │ 1,750 │ 0.6301 1.118
1922 │ 3,316 │ 0.6340 1.100
1924 │ 4,722 │ 0.6032 1.122
1926 │ 5,429 │ 0.5325 1.131
1928 | 7,405 | 0.5402 1.129

'31-34 8,456 0.4059 不明 (年平均)*

資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし
  *印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版

次に当時の朝鮮人の人口増加についての調査資料だ。

1717年 1500万人(朝鮮政府統計683万口からの推計)
1753年 1600万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)730万人からの推計)
1777年 1804万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1850年 1650万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)750万人からの推計)
1877年 1689万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1906年  980万人(警察調査まま)
1910年 1631万人(警察調査1313万人からの推計)
1915年 1703万人(警察調査1596万人からの推計)
1920年 1763万人(警察調査1692万人からの推計)
1925年 1902万人(警察調査1854万人からの推計)
1930年 2044万人(警察調査1969万人からの推計)
1935年 2221万人(警察調査2125万人からの推計)

1877年までの調査はすでに説明したように人口戸主の数であり女・子どもの数は含まれていないので、そこから推計している。

その中で明らかに1906年のデータはおかしい。これは当時、朝鮮全土で義兵がおこり、抵抗闘争の中での調査であったため、まともな調査ができなかったと考えるのが妥当だ。

なお、「1石」とはひとりの人間が1年間に食べる米の量とされているから、
日本へ輸出した米の量を「人間の数」に置き換えることができる。
人口増加率と比較すると次のとおりになる。


年次 日本に輸出した米の量  前回と比較した増加量      人口の増加

1912 │ 291万人分
1915 │                           5年で 72万人
1917 │ 129万6千人分  5年で-161万4千人分
1920 │ 175万人分    3年で+ 45万4千人分    5年で 60万人
1922 │ 331万6千人分  2年で+156万6千人分
1924 │ 472万2千人分  2年で+140万6千人分
1925 │                           5年で139万人
1926 │ 542万9千人分  2年で+ 70万7千人分
1928 | 740万5千人分  2年で+197万6千人分
1930 │                           5年で142万人
'31-34 │ 845万6千人分  1〜4年で+105万1千人分


以上は「米の増加量と人口の増加量を比較したものだ。

ふたつの資料の統計年がちがうので完全に同じ比較はできない。

また1912年には大量に輸出しているので5年後の輸出量は減少となっていることは考慮しなければならない。

緊急対策として大量に送ったのだろう。

また、この米輸出の統計資料が、毎年輸出されている中から一部を抽出した数字なのか、それとも2〜3年毎にしか輸出されなかったのか不明だが、もし2〜3年毎なら1912年から34年まで(31年から34年は毎年輸出され、その平均値)を合計すると6065万2千人分の米が日本に輸出された事になる。

これは25年間で約500万人増えた人口と比較すれば、ほぼ同等の数字となる。

またその間に増産運動が行われ収穫量が約2倍となったと記録されていることからも相当の増産となったことが窺われる。

しかしそれでは朝鮮人の米の摂取量の減少を説明できない。

したがってこの数字は毎年の輸出の中からの抽出と考えるのが妥当。

そこで輸出量の伸びを見れば、人口の伸びは5年ごとに60万〜142万人であるのに対して米の輸出量の伸びは2年〜3年毎に45万〜197万人分。5年毎で比較するなら200万〜300万人分も輸出量が増え続けている。

もしも米の増産がそれを上回っているのなら、朝鮮人の米消費量が減少するのはつじつまが合わない。

したがって、朝鮮人の米の消費が減ったのは「人口増加が原因」とする「あ呆説」はデマ。

飢餓輸出が原因という事になる。

なお、朝鮮農民の当時の生活についてNHKの番組を見た半月城さんが以下のように解説している。

これをみても、「農民が自主的に換金用に食べる分以上の米を売った」などというあ呆の妄想には根拠がなく、むしろむしり取られていった朝鮮農民の姿が浮かび上がる。


   そうした歴史を、数年前の米騒動の時、NHKがTV番組「米に揺れた
日韓近代史」と題して放映していました。

番組では産米増殖計画の歴史的背景
や実施状況などをつぶさに検討し、あわせてこの政策を直接体験した農家の窮
状を具体的に紹介していました。

  それによると、農民が秋に米を70俵収穫しても、水利税や肥料代なども
ろもろ差し引かれ手元には2割の15俵くらいしか残らないそうでした。

   しかも、これはかなりましな方で日本人の金融組合などに借金のある人
は高利のかたにお米をとられ、手元にはせいぜい2、3俵しか残らないそうで
した

   これではとうてい食べていかれないので、農民は知恵を絞って米を土の
中に埋めたり隠したりするのですが、冷酷な借金取りもさるもの、鉄棒で地面
をつついてまでそれを見つけだし有無を言わせず持ち去ったとのことでした。

   このように、朝鮮の農民を苦しめた「産米増殖計画」は勢い余って日本
の農家をも苦しめました。

安くてしかも品質の向上した朝鮮米の大量導入は内地米の暴落を引き起こし、これに世界的な恐慌が重なり農村では深刻な「娘の身売り」や、はては新たな植民政策「満蒙開拓団」を生み出しました。
http://8816.teacup.com/mappen/bbs/20127


05. 2010年10月07日 03:27:08: EuxaAd0Fno
朝鮮人のひとは税金を負担されましたか。
日本政府が日本人の税金で内地より良いインフラを作った理由は日本政府首脳の出自が関係してくるのでしょうか。

06. 中川隆 2010年10月07日 08:58:48: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

当時も日本の政治家はアメリカの手先でしたから、問題は単純じゃないんですよね。

日本の朝鮮統治政策を指示したのは英米ですから:


“朝鮮統治”という1つのビジネス・モデルこの問題は余りにも複雑であり、単純化して述べてしまってはその本質を見誤る危険性がある。

しかし同時に、あくまでも冷静に、普通の目線で当時の朝鮮における“日常”を見つめることで、新たな発見をすることが必要でもあるのだ。


たとえば、過去における朝鮮統治の問題を考える時、次のような質問をされたならば、読者の皆さんはどのように答えるだろうか。


「日本による植民地統治下にあった朝鮮半島で、石油を売っていたのは誰なのか。

そこにも日本人による現地住民に対する“搾取”という絵柄が見て取れるのか」。


恐らく答えに窮する読者が多いに違いない。

「第2次世界大戦へと突入する直前まで、朝鮮半島で石油を独占的に販売していたのは、日本勢ではなく、英米勢だった」

というのが、この問いに対する正解なのである。

朝鮮統治が行われた1910年以降の大部分の時期において、現地での石油販売を独占していたのは米系のスタンダード社、そして英系のライジングサン社(後のシェル)なのであった。

なぜこれら2社が朝鮮マーケットを独占できたのかといえば、これらいわゆる「外油」に対しては、輸入に際して特例関税が課されていたからである。

具体的には、当時、日本のいわゆる「内地」に石油を輸入するにあたっては高額の輸入税が課せられていたのに対し、朝鮮という「外地」については消費者に安い石油を使わせるべしという理由で、無税に近い税率が設定されていたからである。

そのため、外国から輸入した石油を朝鮮へと転売する日本の石油企業は著しく不利な立場に置かれていたわけなのだ。

満州(現在の中国東北部)における鉄道などについてもいえるのだが、日本の大陸進出を巡るビジネス・モデルには、常にこれと全く同じ1つのパターンが見え隠れする。

すなわち、表向き「進出」していくのは紛れもなく日本である。

だが、その一方で目立たないが重大なセクター(インフラストラクチャー)で広く、着実に収益を上げていたのは米国勢、そして英国勢なのであった。


もちろん、第2次世界大戦の足音が響き始めると同時に、これら英米勢は駆逐され、日本勢が代わりに入っていくことにはなる。

しかし、だからといって「朝鮮統治」というビジネス・モデルは日本が単独で担ったものではなく、むしろステルス(透明)で、より狡猾な形でそれによって莫大な利益をあげていたのは他ならぬ英米勢だったのである。

そして問題なのは、こうした単純な「史実」であっても、私たち=日本人が学校で学ぶ機会はほぼ100パーセント無いという現実なのである。


確かに、過去の一時期において「不幸な出来事」が日朝間で生じたことは否定できない。

しかし、だからといって朝鮮統治というビジネス・モデルの展開によって現地が被った全ての償いを日本に対して求める一方、いわば“本当の黒幕”だった英米に対しては何も問わないという主張は、全く肯んずることはできないのである。

そして、こうしたダブルスタンダード(二重の基準)自身に見え隠れする虚構こそ、今の日本、そして東アジア・マーケットを見る私たち=日本の個人投資家の眼を曇らせる最大の要因でもあるのだ。
http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/03/post_105.html


07. 2010年10月07日 20:19:30: jHdHQjU1Oc
(注:人口統計の取り方が大昔と近代以降で違うのを隠している)
朝鮮じゃ250年前を大昔というのかも知れんけど、日本では大昔とは言わないな。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-h/html/g1110030.html

>1877年までの調査はすでに説明したように人口戸主の数であり
>女・子どもの数は含まれていないので、そこから推計している。
つまり、朝鮮では女・子供は人扱いされていなかった。ということだが、
それにしても戸主683万に対して推計人口が1500万人というのは少なすぎると思わないのだろうか?
一世帯平均2.2人である。
核家族化及び1人世帯化が進んでいる現代の日本ですら
一世帯当りの平均人員は、2005年時点で2.5人を超えている。
いかに、1717年〜1877年までの推計人口が適当というより稚拙極まりない推計であるかがわかるだろう。

>その中で明らかに1906年のデータはおかしい。これは当時、朝鮮全土で義兵がおこり、
>抵抗闘争の中での調査であったため、まともな調査ができなかったと考えるのが妥当だ。
というより、並びたてられた1717年〜1877年までの推計人口がおかしすぎる、と考えるのが普通である。
さすが、半万年の歴史とか紀元前2333年に国が成立とか真面目な顔して21世紀に言うだけのことはある。

ちなみに、朝鮮政府統計683万口の口は戸じゃないことに注意。
とりあえず、この推計人口が出鱈目であることだけは簡単に理解できる。


08. 2010年10月07日 21:30:30: dmp0kH6acQ
1777年 1804万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1877年 1689万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)

100年かけて人口7%減ってるじゃねーの?
マジでテキトーだなw


09. 中川隆 2010年10月07日 23:04:43: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

李氏朝鮮はそんなにひどい国家だったのか?


嫌韓バカや歴史捏造ウヨクが、よく使うロジックとして「李氏朝鮮の暴虐と悪政」というのがあります。

この「李氏朝鮮の暴虐と悪政」というマジックワードは、様々な自慰史観を正当化するのに利用されてます。

例1)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「韓国併合した日本は朝鮮人を助けてやったのだ!」

例2)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「朝鮮人が駄目な証拠、差別されて当たり前!」

例3)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「朝鮮人が残虐な証拠、南京虐殺も朝鮮人がやった!」*1

こんな感じです。


実際には、江戸時代日本と大差ないんですけどね。

嫌韓バカが強調する李氏朝鮮の暴虐の事例など、ほとんどは江戸時代日本で同様の事例を見出すことが出来ますし。


では、その事例を見て行きましょう。


人口問題

韓国の歴史歪曲検証:人口増加ベースに見る日帝の暴虐と搾取の虚構性

(間違った論証の例)


日本が直接的に朝鮮を収める1905年までの朝鮮の人口増加ベースは、上記からも分かるとおり1850年の李朝末期を基準にとると1906年の日本の保護国なった翌年までの56年間に30%程度の増加ベースでしかない事が分かる。

そして1906年より日本の敗戦の前年1944年までの38年間の人口増加ベースは、156%という驚異的な増加ベースを辿っている。

さらに上記で注目されるべきは、1753年の朝鮮半島内の人口730万人が約100年後の1850年の時点でも750万人にしか増えていない点である。

これは李朝時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを李朝政府が行ってこなかったことの動かぬ証拠である。

データを見るにおいて、日本が朝鮮半島に直接関与し始めた1905年以降とそれ以前の人口増加ベースを比べれば、朝鮮で日本が「史上最悪の暴虐と搾取」を行っていないことが確信できるのではないだろうか?
http://konrot.at.infoseek.co.jp/rekisi02.htm

こちらは人口の推移をもって、李氏朝鮮の悪政を糾弾しているわけですが・・・

ここで挙げている1753年から1850年の人口推移を日朝で比較してみると・・・


時期 年 日本の人口*2 増加率 朝鮮の人口(推計) 増加率 朝鮮の人口(嫌韓提示ママ) 増加率
I 1600年(日本)・1592年(朝鮮) 1227万人 39.2% 1192万人*3 74.5% - -
II 1756年(日本)・1753年(朝鮮) 3128万人 - 1600万人 - 730万人 -
III 1841年(日本)・1850年(朝鮮) 3230万人 103.3% 1650万人 103.1% 750万人 102.7%

なお、増加率は「1756年(日本)・1753年(朝鮮)」を基準として計算した。

参考として1600年頃の人口も付加しましたが、これについては後で考察。

さて、1750年頃から1850年頃までの100年間の人口推移を日本と朝鮮で比べてみると、ほとんど変わりないことがわかりますね。

何の事はない。この時期はこういう時代だった、というのが適切な評価でしょう。

まさか100年間でわずか0.2%に過ぎない差を誇ったりするほど厚顔無恥な人はいないと思いますが。


で、

李朝時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを李朝政府が行ってこなかったことの動かぬ証拠

とか言うのなら、

「江戸時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを江戸幕府が行ってこなかったことの動かぬ証拠」

ということになりますね。嫌韓バカはこれに同意せざるを得ないわけですが・・・

ま、とにかく、人口が大して増加しなかったからといって、取り立てて酷い政治が行われていたとは言えないというのは確かでしょう。


ちなみに日本でこの時期、人口が停滞した直接的な理由として、少子化・晩婚化の傾向があったことが知られています*4。

若者の都市への出稼ぎが晩婚化をもたらした他、意図的な人口抑制として、陰惨な方法としては間引や堕胎、それ以外に禁欲や授乳期間を長く取ることによる次の子の妊娠を遅らせるなどの方法がとられていたそうです。


また、そもそも14世紀末から19世紀半ばまでは「小氷期」という地球規模で冷え込んだ時期なのは良く知られています。

このため、日本でも度々飢饉がおきているわけです。

日本よりも高緯度にある朝鮮も当然その影響を受け飢饉が頻発しています。

1850年ごろまで人口が停滞したのが、別に政治のせいとばかりは言えないわけです*5。


1600年の人口も含めた仮説


では、1600年頃の人口を含めた考察をしてみましょう。

1600年頃の人口は、日本も朝鮮もほぼ同じくらいでした*6。

これが150年後には大きく差が開きます。

人口が急激に増加する要因としては、それまで戦乱が続いたことによる人口抑制と、戦乱期に蓄積された人口増加の潜在力が、戦乱の終結に伴い枷が外され、人口爆発になるというモデルが考えられます。

現在の人口を見ても、もともと日本の国土が養える人口は、朝鮮の国土が養える人口より多いのではないかと思いますが、1600年時点で日本と朝鮮の人口がほぼ拮抗していたのは、日本が1467年*7以降ほぼ150年にわたった戦国時代を経験していたのに対し、朝鮮は1392年の李朝建国以降おおむね平和が続いた点にあるといえるでしょう。

朝鮮は、15世紀前半の世宗の時代に国力が最も充実し、同時期に戦国時代に突入した日本と違い、人口を抑制させるような社会要因は少なかったと言えます。

このため、朝鮮の人口は15世紀前半から16世紀後半まで安定的に増加したと考えられます。


実際、15世紀前半については、耕地面積や戸数が増加したといいます*8。

もちろん、権力闘争はありましたし、倭寇の襲来や倭寇討伐、対馬侵攻などもありましたけど、日本の戦国時代や後の秀吉の朝鮮出兵や清の朝鮮侵攻に比べるべくもありません。


したがって、15世紀から18世紀にかけて朝鮮の人口が抑制させられる要因となったのは、秀吉の朝鮮出兵と清の朝鮮侵攻であってこの影響を受けていた時期の人口が約1000万人であったということになります。

朝鮮の戦乱がひと段落した17世紀後半から人口が再度増加を始め、18世紀半ばには1600万人にまでなったというところでしょうか。

しかし、朝鮮の戦乱より遥かに長い期間、人口抑制の要因となる戦乱が続いていた日本の場合は、戦乱終結後の人口爆発は朝鮮よりも激しく、16世紀末から17世紀半ばまでに人口は1200万人から3000万人にまで倍増したのでしょう*9。


___________


*1:南京虐殺も朝鮮人がやった!」*

ここまでの馬鹿はそうはいないと思うが、いることはいるんだよね。

ちなみに南京事件のあった当時、朝鮮人は徴兵もされてないし、志願兵も募集されていない。

旧大韓帝国軍からの継続として極一部の朝鮮人将校がいたに過ぎず、兵士としては日本人と結婚・養子縁組などして日本人戸籍に入った朝鮮系日本人がいたくらいだろう。

いずれにしても日本軍全体から見て例外的な事例に過ぎない。


_________

*2:「人口で見る日本史」より

*3:「朝鮮の役」参謀本部より、日本が予測した朝鮮の石高より推定

*4:「人口で見る日本史」P88-103

*5:むろん、飢饉対策などは政治の責任だが

*6:ただし、朝鮮人口は日本による朝鮮の予測石高に基いた推定。

予測精度の問題の他、石高計算は純粋な食糧生産以外も含む場合もあり、実際の人口はこれより少なかった可能性は高い。

丙子胡乱で虜囚となった朝鮮人60万人の苦難 | Chosun Online | 朝鮮日報によると、1630年ころの朝鮮の人口は1000万人程度という。

*7:応仁の乱の勃発年。ただし関東などではそれよりも早くから戦乱が勃発している。


*8:「朝鮮」金達寿、岩波新書、P83 や、「入門韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書」石渡延男監訳、三橋広夫共訳、明石書店P167


*9:ただし、1600年の日本の人口については、1500万人という説もある。また、この頃実施された検地による石高は1800万石で、これには畑や屋敷地などが含まれている

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20081102/1225647411


10. 2010年10月08日 00:06:36: dmp0kH6acQ
>何の事はない。この時期はこういう時代だった、というのが適切な評価でしょう。
日本という土地で古来よりの方法で自活できる人数は3,000万人程度が限界というのは、30年位前にはあった話ですよ。
江戸時代、限界以上には増やせなかった、それだけの話です。
どっちかというと、灌漑施設どころか水車すらロクに作れず国土面積も半分程度の朝鮮が、日本の人口の半分程度を養えていたとするほうが不思議ですね。

11. 2010年10月08日 21:29:37: EuxaAd0Fno
そういえば朝鮮紀行でさえも必死に書き換えしてたのには唖然としたものでしたが。

その朝鮮や在日の人たちがボロボロに成った朝鮮の歴史の真実と向き合うことが、自尊心が崩壊して人格が何所にあるのか解からなくなり、嘘と捏造のなかで生きていくというのも解かりますよ。可哀想だと思いますが。シナ帝国が側にあるというのが悲劇ではありますが。

ただ、それが、カルマが貯まり悪くすると朝鮮人は再びシナ人に戻る可能性もあるかもしれないのが心配です。シナの1000年奴隷に戻れば最悪だ。昔のように毎年北京に生娘を何千人も送らないといけなくなる。そうならない為に頑張っておられると思いますが。

そのためには嘘をやめられることと、日本人を愛する事だとおもいますが。でないと次はシナやロシアと日本人は朝鮮防衛の為には戦わないとおもうのですよ。あくまで個人的な気持ちではありますが日本と朝鮮が力を合わせてシナと戦わないと駄目だとおもうのです。


12. 2010年10月09日 11:05:38: gcdR5TxpVU
朝鮮半島のほうが日本より平地割合が低いらしい。
朝鮮半島では日帝支配以前の主食は米飯ではない。

さらに、1人当たりの米消費量は、おそらく単純に収穫量/人口を出したものなのでは?
これを、朝鮮人の口に入った米の量で考え直すと、こうなる。
年次|人口|朝鮮人一人当たり|朝鮮での
  |  |米消費量(仮)石|米消費量
1906| 980|        |
1910|1312|        |
1912|1318|0.7724     |1071.937
1917|1577|0.7200     |1135.656
1920|1691|0.6301     |1065.499
1922|1746|0.634      |1107.2148
1924|1802|0.6032     |1086.846
1926|1857|0.5325     | 988.959
1928|1913|0.5402     |1033.187
1930|1968|        |
04の数字だけで「飢餓輸出が原因という事になる。」というのは阿呆の戯言である。
そもそも、米消費量が少ないだけで飢餓輸出であるならば、
現代日本は米消費量0.4石で日帝時代の朝鮮より飢餓状態なんだが。
朝鮮には主食として高黍

換金作物として有利であるから、米が輸出されただけと考えるのが妥当であり
飢餓状態であったというのは悪質な嘘。

ちなみに、これを、1717年から出した表での推計人口(の平均増加)で考えると、
1912年の朝鮮での米消費量+日本への輸出高の合計石高は1571万石となり
1917年の合計石高より200万石以上多く
1920年の合計石高より280万石以上多く
1926年と比較しても1万石多いという不思議な現象も出てきたりする。
ちなみに、今出ている数字だけで1912年より多い推計は
1924年(30万石以上増)と1928年(240万石以上増)である。

簡単に言うと、数字のマジックをつかって「数字のマジック」を指摘してるのが
04だということ。


13. 2010年10月10日 21:32:02: ECvoBt9gtM
朝鮮や中国のインフラ、そして教育や司法など王政ではできなかったことをしたのは事実。しかし国内の炭鉱に拉致同然につれてきて重労働させろくに賃金も与えず使い殺し。教会に押し入り日本刀でなで斬りにすることもあったという。中国では牛や豚の餌である大豆の皮を主食として配給にし、とても食べられないとのいうのを日本の軍人はあざ笑ったそうだ。反抗心をなくすための麻薬の販売もすごかった。まあ日本の統治とはそういうものだった。最初はそこそこ現地の人にも喜ばれたが、後になるとゲリラ戦や連合国軍への裏切りに悩むことになったのは結局現地の人を家畜のように扱ったからである。日本軍の進出先はみな似たような経過をたどった。

14. 2010年10月10日 23:36:04: RCINI2WwFA
>中国では牛や豚の餌である大豆の皮を主食として配給にし、
>とても食べられないとのいうのを日本の軍人はあざ笑ったそうだ。
朝鮮人も芋のツルがどうのと言ってたが、
両方とも日本人も食ってるので、あざ笑うなんてことはない。

あざ笑うといえば、平成大合併の中で合併した町の商工会かなにかの
戦前の会誌(たしか昭和18年休刊)を見たのだが、その中に
昭和10年台から太平洋戦争前くらいの中国での、こういう話が載っていた。

「貧乏で医者にかかれない者を看るために○○氏(町出身の軍医)が
臨時的な無料診療所を開いたところ、大勢のものが、診療所を訪れた。
ところが、複数の患者から教えてもらったところによると
結構な割合で、そこそこ裕福な家庭の者がわざと汚れた格好をし貧乏人を
装って来ているとのこと。忙しかったこともあり事実を判別することは
一々せず、診療し薬を出したりもしたが、それが事実なら浅ましいことよ。」と

このように一部の中国人をあざ笑うようなことはしていたようだ。


15. 2010年10月11日 09:41:32: JZYIuodkgg
●日帝時代の凄まじい飢餓状況 
※人口百万人当たりなので20倍位にしないといけないことに注意

餓死者と強盗件数(人口百万人当たり)
=======餓死者数 強盗件数
1911〜15、 31、 172
1916〜20、 23、 101
1921〜25、 14、 131
1926〜30、 25、 90
1931〜35、 20、 51
1936〜40、 13、 26
1941〜42、  7、 15
植民地朝鮮の研究  杉本幹夫著 展転社 p76より
杉本氏は朝鮮総督府統計年報より作成
餓死者データー1911、1912、1923年欠

5年分なのか平均なのか不明だか、これは凄い人数だ。。
朝鮮総督府のデータはあてにならないかも知れないので
04がとった手法で日帝朝鮮時代を割り増ししてみよう。
1920年・・・・・422人
1925年・・・・・272人(但し1923年次データ抜け)
1930年・・・・・276人
1935年・・・・・160人

餓死者が少ない=飢餓状態ではないとは言えないが、少なくとも
ギリギリのラインを割ることは少なかったのではないかと推測される。
なお、スターリン支配時代に人口が2倍になったと記載しているようですが、
スターリン時代の餓死者数は1932年〜33年だけで500万人前後とも言われています。
朝鮮と比較するための人口割でも数十万人規模の餓死者です。
百万人単位で考えると25万人位でしょうか?

これが強盗件数の場合
日帝朝鮮1920年・・・・・1841件/百万人あたり100件
韓国  2008年・・・・・4796件/百万人あたり98件
日本  2008年・・・・・4278件/百万人あたり34件
となります。


日帝時代の凄まじい飢餓状況と圧政が見られる統計数字でした。


16. 2010年10月11日 09:43:36: JZYIuodkgg
×25万人位でしょうか?
○2万5千人位ですね。

17. 2011年5月08日 01:14:06: rOLdAxtTeo
朝鮮統治は、朝鮮に先祖の墓をもつ、皇族天皇家の、
朝鮮系を日本に呼ぶ為の陽動作戦かもしれませんね。

大和民族に社会主義革命を起こされてはたまらない。
特高使って、自由主義運動や自由民権運動を弾圧してはみたけれど、
大和民族の数が余りに多すぎた。
なので、戦争でごっそり棄民と処分をしたということでしょう。
時間が経ってみるとよく見えるようになるものですね。


18. 2011年6月04日 21:57:36: R2D26N7fDA
戦前は天皇陛下万歳といってゐたくせに日本が戦争に負けたら掌を返す。かういふ輩は日本にも韓国にも沢山ゐる。さういふ人達の言ふことを信じることは到底できない。

19. 2011年12月31日 20:17:42 : v6W3IvJBdd
>朝鮮や中国のインフラ、そして教育や司法など王政ではできなかったことをした>のは事実。しかし国内の炭鉱に拉致同然につれてきて重労働させろくに賃金も与>えず使い殺し。教会に押し入り日本刀でなで斬りにすることもあったという。中>国では牛や豚の餌である大豆の皮を主食として配給にし、とても食べられないと?のいうのを日本の軍人はあざ笑ったそうだ。反抗心をなくすための麻薬の販売もすごかった。まあ日本の統治とはそういうものだった。最初はそこそこ現地の人にも喜ばれたが、後になるとゲリラ戦や連合国軍への裏切りに悩むことになったの>は結局現地の人を家畜のように扱ったからである。日本軍の進出先はみな似たよ>うな経過をたどった

中々バカらしい事書くもんだ・多分在日だろけど
強制連行・・・・
終戦間じかに240人位日本本国に必要な人材を連れてきた。
終戦後ほぼ全員帰国。
併合しても最大で賃金が朝鮮の田舎とでは最大で約14倍賃金が違いほぼ皆さん密入国など自分の意思で来ている。
密入国だからまともな仕事に就けれるわけねえだろ・母方の田舎にも沢山朝鮮人が来ていたが・殆ど密入国だったぞ。炭鉱が合ったからそこで働いてたし
ある田舎に小学生の頃引っ越した時・昔朝鮮人が部落を作り・炭を作って売っていたそうな・まあ日本人に使われてたんだけど・ほぼ言われないやり方で日本に来たと当時お年寄りから聴いたけど密入国不法ね・でも仲良くやっていたそうだぞ。
親父は戦後まで10年朝鮮に居たけど・祖父は軍の関係で・小作人で・朝鮮人を使ってた・日本人に比べて朝鮮の地主は酷かったって祖父は言ってたぞ・
でも母も父も祖父も祖母も・朝鮮人はまあ汚かったそうだよ。

親父方の祖父が・朝鮮は風呂に入る文化が無く・余りに臭いし汚いから・残り湯に入れてやり身体を洗う事とか教えてやったら・気持ちが良いから・毎日入りに来たそうな。


そもそも朝鮮って米を喰う食文化で無く・コーリャンや麦雑穀食ってたんだろ
それを日本人が水田を作り朝鮮人に教えたの・山も禿山で・何しろ切るけど植林を知らないから・それも日本人がやったの・併合終わって日本人が居なくなったら
又もとに戻って挙句の果てに朝鮮戦争して壊して・何で賠償金払わなきゃならないんだ?もともと併合も李王朝が望んだ事で・日韓併合に反対な伊藤博文を暗殺したから併合になった・博文は軍人でなくしかも外国地で殺して・安重根は・あいつは英雄で無く世界から見てテロリスト。だから捕まえたロシアの警察官も日本に渡したんでしょ。


教会に押し入り撫で斬り?誰を?何処の教会?朝鮮ってキリストだったっけ?
日本刀って・連続で何人も切れないんだよ。

強制的に連れて来られたんなら何で・終戦後朝鮮に帰らずGHQも帰れって言ったのに・・・・それに韓国政府も在日を戻せって言わないの?

日本軍の進出で・戦後アホみたいに騒いでるのは・中国と韓国いい加減に捏造と歪曲は止めようよ。


20. 2012年9月04日 05:21:38 : IMICNErUTs
朝鮮人は調べる、整合し、事実を事実として認める事ができない。

だから何を丁寧に説明しても無駄です。
過去の中国でさえ属国ではなく奴隷としてあつかっていたのですから。
天皇陛下への謝罪要求も代々土下座国家の汚名を擦り付け、
中国からありがたく頂いた土下座碑の真似してみたかったのです。

都合の悪い事はすべて日帝が・・・
自分達の自尊心と歴史の無い民族なので奴隷から解放してもらったことすら忘れ、
日本人を見て日本に行きたくて渡航したこと、内戦から逃げてきたこと、島に隔離されていた犯罪者と精神異常者を送り込んだこと、徴兵が嫌でしがみついている者を差別し、祖国に帰れないようにしていることなど。

私は右翼でもネトウヨでもありません。
無知蒙昧で反日教育を受け、陰湿な言動がに堪らなく吐き気を覚えるごく普通の日本人です。


21. 2012年11月09日 23:54:05 : ytttIRkaeM
>>19 クリスチャンが多いのは確かだが・・

22. 2015年9月27日 12:23:03 : YcAWvLzsKw
匿名党ブログとてんこもり野郎ヲチスレ(アメブロ版)
http://ameblo.jp/tenkomoriwotisure/から一部紹介


韓服−Wikipedia


北方アジアの遊牧民が着ていた、胡服の流れを汲んでいると言われ、それに中国など外国の影響が加わって成立した衣服である。モンゴル帝国の支配下に入ると上流階級はモンゴル文化を受け容れ、韓服もその影響を受けた。パジやチョゴリの丈が変わったり小物が移入されるなど、その影響は無視できない。ちなみにモンゴルの服も北方騎馬民族の胡服の流れを汲んでいる。

モンゴルの影響でチョゴリが短くなり腰の帯が消えて、オッコルム(服の結び紐)ができた。特に李氏朝鮮時代には李氏が女性は胸を覆い隠してはならない。という禁令のためチョゴリの身丈は短く乳房を露出していつでも両班の求めに応じる生活していた。

チョゴリは胸が見えるほど短く、老人においては白の布で胸を隠すことが許された。 19世紀初頭、朝廷は女性が胸を覆う事を禁じた。李氏朝鮮による胸を覆い隠してはならないという禁令と男尊女卑思想の影響で両班の求めに応じて露出して応じなければ殺されたため胸が見えるほど短くなっている。また韓国人女性特有のキーセン文化伝統が何世紀も長く続いたため、自らも露命を繋ぐために両班を誘惑して妾になるか中国に献上されることを誇りとしてきたために自ら胸を露出して両班を誘惑して妾になった。最終的には日韓併合期に女性が乳房を露出する事を禁止されたためようやく韓国女性は胸を覆いかくすようになった。同時に日韓併合期には朝鮮半島で何世紀も続いた女・子どもの売買の伝統が禁じられた。さらに女・子どもに名前が付けられるようになった。1930年代頃からチョゴリの身丈は長くなり始めた。


オラ!!!!

日本に文明を与えてもらった

奇痴害バカチョン共!!!!

恥さらしな歴史を直視しやがれ

下等生物共が!!!!

恥に塗れた下等生物奇痴害バカチョンは

日帝残滓を排除して伝統を受け継ぐなら

チチモロ出しでうろちょろしとけ!!!!

( ゜∀゜)・∵ブハ八ノヽ/ \!!!!!!!!



[32削除理由]:削除人:アラシ

23. 2015年9月27日 12:29:38 : YcAWvLzsKw

>>15

あんた工作員?とんでもないことヌケヌケとよく言えたもんだ。

韓国の歴史教科書      2015年6月
−原因自分意識欠如、ウソ満載の日韓併合記述
http://www7b.biglobe.ne.jp/~eigonou/KoreanHistoryText.html


24. 2015年11月04日 14:24:55 : 1TyIeCqvTU
>>23

>>15は臀痛工作員かもよ。

だってココ消されてるぞ↓

韓国の歴史教科書      2015年6月
−原因自分意識欠如、ウソ満載の日韓併合記述
http://www7b.biglobe.ne.jp/~eigonou/KoreanHistoryText.html

________

キリスト教読み物

日韓併合時代の真実
かつて日本と朝鮮が手を取り合って、仲良く生きていた時代があった
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi02.htm <一部引用>

日韓併合(1910-1945年)前の朝鮮。飢えと貧困にあえぐ人々。
[1880年代のソウル南大門大通り(中心街)]
●日本はこの朝鮮を建て直した。

●親から聞かされた「日本人は親切だった」

● 日本には今日、悲しい風説が飛び交い、それによって多くの人々が惑わされています。たとえば、
 「日本はかつて朝鮮を侵略し、朝鮮の人たちを弾圧し、虐待し、搾取し、ひどいことをした」
 といった類の風説です。学校でも習ったでしょう。あたかも事実であるかのように。
 日本は悪者だ、と教え込まれてきたのです。

●しかし、こうした主張が本当なのか、それとも事実とは違うのか、私たちは、当時の実体験を持つ長老たちに聞かなければなりません。

● 韓国人の女性で、呉善花(お・そんふぁ)さんというかたがいます。日韓関係についてたくさんの本を書いているかたですが、彼女は小さい頃、親の世代から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされていました。

● ところが、学校に入学すると、先生から、「日本人は韓国人にひどいことをした」と教わって、すさまじいばかりの反日教育を受けたのです。それでいつしか、学校で教えられるままに、「日本人は韓国人にひどいことをした」という認識が、彼女の中で常識となっていました。

● 彼女はその後日本に渡って、日本で生活するようになりました。すると、かつて親から教えられた「日本人はとても親切な人たちだった」という言葉が、再びよみがえってきたのです。
(以下略)


25. 2016年5月24日 13:25:56 : EGlNWJu2WQ : MmbVz7FF3v4[1]
U-1速報

2016年05月24日11:30

『着物を褒める外国人』に韓国人専門が”突然、火病を発症して”爆発寸前に。着物より韓服のほうが美しいのに
http://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50480433.html

まともな韓国人が少なからずいるんだな。頑張れ。

 
  ↓

カイカイ反応通信

2013年03月04日13:05

韓国人「伝統韓服は捏造」
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/25199767.html


26. 2016年5月24日 13:37:30 : EGlNWJu2WQ : MmbVz7FF3v4[2]
>>25

U-1速報

2016年05月24日09:30


『不可能を可能にした日本の力が妬ましい』と韓国が”偉大な成果”に発狂。コイツら狂ってる!と日本側唖然
http://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50480431.html(抜粋)


52:(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/05/23(月) 11:17:20.27 ID:BQcEQ4ok.net

韓国って、日本に対しては勝つか負けるかの評価しかしない。



27. 中川隆[-13599] koaQ7Jey 2018年11月13日 13:18:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20635] 報告
「日韓併合」の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ 2013年10月28日
松本 徹三

ここ数週間はデジタル教科書問題を書いてきたが、その前の6週間は日韓問題ばかり書いた。その為に今でも私のTwitterではこの関係の議論が多い。

そこでの最も典型的な私への反論は、「日本による韓国の併合は正当なものであり、あの時代に韓国が自らの力で完全な独立を維持する事は元々不可能だったのだから、韓国にとってもむしろ一番良いシナリオだった。だから日本があれは悪い事だった等と認める必要はないし、謝罪等は論外」という趣旨のものだ。


しかし、日本人がこう言い募っている限りは、日韓のわだかまりは永久になくならないだろう。しかも、こういう人たちに限って、当時の韓国人の近代文明への理解の低さをあげつらって、無神経な論調に終始するのだから、反発が収まらないのは当然だ。

いつも申し上げているように、私は歴史問題を議論する時には「事実関係」と「評価(善悪)」を明快に切り分けて議論すべきだと考えている。

「慰安婦問題」などで韓国側が言い立てている事(元を質せば、一人の奇妙な日本人が売名の為に言い出し、朝日新聞などが自らの思惑によって拡散し、最後は宮澤首相—河野官房長官が「臭いものに蓋」の感覚で認めてしまった事なのではあるが)は、「事実関係」が歪められている故に、韓国と韓国人に対して相当強い親近感を持つ私自身でさえも承服し難いのだが、「日韓併合の正当性」という事になると、これは「評価(善悪)」の問題になるから、これを肯定する多くの日本人と私は真っ向から議論したい。

「日韓併合の正当性」を肯定する論者の論点は、
1.遅ればせながら世界の列強の仲間入りをしつつあった日本としては、至極当たり前の行動であり、列強もこれを認めたのだから、今から遡ってとやかく言われる筋合いのものではない(まして「謝罪」を求められるのは筋違い。それなら、欧米各国は、アジア、アフリカ、中南米の各国にそれに数百倍する謝罪を繰り返さなければならない事になる)。

2.当時の日本にもしそうするだけの国力がなかったら、当然ロシアが韓国を支配下に置いたであろうし、自国と合体させて多額の投資を行った日本に比べ、ロシアの場合は単に植民地として収奪の対象としただけだっただろうから、韓国民にとっては遥かに良かった筈だ。そのように考えると、日本による併合は、結果として韓国民の為に良かった筈なのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。
3.日韓併合は、「二国間の条約」に基づいてなされたものであり、国際法に照らしても合法である。韓国の皇帝はハーグの国際司法裁判所に密使を送ってこの非をなじろうとしたが受け入れられず、頼みのロシア皇帝の支援も取り付けられなかったのだから仕方がない。当時の韓国は国際世論から見捨てられていたのだから、その事実を遡って覆そうとしても無理。

上記の何れに対しても、私は、特に「事実関係」が歪められているとは思っていない。しかし、上記に言われていない事が下記の通り幾つかあるので、その事をきっちりと付け加えた上で、あらためて「評価(善悪)」の議論に進みたい。
1.当時の大韓帝国(清の冊封国家だった李氏朝鮮が、日清戦争の結果として清がその地位を失った為、清と同格の帝国となった)の主権者は皇帝の高宗であり、彼と彼を支える人たちは日本の支配を望まず、むしろロシアとの関係強化を望んでいた。

2.しかし、日露開戦を間近に控えた日本にとっては、兵站の輸送経路である韓国が「局外中立」であっては絶対に困るので、武力を背景に威嚇し、日本側が望む形での「議定書」を締結。日露戦争に勝利した後は、欧米諸国の暗黙の了承のもとに、次第に権益を拡大して、遂には「併合条約」の締結に至った。その全ての局面で、韓国政府は常に武力による恫喝の下で交渉せざるを得なかった。
3.「併合条約」締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称させられ、朝鮮総督府が支配する「植民地」として運営された。伊藤博文等は、悪質な日本人が善良な韓国人の利益を不当に害する事のないように気を使ってはいたが、実際には悪質な日本人も多かったので、恨みを買う事も多かった。
4.また、この間、日本の歴史学者たちは、「日韓同祖論」をベースに、強引な「同化政策」の推進に加担した。「同祖論」といっても、「神功皇后による三韓征伐(日本書紀)」という真偽も定かでない一つの「伝承」だけをベースに「古来日本は韓国を支配下においていた」と論ずるとか、その時点での経済力のみを比較して「日本は成功した本家で、朝鮮は落ちぶれた分家」と勝手に決め付けたりしての議論であり、際立って公正さを欠いていた。

さて、私は、「日韓併合条約」は「日本が自らの利己的な目的(国益)の為に、独立国であった大韓帝国の主権者の意志に反して、武力による威嚇を背景に強制的に締結したものである」と理解している。この理解が正しくないと考える人は、上記に含まれる「利己的な目的」「主権侵害」「武力による威嚇」の三要素がなかったと主張されるのだろうから、もしそうであるなら、その根拠を示して頂きたい。先ずは、「それが事実だったかどうか」のみに絞って議論して頂き、その上でその事の「善悪」についてのコメントが欲しい。

次に、私は、日韓併合を正当化する論者に、私が追加した上記四点の最終項目である4)と、日韓併合期間中に日本人の多くが持っていたと思われる「日本人の優越意識と朝鮮人蔑視」についてのコメントを聞きたい。先ずは「そういう事実はあったのかなかったのか」についての考えを聞かせて頂き、次に、その事の「妥当性」及び「善悪」についてはどう考えられるかを聞きたい。

そして、最後に、正当化論者が常に挙げる前述の三点についての私の見解を下記の通り申し上げたい。
1.当時は列強による植民地争奪戦が世界の常識だったのだから、日本人がこの事に何等「道義的な罪悪感」を持っていなかったのは当然であり、私もその事を難詰するつもりはない。しかし、もし現時点で、「それが道義的に良い事だったかどうか」と問われれば、控え目に言っても「現時点での道義観から言えば、良い事ではなかったと思う」と答えるのが当然ではないだろうか?

ちなみに、「インカ帝国を滅ぼして大量の金を奪ったスペインの行為をどう思うか」「清国に対してアヘン戦争を仕掛けた英国の行為をどう思うか」という質問も同時にすればよい。肯定であれ否定であれ、この二つの質問に対する答えは、「日韓併合」についての質問に対する答と同じであるのが当然だ。

要するに、これまでの人類の歴史は、「基本的に暴力が全て正当化される歴史」だった訳だが、現代においてはそれが反省され、暴力ではなく「法と正義」「人道と人権」が全ての行動規範となるべきだというのが世界の常識になっている。そうであれば、「日韓併合」を今の時点で論じるに際しては、そのような「現時点での道議的評価」がなされて然るべきだ。

「謝罪」については、「英国やスペインが謝罪していないのだから、我々も謝罪する必要はない」とするのは全く意味をなさない。他者がどうであれ、自らが「謝罪に値する」と考えれば謝罪すればよく、そう思わなければしなければよいのだ。それは自らの認識と評価の問題である。その上で「欧米列強も過去の行為に関しては、日本同様に公式に遺憾の意を表するべきだ」とコメントするのは一向差し支えないし、むしろそうするべきだろう。

(なお、かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」と今なお強弁する人もいるが、こんな欺瞞に満ちた綺麗事を言うのはやめてほしい。もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる)

2.当時の日本が韓国を支配下におさめようとしなかったら、ロシアがそうしたであろう事は勿論だろう。しかし、当時の韓国の主権者がそれを望んだのだとしたら、それが結果として韓国の民衆の為になったかどうかは別として、それを尊重すべきというのが道義的には妥当である。
当時は「民主主義」は普遍的な価値観としては未だ確立されていなかったので、「絶対君主が民衆の利益を害している事が明らかなら、周辺国がその事態を正そうとするのは道義的に妥当」という論議は、誰が「民衆の利益」についての判断をするかが明確でないので、容易には受け入れられないだろう。

現在でも、「他国の主権尊重の原則」に優先するのは、「自国の主権に対する侵害」「自国の安全への直接的な脅威」「国際法への明確な抵触」「人道と人権の侵害」「核兵器、生物兵器の拡散の可能性」位である(「民族自決原則の侵害」は微妙なところ)。また、これらの理由があっても、実力行使に至るまでには、国際連合等の場での誠実な協議が求められている。

しかし、この議論に関連してそれ以上に問題なのは、「ロシアの支配より日本の支配の方が良かった筈」という「日本人の立場からの決め付け」をする「独断的な姿勢」である。そんな事は、日本人ではなく、当の韓国人が考える事だ。

成る程、「支配層だけと手を結んで、ひたすら民衆からの収奪だけを考えただろう当時の帝政ロシアの支配」よりは、「資本主義に目覚めつつあった日本の支配」の方が、経済的には韓国にプラスとなったかもしれないが、人間は経済のみによって生きるものではない。

日本人の優越性を露骨に前面に打ち出して、一方的な同化政策を推進し、先祖伝来の姓を捨てさせたり、神社への参拝を強制したりする日本よりは、そんな事には関心のないロシアのほうが、韓国人にとっては「誇りを傷つけられる」事がないだけ良かったかもしれないではないか。

3.これは簡単な問題で、条約の形式的な合法性などには、誰も関心を持っていない。誰がやろうと、外部からの批判を受けぬよう、形式を整えるのは当然の事だからだ。武力による威嚇をもってすれば(場合によれば反対者を事故を装って謀殺したり、或いは決定的な場面に居合わせる事が出来ないように幽閉したりすれば)このような形式を整える事は比較的容易である(アメリカのハワイ併合条約も、反対者だった女王を監禁する事によって締結が実現したと聞いている)。

以上、私がこの問題に殊更熱心なのには理由がある。自己本位で、「相手の心情を推し量ろう」等という考えはさらさらなさそうな「国粋的(国家主義的)な人たち」の、過去を引き摺った「上から目線」の「論の立て方」と「言葉遣い」に、心底辟易しているからだ。この人たちの存在は、日本が「公正で偏らない判断をベースにした是々非々の議論」を行い、近隣諸国との友好関係を確立する事の阻害要因になっている。
http://agora-web.jp/archives/1565424.html


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