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ブッダ最後の旅
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/738.html
投稿者 富山誠 日時 2013 年 1 月 21 日 21:41:15: .ZiyFiDl12hyQ
 

(回答先: 釈迦の本当の教え 投稿者 富山誠 日時 2013 年 1 月 20 日 07:31:26)


自灯明・法灯明の教え

ブッダは、すべては無常であり永遠不変なものはないという理解にそって、自分自身の教え(法)でさえ、それを絶対視して執着してはならないことを弟子たちに教えました。


______

比丘たちよ、教え(法)というものは筏(いかだ)のようなものであることをなんじらに示そう。・・・

譬えば街道を歩いて行く人があって、途中で大水流を見たとしよう。そしてこちらの岸は危険で恐ろしく、かなたの岸は安穏で恐ろしくないとしよう。しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに渡舟もなく、また橋もないとしよう。そのときその人は、草、木、枝、葉を集めて筏を組み、その筏に依って手足で努めて安全に彼方の岸に渡ったとしよう。

かれが渡り終わってかなたの岸に達したときに、次のように考えたとしよう。すなわち

『この筏は実にわれを益することが多かった。われはこの筏に依って手足で努めてかなたの岸に渡り終えた。さあ、わたくしはこの筏を頭に載せ、あるいは肩に担いで、欲するがままに進もう』と。

なんじらはそれをどうおもうか?
そのひとがこのようにしたならば、その筏に対してなすべきことをしたのであろうか?

そうではありません、師よ。

・・・比丘たちよ、教え(法)とは筏のようなものであると知るとき、なんじらはたとえ善き教え(法)でも捨て去るべきである。悪しきものならばなおさらのことである。
(マッジマ・ニカーヤ 22)

ブッダは八十歳で死にましたが、死ぬ少し前に、師を失うことに心を痛めていたアーナンダやその他の弟子たちに対して、これからは、各自が自己と真理だけを拠り所として生きてゆけ、と説きました。

_________________________________________________

アーナンダよ、わたしはもはや老い衰え、老齢すでに八十となった。たとえばアーナンダよ、古き車が革ひもの助けによって行くがごとく、そのごとくアーナンダよ、思うに、わたしの身体は、革ひもの助けによって、わずかに保っているに過ぎない・・

それゆえ、アーナンダよ。なんじらは、これからは、自己を燈明とし、自己を拠り所として、他人を拠り所とせず、真理を燈明とし、真理を拠り所として、他を拠り所とせず、生きていきなさい。
(ディッガ・ニカーヤ 16:2.25-2.26)

アーナンダよ。このようにして、修行僧は自己を灯明とし、自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるのである。

アーナンダよ。今でも、また私の死後にでも、誰でも自己を灯明とし。自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、彼らは私の修行僧として最高の境地にあるであろう、−誰でも学ぼうと望む人々はー。
(二十六)(大パリニッバーナ経』二)
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html


ブッダを乗り越える

ブッダを乗り越える。今回は大きく出ました(笑)。どういう意味かを解説していきます。

親孝行の内最大のものは、親の教えを基礎にしながらも、自分で体験し学び考え、親を乗り越えていくことだと筆者は考えます。親に頼り親の教えにただ従い、自分自身で判断できずいつまで経っても精神的に独立できない、こういうことは心ある親なら決して望まないでしょう。

ブッダについても同様だと思います。ブッダの教えを基礎にしながらも、自分で体験し学び考え、ブッダを乗り越える。もちろん本当にブッダを乗り越えることは不可能でしょうが、それでもそれくらいの気概がなければ、本当にブッダに対する親孝行だとは言えないでしょう。いちいちブッダはこう言っているからとか、ブッダの教えに絶対に異論を唱えていはいけないとか、それは思考停止であり、ファザコンまたは奴隷です。

ブッダは決して我々をブッダの奴隷にするつもりは無かったはずです。反対に自分自身で体験し学び考え、自分自身で判断できる、そういう人間になることを望んでいたはずです。それはブッダの遺言にも表れています。

ブッダが亡くなる時、弟子のアーナンダがブッダに尋ねました。

「ブッダよ、あなたが亡くなったら我々はどうしたら良いのでしょうか?」

ブッダは答えます。

「先ず法(ブッダの教え)を頼りにしなさい。」

これは法灯明と呼ばれます。

「次に自分自身を頼りにしなさい。もし私の教えと自分自身による体験・考察が異なっていた場合は、自分自身に従いなさい。」

これは自灯明と呼ばれます。

先ず法を頼りにする。つまりブッダの教えを基礎とする。そして次に自分自身を頼りにする。つまり応用です。そして法灯明と自灯明が矛盾する場合は、自灯明を優先させろとはっきり言っています。つまり自分の判断を信じなさいという意味です。決して盲目的にブッダの教えに従い、ブッダの奴隷になれとは言っていません。

この意味では、ある意味在家の方が有利で、出家の方が不利だとも言えます。出家には伝統を未来に伝えるという役目もあるからです。しかし出家であってもブッダの教えを基礎としながらも、自分自身の体験・観察・考察による判断を優先させた人はいます。例えばポー・オー・パユットー師です。出家にしても在家にしても、法灯明と自灯明の両方を実践する事は可能です。

ブッダは基本的に、己自身で苦を滅していくことを説いています。しかしそれで世界は平和になったかというと、そうではないことは歴史が証明しています。インドでは、いやインドだけでなくスリランカでもミャンマーでもタイでも仏教自体さえも一旦ほとんど滅んでしまいました。従来の仏教が完璧ではないことは明白です。プラユキ・ナラテボー師は、これはブッダが我々に残した課題だと言っています。つまり自分だけでなく他人も幸福にし、世界に平和をもたらす。これがブッダの残した課題であると言っています。そしてそれに貢献できれば、ほんの小さな部分でもブッダを乗り越え、ブッダに対する親孝行になると筆者は考えます。そのためにも自灯明、これが非常に大事だと筆者は考えます。
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-241.html

202 :神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 11:05:34 ID:lx/Pz/tL

仏陀に誤りや時代錯誤や不合理があれば、時代の進歩・変化に合わせてそれを正すのが、弟子たちの義務である。

優れた教師である釈迦にとって最大の喜びは、弟子たちが教師を超えてくれることではないのかな。さもなければ、単なる盲信で、何の進歩もない。釈迦は、弟子たちの盲信を喜んだであろうか。

705 :宝珠愚者:2008/12/30(火) 22:36:05 ID:COuFWjdu

ここのように「師の間違いを正すのが弟子」などといった暴論が飛び出す宗教などは、世界中を探しても仏教界しかない。全く恥知らずもいいところ。


729 :神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 02:12:40 ID:VnL9xwrs
>>705
>ここのように「師の間違いを正すのが弟子」などといった暴論が飛び出す宗
>教などは、世界中を探しても仏教界しかない。全く恥知らずもいいところ。

恥知らずどころか、それが仏陀の類い稀な偉大さなのだよ。

眞に優れた教師にとっては、弟子が教師を超えてくれることが、最大の喜びなのである。仏陀が、弟子が師を超えることの大切さをはっきりと教えているお経があったはず。

師の教えをひたすら暗記・暗誦し、それから一歩も踏み出せない弟子は、軽蔑に値する「三流弟子」。

「自灯明」「法灯明」。死に際して、こんな言葉を弟子に言える宗教の開祖は、他にはいない。

常に「俺が、俺が」のイエスには、逆立ちしても言えない言葉。

ものごとの進歩とは、「従来の見解を、現実に立脚して批判し、それを一段階向上させること」である。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1229771174/#202


釈尊の最後の旅 東方学院院長 中村元(はじめ)
 
森本:  ネパールのルンビニーでお生まれになった釈尊は、悟りを開かれたのち、各地を歩いて法を説かれましたが、その活動の場はガンジス川の中流域でした。釈尊は齢(よわい)八十歳になられた時、最後の旅に出られます。王舎城(おうしゃじょう)や霊鷲山(りょうじゅせん)、竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)で知られるラージギルを出発して、故郷のルンビニーを目指し、途中のクシナガラで終わる凡そ三百五十キロの旅でした。この旅の模様は、『大パリニッバーナ経』、すなわち「大いなる死」という意味の経典に詳しく記されております。

霊鷲山は釈尊が法を説かれた場所として、『法華経』や『無量寿経』にも出てきますが、『大パリニッバーナ経』も霊鷲山に釈尊がおられた時のことから語り出しています。当時この辺りでもっとも強国であったマガダ国の王は、隣国で繁栄していたヴァッジ族を攻め滅ぼそうと考えていました。そこで大臣を霊鷲山におられた釈尊のもとに遣わして、その是非を尋ねます。釈尊は直接大臣にはお答えにならず、弟子のアーナンダをかえりみて、ヴァッジ族が繁栄している理由を七つ挙げて説かれました。その七つとはこうです。


 
一、しばしば会議を開き多くの人々が参集する
二、協同して集合し、行動し、なすべきことを為す
三、旧来の法に従って行動する
四、古老を敬い尊び彼等の言(ことば)を聴く
五、良家の婦女童女を暴力で連れ出したりはしない
六、部族の霊域を敬い尊ぶ
七、尊敬さるべき修行者たちに正当な保護と支持を与える



この七項目が守られているかぎり、ヴァッジ族は繁栄するから、決して攻め滅ぼすことはできない、と説かれたわけです。釈尊は暫くラージギルに留まったのち、いよいよ最後の旅に出られます。八十歳の釈尊にとって、この旅は決して楽なものではありませんでした。最初に立ち寄られたナーランダではマンゴーの林の中で過ごされ、修行者に法話されたことが経典に記されております。次ぎに寄られたのがパトナの町です。当時商業で栄えていたこの町が、後に火と水と内部分裂で衰微(すいび)することを釈尊は予言されていますが、これは事実となりました。

釈尊は此処でガンジスを渡り北に向かわれます。ガンジスを渡ると此処はヴァッジ族の国です。途中いくつかの村を経て、次ぎに逗留されたのは商業都市ヴァイシャーリーでした。この地は釈尊が何度も訪れ、時には逗留された懐かしい土地です。此処ではかねてから釈尊に帰依していた遊女のアンバパーリーの林で過ごされ、訪ねて来たアンバパーリーを法話をもって教え諭し励まし喜ばせた、と言われます。アンバパーリーは釈尊と弟子を食事に招待し、釈尊はこれを喜んで受けられました。雨期の間此処に逗留し、町に出て托鉢もされておられます。最後の旅の中で一番ゆったりと過ごされたのが此処ヴァイシャーリーの町でした。しかし此処で不幸な出来事が起こります。釈尊が病気に罹られたのです。余命の短いことを覚られたのでしょうか、釈尊はアーナンダに有名な法話をされます。
 
     自らをよりどころとして
     他人をよろどころとせず
     法をよりどころとして
     他のものをよりどころとせずにあれ
 
またここで、
 
     ヴァイシャーリーは楽しい
     ウデーナ霊樹は楽しい
     この世界は美しいものだし
     人間のいのちは甘美なものだ
 
との心境も述べておられます。病をおして釈尊は再び故郷に向かって旅立たれました。そしていくつかの町や村を経て、パーヴァーの町に着かれました。此処で鍛冶屋の子ども、チュンダの供養した菌(きのこ)にあたって酷い病気に罹られます。釈尊は禅定(ぜんじょう)に入ってこの苦しみに耐えられる。この時しきりに水を飲みたいとおっしゃったことがリアルに記されています。こんな苦しみの中でも釈尊はチュンダのことを心配されて、むしろ功徳があるに違いない、と言っておられます。
 
     与える者には
     功徳が増す
     身心を制する者には
     怨みのつもることがない
 
パーヴァーの町からクシナガラへの旅は本当に苦しい旅だったに違いありません。釈尊は何度も休んでおられます。クシナガラに入った釈尊はアーナンダに言われました。
 
     さあ、アーナンダよ。
     わたしのために二本並んだサーラの木の間に
     頭を北に向けて床を用意してくれ。
     アーナンダよ。
     私は疲れた。横になりたい。
     そして泣いているアーナンダに言われました。
     やめよ。アーナンダよ。
     悲しむなかれ、嘆くなかれ。
 
     アーナンダよ。わたしはかつて
     このように説いたではないか、
     ―すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、
     異なるに至るということを。
     およそ生じ、存在し、つくられ破壊さるべきものであるのに、
     それが破滅しないように、ということがどうしてありえようか。
 
     アーナンダよ。
     そのようなことわりは存在しない。
     アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、
     安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、
     わたくしに仕えてくれた。
     アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた

そして、釈尊の最後の言葉はこうだったと記されています。
 
     さあ、修行僧たちよ
     お前たちに告げよう。
     もろもろの事象は
     過ぎ去るものである。
     怠ることなく
     修行を完成しなさい。
 
以上、釈尊の最後の旅をご紹介致しました。今日はこの旅をもっともっと深く味わってみたいと思います。この道を何度も歩かれ、そしてまたこの『大パリニッバナー経』をさまざまな原典を元にお訳しになった中村元先生に、今日はゆっくりとその旅についてお話を伺ってみたいと思うんです。

中村先生は今回の最後の旅をずっと辿られたわけですけれども、特別な感慨がまたおありだったと思います。その辺りからちょっとお話伺いたいと思いますけれども、如何でございましたか?


中村:  今までもちょくちょくいろいろな場所を見ましたんでございます。けれど、この度はこういうご縁がありまして、釈尊が最後の旅路を進まれたその後をその通り進んで辿ることができまして、私としては特に感懐(かんかい)の深いものがございました。まあ原典を読んでおりましても、いろいろ感銘を受けるんですけど、またその旅路の後を実際にこの足で踏みますとなんとも言われない感銘を受けるんでございます。
 
森本:  実は私はこのコースを逆に辿ったことがあるんです。
 
中村:  ああ、そうですか。
 
森本:  ですからこのコースをもう一度先生と同じように、私もその通り辿ってみたいと思います。この最後の旅というのは、先ほどもご紹介しましたように、霊鷲山から始まっておりますね。この霊鷲山とこの釈尊との関係ということなんですけれども、どういう因縁で結ばれておるのか?
 
中村:  伝説によりますと、釈尊はそこでたびたび説法されたということになっております。大乗経典として有名な『法華経』でも、『大無量寿経』でも、そこで説かれたということになっているんです。そこで霊鷲山(りょうじゅせん)と申しますのは、元の名前を易しく訳しますと、「鷲(わし)の峰(みね)」ということですね。それで特別の霊山だというので、それで「霊」という字を付けまして、それで「霊鷲山」というわけでございます。

何故そういうのか、というと、まあ二つの説ございまして、そこに「鷲が棲んでいた」という説と、それからもう一つは「山の―殊に岩の形が鷲の翼に似ている」というんですね。殊にいまご覧になっている少し下の所にはゴツゴツとした岩石がありまして、ほんとに鷲の翼を思わせます。霊山でジャイナ教の聖者も此処を訪れた、ということが言われております。釈尊は此処で説法された、と。最後に此処におられたのですが、当時マガダの国も国王でありましたアジャータサットゥという王様がヴァッサカーラという大臣を此処へ送りましてね、お釈迦様に伺いを立てたんです。それは何か、と申しますと、北の方にガンジス川を越えたところにヴァッジ族というのがありまして非常に栄えていたんです。それを攻め滅ぼそうとしたわけですね。で、釈尊の意見を聞くために大臣を派遣したわけです。

釈尊はそれを聞いて、すぐに良いとか悪いとかいうことは言われないんですね。まずお付きの侍者でありますアーナンダ―仏典では阿難尊者(あなんそんじゃ)と申しますが、彼をして大臣にいろいろ質問をするんです。そして、

「ヴァッジ族はこれこれのことを守っているかどうか」。

そうすると、

「その通りでございます」

という。そうすると、

「そういう道を守っている国を攻め滅ぼすことは容易でない。こういう国は栄える筈だ」

と、そう言って答えられたものですから、大臣はそこで、「はぁッ」と言って引き下がったわけです。つまりいきなり「戦争するのはいかんぞ」と、そういう言い方をしないんですね。まずこう問いただして、諄々(じゅんじゅん)と説いて、あ、これはもう戦争なんかしでかさんほうがいい、と言って、王様に決心させる。そういう方法を講じられたわけなんです。
 
森本:  このいわゆる七つの掟と申しましょうか、この中で私がちょっと不思議に思ったのは、「しばしば会議を開いて多くの人々が集まっておる」、だから非常にこの国は攻めてはいけないんだ、ということが真っ先に出てまいりますね。
 
中村:  そうなんです。
 
森本:  これはどういう意味を持つんですか。
 
中村:  これはヴァッジ族、或いはヴァイシャーリー辺りの人々はリッチャヴィ族という名前でも知られていますが、共和国をつくっていたんですね。今日の共和国とは違いましょう。おそらく貴族たちが集まって会議を開いていたんだと思いますけれども、他の地方では大体王国で、王様の専断で何でも事を決められていたわけです。そうじゃなくて、此処では会議を開いていた。これが良いことだ、というんですね。
 
森本:  そうですか。それともう一つ、「良家の婦女童女を連れ出したりはしない」と。これはやはりちょっとそういうことが当時あったんでしょうか?
 
中村:  やっぱりあったんですね。インドのマヌ法典なんかみますと、結婚の様式―仕方にいろいろあるというんですね。そのうちで悪い仕方―一番良くない仕方としては暴力を持って女子を連れて来る、というわけです。そういうことも出ていますし、まさにそのことを言っているわけですね。
 
森本:  六番目につまり「部族の霊域を敬い尊ぶ」ということを言っておりますけれども、これはやはり宗教的な寛容ということを意味する?
 
中村:  そうなんです。これは元の言葉で言いますと、パーリー語で「チェーティャ」といいますサンスクリット語で「チャイティヤ」というんですが、大体大きな樹木がポツンポツンとインドには残っておりましょう。樹木に神霊が宿るとみられている。その下に祠が作られている。そこに神様を祀っているんですね。そういうものを大事にせよ、と。つまりその部族の精神的な拠り所となっていますから、そういうものも大事になさい、と。これがつまり今おっしゃったように寛容の精神ですね。
 
森本:  結局結論として、釈尊がおっしゃったことは、ヴァッジ族はこれだけのものを守っているから決して滅ぼすことは容易ではない、と言われたわけですけれども、そのことは要するに、「お前の国もこうしなさい。そうすれば繁栄するぞ」ということを暗に諭(さと)した、と受け取ってよろしいですね。
 
中村:  それで良いと思います。少なくとも釈尊はヴァッジ族の共和政体と言いますかね、みんなが相談しあって話し合って進めていくという、その体制を承認し、むしろ勧めておられる、ということが言えると思います。
 
森本:  この七つの掟と申しますか、教えというものは、決して一部の国について、国のあり方についてということも勿論ですけれども、さまざまな宗教的な集団の中においても、それから俗世の道徳の一つの指針としても受け取ってよろしいですね。
 
中村:  そうですね。ここに述べられたのは社会倫理ですよね。それに対応して文字に記されておりませんけど、仏典ではやはり同じように七箇条ずつ次々教えが出ていますね。仏教の教団でも、お前たち修行者たちでも、これに対応してこれこれの教えを守るならば教団は栄えるであろう。世の中はよくなるであろう、と。そういうことが説かれているんです。
 
森本:  そうですか。私はここの意味が今初めてよく解りましたけれども、これはいま竹林精舎が出ておりましたけれども、ああいう一つの宗教的な集団の中でもこのようにしなさい、と。それから世間でもそういうふうにしなさい、と。そうすれば栄えるでしょう、と。
 
中村:  つまり宗教と世俗と通ずる理(ことわり)を述べておるわけですね。
 
森本:  今の言葉でいうと非常に「民主的に」ということですね。
 
中村:  そういうことです。
 
森本:  それからいよいよ霊鷲山から旅が始まりまして、それからラージギル、ナーランダ、パトナと旅が続くわけでございますけれども、この旅の道は、昔は歩いて大変だったでしょうね。
 
中村:  大変だったと思いますね。
 
森本:  八十歳になられたわけですから、一番辛い旅だっただろうと思うんですが、次ぎにナーランダですが、このナーランダでは先ほど放映されたそこへお上りになるのは大変苦労しますね。

中村:  大きな建物がございますですよ。大変です。今此処に映っていますのは、ナーランダ大学に寄進されたトゥーパで宗教的な建造物のミニアチュアですね。年代にしましても非常に古いものでしてね、ナーランダが造られたのは五世紀頃にはもうあって、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)もそこに長く留まった、と。

アジア諸国から留学生がまいりまして、それで一万人以上留学生がいた、というんですね。それが五世紀あたりから始まって七、八世紀頃栄えたわけでしょう。これはヨーロッパ辺りと比べてみましても年代は非常に古いんですね。今そこへ行きますといろんな建物が残っておりまして、煉瓦の固まりなんかあちこちに転がっていますが、そのどれ一つとってみても日本の国宝よりも年代だけは古いんですね。驚きものだと思います。こういうのが何エーカーもありましてね、まだ全部発掘されていないんです。
 
森本:  このナーランダは一種の大学でもあったわけですね、国際的な大学。ほんとに考えますと、例えばヨーロッパで大学が設立されたのはずっと後になりますよね。これほどの素晴らしい大学があったということはやはり大変なことですね。
 
中村:  大変なことだと思いますね。此処では仏教の学問が中心でしたけども、しかし文法学とか医学とかいろいろなことを教えていたんです。だからやっぱり一種のユニバーシティーでした。
 
森本:  私もナーランダへ行った時、規模の大きさに驚いたんですけれども、ストゥーパ(塔、記念の塚)を献納する。
 
中村:  献納と申しますね。
 
森本:  ちょうど日本では石灯籠とかそういうものを献納すると同じような意味ですね。
 
中村:  同じような気持でしょうね。石灯籠とか絵馬とかね。いろんなものを献上しますが、それに似ているわけです。
 
森本:  その時の玄奘の記述にもありますけれども、大変仏教の学問水準が高かったんでしょうね。
 
中村:  高かったですね。だから南アジアの学問の中心であった、ということは言いましょう。
 
森本:  そうですか。
 
中村:  だから釈尊の頃にはそういうものはなかったわけで、ただ村があっただけです。そこを通って北の方へ行かれた、と。原典にはそう出ております。
 
森本:  それから釈尊はパトナに向かわれるわけですね。それから有名な渡しですね。これはいわゆる「ゴータマの渡し」などと。
 
中村:  そうですね。釈尊がどこから北の方へ渡られたか、それはわかりませんけど、大体パトナ市には川に沿って渡し場がたくさんありましてね、釈尊が通られた所は「ゴータマの渡し」と、当時の人は呼んだ、というんです。現在どこかわかりませんけど、大体こういうふうな渡し場があったと思われます。現在でも立派な連絡船が着くような大きな港もできていますけどね。それと同時にこういう原始的な運搬方法もまだ行われています。
 
森本:  当時やはり釈尊がお渡りになった時は特別待遇で、ということはなかったんでしょね。
 
中村:  なかったと思いますね。修行者の場合には料金を取らなかった。これは料金を取らないように、ということはインドの法典類にも出ているんです。
 
森本:  それは現在でもそうですね。
 
中村:  そうでしょうね。
 
森本:  現在でも修行者はお金を取らない、というふうな話しを聞きましたけれども。それからやがて新しく建設されたパータリプトラの町へお訪ねになるわけですね。
 
中村:  そうです。その頃はパータリプトラにヴァッジ族を防ぐための城壁をアジャータサットゥ王が建設しつつあった。勿論実際におこなっていたのは大臣ですけど、大臣が造りつつあったということが出ております。ただ当時はまだ小さな港町だった思うんです。これが将来アショーカ王(阿育王(あいくおう)。前二六八〜前二三二年在位)の頃になりますと、インド全体の中心の都市になるんです。
 
森本:  大商業都市になる。
 
中村:  大商業都市であると同時に大政治都市にもなるわけですね。つまりマガダの国というのが大体ガンジス川の南の方にあったわけですが、最初のうちは、さっきご覧頂きました王舎城が都だったわけです。あれは連山に囲まれておりますでしょう。山脈に囲まれていまして、おそらく昔は火山の跡だったと思うんですね。その証拠にあそこにだけ温泉があるんですよ。それで想像されますが。だからこの難攻不落の城塞だったわけです。ところがインド全体をマガダの王朝が支配する時代になりますと、もうあんな山城にいる必要がなくなるわけです。むしろ水陸交通の要衝に移ったほうがいいわけです。そこでパータリプトラに移りました。此処はアショーカ王の頃はインドの中心になったわけですね。
 
森本:  此処で釈尊はこの町へあがって、水と火と、それから内部分裂なんかによって崩壊していくだろう、ということをおっしゃるわけですね。
 
中村:  これは、私の想像ではむしろ後にパータリプトラがそういう災禍を受けると、そういう事実を知っていた人が、お釈迦様はそういうことを予言なさったに違いない、と言って、過去へ託(かこつ)けたわけですね。殊にインドの古典にはよく出てくることなんですが、歴史を書いた本がインドにはあんまりないんです。歴史的な事実が宗教聖典の中で予言の形で述べられているんです。これは古代を研究するために非常に手掛かりなんです。ここもやはり古代に起きたことをお釈迦様に託けたんだろう、と思うんです。

近年と言っても何十年も前ですけど、スプーナという学者が掘ってみましたら、そうしたら洪水でそこの都が水害を受けた、と。その跡が出てきたんです。それから火事の跡も見つかったんです。それからその王朝で内紛が起きた、ということ。これはプラーナ聖典というのはヒンドゥーのほうの宗教聖典に出ているんです。だからここに出てくることとちょうど合うわけです。
 
森本:  そうですか。私はこのくだりが何か聖書に出てくるイザヤ或いはエレミヤがバビロンの滅亡を予言する、と。イザヤが「カルデャびとの誇りであるバビロンは、ただ野の獣とふくろうだけが棲むだろう」と預言した。また、エレミヤは「バビロンのかたわらを通るものはみな、その禍を見て驚き、あざ笑うだろう」と預言する。その預言通り、バビロンの都はやがて言葉だけではなく道徳的にも乱れていき、その通りになってしまったという、それと何かどっか似たような感じが致しますね。
 
中村:  似ておりますね、たしかに。
 
森本:  結局やがてこの大きな町になりますと、どうしても道義は退廃していくということなんでしょうね。
 
森本:  とにかくアショーカ王の頃のマウリヤ王朝というのは大変な経済力と政治力を持っていたわけです。大きな石の柱を造るというだけでも大変なことです。そして仏跡のあちこちにストゥーパを造りましたでしょう。まあ領域も広くなってパキスタンからアフガニスタン、あちらまでも領有していたわけですから、あちらではギリシャ語で書かれたアショーカ王の詔勅文(しょうちょくぶん)というのが見つかっているんです。
 
森本:  そうですか。
 
中村:  大変な世界帝国だったんですね。だから今おっしゃったように爛熟しますといろいろ腐敗が起きる。
 
森本:  次ぎにいよいよヴァイシャーリーに行くわけですけれども、当時の商業都市であるヴァイシャーリーの状況というのはどういうものだったでしょうか。
 
中村:  これは今訪ねてみますと、もうまったくの田畑だけでしてね、何にもないです。わずかにアショーカ王の建てた柱が残っているだけなんです。けれど、昔は商業都市で非常に栄えたものです。富が集まりまして、そして政体は、さっきも申し上げましたように、共和制なんですね。人種的にもいろいろな人種が集まっていたらしい。そこの人々は青色の人―青というのは黒ですね、色黒い人。それから色の白い人、色の黄色い人、それから色の赤い人―赤い人は陽に焼けた人でしょうね。そういう人がいると。

そしてみんなそれに応じた家に住み、同じような家に住み、それから彼らの立てている幡(はた)もやっぱりそれぞれ四つの色で別々だ、というんです。ということは、いろんな民族がそこへ集まってきたわけですね。そして商業都市でしたから共和制を行うのにやりよかったわけですよ。逆に共和制というような国はカースト制度を嫌うわけです。カースト制度とは矛盾しますから。等価交換が行われなければならない。それをカーストでせき止めるようなことはいけないわけです。だから自ずから仏教を歓迎したわけです。

ジャイナ教(階級制度を否定し、あらゆるものに生命が宿るとしてとくに不殺生の厳守を説く)が起こったのもそこからです。ジャイナ教の開祖のマハーヴィーラという人もヴァイシャーリー市の郊外で生まれて、王族の家柄の人だ、と言われています。新しい文明がそこに起きていた。当時にバラモン教の法典では、ヴァイシャーリーのことは全然出てこないんです。つまりバラモンの決まりは守らないから。
 
森本:  たしかに商業というものは意外と民主化を促進する側面がありまして、例えばお客様であれば、カーストが違うから売らないなんて言えば商売になりませんね。ですから当然そういう商業都市というものは、すべての人々たちが平等だというような考え方が起こるのはある意味では当然と言ってもいいでしょうね。
 
中村:  当然だろうと思います。そして平野の真ん中でしょう。だから道が発達するのも必須なんですね。大体マガダの国から北の方へまいりましてパータリプトラを通って、そしてクシナガラからゴーラクプル、それから最後には祇園精舎のあるサーヴァッティーという西の方へずっと交通路ができていたわけです。その要衝にあたっているわけです。平坦な土地ですから商業には都合がいいわけでしょう。
 
森本:  私はこのくだりの中で一番興味があったのはアンバパーリーの遊女ですね。これは例えばキリスト教でいうとマグダラのマリア(イエスに七つの悪霊を追い出してもらい、喜んでイエスや弟子たちに奉仕したといわれる)の話と非常に何か共通点があるような気がするですけれども、やはりここでも遊女というようなことでも差別をしないで、
 
中村:  そうなんです。どんな人にでも教えを説く。教えを聞きたいという人にはみな受け入れて教えを説く、という釈尊の立場がはっきり出ていると思うんです。これはバラモン教のほうでは許されないことですが。
 
森本:  そうですね。遊女というのは一つのシンボルみたいなもので、つまり目を塞いでいるようなものでも慈悲をかけ、そして教え導く、と。これがやはり一つの仏法の大変大切な教えということですね。 
 
中村:  仏法の非常に大切な特徴的な点だと思いますね。そして遊女がはマンゴー樹林、そういう別荘を持っていて、マンゴーの林へ釈尊を請じて食事のもてなしをしたというのは、ある程度社会的地位がそれなりに高かったわけです。大したものです。ということは貨幣経済が進展していたということを意味すると思うんですね。貨幣経済が起こる前にはそういう職業は目立たなかったでしょうから。
 
森本:  ここでもう一つ、お釈迦様が説かれているのはやはりいろいろな修行集団の中で、自分を決して偉ぶった者、思い上がった者、そしてなんか教えてやるんだという感じを出していけないんだ、ということを言われておりますね。
 
中村:  そうです。此処に釈尊はしばらく滞留されて、殊に雨期に入ったらしいんですね。そうすると雨期の間はみなかたまって生活することは難しかったんで、めいめい知り合いの人を頼って別れて分宿せよ、と言われた。だから滞在期間が相当長かったんですが、そこで釈尊が述べられた言葉というものが非常に我々の心を打つものなんです。
 
     向上につとめた人は
     「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか、
     あるいは「修行僧のなかまはわれに頼っている」とか思うことがない。
     向上につとめた人は修行僧のつどいに関して
     何を語るであろうか。
 
つまり向上に努めた人、ずっとその道を求めてきた人という者は、自分が修行僧の仲間を導くであろうと、そんなことは考えない、というんですね。それから或いは修行僧たちが大勢いるけど、それが自分に頼っているというような、そういう思い上がった気持は抱いていない、と。
 
森本:  これはいつも謙虚でいなければいけないということなんでしょうか。
 
中村:  そうだと思いますね。思い上がった気持を持たない、と。本当にその道を求めるならば―道を求めるということは、その人自身の問題でしょう。多数を頼んでどうこうするという事柄ではないですからね。
 
森本:  次ぎに今出ておりますけれども、
 
     自らをよりどころとして
     他人をよろどころとせず
     法をよりどころとして
     他のものをよりどころとせずにあれ
 
もう一つ大事な言葉は自分をあくまでも拠り所にしなさい、と。法を拠り所にしなさい、ということですね。これはやはりのちに仏教というものが自力とか他力とかということを言われますけれども、これは自分はあくまで拠り所にしろということになりますと、非常に自立的な精神、
 
中村:  自立的な精神が強かったんですね。釈尊はなるほど指導はされた。けれども、めいめいの人が道を求めなければいけない。ただめいめいの人が道を進めるための起因を与える。道しるべになる。そういうのが釈尊の立場だったわけです。本当の自己を追求せよ、と。

「本当の自己を追求するというのはどういうことか」というと、それは人が人としてあるべき道を求めることですね。それは自己に頼るということは同時に法に頼るということと同じことになるわけです。本当に自己に頼っている人はまた法に頼りますから、だからそこに自信が出てくるわけです。だから他の人がどう思おうとも、とにかく信ずるところを進んでいくという確信が出てくるということになります。
 
森本:  もう一つここのくだりで大変感銘深かったのが、
 
     ヴァイシャーリーは楽しい
     ウデーナ霊樹は楽しい
     この世界は美しいものだし
     人間のいのちは甘美なものだ
 
と。この言葉を聞いた時にふと思い出したのは、『徒然草(つれづれぐさ)』第二十段に、
 
     なにがしとかや言ひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、
     ただ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、誠にさも覚えぬべしけれ。
 
と兼好(けんこう)(鎌倉末期の歌人・随筆家)は書いておるんですね。自分はこの世の中になんの心の束縛となる諸縁を持っていない身でいつ死んでもいい。間もなく死んでいく身だけれども、その死ぬにあたって、空の名残といいますか、空の名残というのは難しいんですけれども、なんか夕焼け空の美しい、ひろびろとした空のあの名残が惜しい。あれが見られなくなるのが惜しい、というようなことを言っていますね。ですから私そういう意味でお釈迦様のこの言葉というのは、私はこの世は美しいというのは何か重い響きを持つんですね。
 
中村:  もう胸に響きますね。原典にこの通り出ているんですから。釈尊がヴァイシャーリーを去るにあたって、おそらく少し小高い丘の上から振り返って見て、そして、ああ、ヴァイシャーリーは良いところだ。そこに霊樹がたくさんあるわけなんです。木陰で休むと涼しい。そういうようなところ、ウデーナ霊樹というのもその一つですが、ああ、美しいな、と。そして眺めて見ると、人の世がまた美しく麗(うるわ)しいものだ、と。人間が命を持っているということ、これが誠に甘美なものだ、という言葉になっているんですね。「甘美」ということばは訳しにくいんですが、元の言葉で「甘く味わいが良い」と、そういう言葉なんですね。味わえば味わうほどこの深みがあるということになりましょうね。
 
森本:  それと一つお釈迦様がよく「この世は苦である。苦しみであるんだ」ということをおっしゃっていましたけど、それとこういう言葉とは何かちょっと一見矛盾するように思われますけども。
 
中村:  おそらく最初はやっぱり人生は思うようにならないということを痛感して、それで道を求められたと思うんです。だからその時点においてはすべてが苦である、と。「一切皆苦(いっさいかいく)」というわけですね。けれど、ずっと修行して道を求めて過ぎ去る過去を振り返ってみますと、ああ、人の命というものは尊い味わいのあるものだということを、この歳にして感ぜられたということは深い意味があると思いますね。
 
森本:  それともう一つ、この経典の中で非常に私が感動するのは、お釈迦様が決して偉ぶらず、そして例えば老いですね、自分が老人になったということをはっきりと正直に語られていますね。
 
中村:  そうなんです。
 
森本:  ここら辺はリアリティーと言いますか、心打ちますね。
 
中村:  心打ちますね。ほんとに釈尊の感懐がそのまま伝わってくるような気がしますですね。原典に出ている言葉をご紹介致しますと、
 
     わが齢は熟した。
     わが余命はいくばくもない。
     汝らを捨てて、わたしは行くであろう。
     わたくしは自己に帰依することをした。
     修行僧らよ、汝らは精励にして正しく気をつけ、よく戒めをたもってあれ。
     思惟によって良く心を統一し、おのが心をまもれよ。
 
ああ、わが齢は熟した。わが余命はいくばくもないと。汝らを捨てて私は行くあろうと。これはどうにも仕方がない運命だと。私は自己を帰依すること、自分本当の自分に頼るということを追求してきた。だからみなさんも精励して正しく気を付けよく戒めを保ってあれと。ジッと心を落ち着けて、よく心を統一して、己が心を守れと―守れというのはつまりいろんなことに動揺しないように守れと。清らかであれと。そういう意味だと思うんですが。
 
森本:  おそらくこのお釈迦様もヴァイシャーリーで、自分の死の近いことを覚られて、これが自分はヴァイシャーリー見るのは最後だろうということも言われておりますね。
 
中村:  そうなんです。それでまた此処でもう自分はこの世を去って亡くなるという決心をしたと言われたと。原典にはそう出ているんです。或いは後の人が忖度(そんたく)した言葉かも知れませんけど、やっぱり自分の死期の近付いたこと感ぜられたんでしょう。
 
森本:  これからいよいよクシナガラに向かわれるわけですね。その途中にチュンダという人がお釈迦様に差し上げた食物にあたって、いよいよ大変苦しい病に罹られ、激痛にも耐えられるいう大変な最後の旅が始まるわけですね。こういうところも非常に経典の中でリアルに描かれておりますし、それから苦しい時には苦しいとおっしゃっておられる。そういうところが如何にも人間的と言いますかね。
 
中村:  そうです。
 
森本:  やはり八十歳になられても、悟られた釈尊としては痛い時は痛い。水が飲みたい時は飲みたいとおっしゃったんでしょうね。
 
中村:  そうです。非常にリアルにその情景が出ておりますね。そしてここで鍛冶工(かじこう)といいますか、金属細工人の供養を受けられたというんですがね。バラモン教のカースト制度によりますと、法典に出ているんですが、そういう職業の人はシュードラという一番下の階級なんですね。だけどそういう人のもてなしでも受けて、そしてそういう人にも教えを説くということを実際にされたわけです。ここでもカースト制度を越えた態度というものが出ているわけです。
 
森本:  それでチュンダが供養した、差し上げた食物にあたられたんですが、チュンダを怨むどころか、むしろ私にそうやって一生懸命になって供養してくれたんだから、チュンダはきっといいことがあるとおっしゃっているわけですね。
 
     与える者には
     功徳が増す
     身心を制する者には
     怨みのつもることがない
 
中村:  自分に供えてくれた食物は功徳のあるものだ、と。そういうことをいっておられるんです。自分が今まで受けた功徳のある食物の中で二つがある、と。一つは自分が苦行をして、痩せ細られた時に乳粥(ちちがゆ)を村の乙女が捧げてくれた。これは功徳があった。それと並んでいま此処でチュンダが供養してくれたこの食物は非常な功徳のあるものだ、ということを言って、チュンダが後悔しないように、という心遣いがあるんですね。
 
森本:  そうですか。それはなかなかできないことですね。普通でしたら、あの人のために私はこんな目に遭わされた、と怨むわけですが。
 
中村:  思い遣りがあるんですね。
 
森本:  私はここも非常に経典の中の一つの山場だろうと思いますけれども、こうしていよいよクシナガラに歩みを続けられるわけですね。そしてクシナガラにいらっしゃった時にほんとにここでも釈尊は人間的な言葉、「さあ、アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい」と。
 
中村:  そうなんです。
 
森本:  ここもいよいよお釈迦様の入寂間近の大変素晴らしい情景ですね。

中村:  ほんとだったんじゃないでしょかね。自分は疲れた。横になりたい。そう言われて大きな衣を四つにこう折って、そして下に敷いてあげた。それから自分は喉が渇いたから水を飲みたい、と言われた。そうするとアーナンダが近くの川へ行って水を汲んできたと。そういう話もあるんです。その時異常な霊験(れいげん)が現れたというようなことも経典には出ております。
 
森本:  この時にやはり床をとってほしいと。それはお布団を敷くわけじゃありませんけれども、とにかくそこで布を敷いて、頭を北に向けて、と書いてありますけれども、日本でも「北枕」と言いますけど。
 
中村:  おそらくそこからきたんだろうと思いますね。
 
森本:  「北枕」というのは、そのルーツはここにある、と。
 
中村:  その解釈については学者間でも意見が両方ありまして、若干の人は、「昔から教養のある人がそういう具合に北を枕にして伏すものであった」と説明する人もございます。それからある学者は、「たまたま北を枕にしておられたんだ」というんですがね。ここを確定的に私としては断定できないんですけど、しかし北枕にされたというのはおそらく事実だろうと思いますね。
 
森本:  そうでしょうね。
 
中村:  それが我が国にもそういう観念が伝わってきたわけなんですね。
 
森本:  沙羅(さら)の樹の間にというのはこれは有名な沙羅双樹(さらそうじゅ)ですね。
 
中村:  そうですね。あそこへ行ってみますと、沙羅の木が多いですね。元の言葉でシャーラと言いますがね。双樹はどれか、と。これはどうもその頃のものは残っていないと思うんですが、それから何代目後か知りませんけど、実際沙羅の木がございますね。
 
森本:  クシナガラに有名な仏様の涅槃像がございますけれども、あの涅槃像の御堂の前に、私が行った時にはやっぱり若木ですけれども、二本の沙羅の木が植わっておりました。そして私の場合はゴーラクプルというところから車でずっとクシナガラを目指したんですが、その途中、あ、ここを釈尊がお歩きになったんだなあと思いながら行ったんですけれども、大変長閑(のどか)な美しい田園風景ですね。
 
中村:  美しい田園風景ですね。そしてあそこは割合に湿気が多いんじゃないですか。
 
森本:  そうですね。

中村:  だから割合に草木が茂っておりますでしょう、他の地域に比べて。
 
森本:  そうですね。
 
中村:  美しい湖といいますかね、池がかなり多かった、他の地方に比べまして。
 
森本:  ただ、私が行った時はたまたま雨期でもありましたものですから、余計そういう感じが致しました。
 
中村:  雨期でない時もやっぱり池が多うございましたよ。
 
森本:  そうですか。クシナガラにまいりました時にこちらに大きな塚がございまして、これは仏様の塚だというようなことですね。
 
中村:  そうです。
 
森本:  この最後のクシナガラ、これは現地では「クシナーラー」とか言っておりますけど、
 
中村:  そうです。
 
森本:  そこで、「疲れた、横になりたい」というのは、例えば他の宗教上の聖者はたくさんいるわけですけども、こういうふうに純心に語るというのは非常に人間的だと思いますね。
 
中村:  ほんとに釈尊の温かい体の温もりが伝わってくるような気がします。
 
森本:  ここで最後に非常にいよいよ命も間近に切れる迫った時に修行者たちが訪れてきていろいろお話をするわけですね。
 
中村:  そうなんです。スバッダという行者が訪ねてきまして、ちょっと議論をふっかけようとしたんですね。当時いろんな哲人がいる。その人たちの説をどう思うか。決着をして頂きたい、というようなことをいってくる。そうするとお弟子のアーナンダが、「今はもう釈尊は疲れておられるから」と言って断るわけです。そうすると行者がまた言い張る。またアーナンダが断る。三遍やった、というんですね。
 
森本:  そうしてこの言葉が出てくるわけですね。
 
     わたしは二十九歳で善を求めて出家した。
     わたしは出家してから五十年余となった。
     正理と法の領域のみを歩んで来た。
     これ以外には《道(みち)の人》なるものも存在しない。
 
中村:  そうなんです。釈尊は、「会ってやろう。中へ入れろ」と。そういうように瀕死の重病の宗教家がですね
 
森本:  そして、ただ自分の生涯を顧みて二十九歳で善を求めて出家して五十余年になった、と。これ以外に道の人なるものは存在しない、ということなんですね。
 
中村:  そうなんです。もう形而上学的な煩わしい議論はしないで、本当に真実の道を求めた。その感懐がズバッと出ているわけです。
 
森本:  そしていよいよ最期が近付きますと、アーナンダが泣く。そうするとお釈迦様が静かに諭す。アーナンダよ、ということですね。この言葉も大変素晴らしい言葉だと思いますね。この時にはっきりと諸行無常というんでしょうか。
 
中村:  そうですね。
 
     アーナンダよ。わたしはかつてこのように説いたではないか、
     ―すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、
     異なるに至るということを。
     およそ生じ、存在し、つくられ破壊さるべきものであるのに、
     それが破滅しないように、ということがどうしてありえようか。
 
愛する人とはいつまでも居たいわけですけど、好きな者とはいつまでも一緒でありたいけれども、それから離れねばならん時がくると。およそ生じ、存在しつくられ破壊されるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということがどうしてありえようかと。全ての過ぎ去る、つまり諸行無常ですね。滅びないということはあり得ない、と。
 
     アーナンダよ。
     そのようなことわりは存在しない。
     アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、
     安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、
     わたくしに仕えてくれた。
     アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた
 
アーナンダよ。お前は長い間慈愛ある慈しみの心持ちのこもった自分のためをはかる安楽な純一なる無量の身と言葉と心の行為によって私に仕えてくれた。あ、アーナンダよ。お前はほんとに善いことをしてくれたと。
もう今際の際にこういう清らかな愛情のこもった言葉を述べられた、というのは事実でございましょう。
 
森本:  そしてそこに修行者たちにも言葉をかけますね。その言葉というのも非常に短いんですけれども、
 
     さあ、修行僧たちよお前たちに告げよう。
     もろもろの事象は過ぎ去るものである。
     怠ることなく修行を完成しなさい。
 
大変含蓄のある言葉だと私は思いますね。
 
中村:  非常に含蓄のある迫る言葉ですね。
 
森本:  そしてここでやはり諸行無常をですね。
 
中村:  修行者たちよ。もろもろの事象は過ぎ去るものであると。だから過ぎ去るものである、滅びるものであるということを自覚して、怠ることなく修行を完成なさいと。これが最後の言葉であります。
 
森本:  ここがやはり釈尊の最後の言葉というのは、釈尊の一番の結晶、
 
中村:  結晶ということは言いましょうね。たった原文で言えば、二行ほどですけどね。そこに集約されているわけです。
 
森本:  そうしますと、ほんとうにおっしゃりたかったことというのは、まずこの世が諸行無常である、と。つまり要するに常なるものは存在しないんだ、と。その理を悟りなさい、ということだったと言っていいでしょうね。
 
中村:  そういうことですね。そこに尽きるんじゃないでしょうかね。そう思って毎日を生きていれば有意義な日を送ることができますものね。
 
森本:  以上、ずっと釈尊の最後の旅を画面と一緒に辿ってきたわけでございますが、こういう旅をずっと辿ってまいりますと、なんとお経というのは難しい。そこから仏教の理論というのを究める学ぶということは大変難しいという気がするんですけども、しかしこういう道を辿ると実感として迫ってまいりますね。
 
中村:  実感として迫ってきますね。釈尊その人が私たちに話し掛けてくださっていると。そういうことを感じますね。
 
森本:  私はよく思うんでございますが、例えば世界的な大宗教といいますと、仏教、それからキリスト教、イスラム教といろいろございますね。そのキリスト教の場合ですと、イエスがゴルゴタの丘で十字架に架けられて人間に代わって罪を贖(あがな)ってくれると。そして人間を救ってくださる、ということでして、一つのシンボルが十字架に架けられたイエスということになりますね。ところが仏教の場合は、釈尊がそれこそ眠るが如く往生する。安らかに涅槃にお入りになると。この二人の聖者の最後の情景を二つながら合わせ考えますと、何か非常に違うような感じがするんですね。
 
中村:  釈尊の最期というのはほんとに親しいアーナンダとかその他釈尊を信頼している親しい人に囲まれまして安らかなしめやかな大往生であったと思いますね。
 
森本:  そうですね。それに対してイエスは人類に代わって激痛をジッと堪えながらそのまま人間のために十字架に架けられるということですから、やはり世界的大宗教でも、やはり西と東の違いといいますか、なんかそのような感じが時として起こるんですがね。
 
中村:  そうでしょうね。大きな違いだと思います。
 
森本:  今度改めて先生お歩きになられたわけですけれども、やはりこの旅はどこに一番印象が深うございましたか。
 
中村:  そうですね。どこでもやっぱり私の漠然たる記憶をもう一度甦らせたり、或いは想像を確かめて貰ったということがございますが、私がヴァイシャーリーは初めて行ったんです、今度。
 
森本:  そうですか。
 
中村:  ですから初めてのヴァイシャーリーが一番印象深うございました。何にも残っていないんですけどね。しかしあそこへ行きますと、釈尊の頃もこうだったろう、と。マンゴーの林がずっと並んでいるんですね。そして下草がございませんで、風が透けて通るわけです。このマンゴーの樹木が茂っておりまして、その下でゆっくり休むことができる。ああ、それは最後の旅路の経典のあちこちに、どこそこのマンゴー樹林でお休みになった、と。ああ、この通りだったなと思いました。殊にマンゴー樹林はガンジス川を渡って北へヴァイシャーリーに向かうその辺りが一番多いですね。余計何か二千五百年前のことが今の事柄のような、そういう印象を受けましたです。
 
森本:  勿論仏教というのは、釈尊の教えというものはヒンドゥー教から出てきて、ヒンドゥー教とは違ったものでございますけれども、私、実はヒマラヤの麓の僧坊と言いますか道場で何日か過ごしたことがございますが、その時に一番私が衝撃といいますか、ビックリしたのは、何の規制もないということですね。朝何時に起きろとか、そういうこと一切ない。そしてうっかり寝坊して、慌てて出て行きますと、「何をそんなに慌てているんだ」と。「いや、寝坊しました」と、こう申しますと、「それはあなたが自分で修行しに来たんだから、自分で責任を取ればいい。何をしたっていいんだ。あんたの全部の責任はあんたなんだから、自分が思う通りやりなさい」という完全な自由放任というか。
 
中村:  そうです。これは南アジアの宗教について特に言えると思うんですね。今おっしゃいましたのはヒンドゥーですね。仏教のほうでも、スリランカには今でも昔からの、しかも原始的な形の仏教が残っていますけれども、めいめい人が勝手に修行するんですね。かり出されるというようなことがないわけなんですね。
 
森本:  ところが日本でいきますと、割合禅の修行なんていうと、指導して頂くわけですね。
 
中村:  そうです。集団的ですね。
 
森本:  私が何でこんなことを申し上げたかと申しますと、先ほどの釈尊の言葉に、「自分をよりどころにしろ」という教えが出てまいりましたね。ですからやはりほんとに自分が修行するんだから、自分で責任を持って向上していくように自分が努力しなければいけなんだ、と。人に導かれていくんじゃないんだという精神というのはやっぱりこの仏教の中にも十分あるわけですね。
 
中村:  あると思いますね。一つには、中国や日本で何故変わったかといいますと、社会経済が違う、或いは社会生活が違うと思うんですね。中国では集団的でしょう。耕作でも集団的にやる。我が国でもいろいろな規制がございますね。ところがインドだとかスリランカなんかではまったくめいめいの人が勝手にやっているわけです。それからギリシャ人が非常に不思議だと書いているんですね。「インド人はご飯頂く時も一人で頂く」というんですよ。「一緒に頂いたほうが楽しかろうに」というんですね。ギリシャ人と比べてみても違いがある。そうするとめいめいがインディビデュアル(individual)であると。個であるということ。この自覚はインドの子孫には非常に顕著だと思うんです。めいめい人が自己として絶対のものに対面している。そういうところにあるんじゃないかと思うんです。
 
森本:  ですからアートマン、ブラフマンが「一如」という考え方が出てくるわけなんですね。
 
中村:  本当の自己というものは実は絶対なものであるという、そういう捉え方ですね。仏教だって「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」と申しまして、あらゆる生きとし生けるものが、それぞれ内に仏性、仏となりうる可能性は持っている。つまり仏様と対面しているわけですね。
 
森本:  そういう意味で、例えば私もこのほんとにインドの心―最後の拠り所というのは自分なんだ、という考え方というのが今回の最後の旅の仏様の教えでもよくわかったような気がするんです。この釈尊最後のクシナガラへの旅というのは、私はある意味では、キリストのゴルゴタの丘の道のように非常に仏教にとって象徴的な意味を持っているように思われるんですね。
 
中村:  改めて教えられたという気が致します。
 
森本:  もう一度私も先生と同じようにあの道を辿ってみたいなと思っておりますけれども、大変興味深いお話を、今日はいろいろほんとにありがとうございました。
 
中村:  どうもありがとうございました。


 
これは、昭和六十一年四月十三日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたものである
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-167.htm

原始仏教経典「大パリニッバーナ経」のご紹介です。

 私の読んだ「大パリニッバーナ経」は、書籍「ブッダ最後の旅 −大パリニッバーナ経−」(岩波文庫 中村元訳)です。 この書籍は、「大パリニッバーナ経」(この経典はパーリ語という 言語で書かれています)の現代日本語訳です。

 仏様の最後の旅と仏様が亡くなられるまでがその内容です。


 「大パリニッバーナ」は「大いなる死」という意味です。
 Mahaparinibbana:Maha(=大いなる)parinibbana(=死)


<以下「ブッダ最後の旅 −大パリニッバーナ経−」(岩波文庫 中村元訳)の抜粋です>

冒頭の番号は各章での通し番号です。


第二章

26 アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として最高の境地にあるだろう。 − 誰でも学ぼうと望む人々は −。」

※アーナンダ(仏弟子、仏様の従兄弟。晩年の仏様は旅をする際に従者として従兄弟のアーナンダを連れて旅をしました。)

第四章

20 さて尊師が鍛冶工チェンダの食物を食べられたとき、激しい病いが起り、赤い血が迸(ほとばし)り出る、死に至らんとする激しい苦痛が生じた。尊師は実に正しく念い、よく気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。
 さて尊師は若き人アーナンダに告げられた、「さあ、アーナンダよ、われらはクシナーラーに赴こう」と。
 「かしこまりました」と、若き人アーナンダは答えた。

※クシナーラー(地名)

第五章
17 若き人アーナンダは尊師にこのように言った。

 「尊い方よ。尊師は、この小さな町、竹薮の町、場末の町でお亡くなりになりますな。尊い方よ。他に大都市があります。例えば、チャンパー、王舎城、サーヴァッティー、サーケータ、コーサンビー、バーラーナシー(ベナレス)があります。こういうところで尊師はお亡くなりになってください。そこには裕福な王族たち、裕福なバラモンたち、裕福な資産家たちがいて、修行完成者(ブッダ)を信仰しています。かれらは修行完成者の遺骨の崇拝をするでしょう。」
 「アーナンダよ、そんなことを言うな。アーナンダよ。(小さな町、竹薮の町、場末の町)と言ってはいけない。」


第六章

3 アーナンダよ。修行僧の集いは、わたしが亡くなったのちには、もしも欲するならば、些細な、小さな戒律箇条は、これを廃止してもよい。

7 そこで尊師は修行僧たちに告げた。 −
 「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」と。」
 これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。

<私の解説・感想>
「大パリニッバーナ経」は「スッタニパータ」や「ダンマパダ」(教えの短い詞が箇条書きとなっている)と違い、文章(物語り)の形式となっています。(従者アーナンダとの旅、アーナンダに水を汲みにいかせたり、敷物を敷かせたりします。)

「第二章 26」の「自らをたよりとし」という考えは、我々の一般の日常生活でも参考となる考え方です。日ごろからあまり他のものに依存しない生活を行う事はメリットがあります。言外ではありますが、仏様自身のことも頼りとせず、「自分をたより」にしろとの内容と取れます。

「第六章 3」ここに戒律のことが書いてありますが、宗派や当然団体によって当然考え方は違うと思いますが、元々の仏教の「戒律」に対する考え方は、厳密な適応を絶対とするものではなかったようです。(破ると破門とか、地獄行きとかでは無いようです。)

「第五章 17」の「(小さな町、竹薮の町、場末の町)と言ってはいけない。」は、私は結構気に入っているフレーズです。人間としての仏様の実像が見える感じがします。

「第六章 7」これが仏様がおっしゃた最後の教えです。「大パリニッバーナ経」ではこの言葉の後に仏様は涅槃に入ります。
http://sky.geocities.jp/biyakuren_sutra/mahaparinibbana.html


 お釈迦様は、35歳のときガンジス川中流のブッダガヤーの菩提樹の木の下で瞑想の末、ついに悟りを開かれ、その後45年間説法の旅を続けました。そして80歳のとき、クシナガラというところの沙羅双樹の下で静かに80歳の生涯を終えました。死の直前に修行僧に有名な自灯明・法灯明などの教えを説きました。これらの教えは南方仏教典によく残されています。ここではその中の大パリニバーナ経から学んでいきます。

 お釈迦様はアーナンダ他の多くの修行僧たちとベールヴァ村にやってきました。ここでお釈迦様は恐ろしい病に罹って死ぬほどの激痛に見舞われました。しかし、お釈迦様は禅定に入ってその苦痛を耐え忍び、やがて病は静まりました。するとアーナンダはお釈迦様に近づき、

「『尊師が修行僧たちについて何事か教えを述べられないあいだは、ニルヴァーナに入られることはないであろう』、という安心感がわたしには起こりました」

と申しました(二十四)

この言葉を聴いたお釈迦様は、つぎのような話を始めました。


⇒展開:アーナンダ:漢訳では阿難。お釈迦様の十大弟子の一人。(もっともお釈迦様は教団の指導者ではないといっている))

⇒展開:ニルヴァーナ:火を吹き消した状態という意味から、煩悩の火を吹き消した状態とか人間の本能から起こる精神の迷いがなくなり、心の安らぎや、心の平和によって得られる楽しい境地をいう。漢訳では涅槃。


 「アーナンダよ。修行僧たちはわたしに何を期待するのか? わたしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。まったき人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は存在しない。『わたしは修行僧の仲間を導くであろう』とか、あるいは、『修行僧のなかまはわたしに頼っている』、とか思うことがない。向上に努めた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。(二十五)(『大パリニバーナ経』二)

 大意は、

「アーナンダよ、修行僧たちは私に何を期待するのですか。わたしはすでに分け隔てなく教えを説いており、何かを弟子に出し惜しみするなどしていない。悟った人は、『私は仲間を導く、仲間は私に頼っている』などとは思わないのだ。だから修行僧の仲間に何を語ることもない。私は老いて、ようやく命を保っているに過ぎないのだ」と。

お釈迦様はアーナンダを諭します。


⇒展開:教師の握拳(にぎりこぶし)とは:それまでのバラモン教の僧侶たちは、教えを独り占めすることによりその地位の保全を図っていたことを指しています。


⇒展開:お釈迦様は教団の指導者ではない:
お釈迦様の教えは「各自が頼るべきは私(お釈迦様)ではなく、各自の自己であり、普遍的な理法である法(自灯明・法灯明)である。このことは今までに全て説いている。わたしが死んでも法は永遠であり、万人のものである」ということです。


⇒展開:親鸞も教団の指導者ではないといっています
「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」と歎異抄で述べているように、親鸞は、「自分の力で人々に念仏を称えさせたのならば、その人は自分の弟子と呼んでも良いが、人々が念仏を称えているのは阿弥陀様のお力である。そうして念仏を唱えている人々を自分の弟子とは呼べない」といっています。

さらにお釈迦様は、次のように話を続けるのでした。

アーナンダよ、私はもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。私の齢は、八十となった。例えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、おそらく私の身体も革紐の助けによってもっているのだ。しかし、向上に努めた人が一切の相を心にとどめることなく一部の感受を滅ぼしたことによって、相のない心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、彼の身体は健全なのである。
(二十五)(『大パリニバーナ経』二)


 大意は、「アーナンダよ、私(お釈迦様)は、年齢は80歳になり、身体は革紐の助けを借りないと動かないような古ぼけた車のように衰えてしまった。しかし、禅定によって精神統一された心が支配しているその肉体は健全なのです」、と。


それでは、いかにすればこのような境地に達することが出来るのかについて説いたのが次のような自灯明・法灯明の教えです。

アーナンダよ。このようにして、修行僧は自己を灯明とし、自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるのである。
アーナンダよ。今でも、また私の死後にでも、誰でも自己を灯明とし。自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、彼らは私の修行僧として最高の境地にあるであろう、−誰でも学ぼうと望む人々はー。」
(二十六)(大パリニッバーナ経』二)


⇒展開:灯明:原語では島と訳すのが正しいようですが、ここでは一般的な訳である灯明を用いています。島は大会を漂流している人が頼りにするし、灯明は暗闇にいる人が頼りにするように、どちらも意味は拠り所です。

⇒展開:法:真理の意(真理、本当のこと)


―死の予告―

お釈迦様は、いよいよ最後がせまってくると修行僧を講堂に集め最後の説法をしました。

 「さあ、修行僧たちよ。私はお前たちに告げよう、−もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成しなさい。ほどなく修行完成者はなくなるだろう」と。

世尊、幸いな人、師はこのように説かれた。このように説いた後で、さらに次のように言われた。

 「わたしの齢は熟した。わたしの余命はいくばくもない。そなたらを捨てて、私は行くであろう。わたしは自己に帰依することをなしとげた。そなたら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。その思いをよく定め統一して、自分の心をしっかりと護りなさい。この教説と戒律とにつとめてはげむ人は、生まれをくりかえす輪廻を捨てて、苦しみも終滅するであろう」と。(五十一)(大パリニバーナ経』三)

 大意は、「わたしは間もなく逝くであろう。わたしは自分の目指した『自己に帰依すること』(「解脱した」の意)をなしとげた。あなたたち修行僧も、多くの人々の幸福のために、法を良くたもち、実践し、盛んにしなさい。このことに精進するものは、解脱し、輪廻を離れ、苦しみも消滅するでしょう」、と。
そして、3ヶ月過ぎた後自分は入滅するであろうと予告しました。これがお釈迦様の遺言でした。3ヵ月後いよいよ臨終を迎えます。そのとき次のような最後の言葉を残して安らかに息を引きとったのです。


「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成しなさい。』と。」(大パリニバーナ経』三)


このお釈迦様の最後の言葉は、残された修行僧たちに対する訓戒であると同時に、自分の生き様を述べているものといわれたいます。
http://www1.ocn.ne.jp/~cdl65021/b5-jitoumyou.htm

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原始仏典から学ぶ 大般涅槃経


第一章
**大いなる涅槃への旅立ち**

◆ 王舎城を立つ 

王舎城の霊鷲山に住しておられた仏陀は、ふと故郷への旅を思い立たれました。
既に成仏して以来四十余年の歳月が流れ、その間を中インドの各地を巡歴しつつ、多くの人々を教え導いて来られたのですが、七十九歳の高齢となった今は、もはやその尊い役目も終わりに近づいてきている事を感じられたのでしょうか。

当時の中インドの中央には、西から東に向けて大河ガンジス河が流れています。
この河の南方の広大な領域がアジャセ王が統治しているマガダ国で、その王都が王舎城です。

マガダ国の更に南方にはヴィンドヤ山脈が聳え、これによりマガダは南インドと隔てられています。

反対にマガダ国の北方を見てみますと、ガンジス河を越えた北岸地方はヴァッジー国で、その首都はヴェーサリーです。
そのヴァッジー国の西方には、これもまた広大なコーサラ国があります。
コーサラの首都は舎衛城と言って、かなりインドの北方に位置している為に暑熱が厳しくはありません。

この舎衛城には有名な祇園精舎がありました。
仏陀はこの祇園精舎をとても愛されていまして、雨期の雨安期をここで過ごされる事が多かったようです。

コーサラ国の王は波斯匿王「(はしのくおう)、またの名をプラセーナ・ジット」でしたが、仏陀の晩年にはその王も亡くなり、王子の瑠璃王(ヴィドゥーダバ)が跡を継いでいました。
しかしこの瑠璃王はとても暴虐な王で、後にはシャカ族を滅ぼしてしまいます。
彼はあまりにも暴虐だったために民心を失い、やがてマガダの国王アジャセに滅ぼされてしまうのです。

仏陀の生まれ育ったシャカ国はコーサラの北東に位置する小国で、当時はコーサラの属国でありました。

首都はカピラヴァスツですが、ネパール国内に入っています。
コーサラ国から南方に下がってガンジス河を越えると、ウデーナ王が治めるヴァンサ国があります。

首都はコーサンビーであります。

このように、仏陀が巡歴を重ねておられた当時の中インドでは、マガダ・ヴァッジー・コーサラ・ヴァンサの四大国が拮抗して栄えておりました。

中でもマガダ国が一番の勢力を持った大国で、しかもアジャセ王は優れた君主でありました。

アジャセ王は、まず北方のヴァッジー国を滅ぼし、次いでコーサラとヴァンサを滅ぼして中インドを平定し、マガダの王統を立てました。

これがインドにおける統一国家としての最初で、その後マウリヤ王朝が現れ、中インドのみならず北インドから南インドを統一し、インド全体に君臨する国家ができました。
このマウリヤ王朝に、紀元前三世紀アショーカ王が現れます。
アショーカ王は、インド不世出の明君と言われた王で、後年仏陀の教えに帰依し、仏教の教団を援助した王としてとても有名な王です。

アショーカ王によって、仏教はインド全体に急速に広められていったと言っても過言ではないでしょう。


しかしながら、仏陀晩年のこの当時はまだインド統一はできておらず、マガダのアジャセ王が北方のヴァッジー国を滅ぼそうとして、ガンジス河南岸のパータリ村に城砦を築いていました。

アジャセ王は、ヴァッジーを討伐した方が良いのかどうか決心しかねており、行雨(ヴァッサカーラ)大臣を使いに立てて仏陀の助言を求める事にしました。
それに対しての仏陀の答えは、「ヴァッジー族がしばしば会議を行い、よく団結し、和合し、なすべき義務をよく果たし、みだりに法律を改めず、老人を敬いその意見を重んじ、婦女や子供を暴力で連れ去るようなことをせず、ヴァッジー族の祖先の廟を敬い、宗教者を尊敬する」など、ヴァッジー族の美点を多く挙げて、更にヴァッジー国の強大なることを示して、間接的に戦争の不可なることを諭しました。

仏陀はこれに関連して、弟子達にも次のように告げられました。
即ち、仏弟子の教団が常に和合し、しばしば集会し、話し合いによって事を決し、先輩を敬い、教団の規則をよく守り、規則をみだりに変えず、相互に信頼し、慙愧があり、教えを聞く事を喜び、修行に精進するならば、教団に繁栄は期待せられ、衰亡はないであろう、と説かれたのです。

◆ 旅立ち

意を決した仏陀は、弟子の阿難を共に連れて北を指して王舎城を出発されました。
まずアンバラティカーに行き、そこの王の園林に逗留し、次はナーランダ村に行きました。

ナーランダーは後年五世紀になって仏教の大寺院が建立されましたが、当時は広々とした農村地帯でありました。
仏陀はパーヴァーリカのマンゴーの林に止住されました。
このとき舎利弗が訪ねてきて、仏陀の比類ない美徳を讃嘆しました。

その次に仏陀はパータリ村に行きました。

ここはガンジス河に沿っており、後にはパータリプトラと呼ばれる大都市になり、アショーカ王の都城として栄えるのですが、仏陀が行かれた時はまだ寂れた寒村で、行雨とスニーダと言う二人のマガダの大臣が人々を指揮して、ガンジス河の河岸に城砦を築いておりました。

仏陀はここでガンジス河を渡り、対岸のヴァッジー国へと行きました。
ガンジス河の北岸にあった村はコーティ村と言い、そこから更にナーディカ村を通ってヴェーサリー市に到着しました。

王舎城を出てからも通る村々において仏陀は、集まってきた村人達や随従している弟子達に対してそれぞれに適した法話をなし、聴者を励まし、鼓舞し、喜ばしめられたのでした。

やがて仏陀と随従する弟子達はヴェーサリーにやってきて、遊女アンバパーリーの園林に止住されました。

このようにしばしば園林に止住されるのは、、インドでは雨期以外殆ど雨が降らないので屋外に宿る事が可能だったからです。

遊女アンバパーリは、仏陀が自分の園林に止住されていることを知り、大変喜びました。
そして、美しい乗り物を装備して園林へと急ぎました。
乗り物が通れなくなったところで彼女は車を降り、徒歩で仏陀の傍へと近づいてゆきました。

そして、仏陀に対して心を込めて敬礼し、一方に座しました。
仏陀は座したアンバパーリーに対して法話を説かれ、彼女を教え示し、訓戒し、鼓舞し、彼女の心を満足させました。

アンバパーリーは、仏陀の教えに励まされ、心は喜びで満ち溢れ、尊い師にこう告げました。

「尊い師よ、師は仏弟子達とともに、明日、私の家で食事の供養をお受け下さい。」

それを聞いた仏陀は、沈黙をもってこの申し出をお受けになりました。

アンバパーリーは夜も明けないうちから食事の用意をして、美味しい柔らかい食物、かたい食べ物を沢山作り、手ずから仏陀を上首とする仏弟子達に、満足するまで差し上げました。

やがて食事が終わると、喜びに溢れた彼女は自分の園林を仏陀や仏弟子達の教団へ献じました。
仏陀は快くこの申し出もお受けになり、やがて次の村を目指して出発なさいました。

◆ 竹林寺

竹林村へ到着した丁度その時、雨期が始まりました。

インドでは雨期が四ヶ月間続き、この期間は毎日スコール性の強い雨が降ります。
野原には草木が繁茂し、毒蛇や毒虫なども横行する上に、河川も増水します。
それゆえ、この雨期の期間は生き物を殺傷しますし、大層危険でもあります。
これらの理由によって、仏陀は雨期の三ヶ月間、一ヶ所に定住して旅行をしない「雨安居」の制度を設けられていました。

この時も雨期が始まりましたので、弟子達に「それぞれ縁故者を頼って宿所を見つけ、三ヶ月の雨安居に入るように。」と命じられました。

仏陀はこのように、一所に留まらない遊行生活を続けておられます。
定まった家も持たずに旅から旅へと遊行して歩く生活は、とても不便で苦しいものであったと思われます。

しかし、このような苦しい生活に堪えて旅を続ける事こそ、仏陀の目的であり、修行であったわけなのですが、雨安居の三ヶ月の間は、仏陀も一ヶ所に留まって、一人瞑想をして日々を過ごされる事が多かったようです。

竹林村にて教団を一時解散し、仏陀もいつものように雨安居の生活を始めておられたある日のこと。

仏陀に恐ろしい病気が起こり、死に近いような激痛が生じました。
それでも仏陀は意思を強固に持って正しい思惟を失わないようにして、その激痛に堪えておられました。

「私が持者にも知らせず、修行者たちにも別れを告げないで涅槃に入ることは、私にとってふさわしくない。私は心を励まし、意思を強く持ってこの病苦に堪え、寿命の力をとどめて住することにしょう。」

このように考えられた仏陀は、自ら心を励まし、その病苦に堪え、寿命の力をとどめて住しておられました。

この堅固な気持ちからか、やがてその病気は消滅して回復してゆきました。
久しぶりに仏陀は住居の外へ出て、住居の傍らに用意されていた座席に腰をおろしました。

持者の阿難は、仏陀のその姿を見て、静かに傍へ近づいて敬礼をし、一方に座して、次のように申し上げました。

「尊い師よ、ご機嫌うるわしくお見受けします。病気がよくなられたようにお見受けします。
尊い師のご病気が心配で私は方角も解らなくなり、道理もわからなくなりました。
しかし『尊い師が修行僧の教団に関して、何も言い残さないで涅槃に入られることはないであろう。』と考えて、いささか心を安じておりました。」

阿難の言葉を聞いて仏陀は答えられました。


「それでは修行僧の教団は私に対して何を期待するのか。
私は内外の隔てなく教えを説いてきた。
阿難よ、如来の法には、何ものかを弟子に隠すような教団の握拳(秘密の教え)は無い。

『私は修行僧の教団を指導しょう』とか、あるいは「教団の修行僧達は私を頼っている』と、このように考える者こそ、修行僧の教団に関して何事かを語るであろう。

しかし、阿難よ、如来は『私は修行僧の教団を指導しょう。』とか、『修行僧の教団は私を頼っている。』と、このように思うことはない。

それゆえ、如来は修行僧の教団に関して、何を語ることがあろうか。
阿難よ、今や私は老い、衰え、高齢となり、人生の終わりに達し、老衰した。
私の齢は八十になった。

たとえば古い車が皮紐で修理されて動くように、惟(おも)うに私の体も、いわば皮紐の助けによっていくのである。
しかし阿難よ、如来が、心に一切の相を考えることがなく、一つ一つの感受を滅することによって、『相をもたない心の統一』(瞑想』に安住するとき、如来の体は安楽であるのである。

それゆえに阿難よ、自己を島として住し、自己を帰依処として住せよ。他を帰依処とせざれ。

法を島として住し、法を帰依処として住せよ。他を帰依処とせざれ。」
と述べられ、弟子達が涅槃に入ることの間もない仏陀のみを、頼りとしていることの非を諭されました。

即ち、自己を拠り所とし、法を拠り所にせよ、と言う「自灯明・法灯明」の教えを述べられたのです。


◆ 寿行を断つ

お釈迦様は阿難を伴って托鉢の為にヴェーサーリー市を訪れ、食事を済ませてから
「阿難よ、チャーパーラー廟へ行こう、そこで食後の休息をしよう。坐具を持っていきなさい。」と言われました。

阿難は「かしこまりました、尊い師よ。」と答えて、坐具を持ち、お釈迦様の後に従いチャーパーラー廟へゆきました。

そして、阿難が設けた座処にお釈迦様が座られてこう言われました。

「阿難よ、ヴェーサーリーは楽しいところだ。ウデーナ廟も楽しいところだ。チャーパーラー廟も楽しいところだ。

阿難よ、誰でも*四神足を完全に修習した人は、一劫この世に住することができる。如来は四神足を完全に修行したから、もし欲するならば、一劫この世に住することができるのである。」

しかし、阿難にはお釈迦様のこの言葉の意味が理解できませんでした。
その為、ただちに「それならば、お釈迦様はこの世に一劫住して下さい。」とお願いしなかったのです。

お釈迦様は、この世に苦しんでいる人々を救うために、少しでも長くこの世に住していようと思い、「もし欲するならば一劫住することができる。」と仰りたかったのですが、阿難にはその真意をくみ取ることができませんでした。
そこでお釈迦様は三度繰り返し先の言葉を述べられたのですが、阿難には反応がありませんでした。

そこでお釈迦様は

「阿難よ、もうさがってもよろしい。」

と言われ、阿難を遠ざけられました。

そこへマーラ(悪魔)が近づいて来て、お釈迦様にこう囁きました。

「尊い師よ、いまこそ涅槃にお入りなさい。いまこそ尊い師が涅槃に入られる時です。かって尊い師は

『マーラよ、私の男性の修行僧達が賢明であって、法を保ち、法のごとく実行し、法を解説し、法を説示するまでは、私は涅槃に入らない。』

と仰いましたが、いまや尊い師の男性修行僧は、言われるとおりになりました。同様に、尊い師の女性の修行僧、男性の在家信者、女性の在家信者が

『法を保ち、法のごとく実行し、法を解説し、法を説示するまでは涅槃に入らない。』

と言われましたが、すべてはそのようになりました。

また尊い師は、

『マーラよ、私の清純な修行が完成し栄え、世間によく知られ、ゆきわたり、人々に広く説かれるまでは、涅槃に入らない。』

と言われましたが、しかしすべてはそのようになりました。

いまや、尊い師は般涅槃にお入り下さい。いまこそ尊い師が涅槃に入られる時です。」

このようにマーラに言われて、お釈迦様は答えました。

「マーラよ、心配するな。久しからずして如来は般涅槃に入るであろう。これより三月後に如来は般涅槃に入るであろう。」

このように、チャーパーラー廟においてお釈迦様は、もうこの世にとどまる必要がなくなったと考えて、三月後に涅槃に入る事を約束されたのです。

これは、お釈迦様がはっきりと自覚を持って、ご自分の寿命の元になる力(寿行)を捨てたのです。

この時、お釈迦様が寿行を捨て去った事に対して、天地は六種に震動し、恐ろしい地震が起こりました。

人々は恐れ、身の毛がよだち、天の太鼓も破裂しました。
阿難は驚いてお釈迦様の元へ駆け寄り、地震の原因をたずねました。
お釈迦様は、このような地震がある原因には八つある、と言われて、それぞれを説明しました。

八つ目の原因として、如来が正しい自覚をもって、自己の寿行を捨する時である、と答えられたのです。
そして、

「このチャーパーラー廟で寿行を捨したから、三月後には如来の般涅槃があるであろう。」

と告げられたのです。


お釈迦様の言葉を聞いた阿難はビックリして、そして懇願しました。

「尊い師よ、尊い師はどうかこの世に一劫住してください。人々の利益のために、人々の幸福のために、世間をあわれむために、神がみと人間との利益のために、幸福のために、どうかこの世に*一劫とどまってください。」

しかし、お釈迦様は

「いまはそのようなことを願ってはならない。そのような願いをする時ではない。

」と、阿難の願いを退けられました。

それでも、阿難は二度、三度と懇願しましたが、その願いは聞き届けられることなく、お釈迦様の入涅槃は決まってしまいました。

悲しみに打ちひしがれる阿難に、お釈迦様はこう仰いました。

「しかし阿難よ、私はかって告げなかったであろうか。「愛しく、好めるものといえども、生別し、死別し、死してのち境界を異にする。」と。

阿難よ、生じたもの、つくられたるもの、壊れる性質をもつものが、実に破壊しないようにあれ、と言うことがどうしてあり得ようや。こういう道理は存在しない。
阿難よ、この肉体は如来によって捨てられた、投げ出された、放棄された。
寿命のもとになる力も捨てられた。
如来ははっきりと断言した。

「久しからずして如来の般涅槃はあるであろう、三月後に如来は般涅槃に入るであろう。」と。

如来が一度断言したことを、再び取り消すということはあり得ない。」

そして、お釈迦様は阿難に命じて、ヴェーサーリー付近に住していた修行僧たちを、すべてヴエーサーリー市の市民会館(大林重閣講堂)に集められ、集合した修行僧たちにお釈迦様は種々の法話をされました。

そして、「汝らは、世間の人々の利益と幸福のために、これらの教えを世の中に宣布せよ。」と言われ、

「いざ修行僧たちよ、私はいまお前たちに告げよう。すべて形あるものは、壊れるものである。
諸行は無常である。怠らないで、修行の目的を達せよ。久しからずして如来の般涅槃はあるであろう。
三月後に、如来は般涅槃に入るであろう。」


「私の齢は熟した。
私の寿命は少ない。
汝等を捨てて、私はいくであろう。
私は、自己に帰依することをなしとげた。
修行僧たちは怠ることなく、正しい自覚をもち、よく戒をたもて。
思惟によりて、よく心を統一し、自己の心をよく護れ。
この法と律とに精励して住する者は、生の流転を捨てて、苦の終わりを作すであろう。」


四神足(しじんそく)・・・四種類の神通力の修行

一劫(いちごう)・・・非常に長い時間の単位(一辺4000mの立方体に小さな芥子の実が一杯詰まっているとして、三年ごとに一粒を取り去るとすると、いつかはこの芥子の実が尽きる時がきます。それに要するる時間を『一劫(いちごう)』と表します。)

◆ アーナンダ廟での説法

仏陀は早朝内衣を着け、衣と鉢を持ってヴェーサーリー市に托鉢のために入りました。
鉢とは食鉢のことで、鉢を持って市中を回られると、信者がそれに食べ物を入れてくれるのです。

仏陀はヴェーサーリー市で托鉢を終え、その托鉢で得られた食べ物で食事をされました。
食事をすませてから、*象が眺めるようにヴェーサーリー市を眺められ、そして阿難に言われました。

「阿難よ、これが如来の最後のヴェーサーリーの眺めとなるであろう。
いざ阿難よ、パンダ村に行こう。」

このときは雨期も終わり、阿難の他にも沢山の弟子達が随従していました。
パンダ村でも仏陀はそれらの弟子達に数々の法話をされ、特に多くの教えを「戒・定・慧」の三学に纏めて話されました。

教えのうちの若干のものは「戒」の教え『戒学』、若干のものは「定」の教え『定学』、更に若干のものは「慧」の教え『慧学』というように、多数の教理を三学に配当し、整理して、説法されました。

これは師亡き後に、弟子達が教法を誤りなく億持することができるようにと配慮してなされたことであります。

パンダ村に随意の間止住されてから、仏陀はハッティ村に行かれました。
それからアンバ村へ行かれ、そしてジャンブ村、更にボーガ城に行かれました。
以上のように、ヴェーサーリーからボーガ城まではかなりの距離があります。
ゆえに、この期間を旅行するのに一ヶ月以上を費やされたことでしょうし、更に仏陀が、雨安居の時に「寿命を支える力」を捨てられてから、安居が終わるまでにも一ヶ月以上かかっているでしょう。

ゆえに、仏陀がボーガ城に着かれた時には、三ヶ月の期間は残り僅かになっていたのです。

ボーガ城では、仏陀はアーナンダ廟に止住されました。
このアーナンダ廟では、仏陀は弟子達に四大教法を説かれました。
四大教法とは、仏陀亡き後、弟子達の拠り所となる教えで、これを四つに分けて示されました。

第一は、仏陀が般涅槃された後、一人の修行者が

「私はお釈迦様から直接聞いた。これが法であり、これが律である。これが師の教えである。」

と、このように言ったとしても、無条件で信じてはならない。
その修行者の言ったことを経典の中で調べてみて、更に律典の中に調べてみて、その言葉が経典か律典のどこかに見出されるならば、それは確かに仏陀の言葉である。
ゆえにそれを「仏陀の言葉」として受け入れてよろしい。

第二は、「教団から聞いた」と言う場合。
第三は「多くの長者から聞いた」と言う場合。
第四は、「ひとりの長者から聞いた」という場合。

いずれも、それらの者の言う言葉が、経典や律典の中に見出す事ができれば、それは仏陀の言葉として受け入れてよろしい、と言う教えです。

これは、仏陀の真実の教えであるか否かの判定の基準を、経典や律典におくことを意味しています。

言いかえれば、仏陀亡き後は、仏陀に代わって弟子達を指導するものは「経典」と「律典」であることを、ここに明言されたわけなのです。


象が眺めるように・・・体全体の向きを変えて後ろを振り返る様子。
廟・・・廟は原語では「チャイトヤ」と言い、神様の小さな祠を指しています。
インドでは昔から大樹の根元に神様の祠をつくり、神様を祀り礼拝する習慣がありました。
よって、このアーナンダ廟での止住も、祠のある大きな大樹の林のことであると考えられます。

◆ チュンダの施食

仏陀はボーガ城に心ゆくまで留まった後、パーヴァーに行き、鍛冶工チュンダのマンゴー林に止住されました。

ここで仏陀は、鍛冶工チュンダの供養した食事を受けられて重い病に罹り、死の床につかれる事になるのです。

チュンダは仏陀と修行僧の教団が、自分のマンゴー林に止住しておられる事を聞き、早速訪ねてゆきました。

そして尊い師に近づいて、師に敬礼して、一方に座しました。

仏陀はチュンダに法話を説かれ、法話によって、教え、さとし、鼓舞し、喜ばせました。
チュンダは尊い師の法話によって、教えられ、さとされ、鼓舞され、喜ばされて、尊い師に申し上げました。

「尊い師よ、師は明朝、修行僧たちとともに、私の家で食事の供養を受けてください。」
尊い師は沈黙をもって、この申し出をお受けになりました。

鍛冶工チュンダは、夜も明けないうちから美味しい柔らかい食べ物、かたい食べ物を料理し、さらにたくさんの茸の料理を用意して、仏陀に食事の用意ができた事を告げました。
そこで仏陀は修行者達とともにチュンダの住居に行き、用意された座席に座してチュンダに言われました。

「チュンダよ、汝の用意した茸は、私に供養しなさい。そして残りの柔らかい食べ物、かたい食べ物を修行僧達に供養しなさい。」

チュンダは仏陀の指示に従って、茸の料理を仏陀に供え、他の料理を修行僧達に差し上げました。

その時、仏陀は更にチュンダにこう言われました。

「チュンダよ、残った茸はすべて穴に埋めなさい。この茸を消化できる人は、如来以外に、天人の世界にも人間の世界にもいない。」

そこでチュンダは仏陀の言われるとおりに、残った茸をすべて穴に埋めました。
その後で、チュンダは尊い師に近づき、敬礼し、一方に座しました。
座したチュンダに対して、仏陀は法話をし、法話によってチュンダを教え、さとし、鼓舞し、喜ばしめました。
そして、座より立って去りました。

このときチュンダが供養した『茸』は、原語では「スーカラ・マッダヴァ』とありまして、漢訳では「栴檀樹耳(せんだんじゅに)』と訳しています。

しかし「スーカラ・マッダヴァ」は、柔らかい豚の干し肉だと言う解釈もあります。
ともかく、仏陀はチュンダの差し上げたスーカラ・マッダヴァを召し上がって、食あたり(血が出たと言いますから、赤痢だと思われます。)になられたのです。

チュンダの食を召された尊き師に、重い病が起こり、赤い血がほとばしり出て、死に近い激しい苦痛が起こりましたが、仏陀は正しい思惟によって、苦しみにとらわれないで、苦しみを克服して住しておられました。

そのとき、仏陀は阿難に言われました。

「さぁ阿難よ、クシナーラへ行こう。」
「かしこまりました。」と阿難は答えました。

このように私は聞いた。
鍛冶工チュンダの食を召して、慧者は死に至る激しい病にかかられた。
茸を召されて、激しい病が師に起こった。
下痢をしながら、尊い師は言われた。
私はクシナーラへ行こう、と。

以上は詩になっていまして、古い言い伝えであることを示しています。
こういう金言が、長文の涅槃経をつくられる材料となったのです。
この詩の中にも、仏陀が鍛冶工チュンダの捧げた茸(スーカラ・マッダヴァ)を食べられて、激しい病気になられた事が示されています。

◆ クシナガラへ

仏陀は激しい病気にかかりながらも、クシナガラへの道を歩んでゆかれました。
「クシナガラ」はサンスクリット語ですが、パーリー語では「クシナーラ」とも表されています。
しかし正しくは「クシナガリー」であると言われています。

仏陀の時代、クシナガラは大きな市であったと考えられますが、現在は「カシヤー」と呼ばれる小さな町で、インドの北辺にいちしています。
そして、仏陀の般涅槃を記念して涅槃堂が建てられていて、その中に涅槃象が安置されています。

涅槃象とは、仏陀が涅槃に入られるとき、頭を北に向けて、顔は西を向かれ、右脇を下にして寝られたので、この寝姿を像にしたものです。

しかしここではまだクシナガラに到着される前でして、仏陀は病をおして、パーヴァーからクシナガラへの道を歩いておられました。
やがてお疲れになったので、一樹の下で休まれることになりました。
そして阿難に言われました。

「阿難よ、私のために上衣を四重にして敷きなさい。私は着かれた。私は座ろう。」

ここで言う上衣とは「僧伽梨衣(そうぎゃりえ)」の事で、二重になっていている二メートル四方くらいの大きな布の事です。
これを体に巻き付けて、袈裟として着るのです。
仏陀は阿難に、僧伽梨衣を地に敷くように命ぜられたのです。

阿難はこれを四重にして敷いたのですが、十文字のように四重にしたのではなく、二つに折って、それを同じ折り方でもう一度折って四重にしました。
ゆえに細長い短冊形になって、これをベッド代わりにします。
長さが二メートル(幅は五十センチになる)もあるので、端をくるくる巻けば枕にもなります。

このようにできた床に仏陀は座して、阿難にこう言われました。

「水が飲みたいから、水を持ってきなさい。」

しかし近くの小川は、丁度五百もの車が通りすぎた後だったので、車輪にかき乱されて水が濁っていました。

そこで阿難は「もう少し行くとカクッター河があります。そこは水が澄んでいて快く、冷ややかで清らかです。水量も豊富です。
ゆえに仏陀はそこで水を飲まれ、体をお冷やしになって下さい。」と申し上げました。

しかし仏陀は「私は水が飲みたいのだ、口が渇いた。水を持って来なさい。」と再度言われました。

それを聞いて阿難は再度「水が濁っていますから、カクッター河まで辛抱なさいませ。」と申し上げました。

しかし三度、仏陀は「水を持って来るように。」と言われたので、阿難は「かしこまりました。」と言って、鉢を持って小川に行きました。

そしたら不思議な事に、小川の水は綺麗に澄んで流れていました。
阿難は、これは仏陀の神通力によるものであると考え、仏陀の神通力に感嘆しました。
そして鉢に水を汲み、仏陀に差し上げました。

そのとき、マッラー人でプックサと言う商人がおりました。
彼はクシナガラからパーヴァーに向かって大道を歩いていました。
そして一樹の下で休んでおられる仏陀を見ました。
プックサは仏陀が心静かに座っている姿を見て、深く心を打たれました。
そして仏陀の所へ近づいて敬礼し、一方に座しました。
そして、心静かに休んでおられる仏陀を讃嘆する言葉を述べました。

プックサは、当時有名な宗教者であったアーラーラ・カーラーマの弟子でありました。
禅定に入った時のアーラーラ・カーラーマの心静かな姿を深く尊敬していましたが、今、目前に仏陀が心静かに座している姿に深く帰依し、仏と法と僧団とに帰依して信者になりました。

プックサは仏陀に帰依したあと、柔らかい金色に輝く絹を二枚取り寄せ、仏陀と阿難とに一枚づつ差し上げました。
阿難が仏陀にその美しい絹の衣をお着せしました。
しかしその金色に輝く美しい衣も、仏陀の体に着けますと美しい輝きを失って見えました。

阿難はそれを見て仏陀に申し上げました。

「尊い師よ、不思議なことです、滅多にないことです。
尊い師、如来の皮膚の色は、清く麗しく輝いています。この柔らかい金色に輝く衣も、尊い師のお体にお着せすると、その衣は輝きを失って見えます。」

仏陀は申されました。

「阿難よ、そのとおりである。
阿難よ、二度、如来の皮膚の色はきわめて清く、麗しく輝く。
その二度とは、如来が無上の仏陀の悟りを得た夜と、無余依涅槃界に入る夜とである。
この二つの時間に、如来の皮膚の色はきわめて清らかに、美しくなるのである。
阿難よ、今夜の夜の終わる最後に、クシナガラのウパヴァッタナにあるマッラー族の林の沙羅双樹の間で、如来は般涅槃に入るであろう。
さぁ阿難よ、河へ行こう。」

阿難は「かしこまりました。」と仏陀に同意しました。

柔らかい金色に輝く一対の衣を、プックサは持ってきた。
それを身に着けられた師は、金色に輝いた。

そこで仏陀は修行僧の集団とともに、カクッター河へ行きました。
そして水に浸り、水浴をし、水を飲み、対岸に渡ってマンゴーの林へ行きました。
そしてそこにいたチュンダカ長老に、

「さぁチュンダカよ、私の為に上衣を四重に敷きなさい。私は疲れた。私は横臥しょう。」

と言いました。

「かしこまりました。」とチュンダカ長老はお答えして、上衣を四重にして敷きました。
このチュンダカ長老と、先の鍛冶工チュンダと同じ人か別の人かは、ハッキリしませんが、おそらく別人であろうと思われます。

そこで仏陀は獅子臥の臥法で臥せ、右足の上に左足を重ね、再び起きる事を考慮して、正しい思慮と正しい自覚をもって臥していました。
そしてチュンダカ長老は尊い師の前に座しました。

仏陀は水清く、快く、澄んでいるカクッター河にいかれたが、非常に疲れた様子にて、世に比(たぐい)のない如来である教主は、水に浸かられた。
教主は水浴し、水を飲まれ、流れを渡られた。
修行僧の集団に囲まれ、尊敬されつつ。
尊き師である教主は、ここに法を説かれ、偉大なる仙人はマンゴーの林に近づかれ、チュンダと名づける修行僧に言われた。
私が臥すために、衣を四つに折って敷け、と。

かのチュンダは、修行を積んだ方に促されて、速やかに衣を四重に敷いた。
非常に疲れた様子にて、教主は臥したまい、チュンダは、そこに面前に座した。

この時、仏陀は阿難に言いました。

「阿難よ、何びとかが鍛冶工チュンダに、後悔の念を起こさせるかもしれない。『友よ、チュンダよ、如来は汝の差し上げた最後の供養の食べ物をおあがりになって、般涅槃に入られたのであるから、汝には利益はなく、汝には功徳がない。』と言って。

しかし阿難よ、鍛冶工チュンダの後悔の念は、次のように排除されるべきである。

『友よ、如来は汝の差し上げた最後の供養の食べ物をおあがりになって、般涅槃されたのであるから、汝は利益があり、大なる功徳がある。
友よ、チュンダよ。 このことを、私は如来より面前で聞き、面前で受けた。
この二つの供養の食べ物は、等しい功徳があり、等しい果報がある。
他の供養の食べ物よりも優れており、より大なる果報があり、より大なる利益がある。
その二つと言うのは何であるか。
一つは、その供養の食べ物を食した如来が、無上の仏の悟りを得られたときの、その供養の食べ物である。
第二は、その供養の食べ物を食した如来が、無余依涅槃界に入られる時の、その供養の食である。

この二つの供養の食物は、等しい功徳があり、等しい果報がある。
他の供養の食べ物より優れており、より大なる利益がある。

鍛冶工チュンダは寿命を延ばす業を積んだ。
鍛冶工チュンダは容色を増す業を積んだ。
鍛冶工チュンダは安楽に導く業を積んだ。
鍛冶工チュンダは名声を増す業を積んだ。
鍛冶工チュンダは天界に生まれる業を積んだ。
鍛冶工チュンダは王権を得る業を積んだ、と。
阿難よ、このようにして鍛冶工チュンダの後悔の念は排除されるべきである。

そこで仏陀は、その意味を考えられて、次のごとき感興の語を述べました。
与える者には功徳が増す。
心を制御する者には怨みはつもらない。
しかして善人は悪を捨て、むさぼりと怒りと迷妄とを滅して、涅槃せり。

第二章  お釈迦さまの般涅槃

◆ 沙羅双樹の花の色

パーヴァーもクシナガラもともに、マッラー人の国であります。
ゆえにパーヴァーとクシナガラとは、
それほど離れていたとは思われません。
しかし病に苦しまれ、しかも老年のお釈迦様にとって、その旅行は容易ではなかったでしょう。

お釈迦様がパーヴァーでチュンダの供養を受けられたのは正午前であります。
出家者の食事は、正午以後には許されないからです。
ゆえに正午過ぎにチュンダの家を出発されたのでしょう。
それから病気に苦しみながら、パーヴァーからクシナガラに通じる大道を進んでいかれました。

そしてカクッター河に近い一樹の下でお休みになったのです。
そのとき、阿難に命じて、濁った小川から水を取り寄せて飲まれました。

この一樹の下で休息されていたときに、マッラーの商人プックサが通りかかって、お釈迦様のいとも静かな態度に感じて帰依します。 そして法話をなされ、柔らかい金色に輝く絹の衣をお受けになります。

そのときにはすでに夕暮れに近かったのでしょう。
それからカクッター河を渡り、近くのマンゴー林で休息されます。
ここでチュンダに後悔の念の起こらないようにと説法をされました。

それから再び起き上がって、マンゴーの林を出発されたときには、すでに夜になっていたと考えてよいでしょう。
出家者は午前中に食事をすませて、午後から夜にかけては食事をしませんから、お釈迦様はただ水を飲んだだけで、旅行を続けられたのです。
涅槃経によって、続きを見ますと、次のようになっています。

すなわちカクッター河を渡ったところのマンゴー林で休息されたあとで、お釈迦様は阿難に言われました。

「さあ、阿難よ、ヒランニャヴァティー河の彼岸にあるクシナガラのマッラー人のウパヴァッタナのサーラの林にいこう。」

「かしこまりました、尊い師よ。」と阿難は同意しました。

ここでお釈迦様は、修行僧の集団とともに、ヒランニャヴァッティー河の彼岸にあるクシナガラのウパヴァッタナにいきました。

これで見ますと、カクッター河を渡ってから、少し行ってさらにヒランニャヴァッティー河を渡って、クシナガラのウパヴァッタナの沙羅林に行かれたわけです。
ゆえにその距離はそれほど遠くはなかったでしょうが、お釈迦様達がウパヴァッタナの沙羅林に着かれたときには、すでに夜になっていたとみてよいでしょう。

お釈迦様が、かなり強行軍でここまで来られたのは、途中に大勢の修行僧が野宿をするための適当な林がなかったためでしょうか。
あるいは朝になれば、乞食をして、食物を得なければなりませんから、市街の近くに宿することが、重要なことであったのでしょう。

あるいはクシナガラは都市ですので、人口も多かったでしょうから、入滅なさったあとの葬式のことなどを考慮されたものかとも思います。
あまりに住民の少ない小村ですと、お釈迦様が亡くなられても、お葬式に住民が困るということが考えられます。

ともかくお釈迦様がパーヴァーからクシナガラまで、少なくとも、小川とカクッター河とヒランニャヴァッティー河と、三つの河を越えられたのですから、かなり無理をなさってクシナガラまでお着きになったことがわかります。

ヒランニャヴァッティー河の「ヒランニャ」とは黄金のことでして、「ヴァッティー」とは、所有するという意味です。
ゆえにこれを「金河」などとも訳します。
現在あるヒランニャヴァッティー河は幅数メートルの小さな川ですが、昔は大きな河であったといわれます。

ウパヴァッタナのサーラの林に着いたとき、お釈迦様は阿難にいわれました。

「さあ、阿難よ、汝は私のために、沙羅双樹の間に、頭を北に向けて床を用意しなさい。 私は疲れた。 私は横臥しょう。」

「かしこまりました、尊い師よ。」と阿難は答えて、沙羅双樹の間に、頭を北に向けて床を敷きました。

そこでお釈迦様は、頭を北に向け、顔は西に向けてお休みになりました。
そして右足の上に左足を重ね、獅子臥をなし、思惟を正しく保ち、しっかりした自覚をもって、休んでおられました。

このようにお釈迦様が沙羅双樹の間に横たわられますと、そのとき、ときならざるに沙羅双樹は咲きて、すべての花は満開になりました。

それらは如来を供養するために、如来の体に降りそそぎ、降りそそぎ、散り敷きました。
林が真っ白い花で一杯になったので、これを「鶴林」とか「つるの林」などとも言います。

これは大乗の涅槃経のはじめに、「沙羅の林が白く変じて、白鶴のようであった。」と述べているのに由来します。

このようにお釈迦様の涅槃に際しては、ときならぬのにサーラ双樹が満開になり、お釈迦様を供養するために花が降り注ぐという奇瑞が現れたのですが、奇瑞はそれだけではなく、涅槃経によりますと、次のごとく書かれています。

また天のマンダラ華は虚空から降ってきて、如来を供養するために、如来の体に降りそそぎ、降りかかりました。

また天の楽器も、如来を供養するために、虚空中に鳴り響きました。
天の合唱が、如来を供養するために、虚空に起こりました。

如来を供養するには、まずお花を捧げます。 次にお香、さらに音楽を奏して供養します。

ここには天上から、花や香がお釈迦様の体の上に降りそそぎ、さらに空中に音楽が奏せられ、天人達がお釈迦様を尊敬し、供養したのです。

しかしお釈迦様が阿難に告げていわれるには、このように花や香、音楽などによる供養は真の供養ではない。

お釈迦様の出家の弟子達や在家の信者達が、法に従って正しく実践し、法に付随する事柄を正しく実践し、法に従っておこなう者こそ、如来を敬い、重んじ、尊び、如来を最上の供養によって供養する者である。
阿難よ、このように学ぶべきであると説かれました。

そのときウパヴァーナ長老が、お釈迦様の前に立って、お釈迦様を扇であおいでいました。

しかしお釈迦様はウパヴァーナを去らしめました。

「去れ、修行僧よ、わたしの前に立ってはならない。」

そこで阿難は考えました。

「このウパヴァーナ尊者は、長い間、お釈迦様の持者として、おそばでいろいろな用事をつとめた人である。
それなのにお釈迦様は、臨終に際し、ウパヴァーナを去らしめられた。
お釈迦様がウパヴァーナを去らしめられた理由は何であろうか」と。

そこで阿難はお釈迦様に申し上げました。

「尊い師よ、このウパヴァーナ長老は長い間、尊い師の持者でありました。
師の近くでいろいろの用をつとめました。
それなのに尊い師は、臨終に際して、ウパヴァーナを面前から去らしめられました。
ウパヴァーナを去らしめた理由は何でありましょうか。」

お釈迦様はいわれました。

「阿難よ、十方の世界から神がみたちが、如来に会うために大勢集まってきている。 この沙羅林の周囲十二ヨージャナの間は、大勢力のある神がみたちが体を接しており、毛先を入れるほどの隙間もないほどである。

それほどたくさんの神がみたちが集まっているが、彼らは呟いている。『ああ、われわれは如来にお目にかかるために、遠くからやってきた。めったに如来はこの世に現れない。しかるに今日、今夜の最後更に如来は般涅槃されるであろう。しかるにこの大威力のある修行僧が尊い師の前に立って、さえぎっているので、われわれはこの最後のときにお釈迦様にお目にかかることができない』と。 阿難よ、このように神がみは呟いているのである。」

ウパヴァーナ長老は舎衛城の人で祇園精舎が建立されたときに出家したと言いますから、お釈迦様の最初期からの弟子です。

そして六神通を具え、阿羅漢になっていましたから、大きな徳の力を具えていました。
この力のために神がみはお釈迦様の前に進むことができなかったのです。


*十二ヨージャナ :距離の単位で「由旬(ゆじゅん)」と訳す。1由旬は11キロメートル程。
*最後更(さいごこう) :午前四時頃

ここで阿難はお釈迦様に申し上げました。

「尊い師よ、かって地方にあって雨安居を過ごした修行僧たちは、如来にお目にかかりたいために、安居がすむと、お釈迦様のところへやってきました。
そのために私たちは、心の修行をつんだ修行僧を見ることができましたし、彼らを供養することができました。
しかし尊い師がお亡くなりになったあとには、私たちは、心の修行をつんだ修行僧を見ることはできないでしょうし、供養することもできないでしょう。」

そこでお釈迦様はいわれました。

「阿難よ、信仰心のある善男子を見て、信仰心を深める場所が四つある。
ここにて如来はお生まれになったという処(誕生処)は、信心ある善男子の訪ねるべき処であり、信仰心を深めるべき[第一の]処である。

ここにて如来は無上の悟りをひらかれたという処(成道処)は、信心ある善男子の訪ねるべき処であり、信心を深める[第二の]処である。
ここにて如来は無上の法輪を転ぜられたという処(転法輪処)は、信心ある善男子の訪ねるべき処であり、信心を深める[第三の]処である。
ここにて如来は般涅槃されたという処(般涅槃処]は、信心ある善男子の訪ねるべき処であり、信心を深める[第四の]処である。

実に阿難よ、これらの四つの処は、信心ある善男子の訪ねるべき処であり、信仰心を深めるべき処である。

実に阿難よ、信心のある修行僧や修行尼、さらに在家の信男・信女は、『ここにて如来はお生まれになった、ここにて如来は無上の悟りをひらかれた、ここにて如来ははじめて法輪を転ぜられた、ここにて如来は無余依(むよえ]涅槃界にお入りになった』といって、これらの場所に集まってくるであろう。

これらの四つの聖地を巡礼する人を、『チャイトヤ(廟)の巡礼者』と呼ぶ。
彼らがチャイトヤを巡礼して、清らかな心をもって死ぬならば、死後に善い生処である天界に生まれるであろう。」と述べられた。

次に阿難はお釈迦様に突然以下のような質問をし、お釈迦様が答えられました。

「尊き師よ、私たちは女性に対して、どのように接したらよいでしょうか。」
「阿難よ、見ないようにせよ。」
「尊き師よ、すでに見てしまったら、どうすべきでしょうか。」
「阿難よ、話をするな。」
「尊き師よ、しかし話しかけられたら、どうしたらよいでしょう。」
「阿難よ、そのときは気をつけて接せよ。」

修行僧も修行尼も禁欲生活をしていました。 
阿難はまだ悟りを得ていませんでしたから、愛欲の束縛から脱していませんでした。
有名な「摩登伽(まとうが)経」によりますと、チャンダ^−ラ種族の娘が阿難に深く恋慕して、愛欲のために死なんばかりになりました。

そこで母親は娘の切なる願いにより、呪法を修し、その呪力によって、阿難を自己の家に引き寄せようとしました。

阿難は母親の呪法の力に抗しきれず、一歩、一歩その家に引き寄せられていきました。

お釈迦様は上天眼(じょうてんげん)によって、阿難の危急をご覧になって、仏の威神力によって、母親の呪法の力を打ち破ったので、阿難は無事に祇園精舎に帰ることができたという話があります。

今まで自分を守ってくださったお釈迦様が般涅槃されると、自分は今後どうしたらよいかと思って、心細くなって、以上のような質問をしたのでしょう。


◆仏舎利の供養

次に阿難は、お釈迦様の葬式について質問します。

「尊い師よ、私たちは如来の舎利(遺骸)を、どのように処理したらよいでしょうか。」

「阿難よ、汝らは如来の舎利の供養にかかずらうな。
いざ、汝らは、真実の目的のために努力せよ。 正しい目的を実行せよ。
真実の目的のために、不放逸に、熱心に、努力せよ。
阿難よ、如来に信心をもつ王族の賢者たちや、バラモンの賢者たち、居士の賢者たちがいて、彼らが如来の供養をするであろう。

お釈迦様は以上のように答えられて、出家の弟子達に、葬式に関係したり、遺骨の礼拝、供養をすることを禁止されたのです。
そして在家信者の中に、信心ある賢い人々がいるから、彼らが如来の遺骸の葬式をするであろうと言っておられるのです。
ゆえにお釈迦様が亡くなられたとき、葬式をしたのは、クシナガラのマッラー人達でありました。
そして遺骸を火葬にしたあと、残った遺骨を集めて、塔を建てたのも、在家信者たちでありました。

このようにお釈迦様は出家の弟子たちには、お釈迦様の遺骸の葬式に関係することを禁止されましたが、しかし在家者がするにしても、葬式の作法を知っておかなければなりません。

その参考のために、阿難はお釈迦様の遺骸の葬法をお尋ねしました。

「しかし尊い師よ、如来の舎利をどのように処理したらよいでしょうか。」

「阿難よ、天輪聖王(てんりんじょうおう)の舎利を処理するように、如来の舎利を処理すべきである。」

と、お釈迦様は返事をされました。

*天輪聖王 : 輪宝を所有する聖王のことで、輪宝が転じることによって国土が平定されると考えられている。
すなわち、武器によらないで国土を平定し、理想的な政治を行う聖王として、インドでは古くからその出現を待望されていた。

「しかして尊い師よ、天輪聖王の舎利はどのように処理すべきですか。」
「阿難よ、天輪聖王の遺骸は、新しい布で包む、その上毛羽だてた綿布で包む。
毛羽だてた綿布で包んだ上を、さらに新しい布で包む。
この方法で五百重に天輪聖王の遺骸を包む。
それからこの遺骸を、油を満たした鉄の棺に入れる。
それを別の鉄の容器で覆い、あらゆる香木の薪でつくった堆積の上に載せて、火葬にするのである。
そして大きな道の四つ辻に塔をつくって祀るのである。

阿難よ、天輪聖王の遺骸はこのように処理するのである。
阿難よ、天輪聖王の遺骸を処理するように、そのように如来の遺骸を処理すべきである。
そして大きな道の四つ辻、如来の塔を建てるべきである。
誰でも、その塔に、花輪や香料、または顔料を供えて、礼拝する者や、あるいは清らかな心で信ずる者は、長い間、利益と安楽とが得られるであろう。

ここに塔を建てることが出てきます。
塔の語源は「ストゥパ」といい、この語はヴェーダなどの古い時代には「頭の髷」を意味する言葉でした。
それが原始仏教の時代になって、お釈迦様の遺骨の上につくった半珠形の墓を示す言葉に用いられたのです。
また、インドでは古くからお墓をつくりません。
現在でもヒンドゥー教はお墓を作りません。
人は死ねば輪廻転生するというのがインド人の信念ですから、お墓をつくって死者の霊魂を祀ることは不可能なわけです。
これに対して、お釈迦様のように、輪廻の生存を終止して、無余依涅槃界に安住している聖者は、塔を建てて祀ることができるのです。
涅槃経では、お釈迦様はこれら四種類の者には、塔が建てることができるといっています。

「阿難よ、これらの四種類の者は、塔を建てて拝まれるべきである。
如来は塔を建てるに価する。独覚(どっかく)は塔を建てるに価する。声聞(しょうもん)は塔を建てるに価する。天輪聖王は塔を建てるに価する。」


*独覚 : 仏陀の導きに依らずに、独力で悟りを開いた者。
*声聞 : お釈迦様の声(教え)を聞いた人。阿羅漢の悟りを得た者。

これらはすべて輪廻の生存から脱出した人々ですから、塔を建てて祀り、礼拝することができます。

さらに、礼拝する人は、心が清まり、その功徳によって、死後に天界に生まれることができると説かれています。
ただし、天輪聖王は在家者ですから、輪廻を終えた人とは言いかねますが、お釈迦様が生まれたとき、占相師が、この子は家にあれば天輪聖王になり、出家すれば、仏陀になると予言しましたので、天輪聖王は仏陀と同格にみられていたものと考えます。


◆マッラー人の悲しみ

このようにお釈迦様が説法をされている間に、阿難はお釈迦様が涅槃に入られるのを悲しんで、辛抱することができず、すすり泣きをしていました。

「お釈迦様が涅槃に入られるのは、何と早いことであろう。 私はまだ修行が完成していない。 まだ修行中である。
それなのに、私を憐れんでくださる教主は、私を捨てて般涅槃されてしまう。」
と言って、嘆き悲しみました。

お釈迦様は「いま、阿難はどこにいる」と問われました。

弟子たちが「阿難は仏さまの後ろににいて、お釈迦さまの般涅槃は、何と早いことであろうといって悲しんでいます。」と申し上げました。
そこでお釈迦さまは阿難にいわれました。

「やめよ、阿難よ、悲しんではならない。 嘆くのをやめよ。
阿難よ、かって私は、汝にいわなかったか、『すべて愛するもの、好めるものといえども、生別し、死別し、死後には境界を異にする』と。 阿難よ、すべて生じたもの、存在するもの、つくられたもの、破壊すべき性質のものを、それを破壊しないようにということが、どうしてあり得ようか。そのような道理はあり得ない。
阿難よ、汝は長い間、慈悲のある、利益のある、安楽な、純一な、はかり知れない言葉と行為と心とによって、私に仕えてくれた。
阿難よ、汝は功徳をなした。 努めはげめ。
遠からず煩悩を尽くして、悟りを得るであろう。」

といって、阿難をなぐさめました。

そしてさらに修行僧たちにいわれました。

「修行僧たちよ、阿難は賢者である。 これは、如来にお目にかかるために、修行僧たちのまいるべきときである、これは如来にお目にかかるために、修行尼たちのまいるべきときである。これは、如来にお目にかかるために、在家信者たちのまいるべきときである。

 これは、如来にお目にかかるために、在家信女たちのまいるべきときである。 これは国王、王の大臣、異教徒の師、その弟子たちのまいるべきときであるということを、よく知っている。

修行僧たちよ、また阿難には四つの不思議にして、珍しい能力がある。
その四つというのは何であるか。

もし修行僧たちの集団が阿難に会おうと思って近づいていくならば、会っただけで、彼らは喜びを感ずる。

もし阿難が説法すれば、説法を聞いて喜びを感ずる。
もし修行僧たちが満足すれば、そのとき阿難は沈黙する。
修行尼の集団が阿難に近づくときも、在家者の集団、在家信女の集団が阿難に近づくときも、以上とまったく同じである。
このように阿難には、この四つの不思議な、珍しい能力がある。」

このようにお釈迦さまは、阿難のすぐれた能力を賞賛されました。
このとき阿難はお釈迦さまに申し上げました。

「尊い師よ、尊い師はクシナガラのような小さな都城、竹薮の都市、田舎の都市で般涅槃にお入りになるべきではありません。
他に大きな都城、たとえばチャンパー、王舎城、舎衛城、サーケータ、コーサンビー、バーラーナシーなどがあります。
こういう大きな都城で、尊い師は般涅槃に入られるべきです。
そこには、多くの富裕な王族やバラモン・居士たちの大きな会堂があり、如来に深い信仰をもっています。
彼らは如来の舎利供養をするでしょう。」

「阿難よ、そのようにいってはならない。
阿難よ、クシナガラを小さな都城、竹薮の都市、田舎の都市といってはならない。」と、お釈迦様は阿難の言葉を制止されました。
そして、クシナガラは大昔には、クサーヴァティーという大きな都城であり、富裕で、人民が多く、食料も豊かで、大善見王(だいぜんけんおう)の都城として栄えていたことを話されました。

次にお釈迦様は、阿難に命じて、ご自身が般涅槃されることをクシナガラの住民に知らしめられます。
これは、「お釈迦様が生きておられるうちに、もう一度お目にかかりたかった。」と、人々が後悔しないように配慮されたのであります。

すなわち阿難に告げられて、

「阿難よ、汝は行きなさい。 クシナガラに入って、クシナガラのマッラー族に告げなさい。

『おお、ヴァーセッタたちよ、今夜の最後更に如来の般涅槃はあるでしょう。
ヴァーセッタたちよ、集まってきなさい。 あとになって、われわれの村の土地で、如来は般涅槃された、しかしわれわれは、その最後のときに如来にお目にかかることができなかったと、後悔することがないようにしなさい』と。」

「かしこまりました、尊い師よ。」と阿難はお釈迦様にお答えして、一人をつれてクシナガラに入ってゆきました。

*ヴァーセッタ  : マッラー人の姓
*一人をつれて : 修行僧が午後から夜など、町や村に入るときは一人で行ってはならないという規則のため。


丁度そのとき、マッラー人は、町の公会堂に集まって、町の問題を討議しておりました。
そこへ阿難はやってきて、マッラー人に告げました。

「おお、ヴァーセッタたちよ、今夜の最後更に如来の般涅槃はあるでしょう。
ヴァーセッタたちよ、集まってきなさい。 あとになって、われわれの村の土地で、如来は般涅槃された、しかしわれわれは、その最後のときに如来にお目にかかることができなかったと、後悔することがないようにしなさい。」と。

阿難のこの言葉を聞いて、マッラー族の人々、及びその子供や娘、妻たちはすべて身悶えして悲しみ、憂え、心配しました。

彼らは心の悲しみに圧っせられて、ある者は髪を乱して泣き、両腕をのばして泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、身をもだえて大地にころげて、如来が般涅槃されるのは、あまりにも早い。 善逝が般涅槃されるのはあまりにも早い。
世の中の眼がおかくれになるのは、あまりにも早い。
といって悲しみました。

*善逝(ぜんぜい) : 仏の十種の称号のひとつ。

そうしてマッラー族の人々は、妻や子供、娘たちとともに、大きな悲しみに任せられつつ、ウパヴァッタナの沙羅林に出かけてゆきました。
彼らが大勢で近づいてくるのを見て、阿難は考えました。

「もしも私が、クシナガラのマッラー人たちを、一人ずつ尊い師に敬礼させるならば、夜明けになっても全部の人を敬礼させることはできないであろう。
それだから、クシナガラの住民たちを、家族単位にして、一団となして、立ったままで、尊い師に敬礼せしめよう。

『尊い師よ、これこれの名のマッラー人が、妻や子供、親戚、友人たちとともに、尊い師の御足に敬礼します。』といって。」

このようにして、阿難はクシナガラのマッラー人たちを、この方法で夜の明けぬうちに、ことごとくお釈迦様に敬礼させました。


◆遊行者スバドラ

そのときスバドラという遊行者がクシナガラに住んでいました。
そして遊行者スバドラは「今夜の最後更に、お釈迦様が般涅槃されるであろう」と聞きました。

そこで彼は考えました。

「今夜の最後更に、お釈迦様は般涅槃に入られるという。 私はかって、老齢にたっした、師中の師である長老の遊行者たちの語っているのを聞いた。___すなわち、「如来であり、阿羅漢であり、完全に悟った仏陀は、きわめてまれにしかこの世にあらわれない」と。 しかるに私には、いま疑問が生じている。

この私の疑いを解いてくれるような教えを、お釈迦様は説くことができるという確信が、私の心に起こった。」

このような信念が起こったので、スバドラはウヴァッタナのサーラ林に出かけていきました。
そして阿難尊者のところへ行って言いました。

「私はかって、老齢にたっした、師中の師である長老の遊行者たちの語っているのを聞きました。 すなわち、「如来であり、阿羅漢であり、完全に悟った仏陀は、きわめてまれにしかこの世にあらわれない」と。

しかるに、今夜の最後更に、お釈迦様は般涅槃されるということです。
しかるに私に、いま疑問が起こりました。 この私の疑問を解いてくれるような教えを、お釈迦様はきっと話してくださると思います。 どうか私をお釈迦様に会わせてください。」

このようにスバドラがいいましたときに、阿難は遊行者のスバドラにいいました。

「おやめなさい、スバドラさん。尊い師を悩ませてはいけません。お釈迦様は疲れています。」

遊行者スバドラは、二度、三度、同じことを述べて、阿難に頼みました。

「阿難さん、私はかって、老齢の遊行者たちが語っているのを聞きました。 すなわち『如来であり、阿羅漢であり、完全な悟りをひらいた仏陀は、きわめてまれにしかこの世に現れることがない』と。 しかるに今夜の最後更に、お釈迦様は般涅槃されるということです。

しかるに私に、いま疑問が起こっています。 この私の疑問を解いてくれるような教えを、お釈迦様はきっと私の話してくださるでしょう。 そういう確信が私に起こりました。 どうか私を、お釈迦様に会わせてください。」

スバドラが三度目にいいましたとき、阿難は三度答えました。

「やめてください、スバドラさん。尊い師を悩まさないでください。お釈迦様はいま疲れています。」

お釈迦様は、阿難とスバドラとの間にかわされた会話をおききになりました。
そして阿難尊者にいわれました。

「やめよ、阿難よ、スバドラをさえぎってはならない。 阿難よ、スバドラに如来を見ることを許しなさい。
スバドラが質問することは何でも、それを知りたいと思って質問するのである。
私を悩まそうと思って質問するのではない。 彼が私に質問することは何でも、私は説明してやるであろうし、彼はそれを速やかに理解することができる。」

そこで阿難は、遊行者スバドラにいいました。

「おいきなさい、スバドラさん。 尊い師はあなたに許可を与えられました。」

そこで遊行者スバドラは、お釈迦様のところへ近づきました。 近づいてお釈迦様に挨拶し、互いに尊敬すべき、喜ばしめる言葉を交わして、一方に座しました。
一方に座してスバドラは、お釈迦様に次のように尋ねました。

「尊敬すべきゴータマよ、世間の宗教者で、教団を所有している人や、集団の師と仰がれる人、あるいは宗派の開祖として多数の人に尊敬されている人があります。
たとえば*プーラナ・カッサパ、 マッカリ・ゴーサラ、 アジタ・ケーサカンバリン、 パクダ・カッチャーヤナ、 サンジャャ・ベーラッティプッタ、 ニガンタ・ナータプッタなどです。
彼らはすべて、自分の智によって知ったのですか。
あるいは彼らはすべて、知っていないのですか。
あるいはその中のある者は知っており、ある者は知っていないのですか。」

* 尊敬すべきゴータマよ : このように呼びかけたのは、スバドラが異教徒であって、お釈迦様と対等の立場だから。

このように問いました。

*プーラナ・カッサパ・・・  : ここに挙げられた六人は「六師外道」と呼ばれる宗教家。
「沙門果経(しゃもんかきょう)」には、彼らの説いていた教理も示されています。

まさに涅槃に入ろうとしているお釈迦様には、時間がありません。
それにスバドラが問いかけているのは、スバドラ自身のことではなく、六人の宗教家が実際に知っているのか、知らないのかと言う質問は、この際どうでもよいことです。
六師が真実の知見を持っているとして、いまのスバドラの知見が増すわけではありません。

逆に六師は虚名を得ているだけで、真実の知見はないと、お釈迦様が答えたとしても、それでスバドラに真実の知見が生ずるわけではありません。
時間を持たないお釈迦様に、スバドラが見当違いの質問をしたために、お釈迦様は答えました。

「やめなさい、スバドラよ。『 彼らはすべて、自分の智によって知っているのか、あるいは彼らはすべて知っていないのか、あるいはその中のある者は知っており、ある者は知っていないのか』という問題は捨てなさい。
スバドラよ、私はあなたに法を説きましょう。 それをおききなさい。よく注意してききなさい。 いまから説くでしょう。」

「かしこまりました、尊い師よ。」

とスバドラはお釈迦様に同意しました。 そこでお釈迦様は次のように説かれました。

「スバドラよ、世間に多くの宗教家が教えを説いているが、もし彼らの説く教理や戒律の中に、聖なる八正道の教えが認められないならば、そこには第一段階の悟りを得た修行者(預流果:よるか)は認められないし、第二段階の悟りを得た修行者(一来果:いちらいか)、第三段階の悟りを得た修行者(不還果:ふげんか)、第四段階の悟りを得た修行者(阿羅漢果も見いだされない。

しかしてスバドラよ、その説く教理や戒律の中に、聖なる八正道の教えが見いだされるならば、その教えには第一段階の悟りを得た修行者も認められるし、第二段階の悟りを得た修行者、第三段階の悟りを得た修行者、第四段階の悟りを得た修行者も見いだされる。
すなわち聖なる八正道を説く教えによって修行すれば、その修行は空しくないのであり、その修行に応じて、真実の悟りの果報が得られるのである。

しかるにスバドラよ、私の説く教理と戒律とには、聖なる八正道が見いだされる。 ゆえにこの教理と戒律とによって修行する者には、第一段階の悟りを得た修行者も認められるし、第二段階の悟りを得た修行者、第三段階の悟りを得た修行者、第四段階の悟りを得た修行者も見いだされるのである。

他の宗教者の説く論議は、修行者にとっては空虚である。
もし修行僧がこの教えに正しく住するならば、真実の悟りを得た人びと(阿羅漢)が輩出し、彼らによって、この世は空しくないであろう。

スバドラよ、私は2齢29歳にして、善とは何かを求めて出家した。
スバドラよ、私が出家してから50年余となった。
正理と正法の地を歩んできた。
これより以外に、真実の修行者は存在しない。」

お釈迦様の説法を聞いて、スバドラは心から心服し、次のように申し上げました。

「尊い師よ、すばらしいことです。 尊い師よ、実にすばらしいことです。
たとえば倒れたものを起こすがごとく、覆われたものを露(あら)わすがごとく、、迷ったものに道を示すがごとく、あるいは眼のある人はいろいろの色を見るであろうと、暗夜に灯火をかかげるがごとくに、このように尊い師は、種々の方法によって法をあきらかにされました。
私は、尊い師(仏)に帰依します。 そして完全な修行僧になる戒律を得たいと思います。」

お釈迦様は言われました。

「スバドラよ、かって異教徒であった者が、仏教の戒律で出家し、修行僧になろうとする場合には、四ヶ月間の試験期間がある。
四ヶ月の試験期間を経過して、修行僧の教団が許可するならば、仏教の修行僧となることが許される。
しかしこの場合は、人によって相違のあることを、私は認める。」

といわれました。 スバドラは申し上げました。

「尊い師よ、もしかってかって異教徒であった者が、仏教の戒律で出家し、修行僧になろうとする場合には、四ヶ月の試験期間があるのでしたら、私は四ヶ月ではなしに四年間、試験期間を過ごすでしょう。
四年間の試験期間のあとで、修行僧の教団の許可がありましたら、どうか私に仏教の修行僧になる許可を与えてください。」

そこでお釈迦様は阿難にいわれました。

「それでは阿難よ、この遊行者スバドラを出家せしめなさい。」

阿難は「かしこまりました。」と答えて、スバドラを出家させました。
スバドラは尊い師のもとで出家することができ、修行僧としての戒律を具えることができました。

修行僧としての戒律を具えたあとで、スバドラは他から離れて、独りで修行し、怠らず、熱心に、精進努力して、修行に励んだので、立派な男子が出家の目的とする無上の悟りを、現世において自ら実証し、実現しました。

そして、「私の生存は尽きた。清らかな修行は完成した。なすべきことはすべてなされた。再びこの世の状態に戻ることはない。」と悟りました。

かの尊者スバドラは、さらに一人の阿羅漢になった。
彼は尊い師の最後の直弟子となった。


◆四つの遺言

以上のようにして、スバドラはお釈迦様の最後の弟子になったのでした。 『遺教経には』には、

釈迦牟田尼仏は、初めて法輪を転じて阿若僑陣如(あにゃきょうじんにょ)を度したまい、最後に法を説いて須跋陀羅(スバダラ)を度したもう。 まさに度すべき者は皆すでに度し終わりて、沙羅双樹の間においてまさに涅槃に入らんとす。 是のとき、中夜にして声なし。

と述べております。

*度したまい : 「度」と言うのは「渡る」と言う意味で、迷いの岸から悟りの彼岸に渡る事を言う。

*中夜 : 夜中の十二時を中心とする、前後の四時間を指す。 午後十時頃から午前二時頃の間のこと。


この寂然として声なきとき、お釈迦様は阿難尊者にいわれました。

「阿難よ、あるいは汝らにこのような考えがあるのかもしれない、「師の言葉は終わった。我らの師主はもはやおられない。」と。

阿難よ、そのように考えてはならない。 阿難よ、私によって説かれ、示された教法と戒律とが、私亡きあとの汝らの師である。

また阿難よ、現在、修行僧たちは、互いに「友よ」という言葉で呼び交わしているが、私が亡くなったあとは、そのように呼びかけてはならない。
目上の修行僧は、若い修行僧を、その名や性で呼んでもよろしいし、「友よ」と呼びかけてもよい。

しかし若い修行僧は長上の修行僧を「尊者よ」とか「長老よ」という言葉で、呼びかけるべきである。

さらに阿難よ、私が亡きあとには、もし修行僧の教団が希望するならば、小小戒(しょうしょうかい)は廃止してもよろしい。
次に阿難よ、私が亡きあとに、修行僧チャンナに梵壇罰(ぼんだんばつ)を加えなさい。

「尊い師よ、梵壇罰とは、どういうものですか。」

「阿難よ、修行僧チャンナは、欲するならば、他の修行僧に話しかけることができる。
しかし他の修行僧たちは、彼に答えてはならない。 話しかけてもいけない。
チャンナに忠告や訓戒をしてはいけない。 これが梵壇罰である。」

お釈迦様は臨終に際して、以上四つのことを遺言されました。
第一は、お釈迦様が涅槃に入られても、それでお釈迦様の活動が終わるわけではない。
そのあとにはお釈迦様が説き残した教法と戒律(法と戒)とが、私に代わって汝らの師であるといわれたのです。

すなわち今後は、法と律とを師として修行をなせといわれたのです。

遺言の第二は、長幼の序、上下の秩序を示されたことです。

お釈迦様が生きておられる間は、弟子たちは「釈迦の弟子」という点で同じですが、お釈迦様が亡くなられると、弟子たちだけになりますから、そこに上下の順序があらわになります。

その際、先に出家した者が先輩でして、一日でも出家が遅ければ後輩になります。
生まれた年の順序ではなしに、修行僧になる戒律を受けた日時が、先輩・後輩を区別する基準になります。

深い悟りを得た者や、学問のある人などは、それなりに尊敬されますが、しかし教団における長幼の順序は、出家をした日時で決まるのでして、後輩は先輩に対して、無条件の尊敬を捧げるのです。

第三は、修行僧が望むならば、小小戒は捨(しゃ)してもよいということです。
修行僧には二百五十戒というほどに沢山の戒律があります。 その中でも殺人・性交・盗み・悟りに関する妄語の四条は、波羅夷罪(はらいざい)といいまして、もっとも重い罪で、教団から追放されます。

その次に僧残(そうざん)といいまして、教団で裁判をしまして、罰を与える規則が十三条あります。

お釈迦様が亡くなるときに、この二百五十条が全部成立していたかどうかは疑問ですが、ともかくここには小小戒は廃止してもよいと遺言されたのです。

第四のチャンナ比丘に梵檀罰を与えることは、第一結集の終わったあとで、大迦葉(だいかしょう)の命により、阿難がチャンナに伝えました。

チャンナは、お釈迦様が王宮から出城し、出家するときの従僕であったことを自慢して、他を軽蔑し、粗暴の行為がありました。

それで彼を折伏するために、お釈迦様はこの遺言をなさったのです。
チャンナはそのとき、中インドの西のはしのコーサンビーにおりましたが、阿難から梵檀罰のことを聞いて、悲しみと驚きで失神したといいます。

そしてすっかり改心して、熱心に修行しましたので、阿羅漢のひとりになったということです。

勿論、阿羅漢になったとき、梵檀罰は自動的に解除になりました。


◆涅槃に入る

お釈迦様は上述べの遺言をなさったあとで、さらに弟子たちに告げられました。

「修行僧たちよ、汝らの中には、仏陀に関し、教団に関し、あるいは悟りに関し、そしてまた修行の方法に関して、疑問や迷いがあるかもしれない。 そういう人は問いなさい。
あとになってから、「あのとき、私は師に面と向かってお目にかかっていた。 それなのに私は師に質問することはできなかった」といって、後悔することがあってはならない。」

このようにいわれたとき、修行僧たちは黙然として住していました。
お釈迦様は再度、修行僧たちに告げられました。
しかし修行僧たちは、同じく沈黙していました。
そこでお釈迦様は三度告げられました。

「修行僧たちよ、汝らの中には、仏陀に関し、教団に関し、あるいは悟りに関し、そしてまた修行の方法に関して、疑問や迷いがあるかもしれない。 そういう人は問いなさい。
あとになってから、「あのとき、私は師に面と向かってお目にかかっていた。 それなのに私は師に質問することはできなかった」といって、後悔することがあってはならない。」と、このようにいわれましたが、修行僧たちは同じく沈黙していました。

そこでお釈迦様はさらにいわれました。

「修行僧たちよ、汝等らは如来を尊崇するあまり、遠慮して質問しないことがあるかもしれない。
もっと気楽に、友だちが友だちに尋ねるような気持で質問しなさい。」といわれました。

しかし修行僧たちは沈黙していました。 お釈迦様は、いよいよ般涅槃されるという直前にも、弟子たちのことを思われて、極度の疲労にありながらも、三度までも繰り返して、弟子たちに「疑問はないか」と問われたのであります。

さらにそれでも終わらず、もう一度「友だちが友だちに問うように気楽に問え」と、どんな小さな疑問でも残さないようにと願われたのです。

お釈迦様がこのようにいわれても、修行僧たちが沈黙していたので、阿難はお釈迦様に申し上げました。

「尊い師よ、不思議なことです。 得難いことです。
私は、修行僧たちが、仏陀に関し、法に関し、教団に関し、あるいは悟りに関し、修行の方法に関し、一人の修行僧すらも、疑いがなく、迷いがないことを、清らかな心で信じます。」

お釈迦様はいわれました。

「阿難よ、汝は(事実をつきとめないで)信念によってそのようにいう。しかし如来はこの点について、『この修行僧たちには、仏陀に関し、法に関し、教団に関し、あるいは悟りに関し、修行の方法に関して、一人の修行僧にも、疑いもなく迷いもない」と正しい知恵によって知っている。 ここにいる五百人の修行僧のうち、最下の修行僧ですらも、修行の初期段階である預流果(よるか)の悟りに達している。
それゆえ、再び仏教の修行から離れることがないように決定(けつじょう)している。
そして彼らは最後には必ず正しい悟りに達するのである。」

そしてさらにお釈迦様はいわれました。

「いざ、修行僧たちよ、汝らに告げよう。 
もろもろの存在は変化する性質のものである。 
諸行は無常である。 怠らず修行せよ。」

これがお釈迦様の最後の言葉でした。
それからお釈迦様は瞑想に入られました。

最初に初禅の禅定に入られました。
それから初禅から起って二禅に入られました。
二禅より起って三禅に入られ、さらに三禅より起って四禅に入られました。

ここに初禅・二禅・三禅・四禅とあるのは、瞑想の深まりを示しています。
禅とはジャーナの音訳で禅那(ぜんな)ともいいます。
意味は「静慮:じょうりょ」といいまして、心を静めることです。
初禅から四禅までは、心が瞑想に入っても、肉体の感受が残っている段階でありまして、心と感覚とが一つになっている「瞑想(禅定)」の状態です。 このうち四禅は最も深い禅定です。

しかしお釈迦様は四禅から起たれて空無辺処定(くうむへんしょじょう)に入られました。

次に空無辺処定より起たれて、識無辺処定(しきむへんしょじょう)に入られました。
識無辺処定かた起たれて、無所有処定「むしょゆうしょじょう)に入られました。
さらに無所有処定から起たれて、非想非非想定(ひそうひひそうじょう)に入られました。

さらに非想非非想定から起たれて、滅想受定(めつそうじゅじょう)に入られました。

* 空無辺処定・識無辺処定・無所有処定・非想非非想定 : 感覚を捨象した瞑想の世界
空無辺処定・・・空間の無辺を体験する瞑想。
識無辺処定・・・識(心)の無辺を体験する瞑想。
無所有処定・・・無を体験する瞑想。
非想非非想定・・・限りなく想を滅する体験する瞑想。

* 滅想受定・・・想と受が滅してしまった瞑想であり、死と紙一重の瞑想の世界(滅尽定:めつじんじょう)。


お釈迦様が滅想受定に入られたとき、阿難は、お釈迦様は涅槃に入られたと思いました。
そこで阿那律(あなりつ)に、

「阿那律よ、お釈迦様は般涅槃された。」といいました。

阿那律は「友よ、阿難よ、お釈迦様は滅想受定に入っておられるのである。般涅槃されたのではない。」といいました。

阿難はこのとき、まだ阿羅漢の悟りを得ていなかったので、滅想受定と般涅槃との区別ができなかったのです。

お釈迦様は滅想受定に入られたあと、それから逆に初禅の方向にでてこられました。
滅想受定より非想非非想定へ、さらに無所有処定へ、さらに識無辺処定・空無辺処定・四禅・三禅・二禅に入られ、ついで三禅に入られ、四禅に入られて、ここで般涅槃されたといわれています。

ここでお釈迦様の八十年の生涯は終わったのであります。
お釈迦様が般涅槃に入られたとき、大きな地震が起こりました。
人々は恐怖し、身の毛がよだち、また天の太鼓(雷鳴)が鳴りわたりました。

大般涅槃経はまだ続いておりますが、取りあえずここで終わらせて頂きます。  〜管理人〜
http://x44.peps.jp/hana280710/book/c_index.php?cn=5&tnum=7&md=view&c_rows=0

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大般涅槃経だいはつねはんぎょう(マハーパリニッバーナ・スッタンタ)


大般涅槃経とは、釈迦の入滅(=大般涅槃(だいはつねはん))を叙述し、その意義を説く経典類の総称である。

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀が、ラージャグリハの、
ギッジャクータ山に、止まっておられるとき、
王子のアジャータサッツは、このように考えた。

“強いヴァッジ族を滅ぼすのは、今しかない。
今こそ、ヴァッジ族と戦って、全滅させる時だ”

マガダ国の王子である、アジャータサッツは、
同じ国の祭司である、ヴァッサカーラに言った。

「私は、ヴァッジ族と戦おうと思っている。
仏陀を訪ねて、どう思うか、尋ねて来なさい。
仏陀ならば、間違ったことは、言わないものだ。」

ヴァッサカーラは、この言い付けに応えて、
多くの御車を随えて、仏陀の所に辿り着いた。
彼は恭しく挨拶し、仏陀に、このように告げた。

「我が君が、ヴァッジ族の全滅を考えている。
友ゴータマよ、彼方は、どのように考えますか。」

仏陀は、アーナンダに対し、このように言った。

「ヴァッジ族は、頻繁に会合を開くと聞いた。
アーナンダよ、汝も、聞いた事があるだろうか。」

アーナンダは、仏陀に対し、このように答えた。

「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、
頻繁に会合を開いていると、私も聞いています。」

「アーナンダよ、彼らが、会合を持つ限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
彼らが会合する限り、彼らの繁栄は約束される。」

仏陀は、アーナンダに対し、このように言った。

「ヴァッジ族は、全体の和合を貴ぶと聞いた。
アーナンダよ、汝も、聞いた事があるだろうか。」

アーナンダは、仏陀に対し、このように答えた。

「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、
全体の和合を貴んでいると、私も聞いています。」

「アーナンダよ、彼らが、和合を貴ぶ限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
彼らが和合する限り、彼らの繁栄は約束される。」

仏陀は、アーナンダに対し、このように言った。

「ヴァッジ族は、堅固に法律を守ると聞いた。
アーナンダよ、汝も、聞いた事があるだろうか。」

アーナンダは、仏陀に対し、このように答えた。

「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、
堅固に法律を守っていると、私も聞いています。」

「アーナンダよ、彼らが、法律を守る限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
彼らが遵守する限り、彼らの繁栄は約束される。」

仏陀は、アーナンダに対し、このように言った。

「ヴァッジ族は、尊敬し先達に倣うと聞いた。
アーナンダよ、汝も、聞いた事があるだろうか。」

アーナンダは、仏陀に対し、このように答えた。

「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、
尊敬し先達を倣っていると、私も聞いています。」

「アーナンダよ、彼らが、先達に倣う限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
彼らが尊敬する限り、彼らの繁栄は約束される。」

仏陀は、アーナンダに対し、このように言った。

「ヴァッジ族は、貞節な子女を護ると聞いた。
アーナンダよ、汝も、聞いた事があるだろうか。」

アーナンダは、仏陀に対し、このように答えた。

「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、
貞節な子女を護っていると、私も聞いています。」

「アーナンダよ、彼らが、貞節を護る限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
彼らが節制する限り、彼らの繁栄は約束される。」

仏陀は、アーナンダに対し、このように言った。

「ヴァッジ族は、神仏を供養し祭ると聞いた。
アーナンダよ、汝も、聞いた事があるだろうか。」

アーナンダは、仏陀に対し、このように答えた。

「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、
神仏を供養し祭っていると、私も聞いています。」

「アーナンダよ、彼らが、神仏を祭る限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
彼らが崇拝する限り、彼らの繁栄は約束される。」

仏陀は、アーナンダに対し、このように言った。

「ヴァッジ族は、羅漢を供養し祭ると聞いた。
アーナンダよ、汝も、聞いた事があるだろうか。」

アーナンダは、仏陀に対し、このように答えた。

「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、
羅漢を供養し祭っていると、私も聞いています。」

「アーナンダよ、彼らが、羅漢を祭る限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
彼らが供養する限り、彼らの繁栄は約束される。」

仏陀は、ヴァッサカーラに、このように言った。

「その昔、この法を、ヴァッジ族に説いた。
祭司よ、この不滅の法に、彼らが従うかぎり、
彼らが滅びることはないと、彼方は知りなさい。」

ヴァッサカーラは、仏陀に、このように答えた。

「一つでも不滅、七つならば、もはや完璧。
すべて、彼らが守るなら、彼らは滅びません。
良く分かりました、我々は、ここで失礼します。」

こうして、仏陀に感謝し、立ち去ったのである。

 


第二章

ヴァッサカーラが、立ち去って、間もなく、
仏陀は、アーナンダに、比丘達を集めさせた。
比丘達が集まると、仏陀は、このように説いた。

「出家修行者よ、汝らが、会合を持つ限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが会合する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「出家修行者よ、汝らが、和合を保つ限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが和合する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「出家修行者よ、汝らが、戒律を持す限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが持戒する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「出家修行者よ、汝らが、先達を貴ぶ限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが尊敬する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「出家修行者よ、汝らが、智慧を愛す限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが覚醒する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「出家修行者よ、汝らが、精進に励む限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが精進する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「出家修行者よ、汝らが、梵行を為す限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが解脱する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「これらの、七つの不滅の法を存続する限り、
比丘達よ、汝らは、繁栄し衰退することがない。」

 


第三章

「ここで、別の七つの不滅の法を説き示そう。
よく聴いて、よく考えなさい、わたしは説こう。」

「出家修行者よ、汝らが、因縁を楽しまず、
因縁を持たず、因縁の喜びに囚われない限り、
汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」

「出家修行者よ、汝らが、談話を楽しまず、
談話を持たず、談話の喜びに囚われない限り、
汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」

「出家修行者よ、汝らが、惰眠を楽しまず、
惰眠を持たず、惰眠の喜びに囚われない限り、
汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」

「出家修行者よ、汝らが、交際を楽しまず、
交際を持たず、交際の喜びに囚われない限り、
汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」

「出家修行者よ、汝らが、邪念を楽しまず、
邪念を持たず、邪念の喜びに囚われない限り、
汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」

「出家修行者よ、汝らが、悪友を楽しまず、
悪友を持たず、悪友の喜びに囚われない限り、
汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」

「出家修行者よ、汝らが、俗世を楽しまず、
俗世を持たず、俗世の喜びに囚われない限り、
汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」

「これらの、七つの不滅の法を存続する限り、
比丘達よ、汝らは、繁栄し衰退することがない。」

 


第四章

「ここで、別の七つの不滅の法を説き示そう。
よく聴いて、よく考えなさい、わたしは説こう。」

「汝らが、帰依、慙愧、良心、多学を持ち、
精進に励み、課行を修めて、智慧を持つ限り、
汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」

「これらの、七つの不滅の法を存続する限り、
比丘達よ、汝らは、繁栄し衰退することがない。」

 


第五章

「ここで、別の七つの不滅の法を説き示そう。
よく聴いて、よく考えなさい、わたしは説こう。」

「比丘達よ、汝らが、念覚支を修める限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが持念する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝らが、択法覚支を修む限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが選択する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝らが、精進覚支を修む限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが精進する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝らが、喜覚支を修める限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが歓喜する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝らが、軽安覚支を修む限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが安心する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝らが、定覚支を修める限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが瞑想する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝らが、捨覚支を修める限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが捨離する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「これらの、七つの不滅の法を存続する限り、
比丘達よ、汝らは、繁栄し衰退することがない。」

 


第六章

「ここで、別の七つの不滅の法を説き示そう。
よく聴いて、よく考えなさい、わたしは説こう。」

「汝らが、無常、非我、不浄、禍患を知り、
捨断を為し、厭離を修めて、滅尽に至る限り、
汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」

「これらの、七つの不滅の法を存続する限り、
比丘達よ、汝らは、繁栄し衰退することがない。」

 


第七章

「ここで、別の六つの不滅の法を説き示そう。
よく聴いて、よく考えなさい、わたしは説こう。」

「比丘達よ、汝が、梵行に身を捧げる限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが正業する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝が、梵行に口を捧げる限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが正語する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝が、梵行に心を捧げる限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが正思する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝が、梵行を共に有する限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが正命する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝が、梵行の戒を守れる限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが正念する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「比丘達よ、汝が、梵行を正しく見る限り、
汝らが滅びることがないと、よく知りなさい。
汝らが正見する限り、汝らの繁栄は約束される。」

「これらの、六つの不滅の法を存続する限り、
比丘達よ、汝らは、繁栄し衰退することがない。」

 


第八章

そこで、仏陀は、ギッジャクータ山に止まり、
比丘達に向かって、このように説いたのである。

「戒に熟達した定に、大きな果報がある。
三昧に熟達した智には、大きな果報がある。
智に熟達した心は、四つの漏から離解脱する。
すなわち、欲漏、有漏、謬見漏、無明漏である。」

仏陀は、ラージャガハに心ゆくまで止まり、
その次に、アンバラッティカーの園に訪れた。
そして、比丘達に向かって、このように説いた。

「戒に熟達した定に、大きな果報がある。
三昧に熟達した智には、大きな果報がある。
智に熟達した心は、四つの漏から離解脱する。
すなわち、欲漏、有漏、謬見漏、無明漏である。」


第九章

仏陀は、アンバラティカーの園を立ち去って、
次に、ナーランダのバーヴァーリカに止まった。

そこで、長老サーリプッタは、仏陀を訪れた。
訪れると、仏陀を礼拝して、このように言った。

「私は、世尊に対して、浄信を抱いてます。
過去に於ても、現在に於ても、未来に於ても、
世尊より、勝れた者は無く、優る者は居ません。」

「サーリプッタよ、汝は確信を抱いた余り、
尊大な言葉を語って、ここに獅子吼を為した。
それは、過去の覚者の心を知った上でのことか。」

「過去の覚者方は、このような戒があった。
過去の覚者方には、このような智慧があった。
過去の覚者方には、このような離解脱があった。」

「このように、すべて知った上で言ったのか。」
「いいえ、尊師よ、確かめた訳ではありません。」

「サーリプッタよ、汝は確信を抱いた余り、
尊大な言葉を語って、ここに獅子吼を為した。
それは、現在の覚者の心を知った上でのことか。」

「現在の覚者方は、このような戒があろう。
現在の覚者方には、このような智慧があろう。
現在の覚者方には、このような離解脱があろう。」

「このように、すべて知った上で言ったのか。」
「いいえ、尊師よ、確かめた訳ではありません。」

「サーリプッタよ、汝は確信を抱いた余り、
尊大な言葉を語って、ここに獅子吼を為した。
それは、未来の覚者の心を知った上でのことか。」

「未来の覚者方は、このような戒があろう。
未来の覚者方には、このような智慧があろう。
未来の覚者方には、このような離解脱があろう。」

「このように、すべて知った上で言ったのか。」
「いいえ、尊師よ、確かめた訳ではありません。」

「このように、汝は、他心通を得ていない。
それならば、どうして、獅子吼を為したのか。
どうして、分かったようなことを、言えるのか。」

「尊師よ、私は、他人の心は読めませんが、
全ての時に通じる、法の帰結を読めるのです。
これを、譬えるなら、このように言えましょう。」

「堅固な城壁には、ひとつしか城門がない。
城壁を越えるときは、城門を過ぎるしかない。
門だけ良く見ていれば、通るものが全て見える。」

「尊師よ、過去でも、現在でも、未来でも、
煩悩を滅尽しなければ、覚者とは言えません。
覚者ならば、四念処や七覚支を修めるものです。」

 


第十章

仏陀は、ナーランダのバーヴァーリカにある、
マンゴーの林に止まって、このように説かれた。

「戒に熟達した定に、大きな果報がある。
三昧に熟達した智には、大きな果報がある。
智に熟達した心は、四つの漏から離解脱する。
すなわち、欲漏、有漏、謬見漏、無明漏である。」

仏陀は、ナーランダに心ゆくまで止まった後、
比丘の集団を引き連れて、パータリ村に入った。

村の在家信者たちは、仏陀の到来を知ると、
仏陀を訪れて、礼拝し、心から法則を求めた。
すると、仏陀は、彼らに、このように説かれた。

「長者達よ、戒律を具足しないことによって、
破戒者に五つの禍患がある、その五つとは何か。

第一の禍患とは、財産が減っていくことである。
第二の禍患とは、悪い評価を受けることである。
第三の禍患とは、反対の者が増えることである。
第四の禍患とは、迷いの一生を送ることである。
第五の禍患とは、地獄に生まれ変ることである。」

「長者達よ、戒律の具足をすることによって、
持戒者に五つの味著がある、その五つとは何か。

第一の味著とは、財産が増えていくことである。
第二の味著とは、良い評価を受けることである。
第三の味著とは、賛成の者が増えることである。
第四の味著とは、悟りの一生を送ることである。
第五の味著とは、天界に生まれ変ることである。」

これを聞くと、パータリ村の優婆夷は歓喜し、
仏陀を礼拝して、夜道を帰って行ったのである。

 


第十一章

さて、その頃、マガタの大臣、スニーダは、
同じく、大臣である、ヴァッサカーラと共に、
戦争に備えて、パータリ村に城壁を築いていた。

パータリ村に、数千の神々が住み始めたのを、
天眼通によって、仏陀は見とめて、こう言った。

「アーナンダよ、誰が城壁を築いているのか。
神々が、この地に、集ってきているではないか。」

「尊師よ、この村に、城壁を築いているのは、
マガタの大臣、スニーダとヴァッサカーラです。」

「アーナンダよ、ここが聖なる地である限り、
第一の都市となり、裕福な場所となるであろう。」

「しかし、穢れた地になれば、三種類の障害。
つまり、水と火と敵による、破壊があるだろう。」

さて、それを聞いた大臣は、仏陀を招いた。
そして、仏陀に、極妙の食べ物を供養すると、
仏陀は感謝の意を現わして、次の詩句を唱えた。

賢い持戒者は、己を律する聖者を供養する。
ここにおられる、数千の神々に供物を捧げよ。
人々は神々を供養して、神々は人々を供養する。

さらに、母が子を慈しむように、彼を慈しむ。
神々が慈しむ人々は、いつも幸福になるだろう。

これを聞くと、マガタの大臣たちは歓喜して、
仏陀を礼拝して、その座を立ち帰ったのである。

それからというもの、マガタの国の大臣達は、
仏陀の説く教えに、良く従う者になっていった。

「ゴータマが出る門を、ゴータマ門と名付け、
ガンジス河を渡った橋を、ゴータマ橋と名付る。」

ある日、仏陀は、ガンジス河に向っていた。
河は満たされていて、岸まで溢れていたため、
ある者は、筏を使って、対岸に向かおうとした。

その時、仏陀は、まるで肘を曲げるように、
いとも簡単に、対岸まで飛び移ったのである。
そして、現象の意味を悟り、この詩句を唱えた。

ある者は舟を使って、ある者は筏を使かって、
海や川を渡ろうとする、渡った者は聡明である。

 


第十二章

比丘たちを引き連れて、コーティ村に入ると、
仏陀は、出家修行者たちに、このように説いた。

「四つの絶対の真理、四諦を見とめないため、
衆生は輪廻を繰り返す、その四つの諦とは何か。

第一に苦諦、この世の中は、苦しみであること。
第二に集諦、その苦しみは、必ずや現れること。
第三に滅諦、その苦しみは、必ずや消えること。
第四に道諦、その苦しみを、消す道があること。」

「比丘達よ、それゆえ、四諦を明らめた者は、
愛着を諦めるため、二度と再生することがない。」

それから、仏陀は、次の詩句を唱えたのである。

「我らは、出口を知らず、輪廻を浮沈する。
しかし、この四つの真理を、明らめたならば、
苦の根本を断じて、二度と転生することがない。」

 


第十三章

また、そこで、仏陀は、コーティ村に止まり、
比丘達に対して、数々の法話を説いたのである。

「戒に熟達した定に、大きな果報がある。
三昧に熟達した智には、大きな果報がある。
智に熟達した心は、四つの漏から離解脱する。
すなわち、欲漏、有漏、謬見漏、無明漏である。」

仏陀は、コーティ村に心ゆくまで止まった後、
比丘の集団を引き連れて、ナーディカに入った。

そのとき、長老アーナンダは、仏陀を訪れた。
訪れると、仏陀を礼拝して、このように言った。

「ここ、ナーディカで、命を終えた者がいる。
彼らが何処に転生したか、説き明かして下さい。」

「尊師よ、サーロは、どうなったのですか。」
「アーナンダよ、彼は、諸々の漏を破壊して、
この現世において、心解脱と慧解脱を果たした。」

「尊師よ、ナンダーは、どうなりましたか。」
「アーナンダよ、彼は、五下分結を破壊して、
完全に煩悩を断じ、二度と還らない者となった。」

「尊師よ、スダッタは、どうなりましたか。」
「アーナンダよ、彼は、三結を破壊するため、
一度だけ現世に生まれ変わる、一来者となった。」

「尊師よ、スジャータは、どうしましたか。」
「アーナンダよ、彼は、貪瞋癡の破壊をして、
真理の流れを決して外れない、預流者となった。」

「尊師よ、カクダは、どうなったのですか。」
「アーナンダよ、彼は、五下分結を破壊して、
完全に煩悩を断じ、二度と還らない者となった。」

「尊師よ、カーリンガは、どうしましたか。」
「アーナンダよ、彼は、五下分結を破壊して、
完全に煩悩を断じ、二度と還らない者となった。」

「尊師よ、ニカタは、どうなったのですか。」
「アーナンダよ、彼は、五下分結を破壊して、
完全に煩悩を断じ、二度と還らない者となった。」

「尊師よ、カティッサパは、どうでしょう。」
「アーナンダよ、彼は、五下分結を破壊して、
完全に煩悩を断じ、二度と還らない者となった。」

「尊師よ、トゥッタは、どうなりましたか。」
「アーナンダよ、彼は、五下分結を破壊して、
完全に煩悩を断じ、二度と還らない者となった。」

「尊師よ、サントゥッタは、どうでしょう。」
「アーナンダよ、彼は、五下分結を破壊して、
完全に煩悩を断じ、二度と還らない者となった。」

「尊師よ、バッダは、どうなったのですか。」
「アーナンダよ、彼は、五下分結を破壊して、
完全に煩悩を断じ、二度と還らない者となった。」

「尊師よ、スバッダは、どうなりましたか。」
「アーナンダよ、彼は、五下分結を破壊して、
完全に煩悩を断じ、二度と還らない者となった。」

「アーナンダよ、五十人を越える者たちが、
ナーディカで命を終え、五下分結を破壊して、
完全に煩悩を断じ、二度と還らない者となった。」

「アーナンダよ、九十人を越える者たちが、
ナーディカで命を終え、三結を破壊するため、
一度だけ現世に生まれ変わる、一来者となった。」

「アーナンダよ、五百人を越える者たちが、
ナーディカで命を終え、貪瞋癡の破壊をして、
真理の流れを決して外れない、預流者となった。」

 


第十四章

「アーナンダよ、死は、決して稀ではない。
しかし、死が迫らないと、人は死を認めない。
アーナンダよ、これこそが、世尊の苦悩である。」

「ここで、法の鏡という法の要点を説こう。
聖なる多学の弟子が、この法を具足するなら、
悪趣を断じて、預流者となり、正覚に到達する。」

「アーナンダよ、聖なる多学の弟子たちは、
仏陀に対して、絶対的な浄信を持つのである。
即ち、かの仏は、応供であって、世尊であると。」

「アーナンダよ、聖なる多学の弟子たちは、
仏法に対して、絶対的な浄信を持つのである。
即ち、かの法は、利益を有して、解脱に導くと。」

「アーナンダよ、聖なる多学の弟子たちは、
僧伽に対して、絶対的な浄信を持つのである。
即ち、かの僧は、正法を修め、尊敬に値すると。」

「アーナンダよ、聖なる多学の弟子たちは、
戒律に対して、絶対的な浄信を持つのである。
即ち、かの戒は、煩悩を滅して、三昧に導くと。」

「アーナンダよ、これが、法の要点である。
聖なる多学の弟子が、この法を具足するなら、
悪趣を断じて、預流者となり、正覚に到達する。」

 


第十五章

また、そこで、仏陀は、ナーディカに止まり、
比丘達に対して、数々の法話を説いたのである。

「戒に熟達した定に、大きな果報がある。
三昧に熟達した智には、大きな果報がある。
智に熟達した心は、四つの漏から離解脱する。
すなわち、欲漏、有漏、謬見漏、無明漏である。」

仏陀は、ナーディカに心ゆくまで止った後、
比丘の集団を率い、ヴェーサーリーに入った。
そして、仏陀は、比丘達に、このように説いた。

「比丘達よ、汝らは、正しく記憶しなさい。
これは、汝らに対する、私からの教戒である。
それでは、如何に念じて、正念するのだろうか。

身に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
受に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
心に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
法に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。」

「比丘達よ、汝らは、正しく認識しなさい。
これは、汝らに対する、私からの教戒である。
それでは、如何に悟って、正智するのだろうか。

身に対して、正しく悟って、苦悩を断ちなさい。
口に対して、正しく悟って、苦悩を断ちなさい。
意に対して、正しく悟って、苦悩を断ちなさい。
業に対して、正しく悟って、苦悩を断ちなさい。」

「比丘達よ、このように、正念して正智せよ。
これらは、汝らに対する、私からの教戒である。」

 


第十六章

娼婦アンバパーリーは、仏陀の到来を聞き、
ヴェーサーリーにある、マンゴー林を訪ねた。
仏陀の法に感動した彼女は、このように言った。

「尊師よ、私の布施を、受けて頂けませんか。
どうか、私の家まで、食事を受けに来て下さい。」

その申し出に対して、仏陀は、黙って同意した。

また、リッチャヴィ族も、このことを聞き、
ヴェーサーリーにある、マンゴー林を訪ねた。
行き道、帰り道の、アンバパーリーと衝突した。

「アンバパーリー、お前の供物を譲ってくれ。
我々が代わって布施をしよう、十万でどうかな。」

「いいえ、たとえ、如何なるものを貰っても、
このような偉大な食事を、わたしは譲れません。」

リッチャヴィ族は、これを酷く悔しがった。
その一部始終を、遠くから眺めていた仏陀は、
比丘たちを集めて、このように説いたのである。

「比丘達よ、三十三天を見た事がない者は、
あそこに居る、リッチャヴィ族を見るが良い。
まさしく、彼らこそ、三十三天の現われである。」

その翌日、アンバパーリーは、食事を施すと、
仏陀が食べ終るのを待って、このように言った。

「尊師よ、私の布施を、受けて頂けませんか。
どうか、この庭園を、布施として受けて下さい。」

その申し出に対して、仏陀は、黙って同意した。

また、仏陀は、アンバパーリーの園に止まり、
比丘達に対して、数々の法話を説いたのである。

「戒に熟達した定に、大きな果報がある。
三昧に熟達した智には、大きな果報がある。
智に熟達した心は、四つの漏から離解脱する。
すなわち、欲漏、有漏、謬見漏、無明漏である。」

仏陀は、アンバパーリーの園に止まった後、
比丘の集団を率いて、ベールヴァ村に入った。
そして、仏陀は、比丘達に、このように言った。

「比丘達よ、汝らは雨期の住居に入りなさい。
わたしは、ベールヴァ村で雨期の住居に入ろう。」

そして、彼らは、知人を頼って、雨期に備えた。


第十七章

仏陀は、雨期の住居で、大病に見舞われた。
凄まじい痛みにさえ、苦しむことなく耐えて、
仏陀には、このような思いが浮かんだのである。

「弟子を省みる事なく、僧伽を顧みる事なく、
涅槃に至れることは、私にとって相応しくない。」

すると、仏陀の病気は、鎮まったのである。
アーナンダは、仏陀を訪れて、これを喜んだ。
仏陀は、アーナンダに対し、このように説いた。

「アーナンダよ、私に、何を期待するのか。
私は、余す所なく、全ての法を説き明かした。
師に握拳なし、説くべき法は既に解き明かした。」

「守もろうとしたり、護られようとしたり、
そのような関係ならば、何かを語るであろう。
しかし、我々は、そうではない、何を語ろうか。」

「わたしも、老け込んで、八十歳となった。
アーナンダよ、世尊が、全ての相を作意せず、
心三昧に止まる時、世尊の身体に安穏が訪れる。」

「私の死んだ後、比丘は、このようにせよ。
他を帰依処とせず、自己を帰依処としなさい。
自我を帰依処とせず、法則を帰依処としなさい。」

「周りを灯明とせずに、自らを灯明とせよ。
自我を灯明とせずに、真理の法を灯明とせよ。
アーナンダよ、そのためには、如何にすべきか。」

「このように、正念して、正智すべきである。
身に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
受に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
心に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
法に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。」

「こうすれば、現在にも、わたしの死後にも、
周りを灯明とせず、自らを灯明に出来るだろう。」

 


第十八章

仏陀は、ヴェーサーリーで托鉢を終えた後、
そのまま、チャーバーラ神殿に入って行った。
そして、長老アーナンダに、このように説いた。

「アーナンダよ、四つの如意の基礎、即ち、
欲如意足、勤如意足、心如意足、観如意足を、
修めた者は、一劫以上、世に止まる事が出来る。」

「アーナンダよ、確かに、私は年を取ったが、
おまえが欲するならば、私はこの世に止まろう。」

このように、仏陀が、前兆を与えたときに、
アーナンダは、仏陀に祈願する事がなかった。
彼の心に、第六天魔が、憑いていたからである。

再び、仏陀は、アーナンダに、同じ事を説いた。

「アーナンダよ、四つの如意の基礎、即ち、
欲如意足、勤如意足、心如意足、観如意足を、
修めた者は、一劫以上、世に止まる事が出来る。」

「アーナンダよ、確かに、私は年を取ったが、
おまえが欲するならば、私はこの世に止まろう。」

このように、仏陀が、前兆を与えたときに、
アーナンダは、仏陀に祈願する事がなかった。
彼の心に、第六天魔が、憑いていたからである。

三度、仏陀は、アーナンダに、同じ事を説いた。

「アーナンダよ、四つの如意の基礎、即ち、
欲如意足、勤如意足、心如意足、観如意足を、
修めた者は、一劫以上、世に止まる事が出来る。」

「アーナンダよ、確かに、私は年を取ったが、
おまえが欲するならば、私はこの世に止まろう。」

このように、仏陀が、前兆を与えたときに、
アーナンダは、仏陀に祈願する事がなかった。
彼の心に、第六天魔が、憑いていたからである。

仏陀は、長老アーナンダに、このように言った。

「立ち去れ、アーナンダよ、その時が近づいた。」

 


第十九章

アーナンダが去ってから、第六天魔が現れた。
彼は、仏陀の傍らに立つと、このように言った。

「尊師よ、あなたは、もう涅槃なさいませ。
その昔、このように言われたではないですか。
比丘が成長したら涅槃すると、今がその時かと。」

「尊師よ、あなたは、もう涅槃なさいませ。
その昔、このように言われたではないですか。
比丘尼が成長して涅槃すると、今がその時かと。」

「尊師よ、あなたは、もう涅槃なさいませ。
その昔、このように言われたではないですか。
優婆塞が成長して涅槃すると、今がその時かと。」

「尊師よ、あなたは、もう涅槃なさいませ。
その昔、このように言われたではないですか。
優婆夷が成長して涅槃すると、今がその時かと。」

仏陀は、悪しき第六天魔に、このように言った。

「悪しき者よ、そんなに、言わなくても良い。
言われなくても、三ヶ月後、わたしは涅槃する。」

 


第二十章

そして、仏陀は、チャーパーラ神殿において、
正念して、天命を悟ると、寿命の蓄積を捨てた。

すると、そのとき、神々の太鼓が破裂して、
大いなる地震が起き、人々は非常に恐怖した。
この意義を悟り、仏陀は、この狂喜句を唱えた。

「計り知れない生命の起源を、牟尼は捨てた。
三昧に入り、歓喜を知り、生存の軛を破壊した。」

長老アーナンダは、仏陀を訪れて、こう言った。

「ああ、尊師よ、実に、不思議なことです。
神々の太鼓が破裂し、巨大な地震が起こった。
尊師よ、これには、どんな意義があるのですか。」

「アーナンダよ、大いなる地震の出現には、
実に、八つの原因と、八つの条件があるのだ。
それでは、この八つの因縁とは、何であろうか。」

「アーナンダよ、大いなる風が吹くときに、
風が振動して、水が振動して、地が振動する。
これが、第一の原因であり、第一の条件である。」

「アーナンダよ、如意を持つ人々や神々が、
小さな地に対する、大いなる認知を修習する。
これが、第二の原因であり、第二の条件である。」

「アーナンダよ、菩薩が兜率天から没して、
母の体内に入る時、大地が動揺して振動する。
これが、第三の原因であり、第三の条件である。」

「アーナンダよ、菩薩が人間界に生まれて、
母の体内を出る時、大地が動揺して振動する。
これが、第四の原因であり、第四の条件である。」

「アーナンダよ、世尊が人間界で修行して、
現正覚を果たす時、大地が動揺して振動する。
これが、第五の原因であり、第五の条件である。」

「アーナンダよ、世尊が人間界で解脱して、
法輪を展開する時、大地が動揺して振動する。
これが、第六の原因であり、第六の条件である。」

「アーナンダよ、世尊が人間界で正念して、
天命を正智する時、大地が動揺して振動する。
これが、第七の原因であり、第七の条件である。」

「アーナンダよ、世尊が大涅槃に到達して、
完全に解脱する時、大地が動揺して振動する。
これが、第八の原因であり、第八の条件である。」

「アーナンダよ、これらが、八つの因縁である。」

 


第二十一章

「アーナンダよ、実に、八つの集団がある。
その八つは、武人、祭司、商人、出家修行者、
四天王天、三十三天、他化自在天、梵天である。」

「その昔、わたしは、武人の集団を訪れて、
法則をして、彼らを鼓舞し歓喜させたものだ。
その以前にも、彼らに会っている事を思い出す。」

「しかし、彼らは、私のことを忘れていた。
『この方は、人だろうか、いや、神だろうか。』
それ以前にも、私と会っている事を忘れている。」

「その昔、わたしは、祭司の集団を訪れて、
法則をして、彼らを鼓舞し歓喜させたものだ。
その以前にも、彼らに会っている事を思い出す。」

「しかし、彼らは、私のことを忘れていた。
『この方は、人だろうか、いや、神だろうか。』
それ以前にも、私と会っている事を忘れている。」

「その昔、わたしは、商人の集団を訪れて、
法則をして、彼らを鼓舞し歓喜させたものだ。
その以前にも、彼らに会っている事を思い出す。」

「しかし、彼らは、私のことを忘れていた。
『この方は、人だろうか、いや、神だろうか。』
それ以前にも、私と会っている事を忘れている。」

「その昔、わたしは、出家の集団を訪れて、
法則をして、彼らを鼓舞し歓喜させたものだ。
その以前にも、彼らに会っている事を思い出す。」

「しかし、彼らは、私のことを忘れていた。
『この方は、人だろうか、いや、神だろうか。』
それ以前にも、私と会っている事を忘れている。」

「その昔、私は、四天王天の世界を訪れて、
法則をして、彼らを鼓舞し歓喜させたものだ。
その以前にも、彼らに会っている事を思い出す。」

「しかし、彼らは、私のことを忘れていた。
『この方は、人だろうか、いや、神だろうか。』
それ以前にも、私と会っている事を忘れている。」

「その昔、私は、三十三天の世界を訪れて、
法則をして、彼らを鼓舞し歓喜させたものだ。
その以前にも、彼らに会っている事を思い出す。」

「しかし、彼らは、私のことを忘れていた。
『この方は、人だろうか、いや、神だろうか。』
それ以前にも、私と会っている事を忘れている。」

「その昔、私は、他化自在天の世界を訪れ、
法則をして、彼らを鼓舞し歓喜させたものだ。
その以前にも、彼らに会っている事を思い出す。」

「しかし、彼らは、私のことを忘れていた。
『この方は、人だろうか、いや、神だろうか。』
それ以前にも、私と会っている事を忘れている。」

「その昔、わたしは、梵天の世界を訪れて、
法則をして、彼らを鼓舞し歓喜させたものだ。
その以前にも、彼らに会っている事を思い出す。」

「しかし、彼らは、私のことを忘れていた。
『この方は、人だろうか、いや、神だろうか。』
それ以前にも、私と会っている事を忘れている。」

「アーナンダよ、これらが、八つの集団である。」

 


第二十二章

「アーナンダよ、八つの勝境というものがある。」

「色を見とめて、好き嫌いを余りしないこと。
アーナンダよ、これこそが、第一の勝境である。」

「色を見とめて、好き嫌いを全くしないこと。
アーナンダよ、これこそが、第二の勝境である。」

「色を見とめず、好き嫌いを余りしないこと。
アーナンダよ、これこそが、第三の勝境である。」

「色を見とめず、好き嫌いを全くしないこと。
アーナンダよ、これこそが、第四の勝境である。」

「色を見とめず、輝く青色の境地に至ること。
アーナンダよ、これこそが、第五の勝境である。」

「色を見とめず、輝く黄色の境地に至ること。
アーナンダよ、これこそが、第六の勝境である。」

「色を見とめず、輝く赤色の境地に至ること。
アーナンダよ、これこそが、第七の勝境である。」

「色を見とめず、輝く白色の境地に至ること。
アーナンダよ、これこそが、第八の勝境である。」

「アーナンダよ、これらが、八つの勝境である。」

 


第二十三章

「アーナンダよ、八つの解脱というものがある。」

「色を有するものが、色を見とめていること。
アーナンダよ、これこそ、第一の離解脱である。」

「内に色を見とめず、外に色を見とめること。
アーナンダよ、これこそ、第二の離解脱である。」

「美しいことに対して、浸り切っていること。
アーナンダよ、これこそ、第三の離解脱である。」

「色の無い世界に至り、空間無辺境となる。
つまり、空間が無辺となる、境地に至ること。
アーナンダよ、これこそ、第四の離解脱である。」

「空間無辺境を越えて、識別無辺境となる。
つまり、識別が無辺となる、境地に至ること。
アーナンダよ、これこそ、第五の離解脱である。」

「識別無辺境を越えて、無所有境に変わる。
つまり、所有が存在しない、境地に至ること。
アーナンダよ、これこそ、第六の離解脱である。」

「無所有を越え、非認知非非認知境となる。
つまり、見る事もなく、見ない事もないこと。
アーナンダよ、これこそ、第七の離解脱である。」

「非認知非非認知を越え、大涅槃に変わる。
つまり、認識を越えて、経験を滅尽すること。
アーナンダよ、これこそ、第八の離解脱である。」

「アーナンダよ、これが、八つの離解脱である。」

 


第二十四章

「アーナンダよ、お前に憑いていた悪魔が、
過去に、私の前に現われ、涅槃を勧めて来た。
わたしは、それを受け、涅槃することに決めた。」

長老アーナンダは、狼狽えながら、こう言った。

「尊師よ、どうか、この世に止まり下さい。
衆生の済度のために、この世に留まり下さい。」
「止めよ、アーナンダよ、もう決まったことだ。」

「尊師よ、どうか、この世に止まり下さい。
衆生の済度のために、この世に留まり下さい。」
「止めよ、アーナンダよ、もう決まったことだ。」

「尊師よ、どうか、この世に止まり下さい。
衆生の済度のために、この世に留まり下さい。」
「止めよ、アーナンダよ、もう決まったことだ。」

「アーナンダよ、これまで、わたしは何度か、
お前に対して、このように言った事がある筈だ。」

『アーナンダよ、四つの如意の基礎、即ち、
欲如意足、勤如意足、心如意足、観如意足を、
修めた者は、一劫以上、世に止まる事が出来る。』

『アーナンダよ、確かに、私は年を取ったが、
おまえが欲するならば、私はこの世に止まろう。』

「涅槃の前兆が、汝だけに与えられたのに、
どうして、おまえは、祈願をしなかったのだ。
アーナンダよ、これは、お前が犯した罪である。」

「わたしは、三ヶ月後に涅槃すると言った。
世尊が生命のために、言葉を覆すことは無い。
さあ、アーナンダ、すべての比丘を集めなさい。」

アーナンダは、悲しみながら、比丘を集めた。
比丘が集まると、仏陀は、彼らに、こう説いた。

「比丘達よ、七科三十七道品を修めなさい。
すなわち、その三十七とは、四念処、四正断、
五根五力、七覚支、八正道、四如意足、である。」

「比丘達よ、この三十七道品を修めるならば、
多くの神々と人々に、多くの利益があるだろう。」

「この世は無常である、この私も無常である。
今から三ヶ月後に、私は大般涅槃に至るだろう。」

「私の生命は熟して、私は天命を果たした。
私は最期に、君達を捨断して、大涅槃に至る。
自己を帰依処とせよ、不放逸に、苦悩を越えよ。」
http://yusan.sakura.ne.jp/library/buddha_mahaparinirvanasutra/  

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コメント
 
01. 2014年2月10日 22:24:45 : 2D6PkBxKqI

『釈迦最後の旅』印度 -瀬戸内寂聴&梅原猛
http://www.youtube.com/watch?v=1dpJlU_gElQ
http://www.youtube.com/watch?v=rslt1DtCvXU
http://www.youtube.com/watch?v=2GTEYuUOmWU

02. 中川隆 2014年12月24日 22:28:55 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

「ブッダ最後の旅」 大パリニッバーナ経(抄) 中村 元 訳(岩波文庫)
http://www.intweb.co.jp/buda/buda_saigonotabi_2-9.htm

 
 仏教の開祖コータマ・ブッダの死は、それを述べている代表的な経典である「大パリニッパーナ経」により知ることができる。この書はパーリ語の原文から邦訳されたものである。原文の題からは「大いなる死」となるが、わかりやすく「ブッダ最後の旅」と訳されている。

 
 この書から、ブッダの最後の旅の様子や死の原因やその時のブッダの言葉など、詳しく伝えられている。

 
 弟子たちへの信頼、悟った人の心のありよう、そしてブッダ最後のことば「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」、修行完成者のことばは2,500年の時を超え、私の心を揺さぶる。

 
  第2章 9.旅に病む ベールヴァ村にて


25

 「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない。

『わたくしは修行者のなかまを導くであろう』

とか、あるいは

『修行僧のなかまはわたしに頼っている』

とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。しかし向上につとめた人は、

『わたくしは修行者のなかまを導くであろう』

とか、あるいは

『修行僧のなかまはわたしに頼っている』

とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。

 アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。・・・ 」



26

 それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。

では、修行僧が自らをたよりとして、他人をたよりとせす、法を島とし、法をよりどころとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころととしないでいるということは、どうして起こるのであるか?

 アーナンダよ。ここに修行僧は身体について身体を観じ、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。

 感受について感受を観察し、 熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。

 こころについて心を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。

 諸々の事象について諸々の事象を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。

  アーナンダよ。このようにして、修行僧は自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるのである。

  アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として最高の境地にあるであろう、----誰でも学ぼうと望む人々は----。」


 

  第3章 13.死別の運命

51
  そこで尊師は修行僧たちに告げられた、

「さあ、修行僧たちよ、わたしはいまお前たちに告げよう、-----

もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成なさい。久しからずして修行完成者は亡くなるだろう。これから三カ月過ぎたのちに、修行完成者は亡くなるだろう」と。

 尊師、幸いな人、師はこのように説かれた。----

 「わが齢は熟した。 わが余命はいくばくもない。
  汝らを捨てて、わたしは行くであろう。

  わたしは自己に帰依することをなしとげた。
  汝ら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。

  その思いをよく定め統一して、おのが心をしっかりとまもれかし。

  この説教と戒律とにつとめはげむ人は、生まれをくりかえす輪廻をすてて、
   苦しみも終滅するであろう」と。



   
  第4章 16.鍛冶工チュンダ

17
 そこで鍛冶工の子であるチュンダは、その夜の間に、自分の住居に、美味なる噛む食物・柔らかい食物と多くのきのこ料理とを用意して、尊師に時を告げた、

「時間になりました、尊い方よ。お食事は準備してございます」と。



20
 さて尊師が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、激しい病が起こり、赤い血が迸(ほとばし)り出る、死に至らんとする激しい痛みが生じた。尊師は実に正しく念(おも)い、よく気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。

 さて尊師は若き人アーナンダに告げられた、

「さあ、アーナンダよ、われらはクシナーラーに赴こう」と。

 「かしこまりました」と、若き人アーナンダは答えた。

 このように、わたくしは聞いた。

 ----鍛冶工であるチュンダのささげた食物を食して、しっかりと気をつけている人は、ついに死に至る激しい病に罹(かか)られた。
 菌(きのこ)を食べられたので、師に激しい病が起こった。
 下痢をしながらも尊師は言われた。

 「わたしはクシナーラーの都市に行こう」と。



  17.臨終の地をめざして プックサとの邂逅(かいこう)

43
「与える者には、功徳が増す。

心身を制する者には、怨みのつもることがない。

善き人は悪事を捨てる。

その人は、情欲と怒りと迷妄とを減して、束縛が解きほぐされた 」と。

   
  第5章 18.病い重し

1
 さて、尊師は若き人アーナンダに告げた。

 「さあ、アーナンダよ。ヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナーラーのマッラ族のウバヴァッタナに赴こう」と。

 「かしこまりました.尊い方よ」と、若き人アーナンダは尊師に答えた。

 そこで尊師は多くの修行僧たちとともに ヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナーラーのマッラ族のウバヴァッタナに赴いた。そこに赴いて、アーナンダに告げて言った。----

 「さあ、アーナンダよ。わたしのために。二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。わたしは疲れた。横になりたい」と。

 「かしこまりました」と、尊師に答えて、アーナンダはサーラの双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いた。そこで尊師は右脇を下につけて、足の上に足を重ね、獅子座をしつらえて、正しく、念い、正しくこころをとどめていた。



2
 さて、そのとき沙羅双樹が、時ならぬのに花が咲き、満開となった。

それらの花は、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。

また、天のマンダーラヴァ華は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。

天の栴檀(せんだん)の粉末は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。天の楽器は、修行完成者に供養するために、虚空に奏でられた。

天の合唱は、修行完成者に供養するために、虚空に起こった。


12
・・・
 そうして、アーナンダよ。どのような道理によって、修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人については、人々がかれのストゥーパをつくってかれを拝むべきであるか? 

アーナンダよ(これは、かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人のストゥーパである)と思って、多くの人は心が浄まって、死後に、身体が壊れてのちに、善いところ・天の世界に生まれる。

アーナンダよ。かれのストゥーパをつくってこれを拝むべきである。・・・



   
  19.アーナンダの号泣

14
 若きアーナンダが一方に座したときに、尊師は次のように説いた。

 「やめよ、アーナンダよ。悲しむな、嘆くな。

アーナンダよ。

わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、---

すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。

およそ生じ、存在し、つくられ、破壊されるべきものであるのに、それが破壊しないように、ということが、どうしてありえようか。

アーナンダよ。そのようなことわりは存在しない。

アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる∴タ楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、向上し来れる人(=コータマ)に仕えてくれた。

アーナンダよ。お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。

速やかに汚れのないものとなるだろう。」



   
  第6章 23.臨終のことば

3
 アーナンダよ。修行僧の集いは、わたしが亡くなったのちには、もしも欲するならば、些細(ささい)な、小さな戒律箇条は、これを廃止してもよい。


6
 そこで若き人アーナンダは尊師にこのように言った。

 「尊い方わ。不思議であります。珍しいことであります。

わたくしは、この修行僧の集いをこのように喜んで信じています。

ブッダに関し、あるいは法に関し、あるいは集いに関し、あるいは道に関し、あるいは実践に関し、一人の修行僧にも、疑い、疑惑が起こっていません。」


 「アーナンダよ。お前は浄らかな信仰からそのように語る。

ところが、修行完成者には、こういう智がある、(この修行僧の集いにおいては、ブッダに関し、あるいは法に関し、あるいは集いに関し、あるいは道に関し、あるいは実践に関し、一人の修行僧にも、疑い、疑惑が起こっていない。

この五百人の修行僧のうちの最後の修行僧でも、聖者の流れに入り、退堕しないはずのものであり、必ず正しいさとりに達する)と。」


7
 そこで尊師は修行僧たちに告げた。---

 「そあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、

『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」

 これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。
http://www.intweb.co.jp/buda/buda_saigonotabi_2-9.htm


03. 中川隆 2014年12月24日 22:34:48 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

ブッダ最後の旅 第1章 通読 58分
https://www.youtube.com/watch?v=1LfWQ3Dybgk

ブッダ最後の旅 第2章〜第3章 通読 1時間32分
https://www.youtube.com/watch?v=-q3kOQLKulE

ブッダ最後の旅 第4章〜5章 通読 1時間28分
https://www.youtube.com/watch?v=2xO-N1RzCRY

ブッダ最後の旅 第6章 通読 42分
https://www.youtube.com/watch?v=WvMcxi_SnpE


04. 2014年12月24日 22:35:14 : b5JdkWvGxs

ブッダ最後の旅 パリニッバーナスッタンタ
https://www.youtube.com/playlist?list=PL-1lf5hs7tMrVYf1DFse3BNX5_X-GrZ05

05. 中川隆 2014年12月24日 22:39:49 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

ブッダ最後の旅 中村元
https://www.youtube.com/playlist?list=PLFM3EVy-xNyP7ASMdiZ6inBpeACgczpei


これは1973年2月18日NHK教育放送 宗教の時間の録音です。当時、中村先生は東大教授で61才 奈良先生は駒沢大学助教授で44才です。
日本の誇る偉大な宗教学者中村先生の心のこもったお話です。


マハ−パリニッバーナ・スッタンタ(ブッダ最後の旅) 中村元、奈良康明
https://www.youtube.com/watch?v=PUwvDugyUDI


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