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2015年04月11日
古村治彦です。
今回は、坂野潤治著『昭和史の決定的瞬間』を皆様にご紹介します。著者の坂野氏は東京大学名誉教授で、日本近代史、特に明治維新から日中戦争までの政治史を専門にしている歴史学者です。この本を読んで私は腑に落ちたことがたくさんあり、是非多くの方々に読んでいただきたいと思い、紹介文を書こうと考えました。
この本は昭和6・7(1931・1932)年(満州事変、未発のクーデター十月事件、大恐慌、五・一五事件)と昭和11・12(1936・1937)年(総選挙、二・二六事件、宇垣一成の組閣失敗、日中戦争)の2つの「危機の時期」に焦点を当てています。以下に関連年表、同時期前後の内閣、同時期の総選挙の結果を掲載します。これらは本の中に出てきますので、ご参照ください。
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◆関連年表
●昭和 6(1931)年
・9月 満州事変勃発
・12月 第二次若槻礼次郎内閣(民政党)が内閣府一致で総辞職。政友会の犬養毅総裁が内閣を組織。
●昭和 7(1932)年
・5月 五・一五事件で犬養毅首相が海軍将校らに殺害される。海軍大将斎藤実が内閣(協力内閣)を組織。
・7月 合法的社会主義政党である社会大衆党結党。
●昭和 9(1934)年
・7月 斉藤内閣、帝人事件により総辞職。海軍大将岡田啓介が内閣を組織。
・10月 陸軍省、パンフレット「国防の本義とその強化の提唱」を作成し、「広義国防」論を主張する。
・11月 士官学校事件(クーデター未遂事件)。
●昭和10(1935)年
・2月 貴族院で美濃部達吉の「天皇機関説」が攻撃され、天皇機関説問題始まる。
・5月 内閣調査局設置。民政党参加、政友会不参加。
・6月 選挙粛正中央連盟成立。「新官僚」が中心となった「選挙粛正」運動を社会大衆党・民政党が支持。
・8月 政府、天皇機関説を公式に否定(「国体明徴」宣言)。相沢事件(永田鉄山陸軍省軍務局長が相沢三郎陸軍中佐に斬殺される)。
●昭和11(1936)年
・1月 政友会、衆議院に内閣不信任案を提出。岡田内閣、衆議院を解散。
・2月 20日に総選挙。政友会惨敗、民政党は議席を回復するが過半数に届かず。社会大衆党が躍進。二・二六事件勃発(斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監が殺害され、鈴木貫太郎侍従長が重傷を負う。陸軍省などが占拠される)。岡田内閣は総辞職。
・3月 外務官僚の広田弘毅が内閣を組織する。
・5月 斎藤隆夫(民政党)、「粛軍演説」で軍部を厳しく批判。
●昭和12(1937)年
・1月 政友会の浜田国松の「割腹問答」。広田内閣、閣内不一致に追いこまれて総辞職。
宇垣一成に大命降下(天皇より首相就任・組閣命令が下る)。宇垣、陸軍の反対で組閣に失敗(宇垣流産内閣)。
・2月 陸軍大将林銑十郎が内閣を組織。
・3月 予算成立後に衆議院解散(食い逃げ解散)。
・4月 総選挙。民政党議席減、政友会微増、社会大衆党36議席へ躍進。
・6月 公爵近衛文麿が内閣(第一次)を組織。
・7月 蘆溝橋事件。日中戦争へ。
・12月 人民戦線事件。「人民戦線」派に対する弾圧事件。
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◆同時期の内閣
●浜口雄幸内閣(民政党)1929―1931年
●第二次若槻礼次郎内閣(民政党)1931年
●犬養毅内閣(政友会)1931―1932年
●斎藤実内閣(非政党内閣)1932―1934年:政友会・民政党共に閣僚を送る
●岡田啓介内閣(非政党内閣)1934―1936年:民政党のみ閣僚を送る
●宇垣一成流産内閣1936年
●広田弘毅内閣(非政党内閣)1936―1937年
●林銑十郎内閣(非政党内閣)1937年
●第一次近衛文麿内閣(非政党内閣)1937―1939年
●平沼騏一郎内閣(非政党内閣)
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◆同時期の総選挙の結果
●第19回総選挙(1936年2月20日):政友会による内閣不信任案提出を受けての岡田内閣の解散
民政党 205議席(127 +78)
政友会 171議席(242 –71)
国民同盟 15議席(20 –5):民政党からの分派
社会大衆党他 18+4議席(5 +17)
昭和会 25議席(24 +1):政友会からの分派
その他 28議席(48 −20)
●第20回総選挙(1937年4月30日):予算通過で政友・民政両党にてこずらされた林銑十郎内閣による「食い逃げ解散」
よる解散
民政党 179議席(204 −25)
政友会 171議席(175 +4)
国民同盟 11議席(11 ±0):林内閣の与党的立場
社会大衆党他 36議席(20 +16)
昭和会 19議席(24 −5):林内閣の与党的立場
東方会 11議席(9 +2):中野正剛が民政党を脱党して結成
その他 35議席(28 +7)
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この時期の日本の政治と社会の大きなテーマ、争点となったのが「市場原理(社会制度の維持)か、福祉重視(社会変革)か」と「対外戦争か、平和か」ということであったと著者の坂野氏は指摘しています。そして、この争点を軸にして、2つの危機の時期の出来事とアクターと思想(考え)を分析しています。
この時期の主なアクターは、重臣(元老の西園寺公望と総理大臣経験者や宮中を取り仕切る内大臣と枢密院議長)、陸軍(皇道派[軍部の政権奪取を非合法手段で行う考え]と統制派[軍部の政権奪取を合法手段で行う考え])、立憲政友会、立憲民政党、社会民主党(合法的な社会主義政党)、革新官僚、財界といった人々や組織です。
これから私が「なるほど」と思った部分をかいつまんで取り上げてみたいと思います。
(続く)
- 坂野潤治著『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書、2004年)をご紹介いたしますA(古村治彦の酔生夢死日記) 五月晴郎 2015/4/18 10:23:58
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- 坂野潤治著『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書、2004年)をご紹介いたしますB(古村治彦の酔生夢死日記) 五月晴郎 2015/4/20 01:27:32
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- 坂野潤治著『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書、2004年)をご紹介いたしますB(古村治彦の酔生夢死日記) 五月晴郎 2015/4/20 01:27:32
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