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ジェームス・B・ランシング(James Bullough Lansing、1902〜1949) が設計したスピーカー
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1103.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 11 月 01 日 10:40:52: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 絶対に買ってはいけない アルテック VOICE OF THE THEATER A5・A7 投稿者 中川隆 日時 2020 年 8 月 16 日 07:39:08)


ジェームス・B・ランシング(James Bullough Lansing、1902〜1949) が設計したスピーカー

JBLストーリー 第一回:JBLのルーツ「ランシング・マニュファクチャリング社」
2013年8月27日/Stereo Sound ONLINE編集部 KN
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/08/27/24050.html

JBLの歴史は、前身時代の「シャーラー・ホーン」システムから始まった
 オーディオファイルのみならず、一般の音楽ファンでも知らない人はほとんどいないといえるほど、「JBL」はいまやスピーカーの人気ブランドとして確固たる地位を確立している。だから、すでに周知のことをここで改めて記しても意味がないので、ちょっと違った視点から「JBL」ブランドについてお話ししたい。

 とはいっても、「JBL」の創立については、話の順序として簡単に触れておくと、「JBL(James B. Lansing Sound Inc.)」は、1946年10月1日、米カリフォルニア州ロサンゼルス市に、ジェームス・B・ランシング(James Bullough Lansing、1902〜1949)によって設立された。したがって、本年10月1日に創業67周年を迎えることになる。

 しかし、創業者ジェームス・B・ランシング(以下、ランシング)のスピーカーづくりのキャリアは、ここから始まったのではない。それより約20年前の1927年に、「JBL」の前身ともいえるランシング・マニュファクチャリング社(Lansing Manufacturing Co.)を設立し、フィールドコイル型の15インチ(38cm)径ウーファーやコンプレッションドライバーなどを開発・販売していたのである。

 そして、ランシングの名を一躍有名にしたのが、1930年代初めに米ハリウッドの映画会社MGM(Metro Goldwyn Mayer Studios)から依頼された、トーキー映画再生用シアターシステムの開発という超大型プロジェクトだ。

 当時の米国内におけるトーキー再生システムの代表格はWE(ウェスタン・エレクトリック)製のシステムだったが、このシステムに対してMGMの音響エンジニア、ジョン・ヒリアード(John Hilliard)や、音響部門長のダグラス・シャーラー(Douglas Shearer)は満足できず、また問合せに対するWE側の対応にも不満があったという。そこで、MGM独自のトーキー再生システムの開発を決断する。その開発エンジニアのリーダーとして白羽の矢が立ったのが、当時実績を積み上げつつあったランシング社だったのである。

 ところが、当時のランシング社は小規模すぎて、とても一社では対応できない。そこで、先のヒリアードやランシングに加え、ランシングをMGMに紹介したジョン・ブラックバーン博士(Dr. John Brackburn)や、MGMからロバート・スティーヴンス(Robert Stephens)、RCAからは有名なハリー・オルソン博士(Harry Olson)等々、当時の錚々たるオーディオ関連のエンジニアが集結し、「シャーラー・ホーン」システムの開発がスタートする。

 そして、「シャーラー・ホーン」システムは1935年に完成する。これは、低音域がオルソン博士が開発したW字型折曲げホーン・バッフルと、ランシングが開発したフィールドコイル型15インチ径ウーファー「15XS」×4基の組合せ、高音域がボイスコイル径2.84インチ、スロート径1.5インチの「284」ドライバー(後のアルテック『288』の前身)と、マルチセルラホーンの組合せ、という巨大な2ウェイ構成のシステムだ。

 余談だが、ドライバーの「284」という型名は、2.84インチというボイスコイル径に由来する。ランシングは、このボイスコイル径に、ことのほかこだわりがあったようで、これ以後も、たとえばJBLの15インチ径ウーファーのボイスコイルは4インチ径に限定されていることや、ドライバーの「175」という型名も、ボイスコイル径が1.75インチというところから命名された。

 話が少し横道に逸れたが、この「シャーラー・ホーン」システムは、その優秀さが認められ、全米各地のMGM系列館に相当数納入されたという。当然、ランシング社やRCA社などがその製造を担当したわけだが、同一仕様ながら各ユニットの意匠デザインは各メーカーに任せられていたようだ。また、このシステムはあまりにも巨大だったため、このクォリティをそのまま継承した小型システムも数種類製造された。

シャーラー・ホーン・システム。低音域がW字型折曲げホーン・バッフルと15インチ径ウーファー「15XS」×4基の組合せ、高音域が「284」ドライバーとマルチセルラホーンの組合せ、という巨大な2ウェイ構成システムだ

シャーラー・ホーン・システム。低音域がW字型折曲げホーン・バッフルと15インチ径ウーファー「15XS」×4基の組合せ、高音域が「284」ドライバーとマルチセルラホーンの組合せ、という巨大な2ウェイ構成システムだ
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/08/27/24050.html


「アイコニック」モニターシステムも注目に値する
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/08/27/24050-2.html

 もうひとつ、ランシング・マニュファクチャリング社を代表するスピーカーシステムがある。それが、1937年に登場した2ウェイ・モニタースピーカーの「アイコニック(Iconic)」だ。

 このシステムには、いかにも業務用モニター然としたブラック仕上げの「812」と、高級家具調仕上げの「810」の2種類があった。使用ユニットは共通で、低音域が15インチ径フィールドコイル型の「815」ウーファーとバスレフ型キャビネット(後のアルテック『612』キャビネットと同サイズ)の組合せ、高音域が「801」フィールドコイル型ドライバー(ボイスコイル径1.75インチ、1インチスロート。後のアルテック『802』、JBL『175』の前身)と「808」マルチセルラホーン(JBL『H1000』の前身)の組合せという2ウェイ構成だ。

 さて、以上の文中でもすでに( )付きで記したことだが、「284」ドライバーをはじめ、「801」ドライバー、「808」マルチセルラホーンなどはそれぞれ、後にランシング自身が開発するアルテック「288」ドライバーや、アルテック「802」、JBL「175」ドライバー、JBL「H1000」マルチセルラホーンのオリジナルといえるユニットだ。つまり、後の「アルテック」「JBL」時代の名作ユニットの原型が、すでにこの時代に開発されていたのである。換言すれば、この時代は、ランシングにとってもっとも開発能力に長けた、充実した時代だったのではないだろうか。

 こうした優れたスピーカーシステムを世に送り出してきたランシング社だが、1939年にランシングの古くからのパートナーで財務責任者であったケネス・デッカー(Kenneth Decker)が、飛行機事故で死亡してしまう。このことが災いしてか、業績も急激に落ち込み、危機的な状況となる。一方、シアター用音響機器の供給・保守サービス部門をWEから受け継いだアルテック・サービス社も、サービス業務に不可欠の交換用機材の在庫がなくなりつつあり、早急に有能な開発エンジニアを募る必要性に迫られた。

 こうして、いわば互いの思惑が一致する形で、アルテック・サービス社がランシング社を買収し、新たにアルテック・ランシング社が誕生する(1941年)。ランシング自身も技術担当副社長として新会社に迎えられ、やがて「515」ウーファー、「288」ドライバー、「604」2ウェイ同軸型ユニットをはじめ、シアター用音響再生システム「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」など、数々の名作を開発していくことになる。(次回に続く)

ランシング「284」コンプレッションドライバー。ボイスコイル径2.84インチ、スロート径1.5インチ

ランシング「アイコニック810」2ウェイ・モニタースピーカー
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/08/27/24050-2.html

 

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コメント
1. 2020年11月01日 10:51:44 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[21] 報告
JBL の歴史




JBL Biography | James Bullough Lansing




Les Paul interview about James B. Lansing




JBL 60 year history of building the best speakers for recording studios, movie theaters, live sound, home and automotive use.


2. 中川隆[-10330] koaQ7Jey 2020年11月01日 11:00:02 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[22] 報告
JBLストーリー 第2回:アルテック時代のジェームス・B・ランシング
2013年9月 6日/Stereo Sound ONLINE編集部 KN
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/09/06/24334.html


15インチ径同軸2ウェイユニット「604」の開発

 前回は、ランシングがアルテック社に移籍したところまで記したので、今回はアルテック社でどんなスピーカーを開発したのか、について(ただ、こういうペースで書いていると、いつまで経っても終らない......^^;。まあ、その辺は臨機応変に。何しろ本編はアナザーサイド・ストーリーなので)。

 さて、アルテック・ランシング社は1941年12月4日に設立され、ランシングは技術担当副社長に就任する。この3日後の12月7日(現地時間。日本時間8日未明)には日本軍による真珠湾攻撃、そして第二次世界大戦へ突入というたいへんな時代だったが、同社は以前から米政府当局に音響機器を納入していたためか、業務の縮小を余儀なくされたとはいえ開発・生産は続けていたようだ。

 そして、先にアルテック社に移籍していたジョン・ヒリアード(John K. Hilliard、前回参照)とともに、ランシングはスピーカー開発に着手する(ランシング時代のユニットを使ったシアター用大型システム数種が1941年に登場しているが、ここでは割愛)。最初に手がけたのは、15インチ径フィールドコイル型の同軸2ウェイユニット「601」だったようだ(1943年10月20日発表。同時期に、前回の『アイコニック812』モニター用のエンクロージャーに本機を納めた『602』システムも発表された)。

 この「601」ユニットは、ウーファーの磁気回路の背後に中高域用ドライバーを組み付け、そのドライバーのスロートから出た音をウーファーの磁気回路を貫通し、ウーファー・コーン中心部に設けた小さなマルチセルラホーンから放射するという構造になっている(後の『604』と同様)。

 この構造はランシングのオリジナルではなく、これに類似したものは、WE(ウェスタン・エレクトリック)のヘンリー・C・ハリソン(Henry Charles Harrison)が1936年に出願した米国特許の図面にも見られる(1937年特許取得。Pat. No.2,077,170)。

 この「601」同軸2ウェイは、ボイスコイル径2インチのウーファーと、同1.75インチ径のドライバーを合体させたもので、クロスオーバー周波数は1,200Hz(N1200Cネットワーク、インピーダンス12Ω)。この仕様からすると、おそらくランシング時代の「415」ウーファー(シアター用大型システムに採用)と「801」ドライバー(前回の『アイコニック』システムに採用)を組み合せたものではないかと思われる。
アルテック「604」シリーズ・ユニットの内部構造。ウーファー用磁気回路の背後に中高域用ドライバーが装着されている様子や、ドライバーから出た音がウーファーの磁気回路を貫通し、右側の小さなホーンから放射される様子が理解できよう

アルテック「604」シリーズ・ユニットの内部構造。ウーファー用磁気回路の背後に中高域用ドライバーが装着されている様子や、ドライバーから出た音がウーファーの磁気回路を貫通し、右側の小さなホーンから放射される様子が理解できよう

ランシングとジョン・ヒリアードが、アルテック・ランシング社で最初に開発した、「601」15インチ径フィールドコイル型同軸2ウェイユニット。1943年10月20日発表

ランシングとジョン・ヒリアードが、アルテック・ランシング社で最初に開発した、「601」15インチ径フィールドコイル型同軸2ウェイユニット。1943年10月20日発表
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/09/06/24334.html


「601」を改良した銘機「604」の登場
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/09/06/24334-2.html

 この「601」をパーマネントマグネット型に改良したモデルが、銘機「604」なのである。この「604」シリーズは、アルテック・ランシングを代表するユニットで、時代の変遷とともに改良され続け、驚異的なロングランを誇ったモデルとして知られている。

 「604」同軸2ウェイは、1945年5月14日に米ハリウッドで開催されたSMPTE(Society of Motion Picture and Television Engineers=米国映画テレビ技術者協会)の技術協議会にて、ランシング自身により発表された。その論文が、“New Permanent Magnet Public Address Loudspeaker”−James B. Lansingとして、SMPTEの会報(Journal of the SMPTE)に掲載されている。その冒頭に、1943年10月20日開催の同協議会で、「604」の前身にあたるフィールドコイル型の同軸2ウェイユニット(つまり『601』)を発表した、と記されている(『601』についての論文は“The Duplex Loudspeaker”−James B. Lansing)。

 さて、「601」から「604」への改良点だが、まずアルニコVマグネットによる磁気回路の採用。次に、ウーファーのボイスコイル径が2インチから3インチに拡張されたこと。結果としてコーンの頂角が浅くなり、コーンの振幅時における曲げ剛性が増したことで感度も向上し(こういうフレーズは次回も登場しそう)、クロスオーバー周波数が2,000Hzに変更された(N2000Bネットワーク、インピーダンス20Ω)。また、中高域用ドライバーのダイアフラムには、先のH.C.ハリソンが発明したタンジェンシャルエッジを採用し、従来タイプのロールエッジよりもスムーズな振幅動作が可能になったという。改良点は他にもあるが、長くなるので割愛する。
フィールドコイル型の「601」を、パーマネントマグネットによる磁気回路版に改良した、「604」同軸2ウェイユニット

フィールドコイル型の「601」を、パーマネントマグネットによる磁気回路版に改良した、「604」同軸2ウェイユニット

1945年発行のJournal of the SMPTEに掲載された、アルテック「604」に関する論文“New Permanent Magnet Public Address Loudspeaker”−James B. Lansing
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/09/06/24334-2.html


もうひとつの大きな功績は「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」システムの開発
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/09/06/24334-3.html

 ランシングとジョン・ヒリアードのもうひとつの大きな功績は、シアター用「ヴォイス・オブ・ザ・シアター(The Voice of the Theatre)」システムの開発といえよう(注:つづりは原文のママ)。

 このシステムについては、先述したSMPTEの会報に掲載された、ランシングとジョン・ヒリアードの共著による“An Improved Loudspeaker System For Theaters”という論文に詳しく記されている(1945年5月14日発表)。

 これを見ると、「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」システムの開発目標は、強力なパーマネントマグネット型磁気回路による最新・高性能ユニットで構成することで、感度や耐入力特性の向上に加え、過渡特性、再生帯域、分解能、実在感などの性能アップを図ることであった。

 新たに開発されたユニットは、15インチ径の「515」ウーファーと、「288」コンプレッションドライバーの2モデル。そして、それに伴なう「N500C」ネットワークやフロントロードホーン付きバスレフ型キャビネット+ウィングなど。

 中でも「515」ウーファーは、アルニコVマグネットを採用し、14,750ガウスという高い磁束密度を誇る強力な磁気回路を搭載。またボイスコイル径は、ランシング時代の「415」「815」ウーファーが2インチだったのに対して、3インチに拡張され、エッジワイズ巻き銅リボンボイスコイルの採用と相まって、高感度と高耐入力特性を実現している。インピーダンス20Ω、最低共振周波数40Hz。

 「288」ドライバーは、ランシング時代の「284」→「285」→「287」(いずれもフィールドコイル型)の改良版で、アルニコVマグネットによる強力な磁気回路を搭載。ボイスコイルはエッジワイズ巻きアルミリボン製による高効率タイプで、直径は2.84インチ。インピーダンス24Ω。

Journal of the SMPTEに掲載された、「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」システムに関する論文“An Improved Loudspeaker System For Theaters”−James B. Lansing and John K. Hilliard(1945年5月14日発表)
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/09/06/24334-3.html

「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」システムは2ウェイ構成が基本
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/09/06/24334-4.html

 「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」システムは、この2種のユニットによる2ウェイ構成が基本で、シアターの容積や座席数などにより、使用ユニットの個数や低域用ホーン/ウィングのサイズを替える方式を採用。大きさ順に言うと、「A1-X」「A1」「A2-X」「A2」「A4-X」「A4」「A5」「A6」の全8システムである。

 たとえば座席数7,000席という大規模シアター用の「A1-X」システムは、「515」ウーファー×6基、「288」ドライバー×4基+「H1804」(3×6セル)、「H1504」(3×5セル)、「H1004」(2×5セル)のいずれかのマルチセルラホーン×1基という構成になる。これに低域用フロントロードホーン付きキャビネット「H610」とウィングが付くため、外形寸法は「H1804」ホーンを使用した場合、横幅が約320cm、高さが約321cm、奥行きが約118cmという巨大なシステムだ。総重量はなんと1,035kg。ネットワークは「N500C」(クロスオーバー周波数500Hz)。

 以下、「A1」システム(515×6、288×2)、「A2-X」システム(515×4、288×4)、「A2」システム(515×4、288×2)、「A4-X」システム(515×2、288×2)、「A4」システム(515×2、288×1)、「A5」システム(515×1、288×1)というように、だんだん小規模なシステムとなる。

 ただ、もっとも小型の「A6」システムだけはユニット構成が異なり、先に紹介した「604」同軸2ウェイユニットを1基のみ、フロントロードホーン付きバスレフ型キャビネット「H100」にマウントしたものだ。
アルテック・ランシング「288」コンプレッションドライバー。アルニコVマグネット搭載

アルテック・ランシング「288」コンプレッションドライバー。アルニコVマグネット搭載

「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」システムの一例。座席数7,000席の大規模シアター用「A1-X」システムは、「515」ウーファー×6基+フロントロードホーン付きキャビネット/ウィング、「288」ドライバー×4基+マルチセルラホーンという構成
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/09/06/24334-4.html

3. 中川隆[-10329] koaQ7Jey 2020年11月01日 11:17:00 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[23] 報告
JBLストーリー 第3回:JBL社の創立と、独自のスピーカーユニット開発
2013年11月 1日/Stereo Sound ONLINE編集部 KN
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/11/01/25950.html

クレームに翻弄されたジェームス・B. ランシング
 アルテック・ランシング社で、後世まで語り継がれるスピーカーユニットやスピーカーシステムの開発に専念してきたジェームス・B. ランシング(James B. Lansing)は、同社との5年間の契約期間が終了すると、早々に自身の新しい会社「ランシング・サウンド・インコーポレイテッド(Lansing Sound Incorporated)」を設立する(1946年10月1日)。

 住所は、ロサンゼルス市サウス・スプリング・ストリート510番地、工場はジム・ランシングがアルテック時代に購入した、アポカドや柑橘類を栽培する農園----カリフォルニア州サンマルコスに置かれた(農業をやるつもりで農園を購入したらしい)。ちなみに初期の従業員には、ジョン・エドワーズ(John Edwards)、ハワード・ワイザー(Howard Weiser)、バド・フォーセット(Bud Fawcett)らがいた。

 そして、創立後の第1作が「D101」15インチ径ユニット(パーマネントマグネット型磁気回路を搭載)。このユニットは、フレームや磁気回路の形状がアルテック「515」ウーファーに似ているが、ウーファーではなくフルレンジ型で、アルミホイル製のセンタードームが付けられていることが特徴。またボイスコイルも、3インチ径のエッジワイズ巻きと同じだが、線材が「515」は銅リボン線なのに対して、アルミリボン線となっているところが異なる。

 こうして順調にスタートを切ったかと思われた矢先に、アルテック社からクレームが付けられた。その内容はまず、社名に「ランシング」と入っていたこと。もうひとつは「D101」の磁気回路側面と、その宣伝用シートに「アイコニック(ICONIC)」という称号が使われていたことだ。アルテック社では、この「ランシング」と「アイコニック」は同社が所有する商標と考えていたのである。

 というのも、当時のアルテック社の正式社名は「アルテック・ランシング・コーポレーション(Altec Lansing Corporation)」であり、「アイコニック」に関しては、1943年に小型2ウェイシステムの「812/814」シリーズや「816/817」シリーズに「アイコニック」という称号を冠して発売していたからだ(1950年代の同社製大型スピーカーシステムにも『アイコニック』というシートが貼られていた)。

 このクレームに対して、ジム・ランシングは「またか」という思いに駆られたに違いない。なぜなら、ジム・ランシングが他社からクレームを受けたのは、今回が初めてではないからだ。
JBL社の第1作「D101」15インチ径フルレンジユニット。パーマネントマグネット型磁気回路を搭載。アルミホイル製センタードーム付き

JBL社の第1作「D101」15インチ径フルレンジユニット。パーマネントマグネット型磁気回路を搭載。アルミホイル製センタードーム付き

「D101」の磁気回路側面に貼られた「アイコニック(ICONIC)」シール
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/11/01/25950.html


それ以前にもランシングはクレームに悩まされていた
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/11/01/25950-2.html

 「JBLストーリー」の第1回に登場した「シャーラー・ホーン」用のフィールドコイル型「284」コンプレッションドライバーに対して、ウェスタン・エレクトリック(WE)のシアター用再生機器の設置や保守サーヴィスを行なう会社ERPI(Electrical Research Products Inc.)から、WEの特許を侵害している旨の通告を受けたのだ。特にWE「594A」ドライバーに採用した同心円状スリット・フェイズプラグが、「284」にも採用されていることが問題だとされた(『594A』は4重スリット、『284』は3重スリットだが)。

 このクレームに対抗する形で、ランシング社に移籍していたジョン・ブラックバーン(Dr. John Blackburn)が、放射状スリット・フェイズプラグを開発。これを採用した「285」ドライバーが、「284」の代替品として1936年に登場する。この放射状スリット・フェイズプラグについては、1937年8月14日に米国特許が出願され、1939年12月19日に認可・発行されている(特許番号2,183,528)。

 ところが、その開発過程で、ERPIが特許権を主張した同心円状スリット・フェイズプラグに関する技術は、すでにアコースティック蓄音機時代(1920年代)に存在していたことに気づく。

 一方、WEは1937年に、合衆国政府との同意判決に署名し、ERPIのシアター部門を手放すことになる。そして、ERPIの主要メンバーらが立ち上げたオール・テクニカル・サーヴィス(アルテック・サーヴィス)社がその権利を獲得し、従来のWEシステムの保守サーヴィス業務を開始する。そして、本ストーリーの第1回でも記したように1941年にランシング社を買収し、ジム・ランシングを技術担当副社長として迎えてアルテック・ランシング社が誕生するのだが、同時にWEが開発した全製品を製造する権利も獲得することになる。

 以上のような理由から、皮肉なことに先の「284」の特許に関する問題もすべてクリアーになるのである。この間、大会社からのクレームに平穏ならざる日々を送っていたジム・ランシングの胸中は、察してあまりある(このフレーズは10年くらい前にも使ったことがあるなぁ^^;;)。

 そして、先の2度目のクレームに対して、ジム・ランシングは釈然としない思いを抱きながらも、やむなく「アイコニック」という称号の使用をやめ、社名もジェームス・B. ランシング・サウンド・インク(James B. Lansing Sound Inc.)と改称する。いよいよJBL社の誕生である。
新生JBL社の傑作フルレンジユニット「D130」(15インチ径)の初期ヴァージョン。アルテック「515」とは、ボイスコイル径やフレーム形状など重要な部分で設計を異にする

新生JBL社の傑作フルレンジユニット「D130」(15インチ径)の初期ヴァージョン。アルテック「515」とは、ボイスコイル径やフレーム形状など重要な部分で設計を異にする

「D130」の特徴をそのまま受け継いだ12インチ径フルレンジの「D131」。“JIM LANSING”という商標も誇らしげだ
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/11/01/25950-2.html

後世にまで名を残す傑作「D130」の誕生!!
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/11/01/25950-3.html

 さて、すべてがクリアーになった新生JBL社は、1946年半ばから1947年にかけて、まったく新しいコンセプトのスピーカーユニットの開発に着手する。そして1947年に完成したのが、15インチ径フルレンジの「D130」(これをウーファー仕様としたのが『D130A』→後の『130A』)、12インチ径フルレンジの「D131」、ボイスコイル径1.75インチのコンプレッションドライバー「D175」+8セル・マルチセルラホーン「H1000」の組合せ——「D175H1000」の3モデルだ。

 ここで注目すべきは、クレームを付けられたアルテック社に対する、スピーカーエンジニアとしての反骨精神の表われ。というのも、ジム・ランシングが新たに開発したユニットは、アルテック社のそれとは異なる基本構造を有しているからだ。まるで、肝心なところはことごとく設計変更したかのように。アルテック社の主要ユニットといえば、前回も記したようにジム・ランシング自身が開発したものである。にもかかわらず、その基本構造をそのまま継承することなど、彼のプライドが絶対に許さなかったのだろう。

 たとえば「D130」フルレンジは、ボイスコイル径が、アルテック「515」ウーファーの3インチに対して、4インチに拡張されている。このようにボイスコイル径を広げれば、コーンの頂角は浅くなるが、高域のレンジを少し延ばすことが可能となる。これは、深々とした低音よりも、瞬発力に優れた歯切れのいい音を追求したためと思われる。

 このことは、ボイスコイルの極性を通常(当然アルテックも含まれる)とは逆に設定し(つまり絶対位相を逆にする)、音場感の再現性よりもメリハリの効いたサウンドを指向していることとも符合する。また、「D130」は軽量コーン紙を採用しているが、この製法の改良と、わずかにカーブを付けることで、強度を確保している点も見逃せない。つまり、アルテックの音づくりとは完全に決別し、JBL独自のサウンドを追求し始めたのだ。

 ちなみに、この「15インチ径ユニット=4インチ径ボイスコイル」というランシングの設計ポリシーを、JBLでは60年以上も経過した今日に至るまで貫き通している(一部の同軸2ウェイ型を除く)。これもアルテックに対する反骨精神の表われか。ここまで徹底すると、もはや“痛快”とさえいえる。また、絶対位相を逆にする設計方針も、1989年のProject K2 S9500の発売まで継続することになる。
「D175」コンプレッションドライバーに8セル・マルチセルラホーン「H1000」を装着した、「D175H1000」

「D175」コンプレッションドライバーに8セル・マルチセルラホーン「H1000」を装着した、「D175H1000」

JBL「175」コンプレッションドライバー(初期ヴァージョン)
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/11/01/25950-3.html


もうひとつのランシングの傑作「175」ドライバーユニット
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/11/01/25950-4.html

 ところで、「D130」と同じ1947年に登場した「D131」12インチ径フルレンジと、「D175」コンプレッションドライバー(8セル・マルチセルラホーン付きの『D175H1000』)についてだが、「D131」は「D130」と同じ特徴を備えたスケールダウン版なので、詳細については割愛する。

 「D175」は、型名の由来でもある1.75インチ径のボイスコイル(アルミリボン線エッジワイズ巻き)を採用したコンプレッションドライバーだ(スロート径1インチ)。このオリジナルは、本ストーリーの第1回で紹介した、1937年発売のランシング「801」(フィールドコイル型)である。これが、パーマネントマグネット型のランシング「901」(1941年発表のアルテック・シアター用システム『18W-8』に搭載)と、アルテック「802」(1945年に誕生?)に発展する。つまり、この「901」と「802」の改良版といえるのが「D175」なのである。

 ところが、JBL「D175」(あるいは1950年発売の『175』)と、アルテック「802」との間にも、前述したJBL対アルテックの確執ともいうべき、厳然たる違いがあるのが興味深い。

 第一に、ダイアフラムのエッジ(サラウンド)には、両者ともタンジェンシャルエッジ(文字通り円周の接線方向に山谷を設けた構造)を採用しているが、その山谷の向きがJBL「D175」とアルテック「802」では逆になっていること。

 第二に、ボイスコイルの引出し線を、JBL「D175」ではフェイズプラグ側から出しているのに対して、アルテック「802」ではその逆側から出していること。

 第三に、先述した絶対位相(ボイスコイルの極性)も、JBL「D175」とアルテック「802」とでは逆になっていること。

 その他、JBL「D175」(あるいは『175』)の方が、磁気ギャップの磁束密度がアルテック「802」よりも高められていることが挙げられる。この磁気回路の強化と高感度化も、この後のJBLスピーカーユニットの大きなテーマとなっていく。


[お詫びと訂正]前回、「ジョン・ヒリアードは、ランシングよりも先にアルテック社に移籍していた・・・」という旨のことを記したが、ヒリアードが移籍したのは1943年で、ランシングとともに製品開発を始めたのは「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」システムから、の誤りでした。お詫びし、訂正します。
ジム・ランシングが1937年に発表した「801」(フィールドコイル型)。この時代にはまだロールエッジを採用していた

ジム・ランシングが1937年に発表した「801」(フィールドコイル型)。この時代にはまだロールエッジを採用していた

ジム・ランシングが「801」をベースに、パーマネントマグネットによる磁気回路搭載版に改良したアルテック「802B」。ダイアフラムの周囲にはタンジェンシャルエッジを採用。このエッジの向きが「D175」とは逆になっている

ジム・ランシングが「801」をベースに、パーマネントマグネットによる磁気回路搭載版に改良したアルテック「802B」。ダイアフラムの周囲にはタンジェンシャルエッジを採用。このエッジの向きが「D175」とは逆になっている
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/11/01/25950-4.html

4. 中川隆[-10328] koaQ7Jey 2020年11月01日 11:23:40 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[24] 報告
JBL 誕生物語 ~プレミアムな音は、こうして世界に響き始めた~
https://audio.kaitori8.com/story/jbl/


家庭だけにとどまらず、映画館やコンサートホールなど、究極のステージにも君臨する JBL。そのスピーカーは、数多くの著名アーティスト達をも魅了する。

ポール・マッカートニーはこんなコメントを残している。

「私にとって JBL とは”素晴しいサウンド”と同じ意味であり、私はレコーディング・アーティスト、そ してツアー・ミュージシャンとしてのキャリアを通じて JBL を使用してきました。ファンに”Heart the truth”してほしいし、JBL はそれを叶えることができます」

※2012年1月、ロンドンにて”Hear the truth”の動画 CM の撮影後に音にこだわる大人たちに愛され続けているスピーカーブランド「JBL」。 私たちは今日、数々の傑作を生み出したJBLの誕生秘話を、皆さんと一緒に振り返りたい。


1.JBL が生まれるまで

1-1.JBL のルーツ

1946年、アメリカで設立されたスピーカー製造会社「JBL」。その社名は、音に人生を捧げた「ジェームス・バロー・ランシング(James Bullough Lansing)」のイニシャルに由来する。ランシングは、音の天才エンジニアであり、世界最大のスピーカーメーカーJBLの創設者だ。

しかし、彼が最初に設立した会社はJBLではない。ランシングがその人生で初めて設立した会社は、ランシング・マニュファクチャリング社(Lansing Manufacturing Inc.)というスピーカー製造会社だった。1927年のことである。

ランシングは JBLの前身となる「ランシング・マニュファクチャリング社」を設立する。 この会社の当初の事業内容は、ラジオとコンソール型ラジオに使われるラウドスピーカーの製造だった。顧客も一般ユーザーではなく、中西部諸州のラジオセットメーカーが大半だった。 大型製品も時に製造したが、せいぜいコンソール型ラジオ用のスピーカー程度だった。

しかし1934年、ランシング・マニュファクチャリング社は突如飛躍する。 アメリカのハリウッド映画会社 MGM(Metro Goldwyn Mayer Studios)からの依頼により、トー キー映画再生システムの開発に携わるのである。

1-2.飛躍

当時のアメリカ国内におけるトーキー映画再生システムといえば、WE(ウェスタン・エレクトリック)製システムだった。しかし、このシステムに対して MGMは満足しておらず、また問合せに対する WE 側の対応にも不満を感じていた。

そこで、MGM 独自のトーキー映画再生システムの開発を決断するのだが、その開発エンジニアのリー ダーとして白羽の矢が立ったのが、当時実績を積み上げつつあったランシング社だった。とはいえ、当時のランシング社の規模はまだ小さく、とても一社で対応できるものではなかった。そこでランシングをリーダーとして、当時のオーディオ関連のそうそうたるトップエンジニアが集結し、 MGMオリジナルのトーキー映画再生システムの開発が進められた。

それから約一年。大型劇場用2ウェイスピーカーシステム「シャラーホーン・システム」は完成する。 このシステムは全米各地の MGM 系映画館に相当数が納入され、1936年には映画芸術科学アカデミー賞を受賞する。一方で、1937年、ランシング・マニュファクチャリング社は小型版の 2ウェイ・モニタースピーカー 「アイコニック」を発表する。 このアイコニックはビジネス的にも大成功を収めるに至り、ランシングの名は広く世界に知れ渡る。

が、1941年、ランシング・マニュファクチャリング社はアルテック・サービス社に買収されてしまう。 経営不振が原因だった。


1-3.技術担当副社長として

ランシング・マニュファクチャリング社を買収したアルテック・サービス社は、子会社「アルテック・ ランシング社」を設立し、ランシングを技術担当副社長として迎える。ランシングはそこで5年間勤務し、その間、2ウェイ同軸型604、ウーファー 515、ドライバー288など、数々の名ユニットの開発に成功する。 (これらのユニットを使った劇場用スピーカー「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」システムは、当時の映画館の標準スピーカーとなるほどだった)

しかし、このように映画業界で活躍したランシングだったが、彼はある強い想いを胸にアルテック社を退社する。1946年のことだった。

1-4.「もっと美しい家庭用スピーカーがつくりたい」
これはランシングがアルテック社を離れる際、退社の理由として発した言葉である。

そして 1946年10月1日、アルテック社を退社したランシングは新たに会社を設立する。「ランシング・サウンド・インコーポレーテッド」。

ランシングが二度目におこした会社である。

しかし、アルテック社はこの社名に対し抗議をしてくる。 ランシング社を買収した時、双方合意のもと「ランシング」という商標はアルテック社に属することに なった。だから、その社名は紛らわしいから変更して欲しい、というのだ。

そこで彼は社名を変更する。

「ジェームス・B・ランシング・サウンド・インコーポレーテッド(James.B.Lansing Sound Inc.)」

そう、ここで初めて、JBL社が始まるのである。

ランシングがスピーカーを作り始めて約 20 年。 長い年月を要したが、こうしてプレミアムな音を響かせる「JBL」はこの世に誕生したのである。

2.JBL サウンドの原点となる 2 つのスピーカー

JBLサウンドの原点を確立したスピーカー「シャラーホーン・システム」と「アイコニック」。 ここでは、その二つのスピーカーの概要をまとめてみる。

2-1.シャラーホーン・システム

名実共にジェームス・B・ランシングの存在を不動のものにした「シャラーホーン・システム」。

このシステムは大型の2ウェイシステムで、高域には環状スリットのイコライザーを備えるドライバーで高音用マルチセラーホーンを駆動する珍しいものだった。 低音部分は、オープンバック方式により作動する15インチウーファーを持った大型ダブルホーンで構 成されていた。

このシステムの登場は、真の意味でのトーキー時代幕開けを思わせるほど迫力があり画期的だった。

2-2.アイコニック・システム

アイコニックは2ウェイ構成のシステムである。

低音域が15インチ低音用ラウドスピーカーと、高音域が小型高音用ドライバー 801(後の「アルテック802」)の組み合わせだ。

当時、モニターラウドスピーカーとして、映画産業会で広く人気を博したこのアイコニック。 今日、数多く使われている2ウェイ構成は、このシステムに若干の変更点を与えたものに過ぎないと言っても過言ではないだろう。

3.いまの JBL

1967年、JBLはジャービス・コーポレーション(Jervis Corporation;現ハーマン・インターナショ ナル)に買収され、現在はその傘下で、一般家庭用のJBLと、業務用のJBL Professional の2つのブランドを展開している。
採用実績は華々しい。

オバマ大統領の就任演説を始め、世界の映画館の50%、2014 年のワールドカップ会場の60%、ハリウッドにあるスタジオの 80%に採用され、トヨタやフェラーリなどの純正オーディオとしても活躍して いる。

また、家庭用製品では、ペアで 600 万円を超えるフラッグシップモデルからヘッドフォンやイヤフォン、アクティブスピーカーまで、幅広いラインナップを揃え、その全てはJBLサウンドとしてその歴史 に恥じない音を一般家庭でも再現している。
「音響技術と音楽芸術の融合」をテーマに掲げるJBL。 これからも、きっと世界のエンターテイメントを支えていくことだろう。


まとめ

JBLの創業者、ジェームス・バロー・ランシング。彼のスピーカーづくりのキャリアは、JBLが設立される以前に始まっていた。

しかし、ランシングがその人生で初めて立ち上げた会社は、惜しくも経営不振に陥り買収されてしまう。

それでもランシングの「もっと美しい家庭用スピーカーをつくりたい」という強い想いが、1946 年、 彼にもう一度会社を設立させる。そう、それが今のJBL だ。
1946年と言えば、第二次世界大戦が終結した翌年である。 だから私は、ひょっとして、と思うのである。

JBLは平和の訪れを奏でるべく誕生した、奇跡の企業ではあるまいか、と。
そう思えても不思議ではないほど、JBLの音は私にとって特別に聞こえるものなのである。

https://audio.kaitori8.com/story/jbl/

5. 中川隆[-10327] koaQ7Jey 2020年11月01日 11:25:23 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[25] 報告
高城重躬、藤田不二共著(オーディオは高城、LPは藤田)の「LP辞典」1953年)などをみると昭和28年にはアンプやスピーカなど ほとんど今日と同じオーディオ環境が出来ていたことが見て取れます。

特にスピーカはウエスタンやタンノイ、アルテック、JBL、ワ−フデール、グッドマン等、今日と何一つ変りません。


部品定価表は壮観です。

ウエスタンに例を取ると下記の様になっています。

728B--12インチ--30W--4Ω--60〜10000--35.7ドル
756B--10インチ--20W--4Ω--60〜10000--38.55ドル
755A-- 8インチ-- 8W--4Ω--70〜13000--24.6ドル
713C--トゥイータドライバー---25W--4Ω--800〜15000--97.2ドル
KS-12027--ホーン--67.62ドル
702A--ネットワーク--97.46ドル
757A--スピーカシステム--275.09ドル


JBLでは

D130--15インチ--25W--16Ω--50〜12000--70.4ドル
途中機種は省略
175DLH--トゥイータ--25W--16Ω--1200〜--114ドル
N1200--ネットワーク--16Ω--33ドル

になっていてこれがすべてのメーカに渡って詳述されています。WEがJBLと比較して意外に安価なのが驚きです。

https://www.audio-maestro.com/gleaners1.html

6. 中川隆[-10326] koaQ7Jey 2020年11月01日 11:28:01 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[26] 報告
シャラーホーンシステム


ウエスタンエレクトリック13Aレプリカ&WE555導入記 その13.
2017/09/07
https://91683924.at.webry.info/201709/article_15.html


画像
 (555の正面です。レシーバーの横面にあるのが励磁電源用の端子、端子の先端に7Vと書いてあり、+、−の刻印もあります。正面のL1、L2と打刻してある端子が信号入力端子です。WEのお約束でL1がプラスです。

 うっかり励磁電源コードを信号端子につなぐとボイスコイルが焼き切れてしまうそうなので、端子の先端に大きな文字で刻印が入っているのでしょう。励磁電源のコードと信号のコードを間違えないように、全く違う線にしないといけませんな。

 電源コードはベルデンの8417、12GAのメッキケーブルで、黒白の縒り線の上にグレーの被覆がされたもの、信号コードはやはりメッキ線ですがウエスタンの16GA、布の被覆がされたものを使ってみます)

 MGM映画の音響システム部門がウエスタンエレクトリックの音に(リース料に?)不満を持ち、同社の音響部門長のダグラス・シャラー氏がジェームス・バロウ・ランシング氏らを招き、ランシング・マニファクチャリング社のユニットを使用して共同開発したのが件のシャラーホーンシステムです。
  
 このシステムの音がウエスタンエレクトリックのトーキーシステムを打ち破り、その後のMGM直営館ではランシングが使用されることになった有名な事件は1936年、TA4181とWE594で構成するミラフォニックが発表された年です。

 MGM社はWEの音に不満で自社開発を目論んだそうですが、MGMが不満を持っていたのは、時期から考えると、ミラフォニック・システムではなく555+15Aの音だったのではないでしょうか。

 もしかするとウエスタンエレクトリックはランシングとMGMの動きを事前に察知して、慌ててミラフォニック・システムを開発し、対抗したのかもしれませんね。
 当時のトーキー映画は一大産業、最先端技術でしたから、今では想像できないほどの熾烈な開発競争が行われていたのかもしれません。

 MGMと組んでウエスタンに一泡吹かせたジェームス・バロウ・ランシングは1941年、ランシング・マニファクチャリング社の経営に失敗し、独禁法で分社化されたウエスタンの音響部門アルテック社に自社を吸収合併されました(アルテック・ランシング社)。

 ランシング本人もアルテックに買われ、副社長兼技術部長となったのですから皮肉ですね。

 でも彼は此処で515、288などの後世に残るスピーカーを開発し、その後のラウドスピーカーの範となる一つの頂点を築いたのですから、その才能は恐るべきものだったのでしょう。

 ランシングは1946年、アルテック・ランシングを飛び出してJBL社を作り、名器D130や175を開発しますが、再度経営に失敗し1949年、わずか47歳で自社工場の庭に生えていたアボガドの枝の露と消えました。

 そして栄光のウエスタンエレクトリック音響部門であるアルテックも徐々に力を失い1985年、エレクトロボイスの軍門に下り、吸収合併されます。
 今ではアルテックの名はパソコンのデスクトップスピーカーに残るのみです。

 「強者どもも夢の跡」というわけでしょう。

 私たちの世代が鬼籍に入り、555、515、288とその仲間たちが寿命を迎えるとき、長い長いウエスタンエレクトリックの伝説と、稲妻のようにその伝説を駆け抜けた天才ジェームス・バロウ・ランシングの物語も終わるのでしょう。

 WE555+15Aを打ち負かしたシャラーホーンに使用されたランシング社の15XS励磁型ウーハー、284励磁型ドライバーがアルテック・ランシングの515、288の前身で、英国に渡って私が愛用している2080A、2090Aに改良されました。

 そして今、東洋の島国の片隅で、初老の親父が2080A、2090Aの前で、新たに555を鳴らそうとしています。なんだか因縁といいますか、人間の業の深さを感じて、私は少し恐ろしいような気がします。

P.S.
 今回のブログ記事は三上剛先生のホームページ、ステレオサウンドの別冊、池田圭先生、伊藤喜多男先生、渡辺直樹先生の成書とベンプレ親父の記憶をつなぎ合わせて書いています。

 本によって細かな数字が異なっているようです。ここまでに記した12A、13A、15Aの諸元はひとまず三上先生のHPに準拠しました。

 新忠篤先生が書かれた記事では12A、13A、15Aのサイズ、重量は12AがW114.3cm、H171.5cm、D119.3cm、81.0kg(81.5kg)、13AがW137.2cm、H137.2cm、D160cm、112.5kg(113.3kg)、15AがW143.2cm、H179.1cm、D134.9cm、49.5kg(63.4kg)となっています(カッコ内は三上先生のHPの数値。新先生記事のW、Hはホーン開口部ではなくホーン全体での表示と思われます)。

 また、新先生は15Aの音道の長さは3.3mで12Aと同じと書いておられますが、13Aは三上先生のHPの記載4.27mとほぼ同じ4.2mと書かれています(繰り返しますが、私が目の前で実測してもらったところ、スロートを含めて4.85mでした)。
https://91683924.at.webry.info/201709/article_15.html

7. 中川隆[-10325] koaQ7Jey 2020年11月01日 11:30:50 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[27] 報告
シャラーホーンシステム


ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aを導入しました(その7.) 2016/04/11
https://91683924.at.webry.info/201604/article_14.html


アルテック210エンクロージャーの換装が完了した2080-A
https://91683924.at.webry.info/201604/img1_14.146038332219377223177.html


 アルテック210エンクロージャーの換装が完了した2080-Aです。とは言っても外観では殆どアルテック515装着時と区別が出来ません。センターキャップのエア抜き穴を蓋っているメッシュ布の色が茶色であること位でしょうか。

 コーン紙は515よりやや黒っぽい色です。
 
 210エンクロージャーには当初アルテック515B前期型、その後同社515、この度ウェスタンエレクトリック・ロンドン2080-Aと2年足らずで3代目のユニット交換となりました。

 515Bも515も不満があったわけではないのですが、より良い音を求めるうちに2080-Aまで来てしまいました。

 ウェスタンエレクトリックといえば、555、594のドライバー(レシーバー)、597ボストウィックツィーター、ジェンセンのOEM、TA4181ウーハー辺りが一番有名です。私はどれも聴いたことが無いのですが(聴いたことが有るのはWE713だけ。515ウーハーの上に使っておられました)、これらの素晴らしさを語る人は多く、それなりの良さはあるのでしょう。

 しかし私はこれらの米国ウェスタンエレクトリックに少し疑問もあります。

 ジェームス・バロウ・ランシング(JBL)の伝記を読むと、ウェスタンの音響に不満のあったMGM映画が劇場用スピーカーを開発し、ランシング社のスピーカーユニット(15XSウーハー、284ドライバー)を用いたシャラーホーン・システムを完成させました。

 これが極めて優秀で、映画芸術科学アカデミー賞を受賞し、MGM系列の映画館ではウェスタンに取って代わったと言われています。

 してやられたウェスタンエレクトリック社ですが、このランシング社ユニットの優秀性に目を付けたようです。

 ウェスタン後継のアルテック社は、財務担当者が飛行機事故で亡くなって後、経営難に陥ったランシング社を吸収合併し、アルテック・ランシングと社名を変更しました。

 ここでJ.B.ランシング副社長の指揮のもと製造されたのが515や288ですから、これらは旧型ウェスタンより上という論法も成り立たないとも言えません。

 まあ、555も聴いたことが無いのに何を言っても始まりませんがねw

 また耳の良さでは数々のエピソードを残した五味康介氏の実家は戦前戦中に興行師を営んでおり、経営する映画館ではウェスタンを使用していたそうです。

 五味氏が復員した時、「ご自慢のウェスタンも塵埃に化していた」と嘆き、「この様にして失ったものを二度と見たくない」と氏は書き残しています。

 五味氏は戦後、音楽を聴くために小説家になり、当初グッドマン、その後テレフンケン、そしてタンノイ・オートグラフにたどり着きますが、一度として米国ウェスタンに帰ろうとはしませんでした。

 確かに「二度と見たくない」と書いてはいますが、「良い音のためには女房を質に入れても手に入れる。私はそういう人間だ」とも書いています。

 つまり、五味氏はそこまでウェスタンエレクトリックの音を評価してはいなかったのでしょう。

 私は米国ウェスタンエレクトリックの旧型スピーカーよりもウェスタンエレクトリック・ロンドンに興味がありました。

 若いころから英国製スピーカーが好みで、学生の時からタンノイ、その後バイタボックスをメインに使用していましたから。

 米国ウェスタンを打ち破ったランシング社が後にアルテック・ランシング社として開発した515、288をイギリスの技術者が改良したのが2080-A、2090-Aですから、ここに興味が集中するのも私には無理からぬところなんですね。

 実はウェスタンエレクトリック・ロンドンの音響機械は結構日本にも設置されていたらしいです。なんでも米国ウェスタンエレクトリックよりリース代金が安かったからとか。

 確かにイギリス人は吝嗇で、アメリカやヨーロッパ大陸と異なり、カネに糸目付けない製品やバカ値の物は作りませんからね。

 この辺りも私の趣味に会います。

 それから内緒の話を一つ。

 伊藤喜多男先生は「米国ウェスタンよりロンドン・ウェスタンの方が音が良いんだ」と言ってたらしいです。伊藤先生が公式にそう発言すると影響が大きすぎますから、内緒の話です。

 伊藤先生は既に物故されていますので、もはや裏は取れません。伝説です。
 
 氏はウェスタンエレクトリック・ロンドンのスピーカーに関しては誠文堂新光社発刊の「続・音響道中膝栗毛」のp98に『英国のウェストレックスから種々な装置が入って来て、主に関西と中部地区に設置された。これらは相当な銘機であって、殊に2080及2090型のステージスピーカーは抜群なものであった。』と書き残すのみです。
https://91683924.at.webry.info/201604/article_14.html

8. 中川隆[-10324] koaQ7Jey 2020年11月01日 11:35:05 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[28] 報告
ジェイムズ・バロウ・ランシング

イタリア系アメリカ人のジェイムズ・バロウ・ランシングはその昔はジェイムズ・マーティーニと言い、14人兄弟の9番目で、バロウ家に預けられて育ちました。12歳の時に小型無線機を作って海軍無線局に電波妨害で捕まったという逸話が残るくらいの機械オタクで、その後自動車修理工を経て、放送局のエンジニアとなります。

1927 年その時の経験を活かしてロスにランシング・マニュファクチュアリング社を設立。ラジオ受信機用のスピーカー設計製造を始めます。1934年にWEのシステムに対抗して、15インチウーファー2基とホーンドライバーによる劇場用2ウェイシステムを開発。「シャラーホーン・システム」が映画芸術科学アカデミー賞を受賞しました。

ところが共同経営者のケン・デッカーが飛行機事故で死亡。経営が破綻し、1941年12月、アルテック・サービス・コーポレーションに合併され、アルテック・ランシング・コーポレーションの技術担当副社長となります。この時、WE社はアルテック・ランシング社にその製品製造ラインセンス契約を行い、OEM供給なども行うようになります。1946年に辞めるまで、アルテックの重要な製品である 604スタジオモニター・シリーズやボイス・オブ・シアターのA4などの設計開発を行っています。
http://k-d.jpn.com/audio/JBL/JBL_DD66000/JBL_DD66000.htm


天才エンジニアのジェームス・バロー・ランシングは1945年アルテックを去り、1946年にジェームス・B・ランシングおこした。

1947年、彼は自己の技術的成果をフルに投入したD130をつくる。
この38cmシングルコーンのドライバーは実に35Hzから3kHzまでをカバーするというかってない広帯域ユニットであった。

このシリーズは、D131(30cm)、D130をクロスオーバー1200Hzで使用する130Aなどがあり、音響レンズ/ホーンとその高域ドライバーなど、JBLが発表した後継モデルのどのへんまでランシングが手がけたはよくわからないのだが、1949年ランシングは突然自殺してしまった。

ランシングの死後、トマスが社長となり、社名をそのまま事業を継続したが,優秀な技術者が始祖の精神をうけついだ。なかでも主任技師であったビル・ハーツフィールドの業績は高く評価するべきであろう。

JBL創設時システムD1005 を発表して評判を呼んでいた。
50年代にはいって、JBLは”シグネチュア”という大型コーナーシステム(D31050)と、同じ名称だが中型のレクタンギュラー・モデル(D40019)を出す。

そして1955年に、「ライフ」誌が”決定的夢のスピーカー”と絶讃して紹介した”ハーツフィールド”が1954年出現する。
http://www.gokudo.co.jp/Vanguard/Hartsfierd/room1.htm

悲劇の天才エンジニア一J・B・ランシング


JBL・・・この美しい響きの3文字はオーディオに興味をもった人なら一度は耳にする名前です。

これは今世紀初めに生まれ、今日のスピーカー技術の基礎を築いた一人の男、ジェームス・B・ランシングのイニシャルに由来するのです。生涯を音に捧げた彼の足跡を乏しい資料と記憶から紹介したいと思います。


1902年(誕生)
イリノイ州の鉱山技師ヘンリー・マーティニ夫妻の9番目の子として誕生。本名はジェームス・マーティニといいました。

父は職業柄転勤が多く、彼は全米各地を転々とするのですがミシガン州の「Lancing」という町の名が気に入っていたようで後に改名してジェームス・バロー・ランシングと名乗るようになります。因みにミドルネームのバローも彼のお気に入りで子どもの頃、父の転勤で一時預けられた家が「バロー家」だったからだそうです。

少年時代の彼は機械いじりや電気が好きで自作に没頭する毎日だったようです。しかも大変な天才だったらしく12才の時に早くもその片鱗をうかがわせる事件が起きます。彼が作った小型無線機があまりにも高性能だったためその電波を時の海軍無線局にキャッチされ無線機は海軍の手で没収、処分されるというエピソードが残っているのです。

1914年といえば第一次世界大戦勃発の年。この時期の無線機は軍事機密に近い物だったのでしょう。アメリカRCA社がラジオ放送を始めたのが1920年、同じく日本のNHKは1925年だったことと思い合わせると彼の天才ぶりが分かるでしょう。
その後、カレッジを卒業してからは自動車修理工として働いていた時期もありました。


1924年(22才)
母が亡くなると家を出てソルトレークシティに移り、ここでラジオ放送局の技師として働くことになります。この時期のラジオ用スピーカーはろくな物が無く彼は技師として働く傍ら高性能スピーカーの開発に没頭します。


1927年(25才)
ソルトレークで知り合ったケン・デッカーと一緒にロサンゼルスに移り、ラジオ用スピーカーの製造を始めます。会社の名は「ランシング・マニュファクチャリング社」。この頃、映画業界ではトーキーが始まり、高性能な劇場用スピーカーの需要が高まりつつある時期でした。


1934年(32才)
前年にMGM映画社から劇場用スピーカーシステムの製作の依頼を受けたランシングは全力を傾注し、ついに「シャラーホーンシステム」と呼ばれる大型劇場用2ウェイスピーカーシステムを完成させます。

このシステムは1936年には映画芸術科学アカデミー賞を受賞。1937年発表の小型システム「アイコニック」も大きな成功をおさめ、JBLサウンドの原点を確立するとともにランシングの名を広く世界に知らしめる事となりました。


1939年(37才)
会社経営の片腕として全幅の信頼を寄せていたケン・デッカーが飛行機事故でこの世を去ると事業はたちまち経営困難に陥ります。多くの天才技術者がそうであるようにランシングも経営に関しては全く無能だったらしいのです。


1941年(39才)
ついに経営に窮したランシングは会社をアルテック・サービス社に売却。アルテック・サービス社ではこれを「アルテック・ランシング社」という子会社として設立し、ランシングを技術担当副社長に迎えます。ボイス・オブ・ザ・シアターで有名なアルテックの栄光の歴史はここから始まるのです。

設立当初の従業員は30名。ランシングがアルテック在籍中の5年間に開発した製品としては1943年の同軸型604スピーカーをはじめ、515ウーファー、288ドライバー等、その後のアルテックの基礎を築いたといっても過言ではない名ユニットばかりです。その後もアルテック社はプロ用音響機器の分野で発展を遂げ1975年には社員数も1000人を超えるまでになっています。


1946年(44才)
アルテックとの契約期間は5年間だったため、ランシングはアルテック社を去ることになります。何故、契約を更新しなかったのかは不明ですが、「自分はもっと美しい家庭用スピーカーを作りたいのだ」と言ってアルテックを離れたという事です。そしてこの年JBL社(ジェームス・バロー・ランシング・サウンド社)が設立されます。


1947年(45才)
38センチフルレンジユニットの傑作D130完成。その後、D131、D208、175ドライバーといったJBL社初期のユニット群が作られました。これらの製品はアルテック時代のユニットとともに50年を経た現在でも多くのファンが愛用しています。


1949年(47才)
「もっと美しい家庭用スピーカーを作りたい」

と言ってJBL社を興したランシングでしたが、残念ながら彼自身はそんなスピーカーを見ることも聴くこともできませんでした。なぜなら会社の発足当初から例の経営音痴がまたもや彼を悩ませていたからです。彼は優れたエンジニアではありましたが仕事に没頭すると、周囲の事が全く見えなくなるタイプで、気がつくと莫大な借金が彼の前に立ちはだかっていたのです。かくして1949年9月24日、ランシングは工場裏の日頃お気に入りだった一本のアボガドの木にロープをかけたのでした。

ランシングは亡くなりましたが彼の意志と情熱は残された社員に受け継がれ、JBL社は奇跡の再建を遂げます。生前のランシングその人に惹かれてJBL社に入ったウィリアム・H・トーマス新社長のもと、彼らは懸命に会社を立て直し、ランシングの夢であった「美しい家庭用スピーカー」を次々と世に送り出しました。

1954年発表のD30085「ハーツフィールド」は翌年のタイム誌の表紙を飾り「究極のスピーカー」とまで絶賛され、JBLの名は一躍世界に轟くことになります。

さらに1957年にはオールホーンのステレオスピーカー「パラゴン」を発表。木工芸術品と呼びたくなるような優美なスタイルのこのスピーカーは1988年、木工職人のリタイアが理由で生産を完了するまで実に31年間もの長きにわたって作り続けられたのです。

1960年代に入ってからは業務用スタジオモニタースピーカーの分野にも進出。
アメリカ公演に来ていたビートルズがその音の良さに感心し、早速イギリスに持ち帰って自分たちのスタジオに入れたということです。又、この時期にトランジスターアンプも開発。T型サーキットと呼ばれるソリッド・ステートアンプの基本となる回路を発表しています。

その後のJBLの発展や数々の魅力的な製品については周知の通りです。

ランシングが他界してすでに半世紀が過ぎました。彼自身は非業の死を遂げましたがしかし彼の意志は間違いなく時を越えて受け継がれました。かたくななまでに妥協を拒み常に完璧を指向した彼の生涯はまさに「音」に捧げた一生でした。彼が目指した「美しく高性能な家庭用スピーカー」が奏でる音は今日でも世界中の多くの音楽愛好家の心を捉え、又、今なお多くのオーディオファンを魅了してやまないのです。J・B・Lの3文字とともに。
http://www.e-staff-net.com/yomoyama/history_of_jbl/history_of_jbl.html

9. 中川隆[-10323] koaQ7Jey 2020年11月01日 11:36:54 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[29] 報告
井上卓也 JBLテクノロジーの変遷 1998年4月30日
JBLモニタースピーカー研究(ステレオサウンド別冊・1998年春発行)
「伝統と革新 JBLテクノロジーの変遷」より
http://members.jcom.home.ne.jp/ads/w-jbl-03.html


 1946年の創業以来50年以上にわたり、JBLはオーディオ界の第一線で活躍してきた驚異のブランドである。この長きにわたる活躍は、高い技術力なくしては不可能であろう。創業者ジェームズ・バロー・ランシングの設計による卓越した性能のスピーカーユニットは、オーディオ・テクノロジーのいわば源となったウェスタン・エレクトリックの流れをくんだもので、現在にいたるまで、内外のスピーカーに多大な影響を与えた偉大なるユニット群であった。それに加え、エンクロージュア、ネットワークなどを含めた、システムづくりの技術力の高さもJBLの発展を支えてきたといえる。この伝統のうえに立ち、さらに時代とともに技術革新を行なってきたからこそ第一線で活躍できたのであろう。

 ここではJBLのテクノロジーの変遷を、モニター機を中心にたどっていくことにしたい。

コンプレッションドライバー

 それでは、スピーカーユニット/エンクロージュア/クロスオーバー・ネットワークの順でテクノロジーの変遷をたどっていくことにしよう。

 まずユニットであるが、最初はコンプレッションドライバーから。コンプレッションドライバーは、プレッシャードライバー/ホーンドライバーなどとも呼ばれ、振動板に空気制動がかかるようにして振幅を抑え、ホーンにとりつけて使用するユニットのことである。

 コンプレッションドライバーは、振動板(ダイアフラム)の後ろをバックカバーで覆うことで小さなチャンバーをつくり、また振動板前面にはイコライザー(フェイズプラグ)と呼ぶ、一種の圧縮(コンプレッション)経路を設けるのが一般的で、JBLもその例外ではなく、むしろこの形態をつくりだしたのがウェスタン〜ランシングなのである。

 さて、JBL最初のコンプレッションドライバーは175の型番を持つモデルで、ダイアフラム径は1・75インチ(44mm)、その素材はアルミ系金属、そしてホーンとの連結部であるスロート開口径は1インチ(25mm)のもの。周知のことであるが、J・B・ランシングはJBL創業前は、アルテック・ランシング社に在籍しており、アルテックでも数多くのユニットを設計している。

アルテックには、ランシングが設計した802という175相当のモデルがあるが、この両者を比べてみるとじつに面白い。すなわち、ダイアフラムのエッジ(サラウンド)はタンジュンシヤルエッジといって、円周方向斜めに山谷を設けた構造になっているのは両者共通だが、そのタンジュンシヤルの向きがアルテックとJBLでは逆、ボイスコイルの引き出し線はアルテックは振動板の後側(ダイアフラムがふくらんでいる方向)に出しているのにたいしJBLは前側、そして、極性もアルテックが正相にたいしてJBLは逆相……というように基本設計は同じでも変えられるところはすべてアルテックと変えたところが、JBLの特徴としてまず挙げられる。


 これらは目で見てすぐわかる部分だが、設計上非常に大きく違うのが、ボイスコイルが納まるフェイジングプラグとトッププレートの間隙、つまり磁気ギャップの部分がJBLのほうが狭いということと、磁気回路がより強力になっているということだ。アルテックは業務用途を主とし、ダイアフラム交換を容易にするためギャップを広くとっているのだが、JBLはその部分の精度を上げ、より高域を伸ばす設計に変えたのである。また磁気回路の強力化は、より高感度を求めたものと考えられる。

 この磁気回路を強力にするというのもJBLの大きな特徴で、175をさらに強力にした275、そしてLE85を開発していくことになる。この磁気回路の強力化は高感度化と、後述するホーンの話につながるのだが、磁気制動をかけて、空気の制動が少ない状態でも充分に鳴らせることにつながってくる。

 175〜275〜LE85は、1インチスロートであるが、4インチ・アルミ系金属ダイアフラム、2インチスロートという大型のコンプレッションドライバーが、有名な375である。375は磁束密度が2万ガウス以上という極めて強力なユニットで、ダイアフラムのエッジはロールエッジである。これらJBLのコンプレッションドライバーはすべてアルニコ磁石を用いており、このアルニコ磁石の積極的な導入は、J・B・ランシングの設計上のポイントでもあったようだ。

 ここまでが、JBLのスタジオモニター開発以前の話である。しかし1971年に登場した4320に搭載されたコンプレッションドライバー2420は、LE85のプロヴァージョンであり、事実上、同じモデルとみなせるものだ。したがってモニタースピーカー登場後しばらくは、これらランシング時代からのドライバーを用いていたのである。しかし、’80年代に入り、変革がおとずれる。それはまず、ダイアフラムのエッジ部分から始まった。それまでのタンジュンシャルエッジ/ロールエッジから、ダイアモンドエッジと呼ばれる、4角錐を組み合せた複雑な形状のものに変化したのである。これは高域特性の向上を目指した改良ということである。

 つぎなる変革は磁性体の変化である。これはウーファーなどコーン型ユニットが先行していたが、アルニコの原料であるコバルトの高騰により、フェライト磁石に移行したのだ。アルニコからフェライトに変れば、当然素材自体の鳴きも変り、磁気回路そのものも変化するためかなりの設計変更が必要となるが、高域ユニットでは低域ユニットに比べ比較的スムーズに移行できたようだ。磁性体材料ではもうひとつ、ネオジウム磁石への変革がある。これはアルニコからフェライトのように全面的な移行ではなく、現在でも限られたユニットだけにネオジウムを搭載しているが、軽量化と高感度/高駆動力を両立させる手法であろう。ユニットが軽量になれば慣性が減るため、より音の止まりが速くなる効果が期待できる。

 ダイアフラムに話を戻すと、アルミからチタンへの変更が’80年代に行なわれた。チタンは音速の速い物質であり、物性値の向上という意味で、技術的に魅力ある素材である。しかし、チタンの固有音のコントロールには苦労したあとがみられ、4インチ振動板モデルでいうと、最初にチタンを搭載した2445ではダイアフラムの頂点に小さな貼り物をしたり、つぎの2450ではリブ(これは軽量化と強度を両立させるためのものでもあったが)を入れたり、475Ndでは一種のダンピング材であるアクアプラスを塗布したりして、現在では固有音を感じさせない見事なコントロールが行なわれているようである。

 イコライザーにも変化があった。当初は環状(同心円状)スリットの、経路が直線で構成されるものであったが、2450/475Ndには、経路が曲線で形成されるサーペンタインと呼ばれる形状が採用されている。この形状にすることで、ダイアフラムの真ん中とその周辺での音の時間差をコントロールして、より自然な音をねらったものと思われる。

 コンプレッションドライバーから発展したものとして、075に代表されるリングラジエーターというホーントゥイーターがある。これはコンプレッションドライバーのダイアフラムをドーナツ型にしたようなもので、リング型の放射部分にあるダイアフラムの裏側に、ちょうどボイスコイルがくるようにして(ボイスコイルの部分がもっとも高城のレスポンスがいいため)、耐入力と高域特性の向上の両立を図ったものだ。モニター機にはもっばら2405が使われたが、基本的には075をベースにイコライザー部分を変えて、高域を伸ばしたものであり、この基本部分を同じくして各種のヴァリエーションをつくるというのも、JBLの大きな特徴である。モニター機では低音が比較的伸びたウーファーを使用するため、バランス上、075では高域が足らず、2405を使ったと思われるが、この低域と高域のレスポンスのバランスはオーディオで非常に大事なことである。なお、リングラジエーターと175/LE85等のボイスコイル径は同一である。

ホーン/音響レンズ

 JBLのホーンでもっとも特徴的なのはショートホーンであるということだ。通常コンプレッションドライバーは、ホーンでの空気制動を見込んで設計するのだが、先ほど述べたように、JBLのドライバーはもともと磁気制動が大きく、あまり長いホーンを必要としない。ホーンが短いメリットは、何といってもホーンの固有音を小さくできるということであるが、そのためには組み合わせるドライバーに物量を投入しなければならず、この方式の追従者は少なかった。強力な磁気ダンピングをかけるもうひとつのメリットとして、ダイアフラムが余計な動きをせず、S/Nがよくなるという点も挙げておきたい。

 しかし、いくらショートホーンといっても固有音がなくなるわけではなく、また、ウーファーと同一のバッフルにマウントしたときに発音源が奥に行き過ぎ、なおかつ平面波に近い状態で音が出てくるために、距離を感じてしまう。そこで考案されたのが音響レンズである。音響レンズによって指向性のコントロールができ、仮想の音源を前に持ってくることも可能となり、さらには、球面波に近い音をつくることが可能になった。たとえばスラントプレートタイプの音響レンズを見ると、真ん中が短く、両端が長い羽根が使われているが、こうすることによって真ん中の音は速く、端の音は遅くと極めてわずかではあるが時間差がついて音が放射されることになり、波の形状が球面になると考えられるのだ。パーフォレーテッドプレートというパンチングメタルを多数重ね合わせたタイプのレンズが、真ん中が薄く、端にいくにしたがって厚くなっているのも、同じ理由によるものと考えられる。
 モニター機にはもっぱらショートホーン+スラントプレートレンズが使われたわけだが、4430/35で突如姿を現わしたのがバイラジアルホーンである。音響レンズにはメリットがあるものの、やはりレンズ自体の固有音があり、ロスも生じる。

 また、ダイアフラムからの音はインダイレクトにしか聴けないわけであり、もう一度原点に戻って、ホーンの形状だけで音をコントロールしようとして出てきたのがバイラジアルホーンだと思う。レンズをなくすことで、ダイアフラムの音をよりダイレクトに聴けるようにして、高域感やS/Nを上げようとしたものであろう。また、通常のホーンは、高域にいくにしたがって指向性が狭くなり、軸をずれると高域がガクッと落ちるのであるが、この形状のホーンでは周波数が上がっても指向性があまり変らず、サービスエリアが広くとれるということである。現在のJBLは、このバイラジアルホーンに加え、スラントプレートタイプのホーンもつくり続けている。

コーン型/ドーム型ユニット

 コーン型ユニットに移るが、ここではウーファーに代表させて話を進めていく。ウーファーの磁気回路の変遷は、コンプレッションドライバーとほぼ同様だが、しかしフェライトへの移行に際し、JBLではウーファー用にSFGという回路を開発し、低歪化にも成功したのである。また、マグネットは過大入力によって磁力が低下(滅磁)する現象が起きることがあり、アルニコのひとつのウイークポイントであったのだが、フェライトには減磁に強いという性格があり、モニタースピーカーのように大パワーで鳴らされるケースでは、ひとつのメリットになると考えられる。

 JBLのウーファーは軽いコーンに強力な磁気回路を組み合わせた高感度の130Aからスタートしたが、最初の変革は1960年ごろに登場したLE15Aでもたらされたと考えられる。LE15Aは磁気回路が130系と異なっているのも特徴であるが、それよりも大きいことは、コーン紙にコルグーションを入れたことである。コルゲーションコーン自体は、その前のD123で始まっているのだが、ウーファーではLE15が初めてで、特性と音質のバランスのとれた画期的な形状であった。

ただし、130系に比べてコーンの質量が重くなったため(これはコルゲーションの問題というよりも振動系全体の設計によるもの)感度は低下した。現在でも全世界的に大口径コーン型ユニットの大多数はコルゲーションコーンを持ち、その形状もJBLに近似していることからも、いかに優れたものであったかがわかる。またLE15ではロール型エッジを採用して振幅を大きく取れる構造とし、低域特性を良くしているのも特徴である。


 モニターシステム第一号機の4320には、LE15Aのプロヴァージョン2215が使われたが、以後は、130系の磁気回路にLE15系の振動系を持ったウーファーが使いつづけられていくことになる。また、ボイスコイルの幅が磁気ギャップのプレート厚よりも広いために振幅が稼げる、いわゆるロングボイスコイル方式のウーファーをほとんどのモニター機では採用している。特筆すべきは、ことモニター機に使われた15インチウーファーに関していえば、4344まで130系のフレーム構造が継承されたことで(4344MkIIでようやく変化した)、JBLの特質がよく表われた事象といえよう。

 ロールエッジの材料はLE15の初期にはランサロイというものが使われていたが、ウレタンエッジに変更され、以後連綿とウレタンが使われつづけている。ただし、同じウレタンでも改良が行なわれつづけているようである。スピーカーというものは振動板からだけ音が出るわけではなく、あらゆるところから音が発生し、とくにエッジの総面積は広く、その材質・形状は予想以上に音質に影響することは覚えておきたい。

 コーン紙にはさらにアクアプラストリートメントを施して固有音のコントロールを行なっているのもJBLの特徴である。ただしそのベースとなる素材は、一貫してパルプを使用している。

 S9500/M9500では14インチのウーファー1400Ndが使われたが、これはネオジウム磁石を用い、独自のクーリングシステムを持った、新世代ユニットと呼ぶにふさわしいものであった。またこのユニットは、それまでの逆相ユニットから正相ユニットに変ったこともJBLサウンドの変化に大きく関係している。
 なお、モニター機に搭載されたユニットのなかで、最初にフェライト磁石を採用したのは、コーン型トゥイーターのLE25であるが、SFG回路開発以前のことであり、以後のトゥイーターにも、振幅が小さいためにSFGは採用されていない。

 ドーム型ユニットのモニター機への採用例は少ないが、メタルドームを搭載した4312系の例がある。素材はチタンがおもなものだが、途中リブ入りのものも使われ、最新の4312MkIIではプレーンな形状で、聴感上自然な音をねらつた設計となっている。

エンクロージュア

 JBLのエンクロージュアの特徴は、補強桟や隅木をあまり使わずに、まずは側板/天板/底板の接着を強固にして箱の強度を上げていることが挙げられる。材質はおもにパーティクルボードで、ほとんどが、バスレフ型。バスレフポートは当初はかなり簡易型の設計であった。これは、とくにスタジオモニターの場合、設置条件が非常にまちまちであり、厳密な計算で設計をしても現実には反映されにくいため、聴感を重視した結果であろう。

 エンクロージュアのプロポーションは、比較的奥行きが浅いタイプであるが、一般的に奥行きの浅いエンクロージュアのほうが、反応の速い音が得られるために、こうしたプロポーションを採用しているものと思われる。

 時代とともにエンクロージュアの強度は上がっていき、いわゆるクォリティ指向になっていく。材質は最近MDFを使うようになったが、これはバラツキが少なく、かなり強度のある素材である。JBLがMDFを採用したのには、システムの極性が正相になったことも関係しているだろう。すなわち、逆相システムはエッジのクッキリした音になりやすく、正相システムはナチュラルだが穏やかな音になりやすいため、MDFの明るく張った響きを利用して、正相ながらもそれまでのJBLトーンとの一貫性を持たせたのではないかと推察される。モニタースピーカーは音の基準となるものであるから、この正相システムへの変化は重要なことではあるが、コンシューマーに限れば、どちらでもお好きな音で楽しめばよいように思う。そのためにはスピーカーケーブルのプラスとマイナスを反対につなげばよいだけなのだから。

 エンクロージュアの表面仕上げも重要な問題である。JBLのモニター機は当初グレーの塗装仕上げであったが、これはいわゆるモニターライクな音になる仕上げであったが、途中から木目仕上げも登場した。木目仕上げは見た目からも家庭用にふさわしい雰囲気を持っているが、サウンド面でもモニターの峻厳な音というよりも、もう少しコンシューマー寄りの音になりやすいようだ。M9500ではエンクロージュアの余分な鳴きを止めるためにネクステル塗装が行なわれており、モニターらしい設計がなされているといえる。

 吸音材の材質/量/入れ方も音に大きく 影響するが、とくに’70年代に多用されたアメリカ製のグラスウールは、JBLサウンドの一端を大きく担っていたのである。

クロスオーバー・ネットワーク

 JBLのネットワークはもともと非常にシンプルなものであったが、年とともにコンデンサーや抵抗などのパラレル使用が増えてくる。これはフラットレスポンスをねらったものであるが、同時に、音色のコントロールも行なっているのである。たとえば、大容量コンデンサーに小容量のコンデンサーをパラレルに接続する手法を多用しているが、この程度の容量の変化は、特性的にはなんらの変化ももたらさない。しかし音色は確実に変化するのである。また、スピーカーユニットという動作時に複雑に特性が変化するものを相手にした場合、ネットワークはまず計算どおりには成り立たないもので、JBLの聴感上のチューニングのうまさが聴けるのが、このネットワークである。ネットワークの変化にともなって、音はよりスムーズで柔らかくなってきている。

 こうして非常に駆け足でテクノロジーの変遷をたどってきたわけだが、JBLがさまざまな変革を試みてきたことだけはおわかりいただけたのではないだろうか。そしてその革新にもかかわらず、JBLトーンを保ちつづけることが可能だったのは、ランシング以来の50年以上にわたる伝統があったからではないだろうか。
http://audiosharing.com/review/?cat=8


JBL 歴代スピーカーユニット一覧
http://audio-heritage.jp/JBL/unit/index.html
http://audio-heritage.jp/JBL/unit/index2.html


D175 / D175 1947年

ドライバー&マルチセルラホーン JBL創立時のドライバーホーン。

 元アルテックの技術担当副社長、ジェームズ・バロー・ラシングがジム・ラシング社を創業し、自ら設計して発売した記念すべきモデル。下記のフルレンジとウーファーの他、ネットワークとエンクロージャーが同時にラインナップされた。

 ドライバー「D175」は、後の「LE175」の原型モデルで、すでに800〜18,000Hzの広帯域特性を実現させていた。ホーンは、バッフルマウントを前提に設計された強みで、アルテックのホーンと比べると、驚くほどに小さい。

 翌年には、CBSが世界初のLPレコード発売し、本格的なHiFi時代の到来を告げる。


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D130 38cnフルレンジユニット 1947年
¥56,100(1966年当時)

古さを感じさせないJBLサウンドの源流。

 これもラシングの手になる。103dBの高能率を実現したアルミリボン線のエッジワイズ巻ボイスコイルと、メタルドームの共振を利用して聴感上の高域の不足感を補う構造は、後々、わが国のユニットに大きな影響は与えた。勿論、ローコンプライアンスのユニットゆえに、200〜300リッタークラスのバスレフ型エンクロージャーか、バックロードーホーン型を必要とするが、解き放たれた音の実在感はJBLサウンドの源流である。


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130A 38cnウーファーユニット  1947年
¥52,800(1966年当時)

 「130A」は、「D130」のセンタードームを取り去ったもので振動系とマグネットは同一。後に登場するLE系のウーファーの方が、小容積のエンクロージャーが使え、物理特性の面でも優れるが、中低域のリアリティーは甲乙着け難い。70年代後半のモデルからは、アルニコマグネットの原材料の一つであるコバルトの供給が止まりフェライトに変わった。これは国内外のユニットも同様である。


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175DLH ドライバー・音響レンズ一体ホーン 1950年
¥71,000(1966年当時)

 
水平垂直45°をカバーする優れた指向特性。

発売初期のものは、ドライバーに上記の「D-175」が使われ、後に「LE175」に変わった。推奨クロスオーバーは1,200Hz。それでも、ホームユースで使う限りは、800Hzからでも十分に使える。しかし、後にホーンの長さが、かなり短くなってしまった。

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537-509 音響レンズ付き角形ホーン 1953年


角形ホーンは固有の癖を持つ。
それでも、なんとか手なずけて みたい魅力は貴重。

 モノラル時代往年の名作「ハーツフィールド」で、下記ドラーバー「375」とのコンビで使われた。

一時期、製造が中止されたが後に復活。半世紀を経た今も、ほれぼれとする見事な姿である。

 ただ、この角形ホーンは、音道内で定在波が発生するためか、固有の癖をもち、自作システムのホーンとしては、いささか扱いにくい。ホーン内部にフェルトを貼るとかの処置をしたうえで、バッフルにマウントすることが必要だ。

 推奨クロスオーバーは500Hz以上。スロート径は5cmであるが、アダプターを介せばスロート径2.5cmのドライバーも使える。


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375 ドライバー 1953年
¥125,000(1966年当時)

名実ともに世界最強のドライバー。

 「375」のルーツは、ウエスタンのトーキー用ドライバー「594」(1936年)に遡る。ラシングはこれを範に、大型のホーンと組合わすトーキー用の強力ドライバー「288」をアルテック時代に実用化していた。この「375」は、それを上回る最強ドライバーである。より強力なマグネットを使用し、ホーンスロート部と大口径ダイアフラムとのギャップの精度を高めて、低い周波数で生じる歪を軽減させた。これで大型ホーンへの依存を解消したのである。

 そこで、「375」を使ったJBL歴代の名作、ハーツフィールドとパラゴンを見てみると、クロスオーバーが500Hzと低い割にはホーンの小さいことが良く分かると思う。さらにオリンパスになると、直接放射に近いショートホーンである。ともかく、過度特性の良さは比類がない。高域は10,000Hzぐらいまで伸びているので2ウエイでも使える。それでもツイターを加えた3ウェイが、やはりベターであろう。

スロート径は5cm。


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075 ホーンツイーター 1956年
¥38.600(1973年当時)

手にとって眺めるのもよし、鮮烈な音に酔うのもよし。

 LPの高音質化とFM先進国のアメリカにおいて、人間の可聴帯域の上限近くまで再生できる「075」が登場は必然であった。それでも‘50年代半ばに、こうした本格的なツイターが出てきたことは注目に値した。「075」が登場した翌年には、LPがステレオ化され、パラゴン、オリンパスの歴代システムに使われた。

 使い方の基本は二通りある。まずは「375」または、「LE85」と7,000Hzでクロスさせる3ウェイと、フルレンジの「D130」クラスと2,500Hzでクロスさせる2ウェイである。とりわけ、2,500Hzの低いクロスで、「075」の鮮烈な個性をたっぷりと引き出したときの生々しいシンバルの響きなどは、他に比べるべきものがない。

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LE15A 38cmウーファー 1957年
¥70,800(1968年当時)
 
JBL初のハイコンプライアンス強力ウーファーの名作。

 JBLがLEシリーズとして初めて投入した低foのハイコンプライアンス・ウーファーの名作。パラゴンとオリンパスに使われたウーファーとしても知られる。エンクロージャーは、比較的小型の密閉型でも使えるが、本領を発揮させるには、170リッターほどのバスレフ型が好ましい。ただ、ロールエッジが経年劣化に弱いのが玉に瑕。


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LE85 ドライバー 1962年
¥79,800(1966年当時)


いかなるホーンと組み合わせてもまずは期待を裏切らない。

 最強ドライバーの「375」よりも一般的には扱いやすい。ダイアフラムの口径が小さくなった分、2ウェイでも無理がなく、使い手の期待をまずは裏切らない。また、「375」用のホーンが、2.5cmスロートアダプターを介して使えるというのも魅力。


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HL91/ HL92 音響レンズ付きホーン
1962年HL91¥21,000(1981年当時) HL92¥24,000(1981年当時)

誰にでも間違えなく使え、ドライバーの素性の良さをストレートに引き出す。

 スロート径2.5cmのドライバー、「LE175」と「LE85」の標準ホーンで、特に感心し、また不思議に思うのは、音像がバッフル面に浮き立つことである。

 どちらも、推奨クロスオーバーは800Hz以上とされているが、ホームユースに限れば、500Hzからでも使えて、ドライバーの素性の良さをストレートに引き出す。ただ、小さなバッフルに取り付けた例を見掛けることがあるが、これは絶対に良くない。なお、ホーンの長い「HL92」は、1年ほど後に登場した。

 わが国の業界に与えた影響は大きく、オンキョー、コーラル、コロムビア、サンスイ、ヤマハなどが、この基本構造を挙って踏襲し、一つの時代を形成した。


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LE10A 25cmウーファー 1962年
¥31,200(1966年当時)
 
自作に最適な50リーターほどのバスレフ型2ウェイで、迫力の低音を引き出すには恰好のウーファー。

 超低foのハイコンプライアンスウーファーで、バスレフ型エンクロージャーとのチューニングを上手くとれば、この口径からは信じられぬ低音を引き出せる。これを基にシステムを組むには、JBLのユニットでまとめるのが常道であると思うが、評論家の井上卓也氏は、ダイヤトーンのローコストツイター「TW-23」(¥1,400)と組み合わせた2ウェイで、かなりの成果があったと記していた。


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LE20 5cmコーンツイーター 1962年
¥19,300(1973年当時)

コーンツイターといえども、JBLの血統を持つ。

 コーンツイーターとしては、割高感の印象が強いが、「075」に一脈通じる鮮烈な表現力は、国産の同類のツイターでは得られない個性であり魅力である。推奨クロスオーバーは2,500Hzとなっているが、大きなパワーを必要としなければ、さらに低くとることも可能である。組合わすウーファーは上記の「LE10A」が最適。


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LE8T 20cmフルレンジユニット 1962年
¥38,000(1966年当時)

未だに支持者の耐えないフルレンジの傑作ユニット。

 わが国に輸入されたフルレンジユニットの人気の高さで、この「LE8T」を超えるものは、まずないであろう。もちろん、国内のオーディオメーカーに与えた影響ははかり知れず、外観までそっくりの類似品が数多く出現した。

 ただ、「LE8T」で誤解されているのは、ジャズ向きという定説である。そんなことはなく、例えば、クラシック通の定番であったタンノイ「IIILZ」のユニットの弱点を十分にカバーし、シンフォニーを聴いても何ら不満はない。ソプラノ帯域においても分解能の高さがソノリティーの良さに表れている。「LE8T」を使ったオリジナルシステムのバリエーショーンは幾つかあるが、やはり、サンスイ製の「SP-LE8T」がひとつのスタンダードであろう。勿論、それ以上の容積の箱に入れて可能性をさらに引き出すことは可能だ。


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pro.2397 ディフラクションホーン 1974年
¥52,900(1974年当時)スロートアダプター別売

音の回折効果は、従来のマルチセルラーホーンよりも格段に優れる。

 高密度パーチクルボードでつくられたこのホーンの音道は、仕切りのスリットが設けられた構造で、そのホーンカーブは、エクスポネンシャル(指数関係)ホーンの正確な理論に基づく。それによって、ホーンの開口部での音の回折効果は、従来のマルチセルラホーンよりも格段に向上した。

理論はさて置き、見た目の扇形のカーブが実に美しい。音の性格は、金属製ホーンとは違った音声帯域の温もりを感じさせ、しかも、スカっとした音離れのよさを併せ持つ。ただセッティングで注意したいのは、ウーファーのバッフル面とホーン開口部を揃えるのは誤りで、音道内のスリット位置とバッフル面を揃えるのが正しい。クロスオーバーは500Hz以上。スロート径は5cmであるが、アダプターを介せばスロート径2.5cmのドライバーが使用化。わが国でこれを範としたものには、エクスクルーシブや赤坂工芸のホーンがあった。


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077 スーパーホーンツイター 1976年
¥40,000(1975年当時)

強力型のスーパーツイター。

自作用には「pro.2105」よりも扱いやすく響きは艶やか。

 JBLがスーパーツイターという用途に限定した初のユニット。それでも3,000Hzの下限の帯域まで無理なく伸びていてゆとりがある。基本的な構造は「075」をベースとしながら、可聴帯域の上限に向かって、心地良く伸び指向性も良い。試しに、自作のJBLシステムに使っていた、この「077」を、当時、評価の高かったパイオニアのリボンツイター「PT-R7」に替えてみたところ、音の実在感が影を潜めて素っ気ない音に一変した。

 気になるのは、プロ用の「2105」との比較だが、「2105」は、金属っぽい硬質感(これがいいと言う評論家もいた)があり、インピーダンスが16Ωということもあって、一般的にはこの「077」の方が扱いやすいし、響きは艶やかである。


_____


JBLのネットワークは単なる付属物ではない。

 これぞというユニットを選び出してマルチウェイのシステムを組む場合、ネットワークについて無神経ではいられない。すべての自社ユニットに適合するようにラインナップされたJBLのネットワークは、単なる付属物ではなく、れっきとしたコンポーネントと呼びたい信頼性と質の高さを備える。JBLの歴代ユニットが、性能の追求から生まれた無駄のない魅力ある形をしているのと同様に、ネットワークも無駄なく、実に使い勝手のよい形にまとめられている。

 パーツ類は長期に性能を保持できるよう、ほぼ完全に密封され筐体に納められ、使用しているコンデンサーやインダクターも信頼性に溢れる。回路図は公表されていないが、インピーサンス補正や位相歪への配慮も万全と思える。
ネットワークを教科書どおりに自作することは、誰にでもできる。しかし、ヒアリングを重ねながら、このレベルに近づけることは、まず無理であろう。


______


コンシューマーユニットとプロフェッショナルユニットの違いについて

 1971年、プロフェッショナル・シリーズのユニットが大挙してラインアナップされると、旧来のユニットはコンシューマー用として扱われ、プロシリーズよりもランクが下という、誤った見方が、オピニオンリーダーたるオーディオ評論家筋のなかでまかり通った。また、そのような傾向は、高級志向マニアの傾倒ぶりにも表れた。それを助長したオーディオ評論家は、前提とすべきプロシリーズの目的と用途に関する正しい情報の提供を疎かにしていた。それは編集者の手落ちでもあるのだが・・・。

 ともかく、プロシリーズのユニットは、PA需要(ポップス系のコンサートは、主にホールから野外のスタジアムに変わった)の増大に対応するためであり、また当時、アルテックの占有率の高かったスタジオモニター分野への進出をはかるJBLの戦略でもあった。耐久性においては、過酷な使用環境での条件を満たしていたことは確かである。しかし、ホームユースとして使用したときの音の差となると、微妙なところでそれぞれに一長一短があったり、また、感知できないレベルのものであったりと、単純にプロユニットがすべてに優位とはいえないのである。それでも、プロシリーズのユニットの方が優れるといった偏った評価がまかり通っていたことは事実として、ここに記しておきたい。
http://members.jcom.home.ne.jp/ads/w-jbl-03.html

10. 中川隆[-10322] koaQ7Jey 2020年11月01日 11:46:08 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[30] 報告

JBLといえば、1946年にジェームス・B・ランシングが創業した米老舗オーディオ・ブランド。

あの伝説のロック・フェス、9年のウッドストックでPAシステムとして採用されたことやビートルズがアビー・ロード・スタジオで使用した事実、アカデミー賞やグラミー賞での数々の受賞歴がブランドの持つクオリティの高さを実証している。

しかも現在、世界中の映画館におけるシェアは75%以上という。“JBLの歴史はエンタテインメントの歴史”と言っても過言ではない。
http://www.rollingstonejapan.com/music/takkyu-meets-jbl/

ジェームス・B・ランシングは 1946年にJ・B・ランシング・サウンド社を設立、D101、D130、175ドライバーなどの開発を行いますが、1949年9月24日、アボガドの木で首吊り自殺してしまいます。

その後、ウィリアム・H・トーマスが社長を引き継ぎ、1955年JBLがブランド名となります。

1954年「ハーツフィールド」が工業デザイナー、ロバート・ハーツフィールドのもとで開発。翌 1955年、ライフ誌が「究極の夢のスピーカー」として取り上げられます。

1957年パラゴン発売。工業デザインはアーノルド・ウォルフ。音響学的には陸軍通信大佐リチャード・レンジャー・パラゴンが担当。そのため、パラゴンは「レンジャー・パラゴン」とも呼ばれました。同製品は31年間に渡って製造、販売されています。
http://k-d.jpn.com/audio/JBL/JBL_DD66000/JBL_DD66000.htm

JBLは1946年にJames Bullough Lansingというスピーカーユニットの天才エンジニアが起こした会社です。1902年に生まれたジェームスは、20歳前後でスピーカーユニットの実験を始め47歳で自殺するまで様々な歴史に残るユニットを開発しました。スピーカー創世記の20世紀初頭を生きたジェームスは、JBLのみならず後のスピーカーユニット業界に多大な影響を残した人物です。

 ジェームスはエンジニアとしては天才的な才能を発揮しましたが、経営的にはそれほど優れていなかったようです。JBLはジムが死んだ後はトーマス⇒第1期ハーマン⇒ベアトリス⇒第2期ハーマンとトップが入れ替わり現在に至っています。現在のJBLがここまで巨大企業に成長できたのはトーマスとハーマンの経営手腕によるものが大きいといわれています。

JBLの特徴
1.ホーン(フロントロードホーン)
2.30センチ以上の大口径ウーファー(振動板は伝統的なパルプ)

 JBLの特徴といえば、まずミッドとツィーターにホーンを高級機種のほぼ全てに採用していることがあげられる。現在ホーンに採用されているSonoGlassは高密度の樹脂で堅いが金属系ではない。このホーンからでてくるブラス系は非常にリアル響きを再現する。

 そして2つ目の特徴は35センチ、38センチ級の大型ウーファーを搭載していること。スピーカー市場は20センチほどの小型のウーファーが現在(2007年)大半を占めるようになった。小型ウーファーのほうが場所をとらないこと、中低域の濁りが少ないこと、瞬発力に優れることなど小型のメリットが多く認められるようになったからであるが、それでもJBLの大型ウーファーには小型では絶対到達できない独特の魅力もある。それは低域の最下限を余裕で再生し、体の芯まで響くような低域だ。

 JBLファンに圧倒的に多いのがジャズファン。クラッシック派はあまり多くない。繊細さよりか、押し出しの強さ迫力を重視する向きだろうか。JBLの伝統的なスタジオモニター43**シリーズにその傾向が顕著である。
http://www.diyloudspeakers.jp/5000html/jbl/jbl.html

11. 2020年11月01日 20:15:53 : isjVvzRBMk : ZzBKTnRsbE8xMFk=[48] 報告
岩崎氏の「ランシングの死」推論 2020-06-03
https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12601412070.html


段ボールに入ったままの古いジャズ、オーディオ雑誌を整理して出てきたもの。
故・岩崎千明氏が雑誌に執筆されたエッセイ、評論集。


先日、D120(E-120)や、2130の事を書いていた折にこの本の事を思い出し、
ダンボールの箱から引っ張り出してみた。
1976年「ジャズランド」(廃刊)という雑誌に定期連載されていた
エッセイの中に、「ジェームズ・バロー・ランシングの死」というタイトルの
一文を思い出した。

パイオニア / HPM-100

その中で、パイオニアのブックシェルフ・SPの広告にロカンシーの姿が。
JBLの中期以降を牽引してきたスピーカー・エンジニアのロカンシーが
後年、パイオニアに顧問として招聘された際に設計したブックシェルフの
ウーハーが、JBLのD-123と酷似していると・・。

D-123は彼の設計であり、同じ口径でランシングの設計したD-131と

社内で両者は比較・検討され性能的にもD-131を上回ったD-123の出現に

誇り高きエンジニアとしての敗北感を味わい、

自殺の原因となったのではなかろうかと、推理されていたのだった。

D-123はLE-15Aと同様に、B・ロカンシーの設計である。
(ただD-123の原型はウエスタンではないかと思っている。
当時、新進気鋭のロカンシーがウエスタンに社外スタッフとして
関わっていてもおかしくない。)

D-123は薄型のエキステンド・レンジのドライバーで、
用途はスタジオや、狭い部屋などの壁に埋め込んで使うウォール・スピーカー。
ゆえにコーンの頂角も扁平のように浅く、ドライバーそのものの奥行きも
異様に浅い。
高域に有利とされたコルゲーション付の薄く軽いコーンで、レンジは広く
ローもハイもD-131に比較すれば、ワイドレンジである。
低域も豊かで小さな箱でも低音不足を感じない。
D-131を聴いた後だと、音は柔らかくて聴きやすく
ソースはあらゆるジャンルをそつなくこなす優等生的なサウンド。
D-131や後年のE120のような鋭敏な立ち上がりはないが、
そうした分、一般ユーザーへの配慮がなされている。
アンプをや部屋を選ばないところも魅力。

有名な4311の低域ドライバーは、
このD-123にランサプラスという質量を調整する塗布材を
コーティングしウーハー仕様にしたものである。
そのせいで、低域が遅くなってしまったわけだ。


前置きが長くなったが、岩崎氏の推理雑誌の読者向けとしては

興味深いものがあるが、残念ながら、正しくない。

D-131 vs D-123 という比較で行けば勝負にならないし、用途が違う。
かたやD-131が4番打者なら、D-123は守備もうまい代打中心のアベレージヒッター。

D-123はコストを抑えられ商品としても魅力だが、
ランシングの追求してきた理想とはベクトルが異なる。
これからやってくる大量生産と営利を鑑みれば
大衆向け商品として魅力的だ。

しかしであるD-123の出現にショックを受けたランシングが
自殺したという無茶な推論は残念ながら的外れである。
ランシングの自殺は経営難によるもので、
自殺後に保険金が支払われ会社は存続しその後の隆盛へと
繋がっていくのである。
そもそも誰が見たって、純粋にD-123がD-131より優れているとは思わない。

ただし、D-123がJBLを代表する、単体ドライバーとしては傑出してはいない
(特にJBLとして)が、けっして悪いスピーカーではない。
それは言っておきたい。
最初にJBLの単体ユニットを手にするなら入門用としても、
お薦めのスピーカーだ。
(ヴォイスコイルを飛ばさぬよう大入力さえ気をつければ。)

ちなみに、D-131はフィクスドタイプエッジのままで早くに生産を終了する。
そして残念なことに、現存するD-131(古いフィクスド D-130も同様に)は、
エッジ部分とコーン紙が経年劣化でパリパリと破れる寸前のものが
多く、程度の良いものはまず入手不可能。
その後継機はクロスの2山のロールエッジ化された、
ギターアンプで大好きな、件のD-120とプロ用ラインアップの
2130、E-120と発展していく。
E-120はコンサート会場などで広く使われていた最終後継機種だ。

こうしてランシング自殺の謎に関して
岩崎千明氏の生前の推察は、話題としては興味をそそられるものの、
残念ながら推理そのもの自体は、正しくない。

最初に立ち上げた会社としてレジェンドとなった、
経営悪化のランシング・マニュファクチャリング時代は
その後をウエスタン〜アルテックが負債の面倒を見た当時とは状況が異なる。
ランシング・マニュファクチャリング社を吸収合併し、
自身が副社長を勤めた、そのアルテック・ランシング社を飛び出したランシングが
アルテックに泣きつくわけにはいかなかった。
いわば四面楚歌の状況であったであろうことは容易に想像がつく。

ゆえにランシング自殺の原因については、自殺はあくまで経営上の問題であろう。
当時の資料を読み漁ってみたが、たぶん多大なる累積欠損、買掛金の遅延などの多重債務、
資金繰りは相当にきつかったと推察される。

先にも書いたが、その自殺の結果、保険金と残された役員のビル・トーマスの卓越した

経営手腕でよみがえり、JBLはファンに愛される歴史的メーカーの礎を築いていく。

https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12601412070.html

12. 中川隆[-10088] koaQ7Jey 2020年11月07日 17:01:50 : rBzhPMJiBc : eXgyN1czclhOai4=[35] 報告
アルテック, I.P.C. & RCA
http://www.kusunoki.jp/audio/audionote.html#ALTEC

アルテック社は元々、ウエスタンとの関係が深い会社で、WEが子会社として、保守を中心に行 うエレクトリカル・リサーチ・プロダクツ社を設立。その後、さらにそのERPIのスタッフがオ ール・テクニカル・プロダクツ社を設立し、サービス部門の子会社として、さらにアルテック・ サービス・コーポレーションが創られ、1941年には有名なランシング・マニュファクチュアリ ング社を買収。アルテック・ランシング・コーポレーションとなって、ランシングらのチームに より、ボイス・オブ・シアターA5が作られました。

その後、ランシングはJ.B.ランシング社を設立してアルテックを飛び出しましたが、アルテック社 はボイス・オブ・シアターの成功により軌道に乗り、WEの設備を譲り受け、1949年よりWEのア ンプやスピーカーの製造を開始します。

1950年代に入りますと、アルテックは劇場用システムを本格的に開発するようになりますが、WE の優秀な社員がごそっと抜けてしまった当初は、独自のアンプの開発など出来るわけもなく、映写 機にはじまり、スタジオ部門にも手を伸ばしていたI.P.C.社と手を結ぶことになります。一説による と、I.P.C.がWEの社員を引っこ抜いて自社製品開発に当たらせたとも。映画産業の隆盛期にあった 当時としては、各社しのぎを削っていたと思われます。

因みにI.P.Cは、映写機のメーカーのシンプレックス社とパワー社、アクメ(ACME?)社が合併して出 来た会社で、International Projector Corporationの略です。

アルテックは1950年代に入るとWEのみならず、他社の劇場用システムのメンテナンスも行うよう になり、例えばRCAの映写機のプリアンプ部である、銘機の誉れが高いMI-9268なども手がけてい ますが、この映写機のプリアンプ部はRCA独自の開発ではなく、I.P.C.による設計とも言われていま す。これにはUTCのトランス、P-3356が使われており、これのみ単独でMCカートリッジ用の昇圧 トランスとして作り直した物が出回っていますが、WEの618Aと較べてワイドレンジできめ細かく、 フレッシュでみずみずしい感じがしました。

当時のI.P.CはWEの高価なシステムを入れられない中小の劇場に映写機などを供給するほか、スタジ オ部門で急速に力をつけてきたAmpexなどにもOEM供給をしています。

「I.P.C.はAmpexの設計部門だ」、なんておっしゃる方がいるくらいですから、Ampexともけっこう 結びつきが深かったと思われます。

また、ウエスタンのライセンスでいくつか製品を作っていて、ちょうどソニーとアイワの様な関係で、 ウエスタンに作らせると高くつくので、安くてそれなりのレヴェルにあるI.P.C.がウエスタンの名前で 製品を作っていたという話もあるくらいです。

ウエスタンはその内、パテント料で食っていくようになったため、実働部隊のアルテックやI.P.C.、それ にRCAなどが入り乱れて互いに持ちつ持たれつでやっていた様です。

I.P.C.にはUTCのトランスを使ったAM-1065という素晴らしいラインアンプがあるのですが、レストア 用のパーツが残っておらず、入力トランス(P-3427)をMC用昇圧トランスとして使うという方法くらい しか、今のところ活用手段はないようで、残念でなりません。

Last update Dec.12.2000

http://www.kusunoki.jp/audio/audionote.html#ALTEC

13. 中川隆[-9942] koaQ7Jey 2020年11月15日 06:41:29 : WBwhDwKyTw : MGZIdEtpL1hETS4=[12] 報告
異母兄弟の600BとD120
2020-01-24
https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12569289953.html


家庭でのジャズ再生に向くラッパのサイズは30cm前後と思っている。
リアリティとライヴ感を体現できる適宜な口径サイズは
30cm位が経験上程よいサイズだ。

https://ameblo.jp/oohpopo/image-12569289953-14700997876.html

条件はコーン紙が薄くて、高能率な広帯域ドライバーが条件だ。
低域まで一斉に反応がそろってこないとジャズは聴けない。
そして大型パワーアンプの力を借りずとも音が飛んでくること。

そうなれば基本設計はとても古いがこの兄弟2機種が選択肢となる。
AL(Altec Lansing)の600BとJBL D120がそれだ。
どちらもあのJ・B・Lansing氏設計による。

AL(Altec Lansing)とJBL。 

会社は異なるものの、異母兄弟というわけだ。



https://ameblo.jp/oohpopo/image-12569289953-14700997993.html

程度の良い600Bはほとんど手に入らないのが残念だ。

https://ameblo.jp/oohpopo/image-12569289953-14700997940.html


D120はオーディオマニアには?と思われる型番だが、
ギターをいじる人ならおなじみのもので、
同じ、JBLの2130やK120と基本は同じ。

ジャズ再生のエキスパートとして、眼前にミュージシャンが並ぶどころか
唾が飛んできそうな距離感でライヴの疑似体験ができる。
15インチだと箱も大きくなりすぎるきらいがあるが、
12インチならそうそう箱も大型にならずに済む。

熱いジャズファンには無理やりでもお薦めしたい、
Lansing設計の隠れ名器なのである。




イレギュラーな使い方として、
(口径の問題でD120に限った話だが)
有名な4312から腰の弱い白いウーハーを外し、
これに付け替えてみるといい。
D120が入手不可能なら、E-120でもかまわない。



フェンダーのツイン!ギター少年の憧れ。

https://ameblo.jp/oohpopo/image-12569289953-14700997828.html


クールで熱い!
50年後半のこのマイルスコンボにはコルトレーンやエバンスが在籍していた時代だ。
マイルスもこの頃は指示を出す以前に、自分が先頭に立っている。
そういったまだ正攻法として、前を向いていた頃なのだ。


14. 中川隆[-9931] koaQ7Jey 2020年11月15日 11:44:08 : WBwhDwKyTw : MGZIdEtpL1hETS4=[27] 報告
Altec Lansing 600B
2016-02-10
https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12500252978.html?frm=theme

気になる、12インチ・ウーハー
D131の兄貴分だ。

ランシングの基本設計であろうか。
D131と違い、センターキャップとコーン紙との面積バランスが
絶妙だと思う。良く通る音である。
この佇まいと音の出方を観ると、楽器用の傑作ユニットJBLのD130の原型がここにある。
https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12500252978.html?frm=theme

15. 中川隆[-9883] koaQ7Jey 2020年11月17日 12:17:37 : GmJ0HtwMbI : NzRCRVhEMHdYY1E=[17] 報告
Mr.トレイルのオーディオ回り道
スピーカーは時代が新しくなれば進化しているか? 2018年10月26日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e40e6665827eb15a5e32725be72fe2f0
一般に科学技術は時代の進展に合わせて進化してきた。オーディオ技術もエジソンの瘻管蓄音機が発明されて100年以上経過してきた。1900年頃は電話が時代の最先端だった。その後1930年代にはトーキー映画が繁栄し、音響入りの映画は1940年代から始まっているように思う。その当時使われていたSPにWEのSPや、その後ALTECに代わってA2・A4・A5・A7のトーキーSPが有名になった。

ALTECランシング社にいたジェームズ・B・ランシング氏が当時のSP達を設計している。ジェームズ・B・ランシング氏が「家庭用スピーカー」専門に起こした会社が「JBL社」で、現在知られているJBLのSPの基本が1950年前にに出来上がっている。その後、JBL社の技術責任者のロカンシー氏がユニットの開発に携わっている。ガウス社やTADのユニットも「ロカンシー氏」が中心になって作っている。

今尚、WEの22Aホーンや15Aホーンと#555ドライバーの人気が年配の方に高い。現在ではそのサウンドを聴いた事の無い方が殆どだと思う。当時のWEのアンプとの組み合わせで聴ける方は稀だろう。大型ホーンから出る「やわらかいサウンド」は非常に好ましい質感を持っている。

この柔らかいサウンドをJBLやALTECのホーンから出すにはそれなりにスキルがいる。今ではホーン型SPユニットもホーンも非常に少なくなっている。エンクロージャーも手の込んだバックロードホーンやフロントロードホーン、クリプシュホーン等を発展させたものは殆どない。今ではプラスチック製のエンクロージャーで「響き」を押し殺した様な物が多くなってきている。SPユニットの能率も80db代になってしまって来ている。果たしてスピーカーは進化してきているのか?疑問に思う。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e40e6665827eb15a5e32725be72fe2f0

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