http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/426.html
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(回答先: jazz オーディオ 魔境の旅 投稿者 富山誠 日時 2013 年 1 月 23 日 12:20:25)
jazz spot YAMATOYA
http://www008.upp.so-net.ne.jp/yamatoya-jazz/map1.html
http://www.jazz-yamatoya.com/
http://tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26001087/
JAZZ_YAMATOYA Twitter
https://twitter.com/JAZZ_YAMATOYA
京都府京都市左京区聖護院山王町25
電話 075−761−7685
定休日 水曜日(祝の場合営業)
営業時間 昼12時から夜12時
オーディオ装置
スピーカー バイタボックス クリプシュホーン
アンプ マッキントッシュ MA2275 (真空管のプリメインアンプ)
プレーヤー ガラード401
アーム SMEロング
カートリッジ シュアータイプスリー と タイプファイブ
CDアンプ マランシュ
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アクセス
最寄り駅 京阪丸太町(市バス熊野神社前)
東山丸太町東入ル2筋目下ル
熊野神社の交差点から50メートルほど東に入って下ったところ
目標は京都駅前バスで熊の神社前バス停下車です。神楽湯銭とよこ のよこ。
近くに京都大学付属病院がある。
駐車場はありませんので、近くの京都市営岡崎公園内徒歩10分程度。
東山丸太町交差点から丸太町通を平安神宮方面に進んで、二筋目を右に曲がって少し行った右手。細い路地なので判りにくいが、丸太町通沿いに櫻湯の看板が出ているところが目印である。
京阪の場合
j神宮丸太町下車、丸太町通を東へ徒歩10分
京都駅からの場合
市バス206系統「東山通・北大路バスターミナル行き」で「熊野神社」まで約25分程度、220円
※206系統で千本通・北大路バスターミナル行きに乗車しないでください
四条烏丸の場合
大丸の前の「四条高倉」から市バス203系統、市バス201系統で「熊野神社」まで」約15分、220円
タクシーの場合
四条河原町から900円程度
京都駅から1800円程度
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地図
https://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&cid=16148542661561885945&q=%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A4&iwloc=A&gl=JP&hl=ja
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http://itp.ne.jp/shop/KN2600060700028607/
/⌒X⌒ヾ%ヽ ,. - ,.-----‐' \
/⌒X ,.二、ヽ爻ハ / / (_二二 _/ ̄_ ヽ
/⌒X不ヽソノ{ 仄 } } 厂}人/ // 〈_/´  ̄`ヽ '.
,.二、{弋ソ,.二弋辷ンノノ-‐〈 / { ヽ i | ハ
{ 仄 }} 八 仄} `辷ン八うY } :| 八 、 \ ヽ.! レ-、ヽヽ ∧
_‐<>< 辷ン 仄ィ介=≦ミ、N \ \ }_ |:i |'^ヽ|i :! :!:!∧
、Y/ ,.二、`Y_ノ-=彡'´`ー'´^ミ!、 i :ト、\x<_\ |:| i :!} } !| | :|:レ'
ノ( { 仄 }}八 《《 _,. -=≠ ,.ィ=ミ茫N `´ィ芹rt刈:! | !'´ 爪 !ハト!
⌒ヽ 辷ン{ } }}}´_,.ィ伝ミヾ {以刈ゞヽ `¨´ | | | 「´i | N:|
Y 二 ヽ 人ノノノハ ゞ┴' 、` } } ! ! !八 |从八
{ 仄} }} ノミ辷彡'} ,. ' 从 ヽ'_ !:/:/レ人< ヽ
弋辷ン乂}{ミ辷彡'} _,. - /辷`ヽ ` //://  ̄`ヽ
辷彡'辷彡{ミ辷彡'}>、 ´ /辷彡} ` <イj:/ '.
辷彡'辷彡{ミ辷彡'}j ≧=- '辷彡} _____} _,. / '. /
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1. YAMATOYA リニューアルオープン
ジャズスポットヤマトヤ@JAZZ_YAMATOYA
どうやら YAMATOYA つぶれた情報があるらしく問い合わせがありましたが、あと400年位はジャズ喫茶としてやりますので。あくまで改装中です。場所も雰囲気も変わりませんが、音の聞こえ方をよくしたり、トイレの扉が入り口の扉とぶつからないように とかゆうことです
京都のジャズ喫茶ヤマトヤのリニューアルオープンが平成25年3月1日に決まりました。よろしくお願いいたします。
今日3月3日、ヤマトヤが1970年にオープンしてから43周年です。これからもよろしくお願い致します!
場所は前と同じ、最寄りのバス停は熊野神社前です。
営業時間12時から24時 水曜日定休です。
中のレイアウトは変わったのですが、雰囲気は変わっていないので自分たちでも「あれ?」となるほどヤマトヤです。
オーディオチェックも無事に終わりました。
レイアウトが変わったのでカウンターも音がよく聴けます。
カウンター席が増えました!
コーヒーの種類も、今までのオリジナルブレンドに加えて深みのあるトラジャ豆も用意しました。
https://twitter.com/JAZZ_YAMATOYA
ジャズ喫茶の灯、守る 左京・3月1日改装オープン 2013年2月27日
3月1日に新たな一歩を踏み出すジャズ喫茶「YAMATOYA」と店主の熊代さん(京都市左京区) 京都市内で最も古いジャズ喫茶の一つで、作家五木寛之さんの小説に登場する左京区丸太町通東大路東入ルの「YAMATOYA」が3月1日、建て替えに伴う約1年間の休業を経て再開する。1970年の開店時の内装はほぼそのままだが、今後はライブを定期開催する。店主は「少なくなったジャズ喫茶の灯(ともしび)を守っていきたい」と話す。
ジャズ喫茶は学生運動の熱気に支えられて60年代に各地で生まれた。店主の高齢化や自宅で手軽に高音質の音楽を楽しめるようになったこともあり、閉店が相次いでいる。
「今後どうしたら支持を集められるか」。戦前に建てられたという木造2階建てを建て替えるため、昨年2月から休業することになり、店主の熊代忠文さん(71)は全国のジャズ喫茶を訪ねる旅に出た。
東京、北海道、四国…。生き残った店は喫茶営業に加え、ライブを開くなど新たな道を模索していた。東京の小さなライブハウスでの演奏が印象に残った。会社員や学生ら20人ほどが奏者と語り合い、和気あいあいと音楽を楽しんでいた。「自分の店もこんな雰囲気にしたい」と思いが膨らんだ。
こだわりの大きなスピーカーで4千枚以上あるレコードの音をじっくり楽しむ形は守りながら、年1〜2回催す程度だったライブを月1〜2回に増やすことにした。3月19日夜に初回を開く。「敷居の高い演奏会ではなく、初心者が生の音に触れてジャズの魅力に近づくきっかけを作りたい」と話す。
改装でカウンター席を増やし、初対面の客が会話しやすいようにした。開店当初の店には遠方からも学生が多く訪れたが、近年、学生は減り、常連と観光客に支えられている。熊代さんは「幅広い年代層が音楽を通じて出会い、語り合う空間に」と再出発後の店の姿を思い描く。
<YAMATOYA>もともとは質屋「大和屋」だった。父親の死去で継いだ熊代さんがジャズ喫茶に転業した。作家五木寛之さんが何度も来店し、小説「燃える秋」に店が実名で登場する。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130227000079
ジャズ喫茶YAMATOYAが復活! 2013-3-2
熊野神社交差点から丸太町通り南側を東へ二筋目の露地を入った所に昔からあるジャズ喫茶「YAMATOYA」。昨年2月から建て替えのために休業していましたが、この3月1日から再開されたというので、早速今日行ってみました。
入口は町家からビルになって大分変っていましたが、中はレトロな内装にレトロな家具、大きなスピーカーと4000枚以上あるレコードが壁にずらりと並んで、昔とそっくりな様子になっていました。
お客さんがたくさんおられたので、店内の写真は遠慮しときました。
1970年開店ということですが、その当時はあまり行ったことがなかったけれど、最近になってお気に入りになってきた喫茶店です。店主さんが休業中にあちこちのジャズ喫茶を訪ね歩いて研究した結果、これからはライブを多く開くことにされたそうだとか。
再開してくれてありがとう!これからもよろしく!のお店です。
Unknown (しぇる) 2013-03-03 20:19:48
ついに復活ですか?いってみなければ〜!
最近は昔ほど額にしわよせてジャズを聴く体力と気力はなくなりましたが。
コアなジャズファン御用達だった二階も復活したのかなあ。
しぇるさんも (vivasan) 2013-03-03 21:16:15 昔から行かれてたのでしょうか。
どうも二階の秘密の部屋はだいぶ前からなくなっていたようですが、ジャズ素人の私でも気楽にいけるお店になっていました。
しぇるさんのお宅からはお近くですし、変わったところ、変わってないところ、体感しにいらしてください。
http://blog.goo.ne.jp/vivasan/e/b1c9190f391e097d1afde6c26148e49e
カメさんの口コミ( 50代後半・男性・埼玉県 ) '13/03 訪問
雰囲気の良いジャズ喫茶、三月一日、やっと再開しました。
以前、JBLさんの口コミで気になっていましたが うかがおうとすると、お休みに入ってしまい、ずっと待っていた今回の旅行の目的の一つである、ヤマトヤさんにうかがう事が出来ました。
事前にお電話をして営業を確認し、うかがったのは一時少し前
最寄りのバス停の熊野神社前から、あいにく降り出した雨の中、歩きますと通りにある看板がすぐに目に留まりました。路地を入りますと、外にお祝いのお花が沢山飾ってあり直ぐに分かりました。
ステンドグラスの付いたドアを開けますと、店内は照度も落ち着いた雰囲気の店内
入り口すぐに静かにVITAVOXがウェズモンゴメリーを奏でています。
店内はほぼ満席、開店を待っていた常連さんばかりのようです。
幸い、カウンターに一席開いていましたので、そちらを案内されました。
カウンターの向こうは、広めに調理する場所が取ってあり ご夫婦と娘さんの三人でやられているようです。
ご主人に、コーヒーのおススメをお聞きしましたら通常の酸味の無いブレンドと、酸味のあるブレンドが選べるとお話がありましたので、好きな酸味のあるブレンドをお願いします。
開店早々で、オペレーションはなかなか大変そうですが一杯づつ豆を挽いて、カップを温めてペーパーでドリップされている様は六曜社地下のマスターを思い出しました。
テーブル席が空いたので、そちらに移動をお願いしましたら快く受けていただき、 ウェッジウッドに淹れられた珈琲がまもなく来ました。
程よい酸味のある、後味のスッキリしたもの、旨いです。
音楽はボーカルに変わりましたが、ボーカルの方が心地よいと思いますが、往年の響きに比べますと、低域がもう少し欲しいかな
オーディオの機材は
VITAVOX CN-191 Corner Hornの他にも懐かしい往年の名器、GARRARDのプレーヤー、SMEのアーム、MCINTOSHのアンプなど壁いっぱいのレコードと共に、眺めていて飽きません。
途中、昔のですがと、娘さんがマッチを持ってきてくれました。
わずかな時間でしたが、とても素敵なひと時でした。
会計時に記念にと、コースターを頂戴しました。
一見の私にも頂く事が出来て、感激です。
京都での楽しみな場所がまた一つ増えました。
http://tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26001087/dtlrvwlst/3633978/
YAMATOYAのリニュアル開店 2013年3月1日(金)
夕食を終えてから、強い雨が降る中をタクシーに乗って、熊野神社前にあるジャズ喫茶YAMATOYAに行きました。
今日は同店が1年半の休業・改装を経て、リニュアルオープンする日。改装のため閉店する直前、松葉杖をついて行ったら休業日。がっかりして帰って来たことがありました。
ボクがこの店に行きだしたのは高校生の頃。当時のYAMATOYAは2階にアルテックの巨大なスピーカーがあって、そこから出てくる明るく張りの有る音は、特にペットやサックスを聞くには最高でした。音で頭の中を満たして何かから逃避するかのように、そこへ行っていたのかも知れません。
大学生になってから1階に行くようになりました。そこにはVITAVOXのクリプッシュ・ホーンがあって、2階と比べると‘静か’でした。
初めてボトルをキープしたのがこの店。酒は‘だるま’でした。そして、そこに書いたのが「苦沙彌」。『吾輩は猫である』の猫の飼い主の名前でした。
大学の頃は本当によく行きました。以後も、回数は減りましたが行き続け、最近は年に1、2回。でも、行き続けていました。
店も2回ほど改装し、2階はマスターの陶房などになって閉まり、今回は本格的な改装。「改装するとは言っていたけど、このまま閉店するのかなぁ・・・」と思っていましたが、マスターの葉書や年賀状、ホームページにも、リニュアル開店すると書き続けてあったので、今日の日をとても待ち遠しく思っていました。
強い雨の中行った店は、ほぼ満席。少し違和感がありますが、内装などは今までの店に出来るだけ近いように工夫されていて、クリプッシュ・ホーンやピアノの位置は昔と同じでした。
カウンターは満席だったので、マスターや奥さんとゆっくり話すことは出来ませんでしたが、マスターはテーブルまで来て、2度の手術や四国のお遍路さんなどを経て今日を迎えられたと話してくださいました。
飲むのは、I.W.ハーパーのロック。いつの頃からか、これになりました。
「もう来てくださって40年になりますようねぇ」と言われ、「37、38年ぐらい?大差ないな」と思いつつ、学生の頃がついこの前のようにも思えました。
店がある限り、ボクが行ける限り、たとえ年に1度でも行くであろう店。それがYAMATOYAです。
〜 昔から変わらないコースター 〜
http://kusyami.com/kanwa/sfs2_diary/diary.html
五木寛之の京都を歩く
YAMATOYAは五木寛之の「燃える秋」に登場するジャズ喫茶です。映画でも登場しています。
「…人の多い所へは疲れて行く気がしない。黒谷を少し歩いて、聖護院近辺をのぞいてみた。
聖護院の境内の一部は駐車場になっていて、自家用車が並んでいる。しだれ桜がライトバンの屋根にもたれかかるように咲いている。奥のほうに巨大なクレーンと、建設中のコンクリート建築が見えた。ヘルメットをかぶった作業員がキャッチボールをしているほかは、人の姿がほとんど見当らない。百円玉を賽銭箱に投げこんで帰ってきた。
丸太町通りを歩いて、YAMATOYAに立ち寄る。以前この店のすぐ裏手に住んでいたことがあって、雑誌を抱えてよく出かけたものだ。
このYAMATOYAのある横丁の一劃が、私は妙に気に入っている。京都でも好きな場所の一つだろう。焼鳥屋があり、銭湯があり、床屋があり、そしてジャズの店がある。車が入らない通りなので、子供たちがローラースケートをしたり、カン蹴りをしたりして走り回っている。いつも二、三人、おばさんたちが固まって立ち話をしていたりして・不思議ななつかしさを感じさせる場所だ。この通りを歩くと、ほっとして、京都へ来たなあ、と思う。
横丁から丸太町通りへ出たあたりには、サンタクロースというライヴもやるジャズの店がある。この店は私が聖護院に住んでいた頃には、まだなかったような気がする。ジャズの店の隣りが、剣道の武具を売っている店というのも面白い。…」。”
このYAMATOYAのある路地ですが、写真の通り、本当に狭い小路です(道ではなくて路と書いて、意味を持たせています!)。この小路も、京都の小路の雰囲気がしますね。いいなあ〜!!
★右の写真がYAMATOYAのある小路です。この小路にはいろいろなお店があります。当然お風呂屋さんもあります。ついでに掲記に書かれている聖護院の写真も載せておきます。
http://www.tokyo-kurenaidan.com/itsuki-kyoto1.htm
五木さんは、実はジャズ評論でもかつて名声を博したこともあり、ジャズ喫茶をめぐっては、軽重さまざまなジャズに耳を傾けたそうです。
特に、京都のYAMATOYAというジャズ喫茶がお気に入りのようで、 そこは、『燃える秋』という小説の舞台にもなっています。
それくらいに、五木さんはジャズへの思い入れが深いのですが、この初期の小説『海を見ていたジョニー』においても、やはり同様です。
この小説では、
「ジャズは人間だ、良い人間だけが良い演奏をやれる。」
という命題をめぐるストーリーになっています。
ベトナム戦争帰りのジャズ演奏の名手ジョニーが戦争で犯した悪事について心悩ませていますが、その葛藤をもとに、ジャズは良い人間だけが良い演奏をやれるのかどうか、その追求がなされています。
五木さんはジャズだけでなく、 作詞家としてさまざまな歌謡曲に携わった経験があり、音楽への造詣が深いのですが、その原体験が一つあります。
それは、お母さんを蹂躙した兵士と同一人物ではないのですが、あるロシア兵たちが、あまりにも上手に合唱を口ずさんでいたことです。 お母さんの敵であり残酷な生き物であるはずのロシア兵が、美しい歌声を奏でていたというショックを味わったのです。
これだけが唯一の原因ではないのでしょうが、この経験を背景に、五木さんは今後音楽に深く関わっていくようになり、 ジャズに限らず、音楽に関する小説やエッセイを書いていくことになりますし、 この『海を見ていたジョニー』においても反映されています。
http://blog.livedoor.jp/itsuki_hiroyuki/archives/50399125.html
五木寛之 海を見ていたジョニー
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061312499
五木寛之作の小説「海を見ていたジョニー」の作品の中に登場する黒人少年兵士「ジョニー」が、ベトナム戦争で精神を病み、もはや自分にジャズを演奏する資格など無いと悩み、最後には海辺で自殺するという短編小説。
五木さんは京都のジャズ喫茶「YAMATOYA」をこよなく愛し、彼は幼いころ母親に連れられてある敵兵士「ロシア人」の口ずさむメロディーを聴くのである。五木さんは知る人ぞ知るジャズ評論家でもある。
五木寛之さんの書く小説の中で、ジャズが演奏されるシーンの描写部分は、音が聞こえてくる小説と言われるくらい追力があって臨場感があります。「ジャズは人間だ。よい人間だけが、他人を感動させることが出来る。人間が駄目になった時、演奏も駄目になる.....」 ジョニーの心の葛藤をもとにジャズは良い人間だけが演奏をやれるのかどうか、その追求が小説の中で展開されていきます。
ここで海を見ていたジョニー(講談社文庫い1−17)〈文庫)より抜粋を紹介する。
ここで作者が示す問いはシンプルだ。人の心の良し悪しと、芸術の良し悪しとは重なるのか、という問いだ。心地良い音楽はよく「天上の音楽」などと形容される。では、地上に生きる者は、そこに憧れるしかないのであろうか。もしくはジョニーのように絶望し切ってしまう外ないのだろうか。
芸術と倫理の問題は、冷めた目で「関係ないよ」と言ってしまうのがクレバーな対応であるかのような考え方が普及しているようだが、この本を読めば、かつてそのような考え方を疑問に感じた人がいて、その問いは今もまだ切実なのだということが分かるだろう。
http://jazz.ele-craft.com/?eid=19
ジャズ喫茶「YAMATOYA」が TVドラマ『砂の器』のロケに使われたことが、以前sawyer様のブログで話題になったが、記事にもあるとおり、五木寛之の小説『燃える秋』にも登場する。学生時代、『内灘夫人』とともに読んだのがこの小説だった。『内灘夫人』を読んだ時には、米軍の弾薬庫がまだ残っていた金沢の内灘へ本を携えて行ったが、『燃える秋』は京都とイランが舞台になっている。
『燃える秋』は東宝が映画化し、1979年に公開された。監督が小林正樹、音楽が武満徹である。ラストのクレジット・シーンには、ハイ・ファイ・セットが1978年にリリースした『燃える秋 GLOWING AUTUMN』が使われてヒットした。これも武満徹の作曲で、作詞は原作者の五木寛之自身によるものだった。
「YAMATOYA」は、映画にも登場する。2006年に日本映画専門チャンネルで録画したものだが、真野響子演ずるヒロインの桐生亜希が店に入って来たところを、後に深い関係となる北大路欣也演ずる岸田守が声を掛け、話すシーンで使われている。オーディオ装置などは特に映されていないが、30数年前の「YAMATOYA」を観ることができる。
http://abend.exblog.jp/19452370
世界が深まるジャズ空間。[ヤマトヤ] 2004年7月8日
[YAMATOYA]の店長と話をしていると、「井の中の蛙」という言葉が浮かんだ。悪口を言っているわけではない。「井の中の蛙」には、幾つか解釈があって、その中の一つには、後にこんな言葉が続くと言われている。
「井の中の蛙、大海を知らず。されど、空の深さを知る」
(中川註:前半は荘子「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」、後半は日本で後から追加されたもの)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1060711665
井戸の中の蛙は海の大きさは知らないが、海も山も知っている人間や鳥よりも、空の本当の美しさを知っている、という意味だ。
何十年とわき目もふれず、一つのことに打ち込んだ人間だけが、物事の本質を深く知ることができる、という格言だ。
[YAMATOYA]の創業は、1970年。店長は、自分のそれまでのジャズ喫茶に費やした30年以上の人生を振り返って、「これは僕のライフワーク。違う世界の人と知り合えて、僕の世界はすごく深まった」と言った。
きっと、ジャズ喫茶を30年以上続けることで、到達できた境地なのだろう。
30年前も、単なるジャズが流れる喫茶店ではなく、最高級のジャズ喫茶にしようと思った。店を1階と2階に分け、
2階は当時当たり前だった私語禁止の真剣にジャズを楽しむ空間。
1階は、京都で初めての試みになる会話もできるフランクなジャズ空間にした。
もちろん、スピーカーは最高のものを1階にも2階にも用意した。
音楽だけでなく、コーヒーにも気を使った。豆は注文がきてから一から挽き、井戸水でたてる。
椅子やテーブルなどの調度品も、最高のものを揃えた。今も残る茶色に輝くアンティークな椅子やテーブルを見れば、その様子がわかるだろう。
当時近くに住んでいた小説家・五木寛之もよく訪れたという。彼の作品に『燃える秋』という小説がある。その導入部分に、[YAMATOYA]が登場してくる。
祇園祭りの宵山の日に、主人公の女性デザイナー亜希は、岸田という男性を何度か目にする。面識のない男性だったが、山鉾に飾られたペルシャ絨毯を熱心に見る顔が、亜希の印象に残っていた。そして次の日、二人はジャズ喫茶[YAMATOYA]で偶然再会する。二人が愛を育むきっかけとなる、重要な場面である。
「違う世界の人と知り合えて、僕の世界はすごく深まった」
とマスターは何度か同じことを繰り返した。店に訪れた小説家やジャズ評論家が、マスターのジャズ観や人生観に影響を与えたのだろう。
けれど、こうも思う。世界が深まったのはマスターばかりではなく、訪れる客にとってもそうであったのではないかと。客達も最高の音楽空間で、自分のジャズ観だけでなく、自分の人生観や感性も深めていったのではないか。そんな思い出深い場所だったからこそ、五木寛之は主人公達が出会う重要な場面に[YAMATOYA]を使ったのだと思う。
ジャズ喫茶が盛んだったころの常連は、今では全国各地に散ってしまった。それでも、彼らが京都を訪れた時は、[YAMATOYA]の扉を開くという。「そういう人達がいるから、今まで続けていけたんです」とマスターは教えてくれた。
そして今日も、空の本当の青さを知りたい蛙達が、[YAMATOYA]の扉を開くのだ。
http://www.onozomi.com/2004/07/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%8C%E6%B7%B1%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E7%A9%BA%E9%96%93%E3%80%82%EF%BC%BB%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A4%EF%BC%BD/
京都・岡崎「jazz spot YAMATOYA」でコーヒーとトーストを 2011年 9月26日
京都きってのjazz喫茶「Jazz spot YAMATOYA」。
この度、初めて足を運びました。
レコード在庫数は、7〜8,000枚、jazzプレイヤーを招いてのライブもあるとのこと。ちなみに、ここにあるピアノを最初に弾いたのは、高名なフリージャズピアニストのセシル・テイラーだったそうです。
そして、ジャズピアニストのキース・ジャレットが京都に長期滞在していた際に、息子さんとこのお店に来たことがあるそうな。
ところでYAMATOYAは、五木寛之氏の「燃える秋」に登場するジャズ喫茶。五木氏は、この店の裏手に住んでいたことがあったとのこと。
なお、このお店、映画やテレビドラマなどのロケとして使われることも多いようですね。ついこの間、放映されたテレビドラマ「砂の器」でも使われていたこと、お店の方から確認いたしました。
使われていたのは一番奥の部屋。
その手前のカウンターでコーヒーとトーストをいただきました。
コーヒーも美味しかったですが、トーストも絶品でしたね。
http://tetsuwanco.exblog.jp/16348590/
YAMATOYA式コーヒーの淹れ方
豆の選定
豆の形や色を一粒ずつ確認し、いい豆だけを選びます。艶がないもの、形がいびつな豆は、苦味が強く香りがえぐいコーヒーになってしまうため丁寧に作業します。
豆を挽く
注文が入ってからコーヒー一杯分ずつ豆を挽きます。粗さは中挽き程度。挽きたてをすぐに淹れます。
コーヒー豆を挽いている間にカップにお湯を注ぎ温めておきます。
温めたカップにコーヒーを淹れていく
京都・花背の天然水を使ってコーヒーを淹れていきます。沸騰したお湯を挽いた豆に注いだ瞬間、ふわっと豆がふくらみます。ふくらんだ粉がゆっくりとドリップしたらまたゆっくりとお湯を注ぐ。ここは焦らず丁寧に淹れていきます。店内に香ばしい香りが広がります。
できあがり
淹れたてのコーヒーをどうぞ。
そのままブラックでお召し上がりいただいても、疲れたときはフレッシュを入れても。
(関西ではコーヒーに入れるクリームをフレッシュと呼びます)
http://www008.upp.so-net.ne.jp/yamatoya-jazz/himitu.html#vol1
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x‐=7 {_X/7ニハニニニ.′ 厶ィア¨ニニニ
. /ニニ ,れ/=/水! }ニニ′ 爻'アニニニニ
/ニニニ7 /{ {W/ | |∧ニニ' , C7ニニニニニ
. /ニニニ/ /八 V/ /| | 込′ /C7ニニニニニ
/ニニニ/ 厶√'v://_」 _/ /C7ニニニニニニ
/ニニニ7 /}⌒'y /しク厂L「' /C7ニニニニニニ
(ニニニ7 /ニ)フ /:/ // / /C7ニニニニニニニ
}ニニ7 /ニ)フ └' // / /C7ニニニニニニニ
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2. YAMATOYA の音の評価が極端に分かれる理由は?
昭和のノスタルジーがギッシリ詰まっているマッチ箱。今となっては私の僅かな懐古録:有形文化財です。ジャズ喫茶の薄暗い店内でスピーカーに向かってジッと聴き入る、日本固有(!!独自)のスタイルは今や廃れゆく貴重な無形文化財遺産なんでしょうか?。
YAMATOYA
京都・同志社・立命館等の大学も近い位置に在ったJAZZ喫茶老舗。
煉瓦壁にアンティークな内装・深い焦茶色に光沢を持ったクラシカルで豪華なウッデイのカウンターやテーブル・椅子、更に最高のオーディオ器機を揃えJAZZの流れる空間が演出されます。
1F はSWING・DIXIE等クラッシックJAZZ
SP:バイタボックス製 KLIPSCHORN
アンプはマッキントッシュ#C-22とPWアンプにCROWN #DC-300
2Fが本格的(私語厳禁)のJAZZ・ROOM
SP:アルテック#210-5158 #311-90 "291-6A
アンプ:マッキントッシュ#C-22とパンンドラのプリアンプ
・・・オーデイオには疎く・よく解らないまでも凄い器機構成だったと思うが、其の後:ROOM模様替え?・オーディオ構成の組み替え・装置追加があったかの詳細を知らない。
マッチラベルの左下:髑髏:右下にトランペット?デザインの意味は不明!!?
http://40437108.at.webry.info/201210/article_11.html
昔々 京都のジャズ喫茶 2011年07月21日22:01
それから、もう一つ音響的に重要な場所があった。
熊野のYAMATOYAだ。勿論、2階の方だ。
正式名称はすぐに出てこないが、A5のシステムの16Gドライバーとホーンは同じで、ウーファーが2発、ボックスにウイングがついたやつが狭い店内正面の壁全面を占めていた。
ヘリコプターで吊ってスピーカーを入れたという話を聞いたが?
マッキンの管球アンプとダイナコで駆動していたように見えたが、ひょっとしたらマルチだったのかな。
一口で言えば、リアルそのものの途方もない音で、ストレートにドラムスなどが直撃してくるから、空腹で入ったら気分が悪くなること必定、って感じだった。
少しでも話をすれば店員から「しーっ」と言われる典型的なジャズ喫茶で、ある意味あまり行きたくない店だった。
1日中コルトレーンとか、相当以上に凝った選曲をしていたようだ。
比べると1階は、1杯飲みながら、ジャズをバックに話を楽しむところのようで、ライブは無いが神戸のソネの小型版といった雰囲気だったと思う。
スピーカーはバイトーンメジャーで最初の印象は悪かったが、十数年ぶりに行ったときは、なかなか綺麗な音色で鳴っていた。装置の記憶がないが、ここもマッキンの管球プリだったかもしれない。
http://blog.livedoor.jp/maschicred/archives/51915224.html
YAMATOYAのリニュアル開店 2013年3月1日(金)
ボクがこの店に行きだしたのは高校生の頃。当時のYAMATOYAは2階にアルテックの巨大なスピーカーがあって、そこから出てくる明るく張りの有る音は、特にペットやサックスを聞くには最高でした。
大学生になってから1階に行くようになりました。そこにはVITAVOXのクリプッシュ・ホーンがあって、2階と比べると‘静か’でした。
店も2回ほど改装し、2階はマスターの陶房などになって閉まり、今回は本格的な改装。少し違和感がありますが、内装などは今までの店に出来るだけ近いように工夫されていて、クリプッシュ・ホーンやピアノの位置は昔と同じでした。
http://kusyami.com/kanwa/sfs2_diary/diary.html
YAMATOYA
左京区熊野神社交差点東入ル
★★ふーむ、分かりやすい住所表示ですね。京都の熊野神社の閑静な住宅街の2階にありました。本格的ジャズ喫茶です。京都の老舗達のなかでは比較的新しいお店でしたが、同志社大や立命館大、京大が近いということもあり、いつも熱心なジャズファン達が店内にたむろしていました。京都ジャズ喫茶の牙城。
★1Fは当時のまま現存しています。時々ライブもやっていて、ケニー・ドリューやマル・ウォルドロンが出演しました。
2Fにあった正当派ジャズルームはありません。
また、2Fの大きな大きなアルテックをどうやって壁に取り付けたのか?
京都ジャズ喫茶の不思議のひとつでした
http://adobensya.jp/jazzmach/kyoto/kyoto.html
YAMATOYA
熊野神社の近く、ここには「気まぐれ亭」という店もあったような?
凝ったオーディオシステムが凄いのですが、如何せん音量が普通の喫茶店並?
会話を楽しむ店なのでしょう。
オーディオ
スピーカーはアルテックの大型シアターシステムA4を使っています。ホーンドライバーはエンクロージャーの上でなく、ウーファーの前に吊された状態。
スピーカーと客席が近すぎるので音量は極小です。期待外れですね。
あと気まぐれ亭という店(場所?)もあって、そこはヴァイタ・ヴォックスCN-191を使っているそうです。(行った筈なのに思い出せません。)
アンプはマッキントッシュC22 + MC275 と2A3イントラ結合真空管アンプです。
素晴らしいシステムですが、この音量では音質の優劣はまったく判らないのが残念です。
http://music.geocities.jp/thrill_4_you/kyoto/ky-02.html
Commented by noanoa1970 at 2013-02-28 10:49
YAMATOYAのある路地には、安くておいしい割烹料理屋があったのですが店をたたんでしまったようです。
やはりレコードを聴かせるだけのジャズ喫茶では運営が困難な時代なのでしょうね。
個人的にはソウル魂のない日本のミュージシャンのジャズよりも古いレコードを聴くほうがよいのですが、仕方ないでしょう。
YAMATOYAはせっかくヴァイタボックスを持ちながら音量がごく小さいので、いつも残念に思っておりました。主人は陶芸作家でもあるようですから、どんな風に改装するのでしょうか楽しみであると同時に、昔のイメージが損なわれるのは嫌ですね。2Fを上手に生かすのかな。
http://abend.exblog.jp/19452370
VITAVOX CN-191 Corner Horn
エンクロージャー \483,000(1台、1970年代前半頃)
通称”クリプッシュホーン・リプロデューサー”で知られる最高級コーナー型スピーカーシステム。
クリプッシュ氏の原設計になる音響的にきわめて優れたコーナー型ホールデッド(折り曲げ)・ホーン・エンクロージャーにAK-157、S-2を組み合わせた2ウェイ構成となっています。
低域には38cmコーン型ウーファーAK-157を搭載しています。
大型の強力な磁気回路とキャストフレームに良質繊維をハードプレスしたコーン・アッセンブリーを組合せ、過渡特性の良い低音再生を実現しています。
高域にはドライバーユニットS-2とホーンを組み合わせたトゥイーターユニットを搭載しています。
音質と優美なデザインのエンクロージャーは、熟練した木工技術者による丹念な手仕上げによるものでで、最高級品にふさわしい美しさを誇っています。
定格
方式 2ウェイ・2スピーカー・オールホーン方式・コーナー型
使用ユニット 初期 後期
低域用: 38cmコーン型(AK-155) 38cmコーン型(AK-157)
高域用: ホーン型(S-2+CN-157) ホーン型(S-2+CN-481)
その他: ネットワーク(NW-500)
定格インピーダンス 15Ω
クロスオーバー周波数 500Hz
キャビネット コーナー型・ホールデット・ホーンエンクロージャー
最大入力 80W(初期)100W(後期)
外形寸法 幅760×高さ1,300×奥行684×684mm 重量 115kg
http://audio-heritage.jp/VITAVOX/speaker/cn-191.html
VITAVOX(ヴァイタボックス)は戦前からある有名なスピーカーでロンドンウェスタン直系のスピーカーメーカーと聞いている。シアター用が専門ですが家庭用にも素晴らしいシステムも出していました、特に有名なのはVITAVOX191コーナーホーンとバイトンメィジャーがあります。
191コーナーホーンはタンノイのオートグラフと二分するぐらい素晴らしいのが特徴で家具の調度品にはピッタリ当てはまるデザインでもあります。昔私がエレクトロボイスの3Wayでオーディオを楽しんだ時に
京都のジャズ喫茶「ヤマトヤ」にこの191コーナーホーンが鎮座してあった、音は芳醇な響きで非常に奥ゆかしく鳴っていたのを記憶しています。
この音を初めて聴いた時「オーディオは聴かせてくれる音」これこそ自分が求めていた音だったのかも知れません、その夢は30数年経っても忘れられないぐらい私に強烈なインパクトを与えてた、VITAVOXと聞くだけで私にとっては未体験な音に感じる不思議と謎の多いスピーカーである。
今回ご紹介するDU−120はVITAVOXではコアキシャルスピーカーユニットでこのタイプ以外にDU−121もあるがこちらはフェライトのマグネットの2本しか発売されなかった、このスピーカーの詳細を少しご説明します。
ユニットは多分1950年の後半から1960年の前半に発売されたものでマグネットは大型のアルニコマグネットを搭載、ツィーターは特殊なポリエステルフィルムの振動板になっておりツィーターの音だし部分はアルミのパンチングで保護されている。クロスオーバーは2000HZで低域側をカットせずにそのままスルーになっている、ネットワークはコンデンサー1本だけで高域のみのカットになっています。
この時代の同軸はネットワークを使用せずにコンデンサーのみでのカットが結構ありましたが私に言わせればケチな方法と思う、本格的に使うならネットワークもアッティネーターも必要ではないだろうか、その点タンノイのユニットは高いだけあってしっかりしているがあのネットワークを収容してあるケースがプラモデルのイメージと重なるので少しマイナスだ、
ヴァイタボックス12インチのコアキシャルスピーカーでフレームをよ〜く見ますとタンノイのモニターレッドによく似ています。マグネットは強力なアルニコマグネット
スピーカーユニットの中心にツィーターが飛び出している。ツィーターの振動板はポリエステルフィルムで珍しい振動板でもある。
マグネットカバーにVITAVOX−DU120のシールが貼ってある。スピーカーからの引出し線は私が一部改造した部分です。
グッドマンのウーファーを外してこのユニットを実装しての試聴になりました、
出てきた音は「何んだ!こりゃ〜」
こんなスピーカーの音は今まで聴いたことがない!
ひどいのも限度がある、
低音がまるでなく中高音はカミソリを振り回したような鋭い響きで音楽を聴くには耐えないスピーカーではないか、これがVITAVOXの音なのか!
今回の購入は大失敗かも?言葉が出ない絶句である。昔はエレボイのスピーカーで苦汁を味わされて泣かされた経験が蘇ってきた、このスピーカーこそ名器ではなく迷器であるが考えようによっては良いスピーカーこそテクニックと苦労が必要ではないだろうか、上手く鳴らせば感動ものであるが今の時点では落胆の言葉がぴったりだ、
このスピーカーを宿らせるにはこのままの状態では不可能なので大手術が必要だ、病院に行ってユニットに点滴を打てば治る問題ではない、手術をすればきっと当時の音が必ず宿るはずの気持ちで早速改造に取り組んだ、改造はこれに合わせたネットワークを自作するのとボックスを新たに特注で作ってもらう事、吸音材の量を調整しながら耳で確認する方法しかない、ボックスはグッドマンは米松合板を使用していたから今回はフィンランドバーチで作っていただくことに決定した、
ボックスが完成してユニットを取り付けて音だしで固唾を飲んでヴァイタの音を待った、
出てきた音は最初に聴いた音とは似ても似つかない実に渋い音である。
この時代のスピーカーの開発者は多分この世にはいないと思う、このスピーカーの本当の音などは私にもわからない、知っているのはスピーカーの開発者と当時携わった方だけだと思う、何十年も前のスピーカーに使用してあるカットオフ用のオイルコンデンサーははっきり言って塵である、オイルコンデンサーが当時の状態を維持しているはずはない、こんな塵コンデンサーでもオリジナル崇拝者は使っていると聞く、はっきり言って良い音を出す以前の問題では・・・・
これはアンプにも言える、私に言わせればビンテージアンプもそうですが今の時代からすればパーツはすべて当時の状態ではないのにマニアはオリジナルを尊重している、これは一種の宗教のようなもので不思議なマニアが沢山いる、
同じ英国の伝統あるスピーカーなのに音の傾向はずいぶんと違う、グッドマンはどちらかと言えばふくよかさが前面に出していたがこのヴァイタボックスはより古典的なドライな音色を持っているがボックスの材質も違えば容積も違うから「これがヴァイタの音だ!」とは断言できない、
クレデンザ、HMV,ウェスタンと発展してきた音響技術の延長線上にあるような大変地味な音でかの有名な191コーナーホーンの音に似た奥ゆかしく暗い響きを伴っている、大橋氏が日記に書かれた「石作りの教会で聴く音」と表現されていますが的を得た答えだと思う
http://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-012.html
VITAVOXとの邂逅
1977年に遡ります。受験勉強のストレスで、慢性のドライアイを抱えることになってしまった私は、受験勉強も大学進学も一時断念して、今はない山水電気の派遣店員に応募し、大阪の日本橋で半年バイトをすることになりました。
山水電気は当時JBLの代理店をしていました。私は高校を出たばかりでしたが、JBLのユニットの型番はすらすら言えましたので、ニノミヤ無線の海外コンポーネント売り場に配属されたのです。私にとってはある意味理想の職場で、天の配慮だったと言うしかないと思います。
とはいえ、今にして思えば、ステレオ売り場のステレオの音はセレクターを通ってくるのでひどいものだったな、とは思います。
売り場でデフォルトで鳴らしていたスピーカーは当時のJBLのフラグシップだった4343でした。そのほか4350やパラゴンなんかも展示してありました。他社ではアルテックのA5、タンノイのオートグラフなども並んでいました。
そのなかで私が惚れ込んだのはVITAVOXのクリプッシュ・ホーンでした。つくりは上記の写真と同じでしたが、仕上げは異なり、マット・ブラックでPA用の塗装がしてありました。また上部のホーンは8セルのマルチ・セルラー・ホーンでした。ドライバーは同じS−2というモデルです。
これでかけるクリュイタンスのフォーレのレクイエムはそのスケール感といい、音場といい、まさに天国的な音でした。またモーツアルトの交響曲40番をかけると、コントラバスが林立しているのが見えるようでした。何よりも音が軽い、そしていぶし銀の渋さがあり、ぞっこんまいってしまったのです。
仕事中にこれでフィーレのレクイエムをかけて聴き入ってしまい、何度か叱られたことがあります。池田圭氏がウェスタンの15Aホーンを聴いて人生変わった、という文章をあちこちで書いておられますが、私が心から惚れ込んだスピーカーはVITAVOXなのです。ルーツはウェスタンと同じということですから、おそらく似たような音なのでしょう。
しかし、VITAVOXは恐ろしくレアなスピーカーで、その後お目にかかることは全くありませんでした。
それから26年たった2003年晩秋、京都のジャズ喫茶のYAMATOYAでVITAVOXのクリプッシュホーンと再会しました。
しかし小音量で鳴っており、ぱっとしません。これぐらいの音はFE83Eで出せる、というのが第一印象で、年老いた昔の恋人に会った思いでした。
その翌年、
吉祥寺のクラシック喫茶のバロック
http://audio.nomaki.jp/meikyoku2/
で同じスピーカーを見つけました。結構音量を上げてじっくり聴きましたが、一向に感心しませんでした。
中高音が歪っぽく、ホーンの癖なのか、ネットワークが悪いのか、スピーカー・ケーブルが長すぎるのか、アンプが腐っているのか、多分そのすべての要因が重なっているのだと思った次第です。
今となっては、あの馬鹿でかい図体も許せませし、欲しいとは思わないスピーカーです。しかし、18だった私が聴いた音はこんなものではありませんでした。記憶は美化されるのでしょう。
たまにVITAVOXというブランド名を見かけると、昔のことを懐かしく思い出すのです。
後日譚
私のサイトのこのページを見て、ある方から連絡を頂戴しました。
はじめまして。
先日たまたまグーグルでVitaVoxを検索してみましたら、杉本様の記事をみつけました。どうやら1977年に貴方が大阪でほれ込んだヴァイタボックスは我が家にあるのではないかと思われます。
(中略)
ドライバーS2はレッド・ラベルです。
ホーンはマルチセルラーではありません。多分、前の持ち主が替えたものと思われます。マットブラック塗装仕上げは、うちにきて20年ほどたったところで少し変色し、みすぼらしくなってしまったので、黒板をつくるための塗料で塗りなおしました。
その頃にコーナーホーンの上にただ載せてあるだけのS2プラスホーンの姿にあきて、自分で設計して東急ハンズで精密に裁断してもらった合板を使って我ながら満足のいくカバーをつくりました。
しかしこれらは本質とは余りかかわりないことで、入手以来、今日にいたるまでメティキュラスなものとするための努力の積み重ねが、世界にただ一組のVitaVoxとして、心の奥底に響くような音楽をかなで続けています。
杉本さんがブログに書かれた京都のジャズ喫茶 YAMATOYA にも行ったことがあります。でも話にもならない音でした。
ご用でおいでの節にはいつでもお寄りください。貴方が持ち続けた夢を裏切らない音をおきかせします。ちなみにマッキントッシュC42プラスMC1000で駆動しています。
____
過日、出張のついでにこのお宅に訪問して、聴かせていただきました。30年ぶりに再会したのですが、「あ〜、やっぱりホーンだな」という独特の音離れの良い音です。ローエンド・ハイエンドともにあまり伸びておらず、中域が張り出した感じですが、ヴィンテージ・スピーカーはそんなものでしょう。書いておられるように、夢を裏切らない素晴らしい音でした。
ただし、ウーファーもホーンもダイレクト・ラジエターではないので、やはり癖はあります。我が家のビクターSX-V7もずいぶん善戦していて、一長一短と感じました。さすがに30年の時の流れとともに、我が家の音もかなり前進したようです。
後日譚その2
別の方からはこんなメールを頂戴しました。
貴殿のホームページでヴァイタボックスのことが書かれていまして非常に興味を持ちました。私は現在、ヴァイタボックスのコアキシャルスピーカーでオーディオを楽しんでいます。
私も京都のヤマトヤで191コーナーホーンを聴いたことがあります。
ヴァイタボックスと言うと何か未体験の音のようなイメージがあります。
貴殿のオーディオに関しては大変勉強になります。
私は自慢できるようなシステムを持っていません。情熱だけはあります。
(中略)
スピーカー
ヴァイタボックスDU−120 特注ボックス(フィンランドバーチ)
グッドマン3Wayシステム 特注ボックス(米松合板)
ステントリアン コアキシャル12インチデュプレックス
以上が私のシステムです。スピーカーはお金が無いので既製品は使用していません、ユニットのみ購入して実装して聴いています。
_____
30cmコアキシャルですが、こんなユニットがあるのか!というレアな製品で、世間は広いです。使っているだけで個性が主張できそうですね。高音部はポリエステルとのことなので、ドーム型なのでしょうか?返信したら、以下のお便りが来ました。
______
大変珍しいスピーカーですが、このスピーカーを鳴らすのには苦労しました。今は素晴らしく良い音で鳴っています。コーナーホーンとは違う密度の濃い音でバイオリンなどの弦楽器はなめし皮をコスルような独特の音です。コーナーホーンは多少ホーン臭いとこがありますがこのスピーカーはないです。このスピーカーは簡単には鳴りません。
VITAVOXというブランドは使う人の人生に深く関わる傾向があるようです。
http://audio.nomaki.jp/vitavox/
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|:/ノ ィ ̄ Y \ヽ : . :.\:. :. :. ヽ\ r弋ー‐ぅ '" ん:::: fフ , 1:. |:. :. :. /:. :. :. //:/ |:. !
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∧ /; ;./; ; ; ; ; ; ; ; ̄;ヽヽハ ヽ : . : . : . : \: . : ヽ .〉 ,イ:|: . l!/:. :/:/ . : .| |〃
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3. YAMATOYA は何時から変わってしまったのか?
就職したての頃、先輩に教えられてヤマトヤさんに良く通いました
其の頃下宿で大きな音でジャズを聴く事が出来ず欲求不満状態が続いていました
2階に上がってドアを開けると蹴っ飛ばされる様な大音量・・・・コレダ・・
曲目は覚えていませんがトランペットのアタック音がこんなに迫力有る物か、今まで学生時代に自宅でダイヤトーンの16センチと自作真空管アンプで鳴らしていた音は、ビックリの連続でした
昨日2007年9月20日の昼下がり、岡崎の美術館で堪能した帰り道思いついて何十年ぶりに寄らせていただきました
一階に変わっていてビックリ
なかに入って音量が小さいのにビックリ
以前はジャズを聴かなければ入れない雰囲気だったのが気軽に誰でも入れる雰囲気にビックリ
何だか以前のイメージでお邪魔したのでビックリの連続でした
http://www.jazzsoda.com/cafe/yamatoya.htm
東山の今熊野にある「YAMATOYA」というジャズ喫茶には、ヘリコプターで吊るして搬入したといわれるアルティックのA2システムが入っており、何度か聴きに行ったことがあった。
この喫茶店は現在もあるが、バイタボックスでBMGのような小音量でジャズを演奏している。
http://blogs.yahoo.co.jp/audio_jbl/60002545.html
昔々 京都のジャズ喫茶
熊野のYAMATOYA。勿論、2階の方だ。
A5のシステムの16Gドライバーとホーンは同じで、ウーファーが2発、ボックスにウイングがついたやつが狭い店内正面の壁全面を占めていた。
一口で言えば、リアルそのものの途方もない音で、ストレートにドラムスなどが直撃してくるから、空腹で入ったら気分が悪くなること必定、って感じだった。
少しでも話をすれば店員から「しーっ」と言われる典型的なジャズ喫茶で、ある意味あまり行きたくない店だった。
1日中コルトレーンとか、相当以上に凝った選曲をしていたようだ。
比べると1階は、1杯飲みながら、ジャズをバックに話を楽しむところのようで、ライブは無いが神戸のソネの小型版といった雰囲気だったと思う。
http://blog.livedoor.jp/maschicred/archives/51915224.html
私語厳禁のジャズ喫茶「YAMATOYA」へ行ってみた 2010-02-03
「ジャズで癒やし40年左京の喫茶「YAMATOYA」」という京都新聞の記事を読んで、「京都にも私語厳禁のジャズ喫茶があったのかー・・・」と思い、早速行ってみました。
私語厳禁のジャズ喫茶というと、東京には結構あった記憶が・・・すぐに思い出すのは新宿アルタ裏の「DIG DUG」ですが「まだあるのかなぁ?」と心配にもなります
入り口前にはこんな感じで看板がドーンとあります。
「LIQUEUR」とあるから、夜は一杯やれるってことですね(いいかも!)。
「art work shop 奇妙な果実」というのも気になりますが、ボクが行った時には開いておらず実態はわかりませんでした。
「奇妙な果実」はビリーホリデイの名曲ですから、ジャズ繋がりがうかがえます。。。YAMATOYAと関係があるんでしょうかね?
入り口はこんな感じ。
住宅街に小さな入り口。
神妙にならざるを得ませんw
店内はこんな具合。
開業40年の年季が伝わってきますね。
ボクが座った席の前には古い時計と、マンダライラスト。
マンダラは誰の作品なんでしょうか?
これ、ずーっとみていても、全然飽きませんよ。
店の奥にはテーブル席がありますが、壁にはレコードが死ぬほどありました。
多分、生唾ゴックンもののすげーのが隠れているんでしょうね。
京都新聞の記事にもありましたが、「ジャズ喫茶」ってのは日本独特のモノ。
本場ニューヨークにもこんなのはありません。
是非ともこういうお店はずっとつづいてほしいですね。
ボクとしては、もう少し大きいボリュームでスピーカーを鳴らして欲しいって気がしました。
下北沢のマサコ(今はもう無い)みたいにガンガンにw
「私語厳禁」の点については、少し緩い感じでした。
http://ks.lefthandle.net/blog/1427/%E7%A7%81%E8%AA%9E%E5%8E%B3%E7%A6%81%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E5%96%AB%E8%8C%B6%E3%80%8CYAMATOYA%E3%80%8D%E3%81%B8%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%81%9F/
Google ユーザー クチコミ 2012
聖護院の小さなお店が並ぶ路地の中にあるジャズ喫茶。
音楽喫茶は多いのだが、声を出すのもはばかられるところが多い中、ここはそこまでピリピリしていないのでちょっと人とあったりするのにも使える(もちろん大声で談笑するのは論外だけれども)。
京大キャンパスからほんのちょっと離れた立地もあり、読書なども落ち着いて出来るので、すこしいつもの自分の居場所から離れたいと言う人にもおすすめ。
https://plus.google.com/102640932188320404389/about?hl=ja#102640932188320404389/about?hl=ja
ギムレットハイボールさんの口コミ
ジャズ喫茶?? '09/11 訪問
京都では有名なジャズ喫茶
とある有名人の行きつけの店ということで、期待していたのですが、、、
ここは、老舗のジャズ喫茶なのか?と思ってしまいました
まず、驚いたのが、音抜けの悪さ
座る座席によって、聞こえる音が違いすぎます
お店の構造に問題があると思います
そして、かける音量の小ささ
ジャズ喫茶ならではの、身体に訴えかけてくる迫力がまったく感じられません
スタンダードなアルバムを中心としたセレクトや選曲も???です
流れが感じられません
これでは巷の喫茶と同じではないか。。。
そして肝心の珈琲の味も、うすくて主張が感じられない
特に印象が残らない味でした
期待していただけに、本当にがっかりでした
京都のジャズ喫茶はこのレベルなのか、、、
京都市でちゃんとしたジャズ喫茶をご存じのかた、教えていただけないでしょうか
http://tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26001087/dtlrvwlst/1490039/
YAMATOYA 正月二日 カメック @ 20:50:33 ( ジャズ喫茶 )
開店時間は正午。今は12時半位。ナビ情報によれば、確かこの辺りと探してみましたが分からない。場所を聞こうと思っても、正月二日と言うこともあり、通りには誰もいない。偶然、通り掛かったリュックを背負った方にに「ダメ元」で道を訊いたところ、これからYAMATOYAに行くのだと言う。
同行させて頂きました。路地の一角にあったのです。
入り口の様子からして、これは余り期待できないな〜と
ビックリ! 異空間が広がっていました。
開店直後と言うことで先客は誰もいない。連れて行ってくれた方が今年最初の客、母が二番目、親父が三番目のようです。
音を聴くより、その内部の佇まいに唖然。所狭しと言うより、整然と計算尽くされたアンティーク製品群。
先ずはご覧あれ!
五木寛之が好んで座っていた椅子 だそうです。
五木寛之は一時ペンを置き、ここ京都の大学で学んでいました。
この辺りが気に入り、ここにもよく来ていた。お気に入りの場所(椅子)が母の座っていた所です。文学少女にタイムスリップと言うところでしょう。
部屋の、調度品に圧倒され、音の印象を書くのは忘れそうです。
ジャズ喫茶としては音量は控えめです。どちらかと言うとバックグランドミュージックと言う感じ。
これはこれで、レトロ調な店全体の雰囲気にとても合っていると思うのですが、バイタボックスが震えるような音量でデキシーを聴いてみたいものです。
音は小さめですが、音源はLPレコードであったことを報告させて頂きます。
JAZZ SPOT YAMATOYA
*音楽再生装置
SP : VITVOX KLIPSCHORN
AMP: MCINTOSH MA2275
LP SYS: GARRAD 401 SME3012(?) SHURE N97XE
CDP: MARANTZ ?
ジャズ喫茶にとって今は厳しい時代。ジャズ喫茶は次第に少なくなってきている。残ることはあっても、カフェバー風に変わってしまうことが多い。若者には入り難い店になるだろう。
半世紀前にはジャズ喫茶にはコーヒー一杯で長時間たむろする学生が多かった。
YAMATOYAは京都大の近くにある。来る学生は少ないと言う。
純ジャズ喫茶として残れるのだろうか。いささか心配です。
京都にはYAMATOYA意外にもジャズ喫茶は残っている。
*奈良市内でジャズ喫茶を探したが、結局、一軒も残っていなかった。ライブハウスはあるようだ。ジャズが聴けるパブにも出かけたが、アルテックA5が埃を被っていた。寂しい限り。
http://pub.ne.jp/kamekutobu/?entry_id=4091576#more
京都音楽喫茶紀行 - ジャズ喫茶『YAMATOYA』 2007-03-19
京都の老舗のジャズ喫茶の雄『YAMATOYA』は平安神宮近くの丸太町側の路地をちょっとはいったところにある。場所的はちょっと孤立しているんので観光客はあまり来ない。はっきりした記憶がないが、学生時代に一度だけ訪れたことがある気がする。余談だが二階にはなんと『奇妙な果実』という名の店がある。
12時過ぎに入店するとどうやら一番客だったようだ。カウンターにはおかみさんが一人で営業しているようだ。私語厳禁なんてうるさそうなオヤジの店主を勝手に想像していたのにちょっと拍子抜けだった。まぁそんな店ではいまどきやっていけるわけないか。
ちょうど店内にはコルトレーンの Live at Birdlandの Afro Blue が流れていた。カウンターの右端に席を取るとグランドピアノの形をしたしゃれたメニューを渡された。曲は I Want To Talk About You に移った。この曲前から好きなんですよと話しかけてみる。
『何かリクエストありますか?』
と誘われたが、ウ〜ン、こんな老舗でそれは予想外だったのでビビってしまった。ウインナコーヒー650円也を注文。客が注文する度に豆を挽くため可愛い小型の電動ミルを使用しているとのこと。棚には様々な形のコーヒーカップが並んでいる。
(客を見てカップを選ぶのだろうか。その結果がこのピーター・ラビット?)
昔のLPを使用するため、CDと違って二十数分でレコードが入れ替わって心地良い。それだけに混んでくるときっとおかみさんの仕事は忙しいはずだ。次はニューポートのマッコイタイナー、そしてジミースミスとウエスモンゴメリー、そしてサラ・ヴォーンと聴きやすい盤の選曲が続く。ここはとても居心地が良さそうだ。
スピーカーはここ以外のジャズ喫茶ではお目にかかったことがない英国VITAVOXのクリプッシュ・ホーン。もうこの空間に収まるにはコレしかないというデザインだ。(余談だが、はるか昔クリプシュ・ホーン以外はクソだと言っていたオーディオ好きの米国人の話を思い出した。)真ん中にはアップライトピアノが陣取る。店内には西洋人形から曼荼羅まで奇妙に調和したインテリアによる不思議ワールドが広がる。
(奥の棚にはLPが天井までぎっしり。このなかからリクエストの一枚が探し出せるというのか。)
カウンターの下にはマッキントッシュ・アンプの美しいブルーが妖しい輝きを放っている。おかみさんに東京から来たというと色々と京都の話の相手をしてくれた。一時間経過して二番目のひとりオヤジの客がやっと入店してきたところで退店した。こんな店が近所にあったらなぁとしみじみ思う。。。なお入り口脇にはYAMATOYAも紹介されている『三代目おけいはん』の名曲喫茶編のポスターが貼られていた。
http://blog.goo.ne.jp/chinaseas/e/897f6c1513a1dd32f619b515fcc2f4f6
京都・ジャズ喫茶「YAMATOYA」さん 2008年03月04日
1970年にお店を開店された京都の老舗ジャズ喫茶
店内に入るとレトロな雰囲気に包まれます。
中の調度品や家具も素敵特に布張りの椅子
とても落ち着いたクラシカルなインテリア
ジャズを聞きに来られる常連のお客さんもいらっゃしいますが
若い女の子や男子学生っぽい人も居て年齢層は幅広いです。
お店はご夫婦でされていて昼間は奥様が
夜は5時頃から旦那様がいらっしゃいます。
ジャズのことなども詳しく説明して下さいます。
お店のお勧めは花背の井戸水でいれた珈琲
こちらはクロックムッシュ。
ココアも美味しい〜”チャイ”もあります。
奥にあるテーブルコーナーは作家の五木寛之さんもお気に入りの場所
7000枚〜8000枚程あるレコードですが
ご主人はどこに何のレコードがあるか把握されているそうです
http://blog.goo.ne.jp/ttomo115/e/d445dc2e607bb28bb628d10d0e6025dd
「JAZZ-SPOT YAMATOYA」さん 2009/05/26
東大路丸太町東入る、二筋目の路地を下がります。
エエッ!こんな所に・・・と、誰しも思いますよ。
今年で40年のYAMOTOYOさんはジャズ喫茶の中でも最古参でしょう。
実家の近くなんですが、ジャズはジャック・ルーシェのバッハとグレンミラーしか馴染みの無い私は、今回初めてドアを押しました。
中は薄暗く、空気は淀んで、時が止まっているのではないかと思えます。
12時過ぎで、店を開けたばかりなのか、私の他は誰もいません。
年配の婦人がオーダーを取りに来たので、カフェオレを注文しました。
彼女、こちらのオーナーさんだと思いますよ。
可愛いピーター・ラビットのカップ&ソーサー(多分、私用に選んだのでしょう)に入ったカフェオレは、クリームもとてもマイルドでした。
奥の棚には8千枚とも言われるレコード盤が収納されています。
近くに住んでいた五木寛之は、その小説にこの店を登場させているそうです。
ジャズ喫茶というより、名曲喫茶のようです。
セパレート型の高級オーディオはジャズファンにとって、たまらない魅力でしょう。
かかっている曲が何だか知りませんが、ピアノとサックスの音色が心地よく聞こえます。
ドアが開き、 常連客でしょうか。オーディオのまん前の席に座って、飲み物を注文すると、目をつぶって聞き入り、そのまま眠ってしまいました(^^)
「ステキな壁紙ですね。」とオーナーさんらしき人に話しかけると
「もう、無いのですよ。以前は薔薇の壁紙でした。」
「また、寄ってくださいね」という声に見送られて、眩しい戸外に出たのは小一時間後でした。
コメント
ジャズの音色が今にも耳に届いてくるような、そんな雰囲気ですね。
ジャズばかりでなくクラシックも流れるのでしょうかねぇ。
最近は、シアトル系のカフェが多く、昔のような趣のあるカフェは少なくなりましたよね。
こうした出会いも、宝物ですね。
棚にびっしりとつまったレコード、これだけでも随分の財産なのでしょうね・・・と、下々の人間の僕はそんな事が心配になってしまいます。
ピーターラビットのカップも可愛いですが、隣の花瓶も店同様に趣がありますね。
こうした場所で好きな本を開いて、心地よい時間を過ごしたいものです。=^エ^=
投稿 Torahiko | 2009/05/26 18:46
クラシックが聞こえてきてもおかしくないですね。
若い人の居住スタイルが下宿からマンションに変わりだしてから、カフェのスタイルが変り、ジャズ喫茶も減ってきたそうですよ。
YAMATOYAさんは全国的に見ても老舗中の老舗です。
ここは夫婦で経営しているそうで、昼間は奥さん、夜はご主人が受け持っているのでしょう。
カップの傍の花瓶は焼き物作りを嗜むご主人の作かも。
なにしろ薄暗いので、読書をしているときっと、目を悪くしますよ。
投稿 バオバオ | 2009/05/27 09:36
それにしてもレトロな内装ですね。
入り口が普通の喫茶店のようなので、知らずに入ったらびっくりしそうです。
コンサートではたいていグッスリ眠ってしまうので、曲がなかなか覚えられない のですが、あれは気持ちいいですよ。 この店もグッスリできそうで気に入りました。
東京でも神田、上野、浅草あたりには懐かしい雰囲気の喫茶店が残っているんじゃないかな、と思います。 探してみるのも楽しいかもしれません。
投稿 チャーマン | 2009/05/29 17:05
このカフェオレは、なかなかマイルドで美味しかったですよ。
チャーマンさんの、アドレナリンでオーバーヒートした脳神経を鎮めるのに最適です。
本当にレトロな内装です。
かつて、ヨーロッパのオールドファッションがシャレて見えた頃がありました。
YAMATOYAさんでグッスリ寝こけるのはチャーマンさんだけではありませんよ。
私の後から来た人は、明らかに寝るためにやってきました。
神田、上野、浅草には古い喫茶店がのこっているのですね。
利益を優先させると成り立たないでしょうけど、あって欲しい喫茶店ですね。
投稿 バオバオ | 2009/05/29 21:43
http://baobao.de-blog.jp/arasiyama/2009/05/jazz_224b.html
YAMATOYA/Jazz Spot @ Kyoto 2008年11月16日
京都大学の学食で一杯230円の超安い山菜蕎麦を食って出向いたのが本日のメーンイベント、京都に残るジャズ喫茶の老舗 YAMATOYA です。前回2000年に京都に行った際は、準備不足から見つからなかった因縁の店です。
YAMATOYAは、ジャズ好きにとっては有名な店で、その昔五木寛之の小説にも実名で登場したと云われています。
私は、1971年の秋頃、一度だけ行ったきりなのですが、2階の隅の席でデビューしたての渡辺香津美のファーストアルバム「インフィニティ」を聴いた記憶があります。
諸々の事が、入り口のブルーの看板を見ると同時に蘇ってきました。
ドァーを明けると、コーヒーの匂いと共に40年近く前の懐かしの世界が目の前に現れました。
丁度、 Bill Evans の Live in Montreux がかかっていました。
私以外に客は2人ほど。
ジャズが流れるなかに佇む手入れの行き届いたピカピカに光った調度品。
そして、あの独特の匂いと雰囲気。
もうたまりません。
奥には、L.P. がギシッリ詰まった棚が見えます。
物腰柔らかそうな年配女性がオーダーを取りに来たので1杯600円のアイスコーヒーを取りあえずオーダー。
「2階は無いのですか?」
と聞くと、20年ぐらい前に取り払ったとの事。
それから、ひとしきり色々な昔話をしました。
彼女が寂びしそうに言うには、なんでも学生の下宿が4畳半からマンションに変わりだしてから。京都のジャズ喫茶の数も目っきり減ってしまったとのこと。
着実に時代は変わっているのです。
でも嬉しいですね。 未だこうしてジャズ喫茶がそれも京都に残っている事が。
暫し、ウトウトした私は、カーメン・マックレーのマイ・フーリシュ・ハートがかかっている時に、YAMATOYA を後にしました。
去り際に、ママさんが、「また来て下さいね。」と丁寧に見送ってくれました。
http://blog.livedoor.jp/nethero/archives/51457956.html
Kind of Blue
京都のジャズ喫茶、「シアンクレール」ははるか10年以上前に店を閉じていた。学生時代、高野悦子さんの「二十歳の原点」の舞台であっただけに、一度行ってみたかった。 そこで、インターネットで調べてみると、昔行ったことのあるお店はほとんど姿を消していた。「蝶類図鑑」という一風変わった名前のお店を思い出したが、痕跡を残すのみであった。
ジャズは、年をとるにつれて聞かなくなってしまった。ジャズ評論家の植草氏は48からジャズを聞き始めたそうである。趣味というのはきっかけ次第である。猛烈にジャズが聞きたくなった。しかも、ジャズ喫茶で。
ネットサーフィン。ゴー。
昔、五木寛之氏の「燃える秋」という小説があった。その最初の部分に「YAMATOYA」という京都のジャズ喫茶が登場する。
そうだ「YAMATOYA」へ行こう。
平安神宮の近くに、熊野神社がある。その交差点からすぐのところに路地がある。路地をちょっとはいったところに「YAMATOYA」がある。
入り口はそっけない。いかにも客を歓迎していない。勇気を出してドアを開けた。するとそこには懐かしい、ジャズ好きによる、ジャズ好きのための、ジャズ喫茶がおとぎの国のように現れた。
思ったより広い。カウンターに座る。一番奥にはレコードライブラリー。なんと8千枚あるらしい。
客は私と同じくらいの男性一人。あとふっくらとした私と同じくらいのマダム。
曲は「Kind of Blue」。
演奏は、マイルス デビス。コルトレーン。ビル エバンス。
レコードジャケットをよく見ると、マイルスのサインがある。
「マイルスのサインですね」
「昔、京都にコンサートできたんです。もう晩年で、歩けなくて、抱えられるようにして、きたんです。こりゃ駄目だと思って帰ろうとしたら、演奏が始まったとたん、舞台の上を走りまわるんですよ。懐かしいですね。そのとき、サインしてもらおうと思ってレコードを4、5枚もっていったら、このレコードがいいってサインしてくれたんです。」
会話がぽつりぽつりと繋がっていく。
どうやら、先客の男性は「青春切符」とやらで、広島からやってきているらしい。ややなじみの客であるらしい。
私はジャズ喫茶では寡黙である。ただし、気難しくはない(つもり)。
タイムスリップは気持ちいい。今年になって低空飛行を続けていた体調も気分も、少し上向き加減に変わった。
「五木寛之さんはこられるんですか」
ミーハーさはつい出てしまう。
「今度宝ヶ池に講演で来られるらしいですよ。」
「マンションはすぐ近くですよね。」
「そういえば東京のファンの人がすぐ下のマンションを買ったらしくて、私は追っかけですからといってました。」
どうやら、私はミーハーの初級であるらしい。上には上がある。
http://mogas3.blog23.fc2.com/category9-3.html
まだあった jazz spot YAMATOYA 2011年02月10日
52番街、しあんくれーる、ZABO、マンホール、など私が学生だったころ京都には多くのジャズ喫茶があって、いい暇つぶしの場所でした。
みんな廃業してしまったのですね。
ただ左京区の熊野神社近くのYAMATOYAだけは、まだやってるみたいなので、覗いてみました。
あの頃YAMATOYAは、後発の比較的新しいジャズ喫茶でしたが、今や一番の老舗になってしまいました。
はや40年近くの月日が流れているのです。
五木寛之の小説に登場したことでも有名です。
あの頃は1階と2階があって、わたしは2階の方によく行ってました。
今は1階だけで営業されていて、2階は「奇妙な果実」というよくわからない店になっていました。ジャズナンバーと同じ名前ですが、ジャズ喫茶ではなさそうです。
今のYAMATOYAはジャズ喫茶というより、ジャズが流れる普通の喫茶店という感じです。
時の流れをかみしめながら、ゆったりとした気分でジャズを聴くことができて幸せでした。
http://oshimechan.dreamlog.jp/archives/5004506.html
jazz spot YAMATOYA [マッチコレクション(ジャズ喫茶)] 2008-10-11
いつも思い出のジャズ喫茶のお話ばかりでしたが、今回は今も頑張っておられる現役のジャズ喫茶、創業40年近い京都、熊野神社近くにあるYAMATOYAさんです。
前回来たのは昨年春です。その後何回か来ているのですが、どういうわけかいつもお店の定休日の水曜とパッティングしてしまって、ようやく今回久し振りに訪れることが出来ました。
と言っても、あちこちであれこれ用事を済ませ、やっと辿り着いた頃、露地の入り口は早い秋の夕暮れが迫り、看板に灯が灯っていました。
まだ2回目なのに、入っただけで懐かしさに包まれます。フロアには数組の客、奥のカウンターにも一組、そしてカウンターの中にマスター夫妻、前回は奥さんだけでした。私はカウンターの一番端の席に腰掛けました。
(店の奥にあるアンティークなオーディオコーナー、数え切れないレコード群と夢のようなオーディオ装置です。この写真は、前回来たときママさんに許可を得て撮らせていただいたものです)
街中を歩き回って来たので、席に着いたときはほっとしました。マスターがその場で引き立てのコーヒーを入れてくれます。おいしいコーヒーを飲みながら、Jazzに耳を傾けます。
かかっていたアルバムジャケットは見たことがないものでしたが、典型的なハードパップの演奏です。お店自慢のバイタボックスのスピーカーがアンティークなアップライトピアノの両脇で暖かみのある音を奏でていました。
座ったカウンターがこの前よりスピーカーよりだったせいか、音はこの前より大きくはっきりと感じられました。とくにベースの音が一音一音しっかりしていて、つま弾く音に粘りと心地よい伸びが感じられました。聞いていて気持ちよくなる音です。
一時、お客が私一人になり、ママさんも引き上げられたのでマスターが話しかけてこられました。マスターとは初めてなのに、同世代(たぶんマスターの方が上なのでしょうが)同じジャズ仲間、ずっと昔からの知己のような気がしました。
昨年来たとき、露地を入っていったところで、デジャブのように前に来たことがあると感じました。もう30年ほど昔の話です。その時の記憶が正しければ、そのお店は2階建てでした。それで今回そのことをマスターに聞いてみたら、やはり昔は二階もやっていたそうです。二階を閉めてからもう20年近くなるのだそうです。
曲はフィニアス・ニューボーン・JR.の「A World Of Piano」に変わっています。以前から欲しいと思いながら、まだ手に入れていないレコードです。聞いたらよけい欲しくなりました。
マスターとお喋りをしながら、もっとゆっくりしていたかったのですが、帰る時間が迫っていたので、フィニアス・ニューボーン・JR.の演奏が終わるのを待って、席を立ちました。
コメント
30年ほど前に行ったかすかな記憶では店はもっときらきらしていた気がします。今は、アンティークな雰囲気に年輪が備わって、至極しっくり来ています。音も、暖かみのあるジャズを聞かせてくれます。
by 空兵ーS (2008-10-11 20:55)
お店の中の佇まいがとても良いですね。
煉瓦の色調が落ち着いた雰囲気を醸し出しているように思われます。
こんなお店で、過ごす時間は何物にも代え難いものですね。
そこには、暖かさもあり。
ところで、一枚目の写真の奇妙な果実の看板気になりますね。
by イチロ (2008-10-11 21:22)
オーナーが意図したお店の雰囲気が、年輪とともにますます深みと暖かみ、落ち着きのようなものを増してきているような気がします。
「奇妙な果実」の看板は、何なんでしょうね。たぶん、このお店の二階部分、以前はジャズ喫茶だったところだと思うのですが。art work shop とありますが、今は使われているのかどうか・・・
by 空兵ーS (2008-10-11 21:58)
おぉ〜!これぞジャス喫茶ってイメージのお店ですぅ♪
路地にあるってとこもピッタリな感じで。店内、照明も家具もオーディオの種類も、完璧なまでにマッチしてますねぇ。煉瓦の棚? なんだかニューヨークっぽいです☆ 時間やいろんな拘束を忘れて、好きな音楽とお茶でゆっくりできる場所、最高ですよねぇ
by FUCKINTOSH66 (2008-10-14 11:07)
FUCKINTOSH66 さん
歴史もあって、本当にぴったりのジャズ喫茶という感じです。
煉瓦の棚?はたぶんオーディオ用で、振動を排除するためではないかと思いますが、素敵なインテリアにもなっていますね。
この日は長くいたわけでもないのですが、このお店の音が気持ちよくて、すごくゆったりした気分に浸れた気がしました。
by 空兵ーS (2008-10-15 20:15)
http://sorahei-s.blog.so-net.ne.jp/2008-10-10
健在なり【YAMATOYA】
丸太町通りに出ている看板
このあたりはかつてJAZZ喫茶がいくつもあったところである。
久しぶり(10年以上)に訪れてみると、YAMATOYA と ZAC BARANが健在であった。
学生時代にYAMATOYAはその雰囲気(調度品等)が大人びていて、長居がしづらかった。
照明を落として何とか本が読める程度(それもかなり、難しい)、これぞJAZZ喫茶の王道である。
ピアノの形をかたどったメニュー。フラッシュがなかったので?????
かつて1階が YAMATOYA で、ここの2階がはいから亭としてフュージョンをかけていた頃は知っていた。それ以前の様子を『ジャズ喫茶に花束を』(村井康司著 河出書房新社 2002年)を読んでいて、店主の熊代忠文さんの話で知った。
現在、2階になっている【奇妙な果実】が本来のYAMATOYAが開店したスペースだったそうだ。
ここ、ここ、ここです。
スピーカーの VITAVOX や内装の煉瓦といい、椅子のくたびれ具合といい、齢を重ねて生き延びてきた一種の“文化”を感じた。
私の滞在時も、けっこう高齢の方の来客もあり、いまブームのカフェの雰囲気とは一線を画した異空間である。
ぜひともこのままの状態を保ちつつ、もっとリピーター+新規来訪者が増えることを祈る次第。
http://www.geocities.jp/sjtsunoda/jazzshop/yamatoya-kyoto.htm
京都・岡崎 「jazz spot YAMATOYA」でコーヒーを
わたしの好きなもの | 2007.02.25 Sunday 21:46
「京都・広小路」が、昨日のS新聞に出ていました。立命館大学広小路学舎があったところです。「二十歳の原点」(高野悦子)の時代がテーマになり、荒神口の角にあったジャズ喫茶「しあんくれーる」も登場していました。きょうもクルマで通りましたが、ここにあったのかというほどの狭いスペースは、数台分の駐車場になっています。 木屋町四条にあったクラシック喫茶「みゅーず」も姿を消しました。
岡崎にある「jazz spot YAMATOYA」は、昔のままです。
わたしが学生時代を送った70年代ですら、すでに「幻の名器」だったバイタボックス製の「クリプシュホーン」が正面に鎮座しています。磨き抜かれた木目が美しい家具の風情です。
コーナーに置くようにできています。上部には、中高音用の横長のホーンがはいってます。低音は、曲がりくねったボックス内のホーンを通って、両側から出てきます。
アコースティックな音がします。悪く言えば、低音は響かず、高音は抜けません。それでも、ピアノ・トリオの音は、人の温もりを帯びていて、いつまでも安心して聞いておれます。
マッキントッシュの真空管プリメインアンプ「MA2275」です。
LPがのっているターンテーブルは「ガラード401」。アームは「SME」。カートリッジは「シュアー」と、あまりにも教科書通りの組み合わせです。
すぐ近くにあった音楽高校に通った女房は、「昔とちょっと場所が違うみたい…」と、ママに聞いてました。でも、30数年前の開店当初からここにあるようです。
Comments
return to forever さん
カフェはあちこちにできても、喫茶店は減る一方です。YAMATOYAのような雰囲気のある店は、いつまでも続いて欲しいですね。
taya | 2007/07/14 03:37 PM はじめまして,
昨日初めてYAMAYOTAに行ってきました。以前から行きたいと思っていたのですが,やっと実現しました。
注文と同時に豆を挽いていただいてそしてゆったりとJazzを楽しむ至福の時間でした。レコードのノイズが味があって柔らかい音を聞かせてもらいました。
お客さんはあまり入っていない(私たち以外は常連っぽい人が二人)ようでしたが頑張って欲しいですね。
return to forever | 2007/07/14 09:22 AM イメルダさん
YAMAYOTAが今もあるということを知り、感動しました。
学生時代、この近くに下宿していました。
この界隈と周辺等で30年前からあるお店
竹村さんというお茶屋さん
ヴォワチュール(ケーキのある喫茶店)
百万遍の進々堂(当時の友人の息子が、 最近はアルバイトをしている)
聖護院八ツ橋(大学から下宿に帰ると、シ ナモンの香り)
なくなったお店
荒神橋の「しあんくれーる」
四条の「みゅーず」
銀閣寺の「ゲーテ」
百万遍の「ランブル」
吉田神社前の「ナカニシヤ」
熊野神社の近くに千円以上するソフトクリーム屋さんがありましたが、今はどうなっているでしょうか。
年齢を感じながら、再びその場所を確認してみたい気分です。しあんくれーるの跡は、狭い駐車場とのことですね。
イメルダ | 2007/02/26 10:23 PM
http://dot.hobby-web.net/sb/log/eid589.html
京都ジャズ喫茶 yamatoya 2008/1/4(金)
年末京都旅行 くろ谷 金戒光明寺 からの帰り 歩いて 平安神宮裏まできて 歩いていたら 歩道にジャズ喫茶の看板 を目にして ジャズ好きの浄 顎堂にとっては ラッキー! てな感じで 横道に入った
「yamatoya」
いわゆる オーソドックスなジャズ喫茶
今までは クラッシックな店の雰囲気 まさにジャズ喫茶はこんな感じだったという
レトロな雰囲気。
その雰囲気に合う女性が一人。
すべてレコードのようだった。マイルドなオーディオの音が響いていた。アンプはマッキントシュかな?アキュフェーズかな? オーディオの素人なので判らない。
エラ のレコードがかかりボーカルは良く響くスピーカーだった。
つぎに ジャズ メッセンジャーズのレコードらしく リーモーガンのペットが鳴り響いていた。
客は浄 顎堂一人。 コーヒーを飲みながら 長時間の散策の足を休め 良いジャズに 美味しいコーヒーで おもわずウトウトしていた。
おじゃまする頃に 一人お客が入ってきた。
オーソドックスなジャズ喫茶は今 全国苦戦している。
夜は ライブをして お酒や軽い食事を出すようになった。
ジャズ喫茶でジャズを楽しむジャズフアンが減り 生き抜いていくのが大変な時代だ。
ジャズ喫茶文化は 貴重な日本のジャズ文化である。
ご健闘を祈って 帰ってきた。
コメント
初めまして。訪問&コメントありがとう御座いました。
私もジャズとオーディオそしてコーヒーは好きで自分でドリップ方式で30年コーヒーを煎れながらジャズを聴いています。
オーディオもYAMATOYAさんの様なヴァイタヴォックスやアルテックのA3と云う超高級な物ではありませんが、アルテックのスピーカーを使用していて別にジャズ喫茶に行く事もないのですが、JAZZと云う文字の看板を見るとドアを開けたくなってしまいます。
2008/2/11(月) 午後 3:40 [ 頑固 一徹 ]
浄 顎堂さんもジャズ喫茶育ちの正統派(?)ジャズ・ファンでしたか。勿論僕もそしておそらくマリガンさんもそうでしょうね。
大音響を独り占めにできる空間、懐かしいですね。
でもジャズ・ファンもオーディオ・マニアも数は少ないですから商売は楽じゃないでしょうね。
ライブのメッカあのブルー・ノートもレストラン・パブに成り下がっちゃいました。ジャズ1本での勝負では勝ち目は薄いのかも知れませんね。
2008/3/6(木) 午後 10:51
http://blogs.yahoo.co.jp/bungibu43/39727146.html
野生のカンタさんの口コミ( 50代後半・男性・東京都 )('00/01 訪問)
京都のジャズ喫茶は東京よりも安かった——以前は
伺ったのは30数年前。
私が新宿のDUGをやめてすぐの頃、大学時代の友人たちと京都旅行に——といっても、まだ私は留年で大学に籍を置いていたが・・・
友人たちは二泊し、仕事のために東京に帰っていった。
私は一人残り、京都の街をぶらぶらとし、まずはこの店に。
DUGに置いてあったこの店のマッチをもらってきたからである。
店に入る。
ジャズがかかっているが、音量は低めである。
DIGや中野のビアズレーのような大音響は期待していなかったが、
もうちょっと大きめにしないとジャズ喫茶とは言えないような気がした。
コーヒーを注文。確か300円だったと記憶している。東京ではジャズ喫茶は当時でも400円が当たり前だった。コーヒーはジャズ喫茶にありがちなドロッとした感じはないが、それほど苦くもない。
今思うと、ジャズをかけている今どきの喫茶店のような感じだった。
コーヒーを飲みながら、DUGにハガキを書き、なんとなく満たされない気持ちを抱きながら、店をあとにし、再び京都の街をぶらぶら。
http://tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26001087/dtlrvwlst/4906301/
ジャズ喫茶「YAMATOYA」が40周年−創業時の価格でメニュー提供 2010年3月1日
丸太町東大路のジャズ喫茶「jazz spot YAMATOYA」(京都市左京区丸太町通東大路東入ル、TEL 075-761-7685)が2010年3月3日、開店40周年を迎える。
同店は1970(昭和45)年3月3日に開店。ジャズが好きだったという店主の熊代忠文さんは「昔はジャズ喫茶が多かったし、ジャズ喫茶をやりたかった」と振り返る。父親が質店の「大和屋」を営業していたことから、名前を残してジャズ喫茶を開いた。初めは客が入らなかったが、雑誌「平凡パンチ」の京都特集で紹介されて以来客が増えるようになったという。
当時のジャズ喫茶は客同士が話しのできない店が多かったが、東京に話しのできるジャズ喫茶が増えたことで、同店も話しのできる店(1階)と話しのできない店(2階)に分けて営業していた。その後1階と2階の店を統合し、現在1階は店舗、2階は貸しギャラリーとなっている。
40周年を迎える3日当日は、創業当時の価格でメニューを提供する。コーヒーやソフトドリンクなどは200円程度、ビールなどのアルコール類は300円程度となる。
熊代さんは「元気な限り、店を続けていきたい」と話す。
http://karasuma.keizai.biz/headline/1009/
キューブ 2002.1.17
京都といえば学生の町。JAZZ喫茶が多いところでした。
しかし、ここ何年かで急激に減ってきたように思います。しあんくれーるも10年前に消えたし。。。
60年代に全盛だったお店で、いまも生き残ってるお店の一つがYAMATOYAです。
雰囲気もそのまま。コーヒーもうまい。
JAZZ喫茶と知らず来る学生も少ない。また根強い常連さんもあるのか、学生時代からYAMATOYAファンのおじさんも出入りする「良い店」である。
いの さすが京都 2002.4.17
この春、京都に来ました。
それまで東京でもいろいろなところに行きました。
でもここが一番シックかな。
クラシック喫茶かと見まごう内装に、落ち着いて上品な奥さん。
初めて入ったにもかかわらず、きさくに話しかけてくれました。
音響もいいです。
新譜はないかもしれません。
でもぜひもう一度いきたくなりました。
きんしろう いまはよいところです 2003.7.24
京都に大和屋あり日本に大和屋ありですぞ、ぼくもむかしはよく通ったものです。
一時はvitavoxに傾いた時期もありましたが、やはり高価ですのであきらめました。
やはり最近はjazz喫茶も減りましたねー。これも文化の流れですかねー?
大和屋はしゃれた店ですねー。その道の方は一度は行ってみてはどうですか?
JOJO YAMATOYA 2007.4.30
店内はアンティーク調のつくりでとても落ち着く雰囲気です。
特にスピーカーのヴァイタボックスでしょうか。とても自然な音場感と温かみのある音でずっと聞いて居たくなる音です。
自宅のシステムはアナログに切れとエネルギーを求めた現代的なシステムですので、ある意味で対極にあるこのような音にも本当に惹かれました。
京都の土地柄にもぴったりとマッチした趣があり、また訪れたいお店です。
淀小僧 久しぶり 2007.9.21
就職したての頃、先輩に教えられてヤマトヤさんに良く通いました
其の頃下宿で大きな音でジャズを聴く事が出来ず欲求不満状態が続いていました
2階に上がってドアを開けると蹴っ飛ばされる様な大音量・・・・コレダ・・
曲目は覚えていませんがトランペットのアタック音がこんなに迫力有る物か、今まで学生時代に自宅でダイヤトーンの16センチと自作真空管アンプで鳴らしていた音は、ビックリの連続でした
昨日2007年9月20日の昼下がり岡崎の美術館で堪能した帰り道思いついて何十年ぶりに寄らせていただきました
一階に変わっていてビックリ
なかに入って音量が小さいのにビックリ
以前はジャズを聴かなければ入れない雰囲気だったのが気軽に誰でも入れる雰囲気にビックリ
何だか以前のイメージでお邪魔したのでビックリの連続でした
京都のほとんどのジャズ喫茶が潰れた今、ジャズも聴ける喫茶店として経営変更されたんですね
本物のジャズが聴ける店として京都が誇れる店ですね
ちなみにホットコーヒーは600円でした(安い)
じぁずじじ 今は昔 2009.7.21
その昔初めてYAMATOYAに行った時、まだ2階だけでスピーカーも小さかった。
客は一人だけだったせいか、店番をしていた能代さんが、LPを数枚抱えてきて、どれか聴きたいレコードがありますかと言ってくれたけれど、どのレコードも知らないものばかりだった(笑)
10年後行ってみたら壁一面灰色のスピーカーのお化けで大きなホーンが突き出ていた。
それから行ったことはないのだが、うわさではなんとおしゃれなジャズがBGMに流れているだけだそうだ。
http://www.jazzsoda.com/cafe/yamatoya.htm
JBLさんさんの口コミ( 大阪府 )('09/04 訪問)
バイタヴォックスから流れるJAZZとコーヒー!
VITAVOX CN-191 Corner Hornは内部が複雑怪奇なクリプシュフォーンで出来たスピーカーで往年の名機の一つでした。そのスピーカーでジャズが聞けるカフェとして40年近くの時を重ねて来たお店は昔の重厚な佇まいを色濃く残していました。流石に当時の澄んだ音には比べ様はないですが、ロングフォーンの音は今も健在でした。
ホットコーヒーをオーダーすると、一人分の豆を挽く事から始まるお店では、香り立つとても美味しいコーヒーが時間を掛けて出てきました。酸味のない濃厚なコーヒーは芳醇な香りを放ち、A列車の調べに乗りながら頂きました。コーヒー専門店以上に旨いコーヒーは、積み重ねられた歴史の味が致します!
懐かしい薄暗いジャズ喫茶の世界がタイムスリップしたかにYAMATOYAには残っていました。
ご馳走様!美味しかったです!懐かしい良い音でした!
http://tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26001087/dtlrvwlst/927000/
2012-01-23 YAMATOYA 最後の夜
京都のJAZZ喫茶、YAMATOYAさんに昨夜、行ってきました。
YAMATOYAさんは、言わずと知れた京都最古のジャズ喫茶です。
大学生で京都に出てきてから、まず最初に訪れたジャズスポットであり、大好きな場所です。僕は、高校生の時からジャズ喫茶に憧れており、今もその気持ちは薄れておりません。60,70年代の京都のジャズ喫茶全盛期時代に青春を過ごされた方がとても羨ましく思います。
00年代の僕にとって、ジャズ喫茶体験ができる数少ない場所はYAMATOYAさんでした。初めて大きな高級なスピカーでJAZZを聴いた場所であり、そのころの10代の僕がはじめて入った大人の空間でした。
そんなYAMATOYAさんは昨夜をもちまして一時休業されます。
店内を大改装するようです。
昨夜の店内は、40年分の熱い想いを持たれたお客さんでいっぱいでした。
一人ひとりがマスターや奥さんに「ありがとう」と声をかけておられました。
みなさん、最後の夜をかみしめるように過ごされていました。
昨日の夜で、京都のJAZZシーンをいっそう盛り上げたいという気持ちが沸き起こりました。
40年分の歴史が詰まった建物が改装されるのは残念ですが、また秋頃、新たに生まれ変わるYAMATOYAさんにお目にかかれるのを楽しみにしたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/cojijazzrecord/20120123/1327314208
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4. YAMATOYA のモデルになったのは あの伝説の京都「ビッグ・ビート」
京都のJAZZ喫茶
JAZZを聞き始めたのが、60年代半ば。その頃、JAZZ喫茶が全盛でした。
私が初めて行ったJAZZ喫茶は、「BigBeat」でした。
同志社の近く、今出川新町を下がった市場の2階に在りました。
12月の寒い日で、中に入るとがストーブが燃えていて、クリスマスツリーが輝いていて、暖かくとても居心地が良かったのを覚えています。
コーナーにはTANNOYのスピーカーが置かれていました。
その後、スピーカーはJBLパラゴンに変わります。
アンプはマランツとマッキントッシュの2系統で鳴っていました。
丁度アンプを切り替える時に居合わせた事があるのですが、
マランツで鳴っていたのが、switchで瞬時にマッキントッシュに、切り替わったのですが、突然、楽器がくっきりと浮かび上がったのに驚きました。
その印象は今でも残っています。
今でもマランツはJAZZに向かないと思っています。
他にも京都にはJAZZ喫茶がいっぱいありました。
長くなりますが、思い出すままに書いてみます。
同志社の近くには、「SM SPOT」と言うマイナーな小さい店が在りました。
真っ暗な店内に、サングラスかけたマスターと言う店でした。
アルバート・アイラーやマリオン・ブラウンを、リクエストして架けて貰ったのを思い出します。
もう一つ同志社の近くに、「52番街」と言う店も在りました。
週末にはライブ゙が有り、当時ライトミュージックコンテストで優勝した
同志社軽音楽部のメンバーが主に演奏していました。
後にプロに転向した向井滋春さんがメンバーでした。
同志社から南に下がると、荒神口に「シャンクレール」が在りました。
JAZZ喫茶の老舗でした。
さらに河原町を三条まで下がると「BIG BOY」が在り、
JBLオリンパスでソニー・クリスの「I'll Catch the Sun 」を、
心地よく聞いたのをお覚えています。
河原町沿いには、「蝶類図鑑」・「blue note」も在りました。
四条通りに行くと、大丸の向かいに「The Man Hall」が在りました。
ここもJBLオリンパスで、当時廃盤だったウォルト・ディッカーソン の「To My Queen」を架けて貰った覚えが有ります。昨年、このアルバムがCDになって発売されているのに気付き、早速買って40年振りに聞きました。
もう一筋下がると「シロハウス」が在りました。
夏の暑い日、開店の準備不足?かエアコンの故障だったか忘れましたが、暑さ凌ぎに大きな氷柱を置いていたのを思い出します。
最後に、今でもJAZZ喫茶を続けてられる「YAMATOYA」さん。
当時の巨大なALTECが懐かしいです。
昨年20年振りに伺いました。
今はクリプシュホーンで上質なJAZZと美味しいコーヒーが楽しめます。
上の写真のマッチは 「YAMATOYA」さんが開店の時に配られた、記念の徳用マッチです。
http://ssknmn.exblog.jp/10288821
京都「ラッシュ ライフ」のマスターは京都のジャズ喫茶の草分けを自認している方のようで、ちょっといろいろ聞いてみたいな、とも思っていました。
マスターはかなり特徴のある人で、少々引っかかるところもあるのですが、後出し的な勝手なことを書くのは公平を欠くので、できるだけ会話に出てきた事を書いてみます。
・京都ジャズ喫茶の草分けという意味は、現在残っている最も古いジャズ喫茶は自分のラッシュライフ(最初はシュガーヒル)とYamatoyaだけである、という事らしい。
・マスターが最初開いたジャズの店は、シュガーヒル(東山三条、1966−7年ころ、19歳の時)、それからマッコール(これは知っている、当時行ったこともある)、そしてラッシュ・ライフへ
・知っている最も古いジャズ喫茶は、ダウンビート、
昭和24年(1949年、四条小橋)ころの開店で、お客は米軍人が多かったらしい。しかし、1980年代まで残っていたはず。マスターはこの店で12歳ころからジャズについて学んで行った。他に古いところでは、スルガヤ、コハク、などがあった。
・シュガーヒルを開いた時には、既にBigBeat,Yamatoya,シャンクレールなどがあった。BigBeatにはお客で行っていた時期がある。
・BigBeatについて:あのマスターは本来ジャズ好きではなかった、
クラシックの方が好きな人だったが、当時ジャズ喫茶が、非常にはやってきたので、ジャズ喫茶を開いた。つまり、店を開いてからジャズを聴き、勉強し始めた。
突然閉店したのも、もともと好きではなかったし、段々ジャズ喫茶が廃れて来て、やめたのではないか?
・シャンクレールも同様で、素人の女性が、ジャズ喫茶がはやってきたので開いたのだろう。
と、なかなか厳しい。
マスターは人の良さそうな笑顔のマスターとは違い、ちょっと談志的な感じで、12歳から訳もわからずジャズを聴き始め、ジャズが好きになり、京都のジャズ喫茶の全盛時代(?)の1966年ころにシュガーヒルを開店し、結局今も生き残って息長くジャズ喫茶を継続しているのは、Yamatoyaと自分のラッシュライフのみである、と言う強い自負が表に出ているようだ。
私と同じ65歳、但しジャズ暦はマスターは12歳から、私は20歳から。
確かに、そのころから今までに、非常に多くのジャズ喫茶が開店し、閉店して行った、その中で、今もジャズ喫茶をやっている事はかなりな事だろうと思う。
シュガーヒル、マッコールズ、ラッシュライフと変遷を重ねながら、Yamatoyaと並んでまだ店を続けている。
私は、シュガーヒルはまったく知らず、マッコールズには多分数回は入っていると思う。
近くに、カルコもあったはずだ。
http://jazzangya.jugem.jp/?month=201112
古いジャズ批評Vol.13ジャズ日本列島1972年(昭和47年)を見てみます。
この雑誌に載っているジャズ喫茶です。
京都が、28店、大阪が20店。
人口比では、圧倒的に京都がジャズ喫茶の密度が濃いです。
そして、私は1964年頃から京都に住まい、1968年卒業・就職、1970年には京都の工場から東京本社へ転勤ですので、1972年には既に京都に住んではいません。
赤線が、私が行ったことのあるジャズ喫茶です。
まだ、ビッグビートも、シャンクレールも、ヤマトヤも、蝶類図鑑も、マッコールズ(McCall’s)もカルコ(Carco)もありますね。
懐かしいですね。
最も良く行っていたビッグ・ビート。
最初の入り口だったシャンクレール。
真っ暗な蝶類図鑑、
壁いっぱいがスピーカだったYamatoya、
四条の裏通りのシロ・ハウス。
数回行った、マッコールズ、カルコ、メルヘン、SM spot、
卒業して初めて知ったビッグ・ボーイ(京都に行った時は必ず行っていた)・・・。
ラッシュライフのマスターの修行場ダウンビートもしっかり載っています。
この雑誌のレポーターによると、
ビッグビートは本格ジャズ喫茶で1,2を争うシャンクレール、17年の伝統、<ダウンビートより古いのか?>
Yamatoya、デキシー、スイングから前衛まで
ダウンビート、開店16年目、京都のジャズのメッカだったが、取り残されている<マスターの1949年開店説と異なって、1956年開店となる>
McCall’s,京都で最も早くブルースをレパートリーに加えた、粋な人たちが集まり、時折マスターたちが演奏する
Carco’20、主としてデキシー、スイング、ブルース、アンティークな作り<確かにおもしろい店だった>
などなど。
何か、Yamatoya,McCall’s, Carco’20にブルース、デキシー、スイングが共通に流れていますね。
HPのHistoryを見ると、その他の状況が書かれています。
http://jazzangya.jugem.jp/?month=201112
1966年4月号で、
『「富田英三のジャズ喫茶漫歩 G」だんもだんも、京都KYOTOの西洋的ママとひげのマスター』
というジャズ喫茶巡りのルポにビッグビートが出ていた。
この「西洋的ママ」と言うのがシャンクレールのママさんで、
「ひげのマスター」と言うのがビッグビートのマスター、斎藤宏氏なのです。
これも懐かしい、「シャンクレール」。もはや顔は覚えていないが・・・。
下のイラストも、丁度同志社の前の電停(路面電車の駅)のまん前にあった。
私が生まれて初めて入ったジャズ喫茶なのである。
そして右ページが我が「ビッグビート」である。つまり、スイングジャーナル的には、京都の二大ジャズ喫茶とは「シャンクレール」と「ビッグビート」だったわけである。
ここからビッグビートが始まる。
そうなのです、スーパーができる前、今でも下町のところどころに残っていますが肉屋と魚屋と八百屋などが集まったマーケットの上に、外階段を上ってビッグビートに入るのです。
下のイラストで見ると、階段の手前で右に行くとそのままマーケットに入ります。外階段を上りながら、今日はどんなジャズが聴けるのか、とわくわくしながら登ったのです。
下がビッグビートの内部のイラストです。
かなりイメージが違います。多分、手前の左が登り階段に通じているはずで、イラストでは右奥に左側のスピーカー、そして見えないですが手前の右に右のスピーカーがあるはずですね。
私の当時では、階段を上がり、今のイラストの手前の二人の所に、あの勇壮なるJBLパラゴンが鎮座していた、と思われます。
そしてテーブルがそのパラゴンへ向かって、基本的に学校スタイルで並べられていた、と記憶しています。
うー・・・・懐かしい、45年前。
コメント
私にとっては何とも懐かしい記事です。
開店の頃からのビッグビートの常連だったので、オーディオの変遷も少しは憶えています。
ただ、正確なパラゴンの導入時期は思い出せませんが。KEN
2010/05/13 8:59 PM
おお、遂に生き証人が現れました。開店の頃から、と言われるのがすごいですね。開店が1965年6月10日として、私が行き始めたのが多分1967年頃ですので、スピーカーは1年とか2年で変ったと思うのですが、感覚として合っているでしょうか?
閉店の頃もやはり通っておられたのでしょうか?Takashi
2010/05/18 12:37 PM
開店当日のことは知りませんが、烏丸今出川在住の高校のオーディオ好き同級生から近くに面白い店ができた旨教えられ通うようになりました。
最初のうちは、タンノイのモニターレッドをコーナー型バスレフ箱に入れて川口無線が売り出していたものを使っていました。タンノイ純正のバックロードホーンと違って、レッド特有の結構固い締まった音がしていましたね。
プリ、メインはcitationのアンプ(回路に凝りすぎてあまり売れなかったというので有名)でした。
その後、オリンパスのS8Rが導入されるのですが、これはもうひとつマスターのお気に召さなかったようで、すぐにパラゴンへと変わりました。KEN
2010/05/18 8:30 PM
肝心のパラゴンの導入時期ですが、実は私、搬入・セッティングの日に偶然現場に居合わせたにもかかわらず、その年や季節が思い出せないのです。
いつものようにビッグビートに顔を出したら、搬入の真っ最中で、マスターには、今日は帰ってくれと言われたのですが、奥さんが取りなしてくれたおかげで、その組み立て・音出しにつき合うという貴重な体験ができました。
同じユニット構成なのに、オリンパスに比べてはるかに凄みのある音がすることに驚いたのを憶えています。
また、奥さんも相当なオーディオマニアであることをその時知りました。閉店の方は、しばらく行かなかったら、無くなっていたのでショックでした。
閉店の事情については京都のジャズ通には、ある程度の情報が入ってきましたが、熊代さんが知らないというのは初耳です。KEN
2010/05/21 3:25 PM
KENさん、どうもありがとうございます。噂の話とは言え、厳しい話ですね。
Takashi
2010/05/22 11:06 PM
私にとってのビッグビートとは。
私も若い頃は随分ジャズ喫茶巡りをしましたが、オーディオを別にしても、私が理想とする、硬派・ストイック系ジャズ喫茶としてビッグビートは別格でした。
それには、マスターの風貌、風格、謎めいた寡黙さも大きく関わっていますが、店の雰囲気も完璧、高校低学年だった私はリクエストをあまり待たずにかけてもらえるようになるまで2年ほどかかったと思います。それでも頻繁に通わざるをえない吸引力がありました。
ましてや音の凄さにいたっては何をか言わんや、あれは単に「パラゴン」で括るような音ではなく、「ビッグビートのパラゴンの音」という、まったく別次元の音でした。
オーディオマニアに、パラゴンの音をけなす人が結構いますが、不幸ですね。だって、ビッグビートのパラゴンの音を聴いたことがないのですから。
私、ビッグビートが閉店してから、喪失感を埋めるために散々パラゴン喫茶巡りをしましたが、少なくとも私の知る範囲では、彼等の言い分がある程度わかるような次元の音ばかりでした。
トランペッターの近藤等則氏がビッグビートの音の凄さを的確に表現した文章を何かの雑誌に書いており、さすがに音楽家の視点は違うなと感心したのを記憶しているのですが、残念ながら思い出せません。
KEN
2010/05/24 1:31 PM
そうですか、あの音は単なるパラゴンの音ではないと言うわけですか。そういう認識はありませんでしたね、パラゴンだからすごい、としか思っていませんでした。
最近では(この1−2年内で)パラゴンを聴いたのは都立大駅のジャズ喫茶「ジャミン Jammin」ですが、ライブ主体のジャズ屋さんで正直無残な感じでさらされていました(音がどうこうと言う以前でした)。
Takashi
2010/05/28 9:53 AM
パラゴンでよく言われるのは、
「寝ぼけた音」、
「ライオンが洞穴の奥で吠えているような遅い低音」、
「ピアノがキャンキャン耳につく」
などですが、Takashiさんもビッグビートでそんな音は聴かれたことがないと思います。骨格のしっかりしたベース、唸りが目の前の迫ってくるシンバル等、冴えわたった音でしたし、特にドラムの迫力、質量感、実体感の凄さは、ビッグビート以後、私は経験した覚えがありません。
とにかく、うまく鳴らすのが至難のSPであることは確かなようです。
KEN
2010/05/28 12:58 PM
その性能をフルに引き出すのが困難という点において、一般市販のSPの中では、パラゴンはその最右翼に位置していると思います。そして、ビッグビートはそれを十分に鳴らすのに成功した(個人的には日本一うまく鳴らしていた)数少ないジャズ喫茶だと思います。
Takashiさんや私を含め、あの時代にビッグビートに通うことができたジャズファンは、パラゴンが本当はどんなに凄い音を聴かせてくれるのかを体験できたという点で、大いに幸せだったと言えるのではないでしょうか。昔一緒に通った仲間で、今でもあの伝説の音を懐かしがる友人が少なくとも二人います。
KEN
2010/05/29 5:34 PM
そうすると、そのパラゴンをそこまで立派に鳴らしたのは、髭のマスター自身なのですか?あるいは、補助するオーディオのプロの方がいたのでしょうか?
Takashi
2010/06/02 9:28 AM
開店の頃から閉店の頃まで結構頻繁に通い続けましたが、私に限って言えば、オーディオ関係者らしき人物を見かけたことは一度もありません。パラゴン導入の日はヤマハの人達が来ていましたが、SPユニットのレベル設定に、マスターはしきりに注文を付けていました。その時何となく、マスターは特に高音のレベル設定にこだわりのある人だという印象を受けたのを憶えています。
いずれにしても、最初からサイテーションのアンプ(後にはマランツとマッキントッシュに替わりましたが)などというマニアックな選択や、鳴っていたジャズの音質の素晴らしさから考えて、マスターは相当なオーディオマニアだったに違いありません。
しかしながら、そういう話題でマスターと言葉を交わしたことは一度もありません。もちろん、私の方はビッグビートのオーディオ機器群には大いに興味があったのですが、何となくその種の話題は避けた方がよいような雰囲気をマスターから感じ取っていました。
事実、ある時、店内の機器についてしつこくコメントするオジサンが来て、マスターに完璧に無視され、居心地が悪くなったのか、すぐに帰って行くのを目撃したことがあります。
そういう意味では、純粋に、再生された音楽を集中して聴くためだけの、まさに「純ジャズ喫茶」だったと思っています。そのために、音とレコードだけには徹底的にこだわるが、オーディオの世間話などは無用。
Takashiさんも憶えておられることと思いますが、一人で長時間じっと音楽に聴き入る若者がほとんどでしたね。したがって、「会話厳禁」とはどこにも書いていなかったけれど、会話はほとんどなし。複数の客の場合も男同士が多く、男女のカップルは珍しかったように記憶しています。
KEN
2010/06/03 7:44 PM
実は私はビッグビートを知る以前は、ジャズをほとんど聴いたことがないクラシック音楽一辺倒の高校生だったのです。それが、ちょっとしたオーディオ的興味で訪れてみたこの店がきっかけでジャズの虜となってしまったわけです。
といっても最初はジャズは私には難解な音楽でした。しかし、自分だけの空間を身の周りにまとい、容易に人を寄せ付けないマスターの、今で言う「軽いノリ」とは正反対で、能書きを一切たれない独特の寡黙さ、そして、常に一定の手順とポーズで神経を集中してレコードとオーディオ機器を扱う雰囲気が、ガキの私が、当時、まだよく理解しないながらも漠然と抱いていたモダンジャズの世界のイメージにぴったりだったため、だんだんのめり込んでいったのです。
恐ろしく濃くて苦いコーヒーもイメージに合っていました(高校生にはきつかったですが(笑))。
上にも書いたとおり、開店当初の頃のSPはタンノイでしたが、それまで日本のSPのつまったような音しか知らなかった私は、その闊達な音と音量の大きさにも魅了されました。
余談ですが、これと同じSPを40年以上たった今も頑固に使い続けているのが、京都の「blue note」というジャズ喫茶(生演奏が主体)です。もちろん音質は当時のビッグビートにかなうものではなく、音量もずっと小さいのですが、今となってはこのSPは化石的価値があって懐かしいので、ごくたまに訪れます。
KEN
2010/06/03 7:59 PM
ということで、当時私はタンノイの音には十分満足していたのですが、これがJBLオリンパスS8Rに替わった時は、中高音の緻密さとドラムの切れの良さが格段に向上し、上には上があるものだ(あくまでジャズの再生という視点で)と感心しました。
しかし最も驚いたのはオリンパスからパラゴンに替わった時です。
音の緻密さと鮮度感、衝撃音の迫力、低音の質感等、すべてが別格で、本当の生演奏とは別の意味での生々しさを感じることができるようになりました。
タンノイとJBLはまったくポリシーの異なるメーカーですから違って当然ですが、オリンパスとパラゴンは同じJBL、しかもSPユニットはまったく同じなのですから不思議です。
もちろん箱の違いが重要なことも確かですが、ビッグビートがなくなって以後、各所でパラゴンを聴き、がっかりした経験からすると、そんな違いよりも、あの髭のマスターが、神がかり的にパラゴンの能力を限界以上に引き出していたのだと考える方が私には納得がいきます。
最近、パラゴンなども視野に入れてJBLが本気になって作った最高級SP“Project EVEREST DD66000”が人気ですが、確かにあらゆる点で優秀なSPですね。しかしジャズの再生に限って言えば、音の受け手にとって必須の、迫ってくる音の実体感、体で感じる音の質量感という点で、私はためらいなく「ビッグビートのパラゴンの音」に軍配を上げます。
ただし、あくまで「ビッグビートの」という注釈を付けなくてはならないのですが。
昔、京都の小さな市場の2階に突如あらわれ、一部のジャズファンに強烈な印象を植え付けておいて、忽然と消えてしまった伝説のジャズ喫茶。色々な意味で桁外れだったその店を憶えている人、そして懐かしむ人はTakashiさんと私以外にもきっといると思います。
KEN
2010/06/03 8:04 PM
私はとてもオーディオでお話できるような能力を持っていませんが、あのマスターの寡黙で、淡々とした振る舞いに感じていたのは同じような感覚だろうと思います。
今でも、意味もなく残っているシーンは、まだ客が少ないとき、テーブルの高さまで目を持って行き、一直線に並んでいるかチェックしている姿です。何故か鮮明に覚えています。
そうですね、あの音、いつもかなりスピーカーに近く陣取っていた気がしますが、すごかった記憶だけですが、残っています。Takashi
2010/06/04 11:46 AM
>テーブルの高さまで目を持って行き、一直線に並んでいるかチェックしている姿です。何故か鮮明に覚えています。
そういえば、確かにそういう光景が記憶の片隅に残っているような気がします。
私も大抵スピーカーの近くに陣取っていました。パラゴンは50畳ぐらいの部屋で少し離れて聴くものだという意見がありますが、ビッグビートに関しては全然そういうことはないですね。
KEN
2010/06/05 1:37 AM
京都では、一乗寺の「ダウンホーム」というジャズ喫茶がビッグビート以降では有名で、パラゴンを大音量で鳴らす硬派なジャズ喫茶という点ではビッグビートと共通するものがありました。短い期間に激しく燃え、消えてしまって伝説と化したビッグビートと違って、こちらは憶えている人が多いようです。
しかし、この店の音が、ビッグビートと決定的に違っていたのは、中高音がややきつく感じられる点と、低音がもたつくことがある点でした。
でもこれは一般的にパラゴンの宿命とも言われている弱点が少々出てしまったということであって、すでに当時相当数出現していた関西の「パラゴン喫茶」の中ではかなり上位に位置する音であったように思います。
ということは、それだけビッグビートが別格の音を出していた、すなわちパラゴンの弱点を消し去り、その強み・凄みだけを完璧に引き出していたということになると思います。
こうやって書いていると、若いときの思い出が過剰に美化されているだけではないかと疑われる方もいるかも知れません。当然のことながら音なんていうものは好みの問題が大きいですから、私もまったくそれがないとは言いません。とは言え、私は小学校のことからのクラシック音楽ファンで、中学の頃はそれをできるだけ良い音で聴きたいと思って自作なども始めていたオーディオ少年でしたから、音を客観的に評価する能力は高校、大学の頃にはある程度形成されていたと自分では考えています。そして、ビッグビートにはまってからも、オーディオ系ジャズ喫茶はかなり訪問し、冷静に比較していたと記憶しています。
最近もパラゴンの人気は衰えておらず、これを置くジャズ喫茶も増えていく傾向にあります。ビッグビートに迫る音のジャズ喫茶を見いだすこと、それが当面の私の願いです(当面といったのは、「マスターや店の雰囲気」まで求めるのは宝くじの一等を狙うようなものですので)。
KEN
2010/06/08 7:33 PM
ダウンホームは、ビッグビートよりかなり後でできたことは確かですが、重なっていた時期があるかどうかについては記憶が定かではありません。
ただ、部屋の広さ、および床や壁の堅牢度など、条件はビッグビートより良さそうに見えたのに、どうしてこんなに音が違うのだろうと不思議に思ったのは憶えています。
KEN
2010/06/10 9:24 PM
またまた私事で失礼しますが、当時ビッグビートの音に激しく感化された私は、当然のことながら、「いつかはパラゴンを」が目標となり、それがその後のオーディオ趣味の原動力となりました。しかし、無理をすればパラゴンの中古が買える年齢に達してからも、ついに購入することなく、かなりの紆余曲折はありましたが、現在は全く違う方向性のシステムで聴いています。それは何故か?
ビッグビートにパラゴンが導入された1960年代の後半は、まさにパラゴンの全盛期であり、髭のマスターは、その時期に、最も活きのよいピカピカの新品を購入したのです。しかもあっという間にそれを手なずけてしまい、魔法のような手腕で、その能力の凄さを見せつけてくれたわけです。
一方、今手に入るパラゴンは、その宿命とも言える弱点、すなわちユニットの劣化という問題を抱えています。特にウーファーのエッジは張り替えられてしまったものも多い。パラゴンさんの
「俺も若い頃はその方面では恐れられたものだが、今は年をとってしまって持病を抱え、手術も受けて、昔のようにはとてもとても・・・」
という愚痴は聞きたくないのです。昔の基本性能さえ望めないのですから、往年のビッグビートの音など望むべくもない。ということで、JBLは、ユニットだけでもよいから完全復刻版を出してくれないものかと、心底思っています。
とは言っても、今のオールドパラゴンにも十分に魅力はあります。だからこそ、形だけでなく、その音に惹かれるマニアが後を絶たないわけです。
昔のような、体にぶつかってくるような衝撃音の質量感と切れは、引き出すのが難しくても、むせび泣くようなトランペットの音の密度感は今も健在で、うまく鳴らせばパラゴンの独壇場です。
こんなに鳴らすのが難しいスピーカーと、今も必死に格闘しているパラゴンフリークオーナーには尊敬を禁じ得ません。
KEN
2010/06/10 9:26 PM
あの時代は、オールホーンシステムはスピーカーのひとつの理想形でした。
最大の難関である低音ですが、日本では、ゴトーユニットを使い、開口部2m x 2m, 長さ4mのコンクリートホーンをこしらえて、部屋自体をスピーカーの一部みたいにしてクラシック音楽を鳴らすマニアもいました。
パラゴンはそれに比べればホーンがずっと短いので、重低音は望めませんが、それがかえってジャズにはよい方向に作用していたように思います。
いずれにせよ、ジャズの再生においては、ビッグビートの音には、低音ホーンの欠点というものが何ひとつ感じられませんでした。
>総合的な音と言うより、個々の楽器の音が、聞こえてくる感じが良くした、 と言う気がします。
まさにこの点ですね。今のスピーカーが得意とする全体的なフォーカスやサウンドステージの代わりに、個々の楽器の音が迫ってくる。例えばサックスのソロの質量感と密度感。上にも書きましたが、生とは別の生々しさ・鮮明さが、ジャズに没入せざるを得ない刺激を生み出すのです。
これはライブとは方向性の異なるジャズの楽しみ方ですね。あの頃、マイルスやコルトレーンのライブを聴くチャンスは滅多になかったですし、今となっては不可能ですが、音を介してプレーヤーと自分との相互作用が感じられるような再生ができるなら、それは最高の贅沢でしょう。パラゴンはそれを与えてくれる能力を持っていたスピーカーであり、ビッグビートはそれを示してくれたジャズ喫茶であると思っています。
KEN
2010/06/14 9:21 PM
http://jazzangya.jugem.jp/?eid=46
懐かしのジャズ喫茶、京都「ビッグビート」に再会 2010.03.27 Saturday
私のジャズ好きの原点は京都での学生時代、ある意図をもってシャンクレールに入ったのを最初にして、2,3回生の頃から、ビッグ・ビートと言う髭の親父のジャズ喫茶に入り浸りになった事だろう。
卒業して、社会人になって、そのジャズ喫茶は消えていた、ライバル視していた、今の京都のジャズ喫茶「YAMATOYA]のご主人にも聞いたが、あっという間に消えて、その後わからない、との事だった。何かがあったのだろう。
余り足跡が無く、開店の時期もわからない、吉祥寺ファンキーとどちらが先に日本で最初にパラゴンを導入したのかもあやふや。
そしてごく最近、明大前マイルスで45年前の雑誌にビッグ・ビートの広告を見つけた。45年前・・・私が大学に入学した年の1965年のスイングジャーナルである。45年前にこんな広告をしているとは。
コメント
ビッグビートと聞くだけ懐かしいですね。
私もjazzの洗礼を受けたのが、68年〜69年年頃。
同志社新町キャンパス界隈、室町のとある古ぼけたビルの2階(だったかな)
パラゴンがガンガン鳴るビッグビートでした。
大阪から2時間かけて講義にやって来ても、教授が時ならぬ病欠だったりして
時間をもてあました時、格好の時間つぶしは、ビッグビート。
バリ封鎖の時には、終日苦い珈琲一杯で黒レーベルに聞き入ってたこともおましたな。
後にビッグビートが無くなったのは何とも寂しいものでした。
シャンクレール、サンタクロースほか、町中のjazz喫茶を逍遙したことも今では懐かしいです。
YAMATOYAでは、アルティクA5で鼓膜が破れるほど浸ったこともありました。
私らの時代はビッグビートでjazzの洗礼を受けたという連中が結構多かったですね。
sakai 2011/01/16 1:38 PM
http://kame-yume.jugem.jp/?eid=211
私の学生時代、1965年頃(40年以上前になる)、京都で通いつめたジャズ喫茶「ビッグ・ビート」で聞いていたのが、このパラゴンである。
この頃、後のトランペッター近藤等則もよく顔を出していた、また、後で知ったのですが、
ジャズ喫茶Yamatoyaのマスターもその頃通った口で、ジャズ喫茶を開くにパラゴンに対抗できるスピーカー探しに懸命だったようです。
価格は、当時で、確か2百万円、或いはそれを超えるような数字であったような気もする(大卒の初任給が2-3万円の頃のはずです)。
その後何時ごろまで販売していたのか知らないが、相当古いものに違いない。(調べてみたら1958年に発売され1988年までカタログに掲載され、世界で約1000台が販売された)
http://jazzangya.jugem.jp/?cid=57
ジャズ喫茶の系譜
YAMATOYAは私が京都で学生時代にオープンした店でかなり通った店でした。 その店主は、私が最も学生時代に頻繁に通っていたジャズ喫茶「ビッグ・ビート」に頻繁に通い、どうもビッグ・ビートにかなり影響されているようです。
ちょっと心に引っかかっているのは、東京へ転勤になって、あるチャンスに京都に来たとき、そして懐かしの「ビッグ・ビート」に寄ったとき、もはや店は閉じられ、そして、「ビッグ・ビート」が何時頃、どのように閉店になり、 あのひげのマスターはどうしたのか、が分からないことでした。
「ビッグ・ビート」は小さな市場の上にあったので下の市場のおじさんに聞いたら、
「まだ、訪ねて来ている人がいる」
と大声で笑われてしまいました。
YAMATOYAのマスターは、その本の中で、次のように言っています。
『僕が通っていた「ビッグ・ビート」のオヤジはもっと凄くて、自分の好きな順番でしかかけないもんですから・・・
・・・なかなかかからない。かかっても、たとえば「レフト・アローン」が流行っているとき・
・・・・B面をかけたりするんです。
・・・・・僕もそんないけずのところで育ちましたからね。』
『・・スピーカー探しは苦労しました。ジャズ喫茶をやる以上、 よその店よりもいいオーディオ
・・・・僕の良く行っていた「ビッグ・ビート」というジャズ喫茶がパラゴンだったし、それに負けないものというと、もうアルティックのA3しかなかったですね。
・・・・京都のジャズ喫茶はどこも音が良かったんです。
・・それがだんだん東京にも波及していったんです。
・・東京のジャズ喫茶というのは、
・・・あまりいい装置とはいえなかった
・・「ファンキー」の野口君が最初にパラゴンを入れて、それからだいぶ変わっていきましたよね。』
そうなんですね、あの頃の「ビッグ・ビート」のスピーカーJBLパラゴンは超超高級スピーカーでした。
学生時代、多分下宿にいた時間以外では、あの「ビッグ・ビート」にいた時間が 一番長いだろうと思います。 だから、どうしても全く個人的にあの閉店のいきさつ、その後(パラゴンは何処に行ったのかを含めて)が気になるのです。
http://kame-yume.jugem.jp/?eid=39
http://kame-yume.jugem.jp/?eid=40
YAMATOYAのマスターが、自店の開店前、当時のビッグ・ビートに通っておられ、また結構ライバル視していた感じがあったので、どうしてもビッグ・ビートの閉店の顛末が知りたい私は、思い切って、かなり図々しいなぁ、と思いながら、店主の熊代忠文氏に手紙を書いてしまいました。
最初はメールでも、と思っていたのですが、HPも無く、どこにも店のメール・アドレスが発見できないので、いわゆる封書の手紙を送りました。
つまり、図々しいこと、勝手なお願い、とは重々断って、「ビッグ・ビートの閉店時の顛末、マスター、パラゴンの行く末、などご存知でしたら教えていただきたい」と言う趣旨でした。
ありがたい事に、熊代さんからハガキ(写真の絵葉書=写真は裏で文章は表に書いてある)をいただけました。しかし、残念ながら、熊代さんも、何か突然の閉店のようで、その当時ビッグ・ビートの店主にも会うことなく、消えてしまって、熊代氏自身、心に引っかかっておられる様子でした。
(尚、熊代氏はあと10年くらいはお店を頑張る、と言われていました)
http://kame-yume.jugem.jp/?eid=47
嬉しい葉書をYAMATOYAさんから送っていただいた。
今日3月3日が40周年の記念日だそうだ。
同志社大学今出川キャンパスの近くに big-beatというJAZZ SPOTがあった。
スーパーマーケットの2階だったような気がする。
僕がJAZZを始めて聴いたのはここだ。
薄暗くって、煙草の煙が充満していて、大人の場所って感じで随分緊張したものだ。
ここで、JBLのスピーカー、Mclntoshのアンプにお目にかかった。
JBLのPARAGON
MclntoshのC-22プリアンプ 275パワーアンプは美しかった。
と同時に大音響で音楽を聴いたのも始めてだった。
姉のお仲間さんにYAMATOYA さんがいた。
この時はまだYAMATOYAさんを開業してなくてbig-beatのお客さんだった。
僕が高校生の頃にYAMATOYAさんが開業した。
big-beatのノウハウをきっちりとつぎ込んでの開業だったと思う。
僕はYAMATOYAさんが開業してからbig-beatには行った事がない。
いつの間にかbig-beatは閉店していたようだ。
そんなこんなの想いでから40年。
YAMATOYAさんには青春まっただ中の記憶が詰まっている。
http://tanakaprint.jugem.jp/?cid=18
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