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『君の名は』 東宝 2016年
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/663.html
投稿者 中川隆 日時 2016 年 10 月 16 日 21:50:08: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


『君の名は』無料動画
http://www.lldm.com/v/NiDeMingZi/251815.html

監督・脚本・原作 新海誠

音楽 - RADWIMPS


『君の名は。』は、新海誠監督の長編アニメーション映画。2016年8月26日公開


東京の四ツ谷に暮らす男子高校生・立花瀧は、ある朝、目を覚ますと飛騨の山奥にある糸守町の女子高生・宮水三葉になっていた。そして、三葉は瀧の身体に。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら、知らない誰かの一日を過ごす。

翌朝、無事に元の身体に戻った2人は入れ替わったことをほとんど忘れていたが、周囲の人達の反応や、その後もたびたび「入れ替わり」が起きたことによって、ただの夢ではなく実在の誰かと入れ替わっていることに気づく。2人はスマートフォンのメモを通してやりとりをし、入れ替わっている間のルールを決め、元の身体に戻ったあと困らないよう日記を残すことにした。

性別も暮らす環境もまったく異なる瀧と三葉の入れ替わりには多々困難がありながらも、お互い束の間の入れ替わりを楽しみつつ次第に打ち解けていく。しかし、その入れ替わりは突然途絶えてしまう。瀧は風景のスケッチだけを頼りに飛騨に向かうことにし、瀧の様子を不審に思い心配していた友人・藤井司とバイト先の先輩・奥寺ミキもそれに同行する。しかし、たどり着いた糸守町は、3年前に隕石(ティアマト彗星の破片)の衝突により消滅しており、三葉やその家族、友人も含め住民500人以上が死亡していたことが判明する。

瀧は以前三葉と入れ替わった際に参拝した、山上にある宮水神社の御神体へ一人で向かい、もう一度入れ替わりが起きることを願いながら、3年前に奉納された三葉の口噛み酒を飲み下す。

再び(隕石落下前の)三葉の身体に入った瀧は、三葉の友人である勅使河原克彦、名取早耶香の2人とともに、住民を避難させるために変電所を爆破し町一帯を停電させ、町内放送を電波ジャックして避難を呼びかけるという作戦を画策する。しかし、その計画の要である三葉の父(糸守町長)の説得に失敗、父親には三葉の姿をしている別人だと見破られてしまう。

瀧の身体に入った状態の三葉に会うため、瀧(身体は三葉)は御神体がある山を登る。生きている世界には3年の時間差がある2人だったが、なぜか互いの声だけは聞こえており名前を呼び互いの姿を探す。お互い近くにいるのは分かっていながら、見ることも触れることもできない2人だったが、黄昏時が訪れると、入れ替わりが元に戻ると同時に互いの姿が見え、初めて2人は直接会話することができた。

三葉は瀧から住民を助ける計画を引き継ぎ、下山する。計画通りに町を停電させ、避難指示の放送を流すが、その電波ジャックもしばらくしたのち町の職員に見つかり訂正の放送を流され、避難は進まない。三葉は改めて(三葉に入れ替わった瀧ではなく三葉本人から)父(町長)を説得するため町役場に向かう。

瀧が「入れ替わり」という不思議な出来事に遭ってから5年後、そして「奇跡的に住民が避難訓練をしており死者が出なかった」糸守への隕石衝突から8年後へと舞台は移る。瀧も三葉も東京で暮らしており、入れ替わりのこともその相手の名前も忘れていたが、漠然と「誰かを探している」思いだけが残っており、ときおり町中でその相手の気配を感じることがあった。

さらに月日が流れたある日、並走する電車の車窓でお互いを見つけた2人は、それぞれ次の駅で降り、お互いの下車駅に向かって走り出す。ようやく住宅地の階段で互いを見つけた三葉と瀧は、それぞれ歩み寄っていく。すれ違ったところで瀧が話しかけ、互いに探していた相手だと分かった2人は涙を流し、同時に名前を尋ねた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%80%82


『君の名は』ロケ地
http://kininarukininaru.hatenadiary.jp/entry/2016/09/11/%E3%80%90%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%80%91%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E3%81%AE%E8%81%96%E5%9C%B0%E5%B7%A1%E7%A4%BC%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%EF%BC%81%E4%BD%8F%E6%89%80%E3%82%84%E3%82%A2
https://retrip.jp/articles/63875/

もちろん映画の感想は人によって千差万別です。
感動したという人が多いからこれだけ流行るのですが。ワタスは印象は全然違いますた。

なにこの映画。

ガクガクガクガク。
ワタスは、途中からなんだか背筋が寒くなってしまい震えながら見ていたのでした。


この映画のあらすじ。

3年前に岐阜県の糸守町(架空の町)というところに彗星が落っこちて来てそこの住民500名が全滅。

そしてその災害で3年前に死んだはずの女子高生が、なぜか現代の男子高生と夢で入れ替わる。

男子高生はなんだこの夢は?いったい君は誰なんだ?
そうやって夢の中の女子高生に会い行く。

そうして夢の中の景色を頼りに岐阜まで行き、
そこで立ち寄ったラーメン店で男子高生は衝撃の事実を告げられる。

その場所は全滅した町だよ。

ガクガクガク。
ワタスはこのシーンから背筋が寒くなって震えて見ていたのでした。

まぁ、こううことを書くと不謹慎かも知れませんが。
ワタスは御嶽山の噴火を思い出してしまったんですね。


前からの読者さんなら知ってる話ですが、

ワタスは噴火の当日御嶽山にいました。
その当時の模様はこのブログでもレポートしたので覚えているでしょう。

(過去記事: 噴火ナウ)
http://golden-tamatama.com/blog-entry-1623.html

ワタスは当日噴火したのと反対側にいたので、さっぱり被害に合わず無事で帰ってくることができますた。

で、後で知ったことなのですが、噴火で亡くなった人たちは58名もいました。

で、その中にある男子大学生がいました。
噴火後その大学生さんの遺体はいくら探しても見つかりませんでした。

彼には付き合ってる同じ大学生の彼女がいました。
その彼女は噴火の後もずーっと彼の遺体を探しに御嶽山に登っていたのでした。

そして、ある日、死んだ彼が彼女の夢枕に立ってこう言ったそうです。

「僕は龍に連れていかれたからもう探さないで欲しい。」

この話は実際に木曽在住の人から聞いた実話で不思議な話だなぁと印象に残ってたものでした。

ワタスは途中からこの話を思い出してして背筋が寒くなってしまったのでした。

映画の風景も、御嶽山の風景とどこか似ています。

これは御嶽山の火口付近の三の池の風景です。
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%89%E3%81%AE%E6%B1%A0&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjBr-LZqt_PAhUPyGMKHZsbDbkQsAQIRg&biw=1146&bih=668


岐阜高山と御嶽山はすぐ近くです。映画の公開日8/26も御嶽山噴火は 9/27の一か月前でした。

もちろんこれはワタスの単なる妄想ですが。

この映画の糸守町は架空の場所で、モデルは諏訪湖周辺と言われていますが。

本当は御嶽山じゃないのか。
そう思いました。

噴火で人知れず離ればなれになってしまった男女がいた。
その悲しい思い。
誰かに知ってもらいたい。

それを誰かが伝えたくて新海監督に乗り移ってこの映画を描かせたんじゃないのか。
そんな風に思った作品でした。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2546.html

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       ! |  i |i |l l| |`''‐ 、   , イ  |i | |i | i  |. !
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     ,. -'"゙ ゙̄'' ヽi |!l '           ,.--‐' |.i |i | |i ヽ
      /       ! l l ̄ `     、_        | /ノi i.!  |
     ,'          ! |              ,|/ |/i'   |
    i         ` l             .ノ  ノ ' ヽ、 |
    |        ノ     ,...      ヽ、;          ヽ-,
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   @゙!         |::              !::        ノ

カール・グスタフ・ユングは、男性の人格の無意識の女性的な側面をアニマの元型と規定した。男性が持つ全ての女性的な心理学的性質がこれにあたる。男性の有する未発達のエロス(関係の原理)でもあり、異性としての女性に投影されることもある。フィルム・インタビューでユングはアニマ・アニムスの原形が、「ほんの僅かな意識」または無意識と呼んで、完全に無意識のものであるかどうかは明らかにしなかった。

彼はインタビューで、恋に落ちた男性が、女性自身よりも寧ろ自身の無意識の女性像であるアニマと結婚した事に気付き、後になって盲目な選択に後悔するのを例に出した。アニマは通常男性の母親からの集合であるが、姉妹、おば、教師の要素を持つこともある。

ユングはまた全ての女性が精神の中に類似の、男性的な属性と潜在力であるアニムス(animus)を持つと信じた。アニムスは女性の人格の無意識の男性的な側を意味する。女性の有する未発達のロゴス(裁断の原理)でもあり、異性としての男性に投影される。

アニマと比べて集合的であり、男性が一つのアニマしか持たないのに対し、女性は沢山のアニムスを持つとされた。ユングはアニマ・アニムスの過程を想像力の一つの源であるとみなした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%9E


アニマ


 アニマは男性が無意識の中に持っている女性原理──男らしくあるべきという社会的要請によって抑圧された女性的要素──情緒、感情、恋愛などを司るものです。いわば『魂の女性』で、そのアニマに基づいて、男性は心の中に『理想の女性像』を作り上げるといわれています。

 自分のアニマイメージを現実の女性に投影して、恋に身を滅ぼすこともあるそうです。アニマの存在は男性にとって、男性に足りない女性的情動や感情、潤いを補って、完成した人間へと導く存在でもあり、また一つ間違うと破滅の淵に引きずりこんでしまうような、危険な存在でもあるわけです。

 まだ発達していないアニマは、動物の姿や黒っぽい女性だったりすることがあるそうです。男性の夢に登場する女性はすべてアニマと考えてもいいでしょう。

アニムス

 アニマが男性にとっての『永遠の女性』なら、アニムスは女性にとっての『心の中の男性』──女性の心の中に形作られた、内なる男性です。

一般に知性や理念、決断力、論理性などを象徴します。アニマが『魂』なら、アニムスは『精神、ロゴス』であり、女性が成長するため必要な存在です。

アニムスをきちんと認識していないと、やたら理屈っぽいだけになったり、妙な男性に自分のアニムスイメージを投影してのぼせ上がったりと、やはり男性同様危険な側面があるようです。

 アニムスは父親のイメージではじまることが多く、やはり認識されないうちは黒っぽいえたいの知れない男性の姿を取るといいます。女性の夢に登場する男性は、すべてアニムスなのだそうです。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/rush/anima.html

水の中を覗きこむと確かに自分の姿を見ることになるけど、それ以外にも魚、水の精などがいます。水の精は人間を誘惑し、理性のコントロールを失わせます。

それはからかい好きな生き物であって(中略)ありとあらゆる悪戯をしかけ、幸福なまたは不幸な錯覚、抑うつ状態や恍惚状態、コントロールのきかない感情等々をもたらす。

 これがアニマだとユングは言います。しかしアニマは元々、「魂と呼ばれ、なんとも言えずすばらしい不死のものを指している」とあります。

しかしユングによるとこれはキリスト教によって教義化されたものであり、本来のアニマとは違うと言います。本来のアニマは「気分、反応、衝動およびその他の自律的な心的作用の、ア・プリオリ〔非経験的なもの〕な前提である」んですね。

 アニマ元型と関わることによって、われわれは神々の国に入りこむ。

(中略)


すなわち絶対的で、危険で、タブー的で、魔術的になる。

(中略)

世間では無意識に没頭すると道徳的抑制が壊され、無意識のままにしておいたほうがよいもろもろの力を解き放つことになると言われているが、アニマはその無意識への没頭に誘うために(中略)納得させるに足る根拠を提示する。

いつでもそうだが、この場合にも彼女は間違っているわけではない。なぜなら生そのものは善であるだけではなく、悪であるからでもある。

(中略)

妖精が生きている国には善悪という範疇は存在しない。
http://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/50791497.html


人間はもともと両性具有的(シュズュギュイ)なのですが、大人になるにつれてどちらかの性を発達させなければならず、顧みられなかった方の性がアニマやアニムスとして無意識の深奥に封印されるのです。

 アニマの属性はエロスであり、アニムスの属性はロゴスです。

 アニマは男性に情緒性やムードをもたらします。アニマの力によって、男性は想像力を湧き上がらせることができます。一方でアニムスは女性に論理性や意見をもたらします。アニムスの力を借りれば、女性は行動力を発揮することができます。

 さらにアニマとアニムスは、心の深い部分にある元型として、後で述べるセルフと自我のコンタクトを手助けする役割も果たします。

 しかし、アニマやアニムスが自我に取りつくと、自我を守るペルソナが破壊される危険性があります。アニマに憑かれてエロスに魅入られた男性は、アニマの持つムードに冒され、自分の殻に閉じこもって社会に背を向けることがあります。逆に、アニムスに憑かれてロゴスに支配された女性は、アニムスの持つパワーに振り回され、本末転倒な論理をヒステリックに振りかざして社会に無謀な戦いを挑むことがあります。

 いずれの場合も、その場にふさわしいペルソナ形成が度を越えたアニマとアニムスの介入によって阻まれるため、自我が周囲の環境に適応できなくなったり外界の刺激によって不必要に傷つけられたりします。

 アニマとアニムスは、心の成長と共に四つの段階に従って姿を変え、成熟します。アニマの場合は、生物的な段階、ロマンチックな段階、霊的な段階、叡智の段階があり、アニムスの場合は、力の段階、行為の段階、言葉の段階、意味の段階に分けられます。

 つまりアニマは、最初は暗く性的アピールの強い娼婦のようなイメージとして登場し、次により明るく清純な女優のようなイメージに変化し、さらに性的な雰囲気のない巫女や尼僧のようなイメージになり、そして最後に性を超えた光り輝く女神や観音菩薩のようなイメージに昇華されます。

 一方でアニムスは、まず肉体的に逞しく力強いスポーツマンのようなイメージとして現れ、それからより精神的な行動力のある実業家のようなイメージに変化し、さらに教養のある学者や僧侶のようなイメージになり、やがて超越した神や仙人のようなイメージに到達します。

 また、男性にとってアニマはさまざまに姿を変えながらも永遠の女性として唯一存在します。それに対して、女性にとってアニムスは複数の英雄として現れます。

 アニマとアニムスは現実の恋人や配偶者と同一ではありません。この元型的イメージが現実の異性に投影された結果、全ての恋愛がもたらされるのです。

 また、恋愛関係にある男女のアニマとアニムスは相互的な関係にあります。例えばアニマに憑かれた男性は、同じようにアニムスに憑かれた勝ち気な女性に自分の未熟なアニマのイメージを投影し、彼女に惹かれます。一方でアニムスに憑かれた女性は、同様にアニマに憑かれた弱々しい男性に自分の未熟なアニムスのイメージを投影し、彼をパートナーに選ぶのです。
http://relache.web.fc2.com/report/jung.htm


ユングは恋愛感情や性的欲動も、アニマ・アニムスの元型イメージの投影(projection)によって説明できると考えます。アニマやアニムスは、『意識的な人生の生き方・対社会的(対他者的)な適応的な態度』を補償して、その人に精神的な安定感や幸福感を与えてくれるだけでなく、進むべき人生の進路や選ぶべき選択肢を暗示的に教えてくれる存在でもあるのです。

夢やイメージとして体験されるアニマやアニムスは、自己の性格特徴や行動パターンとは『正反対の特性』を示すことが多いとされています。それは、エナンティオドロミアの補償を行って、『心全体の相補性・全体性』を取り戻させようとする自己から独立した機能と無意識の目的性を持っているからです。

『影(シャドウ)』の元型は、『意識的態度に対する同性像のアンチテーゼ』として心にバランスのとれた全体性を回復させようとしますが、『アニマ・アニムス』の元型は、『意識的態度に対する異性像のアンチテーゼ』として自己に欠如した要素や特徴を補って心の相補性を実現しようとするのです。

影(シャドウ)をイメージで体験しているときには、不快感や抵抗感、否定感情を感じますが、アニマ・アニムスをイメージで体験しているときには、幸福感や恍惚感、肯定感情を感じやすくなるという特徴があります。

影(シャドウ)にせよ、アニマ・アニムスにせよ、物理的現実ではなく心理的現実に属するものですが、多くの場合、それらの元型のイメージが持つ感情や影響力は現実世界を生きる他者に投影されます。嫌悪感を抱いているそりの合わない人物には『影(シャドウ)』が投影されやすく、異性として理想的な魅力や誘惑的な特徴を持っている人物に『アニマ・アニムス』が投影されやすくなります。

内面の変容や経験としては、社会常識や性別役割分担などによって社会的に要請された『男らしい生き方(行動パターン)・女らしい生き方(行動パターン)』への反発や抵抗として、無意識領域に抑圧され排除された『反対の性の表象(アニマ・アニムス)』が立ち上がってくることになります。
http://phenix2772.exblog.jp/9847999/


ダンテの「神曲」におけるベアトリーチェはダンテを神の世界に導きますが、文字通り彼女は彼を「案内」します。

ゲーテの「ファウスト」にも最後の一説に謎めいた言葉


「永遠に女性なる者、我らを牽きて上らしむ」


があり、確か後書きだったと記憶していますが、その著者が心理学に深いらしく「この一文はフロイト心理学と関係がある」ような書き方をしていました。これもユング心理学的に言えばアニマになります。

つまり心の伴侶であるアニマまたはアニムスは、人間の心の変化・成長・革命に関係し、その変化を導く働きがあるのですが、ちなみにニーチェは


「私はゲーテの言う『永遠に女性なるもの』の秘密を暴いた最初の人間かもしれない」


と言っています。さらに


「男性は『永遠の女性』を信じるが、女性については『永遠の男性』を信じているのだ」


と、ユングのアニマ・アニムス論を先取りすることを述べています。


アニマの意味する範疇は広く、秋葉原系アニメの美少女キャラクタも勿論、一つのアニマの現れですが、これは多く恋愛・性欲の対象ですので「低次アニマ」と表現して良い物で、この段階では心の成長に関わる機能は殆ど無いと思います。

これがあるきっかけにより、(私の場合は完全に一種の偶然ですが)自分の心の変容が開始するとともに自分が投影するアニマも成長し、より凛々しく、高貴に、そして恐ろしく厳しく成長します。

非常に高次に達したアニマはギリシアの女神アテナのようになると言われていますが、私の経験から言えば「男性と見まごうごとき勇ましい女性」に進化しました。
簡単に言ってしまえば、自分の自我が成長すると、無意識としての伴侶のアニマも成長し、まるで2人で階段を上って行くように感じます。「神曲」にもこのような表現がありますが、非常に多くの錬金術絵画がそれを描いています。

別の言い方をしますと、最初は可愛らしい愛でるべきアニマ(性欲の対象)であるのですが、次第に本人を「告発するアニマ」となり最後には、アニマ対自我の命を賭けた一騎打ちのような様相になります。

中高校生の時は理解できませんでしたが、プラトンの言葉「エロス(美しい肉体への愛)からフィロソフィア(愛智)へ」にも、おそらくこの意味が含まれているのでしょう。

一部のキリスト教でYHWHの妻をソフィア(智)と呼ぶことがありますが、まさにそのような「智」を愛人とするような状態になり、はっきり言いますが、この段階のアニマは外見が美しくとも性欲の対象として絶対に見ないような「凄まじく厳格な人」のようなものになります。

実際、月と太陽が馬上で一騎打ちするような図や、雄雌のライオンが噛みつき合うような図が錬金術にありますが、正にこのように厳しいものであり、「アニマが勝つか自我が勝つか」という状況になります。

このようなことで抜きつ抜かれつつ精神の階段を上って行き、上り切る時、終に自我は「永遠」と遭遇することになるのですが、これがゲーテの愛した「永遠」でありニーチェの言う「永遠回帰」の根拠になっていると考えています。

ユングはこの「そら恐ろしい宇宙のようなもの」を「自己(セルフ)」と呼びましたが、この時言うならば一種の全能感「宇宙と一体化したような気分」になります。(この時が自我インフレーションの極限状態です。)

ユング心理学ではこの自我インフレーションが極大になった状態を「エナンティオドロミー」と呼びます。

ちなみにニーチェはユングより先にセルフという用語を使用しており、また「ツァラトゥストラ」の中で自己(セルフ)を「偉大なる天体=太陽」に喩えています。

ニーチェの永遠回帰(永劫回帰)は、色々と文章的に小難しく解釈する哲学関係者がいますが私はこれは、一つの精神的変容の究極段階に達した状態と深い関係があるものと考えており、この、まるで時間を静止したような、「永遠(∞)=無(ゼロ)」というべき非常に仏教的境地と関係が深いと思います。

これがニーチェが「西洋の仏陀」と呼ばれる理由なのでしょう。 しかしこれは文章に書いただけでは理解不可能であり、実際に体験しないと分からないのですが、経験してみると正にこのようにしか言えないものです。
http://www.seijin.asia/wps/?p=50

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コメント
 
1. 中川隆[4481] koaQ7Jey 2016年10月17日 06:33:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4892]

エンターテイメント日誌
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/


2016年9月10日
【考察】神話としての「君の名は。」〜その深層心理にダイブする。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-0824.html


本作は常に日本の八百万の神(神道)に繋がっている。

ヒロイン三葉の家業は神社であり、彼女も巫女としての勤めがある。苗字の宮水も神社に関連している。そして「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」と叫ぶのは鳥居の下。三葉という名前の由来はミヅハメ、水の女神から来ていると新海監督はtwitterで呟いている。ミヅハノメとは日本神話に登場する神で、『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記する。一方の瀧は都立神宮高等学校に通っている。映画終盤「神前結婚式もいいな」という会話も聞こえてくるし、ラストシーンでふたりがすれ違う階段は須賀神社に通じる参道である。

またこの物語は観客を古(いにしえ)の日本へと誘(いざな)う。三葉の通う高校の古文の授業でユキちゃん先生(「言の葉の庭」の雪野百香里)が教えているのは万葉集。

男女の入れ替わりというプロットは直近では大林宣彦監督の映画「転校生」へのオマージュだが、更に遡ると平安時代に書かれた作者不詳の『とりかへばや物語』にたどり着く。

主人公となるきょうだいの男の子と女の子は、それぞれ、性を逆転させて女と男として育てられる。そして成人したときには、男の子は女官として東宮(女性)に仕える身となり、女の子は立派な男として結婚までする。最後にふたりは入れ替わり、めでたしめでたしとなる。

これは全世界でも稀有な物語である。男装の麗人という設定は西洋の物語にもあるが、例えばギリシャ神話やヨーロッパの昔話に男女が入れ替わるという話はない。

詳しくはユング心理学の第一人者・河合隼雄の著書「とりかへばや、男と女」(新潮選書)をお読みになることをお勧めしたい。

ここで河合の「こころの最終講義」(新潮文庫)より『とりかへばや物語』や『源氏物語』について分析した文章を一部抜粋する。元々は神戸市児童相談所「思春期公開講座」(1993年2月15日)で口演されたものである。キーワードはアニマ・アニムス・ペルソナ(仮面)。


われわれは物事を分類するんですが、その分類の中で、男と女という分類がある。男と女の仕事はものすごく明確に分かれている。男はこうあるべきだとか、女はこうあるべきだ、という考え方で男女を分けて考えている。これはなぜかというと、人間がものを考えるときに分類が明確な場合は秩序を保ちやすいからです。そして男らしい・女らしいという区別はある程度勝手に決めているわけで、絶対的なものではないということも知る必要があります。

平安時代の物語を読むと、男はしょっちゅう泣いています。感心するのは、あそこに出てくる男の場合には、殴り合いの喧嘩をしないんです。そして男は何をしているかといったら、泣くか和歌を作るかしている。

ユングの心理学では、男性にとってアニマというものが女性の姿で現れてくると言っています。アニマとはラテン語で魂ということです。女性にとっては魂のイメージは男性として出てくるといい、それをアニマという言葉の男性形のアニムスという言葉であらわしています。

私が男であるということは、面白い言い方をすると、私の可能性がものすごくたくさんあるなかで、一応男といわれるように生きたほうがいいわけですね。ということは、私は私を男としてつくってきているわけです。それをユングはペルソナという。ペルソナというのは仮面と言ってもよいでしょう。だから私はみんなが言っているような男らしいペルソナをつくってきている。私の魂は私にとっての不可解な、わけのわからないものですが、その魂ともういっぺん結合することによって私の存在自体を回復したいと願うのだったら、それは女性の姿で出てくるのがいちばんわかりやすいのではないか。私が男としてのペルソナをつくればつくるほど、私の魂は女性の姿をとって出てくるほうがぴったりくるのではないか。

私は男性、女性と分けていますけれども、それは考え方として分けているのであって、実際、自分がどう生きるのかということになると、私という男性がいわゆる男性的ではなく女性的に生きる力をもすごくもっていることになります。女の方もいわゆる男性的に生きる可能性ももっているということになります。

『とりかへばや』という物語は、男と女は思うよりもはるかに交換可能であるということを言おうとしたのではないか、と考えます。『とりかへばや』のひとつの非常に大きなポイントは、ビューティ、美ということではないか。普通の美ではない、魂の美である。魂は男と女というような通常の分類を超えた次元にかかわるのです。初めから記述的に読むと馬鹿くさくて読んでられないですね。そうじゃなくて、魂のことを書いているんだと思えば、物語はすごく読みやすい。

『とりかへばや』とか、『源氏物語』もそうですけれども、日本の中世の物語を私は非常に面白いと思っています。というのは、やはりあの時代には、われわれ現代人ほど自然科学的な考え方でぱっと物事を割り切って、切断して考える考え方をしていませんからね。みんなつながって生きているわけですから、そういうつながりのなかから自然に生まれてきたものを書いていますので、すごく意味の深いものが出てきているのではないか。そういう意味で、物語というものが、われわれが忘れかかっている魂のことを語っているのです。

これってそっくりそのまま「君の名は。」について解説したように聞こえませんか?瀧にとって三葉はアニマであり、逆に三葉にとって瀧はアニムスなのだろう。三葉が乗り移った瀧が女子力を発揮して、奥寺先輩から好意を寄せられるのも、瀧が乗り移った三葉が男子や女子からモテるようになるのも、各々がアニマ・アニムスと結合し、自己実現を果たすことを意味しているのではないか。そして河合の言うつながりとは「君の名は。」の結びに相当する。

ユング心理学では無意識を幾つかの層に分けて考える。その一番奥にあるのが普遍(集合)的無意識である。

つまりこの最下層までダイブすれば、他者と繋がることが出来る。それが結びだ。新海誠が大好きな村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」でいえば、井戸を掘るという行為と同じである。どんどん掘っていけば別の場所へ通じる抜け道が見つかるだろう。もしかしたら過去に行けるかも知れない。人の魂の中にも無限の宇宙が広がっている。因みに「君の名は。」のプロットは村上の短編「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と関連がある。また奥寺先輩は最後「幸せになりなさい」と瀧に言うが、これは村上の「ノルウェイの森」でレイコさんが【僕】に別れ際に言う台詞である。

宮水家では代々「組紐」を作り続けている。「組紐」は結びであり、運命の赤い糸でもある。もう一つ重要なのは機織り機が登場すること。機織りは東西を問わず、昔話や神話の重要なアイテムだ。それは「世界を織り上げる」「人の運命を紡ぐ」ことのメタファーである。日本の神話でも天照大御神(アマテラスオオミカミ)は機織女(はたおりめ)たちを集め、神さまのために着物を織っていた。そこでスサノヲが狼藉を働き、心を傷めた天照大御神は天の岩戸に籠もってしまう。

以下ネタバレあり。映画未見の方はご注意ください。

瀧は三葉に逢うために小川(三途の川)を越えて、「あの世」に足を踏み入れる。これは『古事記』に書かれた神話、イザナギ(男神)が死んだイザナミ(女神)に逢いたい一心で黄泉の国に行くエピソードに呼応している。イザナギはイザナミとの約束を破り彼女を連れ出すことに失敗するが、瀧は成功する。

じつはイザナギとイザナミの物語はギリシャ神話におけるオルフェウス(オルフェ)とエウリディーチェの物語にそっくりである。正にこれこそ時空を超えた人類の普遍的無意識の産物だと言えるだろう。

さて皆さん、新海誠のディープな世界をご堪能いただけただろうか?
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2016年10月 5日
【考察】「君の名は。」もうひとつの解釈〜両性具有という見地から
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【考察】神話としての「君の名は。」〜その深層心理にダイブする。

において、


瀧は三葉に逢うために小川(三途の川)を越えて、「あの世」に足を踏み入れる。これは『古事記』に書かれた神話、イザナギ(男神)が死んだイザナミ(女神)に逢いたい一心で黄泉の国に行くエピソードに呼応している。

と書いた。日本神話に登場するイザナギとイザナミは【双(なら)び神】である。同時に生まれたとあるので双子ということになる。一卵性であれば、それが細胞分裂して誕生したわけだ(異性一卵性双生児は稀に報告がある)。そして後に彼らは夫婦となる。

結婚の儀式はこうだ。ふたりは初めに出来た小さな島に降り立ち、太い大きな柱=【天の御柱(あめのみはしら)】を立てた。そしてイザナギは柱を左回りに、イザナミは右回りに歩き、めぐり逢ったところでふたりは結ばれることとした。これは「君の名は。」のかたわれ時にご神体を中心として(三葉に憑依した)瀧(右回り→反転して左回り)と(瀧に憑依した)三葉(左回り→反転して右回り)が山頂(クレーターのふち)で出会う(反転するまでは互いのことが見えず、すれ違う)ことに呼応する。

イザナギ・イザナミに至るまでの系図を次に示す。


二柱(クニノトコタチノカミ、トヨクモノノカミ)とそれに続く五組十柱の神々をあわせて神代七代(かみよななよ)と呼ぶ。イザナミ、イザナギの先祖である二柱は【独り神】であり、そこから子供が生まれるのだから両性具有である。

またイザナギが黄泉の国から黄泉平坂(よもつひらさか、「崖の上のポニョ」に登場)を経て地上に戻り、その穢れを落とすために禊を行っている時に、彼の左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノオの三貴子(みはしらのうずみこ、さんきし)が生まれた。イザナギはそれぞれに高天原・夜・海原の統治を委任した。つまり彼自身も両性具有の潜在能力を有していると言えるだろう。

つまり瀧と三葉の前前前世は両性具有の単一体だったという解釈も可能なのではないだろうか?それが男と女に分かれた。片割れだ。片割れだから互いを求め合う。元々は両性具有だから男女の入れ替わりも可能だ。それを象徴するのが繰返し登場する半月であり、瀧が着ている"HALF MOON"と書かれたTシャツである(ちなみに三日月は三葉のメタファーだ)。おばあちゃん(一葉)が口噛み酒のことを「それはあんたらの、半分だからな」と言うのも意味深でしょ?つまり瀧という因子が加わることによって初めて完全体(FULL MOON)となれるのだ。本来は「彼は誰時(かはたれどき)」なのに、それをわざわざ「かたわれ時」と言い直していることにも明確な意図がある。

映画のオープニングで瀧と三葉は背中合わせだ。背丈は同じ。やがて中学生の瀧が高校生の制服に変わり、背丈がぐんと伸び身長差が生じる。次に三葉の組紐が解けてショートヘアになる。これが3年という時間経過を示している。

このオープニングの瀧+三葉は両性具有の単一体だった前前前世を暗示しているのではないだろうか?結合(シャム)双生児のイメージ。このイメージは背中合わせのクレーン車で繰り返される。野田秀樹の舞台作品にもなった萩尾望都の漫画「半神」を想い出して欲しい。

「くっついてる」という表現はRADWIMPSが歌う「なんでもないや」にも出て来る。


もう少しだけでいい あと少しだけでいい
もう少しだけ くっついていようか

ここで誤解がないように、新海誠が参考にした平安時代に書かれた「とりかへばや物語」について、臨床心理学者・河合隼雄が分析した著書「とりかへばや、男と女」(新潮選書)から引用する。


ユング派の分析家で、両性具有についての書物を書いたジューン・シンガーは、両性具有は半陰陽とも両性愛(バイセクシャル)とも異なると明言している。半陰陽は一個人が男女両性の性特徴を具有する生理学上の状態であるし、両性愛は成人してからもなお、男女両性に性的魅力を感じる人である。これに対して、両性具有はむしろ個人の心の内部の在り方についてのことである、としている。あるいは、古代において雌雄同体などの彫刻があるにしろ、それはあくまでシンボルとしての意味であることを、エリアーデ(ルーマニア出身の宗教学者、民俗学者、作家。両性具有のシンボルについて研究を行った)も強調している。

10月4日は映画上で、ティアマト彗星が地球に最も接近した日だった。ティアマトとはメソポタミア神話において混沌(カオス)の象徴であり、原始の海の女神のことである。ティアマトは戦いの最中、弓で心臓を射抜かれ倒された。彼女の体は二つに引き裂かれ、それぞれが天と地の素材となった。その乳房は山になり、傍らに泉が作られたという。一方、宮水三葉という名字には水を含み、三葉の由来は水の女神”ミヅハノメ”であることは既に書いた(こちら)。ティアマト彗星が1,200年周期で糸守に分身の落とし物をして行くのは決して偶然ではない。
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2016年9月13日
3回目の鑑賞で気付いたこと。〜「君の名は。」超マニアック講座
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1)彗星の軌道

映画公開直後からSF作家からの指摘もあり、話題になっている彗星の軌道問題だが、テレビに映る最初のニュース映像では彗星が太陽の引力に引っ張られて弧を描いているので正しい。しかし2回目以降、彗星の軌道は弧を描きながら太陽と地球の間を通ることになっているから物理学的に間違っている。これは単なる作画ミス(チェック漏れ)と思われ、英語版を製作する時までには修正しておいた方が無難だろう。


2)高山ラーメン屋の主人の原型、過剰なモノローグの由来

主人公・瀧を山の麓まで軽トラックで送ってくれたラーメン屋の主人が最後にボソッと「アンタの書いた糸守、あらぁ良かった」という場面を観ながら、僕は何だかデジャヴ(既視感)に襲われた。いつか、どこかで見た夢の感触。その漠然としたイメージが3回目で漸く明確な形になった。倉本聰脚本「北の国から '87初恋」だ。そのラストシーンで古尾谷雅人演じる長距離トラックの運転手が純くん(吉岡秀隆)に「泥のついた壱万円札」を渡す。彼が言う台詞が実に感動的なのだが、未見の方のためにここには書かない。お楽しみはこれからだ(You ain’t heard nothin’ yet )!余談だが古尾谷雅人(代表作:映画「ヒポクラテスたち」)は2003年に首吊り自殺した。享年45歳だった。また「北の国から '87初恋」が新海の「秒速5センチメートル」に与えた影響については既にここに書いた。

新海は「北の国から」が幼い頃から大好きで、自身の作品にモノローグが多いのもそのせいだと語っている。そして「雲のむこう、約束の場所」では吉岡秀隆にモノローグを語らせている。

「君の名は。」の終盤、瀧は建築デザイナーを目指して就職活動している。考えてみれば彼の心の支えとなっているのはラーメン屋主人の「アンタの書いた糸守、あらぁ良かった」の一言だったのではないだろうか?初めて他者から認めてもらった、自分を肯定してくれたという歓び。それは「秒速5センチメートル」の主人公が中学生の時、大好きだった明里から別れ際に言われた、「貴樹くんは、きっとこの先も大丈夫だと思う。ぜったい!」という言葉だけを心の拠り所にして生きていくことに呼応している。

新海誠監督は長野県小海町に生まれた。父親は建設会社の社長。故郷に残り家業を継ぐか、上京して自分の道を探すか悩んだという。その記憶が三葉の友人、テッシーに投影されている。そして建設会社に入社したいと希望している瀧は、せめて映画(=夢)の中だけでも、(自分が果たすことが出来なかった)父親の願いを叶えてあげたいという新海の祈りが籠められているのではないだろうか?


3)扉が開く/閉まる

「君の名は。」前半では扉を開けるショットが繰り返される。扉は画面中央に置かれ、その左右に「こちら」と「あちら」の世界が描かれる。これは男女入れ替えの回路が開いていることを象徴している。しかし入れ替わりが止まった(回路が閉じた)途端、今度は扉が閉まる映像が登場するのだ。


4)糸守町に隕石が落ちるのは3回目?

宮水神社のご神体がある山頂はクレーターのように落ち窪んでいる。これが死火山の火口である可能性は低い。もしそうなら土が火山灰だから、草木は育たない筈だからである。ならばここにも隕石が落ちたと考えるべきだろう。ということは今から1200年前に隕石が落ちて糸守湖が出来たわけだが、更に遡る1200年前にも落ちた?そして12という数字にも多分意味があって、十二支とか、古代中国天文学における天球分割法、十二辰と関係しているのかも知れない。ちなみに十二支のうち丑の本義は“紐”で、生命エネルギーの様々な結合を意味しているという。組紐に繋がっている。

「糸守」という名前自体にも、組紐(結び)を守るという意味があるのだろう。

5)川上未映子「あこがれ」

新海誠と芥川賞作家・川上未映子の対談がNHK "SWITCH"で放送された。それによると新海は川上が書いた小説「あこがれ」で主人公の少女が走って転ぶ場面に感動して泣いた。そしてそれを「君の名は。」に引用したという。なお、新海監督はインタビューで次のように語っている。


終盤に三葉が走って転んでしまうシーンですが、あそこを担当いただけたのが『人狼JIN-ROH』や『ももへの手紙』の監督を手がけた沖浦啓之さんという、たぶん日本で一番巧いアニメーターなんですよね。その沖浦さんがやったことで、走って転ぶという絵コンテ通りの芝居ながらも、想定よりも何倍もエモーショナルなシーンになっていて、それはもう、ちょっと単純にビビりましたよね(笑)。すごいんですよ。(出典はこちら)

6)「転校生」との違い

大林宣彦監督の「転校生」はふたりが抱き合った状態で階段を転がり落ちることが男女入れ替わりの契機となるが、「君の名は。」のふたりは距離が離れており、眠るということが契機になる。それはつまり夢だ。本作は『古今和歌集』に載っている小野小町の和歌『夢と知りせば覚めざらましを』をモチーフとし、企画書では『夢と知りせば(仮)−男女とりかえばや物語』というタイトルだったという。フロイトの「夢判断」でも判る通り、夢はヒトの無意識/深層心理に関わっている。瀧が糸守という町名を覚えていないのも、三葉という名前が失われていくのも夢だからだ。しかし糸守の絵は書けるので、言語(聴覚)記憶よりも映像(視覚)記憶の方がより長く残るということなのだろう。言葉は意識に所属し、自我が生み出す。一方、夢(無意識)はイメージの世界である。

7)彗星や鳥の影

神木隆之介くんが言うとおり、新海誠は「光と影の魔術師」だが、「君の名は。」でも、例えば糸守湖の上空に鳥が飛んでいる何気ない場面にも鳥の影が形成されている。あと彗星の影が美しい!「秒速5センチメートル」第2話「コスモナウト」のロケット雲のことを想い出した。

8)ゴジラとのシンクロニシティ

シンクロニシティ(共時性)とは「意味のある偶然の一致」のこと。スイスの精神科医・心理学者であるカール・ユスタフ・ユングにより提唱された概念で、コンステレーション(布置、星座という意味もある)と言い換えても良い。今年は「シン・ゴジラ」が興行収入で第1位になるかと思いきや、「君の名は。」にあっさり敗れた。そして「ゴジラ」第1作が公開された1954年も「君の名は(第三部)」が配給収入第1位となった。こちらの「君の名は」は東京大空襲をテーマに男女のすれ違いを描いている。そして「ゴジラ」は水爆実験が大きなモチーフだが、ゴジラが東京を破壊する場面には戦争による人々の心の傷跡が残っている。つまり根っこは同じなのだ。一方、「シン・ゴジラ」と「君の名は。」の根底には3・11東日本大震災がある。だからこの偶然には大いなる必然性があるのである。
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2016年10月12日
4回目の鑑賞と新たな発見〜「君の名は。」超マニアック講座2
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9)彗星の分裂、糸守と東京

瀧と三葉の前前前世は一卵性双生児、あるいは両性具有の単一体(結合双生児)のイメージではないかということは既に論じた(こちら)。

ご神体のある「あの世=隠世(かくりよ)」で瀧が三葉の残した口噛み酒を飲み、倒れる場面で彼は彗星を見る。それはやがて分裂し、ひとつは飛騨方面(糸守)に落ち、受精卵になる(metamorphose)。やがてそれは細胞分裂を始め、三葉が生まれる。そして彗星のもう一方(片割れ)はどうも東京方面に向かったようだ。すなわちそれが瀧なのではないだろうか?


10)イザナギの左回り、イザナミの右回り

瀧と三葉がご神体を中心に、山頂(クレーターの縁)でイザナミ&イザナギによる婚礼の儀式を再現することも既に書いた(こちら)。

さて映画のラストシーンについてである。

上のポスターはイメージ画像であり、本篇とは異なる。映画でふたりは社会人になっているが、階段の位置関係は映画と大体違わない。瀧は手すりの切れ目に立ち、三葉の傍らに切れ目はない。ではこの後、彼らはどう動くか?……瀧は当然手すりを越えて階段の右側を降りて行くだろうし、三葉はそのまま階段を上がるだろう。ではこれを俯瞰して、階段を一つの細長い楕円として捉えたらどうだろう?瀧は左回り、三葉は右回りに動くことになる。つまりイザナギ&イザナミによる結婚の儀式と同じだ。また瀧が先に声をかけたことも重要。女であるイザナミが先に声をかけた時、水蛭子(ヒルコ)が生まれ、ふたりはこの子を葦で作った船に乗せて流して捨ててしまう。次に淡島(あわしま)が生まれるがこれも子供とは認めなかった。「女が先に話しかけたのが良くなかった。 もう一回言いなおしなさい」 と天津神(アマツカミ)に言われ儀式をやり直し、漸く淡路島や四国が生まれることになる。


11)パズーとシータ

以下述べる情報は新海誠監督が高橋源一郎がパーソナリティーを務めるNHKのラジオ番組「すっぴん!」に出演した時に語った内容である。

新海がシナリオの初稿「夢と知りせば(仮)−男女とりかえばや物語」を川村元気プロデューサーに見せた時、川村から「で、語り部はどっちなの?」と問われた。「パズーとシータにした方がいいんじゃない?」とも言われたそう。宮ア駿「天空の城ラピュタ」において、超人的能力を有するのは王族の末裔であるシータであり、パズーは語り部だ。それと似た関係が宮水三葉(巫女)と瀧にもある。川村からのアドバイスを受け、新海は第2稿、第3稿と書き進めていった。

新海誠が中学生の時、初めて映画館で観た作品が「ラピュタ」だったという。つまり「君の名は。」を構想した時、彼の潜在的無意識の中にパズーとシータがいたのではないだろうか?


12)鈴の音に注目!

新海アニメを鑑賞する時には音に注目することも大切だ。「君の名は。」で重要なのが鈴の音。例えば瀧が口噛み酒を飲み、三葉にダイブすることに成功するが(これが最終回)、彼女の父親の説得には失敗する。そこで彼は山の上のご神体の方を見て、「そこに……いるのか?」と呟く。その時に鈴が鳴る。また終盤近く社会人になったふたりが雪の降る東京ですれ違う場面にも鈴が鳴る。言わば、「神のお告げ、神託」のような役割を果たしているのだ。この演出法、僕は佐々木守脚本、実相寺昭雄監督による究極の名作「怪奇大作戦 京都買います」を参考にしているのではないかと推察するのだが、新海監督、如何でしょう?


13)「前前前世」の歌詞が違う!?

最初観た時からずーっと気になっていたのがRADWIMPS「前前前世」(movie ver.)の2番の歌詞と、映画に流れるそれが全く違うことだった。漸く最近になってその謎が解明された。どうも新海監督がmovie ver.よりも、11月23日に発売予定のRADWIMPSのニューアルバム「タイトル未定」に収録されるオリジナル・ヴァージョンの歌詞の方が気に入って、そちらを急遽使う事になったそうである。ところで海外上映用の(English ver.)は何時になったら聴けるのだろうか!?そちらもとても愉しみである。

•「君の名は。」英語の歌 by RADWIMPS、アカデミー賞、紅白のことなど


14)陽だまりと影、瀧と奥寺先輩

瀧と奥寺先輩がデート後に陸橋の上で別れる夕景の場面。瀧は陽だまりにいて、奥寺先輩は日陰に佇む。奥寺先輩がミステリアスに映るし、三葉に恋し始めた瀧と、ある意味において瀧(+三葉)に失恋した先輩のコントラストが鮮明に描かれる。そのイメージは村上春樹「ノルウェイの森」のレイコさんに繋がっている(→最後の台詞「幸せになりなさい」)。

15)巫女の舞の暗示

三葉と四葉による巫女の舞は彗星が分裂することを警告している(それを暗示する振り付けになっている)。しかし舞に込められた意義は遡ること200年前の「繭五郎の大火」で消失してしまった。なお繭も糸ー結びに関連してますね。

また巫女舞の髪飾りには竜(龍)が描かれている。これも彗星のメタファー。さらに「瀧」という漢字は水を表す「さんずい」+「龍」で構成されている。


16)蝶々結びと腕輪

瀧が憑依していない三葉は組紐を蝶々結びしているが、憑依しているときは髪を大雑把に一括りしている。一方、三葉が憑依していない瀧は必ず組紐のブレスレットをしているが、憑依しているときはしていない。これが簡単な見分け方。

また野田洋次郎(RADWIMPS)が女性アーティストAimerに提供した「蝶々結び」という楽曲があるのだが、どう考えても元々は「君の名は。」の為に書かれた歌詞としか思えない。是非聴いてみてください。

17)ハリネズミと【ヤマアラシのジレンマ】

三葉はハリネズミが大好きという設定だ。彼女の筆箱にハリネズミが描かれているし、カッターで切り裂かれた奥寺先輩のスカートを繕った際も、ハリネズミの刺繍を施している。ここで僕が想い出すのが「新世紀エヴァンゲリオン」で言及される【ヤマアラシのジレンマ】。ドイツの哲学者ショーペンハウアーの寓話に由来し、後にフロイトが論じた。「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの相反する欲求に板挟みになった状態を指し、「君の名は。」にも通じるテーマだ。因みに英語ではHedgehog's dilemmaとなり、原義は「ハリネズミのジレンマ」である。


18)スマホの厚み

三葉が使っているスマートフォンは3年前の機種なので、瀧のそれより分厚い。ま、最後は蛇足で皆気が付いていると思うけど。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/42-aa43.html


2. 中川隆[4483] koaQ7Jey 2016年10月17日 08:15:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4894]

岡田斗司夫ゼミ9月4日号『君の名は。』対『アドベンチャー・タイム』動画
http://www.nicovideo.jp/watch/1473048055

「『君の名は。』は”バカでも分かる”作品だからこそヒットした」
岡田斗司夫が語る『君の名は。』ヒットの要因 2016年9月16日

 公開10日間で累計動員数300万人、興行収入38億円を突破した『君の名は。』。
アニメへの造詣も深い評論家、岡田斗司夫氏が、自身のチャンネル放送で本作品について語った。


「新海誠はメジャーになるために作家性をあきらめた」

「この作品は新海誠の集大成。だが、作中ではその説明を全くしていない」

と語る岡田氏。さて、その真意はいかに…

■メジャーになるために”作家性をあきらめた”新海誠


 今回、新海誠が挑戦したのは“作家性のあきらめ”なんですよ。今までの新海誠は『ほしのこえ』とかでやってたような、男と女が何光年も離れて、男の方は女の子のことをずっと想っているはずが勝手に結婚しやがって、女の子の方は銀河の果てで宇宙人と戦いながら「いつかあの人に会える日が来るんだろうか」なんて考えているような、救いようのない切ない話を連続して書いてて、“そこそこの評価”はあった。

 でも、「このままではお前はジブリにはなれない。庵野(秀明)や細田(守)にはなれない」……と言われたかは分からないけど、そこで一念発起して、「よっしゃ、わかった! 俺は中学生・高校生、言い方悪いけど“バカ”でもわかる映画を撮るぜ! オラァ、作った! ほら、バカが泣いてる!」っていうのが『君の名は。』なんじゃないかと(笑)。作家性をあきらめて、誰にでも分かるように徹底的にベタな方向にした。だから、この作品は大ヒットしているんじゃないかと思います。

 テーマとストーリーの関係なんですけども。今回、映画の中で「結ぶ」っていう言葉と、「細かい糸を撚(よ)って紐にする」っていうのが何回か出てきます。まあ、話としては一つの円環の中に入っているようで、同じことの繰り返しなんです。いろんな時間軸や色んな事件が組み変わって、いろいろ動きながら、話の糸を紡いでいくっていう話になってます。つまり、「結ぶ」とか「結う」っていうのが、物語のテーマになってます。

 主人公の三葉と瀧は作中で「お互いの身体が入れ替わる」んですが、この体験を三葉のおばあちゃんに話した時に、おばあちゃんは「そんなことが私にもあった気がするわ。お前のお母さんにもあったんじゃなかったっけ?」って言うシーンがあるんですよね。つまり、三葉は神主の一族なんですけど、この一族は昔々から思春期になると、どこかの人と身体が入れ替わるみたいなんですよ。こういう話がごく自然に入ってくる。でも、おばあちゃんもお母さんも誰と入れ替わったかは描かれてないんですね。

 だけど、直接的に描かれていないだけで、作中で分かるように描かれている。かつてお母さんと身体が入れ替わったのは、“三葉のお父さん”なんですね。三葉は町長であるお父さんに、最初は理由を話さずに「みんなを避難させなきゃだめ!」って言ってて、お父さんは全く納得しなかった。けど、三葉が「私は身体が入れ替わったの!」って言った瞬間に、お父さんは「ああ、本当に隕石が落ちてくるんだ」と、娘の世迷い事を信じるようになった。

 何故、お父さんが今まで再婚しなかったのか? 何故、お母さんのことをずっと大事にしていたのか? それは、お父さんにも、以前にお母さんと身体が入れ替わるという体験があったから。でなければ、お父さんの心が切り替わった理由が全く説明がつかないんですね。三葉がお父さんを説得するシーンでは「お父さん! 話を聞いて!」ってところまでしか描かれていなくて、その後は急に「町長が指導力を発揮して村民を避難させた」っていう新聞記事が出てるだけなんですよ。何故、このお父さんが動いたのか、劇中では全く説明がない。だけど、その理由は「お母さんとお父さんもかつて身体が入れ替わった経験があった」から。こういう関係が成立しているからなんです。

■この作品は新海誠の宇宙モノの集大成。だが、作中ではそのこだわりを見せずにベタなドラマに集中している


  “ティアマト彗星”は、1200年に一度、太陽系外から地球に接近して、太陽の近くを通って、また太陽系外に帰っていく。このティアマト彗星が二つに割れて、破片が地球に落ちたから、大災害が起こります。ところが、この村の航空写真を見てみると、巨大なクレーターがあって、その真中に神社があって、その隣に村があるような構造になっている。このクレーターは1200年前に落ちた隕石によって生まれたものです。この隕石の落下は、さっき話した、おばあさん、お母さん、三葉のような繰り返し構造と同じように、過去に何度もあったことなのかもしれない。1200年前、2400年前、3600年前というふうに、隕石の落下も繰り返されているのかもしれない。

 なぜ、このような繰り返しがあるのかというと、かつて地球に落ちた隕石の欠片が、太陽系の外を回っているもう一つの欠片に「会いたい」と思ったからなんですね。つまり、この物語は“七夕”なんですよ。二つに分かれてしまった者たち、それは人間でも隕石でも同じなんですが、「もう一度お互いに会いたい」という願いを持った者が奇跡を起こす。ただ、二つの星の「会いたい」という願いは人間界にものすごい迷惑をもたらす。なので、三葉の一族に超能力を与えて、せめて土地の人間がその場から逃げ出すことが出来る隙を与えてくれたのかもしれない。


 これ、太陽系という視野で見るとこれだけの話なんですが、太陽系自体も巨大な円周軌道を取っています。そして、この巨大な円周軌道も銀河平面に対して回転しています。なので、太陽系というのは、細かい渦巻状の回転をしながら大きな渦巻きの周りを回っているわけですね。この渦巻状の太陽に出会うために、ティアマト彗星の軌道もかなり複雑なものになっていると思われます。

 この銀河上の動き全体が、お話のテーマ「結ぶ」なんです。銀河平面の中で見た太陽系の軌道と、それに対して絡み合うように進んでいるティアマト彗星の軌道という全体が、大きい一つの糸を作っている。その中で、1200年に一度、地球に接近する彗星が、互いに「もう一度、会いたい、会いたい、会いたい」と思っている。さらにその中で、一度別れた相手ともう一度会いたいと思う人間が、心が入れ替わるという奇跡を起こして。それが代々受け継がれていく。

 こんなふうに、全体が「糸を結って紐を組む」という構造で出来ている。つまり、新海誠としては、これまで作り続けてきた宇宙モノの集大成としてやっていると思うんですが、この辺りの説明を全部あきらめて、ベタなドラマに集中したのが「すげぇよ、新海! よく割り切ったな!」と思います
http://originalnews.nico/462


3. 中川隆[4484] koaQ7Jey 2016年10月17日 08:25:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4895]

今回の作品はおよそ2時間(106分)にわたる、新海誠作品で最長のものだった。

物語は、飛騨地方の田舎町「糸守町」に住む女子高生みつはと、東京に住む男子高校生の滝(苗字じゃなくて名前)が、ある日から突然中身が断続的に入れ替わってしまい、互いを認知するようになるという物語だ。そして、物語はみつはと滝の入れ替わりがなくなった時から大きく動き出し、そこで滝は入れ替わっていたみつはは3年前にじぶんと同い年だった女の子だと知り、そして彼女の住む「糸守町」は3年前に1200年ぶりに訪れた彗星のかけらによって消されてしまったということも知る。みつはは、3年前に死んでいた。滝は、3年前の「糸守町」のみつはに戻り、みつはと町のひとを死なない世界に変えようとする。

田舎と都会、多数配置された生き生きとしたキャラクター、1200年ぶりに飛来する彗星、そして神話的な設定を施された「糸守町」など、さまざまに緻密に作られた設定は何より「時間のねじれ」に集中へと指向されていて、従来多くあったモノローグが控えられ、数多の表現はすべて物語に対して献身的だ。どれかの要素が特別秀でているなどではなく、どの要素もすべて高水準で仕上げられている。

それは「優等生的」と言えば皮肉に聞こえてしまうけれど、「話題性」や「インパクト」ではなく、純粋に「物語を楽しむ」ことに注力されているからこその「バランスの良さ」で、今回、ぼくはこの点がすごく良かったと思った。素朴に「おもしろい!」といえてしまうことが、この作品の長所だとおもった。あとみつはのおっぱい。

かたちのないものに「かたちを与える」

骨太な物語を作品の主軸に据えたことで、これまで新海誠の「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」とは大きなちがいが見られたのも興味深かった。

作品に対してモノローグがとても少なくなり(まだおセンチ感がうざいけど従来よりだいぶマシ)、そのなかでもとりわけ「目に見えない、概念や感情」がことばでなく、物として描かれていた。この作品でのそういったものはすべて「糸守町」というかたちをしている。

この世界とここでない世界の境界を「カタワレ時」や雲よりも高い場所にある「御神体」、時間を飛び越えてしまう概念は時を経て酒となる「口噛み酒」というかたちに作って見せた。映像が担いすぎていて、そしてことばでは空を切るばかりだったものたちを、具体的なものとして提示することは物語の奥行きを与えるだけでなく、これまで新海作品に不要だった(と、おもわれる)ものをごっそり削ぎ落とした。

結果、新海誠作品で特に感じていた「描写を上塗りすることば」がほとんど見られなかった。




「世界」の恣意

きのう、偶然見たテレビでやっていた新海誠監督のインタビューで、光を主軸とした映像作りのことが語られていた。

新海誠監督の作る映像は、過剰なまでに観察的・写実的であるようにおもわれるけれど、どこかこの世界ではない場所のようにかんじられる幻想を持っている。その仕掛けにあるのが「光」であり、具体的には、シーンによっては「太陽の光が2か所から降り注ぐ」ように作っているという。興味深いことは、特定のシーンにいるあるキャラクターに光を当てたり、あるいは影のなかに入れたりするために、新海誠は表現において「キャラクターではなく、世界の方を変化させる」という作品作りだった。こここそが、新海誠の詩情がもっとも豊かに現れている個性だとぼくはおもう。

映像の技巧的な立場からの世界はそのようにあり、同様に物語と世界の関係も見てみると、突然ふたりが入れ替わるという最初の設定にしかり、彗星の飛来、入れ替わったことや入れ替わった相手のこと、みつはのおっぱいを強制的に忘れさせられること……そういう「ご都合主義」とも捉えかねない世界側の都合にみつはと滝は終始さらされている。みつはと滝は世界の都合で楽しかったり、嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり、生きたり死んだりする。本来ならば出会うことはおろか、互いに認知するはずのなかったふたりが、いい加減な世界の恣意により、本来であればぜったいに知りえなかったことを知り、ぜったいに抱くことのなかった感情を抱き、それゆえにふたりは世界に翻弄される。

そうおもうと、作中で表面化した「時間のねじれ」は、ふたりが抱く世界への怒りがもたらしたものだったのかもしれない。過剰なまでに世界がふたりへ関与してしまうことが、「ふたりが世界を変える」という物語を導いた。時として太陽がふたつになり、3年前の彗星が現在の感情を引き裂いてしまうこの物語は、感情に着地したところでほんとうの解決を見ない、むしろ、世界がふたりにもたらした「現象」というありかたで、ふたりは世界にむくいらなければならなかった。そういう切実や、切迫を後半にとても感じてすごく良かった。

ラストシーンについて

みつはが町長である父と邂逅する場面が来て、その後、滝は現代で意識を取り戻す。そしてすべてを忘れて、スーパー賢者タイムに突入、そのまま5年後の世界になる。

この流れでぼくはこんなこというべきじゃないのだけれど、ここから最後までの10分、ぼくは本当に落胆した。

まんま、秒速おセンチメートルみたいな展開かよ…とどうしてもおもってしまう。ここに関して、何にも頭を使わずに見たらどうしてもそうおもってしまう。山崎まさよしでも流しときゃよかったんじゃない(笑)的な。

新海誠的エモがたまらんひとにはグッとくるのだろうし、ぼくの好き嫌いを度外視してもわからなくはないのだけれど、ここまでで見た「新海誠の新境地!」的なものがなんだかどーでもよくなって、涙がひっこんだ。くやしかった。おれの感動をかえせ。
http://www.waka-macha.com/entry/2016/08/26/180000


4. 中川隆[4504] koaQ7Jey 2016年10月18日 09:44:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4915]

『君の名は』の御神体のあるカルデラは 「御嶽山」

yuduki0sp_0221さん 2016/9/4 23:21:24


君の名はで出てきた御神体のあるカルデラは青ヶ島がモデルで決定ですか?
それとも他に候補があるのでしょうか…



rui53000さん 2016/9/5 01:22:50

自分も皆さんがそう書いていたので そうなのかな?と思っていましたが
自分なりに探してみて こっちじゃないかな?というのが出てきました‼


まずこの場所は この1枚で見ると確かに「青ヶ島」に近いのかもしれませんが
色んなシーンを見ていくと あの新海監督がこのカルデラの為に周りを「オリジナル」で書いたとは思えなかったんです

そこで飛騨高山周辺の高い山とくぼみが あるところを調べると

「御嶽山」という山がありました

この頂上には小さなカルデラがいくつもあり、形はいびつですが水が貯まっているところもあります

なかには簡易の鳥居と祠らしきものもあります。(これは画像検索で見つけました)

そして三葉と瀧が出逢うシーンなどに出てくる岩だらけの足元。
実際に同じような場所も岩だらけです。

そして1番ビックリしたのは三葉の中に入った瀧が四葉ちゃんとおばあちゃんと
御神体の場所に行く話で

おばあちゃんをおぶったまま もうすぐ頂上という所のシーンなんですけど

その歩いてる山の斜面や背景の山々、雲の場所なんかがピタリとハマる写真があります。
(これ見た時鳥肌立ちました)

この写真はGoogleマップを開いて「御嶽山」を選んでもらうと
住所とかの詳細な情報の中に「写真」の項目がありますので是非見てみて下さい。


御嶽山 - Google マップ
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E5%B1%B1/@35.8933261,137.4441471,13z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x601d2c83278bbb09:0xd58dc895ddd21105!8m2!3d35.8933333!4d137.4791666!5m1!1e4?hl=ja

御嶽山 三の池
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%89%E3%81%AE%E6%B1%A0&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjBr-LZqt_PAhUPyGMKHZsbDbkQsAQIRg&biw=1146&bih=668

以上の事から、この場所のモデルは「御嶽山」であり
カルデラの方が「オリジナル」もしくは「青ヶ島」かなんかをアレンジしたのでは
ないかと自分は思います♪

この物語は「災害」も1つのテーマだと思います。
東北の大震災やこの山で起きた出来事

何故、諏訪湖をモデルにしたのか
何故、隕石を落とす設定にしたのか

そこら辺もきっと繋がっているんだと自分は思います。

ちなみに三葉が住んでいた宮水神社も麓にある「御嶽神社里宮」かと思いましたが
これは合致するものが少ないので これも可能性ですが

この里宮には舞を踊る神楽殿もありますし
三葉と四葉が踊る際に持っていた道具と白包みに入った米のようなものも持っている画像もあり、その神楽が行われるのも秋前という事みたいです。

階段も急で長く、全体の作りも似てるといえば似てると思います♪

あと、鳥居は石垣の上に立ってる感じなので下にある大鳥居を赤に変えて書いたのかな?

とも感じれます。


自分としてもモデル地がどこにあるのか気になりますし
新海監督なら必ずモデルがあると思いますので早期発見を楽しみにしています♪


質問した人からのコメント 2016/9/5 15:02:24

調べてみて驚きました
山の斜面、背景ともにそっくりですね!
それと御嶽山…数年ほど前に噴火を起こして多くの方が亡くなったところですね
災害もテーマの一つならばひょっとしたらここなのかもしれませんね
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11163894066



5. 中川隆[4505] koaQ7Jey 2016年10月18日 09:49:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4916]


「君の名は。」の御神体の有るあの山は? 2016-09-22
http://blog.goo.ne.jp/ryuuta65106/e/809a53425d2917e35afa3655b70ddc8c?fm=entry_awp


「君の名は。」大ヒット公開中ですね。普段は映画館行かない人なんですが、広告・予告編を見るうちにあるシーンが気になって映画館へ足を運びました。

映画の中で隕石落下によるクレーターの中に宮水神社の御神体が祀られている山が出てきますが、おそらくその場所のモデルがここ。

「御嶽山の四の池」と称される噴火口です。
(撮影時期が冬に入る直前なのでハイマツ以外の緑が無くなっています)

アニメでは隕石落下によるきれいなクレーター状のフチになった山として描かれてますのでちょっと似ていない気がするかも知れませんけど、飛騨地方の山で森林限界を超えた高地で周囲を山に囲まれた窪地に緑が有ってそこに川が流れてるというと、ここくらいしか思いつきません。

地形的には同じ御嶽山の一の池の方がアニメで出てくる山に近いのですが、あちらには植生が無い荒野でしたのでこちらの方が近いかと。

(一の池の地形に四の池の底部を足したのがアニメに出てくる山のイメージでしょうか?)

四の池を周回する登山道を歩いて内部に降りた所です。残念ながらこの場所には御神体は有りません。撮影時はカラカラ天気が続いていた時期なのでチョロチョロとした流れの小川しかありませんが初夏の頃は雪解け水も混じってかなりの水量となります。

ここから先は神域では有りませんが、植生を保護する為に立ち入りが禁止されてるカクリヨとなっています。中にはツキノワグマが生息しているという噂も有りますので立ち入らないのが賢明です。

内部からお鉢を見上げる


こちらが在りし日の一の池(※現在は灰色の世界となっています)

さて、ここまではネットで検索すれば出てくる事なので、御嶽山・四の池に行くのには?ってお話を追加。

ご存知のように御嶽山は2年前に山頂付近で大きな水蒸気爆発(噴火)を起こして多くの登山客が犠牲になってしまった山で、今も入山出来ないのでは? という話をよく聞きます。去年までは火山活動も盛んでしたので規制個所も多かったですが、徐々に活動も収まって今では噴火口からおおよそ半径1km以内までの登山道は規制解除されています。

この場所(四の池)に行くのには木曽側から御岳ロープウェイと二の池を経由して来るルートと 、飛騨側から濁河温泉から五の池(飛騨頂上)を目指すルートが有ります。(他にもルートは有りますがメジャーでは無いので割愛)

御岳ロープウェイから登るルートは距離が有りアップダウンも有るので時間がかかり、よほどの健脚でない限り日帰りはキツイです。

なのでここでは最短ルートである飛騨ルートから登る事をお勧めします。それでも片道4.2qの距離、所要時間3.5時間、下り2.5時間の苦行(標準タイム)だったりします。

登山口までのアクセスですが、登山口である濁河温泉への交通機関は夏季に木曽福島駅から2往復運転されるバス(〜9/25)しか有りませんのでこれからはマイカーまたはレンタカーが必須となります。また濁河温泉に向かうには通常は国道41号線から下呂市・小坂を経由して県道437号線、県道441号線を進むのが一般的ですが、県道441号線は道が狭く崖沿いの曲がりくねった山道なので運転してるとストレスが溜まり濁河温泉までに疲れてしまって登山どころでは無くなるおそれが有ります(景色は最高ですが)。

なので、ここは木曽側からチャオスキー場を経由してぐるっと廻るルートをお勧めします。

チャオスキー場までは快適な道が続いてますしそこから濁河温泉までの道も日々改良工事が進んでいるので割と快適です。カーナビでルート設定する場合、チャオスキー場を経由地(国道19号線名古屋・中津川方面から来る場合は「道の駅・三岳」を経由地に加えると時間短縮出来ます)

摩利支天から見る飛騨頂上エリア

ここからは10月4日前後に行ってみたいと登るビギナーを想定して最低限なガイド

まずは靴、尖った岩や石がゴロゴロしている道を歩きますので登山靴は必要です。スニーカーとかでは足が痛くなりますし靴もボロボロになります。歩くことが基本ですから最低でもトレッキング用として売られているのを履きましょう。

次に服。この時期の朝晩は冷え込んで氷点下になる事が有りますので、それなりの防寒具が必要です。登ってる最中は長袖シャツ1枚で十分だったりしますが途中で休憩したり山頂エリアを散策する場合は風にさらされて急に体が冷えてきますので、その都度調節出来るよう重ね着出来る服を持って行くのがベストです。(ベストなんかも良いですよ。発汗を抑えるのと保温を兼ね備えてますから)

食料や水も登って下りるまでの分にさらに予備を足して持っていきましょう。五の池小屋(↑の画像中央の山小屋)は10月15日まで営業しているので、そこで手に入りますが何かとお高めです。また山では長く歩いているうちにエネルギーが消耗してしまい、疲れに似たような状態になって行動が遅くなってしまいがちになります。常にエネルギーが補給できるようなもの(アメ・チョコ・バナナ等)を持っていってと良いでしょう。

日帰りならばこの時期は日の入りが早くなりますので、懐中電灯は必携。出来れば手を塞がずに使える頭に付けるタイプがおススメ。もっとも途中で暗くならないように下山開始時刻を考えて行動しましょう。

あとは雨具。これも必携です。山の天気は変わりやすいので登山口では晴れていても頂上まで登るうちに雨が降り出したって事は良く有ります。雨が降ってきて雨具が無いのなら即下山しましょう。

映画の瀧君のように雨に打たれて登っていたらすぐに低体温症になって行動不能になります。あれは映画の世界ですから実際には無理が有ります。また濡れた体のまま翌朝まで山頂で寝てたら確実に凍死します。服は濡らさないよう十分に気を付けてください。

雨具も100均とかで買える安いのは岩に引っ掛けたり風であおられてすぐに破れますので、高いのを買えとは言いませんがそれなりの強度が有るものを選びましょう。

あとはクマ除けの鈴、10月4日前後なら紅葉シーズンで多くの人が歩いているので日中はクマの方が寄り付きませんが、朝晩は要注意です。登山道では有りませんが一度だけこの山域でクマを見かけた事が有ります。気休め程度とよく言われますが持っていくと良いと思います。


カタワレ時(※イメージ)

カタワレ時?(※ご来光でした)


カタワレ時を山頂で楽しむのには?

ズバリ、山小屋に泊まってください。夜の行動は危険です。御嶽山はテント泊や避難小屋での寝泊りは禁止されていますので、夜を明かすには有料山小屋に泊まる必要が有ります。この時期に御嶽山の山頂エリアで営業している山小屋は次の二つ。(夏季もこの二つしか有りませんが)

五の池小屋 10/15まで

木曽御嶽山 石室山荘 10月上旬まで

どちらが良いかはいつも日帰りばかりで泊まった事が有りませんので何とも言えませんが、石室山荘から四の池までは歩いて1.5時間ほどかかりますし、日没(カタワレ時)が見たいのなら五の池小屋となります(石室山荘は南東寄りの斜面に建っています)。ただこのシーズンは紅葉のピークと重なって混み合いますので今からでは予約が取れるかはわかりません。しかしながら登山では直前になって予定変更になってキャンセルされるケースも良く有りますので、何度か尋ねてみるのが良いかと思います。

御嶽山に登るためのガイドはざっとこんな所でしょうか。
かなり駆け足に解説したので不十分な点が多々あります。身近な登山好きな方に尋ねるか一緒に付いて行ってもらう事をおススメします。

 

最後にちょっとしたオマケを。

四の池には例の御神体は有りませんけど、霊山でもある御嶽山には数々巨岩・奇岩がそこらじゅうにゴロゴロしています。

その中で、これが御神体のモデルじゃないかと密かに思ってるのがコレ↓


濁河温泉から五の池までの飛騨小坂口登山道を1.2qほど進んだ所に有る通称「ジョーズ岩」ですが、よく見るとなんか右の方から中に入れそうな気がしませんか?

下から見上げた格好で撮っているのでちょっと尖った岩に見えますが、同じ高さから見るとけっこう平べったい形をしている様な気がしますけどね。この辺りは大きな岩石が折り重なった地形なので、どこに落とし穴が有るかも知れませんので近寄れませんけど(ここ重要)。

この他にも道中には「かえる岩」が有ったり、「オットセイ(アシカ?)岩」とかが有ったりします。探しながら登山を楽しんでみてください。んでわ。
http://blog.goo.ne.jp/ryuuta65106/e/809a53425d2917e35afa3655b70ddc8c?fm=entry_awp


6. 中川隆[4506] koaQ7Jey 2016年10月18日 10:18:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4917]

映画「君の名は」を見て来ました。御嶽山の噴火を思い出してしまいました。


噴火で亡くなった人たちは58名もいました。

で、その中にある男子大学生がいました。
噴火後その大学生さんの遺体はいくら探しても見つかりませんでした。

彼には付き合ってる同じ大学生の彼女がいました。
その彼女は噴火の後もずーっと彼の遺体を探しに御嶽山に登っていたのでした。

そして、ある日、死んだ彼が彼女の夢枕に立ってこう言ったそうです。

「僕は龍に連れていかれたからもう探さないで欲しい。」

この話は実際に木曽在住の人から聞いた実話で不思議な話だなぁと印象に残ってたものでした。

ワタスは途中からこの話を思い出してして背筋が寒くなってしまったのでした。

映画の風景も、御嶽山の風景とどこか似ています。

これは御嶽山の火口付近の三の池の風景です。
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%89%E3%81%AE%E6%B1%A0&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjBr-LZqt_PAhUPyGMKHZsbDbkQsAQIRg&biw=1146&bih=668


岐阜高山と御嶽山はすぐ近くです。映画の公開日8/26も御嶽山噴火は 9/27の一か月前でした。


噴火で人知れず離ればなれになってしまった男女がいた。
その悲しい思い。
誰かに知ってもらいたい。

それを誰かが伝えたくて新海監督に乗り移ってこの映画を描かせたんじゃないのか。
そんな風に思った作品でした。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2546.html

夏山風景−御嶽山 2016年7月31日−
https://www.youtube.com/watch?v=kVLXIeHZqZU

御嶽山 三ノ池 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E5%B1%B1+%E4%B8%89%E3%83%8E%E6%B1%A0

御嶽山 二ノ池 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E5%B1%B1+%E4%BA%8C%E3%83%8E%E6%B1%A0



7. 中川隆[4754] koaQ7Jey 2016年10月30日 07:02:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5168]

日本人は何故【泣ける映画】を求めるのか?〜「君の名は。」を糸口として
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-1e9e.html


現時点で興行収入が150億円を超えた「君の名は。」は学校やSNSでの評判の拡散が今年度ぶっちぎりの大ヒットとなった要因と分析されているが、キーワードは「泣ける」だった。

例えばこんな記事がある
→2016年最も泣けるアニメ映画『君の名は。』大ヒットの要因とは…
https://puul.jp/24590


因みに僕自身は「君の名は。」を4回観に行ったが、泣いたことは1度もない。
僕にとって「君の名は。」は【泣ける映画】でなく、もっと違う次元の感動があった。

雑誌やインターネットでの【泣ける映画】の特集は多く、またテレビの音楽番組ではしばしば【泣ける曲】ランキングで盛り上がる。どうして日本人はこんなに泣きたいんだろう?

我々の文化に於いて【泣く】というのは概ね肯定的に捉えられており、特に若い女の子が「泣いた」と呟けば、それは「可愛い」に直結する。だからアイドルたちはSNSで競って「泣きました」を強調するのだ。考えてみればとても不思議な民族である。

一方、欧米で【泣ける映画】が持て囃されることはない。
ハリウッド映画に【涙(tears)】は求められず、ヒットするために最も重要なのは【興奮(excitement)】と【笑い(fun, laughter)】である。


キリスト教は父性原理が強い宗教だ。
祈りの言葉は「天にまします我らの父よ」であり、三位一体とは父、子(イエス)、精霊を指す。そこに女性は一切介在しない。カトリック教会の頂点に立つのは法王だが、女性は法王になれない。

父性原理は【切断】し、物事を分類する。
光と闇、天と地、善と悪、天使と悪魔。
コンピューターも0か1で全てを表現する2進法が根幹をなす。

欧米社会では成人するまでに精神的な【母親殺し】(=自立)が求められ、強力な自我(ego)が形成される。他者とは異なる個(individual)を確立することが最も大切なのである。

女性も同様で、その典型例が「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラだろう。

フランス人は赤ちゃんに添い寝をしない
(具体的にはこちらのブログをご覧ください)。
http://plaza.rakuten.co.jp/pidoochien/diary/200703220000/

出来る限り早い段階でひとりで寝かせる。親離れをさせるためである。
正に【切断】(divide)している。

ヨーロッパの昔話に多いパターンは精悍な青年(王子様)が困難を克服し、最後にバケモノ(大蛇・ドラゴン・魔女など)を退治して、お姫様と幸福な結婚をする。めでたしめでたし(And they lived happily ever after.)というもの。強い自我形成の大切さを示す寓意が込められている。「スーパーマン」「スパイダーマン」などアメコミも基本的に同じ構図だ。

一方、日本にこういう昔話は稀有であり、むしろ母性原理が支配的である。

日本人は場の平衡を保つことに腐心し、すべてを包み込むように(清濁併せ呑み)、横に繋がって生きてきた。「君の名は。」の言葉で言えば【結び】を大切にしてきたのである。

多分、父性原理に生きる西洋人にとって泣くという行為は相手に【弱みを見せる】ことに等しく、好ましくないのであろう。要するに【男らしくない】、みっともないのだ。それは男性だけに留まらず、ヒラリー・クリントンなど社会の第一線に立って働く女性にも当てはまる。

しかし日本では平安時代の「源氏物語」や、「君の名は。」で新海誠監督が参考にした「とりかへばや物語」など、作中の男たちは優雅に和歌を詠み、しょっちゅう泣く。恥ずかしいことではない。江戸落語の聴衆が好むのも人情噺だ。

「君の名は。」の主人公・瀧も度々涙を流す。
ハリウッド映画やディズニー/ピクサー・アニメで瀧ほど泣く男性キャラは皆無だろう。

映画を観たり、音楽を聴いて【泣く】という行為は何を意味しているのだろう?

それは物語や、登場人物への【共感】【一体感】である。
つまり【繋がる】ということであり、【結び】だ。

ではアメリカ人が好むジョークとか笑い(古くはマルクス兄弟、現在は「サタデー・ナイト・ライブ」)は?

それは【批評精神】と言えるだろう。対象との関係は【切れて】いる。

客観的に相手を観察する【醒めた目】がある(その姿勢が欧米における自然科学の驚異的進歩という成果を生み出した)。

「竹取物語」とか「伊勢物語」など日本の古典文学、「万葉集」など和歌で重要な言葉に【かなし】がある。

これは「哀し」と共に「愛し(しみじみとかわいい。いとしい。)」の意味を含有する。僕はこの【かなし】という感情が【泣ける】映画・音楽のルーツではないかと考える。

「君の名は。」の新海誠監督は毎日新聞の記事において、「作品には、少女漫画の文法を感じるところがあります。」と聞き手に言われ、次のように答えている


私の作品に父性主義・父権主義はなく、そんな意味では確かに女性作家の小説の方が、好きなものが多いかもしれません。父が権威を大事にする人で、男はこうあるべきだ、人生はこうあるべきだ、と「あるべき」を言う親で、良くも悪くも影響も受けているかと思いますが反発もずっとあり、説教されるのが嫌いです。

「君の名は。」の登場人物たちの運命の鍵を握るのは巫女の超人的能力であるし、上の発言でも判る通り、新海アニメは母性原理を原動力にしている。それが日本人の無意識に訴えた(琴線に触れた)からこそ、これだけのヒット作が生まれたのだろう。

参考文献:河合隼雄「昔話の深層」「昔話と日本人の心」「母性社会日本の病理」
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-1e9e.html


8. 中川隆[5220] koaQ7Jey 2016年12月01日 19:14:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5655]

2016年11月30日
切断と結合の物語〜【考察】「君の名は。」


映画「君の名は。」については語り尽くした感があり、いくらなんでももう何も残っていないだろうと考えていた。ところが、新海誠監督が RADWIMPS の新譜「人間開花」(初回限定盤)に付属するDVDのために再編集した「スパークル (original ver.)」のMVを観て、新たな発見があった。なおMVには新規カットが幾つかあり、しかも(静止画ではなく)動いたので甚く感動した。作画監督を務めたのはキャラクターデザインの田中将賀。画質もBlu-ray並に綺麗だし、これは必見!

「スパークル (original ver.)」MVで新海監督は【彗星の分裂 → 三葉誕生時にへその緒を切断 → 髪を切る】というカットを繋いでいる(こちらの動画でも確認出来る)。僕は、はたと思い当たった。そうか、切断と結合は「君の名は。」の重要なモチーフだったのだと。彗星の分裂=切断であり、直後にその片割れは糸守町に衝突=結合している。これは1,200年周期で起こっており、スケールを拡大した織姫と彦星(七夕)の物語であるとも言えるだろう。

•【考察】「君の名は。」もうひとつの解釈〜両性具有という見地から
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-5f42.html


僕は上記事で、三葉と瀧の前前前世は結合(シャム)双生児のような両性具有の単一体だったのではないか?と仮説を立てた。そしてシャム双生児にも切断=分離というテーマが生じて来る。

三葉のおばぁちゃん(一葉)が語るところのムスビとは結合であり、映画のラストシーンが三葉と瀧の再会=男女の結合を意味していることは言うまでもない。

切断と結合は「死と再生」と言い換えることも出来る。僕は今までに4回「君の名は。」を観たが、どうして三葉があのタイミングで髪を切るのか、納得がいく解釈が出来なかった。中学生の瀧に会って自分を認識してもらえず、失恋したと感じたから?いやいや、動機として弱すぎる。しかし上京したことを切っ掛けに彼女は生まれ変わろうと決意したのだと考えれば頷ける。実際にその翌日、三葉は死と再生という経験をすることになるのだから。

本編中に繰り返されるドアが開くショットは、2つに区切られた空間の結合であり、逆にドアが閉まるのは切断を意味している。

イギリスBBCラジオで映画評論家のMark Kermodeは「君の名は。」をterrific(素晴らしい)、sparkling(きらめくような)、wonderfulと絶賛した→こちらに動画あり。

彼は本作において「男と女、都会と田舎、古代と現代、科学と魔法、記憶と忘却といった相反する事物が、かたわれ時(strange twilight world)に出会うのだ」と表現している。

どうしてかたわれ時なのだろう?僕は考えた。そうだ!twilightとは昼と夜(day and night)、光と闇(light and darkness)との接点なのだ。つまりここにも結合のテーマが現れているのである。

「君の名は。」は深い。底なしの奥行きを持つ、途方もない作品である。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-7de7.html


9. 中川隆[5278] koaQ7Jey 2016年12月05日 08:16:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5713]

『君の名は。』新海誠監督インタビュー
〜運命の人はいる、ということを伝えたかった〜 2016年9月8日
http://video.unext.jp/feature/cp/shinkaimakoto/
http://www.cinematoday.jp/page/A0005142?g_src=N0088008


『君の名は。』

「デジタル世代の映像文学」。深淵で詩的な世界観から、そんな風に称される作品を発表し続けている新海誠監督。『君の名は。』の劇場公開に寄せて、新作への思い、そして今までの劇場作品5編とのつながりについてお話を聞きました。(presented by U-NEXT×シネマトゥデイ/文:U-NEXT編集部)

■107分を、喜怒哀楽のすべてでコントロールする

Q:最新作『君の名は。』は、従来よりもエンターテインメント色が強く感じられました。前半は入れ替わりものの面白さをテンポよくコミカルに見せ、後半は一気にシリアスに展開していきますね。構成へのこだわりを聞かせてください。


『君の名は。』

「入れ替わりもの」の形を取っていますが、実は本当に描きたかったのは、お互いに手を伸ばしあう思春期の二人のドラマでした。物語の導入として、主人公のドキドキをわかりやすくするために、そういう形にしたんです。つまり、入れ替わりというのは、お互いの人間関係を通じて「お互いを知る」ための装置の一つなんです。

構成で一番意識していたのは、107分という時間軸を“コントロールしつくす”ということですね。107分を、観客の喜怒哀楽すべての感情で惹き付けられるようにしたかったんです。

予測させず、飽きさせず、かといって迷わせることもなく、常に映画の時間のほうが観客の理解の少しだけ先に行っていて。でも、時々立ち止まって観客の理解が追いつく瞬間を作って、それをまた引き離して。

絵コンテを描いている時も、観客の気持ちをひたすらシミュレーションしながら、107分で一つの音楽のようなものを奏でるんだ、というつもりで作りました。そこが一番こだわったところでしょうか。

それから、「若々しい映画にしたい」という思いは、常にありました。後半からグッとシリアスにしていく、というのは決まっていたのですが、どこまでも重くするのはやめようと。

全編を通して、笑いやコミカルな要素から手を離さないようにしよう、決して深刻になり過ぎないようにしよう、という点にもこだわりました。


『君の名は。』

Q:非常に印象的で、独創的なストーリー展開だったと思います。この物語が生まれるきっかけは、何だったのでしょうか?

物語の種みたいなものは、Z会の「クロスロード」というCMです。あれも東京と地方に離れた男の子と女の子の物語だったんです。Z会からは、“受験”というものを描いてほしいと言われていて、受験生男女の話を描いたんですが、その時にすごく手ごたえがあって。

人生には出会うべき相手がいるというテーマ、つまり「運命の人って、いるんだよ」ということですよね。それを、もう少し長い物語で描きたいと思ったのが最初のきっかけですね。


『君の名は。』

■風景が美しくある“必然性”があった

Q:新海監督の作品に多くのファンが魅了される理由には、やはり映像美があると思います。本作でも、ハッとするような美しい風景が多く描かれています。特に本作での情景の描き方として、意識されたのはどういう点でしょうか?

はっきりとした答えにならないかもしれないんですけど……今回はいつも以上に「主人公の二人が目にする風景が、美しくある必要がある」と思っていました。

入れ替わってしまう二人、瀧と三葉は、直接会えないけれど、お互いを取り囲む風景は目にするわけです。三葉は瀧になって東京に見とれ、瀧を取り囲む世界や人々を通じて彼自身に惹かれていく。そのためには、三葉が見る東京の風景はキラキラ輝いていないといけない。「こんな素敵な場所に住んでいるこの子(瀧)ってどういう子なんだろう?」という感覚です。


『君の名は。』

瀧についても、三葉が暮らす糸守町を「田舎だな」と思いつつも、見とれるシーンをいくつか入れているんです。こういう人たち、こんな風景に囲まれて暮らしている三葉のことがちょっと気になる、というわけです。


『君の名は。』

風景の描写には現実感が必要、という面はもちろんあるんですけど、現実をある意味でデフォルメして昇華させながら美しく描かないと、主人公たちの気持ちの変化に対して説得力が得られませんし、観客がキャラクターに気持ちを乗せにくくなってしまいます。東京が濁った風景であれば、三葉が瀧を好きになったことが体感的に納得できないと思うんです。

そういう面から風景を美しく描く必然性を意識しました。

Q:ヒロインの三葉は組紐を使って髪を結い、後半の大切なシーンでも組紐のイメージが登場しますね。重要なモチーフに、日本の古典的な工芸品である組紐を選ばれた理由は?


『君の名は。』

ちょっとロマンチックなラブストーリーでもあるので、運命の赤い糸のようにも見えるモチーフが欲しいなと思っていて。かつ、先人の知恵も伝えているものは何かと考えて。いろいろ探していくと、組紐って今の人たちにはあまり馴染みがないし、アニメーションのビジュアルとしてもちょっとキャッチーに見えるだろうと。

物語のために何が必要か、どういう要素が必要かは、そんな風に一つ一つ探していきました。

■『君の名は。』を支える天才たち

Q:キャラクターデザインに『心が叫びたがってるんだ。』の田中将賀さん。作画監督に『千と千尋の神隠し』の安藤雅司さん。従来の新海作品とは異なる才能を持つお二人が参加されています。どのような流れで実現されたのでしょうか。

個人的に田中さんの絵が昔から好きだったんです。そんな中で、(映画『心が叫びたがってるんだ。』の)長井龍雪監督に田中さんをご紹介いただいて。「CMを一緒にやっていただけませんか?」とお願いしました。そうやって出来上がったのが、先ほどの「クロスロード」です。

自分の作品がキャラクターアニメーションになり得るんだっていうことを、田中さんが教えてくれた気がします。

僕の作品の特徴だと思うのですが、キャラクターよりも情景描写の比重が高いということが多くて。僕自身、それが好きだっていうのもあったんですが、田中さんに作画していただいたことで、情景描写を抑え込むことなく、キャラクターも立たせられる、という経験ができたんです。

だから、次に長編を作るときもぜひお願いをしたいって、田中さんにはお話していました。


『君の名は。』

安藤さんに関しては、単純に僕が憧れていた人だったんです。

だから、今回の作画監督を誰にお願いするか、という話になったときに、実現可能かは別にして(スタジオジブリ出身の)安藤さんのお名前を最初に挙げさせてもらいました。

たまたま、スタジオジブリ出身の動画スタッフがうち(コミックス・ウェーブ・フィルム)に何人か居まして、つないでもらったんです。脚本と、田中さんのキャラクター原案を持って行って、「なんとかご一緒できないでしょうか?」とお願いしました。

お返事をいただくまで3〜4か月かかった気がしますが、最終的には「田中さんのキャラクターを動かす」ということに興味を持っていただけ、参加してくださいました。

Q:人気俳優の神木隆之介さんが、主人公の瀧を演じられました。彼の起用の決め手は何だったのでしょうか?


『君の名は。』

彼は耳がいいんですよ。声とか音に対しての感受性がすごく強い。

僕の作品を好きだと言ってくれるんですけど、せりふのリズムとか、「どうしてここで言葉を区切って言ってるんですか?」とか、そういう質問が多いんですね。

物語を楽しんでいるだけでなく、声のディテールみたいなのに興味を惹かれているような気がします。それが多分声優としての神木さんの魅力につながっていると思うんです。

それから、「僕はアニメが好きだから、みんなが好きなアニメの中の女の子のお芝居って、なんとなくわかるんです」みたいなこともおっしゃっていて、それは瀧になった時の三葉を演じる上でのバックボーンになっていると思います。

加えて、中性的な魅力であったりとか、演技力であったりとか、いろいろ考えていくと神木さんにしか最終的には行き着かなかったですね。

Q:三葉についても、新海監督は「何百人に会っても、三葉は上白石萌音さんになっていた」と語られています。その理由は一体なんでしょうか?


『君の名は。』

三葉というキャラクターの輪郭を彼女が教えてくれたからです。

脚本を書き終わった時、僕の中で「三葉って、本当はどういう女の子なんだろう」って、キャラクターが少し曖昧なところもあって。

例えば劇中で「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」と叫ぶんですが、「普通そんなこと叫ぶかな?」ってちょっと引っ掛かっていたんです。物語の都合に、キャラクターの芝居を合わせてしまったのではないかと。

でも、上白石さんに会った時、「この子だったらそんなこと叫んじゃうかもしれない」「勢いで、嫌なことを思い切り発散してしまうかもしれない」そんなことを感じさせてくれて。

存在感そのもので、僕に三葉を示してくれたと言えますね。もちろん、声の魅力や演技の確かさが大前提ではあります。

Q:人気ロックバンドのRADWIMPSが音楽を担当し話題になりました。彼らの楽曲は、作品にどんな影響を与えましたか?

作品に疾走感みたいなものを与えてくれたのが彼らだと思います。

具体的に言うと、最初、瀧と三葉は夢の中で出会って、スマホを通じてコミュニケーションをする。つまりメモのやりとりですね。そういう脚本だったんです。


『君の名は。』

でも、RADWIMPSの曲をもらって絵コンテにどう使おうか考えていると、スマホのやりとりだけじゃダメだ、と思ったんです。「もう一歩進んだ何かを、彼らはやらなきゃいけない、やらなければおさまらない!」みたいな気持ちにさせられた。

手や顔に文字を書きなぐる、お互いの体に物理的に何かを刻む、というシーンは、RADWIMPSの曲を聞いて湧いてきたものです。

最終的には映画の演出まで彼らのテイストから影響を受けたので、映画からは切り離せないですね。


『君の名は。』

とはいえ、彼らの曲は映画にべったりではない。映画のストーリーそのままを歌詞で歌っているわけではないんですね。でも映画から完全に離れてもいない。物語に普遍性を加味して、幅を広げてくれました。

野田さん(RADWIMPS・野田洋次郎)の距離感の取り方、バランス感覚みたいなものは、映画音楽が初めてとは思えないというか。最初に受け取ったラフ曲が「スパークル」だったのですが、ヘッドフォンで聞きながら外に出て何度も何度も聞きました。とにかく心に響いて、僕が本作で探していたものを、その曲が教えてくれたような気がして。彼らは、一種の天才だなと強く感じました。

■今の僕にとっては“集大成”

Q:最後に、新海監督にとって『君の名は。』はどのような作品でしょうか。

今の僕にとっての集大成と言える作品、それが『君の名は。』だと思います。

『ほしのこえ』(商業デビュー作)の時は、一人とか二人とか、具体的な相手に観てほしいという気持ちでした。でも発表した後から、その対象が少し広がっていきました。

作品を重ねるにつれて、対象が個人ではなくなり、もう少し遠く……いるかもしれない誰か、一生会うことがないかもしれない誰かに観てもらいたい、という気持ちが強くなってきて。

『君の名は。』では、僕のことを知らない人に観てほしいという気持ちが強いですね。新海誠作品だから観るという人以上に、『君の名は。』という映画が公開されているから観る、という人たちに「楽しかった。この作品、誰が作っているんだろう?」という風に思ってもらえたらいいなと思っています。
http://www.cinematoday.jp/page/A0005142?g_src=N0088008

■新海監督が語る、『君の名は。』が“集大成”である理由
http://www.cinematoday.jp/page/A0005142?p=2

2002年の商業デビュー以来生み出してきた5つの作品について、新作『君の名は。』とのつながりという面からお話を聞きました。

『ほしのこえ』(2002)

『君の名は。』でのスマホを使ったメッセージのやりとりは、この作品での主人公たちの携帯メールのやりとりを連想させると思います。しかももっと大きな部分でも『君の名は。』とリンクしています。楽しみにしていてください。


『ほしのこえ』

『雲のむこう、約束の場所』(2004)

初の長編作品であり、苦労もしましたし、上手くいかなかった部分も多くて。語りたい要素が詰まった作品です。夢で出会う男女とか、地理的な断絶とか『君の名は。』にも共通点の多い作品だと思います。


『雲のむこう、約束の場所』

『秒速5センチメートル』(2007)

個人的な思いは別として、僕の作品の中でも好きだと言ってくれる方が多い作品です。僕にとってもこの作品を経たことで「より多くの人に見てもらう」ことを意識しはじめました。すれ違い続ける男女、という構造は『君の名は。』と同じと言えますね。


『秒速5センチメートル』

『星を追う子ども』(2011)

モチーフとしては「生の世界と死の世界」を描くつもりだったんです。『君の名は。』にもそういう要素はあって、この作品から引っ張ってきた部分だと言えますね。ただ、当時は自己プロデュース面で足りなかった部分を強く感じます。


『星を追う子ども』

『言の葉の庭』(2013)

主人公がヒロインの足に触れるというフェティッシュな描写があるんですが、『君の名は。』では、さらにフェティッシュな描写があるんです。観る人が、新たな嗜好(しこう)に目覚めたりすると作り手としてはこれ以上の喜びはないですね(笑)。
http://video.unext.jp/feature/cp/shinkaimakoto/
http://www.cinematoday.jp/page/A0005142?p=2


10. 中川隆[5762] koaQ7Jey 2016年12月30日 13:47:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6203]

「君の名は。」川村P、世界的メガヒットの要因解説「集合的無意識にヒットした」

「君の名は。」のヒットについて語る東宝の川村元気プロデューサー
Photo By スポニチ

 8月の公開以来、快進撃を続けているアニメ映画「君の名は。」。当初想定された興行収入15億円をはるかに超えて国内で200億円を突破しただけでなく、中国やタイでも日本映画の興行成績記録を塗り替えている。東宝幹部も「超特大場外ホームラン」と驚きを隠さない世界的メガヒットの要因を、川村元気プロデューサー(37)は「集合的無意識にヒットした」と解説する。

 「集合的無意識」とは元々、心理学者ユングが提唱した国や民族を超えて人類全体に共通する普遍的な概念。川村氏は

「みんなが潜在的に感じているけど、まだ言葉や物語化されていないこと」

とかみ砕き、

「作品を作る上で、それがどれだけ入っているか一番気を付けている」

と説明。

この作品で描かれた集合的無意識は、プロローグで語られる

「ずっと何かを、誰かを探している」

という言葉が象徴しているという。夢の中で入れ替わる少年と少女が、お互いを求め捜す物語。出会うはずの誰かがどこかにいる−−そんな人間の心の深層に訴える部分が共感を得ているようで

「ティーンエージャーにとってはリアルだし、それを失った人たちもかつてはそういう気持ちがあった」

と指摘した。

 リピーターも多く、舞台やモデルとなった場所にファンが「聖地巡礼」と称して訪れるなど社会現象に発展。新海誠監督(43)の作品の魅力である映像美や、ロックバンド「RADWIMPS」が手掛けた劇中曲など「作品が持つレイヤー(層)の多さ」も“勝因”で、「楽しみ方の層が複雑に重なりリピートにつながっている。エンターテインメントは一言で言えるものじゃないと駄目だと言われてきたけど、今は全く逆で、単純化できてしまうものはなかなか大きなヒットにはならない」と分析した。

 中国では外国映画に政府が厳しい規制を設けているが、異例のスピードで公開。92の国・地域での配給が決定しており、近くフランスや韓国で上映が始まる。来年の米アカデミー賞長編アニメ賞の応募作としてもエントリーしており、「君の名は。」旋風は当分おさまりそうにない。

 ▼「君の名は。」の大ヒット 8月26日に公開され、邦画では宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」(308億円)以来15年ぶりに興収200億円を突破し、邦画歴代2位。中国とタイでは「STAND BY ME ドラえもん」を上回り日本映画の歴代新記録を樹立。ロサンゼルス映画批評家協会賞でアニメ映画賞を受賞するなど世界で評価されている。川村プロデューサーは今年公開の「何者」「怒り」も手掛けたヒットメーカー。11月に小説「四月になれば彼女は」を出版した。


11. 中川隆[6185] koaQ7Jey 2017年1月20日 13:51:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6634]

君の名はモデル地 諏訪湖隠れスポット 御野立(おのだち)公園
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2625.html


それにしても。 君の名はのモデル地。
それは飛騨だとか色々噂がありますね。

ワタスは御嶽山じゃないかと前に書いたのですが。

一説では諏訪湖という話もあるようです。

くほほほほ。
くほほほ。

そうですか。
諏訪湖ですか。

諏訪湖と来たらあんた。
ブロガー多しといえども、諏訪湖に詳しいのはこのワタスです。

なぜって諏訪湖は何回も行ってますし。花火大会もしょっちゅう行ってます。
寒空の中、御神渡りだって見てます。
氷上を歩いて、湖の中の神社まで行ったことだってあります。

ワタスの庭=諏訪湖。
ワタスに聞かないでどうするんですか。

さて、君の名はのモデルが諏訪湖だとすると。。

ずばりここだ!というスポットをお教えしましょう。

以下です。

だって、これ。
この風景。
こりゃぁ。
そっくりでしょう。

これ。


ここから諏訪湖を見ると、ハートの形してます。
うん。

諏訪湖がモデルとすればここ以外にない。
あの新海監督はここのスポットから見たに違いない。
場所はここです。

御野立(おのだち)公園というとこです。


塩嶺 御野立公園(えんれい おのだちこうえん)

御野立公園 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%BE%A1%E9%87%8E%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92

塩尻峠 塩嶺御野立公園展望台
https://www.youtube.com/watch?v=giruQvoMIGU


地図
https://www.google.com/maps?ll=36.092036,138.027709&z=15&t=m&hl=ja-JP&gl=JP&mapclient=embed&cid=1589384471913733924


塩尻峠はかつての中山道が通っており、諏訪平(現在の岡谷市)と松本平(塩尻市)を繋いでいる。現在の国道20号は標高1000m付近で峠を越えているが、1889(明治22)年以前の旧中山道は国道20号よりも北寄りの1055m地点を通っていた。

1880(明治13)年6月24日に明治天皇が巡幸の際に旧塩尻峠に立ち寄っており、旧峠付近は「塩嶺御野立公園」として展望台などが整備されている。この展望台からは諏訪湖や富士山、南アルプス、八ヶ岳連峰を望み、野鳥も多いことから「日本の音風景100選」(塩嶺の小鳥のさえずり)にも選出されている。



くほほほ。
これはまだ誰も気づいてないスポットです。

マイナー過ぎてほぼ誰も行ってません。
ワタスが行った時も来てませんでした。

もし君の名はファンの方がいたらぜひ行って見て下さい。

こないだタマタマってブログを見てね。
君の名はのモデルってここなんだって〜

お友達にそう自慢しましょう。

なんなら現地に来たい方。
ワタスが1時間1万ぐらいでガイドしてあげても良いですよ。

たまたまと巡る君の名はツアー。
とかなんとか。

長野の隠れスポットの紹介ですた。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2625.html


12. 中川隆[6452] koaQ7Jey 2017年1月29日 17:39:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6906]

「君の名は。」フランスでも絶好調 アニメファン以外も注目 映画.com 1/29(日) q

昨年末パリの劇場で 行われたプレミア上映の模様


 [映画.com ニュース] 昨年日本での興行収入ベスト1に輝いた「君の名は。」が、フランスでも12月28日から公開され、大きな話題を集めている。

もともとフランスには日本のアニメファンが多いが、新海誠監督の作品が劇場公開されたのは本作が初めて。これまではDVDリリースのみゆえ、一部の熱狂的なファンを除いては、監督はほぼ無名に近かったと言える。それだけに配給会社も反応が読めなかったと聞くが、蓋を明けてみれば多くの日刊紙や映画誌に取り上げられ、そのほとんどが称賛または好意的な批評を寄せている。

ル・モンド紙は「類い稀なすれ違いの物語を通して思春期の若者の心を描写。見逃せない」と絶賛、

カイエ・デュ・シネマ誌は「『君の名は。』は、これまで知られていなかったシネアストにやっと正統的な認知をもたらす」と記した。

細田守、原恵一に続き日本アニメ新世代としてフランスで認められた格好だ。


 今回プロモーションのためフランスを訪れた新海監督は、フランス最大の映画ウェブサイトallocineや紙媒体のインタビューに加え、地上派のテレビ局TF1の20時のニュース枠で紹介されたほか、(日本映画が取り上げられることは珍しい)、カナルプリュス、M6などの番組、またラジオ局フランスキュルチュールでも取材を受けたという。また、登壇したパリの中心にあるシネコン、UGCレアールのプレミア上映は、500人と300人収容のシアター2つで上映したものの、チケットが即刻完売。

この人気の理由は「昨年日本でもっとも当たった邦画」「『千と千尋の神隠し』に続く日本映画界歴代2位の成績」という話題が伝わって来たということもあるが、やはり作品自体がマスコミに圧倒的に支持された、ということが大きいようだ。

ちなみに公開4週目に入ったいまこの原稿を書いている前日も、平日の夜だというのにUGCレアールの上映が満席になっていた。

 では実際に一般の反応はどうなのか。そのダイレクトな感想を聞くために、公開週に劇場を訪れた。

観客層はかなり幅広く、家族連れはもちろん、10代から40代ぐらいまでの印象で、ティーンよりはむしろ20代以上が目立つ。

意外だったのは、それほど熱狂的なアニメオタクは少なく、むしろ日本のアニメはそれほど見ていないという観客が少なくなかったことだ。

20代の男女のグループは、

「日本でのヒットの噂や、こちらのメディアの評価を耳にして見にきた。男女の中身が入れ替わるというユニークなストーリーにひかれた」

「とても感動した。奇想天外なストーリーにぐいぐいと引き込まれた」

という反応。

30代の男性は、

「前半のライトでユーモラスなトーンも楽しめたが、後半の時を遡るドラマにはアニメだということを忘れるほどに引き込まれ、心を揺さぶられた」

と語ってくれた。


 一方、宮崎アニメファンでパリの郊外からわざわざ見に来たという40代の女性は、

「プロットは面白いが、宮崎の作品に比べると深みがない。
社会的なメッセージが感じられないのが原因」

といささか辛口。同じく40代の女性は、

「わかりにくいということはなかったが、あまりに話しがいろいろと飛びすぎて、ここまで複雑にしなくてもいいのではと思った。福島の惨事を連想させる部分もあったが、全体的には娯楽性ということに焦点が置かれていたので、せっかくこういうドラマを描くならもう少し社会的な要素も掘り下げてほしかった」

と語った。観客の年齢が上がるほど、作品の評価が厳しくなったように思う。


13. 中川隆[6540] koaQ7Jey 2017年2月03日 14:50:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6995]

「君の名は。」英語主題歌版(台詞は英語字幕付き)体験記


新海誠監督「君の名は。(Your Name.)」が4月7日より全米とカナダの劇場にて200スクリーン以上の規模で上映されることが決まった(配給はFunimation Films)。

それに伴いRAWPIMPSの野田洋次郎くんが新たに英語詞を書き下ろした歌バージョンの上映をミント神戸で観てきた。因みに兵庫県ではここ1館でしか上映されていない(東宝の映画なのに、何でTOHOシネマズでやってくれない??)。

台詞は日本語で英語字幕付き。予習としてEnglish ver.をiTunesからダウンロードし、歌詞とにらめっこしながら繰り返し聴いて頭に叩き込んだ。野田くんは幼稚園のときにアメリカのナッシュビルに引っ越し、ロサンゼルスの小学校などを転々としながら10歳で帰国したという。だから当然英語は自家薬籠中の物で、英語詞も実にこなれている。オリジナルはこっちじゃないか?というくらいの完成度の高さ。

6回目の鑑賞である。因みに僕が一番たくさん映画館で観た作品は高校生の時に封切られた「E.T.」の7回(@テアトル岡山、2003年11月3日に閉館)。ただし最初は試写会で観たし(同級生から招待ハガキを100円で買い取った)、シネコンが登場するより前の時代なので、当時は入れ替え制/指定席ではなく、連続して2回観ることも可能だったのである。「君の名は。」はちゃんと6回お金を払いました。

•「君の名は。」IMAX(次世代レーザー)体験記
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/imax-23f5.html


僕の前に座った女性は50歳位の母親を同伴していた。「私は2回目だから、お母さんは真ん中に座りなよ」と話していたので母親の方は初回と思われる。こんな特殊な上映が最初で大丈夫か?と訝った。

また一席空いて僕の左隣には中年夫婦が座っていた。上映が始まり、映画冒頭で三葉がスマホにセットしたアラームが鳴る。突如隣のオバちゃんが「あれ、誰かの携帯が鳴っとる!私のかしら?」と慌ててカバンをゴソゴソし始めた。この人も初心者か!心底びっくりした。


初公開から既に5ヶ月以上が経過した。それでも「君の名は。」は未だ映画館に一度も足を運んだことのない潜在的な観客を掘り起こし続けている。これは凄いことだ。

英語の歌詞は日本語と比較して情報量が多いので、新たな発見もあった。例えば冒頭の「夢灯籠」である。


あぁ 雨の止むまさにその切れ間と 虹の出発点 終点と
この命果てる場所に何かがあるって いつも言い張っていた

この「言い張っていた」の主語は「君」だとずっと信じていた。ところが英語版は


And where the end of this light flies, I've always been insisting there was something that I've been longing for

となっており、「僕」だったんだ!とびっくりした。また「前前前世」の歌詞「何光年」が英語では"millions of light-years"(何万光年)に変更されているのも、スケールアップしていて可笑しい。

他にも色々と英語の勉強になった。具体例を幾つかあげよう。

•「夢灯籠」unprecedented:前例のない

•「前前前世」eyes glow:目が光る、waver:たじろぐ
unfettered:束縛されない、自由な
come up with a verse:歌詞を思い付く、ひねり出す

•「スパークル」tame:飼いならす、hourglass:砂時計
skim through:飛ばし読みをする、ざっと目を通す
doze off:うたた寝をする、lukewarm:なまぬるい
mildew:白カビが生える
second,hour hands of the clock:時計の秒針、時(短)針
every word stacked:山のように積み重ねられた言葉

•「なんでもないや」gust of wind:一陣の風
make it here:ここに到着する、come short:もの足りない
glee:(サンタクロースが)ほくそ笑む
⇔「スパークル」の「君」にはgrin(歯を見せて笑う)という動詞が
当てられている。
showy crier:派手に泣く人

Zenzenzense だけ日本語のままというのが興味深い。相応しい英単語が見つからなかったのかな?

また「前前前世」で、


君の髪や瞳だけで胸が痛いよ
同じ時を吸いこんで離したくないよ

この箇所で英語版はリズムを変えている(三連符の一部で音を刻まずに伸ばす)。しかし2番の歌詞では日本語版と同じく全て刻んで歌っている。

さて、英語字幕では日米(英)の文化差が浮き彫りにされて面白い。例えば四葉は三葉のことを「おねぇちゃん」と呼ぶが、字幕では"MItsuha"。瀧は奥寺先輩に"Ms. Okudera"と呼びかける。該当する言葉がないんだね。

瀧に憑依した三葉が高校で初めて司と会う場面の会話、


「……ツカサ、くん?」「はは、くん付け?」

のくだりは字幕で完全無視。こういうニュアンスも英語では醸し出し難いのだろう。

あとハッとしたのが「隠り世(かくりよ)/あの世」が英語では"Underworld"となっていたこと。

そうか、キリスト教の"Heaven"でも"Hell"でもないんだ。

"Underworld"はギリシャ神話に登場する黄泉の国に該当する。
つまりこれを訳した人はオルフェウスとエウリディケの物語が念頭にあるんだね。それは日本のイザナギ、イザナミに呼応している。


以下余談。彗星の軌道問題(2回目のニュースから物理学的に作画が間違っている)は未だ修正されていなかった。

2017年2月 2日 (木) Cinema Paradiso, アニメーション・アニメーション!
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-78e9.html


14. 中川隆[-7537] koaQ7Jey 2017年6月11日 17:04:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

やっと まともな評価を見つけた、良かった:

「君の名は。」2016-09-16 | 映画の感想

 基本的に、中高生までを対象にした映画であろう。大人が観て楽しめるものだとは、とても思えない。とにかく筋書きがいい加減で、物語の体を成していないのだ。作者の新海誠には脚本の書き方を一から勉強し直せと言いたい。

 岐阜県の飛騨地区にある糸守町に小学生の妹と祖母の3人で暮らす女子高生・宮水三葉(声:上白石萌音)は、浮かない日々を過ごしていた。地域の神事に参加しなければならないし、町長である父の選挙運動のしがらみで余計なプレッシャーがのし掛かってくる。彼女はいつかこの小さな町を飛び出し、東京に行くことを切望していた。ある日、三葉は自分が男の子になる夢を見る。どうやら東京に住んでいる同じ年の高校生になりきっているようで、彼女は戸惑いながらも夢の中の出来事を楽しむのだった。

 一方、東京で暮らす男子高校生・立花瀧(声:神木隆之介)は近頃ヘンな夢をよく見る。自分が見知らぬ山奥の町で女子高生になっているのだ。ランダムで入れ替わる身体と生活に驚きつつも、2人は何とかその現実を少しずつ受け入れようとする。折しも千年に一度という彗星の接近を間近に控え、やがて三葉と瀧は事態は単なる2人だけの問題ではないことに気付いてゆく。

 大林宣彦監督の「転校生」(82年)をはじめとして、こういう“入れ替わりネタ”を扱った作品は少なくないが、設定に関する説得力ではこの映画は及第点には達していない。そもそも、何が切っ掛けでこのシチュエーションにおける“入れ替わり”が始まったのか、全く示されていない。

 さらに、主人公2人が“二重生活”を送るうちに互いを憎からず思うようになるのだが、そのプロセスが描かれていない。何となく“そういう感じ”になったことが提示されるのみで、切迫したパッションや愛情表現は皆無だ。だいたい、この異様な事態に対して、相手を好きになることよりもプロフィールなどを探る方が優先されるべきではないのか。

 映画が進むと三葉と瀧の属する時制が異なることが明らかになるのだが、どうしてそうなのかまるで不明。もちろん“合理的(科学的)な説明”などは要らないが、架空のハナシにおいてもそれなりの筋を通してもらわないと観る側は面食らうばかりだ。すべてを“時間軸は交差している”とか“組紐と口噛酒がメタファーだ”とか何とかという抽象的な物言いで片付けてもらっては困る。

 後半、瀧は三葉の住む町を探しに飛騨に出かけていくのだが、場所が突き止められずに右往左往する。しかし、これもオカシイ。過去に大きな災害があった地点であることは分かっているのに、見つけられないはずが無いのだ。さらに、糸守町は遠い過去にも同じような災禍に見舞われているのだという。地球上で千年(あるいはそれ以上)に一回しか無いような災害が、どうして同じ場所で起こるのか。明らかに無理筋・噴飯物の設定で、呆れるしかない。

 終盤の展開に至っては、三葉の友人が簡単に爆発物を持ち出したり、三葉が父親に対して受け入れられる見込みの薄い説得を試みたりと、強引すぎるプロットの釣瓶打ちである。題名通り、2人はよく相手の名前を忘れてしまって“君の名は?”と問いかけるのだが、その“忘れるタイミング”には何の根拠も無く、御都合主義の極みである。その要領の悪さをカバーするかのように、山のような“説明的セリフ”が挿入されるものの、何のフォローにもなっていない。

 ただし、映像は見事だ。ここだけ見ていると、不出来なシナリオのことを一時は失念してしまうほどに(笑)、目覚ましい美しさを誇っている。まあ、言い換えれば“映像のみのシャシンだ”ということにもなるが・・・・。冒頭で“中高生向け”と書いてしまったが、少しでも物事を筋道立てて考えることに長けた中高生ならば、本作の不備を容易に指摘することも出来るだろう。

 なお、全編に渡ってRADWIMPSとかいうバンドの楽曲がひっきりなしに流れるが、これがヒドい。自己陶酔的なフレーズの羅列としか思えない歌詞と、工夫の無いメロディ。第一、画面と全然合っていない。送り手の音楽に対するセンスを疑うような扱いであり、大いに盛り下がった。
http://cammed10.rssing.com/browser.php?indx=6213048&item=363


15. 中川隆[-10844] koaQ7Jey 2018年4月21日 09:25:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11662]
ギリシャ神話(オルフェウス)と日本神話、そして新海誠「君の名は。」の構造分析


以前、新海誠監督のアニメーション映画「君の名は。」には日本神話からの引用があると詳しく解説した。

•【考察】神話としての「君の名は。」〜その深層心理にダイブする。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-0824.html

上記事でイザナミとイザナギの物語がギリシャ神話と非常に類似していることにも触れた。そこで今回は社会人類学者レヴィ=ストロースの手法を用いて、両者の構造分析をしてみたい。

•レヴィ=ストロース「野生の思考」と神話の構造分析
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-af4b.html

•何故ひとは、二項対立で思考するのか?その根源に迫る。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-685e.html


これは僕にとって、構造主義をどれだけ理解しマスター出来たかを試す応用問題だと位置づけている。まずはギリシャ神話から見ていこう。


オルペウス(オルフェウス)の妻エウリュディケーはある日、毒蛇に噛まれて死んだ。妻の不在に耐えられなくなったオルペウスは冥府に下り、竪琴を奏でてエウリュディケーの返還を求めた。

悲しい琴の音に涙を流すペルセポネ(春の女神、ハデスの妻)に説得され、冥界の王ハデスは、「ここから抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、エウリュディケーをオルペウスの後ろに従わせて送った。

目の前に光が見え、あと少しというところで不安に駆られたオルペウスは後ろを振り向き、妻の姿を見たが、それは一瞬のことですべては霧のように消え去ってしまった。

一方、古事記に書かれた日本神話はこうなっている。


イザナギとイザナミは国産み・神産みにおいて本州・四国・九州などの島々、海・山・風など森羅万象を創った。火の神カグツチを産んだ際、イザナミは陰部に火傷を負い亡くなった。

これは火の起源を物語っている。火は料理や土器づくりに繋がり、自然→文化への移行を象徴していている。ギリシャ神話では以下の通り。


人類に火をもたらしたプロメテウスは大神ゼウスから火を奪った罰を受け、30年間鷲に臓腑をえぐられ続けた。

料理(火でものを焼く)という文化を人類に与えたプロメテウスは生肉を喰らうもの(鷲)にいたぶられる罰を受ける。ここに二項対立が出現する。

•火を通したもの(文化)↔生のもの(自然)
•地上に下った火↔空高く舞う鷹【垂直方向の差異】

なおインドの神話「リグ・ヴェーダ」によると、マータリシュヴァンは天界からアグニ(火の神)を奪い、人間にもたらした。このエピソードはプロメテウスとそっくりだ。プロメテウスもマータリシュヴァンも言うまでもなく境界を超えて活躍するトリックスター(二項対立を取り結ぶ/仲介する第三項)である。

ギリシャ神話と日本神話には次のような変換関係を認める。

•人類に火をもたらしたプロメテウスはゼウスから罰を受けるという代償を払う。→火の神カグツチを産んだイザナミは命を落とす。【自然→文化というプロセスの危険性】


古事記の続きを見よう。


イザナギがイザナミの遺体にすがって泣いていると、彼の涙からナキサワメ(泣沢女神)が生まれた。

ナキサワメは水の女神であり、火の起源に続き、水の起源が描かれる。


イザナギはイザナミにもう一度逢いたいという気持ちを押さえきれず、黄泉の国に旅立つ。しかしイザナミは黄泉の国の竈(かまど)で炊いた食べ物を既に食べてしまったから帰れないと彼に告げる(黄泉戸喫:よもつへぐい)。

古代では埋葬の際に食べ物を一緒に埋めていた。これを食べることで、死者は蘇ることが出来なくなると当時の人々は考えていたのである。つまり「同じ釜の飯を食う」という帰属意識だ。ギリシャ神話でも、ハデスに無理やり連れ去られ死者の国の食べ物(ザクロの実12粒のうち4粒)を食べさせられたペルセポネは、1年のうち4ヶ月は冥界で暮らさなければならなくなってしまった。


「決して覗いてはいけない」というイザナミとの約束を破り、イザナギは髪に挿していた櫛を折り、火をつけてイザナミの寝姿を見る。彼女の体は腐敗して蛆にたかられていた。

驚き逃げるイサナギ。恥をかかされて怒り、追いかけてくるイザナミと8人の泉津醜女(ヨモツシコメ)。イザナギは髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実を投げつけて撃退した(ヨモツシコメたちはそれらを食べた)。そしてあの世とこの世の境である黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)に辿り着くと大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁した。

ここに幾つかの二項対立が認められる。

•腐ったもの(イザナミ・死者)↔新鮮なもの(葡萄、筍、桃)
•蛆(自然)↔火・松明(文化)
•あの世↔この世【大岩で完全に分離】

では、オルペウスの竪琴に対応するアイテムは日本神話においては何だろう?

ここでイザナミ・イザナギの息子・須佐之男(スサノオ)が登場する。

彼が所持していた三種類の神器があり、内訳は

@生太刀(いくたち):生命の宿る剣、これで切れば病や傷が治るといわれる 

A生弓矢(いくゆみや):生命の宿る弓矢、これで射れば死者さえも甦るといわれる 

B天詔琴(あめののりごと):神のお告げに使う琴


•オルペウスは竪琴で死者を黄泉から帰らせようとする↔須佐之男の三種の神器

高天原を追放された須佐之男は出雲の国に向かい、そこで八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の生贄にされようとしていた、美しい少女・櫛名田姫(クシナダヒメ)を助け出し、八岐大蛇を退治する。

•オルペウスはニンフ・エウリュディケーを蛇の襲撃から守れない↔須佐之男は大蛇を倒し姫を救う

その結果として、

•冥界から帰還した後、女性との愛を絶ったオルペウスから見向きもされなかったトラキアの娘たちは怒り狂って彼の手足を裂き、頭と竪琴をヘプロス河へ投げ込んだ↔須佐之男は櫛名田姫と夫婦になり、末永く幸せに暮らした

ここに逆転による変換関係が認められる。さらに次のような変換も含まれている。

•須佐之男は八岐大蛇を八つ裂きにした↔トラキアの娘たちはオルペウスを八つ裂きにした

•須佐之男が退治した大蛇の尾を切ると、中から大刀が出てきたので、彼はそれを天照大神に献上した↔引き千切られたオルペウスの首は歌を歌いながら竪琴と共にヘプロス河を流れくだった。最終的にレスボス島に流れ着き、オルペウスの死を偲んだアポローン(異伝ではゼウス)によって竪琴は天に上げられ、琴座となった

トラキアの娘達がオルペウスを八つ裂きにしたのはディオニュソス(豊穣とブドウ酒の神)の祭りの時で、彼女たちは酩酊していたという。つまり”貪欲な口(口唇の欲望)=節度なき消化器”を表している。一方、須佐之男は姉・天照大神のいる高天原(たかまがはら)に居座り、神殿に糞を撒き散らすなど狼藉を働いたため、天照大神は天の岩屋に身を隠した。このエピソードは”粗放な肛門(肛門による漏出)=節度なき消化管”を表している。ここにも変換関係がある。

こうして分析を進めていくと、ギリシャ神話と日本神話が全く同じ構造を持っていることがご理解頂けただろう。両者を貫く主題は【生と死の分離】である。何故ひとは、永遠の命(連続)を有さず、有限(不連続)なのか?果たして我々が生きる意味はあるのか?その矛盾を少しでも解消・緩和すべく神話は存在する。

距離的にギリシャと日本は遠く隔たっている。構造が同じだからといって神話が伝播したわけでは当然ない。同時に発想されたと考えるべきだろう(共時態)。つまり人間の根源的思考様式(野生の思考)は万国共通なのである。これをユングは普遍的(集合的)無意識と呼んだ。

しかしたとえ構造が同じでも、文化の違いによる差異は当然ある。ギリシャ神話において、オルペウスが妻奪還に失敗したのは、ハデスとの契約を破ったためである。故にペナルティを課された(罪と罰)。プロメテウスが罰されたのも、神々の掟を破るという罪を犯したためである。

一方、イザナギが失敗したのは、イザナミに恥をかかせたからである。しかし約束を反故にしたからといってイザナギが罰されたわけではなく、あの世とこの世の境を塞いだのはあくまで彼の意志なのだから、責任の所在が曖昧な、いかにも日本的な解決策であると言えるだろう。【恥をかかされたものが身を引く(恥をかかせた者への責任は問わない)】というパターンは「鶴女房(鶴の恩返し)」「狐女房」「見るなの座敷(うぐいす長者/うぐいすの里)」などの日本昔話でも見られる。ところが西洋の童話「青ひげ」では、見るなと言われた部屋を覗いた新妻は青髭に殺されそうになる。やはり罪と罰なのだ。

•罪の文化/契約社会(西欧)↔恥の文化/なあなあの社会(日本)

これが神話で明かされる両者の差異である。

次に映画「君の名は。」の構造分析をしよう。まず瀧↔三葉には、

•男↔女【変換可能!】
•都会生活↔田舎暮らし
(日照時間長い↔短い)
•父と同居、一人っ子↔父は家を出た、妹がいる
•大雑把↔几帳面・器用
•生者↔死者
•水平方向の隔たれた距離↔3年という時間のズレ
•半月Half Moon(一人ぼっちの瀧)↔満月(瀧+三葉)
•扉・襖(ふすま)が閉じる(回路閉鎖)↔開く(回路開放)
•(ラストシーン)須賀神社の階段を上る(通時的)↔下る(遡及的)

といった二項対立がある。他に

•三葉(神に仕える巫女)↔父(人に命令を下す行政の長)
•三葉(ミズハノメ=水の女神)↔繭五郎の大火・神社で燃える松明
•ティアマト彗星↔地上【垂直方向の差異】
•第1回隕石落下:山頂のクレーター(御神体)↔第2,3回目:糸守湖形成【垂直方向の差異】
•この世↔カクリヨ(隠り世)=あの世
•三葉・テッシー・さやちん↔瀧・司・高木【親友】
•三葉・テッシー・さやちん↔松本・桜・花(意地悪)【敵対】
•朝日(スマホのアラームが鳴る/室内)↔かたわれ時(日没/屋外)

では二項対立を仲介しようとする第三項は何か?次のようなアイテムが挙げられるだろう。

•「来世は東京のイケメン男子にしてくださ〜い!!」という鳥居下での三葉の叫び
•組紐・ムスビ(一葉の台詞「水でも米でも酒でも、人の身体に入ったもんが、魂と結びつくこともまたムスビ」)
•電車(東京と糸守を結び、ラストシーンも並行して走る電車の窓越しにお互いを見つける)
•この世と隠り世の間を流れる三途の川【水】
•口噛み酒(男女を結合させる精液/膣分泌液の暗喩)【水】
•天と地を結ぶ隕石(ティアマト彗星の破片)→それは同時に瀧と三葉の結合を切断する刃でもある。【矛盾】
•巫女舞の髪飾りに描かれた竜(龍)→彗星の暗喩であり、「瀧」も〈さんずい(水)+龍〉→精子の暗喩でもある。瀧が御神体の中で見た夢(幻想)では彗星が地球(卵子)の表面に衝突して受精し、細胞分裂を経て三葉が生まれる。
•三葉ともう一度入れ替わるために山頂の御神体を目指して瀧が登ってゆく際に、しとしとと降る雨(天と地を結ぶ水)→ラストの再会の場面も雨上がりである(水がふたりを結ぶ)。

水が媒介する(第三項)という意味ではギレルモ・デル・トロ監督「シェイプ・オブ・ウォーター」の構造に近い(勿論、「シェイプ…」の方が後発)。

•アカデミー賞受賞「シェイプ・オブ・ウォーター」2回目の鑑賞で大発見!
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/2-2405.html

ではオルペウスの竪琴に相当するものは「君の名は。」の中で何か?

それは組紐だろう。組紐は細い絹糸や綿糸を束ねて編む。竪琴は複数の弦を張り、音を編む(紡ぐ)。やはり構造は同じである。

神話としての「君の名は。」のテーマは、オルペウスやイザナギの物語と同様に【生と死の分離/離別】という矛盾の解消・緩和にある。そこには東日本大震災(3・11)という出来事が大いに絡んでいる。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-42ac.html


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