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クローネンバーグ 『デッドゾーン The Dead Zone』 1983年 アメリカ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/670.html
投稿者 中川隆 日時 2016 年 11 月 21 日 15:10:14: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


『デッドゾーン』 動画
https://www.youtube.com/watch?v=E__5qTxCibY
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3765313
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3765837
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3766306

監督 デヴィッド・クローネンバーグ

原作 スティーヴン・キング

出演者

クリストファー・ウォーケン - ジョニー・スミス(主人公、高校教師)
ブルック・アダムス - サラ・ブラックネル(主人公のフィアンセ)
トム・スケリット - バナーマン保安官(主人公に「能力」を人のために役立てることを薦める)
ハーバート・ロム- サム・ウイザック医師
アンソニー・ザーブ - ロジャー・スチュアート(地方の有力者で、ジョニーの教え子の父親)
マーティン・シーン - グレッグ・スティルソン(新進の政治家、ジョニーのビジョンでは世界を破滅に導く)
コリーン・デューハースト - ヘンリエッタ・ダッド
ジャッキー・バロウズ - ヴェラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


 デッドゾーン (1983年 アメリカ映画)
http://eigamove.blog.fc2.com/blog-entry-110.html

最近では、優秀なバイオレンス映画で話題になることの多いデヴィッド・クローネンバーグ監督の初期作品です。

結構古い映画で、主演のクリストファー・ウォーケンが若い、若い。
お話の流れはいたってシンプルで、「交通事故で5年の昏睡状態から回復したジョニー(クリストファー・ウォーケン)は、手を握っただけで看護婦の家が燃えているのを知ったり、他界していると思われていた担当医の母親が生きていることが分かるなど、不思議な能力が目覚めたことを知る。その能力を使い、殺人犯を突き止めるのだが、能力の向上と反比例に体は衰退していく。ある日、議会選挙の最有力候補である政治家の手を掴んだところ、この政治家が、将来核戦争を引き起こすことを予知してしまい…」というお話。


というわけで、ストーリー自体は本当にシンプルで小ネタ的な感じなんですけど、当時としてみれば「透視能力」「予知能力」といった超能力は、衝撃的かつ斬新なアイディアだったのかもしれません。

どうしても昔の映画を見ると、「設定古いなー」「ありきたりだなー」と思うこともありますけど、先駆け的存在だったりするわけなので、その辺りは「新ジャンルを切り開いた先人へのリスペクト」を忘れずに観賞しなきゃいけない、と心がけております。

ただ、シンプルですけど、「超能力を持った主人公」という設定を最大限に生かした展開は楽しいし、何より見やすくて安心します。

複雑に入り組んだ映画を最近よく観るものだから、余計にほっとしてしまいました。


クリストファー・ウォーケンも大変魅力的に主人公・ジョニーを演じています。一見素晴らしいと思える、この特別な能力に苦悩する男です。

高校教師ジョニーが交通事故から5年後に目覚めたら、相思相愛だった恋人が別の男と結婚していて子供までいる、という大変打ちのめされる事態に陥ります…孤独に打ちひしがれ…ちょっぴり泣いちゃったりなんかして…そいで無愛想にむっすりしているかと思いきや、急きょフニャっと笑顔を見せたりなんかして…そんなシーンをやたらと挿入するところに、若干の狙いを定めた「いやらしさ」を感じないわけではないですが。いや素晴らしい! うらやましい! こんちくしょう!! …と思うほど、クリストファー・ウォーケンの魅力に溢れた描写です。

不機嫌…?(ハラハラ…)

良かったー。(人たらしめ!)


映像センスもばっちり良くて、とりわけ超能力者ジョニーの特殊能力で見える「ビジョン」の映像が鮮烈です。何も特別な特撮をしているわけではないんですけど、微妙に不思議な空気や異質感を滲ませるあたりが、さすがクローネンバーグ監督。初めての「ビジョン」である火事の場面から、ドキリとさせます。

殺人の被害者の遺体に触れて見える殺された局面の「ヴィジョン」では、まさに過去にタイムスリップしたように現場に居合わせ、事件を直視させられます。…この能力を持てたら便利で素敵だろうな、とは思わせないショッキングな描写なのです。

最近では、クリント・イーストウッドの「ヒアアフター」でも、霊能力を秘めた主人公がその能力の行使を嫌がり、殻に閉じこもる感じでした。本作の主人公もまた非常に苦悩し、引っ越してまで身を隠そうとします。多くの透視依頼も断ってしまうのです。
えー。使いまくって人助けすりゃーいーじゃん。せこいなー。

と思いがちですが、この能力は相手の受けたショックと同化してしまうため、心が持たないのでしょうね。

ビジョンを見るたびに目ん玉パチクリさせるジョニーの体は、能力の進化とともにどんどん衰えていくのでした。


(まさに核戦争前夜の瞬間を見てしまう)


周りの反応も、能力者に対し好意的なことばかりとはいえません。

これも「ヒアアフター」でありましたけど、あまりにズバリと言い当てるものだから、怖がられてしまい、人が離れていったりします。

「オレを透視してみろよ、ふっふっふ」と挑発的に迫っておいて、ジョニーに知られたくない秘密を透視されてしまった記者は、「この化け物め!」とののしります。勝手なものです。

ジョニーの教え子がある事故で死んでしまう未来が見えたので、父親に注意を促すも「帰れ!」と怒鳴られてしまったり…。

この辺りは、ちょっとモヤモヤしてしまいました。

ただ、ジョニーを信じたれよーとは思うものの、実際この手のことを言う人は、「99%が偽物」と言われていますから、確かに警戒されるのも無理はないのかもしれません。
ゆえに、本当に能力を持った人ほど、「能力を隠す」と聞いたことがあります。

映画の終盤は、将来核戦争を起こすと予知した政治家のエピソードです。

生真面目な気苦労人・ジョニーは、またまた悩みます。
信頼している担当医に相談します。

「先生、ある男の未来がヒットラーであったなら、その男を殺しますか」と。
一人で抱え込むタイプのジョニーは、ついにその政治家を殺そうと考え始めているのです…

…。

…ちょっと極端じゃないかなあ?
他に何かしら手段があるんじゃないかなあ。

核戦争を起こすのは、将来その政治家が大統領に登り詰めた後のことなので、まだ先の話です。

何とか他に手はなかったものか…。

確かに、主人公は能力の強さゆえに体が弱り、余命いくばくもなかったため焦ったのかもしれません。その政治家の人気は、裏側のあくどさに反して非常に高く、大多数の民衆はころりとダマされていましたし。

それにしても、ジョニーに相談された担当医の先生は力強く言います。「僕なら殺すね!」って、責任問題だよこれ。

架空の話だと思ってたって? ただの例え話かなって? ジョニーの超能力のこと知ってたのに?

可愛そうなジョニーは悩みます。

「ああ、そうなんだ…やっぱりそうだよな…殺さなきゃ…ああ、でもサラにも会えなくなるかも…ああ、どうしよう…どうし…」

担当医「君には未来を変える能力があるんだ、素晴らしいね!」

って背中を押すんじゃない!


(ほらー、やる気満々になっちゃったじゃないかー)
http://eigamove.blog.fc2.com/blog-entry-110.html


クローネンバーグ監督の傑作


『デッドゾーン』は1983年に公開されたデヴィッド・クローネンバーグ監督の作品である。話題作が多く、今なお第一線で活躍するクローネンバーグのフィルモグラフィを振り返っても、『デッドゾーン』を特別な魅力を持つ傑作と呼ぶことに躊躇を覚える人はほとんどいないだろう。スティーヴン・キングの長編小説に大胆なアレンジを施してはいるものの、超能力を持つ主人公の孤独や宿命の残酷さを静かで寒々しいトーンで描き、原作の世界観を損なわず映画化することに成功している。

 主人公ジョン・スミスに扮したクリストファー・ウォーケンが理想的な配役なのはいうまでもないが、主治医ウィザック役のハーバート・ロム、政治家スティルソン役のマーティン・シーン、恋人サラ役のブルック・アダムス、連続殺人事件を追う保安官バナーマン役のトム・スケリット、殺人犯の母親役のコリーン・デューハースト、資産家ロジャー役のアンソニー・ザーブ、ロジャーの息子でジョンと心を通わせる少年クリス役のサイモン・クレイグのキャスティングも完璧で、全員が映画にとけ込んでいる。わびしい自然の風景を主人公の内面と重ね合わせるようなマーク・アーウィンのカメラ、繊細で透明感のあるマイケル・ケイメンの音楽も美しい。ロナルド・サンダースの編集の手際も鮮やかで、こうあれかしというテンポをラストシーンまで保っている。

 クローネンバーグ監督は人間の肉体の変化を描くことを好んでいる、という評を何かで読んだことがある。それに沿っていえば、『デッドゾーン』も変化を描いた作品である。ただし、肉体ではなく精神の変化である。超能力を発揮する時に主人公が電流を浴びたような状態になったり、その疲労感で顔色が悪くなったり、足を引きずったりと、肉体も多少変化するが、重きが置かれているのは精神の方である。全体に漂う雰囲気は外向的なものではなく、あくまでも内向的なものだ。

映画の内容

 ジョン・スミスはハンサムで、いかにも好青年らしい教師である。ある日、彼は同僚で恋人のサラ・ブラックネルとのデートを終え、雨の中一人で帰宅する途中、タンクローリーの横転事故に巻き込まれる。昏睡状態に陥った彼が眠りからさめたのは5年後のこと。サラはすでにほかの男と結婚していた。そして彼自身はというと、得体の知れない能力を持つ人間になっていた。超能力者になっていたのである。

 ジョンの能力は、誰かの手にふれると相手の過去・現在・未来が見通せるというものである。その力を使い、彼は看護婦の娘エイミーを火事から救う。主治医ウィザックが戦争中に生き別れになった母親の居所をつきとめる。超能力を小馬鹿にするテレビ局の記者の古傷に痛みを与える。謎に包まれた連続殺人事件の犯人の正体を暴く。束の間自分と心を通わせた内気な少年クリスの死を予知し、どうにか死を回避させる。

 しかし、ジョンは自分に備わったパワーを疎ましく感じている。自分の能力が強くなればなるほど肉体の疲労は激しくなり、ひどい頭痛にも悩まされる。彼は自分の寿命がそう長くないことを自覚しはじめる。

 上院議員の選挙が目前に迫ったある日、ジョンは成り行きで政治家グレッグ・スティルソンと握手する羽目になる。その時、スティルソンが大統領に就任し、核ミサイルのボタンを押す未来を予知する。ジョンは苦悩の末、誰の力も借りずスティルソンを暗殺することを決意する。

原作と映画

 一歩間違えば、いかにもハリウッド的なヒーローものになるところだが、そうはならない。理由も分からぬまま特殊な能力に目覚めてしまった一人の男の孤独な生と死を描く作品。あくまでもそのスタンスを固持しているし、そこが魅力である。超能力が発揮されるきっかけを、他者の手にさわる、他者と手をつなぐ、という行為に限定したのも、原作とは異なるが、主人公の孤独を浮き立たせる上で奏効している。

 サラがスティルソンの選挙運動の協力者としてジョン・スミスの前に現れるのは、やや出来すぎた設定だが、これをうまくラストのクライマックスにつなげているので、結果的には全く不満を感じない。これも原作にはない設定である。映画的に盛り上げるための、ひとつの発明といっていいだろう。ちなみに、映画の冒頭と後半で2回朗読される詩は、エドガー・アラン・ポーの「大鴉」。これも運命の皮肉さを醸すのに一役買っている。この詩に出てくる「レノア」を「サラ」に置き換えるとジョンの物語になる、といっても誇張にはならないと思う。

 ところで、ジョンはどのようにして超能力にめざめたのか。
 映画版のジョンは、事故の日にサラと遊園地でデートし、ジェットコースターに乗り、その最中に激しい頭痛に襲われる。これが事の起こりであるかのように、ジェフリー・ボームの脚本は示唆している。
 一方、原作のジョンは、少年時代にスケートで遊んでいる時、人とぶつかり頭を強く打って失神する。その直後に予知能力を発揮する。はっきりとは自覚していないが、この時点で、ジョンの脳の中にはデッドゾーンが生じ、「彼の脳の別の小さな部分」がうっすら目を開けている。

 つまり、映画版のジョンは、事故に遭うまで平凡な一教師にすぎない。それが突然わけの分からない能力にめざめる。当然、そこに激しい戸惑いが生じる。原作のジョンは、少年時代から非凡である。事故に遭う前も、彼はカーニバルの屋台で大胆なギャンブルをして勝ち続ける。当たり目が見えたからだ。すでに彼はパワーを持っているのである。それが事故の後、完全に覚醒し、万能の透視能力を発揮する。映画版とは異なり、わりと積極的にパワーを駆使している節もある。心のどこかで、狂信的な母親が死ぬ前に口走った、「神はあなたに仕事を用意なさっている。神から逃げては駄目よ、ジョニー」という言葉にとらわれているのだ。
http://www.hananoe.jp/movie/meiga/meiga062.html

『デッドゾーン』の世界 [続き]

解釈の余地

映画版では、あれこれの解釈の余地なくストーリーが進行する。スティルソンは人間の屑であり、危険人物であり、歴史から消えるべき政治家だという印象が揺らぐことはない。だからジョンが行動をおこすのはやむを得ない、となる。

 原作はもっと複雑である。ここではスティルソンの過去の歩みが丁寧に描かれている(ジョンの過去はというと、スティルソンほど言及されていない)。そうすることで凶暴かつダーティな人物像に厚みが生まれている。ジョンはこの「信仰復興運動の説教師の激越で威嚇的な、速射砲のような弁舌の持ち主」を嫌悪する。彼の中では、母親の心を完膚なきまでに蝕んだ宗教のイメージと、かつてバイブルを売り歩き、雨乞い師もしていたスティルソンのイメージが合致しているのだ。

 スティルソンと握手した時、ジョンが見通した未来は、強烈なインパクトを持ちながらも、抽象的で断片的なものにすぎない。自分がスティルソンの行く手を阻むことまでも、そうとは知らずに予知してしまっているからである。本来ならば、ジョンにとって「彼を殺す。暗殺する」と決断するための材料は、これだけでは足りないはずだ。
「紛れもない殺人が、結局、選びうる唯一の道だということになったらどうするか? そして、僕は引き金を引けるということになったら? 殺人はそれでもやはり悪だ。殺人は悪だ。殺人は悪だ。まだほかに答えがあるかも」
 このようにジョンはぎりぎりまで葛藤する。そこから解釈の余地が生まれる。スティルソンは実際に核戦争を起こす危険人物なのだろうが、ジョン自身が「彼を殺す。暗殺する」と決断した背景には、もっと個人的な感情、母親を狂わせた邪教的なものへの憎悪や復讐心も含まれていたのではないかと。

 映画には「僕に備わったパワーを今は神の恵みだと思っている」という台詞が出てくるが、原作のジョンはそんな風に悟らない。彼は絶望的な状況で神に挑んでいる。そういう姿勢は、「この才能は神が与え給うたものだ、というなら、それならば神は食い止めねばならない危険な狂人だ。神がグレッグ・スティルソンの死を望むなら、なぜ彼が臍の緒を首に絡ませたまま産道を降りるようにさせなかったのか」という文章からも明白である。

 とはいえ、映画の中にも気になる点はある。ジョンが人目を忍び、一人暮らしを始めた家の壁に飾られた絵画である。その多くは風景画のようだが、一枚、黒いロケットが飛んでいるような子供っぽい絵が飾られている。監督が意味もなくこんな絵を配置させるわけがないので、やはり暗示的な意味を持たせていると解するべきだろう。そこで浮かび上がってくるのは、この絵のイメージが病んでいるジョンの脳にすりこまれ、スティルソンの未来をはっきり見通す際に影響を与えたかもしれない、という可能性である。そもそも映画版のジョンが予知能力を発揮した対象は2人にすぎない(看護婦の娘エイミーの場合、現在進行形の火事を透視したものなので、この中には入らない)。1人目はクリス。これは少年が溺死する断片的イメージが見えただけである。2人目はスティルソン。これは明確な光景として予知される。しかし、わずか2回で自分の予知に確信を持てるものだろうか。その予知を促進し補強したものがあるとすれば、それは部屋に飾ってある絵なのではないか。

忘れられないシーン

 ジョン・スミスそのものにしか見えないクリストファー・ウォーケンの魅力については、すでに多くのことが語られている。この作品に限ったことではないが、彼の演技は台詞の言外にあるナイーヴな感情の波で観る者を静かに包み込む。前作『ブレインストーム』で共演者のナタリー・ウッドが水死し、いろいろ噂された後だけに、彼としても『デッドゾーン』にかける気持ちは強かったのではないか。

 好きな場面はたくさんあるが、何度観ても胸にしみるのは、ウィザック博士がジョンの透視能力をいぶかしく思いながらも、戦争で生き別れになった老母の家に電話し、その声を聞いて、何もいえぬまま手で目を覆うシーンである。ウィザック役はプラハ生まれの俳優ハーバート・ロム。1930年代にデビューし、『マダムと泥棒』や『ピンクパンサー2』などにも出演しているベテランだ。その抑制の利いた演技が素晴らしい。短いシーンながら、平静なウィザックが長年心に秘めていた哀しみが伝わってくる。このシーンがあるからこそ、「ヒトラーが台頭する前のドイツに行けたら、一体何をしますか? 彼を殺しますか?」というジョンの問いに答える資格のある人物として、説得力を持ち得るのだ。
 電話つながりでいうと、ジョンが公衆電話でクリスの無事を確かめるシーンも良い。一瞬、クリスは死んだのかと思わせるが、その辺の演出もうまい。無事を知ったジョンが受話器を胸に当てる行為には、自分の声が相手に漏れないようにするためだけでなく、もう会えないクリスをやさしく抱きしめる意味合いも込められている。老母の安否を確かめるウィザックの心情と重なる場面でもある。

 私が『デッドゾーン』を初めて観たのは高校時代のこと。その時はハインリヒ・ハイネの「アトラス」を思い出し、詩集を読み返したものである。当時ドイツの詩が好きだったので、たまたま頭の中で重なったのだ。

俺は不幸なアトラス! ひとつの世界を、
この苦しみの世界をまるごと担わねばならない。
担うべくもないものを担い、
体の中で俺の心臓は破裂しそうだ。
誇り高き心よ、これはお前が自分で望んだことだ!
お前は望んだ、限りなく幸福でありたいと、
それが駄目なら限りなく不幸でありたいと。
誇り高き心よ、かくて今、お前は不幸の方を引き当てた。

 ジョンが置かれた状態はこの「アトラス」に通じている。彼は超能力を己の欲望のために用いなかった。それは自分で選んだことである。望みさえすればいくらでも利己的に濫用出来たはずだ。しかし、彼はそういう神経を持ち合わせていなかった。結局は背負いきれないような苦悩を背負い込み、悲劇の道を歩むのである。

 映画は不幸な結末を迎える。ジョン・スミスの名は、精神異常の暗殺未遂犯として犯罪史に刻まれるだろう。が、ジョン自身は誰も気付いていないところで世界を救い、自分の役目を果たしたと感じている。映画を観ている私たちはそれを知っている。変化した未来で政治生命を終えたスティルソンがとる行動も、大きなカタルシスをもたらす。それに、ジョンは愛する人の腕の中で息絶えたのである。状況は最悪だが絶望的ではないエンディングというべきだろう。その深い余韻の中、原作の言葉を借りれば、「ぼくらはみな自分にできることをやり、きっとそれでよいのだろう......もしよくなくても、それはそれで仕方がない」という気持ちに、私たちは無理なく同化することが出来るのだ。
http://www.hananoe.jp/movie/meiga/meiga063.html  

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