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緑龍會とは
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/215.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 16 日 04:36:55: xsXux3woMgsl6
 

(回答先: 魔法陣は、人々の祈りの想念波、スカラー・ポテンシヤル・エネルギーを取り込んでゐる 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 15 日 20:28:57)

 
 
 
 
緑龍會とは、
地下世界アガルタ・ネツトワークと、
人類の祕密裏に交流する組織なのではないのか。
地上世界に彼等の意思、思想を反映させる爲の。
紅卍會や笹目仙人も同樣であらう。
日本に古來から傳はつてゐる龍b傳説、河童傳説は、
此のアガルタの住人の事ではないのだらうか。
そして其の存在は國つbであると。
また、世界統一政府の流れは二つあるやうで、
イルミナテイ側とはまた別の世界統一政府の流れがあるやうだ。
そしてイルミナテイの背後で聯中を操作してゐる國つbの勢力と、
イルミナテイは上手く交流出來なくなつてをり、
其れゆゑ幣立b宮に助けを求めに來たのだらう。
(詰まり地下世界の異人類勢力も二つ有ると云ふ事なのだらうか)
 
 
 
 
黄金の百合/Golden Lily/天皇カルト:バルセロナより愛を込めてさんへ
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/557.html
投稿者 HAARP 日時 2005 年 5 月 25 日 12:26:48: oQGUNb5q8hjD.
 
 
バルセロナさん:
黄金の百合作戦(レッ・ボルテール:山下の黄金の「伝説」)
http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/768.html

『天皇の名の下に、あるいはアヘンとその加工物の販売網をコントロールするために、緑団【原文”Banda Verde”で「緑色の集団」と訳せるのだが中国人によるマフィア的組織と思われる。実際の名称をご存知の方はお教え願いたい。:訳者】の中国人の首領たちと手を組んだ。』

そういえば、この「緑団」というのは、「緑龍会」というやつではないですかね。グリーン・ドラゴン・ソサエティとして一部で知られている、ナチとも連携したウルトラ秘密組織だと聞いています。頭山満の黒龍会が表だとした、その裏板ですかね。このあたりは、かなり情報が錯綜して調べにくいです。
なんとなくなんですが、ここには紅卍という、中国ベースの秘密結社が絡んできて、それがスカボンの源流であるズール(トゥーレ)協会と連携していたようです。このあたりが明かになると日本からヨーロッパに繋がる秘密結社の情報網がはっきりしてくるはずなんですが、なかなかむずかしいです。
もし、これが出来れば多分、ハンガリー王室が主宰すると言われる「ドラゴン結社」とも繋がるはずなんです。最近では、IBSSAという「民間警備会社」の名誉代表が「再結成」されたドラゴン結社のグランド・マスターのようです。

このあたりを堀りはじめると、もうハザール帝国のユダヤの歴史もしらべなきゃならなくなるし、手に負えないかもしれません(笑)。
ここには、中国の景教(原始キリスト教ですね)の中東から日本への伝搬とイエズス・ネットワークの絡みだの日本の秦氏の「罪状」とか大変なことになってしまう。しかし、この原始キリスト教というのは、要するに「キリストもセックスする人間だった」というものですから、ローマ・カトリックと葛藤を起こし、件のの「ヨハネ教」に収斂しつつ、最近は「ダ・ビンチ・コード」@シオン修道院にループしてしまうんですよ。

とりとめのない雑談モードで失礼しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
第一章 一連の物語 5 天言鏡/辻天水氏 - その1 始めは頑固な人物であった!?/辻氏の仕事は最後の一厘の仕組みか!?
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/380.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 10:02:28:Bat5keDwZxjsQ
 
 
*天言鏡/辻天水氏 - その1*

*始めは頑固な人物であった!?*
 
 
 
 辻天水(本名正道)氏は明治24年(1891)6月21日、三重県の菰野の町に産まれた。辻家は第59代・宇多天皇の近江源氏の佐々木源盛綱を祖とする家系で、盛綱より7代目にあたる真野行定の孫、間宮定利が近江国高嶋群の澤ノ庄辻村に移り住んだ際に、辻姓を名乗るようになったという、由緒在る家系であった。

 大正8年の頃に、小高という大本の宣伝使が菰野を訪れ、盛んに布教活動を開始した。結果、多くの入信者が現れ、この地に大本支部が出来る事となった。この際に支部設立を世話したのが、辻氏であったという。しかし、その割には辻氏は、入信したという訳でもなく、隣村の石垣という宣伝使が「辻さんに入信していただくのに、10年かかった」という述懐をしているそうで、相当時間が掛かったようである。

 結局昭和5年に、ようやく辻氏は、妻のゆき女史と共に、研修会に参加する事となった。この研修会には、他にも参加者が居たようであるが、王仁三郎氏は辻氏を見るなり

「あんたは伊勢のカンノシ(神主)か?」

と、いきなり聞いてきたという。辻氏は

「いいえ」

と否定したものの、王仁三郎氏は納得せずに

「いや、お前は伊勢のカンノシじゃ、カンノシになれ」

と言っていたという。
 
 
 
この日の研修会を契機に、辻氏は大本に入信するようになった。その後、辻氏は亀岡の本部で「大本皇大神」の揮毫(きごう)と宣伝使の階位の辞令書きという、事務職を続ける事となった。
そんなある日、王仁三郎氏がひょっこり、辻氏の仕事部屋にやって来た。

「おう、感心に真面目にやっておるのう」

と辻氏の揮毫した「大本皇大神」の神号を見ると

「後で、ここに日が入らねばならぬがなぁ」

と呟いたという。
 
 
 
 昭和10年、大本の第二次弾圧のあった年、王仁三郎氏が、また辻氏の仕事場に顔を出した。辻氏の入信は昭和5年とされているので、つごう5年ほど、事務職に専念していた事になる。辻氏は思い切って

 「聖師さま、私は何時までこの仕事をすれ宜しいのでしょう。来る日も来る日も、こうして辞令書きばかり、どうか私を宣伝使にして頂けませんでしょうか」と頼んだ。

すると王仁三郎氏は

「あんな玄関先で喋っているのの何がええのか」

と、この願いは受け入れなかった。こうして、再び辞令書きを続ける事となったが、数日後に再び王仁三郎氏が、辻氏の仕事場に現れた。

「今日は精がでるの」

「左様ですか、有り難うございます」

という少々のやり取りの後、辻氏は思わず「アッ」と叫んでしまったという。それは「大本皇大神」と揮毫する所を「大△本皇大神」と大と本の間が開いてしまったからだ。

辻氏の仕事は最後の一厘の仕組みか!?

「申し訳有りません、書き直しましょうか」

と辻氏が謝ると

「それでええんや、ちょい貸してみぃ」

と王仁三郎氏が自ら筆を取ると、大と本の間に「日」を書き入れて「大日本皇大神」という神号を書いた。
そして

「これでええやろう、これをお前にやる、いずれ大事な時に使う事になるからな」

「どんな時でしょうか?」

「一厘の仕組みや、あんたの本当の仕事はそれや」

と王仁三郎氏は語った。
 
 
 
 「一厘の仕組み」とは、出口直子氏の「大本神諭」の時から、出ている謎の仕組みで、大体の概要としては、悪神/体主霊従(物質・肉体を主体として、精神・霊を従とする現代人や風潮)によって九分九厘まで汚された世界を、残り一厘の仕組みで、ひっくり返す。つまり、一厘の仕組み=世界救世の大神業と、同一視されるほど、大本では重要な秘策であるとされていた。   
 
「私にそんな大層な事ができますでしょうか」

「ええか、よく聞けよ、この大本は宗教やないで、神業団体や、この意味判るか」

「わしは先ず仏教を滅ぼす型をやるのや、それが色々な宗教を滅ぼす型になるのや」

と王仁三郎氏は答えた。
辻氏は不思議に思い

「どうして宗教を滅ぼすのですか?」

と聞いた。すると王仁三郎氏は

「ミロクの世に宗教があってどないする、宗教というものが無いのがほんま、素晴らしい世の中なるんや」
と答えたという。
 
 
 
 確かに、誰もが倫理的・道徳的な人達ばかりで、お互いが助け合うような世の中であったとすれば、警察も宗教も要らなくなる事になる。例えば数年前なら、辺境の田舎に行けば、泥棒も存在せず、誰もが玄関は開けっぱなし、窓も開けたまま昼寝する事も珍しい事ではなかった。王仁三郎氏は、世界中がこの様な世の中に成る事を目指していたのかも知れない。
 
 
 
 
 
 
 
 
笹目仙人とは
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/305.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 24 日 23:30:07: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
Re: 「紅卍字會」關聯・笹目仙人
http://asyura.com/sora/bd19991/msg/56.html
投稿者 招き黒猫 日時 1999 年 1 月 11 日 09:53:51:
 
 
 きつかけは、大聯發の列車に乘つたときのことである。笹目氏が坐席に腰掛けると、眞嚮かひ
に坐つた中年の男がいきなり日本語で話しかけてきた。
「私は、白頭山に住む呂靈 來來 (りよりんらい)深仙の使ひのものです。あなたを迎へにき
ました」
 男は仙人の弟子であつた。彼によれば、呂深仙は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和國)との國境
にある白頭山の洞窟に住み、年は207歳に成ると云ふ。
 「一緒に白頭山へ來ていただけますか」と弟子は言つた。
 呂b仙は日本からひとりの青年が滿洲を訪れる事を豫見してゐた。其の青年に將來のことを
指導するため、弟子に大聯行を命じたのだと云ふ。
「日本人青年の名は、”熊○(木二つに下が土)御堂”(くまんみたん)だと言はれました。」
「私の名前は笹目恆雄(本名)ですが。」
 笹目氏がさう答へても、弟子は少しも動じなかつた。
「其れは3000年前の前世でのお名前だと思ひます。」
 笹目氏の眉と眉の間に、はつきりと”熊○御堂”と記されてゐたと云ふ。笹目氏は、不思議に
思ひ乍らも、呂b仙に會ふことに成つた。
 仙人と云へば白髮の老人と云つたイメージがある。然し、意外にも呂b仙は童顏で、闇の中、
彼の周圍だけが光つてゐた。
 呂b仙は笹目氏に嚮かつてかう告げた。
 「あなたは、ふつふの人のやうな生涯は送れない。日本と云ふ國のカルマを背負ひ、常人には
とうてい耐へる事の出來ない苦勞をしなければならない。其の苦境から脱出する鍵は、12年
後に會ふことに成る崑崙山の疏勒(しゆろ)b仙から授けられる事に成る」
 笹目氏の使命はモンゴルの遊牧民を救ふことだと教へられた。
 歸國後、彼は、b仙の教へどほりにモンゴル再建のために私塾を開き、モンゴルの青年たちを
招きいれる事に成つた。やがて、笹目氏は彼らとともに内モンゴルを中心に獨立運動へ參加し
ていく。蒙彊(もうけふ)自治政府徳王私設顧問として、力を盡くしたのである。そして、呂
b仙に會つてから12年たつた1936(昭和11)年6月、豫告されたとほり幻のチベツト民
族が住む、青海の山奧で500歳の疏勒b仙に會ふことに成つたのだ。矢張り子供のやうに小柄
で、童兒のやうな顏立ちをしてゐた。

太陽光線を食事に變へるb仙直傳の祕法とは

 疏勒b仙は、此の12年間にわたる苦勞をねぎらふと、笹目氏に、
「では太陽の精氣を食(は)む方法を授ける事にしよう」
 と言つた。が、すぐに教へてもらへるわけではなかつた。其の方法を傳授されるため、疏勒b
仙とともに崑崙山の頂上に嚮かふことに成つたのである。疏勒b仙の腰につかまり、天の鳥船・
鶴船(仙)とよばれる天帝のつかはす鶴に乘ると、一瞬のうちに標高7000メートル以上の頂
上まで空中を飛んでしまつたのだ。
 其の後、笹目氏は蘇聯の捕虜に成り、b仙の豫言どほり11年間にわたつてシベリアで苛酷な
抑留生活を送る事に成つた。が、”太陽の精氣を食む方法”を傳授されたので、ふつふの人な
ら3日で根をあげる水牢に、1箇月以上も閉ぢ込められても耐へる事ができたと云ふ。例の方
法を使へば、1日のうちに3分間、太陽光線を受けるだけで、まつ度く食物をとらなくても生き
ていける事ができたからであつた。
 笹目氏は歸國後、地球の危機を救ふべく支那發祥の新宗教「道院」の日本統掌(代表)と
なり、仙人の脩行を重ねていつた。其の内容は、「内脩」と「外慈」である。前者は靜坐と誦經
(ずけふ)で、一種の瞑想法、精b脩養と云つてよい。後者は慈善的な行爲で、ボランテイア
活動などを指す。したがつて、道院の入門者は、必ずしも超人的な存在を目指してゐると云ふわ
けではなかつた。
 笹目氏が出會ひ、教へを受けた仙人に就いては、現状、檢證のしやうがない。が、笹目氏の人
生を振り返つた場合、モンゴル民族再興運動の參加といい、シベリアの水牢を切り拔けた事
といい、慥かに仙人に教はらなければ、出來ない事である。
 また、笹目氏は其の風貌からも生前、”日本の仙人”として知られる人物であつた。誦經によ
つて富士山大爆發を止めたとか、龍bとコンタクトして天候を自在にコントロールしたとか、8
0歳を超えてふもとの驛から多摩道院のある1200メートルの大嶽山まで、普通のひとが2時
間かかる山道を40分で飛ぶやうに歩いたなど、超人的なエピソードに事缺かなかつた。かうい
つた能力も、笹目氏が本物の仙人に出會つたからこそ身につけられたのだと云ふ、リアリティは
感じられる。
 
 
 
 
△ミラクル★マジカル☆EQUALJAPAN!▽
EQUALJAPANの「無責任に解いてみました 二二の五」
http://equaljapan.blog117.fc2.com/blog-entry-129.html
 
 
日本を突つ切つて、韓國ソウル近くを通つて、
ラインは大陸中央部まで伸びてます。
「疏勒b仙」と云ふアイコンがライン上にあります。
大本に近しい「笹目秀和」と云ふ方がいらつしやいました。
仙人と呼ばれた方で、第二次大本事件の直前に預かつた、
大本の御b體を崑崙山中に收めるb業をなさつたさうです。
著作を讀みましたが、個人的直感では眞實だと思ひました。
其の過程で登場したのが500歳と云はれる「疏勒b仙」です。
資料が少ないのでハツキリしませんが、
此のHP(http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/05shushinkai/004special/131105sasame/131105sasame.html)
の下のはうにある「笹目氏の鶴船飛行・關係地圖(246KB)」の地圖を參考にしました。
「ハラノール湖」の東北側にいらつしやるやうなので、其處をポイントしました。

場所がハツキリしませんが、288度ラインは此のやうに伸びてます。
他のポイントと比べると、“間接的に”大本と關係ある存在ですが、
「若しも地球の裏表がひつくり返るやうな事があれば、
大本b業の中心が崑崙山に移る事があるかも云々」
笹目仙人に出口日出麿氏がこんな事を話してゐたさうで、
其の翌日、笹目仙人は御b體を預かつて崑崙山へ嚮かつたさうです。
2つは遠くて近い關係かもしれません。
また「此のポイント・富士山・ナンマドール」は誤差3%程度の二等邊三角形でもあります。

スタートはなかなかいい感じでしたが…
最初に斷つたとほり「偶然」と考へれば、可也面白い偶然です。
 
 
 
 
學習研究社刊
平成十九年(西暦ニ〇〇七年)三月二十日發行
(NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 42)
「b仙道の本 ― 祕教玄學と幽冥界への參入」
第五章 仙術の不思議を生きた現代の證言者達
仙道界異聞其の肆(よん) 笹目秀和の話
百六十四頁據り
 
 
仙道界異聞其の肆(よん) 笹目秀和の話
鶴に乘つて支那大陸を飛翔した奧多摩の仙人
 
 
◎滿洲で白頭山のb仙に召される

 平成19年1月27日、東京奧多摩の某所で、10年前に歸幽したある人物の追悼會が人知れず催された。集つた人々は、聖號やb呪を合誦し、故人の遺徳を偲びつつ、其の遺志を繼ぐ想ひを新たにしてゐた。小さな祭壇に飾られた其の人物の寫眞額には「道誠眞人(どうせいしんじん)」と道號が入つてゐる。其れは、昔、支那の奧地で鶴に乘つて空を飛んだと云ふ傳説の人だつた。人呼んで、奧多摩の仙人 ― 笹目秀和(ささめしうわ)翁である。
 笹目仙人は明治35年1月30日、茨城縣に生まれた。秀和は道號で本名は恆雄と云ふ。丑年丑月丑日丑刻に生まれたので、「ワシは丑の地獄に生まれた」と云ふのが口癖であつた。其のせいかどうか、裕福な家ではあつたが4歳で母親を亡くし、以後は禪寺にあづけられるなど苦勞をしたらしい。
 大正13年8月2日のことである。中央大學法學部に入學後、夏休みに滿洲を訪れてゐた笹目青年は、大聯から奉天行きの列車のなかで奇妙な男に出會つた。墨染めの衣に手甲脚絆をつけ、長く伸ばした髮を頭頂で結ひ上げてゐる。其の男が、いきなり日本語で話しかけてきた。
「あなたを待つてゐました。呂(リヨ)b仙がお呼びです。白頭山まで來ていただけますね」
 突然のことに返事も出來なかつたが、聞くと、此の男は仙道の道士で、呂靈來(リヨリンライ)と云ふb仙の命令で、ずつと笹目の行動を見張つてゐたのだと云ふ。呂b仙と云へば、あの張作霖の三顧の禮を蹴つたと云ふ噂の仙人だ。其れが何故自分を・・・・・。
「日本の青年の名は熊埜御堂(くまのみどう)だ、と仙師は言はれました」
「其れぢや人違ひだ。私は笹目と云ふ者です」
「いや、私が言つてゐるのは3000年前の前世の名前です。
ちやんと、あなたの印堂(眉間)に書いてありますよ」
 男の奇怪な言葉に度肝を拔かれたが、迷つた末に白頭山行きを決意。此れ以後、驚きと波欄の日々がはじまるのである。
 汽車と馬車とロバを乘り繼ぎ、凡そ10日間かけて支那と北朝鮮の國境にまたがる靈峰・白頭山の天池にたどり着くと、待つてゐたのは、笑みをたたへた207歳のb仙だつた。
 そして呂b仙は、3000年にもおよぶ、古朝鮮やモンゴルと笹目青年との不思議な因縁を縷々(るる)語るのだつた。
 
 
◎月の精氣を食む法

「だからおまへは普通の人生を送る事が出來ない。日本という國の業を背負つて、此れから60年、耐へきれないほどの苦難が續くだらう。苦境から脱出する鍵は、今から12年後に崑崙山(クンルン)で疏勒(シユロ)b仙から授かる筈だ」
 さう仙師は告げると、月に嚮かつて立ち、天地否印(ひいん)を結んで眞言を唱へ、左手の親指と中指を笹目の印堂にあてて「○○チ、○○チ、○○チ、」と唱へた。(○は伏せ字、此のb呪は文字化を許されてゐない)。以後、月に嚮かつて此の眞言を唱へ乍ら月の精氣を食せば、つねに頑健で精氣あふれた身體を保てるやうに成る筈だと云ふ。
 此れ以降、笹目の運命は急轉する。仙師の命により、モンゴル民族獨立のために奮鬪を續け、日本や北京に留學生を呼び、教育を基軸とした財團や施設を次々に設立。各地を飛び囘る多忙を日々だつた。また、京都綾部に出口王仁三郎を訪ね大本教のごb體を崑崙に埋めてくるよう依頼をされた。第二次大本彈壓事件でb殿が破壞される前夜の話である。崑崙 ― さう云へば、なんだかんだで12年の月日が過ぎてゐたのだつた。
 
 
◎500歳のb仙との會見

 笹目は嚴寒のモンゴル平原と砂漠をラクダで越え、途中、鐵鑛山や油田を發見したりラマ教の高僧と會つたりしつつ、支那青海省の崑崙山脈まで、凡そ半年がかりでたどりついた。そして、ココノル糊の北西約200キロの浮世から隔絶した疏勒(シユロ)族と云ふ少數民族の村に着き、其の族長に案内されて標高5000メートルの地にあるb仙の靈窟に嚮かつたのである。
 此の祕境に100歳を越える2人の道士とともに住む齢500歳の疏勒b仙は、笹目をうれしさうに迎へた。
「待つてゐたぞ。汝が12年の活動はつぶさに知つてをる。魔の障碍は多かつたが、其れは汝が世の業障を背負つたせゐで、世を救ふための慈悲行と心得るべきだ」
 そして、崑崙の山頂モヌマーハル(標高7723メートル)の聖地まで、まるでヘリコプターのやうな巨大な鶴に乘せられて、b仙とともに飛び立つたのである!
 目を開ける事は許されなかつた。空中で幻惑されるからだ。暗闇の中、後方に吹き飛ばされさうだつたが、強烈な寒さで全身の感覺を失ひ、遂に意識もとぎれてしまつた。
 そして極寒の山頂に着くと、今度は其處で5日間かけて、太陽の精氣を食む法を「○ル○、○ム○、○ヅ○」の祕呪とともに傳授され、また、坎離印(かんりいん)を結んで純陽を成就し、b人合一に進む法をも授かつたのだつた。
「宇宙を主宰するbは、蟲けらの動きまでご存知だ。其の仕事の一部を分擔させていただく我々も、宇宙の運行のあらすじは知らされてゐる。汝の苦難はなほ50年續くだらうが、選ばれたる者として輝かしい成果をあげる事を期待する。苦しいときは白頭山と崑崙を想起せよ! 力を與へるぞ!」
 仙師の言葉の一語一語が丹田に突きささつた。そして、大本のごb體を奧地に鎭祭し、師に禮を言ひ、鶴仙に乘つて下界にもどると、みづからの歩むべき道はもう見えてゐた ―。
 以上、笹目秀和の自傳をもとに、まさに數奇と云へる波欄の青春期を驅け足で追つてみた。笹目は戰後、シベリア收容所で11年間抑留され、歸國後、東京青梅の大嶽山頂に多摩道院を開いて、世界平和を祈願する日々を送つた。あるときは、『太乙北極眞經(たいいつほつきよくしんきやう)』の讀誦によつて富士大爆發をくひとめたとも稱した。其の滋味あふれる人柄に魅了された政財界や有名人のフアンも多かつたと云ふ。平成9年1月25日、94歳で歸天。
 なほ、道院では、なにごとを決めるにも扶亂(フーチ)と云ふb託法で宇宙b靈(至聖先天老祖(しせいせんてんろうそ))の訓示を仰ぐことに成つてゐるが、笹目翁の跡を繼ぐ道院二代目統掌としてbが任命したのは俳優の夏八木勳氏である。
 
 
 
 
笹目仙人は大本の御b體を崑崙山脈の麓に納めたと云ふ。
岩田明さんの著書には、シユメール文明を築いた民は、崑崙山脈から降つて來て、
彼の地に文明を築いたのではないかと云ふやうな事が書かれてゐた。
以前から不思議だつたのだが、マナ・カナを見てゐるとどう言ふ譯か「スメラミコト」
と云ふ言葉が頭から離れなく成つて仕舞ふ。
其れとYAP因子の事もある。
崑崙山脈と、シユメールと、日本と、大本が此處で繋がつて來る。そしてb國日本の
宇宙的乃至地球内部的乃至異次元トンネル、スターゲイトを通つて來る異次元の生命體
乃至地球外生命體的起源にも。
 
 
 
 
學習研究社刊
平成十六年(西暦ニ〇〇四年)三月三十日發行
岩田明氏著
「消えたシユメール王朝と古代日本の謎」
 
 
 
 
★ダ・ビンチ・コードPART22と日ユ同祖論3とYAP因子
http://blogclub.livedoor.biz/archives/50246384.html
 
 
日ユ同祖論3とYAP因子

ダ・ビンチ・コードと日ユ同祖論3

其の一、全ての記事の根據と成つた寶來聰博士の研究成果です。         

        Y染色體多型からみた日本人の成立
        Michael F. Hammer1, 寶來 聰(1アリゾナ大學)
 
 
 Y染色體上の非組み換え領域にある4つの遺傳子坐に關して,日本人3集團沖繩,靜岡,青森)と臺灣の支那人で遺傳子型を決定した.Y染色體上のAlu配列の插入多型であるYAP因子は,日本人では 42% に存在したが,支那人には見られなかつた.此のことによりYAP因子が亞細亞に於て不規則な分布をしてゐる事が明らかと成つた.Y染色體上の4つの遺傳子坐で得られたデータより,集團間の遺傳的距離の推定,Y染色體のハプロタイプの構築により集團内の遺傳的多樣度および各ハプロタイプ間の多樣度を檢討した.Y染色體ハプロタイプの進化學的解析により,YAP (DYS287) 坐とDXYS5Y坐の多型はただ1囘の起源を持つのに對し,DYS1坐の多型およびDYS19坐に於るマイクロサテライトの對立遺傳子群は1囘以上の起源を持つことが示唆された.遺傳的距離の解析により,沖繩の人は本土の日本人とは遺傳的に離れてゐる事が明らかと成つた.此のことは,現代日本人が繩文人および韓國或は支那本土からの移入民である彌生人からの異なる遺傳的寄與を受けた結果であり,また沖繩の人は彌生人とは殆ど混合する事はなかつた,と云ふ假説を支持する.YAP(+)染色體は繩文人により齎され,YAP(−)染色體の流入は彌生人の移住により齎されたと考へられる.詳細は,文獻11に發表した.

其の二、もつと詳しく!
 男の祖先・女の祖先のDNAで日本人のルーツを探る

父から息子へ、母から子へ
 日本人のルーツに就いては明治以來樣々な論議が行はれてきた。然し、殘念なことに純粹に科學的な議論が行はれてきたとは言ひ難い。政治的・イデオロギー的に「かうあつてほしい」或は「かうあつてはほしくない」と云ふ感情に理性が押し流され「信じ度い事を信じる」科學とは無縁の「學説」が公然と大手を振つてなされてきた。然し、最近に成つて生物の設計圖であるDNA(デオキシリボ核酸deoxyribonucleic acid)によつて日本人のルーツを探る事が出來るやうに成つた。
 DNAは細胞の核および細胞内の小器官であるミトコンドリアの中に存在する。DNAは遺傳暗號を書き記した文字である4種類の鹽基(A:アデニン、T:チミン、G:グアニン、C:シトシン)が延々と竝ぶ長大な分子で、A-T、G-Cが對に成る形で2本のDNAが螺旋状に成つて存在してゐる。核のDNAは細胞が分裂するときに小さく折り疉まれいくつかの固まりと成つて分かれる。此れを染色體と云ふ。此の中に性染色體と呼ばれるものが一對ある。男性の場合だとXY、女性の場合はXXと云ふ組み合はせに成る。したがつてY染色體を形成するDNAは父から息子へと遺傳していく。此れに對してミトコンドリアのDNAは母親から子(男女兩方)へと受け繼がれていくのである。

「繩文男」と「彌生男」
 男性には「繩文系」と「彌生系」があると云ふ。Y染色體は、睾丸や精子の形成にかかはつてゐる。Y染色體に書き込まれた文字數は6000萬個に上る。他の染色體に比べて、Y染色體の多型は極端に少なく、凡そ200カ所見つかつてゐるが、Y染色體のDNAのある特定の場所に插入された、凡そ300の鹽基からなる『YAP』(ヤツプ)と云ふ部分がある。

 中堀豐・徳島大醫學部教授らの研究グループによれば、Y染色體のYAP多型は東亞細亞では日本人にしか見られず、昔から日本にゐた人たち特有のものと考へられてゐる。日本人で數パーセント見いだされ、其れもアイヌ人、沖繩人で頻度が高い。寶來聰教授の研究では、アイヌ民族の88%にYAP+がみられると云ふ。
 ところが、韓國をふくめユーラシアでも、此の突然變異の遺傳子は殆ど見つからず、日本以外で唯一見つかるのはチベットだけであると云ふ。世界的に見ても其のほかには黒人にしかみられない變はつた遺傳子型である。
 此のことから、ヤツプがあるのが繩文系男性、ないのが彌生系男性と判斷出來る。
 東亞細亞人で4タイプに分かれ、日本人男性も「タイプ1」から「タイプ4」まで4つに分けられる。中堀教授らの研究グループは、1999年にY染色體にあつて胎兒期に睾丸を作るやう命令する「SRY遺傳子」の465番目の鹽基が、人によつてC(シトシン)かT(チミン)かの違ひがある「多型」である事を發見した。中堀教授は<1>ヤツプの有無<2>SRY遺傳子の465番目の鹽基がCかTか<3>DXYS5Yの鹽基の違ひと云ふ、Y染色體中の3つのDNAの型をもとに、日本人の男性を繩文系と、タイプの異なる3つの彌生系の4つに分類した。
 YAP+タイプ2の集團は、都市部では北から南まで均等に分布し、金澤、福岡、大阪、札幌のいづれで調べても、人口の約25%程度を占める。然し本州や四國の山間部では5割を占めてゐた。彌生人に追はれた繩文人と云ふ通説にほぼ合致する結果である。
 日本の男性は1萬年以上前から日本列島に住んでゐた繩文人、繩文時代後期に大陸や朝鮮半島から移住してきた彌生人にルーツを持つてゐるのである。ついで乍ら、中堀教授らのグループの研究によれば、繩文人の系統とされる「タイプ2」の男性の精子數は、彌生人系より2割以上も少なく、2〜4倍も無精子症に成りやすいと云ふ。

母親の系譜
 寶來聰博士などの研究グループは、いままで、外見の特徴から白人に由來すると考へる研究者さへいたアイヌの人々のルーツを探るため、1960年代に採血された血液からミトコンドリアDNAを分析し、更に、繩文の人骨5體のミトコンドリアDNAを分析して、アイヌのルーツが繩文人である事を突き止めた。
 更に、東亞細亞の5つの集團のミトコンドリアDNAを分析し、日本人の成り立ちを調べた。其れによると、本州では、日本人固有のタイプは4・8%、其れに對して韓國人や支那人と共通の配列を持つ人が凡そ50%に達し、アイヌや沖繩と共通のタイプを持つ人が4分の1であつた。現代の日本人が北亞細亞人、特に韓國人に尤も近い遺傳的類似性を持つてゐる事を確認した。此のことは、彌生時代以降に大陸や半島から日本へ遺傳子の擴散が生じたとする從來の説と一致する。更に、寶來博士らは太平洋を隔てたアンデスの先住民が、日本のアイヌや沖繩の人々と非常に近い事を示したのである。詰り、1萬2千年前に日本列島に移動し、繩文の文化を築いた集團がゐた。其れから1萬年後、別の集團が再び日本列島に渡つてきて彌生文化を築いたのである。
 最近の研究では、繩文集團も決してひとつではない事が分かつてきた。沖繩と、アイヌの人々のDNAを較べると、少なくともひと文字は違ふのである。此れは其れぞれの祖先が、日本列島に渡つてきた當時から既に別の集團だつた事を示してゐると云ふ。

外國の場合
 今日の歐羅巴人をミトコンドリア遺傳子で見ると、20%がアナトリア(現トルコ共和國の亞細亞部分)の農民由來で、Y染色體遺傳子でみると、22%が同樣にアナトリアの農民由來だと云ふ。殘りの約80%は4萬年前から1萬年前にかけて歐羅巴に進出した狩獵採取民の遺傳子だと云ふ。アナトリアの農耕民が先住の民族を征服した結果、歐羅巴に印度・歐羅巴語と農耕が傳はつたのである。

征服なくして文化傳播なし
 文化の交替は、基本的には新しい住民の進出により生じるのであり、其れがないところで文化だけが傳播すると云ふことは、基本的にはないと思ふ。彌生人の進出により、繩文世界の崩壞が起こつたのである。征服なしでの文化傳播の例としてよくあげられる明治維新にしても、からうじて「征服」から逃れたものの、「征服」を免れるための方途として西洋文明を受け入れてゐるのである。壓倒的な武力の前に屈してゐる點では征服されたのと同じである。
「『征服』に近い事態があつた、と感じてゐますが、政治的、或は差別の問題につながつてしまふからみんな言及したがらないのです。形質的にみると、 
 今の日本に就いて、かう言へるかもしれません。
 二千數百年前から1500年ほど前に渡つてきた人たちの子孫は威張つてゐるが、其れより前とか、後に渡つてきた人たちの子孫は虐げられてゐる。
 歴史の皮肉ですよね。」 (『日本人の起源(ルーツ)を探る―あなたは繩文系?其れとも彌生系?』 
隈元 浩彦 新潮OH文庫)
 
 
TITLE:男の祖先・女の祖先 DNAで日本人のルーツを探る
DATE:2006/07/29 17:49
URL:http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-52.htm
 
 
 
 
男の祖先・女の祖先 DNAで日本人のルーツを探る
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-52.htm

「YAP因子」と「木に卷きつく蛇」
http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/258.html
投稿者 M綜合研究所 日時 2007 年 4 月 01 日 10:36:17: YhMSq6FRP9Zjs

「アルザル人が再び地上に舞ひ戻る日は近い」&「マイクロ兵器」
http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/293.html
投稿者 M綜合研究所 日時 2007 年 4 月 04 日 09:42:42: YhMSq6FRP9Zjs

そして、アルザル「舊約聖書:外典エズラ記(ラテン語第13章41〜45節)」
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/105.html
投稿者 M綜合研究所 日時 2008 年 9 月 01 日 14:28:09: YhMSq6FRP9Zjs

漫畫レベルの聯中(戰爭マニア權力者達)に生殺與奪の權を握られてゐたりするのか/通には一笑に伏し切れず本當なら笑つちやう話
http://www.asyura2.com/09/wara6/msg/665.html
投稿者 そこちよつとつんつく 日時 2009 年 2 月 18 日 15:21:51: 8EItFG7yGzQIA

そもそも「天岩戸」とは一體何なのか 映畫「スターゲイト」に其れをみる
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/163.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 01 日 22:21:03: Gsx84HOp6wiqQ

「我々の遺傳子提供者達のカールチユーンが、呼び覺まされてゐるのです」
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/301.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 24 日 23:10:21: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
 
 
 
 
 
學習研究社刊
平成十二年(西暦2000年)五月十一日發行
北周一郎氏著
ムー スーパーミステリーブツクス
「極北に封印された「地底b」の謎」

第4章 異人類との衝撃的な遭遇
百三十四頁

 ‖ 異人類を埋葬した教會守 ‖

 スカンジナビア半島の北端、ノルウエー・ロシア・フインランドの国境が交錯する邊りに、
ネイデン(ナータモ)という小さな漁村がある。其の村外れに小さな十字架を掲げた小さな小屋があ
る。一見すると粗末なあばら屋だが、實はれっきとしたロシア正教会だった。ロシア
系サーミ人やサモイエド人など、トナカイを遊牧する人々のための教会なのである。
 トナカイとともに移り歩く人々はネイデン川の河原に宿営し、教会のたった一枚の
イコン(聖畫}に向かって祈りを捧げる。この教会に神父はおらず、ロシア系サーミ人
の一族が教会守として管理していた。
 1811年6月、教会守のニコラス・イワノフはネイデン川の滝壺に釣り糸を垂れ
ていた。毎年、夏至のころになると、バレンツ海から鮭が遡上してくる。1メートル
以上もある大鮭が川を上ってくるのだ。ネイデン川の滝壷には、そうやって上ってき
た鮭がうようよとたまっていた。

 グンと大きな当たりがきて、イワノフは思わず前につんのめる。これは大きいぞ!イワノ
フは釣竿を握り直し、渾身の力を込めて引いた。そして尻餅をついた。釣り糸が切れてしまっ
たのだ。
 やれやれ、逃してしまったか、とイワノフが立ち上がろうとすると、
「キャハハハハハハハ……」
 どこかで子供の笑い声がした。イワノフは周囲を見回したがだれもいない。
「キャハハハハハハハ……」
 また笑い声だ。しかし、だれもいない。そもそも教会の周囲に人家はなく、トナカイの遊牧
民も6月は蚊を避けて山の上に行ってしまっているから、だれもいるわけはなかった。しかし、
どこからともなく笑い声が聞こえるのである。
 イワノフは耳を澄まし、笑い声の聞こえてくる方向を確かめた。どうやら滝の向こう側から
聞こえてくるらしい。
 この土地のいい伝えでは、ネイデン川の滝の裏側には洞窟があるとされていた。しかし、そ
れは地下世界「ウートガルド」に通じているので、決して足を踏み入れてはならないともされ
ていた。選び抜かれた勇者だけが、その武勇を試すためにウートガルドに入ることを許される。
100年程前にも、ストツクホルムの貴族が瀧をくぐつて洞窟に入つていったが、二度と出
て來る事はなかつたと云ふ。
 依然として笑い声は聞こえてくる。イワノフは意を決して滝へと向かった。笑い声の主がウ
ートガルドの巨神だつたらどうしよう ― という恐怖心はあったが、彼のロシア正教徒として
の誇りがそれを打ち消した。
 古代の神々はキリストの神に負けたのだ。古代の神々は聖オラフ・トリグヴェソン王に撲滅
されたのだ。ここで怖じ気づいているようでは、神に仕える身として申し訳ない。イワノフは
水量の少ないところを捜し、そこから滝の裏側に入っていった。
 滝の裏側には、直径2メートルほどの洞窟の入り口が開けていた。イワノフは迷わず洞窟に
足を踏み入れた。中は意外に明るい。洞窟の中を数メートルほど進むと、奥のほうでふたりの
子供が遊んでいるのが見える。
 あの子供たちの笑い声だったのか ― イワノフは納得した。しかし、どこから来た子供たち
だ? このあたりにあんな子供はいないそ。
 おい! イワノフが声をかけると、子供たちはびっくりして走りだした。ひとりは洞窟の奥
へ逃げ、もうひとりはイワノフのほうへ向かってきた。その子供がイワノフの腹にぶつかって
きたので、イワノフは思わず尻餅をついた。そして、イワノフと子供は真正面から向き合うこ
とになった。
 最初に目に入ったのは、子供の真っ赤な目だった。そして濃い緑色の肌。髪の毛は黒いが、
修道僧のように頭頂部だけ禿げている。身長は1メートルほどか。手足の指が異様に長い。
黒くてピカピカ光る奇妙な衣服を身につけている。一見、人間のようにも見えるが、よく見る
とやはり人間ではない。
 化け物だ! 恐怖に驅られたイワノフは、手近な石を取り上げ、子供の禿頭をさんざんに殴
りつけた。そして洞窟から逃げだしたのである。
 滝から飛びだしたイワノフは、勢いあまってそのまま滝壺に墜落し、ほうほうの体で川岸に
這い上がった。ややあって人心地がつくと、急に不安になってきた。あれは化け物ではなかっ
たのではないか? 滝の裏側に子供が入って遊んでいただけではないのか? ひょっとしたら
自分は殺人を犯してしまったのではないか?
 イワノフは再び滝の裏側に入った。おそるおそる洞窟をのぞき込んでみると、子供が頭から
赤紫色の血を流して倒れている。幸いなことに、まだ息はあるらしい。しかし ― やはり人間
ではない。緑色の肌。赤い目。そして爪のない長い指。こんな人間は見たことがない。
 では、やはり化け物なのか?
 しかし、イワノフには、どうしてもこの緑色の子供が化け物には見えなかった。頭から血を
流して苦しんでゐる樣子を見てゐると、急に氣の毒に成つて來た。イワノフは意を決して緑
の子供を瀧の外に出し、自分の小屋に聯れ歸つて介抱したのだつた。
 だが、イワノフの懸命の看護も空しく、緑色の子供は2日後に死んで仕舞つた。イワノフ
は我が子を亡くしたかのように悲しみ、緑色の子供の遺体を教会脇の共同墓地に手厚く葬った
のだった。
 それから2か月ほどして、イワノフの小屋のドアが激しく叩かれた。聞けば、サンクトペテ
ルブルクのロシア正教の大主教の使者であるという。大主教の使者はイワノフを詰問した。
「ここネイデンの正教会で尊きお方が亡くなられたと聞く。それはまことか?」
 尊きお方? イワノフには覚えがなかったが、緑色の子供の一件が露見したのかと思って、
その経緯を事細かに白状したのだった。
 すると大主教の使者は大きくため息をつき、次のようにいった。
「ここで尊きお方が亡くなられたことは明らかになった。来年より毎年夏至の日に、大主教猊
下(げいか)はここネイデンの正教会にお越しになり、死にゆく神の儀式と復活の儀式を執り行われる。
そのように心得よ」
 それから毎年、夏至の日になるとサンクトペテルブルク、そして後にはモスクワから大主教
がネイデンの正教会を訪れ、古式にのっとって「死にゆく神の儀式」と「復活の儀式」を執り
行うようになったのだった。
 これは明らかにおかしなことだった。夏至は古代北欧の異教では重視されたが、ロシア正教
では聖祭日ではない。また「死にゆく神の儀式」も「復活の儀式」も古代北欧の異教儀礼であ
って、ロシア正教の儀礼ではない。それをロシア正教の大主教が執り行うというのだから、き
わめて異常な事態なのである。
 
 
 ‖ 緑色の子供の正体は? ‖

 ネイデンの教会守ニコラス・イワノフが誤って殺してしまった緑色の子供、そしてロシア正
教の大主教が「尊いお方」と呼ぶ緑色の子供は何者だったのだろうか? その詮索はあとで行
うとして、実は、イギリスにもイワノブの話と非常によく似たものが伝わっているのだ。それ
は12世紀のサフォークに緑色の子供が出現したという話である。
 イギリスのサフォーク、聖エドマンド寺院の近くに「ウールピット」と呼ばれる洞窟がある。
その洞窟から突然、全身が緑色の男の子と女の子が現れた。彼らは頭から爪先まですっかり緑
色で、奇妙な色をした不思議な衣服を身につけていたという。
 緑色の子供たちは野をさまよっていたが、それを哀れに思った付近の農民たちが彼らを村に
聯れ歸つた。緑色の子供達は最初は何を與へても食べやうとしなかつたが、やがて豆ならば
食べるやうになり、ついにはパンも食べるやうに成つた。其の頃には肌の色も、すっかり普通
の人間と同じに成つてゐたと云ふ。
 やがて彼等は英語も習得し、自分達の故郷について次のやうに説明した。
「わたしたちは聖マルティンの治める国から来ました。その国がどこにあるかは覚えてい
ません。わたしたちが住んでいた国では太陽は昇らず、明るい日光もありません。この国
の日の出前、あるいは日没後のような薄日がさすばかりでした」
 このふたりの子供のうち男の子は早々に亡くなってしまったが、女の子は成長してノー
フォークのリン王に嫁いだと伝えられている。
 約700年という時代の開きはあるものの、イギリスのサフォークに現れた緑色の子供た
ちと、、ネイデンに現れた緑色の子供たちには明らかな共通點がある。
 第1に、全身が緑色であること。
 第2に、洞窟から現れたこと。
 第3に、不思議な衣服を身につけていたこと。
 第4に、「尊いお方」と考えられたこと。
 以上の共通点からして、サフォークの緑色の子供たちとネイデンの緑色の子供たちは、同一
の種族と考えられるだろう。そして、彼らの故郷は北欧人のいう「ウートガルド」、つまり地
下世界だと考えられる。ネイデンの洞窟やサフォークの洞窟は、地下世界の入り口ではなかっ
たのか。
 彼らの肌が緑色だったり、目が赤かったりするのは、「わたしたちが住んでいた国では太陽
は昇らず、明るい日光もありません。この国の日の出前、あるいは日没後のような薄日がさす
ばかりでした」という地下世界の環境がもたらしたものなのだろう。だからサフォークの子供
たちは地上で暮らすうちに、肌の色が普通の人間と同じになったのである。
 緑色の子供たちが地下世界の住人であるなら、彼らが「尊いお方」と見なされたとしても不
思議ではない。
 キリスト教が流入する以前の北ヨーロッパでは、地下に住む巨神族や小人族が信仰の對象だ
つた。キリスト教が流入した後も、地下世界の種族に對する信仰は根強く殘つた。其の傾向は、
基督教が定着して1000年以上たつた現在でも變はらない程なのである。
 いづれにせよ、12世紀と19世紀、地下世界の住人が地表世界に姿を表してゐた。そして、
ネイデンとサフオークに姿を表した緑色の子供達こそ、現生人類が登場する遙か以前に地球に
おいて高度な文明を築き上げていた異人類であるに違いない。
 それにしても不思議なのは、サンクトペテルブルクの大主教が、なぜ辺境のネイデンで起こ
った緑色の子供の事件を知りえたのかということだ。
 ネイデンのロシア正教会の付近にはだれも住んでおらず、この事件についてはニコラス・イ
ワノフ本人以外はだれも知らなかったはずである(當時、彼はまだ結婚していなかった)。仮に噂が広
まったとしても、それがサンクトペテルブルクの大主教の耳にまで入るのは半年後か1年後の
ことだろう。事件の2か月後に使者が訪れたということは、当時の交通事情からして、事件の
直後に使者が出発したとしか考えられない。
 当時の北ヨーロッパの高位聖職者は、古代の異教の神々である異人類とホットラインで連絡
を取りあっていたとでもいうのだろうか? 謎は深まるばかりである。
 ちなみにネイデンのロシア正教会では、現在でも毎年夏至の日にサンクトペテルブルクの大
主教によって、「死にゆく神の儀式」と「復活の儀式」が執り行われている。
 また、ネイデンのロシア正教会は、現在でもニコラス・イワノフの子孫に據つて管理されて
いる。ここで紹介したイワノフの物語は、現在此處で教会守をしてゐるユス・イワノフ氏から
筆者が直接うかがったものである。
 
 
 
 
 
 
 
 
「裏ヘブライの館」 地下資料室(地下2F)
ナチスの狂気
その他(おまけ情報)
ナチスとチベットの妖しい関係
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha200.html#02
 
 
■■第2章:ヒトラーに思想的影響を与えたハウスホーファー教授と「緑龍会」


●カール・ハウスホーファーはドイツの代表的な地政学者である。

「地政学」とはイギリスの帝国主義者サー・ハルフォード・マッキンダーのひねり出したもので、植民地拡大主義を正当化したものである。ハウスホーファーは第一次世界大戦で数々の軍功をあげた将軍であり、大戦後はミュンヘン大学の地政学教授となった。そして彼は「ミュンヘン地政学研究所」の所長も務めた。


●ハウスホーファーは単なる著名な地政学者というだけではなかった。彼には秘教的な傾向もあった。

1908年から数年間、武官として日本に滞在したが、その間に禅の研究を行なった。また、その来日前、インドやチベットで諜報活動に従事しており、チベットでラマ僧から奥義を受けたと主張していた。

彼はベルリンに『ヴリル協会』といった秘密結社をつくった。この結社の目的は、アーリア人種の根源を探り、ヒンズー教のクンダリニー・エネルギーに相当する“ヴリル”の気力を呼び起こすために精神集中訓練を行なうことだった。

ハウスホーファーは、“超人”の秘密を所有するチベットの結社と関係があると称し、イギリスの作家で神秘主義者のブルワー・リットンの、未来の超人種に関する著書『来たるべき民族』を字義通り受け入れていた。


●このミュンヘン大学教授のハウスホーファーはランズベルク刑務所において運命的な出会いをする。1923年、ミュンヘンのビヤホール暴動に失敗して捕らえられていたアドルフ・ヒトラーとの会見である。この会見は、ヒトラーの片腕であり、ミュンヘン大学で教授の教え子でもあったルドルフ・ヘスの仲介によって実現したのであった。

ハウスホーファーは毎日のようにヒトラーを訪れては、ユダヤ人によるドイツ支配を崩し、優秀なゲルマン民族によって全世界が支配されねばならないと説いた。そして、オカルティズムによる世界征服という思想をヒトラーに植え付けた。そしてヒトラーに『我が闘争』の執筆を勧め、共同執筆者となった。(ヒトラーは1924年12月20日まで刑務所に収容されていたが、ヒトラーへの待遇は極めて寛容なものであった。『我が闘争』はその間に執筆されたのである)。

こうして、ハウスホーファーは1920年代にはヒトラーの政治顧問を務め、同時に、「トゥーレ協会」の黒幕ディートリヒ・エッカルトに次ぐ、ヒトラーの第2の“秘教助言者”となったのである。彼は「ドイツ総力戦研究所」の所長に就任し、彼が発刊した雑誌『地政学評論』はナチス政権の政策・理論の基礎として重用された。


●なお、ハウスホーファーはナチ党員にはならなかったが、ヒトラーに対して援助は惜しまなかった。

ヒトラーはハウスホーファーとの出会いののち、ミュンヘン大学へ聴講に行き、ハウスホーファーの尽力で大学の図書館に通いつめ、独学で収蔵されている図書をほぼ全て読破してしまった。これをみたハウスホーファーはヒトラーに次のように言っていた。

「君は人が4年かかってもできないことを、わずか1年でやり遂げた。君は素晴らしい天才であり、全ドイツ国民が君を求めている。」



●ハウスホーファーやその他の「ヴリル協会」のメンバーの後押しにより、ナチスは何度もチベットに調査団を派遣することになる。1926年から1942年まで毎年派遣された調査団は、チベットの僧侶に接触し、深い関係を築きあげていった。1926年頃には、ベルリンとミュンヘンにちょっとした「チベット人区」ができあがっていた。1929年には、チベットの海外本部がドイツに設立され、ベルリン、ニュルンベルク、ミュンヘンに支部が開かれた。

だが、チベットはナチスに全面的に協力したわけではなかった。ナチスに協力してくれたのはチベットの一派だけで、彼らはドイツでは「緑の男の会」として知られた。これは数百年におよぶ日本の「緑龍会」との強いつながりから来ていたという。


●ベルリンでは、ヒトラーは「青衣の魔術師」とも「緑の手袋をした男」とも呼ばれるチベット教団の指導者と定期的に会っていた。透視力と予知力に定評のある僧侶で、新聞紙上でドイツ議会で選出されるナチスの代表議員を三たび正確に予言した。更にヒトラーがドイツの指導者になる正確な日付ばかりか、第二次世界大戦が始まる日付まで予言した。

この正確な予言がオカルトに興味を抱くナチ党員の間でたちまち広い関心を呼び、ヒトラー同様ヒムラーもまたチベットのラマ教に強い関心を抱くようになった。そしてベルリンにオカルト訓練カレッジを開設して、SSの幹部に特に魔術課程をとるように命じたのであった。


●なお、「緑龍会」とは、ハウスホーファーが日本駐在の武官時代に入会した秘密結社である。

「緑龍会」の会員たちは人間に内在する神秘能力を修行によって開花させようとしていたらしい。また、この会の起源はチベットにあったという。そしてハウスホーファーは「緑龍会」に入会を許された、たった3名のヨーロッパ人のひとりだったという。この「緑龍会」所属の7人の会員がドイツの会にも参加していたそうだ。

この「緑龍会」に関しては不明な点が多く、その存在自体を否定している研究家もいるが、いずれにせよ、日本にひそかに伝えられている何ものかを汲み取ろうと試みていたことはまず間違いない。実際、ハウスホーファーの日本理解は驚くほど深いのである。彼は流暢な日本語を話し、日本に関する著書をたくさん残している。

 
●ハウスホーファーが日本に関して書いた本は、まず『大日本(大いなる日出ずる国)』(1913年)。そして次が『日本の地理的闡明におけるドイツ人の分け前』(1914年)。後者はミュンヘン大学の哲学の学位論文として提出され、彼は最高の栄誉をもって地理学、地質学および歴史学についての学位を得たのであった。

陸軍を退役後、ミュンヘン大学の講師となってからは、著作活動が盛んになり、『日本帝国』(1920年)、『日本の国情』(1921年)、『日本帝国の地理的発展』(1921年)、『日本及び日本人』(1923年)、そして大著『太平洋地政学』(1924年)などと続いた。

特にこの『太平洋地政学』は岩波書店や青年外交協会から翻訳刊行され、日本でも多くの識者に強い影響を与えた。例えば、マルクス主義経済学の平野義太郎や歴史学の信夫清三郎といったそうそうたる学者を擁した「太平洋協会」が設立されたし、京都帝国大学の地理学教室を中心としたグループは地政学に転向し「日本地政学宣言」なる旗揚げまで行なったのである。


●ハウスホーファーの著書のほとんどは日本を対象としているが、なぜ日本なのだろうか?

ハウスホーファーによると、日本人たちの間における、あの不思議な一体感に大いに関心を持ったという。日本民族はその島国的な生存圏に対するあらゆる危険をテレパシーのように敏感に感知する能力を持っていると、彼は言う。このような一体感はドイツには欠けていた。それはナチスがドイツ民族を集団化させるのに、宣伝にいかに苦心したかでも分かる。

また彼は、20世紀が大西洋文化の窒息状態からの解放であるとしたら、太平洋という呼吸空間を柱としなければならないのは当然と考えた。アメリカやイギリスが大西洋的国家から転じ、植民地政策により太平洋的国家へ変身しようと望んだのは、先見の明というものだと感じていた。当時のドイツは、この西洋列強による太平洋分割競争に乗り遅れていたため、今後太平洋に討って出るためのドイツの戦略として、彼は地政学的に太平洋の“高気圧”とみたてた日本の動きを重要視していたのである。


●なお、彼は、日本民族の起源を南太平洋の「海洋遊放民族」に求め、その最初の国家は瀬戸内海地方に建設されたと主張していた。太平洋=大洋州の各地の“天地創造”がそれを裏付けていると、彼はいうのである。更にかつて太平洋は「中心の盆地」であり、日本人の祖先である海洋民族はインドの島々からアメリカ大陸の太平洋海岸地方にまで、結合的な文化圏を築いていた、と推測していた。



●ハウスホーファーは、第二次世界大戦への日本の動きにも理解を示した。佐藤信淵の「世界征服計画」の一部を肯定するのだ。

例えば満州ヘの進出は、“日本国民の生活圏に対するあらゆる危険をテレパシーのように感知する能力”がしからしめた賢明な戦略であった、と評価する。日本は満州と経済ブロックを組んで力をたくわえ、ゆくゆくは中国とインドを含む「モンスーン諸国」のリーダー格となって、その自立と発展をはかるべきだ、とまで主張したのだ。当時の日本の「大東亜共栄圏」講想に、遠くドイツから地政学による理論的支柱を贈ってきたのである。

だが、なんのために? 現代のハウスホーファーの批判的研究者もその点を指摘している。

曽村保信氏は著書『地政学入門』の中でこう書いている。

「なぜドイツの陸軍軍人だった彼が、本職をなげうってまで、太平洋の地政学に心魂を傾けるようになったのか? これは、やはり解きがたい一種の謎である。」


●ただここで注意しなければならないのは、ハウスホーファーは当時の日本の生活圏拡大の動きに理解は示したが、その全部に賛成したわけではないという点である。地政学的観点から、満州の日本による秩序化までは認められるが、それ以上は侵略であるとともに、全く勝ち目がないと日本軍部にアドバイスしていたのである。

1936年に日本とドイツの間で「日独防共協定」が締結された際、ドイツ側の功労者として、ハウスホーファーは日本政府から勲二等瑞宝章を授与され感謝された。しかし、その翌年の夏、日本軍部が盧溝橋事件によって日中戦争(支那事変)に突入し、上海・南京を占領して、ハウスホーファーの助言を裏切る形に出ると、彼は在日のドイツ武官を通じて、この無謀な侵略を中止するよう警告していたのである。


●彼は日本は大陸より太平洋に目を向けよ、と強調していたのであるが、同時に地政学的には日本とドイツはソ連と提携しあうのが必須だと考えていたようだ。そのため、のちにヒトラーが彼の地政学的主張を無視する形でソ連侵攻を開始(1941年6月)すると、ハウスホーファーのヒトラーに対する影響力は決定的に低下したのであった。

このハウスホーファーとヒトラーの関係悪化の状態は、ずいぶん前から始まっていたようで、1937年にハウスホーファーが日本に再来日した際には、ナチス本部から日本支部に秘密指令が出されており、その内容は「彼の歓迎を極力控えるようにし、しかも滞日中の動静を逐一ベルリンに報告するように」というものであったという。


●ちなみに、ハウスホーファーの息子アルブレヒト・ハウスホーファーは、1944年夏、ヒトラー暗殺計画に関与した罪で、レフルトレスラッセ刑務所で他の大勢の容疑者と一緒に処刑された。彼のポケットからは、次のような言葉を書きつけた紙片が見つかったという。

「わが父は、悪魔の息吹きを意に介さず、かくして悪魔をばこの世に解き放ちたり」

ハウスホーファーは、この息子の事件および彼の妻がユダヤ系という2つの理由で、全ての地位を剥奪され、ナチス当局から監禁状態の生活を余儀なくされるようになったのであった。



●さて、最後に、ハウスホーファーが日本で入会していたとされる「緑龍会」のことだが、個人に課せられた使命に失敗すれば、「緑龍会」の会員には儀式的な自殺が求められていたという。実際、ナチスの「使命」に失敗したあと、ハウスホーファーがやったのもまさにこれだった。

ナチス・ドイツ崩壊後の1946年3月10日、ハウスホーファーは、妻を道づれに毒(砒素)をあおって死んだ。(このとき日本流の「ハラキリ(割腹自殺)」をしたと主張する研究家がいるが、真偽のほどは定かではない)。

彼の埋葬地には十字架も墓石もない。彼が抱いていた秘密は全て、彼の死とともに消え去った。ハウスホーファーはヒトラーが自分の意図した方向から徐々に外れていき、暴走していくのを目にして、彼に「知識」を授けたことを大いに後悔していたのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
徳間書店刊
平成二十一年(西暦二〇〇九年)八月三十一日發行
山田久延彦氏著
「b々の地政學 日月b示と日本の地下b都 シヤンバラ/アガルタ・ネツトワーク」

序曲 人類を救濟する巨大な發想の轉換

四十二頁


 絶望的な経済破綻の中で人々は夢の理想郷を追い求めた

 第1次世界大戦後のドイツでは、新時代の理想の民主的社会体制を求めて、ワイマール憲法が制
定され、いわゆるワイマール共和国体制が発足したが、ワイマール体制は、初代大統領エーベルト
と、そのあとを継いだヒンデンブルクの14年間の政権で崩壊した。
 1929年の世界大恐慌以降、ドイツ経済は急速に悪化し、1932年ごろには600万人(全
労働人口の50%)もの失業者が巷にあふれた。そして、超インフレで物価は1万倍にもなった。こ
れは、経済政策の失敗などという次元の間題ではない。自由主義経済のメカニズムの中には、この
ような狂乱を生み出す妖怪が潜んでいる。当事者であるドイツ国民は、その正体を直感的にとらえ
ていたのではないだろうか。
 このような狂乱の中でドイツ国民はどのような行動をとったのであろうか。現代の日本人社会で
は想像を絶する事態であるが、意外にもドイツ国民は「夢の理想郷」を追い求めていた。
 ゲルマン神話の神々の世界である「アスガルド」とその主都「ワルハラ宮」が現在でも地下世界
に実在すると考え、「窮地に立つドイツ国民に神々が救いの手を差し伸べてくれる」と思った。し
かし、地下神郡の神々は、なかなかドイツ国民に接触してこない。そこで、地下神都を探し求めて、
自ら神々に接觸しようとした。
 手がかりは、これも神話にあった。ゲルマン神話のアスガルドとワルハラ宮は、チベット神話の
「アガルタ」と「シャンバラ宮」に見事に対応する。そこでドイツ国民はゲルマン神話の神都はチ
ベット高原の山中奥深くに実在すると考えた。そして、何回かのアガルタ探検隊をチベットに派遣
した。その総指揮者が当時、「ドイツ総力戦研究所」の所長だった「ドイツ地政学の創始者」ハウ
スホッファーである。
 後で詳述するが、ハウスホッファーはアドルフ・ヒトラーにバツクアツプされて地下b都の存在を
實證する爲の「地下空洞の物理探査」まで行つてゐる。現代の日本人の常識では考へられない事
だが、其れは實際に行はれてゐたのである。
 
 
ドイツとチベツトの同盟關係を模索した
第2次世界大戦前のドイツ地政学

 アガルタ探検はチベット起源の秘密結社「緑龍会」(詳細後述)の協力のもとに推進された。
中国の支配下にある現在のチベットは、古い仏教文化が残存する辺境の世界のように見えるが、当
時は、先進的な思想と国際感覚を育て上げていたかなり高度な文明社会だった可能性がある。19
29年にはチベット海外本部がドイツに設立され、ベルリンとミュンヘンには、ちょっとしたチベ
ット人街ができていたということだ。
 ここでは、チベットの緑龍会と手を組んだハウスホッファーとその背景の地政学について、簡単
に整理しておきたいと思う。
 世界の経済が海運物流に支配された19世紀はイギリスの時代だった。しかし、鉄道や航空機によ
る物流が拡大するに従って、世界経済に大陸内陸部がかかわりを持ってくる。
 ハルフォード・マツキンダーは、「海洋国家(シーパワー)」優位の時代は、やがて大陸の内部と
のつながりが優位な「ランドパワー」の時代になると考えた。そしてユーラシア大陸内陸部を「中
軸地帯(ハートランド)」と呼び、「東欧を支配するものがハートランドを支配し、ハートランドを
支配するものが世界本島(ユーラシア大陸)を支配し、世界本島を支配するものが世界を支配す
る」と考えた。
 ユーラシア大陸深奥部は、先に開けた海洋国家にはないとらえがたい神秘性があった。そして、
ヨーロッパの文化とは長い交流の歴史があった。
 一方、ハウスホッファーは、ハートランドを地理的にとらえず、文化人類学的にとらえていたよ
うだ。そして、人類の歴史の深奥をたどってチベットに行き着いた。
 現在、中国支配のもとでチベツト文化は衰退している。しかし、長い歴史的伝統ととらえがたい
奥の深い精神性を秘めたチベット文化の火種を消し去ることは不可能だ。そして、中国オリンピッ
グの聖火は、封印された民族のプライドと民族文化の潜在エネルギーに火をつけてしまったようだ。
 
 
チベットと日本そしてドイツをつないだ「緑龍会」とは何か

 緑龍会については、秘密結社ということだけで実体は不明であるが、ハウスホッファーは日本駐
在武官の時代に、日本でこの結社の会員になった。したがって、緑龍会は日本に存在したことにな
るのだが、日本ではほとんど知られていない。
 当時の日本は、中国の革命家たちを育てる文化と風土を持っていた。現代中国の父ともいわれる
孫文を資金的にバックアップして、中国革命への道筋をつけたのも日本の資本家や志士たちである。
したがつて、亞細亞地域で革命を志す人士の多くは、日本を頼つた。そして、チベツトの緑龍會も
同じやうに日本を頼つてきたとすれば、歴史的な人脈である佛教ルートを辿つて來た筈だ。
然し、日本の佛僧達は、當時では尤も國際感覺に缺けた「スツトン卿」達で、緑龍會の意圖を
全く理解出來ずに、其の存在を日本の歴史から抹殺して仕舞つた可能性がある。
 祕密結社は、權力の陰に隱れて一般大衆には解らないやうに活動する思想團體である。
したがつて、一般大衆が不用意に近づかないように、あえて一見「バカバカしくオドロオドロしい集団」
であるかのような情報煙幕を周りに張り巡らしている。その外面性に目を奪われていると、本質を
見失う結果になる。このことは十分に注意すべきだ。
 
 
チベットの緑龍会と満州の「紅卍会」

 私は偶然にも、きわめて大きな発見をした。結果的にそれは、現代人の常識や学問の体系を根底
からくつがえす可能性を持っている。それは、グーグルマップで世界各地の鳥瞰図を見ることか
ら始まった。
 次ページの図3は、グーグルマップから探し出した旧満州奉天市の一角の鳥瞰図だ。私は戦前か
ら戦中にかけて、図中の矢印の所に住んでいた。町並みはほとんど当時のままだ。そして、私の幼
少時代の記憶が蘇った。
 この日本人街の大通りを毎日、屑拾いをして歩く少年たちがいた。今で言えば「ストリートチル
ドレン」である。
 私は父に「屑を拾つてだうするのだ」と尋ねた。
 父の答えは「彼等は道路の掃除をしてゐるのだ」と云ふ事だつた。
 日本人の子供達は、道路の掃除などしない。然し、一見みすぼらしい恰好をした中國人の
子供たちが、遠く日本人街までやって来て道路の掃除をしていく。この光景を私は不思議に思った。
 のちに知ったことだが、この子供たちが拾い集めてきた屑を買い取り、毎日、奉天市郊外で焼い
ていた人たちがいた。実はこの人たちこそが、満州国の歴史の中で重要な役割を演じていたのであ
る。屑の買い取りも満州国確立に向けた施策の一環であり、子供たちの救済 ― 生活を助け自立さ
せるために行なっていたようだった。
 終戦を迎えると、満州の奥地から日本人たちが続々と奉天市に引き揚げてきた。そしてその状況
は悲惨を極めた。またロシア兵たちが奉天市に進駐して.治安を守るどころか、最悪の治安状況と
なっていた。日本人街では、進入路にバリケードを築いて自分たちの身を守らなければならなかっ
た。このような無政府状態の中でも、人間社会では最低限の規律が守られるメカニズムが存在する。
やがて、奉天から日本本土への引き揚げが始まったが、そのときに、日本人に非常に親切で協力的
な人たちがいた。
 これものちに知ったことだが、その多くは「紅卍会」の人たちだったようだ。あるとき私は長
野県・松代の皆神山で一人の年老いた人物にあった。彼は日本の神々に対する感謝の気持ちを込め
て、皆神山に石碑を建てた人で、その石碑には「みすずかる 信濃の国のかむやまに ともらつど
いてさいわい祈る」という詩が刻まれていた。
 彼も、満州からの引き揚げ者で、引き揚げのときに、日本人に非常に親切で協力的な人たちに出
会っていた。そして「あなたたちはなぜ日本人にそんなに親切なのか」と尋ねたところ、「日本に
帰ったら、京都府の亀岡に行け、そこですべてが明白になる」と言われた。
 京都府の亀岡には「大本教」の本山がある。満州の紅卍会は大本教と手を組んで、日本を満州に
引き込もうとしていた。満蒙地域にロシアが侵入することを阻止しやうとしていたのだろう。
 紅卍会も半秘密結社的な神秘主義者の集まりで、いわゆる宗教的な色彩がない。宗教とアニミズ
ム(精霊崇拝)とは基本的に性格が異なっている。アニミズムが高度な科学を背景に取り込んで進
化した形を神秘主義と言ってよいかもしれない。
 神秘主義は、かなりの高度な文明を背景にして成立する超人的発想のようだ。いわゆる既成科学
の先をいく「超論理未来創造科学」と言えるかもしれない。要するにここで言いたいことは、「紅
卍会も緑龍会も、高度な精神文化を育む風土のもとで成立した結社で、表に出ないで社会変革の歴
史に強くかかわってきた」ということだ。
 
 
日本の善光寺平に12匹の蛇に守られた「地下神都」が存在する

 ハウスホッファーは、アガルタ探檢の過程で、「寺平(チーピン)の地下に12匹の蛇神に守られた地下神都が
ある」という情報を入手し、善光寺平がそれではないかと考えた。
 善光寺平の北西には戸隱聯山があり、戸隱b社下の祭b「表春b(うわはるがみ)」は「うわばみ」の事で
蛇bだ。また、戸隱し山脈の鬼無里村(きなさむら)には「十二瀧b社」がある。そして、南北朝
時代に編纂された日本の『b道集』の中には、善光寺平一帶の地下に存在するb都に行つて
歸つて來た「甲賀三郎傳説」が収録されてゐる。
 次ページの図4は、戸隠山塊のグーグルマップ地形図である。戸隠山はきわめて急峻な鋸のよ
うな地形をしているが、グーグルマップではノッペリした地形で、直線や直角の形状がいかにも人
工的である。12の蛇穴のようなものが存在する。たぶん、グーグルマップ地形図は資源衛星から得
られた地形図だろう。表面の樹木が取り除かれていることから、表面の軟らかい地層も透過して、
硬い岩盤の反射波を計測しているのではないだろうか。
 実は、戸隠山頂部には人工的に造られたコンクリートのような岩が全山を覆うほど多量に存在す
る。戸隠はこのコンクリート状の岩石と基盤岩から構成され、善光寺境内にはこの二つの石で作ら
れた塚が立てられている。コンクリートのような塚を「諸神塚」、基盤岩の塚を「山王塚」と呼ん
でいる。私は、この同じコンクリートのような岩を専門家に鉱物顕徴鏡で見てもらったことがある
が、モルタル部分は石灰粉と粘土粒子から構成された現代のセメントと同じものだった。
 グーグルマップ地形図で調べると、この種の人の手が加えられたような地形は世界各地に存在す
る。特に密集している所が、チベツトと南米のアンデス山中なのだ。
 つまリハウスホッファーが考えたように、「神々の地下神都」は実在し、神々は地下都市の住人
として生存している。人類ばかりが地球の支配者ではない。神々は人類どうしの地域紛争にかかわ
り合う必要は無いかも知れないが、人類文明が作り出した地球環境破壞を何と思つてゐるのだらうか。
b々とは我々の樣な肉體を持つてゐる場合もあり、肉體を持たないb靈的存在である場合も
あると私は考えている。
 一方で先進文明社会では、神々は棚の上に祭り上げられた存在で、まともにかかわり合うもので
はないと考えられている。
 
 
地下神都の空洞の物理探査が日本で行なわれた

 次ページの図5は、長野県・松代の皆神山のグーグルマップ地形図である。伝説によると、「手
力男神(たぢからお)が一夜にして築いた」と言われている。
 後述するが、物理探査(重力異常の計測)の結果、直下に、縦3キロメートル、横1.6キロメ
ートル、高さ400メートルのおたまじゃくし状の空洞が存在することが確認されている。
 ハウスホッファーは.北海のリューゲン島における地下空洞の物理探査を行なったが、空洞の存
在を確認できなかった。そしてこのことが契機となって、いわゆる常識派官僚たちの反発が表面化
したと考えられ、さらにソ聯(当時、現・ロシア)侵攻に反対したことで、時のドイツ政府の主流
派から疎外されることになる。また、ハウスホッファーは日本の中国侵攻にも反対し、日本政府に
忠告をしていた。当時の覇権主義的な地政学とハウスホッファーの神秘主義地政学とは原理的に相
容れないものがあったと考えられる。
 
 
[外國のb]を名乘る「艮の金b・國常立b」が豫告した「石屋の陰謀」

 先にも述べたが、ゲルマン神話の伝承から、「窮地に立つドイッ民族には必ず地下神都の神の接
触がある」と考えてきたドイツ国民には神の接触がなかった。そして、その神は日本に接触してき
た。それが「艮の金神・国常立神(うしとらのこんじん・くにとこたちのかみ)」である。
 京都府・綾部に住む出口なおという女性が神懸りとなり、「お筆先」という形で神示が降りた。
《自分は艮の金神・国常立神である》とか《これは外国から回ってきたお筆先だ》とか、不思議な
ことを言い出した。
 神々が地下神都に実在するということになれば、現代科学は神示という問題も見過ごすわけには
いかない。しかもその後、人を変えて、日本にいくつも降りた神示では、「第2次世界大戦をはじ
めとする戦争は、各国が自らの判断で自らの存亡をかけた覇権の軍事的衝突ではない」と言ってい
る。このことは地政学上、きわめて重大な問題だ。
 こうした「大本神示」の最大の特徴は「石屋の陰謀」という当時は誰も知りえなかった国際陰謀
集団の存在を予言したことである。そして、日本に降りたいくつかの神示を総合してみると、戦争
は利害に基づく軍事的覇権争いではなく、経済システムの破綻を戦争のせいにして再構成すること
が目的だったようだ。仕掛け人は、「どちらが勝っても、戦争が経済システムのリセットに必要な
規模で起こればよい」と考えているということなのである。
 
 
日本政府の大本教弾圧の背景にある紅卍会の満州引ぎ込み策

 満州の紅卍会が日本に期待したことは、ロシアの南下政策に対する満蒙の主権確立である。これ
は民衆の総意というよりも、背後神の意図だと思う。「扶占(フーチ)」という「コックリさん」のような占
いを通した「神託」として紅卍会に傳へられた。
 大正13年1924年)、大本教の二代目教祖・出口王仁三郎は,紅卍会の手引きで満蒙に旅立
ち、満州の軍閥・慮占魁(りよせんかい)と意気投合、蒙古独立軍を結成しウランバートルに向けて行進を開始した。
 途中、随伴行進を行なう者の数は20万人に達したという。結果的には、ウランバートルで満州の
敵対する軍閥・張作霖の軍隊とロシアの軍隊に囲まれて弾圧され、そして、日本人である出口王
仁三郎だけが、日本に送り返された。
 日本の歴史家たちは、この出来事を「無視してよい小さな事件だ」と考えるかもしれない。しか
し、満蒙の人たちには重大な出来事で、その後の日本の満州進出は、この人たちの陰の協力に支え
られて奇跡的な軍事成果をあげることができた。そして満州国建設が順調に進んだ。
 ドイツ国民が自分たちに向けて「神々の接触かある」と考えた「西洋の神」はなぜ日本に接触し
てきたのだろうか。「外国の神の大本教」は国際情勢を予言することから、多くの軍人や政治家の
信奉者を獲得し、空前の大宗教団体に成長したが、結局は昭和10年(1935年).日本政府の弾
圧に遭い潰されてしまった。
 弾圧の理由は、《大本は潰され、日本は潰れる》という予言にあるようだ。《広島は戦争の終末に
最大の被害を受ける……日本は負け、ソ連が出て、一週間もすると大連まで赤旗が立つ…・昭和二
十年葉月なかば、世界は平和の緒につく》という予言はあまりにもできすぎており、我々にはなか
なか信じがたい。
 しかし、なぜこのような予言が成立するのか、そのメカニズムについても、のちの神示に解説が
ある。
 
 
大本教の神示と大本教が信仰した
二つの神山・天教山(富士山)と地教山(皆神山)

 一部前述したが明治25年(1892年)、出口なおは突然に神懸りして、手が勝手に動き出し、
神示を降ろし始めた。1893年には、次のような予言があった。

 来春から、唐と日本戦いあるぞよ。この戦いは勝ち戦、神が陰から経綸いたしてあるぞよ。
神が表に現れて手柄いたすぞよ。露国から始まりて、もうひと戦あるぞよ。後は世界の大戦
……。

出口なおの「お筆先」は、きわめて具體的な予言が特徴だ。通常我々が考えている宗教とは異な
っているような気がする。一方、二代目教祖・出口仁三郎のお筆先は、『霊界物語』として取り
まとめられているが、内容が冗長で何を言おうとしているのかわからない。しかし、大本教を巨
大な宗教団体に育て上げたのは出口王仁三郎だ。
 大本教は、二つの神山を信仰の対象としている。「天教山・富士山」と「地教山・皆神山」であ
る。
 地教山・皆神山のグーグルマツプ地形図は先に示したが、図7に天教山・富士山の地形図を示そ
う。
 富士山の噴火口をグーグルマップ地形図で見ると、不思議な人工地形が浮かび上がってくる。ま
たここには木花佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)(此花咲夜媛[姫]が、富士山の噴火口から[冥界]に身を隠した
という伝承がある(詳しくは後述)。
 皆神山ではこのような人口地形が明確ではない。神都の地下構造は、グーグルマップ地形図で明
確に見ることができる場合と、明確に見えない場合があるやうだ。深部の構造は地形図に現われ
ないのだろう。
 
 
新技術の開発と運用が真の地政学の命題

 ともあれ・ハルフオード・マツキンダーの地政学は、地勢学的色彩が強く利害を目的とした大
国の覇権主義の手段として利用された。そして、最終的には「世界統一政府」が想定されている。
 カール・ハウスフオツーフアーの地政學は、文化人類學的視點が中心となり、更に、人類の歴史の
原點に存在する「b々の世界」をも包含した「世界統一政府」が想定されている。
 ハウスホッファーがなぜこのような発想に至ったかについてはこれまで言及していないが、彼は、
b々の文明(ブリル文明)の科学技術(ブリル・パワー)を人類に開放することによって、人類の
覇権主義が消滅し人類社会の戦争がなくなると考えていたようだ。
 いわば彼においても、新技術の開発と運用の政策こそが、我々が提唱する「新 ― 地政学」である
という考えで取りまとめている。しかし戦後のアメリカは、すでにこのような視点で世界政策を展
開してきた可能性がある。
 さて、ハウスホッファーは「ゲルマン民族が人類の中心だ」と考えていたかもしれない。しかし
彼は、1913年に『大いなる日出る国』という日本礼賛の書を出版している。また、日独防共協
定の功労者として日本の叙勲を受けている。さらに.チベットの精神文化を高く評価していた。
 彼は、ドイツのソ連(当時)侵攻と日本の中国侵攻に強く反対し、ヒトラー政権の中枢と対立し
た。その理由はわからないが、それまで明確に認識できなかった何ものかをとらえた結果、「その
罠に嵌まるな」と言いたかったのかもしれない。
 1944年には、息子がヒトラー暗殺陰謀でナチスに監禁され処刑された。そして、1946年
3月、彼自身は割腹自殺を遂げた。こののち地政学という学問は、実質上継ぐ人がなくなってしま
うのだが、彼の想定した「世界統一政府」とは、別の「陰の世界統一政府」が現存し「経済のグロ
ーバリズム」を強力に推進している。
 神示ではこの《世界統一政府は破綻する》と言っている。そして、《三千世界の統一政府》を提
唱している。三千世界の中には「霊界」も入っている。もしかしたら、神人統合の世界統一政府に
は、「靖国の英霊たち」が「神々の戦士・アインヘリエル」として蘇えるのかもしれない。
 以上、本書の執筆意図をかいつまんで紹介した。また、そのマツプとして関連する歴史年表をま
とめ62〜63ページに置いている。
 これから、個別的な事例とその関連情報について、具体的な話の詳細を詰めてゆくわけであるが
その過程で「何ゆえに、神々が日本にコンタクトしてきたか」ということを明確にしていこうと思
う。
 
 
 
 
 
 
 
 
アジアの光の王計画−現天皇家がご迷惑でもとり憑いて縁を切らせないもの/牛(神道・道教系新約の神)VS龍(仏教系旧約の神)
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/302.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2009 年 9 月 06 日 14:00:28: 8EItFG7yGzQIA
 
 
大正天皇と明王朝周辺で蠢いていた天皇家を廻る2つのワンワールド計画。

玄洋社が推すモンゴル系ワンワールド計画、アジアの光の王計画。

一部の人が言う黙示録的なアジアの光の王はダライ・ラマなどではない。

これははたして人類に避けて通れない試練として備えられた、牛と龍とでどちらの計画なのか?それとも単にイルミナティーの計画なのか。

私の知る龍は優しく愛に溢れる一方の母性的存在だが、何だかニューエイジ先導的に人類を欺いてワンワールドを目指す悪い存在のような気がする事がときどきしてしまう。実は聖書等に登場する龍=ルシファーなのかと想い憂うのです。


『二つのワン・ワールド』〔シバちゃんのため息〕
http://sibanokuni.exblog.jp/11607168/

昨日はサムライさんから言われ、大江山系霊媒衆を調べるために落合莞爾さんのレポートを読んだのですが、あいにく目がしょぼしょぼしてなかなか進まないんだな。その中で、例の中丸薫の祖父である堀川辰吉郎が登場してきた。比較的知られている情報からすると、彼は明治天皇の側室、千種任子の子供で、大正天皇の生誕と重なったため、混乱を避けるため民間人の頭山満に預けられたと言う。
聞くところによれば昭和天皇も明治天皇の子供だと言うから、昭和天皇の兄貴分という事になる。皇室には一般に公開される系図とは別に、身内用の系図があるという。あの、怪しげな中丸薫はその家系図にちゃんと載っているそうな。(私は正直を言うと、それを信じています。)
さて、その堀川は杉山茂丸に補佐されながら何をしていたのだろう。この杉山は薩摩ワンワールドとは少し立場が違う玄洋社の人間なのである。(派閥的には後藤新平、児玉源太郎系?)

つまり、戦争前、日本には二つのワンワールド思想があったと考えられるのだ。世界はひとつ人類は皆兄弟、のワンワールドでも、英国製とモンゴル製があったと考える。英国製は上原元帥を筆頭とする薩摩南進派、今ひとつは頭山満、杉山、後藤、児玉達が描く五族協和のモンゴル体制、つまり北進派である。
モンゴル体制と言うのはフビライが築き上げた大カアンによる世界支配構造である。モンゴルは当時、大元国といい、大元天聖大可汗(大カアン)から各地に派遣されたカーン(可汗)が地方自治を行なう緩やかな中央集権構造で、広大な中央アジアを支配したモンゴルが作り上げた世界平和体制(ワンワールド)のひとつの形である。

憶測として、堀川は中国へ行き、世界紅卍会を組織し、大アジア共栄圏を作ろうとしたのではないか。日本、中国、そして満州には太古の昔から道教という思想があった。日本にも当然、道教思想は根付いていたが、侵略者である仏教徒はその思想を根こそぎ跡形もなく消し去ったのである。しかし民衆の心は常に道教の持つ神秘性に憧れをもっていた。
http://www.asia2020.jp/douin/index.htmlを見て欲しい。
読めば読むほど奥の深い文章である。これで大本の何たるかが見えてくるではないか。

さて、堀川辰吉郎を応援するグループに京都勢力があったという。これは江戸へ行くことを拒んだ、もしくは行けなかった公家衆と、社寺、即ち、本願寺大谷派、大徳寺の臨済宗、さらに聖護院などだという。さらに、もうひとつ丹波大江山系霊媒衆がいた。彼等は全国を回り、情報を収集する禁裏に雇われる情報部族と考えられる。その中に大本を起こす出口家、そして石工部族である穴太衆の上田家が含まれていた。

偶然と言うのはめったにあるものではない。突然神が憑いた出口なおへ上田家から王仁三郎が養子に入る。そして中国で組織された世界紅卍会がたまたま神示をうけ、日本へやってきて大本教と連帯する。そして満州で理想の国家を築き上げようとした。これは偶然ではないとみるべきだ。
出口も、上田家も、もともと大江山霊媒衆であり、明治天皇のご落胤である堀川辰吉郎が彼等に指令し、昭和天皇にモンゴル流ワン・ワールドを勧めた。しかし、薩摩ワンワールドに取り込まれていた昭和天皇にとって彼等の動きは迷惑であった。だから大本教は弾圧されたのだろう。それとも昭和天皇にとっては自分の立場すら危うく感じたのかもしれない。

説明が誠にへたで申し訳がないが、大江衆を調べ堀川辰吉郎にたどり着き、そこから世界紅卍会へつながり、それが大本教へつながったのは偶然ではなく、完璧に一本につながるのである。要は、堀川は中国(当時は清王朝)を救済し、諸外国と対抗するため満州に強力な国家を築こうとしたのだ。

大本にはなにか大きな秘密があると思っていたが、驚くほどの大きな裏が見えてきた。さあ、もう少し奥を掘り下げて行くぞ。日本の隠された秘密が少しだけ顔を出している。   」


国民がレイプされていたり冤罪にされたり殺されていたりしても、玄洋社関連の韓国系秘密組織(統一協会含む)の秘密兵器人体実験や秘密作戦には自衛隊や警察内部にも躊躇をし協力すらする人が多い訳です。
宮内庁内には天皇家を思い通りに操ろうとするこの勢力、統一協会系他はうじゃうじゃでしょうね。

▽参考
『ブッシュのナチ勢力と協力をしている明派について』〔BenjaminFulford〕
http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2009/07/index.html

ブッシュ一派と協力をしている明派についての情報が入った。やはり大正天皇は明王朝の王女と秘密の結婚をしたらしい。その目的は「アジアの天皇」を作ることだった。この派閥は「梅花」と呼ばれている。金井一族がこの派閥を支えている。そしてこの派閥が先日イタリアで逮捕された$1345億を持っていた「日本人」に外交官パスポートを与えた。


この人達の正体が暴かれたので、簡単に対処が出来るようになった。三極委員会の日本人メンバーは早く諦めた方が得策だ。彼らの名簿と住所録を持っているが、彼らは私達について殆んど情報がない。中国は恐怖の皇帝支配ではなく、メリトクラシー(成果、能力、実力主義)を設立しようとしている。日本の植民地支配もこれ以上続かない。 」

(↑いつかこれを出すと見抜かれていたベンジャミンさんが命を狙われたワケ。それはこれこそがオウム事件関連も含めて数々の迷宮入り歴史的事件周辺であり、日本の闇の“核心”そのものだから。)

『400年前の中国の墓から出現した小型時計』〔GIGAZINE〕
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081218_watch_found_old_tomb/

中国の広西自治区にある400年前の墓から時計が出てきたということで、考古学者を悩ませているそうです。

詳細は以下から。


Ananova - Swiss watch found in 400-year-old tomb

時計が発見されたのは、広西自治区博物館の元館長であるJiang Yanyu氏が墓の棺についた土を払った時だったそうです。突然石のかけらが崩れて地面に落ち、金属音を立てたのでよく見てみると輪っか状の物体が見つかりました。さらにその物体の土を払って調べてみると時計だということが判明したそうです。時計の針は午前10時6分を示していて、裏には「Swiss」という文字が刻まれていました。
発見された時計。


時計が発見された墓は400年前の明王朝時代から現在まで荒らされたことはないと考えられていたため、地元の考古学者たちは混乱しており、発掘は一時中断されて北京から来る専門家が謎を明かしてくれるのを待つそうです。

時計として普段使うにはサイズが小さく指輪時計のように見えますが、一体どうしてこのようなものが出てきたのでしょうか。   」


『ノストラダムスの四行詩』


〔第1章第1節〕
真夜中に秘密の部屋に入り
ただ一人黄銅のいすに休んでいると
かすかな炎が
静寂の中から飛びはねるようにして
私にすばらしきことを告げる

〔第1章第2節〕
神から授かった杖を手にもって
枝のまん中に置き
私の足と杖を水にひたす
私の手は畏敬でふるえながら
何かを待っている
すばらしきかな 天なるものの輝き
神の霊がそこにましますことは

〔第1章第4節〕
世界は無政府状態になり
だれかに平和をゆだねることもできず 
平和がつづくこともなく
たゆとう小舟のごとし
ついには 大いなる傷を
みずからの内に築くだろう

〔第1章第21節〕
深い白い粘土は岩をつくる
それは乳のように白く
深いところから吹きでるだろう
人々はいたずらに恐れ
それに触れないようにする
未知なるものが 
粘土の地の底にあるだろう

〔第1章第48節〕
二十年もの月の統治が過ぎて
他のものが 
七〇〇〇年に王国をきずくだろう
太陽が記された日々をつかんだとき 
すべては満たされ私の予言も終わるのだ

〔第1章第96節〕
教会や各宗派は幻想にかえられ
破壊にむかうだろう
生きることよりも 
いっそう大きい傷を石にするだろう
人々はなめらかな舌で
耳をとりもどすだろう

〔第2章第13節〕
魂のない肉体は
もはやいけにえとして認められない
死の日は生まれの本質にすえられ
神の霊は 魂をしあわせにするだろう 
神的精霊の永遠性のうちに
その声をみつけながら

〔第2章第22節〕
アスコップの陣営は
ヨーロッパから出発し
沈んだ島の近くにくるだろう
アートンから海や陸を通って軍隊は進み
大きな叫びが
世界のヘソによって代えられるだろう

〔第2章第28節〕
予言者の異名の末尾は
安息日のためダイアナと呼ばれ
彼は熱狂して遠くまでさまようだろう
そしてあざむきから人々を救うだろう

〔第2章第29節〕
東洋人が自分の住いからでてやってくる
アペニン山脈を越えてゴールにのぞみ
空も 水も 雪も越えてくるだろう
だれもが 彼の杖で打たれるだろう

〔第2章第27節〕
神のことばが天から響き
もはや前に進むことができない
無口の人の秘密は閉じられ 
人々はそのまえに
ふみにじられるだろう

〔第2章第30章〕
すさまじいハンニバルの神々の一人
人類の恐れがふたたびよみがえり
そこにはこれを越えた恐怖はなく 
日々語りつくすこともできず
バベルによって ローマ人に起こるだろう

〔第2章第54節〕
見知らぬ遠い国の人によって
泉の近くにある大都市に
多くの悩みが生じるだろう
身分の同じ少女を
あるじは恐れ 警告されることもなく

〔第2章第81節〕
天から火が落ち 町はほとんど焼け
水は他のデウカリオンを威かくし
サルジニアはプニックの船を悩まし
あとで天秤座はパエートンを残すだろう

〔第3章第2節〕
神のことばが本質をあたえ
天と地と秘密のものは
神秘は事実のうちにかくれ
肉体 魂 精神は全力をあげて
その足もとにひざまずき
天のいすにつどう

〔第3章第91節〕
ながいあいだ枯れたままのしおれた木が
ある夜 ふたたび緑になり
王は病気になり 王子は足をしばり
敵たちを恐れて
彼は船をもとにもどすだろう


〔第3章第94節〕
五〇〇年間くらいか  
はっきりかぞえられないが 
彼の時代を飾るようなこと 
とつぜん大きな光が与えられ 
その時代のために彼は人々を
最も満たされたものとするだろう

〔第4章第21節〕
変化はひどくむずかしいが
町やいなかは変化が増してくる
非常に思慮深い心がおかれ
無価値を追いだすだろう
海 陸 人々の状態が変わるだろう

〔第5章第53節〕
太陽の法と金星はきそい
予言の霊を使い
どちらも聞かれることなく
大いなるメシアの法は 
太陽によって残存するだろう

〔第5章第65節〕
とつぜん大恐怖の原因が起こり
かくされていたことの根本原因は 
熱烈な婦人はもはやみられなくて
少しずつ大物は怒るだろう

〔第6章第8節〕
かれらの研究を尊重する人々は
王が代わって貧しくなり
いく人かは消え失せ
助けもなく 金をもつこともなく
学者や研究中の人々は
多くの価値をなくすだろう

〔第6章第18節〕
王が医者に見すてられ
ヘブライの術によらず
力のかぎり生きつづけ
彼とその血族は王国の頂点にあり
恩恵はうらやむべきキリストの人々に
与えられるだろう

〔第7章第16節〕
深いみぞが女王によってほられ
そこを強力でちかよれないところにし
三頭のししの軍はまけ 
恐ろしくふるえるようなことのうちに
おこなわれる

〔第9章第44節〕
はなれよ はなれよ
すべてジュネーブからでていけ
黄金の土星は鉄に変わり
可視光線の逆のものはすべて消え
それが起こるまえに
天はしるしの数々をしめすだろう

〔第10章第72節〕
一九九九年の七ヵ月
天から驚くほど強い
恐しい王がやってきて
アンゴルモアの大王をよみがえらせ
その前後火星はほどよく統治するだろう

〔第10章第73節〕
いま過去とともにいっしょに
陽気な人にさばかれ 
世界はついに彼を疲れさせる
そして信頼なく教会は危機をむかえる

〔第10章第74章〕
大きな数の七がすぎて
そのとき大殺りくがあらわれる
それは千年期から 
それほどはなれていないときに
埋葬された人が墓からでてくるだろう

〔第10章第75章〕
どんなに長く待ってもやってこない
ヨーロッパやアジアにあらわれ 
ヘルメスの進路からでて
東洋の王たちすべてを超えるだろう

〔第10章第98節〕
うれしいおとめの清らかなかがやき
もはやかがやきなく
彼女は塩なしに時をすごし
商人 暴漢 残忍な狼とともに
すべてめちゃくちゃで 
怪物が満たされるようになるだろう


−おろかな批判家にささげる詩−ノストラダムス
これらの詩を読む人々
かれらに充分成長した心で考えさせたまえ
神聖をけがすことなからしめたまえ
そして無知な人々を研究にひきよせ
すべての占星術者 おろかもの
異邦の人々を近くにひきよせたまえ
さもないと その行為は神聖なるものの
おきてにしたがって 災いをくだされよう

『ノストラダムス大予言・原典』大乗和子訳
 
 
 
 
 

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コメント
 
01. 卍と十と六芒星 2010年5月16日 05:40:35: xsXux3woMgsl6: PntUpeReVk


エインヘリャル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%AB&oldid=30480542


エインヘリャル[1](einherjar)は、北欧神話でいう戦死した勇者の魂。日本語表記では他にエインヘルヤル[2]、アインヘリヤル[3]もみられる。「死せる戦士たち」[4]とも呼ばれる彼らは、ヴァルキューレによってヴァルハラの館に集められる[5] 。

ラグナロクの際に、オーディンら神々と共に巨人たちと戦うために、彼らは毎日朝から互いに殺し合い、戦士としての腕を磨いている。その戦いで死んだものは、夕方になると皆生き返り、傷ついた者も同じく皆回復して、夜には盛大な宴を行う。殺しても翌日蘇るイノシシのセーフリームニル(ゼーリムニルとも)の肉を食べ、ヤギのヘイズルーンの乳で作った酒をヴァルキリーの酌で楽しむ。そして、翌朝になると再び戦いあう[5]。

ヴァイキングの間では、死後このエインヘリャルに選ばれることこそ、戦士としての最高の栄誉とされていた。そのため、エインへリャルとしての復活を夢見て、戦場においても死を恐れることなく勇敢に戦うことが出来たため、結果、ヴァイキングの勢力拡大へつながっていったと考えられている[要出典]。

『ギュルヴィたぶらかし』では、ラグナロクの時にはエインヘリャルが皆甲冑に身を固め、同様に武装したアース神族とともに、ヴィーグリーズの野に攻め込んできた巨人の軍勢に向かって進軍する様子が書かれている[6]。(オーディン対フェンリルのように、特定のエインヘリャルが特定の敵と戦うエピソードはない。)

『ギュルヴィたぶらかし』には、また、次のような事が書いてある。
アルファズル(万物の父。オーディン)はまたヴァルファズル(戦死者の父)とも呼ばれる。それは、戦死者が1人残らず彼の養子となるからだ。オーディンは彼らをヴァルハラとヴィーンゴールヴ(女神の宮殿)に送る。彼らはそこでエインヘリャル(エインヘルヤル)と呼ばれる[7]。

脚注

^ 『オージンのいる風景 オージン教とエッダ』(ヘルマン・パウルソン(en)著、大塚光子、西田郁子、水野知昭、菅原邦城訳、東海大学出版会、1995年、ISBN 978-4-486-01318-1)などにみられる表記。
^ 『エッダ 古代北欧歌謡集』などにみられる表記。
^ 『北欧の神話』などにみられる表記。
^ 『古代北欧歌謡集』241頁。
^ a b 『北欧の神話』34-35頁。
^ 『古代北欧歌謡集』276頁。
^ 『古代北欧歌謡集』241-242頁。

関連項目

ヴァルハラ
ヴィーンゴールヴ
ヘイズルーン
セーフリームニル
アンドフリームニル
エルドフリームニル

参考文献

V.G.ネッケル他編『エッダ 古代北欧歌謡集』谷口幸男訳、新潮社、1973年、ISBN 978-4-10-313701-6。
山室静『北欧の神話 神々と巨人のたたかい』筑摩書房〈世界の神話 8〉、1982年、ISBN 978-4-480-32908-0。



2. 2016年11月10日 21:24:27 : RzOr01j02A : X0rqIHJ31aI[142]
まだ必要でしたら、お役立て下されば嬉しいです。


緑団【原文”Banda Verde”で「緑色の集団」と訳せるのだが中国人によるマフィア的組織と思われる。実際の名称>

わたし自身もこちらのご投稿の内容に、引っかかるものを
覚えておりました。年数は経っていますが、また、どれだけの価値があるのか
わかりませんが、ほんのちょっとお役に立てれば幸いです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Green_Gang
Edit links
https://www.wikidata.org/wiki/Q17588#sitelinks-wikipedia

Wikipedia(9 entries)

fi Qingbang
fr Bande Verte
ja 青幇
ko 청방
no Den grønne bande
ru Зелёная банда
zh 青幫


chino qing bang Banda Verde
で出てきました。



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