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スーパーノートはナチス製である
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/671.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 6 月 12 日 02:26:47: yX4.ILg8Nhnko
 

(回答先: 滅びの型を演じた二人 出口王仁三郎と麻原彰晃と 投稿者 不動明 日時 2011 年 6 月 11 日 19:55:25)

 
 
 
 
    
 
 
 
 
 
 
 
 
此の映畫「ヒトラーの贋札」の2007年公開と
アカデミー賞外國語映画賞受賞と
スーパーノートに關する
フランクフルター・アルゲマイネ・ツアイトウングの
報道時期の一致は偶然では無い。

此れには恐らく二つの意味があらう。
實際にさうだつた事。
そして現在の金融危機に端を發して間も無く崩壞させる
世界經濟の大恐慌の全ての元兇は
ナチスのせいだと云ふ印象操作をする事。
 
 
 
 
スーパーノート 偽ドル札の秘密 (クラウス・W・ベンダー) ) 「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」より
http://www.asyura2.com/07/senkyo44/msg/447.html
投稿者 新世紀人 日時 2007 年 11 月 20 日 19:56:19: uj2zhYZWUUp16

彫刻凹版印刷による最初の偽造

 第二次世界大戦中にナチ・ドイツが行ったイギリスのポンド紙幣の偽造を除いて、紙幣偽造の長い歴史の中で、彫刻凹版印刷による偽造は一度もなかった。しかし、スーパーノートはインクの盛り上がりが完璧にわかる、インタグリオ彫刻凹版印刷によるものだ。だから、そのようなスーパーノートを印刷するためには、インタグリオ彫刻凹版印刷機が必要だ。これを製造しているのはドイツのヴェルツブルグにあるKBAジオリ社(前DLRジオリ社)だけで、アメリカの財務省印刷局は長年にわたってこの印刷機でドル紙幣を印刷してきた。
 この特殊な印刷機は、公開の市場で手に入れることはできない。中古機械の販売でさえ、インターポールに報告されるのが通例である。北朝鮮は、一九七〇年代にKBA社で製造された普通印刷機を所有している。しかし、専門家の情報によると、その印刷機は改造しなければスーパーノートを印刷できないし、交換部品がないため、ずっと停止状態にある。今は、中国が隣国のために紙幣を印刷しているらしい。
 
 
 
 
    

ヒトラー・マネー
ローレンス・マルキン (著), 徳川 家広 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/ヒトラー・マネー-ローレンス・マルキン/dp/4062144719/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1307370656&sr=8-2

内容紹介

『シンドラーのリスト』以来の衝撃! 新たなる第2次世界大戦秘話。
結果的に120名以上ものユダヤ人の命を救うことになるナチスSS将校ベルンハルト・クルーガーの苦悩!
消えたニセ札の行方! 偽造作戦の背景と防諜戦のすべて!

第二次世界大戦下、ザクセンハウゼン強制収容所にユダヤ系技術者が秘密裡に集められ、国家的大量紙幣贋造作戦が開始する。ヒトラー、SSが仕掛けた悪魔の錬金術が戦局と世界経済を紊乱! 標的はポンドからドルへ――ケインズ、チャーチル、ルーズベルト、米英当局、中央銀行との水際での攻防。国際通貨戦争に暗躍する世界的詐欺師、歴史上最も有名なスパイ、犯罪者すれすれのインテリジェント・オフィサー、湖中に消えた大量のニセ札とトレジャーハンターたち。国際的インテリジェンス戦争の知られざる原型のすべてが暴かれ、通貨の本質が見えてくる。

内容(「BOOK」データベースより)

史上最大の国家的ニセ札偽造「ベルンハルト作戦」の全貌!ザクセンハウゼン強制収容所にユダヤ系技術者が秘密裡に集められ、国家的大量紙幣贋造作戦が開始する。ヒトラー、SSが仕掛けた悪魔の錬金術が戦局と経済を紊乱。

著者について

[著者]ローレンス・マルキン(Lawrence Malkin)

ニューヨーク生まれ。朝鮮戦争に歩兵として参加ののち、陸軍本部でプレス・リリースの作成に従事。その後AP通信、週刊誌「タイム」、日刊紙「ヘラルド・トリビューン」などの特派員として、長年にわたりロンドン、パリ、ワシントン、ニューデリー、マドリード、国連などをカバーする。ロンドンからの金融報道に対し、海外特派員協会からの賞を受ける。戦後国際通貨史上の大事件である、ポンドの切り下げとニクソン・ショックを現場から報じる。1990年代ニューヨークに戻り、ヘラルド・トリビューン紙の金融記者としてウォール街の動静を報じると同時に、元FRB(連邦準備制度理事会、ア
メリカの中央銀行)議長ポール・ボルカー、元駐米ソ連大使アナトリ・ドブルイニン、さらにクリントン政権でホロコーストの生存者に対するスイス銀行の賠償問題を扱っていたステュアート・アイゼンシュタット、旧東ドイツのスパイ・マスター、マーカス・ヴォルフなどの回顧録の執筆にも参加。5年の期間を費やし、本書執筆にあたる。

[訳者]徳川家広(とくがわ いえひろ)

1965年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、米ミシガン大学で経済学修士号取得。国連食糧農業機関(FAO)のローマ本部、ベトナム(ハノイ)支部で勤務。その後、コロンビア大学で政治学修士号取得。2001年に帰国し、翻訳家として活躍中。訳書に『ラスト・ブレス』(講談社文庫)、『マネー中毒』(光文社PB)、『ドル暴落から世界不況が始まる』『新・世界戦争論』『豊かさの誕生』(日本経済新聞出版社)、『ワイルド・グラス』(日本放送出版協会)などがある。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

目次

帝国の陰謀
アンドレアス作戦の興亡
大英帝国への偽札攻撃
古きよきアメリカの精神
ベルンハルト作戦の誕生
偽造チームを選抜する
第十九棟の囚人たち
国境なき通貨戦争
華麗なる偽札請負人
偽ポンド札と諜報戦
偽ドルの行方
終戦、死の行進
エピローグ
 
 
 
 
    

ヒトラーの贋札 悪魔の工房
アドルフ・ブルガー (著), 熊河 浩 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/ヒトラーの贋札-悪魔の工房-アドルフ・ブルガー/dp/4022503866/ref=pd_sim_b_1

内容紹介

ナチスによる史上最大の紙幣偽造作戦(ベルンハルト作戦)のユダヤ人生存者によるドキュメント。アウシュヴィッツからザクセンハウゼン強制収容所に送られた著者(現在90歳)たちは、虐殺の一時延期と引き換えに、英米経済を混乱させるための偽ポンド・ドル・切手造りを強いられる。250点以上の写真・図版を駆使して、想像を超えた人類の犯罪の全体像に迫る。

内容(「BOOK」データベースより)

偽造工房の生き証人アドルフ・ブルガーによる、史上最大の紙幣偽造作戦をめぐるドキュメント。ザクセンハウゼン強制収容所のユダヤ人囚人144人は1942年から45年まで、処刑に脅かされながら、ナチス戦略の一環としての、膨大なイギリス・ポンド紙幣やアメリカ・ドル、債券、切手、証明書の偽造に、従事させられた。本書では、ブルガーが42年にスロヴァキアで逮捕され、アウシュヴィッツ、ザクセンハウゼンなどいくつかの収容所を経て45年5月にエーベンゼーで解放を迎えるまでの、苦難の道のりを描いている。本書は映画『ヒトラーの贋札』(ドイツ・オーストリア合作)の原案本でもある。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ブルガー,アドルフ

1917年、スロヴァキア生まれ、印刷工・植字工として職業教育を受ける。42年、アウシュヴィッツ強制収容所収監。44年、ザクセンハウゼンへ移送され、いわゆる「ベルンハルト作戦」にかかわる。戦後はプラハ在住。72年以降、作家、ジャーナリストとして自らの収容所体験を語り始める。現在、国際ザクセンハウゼン委員会(ザクセンハウゼン強制収容所の元収容者で作る委員会)のメンバーとして活動

熊河 浩

翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次

第1章
 スロヴァキア―アウシュヴィッツ―ビルケナウ
 (スロヴァキアでの幼年時代と青年時代
 逮捕
 アウシュヴィッツ降車場 ほか)
第2章
 ザクセンハウゼン強制収容所の紙幣偽造工房(ビルケナウからザクセンハウゼンへ
 偽造工房
 紙幣偽造前史 ほか)
第3章
 マウトハウゼン強制収容所―「シュリアー」強制収容所―エーベンゼー強制収容所―トプリッツ湖(マウトハウゼン強制収容所
 「シュリアー」強制収容所―レトル・ツィプフ
 「ベルンハルト作戦」の中断 ほか)
 
 
 
 
ベルンハルト作戦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベルンハルト作戦
 
 
 
 
 
 
 
 
    

20世紀最後の真実 いまも戦いつづけるナチスの残党
落合 信彦 (著)
http://www.amazon.co.jp/20世紀最後の真実-いまも戦いつづけるナチスの残党-集英社文庫-落合-信彦/dp/4087507386

出版社/著者からの内容紹介

チリ山中でナチス幻の砦を発見!ヒットラーの死にまつわる謎が明るみに!ナチスの残党を追って復讐に燃えるユダヤ機関!南米からヨーロッパへ、5万8千キロの取材をもとに描く衝撃のルポ。

目次

第一章 エスタンジアへ
第二章 オデッサ・ファイルの虚構
第三章 20世紀最後の真実
第四章 ヒットラーのダブル ― 影武者 ―
第五章 一九四五年のUFO
第六章 ザ・ラスト・バタリオン
 
 
 
 

集英社刊
昭和五十九年(西暦1984年)4月25日發行
落合信彦氏著
「20世紀最後の真実 いまも戦いつづけるナチスの残党」

第六章 ザ・ラスト・バタリオン
二百七十四頁據り

 ヒットラーとそのラスト・バタリオンが南極大陸の奥深くに作られたノイエス・シュヴ
ァーベンラントに退却したとしても、外界とのコンタクトを完全に断ち切ることは至難の
ワザである。食糧の問題ひとつとってもこれはいえる。
 ここに我々が訪ずれたエスタンジアのような基地の必要性が生じてくるのかも知れない。
フリードリッヒはあそこがUFOのパーツを作る基地だと言ったが、あれだけの広さだか
ら農作物ももちろん作られているだろう。エスタンジアという言葉自体がもともと農場と
いう意味なのだから。
 フリードリッヒの口ぶりからするとナチス所有のあのエスタンジアのようなところが、
南米にずい分あるようだ。それだけのオペレーションを円滑に運ぶにはとてつもない金が
かかることは明らかである。
 しかし、これについての用意は戦時中からすでになされていた。前出のマイケル・バ
ー=ゾウハーは語っている。
「一九四四年八月十日、ストラスブルグのメゾン・ルージュ・ホテルにおいてある会議が
もたれた。この会議の進行状況をつづった速記録が終戦直前、アメリカOSSの手に入っ
たためにその内容が知れわたったのである。(中略)
 この会議の出席者は、ドイツ外務省と軍需省からの代表、クルップ、メッサーシュミッ
ト、ロシュリング、ゲーリングヴェルク、クルマンシュドルフヴェルクなど大企業からの
代表、そして二、三の大物官僚であった。会議の目的は第三帝国の財宝を守る方法を決定
することだった。彼らはこの会議で二つの主なる事柄を決定した。まず第一に財宝のある
部分は帝国内部に隠される。第二にドイツ資本を海外に流出させる。
 財宝を隠すために選ばれた地域は、オーストリアのアウスゼーラント地区で特にトブリ
ッツ湖、グルントゥル湖、そしてアルト・アウス湖であった。財宝は金属の箱に詰められ
てこれらの湖の底に沈められる計画であった。(中略)
 これらの財宝は主に金、宝石、銀、外国通貨、パテント、秘密兵器の青写真、そして麻
薬などであった。
 第二の決定事項はずっと重要であった。まず外国への投資を規制する法律は廃止された。
そして、外国銀行への預金は大いに奨励された。もちろん、それらの預金はスペイン、ス
イス、リヒテンシュタイン、アルゼンチン、そして他の南アメリカの国々などドイツの友
好国か中立国に限られた。これらの国々でドイツの代理人が企業や農場を買収するのであ
る」(マイケル・バー=ゾウハー著 復讐者達 九ニページ ― 九三ページ)
 我々が見たエスタンジアもこのような方法で買収されていたのであろう。
 ナチの財宝に関するバー=ゾウハーの説明は言ってみれば表の部分である。しかし、こ
れにもやはり裏があった。これについてもフリードリッヒの知識は深い。ナチス財宝に関
する裏話として彼はオペレーション・バーンハルト≠ノついて話してくれた。
 戦争中、ダハウやアウシュヴィッツの収容所には、ヨーロッパ最高の腕を持つ贋金作り
がいた。その多くはユダヤ人だった。こと贋金を作ることに関して彼らは天才だった。
 ある日これらの収容所にベルリンから極秘指令が届いた。その指令にはオペレーショ
ン・バーンハルト≠ニいうコードネームがついていた。贋金作り達が早速集められ彼らに
ある条件づきで自由が保証された。その条件とは、連合国側、特にイギリスのポンド紙幣
とアメリカのドル札を偽造することだった。
 最初のうち彼らは躊躇したが、次第に一人また一人協力していった。そして驚く程短
期間のうちに完全とも言える贋札を作り出した。完全な贋札を作るのに最も欠かせないの
は高質の紙である。しかし、これはドイツ政府が提供した。良質な紙と板金、それにヨー
ロッパ一の腕を持つ贋金作り達、結果は万全だった。しかし、自分達の判断だけでは危険
を感じた彼らは、ある秘密機関員をスイスへ送り込んだ。そのエージェントはスーツケー
スいっぱいに詰めたドルやポンドをスイスの大手銀行に持ち込んだ。応対に出たマネジャ
ーに対して彼は言った。これからあるビジネス取引をするのだが相手がどうもナチの秘密
機関員ではないかと思う。ついては相手が支払いに使うこれらの金をチェックしてもらい
たい。と言って彼はスーツケースを開けて中味を見せた。しかし、ものが外国紙幣だけに
すぐにチェックは出来ないとマネジャーが説明した。仕方なくスーツケースを銀行にあず
け彼は帰った。
 数日後再び銀行を訪ずれると、マネジャーがもみ手で彼を待っていた。ドルもポンドも
すべて本物であり、彼の銀行は喜んでそれらを受けると断言した。
 このエージェントからの報告をもとにアウシュヴィッツやダハウでは、印刷機がまわり
始め大量なポンドとドル札が作られた。この前代未聞とも言える贋金作戦の被害をもろに
受けたのはイギリスだった。イギリス政府が発行していたよりはるかに多くの五ポンド紙
幣が出回っていたのである。しかし、どれが本物でどれが贋物か彼ら自身見分けもつかな
い。そこで戦後すぐにイギリス政府は史上初めて五ポンド札を廃止してしまった。
 これらのニセ札が戦後どのように使われたかは大体想像がつく。パラグアイでインタビ
ューした元SSメンバーだったヘルマンは、ヨーロッパ脱出の時、ある町に隠しておいた
SS資金を持ち出した。その資金の大部分がニセ金であったと彼は言っていた。
オペレーション・バーンハルト≠ノは後日談がある。戦後これに関する噂が絶えなかっ
たのでオーストリア政府がこれをチェックした。数人のフロッグマンがトブリッツ湖にも
くり探したところ、湖の底に一機のドイツ空軍機の残骸が見つかった。パイロットは骨だ
けになっていたが、そのそばに大きな金属性の箱が数個あった。こじ開けてみると中には
イギリスの五ポンド紙幣が三十万枚きれいな束になってしまわれていた。これらの他に原
板もいくつか発見されたという。
オペレーション・バーンハルト≠フ規模から言ってトブリッツ湖に沈んだこの飛行機が
運んでいた札束と原板はほんの一部であったと言ってまず間違いない。その後発見されな
かったところを見ると大部分は安全な場所へ運ばれたのだろう。
 これを裏付けるようにかつてタイム誌が興味ある記事を載せた。それによると今日の世
界にはあまりに多くのドルが氾濫しており、IMF(国際通貨基金)の判断では百五十億
ドルの存在してはならないドルが流通しているという。これが今日の世界的インフレの元
凶と指摘されている。
 一体これらの余分なドルはどこから来たのであろうか。百五十億ドルといえば邦貨に換
算して約三兆三干億円(二百二十円レートで)にのぼる。いくらベトナム戦争当時アメリ
カがドルを乱発したと言ってもこれだけの額には達しなかったはずだ。
 かつて第三帝国が実行したオペレーション・バーンハルト≠、その生き残りである
ラスト・バタリオンが忠実に受けついでいたとしても不思議はない。それを使うことによ
って今日の世界経済のバロメーターであるアメリカ経済を根底からゆるがすことが出来る
なら、これほど効果的な作戦はないからである。
 
 
 
 
 
 
 
 
「ヘブライの館 2」 6F/WAR研究室
ナチスの亡霊
■■ PART-2 ■■
南米に逃げたナチ残党
■■第2章:マルチン・ボルマンによる戦後のナチス再建計画
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc400.html#02
 
 
●戦時中に、非軍事的な民間人を殺害したドイツ人の戦争犯罪人は100万人もいると言われているが、その大部分はナチス親衛隊(SS)の隊員だった。ナチス親衛隊は、親衛隊の職員や補助組織のメンバーを含めると、約150万名にものぼる。親衛隊組織の全員が戦争犯罪者ではないが、連合国側はこのうち、約5万名を逮捕し、10分の1の5000名を裁判にかけた。死刑を執行された者も、489名に及んでいる。

●1945年11月、ナチス・ドイツの戦争責任を追及するために連合軍が開いた「ニュルンベルク裁判」は、起訴されたA級戦犯22名のうち、半数の11名が絞首刑を受けるという、厳しい裁判だった。絞首刑を受けたリストの中で、ただ1人だけ逮捕を逃れ、死刑執行も免れた大物がいる。マルチン・ボルマンである。

マルチン・ボルマンは、ナチス帝国の最期の日に、ソ連軍に包囲されていたベルリンから忽然と姿を消してしまったのである。

●ドイツ敗戦直前までボルマンは、総統秘書長、副総統、ナチ党官房長として絶大な権力をふるっていた。彼が握っていた権力は、ニュルンベルク裁判で起訴されたA級戦犯22名の中でも最高のものだったといえる。

優れた洞察力と並外れた現実感覚の持ち主であったボルマンは、1943年にナチス・ドイツ軍が「スターリングラードの攻防」でソ連軍に敗れると、この敗北を冷静に受け止め、その後、いちはやく、ドイツの敗北を前提とする「戦後計画」に着手したのだった。ナチス・ドイツ軍はこのスターリングラードの敗北を境にして、凋落の一途をたどった。

●ナチス帝国の崩壊を予知したボルマンは、ナチスの莫大な財宝を資本として使い、大勢の優秀なナチ党員をドイツ本国から脱出させる作戦を練った。財宝は、黄金75トン強、その他の何トンにもおよぶ貴金属や宝石類、真札、贋札含め数十億ドル分の通貨から成っていた。そのほか、特殊鋼板、産業機械、戦後の産業地域を支配するのに使える秘密の青写真などが、ナチスの貯えた資産の中に含まれていたという。

ボルマンは、実際は、スターリングラード敗北の前年、既にドイツの敗戦を予測していた。1942年の春、ボルマンは「I・Gファルベン社」のヘルマン・シュミッツ会長など、親しい財界人を一堂に集め、連合軍によって企業資産が接収される可能性の高いことを説き、「企業防衛策」を示唆していたのである。

●ボルマンが提示した「企業防衛策」は、企業の流動資産を国外のドイツ系企業に移して、連合軍の接収に備えるというものだった。事実、この会議の直後から、ドイツの大手企業は、外国のドイツ系関連会社に“隠匿資金”を振り込み始めている。1944年だけで、約10億ドルが、本国の企業から外国の関連会社に振り込まれたとみられている。1944年の夏になると、ボルマンは、戦後に展開すべきナチ運動の「再建計画」を完了している。これを要約すれば、次の通りである。

【1】 戦後、ナチ組織を国外に建設する

【2】 そのために必要な活動資金を国外に移動しておく

【3】 ナチスの党資金を企業に貸与しておき、戦後にこれを、政治献金の形で回収する

【4】 ドイツ国内におけるナチ党の再建要員として、戦犯に問われる心配のない下級幹部を、企業内に潜伏させておく

【5】 ナチ党の再建に必要な記録文書、特に党員名簿や協力者名簿を隠匿しておく

●ボルマンが準備したこの「再建計画」の一部は、戦後、連合軍が押収した文書の中から発見されている。この文書は、1944年8月10日、ナチ党指導部の指示により、ストラスブルグの「メゾン・ルージュ・ホテル(赤い館)」に財界人を集めて開かれた会議の議事録だった。この会議には、国防軍最高司令部と軍需省から、それぞれ代表者が出席している。財界側からは、「クルップ社」「メッサーシュミット社」「レックリング社」「ヘルマン・ゲーリング帝国工場」の代表者らが参加した。

議事録は次のように述べている。

「党の指導部は、そのある者が、戦犯に問われるだろうと予想している。このため、ドイツの基幹産業は、党の下級指導者を、今から“技術顧問”として受け入れる準備をしておく必要がある。党は、外国での戦後組織に献金する企業に対して、巨額の資金を貸与する。党はその代わり、終戦後の強大な新帝国を建設するために、すでに国外に移された資産、あるいは今後に移される資産の支援を必要としている。」

●この議事録は、ボルマンが準備した戦後ナチスの「再建計画」を受けたもので、基幹産業はナチスの下級幹部を採用せよ、ナチ資金を貸与する代わり戦後の再建ナチスに政治献金せよ、国外のナチ組織を支援せよ、という協力要請に他ならなかった。また、同議事録によれば、この会議では、ドイツ降伏後の、連合国側に対する経済戦争の準備、地下抵抗運動の準備などについても申し合わせている。

●ボルマンが準備した「再建計画」に従って、ナチス経済相ヒャルマー・シャハトは、およそ750のドイツ企業を国外に移転させる任務に就いた。ナチ党は、潤沢な党資金を企業側に預け、企業側は、想定される連合軍の接収から身を守るために、自己資金とナチの貸与資金を“架空取引”を設定して、外国のドイツ系関連会社に振り込んだ。

この時、企業側がどれほどの資金提供を受け、また、どれほどの流動資金を国外に持ち出したものかは不明である。

1946年に行なわれたアメリカ財務省の調査によると、スペインおよびポルトガルのドイツ系企業200社、トルコのドイツ系企業35社、アルゼンチン98社、スイス214社がそれぞれ、ドイツ本国の企業から送金を受けたといわれる。それらの資金の多くが、西ドイツの独立後に本国に引き上げられ、戦後の経済復興に役立ったのである。

●ナチスが所有する宝石、貴金属美術品、あるいは記録文書は、ヨーロッパ各地に隠匿されたり、南米その他に輸送された。海外へ搬出されたナチスの財宝は、イタリアを経由したものと、スペインを経由したものとがあり、イタリア経由には「鷹の飛翔作戦」という暗号名、スペイン経由には「火の島作戦」という暗号名がつけられていた。

「火の島作戦」は、ドイツからフランスを経由して、スペインまでトラックで輸送し、カディス港から潜水艦により、アルゼンチンまで運ぶルートである。「火の島作戦」が実際に行なわれていたことについては、ナチスに好意的だったアルゼンチンのペロン大統領が、1955年に失脚したのち、アルゼンチンの関係者によって裏付けられている。

ドイツ本国からトラック輸送された財宝を、スペインで受け取っていたのは、元スペイン大使と元アルゼンチン駐在海軍武官、それにドイツ系アルゼンチン人の3人である。また、Uボート(潜水艦)によって財宝が運び込まれたアルゼンチンのブエノス・アイレスでは、ドイツ大使館が雇っていた情報員と某銀行幹部と中央銀行顧問、それにドイツ人牧畜業者が荷受人になっていた。

●1945年、ドイツが連合軍によって包囲され敗戦寸前になると、スペイン経由、イタリア経由に代わって、フレンスブルクや、キールの海軍基地から、Uボートで南米に財宝を移動する方法が編み出されている。制海権と制空権を失ったドイツは、新型の「長距離輸送用潜水艦」を開発していたのである。

「エレクトロ・ボート」と呼ばれていたこの潜水艦は、第二次世界大戦下の、ドイツ潜水艦技術の頂点に立つ型である。バッテリーが従来の3倍も持続するという驚異的なもので、水中でエンジンを始動でき、バッテリーチャージャーも、シュノーケルの採用で水中で行なうことができた。当時の潜水艦のほとんどは、速度が7ノットしか出なかったが、この新型潜水艦は、水中で16ノットものスピードを出すことができた。当時としては驚異的な水中性能を誇ったこの新型潜水艦は、戦後、ポラリス原潜などにその技術が継承されたと言われている。

この新型のUボートが、どれほどのナチ資産を南米に輸送したのか不明だが、終戦時の1945年5月に至るまで、輸送は継続していたのである。

●ナチス帝国崩壊直前にヨーロッパを脱出し、無事に南米アルゼンチンに到着したUボートには、次のものがある。

ハインツ・シェファー大尉のU−977号は、4月初めにノルウェーのフィヨルドを出発し、連合国の対潜哨戒網をかいくぐって、15週間後に無事、アルゼンチンに到着した。また、オットー・ヴェルムート大尉のU−530号も、同じくアルゼンチンに辿り着いている。

イギリス人ジャーナリストの、ウィリアム・スチーブンソンによれば、消息不明を伝えられていたUボートのうち、U−34、U−239、U−547、U−957、U−1000など5隻が、やはり南米に向かったと推測されている。

●こうしたナチスの不審な動きについて、アメリカ軍の「戦略情報局(OSS)」は次のように報告している。

「ナチ党のメンバー、ドイツの産業資本家、ドイツ陸軍は、もはや勝利できないと知って、今度は戦後産業計画を展開すべく、諸外国の通商部との友好を新たに固め、戦前の企業連合を復活させる計画に乗り換え始めている。ドイツの技術者、文化人、秘密諜報員は、経済的、文化的、政治的なつながりを広げる目的をもって諸外国に潜入するための綿密なプランをもっている。外国の企業や研究所は、ドイツの技術者や科学者を低賃金で雇い入れることができるだろう。ドイツの資本と、最新の専門学校ならびに研究施設建設のためのプランが、極端に有利な条件で提供されよう。それによってドイツ人は、新兵器の設計と完成を行なうための絶好の機会を手にすることになるからである。」
 
 
 
 
 

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