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私たちはどのように考えているのか   朱子学について
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/853.html
投稿者 宮島鹿おやじ 日時 2012 年 4 月 20 日 08:05:21: NqHa.4ewCUAIk
 

私たちがものごとを考えるときは、まったく自由に考えるのではなく、何かを手がかりにする。

日常的な例としては、長年スポーツを行った人は、そのスポーツ競技のメンタリティを逆に自身に憑依させるということがあるように思う。サッカー競技者のメンタリティとラグビー競技者のメンタリティは若干違うように思う。また、団体競技者と個人競技者のそれも。

ある人が、自分自身を「〜主義者」であると定義したからといって、必ずしも、それを額面どおりに受け取ることはできない。むしろ、その人の思考を無意識に規定しているようなモデルがあり、そちらのほうが重要である。無意識であるからこそ、その人は強烈に規定されている場合がある。そのようなモデルを「構造」と呼ぶ立場がある。いわゆる構造主義である。

構造主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9

私たちは、奇妙な国に住んでいることを自覚しつつある。自国民を保護しない奇妙な政府、放射線被曝を拡大させる奇妙な政策。事実を報道しない奇妙な報道。

これらの奇妙さの原因が、端的に「対米従属及び構造的利権」に基づくものであることは、本サイトにおける報告・分析からもすでに明らかになったと思われる。

ここで、私が問題としたいのは、その奇妙さを隠蔽し、正当化を押し通す、政府当局らの思考・理論である。日本の学者、官僚などに固有の思考スタイルというものがあるならば、それを知っておくことは極めて有用ではないかと思う。

一言で言えば、「知識人はなぜこうまでバカなのか」、ということを考えたい。
その「バカさ加減」というものは、無意識に思考する私たち全体にもかかってくる問題である。

まずは、過去のスレッドにおけるやり取りから、浮上した「朱子学」という理論について
取り上げてみた。

朱子学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6
南宋の朱熹によって構築された儒学の体系。

<主な内容>
性即理説:
人間の本来の性質が理(天理)であるとする。自己と社会、自己と宇宙は「理」という普遍的原理によって結ばれており、自己修養によって「理」を把握することにより、社会秩序を維持することが可能とする、個人と社会を統合する思想である。
「性」とは人間が本来もつ、心の静かな状態であり、この状態へ戻すことを目的として、万物の理を極める「居敬窮理」を目指す。

<時代背景>
尊王賤覇:
異民族である女真によって建てられた「金」により、宋(南宋)は圧迫を受け、屈辱的経緯をたどる。そのような中にあって非文化人による武力政権を「覇」として賤しみ、正当なる中国王朝を「王」とする価値観。物事を善悪の二元論に分解し偏狭な大義名分論を、以後、構築する土台となる。


<私見>
私が、最も着目するのが「居敬窮理」という概念である。

「居敬」は心を引き締めて怠ることなく、慎み深い態度で日ごろの立ち居振る舞いに注意すること。内的な修養法。「窮理」は物事の道理をきわめて、正しい知識を得ること。外的な修養法。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E5%B1%85%E6%95%AC%E7%AA%AE%E7%90%86/m0u/

人は謙遜であるべきで、正しい判断を行うための根拠として物事の事理を極めていくべきである。まさにそのとおりである。この文言が、人をして行動に向かわせる「方向性」の指針として機能するならば問題はない。しかし、この文言が「現実にあるこの世のもの」の運営方法として解釈された場合はどうだろうか。

実際のところ人間知性に「窮理」などはできるはずはなく、ただ、事態の表層をそのときの分析用具にしたがってなでるだけだと思う。そのことは当時の識者らも実際のところは認識していたのではないか。

しかし、ある、一定の要件を満たしたものは、この「窮理」者とみなすシステム、つまり、科挙のような受験制度が存在することにより容易に、学説は社会的分配=支配の道具に成り下がることが予想される。要するに理念の形骸化である。

日本においては、朱子学の影響は多大であるとされている。江戸時代の正統学問として長く日本の武士階級の基本的教養とされてきた。そして、江戸時代末期に、窮理を渇望していた私たちの祖先は出会ったのである。「私はすべてを知っている」と言う狂人に。つまり、古典物理学を背景とした因果律的決定論である。
 

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コメント
 
01. 宮島鹿おやじ 2012年4月20日 08:12:25 : NqHa.4ewCUAIk : LRh80QeJ2M
安芸ガラス様

コメントをお願いします。

正直言いますと、だいぶ苦しみました。
本来ならば、儒学そのものをさかのぼる必要があったはずですし、朱子学に影響をあたえたとされる仏教、道教などのポイントを抑える必要があったように思いましたが、さすがに今回も荷が重かったようです。
冒頭部分にあるように、多少なりとも自身の言葉に変換しうるのは「構造主義」のみであり、中国思想については以前から「アレ?もしかすると」程度の認識しかありませんでした。
よろしくお願いします。


02. 2012年4月20日 08:16:10 : moLQXjxJJo
宮島鹿おやじ様

安芸ガラスです。
論文は国民の利益に適なっています。

私は論文に刺激を受けております。
連載を楽しみにしております。


03. 2012年4月20日 08:34:40 : moLQXjxJJo
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

補足です。

「一言で言えば、「知識人はなぜこうまでバカなのか」、ということを考えたい。」

「そして、江戸時代末期に、窮理を渇望していた私たちの祖先は出会ったのである。「私はすべてを知っている」と言う狂人に。つまり、古典物理学を背景とした因果律的決定論である。」

これは宮島鹿おやじ様のオリジナルです。

「バカなのか」は現象です。
その現象を生み出した構造があります。
その構造は、同じ筒にあります。(縦とか横)

例えば、人間の長所とか短所。
そんなものがあるのではありません。
長所も短所も、条件が変われば、短所も長所となります。

その条件とは、筒の中の成分の割合の変化が「現象」に現れるのです。
ですから「因果律的決定論」が、筒のなかにもともとあった要素と何か関係があると推理できますね。

いまから、仕事なので、では。


04. 宮島鹿おやじ 2012年4月20日 08:52:34 : NqHa.4ewCUAIk : x8czA3NAdA
うーん、なるほどー。

>ですから「因果律的決定論」が、筒のなかにもともとあった要素と何か関係があると推理できますね。

はい、そうです。

間違えて2重に投稿してしまいました。そっちのほうは無視してください。
コメントはこちらにお願いします。


05. 2012年4月20日 22:20:02 : TyujuZroQ2
横からちょっと言わせてw

>>03 長所も短所も、条件が変われば、短所も長所となります。

同じ人が同じ事をやっていても、
「慎重に物事を進める人」って言われたり「腰の重い奴」って言われたりね。

失礼しました。1qmOy4Hy0U


06. 宮島鹿おやじ 2012年4月20日 22:22:25 : NqHa.4ewCUAIk : x8czA3NAdA
TyujuZroQ2 さん

そのとーりです。
どうぞ、ご参加ください。


07. 宮島鹿おやじ 2012年4月20日 22:26:57 : NqHa.4ewCUAIk : x8czA3NAdA
とんがっている石は、ただ、たんにとんがっているだけ。

それを、「鋭利」とみるか、「危険=扱いにくい」と見るかは、条件(状況、環境)しだいですね。

そうすると、一般に言われる、「優秀」なる概念も怪しいことになります。

要するに「評価する側」にとって「都合がいい」ことではないでしょうか。


08. 宮島鹿おやじ 2012年4月21日 09:02:41 : NqHa.4ewCUAIk : HyfaAKi1tk
窮理すべき事例?の一つ

市職員Aは細君との口論の後、出勤した。原因は、長男の遊び相手がゲームソフトを万引きしたとのことで今後遊ばせてよいかどうかということが発端だった。
当日、市職員Aにとっては職場の送別会があり、酒宴で憂さを晴らそうと思っていた。

一方、組員Bは、組長からひどい叱責を受け、意気消沈していた。原因は、組長の交際相手が事務所から退出する際に、彼の携帯電話が鳴り響き、着信音がたまたまAKB48だったことから、組長の交際相手が失笑するという事態が起きたからである。

当日、繁華街において、主婦Cが運転する疾走自転車を避けようと、職員Aが脇によけたときに、組員Bの肩にぶつかった。組員Bはたまたま別の方向にいる組員と会話をしていて、その自転車が視界になかった。職員Aはただちに組員Bに謝罪したが、意気消沈していた組員Bは意図的な挑発と勘ぐり、謝罪を受け入れず、職員Aの胸倉をつかみ商店の壁に押し付けた。職員Aは、謝罪しているにもかかわらずこのような暴行を受けたことに対する恐怖と日頃の鬱憤から頭の中が真っ白になり、思い切り組員Bを押し返した。押し返されてバランスを失った組員Bは反対側の商店の植え込みのある花壇の角に後頭部を強く打撲し死亡した。

職員Aは、暴行致死容疑で逮捕され、この模様は翌日のニュースとして紙面、テレビなどを飾った。

職員Aの所属する市役所区民課長Dは、テレビ取材に応じ、部下に対する「管理不行届き」を謝罪した。

職員Aは懲戒免職処分、管理権限者Dは懲戒戒告・減俸6ヶ月の処分を受けた。

区民課長Dはふとつぶやいた「あの日は職場の送別会だった。彼が機嫌の悪い暴力団員と肩が触れることを予知できただろうか」「彼だけがあの日に、盛り場に行くことを阻止できただろうか」

なお、自転車を疾走させていた主婦Cは、事態を関知せず、そのまま疾走していった。疾走の理由は、期限切れとなりそうな、スーパーマーケットのポイントカードの使用であった。



09. 2012年4月21日 09:43:35 : 5P6l9imXXw
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>要するに「評価する側」にとって「都合がいい」ことではないでしょうか。

自然はあらあらしいのです。
人間にとりまして無慈悲です。
その自然から人間的な(やさしいー人間に都合のいい)自然を取り出すことです。

さて、本題です。
全体として人間です。

個別(実体ではない)の現象を追います。

1、長男の遊び相手は、盗癖(勉強も盗癖です。相手の知識を盗みますから、その方向に向ける解決策)があります。
2、市職員Aは細君との口論は、圧縮していたエネルギーの放出(建設的な方向に向ける必要があります)です。
3、組員Bは、相手の働きかけで反応するもの(自発的性が課題です)があります。
4、さらに組員Bの転倒は、重心がお腹になかった時機と周期です。
5、市職員Aの押し返しは、余分な動作ですからエネルギーが凝縮していた現れです。
6、市役所区民課長Dの謝罪は、大勢の中の一人の現れです。
7、疾走自転車を運転していた主婦Cは、停車したり、後退したりできないから、体が判断をできない状態です。

一人のエネルギーの加減と、人の組み合わせによって、現れる現象は変わります。
ここに気がつき、工夫するのが、自発性とか、主体的とかと呼ばれています。


10. 宮島鹿おやじ 2012年4月21日 09:57:36 : NqHa.4ewCUAIk : x8czA3NAdA
安芸ガラス様

コメントありがとうございます。

08の私の書き込みは、「予測不可能性」と「現実に存在する結果責任」について、なんとなく、日頃思っていたことをコメントしたものです。

「そんなのわかるわけないよなぁ」
「『わかるはずだ』としちゃっていることに問題があるのでは?」

という具合で、私自身としては、内面で解決していたものですが、安芸ガラス様のコメントを読み、「今までとは違う見方」を感じて、強い刺激を受けております。

今現在、理解できることは、「エネルギーの制御」という観点と、求められる「自主性」「主体性」の関連ということです。おそらくは、この自主性・主体性を失った例として「御用学者(権力・官僚に阿る学者)」があり、事例(フィクションですが・・・)でいうところの組員Bに該当するように思います。

全体として人間ですね。

うーん。部屋の掃除をしながら考えさせてください。


11. 宮島鹿おやじ 2012年4月21日 10:11:59 : NqHa.4ewCUAIk : x8czA3NAdA
08のコメントは、全体としてはフィクションですが、それを構成する要素は、ほぼ事実関係に基づいています。

@子供の遊び相手に盗癖がある者がいて問題となった。(私の家の事例)
A失踪する自転車を避けようとして、人が並ぶバス停で危険な状態にあること(私の通勤上の事例)
B大男に絡まれて、一発殴っただけで、相手が酔っていて転倒し、花壇の角に頭を打ち付けて、病院に搬送され死亡した事例。殴った人は刑務所行き。(近所の広場での事実)
C部下の不謹慎な行動を上司が謝罪するというよくある事例。


・・・・・


街中で喧嘩になるのは、おそらく、双方ともにイライラしていたはずです。つまり、これによく似た事件というのは、数限りなくあったと思います。
エネルギーの制御、自発性、主体性・・・。極めて興味深いです。


12. 2012年4月21日 10:56:55 : 5P6l9imXXw
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

言葉の解説です。
「構造主義」の、
『研究対象の構造を抽出する作業を行うためには、その構造を構成する要素を探り出さなければならない。構造とはその要素間の関係性を示すものである。それは構造を理解するために必要十分な要素であり、構造の変化を探るためには構造の変化に伴って変化してしまうような要素であってはならない。』
は妥当です。


「朱子学」の、
『なお朱子の理とは、理は形而上のもの、気は形而下のものであってまったく別の二物(「理気二元論」)であるが、たがいに単独で存在することができず、両者は「不離不雑」の関係であるとする。また、気は、この世の中の万物を構成する要素でつねに運動してやむことがない。そして「気」の運動量の大きいときを「陽」、運動量の小さいときを「陰」と呼ぶ。陰陽の二つの気が凝集して木火土金水の「五行」となり、「五行」のさまざまな組み合わせによって万物が生み出されるという。理は根本的実在として気の運動に対して秩序を与えるとする。この「理気二元論」の立場に立つ存在論から、「性即理」という実践論が導かれている。「性即理」の「性」とは心が静かな状態である。この「性」が動くと「情」になり、さらに激しく動きバランスを崩すと「欲」となる。「欲」にまで行くと心は悪となるため、たえず「情」を統御し「性」に戻す努力が必要とされるというのが、朱子学の説く倫理的テーマである。』
は、妥当です。

気と組み合わせも、妥当です。
理とは、主体のこと(関係に対する働きかけのこと)。
性とは、エネルギーのこと。
人間の性は、空気、水、食料です。
そのエネルギーが性になり、栄養になります。
情とは、感情のことです。
感情は、からだとこころをつなぐものです。

そのほかに、からだの機構があります。
人間の動くもとを内燃機関に例えることもあります。
エネルギーと酸素、シリンダーと圧縮と圧縮漏れなど。

>イライラしていたはずです
現れは、現象です。
その現象を組み合わせでつくる要素があります。
例えです。
エネルギーの転換の機構はどうか。
エネルギーと酸素の供給の割合はどうか。
職員の動作は、余分な動作です。
ですから、凝固していたエネルギーが急激に圧縮されたと、追てかけていけます。
改善策は、食べ物の量を減らすこと。
からだを動かすこと。
などです。
本人や周りの人が、それに気がつき、減食や体を動かすことに働きかけることです。

仕事です。


13. 宮島鹿おやじ 2012年4月21日 11:30:56 : NqHa.4ewCUAIk : x8czA3NAdA
安芸ガラス様

コメントありがとうございます。
ちらかりまくった部屋を片付けながら、何か、「ついで」にと
映画「ブラザーサン・シスタームーン(アッシジの聖フランシスコの半生)」を観て泣いています。(笑)

安芸ガラス様のコメントは難解ですが、非常に示唆に富んでいます。
部屋を片付けて、映画を観て、安芸ガラス様のコメントを読んで一日過ごします。

お仕事、お気をつけてお出かけください。


14. 2012年4月22日 07:39:01 : I4wSfPRzv6
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>今現在、理解できることは、「エネルギーの制御」という観点と、求められる「自主性」「主体性」の関連ということです。おそらくは、この自主性・主体性を失った例として「御用学者(権力・官僚に阿る学者)」があり、事例(フィクションですが・・・)でいうところの組員Bに該当するように思います。

御用学者が組員Bに該当する、これに同意します。
もっと云うと、日本政府は組員Bに該当です。
そして米国の反応して、動いて(自主性を失って)いるだけなのです。


15. 宮島鹿おやじ 2012年4月22日 07:50:11 : NqHa.4ewCUAIk : dElefkLm5k
安芸ガラス様

おはようございます。

>もっと云うと、日本政府は組員Bに該当です。

まずは、今日の一日を「笑い」で始めました。(笑っている場合ではないのですが)

とりあえず、ご一報まで。

なお、現在、「官僚的隠蔽」と「予測可能性」について考えています。

「わかりもしないこと」を「わかっているかのように」見せかけたがり、その結果事実を隠蔽してしまう思考について、アレコレ考えています。

また、「エネルギー」の工夫と、「関係性」について、貴方様のコメントを読み返しながら考えています。文章が多少練れたらコメントします。


16. 宮島鹿おやじ 2012年4月22日 08:30:23 : NqHa.4ewCUAIk : dElefkLm5k
安芸ガラス様

今、考えていて思いついたことがあります。練れていませんが、「雑談」ということでお許しください。

かつて、大工の見習いは、棟梁のそばにいて身の回りの世話をしながら修行しました。「〜施工マニュアル」などというものは存在せず、「俺の技を盗め」と教えられた場合があったのではないか。

しっかりした家を建てるためには、木材などの素材、地質、気候、についての透徹な洞察が必要ですが、その洞察を「追体験」させる意味で、一緒にいさせたのではないでしょうか。また、一つ一つ親切丁寧に教えるのではなく、「盗ませる」のは、そういった洞察にとって最も大切なのが、主体的な「問題意識」だったからではないでしょうか。

広範で効率的で画一的な現代教育と真逆の考え方。本当に世話を焼くというのはそういうことだったのではないか。(しかし、この徒弟制度も下手をすると容易に搾取制度に転化しそうですね。)

そう考えると、本当に、物事をよくするのも悪くするのも人間しだいという感じがします。

「棟梁たる親方」 と 「封建的身分的搾取的親方」
「学究の徒としての学者」 と 「御用学者」(曲学阿世の徒:例 新約の律法学者)



17. 宮島鹿おやじ 2012年4月22日 08:56:41 : NqHa.4ewCUAIk : x8czA3NAdA
追記ですが、上記の区分 親方の例 と 学者の例 ですが、

実際は、明瞭に区分できるわけではなく、その中間形態がほとんどだったのではないかとおもいます。程度の差はグラデーションのようになっているのではないかと。

考えてみれば私自身も、後の面倒を回避するために、上司に「作り笑い」をすることはありますね。


18. 宮島鹿おやじ 2012年4月22日 09:12:25 : NqHa.4ewCUAIk : x8czA3NAdA
さらに追記ですが、

今までのコメントの流れをまとめてみますと・・・。

>例えば、人間の長所とか短所。
>そんなものがあるのではありません。
>長所も短所も、条件が変われば、短所も長所となります。

>一人のエネルギーの加減と、人の組み合わせによって、現れる現象は変わります。
>ここに気がつき、工夫するのが、自発性とか、主体的とかと呼ばれています。


たとえば、学者たりうる素質というのは、通常よりも回転の速い頭脳とか、理屈っぽさとか、要するに相対的に「明敏」=「神経質?」な気質が必要ですが、これを石のたとえで言えば、「鋭利に分析することができる」しかし、「あれこれ気を回しすぎる=言葉を弄する=危険」とも言えるかもしれません。

学者である人が自分は理論を作る能力があると同時に下手をすると「奸智に長ける」恐れがある存在であることを、「気がつき」「工夫」することが大事ではないかと。また、学究の対象に深く分け入っていくとき、実は、「研究対象」を含む関係性というものはほぼ全体に及び、「完全なる窮理」は人間知性では不可能であることを知る=「気づく」ことによって、いかに自分は「アホ」であるかを自覚すること。これが主体性の始まりであるのではないか。


19. 2012年4月22日 18:06:59 : I4wSfPRzv6
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

以下、補足します。

>主体性の始まりであるのではないか。

主体の始まりは、要求が起きたときです。


>実は、「研究対象」を含む関係性というものは

上の言葉は正確には、(自分と)「研究対象」を含む関係性、になります。
向かい合ったときに、自分の中から要求が起きてきます。
これが主体になります。

>「俺の技を盗め」

盗みは本能です。
米国は、「発想」を特許で保護しています。
しかし、研究は先人の「発想」を盗むことからです。
ですから、米国は「〜施工マニュアル」からです。


>なお、現在、「官僚的隠蔽」と「予測可能性」について考えています。
>「わかりもしないこと」を「わかっているかのように」見せかけたがり、その結>果事実を隠蔽してしまう思考について、アレコレ考えています。

官僚は「事実なし」「○○をやってはいけない」などです。
これができるのは、官僚に「発想」=「盗み」がないからです。


人間は、自分と社会と自然を自由に往来できます。
それは、要求と欠乏の関係があるからです。

詳しくは、要求、欠乏、鬱滞、鬱散、偏りです。
日本の官僚制度は「盗み」がない偏りではないだろうか。


20. 宮島鹿おやじ 2012年4月23日 07:00:14 : NqHa.4ewCUAIk : Gx1947aphs
安芸ガラス様

おはようございます。
本日もよろしくお願いします。

私自身、論点を整理できていない状態でお付き合いくださいまして本当にありがたく思います。

なお、面白い資料を見つけました。
英語でいうところの「Physics」という言葉が江戸〜明治期にどのように翻訳されたかという資料です。

http://www.chart.co.jp/subject/rika/scnet/10/sc10_4.pdf

この言葉「physics」に対して、当初、日本人は、朱子学の「格物窮理」などという言葉をあてはめています。やはり、当時の知識人は朱子学をベースに物事を考えていたということがわかります。

>主体の始まりは、要求が起きたときです。


つまり、自分で思索し、そして行動する、自分の人生を生きることの始まりと解釈できます。私は、ブッダにおける「自燈明」という言葉を思い浮かべます。イエスにおける「狭き門より入れ」という言葉も。


21. 2012年4月23日 09:39:55 : E6jDv4cQ0o
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

おはようございます。
こちらこそよろしくお願いします。

>この言葉「physics」に対して、当初、日本人は、朱子学の「格物窮理」などという言葉をあてはめています。やはり、当時の知識人は朱子学をベースに物事を考えていたということがわかります。

雑談です。
旧い日本語と、新しい日本語の移り変わりのポイントは、明治20年前後でしょう。
交易の例えで。
「和親条約」の文脈は、次が攘夷なのです。
とりあえず、日本に軍事力がないので、油断させ、力を蓄えて、戦争と云う政治的用語なのです。
「通信」は、日本より格下の相手に使う政治用語です。
当時の秩序であった「通信」や「和親」を、教育は今の文脈で理解させます。


>つまり、自分で思索し、そして行動する、自分の人生を生きることの始まりと解釈できます。私は、ブッダにおける「自燈明」という言葉を思い浮かべます。イエスにおける「狭き門より入れ」という言葉も。

雑談です。
盗みの例え。
―主体の始まりは、要求が起きたときです。
上記の言葉に対して。
―私は、ブッダにおける「自燈明」という言葉を思い浮かべます。イエスにおける「狭き門より入れ」という言葉も。
この言葉が想い浮かびます。

この連想から、私は、宮島鹿おやじ様の体験の豊かさと知識豊富さ、頭の回転の好さを想像します。
さて、そこで私には「盗む」ものがあります。
それは、宮島鹿おやじ様の「思い浮かべ」る工程での観念の形成、連想のする速度、連想する方向です。

宮島鹿おやじ様は、「主体」でブッダにおける「自燈明」を思い浮かべました。
私のブッダにおける「自燈明」は、それに追加があるのです。
ブッダが、相手の感じるように行動させる「働きかけ」です。
「自燈明」は「主体」とか、「島」「中州」と理解されています。
この通りと思います。
ここで「物の道理」がでてきます。
>英語でいうところの「Physics」という言葉が江戸〜明治期にどのように翻訳されたかという資料です。
資料で拝読いたしました。
その資料には、「物の道理」とありました。
それによりますと、相手の頭の中と体との工程を理解し、それに働きかける「主体」です。

ブッダにおける「自燈明」は、それも含まれているのではないでしょうか。


22. 宮島鹿おやじ 2012年4月24日 00:48:09 : NqHa.4ewCUAIk : 7gxD3P0Yv6
安芸ガラス様

「わたし流」泥縄式の思索が続いておるわけですが(スミマセン)、さらに以下の文献を見つけました。

http://mokusai.web.infoseek.co.jp/kaiinkikou/kenshoujigyou20051123.html

<一部抜粋>
居敬窮理によって聖人に至ろうとする、それが本来の学問の手法であり、目的であるにも関わらず、当時の官僚は自分の保身や栄達に奔走し、学者は官僚となるべく、科挙に及第するために学問をしていました。いつの世も人は出世や富貴を求めるものですが、特に宋代は儒学が重用され、学問に長けてさえいれば政治に携わることのできる官僚の時代だったので尚更であります。この様に、学者が本来の学問をしない状況を朱子が見て、幼年からの教育の必要性を痛感して『小学』を作ったということだろうと思います。
<抜粋終わり>


朱子学で実際に作成・使用されたテキストを調べているうちに、「小学」という児童啓蒙書があったので少し読んでみました。

>この様に、学者が本来の学問をしない状況を朱子が見て、幼年からの教育の必要性を痛感して『小学』を作ったということだろうと思います。

これは、まさに、現在の原子力ムラのセンセイ連中に対して、多くの心ある人々が感じていることそのものと思えます。

私は若干聖書などに親しんでおりますが、聖書の中のイエスの言葉と十字軍遠征は全く整合しません。また、ブッダの言葉と、葬式仏教も整合しません。鎌倉時代には年貢を支払わない農民を、領主である寺の僧たちが皆で呪うという記録がありました。

誰かによって、何かが打ち立てられても、その後の者が、よってたかってダメにするシステムが存在するように思えます。一定のパターンがあるように思えます。

・・・・

>「自燈明」は「主体」とか、「島」「中州」と理解されています。

それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。・・・
「大パリニッバーナ経」より

以前、読んでいて、なぜ、「島」なのかと、かすかに思っていたところでしたが、これではっきりしました。島、中洲ということは、昔のインドの人は、大量の海か河川の水のなかで、足場となるような島、中洲を特別な思いで見ていたのですね。



23. 宮島鹿おやじ 2012年4月24日 00:51:07 : NqHa.4ewCUAIk : 7gxD3P0Yv6
訂正です。

誤:朱子学で実際に作成・使用されたテキストを調べているうちに、「小学」という児童啓蒙書があったので少し読んでみました。

正:朱子学で実際に作成・使用されたテキストを調べているうちに、「小学」という児童啓蒙書の案内・解説があったので少し読んでみました。


24. 2012年4月24日 05:15:41 : yJB61QP6OQ
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>誰かによって、何かが打ち立てられても、その後の者が、よってたかってダメにするシステムが存在するように思えます。一定のパターンがあるように思えます。

勘が冴えていますね。
朱子学の発生は、小農との関係で押さえるとつながりますよ。
>科挙のような受験制度が存在することにより
これは、統治するのに人が必要となったからです。
その人を小農から採用したのです。
その後、小農の一部が、そのことにより地主になります。
小農と土地が分離されることによって、地主と官僚制度もできてきます。
その結果、「その後の者が、よってたかってダメにするシステムが存在するように」見えるのです。

東アジア、中国と朝鮮では、小農が国を支えます。
しかし、日本では、武士が登場し、武士の統一政権が誕生します。
同じ朱子学でも、ここが、日本が軍事社会となる大きなポイントです。
小農を経ていないのです。(資料にも日本での武士の登場が書いてありましたね。)
日本の社会が兵営社会となったもとですね。


ブッダが、すごいのは当時の社会で「正しい、正しくない」を提案したからではないでしょうか。
それまでの社会は、「花と団子」の社会でなかったか。
花とは性、団子とは食欲のことです。
人々の基準が、性と食欲だったのでしょう。
そこに、「正しい、正しくない」もあるんだよ、と切り込んだのではないでしょうか。
それで、人々は驚いたのでしょうね。
その力が、今も伝わっているのではないでしょうか。

さて、中国の小農の社会が変化するのが16世紀頃です。
農業の生産性が高くなり、人口も増加しはじめます。
日本も(小農を経ていませんが)18世紀末頃から同じ現象となります。
西洋は15世紀頃から一部の地域で市場経済が起きてきます。
ここで、これまでの基準の「花と団子」、「正しいと正しくない」に、「行動と計画」がつくられてきます。
この行動と計画の代表が米国ではないだろうか。
イラク、アフガニスタンへの侵略戦争と撤退など。


>私は若干聖書などに親しんでおりますが、

聖書に登場する人と人間関係を
 要求、欠乏、鬱散、鬱滞、偏りで読んだらいかがでしょうか。
さらに、イエスの投げ掛ける言葉を
 観念の形成、連想のする速度、連想する方向で掴んだらいかがでしょうか。


25. 宮島鹿おやじ 2012年4月24日 23:59:01 : NqHa.4ewCUAIk : 7gxD3P0Yv6
安芸ガラス様

ありがとうございます。
しばし、本題からはずれますが、寝転がって適当に開いた部分に以下のくだりがありましたので、引用します。


旧約 ハバクク書 第1章
・・・
わが神、主、わが聖者よ。
あなたは永遠からいますかたではありませんか。
わたしたちは死んではならない。
主よ、あなたは彼らをさばきのために備えられた。
岩よ、あなたは彼らを懲らしめるために立てられた。
あなたは目が清く、悪を見られない者、
また不義を見られない者であるのに、
何ゆえに不真実なものに目をとめていられるのですか。
悪しき者が自分よりも正しい者を、のみ食らうのに、
何ゆえ黙っていられるのですか。
あなたは人を海の魚のようにし、
治める者のない這う虫のようにされる。
彼はつり針でこれをことごとくつり上げ、
網でこれを捕らえ、
引き網でこれを集め、
こうして彼は喜び楽しむ。
それゆえ、彼はその網に犠牲をささげ、
その引き網に香をたく。
これによって彼はぜいたくに暮らし、
その食物も豊かになるからである。
それで、彼はいつまでもその網の獲物を取り入れて、
無情にも諸国民を殺すのであろうか。
・・・


いつの時代も同じようなものなのかと思いました。

>聖書に登場する人と人間関係を
 要求、欠乏、鬱散、鬱滞、偏りで読んだらいかがでしょうか。
>さらに、イエスの投げ掛ける言葉を
 観念の形成、連想のする速度、連想する方向で掴んだらいかがでしょうか。

「鬱散」は憂さ晴らしでしょうか。「鬱滞」は広辞苑にもない難しい言葉です。
鬱々とした気持ちが滞るという意味でしょうか。
要求、欠乏、鬱散、鬱滞、偏り・・・・。
なにか、人間の普遍的な行動様式と捉えるべきでしょうか。
考えて見ます。


26. 2012年4月25日 01:42:13 : DNn1Rvjd3A
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>「鬱散」は憂さ晴らしでしょうか。「鬱滞」は広辞苑にもない難しい言葉です。
鬱々とした気持ちが滞るという意味でしょうか。

説明します。
私は、「理と気」二元論と云われる朱子学を、気一元論でとらえています。
気の集中と分散とがあり、気が理を形成し、理(主体)が気に働きかける、と。
自然の秩序から、人間の秩序に取りだすのが、理(主体)です。

空気・水・食料を体に取り入れると性(エネルギー)になります。
そして性が情(感情)となります。
情は、体とこころをつなぐものです。
人が動きには、情を通します。

そこで、体に足らないもの(欠乏)を要求することが起きてまいります。
要求、欠乏、鬱散、鬱滞、偏り・・・・は、エネルギーの文脈です。
つまり、要求はもとめる、欠乏はたらないと、鬱散、鬱滞、偏りは、エネルギーの状態のことです。

鬱散は、エネルギーをちらすこと。
鬱滞は、エネルギーが滞る状態のことです。
偏りは、欠乏からくるエネルギーの偏りのことです。

>なにか、人間の普遍的な行動様式と捉えるべきでしょうか。

これは、私の体の中のことでもありますし、人と人の関係でもあります。
さて、これで聖書のくだりをとらえましょう。

>あなたは人を海の魚のようにし、
治める者のない這う虫のようにされる。
彼はつり針でこれをことごとくつり上げ、
網でこれを捕らえ、
引き網でこれを集め、
こうして彼は喜び楽しむ。
それゆえ、彼はその網に犠牲をささげ、
その引き網に香をたく。
これによって彼はぜいたくに暮らし、
その食物も豊かになるからである。
それで、彼はいつまでもその網の獲物を取り入れて、
無情にも諸国民を殺すのであろうか。
・・・


エネルギー状態の過剰の人のことが語られています。

>彼はつり針でこれをことごとくつり上げ、
網でこれを捕らえ、
引き網でこれを集め、
こうして彼は喜び楽しむ。

過剰なエネルギーが大脳に行き、つり針と網の行為を快としている有様があります。
さらに、対象物の被虐された空想を通して快感を感じています。
性欲つまり種の保存のためのエネルギーがものを考える働くに変わっています。
現在なら、裸の写真を見て興奮する状態となっています。
だれの心の中にでもありますね。
そのエネルギーの集中と分散の管理は、政治の問題となります。

ここのくだりは、福島第1サイトの爆発をテレビで見て、あるいは、地元が原発サイトになって傷つくことに快感を感じる人たちを、私は連想をしてしまいます。

きっと、宮島鹿おやじ様も、同じ連想をされているのではないでしょうか。


27. 宮島鹿おやじ 2012年4月25日 02:26:15 : NqHa.4ewCUAIk : 7gxD3P0Yv6
安芸ガラス様

お言葉をありがとうございます。
安芸ガラス様と会話をしておりますと、良くない意味で、自分はまだ若い、と感じます。

紺碧の深い淵源をのぞき見るような思いがします。

これからもよろしくお願いします。

就寝します。


28. 宮島鹿おやじ 2012年4月28日 09:37:42 : NqHa.4ewCUAIk : nL7U6ZGGJQ
安芸ガラス様

現在、自身の「職」「食」のため、繁忙にしており、考察が進展しておりませんが、この後、実際に江戸時代に使用されていた朱子学のテキストなどを調べようと思っています。また、戦前の国体論などへの影響も確認したいと思っています。なにか適切な資料があればご教示ください。


29. 2012年4月28日 10:06:13 : 3dt79rTmME
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>戦前の国体論などへの影響も確認したいと思っています。なにか適切な資料があればご教示ください。

戦前の国体論についての考察

長谷川亮一さん

http://homepage3.nifty.com/boumurou/main/self_int.html


30. 宮島鹿おやじ 2012年4月28日 20:00:52 : NqHa.4ewCUAIk : nL7U6ZGGJQ
安芸ガラス様

資料提供ありがとうございます。
勉強させていただきます。

なお、さきほど、図書館に行き、儒学、朱子学、宋学などについて借りてきました。
本当に勉強すべきことはたくさんあります。
そして確信を持っていえることがあります。
それは、原子力ムラの方々の「確信に満ちた」言辞がいかに嘘臭いかということです。しばし、研究し、また、コメントします。

なお、安芸ガラス様の 要求・欠乏・鬱散・鬱滞・偏りというエネルギー状態の考察については継続審議ということでお願いします。


31. 2012年4月29日 03:55:45 : PLEUzmgRXM
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>なお、さきほど、図書館に行き、儒学、朱子学、宋学などについて借りてきました。
江戸にありました武士の教育機関は、昌平坂学問所です。
ここは、将軍の諮問機関でもあります。
ここでの内政、外交、軍事の論議があります。
この論議が全国の武士に波及します。
ですから、なにが諮問されたのか、それに対して武士は、どのような態度をとったのか、などの知識が必要となります。
現存は、この論議の結果の方向付けられたものだからです。


>要求・欠乏・鬱散・鬱滞・偏りというエネルギー状態の考察については継続審議ということでお願いします。
後回しにしましょう。


32. 2012年4月29日 04:25:48 : PLEUzmgRXM
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

追加です。

水戸学が、国体を主張しております。
天皇の政治です。
それを主張しているのが、会沢正志斎の『新論』です。

しかし、天皇による政治以外は、『時務策』で撤回をします。
彼は、攘夷勢力の急進的開国派になります。
云ゆる下関戦争を指揮した勢力と同じ立場になります。

会沢正志斎の他に、横井小楠の主張も知っておいてください。


33. 2012年4月29日 05:36:27 : E4bT3Bpr2w

宮島鹿おやじ様

朱子学とは関係のない話で申し訳ないのですが、南相馬の黒い粉の分析結果が出たようなのでお知らせ致します。(もうご存知かもしれませんが...)

『拡散希望』南相馬の黒い粉からプルトニウム(238〜241) ストロンチウム89,90検出
( http://ameblo.jp/misininiminisi/entry-11234859800.html )


34. 2012年4月29日 06:16:17 : PLEUzmgRXM
33さん

安芸ガラスです。

>『拡散希望』南相馬の黒い粉からプルトニウム(238〜241) ストロンチウム89,90検出

情報提供をありがとうございます。
拡散します。


宮島鹿おやじ様

>>要求・欠乏・鬱散・鬱滞・偏りというエネルギー状態の考察については継続審議ということでお願いします。
>後回しにしましょう。

宮島鹿おやじ様の解る言葉にしますと、仕事や勉強するときの、体の状態のことです。
つまり、如何にしたら、如何なる状態にしたら、体と心が仕事や勉強に集中できるようになるのか、と云うことです。


35. 宮島鹿おやじ 2012年4月29日 06:52:50 : NqHa.4ewCUAIk : nL7U6ZGGJQ
E4bT3Bpr2w さん

情報提供ありがとうございます。
私の過去ログの検討を考慮していただいたのですね。
本当に感謝します。

元のブログを拝見するに、
http://mak55.exblog.jp/15781225/

報告された資料は極めて「韜晦」な内容ですね。
Pu238、239・240 については 「震災前の検出値を超えない」とし、求めてもいない今後50年間の積算線量を持ち出して安心・安全を強調しています。私は、この積算線量とか預託線量とか、突き詰めればシーベルトという単位そのものを疑い始めています。上記の「安心データ」も安全デマである可能性があります。

一方、注目すべきは、Pu241とSr89については、「震災前の検出値を超えない」という表記がないことです。これは、福島原発由来であることを渋々認めていることになるようです。

ということは、私が分析していた「黒い物質」にもPu241やSr89が含有されていた可能性は極めて強くなったことになります。やはり、私はPuと向き合っていたのか(笑)。すると、U235が含有されていた可能性も復活しますね。私たちの計算上は、微量ながらアルファ核種が存在する可能性を否定し切れませんでした。Pu241は主にベータ線を放出すると聞いています。

これらの情報については、ある程度整理したうえで今後投稿しようと思います。

もし、よろしければ、E4bT3Bpr2w さん 速報という形でもよいので阿修羅に投稿していただけないでしょうか。


36. 宮島鹿おやじ 2012年4月29日 07:09:42 : NqHa.4ewCUAIk : nL7U6ZGGJQ
安芸ガラス様

ありがとうございます。
こどもたちはプルトニウムやストロンチウムを吸引していることが確認されました。事態は切迫しています。(勝ち負けのみにこだわり悪想念を振りまく者につきあう時間は確かにありません。)

私たちのこの対話は、この上なく、何か「構造の基礎部分」に該当するものを対象にしていると確信します。

放射能データ分析と並行してこの対話も継続したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。というよりは、私は、安芸ガラスさんとこのお話をすることで社会思想という「自分のフィールド」に戻れます。私は阿修羅に来てよかった。

キーワードは、「昌平坂学問所での議論」「会沢正志斎の『新論』」「横井小楠」ですね。了解しました。


37. 2012年4月29日 09:11:37 : PLEUzmgRXM
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

下記の発想を発見しました。
>たとえば、恵也さんは福島を通過しただけで下痢・頭痛などの症状があったとお話されています。こういった、いくつかの、あるいは、ひとつの「症状」だけでよいので、福島、いや、福島に限らず、高線量地点の「空間線量」=「セシウム沈着量」と、「症状」に相関関係が認められないかという分析ができないかと思ったんです。

放射能汚染と「症状」の相関関係の発想です。

さらに宮島鹿おやじ様の特長も発見しました。
>社会思想という「自分のフィールド」に戻れます。

社会思想とは物事を観て、掴むことです。

放射能汚染+「症状」+社会思想を加えます。
ごわさんでは!
●「症状」は現象。(見ていること)
●現象が現れる初めは何んであるのか。(観ること)
 ・下痢は消化・吸収系器官の働き。
 ・頭痛は血液・脈管系器官の働き。
●消化・吸収系と血液・脈管系の共通点は何か。
 ・これらの器官は人体における植物性器官。
●植物における放射能の影響のデーターはどこにあるのか。
 ・ガンマフィールド(茨城県常陸大宮市)
  http://www.irb.affrc.go.jp/ 
 
 ・広島と長崎(東大、京大、広大)
 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20110106132444945_ja

●人によって下痢や頭痛の「症状」が違うのは、どうしてか。(掴むこと)
 ・感受性の個体差による。
●感受性とは何か。
 ・動物性器官である目や鼻の器官や神経・運動系のこと。

●下痢の排泄、頭痛の血管の収縮は何の作用なのか。
 ・くしゃみなどと同じ体の自衛作用。
●では、下痢、頭痛を体の自衛作用にするには、どうするのか。(方向付け)
 ・あらあらしい自然から、人間に都合の好い自然を取り出す。

私は宮島鹿おやじ様の発想で刺激を受けております。


38. 2012年4月29日 10:47:14 : d1INYqu1to

宮島鹿おやじ様

33です。
当方の非力な携帯では ペンネーム登録待ち板 を表示できない為、投稿は無理です。すみません。

2012年4月27日に

埼玉県寄居町の死亡者数が異常 (ずくなしの冷や水) -前年比1.45倍,環境整備センター
( http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/263.html#c15 )

のコメントで情報提供はしたのですが、反応はイマイチでした。


39. 2012年4月29日 10:55:36 : PLEUzmgRXM
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>戦前の国体論などへの影響も確認したいと思っています。なにか適切な資料があればご教示ください。

追加です。

1、昆野伸幸さん
国体の2つの流れ。
神話に依拠する。
歴史に依拠する。

http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~euroorc/data/lecture_080223/konno_080223_summary.pdf

2、田中康二さん
国学者本居宣宣長と戦前の時局

http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901047957986310

3、星山京子さん
大名の西洋ネットワーク

http://kyoin.u-hyogo.ac.jp/summary/econ/hoshiyamakyoko.html

4、眞壁仁さん
昌平坂での論議のまとめ

http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=108

5、奈良勝司さん
幕末の論争

6、町田明広さん
幕末の攘夷派

学会での様子があります。
http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-158.html

随時、資料の紹介していきます。


40. 2012年4月29日 11:37:32 : PLEUzmgRXM
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

私の自己紹介をします。
まず「安芸ガラス」について解説します。
これは「安芸の国の言葉」、つまり「広島弁」との意味です。
そのように私は「広島県」(安芸地方)で生まれ育ちました。

私が「国体」に詳しいのには理由があります。
高校は広島県下にあります「きわめみち高校」です。
この高校では平泉澄(きよし)とタイアップして、国体のもうひとつの流れである平泉の国体を教えておりました。
当時、彼は参議院議員でした。
学校の経営者が、あの田布施の出なのです。

彼の立候補の動機は国体の再建でした。
そして、彼は歴史に依拠する国体再建を国会に持ち込みました。
しかし、天皇の「人間宣言」で、神話や歴史に依拠する国体は、その時点で終わっていましたから、決して多数派にはなりませんでした。

私が卒業した高校は、その国体再建の拠点でした。
そんなことで、日本人と国民の違い、天皇と臣民、『国体の本義』『臣民への道』
『国史概説』『大東亜概説』などの教育を受けました。

ちかごろの「右翼」や「暴力団」は、「近代の超克」であった「国家総動員体制=戦時体制」下の閣議決定を知りません。

そんなこんなで、むかし教育されたので、詳しいのです。
しかし、私の関心は、なんでみんな、こんなことで騙されたり、妄信したりしたのか、です。
いまも、騙されている人達がいます。

私の現象への接近の方法は、橋田邦彦への批判です。
ご存じのように橋田は「科学者」であり、「文部大臣」でした。
科学に対する彼の方法は「行としての科学」です。
それは、観察し、掴まえるのに、自己を無にすることでした。

その彼が、『臣民への道』の作成者です。
同時に、原子爆弾を所有しようとした大臣です。
そのために、民間と学者と労働者を動員するために「科学技術庁」の設置を提案しました。
それが、今の状態を作りだしています。

私の方法は、自己を無にしないのです。
感受性の違いから、現象へ接近する方法です。


41. 宮島鹿おやじ 2012年4月30日 05:53:57 : NqHa.4ewCUAIk : nL7U6ZGGJQ
d1INYqu1to 様

さっそくいただいた情報を元に投稿いたしました。
今後ともよろしくお願いします。

なお、以前、ご紹介のあった統計学について、細々と学んでおります。
本当に親しみやすい文章で助かっています。
標準偏差と標準誤差の違いがようやくわかました。
まだまだこれからです。ほんとに勉強すべきことはたくさんありますね。
人生は勉強ですね。


42. 宮島鹿おやじ 2012年4月30日 06:01:14 : NqHa.4ewCUAIk : nL7U6ZGGJQ
安芸ガラス様

ありがとうございます。
ご紹介のあった資料は必ず目を通させていただきます。
しかし、少々時間がかかりそうです。
私は連休中は、広島・宮島に「里帰り」します。
もう、広島が心の痛みを抱く多くの方々の同郷の地なのです。


43. 2012年4月30日 06:49:04 : h7y6dMKIcq
宮島鹿おやじさま
安芸ガラスです。

宮島ですか。
ひー婆さんの実家が管弦祭の漕船の関係者らしくて、こまいころよく、宮島に行きました。

ちなみに私の名前は、そのひー婆さんの名前から頂いております。
では、宮島に帰ってきんさい。


44. 2012年4月30日 14:55:10 : grEPmIMaQw
宮島鹿おやじさま
安芸ガラスです。

水戸学、国学の種本があります。
今回は、国学の種本を紹介します。

『天経或問』(てんけいわくもん)
著は1675年に清国の游子六です。
この人は天主教学系の人です。
この本のもとは、明代のイエズス会の知識です。

本居、平田が影響されました。
つきつめれば、日本が神の国だの、優秀だの、指導者だのは、蘭学からなのです。


45. 宮島鹿おやじ 2012年4月30日 15:27:47 : NqHa.4ewCUAIk : nL7U6ZGGJQ
安芸ガラス様

図書館で借りた「東洋思想 中国思想T(東京大学出版会 宇野精一)1967初版」を横になりながら読んでいると眠ってしまいます。それでも一通り読み通そうとしています。

『天経或問』(てんけいわくもん)、これはイエズス会、つまりスペイン、ヨーロッパの本ですね。ということは、当時から、情報は世界的にネットワークしていたということでしょうか。現在、宋学などにみられる、「理」と「気」の区分は、古代ギリシャの「形相」と「質料」の関係に似ているなとも思っています。

私の生まれはここ東京ですが、心の故郷は宮島になりつつあります。フェリーに乗り大鳥居が見えると、ホッとするのです。今私の手元には、管弦祭のとき、漕ぎ手が帰ってくるときに振った提灯があります。部屋に飾ってあるのです。もうじき帰ります。


46. 2012年4月30日 16:47:13 : grEPmIMaQw
宮島鹿おやじさま
安芸ガラスです。

> 現在、宋学などにみられる、「理」と「気」の区分は、古代ギリシャの「形相」と「質料」の関係に似ているなとも思っています。

よく発見してくれましたね。
その通りです。
古代ギリシャと、朱子学の宇宙観は少し違います。
しかし、ベースは古代ギリシャです。

アリストテレスが、その代表ですね。
明らかにブッダの影響があります。
それは、始めも終わりもないのです。
朱子学には終わりがあるのです。
これはキリスト教の影響かもしれませんね。

ちなみに私の「あらあらしい自然から、人間に都合の好い自然を取り出す」ことは、ブッダやアリストテレスがもとかもしれませんね。
江戸の人は、そのことを「造化」あるいは「造花」とよんでいました。

芭蕉は確か「造化」だったと思います。


47. 宮島鹿おやじ 2012年5月01日 07:30:04 : NqHa.4ewCUAIk : oVkrMDYXxk
安芸ガラス様

おはようございます。

本文、及びコメント欄を読み返し、自分自身理解できていないこと、整理できていないことが満載であることがわかります。

それらの「わからないこと」が「わかるとき」、私の世界は広がります。
だから私は、いつのまにか、幾分、幸せな人間になったのだと思います。

受験においては、「わからない」ことは落第=「仮想的な死」を意味します。
受験競争に明け暮れた人にとっては「わからない」ことは、「無意識」に、「あってはならないこと」だと思うのです。実は私もそうでした。

今は、私が理解したいだけなのです。目の前の現実を理解するために。
すこしでも「よいこと」とは何かを知るために。

そろそろ、「職=食」のために起床しないといけません。

後ほどお目にかかります。


48. 宮島鹿おやじ 2012年5月01日 21:34:07 : NqHa.4ewCUAIk : nL7U6ZGGJQ
安芸ガラス様
こんばんわです。

まだ、一冊の儒学の本をもてあましていますが、
なんとなく朱子学とそれ以前を大雑把に言うと、本来、主に社会規範について語られていたものに、理気や陰陽五行などの宇宙論を組み込むことにより、体系化したと同時に大幅に、思弁化、形而上学化・・・したような感じがしています。
その理と気にはギリシャ哲学の影響もある・・・。大変興味深いですが、どんどん、密林の中に入っていくような気分もします。

とりあえず、朱子学について、さらに読んでいこうと思います。


49. 宮島鹿おやじ 2012年5月03日 06:14:18 : NqHa.4ewCUAIk : uyVbPFiJMY
安芸ガラス様

昨夜、広島に帰ってまいりました。
今日から、フラワーフェスティバルです。

あさってから、宮島に参ります。
しばし、骨休みとなりますが、どこか、おすすめの景勝地などはありませんか。


50. 2012年5月03日 10:32:05 : Adkvo51zEs
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。
1日はメーデーで、2日は外での仕事で、パソコンを開く時間がありませんでした。

>あさってから、宮島に参ります。
しばし、骨休みとなりますが、どこか、おすすめの景勝地などはありませんか。

なんといっても、広島と山口と島根の県境でしょう。
むかしは宮島口あたりから、山にのぼります。
川の断崖絶壁沿いに細い道路がありました。
それをのぼって行くと、高原になります。
「チチヤス」の工場がありました。
大きな岩の構造物が数多くあります。
真下に宮島を中心に瀬戸内海を展望できます。
そのあたりの地名は大野でしょうか。
さらに奥地に行きますと、羅漢山を越して中道、冠山を越すと吉和です。
宮島口から吉和あたりまでが景勝地です。
私の地元ではないから、詳しいことは、地元の人に尋ねてください。

山口側は「廃仏毀釈」のメッカです。
島根側は、山口の廃仏毀釈勢力に徹底的に攻撃された破壊された浜田です。
山口の廃仏毀釈勢力は、小瀬川=木野川から広島の大竹に攻撃。
私たちは住民は家などに火をつけられ、35万人ぐらいが、宮島や倉橋島、能美島で難民生活でした。

このあたりの武士が、住民を棄民にする今の日本政府の原形でしょうかね。


51. 2012年5月03日 15:28:00 : Adkvo51zEs
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>宮島口から吉和あたりまでが景勝地です。
第二次長州征伐で、長州にやられ、さらに昭和20年8月6日、原爆にやられました。
地元の人たちは、黒い雨が降った、と主張しています。
しかし、日本政府は広島の爆心地から30キロ圏内なので、認定されていません。
私の地元は、方向が違いますが、同じ30キロ圏内です。

いずれにせよ、広島の30キロ圏内を認めないことと、福島の10キロ、20キロ、30キロ圏も同じです。
私たちは「残留放射能にやられた」と云います。

聞いた話では、広島の川をさかのぼって、加計、可部、三次まで放射能は流れていきました。

ほぼ旧安芸国全部がやられました。


52. 蒲田の富士山 2012年5月03日 19:19:04 : OoIP2Z8mrhxx6 : gZPajBHbeG
あやみさんが、朱子学について、確かなにか書いていたと思って、今日探したら見つかりました。
貝原益軒についてです。
キライな日本語――養生なき「健康」(去年の10月12日)
貝原益軒については、岩波書店などからも、本がでているらしいので、図書館行ってみます。(今日じゃなくて、また後日)

53. 宮島鹿おやじ 2012年5月04日 16:11:53 : NqHa.4ewCUAIk : pXghajrFeA
安芸ガラス様

今、パセーラというところでくつろいでいます。
いただいた情報で確認しましたところ、
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=34.322173,132.168274&spn=0.189974,0.4319&t=m&z=12&brcurrent=3,0x355ac7026fc88d33:0xd790eac3a2721246,1

おおよその見当はつきました。
次回、里帰りした際には、立ち寄ってみたいと思います。

なお、地図上には乗っていませんが、「海の見える杜美術館」というわけのわからない建築物があり、常々、せっかくの大鳥居からの眺めが台無しだと思っています。確認してみると
http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn012/oushajo/oushajo1.html
宗教法人のようで、なんだかよくわかりません。
あまりに濃い雰囲気があり、話しが大幅にそれる恐れがありますのでまあ、どうでもよいのですが、なんにしても、アレはあまり好みません。


54. 宮島鹿おやじ 2012年5月04日 16:46:20 : NqHa.4ewCUAIk : pXghajrFeA
蒲田の富士山様

コメントありがとうございます。
あやみさんのスレッドはこちらですね。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/594.html
参考になります。

貝原益軒と言う名前は聞いたことがあるだけです。
ご教示ください。なお、全体としての話の流れとかはあまり関係なくコメントしていただいて結構ですのでよろしくお願いします。


55. 2012年5月04日 19:56:16 : Hv2QIOrRHg
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

雑談です。
そのあたりは佐伯郡です。
太秦=ユダヤの日ユ同祖論を展開した佐伯好朗博士は、広島県佐伯郡廿日市の出です。
同祖論は日清戦争の資金稼ぎです。
地元の人の話では、佐伯の地名の焼き直しとか、です。


56. 宮島鹿おやじ 2012年5月05日 13:44:12 : NqHa.4ewCUAIk : E44XUDgsPo
安芸ガラス様
蒲田の富士山様

今、宮島にいます。

多宝塔の東屋で軽く昼食です。

http://img.asyura2.com/us/bigdata/bigup1/source/247.jpg

いい風が吹いています。


57. 宮島鹿おやじ 2012年5月05日 15:24:55 : NqHa.4ewCUAIk : 7RHgllErUM
今、大元公園(厳島神社の西南西方向)にいます。
ここは静かな穴場です。
鹿と遊んでいます。

http://img.asyura2.com/us/bigdata/bigup1/source/249.jpg

本当に雑談ぽくなりました。


58. 宮島鹿おやじ 2012年5月06日 13:47:54 : NqHa.4ewCUAIk : psTlSVWt4k
今、奥紅葉谷にいます。

新緑が鮮やかです。

http://img.asyura2.com/us/bigdata/bigup1/source/250.jpg


59. 宮島鹿おやじ 2012年5月07日 13:33:09 : NqHa.4ewCUAIk : W6BUVNblpo
安芸ガラス様

本日、夜に東京に「出稼ぎ」に戻ります。
ミネルヴァ書房「概説 中国思想史」を読んでおりますが、「ピン」ときたことがあります。後ほどご報告します。


60. 宮島鹿おやじ 2012年5月11日 01:22:14 : NqHa.4ewCUAIk : SQoRhcCA8I
上記 中国思想史から 自分の「要求」に基づくメモです。

孔子
孝を基盤とする仁により内面を整え、礼により社会秩序を形成しようと考えた。基本的には、君子たる者にふさわしい行動から人倫のあり方について言及した。
その言説においては、比較的、宇宙論・神秘的言説は少なかったと思われる。

子、怪力乱神を語らず

この点については、仏陀が、「あの世の存在」「世界の始まり」「世界の果て」
について質問する弟子に対して、ほとんど何も語らなかったとされるエピソードに似ている。


前136 武帝 董仲舒の献策により太学に五経博士を設置。
「詩」「書」「礼」「易」「春秋」
経:縦糸 最初から最後まで貫いている。永遠の真理の意味。
「〜経」  お経  真理を説いたもの。
聖人が述作した典籍も真理が記されているとして経書と呼ばれるようになった。

孔子自らの言葉の中に、「私を信仰しなさい、拝礼しなさい」という言葉があったかどうか。未確認。ただし、控えめに「天が私に徳を与えた」(子曰、天生徳於予、桓魍其如予何)と述べているように思える。


董仲舒による「天譴説」
後漢、何休による「災異説」災:天譴 異:不吉なことの予言
讖緯説:讖→符命、自然現象によって現れた文字。図讖ともよばれる。それを説明する書物が緯書(横糸の書⇔経書:二つあわせて真理を説明)
「緯書」における孔子:口が大きく前歯が一本で手は虎の掌のようで・・・。

三教一致論
孫綽「聖人である周公・孔子は即ち仏であり、仏は即ち周公・孔子だ。」

陰陽五行説


今日のまとめ
時代が降るにつれて、孔子のイメージが超人化しているとともに、主にモラルについて述べられて学説が「神秘化」する傾向が見て取れる。このような土壌の上に、朱子学は体系化された。


安芸ガラス様
ただの「おさらい」ですが、まずはこんな感じです。



61. 宮島鹿おやじ 2012年5月11日 07:25:09 : NqHa.4ewCUAIk : SQoRhcCA8I
儒学はいつのまにか儒教になったことは検討に値すると思います。

私は数学・物理学の要素を巧みに使用した、プロパガンダ学問なるものがあることに最近気がつきました。放射線防護学です。そして、その疑いの目を経済学にまで向け始めています。


62. 2012年5月11日 09:19:20 : i2k4WgDVwY
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。


>子、怪力乱神を語らず
宮島鹿おやじ様に敬意を表します。
そのように孔子は実用的な人です。


>儒学はいつのまにか儒教になったことは検討に値すると思います。
いま、孔子を「こうし」と発音します。
江戸時代は孔子を「くじ」と発音します。
(発音に関しては関東大震災の時に、東京の早稲田法律専門学校に在学していた、私の高校の漢文の先生に習いました。)
「くじ」が「こうし」に変わるのです。
発音の変化とは、政治的な変化のことですね。
(呉音から唐音へ)

ついでに仏陀。
>この点については、仏陀が、「あの世の存在」「世界の始まり」「世界の果て」
について質問する弟子に対して、ほとんど何も語らなかったとされるエピソードに似ている。
孔子と仏陀の「あの世」にたいする態度は似ていると指摘されていますね。

仏陀は孔子ほど実用的な人間ではありません。
仏陀は説法で「正しいとか、正しくない」と云われています。
これが仏陀の特長です。
この判断は「大脳的行為」の結果です。
孔子の特長は、移動と実用的態度です。
仏陀の体は長方形、孔子は少し前傾でコマネズミのようによく動いた人でしょう。


天。
孔子の天。
仏陀の天。
違います。
孔子の天は、混沌で始めがあり、直線的。
では仏陀の天は、始めも終わりもなく、循環的。


63. 2012年5月11日 09:35:49 : i2k4WgDVwY
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>私は数学・物理学の要素を巧みに使用した、プロパガンダ学問なるものがあることに最近気がつきました。放射線防護学です。そして、その疑いの目を経済学にまで向け始めています。

学問は政治なのです。
私の時代は、東側の世界がありました。
そこでは、「客観性」「階級性」「党派性」の同一性が語られていました。
つまり、学問とは資本家階級の体制を維持するための方便である、と。
西側の学問で云う学問の「客観性」とは、体制(資本家階級の)を維持するための党派性のことである、と。

>儒学はいつのまにか儒教になったことは検討に値すると思います。
重要な発想です。

孔子を江戸時代では、くじ。
明治ではこうし。
くじは呉音。
こうしは唐音。
呉音は庶民の発音。
唐音は官僚の発音です。

いまでは、「シーベルト」です。
シーベルトは、東の世界が自壊してからの西側の政治的単位です。

>放射線防護学
高田純ですね。
支配者のための学問ですね。
山下も高田もほぼ同じ世代ですね。


64. 2012年5月11日 10:18:26 : i2k4WgDVwY
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

補足です。
後の世代が、孔子を必要としたのは、孔子の実用的態度を必要としたのではないでしょうか。
仏陀の破壊力は、当時の人、花と団子の傾向が強かったのではないでしょうか。
花とは、生殖活動のこと。
団子とは、食べること。
このような社会に、仏陀が「正しいか、正しくないか」と大脳的行為をしたから、破壊力があったのではないでしょうか。

バラモンが修行をしておのれの体を痛める行為は、まさに食べすぎによる大脳的行為なのです。
しかし、そこには「主体」がありません。
自分のからだにはたらきかける関係がありません。

人間は白紙です。
その白紙に文字を描くのは、人間の行為です。
からだにたいするはたらきかけが主体的行為です。
仏陀は「島」と云っております。
からだにたいするはたらきかけができると、体得し、それを万人に伝授したことが、破壊力ではないでしょうか。


65. 宮島鹿おやじ 2012年5月12日 05:51:07 : NqHa.4ewCUAIk : SQoRhcCA8I
安芸ガラス様

いつも本当にありがとうございます。
私は、原爆投下から、日本人が置かれている状況というものを今回の事故を契機として幾分か知りました。それは一言で言えば「絶望」と表現するしかないものです。私たちの父祖、同胞の臓器がホルマリン漬けにされて標本になっているイメージが私を捉えています。その中にあって、くじけず前向きに生きている方がいらっしゃいます。安芸ガラス様もそのようなお方なのだと思います。

私が精神の安定を保っていられるのは、安芸ガラス様との対話のお蔭かもしれません。大いなる苦悩が精神を偉大にするというのは、ある有名なコミックの中の言葉ですが、本当にそのように思います。

さて、朱子学に戻りますが、私の問題意識としては、本来儒学というものは、一人一人の行動規範を設けることにより結果として、社会秩序の回復を意図したものと解釈しております。孔子の生きた春秋・戦国時代というものは、いわば「万人に対する万人の闘争」が現実に行われたのだろうと想像します。そこには、子殺し、親殺し、主君殺し、その何倍もの臣下殺し、というものが頻繁に行われた。

時代が下るにつれて、孔子の教えは「経書」として「お経=真理」となった。
そして、それを学んだ者は、「真理を学んだ者」つまり、無謬な者となった。
儒学の国教化=国定科挙試験における教科書化により、それは中華帝国の認定するものとなった。

朱熹の問題意識としては、そういった「立身出世」のための儒学に対して問題意識を有し、宋学にいたる流れを統一し、宇宙論を含めた体系を構築したが、宇宙論を内包するその形而上学的性格あるいは主知主義的性格(知先行後)は当時から批判されることとなった。

つまり、私たちはことに対するにあたって、すべてのトラブルを事前に予測し、回避することができるかどうか、です。

この「知先行後」、つまり、「知った上で行えという建前」が、現在の東アジア知識人のかなりの部分を呪縛しているのではないかと疑っています。

つまり、何か、問題があったとき、役人は「これからどうするか」ではなく「いかに自分には責任はないか」という思考にひたすら没頭するように追い込んでいくように思えます。なぜなら、彼ら(科挙合格者=国家認定者)は、真理の体得者とみなされているからです。

私たちは、当然、過去のデータを参照し、未来を予測することは必要です、しかし、何時何分に何が発生するということは魔術を使わない限り不可能です。しかし、そのことをあたかも可能であるかのようにする考え方があります。上記に示した、
「讖緯説」に見られる神秘思想、さらには近代の因果律的決定論です。そして都合が悪いことに、「事が起きた後」には、ある程度の因果関係を明示することは凡庸な人間にも可能なことです。事が起きる前には「確率的」であったにもかかわらずです。

今回の東日本震災にあたっては、大地震・大津波の危険性を示すデータは存在していました。しかし、原発推進学者・官僚などは、某国の要請・利権のためにそのようなデータは無視したのでしょう。つまり彼らの行動は、朱熹の視点から見ても論難されるべきものでありますが、実際に事故が発生した暁には、「神秘的な彼ら」は、「可能な限りすべてを知っていた」と自らを粉飾します。(=「想定外」という言葉)そのために、都合の悪いデータは「存在しない」こととする。「存在しない」ことにするためには、「東大の権威」などが出動する。すべてが「後ろ向き」なのです。

事が起こる前は「虚偽、虚栄=ハッタリ」、事が起こった後は「言い訳」が彼らの仕事だとすれば、いったい税金を払う必要などどこにありましょうか。

安芸ガラス様の提示していただいている文章とは若干すれ違いな内容となりましたがお許しください。どうかコメントをお願いします。



66. 2012年5月12日 07:15:14 : qk2pgadam2
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>この「知先行後」、つまり、「知った上で行えという建前」が、現在の東アジア知識人のかなりの部分を呪縛しているのではないかと疑っています。

これは、おやじ様のオリジナルです。
「東アジア知識人のかなりの部分を呪縛している」に同意します。
その上で、少し切り込みの角度を変えます。

知識とか、体験で、今、この状況と、取り組むにあたって、知識や体験に縛られていることではないでしょうか。

取り組みを「前向き」にするには、知識や体験に縛られないことではないでしょうか。


孔子の破壊力は、おのれを中心として利害損得で行動することを提起したからと、感じています。
孔子にとりまして行動は、大義も真理も必要がないのです。

>近代の因果律的決定論です
これも、おやじ様のオリジナルです。
「近代の因果律的決定論」の元は、西洋の神の存在するための方法論からです。
神に近い距離と、遠い距離のことです。
これを例えますと、
「原子力損害賠償法」に基づく被害の範囲と損害の範囲のことになります。

その原理を知らない私たち住民は、例えば突然死を放射能を浴びた関連で、因果関係を証明しようと発想します。
「原賠法」では、炉心の放射能をダイレクトに浴びて、その放射能の毒性によるものだけなのです。
福島第一が爆発し、炉心の放射能が地上に落ちて、その落ちた放射能によって被ばくをしても、途中で、地面が介在していることで、神からの距離は遠くなり、証明は困難になります。

「近代の因果律的決定論」とは、このようなスキームなのです。

ですが、幕末に水戸、薩摩、鍋島などの国が西洋の実学を導入し、大砲や軍艦を建造していました。
実学を導入するには、導入する器が形成されていたからです。
武士の朱子学に、その器が形成されていたことになりますね。


67. 宮島鹿おやじ 2012年5月12日 09:14:09 : NqHa.4ewCUAIk : SQoRhcCA8I
朱子学における「知先行後」の「知」の範囲の中に、「陰陽五行説などから演繹される神秘思想」(その表れ 天譴説など)があり、この部分を含有することから、一種の思考停止に陥ることを回避できないのではないかと考えています。上記の「天譴説」などはその代表で、「旱魃が起きたのは陛下が〜を重用されるからでございます。」という誹謗中傷合戦が延々と宮中で行われていたということです。また、皇帝が天を祀る儀礼はどのように行うべきかという「郊祀論」というものがあり、当時の宮中の官僚たちの多くがこのことに莫大なエネルギーを消費していた模様です。朱熹もこのことに言及しており、1194年閏十月五日の夜に首都臨安に黒煙が立ち込めたとき、朱熹は皇帝に意見書を奏上しています。

「わたくしが考えまするに、近頃災異が頻繁に生じております。秋から冬にかけては雷と雹があり、豪雨が収穫を損ない、山崩れが起こるなど、あらゆるものが重なっています。これらはみな陰がさかんで陽が弱いことのあかしです。」

ただし、朱熹の本意としては、漢代の占いを中心とするような災異説には批判的であったとされています。
そういう意味では、朱熹に対して「神秘思想」と批判するのは的外れかもしれません。

ただし、理気二元論、陰陽などのその当時の「エピステーメー(時代精神)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%BC
からは自由ではなかったという意味で、それを継承したと考えて差し支えないと思います。


近代の因果律的決定論は、意外にも、この神秘思想的な部分と親和性を持っていた。
これが、筒の中にもともとあった要素ではないかと考えます。

そして、その一方(因果律的決定論)は間違いなく西欧のキリスト教文化から、そして、もう一方ももしかすると、ギリシア哲学から来ている可能性があるという展開となっています。


68. 2012年5月12日 11:00:22 : FYGO5LIhAw
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

仕事で出かけます。
簡単にメモします。

中国から西洋に飛びます。
若いカール・マルクスの著で『聖家族』もしくは『ドイツ・イデオロギー』があります。
ここでは、利害損得の価値導入について展開をしています。
教会が理性を神の受信機と位置付けることから、ある種の感受性の持ち主が前提と
なりますが、損得の判断が基準となる有様を展開しております。

私が云いたいのは、当時の性‐情のなかでの「神秘思想」の位置です。
おやじ様は、『理気二元論、陰陽などのその当時の「エピステーメー(時代精神)」』と、的確に指摘されています。

大脳を通します(錐体系)と、確かに「神秘思想」です。
しかし、もうひとつの回路‐錐体外路系では、どうなのでしょうか。


69. 宮島鹿おやじ 2012年5月12日 12:10:37 : NqHa.4ewCUAIk : bldCsVMRfA
安芸ガラス様

コメントありがとうございます。

>私が云いたいのは、当時の性‐情のなかでの「神秘思想」の位置です。

この部分については再度、図式を改めて検討し考察してみます(`・ω・´)


>おやじ様は、『理気二元論、陰陽などのその当時の「エピステーメー(時代精神)」』と、的確に指摘されています。
>大脳を通します(錐体系)と、確かに「神秘思想」です。
しかし、もうひとつの回路‐錐体外路系では、どうなのでしょうか。

のくだりについては不勉強につき全く分かりません。
少し、調べてみますが、おそらくわからないと思います(´・ω・`)
よろしくご教示ください。


70. 2012年5月12日 20:34:42 : EJ32UKMAMi
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

帰宅しました。
>>大脳を通します(錐体系)と、確かに「神秘思想」です。
>しかし、もうひとつの回路‐錐体外路系では、どうなのでしょうか。
のくだりについては不勉強につき全く分かりません。
少し、調べてみますが、おそらくわからないと思います(´・ω・`)

坐禅(私はしないが)を組むでしょ。
これって、錐体外路系の訓練なのです。
西鶴の『本朝桜陰比事』のなかに「白波のうつ脈とり坊」という、物語があります。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/42699_18762.html

これは、心のわだかまりが、心臓に影響した例です。
1869年の作品です。
このように、すでに大脳と脊髄の系統の違いと利用のしかたが、社会常識となっているのです。


71. 2012年5月13日 04:25:36 : Dgs0FvZXk2
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。


›近代の因果律的決定論は、意外にも、この神秘思想的な部分と親和性を持っていた。

›その一方(因果律的決定論)は間違いなく西欧のキリスト教文化から、

「近代の因果律的決定論」は、西洋における神の存在証明からです。
この証明はルネサンス以降です。
それは、私たちが西洋の中世を暗黒の社会とよぶぐらいに、西洋における神の存在証明の方法である「近代の因果律的決定論」は、「神秘思想」ではないでしょうか。

›朱子学における「知先行後」の「知」の範囲の中
「知」にたいして切り込む角度を変えます。
西洋の「神秘思想」の「知」のありかたは、「文字」(神の文字)だけです。
朱子学の「知」のありようは、動作、文字、口伝です。
ここは大切ですよ。
どこを知のスタートにするか、です。

「陰陽五行説」は、要求が起きたところ、意識下の無意識を対象としているのではないでしょうか。
西洋の「神秘思想」である「近代の因果律的決定論」の対象は、現象だけでしょ。

私もおやじ様と、同様に6・3制の義務教育になかで、育ってきました。
その教育を振り返りますと、大脳で「覚える」教育でした。
ソロバンも習字も、同じ大脳で「覚える」教育に位置づけられていました。

しかし、私の体験では、大脳でソロバンと習字を体得すると上手になれません。
大脳の系統でなく、もうひとつの系統である錐体外路系を使うと、上手になれます。
水泳も、自転車の操作も同様です。


72. 宮島鹿おやじ 2012年5月13日 05:23:39 : NqHa.4ewCUAIk : SQoRhcCA8I
安芸ガラス様

おはようございます。
コメントありがとうございます。
今、寺田寅彦さんの文章を読んでいます。
私が以前読んだ本の中にも寺田氏の金平糖についての記述がありました。

大変重要な情報の洪水に遭っているような感じで、本来学校で学ぶべきことを
今、学んでいるのかと思う気分です。少し時間をいただき整理したいと思います。

>「陰陽五行説」は、要求が起きたところ、意識下の無意識を対象としているのではないでしょうか。

実は、この陰陽五行説、というもの、あるいはギリシアの4元論などについて、「胃が痛むような」思いがあります。基本的には災害があったとき「陰が強く、陽が弱い」からだという説明では、ただの気休めにも思えます。(朱熹の場合は、まあ、枕詞程度の意味かもしれませんが。)しかし、果たして、「非科学」と切り捨ててよいのか、どうか。私は、量子論こそが、不可視(神秘)の世界との接点かと思っていましたが、そうではないようです。どういう要求によって、このような言説が発生したのか。無意識ですね。ユング自身、及び彼の患者は、無意識に「マンダラ」のような文様図を書いたという記述がありました。うーん(苦)


まとまりがありませんが、とりあえずということでコメントいたしました。


73. 2012年5月13日 06:12:49 : Dgs0FvZXk2
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

おはようございます。
›要求が起きたところ、意識下の無意識を対象としているのではないでしょうか。
西洋にも、同じ流れがあります。
シェリング、ゲーテ、マルクスの流れです。
この流れは、
›もう一方ももしかすると、ギリシア哲学から来ている可能性がある
と思います。


訂正です。
西鶴の『本朝桜陰比事』を1869年の作品ですと、紹介をしました。
これは、1689年です。


西洋においての「無意識」の発見は、魔女裁判を経てからです。
今、テレビにおいて宮島の平家を流しているようですね。
『壇浦兜軍記』に謀反の陰謀を図ったと云われる平景清の関係者への畠山重忠のとり調べの場面が出てきます。
畠山は関係者に琴を演奏させます。
畠山は、関係者の琴からの間合い、姿勢、バチさばきを観ます。
畠山は、隠しだてをしていたら、バチさばきがくるうはずとして、釈放させます。
これは、今の社会の常識では「非科学」となります。


74. あやみ 2012年5月13日 20:25:35 : oZZpvrAh64sJM : PQoVcKDb3Q
こんにちは。すばらしいお話が続いていますね。とても興味深いのですが自らの不勉強を痛感しました。

日頃つらつらと思うことです。日本人が日本語を使うときに漢字を普通に使用していますが、いつの頃からかこの漢字というものに恐ろしく依存してしまうようになったと感じています。漢字は表意文字であるため一字ごとにそれぞれ意味があり、アルファベットのような表音文字とは比べられない情報媒体です。しかも細密に限定された意味を持っています。その漢字を使うことでやまとことばで話していたころに持ち合わせていた「感性」に蓋をされてしまっているのではないか、と思うのです。
たとえば、同じ「みる」でも「見る」と「観る」と「看る」を感じで使い分けてしまうことで「心の窓からのぞむ」という本当の意味を紛失してしまったのではないかという事です。

この感性を失うことで身に迫る危機や虚偽を感じることができなくなりました。台風が近づいているのに川の中州でキャンプをしたり、東大話法に引っかかったり、放射能を食べて応援したりすることが普通になってしまうのです。

漢字、そして漢字熟語を使わずに暮らすのはもはや困難ですが、漢字に使われてしまっては本末転倒です。

貝原益権の養生訓は実学の中の実学だと思います。なぜなら、「気」の概念を文字さえ読める者ならば誰にでもわかるように説いているからです。

恥ずかしながらお邪魔させていただきました。


75. 宮島鹿おやじ 2012年5月13日 20:55:09 : NqHa.4ewCUAIk : BBlNwx4ark
あやみさん

コメントをいただきまして、ありがとうございます。

このスレッドは、日本人は「本人が知らぬ間に」どのように考えているか、ということを検討しております。あやみさんの過去のスレッドからも誠にご参加いただきたい内容と思います。

現在のところ、朱子学を中心に日本の知識人の物の考え方について検討していますが、中国思想が入る前に、ごく自然に日本人はどのように考えていたかという視点は極めて重要です。どうぞ、自由に、ご意見を展開いただければと思います。

現在、原発スレに投稿し、情報を求めているところですが、今のところ、情報提供もありません。ここでお話などしながら待ちたいと思います。


安芸ガラス様

現在、別の朱子学の本を読みつつありますが、やはり、基本的なところが押さえられていないため、苦戦しています。少々お時間をください。


76. 2012年5月13日 21:16:20 : tgzbPdHwxM
あやみ様
安芸ガラスです。

>貝原益権の養生訓は実学の中の実学だと思います。なぜなら、「気」の概念を文字さえ読める者ならば誰にでもわかるように説いているからです。

いま、家の奴から養生訓を読めと云われています。
はぁ、彼女のなかに何かが動いているのですね。


漢字の変遷は高島俊男著『漢字と日本人』(文春新書)から学びました。
「やまとことば」にかんしては長田夏樹著『新稿邪馬台国の言語』(学生社)から習いました。

>たとえば、同じ「みる」でも「見る」と「観る」と「看る」を感じで使い分けてしまうことで「心の窓からのぞむ」という本当の意味を紛失してしまったのではないかという事です。

そうですね。
そのように「やまとことば」の文脈も「心の窓からのぞむ」という認識側の運動の表現ですよね。
同意します。

私は進学校ではなかったから、高校の図書館にありました論語や大学、小学を片っ端から読みました。
わかったのは、知・学ぶ・習うなどの漢字は、主体の認識の過程をあらわしていることでした。
孔子は対象=客観ではなく、主体側の運動の表現として発言しております。

貝原益権の養生訓が手元にあります。
近いうちに読みます。
読みましたら、報告をいたします。
御指導をよろしくおねがいします。


77. 2012年5月13日 21:41:42 : tgzbPdHwxM
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>現在、別の朱子学の本を読みつつありますが、やはり、基本的なところが押さえられていないため、苦戦しています。少々お時間をください。

そうですね。
大日本國憲法、伊藤博文が解説本を書いています。
そこでは「体」(たい)とか「用」(ゆう)が使われています。

伊藤の使い方は、たぶんその朱子学の「体」と「用」からです。
朱子学では、性は体、情は用です。
これを掴むと、現在の官僚とつながります。


78. 2012年5月14日 08:07:23 : g4NNGOpN4w
宮島鹿おやじ様
あやみ様

安芸ガラスです。
一晩寝ました。
おやじ様とあやみ様の重なる箇所が浮かびあがってまいりました。

>現在、別の朱子学の本を読みつつありますが、やはり、基本的なところが押さえられていないため、苦戦しています。少々お時間をください。

>その漢字を使うことでやまとことばで話していたころに持ち合わせていた「感性」に蓋をされてしまっているのではないか、と思うのです。

かって認識側の言葉使いが、大日本帝國憲法の施行前後に、ヨーロッパの客観をあらわす言葉使いに移行しております。
それは、日本の支配者の武士や公家たちが、そのようなことを決定したからです。

このようなことは、漢字の受け入れにもありました。
「やまとことば」を漢字表記したのが『日本書記』です。
あきらかに、わたしたち現地の言葉使いと、漢文は文脈が違っております。

今回も、そうです。
この「日本の文化」と「西洋の文化」という対立項自体が、再考の余地があります。
これまでの言葉使いの中に、西洋の言葉使いを受け入れる要素があるのでしょう。
そしてそれがくみかえられていく過程の検討が必要です。
その時間経過は幕末から明治20年前後だと思います。


79. 2012年5月14日 08:42:37 : g4NNGOpN4w
あやみ様
安芸ガラスです。

>あめつちとの関わりを絶った日本は内側から綻び、病んでいった。
同意します。

あまつちとも関わりを絶った政策は、公儀の「仕法」と明治政府の「地租改正」ならびに「農業学校」ですね。

貝原益権の養生訓、性に関する記述が少ないような気がします。
性の使用方法と後始末に関しては、文字にする必要がなかったのかなぁ。
みんなが知っている社会的常識だったのでしょうか。


80. 2012年5月14日 12:02:38 : g4NNGOpN4w
あやみ様
安芸ガラスです。

そちらと日本との時間差は、どのぐらいでしょうか。
東の日本、西のそちら、両国の樹立は大英帝国が関与したようですね。
オスマン・トルコ帝國の解体、清帝國の解体です。

長田夏樹著『新稿邪馬台国の言語』(学生社)によりますと、私たちの支配者は○○○○スタンあたりからの玉突きらしいのです。


81. 宮島鹿おやじ 2012年5月15日 07:43:58 : NqHa.4ewCUAIk : BBlNwx4ark
>この「日本の文化」と「西洋の文化」という対立項自体が、再考の余地があります。これまでの言葉使いの中に、西洋の言葉使いを受け入れる要素があるのでしょう。そしてそれがくみかえられていく過程の検討が必要です。
その時間経過は幕末から明治20年前後だと思います。


まさに、構造論的分析と言えると思います。

私は、貧乏暇なしですが、この問題は、長い時間をかけてでも検討していくべきと思います。私の目の前に開け放つべき扉がたくさんできました。開けると私は拡がるのです。
週末は、放射能調査にでかけます。ご同意いただいたスレッドには情報が来ませんでした。私たちは、ほとんど「出たとこ勝負」で調査に参ります。しかし、所詮、男は出たとこ勝負なのだと思っています。計画は、あればなおよし。


82. あやみ 2012年5月15日 07:47:38 : oZZpvrAh64sJM : PQoVcKDb3Q
安芸ガラスさま、どうも。

こちらは夏ですと日本より六時間遅れです。日没する処です。
オスマン帝国はヨーロッパに割譲されました。(ウィーン会議)
近代思想といういう新イデオロギーがオスマン帝国の中を蝕み、欧州の思うままにされました。そのあたりのことは以前ここに記したのでよろしければご覧ください。http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/801.html

しかし、「近代思想」という言葉を人がどう理解しているかが問題です。
私は常に悪い意味で使いますが、世界のほとんどの人たちはその逆でしょう。なにかいいものだと勘違い(私からすればですが)しているのです。そこで私の書くものはいつも宙に浮いてしまうのです。

明治新政府の政策の影には英国の息のかかった明六社が暗躍しています。彼らには今のマスコミと同じような力があったと解しています。あめつちとの関わりを軽視したのは文化人を名乗る彼らの舌先三寸に乗せられた結果です。「改暦」も失策のひとつだと考えています。それはここに。http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/725.html

>かって認識側の言葉使いが、大日本帝國憲法の施行前後に、ヨーロッパの客観をあらわす言葉使いに移行しております。

おっしゃるとおりです。ことばは人が作り出したものですが、人は言葉によって作られもするのです。言語によって思考が道付けられるとでも言いましょうか、二千年前に受け入れた漢語話法すらまだ消化しきれてないというのに、たかだか百年の西洋式近代話法など一体どうしろというのでしょう。今の日本人はよそから借りてきた似合わない服を着てしなを作る娘のようです。

貝原益軒は性にかんしては「ほどほどに」と諭しています。江戸の人たちはそれが大好きだったのでさらに奨励できなかったのでしょうかね(笑)。益軒曰く性も「気」であり、それをを無駄に使うと却って命をちぢめる、そして「欲」にほかならないので性欲も禁欲や物欲同様、妬みや騙し奪い取ることの元になる物であり慎むことを説いています。当時ただでさえ不義密通や心中(未遂)は死罪でした。床の事での心煩いを減らすことも養生には大事なことです。


宮島鹿おやじさま

「よその国の事情通」、我が国ではそれを知識人といったのでしょうか。古代の渡来人、僧、朝廷の史人、時代は降って蘭学者、明六社、お雇い外人、ジャーナリスト、留学経験者…

刺激をもとめて外を望むのは当然ではありますが、そこに悪意を以って刺激しようとする輩がやってくると結果は変わってきます。イエズス会や黒船がそうでした。今はさしづめ何でしょう、いっぱいありすぎてわかりません。

しかし朱子学を求めたのは、よい共同体を作るための純粋なる「知」の模索だったと感じます。


83. 2012年5月15日 08:40:52 : noHcEVZfhg
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>私は、貧乏暇なしですが、この問題は、長い時間をかけてでも検討していくべきと思います。私の目の前に開け放つべき扉がたくさんできました。開けると私は拡がるのです。

朱子学は武士の学問です。
昌平坂学問所はその中心です。
そこで「開国」についての論議がされています。
ここでの論議と合意が、現在の日本のグランドゼザインです。
ですから、扉を開け放すには、何が論議されたかを掴まえましょう。


84. 2012年5月15日 09:34:22 : noHcEVZfhg
あやみ さま
安芸ガラスです。


>「アタテュルク」を日本語に訳すと「明治維新」になりはしないか。
同意します。
私の日本史に対する疑問は、トルコの方から来た方に啓発されました。

>オスマン帝国はヨーロッパに割譲されました。(ウィーン会議)
日本にはトルコの住民のコミニティ―があります。
それは、ウィーン会議で大日本帝國も関与したからです。
責任者は、日本ではお札になっております。


>これではっきり解るように「維新」の目的はは近代化や合理化などには非ず、日本人が先祖から受け継いだ魂を「とるに足らない因習」として否定し、霊の緒を絶ち、これまでに築いた共同体、世界にまたとない美しい国を破壊するために仕組まれた卑劣な策であった。

共感します。
私は着物と旧暦で生活をしております。
ある日突然、子どものころの生活が懐かしくなりました。
それで、ひい爺さんの着物をき着しました。
それが、とても快かったので、それ以来着物の生活です。

武士の失策が、現在の日本の国際的環境を形成しております。
元が朝鮮経由に博多に上陸をしようとしました。
そこには、大陸の商人が大量にいたかもしれませんね。
元寇を経て鎌倉幕府が自壊します。
占領されていた朝鮮の動きを観察しますと、その幕府は朝鮮の政権と何らかのつながりがあったと推理できます。

さて、武士の失策の件です。
南シナ海がイスラムの海になったのは、元寇のあとぐらいからですね。
東シナ海は、中国、朝鮮、琉球、日本など禅の海ですね。
そのイスラム勢力に対する政策が、武士にはありませんでした。
イスラムが大敗すれば、西洋がインド洋から、南シナ海、そして東シナ海に進めてきます。
公儀は、17世紀の初めにフイリッピン侵略計画を立案しました。
駄目ですね。
イスラムと和解したり、支援する政治がないのです。
西洋が日本に到達したのが19世紀です。


>そこで私の書くものはいつも宙に浮いてしまうのです。
ヨーロッパにおいてもルネサンス以降です。
「近代」、そんなに歴史がありません。

人間には歴史があります。
大丈夫ですよ。
どうぞ書き続けてください。


85. 2012年5月15日 11:50:23 : noHcEVZfhg
あやみ さま
安芸ガラスです。

レザノフの際の論議です。
「通商」拒絶の理由の一つに、奢侈による風俗悪化と社会秩序混乱があります。
これが、暦の改廃と洋服になります。

ですから、ロシア以降の論議を検討することが重要と思われます。


86. 宮島鹿おやじ 2012年5月17日 05:48:28 : NqHa.4ewCUAIk : BBlNwx4ark
安芸ガラス様

おはようございます。
図書館から借りて、儒学の基本を、息絶え絶えに読んでいる最中で、まだ、いただいたリンクを見ておりませんでしたが、39のコメント(4・29にいただいたものです)にあった、昌平坂のリンクをさきほど開きました。
大変参考になりました。

なお、現在、週末の調査に向けて、測定機材の検証、調査箇所の選定などで、十分な考察の時間がありません。しかし、かならず、またご教示を賜りに戻ります。

できますれば、しばし、あやみ様、蒲田の富士山様、ご一緒にお話を進めていただけると幸甚です。


87. 2012年5月17日 07:07:08 : 9Dk9yTUm2w
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>なお、現在、週末の調査に向けて、測定機材の検証、調査箇所の選定などで、十分な考察の時間がありません。

住民の利益に応える行動です。
ありがとうございます。

私たちの地域では、ホットゾーンの特定、「子どもを守る会」「がれき受け入れ反対」など各種団体の立ち上げ、測定所設置など人のつながりが拡がってきています。
しかし、議会や行政を動かすほどではありません。


さて、ロシアの開国要求以来、開国をめぐる武士の論議についてです。
貿易、商社、軍事、国内市場の創設、国民形成などなど論議されています。
もし「明治維新」と云うものがあるのなら、まちがいなく、これらの論議がベースとなります。
さらに、公儀の諸改革も視野に入ります。

ここで注意するのは、「和親」とか「通商」と云う言葉の文脈が、現在使用されている文脈と異にすることです。

朱子学での「和親」とか「通商」の文脈が、「開国」につながるからです。
朱子学のなかで、西洋の実学を受け入れる「うつわ」と再編される要素があったからです。

私たちの共通点は、現在の日本政府が、米国の政治的・経済的・軍事的秩序に自らを位置付けていること、そして私たち住民に対する棄民政策などの、つながりを掴むことです。

あやみ様、蒲田の富士山様、
どうぞ、一緒に作業をすすめましょう。


88. 宮島鹿おやじ 2012年5月17日 23:05:05 : NqHa.4ewCUAIk : BBlNwx4ark
安芸ガラス様

「俺は旅に出る」的な雰囲気でしたが、戻ってまいりました。
今朝方より読み始めた「朱子」(木下鉄也 岩波書店)を読み始めて、思わず膝を打ったような感じです。

要点は、 「朱熹の考えたこと、言ったこと」 = 「後の朱子学」 ではないこと、です。

うすうすと、何回かコメントしていますが、朱熹その人は現状に対し極めて警世的は発言をし、最晩年は弾圧されています。

これは、「イエスの言葉」=「後のカトリックの教義」ではないことと符合します。

私は、こう思いました。
「なぜ、私たちは、傑出した先達の『魂』を受け継ぐことができないのか」
と、言いつつ、「俺は旅に出る」としばしお暇をいただきます。今度こそ。


89. 2012年5月18日 05:38:59 : R7I22Nx2eI
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

おはようございます。
>私は、こう思いました。
「なぜ、私たちは、傑出した先達の『魂』を受け継ぐことができないのか」

私も同感します。
ともすれば、私たちの中に、直線的な「時間」が刷り込まれているのかもしれませんね。

能や狂言は、300年ぐらい伝わっています。
神楽も同様ですね。
伝わっているものは、「ほんもの」かもしれませんね。

みなさまとのやりとりで、私は結構、整理されてきています。


>要点は、 「朱熹の考えたこと、言ったこと」 = 「後の朱子学」 ではないこと、です。

大変重要な視点ですね。
朱熹を求めている人が、朱子学を育てたのでしょう。
云わば共同作品です。
裏返せば、求める人がいれば「『魂』を受け継ぐことができ」るのでしょうね。
能、狂言、神楽などの踊りは、求めている人がいるから300年、継承されてきたのですね。


90. 2012年5月18日 06:50:08 : R7I22Nx2eI
あやみ さま
安芸ガラスです。

貝原益権の養生訓、大便に関する記述を拝読しました。
他の項目と比べて、記述の量が少ないですね。

欠けていいるのは大便の姿勢です。
それと、大便への評価です。
評価の基準は形と色でしょうね。

食べ物とか、食べ方の記述の量は、かなりの量です。

貝原益権には子どもがいたのでしょうか。
現在意識が育っていない赤子を育てるには、大便を観て、掴むのですが。


91. あやみ 2012年5月18日 10:32:41 : oZZpvrAh64sJM : e82u2FPr6E
安芸ガラスさま
宮島鹿おやじさま

あやみです

>現在意識が育っていない赤子を育てるには、大便を観て、掴むのですが。

なるほど、たしかにそうですね。
体の中を一周してきたものはその報告をしてくれますね。
たとえば「ゴミ」は「暮らしの排泄物」だと思うのですが、埋立地やゴミ捨て場の光景は今の病んだ暮らしの中身を露呈しているのでしょう。

>「朱熹の考えたこと、言ったこと」 = 「後の朱子学」 ではないこと、です。

これにはとても共感します。どのような学問でも技巧でも、受け継いでいく者たちの心がけや目的次第で姿を変えていきます。

宮島鹿おやじさま、どうかお気をつけください。


92. 蒲田の富士山 2012年5月19日 14:40:04 : OoIP2Z8mrhxx6 : E5hztzBGu6
3か月ほど、沈黙いたします。
そのあいだに、「朱子」(木下鉄也 岩波書店)と、貝原益権の「養生訓」を読みます。
ちょっと、私生活が仕事をふくめ、ずっこけてしまったので、たてなおしてから、コメントいたします。
以前も「ずっこけた」経験は再三あるので、あまり心配しないでくださいね。
それじゃ、3カ月後。
8月中旬。

93. 蒲田の富士山 2012年5月20日 17:55:56 : OoIP2Z8mrhxx6 : jLtO9kFd7n
訂正
貝原益権→貝原益軒
木下鉄也→木下鉄矢
以上でした。

94. 宮島鹿おやじ 2012年5月20日 22:21:46 : NqHa.4ewCUAIk : VeSRch2SMs
安芸ガラス様
蒲田の富士山様
あやみ様

ただいま、無事帰りました。
調査地点は葛飾区水元公園付近です。
予想より現実は厳しいものでした。

かなり広い区域が、常に、0.25μ以上であり、
問題となる「黒い物質=主に藍藻」が「いたるところに」ありました。
多くの住民は全く意に介せず生活し、マスクと線量計を持つ私たちを奇異の目で見ています。子供たちは普通に遊んでいます。

まずは第一報です。


95. あやみ 2012年5月21日 20:32:03 : oZZpvrAh64sJM : eyoEvaWBhY
宮島鹿おやじさま

おかえりなさい。いつもありがとうございます。
私の実家は東京です。大丈夫としか言わない両親が心配です。


96. 2012年5月21日 23:14:32 : hw5wpfRozE
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>ただいま、無事帰りました。
調査地点は葛飾区水元公園付近です。
予想より現実は厳しいものでした。

そうですか。
地域は、武蔵國足立郡です。
大宮・赤羽大地の海に向かう傾斜側ですね。

ありがとうございます。


97. 2012年5月22日 03:17:33 : Sng6qHK6ik
蒲田の富士山様
安芸ガラスです。

>それじゃ、3カ月後。
8月中旬。

季節は秋ですね。
秋は体が前傾となり、どこまでも前、前と進む季節になります。
お待ちしております。


98. 宮島鹿おやじ 2012年5月24日 06:32:14 : NqHa.4ewCUAIk : AQymEndjXE
おはようございます。

現在、調査結果の整理などを行っています。
ベクレル数が確認できしだい投稿します。



99. 2012年5月24日 08:24:57 : CBiMtur0bI
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>現在、調査結果の整理などを行っています。
ベクレル数が確認できしだい投稿します。

きのう仕事のあと、葛飾の話し、利根川の件、4号機倒壊後の行動などが、出ました。
元原子力ムラ出身の私に対しての質問です。


100. 宮島鹿おやじ 2012年5月24日 12:57:49 : NqHa.4ewCUAIk : mFiOhtZHEE
安芸ガラス様

こんにちは

>きのう仕事のあと、葛飾の話し、利根川の件、4号機倒壊後の行動などが、出ました。元原子力ムラ出身の私に対しての質問です。

もしよろしければお話をお聞かせください。
私も4号機倒壊後どうすればいいかを時々思案しています。

いましがた、23区西部地域を若干調査しましたが、葛飾のような汚染は発見できません。空間線量も0.08〜0.10で推移です。東東京の特筆すべき汚染は明らかです。


101. 宮島鹿おやじ 2012年5月25日 19:02:07 : NqHa.4ewCUAIk : AQymEndjXE
明日は、奥多摩の調査に参ります。
先週の調査結果をまだアップできないのがもどかしいです。
検査機関からの報告待ちです。

102. 宮島鹿おやじ 2012年5月26日 19:09:51 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
奥多摩町の小中学校、奥多摩湖などを調査してきましたが、確認した限りでは、特筆すべきひどい汚染はありませんでした。
検体のベクレル数などがわかり次第こちらも投稿します。

103. 宮島鹿おやじ 2012年5月27日 07:26:24 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
皆さん

原発板に新しくスレッドを立てました。
よろしければご意見をお願いします。

http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/179.html


104. 2012年5月27日 19:40:48 : aeXXeN33mY
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>もしよろしければお話をお聞かせください。
私も4号機倒壊後どうすればいいかを時々思案しています。

私たちが「炉心」と呼んでいるものは、的確に表現すると「核分裂反応を起こさせるもの」です。
簡単に云うと「臨界」を実現させると、ともに「安定」も実現させるものです。
その「臨界」には、条件が必要です。
それは、核分裂を起こさせる物質が一定の量です。

しかし、「炉心」は壊れています。
私は磯子の東芝工場で、実験で破断させた炉心を見学したことがあります。
壊れていれば「安定」の実現は無理です。
でも「臨界」は可能です。

それは、プールに一定の量があるからです。
何を一定かは、経験値で判断できます。
この経験値は、すでに国民全員が体験しています。

それは、1999年9月30日の東海村臨界事故です。
ウランは溶液の状態でした。
バケツからの移し替え作業、時間は10時35分でした。
臨界に達しました。

炉心がないところでも、
 1核分裂をさせる核物質が一定の状態で、
 2一定の量以上集めれば、
臨界に達します。


105. 宮島鹿おやじ 2012年5月30日 05:35:06 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様

おはようございます。

>1核分裂をさせる核物質が一定の状態で、
>2一定の量以上集めれば、
>臨界に達します。

すみません。もともと、原子力には関心がない付け焼刃なものですから、今ひとつピンとこないのですが、たとえば4号機のプールの水が失われたとして、使用済み燃料とはいえ、崩壊熱を出しているということですが、使用済みなのに、やはり臨界してしまうのでしょうか。臨界してしまったとすると、露天原子炉状態というようなものになってしまうのでしょうか。


106. 2012年5月31日 08:57:53 : sPKiyuC2Ms
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>たとえば4号機のプールの水が失われたとして、使用済み燃料とはいえ、崩壊熱を出しているということですが、使用済みなのに、やはり臨界してしまうのでしょうか。臨界してしまったとすると、露天原子炉状態というようなものになってしまうのでしょうか。

>4号機のプールの水が失われたとして
水は燃料棒の熱の1.6倍を包摂する能力があると、云われています。

>使用済み燃料
18カ月使用です。
それはほとんど崩壊熱です。

>やはり臨界してしまうのでしょうか。
詳しいことは知りませんが、新品もあると思います。
あるとすると。
何キロあるのか。
濃縮は何パーセントなのか。

>臨界してしまったとすると
条件は、水です。
水は燃料棒の熱をとります。
さらに水は減速剤にもなります。

ですから、臨界に達する理論値とは。
新品は何キロあるのか。
その濃縮度は。
水の核分裂に適合した量とは。


107. 宮島鹿おやじ 2012年6月01日 07:13:36 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様

素人の素朴な質問にお答えいただきまして、ありがとうございます。
本当に感謝しております。
燃料棒には新品もあるのかもしれませんね。
それにしても、発電所の建物の一部の設備に、多くの国民の生命・健康を賭けなくてはいけないとはどういう事態でしょうか。また、それでもまだ原発を継続しようというのは本当に「不条理」そのものです。小説のアイディアを超えているように思えます。

もうじき調査に出発します。


108. 2012年6月01日 10:05:48 : SeLIJGVojK
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>それにしても、発電所の建物の一部の設備に、多くの国民の生命・健康を賭けなくてはいけないとはどういう事態でしょうか。また、それでもまだ原発を継続しようというのは本当に「不条理」そのものです。小説のアイディアを超えているように思えます。

>小説のアイディアを超えている
この事態は「総力戦体制」の延長です。
確かに、敗戦後、「総力戦体制」は東久邇宮稔彦内閣によって戦時体制から平時に移行しました。
しかし、一部は継続しています。

例えば、源泉徴収の制度です。
経営者が従業員から、およその税金を徴収して、政府の納税する制度のことです。
まったく同じシステムが核のシステムなのです。
核推進勢力は、核システムを形成するために、電力会社を設立しました。
電力会社と国民の関係は、奴隷の契約です。
国民の側に一方的な義務があるだけです。

昭和13年5月5日に「国家総動員法」が公布されました。
核兵器を所有するために昭和15年4月頃に「科学技術庁」構想ができました。
途中の昭和20年9月に敗戦します。
しかし、昭和31年5月に米国からのウランと原子炉の導入とともに、科学技術庁は設置されました。

国家の条件は、国家主権と国民と領土、領海、領空と云われております。
しかし、現実は国家主権のある特定の空間を切り取られています。
日米安保マフィア。
日米原子力マフィア。
日米PTTマフィア。

特定のグループが政治を占有しているから、起きている現象です。
「総力戦体制」が再編されているのです。
御主人がおり、奴隷頭がおり、そして私たち国民がいます。
奴隷頭と私たち国民の関係は、奴隷の契約関係です。


109. 宮島鹿おやじ 2012年6月02日 13:51:59 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
皆様

以下の通り投稿を行いました。
できましたら、アドバイス、コメントなどをお願いします。

http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/339.html


110. 宮島鹿おやじ 2012年6月03日 07:46:26 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様

上記スレッドよろしければコメントお願いします。
単なる事実確認の内容ですので、議題はありません。

朱子学の本、時間切れで昨日図書館に返しました。また、借りようと思います。
今現在、「!」と思っているのは、木下鉄也「朱子」において、格物の「物」とは、「事」さらには、「職務」という意味において朱熹が考えていたという考証です。

この物=事象と捉えることが、現在の朱子学批判の根源になっているとの記載がありました。木下さんの言葉では、その始めが王陽明なんだそうです。
また、戦後、朱子学批判の流布に一役買ったのが司馬遼太郎であり、私の、「朱子学批判」の大元は、司馬氏の著述にあった何かなのは確かです。確か、軍国主義批判の流れの中に、その思考様式として朱子学を紹介されていた記憶があります。


111. 2012年6月03日 08:30:22 : fZJdVnmUKM
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>また、戦後、朱子学批判の流布に一役買ったのが司馬遼太郎であり、私の、「朱子学批判」の大元は、司馬氏の著述にあった何かなのは確かです。確か、軍国主義批判の流れの中に、その思考様式として朱子学を紹介されていた記憶があります。

>司馬遼太郎
面白いですね。
彼は「明治は偉大」とのお仕事をされていましてね。
政府の明治100年事業と『坂の上の雲』は重なっております。


112. 2012年6月03日 14:07:10 : t3OuS3nAYI
参考にならないかもしれませんが、阿修羅内にこのような記事があります。

司馬遼太郎の罪 (マヨのぼやき)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/572.html


113. 宮島鹿おやじ 2012年6月03日 15:25:42 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
>112さん

めちゃめちゃ大変参考になりました。
ありがとうございました。

>民衆の変革の情念に少しも関心のない、人を見下した史観の根源を見る

これですね。人を見下した史観。これは、↑の>>89の「直線的な時間」のことだと思います。
そう!そして、私も、朱熹の後に生きたというだけで、なにやら批判する資格を持っていると思い込んだ。その人が何を言ったのか辿ろうともせずに。
私も、司馬氏に毒された(魅了された)人間のサンプルです。

 本分中の「構造」なるものが「ひょこっと」耳の中から出てきたような気分ですね。後に生きた者は、無条件に前に生きた者よりも文明化されていて薫陶を垂れる資格を有するという、時間感覚。直線的に右肩上がりの歴史認識ですね。これこそが構造のように思われます。


114. 宮島鹿おやじ 2012年6月03日 18:57:50 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様

113にも記載しましたが、時代が下るほど、文明化が進展し、後の人間は前の人間を自由に扱うことができるかのような歴史観、いわゆる発展段階説のようなものに、無意識にとらわれていたことが、このスレッドを起こしたことでわかりました。

現在NHKなどで『坂の上の雲』が喧伝されているようですが、かつて、熱中して読んだ思い出などを今振り返ると複雑な気持ちとなります。



115. 2012年6月03日 21:33:29 : LXuntHIQGw
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>本分中の「構造」なるものが「ひょこっと」耳の中から出てきたような気分ですね。後に生きた者は、無条件に前に生きた者よりも文明化されていて薫陶を垂れる資格を有するという、時間感覚。直線的に右肩上がりの歴史認識ですね。これこそが構造のように思われます。

昭和16年か、17年に橋田邦彦文部大臣が「国史編修事業」を閣議決定をします。
私たちの義務教育での歴史観はここからです。
岩波も。
共産党も。
『坂の上の雲』も同じ脈絡です。
みんな「明治維新」を国の初めに位置付けています。
それは、みんなで合意をしたからです。
敗戦後は、ここの合意から、自分たちを正当化するモーメントを強調しているだけです。

つくる会の藤岡の動きは、岩波を含めて講座派の分裂です。
つまり文部省の分裂です。


116. 宮島鹿おやじ 2012年6月04日 01:59:25 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様

こんばんわ。

>昭和16年か、17年に橋田邦彦文部大臣が「国史編修事業」を閣議決定をします。
私たちの義務教育での歴史観はここからです。


繰り返し、この橋田邦彦という方のお名前が出てまいります。

いただいたコメントのなかに

>私の現象への接近の方法は、橋田邦彦への批判です。
ご存じのように橋田は「科学者」であり、「文部大臣」でした。
科学に対する彼の方法は「行としての科学」です。
それは、観察し、掴まえるのに、自己を無にすることでした。
その彼が、『臣民への道』の作成者です。
同時に、原子爆弾を所有しようとした大臣です。
そのために、民間と学者と労働者を動員するために「科学技術庁」の設置を提案しました。

>それが、今の状態を作りだしています。

と、あります。
今後、思索を続ける上での一つの重心となると思います。
ありがとうございます。


117. 2012年6月04日 09:30:59 : sZgppGFUIw
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

公儀がむすんだ条約と合意書です。

http://www.customs.go.jp/yokohama/history/history150_ref1.pdf

すでに西洋列強・米国の先行する「自由市場」がありました。
そこに、後発国の日本が参入します。
武士と公家の論議は、ここをめぐってです。

当時の世界秩序は、文明―半開―未開です。
西洋列強・米国は、清、李、徳川を半開に位置付けております。

清と李は「攘夷」「開国反対」です。


118. 2012年6月04日 10:26:10 : sZgppGFUIw
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

武士も公家も「攘夷」「開国反対」でした。
それが、「開国反対」を下ろして、「開国」に向かいます。
「攘夷」はアジア侵略に向かいます。

一方、清と李は西洋列強・米国と闘い自壊します。
しかも、「攘夷」「開国反対」さらに3カ国の極東の新秩序形成に向かうしかないのに、武士と公家は清と李を敵にします。

ここで武士や公家たちは、どんな論議をして、何を合意したのか。
政治改革の末にできた明治政府は、どこまで合意を履行したのか。
合意のどこの部分を継承したのか。

興味が尽きることがありません。


119. 2012年6月04日 10:44:33 : sZgppGFUIw
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

政治改革のすえに再編された政府が、今度は中国大陸をめぐり英国、和蘭、米国に弓を引きます。

応仁の乱以降に形成されたものを、武士と公家はそのすべてを捨て、西洋列強・米国の政治的・経済的・軍事的秩序に、自らを位置付けてきました。

ところが、むかしの蘭学の中から「日本的なもの」が育ってきたのです。

橋田なんかは、その代表です。
橋田は生理学者でした。
次の世代の時実氏、杉氏などは弟子にあたります。
原子力ムラの医師などは、その橋田の孫弟子ぐらいにあたります。


120. あやみ 2012年6月04日 11:25:23 : oZZpvrAh64sJM : jxPjVcZe2g
みなさまこんにちは

新しく記事を投稿しました。
皆様とのやり取りで感じたことなどが少し反映されているかと思います。

よろしければお寄りください。

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/891.html


121. 宮島鹿おやじ 2012年6月06日 10:36:18 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様

荷車を押して坂を上ろうとしたら、ふくらはぎが肉離れしました。
しばらく静養します。情けないです。

ただ、一つ気になるのが、以前、スレッドで、左右の胸の厚さが違うというお話があり、全く理解不能だったのですが、どうも、最近、特段、筋力トレーニングをしていないにもかかわらず、筋肉がわずかに「膨張している」感じがします。庭の雑草は妙に背が高い・・・。セシウムなどの影響では?と思ってしまいますが。気のせいでしょうか。


122. 2012年6月06日 23:06:12 : Q5EbSKfnNc
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>荷車を押して坂を上ろうとしたら、ふくらはぎが肉離れしました。

私も2〜3日前になりましたよ。

>最近、特段、筋力トレーニングをしていないにもかかわらず、筋肉がわずかに「膨張している」感じがします。

まず現象を観ましょう。
「ふくらはぎが肉離れした」
「膨張している」
足は胴体に付いています。
胸の「膨張」は左右の厚さと、プラス前傾です。
現象を掴むと、それは胴体が捻じれてきたことです。
夏向きの、汗を出し、行動する胴体へ変化しているのではないでしょうか。

小便は、どうですか。
ふたっに割れる?
気のせいではありません。


123. 2012年6月06日 23:34:11 : Q5EbSKfnNc
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

> 庭の雑草は妙に背が高い・・・。セシウムなどの影響では?と思ってしまいますが。気のせいでしょうか。

我が家の庭の花も背が高いです。
途中で折れています。
弛緩しているのです。

さらに、今年は豊作です?
タマネギも大きい。

気のせいではありません。


124. 宮島鹿おやじ 2012年6月07日 21:35:32 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様

一緒に調査をおこなっている同志の住む家の近くの土手には、五つ葉のクローバーが珍しくありません。東京多摩地方です。

小便は、最初二つに割れましたが後ほど合流しました。(笑)

気のせいではないのですね。
時間を有意義に使うべきだと思いました。
いったん休止中のいくつかの課題に取り組まなければなりません。
すこしお時間をください。


125. 2012年6月08日 01:05:46 : yx2dnu5ff2
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>時間を有意義に使うべきだと思いました。
「時間」へのかかわりはエネルギーの量です。
大量に消費すれば「時間」は短縮されます。

例えは、新幹線と在来線の差です。
東京・広島は新幹線で5時間でしたね。
私が上京したときは、広島夜10時発、東京翌朝10時着でした。
つまり、12時間かかりました。

今は5時間に短縮されていますね。
背後にエネルギーの大量消費があります。

「時間を有意義に使う」ことは、エネルギーを必要以上に大量に消費をしないことになるかと、思います。

かってエネルギーの使い方は2通りありました。
東側は、小さいロケットを何本も束ねて、有人衛星を打ち上げていました。
西側は、大きく、太いロケット1本で、有人衛星の打ち上げでした。

周りを見れば、私たちは自分の環境を維持するだけで、大量のエネルギーを消費しておりますね。
クーラー、電気炊飯器、電子レンジ等等。

「時間を有意義に使うべきだ」は、私たちの生活を見直す、大変な視点の提起ですね。
その提起を感謝します。


126. あやみ 2012年6月08日 20:38:05 : oZZpvrAh64sJM : QKn5jzY2UU
時間とエネルギーの関わり、これは大きな命題です。
学生の頃からずっと胸に引っかかっていました。

時間を短縮するためにエネルギーを消費します。
交通や機械類、電気機器を利用するわけですが、利用者がエネルギーを消費するわけでなく使用料を貨幣で支払うことで消費します。

その貨幣はエネルギーの原価、インフラの敷設・整備・運営費そしてそれに携わる人々の利潤に変わります。

我々は時間を短縮することができました。十日かかる仕事を一日で済ませることができれば同じ時間で十倍の稼ぎになる。エネルギー使用料を支払ったとしてもまだまだ儲かることになる。

そこで利口な者はさらに設備に投資することで一日の仕事を一時間で済ませることを可能にします。

ですが、その裏では必ずエネルギーが消費されます。

10日×8時間で生産していたものが一時間でできてしまうので、無論消費者の皆様にどんどん買っていただかねばならない。そのために価格を下げますがどうするか、それは生産品の画一化と更なる大量生産化です。

そんなものを誰が買うでしょうか、ところがよく売れるのです。なぜなら、消費者のほうがとうに画一化された大量生産品にされてしまっているからです。もちろん「学校」をはじめとする社会制度からにです。みな同じようなものに価値をおき、他人と違うことを怖れ、風潮というものに疑問を抱かない。

「これが資本主義原理なのだから仕方がない」
人はそういいます。なぜ仕方ないのでしょうか、なぜそれが正しいと思い込んでいるのでしょうか。生産ラインに乗せられていることがなぜそんなに誇らしいのでしょうか。

その裏では必ずエネルギーが消費され続けられます。そのすべてが時間として還元されているかといえばそうではない。厄介な副産物がついてきます。

産廃、公害、残飯、肥満、環境と身体と精神の破壊。そして原発。
短縮して稼いだ時間は環境改善や病気の治療に費やすことになるでしょう。幸せですかと聞きいてみたい。

この世は時間とともにある。この世で生きる限り時間の流れには逆らえません。それに気づかず時間を無尽蔵に短縮することは時間の流れに逆らう行為、結果は目に見えています。
「時間を有意義に使うべきだ」これに尽きます。時間とはこの世での人生です。この世に生をうけたものとして何が有意義かということをを考えてゆかねばなりません。


127. 2012年6月09日 09:00:57 : lbT4YPk3LI
あやみ さま
安芸ガラスです。

>時間を短縮するためにエネルギーを消費します。
交通や機械類、電気機器を利用するわけですが、利用者がエネルギーを消費するわけでなく使用料を貨幣で支払うことで消費します。

時間とエネルギーと貨幣。
この辺に、宮島鹿おやじ様が主張される近代の科学主義、つまり、原因と結果の枠組みが挿入されています。

ニュートンの時間。
資本の回転を速くするために、時間にエネルギーをつぎ込んで、お金にする。

あやみ さま、宮島鹿おやじ様の、そして私、安芸ガラスの「胸に引っかかっていました」ものの共通点があるのではないでしょうか。


128. 2012年6月09日 11:01:19 : lbT4YPk3LI
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>時間とエネルギーと貨幣。
近代の因果律的決定論への手掛かりではないでしょうか。


あやみ さん
>時間とエネルギーと貨幣。
こよみ改編後の社会ですね。

物理的時間は直線。
でも、これて、幻想?かもね。


129. 2012年6月09日 23:14:06 : u5lMJe5mLc
宮島鹿おやじ様
あやみ さま
安芸ガラスです。

きょう本屋に行きました。
刺激的な本を発見しました。

小倉紀蔵著
『朱子学化する日本近代』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4894348551/ref=dp_toc?ie=UTF8&n=465392

目次

第1章 朱子学化する日本近代
第2章 儒教的〈主体〉の諸問題
第3章 朱子学の論理的始源
第4章 〈朱子学的思惟〉における〈主体〉の内在的階層性
第5章 〈主体〉と〈ネットワーク〉の相克
第6章 〈こころ〉と〈ニヒリズム〉
第7章 〈主体〉、〈ネットワーク〉、〈こころ〉、〈ニヒリズム〉
第8章 国体論、主体、霊魂
第9章 明治の「天皇づくり」と〈朱子学的思惟〉 〔元田永孚の思想〕
第10章 福澤諭吉における朱子学的半身
第11章 〈逆説の思想史〉が隠蔽したもの 〔丸山眞男における朱子学的半身〕
第12章 「主体的な韓国人」の創造 〔洌巖・朴鍾鴻の思想〕
第13章 司馬遼太郎の近代観と朝鮮観 〔朱子学理解をめぐって〕
第14章 白馬の天皇のあいまいな顔 〔儒教・カリスマ・近代〕
第15章 おわりに 〔日本近代とは何だったか〕


『創造する東アジア: 文明・文化・ニヒリズム』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4393366352/ref=dp_toc?ie=UTF8&n=465392

目次

第1章 〈文明〉と〈文化〉

1−1 〈文明〉とは〈2〉である
1−2 〈文明〉の運動=〈文明〉の〈文化〉化
1−3 〈文化〉とは何か
1−4 〈文明〉と〈文化〉の関係

第2章 人間とは何か----〈文明〉と〈文化〉の主体

2−1 主体の関係性
2−2 主体と知覚像
2−3 心と物
2−4〈文明〉〈文化〉と知覚像
2−5 多重主体性

第3章 〈文明〉と〈文化〉、そして〈社会〉
3−1 多重主体主義と〈文明〉〈文化〉
3−2 多重主体主義と世界
3−3 社会とは何か
3−4 現代社会と〈2・1・0〉

第4章 〈2・1・0〉の〈世界〉観

4−1 ふたつの世界観
4−2 新しい〈世界〉観へ
4−3 〈文明〉〈文化〉をめぐる認識
4−4 文明論と文化論
4−5 〈0〉の立場

第5章 東アジア三国の〈2・1・0〉的自己意識

5−1 東アジアの〈2・1・0〉
5−2 中国の文化・文明論的自己意識
5−3 朝鮮の文化・文明論的自己意識
5−4 日本の文化・文明論的立場
5−5 〈2・1・0〉の誤謬
5−6 〈2・1・0〉の創造性

第6章 中国----儒教の〈文明〉〈文化〉論的性格

6−1 〈文明〉=〈文化〉----孔子の戦略
6−2 老荘(道家)の世界観
6−3 文明の貧弱化----儒家の文明論的戦略
6−4 伝達される朱子学

第7章 朝鮮の自己意識----〈小中華パラダイム〉という戦略
7−1 朝鮮の〈根源的な表象〉
7−2 朝鮮王朝の〈文明〉論
7−3 近代へ

第8章 日本文明論・日本文化論と〈2・1・0〉

8−1 なぜ日本「文化」論なのか
8−2 「日本=〈0〉」の諸相
8−3 日本の〈世界史〉的な自己意識
8−4 戦後日本の〈0〉----〈0〉的自己意識への批判としての〈0〉的〈文化〉論

第9章 漢字の不透明性と東アジアのエクリチュール

9−1 東アジアの言語を考えるということの前提
9−2 「日本語」と「朝鮮語」
9−3 透明性と不透明性
9−4 東アジア・エクリチュールの未来

第10章 朝鮮の美と時間意識

10−1 朝鮮の美とは何か
10−2 白をめぐって
10−3 美と時間意識

第11章 今、よそ

11−1 加速度から躍度へ
11−2 藤原定家の〈よそ〉
11−3 道元の〈よそ〉

第12章 三島由紀夫は何を代表したのか

12−1 三島由紀夫というイコン
12−2 「みやび」とは
12−3 「文武両道」とは
12−4 「代表」概念への対案

終わりに ディープ・フラット


130. 宮島鹿おやじ 2012年6月10日 13:12:40 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様

今、地元の中央図書館に行ってきましたが、ありませんでした。
「朱子学化する日本近代」を発注しました。
まずは読んでみます。


131. あやみ 2012年6月10日 21:18:45 : oZZpvrAh64sJM : zCo1BKjZVg
安芸ガラスさま

直球です。
ぜひ読みたいです。
両親が日本から遊びに来るので頼もうと思います。


132. 2017年3月19日 22:20:55 : nwgQg6jEEg : hQ1MVYU0KYg[4]

・・・(略)

●前から言ってる通り、大東亜戦争は第二次元寇だったんでつね。

朱子学は可汗一味に対する滅びの呪文「バルス」なんでつよ。

だから下等生物ホモぱよペドゾンビキムは必死に難癖つけてるんでつよ。

下等生物ホモぱよペドゾンビキムは必死に「朱子学ガー!バカ○ョンガー!」と喚いてるが、認知バイアスのバカ○ョンが朱子学を歪曲して涌いたような「両班」なんて日本には発生しなかったんでつよ。

要するに日本の朱子学とバカ○ョンの認知バイアス朱子学は別物なわけ。

それをツギハギして下等生物ホモぱよペドゾンビキムが喚いてるのは戯言でしかないんでつね。

わかり松。

( ゜∀゜)・∵ブハ八ノヽ/ \!!!!!!!!


by 匿名党ヲチスレ
http://ameblo.jp/tenkomoriwotisure/


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