★阿修羅♪ > 原発・フッ素24 > 179.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
阿修羅諸兄の意見を求める  〜南相馬市からの回答について〜
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/179.html
投稿者 宮島鹿おやじ 日時 2012 年 5 月 27 日 00:56:51: NqHa.4ewCUAIk
 

先日、ある市民団体より質問状が市長に手渡された。「黒い物質」にみられる深刻な放射能汚染の状況に対する、南相馬市の現状認識と今後の対策を質すものである。そして、一昨日、南相馬市よりその回答があった。

以下のブログにその問答が公表されている。

http://d.hatena.ne.jp/mogch/20120526


要約すると以下の通りとなる。


質問1:「黒い物質」のような高濃度汚染物質が存在し、プルトニウムやストロンチウムが含有されているが、市として実態調査するつもりはないか。
回答1:国が土壌測定・評価しているから、やるつもりはない。


質問2:内部被曝の危険性についてはどう考えているのか。
回答2:ホールボディカウンターで調べているから大丈夫だ。


質問3:この先、健康障害がはっきりしてきたら、誰が責任取る。
回答3:東電と国が責任とる。


質問4:黒い物質の除染の方法は何か工夫するつもりあるのか。
回答4:除染計画に基づいてやる。借り置き場設置に努める。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/mpsdata/web/5377/josenkeikaku_ver1.pdf


質問5:空気中のダストサンプリングから放射能が確認できたら(=住民内部被曝の証拠があったら)住民を避難させるか。
回答5:国と県の調査では確認できていない。

このやりとりについて、阿修羅諸兄のご意見を賜りたい。

なお、私の意見は以下の通りである。

1.南相馬では、専門家ですらあまり経験しないような極端なベクレル数の放射性物質が「道に落ちている」。この異常事態をもってしても、国の土壌分析・評価を持ち出して自主的調査を行わないという言明は、火災が発生して家屋が燃え盛っている状態で、「工務店は、この家は火事にならないといっていた」とつぶやき、消火作業を行わない家主のようである。


2.ホールボディカウンターは、ガンマ線のみを検出し、アルファ線、ベータ線は感知できないと聞く。内部被曝について、より深刻な問題となるのはベータ核種、アルファ核種によるものである。「WBCで測っているから大丈夫」これは、ある種の「まじない」のように感じる。


3.全体として、国の言うとおりに従うといいつつ、責任は国にあるという感覚は、現状における地方自治の貧困をもっとも露骨に示すパロディのようだ。


4.除染推進委員長は、ご存知、児玉教授だ。彼が除染を持ち出すことで、「避難」の道は実質閉ざされた。彼は本当に住民を無傷で救出する意思があるのか。
※ http://www.city.minamisoma.lg.jp/mpsdata/web/5125/jirei.pdf のp10参照

5.そもそも「福島県の崩壊を防ぎたかった」県知事の言うことなど何一つ信用できないが、国や県によるダストサンプリングの測定結果は信用できるのか。

全体として、南相馬市は、この事態について、当事者意識を持っていないように感じられるがどうか。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2012年5月27日 03:15:34 : uz4zqg3c5L
黒い粉で汚染されている事実がもし無いのなら調べれば良い事ですから、真実は汚染されているということでしょう。それも公表出来ないほど酷い汚染の可能性がある。こんな子供騙しの答弁とは役所には馬鹿しかおらんようだね。

内部被曝というのが重要で生活全般と各核種の足算と年間の掛算の合計で考えないといけないのに今までの教育制度と役人登用制度、倫理道徳は馬鹿役人しか作らなかったということで永い目で見た日本国は失敗でしたね。

低被曝でも確率線量ですから数十年で全員が病死しますから100ミリ以下とか線引きをするのも無意味ですね。これは亡国の段階に入ってると考えないといけないのではないか。冥府魔道です。安全だといって絶対汚染を言わずに子供妊婦を避難させないのは皆殺しを画策されてるというのは邪推だろうか。全国に物流で汚染拡大が野放しですし瓦礫焼却も強制的に始まったというのも変でしょう。3年後に福島の子供と妊婦はどうなるのか。馬鹿役人に訴訟ですよ。


02. 2012年5月27日 03:36:04 : V0ZGO9NuVU
宮島鹿おやじ 様

お疲れさまです。
一言でいってしまうと南相馬市にしても他の福島県内の市町村にしても福島県にしても住民が減る(税金が減る)と役人はお手上げだからが本当の理由ですね。
だから放射線管理区域に本来しなければいけない土地にさえ住民を戻し除染で何とかなるとごまかす。
子供達がたまったものではないし、大人の免疫力さえ衰えてしまう。

この動画を悩んでいる福島の人々には是非観て頂きたい。
CNIC_JAPAN: いわき市議 佐藤和良さんから福島の今をお聞きしました, Recorded on 12/05/21 福島原発告訴団 http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/ 佐藤和良blog いわき再生!
http://www.ustream.tv/recorded/22746956


03. 2012年5月27日 04:40:50 : d1INYqu1to

警戒区域解除は桜井市長が国に要望した結果である為、南相馬市には相応の責任があると考える。

以下、各回答に対する私見。

1. 「黒い物質」を発見したのは民間人であり、国の土壌測定・評価が十分でない事は明白だ。南相馬市の責任放棄と言える。

2. 「黒い物質」が存在しているのにもかかわらず、「ホールボディカウンターで調べているから大丈夫だ」と判断する根拠が不明だ。実態把握の為、バイオアッセイ法を用いるべきだろう。

3. 南相馬市が警戒区域解除を要望したのであるから、全て東電と国の責任にするのは、責任転嫁でしかない。

4. 「黒い物質」のような高線量の放射性物質の除染において、作業員の健康や借り置き場の安全性をどう担保するのか、全く不明だ。
南相馬市には、このような高線量の放射性物質を扱う専門職員がいるのだろうか?

5. 回答になっていない。


04. 2012年5月27日 05:28:28 : 0HpY58mdow
☢caution☢ 黒い粉 お子様や若い女性は絶対に近寄らないでください
http://www.youtube.com/watch?v=QFssf3Y90pI
黒い粉0.6μSv/h南相馬市役所敷地内は放射線管理区域?
http://www.youtube.com/watch?v=Oup6aoh6s_8
ホールボディーカウンターとの戦い
http://medg.jp/mt/2011/12/vol343.html
6月6日、アズマ・メディカルの社長へホールボデイカウンターを依頼した。6月14日、アズマ・メディカル社長、寺崎稔氏から、「南相馬市で買う」と言ったら、大手メーカーは全て逃げて断られた。勿論、キャンベラジャパン社にも、放医研の規格に合わないからとの理由で断られた。
放医研からデータをよこす様に云われ、福島県からも、データを買うから報告するよう言われた。

市民の内部被ばく検診「ホールボディカウンター(WBC)による」の結果
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/kensa/hibakukenshinkeka2.jsp
・検査に用いた南相馬市立総合病院のホールボデイカウンターは、キャンベラ社製立位型WBC
 キャンベラジャパンは、フランス原子力庁のAREVA(アレバ)グループの子会社。
・2012年4月現在、南相馬市立総合病院のホールボデイカウンターの検出限界はCs134が220Bq/body、Cs137 が250Bq/body
・ Bq/bodyとは受診者の身体あたりの放射線量で、Bq/kgは1kgあたりの放射線量を示します。
 計算例:体重60kgの人の検査結果が1,200 Bq/bodyであった場合は、1kgあたり の放射線量は1200÷60=20 Bq/kg

尿検査・血液・毛髪検査とWBCよりも正確な検査がある事を知らされていない。
そして、WBCでは、ストロンチウム90やプルトニウム239は検出できない。


05. 2012年5月27日 06:01:38 : 1laTubqZew

>放医研からデータをよこす様に云われ、福島県からも、データを買うから報告するよう言われた。

無茶苦茶だな、ヤクザまがいじゃないか。


06. 宮島鹿おやじ 2012年5月27日 07:05:03 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
01さん
コメントありがとうございます。
教育制度と登用制度の問題について、全く同感します。以下のスレッドで細々と検討を行っています。よろしければこちらにもコメントをお願いします。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/853.html


02さん
現在動画を拝見しています。
非常に参考になります。
告訴団の件、私も参加しようかと考えています。


d1INYqu1toさん
いつもありがとうございます。
このスレッドでのコメントは、そのまま、市民団体へのアドバイスとなります。
本当にいつも参考になる情報・確固とした考え方の提示をありがとうございます。


04さん
多くの情報をありがとうございます。
ホールボディカウンターについていろいろな問題があるようですね。
南相馬の名前を出したら、メーカーが逃げたとのことですが、私も、検体測定の依頼を、著名な測定機関にしたとき、南相馬の名前を出したら断られました。


05さん
>無茶苦茶だな、ヤクザまがいじゃないか。

なんか、本当にいやになりますよね。
私たち一般市民の社会の中に、(あるいは裏、底に)特殊な世界があるのだと思っていましたが、もしかしたら、私たち一般市民のほうが、そういう特殊な世界に包囲されているような気がしてきました。


07. 2012年5月27日 08:13:56 : tJqvT6nf9o
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

 おやじ様の行動に敬意と感謝を表します。

以下、「このやりとりについて、阿修羅諸兄のご意見を賜りたい」とあるから、私の意見を述べます。

 自治体が行う処分(行為など)の根拠は法令です。
法令とは法律と施行令のことです。
それと、自治体の条例と規則です。
これが、私たち住民が自治体と政府を動かす武器です。
 これを踏まえて、やりとりについての意見を述べます。


 質問1:「黒い物質」のような高濃度汚染物質が存在し、プルトニウムやストチ     ウムが含有されているが、市として実態調査するつもりはないか。
 回答1:国が土壌測定・評価しているから、やるつもりはない。
 
 安芸ガラス:環境調査などの条例があれば、それに「黒い物質」の調査を押し付       けたらいかがでしょうか。


 質問2:内部被曝の危険性についてはどう考えているのか。
 回答2:ホールボディカウンターで調べているから大丈夫だ。

 安芸ガラス:危険性ではなく、HBは「アルファ線、ベータ線は感知できない」       から市長の判断(注1)で測定の追加を求めたらいかがでしょう        か。


 質問3:この先、健康障害がはっきりしてきたら、誰が責任取る。
 回答3:東電と国が責任とる。
 
 安芸ガラス:「責任」については「原子力損害賠償法」に定義されています。
       しかし、「損害」の範囲があまりにも、私たちの日常の損害とかけ       離れていますから、それに相応する責任の範囲も、私たちの日常生       活の責任から大きく外れています。
       ですから、国が定義している損害と責任の範囲を、埋める作業が必       要です。
       その作業を住民が、自治体に押し付けることはいかがでしょうか。


 質問4:黒い物質の除染の方法は何か工夫するつもりあるのか。
 回答4:除染計画に基づいてやる。借り置き場設置に努める。

 安芸ガラス:「除染計画」の中の住民が関与できるポイントを探すことです。
       そのポイントを探しましたら、それを争点にすることです。
       争点とは、住民の是非と問う、政治の焦点のことです。


 質問5:空気中のダストサンプリングから放射能が確認できたら(=住民内部被     曝の証拠があったら)住民を避難させるか。
 回答5:国と県の調査では確認できていない。

 安芸ガラス:住民避難の根拠は「災害対策基本法」です。
       しかし、「避難区域」の設定と実施には、いわゆる「財産権」をク       リアーにする必要があります。
       法律で明記されていますが、現状は自治体が実施するには非常に困       難です。
       ですから、自治体が住民避難と云う処分を実施し易い環境を、一緒       に求めて行くことではいかがでしょうか 


 総じて、全体として、私もかって劣化ウランとモナザイトの処分を求めて、市と県とに交渉を求めた体験があります。
 自治体は条例と規則を根拠として動きます。

 しかし、自治体は住民の怒りに直接依拠しても動きます。(注1)
 回収したモナザイトは、今でも文部科学省の駐車場に車両で保管されています。
これは、どんな法律の施行令にも基づかない処分の例です。
ご参考にしてください。
 
 連帯のあいさつにもとづいて書きました。


08. 宮島鹿おやじ 2012年5月27日 08:29:01 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様

繰り返し拝読します。
尊き連帯・支援に対し感謝いたします。


09. 2012年5月27日 08:39:02 : fLQY0RUsCk
諸事情あるのだろうけど、いまだ、南相馬という被爆地に子供をおいている自治体も学校も父兄も気が狂っている。なぜ、そのままだといずれ死ぬ、いや殺されるということがわからないのか?大変悪い言葉で恐縮なのだが、知能を疑うよ。これだけ情報があるのだから、棄民政策が実施されているということにいいかげん気づけ。プルトニウムなんて、たった1個のパーティクルを吸い込んだだけで、人生終了なのだよ。

10. 2012年5月27日 10:18:13 : tJqvT6nf9o
09さん
安芸ガラスです。

>これだけ情報があるのだから、棄民政策が実施されているということにいいかげん気づけ。

お話る通りです。


さて、「微量な放射線は健康に好い」との主張は、もちろん論外です。
その上で今、政治に求められているのは、1事故の収束、2損害の補償、3原発の停止です。
しかし、1事故の収束は、日本側に核物質の所有権がないから政府の判断ではできません。
このため4号機なども手をつけることができません。
2損害の補償は、最初から設定の枠が狭いから「避難地域」の設定が実用的ではありません。
一方日本の核政策を担う東京電力へのお金の集中は本来の法律の趣旨から、云って実用的です。
3原発の停止は、日本に核物質を提供している「日米原子力協定」などの破棄が必要です。
オバマは「核のない世界」を宣言しました。
それに基づいて、自国の再処理工場を閉鎖しました。
そこで、東海村、六ヶ所村の再処理工場が米国の核政策を下請けの関係で担っています。

直近、核の問題について与野党で論議されているのは、原発「規制」庁設置の件です。
論議の中心は、核施設を運営する人たちの管理のことです。
米国の核政策の下請けになっているからです。
この「規制」庁設置と3月のソウル核サミットが国際政治の焦点となっております。

さらに、核廃棄物中間施設の国際管理も課題となっています。
ご存じのように、米国、イギリス、フランスなどは、日本もそうですが最終処分所を持っていません。
ですから、使用済み核燃料棒などをプールで保管をしている状態です。
これを、日本と云う地域で一本化して、国際管理をしようとする件です。
そのために、政府は自治体に対して「がれきの受け入れ」、あるいは民主党は「使用済み核燃料棒の都道府県への分散管理」を公表しております。

09さん
>これだけ情報があるのだから、棄民政策が実施されているということにいいかげん気づけ。
どうぞ、あなたさまも気づいてください。
西日本にがれきを移動させられたら、日本全国逃げ場がありません。

日本の政治の決定は表向き国会です。
憲法の構造からして、国民の生死にかかわる政治の決定に、国民は関与できません。
ですから、国民が政治を動かすには、国会での賛否に関与できる関係をつくりだすことです。
政党は、さしあたり「国民の生活が第一」の人にお願いするしかありません。
しかし、議員は選挙区がありますので、ここで直接関係をつくりだすことになります。

>人生終了なのだよ。
さいごのさいごまで終了ではありません。


12. デミトリー 2012年5月27日 11:55:47 : 2kYVIsTHbi0XM : PHArAzRLT2
おおむね皆さんの行ってることに同意です。

地方の公務員は、市町村に雇われているのですから、市町村が消滅するような方向へは舵を切ることは期待できません。今避難させて失業するか、30年後に人がいなくなって失業するか。安全だという説が正しければ、30年後にも失業しないかもしれない。正しくあってくれ!と神に祈る気持ちでしょう。彼らにも家族はいるのでしょうし。

彼らが、住民が死滅するまで失業を引き伸ばすつもりなら、住民には総員避難して彼らを失業させてやるという覚悟が必要かと思います。そういう駆け引きが必要ではありませんか?
一人で、対策をとらないなら転居するといったって、どうぞと言われるだけです。
市長や議員は選ばないことはできますが、職員はやめさせることはできない。
今まではそんなことを考える必要はなかったけど、必要な時代に入ったのかもしれない。

南相馬市民がどう思ってるのかさっぱり分かりませんから、そういう活動が成立するか分かりませんが。
僕は、フルアーマー枝野さんを見た時に恐怖を感じましたよ。
メディアは、枝野さんを馬鹿にする方向にもって行ってしまいましたが。


13. 2012年5月27日 12:03:42 : WgB9ufWSRA
>「黒い物質」のような高濃度汚染物質が存在し、プルトニウムやストロンチウムが含有されている

> 黒い物質の除染の方法


「黒い物質の嫌がらせや、テロ行為への材料としての悪用を先ずもって防げ!!」


核燃料の一部であるかとはじめ報道されたほどの高濃度で危険な放射性物質の粉状の物体ですよね。竜巻のような強風が吹けば大気中に舞い、それを呼吸で吸い込めば、プルトニウムの猛毒性によって、長期の内部被曝で確実に癌を発症させることになります。


放置できない物質です。役所が率先して動かないなら、ご近所で被曝に十分に注意して集め、落とし主不詳で警察に届けてください。劣化ウラン弾にも使えそうな危険な放射性物質をそこいらに放置すれば、水源地投入など、嫌がらせや、テロ行為の材料に悪用されかねません。その意味からも警察で厳重保管してもらうことが適切で必要です。


14. 2012年5月27日 12:27:30 : tJqvT6nf9o
デミトリーさま
安芸ガラスです。

>市長や議員は選ばないことはできますが、職員はやめさせることはできない。
今まではそんなことを考える必要はなかったけど、必要な時代に入ったのかもしれない。

同感です。
通貨単位の円創設と都道府県の設置は国際公約でした。(注1)
後発地域の「自由貿易」への参加は、これまでの銅・銀・金の通貨・藩札の廃止と廃藩置県が必要でした。

いわゆる福島県や南相馬市などの自治体の目的は市場の創設です。
ですから、私たち住民は、当時の支配者の国際公約に縛られる必要がありません。
放射能汚染は、当時の国際公約を見直しを暴露しています。

注1
1866年6月にイギリス、アメリカ、フランス、オランダとの間で、安政五カ國条約を調印します。
そのさい、付属文書の「改税約書」(かいぜいやくしょ)を合意します。


15. 2012年5月27日 12:37:47 : Ou9gNrUIb2
相馬市長は、進むべき方向を指し示し、住民、職員から知恵を集め、県と国に協力を求める責任者だし、そうできる立場にいる人です。

上記を見ると、勇気も判断力もない人に思えます。


16. 2012年5月27日 14:03:26 : Qmg57383Oc
科学は、実験や観察、その検証。現場、現物第一。フィールドワーク。国や自治体が、どこかから言うモノではない。全部嘘ということ。経済や、社会システムが非科学上にあるものであるということ。しかるに、法など無い。犯罪。

17. 宮島鹿おやじ 2012年5月27日 15:07:07 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
09さん
プルトニウムの危険性について喚起していただきありがとうございます。内部被曝については、あまりにも意見が分かれていることが今日の事態の最大の原因と考えています。

11さん
コメントありがとうございます。御巣鷹山の墜落事故に関する情報、折を見て確認してみようかと思います。

デミトリーさん
いつもありがとうございます。
役人の中には、「まず、藩があって、そのための領民がいる」という感覚の人がいまだに多いのではと思います。それは住民の側(あるいは下級行政庁)にも言えるのかもしれません。「お上が決めたことだから間違いない」

13さん
事態の危険性について喚起していただきありがとうございます。
なお、発見した市民団体のメンバーである市議は警察署に測定報告書を提出しましたが、受け取ってもらえなかったそうです。「法治」という概念が通用しない世界となりつつあるように思えます。

15さん
>進むべき方向を指し示し、住民、職員から知恵を集め、県と国に協力を求める責任者だし、そうできる立場にいる人です。上記を見ると、勇気も判断力もない人に思えます。
残念ながら現時点ではそのように思えます。

16さん
コメントありがとうございます。全く同意します。
要領のいいこと(経済効率性)が最優先されすぎ、お金をたくさん国から持ってくる人が大学のリーダーとなったという経緯と軌を一にします。「本分」という言葉を想起いたします。


18. 宮島鹿おやじ 2012年5月27日 15:13:27 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様

現在、生体濃縮情報の補完などの作業中であり、ご示唆いただいた、「原子力損害賠償法」「災害対策基本法」についてはまだ斜め読みした程度となっています。懸案の朱子学にいたってはほとんどストップ状態です。

江戸時代にまで遡るご考察は、「間違いなく、必ず、有益である」と思います。
どうぞ、多くの方を巻き込むような意見を述べていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。


19. 2012年5月27日 15:43:10 : kejlwA5Rsw
国にとっても手に負えないって事だと思う、
責任は国に求めるべきだが、
果たす意思も果たす能力も無いと考えるのが妥当。

要は危険地帯からは逃げ出すのが最良の策だと。


20. 宮島鹿おやじ 2012年5月27日 16:29:12 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
19さん

そのとおりですね。
もともと事故があったとき、適法な対処など不可能なシロモノだったと。

作成に協力している「黒い物質マップ」のアップデートを行いました。
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=208348429529311620996.0004be6c4d6bc326ab9b6&msa=0


21. 2012年5月27日 16:58:35 : 1L2R1YYxP6
鹿おやじ様。いつも、いつも核心をついた、しかも住民の立場にたった、やさしい視点での投稿を拝読し感謝しつつくらしています。ありがたいことです。

おひさしぶりです。松島オバサンです。鹿おやじ様のことは、うちの家族中に話しており、うちの有名人です。昨年の今頃から鹿おやじ様の投稿を参考にしております。東北道の放射線測定なども大いに役立ちました。

あれから1年。やっと避難のめどがたちました。しかしそこも宮城県北部で、けっして安全ではありませんが、今すんでいる南部よりは、線量が低く、食べ物に気をつければ(といっても安心はできませんが)何とか暮らせそうです。もっと早く引越ししたかったのですが、宮城県は、ご存知のように被災3県のうちもっとも犠牲者が多く、津波で家を流された沿岸部の方が、内陸部にたくさん住んでおり、賃貸も中古住宅もない。皆無!そこに福島県の被災者の方も避難している状況で、我が家の入るスキがなかったのですが、知り合いの家が空家になりそこに住めることになりました。

わたしの住む宮城県南部のA市も、汚染状況重点調査地域に指定され4月から除染作業の住民説明会が各地域で始まっていますが、国のやることに従っているだけで、いやいややってる感じです。市役所の連中は。質問にもまともに答えられず、ばかみたいに、ただ、いばりくさっている市役所の連中には、本当に頭にきています!3月8日の住民説明会で、放射能をこわがるわたしをさんざんこきおろしました。いまかんがえてもほんとに悔しいです!そしてもっとひどいのは、土の問題です。土の
汚染は市がしらべていないのです。放射線測定を無料でしてもらえるので、野菜と土と米をもっていったら、野菜しか測定してもらえず!米と土は民間機関で有料で測定してもらい、米は低かったのですが(実家の米。それも2010年産の)我が家の土が問題!あまりに高すぎ、一気に避難へ向けて気持ちが加速!もうここに住みたくはありません。

たまたま自分は看護の仕事をし仕事上の経験もふまえ放射線の怖さを知っているからこそ、みんなに訴えてもきましたが、自分がおかしいのかとおもったこともあります。放射線、放射能のことをいうといやがるんです。こんなに深刻な状況なのに。こんなことがありました。近所の人が、ほうれん草を大量に持ってきてくださったのをお断りしましたら、しっくりいかなくなりました。実家に遊びに行きそこにちょうど、近所の方がコシアブラという山菜を下さったのですが、わたしにおすそ分けしようとした母に、はっきり放射性物質の値(宮城県は山菜の値を出しているので)をいい、いらない!といったら、そばにいた弟が、わたしをバカにしたように「専門家ぶってばかみたい!」というではありませんか!以後弟とは口を利いておりません。
いったいなにがこんな状況を作っているのか。きちんとした放射線の知識を持たない人があまりにも多い。そのことによる被害の拡大を懸念するのです。
私の知人に南相馬市の実家が、警戒区域の近辺にあり家のすぐ前に常時パトカーが駐車しているところだそうですが、低いから警戒を解けというので、線量をきいたら毎時0.3マイクロ!もうやってらんない!ちゃんと勉強せい!といいたいのをこらえるしかありませんでした。




22. 宮島鹿おやじ 2012年5月27日 17:19:14 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
松島さん

お久しぶりです。まずはお元気そうでなによりです。
避難先が見つかりよかったですね。
今回もリアルな現地報告をいただき、本当に参考になります。

>市役所の連中は。質問にもまともに答えられず、ばかみたいに、ただ、いばりくさっている市役所の連中には、本当に頭にきています!

そこなんですね。なんで役人は無能であるのにえばるのか。無能だからこそえばるのかもしれない。空虚感が強いほど、外形的なものに依存する・・・。

>そばにいた弟が、わたしをバカにしたように「専門家ぶってばかみたい!」というではありませんか!

↑のマップ作成を共同で作業している人も、私も、そのような疎外感を常々抱きつつ毎日を過ごしています。何もなければ「出る杭は打たれる」方式でもいいでしょうが、世界史的な危機にあってもそのような雰囲気では・・・。本当に日常の慣性力というものは強力です。なんにせよ、志のある方々との連帯こそが必要だと思います。今後ともよろしくお願いします。時々は、もっとコメントしてください(笑)


23. 2012年5月27日 17:30:08 : PgPCz6UqVU
宮島鹿おやじさま

量子力学男です。私も安芸ガラスさま同様、宮島鹿おやじ様の行動に敬意、感謝
をいたします。

(量子力学ではなく、中庸を旨とする故に、老子力学と称したい此の頃ですが、そこまで尊大にもなれない小心者です。)

以下、己の意見ですが、

質問1:「黒い物質」のような高濃度汚染物質が存在し、プルトニウムやストロンチウムが含有されているが、市として実態調査するつもりはないか。
回答1:国が土壌測定・評価しているから、やるつもりはない。

意見:行政として、より上位には逆らえないという、ありきたりで正直?な返答です。むろんこれは責任を問われたくない、取りたくない、自分の時代は無難で終わりたい願望によるものだと推察されます。どの公務員の現場でも、基本として大勢をしめるのは「今さえよくば、我さえよくば」の願望だと認識しております。
ほとんどの公務員の方が望むのは、「この国、この世界をより良くしよう」では無く、退職後、老後に至る生活に他よりも有利である、という計算ではないでしょうか。その当初の目的に適う判断として、上記の回答が出てくる一面を否定できません。

質問2:内部被曝の危険性についてはどう考えているのか。
回答2:ホールボディカウンターで調べているから大丈夫だ。

意見:上記に関連して、内部被曝による住民が置かれている危機の存在は、認めてしまうには余りに、人生設計が狂う現実ですから、保身には「見ないこと、無かったこと」に自身に言い聞かせることが、大方の自治体職員の思考に共通するものだと推察されます。WBCそのもに関しても、それをよく知ろうとしないことで一致しているでしょう。それが何なのかを知れば、自分の目標(人生計算)が狂うことになります。より、上位から「そう回答するように」という書面が周っていることでしょうから、思考停止の状態で、上記の回答を行うことが、「自分がなすべきこと」と自分を洗脳しているでしょう。洗脳状態の人間には、対処する事態が困難です。


質問3:この先、健康障害がはっきりしてきたら、誰が責任取る。
回答3:東電と国が責任とる。

意見:より上位の指示に従うことがすべきことと判断している以上、自治体の立場に責任の所在を置くなどという選択はありえないのが現状でしょう。
東電と国は、より上位に責任を転嫁したいでしょうが、アメリカと軍産複合体の奴隷として生きながらえて来た事実は、高級官僚と内閣経験者は自覚しているでしょうから、責任をもっていけないのですから、そこでトンでもないことをしでかします。その実態は棄民である、「自己責任」なる詭弁をもってする「無責任」の実行です。

質問4:黒い物質の除染の方法は何か工夫するつもりあるのか。
回答4:除染計画に基づいてやる。借り置き場設置に努める。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/mpsdata/web/5377/josenkeikaku_ver1.pdf

その事実には、触れないこと。その態度を通すという返答だと思われます。つまり質問には実は答えていないということですね。これらも、全ては人生計算の破綻を認めたくない願望により、自己に洗脳済みということだと思われます。

質問5:空気中のダストサンプリングから放射能が確認できたら(=住民内部被曝の証拠があったら)住民を避難させるか。
回答5:国と県の調査では確認できていない。

上記と、根は全く同じです。心の中では「(俺の人生の設計を狂わすなよ!このやろう!)」と叫んでいるのではないでしょうか。
上位から下位まで、行政は、「今さえよくば、我さえよくば」、という既定路線を破壊したくないという基本姿勢に貫かれていると思われます。

当方の認識では、この国の運営というのは、支配者の都合の良いように飼いならされてきた、奴隷の群れが日本という場所の実態であるから、奴隷長は上位の逆鱗に触れずに、上位の意図することを実行する機関として機能してきたからこその歴史であるというものです。

フクイチ過酷事故以前から、棄民政策であったことは隠されてきたわけで、それはアメリカ国内でも同様な棄民政策であったし、世界中で繰り広げられてきた支配体制のシステムそのものだと思われます。

洗脳された我々には、法律と言うのはかなり意味の無いものに成り果てていると思われます。つまり、法律を施行する者も運用するもの(警察軍事力)も、法の遵守とは違う次元で動くということも含みます。

この「帝国支配」を長らく存続させてきた力の根源について、量子論的考察(自己他者問題)と存在論と、「道」について、大変拙い考察を少々論じておりますが、一言申しますと、帝国はまもなく熱的な死という自己崩壊を起こすこと、それを延命させるパワーは「二項対立」を手放せない人類の意識に在ると言うことだと思っています。

自治体の職員(首長含む)にあるのは「虚無」であり、それはより上位から避けられぬ選択(強制ではないのだが、他を選ぶ余地が無い)により、握り締めさせられた思考形態であろうと、その思考形態から出た、上記の回答であろうと推察いたします。

では、どうすればよいかということですが、一つは(矛盾のようですが)法律により対処することで、それは過程として必要なことで、その先には、各自の思考停止状態を切り崩すことから、そこで起こるであろう「自己の崩壊」のぎりぎりの線で、双方の対立を解いて、共に考えること、存在について考えることだと思います。

熱的な死はもうすぐそこまで迫っていると感じます。人類の誰もが自己崩壊から回帰し、自己存在の再生に至る時期に来ていると、個人的には信じます。


24. 2012年5月27日 20:37:17 : aeXXeN33mY
松島オバサン様
安芸ガラスです。

私も近所の農家の人が、昨年「今年は豊作」とのことで、ダイコンなど大量に持ってきて下さいました。
明らかに太いダイコンでした。
根の上の部分、つまり茎にあたる箇所が、分化するさいに弛緩している状態でした。
根の状態に放射能が降りかかってのですね。

私が住んでいる県北部のハクサイの葉は全部つながっていました。
福島浜通りのタマネギは、実に巨大でした。
さらに、私の家の庭のタケノコは2つ頭がありました。
まぁ!せっかくだから頂きました。

ともかく生きていくことです。

ここからが本題です。
例えば大人が生きていくのに1日200`のたんぱく質が必要とします。
これを個体維持と子孫繁栄ならびに要求実現のために体を動かすエネルギーに変換します。
エネルギーにする割合は、呼吸が199キロ、水が950グラム、食べ物が50グラムの割合です。

そして、そのエネルギーの97.5%は体の維持のために消費されています。
個体維持と子孫繁栄のためは2.5%です。

しかし、現実にはエネルギーが徹底的に消費されておりません。

移動は電車。
夏はクーラー。
調理は電子レンジとガスコンロ。
水は水道。

ですから放射能の排泄は、日常生活とかけ離れた課題ではありません。
放射能入りを食べても食べなくても、呼吸によって変換されたエネルギーを一緒に使いきることが人間と社会の課題です。

私たちが植物のことは、排泄はありませんでした。
動物になったからです。
それで排泄器官が分化してまいりました。

自発的に動くこと、これがエネルギーを使いきるコツではないでしょうか。
ともに生きていきましょう。


25. 2012年5月28日 06:05:23 : 1L2R1YYxP6
安芸ガラスさま。松島オバサンです。貴重な情報、アドバイスをほんとうにありがとうございます。

動かなければ、(いろんな意味で)だめですね。

呼吸によって変換されたエネルギーを使う、という、いつもやっていることだけれど意識していないことをもっと深く考えなければいけませんね。大事なことをおしえていただきました。
安芸ガラスさまも鹿おやじさま同様に優しい方で、鹿おやじ様ととてもいいコンビ(失礼かもしれませんが)でほほえましく拝読しておりました。

気になったこと。やはり植物は、大きくなっているのでしょうか?
うちの芍薬が、妙にデカイ!気がしていました。気のせいだといいきかせておりましたが。
主婦やって32年ですが、スーパーへ買い物に行き、原発事故後明らかに変化しているのが、西日本産が増えていることです。地産地消でこれまで「安全 安心」をうたってきた宮城生協ですが、地元産の野菜のそばに、福岡産のレタス、香川産のブロッコリー、徳島産のにんじん、熊本産のたまねぎがズラリ!これまでは九州、四国の野菜などほとんどみかけたことはありませんでした。つまり東日本産は売れないのです!安い東日本産の野菜のそばに高い九州産の野菜が並んでいるのがこちらの現状です。風評被害だなんだと、さわぐわりには、かげでしっかり、自衛しているこちらの農家の狡猾さに嫌気がさしているこのごろ。


26. 2012年5月28日 07:18:19 : hVFBBf86Bo
松島オバサン様
安芸ガラスです。

> 気になったこと。やはり植物は、大きくなっているのでしょうか?
ええ、大きくなっております。

説明をします。
3月15日から20日前後、放射能の第1撃がやってまいりました。
大量に放射能がふりかかってまいりました。

この時点での植物の状態が影響の目安となります。
 種で土にあったのか。
 発芽していたのか。
 茎の状態だったのか。
 葉っぱの状態なのか。
 つぼみ状態なのか。
 実の状態なのか。

植物の特長は分化です。
つまり、どんどん伸びることです。 
放射能が降りかかる状態の次が分化にあたります。
 根になるのか。
 茎になるのか。
 葉になるのか。
根の状態に放射能が降りかかると、茎が弛緩します。
太くなります。

昨年、植物がどんな状態だったのか。
茎であれば葉に影響が現れました。

人の影響も植物が基準となります。
ダイコンと同じように頭と体が弛緩します。
横須賀の米兵のように。

今年は異変です。
遺伝子の変化のことです。
放射能による遺伝の影響だけは優性遺伝が劣性遺伝になります。

昨年3月以来、植物を観察してまいりました。
これからも、放射能の影響をうけた植物とともに一緒に生きたいと思います。


27. 2012年5月28日 07:36:03 : 1L2R1YYxP6
松島です。ありがとうございます。これからも教えてください。

28. 大山弘一 2012年5月28日 08:29:29 : eckkcJkXaszfE : goHoYaPx8o
皆さんこんにちは!
宮島さんお世話様です。

宮島さんらの協力を得て
これまで考えうる限りのことをやってきましたが
一向にめどは立たず 健康被害が継続しています。

暴いても「それがどうした?」と言わんばかりの統治者たちに自浄作用は期待できませんが 「落ちている現実、吸っている必然」はもうこれ以上看過できません。

見て見ぬふりの教員や報道はほっておいて

回収を始めようと思います。
まずは幼、保小中学校・・・際限ないとは思います。

そのうち「選挙運動だ!おらにもやらせろ!」などと
お友達が出てこないとも限りません。
まあ、「売名行為だ!」との口撃だけでしょうけど・・・。

しかし、捨て場に困りますので 
予め警察署と保健所に連絡はしなければならないと思い
これから電話します。


29. 2012年5月28日 08:37:29 : hVFBBf86Bo
松島オバサン様
安芸ガラスです。

私は若い時分、仕事の関係で宮城県で生活をしたことがあります。
津浪が町を襲った境目に住んでいました。

さて、本題です。
夏になってまいりました。
動いて、発汗作用のあるものを食べて、汗を出しましょう。

放射能がふりかかった食べ物は、離乳食の同じ要領です。
赤子の離乳食は、母乳から固形物となります。
その時機には、一旦栄養価を下(おと)します。
体が固形物でも栄養をとれるようにするためです。

われわれ貧乏人は100%市場を通して食料を調達します。
ほとんどの食料に放射能がふりかかっている状態です。
それを食べます。

体に放射能を取り入れますと、重金属中毒と同じ「症状」になります。
ですから排泄するには、1週間に1度、あるいは2日ぐらい、オカラやコンニャク中心の食生活をします。
必ず大量の排泄が起こります。

松島さんは、体のどこの箇所に汗がでますか。
 下半身。
 背中。
 首から上。
 右、左。
 上、下。

大事なことは、自分の体のどこの場所から汗が出るかを、知ることです。 



30. 2012年5月28日 09:56:52 : bDBUl7kQxQ
☢危険だとわかりきっているのにその土地から離れられないと住み続けている方々がいる・・・☢

自治体や県・国に文句言ってるけど、それでいいのでしょうか?
逃げたくても逃げられない事情、よくわかるつもりですが・・・なんとかすべきではないでしょうか? 周りのみんなもいるから・・なんて、そんなので無理やり納得してませんか?


31. 2012年5月28日 11:33:39 : AyKlhB6Pwa
近いから汚染されてるの当たり前。
今いる人たちはそれを承知で生活してるんだから、
除染も測定も止めて、なるべく地産地消で生きて行こうよ。
せいぜい頑張ってくれ。
外に物出すの止めようね。迷惑。
3月に北海道に良好に行ったら、南相馬生産のノリが食事で出ていた。
勘弁して。当然食べなかったけど。

32. 2012年5月29日 01:17:34 : ZEZF9MXti2
>>31
近いからってだけじゃ誤解ですよ。
私も最初は思いました。

海洋もそうですが、風向きや、生態濃縮は人間の英知では調べるのは無理です。
当時の風向きやこれからの天候や政府があてにならないのなら、自分のセンスで季節ごとによる風向きやデータを調べてストックする事です。
幸いデータがネット上に色々出てますから。

これからがシビアな濃縮が起こりますから。
自然が答えを出し始めるでしょう。


もうすでに一部以上の人が、自然観察をしている人は結構いますよ。


33. 2012年5月29日 02:00:59 : d1INYqu1to

東電は、放射性物質の飛散を防ぐ為に、原発の敷地に「クリコート」なる合成樹脂を散布しましたが、「黒い物質」の回収に時間を要するようであれば、次善の策としてこのような合成樹脂を利用できないでしょうか。


34. 2012年5月29日 16:04:18 : 3KJGgQYpP2
宮島鹿おやじさま
いつも有意義な投稿感謝しています。
回答に対する意見、まったく同感です。
今回の原発事故被害をめぐって、東電や国が根本的な責任をとるべき事は当然です。
しかし、同時に、この問題をめぐっては、福島県や多くの市町村当局が大きい役割を果たしてきました。
それは、福島県政が山下俊一などを使って避難防止をつとめたなどの政策上の問題もありますが、より以上に、避難区域(地点)の設定まで、その権限が、国から、国と市町村の合意事項に移行されていることにもあります。
もともと、11年の3月下旬、当時の「屋内退避」区域(20〜30K圏内)は、当然ながら、生活困難になっていました。「屋内退避」は、日本の防災指針の元になったIAEAや諸外国の規定では、2日から数日とされています。「屋内退避」(10mSv〜50mSv)は、その地域では普通の生活ができないほど危険になっていることを意味するものである以上、屋内に一時退避して、短期に線量が急低下しない限り、避難するほかないことは自明です。
ところが、福一事故の後、一か月も「屋内退避」をつづけるという小学生でもわかるでたらめを政府はつづけました。一か月「屋内」にいて、どう生活するのか、また、屋外が危険なら、外部から人が入ってこられず物資など困窮することも当たり前です。
さすがに、この問題がひどくなって、3月下旬に与野党で、この区域に避難指示をだすことがほぼ決定されました(24または25日?)。
ところが、これを行うと、屋内退避区域(一応、10mSv以上に照応すると想定)の線量を他の地域にも適用して、福島市をはじめ多くの地域や学校にも避難指示を出すことが必要になります(当然出すべきですが)。
そのため、県や市町村の激しい反対が起こり、それを背景に、この10mSvという基準を闇から闇に葬り去って(4月6日原子力安全委会議)20mという避難基準を、論議もなく決めてしまいました。
こうした経緯で再編された屋内退避解除(緊急時避難準儀区域)や計画的避難区域設定にあたっても、いわき市が避難指定から除くことを強く申し入れたことが、枝野会見で語られています(その後、枝野はこれを謝罪していますが、謝罪内容は、いわき市が要望した事実を再確認するという笑いものでした)。
しかし、その後も、避難指示区域外の各地で高い放射線量が測定され、避難区域拡大を求める声が強まりました。
ここで取られたのが「特定避難勧奨地点」というとんでもない制度です。
これは、建物一戸ごとに測って、避難地点とそうでない地点とを区分するという制度で、同じ敷地内の別の建物さえも、避難指定が分かれるというでたらめなものです(人は両方の地域を頻繁に行き来することもあるし、そもそも、風、その他で放射性物質は簡単に移動します)。一戸でも避難指示を減らしたいという、本当におぞましいしろものです。
ところで、この制度の問題は、同時に、これは、国の避難指示ではなく、国と市町村とが合同で決定する制度になっていることです。
国は、もちろん、自分にとって都合が良いからこの制度を受け入れたのですが、住民を避難させたくない、という県、市町村の強い意向が、自分たちの意向を無視して避難指示を出すなというこの制度に反映されたことは明らかです。
こんなことをやってきた県、市町村は、被曝をめぐって国に責任を押し付けられる立場にはありません。

なお、南相馬市については、このスレッドにコメントしている大山市議も述べていますが、特定避難勧奨地点設定に当たって、子ども、妊婦について、一般より厳しい基準を導入しています。
ところが、福島市は、この同じ基準の導入を拒否し、なんとしても避難地点をだすことを拒み続けています。その際、南相馬市では、子ども、妊婦のいる家を、それだけで厳しい基準で避難指定したのではなく、両側の家が避難指定になったとか、ロケーションがどうのこうのといったのですが、これが、まっかなウソであることは(南相馬市に聞けばわかることなので)すぐに分かることでした。

この投稿にあるように、除染をめぐる児玉氏からみの動きも含めて、南相馬市の問題は大きいと思います。
しかし、どんな難癖、うそをつかっても、絶対に避難区域(地点)をださないという福島市の悪辣さは、さらにそれを上回っています。
(大山市議は、福島市の説明会にも参加して、そのことを訴えていました)
福島市では、子ども、妊婦を含む多くの住民が、20mSvを超えるところまである高線量地域での生活を強いられています。

宮島鹿おやじさま、大山市議のいつもながらの健闘にあらためて感謝します。
すこしでもできることをやってゆきたいと思っているところです。


35. 宮島鹿おやじ 2012年5月30日 04:03:19 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
量子力学男様

このたびの原発事故の発生及びその後の経過の問題点としては、行政機構を構成する官僚・公務員のメンタリティというものが大きくクローズアップされるというご趣旨は、全く賛同いたします。

確か公務員は、全体の奉仕者である旨の「宣誓」を行っているはずです。これは、医療関係者の「ヒポクラテスの誓い」と同様なものと思われます。しかし、その意味を本気で考えているものはどれだけいるでしょうか。むしろ、内心では冷笑しているのではないでしょうか。要するに形骸化です。冷笑の根拠は利己主義=目先の効率主義=悪い意味での資本主義であり、まさに体制の思考ではないでしょうか。ここに、貴兄のおっしゃる「自己他者問題」がリンクしてまいります。

>では、どうすればよいかということですが、一つは(矛盾のようですが)法律により対処すること

まことにそのとおりと思われます。このあたりは安芸ガラス様のお話と同じトーンがいたします。それ以外にはない。本来は自動で動くはずの機構(たとえば自動車)の、伝達部分に、市民が思い切り力を加えて、ヨタヨタと動かしていくしかないものと思われます。

熱的死、熱力学の用語のアナロジーと思われますが、統治システムの崩壊とも訳せましょうか。「二項対立」との関連が私には難解です。できれば解説をお願いします。


36. 宮島鹿おやじ 2012年5月30日 04:11:05 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様
松島様

私の知人の家のそばに、川があり、そのまわりにちょっとした土手があります。
そこには、シロツメクサ(クローバー)が群生しています。以前より、知人は子供たちをつれて、四葉のクローバーを探しに行っていたそうですが、今年は、五つ葉のクローバーが見つかるそうです。私も見せてもらいました。

私の家の小さな庭に生える雑草も、妙に背が高いように思えます。
急死する人も多いように思える。
風景、社会、人々、少しずつその面影を変えていくように思えます。


37. 宮島鹿おやじ 2012年5月30日 04:23:39 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
大山さん

いろいろとクレームのようなことばかり申し上げて済みません。
今後は、東京における汚染状況を実地で調査してまいります。

私の感触では、

葛飾の汚染>奥多摩の汚染

という感じですね。これについては、安芸ガラスさんより、

>(葛飾の)地域は、武蔵國足立郡です。
大宮・赤羽大地の海に向かう傾斜側ですね

というコメントをいただいております。
高いところから低いところへ流れるという構造、河川による動き、あるいは、全体として風、雨水などにより表面を移動している動きなどがあるのではないかと考えられます。

一刻も早く、ひとりでも多く、危険な状態を回避するために情報を収集・公表すべきです。あわせて、全体としてどのようなメカニズムが働いているのか、黒い藍藻は、そのメカニズムの中のどういった表れなのかについて考察することが今後大切と考えています。

大山様の奮闘に敬意を表します。



38. 宮島鹿おやじ 2012年5月30日 04:32:42 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
bDBUl7kQxQ さん

基本的には私も同意見です。国や自治体がどうしようもない無能力者(人生設計者)なのだから、頼っていては命がいくつあっても足りません。危機的状況における意思決定というものを考えてもらいたいと思います。話はそれますが、西国に避難しているお母さん方のお話を間接的に聞く機会がありました。危機を察し、避難すべきと判断したのは、奥さんばかりだそうです。牛乳の味などから異変を察知したというのですが、旦那さんは何をやっているのかと思います。夫が、避難を押しとどめたり、最悪、離婚しているケースもあると聞きます。馬鹿野郎といいたいです。


39. 宮島鹿おやじ 2012年5月30日 04:50:35 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
AyKlhB6Pwaさん
ZEZF9MXti2さん

コメントありがとうございます。
とにかくひどい状況ですね。

>もうすでに一部以上の人が、自然観察をしている人は結構いますよ。

あまり話題にはならないけど、多くの人が確かに「?」と思っているはずです。


d1INYqu1toさん

いつもいつもありがとうございます。
「クリコート」ですね。 今調べました。こういうものがあるんですね。
一帯に撒いてみる。空間線量への効果、ダストサンプリング(現在きちんとやっているかどうかが不明ですが)への効果など、一つの重要な選択肢となる可能性があることは間違いないです。こうやっていろいろと意見を求めれば、確実によいことがあるのです。役所で一番まずいことは「自分たちはなんでもあらかじめわかっていて、予算を立てている」「民間人より頭がいいのだ」「なぜって登用試験を通過したから」という思い込みです。試問委員会とかつくっても、結局は事務局主導です。話がすんなり行かないと担当者の手落ちにされるシステムがまずい。これは、能とか歌舞伎とか日本人の美意識に由来するところもあるのではないかと思います。稲作において「動き」=「異変」=「凶兆」という意識が、「何事もなくすらすらと流れていくことこそ美」という意識につながっているようにも思えます。


40. 宮島鹿おやじ 2012年5月30日 05:09:32 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
3KJGgQYpP2 さん

事故後の避難区域設定の経緯について、コンパクトにまとめていただいた重要な資料となっています。感謝いたします。どうもこの避難区域がわかりずらく、今まで何回も勘違いしていることがありました。

特定避難勧奨地点 という制度がそういった性格、つまり、住民を避難させないという思惑が混入しているとは思いもよりませんでした。この制度が取り入れられたとき、細やかな測定をやるようになったんだなと思っていましたが・・・。

>こんなことをやってきた県、市町村は、被曝をめぐって国に責任を押し付けられる立場にはありません。

繰り返しますが、本当に、いざとなると、自治体は、「住民本位」から、「組織本位」になるんですね。まず、住民がいて、そのために必要な共同事務を行うために役所がある・・という意識ではない・・・。まず、「県」「市」があり、そのための収入として「領民」がいる、という感覚。これは昔の「藩」の時代の感覚と変わらないのではないかと。量子力学さんが言っている、自分だけの人生設計から考える。つまり、自治体を「パブリック」な存在としてはとらえていない、自分たちだけのための「パーソナル」な存在としてとらえている、そんな気がします。

>しかし、どんな難癖、うそをつかっても、絶対に避難区域(地点)をださないという福島市の悪辣さは、さらにそれを上回っています。

福島県の中でもいろいろと程度の差というものがあるのですね。大変、勉強になりました。今後ともよろしくお願いします。このような現場の状況を明確に示す情報は極めて貴重です。ありがとうございました。



41. あやみ 2012年5月30日 15:27:41 : oZZpvrAh64sJM : 4OU03e2GI6
宮島鹿おやじさま

いつもありがとうございます。
コメントされている皆様こんにちは。

おやじさまの、子供たちのために取られたこの行動に感激するかたわら、自分の非力さを感じています。

もう呆れて言葉が見つからずコメントできませんでした。
ひとの上に立つべき人間があまりに不毛です。このような役立たずを我々は「役人」と呼んでいたのです。

「原発が嫌なら勝手に江戸時代にでも帰れ」
そんな風潮に反論するべく今まで色々と考察して来ましたが、その気持ちは日ごと強くなる一方です。原発の産みの親である資本主義、その傘の下で育った骨なしども、言葉が通じるのに話が通じない日本人…

子供たちをどうするか、核廃棄物をどうするか、日本をどうするか、皆様と時間の限り考えてゆきたいと思います。


42. 2012年5月30日 19:10:28 : b10ezl5ttQ
宮島鹿おやじ様

量子力学男です(って自分で言うのも愚かですw)

レスありがとうございます。

>むしろ、内心では冷笑しているのではないでしょうか。
>要するに形骸化です。
>冷笑の根拠は利己主義=目先の効率主義=悪い意味での資本主義であり、まさに体制の思考ではないでしょうか。
>ここに、貴兄のおっしゃる「自己他者問題」がリンクしてまいります。

おやじ様のおっしゃるとおり、「冷笑」が体制側の心理的基本姿勢ですね。
官僚、公務員を志して、「この国をもっとよくしよう」という意欲を持って入っても、早晩その志は「非良化、搾取の加速」を旨とする上位のものにずたずたにされる仕組みでしょう。その無残なる洗礼を受けた人々は、一方で縮小化(退職など)か、一方で迎合化の選択をさせられ、迎合化した者は虚無を心に住まわせて、体制に楯突く者(市民)を冷笑して、自身の虚無感にささやかなかりそめの充足を覚える図式です。

そのように、どのような崇高な志も、高尚な目的も、有用な組織体制も、虚無の信奉者たちによって、形骸化され、市民は看板は書き換えられることなく「全体の奉仕者である」ように掲げられている行政・警察なとに接するのですが、中身は既に変質してしまっているのが実態ですね。

さて、「自己他者問題」、つまり「存在とはなにか?」と言う、生きていることへの問いかけですが、唯物還元主義における人間心理により動かされた「物としての人間」は、「自分」の定義とはつまるところ「物体」以外の何者でもなく、それは人間という定義、他人という定義においても同様でありましょう。
自己も他者も「物資=原子へと還元されゆく運命の物体」である大前提において、生きると言う事は、消滅までの虚しい夢のごときもの、に他ならない。
他人と自分とは、全く接点もない、関連も無い、あるのはいずれもが還元されゆく物体であるという現実。

故に、「自分さえよければ、今さえ良ければ、それでいいじゃないか、何も誰にも文句は言わせないぜ」と言う虚無に立脚した思考により生存し、所有要因し、それを消費し続ける事だけに生きていることに意義を見出す。

その思考に支配された体制とその構成要員の群れにとって、その原動力になっている原理、動機、目的のすべては、「それの完成が意味するものは、その死、そのもの」だと言うことです
もとより「原子核の核分裂反応」という事象自体が、「存在の崩壊」の顕在化として理解可能です。そして熱反応が進めばすすむほどに、自らの崩壊へと進みます。

自己の存在の否定、「無意味、無価値、無力」という自己規定がもたらす究極の事象。核分裂反応は、その完成がその終わり、を意味しております。
この世界に遍く敷かれた支配の体制の原理が、自己存在の虚無に基づいた体制である以上、その完成はすなわちその終わりであることの必然性が、ここにはあります。
支配体制の完成それ自体が、その死を意味しています。
他人を搾取し、不要になれば遺棄し、邪魔になれば抹殺するこの体制に、その対象である「市民」の全滅は、体制の死滅です。
地球の植物が死滅消滅に向かって進めば、人間の存在の断絶など時間の問題です。

支配体制自身がもつこの構造性が、「はじめたが最後、その完成がその死」を意味するのは、全く核とシンクロしている現象が、今この地球上に起きていることが分かります。

我々に出来ることはなにか。それは「それ」に加担しないこと。
そのように考えます。

この世界を「二項」でしか見ることがなければ、上記のことは必定となります。
世界は四項、つまり二項の二項であり、そこに二項対立が打ち消される仕組みが存在するとお考えになってみてください。

「数」とは5が始まりで、5の構成要素が1.2.3.4となり、5に至って初めて我々の認識に顕在化が起きる。
その1.2のみで世界を認識すると、世界は今の今まで存続など不可能だったはずです。
今の今まで、存在が存在できてきたのは、それが双対性であったからだと想像してみてください。

支配体制を構成してきたものは、実は我々自身であって、そこに加担があったという認識です。しかし、我々が二項対立を脱する思考を持つことで、この支配体制はその基盤を失うとお考になってみて下さい。

思考の運動は、空論ではないという根拠ですが、「世界認識が物的世界を決定している」ということが、量子力学からの要請のように、私には思えるので、このようにお話しております。


43. 宮島鹿おやじ 2012年5月30日 19:16:52 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
あやみさん

>おやじさまの、子供たちのために取られたこの行動に感激するかたわら、自分の非力さを感じています。

実はですね、そんなことはないんですよ。私も、南相馬にかかわったのが2月下旬だったのですが、そのときは、あるミッションを完了すればそれで終わりのような気持ちでした。個人としてそれだけやればまあいいだろう、何かやったような気はするし・・・。しかし、ひょんなことから、ミッションが継続してしまい、このような状態になっているだけです。

ただし、個人で出来ることの非力さというものは本当に感じました。
それでも、こういったところでいただく情報の有意義さ、あるいは気にかけていただける方のありがたさというものは、心の底から学びました。

>子供たちをどうするか、核廃棄物をどうするか、日本をどうするか、皆様と時間の限り考えてゆきたいと思います。

本当にそのとおりです。一人一人が自分の頭で考えて、違いはあっても、協働できる何かを見つけ出していく・・・。そうやって新しい何かを見いだしていくことができるような気がしているんです。

あやみさん、これからもよろしくお願いいたします。

明後日は、町田付近を調査します。誠に申し上げにくいのですが、下町である葛飾の現状は予想以上に良くありません。黒い物質がいくらでも見つかる状態で、こどもたちは、「マスクをつけ線量計を持つ」私たちを奇異の目で見ているのです。この、気分の悪くなるような感覚は、きっとご理解いただけると思います。


44. 2012年5月30日 23:53:43 : nJG2uYE9lo
宮島鹿おやじ様

コメ連投してしまい、申し訳ありません。

今日の頭の中が全くまとまりがなく、書いていることが乱れているので、気持ち悪いんです。それで、おやじ様にご迷惑なのを感じつつも、以前、千早さんの投稿でやり取りした当方の文面をコピペします(長文になってしまいまして、ご迷惑をおかけいたします)。(※ 長いので、おやじ様以外の方はスルーして下さいね。)

ところで、葛飾から町田へと連日の調査をされるとのこと、くれぐれも内部汚染を重ねられないようにお願いいたします。町田も部分部分で大変数値が高いと思われます。東京周辺の地域住民の方々は、全く関心がないと思われますから、おやじ様の方がおかしい人と皆が思うはずですが、それは断じてありません。


以下、コピペ(五回分のレスを連結。ですから途中で話題が変わっています。)

(※ どうして他の人より早く放射能の危険に気がつけたかという投稿)

20年以上前から、「日本はさ、アメリカの属国だしね…」としゃべると、
こいつ頭がオカシイ!?、と笑われ続けて来ましたが、最近、
どうもこの国、政府、官僚、企業がおかしいと感じて、固定観念が揺れ動いている人が多少増えている今日この頃w。
この資料はその傾向(目覚め)に背中を押してくれそうな、良い資料ですね〜

コンセンサス重視=周囲の目が気になってがんじがらめ、と言う硬直したお頭の国民ですから、このような資料から、支配体制の巧妙なる仕組みに、ハッと目を覚まして、「自分で考え、自分で行動」する「回帰」が進められそうで、とてもイイです!

自分の父親が学生運動に身を投じていたので、新聞社が如何に権力の所有物であるのか、小学生から聞いておりましたし、直感的に現代社会は「人間が元々持っている能力を殺す」と感じていましたので、教育と言うものが如何に害毒なのかと認識しておりました(そんな子供を母親は、ニヒルで将来が不安な子供と心配だったようです。現在はむしろ自分の方が分かっていなかったと思うようです)。

『何が「疑問を持つ」&「自分で考える」ことのできる人々とそうでない人々を作り出しているのか?』と言うのが、教育にあると思うのですが、では具体的にどのような教育によって、奴隷思考(自分で考えない)に貶められていくのか、なのですが、当方の考察は「科学というカルト信狂(わざと狂と書いてます)」による「唯物観念、還元論思考」の強化にあると、20数年間考察してきております。

唯物還元論思考を絶対疑わない人間の頭と心の中に、成り切って考察することで、何ゆえそれ(唯物還元思考)が、奴隷思考を人間の頭に決定的に染まるのか。

世界はその全てが物質であるという前提に、日本のほとんどの方々は信じて疑わないように感じますが、その唯物還元思考について、当方の尊敬するH氏の言葉を引用させて頂くと、

「『略…考えてもみてほしい。137億光年になんなんとする広大な宇宙空間、そのなかの取るに足らぬ一つの土くれであるところの地球…、そして、その表面に細菌のようにへばり付いて居住する今や60億にも達しようとする人類…、さらには、その中のたった一人の個人……。それがあなたやわたしという存在なのだ。

このような空間イメージの中で捉えられる人間観は、宇宙から見れば限りなく矮小で無力で、はかなくもろい存在にしか映らない。パスカルが言ったように、それは盲目的で悲惨で空虚でさえある。絶えず外界にさらされ過酷な環境の中で生きていかなくてはならない人間。彼にとって世界はつねに克服していかねばならない存在であり、おまけにそこには自分と同等の力を持った他者という競争相手が待ち受けている。わたしたちはその厳しい過酷な環境の中、適者生存の原理に則って、生存本能まるだしのエゴマシーンを余儀なく演じさせられてしまうのだ。そしてあげくの果てには、その欲望機械の特徴は、水素、炭素、窒素、酸素などの諸元素に還元されてしまうという始末……。

このことだけ考えても、内部や外部という空間イメージがいかに閉塞や解放という自由度のイメージに分かちがたく結び付いているのがわかる。』引用終わり

と、唯物還元論などと自分では呼ばないし考えもしないけれども、確かに唯物還元論になっている戦後の日本人の人生に対する認識とは、上記にあるように、「自分という存在は、如何に無意味で無価値で無力であるか」という思い込みに、無意識に支配されていると、当方は考えるわけです。

自らの存在に対して、三無(無意味無価値無力)という認識の上に立って生きることを余儀なくさせられた結果は、自ら考えることに対し無意味を感じ、お上、大メディアの言うことを信じることで安心感を得るようになり、人生のプロセスとして先祖、自分、子孫と継続はする慣習には習うが、先祖がどう生きたか、子孫がどう生きるかなど、考えることを無価値に思うのであって、全て体制に対して無力である自分を強く意識する、そのような人生観が自分にも家族にもコンセサスが敷かれ、人生と生命に矜持を持つなど無意味であり、「我さえよくば、今さえ良くば」の価値観が、年限と共に強化されていく、その根本、背景に、「唯物還元論の絶対信仰」、それを教育により教化するば、人間は自動手的に「虚無」の住人に成り果て、「村からの離脱は許せない」と言う、「奴隷が奴隷を管理制約」する、自動支配構造が産み出される仕組み、そのように考えております。

それがもし真実を突いているならば、この支配構造を、市民自ら裏返す(ひっくり返す)のは、「反:唯物還元論」の世界観、人生観がコンセサスを得ることにあるのではないのか、とも考えるわけです。

その「反:唯物還元論」のヒントになるものが、(皮肉にも)「量子力学」の知見にあるというのが当方の主張です。

実は約100年前より、人間の知性と知見に立ち上がった量子力学によって、現在の「コンピュータテクノロジー」と「核物理学」は発展を遂げた背景があります。

物質的な世界観(そこから立ち上がる物質的人生・存在観念)の「根源」とも思える量子力学ですが、この「物に対する究極の探求」が行き着いた「世界は一体何によって出来ているのか?」の探求は、全く意外な、人間の存在の根幹を揺るがす知識となって、当時の(今もそうですが)物理学者、科学者を混乱の渦に落とし込んでいきました。

そこから物理の世界(研究者達)は、「発見を見ないことにする」商業主義科学屋が政治的影響をうけて幅を利かせる時代になって行きます。

今さえよくば、我さえ良くば…の時代の到来。

正義の名の下に、他を排除し、自然を支配し、不安と恐怖を行動原理として、世界は「熱的死」の最終局面へと突き進んできたと言う考察です。

もとより、唯物還元論の最終局面とは、「全ては原子に還元される」=消滅をその根底に持っている世界観です。それに支えられてきたいかなる観念、価値観、構造であろうと、それらが完成する(完全支配の確立)と言うこと自体が、その意味するものが、「完全なる消滅」であることは自明です。

そのように考えますと、疑問を持たない、考えない、奴隷の群れと、疑問を抱かさない考えさせない支配構造が、迎えている現在の局面とは、「自虐的自滅的」であることは、悲しいかなこれまた自明であると言うしかないでしょう。

説明に応じない(耳を貸さない)人間が、家族であろうと友人であろうと、人生とは「意識、その人そのものが一つの宇宙そのもの」であり、「誰もが唯一完全オリジナルな存在」(量子力学の知見からそうなる)であるがゆえに、聞く耳を持たないというのも、その人間の人生(宇宙)、自ら選んでそうしている、と言うのが事実(と言わざるえない)。

放射能の危険を認知し、他人を説得しようと腐心する方々は、そのほとんどの方が「自他を分けて考えられない」方々であろうと想像します。
「自他を分けて考えられない」人生観というものが「反:唯物還元論」の世界観がもたらす思考だと思うのです。

人間と言うものは、決して死んだら消滅ではない。先祖より受け継ぎしものあり、子孫より借り受けしものあり、時間は今だけではなく、全ての物事は過去と未来を併せ持っている、「永遠の今」というのが時間の本当の姿ではないだろうか、と。

故に、子孫より借り受けし、地球も身体も同胞も、責任を持って次の時代に受け渡すのが、自分の務めなり、と「誰からも強要されることなく」そのように「努め」を自覚するのだと思うのです。

原発、もとい10万年殺人廃物製造機の推進者達の頭の中には、先祖無視、子孫無視の思想がべったりと染み付いていますよね。今さえ我さえ、です。そりゃそうです、「自分など、結局はチリになって消滅するのだ…今さえよければ自分さえ良ければ、何も誰にも文句など言われたくない・・・」と。

日本の官僚も政治やも、軍産複合体の傘下起業も金融機構も、アメリカを看板とする支配構造に恫喝されて、奴隷(日本国民)から搾取し、それを貢ぎ、僅かなおこぼれを掠め取る権利だけを飴として与えられ、逆らえば抹殺の恐怖に震えながら現在に至りました。

故にこの一見独立主権の国に見せかけられてきた日本の政治は、その存在目的である「奴隷の利用価値の見切り」役であり、既に世界経済ATMとして貢ぐ力量に陰りが見えたとたんに、「実験台」への変更へ、と役割を切り替えられたということが真相ではありませんか。悲しいかな、そのように読み込んでいけば、現在の地獄のような状況が読めるように思っています。

繰り返しますが、その転換は、世界観人生観の変更という、窮めて「教育的」(つまり知識として)な行動に鍵は在ると思います。決して観念的ではなく、もちろん闘争的でもありません、市民革命は自分革命であり、人間が世界観、人生観(=時間観念)を一変させる、そういう時代に到達したと思うのです。
それが、時間のマスターであったマヤの人々が、カレンダーを今年で区切った意味のようにも思われます。

>>人生とは「意識、その人そのものが一つの宇宙そのもの」

>他方、インドで修行してきたみたいな人たちは、「全部繋がっていて、ひとつなのだ」と
主張していますよね。それと、01さんの言う「自他を分けて考えられない」とはちょっと別物だ
という気がしますけど。

これも、別物ではないと思いますよ。「全ては一つなのだ」というのが、量子力学に到達した人間の知りえたものでしたか。つまり、「世界とは自分が観察することで、初めて存在する」ということでした。
修行を通じて到達した世界の実相とは、世界と我はそもそも分かつ事などありえないという理解と同義です。

ただ、その理解に至るまでに段階というのもはあって、ごく普通の日常を送る人々の意識では、完全には世界が我(意識)とは自覚されていなくて、でも物質オンリーではないということは、自分の中で根付いている意識状態で、普通に「他人を放ってはおけない」という想いがある、そういう段階にあるということです。

見ることが世界を成り立たせている、だから自分とは関係ないという世界の状態が、そもそもありえない、ということに、修行を経て到達し、自覚した意識(もうこの状態では人間とは呼べないです)と、まだ唯物観念も持っているけれども、「我さえよくば、今さえよくば」とも思えない、という新たなる世界観の芽生えを持っている状態の人々ということだと思います。

>同じ人間と思っていないから出来る超・蛮行。

恐ろしい蛮行ですね。人類家畜化計画と言うと、ほとんどの人間は、「アニメ?空想しずぎ!」と、見ようともしないですね、しかしまさに家畜化に邁進して来たわけです。人間とは思っていない。

優性種という驕りですが、この発想の根底はやはり「恐怖」だと思うのです。唯物観念とはその元々からして消滅のシステムです。自己否定と自己破壊にその根底を持っている以上、存在自体が恐怖なわけです。
その恐怖を何とかしたくて仕方がないから、態度はその真逆で、高圧的で暴力的で刹那的にならざるえない。

常に自己の観念により、恐怖が増幅し、他人を支配せずにはおられない。それが蛮行に至らしめる背景と思えます。


親子夫婦兄弟姉妹と言えども、「人間は、一人ひとりがユニークな、オリジナルな宇宙そのもの」だと言えます。それゆえ、その一人ひとりがどのような世界観、人間観を持つに至ったか、まさに10人十色ですね。

このような分断をもたらす根源が、「自他を区別する世界認識」である唯物還元論ではないか、と言うのが当方の主張です。

「俺のせいではない、あいつが悪いのだ」「あいつが変わればいいのだ、俺が変わる必要などない」「俺が知らないことなど、無いのと同じ。どうして俺が心配などしなくてはならないのだ」という我よし今さえよしの程度の差こそあれ利己主義の元凶が、唯物還元論の世界認識より始まると。

対して反:唯物観念であると人間はどうなるのか。
世界は物ではなく、目の前の存在と自分と言うもの(意識)は分かちがたい。
他人を貶め汚せば、それは自分をそうしているに等しい。

母親であれば、子供の存在を通じて、自他一体の感覚が自ずと刻み込まれているようにも思うのです。(対して男性は、後から学習、理解する)

わが子に起きたことは、自分の事の様に感じ、他人と自分に明確な区別など抱けない感性を、男性は得にくい。歯車に成り切ってしまうと、子供さえも所有の概念で捉えやすい(※ここで一般化する意味はない。話を分かりやすく言っているだけで、全ての男性が、女性がそうだと言うのではない)。

相方と言えども、見ている世界(宇宙)が違うのですね。唯物論なんですが、実態は見ている本人が世界を生み出している真実は、量子力学の知見から導かれるわけです。でも唯物論で世界を見ているから「お前と俺には、関係性などない」と言う無意識の「壁」が厳然と存在させられているのだと思います。

安全神話を握りしめて手放さない心理とは、「失うのが怖くて身動きが出来ない」ということではないでしょうか。
物質概念が強化されればされるほどに、「所有」の概念が強化されていきます。所有が強化されれば喪失に恐怖心を抱きます(執着)。

日本の中間管理=世界支配の奴隷の中の奴隷長である官僚、政治屋、大企業経営層が、どうして10万年殺人廃物製造の再稼動に執着するのか、地元議会がそれに賛成するのか、それで職を得ている市民が賛成するのか、全ては「失うことの恐怖」故だと思います。

反対する人々は、遺伝子を犯されたくないと感じていると思います。これは自分の肉体のことに限定する思いではなく、無意識に子孫への想いが込められていると思います。そこには過去と現在と未来という「生きている時間」の観念があります。

一方、失うことへの恐怖は、一見将来を心配する思いにあるようにも思われますが、焦点は「今」なのであって、未来のために今、執着を絶つという発想が出来ない精神の膠着状態です。

安全神話の狂信者は、「遺伝子」を見てみぬふりをすることが多い。実は遺伝子とは物質とは言えない奥深いものです。化学的には物質以外の何者でもないのですが、その振る舞い(機能)には「精神」を感じざる得ないものです。

原子、素粒子と物質究極を求めてたどり着いたのが、観察者の意識であったように、生命の暗号である遺伝子の存在も、それを単なる物質として語らないのなら、遺伝子の何も分からないのと同じだと言うことです。

それゆえ、放射能が遺伝子に及ぼす影響に敏感に成り得る人々は、無自覚のまま、精神、子孫にまで受け継がれるナニモノかに思いを至らせていると言えるわけです。

自分の肉体が消滅しようが、精神が受け継がれていくのが人間だと、更には自分という意識には死はないとまで思える方も多いと想像されます。
片や物質至上主義の人間には、「今、所有する物が多ければ多いほど(かりそめの)安心感が増す、何か生きている気がする」という、根拠無き「空虚感を埋めている気がするもの」が物質でもあると言うことではないでしょうか。

当方の人生観には、武士道の精神と言うことがあるのですが、それは「無為自然(むいじねん)」ということなのです。あえて言えば、「自分と言う概念を消失させれば、世界と一体となり全てを我が物としていると言える」と言う一面が語れます。

それゆえに、武士道とは死ぬことと見つけたり、という精神に結びつき、武士(もののふ)は「生きたまま死人(しびと)となり」という心境へと至り、「切る切られるの思いから離れ」相対せず、不戦(たたかわず)へと昇華するというわけです。

肉体を我(われ)とは全く概念しない、見ている世界がイコール自分そのものである。

そうなりますと、「所有」という概念がそもそも成り立たないわけでして、千変万化する自然に応じて、自在に己を変え、自由に生命の進むままに流れる(生きている)という心境まで、剣の達人は至ったように想像されます。(ここは勝手な解釈です)

生命を考える視点でも、肉体の所有の喪失を恐れるのと、他人も自分も傷つかないで居て欲しいと思うのとでは、その「心の中身」が180度違う。片や世界は単に物質であり、全ては消滅の定めから逃れられない、虚無に寄って立つ者、片や生命は過去現在未来をあわせもっていて、人間は真価を発揮すれば共生共鳴し、更に発展していける命そのものだと考えられる、そういう人々であるかと思うのです。

後者の人々の意識の中には、他人は既にありません。あるのは「向こう側の自分自身」であり、紙の裏と表の関係に過ぎない、他人を殴れば自分が痛み、他人を殺せば自分も死ぬ。ゆえに自発的に選ぶべき道は、共生、共感、共鳴の「弥栄(やさか)」だと、自然(自ら、然るべく)に選択する大勢の人々が、これからの時代を担う、そのように思うのです。

>言葉に使われず、言葉を創り世界を新たに構築してゆくのが、反原発も含めたこれか>らの私たちの生きざまなのだと思います。

本当におっしゃるとおりですね。
抗争や対立の術を求め彷徨う、そういう方向性も人間にはあるでしょう。
しかしやってみると誰でもお分かりになるが、戦い方のその先に、戦わない、否、戦いという言葉さえ意識しないで、世界を新たに構築していくのが、「脱人間・ヒトの再生」だと思うのです。

08さんが過去の書き込みでこのような一文を残しています。
「太古の昔我々の想像を絶する大地殻変動を経て、我々の国が出来た。
これは、恐らく壮大な意見になりますが、宇宙に於いてもどんな惑星等も寿命があるという事が表してます。」
と。
今は武士道の時代ではない、おっしゃるとおりですね。武士道の時代ではないけれども、「常ならず」という真理は今ココの時代でも底で通じている。
「キチ外な電力会社や政治家や官僚とどぉやって共生していくのか」と言う嘆きも、私達に共通した気持ちでしょうね。「それはありえない」とも考えられるし、途方にくれる。

そのこと自体、全体を自分の意識が包み込んで「あれはおれ自身だ」という明らめ(現象の出自を明らかにする)ことなのですが、ここは言葉では共感しがたいところですね。

戦うことから自分の置き所の階層を変えて、俯瞰してみる。
いずれにせよ、惑星にも終わりがおとずれるように、キチガイな官僚、軍産複合体の狂人支配構造は、まもなく熱的な死を迎えるのは必定だと思うのです。

そのキチガイを相手にすること(戦いも、共生も、他のなによりもそれにかまっている次元)は、同じ穴のムジナといえるでしょうね。

戦い方、ではなく、戦わずにして勝利する、否、勝利という言葉もない心境へ、そのようにお話しているのですがね。ちょっと観念的すぎる表現が多くて申し訳ないですが。

あくまで戦い方を求めていらっしゃるのでしたら、問う相手を間違っていますよ。
既に「その人なりの戦い」を繰り広げていらっしゃる方々が、阿修羅のなかでもちらほら見受けられると思うのです、それも素晴らしいことです。「自分はこう思う」と言う明確な意思には感銘を受けますね。

帝国を倒すものは、また帝国になる、という歴史の証明を受け止めて、11さんのおっしゃる「言葉に使われず、言葉を創り世界を新たに構築してゆく」生き方に、当方も歩みたく思います。

再びレスありがとうございます。

>そうした極悪犯罪人たちと仲良くやっていかなければ
>というような(正確ではない)ことを主張している。

と、(自分が知らない方々ですが)おっしゃっている方々が居るとのことですね。
私は全くそうのようには思わないし、主張もしたことが無いのです。
戦わないことを言っていますから、そのように読み取るのは当たり前かな〜と、思うのですが、戦わないことは「自分」の中(意識)のことですので、武士道を持ち出していますが、挑まれても戦わないのでいなしてしまいますが、しつこく相手が命を取ろうとすると、その「いなし」度合いが高まって、結果的に「力を入れた人間が自滅する」展開となると想像してみてください。

雰囲気としては(あくまで雰囲気で)「合気道」(大道流合気柔術なども)の立会いで、師匠から攻撃は一切無い、稽古生が力任せに、襲い掛かるけど、やってもやってもまるで自分から飛んでいくように、飛ばされてしまいます。
余りしつこくやれば、自ら出した力が還ってくる度合いが、自分自身を破壊するんです。師匠は息一つ乱れないのに。

衝突が無いのです、けれども仲良くしているのではないのです。まあ、これはあくまで人生を学ぶという次元で、素手と素手、素手と刃物程度でのことで、飛び道具ですと、本質的には変わらないですが、もっと先の展開を見据えた自分の行動が必要なので、ココは省略です(すみません)。

>でも、彼等がそんなことを簡単に理解するとは到底思えませんよね。

全くです、というより、理解しないでしょう。無情のようですが、「縁なき衆生は度し難し」で、自分の意識には置かない(無視とは意味が違います)。
極悪の輩のことを考えている「自分の意識状態」は、自分の大切な人生の時間を、そのもの達に提供している状態。(無視も実は同じ穴のムジナ)

相手に分からせる、という「相手を変える」という思いから離れるということです。それは自分のためです、もったいない。下らない奴のことを意識に置くこと自体が自分を無駄にしている、分けです。

それが「参加しない」という運動の、背景と思うのです。(ガンジー提唱の運動)

皆さんが、「キチガイをどうして相手にする!」という憤りを持つのは、当方も同じです。でも上記の理由で、次の瞬間にはキチガイから手を離し、「共生」をしないことです。

共生を語りながら共生しないとは矛盾かと思われますが、共生は全員既にしているわけで、同じ地球に生きているのだから「共生」です。(だから迷惑!)

当方が共生を持ち出すとき、三つがセットなのです。共生共鳴共感。
共生は「仲良くする」意味ではなく、もう既にしている状態です。
共生だけで、新しい生き方を語ることはないので、共生という既成の上で、
共鳴する人々、共感する人々、共鳴共感する人々のネットワークを構築するってことに、注力するってことで、キチガイはやがて、人々の参加を失い、エネルギーが枯渇し(キチガイのエネルギーは我々の虚無なので)、熱的な死を迎えて、彼らの絶対的立脚前提である「世界は物質である」という世界認識において自滅(還元)されるのは、当たり前(法則)だと。

だから「>目覚める人も増えているし」という人々は、キチガイの土俵に立たないで、いなし、かわし、するするっと「力を抜ききって」自由に生きていくと、もしかしたらキチガイになびいていた日和見な人々は、「何で同じ地球に生きていて、そんなに自由なのですか?」と、気がつくかも知れませんね。

>人間の心理を極めつくして、それを悪用しまくっています。

という極悪の仕組み、その仕組みが成り立つのは、「同じ土俵に乗っている」から、というのが当方の主張の一つなのですね。
我々も、存在の不確かさゆえの恐怖(背景に唯物還元観念)を持っているならば、悪行の輩の基本的な観念と同等だということを言っています。
帝国を倒すものは、再び帝国になる、というように、中国当局は「革命政府」って自分達を呼称するのはブラックユーモア?wと思うくらい、力で成し遂げることは連鎖する法則だよってことです。

でも、ノー天気とかでは駄目です、阿修羅住民のように、知っていかないと、相手の手の内を十分分かって、分かった上で「その逆をいけばよい」ってことです。

>でもそこを出発点にすると、奴等極悪犯罪人たちと私たちが同じ!?

という問いは、凄く大事な問いだと感じます。同じであっては、上記に言ったようになるわけですから、同じではない自分に変わることが(宇宙に)求めらているって思います。
量子力学について、正確に…は無理なのですが(唯物観念をひっくり返さないとならないので)、不正確を承知でちょっと書きます。

物質の究極とは何か?という人間(物理学者)の探求は、分子の発見から原子の発見にまで至りました。では原子は「何で出来ている?」と問うことで、原子核と電子の軌道モデルが理論的に探られました。やがて計測機械などの発達の要因により、原子核の構造まで探られて、陽子と中性子という姿がはっきりして来ました。

素粒子という概念で呼ばれ、現在では陽子も中性子もそれぞれの構成要素がはっきりしているのですが、問題はこれら素粒子の「振る舞い」と「その観察」に、物理学者達は大きな壁にぶつかったわけです。

量子と呼ぶそれらの存在ですが、「粒子性と波の性質を併せ持つもの」という、古典的物理学では説明が困難な振る舞いをすることが分かり、さらに、「観察することが結果に影響を与えてしまう」ことが、誰が実験してもそうなってしまうことが分かったわけです。

実験、観察結果に「観察者を含まない」のが古典物理学ですが、「観察者の観察を抜きには量子は、『確率』でしかない(記述出来ない)といえるので、「ある」とはいえない。観察者が観察することで量子は、確定的な状態を持つ(位置を決められて「ある」といえる)ことが出来る」と、そう分かったのです。

「見ていない時には、月(ムーン)は無いのか」と、量子の振る舞いを受け入れられなかったかのアインシュタインは問うたという逸話がありますが、原爆を作っていった科学者は、その探求はやめて、理論的に明確な量子記述の数学を駆使して、核物理学を「物体(原爆)」へと転化していった分けです。

そのような「見ている自分が世界を決定する」という量子論を素直に見つめていった「少数」派(非御用学者)は、宗教者になったのかと揶揄されていきます。
「見ている世界と俺とは何の関係があるというのか、あいつはあいつ俺は俺だ」と
、世界を成り立たせている「基」を、自分の意識に置けないで、あくまで見ている世界は自分とは関係ない存在し、たとえ自分が居なくなっても、世界は世界としてそのまま存在すると、古典物理的に考え続けるようにしていったわけです。

当方は、量子力学そのものを重視しているのではないのです。厳然と実験観察された世界(物質)の真相が実は「自分が見るから世界はある」という事実に、人類は世界の認識の発信点を置く、(つまり古典的な世界認識は「思い込み」の世界認識であるといわざるえない)そういう次元に進むことを、お話している、と言うことです。

キチガイと同じなのか!?は、古典的な世界認識から、試しに(面白がって)量子論的世界認識に遊んでみてみると、面白い(世界の見え方が面白い)ですよ〜
ということなのです。(冷たく言えばご自分で確かめて!ってことで〜す)。

16さん
レスありがとうございます。
お読みなったのですね、精神論は結構な方に、苦痛な時間と取らせまして申し訳ありませんでした。
精神論はいい、というのには同意致します。私も精神論は結構と思っています。

ということで、精神論を書いておりません。これは何かと問われれば、あえて言いますとエンターテーメントです、とお答えしております。

人間は意識なのか、物質(肉体)なのかと考えますと、当方は意識です、とお答えいたします。いや肉体が自分だろう、とお考えの方なれば、物質とお答えになりますでしょう。

人間は物質だとお考えであれば、上記の駄文が「精神論、うぜー」と言うことになるのではないかなーと想像致します。

当方は人間は意識だと認識するので、意識の転換による一人ひとりの世界認識の変更というエンターテーメントは、精神論でなく実践論なのです。本体(意識)の行動論ですから。

でも、なーんも知らない当方に、「具体的に日本国民が良くなる方策を教えて」とそのような人生の一大事を問われることを軽くは見ることは出来ません。
真剣にそれを模索されている方だと想像いたします故。

当方の試み(エンターテーメント)に、ちょっと絡んで、世界認識を古典物理から量子力学的にシフトしちゃおうかな〜、というお遊びにお付き合い頂ける方ではない前提で、貴方様のレスにお応え致しますと、

>福一の責任を取る奴もいねーのにw
>先ずは徴兵制とか言った、石原のぱしり猪瀬のたわごとか。
>心配するな、もしこんな異常な事が起こりだしたら戦うさ。
>原発で死ぬより、屑のような国家の庇護にある官僚と政治家と原発を運転してきた>奴らと刺し違えても戦うさ。

>ここは、日本国である。

と言うお覚悟をお持ちの方でしたら、当方のようなエンタメに興じるようなチャラい者に尋ねるまでもないかと存じます。上記の文脈に、「自分はどうすればよいのか」が色濃く書かれていらっしゃいます。

高尚な精神をお持ちになっていると感じます(皮肉ではありません)。
利他の為も含んでのお覚悟とお見受けいたします。
方策はそれで十分ではないでしょうか、その行いはこの国を良くされる方策だと、私は思うのです。あえて言えば、行いと言うよりその精神が、です。

そのようなお方なので、当方のようなチャラい精神論(貴方様にとって)が我慢ならないとお感じになったのかも知れませんね、誠に申し訳ありませんでした。

あえて生意気を申し上げますと、日本人、何々人と言うカテゴライズから、そろそろ脱却していい、とそのように思っている者です。子供時分より、誰でも地球人だろー、と思って育ちました。(宇宙は広大なので、地球人しか居ないと考えることに当時から無理を感じて育ちました。)

どうしたら人間は、それぞれが持てる能力を、色とりどりに発揮して、誰もが輝いた顔で生活が出来るのだろう?と考える子供でした。
世界国民?が良くなる方策は何かないのか、どうして持っている力が阻害されるのか?と考え続け、思想や歴史、哲学、数々の宗教も遍歴し、医学や技術にも関心を抱き、原子の核分裂、核融合について始めて知ったのは、小学4年の夏頃でした。

夏休みの自由研究に、核分裂について発表したのですが、クラスが「???」となってしまいました。空気が読めない(笑)子供でした。

武道の師に二十歳過ぎに師事いたしまして、師匠から、武士道の精神について実践(稽古)と理論を叩き込まれました。(防具とかなしで、マジに突いたり蹴ったりいたします!)。戦い方を稽古し、そこから戦わない(いなす、かわす)、力を入れない生き方を体得していくのが稽古でした。

人の立ち振る舞いというのは、精神(意識)の顕現だと身体で体感する日々でした。精神の運動が人間の具体性そのものだと、身体を使って使って使いまくって、もうだめだ、という処まで至ると、その精神性としての自己存在に思い至るのです。

強大な力(例えば黒人の人々など)に、力で立ち向かっていくのは、別にいいのですが、やってみれば無理だと骨身に染みります。
それが、発想、認識を入れ替えまして、「力を徹底的に抜いてしまう」と、力を入れた人間の方が、勝手に倒れてしまう事実を経験いたします。

自分自身がすることとは、己が中心を保つ、これだけです。
相手の力には、乗らないこと、自分が同じ次元には住まないこと。
それが実体験として経験され、徐々に自分と言うものが、身体から精神(本体)へと認識が切り替わっていく、という人生を経過しております。

それゆえ、精神を語ることは実態であり、そのことが量子力学により到達した「世界(物質)とは何か」の知見と、一致を見る、のです。

唯物論者であろうが無かろうが、科学的(?笑)に突き詰めれば、「自分の意識により、世界は成り立っている」のが事実だということです。

古典的な世界観である、観察者が居なくても、世界は世界としてある、と言う、自他分離の「形態認識」が、実は100年前に老朽化した認識論に陥っていたことを知る人はほとんどいらっしゃらない。

かなり以前から、世界の在り様は、自分の意識にその根拠があると、実験、観察、実証として分かっていた、ということなのです。つまり、世界そのものが精神論なのですね。世界は物質だ!という精神(認識)によって、その意識には世界が物質になっている、というロジック、いやいや「トラップ」だよな〜、それは。


45. 宮島鹿おやじ 2012年5月31日 06:28:35 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
量子力学男さん

おはようございます。

問題意識の持ち方、あるいは、実践活動としての武道のお話、大変興味深く拝見しました。自分自身が書いているのではないかと思うほど、関心のあり方が共通しています。

量子力学については、私は専門に勉強したわけではありませんが、就職後に図書館などで「ナツメ社」の雑学本などを読み、デカルト流の世界観(主−客:二項対立?)を超える可能性から、それ以降、少しずつ学んで参りました。

一番、わかりやすく、衝撃を受けたのは、「電子等によるダブルスリット実験」の結果でした。これは、あらゆる量子論のイントロに出てくる項目ですので多くの方がご存知だと思いますが、私がこの実験結果から衝撃を受けたことは、「観測しようとする『意思』が、対象(世界)を変えてしまう」という結論でした。

私の手元にある「見て楽しむ量子物理学の世界 ジム・アル・カリーリ著」の第1章「自然の手品」p25には、このダブルスリット実験に関する記述が、このようにあります。

・・・個々の原子がどちらのスリットを通り抜けたかを記録する検出器を設置すると、干渉縞は消える。それはまるで、原子が同時に両方を通るという行為を捕捉されるのをいやがって、どちらかのスリットだけを通るかのようだ。砂の場合に起こるのと同じく、粒子のようなふるまいの結果、2本の帯がスリットの真後ろに形成される。・・・
・・・検出器を停止すると、原子の通った経路はまったくわからなくなる。すると今度は原子の秘密が保たれ、原子は不思議な波のようなふるまいに戻り、干渉縞が再び現れる!・・・・


 多くの科学者が、世界の真相解明に向けて、工夫を凝らし、さまざまな実験を行ったようですが、上記の「観測者(認識)と対象物」の、魔法のような関係は明確な結論を得ていない、いや、「観測が世界を変える」という命題を否定できていないと思われます。つまり、世界と私は一つであるという仮説が、量子力学による最も有力な結論といえるのではないでしょうか。

 もし、量子論について興味をもたれた方は、図書館などで、まずは、雑学本からその不思議さに触れていただくとよいと思います。はっきりいって面白いです。その量子力学の黎明となったのは、黒体輻射という極めて地味な研究からだったと聞いています。何事も一見すると地味な物から始まるような気がいたします。


>量子力学さん

現在、雑談板で朱子学について検討中ですが(というよりも停止中ですが)、一応の区切りがついた段階で、古典物理学→量子論へと、「雑談」していこうと思っています。その節は、是非、ご参加・ご教示ください。


46. 2012年5月31日 08:40:22 : sPKiyuC2Ms
宮島鹿おやじ様
量子力学様

安芸ガラスです。

>「数」とは5が始まりで、5の構成要素が1.2.3.4となり、5に至って初めて我々の認識に顕在化が起きる。
その1.2のみで世界を認識すると、世界は今の今まで存続など不可能だったはずです。
今の今まで、存在が存在できてきたのは、それが双対性であったからだと想像してみてください。

>一番、わかりやすく、衝撃を受けたのは、「電子等によるダブルスリット実験」の結果でした。これは、あらゆる量子論のイントロに出てくる項目ですので多くの方がご存知だと思いますが、私がこの実験結果から衝撃を受けたことは、「観測しようとする『意思』が、対象(世界)を変えてしまう」という結論でした。


私は若い時分、労働組合運動に参加しておりました。
そこで、ハイゼベルグの不確定性原理を習いました。
これは対象と観測という行為が電子の位置に影響を及ぼす原理のことです。
私はこの立場を支持する者です。
しかし、左翼の政党に属している党員は、世界を客観と主観にわけておりました。
私は老子の「1があり、2があり、3からはじまる」の立場です。
それは1=私がおり、2=あなたがおり、3=私とあなたを見てる人がおる地点から、社会と自然が始まる意味です。


47. 2012年5月31日 09:00:51 : 1L2R1YYxP6
安芸ガラスさま、排泄のことありがたく拝読いたしました。松島です。

ちょうど今、ダイエット中で、ほぼ毎日、こんにゃくをたべております。排泄はさすがに繊維だけあって以前より、スムーズですね。ダイエットしてると、便秘になりやすいですからね。
発汗は、なにせ、更年期真っ最中の身で、だだもれ?状態です。寒くても汗をかいてます。

植物の異変は、ポピーもそうです。大きすぎます!そして咲いてすぐ散った!これは芍薬もそうでした。

今年の桜はもちが悪い感じがしてました。
旭川市では咲いた桜が同日に満開になるという気象台始まって以来のこと、との報道があったことを覚えています。
クレマチスも咲き出してます。早い気がします。
なんか変です。でも考えてみれば、それはそれは恐ろしい放射性物質がドバドバふってるんですもの、異変がないほうが変です、かね?

昨年のちょうど今頃、原発事故から2ヶ月後、当時の鹿おやじ様にもコメントしたのですが、周辺の竹が、カレー粉をふりかけたみたいなカレー色になったんです。全部ではなくところどころ。そのことをネットで調べたら、「たけあき」という竹の紅葉みたいな状況であるとかかれていましたがあまり見たことがなかったので、すわ、放射性物質か?と気持ち悪かったんです。今年はまだ「たけあき」は見られていませんが。


48. 2012年5月31日 10:08:56 : sPKiyuC2Ms
松島さま
安芸ガラスです。

>発汗は、なにせ、更年期真っ最中の身で、だだもれ?状態です。寒くても汗をかいてます。

私は男性です。
男性から女性を見ますと、不思議な生き物です。
どんどん変化するのです。
ですから、私がとても若い時分、女性はとらえどころがありませんでした。

しかし、連れ合いと一緒になって、身近に観察をしますと、少しづつと観て、掴まえることができるようになりました。
男性は、急な動作ができます。
しかし、女性は男性と比べますと、ゆっくりした動作です。
これて、体のつくりが違うのです。

例えですが、人の体を想像します。
体は、頭と足、左と右、背と腹の方向があります。
きょうは女性の頭と背と左の方向が伸びたりして、伸縮自在となります。
これを繰り返しているので、男性は、女性を捉えることができなくなります。
女性自身は、お酒で酔っ払っている状態でしょうかね。

私も年を重ね、ようやく観て捉えることが、少しできるようになりました。

>更年期
これは、女性自身がお酒で酔っ払っている状態から、酔いが醒めて行く状態でしょうかね。

ですから、どんどん行動して下さることを、希望します。


49. 2012年5月31日 23:20:33 : nJG2uYE9lo
宮島鹿おやじさま
安芸ガラスさま

こんばんは。りょうし力学おとこです。

おやじ様、本日は無事測定を終えられましたでしょうか。

レスを頂きまして、ありがとうございます。

>量子力学については、私は専門に勉強したわけではありませんが、就職後に図書館などで
>。ヨナツメ社」の雑学本などを読み、デカルト流の世界観(主−客:二項対立?)を
>超える可能性から、それ以降、少しずつ学んで参りました。

>。ヨ観測が世界を変える」という命題を否定できていないと思われます。
>つまり、世界と私は一つであるという仮説が、量子力学による最も有力な結論と
>いえるのではないでしょうか。

全くもって、おやじ様のおっしゃるとおりです。
やはり、おやじ様も安芸ガラス様も、常にお二人の見識の高さに感じ入っておりましたが、
やはりそうでしたか、世界観が「常識」とは裏返していらっしゃるのですね。
反転の世界認識を持って、世界を観察されているお二人には、世界の在り様が
違っている、違っているのだけれども、周辺の方々にはそれが分からない。当然です。

毎回、量子力学を話題に持ち出す当方ではありますが、おそらくお二人の見識の方が数段高いことは
愚かな私にも分かります。
おやじ様のおっしゃるとおり、「世界と私は一つである」という点において、量子力学を持ち出すのであって、私が理論物理学者のような頭脳と知識が在るわけでは在りません。どちらかと言えば、宗教者に思われるであろう人間ですから(神様好きの宗教嫌いですが・笑)。

「主ー客:二項対立の世界観を超える可能性」からそれを持ち出して、量子力学に至る実験、観測が、「それを信じるとか信じない、という範疇にないから(事実には色づけは不要)」、世界中の人間に共通認識を持ちうる、思考の道具としての量子力学だということですね。

神秘的達観に至った人々が、「世界と私とは一体なのです」「全てはつながっている」「今、ここに、私は居る」と、国や時代を超えて、同じことを語ってきたのは、「真理は一つ」だからだろうと子供の頃に思ったのです。
しかし、その達観された方々の後に起こる宗教には、その達観に至る道が無いとも感じ取りました。
真理はそこに在るのだけれども、誰もそれに気がつかない世界(宗教)。

一部の信仰者の為に機能しているに過ぎない「組織」は、構成員の知らぬ間に、支配のシステムに飲み込まれて形骸化します。本来「人間を人間性から解放する」機能を持たねば意味を失う宗教ですが、余りに手垢(唯物還元主義)にまみれた人間世界には、神秘的達観から「世界と私とは一体」であることの知識を得るのでは、共通認識は永遠に得られないと想うに至りました。

そんな頃(10歳前後)、原子、核分裂、核融合と言った知識に触れ(天文学、理論物理学から)、量子力学に触れていきました。
まさに、旧パラダイムからの転換の入り口だと衝撃を受けたのは、お二人と同じ体験ではないかと感じます。

>私は老子の「1があり、2があり、3からはじまる」の立場です。
>それは1=私がおり、2=あなたがおり、3=私とあなたを見てる人がおる地点から、
>社会と自然が始まる意味です。

全く、安芸ガラス様のおっしゃるとおりです。
当方も、量子力学おとこ、ではなく、老子力学おとこと名乗りたい、身の程知らずの愚か者です。
宇宙の発生とは、1、の負荷、2、の反映、3、等価の仕組みにより、世界は世界になるに至ったと理解します。

当方の霊的な師(武道の師)は、在、存、秘とおっしゃっておりました。
宇宙論存在論の教師であるH氏は、真因、方因、推進方因と言う知識を語ってくれました。
三位一体の存在論、時間の構成(過去、未来、現在)、世界中から聖人偉人が言葉を変え例えを換えて生徒(我々)語ってきたところのものです。

さて、タオイズムにおける「陰陽」は一般に二元論と解釈されますが、実際はそうではなく、
太陰太陽対極図にそれが示されているとおり、陰の中に陽があり、陽の中に陰がある、わけです。
それぞれ太陰と太陽が勾玉として描かれているわけですが、「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」、裏返りながら永遠に一つながりなっている宇宙の様子(メビウスの輪)がここにはありますが、その勾玉の中心には、少陰と少陽が小さな丸として書き込まれています。

この図はまさに、四項の意味を描かれていて、陰の中の陽、陽の中の陰により、全体の丸(宇宙)が出来上がっています。宇宙は不可視の半分と可視の半分、またそれぞれに反映を持っているので、エネルギーのバランスが保たれている図です。この時の「丸(宇宙)」が「5」です。

5は、おのずと1.2.3.4.を含む概念です。
この図は同時に、太陰と太陽と丸(宇宙)という三位一体の原理も表現されえる図です。

さらに、1.2.3の原理性、「1だけでは、1は1になりえない。2が同時に在って1は1になり得る。しかし1と2だけでは永遠の反復で存在は閉じて(死んで)しまう。1と2の関係性を観察され得て始めて、1は1になり、2は1を1足らしめる。では3が在るからこそ1と2は在ると言えまいか。しかし3は不可視である。それが秘であり、世界(>私とあなたを見てる人がおる地点から、社会と自然が始まる)であり、中心であり、「神」であろう、ということです。

そして、1.2.3の原理性が、「私」から見た世界(あなた)と、「あなた」から見た世界(私)という、双方向性を持っている(観察の視座)が、ここで「見失われてきた」ことへの「想起」が、パラダイムシフトのステップ2ではないでしょうか。

それは、1.2.3の原理性がメタである、重合しているということを意味しています。
私から見た-彼方、彼方から見た-私、[私-彼方]を見ているもの(宇宙)、[彼方-私]を見ているもの(宇宙)というように、私には二つの「私」が、彼方にも二つの「彼方」があるという事を意味します。
1.は発振、2.は1の反映、3.は1と2をバランスさせる。バランスさせるだけですと、存在は閉じてしまうので、1と2を含んでいる3の反映として4.で拓く(不可視に落ち込んでしまうものを可視とバランスさせる)、そこで初めて、存在は存在として認識に上がり、その1-4の全体性として姿を現す、それが5です。
この5は、新たな1(発振)となり、宇宙は永遠の進化発展を内包する円環(ユニバース)となりうる、という宇宙論があります。

老子によって明かされる世界とはそのような世界だと、私は思っています。


50. 宮島鹿おやじ 2012年6月01日 04:17:43 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様
量子力学男様

おはようございます。
調査には、これから参ります。
葛飾のベクレル数の報告がありました。
採取した全ての黒い物質が10万ベクレル/kgを超えています。
きわめて稀にそういったものが見つかるのならいいのですが、それが、そこらじゅうにあるのです。このままの状態ですと、少なくとも東京葛飾の一部については居住に適さないという事実を確認したことになってしまいそうです。
もうじき、まとめて投稿します。

安芸ガラス様は、労働運動の中でハイゼンベルグについて学ばれたのですか。すごく真摯な学習会ですね。左翼政党の世界観が「主観−客観」図式であったというのは納得です。ある意味で現在でも世界観の本流といえると思います。

ただ、お二方のお話を伺っていて、やはり私の力量不足から、「老子」「1,2、3・・」「陰陽」のあたりから急速に「彼我の速度(理解度)の格差」を感じてしまいます。私も若干の習い事の経験から、基層的反応、その組み合わせとしての技術・・・といった経過を踏むことにより、多くのスポーツや格技などには、経験者ならではの読み取り方があることを知っていますので、その辺が、今後私が進んでいく方向なのだろうと感覚的に了解しています。つまり、福音と考えています。学ぶべきことは本当に多く、とても時間が足らないと感じています。そう考えると、組織の中での軋轢などに心を煩わすのはもったいないと思いつつ、その中にも学ぶべきことがあるようにも思われます。


>松島様

ダイエットもいいですが、体を壊さないようにご注意くださいね。ただ、私の感覚では、女性はすこし、「ふくよか」なほうがいいと思うのですが・・・。すこし、丸みを帯びた人がニコニコしながらそばにいてくれる。もう、それだけで、幸せな光景です。ニコニコって言っても、「放射能が来るからニコニコしよう」というアレではありませんよ。放射能があるかもしれないと思って作り笑いをしていても、心の底ではまったく「笑えていない」はずですので。

安全な土地・水と光。大切な人との穏やかな暮らし。

原発はどれとも整合しませんね。
失ったものの大きさが測り知れないです。


51. 2012年6月01日 07:50:01 : SeLIJGVojK
量子力学男さま
安芸ガラスです。


>それは、1.2.3の原理性がメタである、重合しているということを意味しています。

その通りです。

私の中に3人の私がいます。
本を読もうとする私。
本を読みたくない私。
それを見ている私。

大切なのは、方向付け。
考えさせるには、対立を抛りこめば好い。
行動させるには、3者を一つにすると好い。


52. 2012年6月01日 08:21:10 : SeLIJGVojK
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>安芸ガラス様は、労働運動の中でハイゼンベルグについて学ばれたのですか。すごく真摯な学習会ですね。左翼政党の世界観が「主観−客観」図式であったというのは納得です。ある意味で現在でも世界観の本流といえると思います。

そうです。
デモ、集会、学習会を取り組みました。

わかったのは、左翼が設定する「焦点」とは、ただの物理的な焦点なのです。
それは「主観―客観」図式です。

政治的「焦点」とは、「争点」のことです。
これを経過すると社会が変化するポイントなのです。
あいて側の注意とこちら側の注意とがむすばれる処なのです。
ですから変化を起こすのです。

わかりやすい例だと、政府と関西広域連合の関係です。
「争点」は「原発の再稼働の是非」です。
政府側には、官僚、電力会社、メーカー、米国など核マフィアが背後にいます。
関西広域連合には、再稼働に反対する住民などです。
こちら側の支える力が弱かったから、むすばれた処で、関西広域連合が変質しました。

しかし、あいて側のなかみは、権力を持っているから、機関を押さえているだけです。
核を推進するマフィアは、ほんの極少数者です。
こちら側は、植物のつるの様に、どんどん伸びていけば好い。


53. 宮島鹿おやじ 2012年6月01日 08:35:56 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
>こちら側は、植物のつるの様に、どんどん伸びていけば好い。

ありがとうございます。
何かが吹っ切れました。


54. 2012年6月01日 08:44:15 : SeLIJGVojK
あやみ さま
安芸ガラスです。

>「原発が嫌なら勝手に江戸時代にでも帰れ」
そんな風潮に反論するべく今まで色々と考察して来ましたが、その気持ちは日ごと強くなる一方です。原発の産みの親である資本主義、その傘の下で育った骨なしども、言葉が通じるのに話が通じない日本人…

江戸時代、好いですね。
ただし、武士と公家は御免ですね。
徳川家臣である譜代大名のまつえなどが、担がれて政治家になっています。
特殊法人には、五摂家の名前を見ます。

いまも、特定のグループによって政治が占有されていますね。


55. あやみ 2012年6月01日 09:55:38 : oZZpvrAh64sJM : jxPjVcZe2g
安芸ガラスさま

江戸時代の武士は実にゆがんだ存在だったでしょう。なにせ戦がないんですから。
武人が役人に成り下がったのです。

「役」という漢字には音読みがなく、当然大陸からやってきた言葉すなわち制度です。字源は人が矛のような武具を携えて歩くさまを表現したものです。大陸文化伝来によって築かれた律令国家においての税制のなかにある「雑役」は兵役や造営従事を意味し、「義務」と解釈できます。「役」に近いと思われるやまとことばは「つとめ」ですが、古語では「たったひとつの仕事」という非常に深い意味で使われ、やはり「役」とはどうもかみ合いません。「役」は日本語に融合しなかった漢字の代表格に思われます。

太古の「役人」とは中央から派遣され徴税と警護の役をおびた国司たちです。その元締めは朝廷の貴族です。やがて時代は降り武士が世を治めるようになると貴族たちはおとなしくなりますが、逆に戦のない世が訪れると武士たちは存在の意義を失い、弓馬を忘れて立場すなわち「役職」を死守することに明け暮れします。そして「お役人さま」の「お役目」はその無意味さとは裏腹に実に大儀なものとされました。

いまも、「役人」という頭の弱い集団に踊らされているのが日本です。

>徳川家臣である譜代大名のまつえなどが、担がれて政治家になっています。
特殊法人には、五摂家の名前を見ます。

そうですね。それに加えて江戸の豪商も産業・流通界にいまだ影響を維持しています。日本には閉山した金山がいくつもあります。しかしそれは政府ではなく三井(三菱?忘れました)などの企業が所持しています。
開国後の日本で政治家として活躍した人々の先祖が古代史でどのような位置にいたかを考えると非常に面白いのですが、今ちょっと時間不足でそこまで考察していません。いずれやってみようと思います。

おやじさま、投稿記事と話がずれてしまいました。どうかお許しを。


56. 宮島鹿おやじ 2012年6月02日 05:19:11 : NqHa.4ewCUAIk : G2rUQ9kENk
安芸ガラス様
あやみ様

>おやじさま、投稿記事と話がずれてしまいました。どうかお許しを。

とんでもありません。世界と自分が不可分であるならば、あらゆる事象は連関しています。「日本の不幸」を共に考えていくことが未来の子供たちのためになると確信します。共に、植物のつるのようにどんどん伸びて行きましょう。


昨日、多摩市、東村山市などを若干調査してきました。感触としては、やはり、葛飾の汚染が突出していることです。しかし、奥多摩町、多摩市、東村山市においてすら、「全く汚染の痕跡のない」ところなどはありませんでした。


57. 2012年6月03日 08:44:29 : fZJdVnmUKM
宮島鹿おやじ様
あやみ さま

安芸ガラスです。

>昨日、多摩市、東村山市などを若干調査してきました。感触としては、やはり、葛飾の汚染が突出していることです。しかし、奥多摩町、多摩市、東村山市においてすら、「全く汚染の痕跡のない」ところなどはありませんでした。

ありがとうございます。


>「役」に近いと思われるやまとことばは「つとめ」ですが、古語では「たったひとつの仕事」という非常に深い意味で使われ、やはり「役」とはどうもかみ合いません。「役」は日本語に融合しなかった漢字の代表格に思われます。

武士の世界は「役」の関係なのですね。
明治以降の、われられ庶民の「家」も変質したのでしょう。
とても興味があります。


58. mainau 2012年6月04日 16:24:50 : GgaPs4QXWLwO2 : 85rTG3hiJk
南相馬市というものが今なお存在している理由はただ一つ。
原発事故収束には、あと数十年かかる。
そのための作業員人員プールとか後方の支援基地としての自治体が拠点として必要。
そのためにあるのが南相馬市。
市民の被爆についてはそれほど敏感にはならないのは、南相馬市は原発事故後の最前線の後方の支援基地として存在しているから。
政府から見れば、市民は使い捨てになる。
日本とはそういう国家。

  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 原発・フッ素24掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 原発・フッ素24掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧