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郵便事件公判は、ツイッターのジャムセッション状態で、小泉ハゲタカ一派系の検察官・判事・記者が出鱈目をする隙がありません)
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投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 3 月 04 日 15:16:22: 4sIKljvd9SgGs
 

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【元厚労省村木敦子局長の公判記録2010.3.4AM(江川詔子・竹中ナミ)by Twitter】
http://www.asyura2.com/10/senkyo81/msg/667.html
投稿者 加藤 日時 2010 年 3 月 04 日 15:09:10: ZcB0xpcLKA8ZE

nami_takenaka 無事、江川さんと合流して法廷内なう。いざ!
10時開廷。石井議員入廷。白髪、大柄。選挙区が私の住む「兵庫一区」なので、選挙カーや路上演説などでお見かけしたことはあるが、間近に会うのは初めて。「こわもて」の印象を抱いてたが、終始、穏やかな声で話された。証言席に移る前に、秘書がペットボトルのお茶を渡し、一口飲んで証言席へ。

石井氏は弁護側証人なので、宣誓の後、弘中弁護士からの質問で尋問開始。まずは1929年衆議院議員初当選から今日までの経歴や所属した委員会などが語られる。外交、防衛・安保、国土交通、都市開発に関する委員や選対委員長歴任など。弘中弁護士が「厚労省の委員会はありますか?
「いわゆる厚労族議員かということですが」と直截に聞いたので、廷内にちょっと笑い。「厚労委員会に属したことはなかったと思うが、私は何省の族議員でもない」と、ちょっとムッとした口調で石井氏。

「本事件に関わった倉沢を知ってますか?」弘中弁護士の質問が核心に触れ始める。「勿論!」と、石井氏。「1982年に秘書公募で採用した。礼儀正しい人だったが、1年後に私の事務所を離れ、職を転々とした後、弟(石井一二)の秘書になったので、わたしにとっては弟の秘書という印象が強い。」「1年で辞めたので、重要な仕事は担当していない。」この後、何度も石井氏は、自分にとって重要人物ではないことを繰り返し述べる。「彼は私のインナーサークルの人ではない。奥さんが働いて支えてるとも聞いたし、失礼な言い方になるが、職を転々としてるので、どこで何をしてるか知らない」インナーサークルの人ではない、という言葉を聞いた時は、なぜだか背筋がゾクッと。

amneris84 検察側の描いた構図での、石井議員の位置づけをおさらい。自称障害者団体「凜の会」代表の倉沢被告は、昔秘書として務めたことのある石井議員の事務所を訪ね、石井氏に公的証明書について厚労省に口添えしてくれるよう依頼。石井議員が厚労省の塩田部長に依頼し、塩田部長が村木被告に指示。村木被告(当時は厚労省課長)が上村被告(同係長)に証明書偽造を指示した――という筋書き。ところが、これまでの公判で、上村被告は村木被告の指示を否定。塩田部長も村木被告への指示や石井議員からの働きかけを否定。倉沢被告だけが「2004年2月午後1時に石井議員と会った」と証言

nami_takenaka 弘中弁護士「では、倉沢氏とどの程度の接触が有ったのでしょう?」石井氏「私は克明に手帳をつける性格で、いつ誰と、どんな要件であって、どう対応したかなどを全て書いている。それによると・・・倉沢氏に会ったのは、2001年1回、02,02年0回、04年2回・・・007年は選挙があり、それでも6回。つまり平均すると年に1−2回事務所に顔を出す程度ということです。」と石井氏。

「では問題の、平成16年2月25日についてお聞きします。」弘中弁護士の口調が心なしか厳しくなる。「この日の倉沢の手帳には、13時石井一、木村との記述があり、これが本事件にあなたが関与されてるという疑いに繋がってるのですが、あなたはこの日、倉沢と会われてますか?」「絶対ありえません!私は過去40年間、その日の出来事を手帳に記録してますから・・・200冊になるんですよ。それを確認してもらえれば・・・」

石井氏の言葉を受けて弘中氏が「手帳を!」と、裁判長に要請したとたん、検事が「異議あり!」と大声で叫ぶ。公判前整理手続で証拠採用していないものを、突然出すな、というのが検事の言い分だ。「採用できません!」検事の顔が真っ赤になる。「ダメです!」

「では、証拠採用が必要な理由を述べます。」と弘中氏が冷静に話し始める。「まず何より、石井氏の関与を言ってるのは検察官です。これを争う場で、否定材料を提出するのは、当たり前ではないですか?」検事は着席も忘れて弘中氏を見つめている。「公判前整理手続の段階では、石井氏が克明に手帳に記録をとるかたとは、分かりませんでした。しかし本件で石井氏が事情聴取を受けた時、実は石井氏は手帳を検事に見せているんですよ。検事がきちんと見なかっただけです。石井さん、その時の検事がここに居ますか?」「はい」石井氏が検事席を見ながら答える「そこにおられる・・・少し太られてメガネもかけておられるので別人のように見えるが、あの方です。」名指しされたM検事、ちょっと顔を赤らめて、俯く。

「そのようなワケで、手帳の証拠採用をして戴きたい」弘中氏の言葉に裁判長が頷く。法廷内の左右の壁にかけられた大きなTV画面に、石井氏の手帳がアップで映し出される。「2004年2月25日・・・この日に丸印がついてますが、これは?」「それはゴルフの日、という印です」と石井氏。「7:56ティーオフと書かれてますね。」しばらく、参加メンバーやスコア、何時頃終わったというような会話が続く。

amneris84 今日の公判で弁護側証人として出廷した石井議員は、過去40年にわたって自分の予定と実際の行動について克明に手帳に記録している、と証言。04年2月25日は衆議院の予算審理が佳境を迎え、「年金、構造改革の集中審理が予算委員会で行われ、閣僚は全部そこに張り付き。他の議員は予定がなかった」「なので私はその日成田市のゴルフ場にいました」と述べ、一緒にゴルフをした議員などの名前を挙げました。

午前7時頃に自宅を出て、1ラウンドプレーをし、風呂に入って着替えをして4時頃ゴルフ場を出たとのことです。その後は東京に戻り、赤坂の料理屋で議員や業界関係者との懇親会に直行。そのため、事務所で倉沢被告と会うことはありえない、と石井氏は強調しました。

また、倉沢被告が石井氏の秘書になったのは1982年で、翌年の選挙で石井氏が落選したため、務めていたのはわずか1年。その後は、石井氏が参院比例区に鞍替えした時に、ボランティアとして手伝ったくらいの関係、年に1、2回訪ねてくるというくらいの関係だったとのことです。2001年には1回、02年と03年はゼロ回、04年と05年は2回と、会った回数まで石井氏は正確に覚えていました。それは、法廷に来る前に手帳を確認しておいたから。会った人、用件なども、毎日欠かさず、克明に記録してあるそう。

nami_takenaka 「この手帳を、あなたは検事に見せたんですよね。場所は?」「大阪のリーガロイヤルホテルでした」と石井氏。う〜む、国会議員を呼び出す時は一流ホテルで話を聞くのか・・・と心のなかでツッコミを入れる。「(事情聴取なので)会話は録音されてるはずですね?」と弘中氏。うなずく石井氏。

amneris84 石井氏は、捜査段階で大阪地検の前田検事の事情聴取を受けています。そのときも、2004年分の手帳を全部並べて「見ていただいて結構ですよ」と言ったのに、検事はあまり興味を示さず、パラパラを見ているくらいで、その日について詳しく聞かれることはなかった、とのこと。
「今年に入って、弁護士さんから『この日の記録はあるか』と聞かれたので、『ありますよ』と言った。神戸の事務所に電話をして、古い手帳を確認させ、そのページをFAXさせたんです」と石井氏は経緯を説明しました。

というのは、検察側は、公判前整理手続きで石井氏の”アリバイ”について弁護側が主張してないとか、証言予定事実の書面にも書いてないので、手帳を弁護側が証拠提出したり、法廷で示したりすることに猛烈に反対したため、裁判長が、まず手帳を弁護人が入手する経緯を明らかにするよう求めたのです。

石井氏が経緯を証言したため、裁判長は、検察官の異議を退け、法廷で手帳を示すことを弁護側に許可しました。その手帳は法廷のスクリーンにも映し出されましたが、実に細かく誰といつ、どこで会ったかが書かれていました。問題の日のゴルフについては、場所やスコアまで書かれていました。

石井氏は、倉沢被告から「凜の会」について聞いたのは、たった一度。すでに証明書が発行された後の2004年11月6日。「倉沢が私の事務所を訪ねてきて、タブロイド大の新聞を見せて、(選挙対策のために)これに先生の写真や政策を載せたらどうか、と言ってきた。郵便代が安いんだ、と言っていた。

送る相手は障害者だという。民主党には障害者の団体をバックにしている候補者が他にいるし、今さら私がとってつけたように顔や名前を送っても、選挙の役には立たない。にわかごしらえでそういうことをしてもダメだと言って、私は話しに乗らなかった。その時に、新聞の名前を見て、『なんと読むんだ』と聞いたら、倉沢は『凜の会』ですと言った。私は『難しい名前やな。考えておくけど、気が進まない』と言った。後にも先にもこれっきりです」と石井氏は証言。弁護人から、「倉沢被告に、『あの時にお世話になりました』という話は出なかったのか」と聞かれ、「石井氏は『ありません』」と明言。

まったく無関係なのにマスコミにあたかも関係があるように報じられ、選挙を控えていたのに、とても迷惑をしたと石井氏。支援者からも「厚労省の局長と男女関係でもあるのか」という電話まで来るようになり、困って弁護士に相談。身の潔白を証明するために、やむをえず週刊誌を提訴した。
「新聞なんて、(間違いを)書いたって、全然責任とりませんからね」と法廷でぼやく石井氏でした

石井氏が使っている手帳は黒表紙、横10センチ、縦15センチ、厚さ1センチくらいのもの。150ページを2ヶ月で使い切ってしまう、とのこと。1年に6冊、過去の分が約200冊保管してあるそうです

休廷。石井議員の手帳を巡って検察と弁護側の論争あり。検察は、それを証拠提出したり 法廷で示すことに猛烈に反対。そこには、検察の描いた構図を突き崩す重大事実がかかれいました。倉沢被告が公的証明書を得るために石井議員に会ったという日、じつは石井氏はゴルフ場にいたのでした

石井議員は自分の行動を克明に記録していました。その事実が判明するのを恐れた検察が懸命の抵抗をしたのでした

nami_takenaka その後、手帳を精緻に点検しながら弘中氏と石井氏のやりとりが続き、その日はどのようにしても石井氏が倉沢に会うことは出きなかったことが明らかになった。11時過ぎ、少し休憩がとられ、石井氏は笑顔とドスの利いた声で厚子さんに「初めてお会いしますね」と声をかける。笑顔で一礼する厚子さん。
石井氏、塩田氏会った記憶なし、厚子さんに「初めてお会いしますね」と、会釈。
さぁ、そろそろ午後の法廷に戻らねば・・・とツイッター・サイトを確認すると、わぉっ!江川さんとツイート競演になってるぅ!! なんたる光栄\(^0^)/ 午後も頑張るぞっ!!
amneris84 そろそろ裁判所に戻ります。  

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