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「潜伏キリシタン」世界遺産に登録決定 ! 長崎県・熊本県:国内22件目
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/10380.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2018 年 7 月 02 日 20:48:44: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


「潜伏キリシタン」世界遺産に登録決定 !

  長崎県・熊本県:国内22件目潜伏キリシタンとは ?

(www.asahi.com:2018年6月30日18時05分より抜粋・転載)

朝日デジタル:上田真由美: バーレーンで開かれているユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は、6月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)を、世界文化遺産に登録することを決めた。

国内の文化遺産は昨年の「沖ノ島」に続き18件目。自然遺産とあわせると22件となる。

 登録されるのは、江戸幕府がキリスト教を禁じた17〜19世紀に、伝統的な宗教や社会と共生しながらひそかに信仰を守り続けた「潜伏キリシタン」が育んだ独特の文化的伝統を示す遺産群。

禁教が本格化するきっかけとなった島原・天草一揆の舞台だった原城跡や信仰を集めた離島も含む集落や集落跡、潜伏キリシタンが宣教師に信仰を告白した大浦天主堂など、12の構成資産すべてに「顕著な普遍的価値がある」と認めた。

 同遺産をめぐっては、2015年に政府が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として推薦を提出したが、ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」から禁教期に焦点を当てるべきだと指摘された。
政府はいったん推薦を取り下げ、禁教期と関係が薄い2資産を除いて練り直して昨年、推薦書を再提出。今年5月に諮問機関が「登録」を勧告し、実質、2度目の挑戦が認められた形だ。

 一方、同時に国内から世界自然遺産への登録を目指していた「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」(鹿児島、沖縄両県)は、ユネスコの別の諮問機関から5月に抜本的な見直しを迫る「登録延期」を勧告され、6月、推薦を取り下げた。早ければ来年にも推薦書を再提出することを目指している。

 国内からは、来年の世界文化遺産候補として「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を今年1月に推薦している。(上田真由美)

 〈長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産〉 2007年、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として暫定リストに記載されたが、政府は2013年、「明治日本の産業革命遺産」の推薦を決定。

教会群は、2015年にユネスコへ正式推薦書が提出されたが、翌年、「禁教の歴史の特殊性に焦点を当てるべきだ」とするイコモス(国際記念物遺跡会議)の指摘を受けて推薦を取り下げた。
潜伏時代をクローズアップする形で推薦書を練り直し、名称を変更した上で2017年、正式推薦書がユネスコに再提出された。

     ◇

 〈世界遺産〉 1972年の世界遺産条約に基づき、各国政府の推薦の中から、国際記念物遺跡会議(イコモス)などの審査と勧告を経て、21カ国でつくる世界遺産委員会が年1回、「顕著な普遍的価値」や「真正性」、保全措置などを検証したうえでリストに載せるかどうかを決める。世界遺産の総数は、文化遺産832件、自然遺産206件、両方の価値を備えた複合遺産35件の計1073件(昨年7月現在)。

     ◇

日本の世界遺産:登録年 記載物件名

1993年 法隆寺地域の仏教建造物(奈良)

    同 姫路城(兵庫)

    同 屋久島(鹿児島)*

    同 白神山地(青森・秋田)*

   1994年 古都京都の文化財(京都・滋賀)

   1995年 白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜・富山)

   1996年 原爆ドーム(広島)

    同 厳島神社(同)

   1998年 古都奈良の文化財(奈良)

   1999年 日光の社寺(栃木)

2000年 琉球王国のグスク及び関連遺産群(沖縄)

   2004年 紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道(三重・奈良・和歌山)

   2005年 知床(北海道)*

   2007年 石見銀山遺跡とその文化的景観(島根)

   2011年 平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(岩手)

    同 小笠原諸島(東京)*

   2013年 富士山―信仰の対象と芸術の源泉(山梨・静岡)

   2014年 富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬)

   2015年 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・山口・岩手・      静岡)

   2016年 ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献(東京・国立西洋美術館)

   2017年 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群(福岡)

   2018年 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(長崎・熊本)

*は自然遺産

(参考資料)

潜伏キリシタン・隠れキリシタンとは ?

(ウイキペデアより抜粋・転載)

マリア観音(主に中国製の慈母観音像を、聖母マリアに見立てて信仰の対象としていたもの)隠れキリシタン(かくれキリシタン)は、日本の江戸時代に江戸幕府が禁教令を布告してキリスト教を弾圧した後も、密かに信仰を続けた信者である。以下の2つに分けられるが、一般に両者を区別せずに呼ぶ。

1:強制改宗により、仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教(カトリック)を偽装棄教した信者。

2:1873年(明治6年)に、禁教令が解かれ潜伏する必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守り、カトリック教会に戻らない信者。

敢えて両者を区別する場合、1は「潜伏キリシタン」、2は「カクレキリシタン」(すべて片仮名で表記)と呼ぶ。

T 潜伏キリシタン:

日本では、1549年にフランシスコ・ザビエルが来日して以降、キリスト教の布教がおこなわれて次第に改宗する者(キリシタン)が増えていった。しかし、江戸時代には、1614年に徳川家康による禁教令によってキリスト教信仰は禁止され、さらに1637年に起きた島原の乱の前後からは幕府による徹底したキリスト教禁止、キリシタン取り締まりが行われた。

「邪教#江戸時代」および「日本のキリスト教史#江戸時代」も参照

当時のカトリック信徒(キリシタン)やその子孫は、表向きは仏教徒として振る舞うことを余儀なくされ、また1644年以降は国内にカトリックの司祭が一人もいない状況ながらも、密かにキリスト教の信仰を捨てずに代々伝えていった。これを「潜伏キリシタン」と呼ぶ[1][2]。

「潜伏キリシタン」は、ごく小さな集落単位で秘密組織を作ってひそかに祈祷文「オラショ」を唱えて祈りを続け、慈母観音像を聖母マリアに見立てたり(今日、それらの観音像は「マリア観音」と呼ばれる)、聖像聖画やメダイ、ロザリオ、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵して「納戸神」として祀ったり、キリスト教伝来当時にならったやり方で生まれた子に洗礼を授けるなどして信仰を守りつづけた(これらの信仰の形式は地方によって異なる[※ 1])。

「潜伏キリシタン」は、当初は国内広く潜伏していたとされるが、多くの土地ではすぐに途絶えていったとみられる。しかし、長崎県をはじめ熊本県の天草など九州の一部では、キリスト教伝来当時から継続的に宣教師の指導を受けた信仰が広く浸透していたことから、幕末まで多くの信仰組織が存続していた。

幕末の開国後の1865年(慶応元年)、長崎の大浦天主堂を浦上(現・長崎市浦上)在住の信者が訪ねてきたこと(「信徒発見」と呼ばれる)から、潜伏キリシタンの存在が国内外で知られるようになった。

詳細は「大浦天主堂#信徒の発見と大浦天主堂」および「ベルナール・プティジャン#信徒発見」を参照

その後、浦上の他にも長崎県の外海や五島などでも信仰を表明する者が多数あらわれた。しかしキリスト教はいまだ禁教であったため、信仰を表明した信者は投獄や拷問によって棄教を迫られ、あるいは全国に配流されるなどの大規模な弾圧にあった。

詳細は「浦上四番崩れ#流配」および「崩れ#江戸時代末期から明治時代初期」を参照

「五島列島#五島のキリスト教史」も参照

明治政府によるキリスト教弾圧は諸外国の非難・批判を招くことになり、1873年(明治6年)に、江戸幕府以来の「キリシタン禁教令」が解かれて信仰の自由が認められた。
それ以降はキリスト教信者ということだけで重罪に処されることが無くなり、再宣教のために来日したパリ外国宣教会などによって、一部を除く多くのキリシタンたちがキリスト教信仰を表明し、カトリック教会の信仰に復帰した。

詳細は「日本のキリスト教史#カトリック教会の復興とキリスト教解禁」および「禁教令#明治政府による禁教令と政教分離」を参照

「浦上四番崩れ#帰郷」および「邪教#明治時代」も参照

現在では日本国憲法第19条および日本国憲法第20条により法的にも信教の自由が保証されているため、定義上潜伏キリシタンは現存しない。

U カクレキリシタン

江戸時代潜伏していたキリシタンたちは、200年以上もの間司祭などの指導を受けることなく自分たちだけで信仰を伝えていったため、長い年月の中でキリスト教の教義などの信仰理解が失われていき、仏教や神道、民俗信仰などとも結びついたり、あるいは地元の殉教者に対する尊崇を精神的な拠り所としつつ、キリシタン信仰当時の聖具からなる御神体や、殉教者が没した聖地などを主要な信仰対象とするもの[3]に変化していった。

このため、明治時代以降にキリスト教の信仰が解禁されて再びカトリックの宣教がなされても、地域によっては半数以上のキリシタンは改宗に応じなかった[4][※ 2]。その後も独自の信仰様式を継承している人たちが、長崎県の一部地域に現在でも存在する。現地では「古ギリシタン」「旧キリシタン」「元帳」などと呼んでいるが[5]、学術的には、これを「カクレキリシタン」(全て片仮名表記[※ 3])と呼ぶ[※ 4]。カクレキリシタンの研究者である宮崎賢太郎(長崎純心大学教授)は、次のように定義している。

 

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