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沖縄、きょう慰霊の日 糸満市摩文仁で戦没者追悼式
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投稿者 青木吉太郎 日時 2019 年 6 月 24 日 20:18:42: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


 沖縄、きょう慰霊の日 糸満市摩文仁で 戦没者追悼式

  第二次世界大戦・大東亜戦争の深層・真相は ?


(ryukyushimpo.jp :2019年6月23日 05:00より抜粋・転載)

琉球新報:慰霊の日 沖縄戦 平和の礎 沖縄全戦没者追悼式

沖縄県は、6月23日、「慰霊の日」を迎えた。おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦となり、多くの尊い命や文化遺産を奪った沖縄戦から74年。激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、午前11時50分から県と県議会主催の沖縄全戦没者追悼式が開かれる。20万人以上の戦没者に思いを寄せ、恒久平和を願う。

 追悼式では玉城デニー知事が平和宣言をするほか、糸満市立兼城小6年山内玲奈さん(11)が自作の詩「本当の幸せ」を朗読する。安倍晋三首相や関係閣僚、衆参両院議長も出席する。

 犠牲者の名前を刻んだ「平和の礎」はことし新たに42人が追加され、総数は24万1566人となっている。22日も雨が降りしきる中、花を手向けたり、手を合わせたりする遺族の姿が見られた。

 幼い姉を亡くした会社員の酒屋常男さん(65)=浦添市=は孫と訪れ、姉・フサ子さんの名前の前で手を合わせた。「礎があるだけで姉の思いが残っている気がする。こうして前に立つと伝わってくるものがある」と感慨深そうな表情を見せた。

 子や孫とともに訪れた野原菊枝さん(82)=那覇市=は祖父・西銘宜保さん、父・宜盛さんの刻銘板に水を掛け、冥福を祈った。毎年訪れているという野原さんは、手を合わせながら戦時中の様子を孫に伝えた。

(参考資料)

T 第二次大戦・日中・日米戦争勃発の真相は、

     世界大恐慌後、英米の謀略だった !

副島隆彦・船井幸雄の主張:国民党と中国共産党を和解させて、抗日統一戦線をつくらせ、日本を敗北させようとしたことは、世界大恐慌後、景気回復のため、世界大戦誘導を狙う、英国と米国の裏の戦略でもあった(日本を、戦争に駆り立てたのは、米国による、石油禁輸措置だった。

日本は、資源確保のために中国等東南アジアに侵攻した)。特に、米国は、英国を追い抜いて、世界覇権国になるという、英国に内密の戦略のため、大戦後・対ソ連との戦いのため、1930年代から、日本占領・支配・収奪を狙って、長期的に準備していた。つまり、日本政府・陸海軍首脳は、英国・米国・ソ連・中国共産党の仕掛けたワナに嵌められて、無謀な大戦に突入したのだ。

マッカーサー元帥は、この日本首脳を、12歳並と言った。自民党体制(官僚機構・財界・マスコミ・御用学者・御用評論家も含む)は、アメリカが裏から思い通りに支配するために、強力なアメリカ主導で作ったものである(『昭和史からの警告』。

U 米英中国などやマスコミのウソ宣伝を見破ろう !

1、中国の主張・「盧溝橋事件は日本が仕掛けた」への反論

中国側の文献が示す“中国共産党の謀略"説 :渡部昇一教授の主張

 日中戦争の発端となった昭和十二(1937)年七月の盧溝橋事件は、中国では「七七事変」とも呼ばれ、教科書で特に詳しく記述されている。自民党政権は、反論を国民に教育してこなかったし、国際的な啓蒙も怠ってきた。中国・韓国は、自論を、徹底的に国民に教育し、国際的にも啓蒙を徹底的に数十年間実行してきた。
(1)中国の教科書記述 

中国人民教育出版社の「中学歴史教科書」は、こう書いている。
「1937年7月7日夜、日本侵略軍は北平(北京)西南の盧溝橋に進攻し、長い間からもくろんでいた全面的な侵華戦争を開始した」「7日夜、日本軍は盧溝橋北側で盧溝橋進攻を目標とした軍事演習を行った。彼らは一人の兵士の失踪を口実に、苑平県城に入って捜査することを理不尽に要求し、中国守備軍に拒絶された。日本軍はすぐさま苑兵県城に向けて攻撃を開始した」(明石書店「中国の歴史」より)

 侵略の機会をうかがっていた日本軍が、兵一人の行方不明を口実に中国側に無理な要求を突きつけ、断られたため、全面的な侵略戦争に突入したという書き方である。
 東京裁判でも、元北京市長の秦徳純証人が同じような"日本軍挑発"説を主張したが、事実は全く異なる。 日本では、戦後の実証的な研究により、最初に誰が撃ったか分からない「謎の発砲」があり、原因不明のまま偶発的に日中両軍が衝突したという「偶発」説が有力になった。(原因については、”歴史を考える1”を参照)

(2)冷戦終結後の研究で中国共産党の謀略が濃厚と判明!

 盧溝橋事件について、最近の日本側の研究では、逆に、「中国側が事件を起こした」のではないか、という疑惑が深まっている。

 事件に詳しい秦郁彦氏は、最初の謎の発砲が中国軍側から行われたことをうかがわせる事実を、二十九軍の第三大隊長をしていた金振中の手記から突き止め、昭和六十二年十月、久留米大で開かれた国際政治学会で発表した。金振中はその後、中国共産党軍に身を投じ、金振中の上官だった第百十旅団長の何基?も事件後、中国共産党軍に転じている。

 このころ、中国共産党北方局第一書記をしていた「劉少奇」は、北京の図書館に勤務しながら、地下工作を指揮していたといわれる。国民政府の第二十九軍にも、副参謀長の張克侠をはじめ、多数の共産党員やシンパが潜伏したことが、戦後の「中国側文献」などで判明している。

 また、事件直後、北京大学の構内と思われる通信所から延安の「中国共産党軍司令部」に宛てて、「成功した」という意味の電報が打たれた事実が、元日本軍情報部員の「証言」で明らかになった(平成六年九月八日付産経新聞)。

 当時、日本政府も、蒋介石総統の率いる国民政府も、「衝突を望んではいなかった」のである。“衝突を望んでいたのは、旧ソ連のコミンテルンと中国共産党だった”のである。

真相はなお不透明な部分があるが、盧溝橋事件は、「中国共産党の謀略」によって起こされた疑いが極めて濃厚になってきている。少なくとも、日本軍が仕掛けたということは、「絶対にあり得ない」ことである。 中国当局はまず、秦氏らが調べた中国側の文献をきちんと読み直すべきである。

2、銃弾を放ったのは中国共産党工作隊(コミンテルンの子分)だ !

(菅沼光弘元公安調査庁第2部長の主張)

1935年7月、コミンテルン第7回大会で、反ファシズム人民戦線戦術が採択され、各国共産党は、フランス、イギリスと手を結んでドイツ・イタリア・日本の全体主義・軍国主義と戦うことが、最大の目標になった。蒋介石軍と日本軍を戦わせることで、国民党と中国共産党の国共合作戦略は、コミンテルンの指示通りの戦略だったのである。

盧溝橋事件の頃、中国共産党は、国民党との内戦で追い詰められ、逃避行(長征)の連続であった。共産党が生き残る道は、日本と国民党が戦争になって、内戦を中止し、共産党と国民党が抗日統一戦線を作る方向に誘導する以外なかった。中国共産党の文献に記述されているように、日中戦争誘導のため、盧溝橋の銃弾は、共産党・劉少奇が率いる工作隊が放ったものであった。

したがって、かつて、毛沢東は、中華人民共和国の成立は、「日本のおかげだ」、と言っていました。米国と中国は、表面的には対立しているようでも、裏の情報世界では、もともと親密な関係なのです。日中戦争中、米国ОSS(CIAの前身)長官の命令で、ОSS幹部が延安の共産党根拠地に出向いて、対日戦争において、武器等を提供して支援していた(『この国を支配管理する者たち』201〜207頁、『誰も教えないこの国の歴史の真実』108〜112頁)のである。

V 大東亜戦争・侵略戦争の犠牲者数は ?

(www.jcp.or.jp:2004年11月4日(木)「しんぶん赤旗」より抜粋・転載)

 〈問い〉 青年との対話で「数千万人が太平洋戦争で死んだというのはウソ」といわれました。

ネット上でもそんな書き込みがあります。犠牲者はどれくらい? それは何にもとづいているか? を教えてください。(長野・一読者)

 〈答え〉 1945年8月15日、天皇制政府は、ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏しました。

◆日本人の軍人・国民の死者は、合計310万人以上 !

15年にわたる戦争は、日本人の軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人以上(1963年の厚生省発表)の犠牲をもたらしました。

 戦後、日本政府は、一貫して、侵略戦争と認めることを拒否し、犠牲者数をなるべく過小に計算する見地で資料を作成し、戦争の惨害の本格的な資料を作成してきませんでした。

前記の厚生省資料も、太平洋戦全国戦災都市空爆犠牲者慰霊協会の調査によって推計したものです。

◆大東亜戦争では、アジア・太平洋各国に、2000万人以上の死者 !

 日本の侵略戦争・大東亜戦争は、アジア・太平洋各国に、2000万人以上の死者をふくむ史上最大の惨害をもたらしました。この数は、各国の政府公表あるいは、公的発表にもとづくものです。

中国1000万人以上(「中国の人権状況」中国国務院=ただし37年7月〜45年8月まで。他に

2000万人との報告もある)、べトナム200万人(独立宣言)、インドネシア400万人(サンフランシスコ講和会議での同国代表発言)、フィリピン111万1938人(対日賠償要求)、インド150万人(べンガル飢餓死者のみの推計、政府任命飢餓調査委員会)、ニュージーランド1万1625人(政府公表)、

オーストラリア2万3365(同)、そのほか泰緬(たいめん)鉄道建設に投入された労働者の各国死者7万4025人(英国調査)など。ミャンマーやシンガポール、朝鮮などをのぞいても、これら諸国の公的発表の死者数だけでも1872万から2872万人を数えます。

さらに日本の植民地支配のもとにおかれた朝鮮では、36万4186人が軍人・軍属として戦場にかりたてられ、死亡・行方不明者15万人(推定)、強制連行などによる死者・行方不明者をふくめ、20万をこえる人びとが犠牲となりました。(喜)〔2004・11・4(木)〕

W 10万人超を、戦時中、非国民として迫害した !

非国民(ひこくみん、旧字体: 非國民)とは、自国で「国民に非ざる振る舞いをする」とされる人物を指す日本語の蔑称である。第二次世界大戦中に、戦争に反対・戦争遂行に協力しない・不十分な者、国家神道に反対する人、果ては生活に不満を漏らす者などに使用され、他にも不満や欲求の表明を抑圧するような各種標語が唱えられた(例:「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ」「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ、まず不服を言いますまい」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「お前は日本人か、その姿で」など)[1]。

戦時体制に順わない者・具体的に反戦を唱える者は近隣住民から「非国民」呼ばわりされ迫害されることもあった。

また太平洋戦争期には日本政府も「非国民」という言葉を用いた。例えば内閣の情報局による「家庭防空の手引き:我等は総て国土防衛の戦士」『週報』では、本土空襲があった場合、隣組による消火活動に協力しなかったり(防空法で禁じられた空襲予告地域からの逃亡など)、事前に買いだめをしたりすることなど、つまり自分や自分の家族の安全・生活を戦争遂行のための集団行動よりも優先させるような姿勢を持つことを、「非国民的」などと述べている[2]。

 

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