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  大相撲:徳勝龍、20年ぶり幕尻優勝 !結びの一番で貴景勝を破って初V !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2020 年 1 月 28 日 15:50:33: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


 大相撲:徳勝龍、20 年ぶり幕尻優勝 ! 異例ずくめの初場所、

    結びの一番で貴景勝を破って初V !

     徳勝龍のプロフィールとは ?

(www.sponichi.co.jp: 2020年1月26日 17:26 より抜粋・転載)

スポニチ:大相撲初場所千秋楽は、1月26日、両国国技館で行われ、13勝1敗で、単独トップに立っていた徳勝龍が、結びの一番で、貴景勝を寄り切りで下して初優勝をした。

2000年春場所の貴闘力以来、20年ぶり2度目となる、幕尻での賜杯となった。

徳勝龍は、10日目の千代丸戦から4日連続の突き落としで、白星であった。

自己新記録の12勝に到達すると、13日目に、1敗同士で並走していた、正代との直接対決を、5日連続の突き落としで制し、13勝1敗で、単独トップに立っていた。

 千秋楽結びの一番に、平幕力士が登場するのは、昭和以降では、1927年春場所の若常陸(西7枚目)、72年初場所の栃東(西5枚目)に続き、48年ぶり3度目である。

白鵬、鶴竜の両横綱が序盤で休場し、貴景勝と豪栄道の取組が、流れたことで、場所は横綱、大関陣同士の対戦が一番も組まれなかった。

同様のケースは、2001年秋場所以来、18年4カ月ぶり。異例ずくめの初場所となった。

 徳勝龍は、2009年初場所の初土俵から、12年目で幕内在位25場所、三賞受賞経験はない。

十両を24場所務め、スポットライトを浴びる機会は、ほとんどなかった33歳が、歴史的な番狂わせを、やってのけた。

(参考資料)

    徳勝龍のプロフィールとは ?

(ウィキペディアより抜粋・転載)

徳勝龍誠(とくしょうりゅう・まこと、1986年〈昭和61年〉8月22日生まれ、33歳)は、奈良県奈良市出身(出生地は高市郡高取町)で、木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。本名は青木誠(あおき・まこと)。身長181cm、体重184kg。最高位は西前頭4枚目(2015年5月場所)。趣味はダーツ。いわゆる「花のロクイチ組」の1人[1]。

◆来歴

小学4年生のとき橿原市のけはや道場で相撲を始めた。中学からは大阪府岸和田市の右門道場へ通い、中学卒業後は相撲の名門校でもある明徳義塾高校に進学。高校2年生でインターハイ団体優勝を経験し、個人では2年生の時に国体16強、3年時に金沢大会8強などの成績を残した。

近畿大学経営学部進学後は、学生横綱にはなれなかったものの、西日本学生相撲選手権大会、全国大学選抜相撲高知大会で、優勝するなどした。

大学4年生のときに木瀬部屋に入門し、2009年1月場所で初土俵を踏んだ(初土俵の同期には宝富士、皇風、貴ノ岩などがいる)。学生横綱でないため幕下付出が得られず、前相撲から初土俵になったものの序ノ口と三段目でそれぞれ各段優勝を果たし、同年11月場所で幕下に昇進した。

その後も負け越しを経験しないまま2010年3月場所では東幕下4枚目まで番付を伸ばしたが、この場所は3勝4敗で初めての負け越しを経験した。同年11月場所では自己最高位となる東幕下2枚目に昇格し十両目前だったが1勝6敗と大敗した。

2011年1月場所から四股名を本名の青木から徳勝龍に改名。この四股名は出身高校の明徳義塾から徳、近畿大学相撲部で指導を受けた監督の伊東勝人から勝のそれぞれの字をとった[2]。

同年9月場所で東幕下筆頭で5勝2敗で勝ち越し11月場所での十両昇進を果たした。11月場所では初日から7連勝し十両優勝の可能性があったものの中盤での連敗が響き十両優勝を勢に譲る結果となってしまったが、10勝5敗の好成績を残した。

2012年1月場所は肘の故障のため2勝13敗と大きく負け越し、翌3月場所では幕下に陥落(西幕下2枚目)するも勝ち越し十両復帰を決めた。同年7月場所では同部屋の常幸龍らと共に終盤まで優勝争いに残ったものの、終盤に失速して10勝5敗に留まり、十両優勝は千代の国のものとなった。

翌9月場所も勝ち越して11月場所では自己最高位となる西十両3枚目まで番付を上げるも、6勝9敗と負け押した。

その後はしばらく十両の土俵が続いたが、2013年5月場所は14日目まで12勝2敗で琴勇輝と共に優勝争いのトップに立ち、千秋楽は琴勇輝に敗れ十両優勝はならなかったが12勝3敗の好成績を挙げ、翌7月場所で新入幕(東前頭16枚目)を果たした。

奈良県からの新入幕は、力櫻・2006年7月場所の大真鶴以来戦後3人目のことであった。

この場所は12日目に勝ち越しを決めたが、これにより2013年に新入幕をした力士としては初めて、新入幕場所で勝ち越しを決めたことになった。14日目まで9勝としたことから、三賞選考委員会では敢闘賞の候補に挙がり、千秋楽勝てば受賞とすることが決定されたが、千秋楽に負けてしまったため、初の三賞受賞はならなかった。

同年11月場所を7勝8敗で終えると、2014年1月場所は名目上半枚下降となる(大関が1人陥落した分平幕が半枚増えたため、実質上は据え置き)東前頭15枚目の地位で迎え、11日目から4番連続で給金相撲を落とすなど終盤で苦労するも千秋楽に白星を得て8勝7敗となった。

続く3月場所も勝ち越して、5月場所では自己最高位となる西前頭7枚目に番付を上げたが、6勝9敗と負け越し。翌7月場所も4勝11敗と大敗して、9月場所では十両への陥落を余儀なくされた。しかしこの場所では12勝3敗と全勝優勝を達成した栃ノ心に次ぐ成績を残し、1場所で復帰。11月場所では一気に西前頭9枚目に番付を戻したが、4勝11敗と大きく負け越した。

東前頭16枚目に番付を落とした2015年1月場所は、11勝4敗の好成績で自身初めての幕内での2桁勝利、優勝次点を記録した。以降も自己最高位を西前頭4枚目まで更新するなど概ね好調な1年であった。

2016 年6月に結婚[3]。しかし、この年は3月場所を除いてすべて負け越し、5月場所から4場所連続負け越しと大きく調子を落とした年であった。

2017年1月場所は十両8枚目まで番付を落として臨んだ。3日目までに2敗を喫するが、そこから9連勝と波に乗り、12日目終了時点では優勝争いの単独トップに躍り出た。しかし13日目に誉富士に敗れ、星の差一つで優勝争いを演じていた宇良、大栄翔に並ばれると、14日目も小柳に敗れ、この時点で宇良、大栄翔より一歩後退となった。

千秋楽は勝利し、宇良、大栄翔が共に敗れれば優勝決定戦という展開であったが、大栄翔が勝利したためそれはならなかった。それでも昨年の3月場所以来となる勝ち越しとなる11勝を挙げ、復活を印象付けた。番付運に恵まれ、翌3月場所は西前頭15枚目と再入幕を果たした。

この場所は前半から好調で、11日目に8勝目を挙げ勝ち越しを決めた。しかしそこから4連敗で勝ち越し一つに留まった。5月場所も10日目までに7勝を挙げて勝ち越しに王手としたが、先場所同様そこから星が伸びず、14日目に輝を破って勝ち越しは果たしたものの結局8勝7敗で勝ち越しは一つだった。場所後の6月17日に浅草の東洋館で行われたトークショーでは同席していた阿武咲と同じく2ケタ勝利を目標に掲げ、さらに徳勝龍は初三賞も狙うと宣言[4]。

しかし迎えた7月場所はいきなり3連敗するなど調子が伸びず4勝11敗と大敗した。9月場所は東の15枚目まで落として迎えた。しかしこの場所でも3連敗スタートすると以降も調子が出ず二場所続けての4勝11敗。十両に陥落した11月場所も負け越して3場所連続の負け越しとなった。

2018年1月場所は、十両で迎え、不戦勝で8勝目を得て、4場所ぶりに勝ち越した。翌3月場所は5勝10敗と二桁の負け越しを喫した。十両の土俵で10敗以上するのはおよそ6年ぶりとなる。東十両10枚目まで番付を落とした5月場所は、序盤から白星が先行。

11日目に勝ち越しを決めて優勝争いにも割って入ったが、ここから好調力士との取組が続いたこともあって4連敗。勝ち越し1つに留まった。7月場所は序盤3連敗と出遅れ、その後一進一退の星取りであったものの14日目に負け越しが決定し、7勝8敗。

続く9月場所は番付運に恵まれず2枚下降の東十両11枚目となったが、一度も連敗することなく11勝4敗の成績を挙げ、優勝決定戦では本割で敗れた大奄美を下して自身初めての十両優勝を果たした。場所中、自ら大事な勝負に弱いと認めていた中での十両優勝であった[5]。

2020年1月場所は幕尻(西前頭17枚目)で迎え、2日目に魁聖一郎に敗れた後に連勝街道を走り、14日目に同じ1敗同士の正代との大一番に勝つと千秋楽では何と幕尻力士として大相撲史上初となるこれより三役に登場し、これも幕尻力士として大相撲史上初となる千秋楽結びの一番に登場して大関貴景勝と対戦、寄り切りで貴景勝を下して自身初となる、そして奈良県出身の力士としては1922年(大正11年)1月場所の鶴ヶ濱(荒磯部屋)以来、98年ぶりともなる幕内最高優勝を成し遂げた[6]。

幕尻での優勝は2000年春場所の貴闘力以来20年ぶり。西前頭17枚目での優勝は歴代史上最低地位での優勝。返り入幕での優勝も史上初と、記録ずくめの優勝となった。

◆エピソード

明徳義塾高校の同級生には栃煌山[15]、1年後輩には千代桜、1年先輩には出羽鳳がおり、近畿大学での同級生には宝富士[注釈 2]、1年先輩には誉富士がおり、宝富士とは同じ経営学部出身である。

琴奨菊は高校の先輩で、学年が3年違いのため特に面識はないが場所中はよく声をかけてもらうという。

2016年11月場所の関取70人の内、四股名「徳勝龍」の42画は阿夢露と並んで1位の画数である(出典の記事中では正式な表記の「コ」ではなく新字体の「徳」を用いているため。厳密には43画で単独1位)。最初は1つ1つ書くのに時間がかかり、これについてコ勝龍は「取組が終わって帰るときに求められると大変でした」と言い、また「今は崩して流れで書いています。

師匠に『何を書いているか分からない』と言われましたが、誰か分からないのがサインかなと」と語った[16]。

2010年11月場所は東幕下2枚目の地位で1勝6敗と大敗したが、場所後のパーティーで当時の師匠であった北の湖から「歌でも歌おうか」と、カラオケに誘ってもらったことを、北の湖の死去に際しエピソードとして語っていた[17]。

2016年7月場所より奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」の化粧まわしを締めることとなった。同年6月24日に地元の奈良県庁を訪問した際に後援会「育てる会」から贈呈された。若草色の生地の上に、締め込み姿で四股を踏む「せんとくん」の図柄があしらわれている。コ勝龍は「奈良は相撲発祥の地ですが、出身力士が少ない。自分がいい相撲を取ってもっとアピールしていきたい」と意気込んだ[18]。

2017年の山根千佳の発言によると、SNS界隈での人気は現役力士の中でもトップ3であるという[19]。

2018年の記事によると、部屋では「青木さん」と慕われる兄貴分であるとのこと[5]。

御当地巡業であった2019年4月1日の春巡業五條場所のポスターの写真には当時十両であった徳勝龍が写されていなかったが、代わりに既に引退していた稀勢の里の姿が写っていた。因みに五條市での大相撲巡業はこの時で64年ぶり[20]。

2020 年1月18日に近大時代に自身を指導していた伊東勝人監督が急死。特別な思いを抱いて臨んだ同年1月場所7日目で琴恵光を一気に寄り切った。「何でも前に出ないと決まらないと言ってくれていたのが監督だった」と本人は取組後に語っていた[21]。

 

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