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  オウム真理教・教祖・麻原彰晃の深層・真相は ?
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投稿者 青木吉太郎 日時 2020 年 3 月 22 日 16:23:27: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 

 オウム真理教・教祖・麻原彰晃の深層・真相は ?

  ○オウム真理教とは ?

(ウィキペディアより抜粋・転載)

会員数・最盛期:日本:15000人[3]、ロシア:35000人[4]

出家信者・1400人(日本国内)

会長: 麻原彰晃(1995年5月まで)、松本知子(1995年6月まで)、村岡達子(1999年まで)上祐史浩(ひかりの輪設立まで)

重要人物 石井久子、上祐史浩、新実智光、松本知子、松本麗華、村井秀夫(正大師)

青山総本部(1994年に東京・南青山にて撮影、2015年4月解体)

オウム真理教(オウムしんりきょう、AUM Shinrikyo)は、かつて存在した日本の(新興)宗教団体。1988年から1995年にかけて、オウム真理教事件を引き起こし、1996年(平成8年)1月に宗教法人としての法人格を失ったが活動を継続。2000年(平成12年)2月には破産に伴いオウム真理教という名称は消滅した。

破産とほぼ同時に、新たな宗教団体アレフが設立され、教義や信者の一部が引き継がれた。アレフは後にアーレフを経てAlephに改称され、また別の宗教団体であるひかりの輪、山田らの集団、ケロヨンクラブが分派した。

◆概説

地下鉄サリン事件を筆頭に、現世人の魂を救済する「ポア」を大義名分として、組織的に数多くの殺人事件を起こした新興宗教団体である[5]。

教祖である麻原彰晃(本名:松本智津夫)は、「ヒマラヤで最終解脱した日本で唯一の存在で空中浮揚もできる超能力者であり、その指示に従って修行をすれば誰でも超能力を身に付けることができる」、などと謳って若者を中心とする信者を多く獲得した。

教義的にはヒンドゥー教や仏教といった諸宗教に合わせ、1999年に世界に終末が訪れるとするノストラダムスの予言など、オカルトもミックスしていた。麻原自身は釈迦の教えを忠実に復元したとしていたものの[6]、実際のところ麻原にとって都合の良いものとなっていた。

当初はヨーガを学ぶ和気藹々としたサークルに過ぎなかったが、次第に常軌を逸した行動が見え始め、出家信者に全財産をお布施させたり、麻原の頭髪や血、麻原の入った風呂の残り湯などの奇怪な商品を高価で販売するなどして、多額の金品を得て教団を拡大させた。

内部では奇怪な商品の売付けや過激な修行で懐疑的になって逃走を図った信者を拘束したり殺害するなどして、1988年から1994年の6年間に脱会の意向を示した信者のうち、判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名以上に及び、恐怖政治で教祖への絶対服従を強いていた。

「出家」や高額の布施を要求し信者の親族その支援者と揉め事が多く、当初より奇抜、不審な行動が目立ったため、信者の親などで構成される「オウム真理教被害者の会」(のちに「オウム真理教家族の会」に改称)により、司法、行政、警察など関係官庁に対する訴えが繰り返されたが、取り上げられることなく、その結果、坂本堤弁護士一家殺害事件をはじめ松本サリン事件、地下鉄サリン事件などのテロを含む多くの反社会的活動(詳細は「オウム真理教事件」を参照)を起こした[7][8] ほか、自動小銃や化学兵器、生物兵器、麻薬、爆弾類といった教団の兵器や違法薬物の生産を行っていた[2]。

第39回衆議院議員総選挙での真理党の惨敗もあり、最終的には、麻原に帰依しない部外者を「ポア」により「救済」するとして、国家転覆計画すらも実行するようになった。

その到達点と言える1995年3月20日の地下鉄サリン事件は、宗教団体が平時の大都市を狙い複数箇所を強力な化学兵器で同時多発テロを起こすという過去に類のない事件であり、比較的治安の良い戦後日本で起きたことも含めて、日本国内だけでなく、世界にも大きな衝撃を与えた(海外ではTokyo Attack等と称された)。

◆後継教団

☆アレフ系・Aleph:

Alephのロゴ

2000年(平成12年)2月4日、教団は破産管財人からオウム真理教の名称の使用を禁止されたため、前年に出所した上祐史浩を代表として「オウム真理教」を母体とした宗教団体「アレフ」へと名称変更した。

同年7月、「アレフ」は破産管財人の提案により、被害者への賠償に関する契約を締結したが、その支払いは遅々として進んでいない[76]。2003年(平成15年)には「アーレフ」、2008年(平成20年)にはさらに「Aleph」(アレフ)と改称した。2010年(平成22年)3月に公安調査庁は、サリン事件当時の記憶が薄い青年層の勧誘をしていることなどについて、警戒を強めている旨を発表した[77]。

☆ひかりの輪

2007年(平成19年)5月にはアーレフから上祐派の信者たちが脱会、新団体「ひかりの輪」を結成した。この団体は麻原の教えからの脱却を志向していると主張し、またオウム被害者支援機構との協定により被害者への賠償金支払いを行っている。

なお公安調査庁『内外情勢の回顧と展望』2010年1月版では、その活動が麻原の修行に依拠していることが報告されている[78]。

☆山田らの集団

2014年(平成26年)から2015年(平成27年)頃、Aleph金沢支部の山田美砂子(ヴィサーカー師)を中心とした「山田らの集団」と呼ばれる分派が結成された[79]。「山田らの集団」は公安調査庁の定めた便宜上の呼称であり、正式な団体名は不明。

☆その他・ケロヨンクラブ

「ケロヨンクラブ」は1995年(平成7年)のオウム事件後に結成された分派。代表の北澤優子が信者の死亡事件で有罪判決を受けた。

偽装脱会者

麻原の4女によると、偽装脱会者が「第二オウム」として陰謀論、占い、スピリチュアル、IT、福祉などを通じ陰の布教を図っているという[80][81]。

◆教義・教義の概要

オウム真理教の教義は、原始ヨーガを根本とし、パーリ仏典を土台に、チベット密教[注釈 5]やインド・ヨーガの技法を取り入れている。日本の仏教界が、漢訳仏典中心であるのに対しあえて、パーリ仏典やチベット仏典を多用した理由は、漢訳は、訳者の意図が入りすぎているからとしている[83]。

そして、「宗教は一つの道」として、全ての宗教は、ヨーガ・ヒンズー的宇宙観の一部に含まれる、と説く。その結果、例えば、キリスト教の創造主としての神は、梵天(オウム真理教では“神聖天”と訳す)のことである、等と説かれる。

オウムでは、世界の宗教の起源は、古代エジプトにあり、アブラハムの宗教もインド系宗教も、エジプトから始まったとし、万教同根・シンクレティズム的な宗教観を持つ[84]。

従って、オウム真理教に於いては、儒教・道教・キリスト教・ゾロアスター教等、ありとあらゆる宗教・神秘思想を包含する、「真理」を追求するという方針がとられた。

結果として、キリスト教の終末論も、ヒンズー教的な「創造・維持・破壊」の、繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。すべての宗教および真理を、体系的に自身に包括するという思想は、ヒンズー教の特徴であり、麻原はそれを模倣した。

具体的な修行法としては、出家修行者向けには、上座部仏教の七科三十七道品、在家修行者向けには、大乗仏教の六波羅蜜、またヨーガや密教その他の技法が、用いられた。

特にヨーガには、かなり傾倒しており、その理由として、釈迦もヨーガを実践していたからとする[85]。

また、オウム真理教の教義には、ヘレナ・P・ブラヴァツキーに始まる、近代神智学の影響も指摘されている[注釈 6]。

ブラヴァツキーの死後、神智学の組織である神智学協会は、インドに本部を構え、ヨーガ理論と、その実践による霊性の向上と、霊能力開発を強調するようになったが、社会学者の樫尾直樹や宗教学者の大田俊寛は、こういった面を含めて、近代神智学の構えは、オウム真理教の諸宗教の編集の仕方に非常によく似ており、その影響が伺われると指摘している[86]。

たとえば、オウムで用いられた、「アストラル」「コーザル」は、神智学の用語である[87]。

麻原が神智学の原典から、直接学んだのか、麻原が一時はまったという、GLAなどの新宗教の経典や出版物[88]、オカルト雑誌などから、間接的に教義を構築したのかは、定かではない[86]。

○教祖・麻原彰晃とは ?

(ウィキペディアより抜粋・転載)

麻原 彰晃(あさはら しょうこう、本名:松本 智津夫〈まつもと ちづお〉、1955年〈昭和30年〉3月2日生まれ、死刑で、

2018年〈平成30年〉7月6日、死亡])は、熊本県出身の日本の宗教家、テロリスト。宗教団体オウム真理教の元代表・教祖。日本で唯一の「最終解脱者」を自称していた[1]。視覚障害者であり、盲学校に通っていた。

◆経歴・成人前

松本智津夫:1955年3月2日午前3時34分、麻原彰晃こと松本智津夫は、熊本県八代市高植本町[注 1]の「松本畳店」を経営する畳職人の家庭の四男(男6人女3人の9人兄弟の第七子)として生まれた[7][8][9][web 3][10]。

先天性緑内障のため生来、左目がほとんど見えず、右目の視力は1.0程度だった[9]。12歳年上の長兄は全盲、五男も弱視だった。藤原新也は、「麻原兄弟の視覚障害が水俣病の影響であり、それゆえに同じく視覚障害を起こすサリンを使ったのではないか」[注 2]という仮説を立て、全盲の長兄に事件後インタビューしている[web 4]。

長兄の証言によると、彼も智津夫の視覚障害に関し同様の疑いを持ち、「水俣病患者として役所に申請」したことがあるが、却下されたという[11]。

祖父は熊本県出身の日本人警察官で、戦前に朝鮮半島に渡り、その地で警察署長を務めた。麻原の父は現在の大韓民国全羅北道益山郡春浦面で生まれ、終戦後、共に朝鮮から引き上げ、叔父を頼り八代に住み、当時地場産業であった畳職人として働くようになった。しかし畳の需要は落ち、7人の子を抱え生活は逼迫していた。

盲学校の教諭も見たことがないほどの非常に貧しい家だった[12]。両親は働きづめで、智津夫は兄や姉を親代わりに幼少期を送った[13][14][15]。智津夫はいたずらっ子で農機具を盗んだり壊したりしていた。

その度に兄や姉から尻を叩かれたり外に放り出されていた[16]。テレビアニメが大好きで、視聴中は智津夫が尊敬していた長兄にもチャンネル権を譲らなかった[16]。

◆オウム真理教結成

1987年(昭和62年)7月(32歳)にはヨーガ系でいきたいという大半の信者の意向を押し切り、仏教系でいくとして[69]、「オウム神仙の会」を「オウム真理教」に改称し[70]、布教活動を展開。自著、オカルト雑誌への広告記事を利用し徐々に信者を獲得していった。

同年、日本テレビ『鶴ちゃんのプッツン5』に超能力者として出演。さらにダライ・ラマ14世と親交のあるペマ・ギャルポに接近。「自分の修行がどの程度のものなのかチベット仏教の長老に見ていただきたい」と申し出、ダラムサラの宗教・文化庁を紹介される[71]。

現地で長老らと一緒に瞑想した結果、高く評価され、ダライ・ラマ14世との接見を数回行っており、接見の様子を宣伝に利用することとなる[72][73]。

◆マハーヤーナとヴァジラヤーナ

「オウム真理教事件」および「オウム真理教の国家転覆計画」も参照

麻原は既にオウム神仙の会時代の1987年にはタントラ・ヴァジラヤーナやポアといった暴力肯定の教えを説いていたとされる[web 9]。さらに、阿含宗のスパイがいないか調査させるなど、後につながる行動が始まっていた[74]。

1988年(昭和63年)、7月に莫大な布施によりインドでカール・リンポチェと会うことに成功する。麻原の神秘体験中心主義はリンポチェにはあまり褒めてもらえなかったが、この際に麻原はリンポチェからヴァジラヤーナの暴力肯定の教えを説法され大きな影響を受け、帰国後には「これからは、ヴァジラヤーナの掟だ!」と叫びなから新実智光ら男性幹部に暴力をふるっていた[75]。

9月には在家信者死亡事件が発生、教団から死人を出す。麻原は「いよいよこれはヴァジラヤーナに入れというシヴァ神の示唆だな」と語った[web 10]。この頃からヨハネの黙示録解読に熱中し始める。同年10月28日、「当初、初めは、わたしはね、凡夫を救済するのがわたしの役割だろうと考えていた。

しかし、近ごろわたしは心が少しずつ変わってきている。(略)動物化した、あるいは餓鬼化した、あるいは地獄化したこの人間社会というものの救済は不可能なのかもしれないなと。そして、じゃあどうしたらいいかというと、新しい種、つまり、今の人間よりも霊性のずっと高い種、これを残すことがわたしの役割なのかもしれないなと。」と説法した[web 11]。

1989年(平成元年)、男性信者殺害事件、坂本堤弁護士一家殺害事件を指示。坂本弁護士事件では当初からオウム真理教の関与が疑われた。

1990年(平成2年)2月の衆議院議員選挙では、真理党代表として東京4区(5人区)から出馬、オウムソングを歌うなど独特の選挙パフォーマンスで注目を集め「泡沫候補とか言っているが、今に見ていろよ」と語っていたが[web 12]、結果は1783票で落選[web 13]。

「今回の選挙の結果は、はっきり言って惨敗、で、何が惨敗なのかというと、それは社会に負けたと。(略)つまり、選挙管理委員会を含めた大がかりなトリックがあったんじゃないか」「今の世の中はマハーヤーナ[注 7]では救済できないことが分かったのでこれからはヴァジラヤーナ[注 8]でいく」として、ボツリヌス菌やホスゲン爆弾による無差別テロを計画する[判決 1][web 14]。

1991年(平成3年)、国土法違反事件を起こしたため、武器製造を中断し1991年から1992年(平成4年)にかけてはマハーヤーナ・合法路線に切り替え、文化活動や、インド・チベット・ラオス・スリランカ・ロシア訪問、テレビ朝日『朝まで生テレビ』『TVタックル』・フジテレビ『おはよう!ナイスデイ』・日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて』への出演、雑誌や新聞への登場、島田裕巳・荒俣宏・中沢新一・栗本慎一郎・田原総一朗・ビートたけしらとの対談、大学での講演などを精力的に行い知名度を高める[web 15][web 16]。

かくして新新宗教ブームの代表として人気者となっていた麻原だが、一方で、麻原自身はこのような穏健路線は「邪悪な世界への誘惑」であり、「救世主としての使命を妨げている」と感じており「この流れにのってはいけない」と言ったと上祐史浩は語っている[web 17][76]。

1993年前後から「またヴァジラヤーナを始めるぞ」として徐々に武装化を再開した[判決 2]。

 

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