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  二階幹事長、ポスト安倍候補と関係密に !「選択肢」手中、警戒も !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2020 年 6 月 22 日 15:18:01: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


 二階幹事長、ポスト安倍候補と関係密に !「選択肢」手中、警戒も !

    二階幹事長のプロフィールとは ?

(www.asahi.com:2020年6月11日 7時00分)

◆二階幹事長は、石破茂氏との距離を詰めている !

自民党の二階俊博幹事長が、有力政治家との関係を強めている。石破茂・元幹事長との距離を詰め、東京都知事選を控える小池百合子知事を後押し。次の党人事や「ポスト安倍」レースをにらんだ動きとみられるが、二階幹事長と距離を置く勢力では、警戒感も広がる。

 9日夜、東京・赤坂の日本料理店。二階幹事長は、小泉政権で要職を務めた面々との会食に顔を出していた。定例メンバーでこの日の会に欠席した、小池都知事が話題に上ると、二階幹事長らはその場で電話し激励したという。

◆二階幹事長:小池氏を支持 !

 その日午前、二階幹事長は、記者会見で、都知事選で小池都知事から推薦依頼があれば、「直ちに推薦する」と強調した。自民党都連は、小池氏と対立してきたが、二階幹事長は早くから「小池氏支持」を明言し、知事選対応の流れをつくろうとしてきた。

 二階幹事長が動きをみせるのは、盟友の小池都知事に対してばかりではない。

 「石破さんは最も経験豊かな政治家の一人。さらに高みをめざし進んでほしい期待の星の一人だ」。8日の会見では、安倍晋三首相に苦言を呈し党内で冷ややかな視線も浴びる石破氏を、そう持ち上げた。9月の石破派パーティーでの講演依頼も快諾し、党内でポスト安倍をめざす石破氏との連携強化との観測が広がった。

◆石破氏の周辺は、二階幹事長に期待 !

二階派幹部は、二階幹事長の石破氏評を「リップサービス」と話すが、石破氏の周辺は「当然、連携という話になる」と期待を語る。

 二階幹事長は、これまでも、安倍首相の党総裁「3選」に向けた党則改正をいち早く主張するなど、先手を打つ政治手法で存在感を高めてきた。「各方面と関係を築き、ここぞで判断するのが、幹事長のやり方だ」と二階幹事長周辺は解説した。安倍首相に近い稲田朋美幹事長代行や、政権の番頭役を務める菅義偉官房長官とも良好な関係を築いている。

◆安倍首相「4選」支持も ! 権力の流動化見据え

 二階幹事長に近い党幹部は石破氏への「接近」について、「『支持』ではなく『支持もできるんだ』と周囲に見せつけている」。二階幹事長は、安倍首相の党総裁「4選」支持も繰り返している。権力の流動化も見据え手もとの選択肢を広げ、影響力を振るうねらいがあると指摘する。

 一方、二階幹事長と距離が広がるのが、ポスト安倍候補の一人の岸田文雄政調会長だ。新型コロナウイルス対策では、岸田氏らが主導した減収世帯への30万円給付案が、与党内の不満を代弁した二階氏の一言をきっかけに頓挫した。二階幹事長周辺では「政調がうまく機能していない」と不満が高まる。

◆幹事長人事をめぐる攻防が再燃 !

 いま党内では、次の党役員人事への関心が高まりつつある。昨年9月の人事では、首相は岸田氏の幹事長就任を検討したとされ、二階派が猛反発した経緯がある。党内では、今年も幹事長人事をめぐる攻防が再燃するとの予想が語られ、つばぜり合いも始まっている。

 岸田派中堅は「最近の二階さんは、強引さが目立つ。これ以上、幹事長を続けるのはどうか」。

同派では、野党議員を党内に引き入れたり、不祥事が疑われる議員を自派に抱え続けたりする二階幹事長への不信も強い。閣僚経験者は「首相が存在感を誇示する二階さんをどうみるか。面白くないのでは」と二階幹事長を牽制(けんせい)する。

(河合達郎)

(参考資料)

  二階俊博幹事長のプロフィールとは ?

(ウィキペディアより抜粋・転載)

二階 俊博(にかい・としひろ[1]、1939年〈昭和14年〉2月17日生まれ、81歳)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)。自由民主党幹事長(第48代)、志帥会会長(第5代)。

和歌山県議会議員(2期)、運輸政務次官(第2次海部内閣・細川内閣)、運輸大臣(第75代・第76代)、北海道開発庁長官(第69代・第70代)、保守党幹事長(第2代)、保守新党幹事長(初代)、自由民主党総務局長、経済産業大臣(第6代・第9代・第10代)、自由民主党国会対策委員長(第48代)、自由民主党総務会長(第46代・第53代)、自由民主党選挙対策局長(初代)、自由民主党国土強靭化推進本部長[2][3]などを歴任した。

◆経歴:生い立ち

1939 年2月、和歌山県御坊市新町に生まれる[4]。父親の俊太郎は和歌山県議会議員だった[4]。父は仕事が忙しく、父と一緒に遊んだ経験がなかった[4]。母・菊枝は医師古久保良輔の娘で、当時まだ珍しかった女性医師だった。

稲原小学校に入学し、終戦後、御坊小学校に転入した[4]。御坊中学校に進学した二階はある時、外郭団体の主催する弁論大会のメンバーに選ばれ、部落差別問題を主題にした島崎藤村の社会小説『破戒』を引用し、人権問題について演説した[4]。和歌山県立日高高等学校を経て中央大学法学部政治学科に進学する。

政界入り:

和歌山県議会議員:法学士号を取得して卒業後、静岡県選出の衆議院議員で建設大臣を務めた遠藤三郎の秘書となる。遠藤の死後、和歌山県に戻り、1975年4月13日に和歌山県議会議員選挙に立候補して当選し、連続2期務めた。

衆議院議員:1983年12月18日、旧和歌山2区から自由民主党公認(田中派)で第37回衆議院議員総選挙に立候補する。5万3611票を獲得し、2位で当選を果たした。以後、現在まで連続当選を続けている。

田中角栄に対する配慮と、師・遠藤三郎がかつて藤山派に属していたために江崎真澄に近いことから竹下派結成には参加しなかったが、その後、奥田敬和ら中間派が竹下派に参加したことを契機に自身も参加した。

第39回衆議院議員総選挙が行われた直後の1990年2月、第2次海部内閣で運輸政務次官に就任。1992年の竹下派分裂時は小沢一郎に同調し、羽田派に参加する。

自民党離党後:運輸政務次官

1993年、宮沢内閣不信任決議案に賛成して自由民主党を離党、小沢らと共に新生党結成に参加した。総選挙後に発足した細川内閣で再び運輸政務次官に就任する。細川内閣での政務次官時代は社会党の運輸大臣伊藤茂を差し置いて「影の運輸大臣」と呼ばれた。

小沢一郎の側近:細川・羽田政権後、新進党にも参加し、「明日の内閣」の運輸・交通部門と建設・国土部門の大臣などを務める。小沢側近として小沢の党首選出にも尽力した。1996年10月20日、第41回衆議院議員総選挙で新設された和歌山3区から立候補し、自民党(清和研)の現職野田実を破り5連続当選を果たす(野田は比例復活したが、後に連座制を適用されて失職した)。

1998年、新進党分党後も小沢側近として自由党結党に参加した。

運輸大臣:自由党国会対策委員長として自自連立政権樹立に動き、1999年の小渕第2次改造内閣で運輸大臣兼北海道開発庁長官として初入閣した。

保守党結成:2000年4月、自由党の政策が実現されないとして連立解消を主張する小沢ら連立離脱派と袂を分かち、野田毅や扇千景ら連立残留派とともに保守党を結成する。自公保連立政権に参加し、小渕内閣を引き継いだ第1次森内閣で運輸大臣兼北海道開発長官に留任した。

同年7月、保守党国会対策委員長に就任。2001年、保守党党首の扇が野田に党首の座を譲ったことから、保守党幹事長に就任した。

2002年、保守党の後継政党である保守新党でも幹事長に就任したが、2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙で保守新党は代表の熊谷弘が落選するなど惨敗し、自民党に吸収された。かくして二階は約10年ぶりに自民党へ復党することになる。

◆自民党復党後:

自民党総務局長:自民党への復党後、旧保守新党の議員らで新しい波(二階グループ)を結成して会長に就任。2004年9月、自民党総務局長に任命される。以後、自民党が下野する2009年までほぼ一貫して政府や党の要職の座につけ、政界再編期の離党・出戻り組の中では異例な存在であった。

2005年5月、内閣総理大臣小泉純一郎の意向により、自民党総務局長を兼任しながら衆議院郵政民営化法案を審議する特別委員会の委員長に就任する。郵政国会では郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。

この大勝利をきっかけに総務局長の地位が見直され、地位向上が行われるようにもなった。またこれによって、比例当選議員が中心ではあるものの二階派の議員数が増加することになり、二階が一定の政治的影響力を持つことになった。

経済産業大臣:総選挙での功績を買われ、2005年10月に発足した第3次小泉改造内閣に経済産業大臣として入閣する。2006年4月7日、「二階イニシアティブ」(東アジアEPA、東アジア版OECD、アジア人財資金)を提唱した[5]。同年9月、小泉の自民党総裁任期満了に伴い安倍晋三が総裁に就任し、民主党代表小沢一郎への対策として自民党国会対策委員長に任命された。

自民党総務会長:2007年8月、党三役の一角である自民党総務会長に就任。その直後、自らが代表を務める和歌山県第三選挙支部の政治資金収支報告書未記載問題が発覚する[6]。2007年9月14日、自民党幹事長麻生太郎の総裁選挙立候補を受け、自民党役員会において、2007年自民党総裁選期間中の幹事長職務を一任された。9月24日、福田康夫が総裁に就任し、総務会長に留任することが決まった。

2008年の福田内閣改造に伴い自民党総務会長を退任し、福田改造内閣に経済産業大臣として再任された。2008年9月24日に発足した麻生内閣でも経済産業大臣に再任されている。

自民党選挙対策局長:2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に出馬した際は、公明党の推薦も受けて9回目の当選を果たし[7]、同年10月には自民党幹事長の下に新設された自民党選挙対策局長に就任。

自身が会長を務めていた二階グループは総選挙で二階本人を除く衆議院議員が全員落選し、参議院議員2名と合わせて総勢3名となったことから派閥の維持が困難となった。このため、11月5日に全員が志帥会(伊吹派)へ合流し、同日付で二階グループは解消された。

同年12月に西松建設事件で政策秘書が政治資金規正法違反で略式起訴となったことを受け、自民党選挙対策局長を辞任する。

志帥会会長:2012年12月、伊吹文明が衆議院議長への就任に伴い志帥会(伊吹派)会長を退任。後任として二階が同派会長に就任し、志帥会は伊吹派から二階派へと衣替えした。

2013年、第2次安倍政権下で衆議院予算委員長に就任。与野党の人脈を駆使し、衆議院において史上最速で予算案を通過させた。[要出典][8]

2014年9月、第2次安倍改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で党総務会長に再任される。党四役は派閥を離れるとの慣例により、二階は志帥会(二階派)会長の職を退任し、同派会長は空席とされた(同派の指揮は会長代行の河村建夫が務める)。

◆自民党幹事長:2016 年8月3日の第3次安倍第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で、自転車で転倒して入院した谷垣禎一の後任として自民党幹事長に就任した[9]。就任時の年齢は77歳と5ヶ月であり、歴代の自由民主党幹事長の中で史上最高齢の就任であった。

2017年8月3日の第3次安倍第3次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任し、記者会見で「しっかりと党をまとめる努力をしたい」「みなさんから意見を頂戴しながら党運営をやっていく」と抱負を述べた[10]。

2019年8月3日で幹事長として連続在職日数が1096日に達して前尾繁三郎を抜き歴代最長になり、さらに続投すれば2020年9月には通算在職日数が最長の田中角栄も超える可能性を記者会見で問われた際は「大先輩に日数が近づいたということは、長く居過ぎたかな」と述べた[11][12]。

23日に総理としての通算在任日数が戦後最長となった安倍晋三首相の総裁任期を延長させた党則改定と連続3選などを実現して中国との太いパイプを生かした独自の党外交も展開する一方で無所属や野党の議員も派閥に取り込む強引とも映る政治手法は党内でも物議を醸すも[13][14][15]、翌9月の第4次安倍内閣第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任した[16]。

 

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