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   自公連立後、創価学会首脳部の深層・真相は ? 悪徳権力と戦った、三代の会長達 !
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/8868.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2017 年 10 月 03 日 21:48:15: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


自公連立後、創価学会首脳部の深層・真相は ?

本部職員の内部告発、『実名告発・創価学会』を読む !

悪徳権力と戦った、創価学会・初代二代三代の会長達 !

悪徳権力への従属は、日蓮大聖人・三代の会長達への違背 !


(watabeshinjun.hatenablog.com:2016-11-24より抜粋・転載)

野口裕介、滝川清志、小平秀一『実名告発 創価学会』(株式会社金曜日、2016年11月18日)
を改めて読んでみる。

◆本部職員が、池田名誉会長の著作を、代筆していた実態 !

創価学会の抱える闇の部分。組織維持という名目で、組織維持にふさわしくない言動を封じ込めようとする動きがあることは非常によくわかる。学会首脳部はそれが正しいと考えていて、組織をかき乱さないようにという名目で異端派を査問したり、除名したりする。
結局、首脳部に意見を訴えようとしても、第一庶務に回されたり、たらい回しになったりする。

本部職員が、池田名誉会長の著作を、代筆していた実態が、現場の職員の手で明らかになったのは、この本が初めてではないか。
巻末のインタビューも、創価学会員の素直な本音を聞けたようで、興味深く読んだ。

◆課題点をいくつか !

課題点をいくつか。
まず著者の三人がこの本を出したことに一定の評価をしつつも、彼らの姿勢に気になることが散見される。
まず彼らは自分たちに全く非がないと考えている。自身を省みる姿勢はここでは少しも見られない。自分たちこそが「池田名誉会長の心を知り、それを実際に行動に移している」といわんばかりの文面である。つまり彼らの中では池田名誉会長は絶対なのであり、名誉会長の精神に返った創価学会に戻るべきだという主張である。

したがって彼らは現在の創価学会の権威化の問題点について、あくまで学会幹部の責任であると考えている。池田名誉会長は幹部から干されている、あるいは意図的に無視されているという認識である。


◆池田名誉会長は、病気療養中、判断不能が、
創価学会首脳部の暴走と権威化を生んでいる !

池田氏が病床にあり、重要な判断を行えないと彼らは推測しており、それが学会首脳部の暴走と権威化を生んでいると考えている。
しかし池田氏が信濃町の大誓堂に行った等の報道が現在もなお聖教新聞紙上でなされており(写真は掲載されないが)、池田氏がまだ動ける状態にあり、意志決定についてまだ可能であることを示唆していると私は考えている。

したがって、現行の創価学会の問題点について、池田名誉会長は、基本的に沈黙を保っていて、これは事実上容認であると考える。
したがって、師匠の池田氏の責任問題を追求せずして、現在の創価学会の問題は語れない。
そのことをぜひ三人の方だけでなく、多くの会員の方にも認識してほしいというのが私の見解である。加えて気になるのが文の調子である。

自分たちに正義がある、真実があるといわんばかりの文調なのである。
自身の信仰観について客観的な立場で語る視点は、少なくとも文調からは伝わってこない。
「こんなはずではない。池田先生は全てわかってくださる」という風に語る。
つまり彼らの中で彼らの信仰は絶対なのだ。

創価の信仰を持たない非会員の人々のためにこの本は書かれていない。その意味では創価学会の会員向けであり、彼ら自身が社会的に問題を訴えようとしたはずが、返って内輪の意識に自分たちが留まってしまっていることを暴露してしまっているのである。


◆創価学会の組織に従順な牧羊が大量生産されてきた !

信仰を客観視する姿勢は、対外的に必要なことだが、創価学会会員は、それができないことが多い。自身の信仰と池田名誉会長は絶対であり、それを根底から問い直すことをしない。自らそれを拒否してしまっていることに、創価学会・会員自身が気づかない。

そして、社会の無理解を社会のせいにして、公明党拡大や新聞啓蒙に走るという構図が生まれてくる。結果として組織に従順な牧羊が大量生産され、会員の多くは組織に安住して、そこで信仰の問題を共有できる人たちと話して安心する。
つまり内輪の論理にこもってしまうのだ。
そのことを創価学会員は気付くべきである。しかしこの文体を読む限り、彼らは自分たちの信仰を充分に客観視できているとは言い難い。

◆創価学会首脳部の官僚化だけに着目した書物だ !

そして著者の三人には、新しい思想性がない。創価学会の思想というものが本来あって、そこに寄りかかるだけでよいと考えている。絶対的な指導者である、池田名誉会長の心に帰れば、全ては解決されると考えている。

つまり、学会首脳部の官僚化だけに着目し、幹部批判、中央批判がされるだけの書物であり、創価学会をどのように変革していくか、池田名誉会長以降の創価はどうあるべきか、また教義の問題についてはどうあるべきか、そのような現今の教団が抱える、問題意識を彼らはここで全く展開していない。

原田氏も正木氏も池田博正氏も、首脳部幹部の多くが、ここでは内情暴露の槍玉に挙がっていることから、特定の派に彼らが属しているという意識はないようだ。ある意味、自由に語れるということが、スタンスとして、有利な位置にある。

とすれば、信仰を客観視し、自分たちの考える信仰とはそもそも何なのか、それは果たして絶対と言えるのか、その思想的陶冶を果たした上で、新たに論を展開してもらいたい。今のままでは結局何も残らないし、創価学会首脳部に無視されるだけで終わる気がしてならない。

◆内部から創価学会首脳部を批判する勢力が出てきた !

彼らは否定するだろうが、三人がやっていることは、段勲氏や乙骨正生氏たちのスタンスと何ら変わりはないのである。返ってジャーナリスティックに特化している、段氏の方が社会的に評価されるはずである。

この書は、内部から創価学会首脳部を批判する勢力が出てきたということ、信濃町の指導力の低下が如実に現れていることの証明であるが、創価学会をどう変えるのかという思想的ビジョンはここに見出せない。彼らには創価学会を変えるビジョンも、池田氏亡き後の創価学会のビジョンもこれといって特には存在しないのである。あるのは「池田先生の心に叶った組織に戻れ」という精神論だけで、この精神論が全編に文体の中に貫徹されている。

(参考資料)

T 牧口初代会長・戸田理事長等への戦時中・軍部権力による法難

   @ 地元有力者や政治家からの迫害

牧口には、“教育にかかわりのない者が権力にものをいわせて教育に口を出すべきではない”という、一貫した強い信念があった。大物政治家は、前々から、それが面白くなかったようだ。そこで、地元有力者の意向を聞き入れ、牧口を左遷する。権力におもねらず、信念を貫こうとすれば、迫害という嵐が競い起こる。それに負けぬ強さを持つことこそ、改革者の条件である。

   A 創価教育学会への国家権力からの迫害

軍国主義政権(自民党の先祖・曾お祖父さん達)下、創価教育学会の神社参拝拒否、神札の奉祀拒否の態度が、治安当局・特高刑事から監視されるようになった。起訴状によれば、牧口会長は、治安維持法違反と神宮に対する不敬罪で起訴されたことが記述されている。

国家神道を宗教の正邪のうえから謗法として戒め、勇猛果敢に折伏を進める創価教育学会を、戦時中の当局が看過するはずがなかったのである。戦時下にあっても、学会は折伏を展開し、入信に際しては神札などの謗法払いを厳格に行っていた。

そして、中国等への侵略戦争に反対し、国家神道を根本にした政府のあり方は間違いであるこ
とを主張して譲らなかったのである。当時、学会は、会員数3000人ほどの、まだ小さな教団にすぎなった。
しかし、当局は、牧口常三郎が、国家、社会の建設のために「教育改造」を掲げ、その根本的な方途が日蓮大聖人の仏法にあるとしていることに、警戒心を強めていったようだ。軍国主義政府に、創価教育学会を襲った。学会の、あの神札の拒否が、弾圧を決定的なものにしたのである。

7月6日、牧口常三郎、戸田城聖らが逮捕され、翌年3月までには、学会の検挙者は21名にのぼった。牧口はこの逮捕を、国家諫暁の好機であるととらえていた。
取り調べの場は、さながら折伏、弘法の観を呈した。

 B日蓮正宗総本山は保身のため牧口会長を「信徒除名処分」!

戦時中、日蓮正宗・僧侶・小笠原慈聞(おがさわらじもん)は、自らが宗門の権限を握ろうとする策謀実現のために、宗門の維新を断行せよと、軍国主義・国家権力を楯にして、宗務院当局弾劾の叫びをあげていた。小笠原慈聞一派は、「不敬罪」で、大石寺を警視庁へ訴えていた。

この「小笠原慈聞の告訴」が創価教育学会への弾圧・投獄の発端となった。
日蓮正宗首脳は、昭和18(1943)年6月、ついに神札受諾を公的に徹底する方針を固め、それに頑強に抵抗していた牧口会長と創価教育学会幹部を大石寺に呼び、当時の法主・日恭の立会いのもと、創価教育学会も神札を祀るように命じた。牧口会長はその受諾は、日蓮大聖人の仏法に背くものであると考えて、「神札は、絶対に受けません」と厳然と拒否した。

一方、日蓮正宗・宗務院は、弾圧を恐れ、国家神道に迎合し、御書の発行を禁止したり、勤行の御観念文を、天照大神を異様に尊崇したり、「皇国守護」の文言を入れる、など改変したりした。

牧口会長は、逮捕される一週間前、再度総本山・大石寺へ行って、教義改変の方針を変更するように厳重に抗議したが、総本山は聞きいれず、弾圧から身を守るため、逆に牧口を「登山停止」「信徒除名処分」にした。


C過酷な獄中でも国家神道・侵略戦争の誤りを正した、牧口会長等の信念 !

戦時中の獄中は、冬でも暖房・冬用の布団の差し入れを許されず、指も凍傷にかかるほど、極寒であった。冷蔵庫の中での生活のように寒かった。食事は、コウリャンの混じったご飯と塩水のような味噌汁・タクアン程度の粗食であった。 

そのような過酷な獄中で、70代の高齢の牧口常三郎は、いささかも節を曲げることなく、堂々と国家神道の誤りを正した。そして、昭和19年11月18日、73歳で、巣鴨の東京拘置所で獄死したのである。

粗食で痩せ細った、戸田城聖は、獄中で看守等から4回激しい暴行を受けた。ある時は、狂気の看守から、麻縄をムチにして、背中を二十数回もなぐられた。

牧口の殉教、そして、牧口同様戦時下の過酷な環境・食事状況で、戸田の2年間に及ぶ不退転の獄中生活は、信教の自由のための権力との壮絶な戦いであり、創価学会が、日蓮大聖人の仏法の正法正義を守り抜いた永遠不滅の刻印となった。

U 大阪事件:岸・自民党政権下、国家権力とマスコミから創価学会への攻撃 !

岸信介(安倍晋三首相の祖父・戦犯)内閣時代の創価学会への弾圧事件が大阪事件である。

私の逮捕は、全くの冤罪であった。参院大阪地方区の補欠選挙(1957年4月)
で、最高責任者の私が、買収等の選挙違反を指示したという容疑である。熱心さのあまり、戸別訪問をしてしまい、逮捕された会員がいたことに、私は胸を痛めていたが、買収など、私とはまったく関係のないことであった。

だが、新聞各紙には、「池田渉外部長を逮捕」の見出しが躍り、「創価学会の“電撃作戦”といわれる選挙違反に重要な役割は果たしていた疑い」などと、盛んに書き立てられた。当時、マスコミは、当局の意向をそのまま反映し、選挙違反は、学会の組織的犯行であり、学会は、反社会的団体であるかのようなイメージを流していったのである。

当局は、逮捕した会員たちを脅し上げ、選挙違反は、ことごとく、私の指示であったする「虚偽の供述」をさせ、罪を捏造していった。私への取り調べは、過酷を極めた。夕食も抜きで、深夜まで責め立てられたこともあった。手錠をかけられたまま、屋外に連れ出され、さらしもののようにされたこともあった。

すると検事は、遂に、罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕すると、言い出した。脅迫にも等しい言辞である。私はよい。いかなる迫害にも耐える。しかし、先生のお体は衰弱の極みにある。再度の投獄ともなれば、死にも、つながりかねなかった。

私の苦悩が始まった。身に覚えのない罪など、認められるはずがない。だが、わが師まで冤罪で逮捕され、まして獄死するような事態は、絶対に避けなければならない。“権力の魔性”の陰険さ、恐ろしさを肌身で感じつつ、眠れぬ夜を過ごした。そして、決断した。“ひとたびは、罪を認めるしかない。

そして、裁判の場で、必ず、無実を証明して、正義を満天下に示すことが賢明かもしれない”と。その日から私の、まことの人権闘争が、「正義は必ず勝つ」との大逆転のドラマが開始されるのだ。

(1) 自民党権力がつくった、冤罪事件を勝訴 !

     仏法者にとって難こそ誉れ !

逮捕から約1670日後の、1962年(昭和37年)1月25日、裁判所は判決を下した。「池田大作、無罪!」遂に、冤罪は晴れた。正義の太陽は、闇を破って、大空に赫々と昇った。
ともあれ、“いかなる時代になっても、わが創価学会に対する迫害の構図は変わらない”。

しかし、仏法の鏡に照らせば、「難こそ誉れ」である。邪悪と戦う大闘争心に「創価の魂」は、「師弟の精神」は、脈打ち続けるのだ。−以下省略−

◆池田第三代会長等の箴言:

(『池田名誉会長が語る恩師戸田城聖先生』第三文明社、より要約)

*「広宣流布」はどうなったらできるか、予言しておく。それは、「三類の強敵」が現れた時に、できるのです。とりわけ「僭聖増上慢」(=創価学会を迫害する仏敵:宗門事件は、宗門と創価学会への分断工作であり、黒幕は、自民党・米国CIAであった)が出た時が、広宣流布する時です。僭聖増上慢は、怖い。しかし、これが出れば、私はうれしく思う。皆さんも、うれしいと思ってもらいたい。“その時こそ、敢然と戦おう”ではないか」(279〜280頁)

* 権力(自民党体制は、政官業癒着・対米隷属、反民主主義が正体である)には、魔力がある。その魔酒に酔わされては、絶対にならない。私に恩師は、「青年よ、心して政治を監視せよ !」との遺訓を残しました。政治の腐敗を許してしまうのは、民衆の無気力と無自覚と、「長いものには巻かれろ」という卑屈の精神である。さらに、その民衆の無気力の根源は、青年の無気力と惰弱にある―(336頁)。

 

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