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日本は、友好的で健全な日韓日中互恵関係を構築すべきだ !(上) 朝鮮での慰安婦とは ?
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/9399.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2018 年 1 月 11 日 21:11:24: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


日本は、政治刷新して、友好的で健全な

  日韓日中互恵関係を構築すべきだ !(上)

自公政治家・NHK等が隠蔽・誤魔化す、

   日本統治下の朝鮮での慰安婦とは ?

(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/01/09より抜粋・転載)
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1)2015年12月、日韓外相による行動発表で、韓国が、

  少女像の撤去に合意したわけではない !

日韓関係が、揺れている。日本側が、少女像を撤去しないことを批判するが、2015年12月28日の、日韓外相による行動発表で、韓国が、少女像の撤去に合意したわけではない、点についての認識が必要である。

日本政府は、韓国の日本大使館前に設置されている、従軍慰安婦少女像の撤去を、韓国政府に求めているが、この点が、日韓外相発表では、明確になっていない。

私は、本ブログ、メルマガに、以下の記事を掲載してきた。

2015年12月29日付ブログ記事「日韓合意、日本政府謝罪明記でも玉虫決着」

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-99db.html

メルマガ記事「日韓合意あいまい決着が問題を再燃させる懸念」

http://foomii.com/00050

2017年1月9日付ブログ記事「問題根源は2015/12の日韓玉虫合意文言にある」

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/201512-1af0.html

メルマガ記事「惨憺たる安倍外交現実の根本原因」

2017年1月10日付ブログ記事「大事なことを曖昧にするから災いが生じる」

メルマガ記事「あいまい公約と裏切る人物が政治をダメにする」

2)重要事項の決定で、最重要な事は、「あいまいさ

   を残さないこと」である !

重要なことを決定する際に何よりも重要なことは、「あいまいさを残さないこと」である。大事な点をあいまいにするから、あとでもめる。大きな問題を残さないためには、決めるときに、重要な部分を客観的な明瞭さを確保することが重要である。2015年12月の日韓外相発表では、日本側がこだわるもっとも重要な部分についての記述があいまいであった。

つまり、日本側の要求が明確に満たされぬまま外相発表を行っているのである。そのことが、その後に明らかになった。日本政府は、韓国政府が、合意を守っていないと批判するが、これは筋違いである。日韓外相発表の文言を読む限り、少女像の撤去について、韓国側は、明確な決定を示していない。

3)日本政府が、韓国政府は、合意を守っていないと

   批判する事は、筋違いである !

慰安婦問題についての岸田外相発言 !

日韓外相発表では、日本の岸田文雄外相が次のように発表した。

日韓間の慰安婦問題については、これまで両国局長協議等において集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき、日本政府として、以下を申し述べる。

一、慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は、責任を痛感している。安倍首相は、日本国首相として、改めて慰安婦として、あまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し、心から、おわびと反省の気持ちを表明する。

二、日本政府は、これまでも本問題に、真摯(しんし)に取り組んできたところ、その経験に立って、今般日本政府の予算により、全ての元慰安婦の方々の、心の傷を癒やす措置を、講じる。

具体的には、韓国政府が、元慰安婦の方々の支援を目的とした、財団を設立し、これに、日本政府の予算で、資金を一括で拠出し、日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の、名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための、事業を行うこととする。

三、日本政府は、以上を表明するとともに、以上申し上げた措置を、着実に実施するとの前提で、今回の発表により、この問題が、最終的かつ不可逆的に、解決されることを確認する。

併せて、日本政府は、韓国政府と共に、今後、国連等国際社会において、本問題について、互いに非難、批判することを控える。

なお、先ほど申し上げた、予算措置については、規模としておおむね、10億円程度となった。以上のことについては、日韓両首脳の指示に基づいて、行ってきた協議の結果であり、これをもって日韓関係が、新時代に入ることを確信している。」

これに対して、韓国の尹炳世外相は次のように表明した。

韓国政府として以下を表明する。

一、韓国政府は日本政府の表明とこのたびの発表に至るまでの取り組みを評価し、日本政府が先に表明した措置を着実に実施されるとの前提で、このたびの発表を通じて、日本政府と共にこの問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は日本政府が実施する措置に協力する。

二、韓国政府は、日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し、空間の安寧、威厳の維持といった観点から懸念しているという点を認知し、韓国政府としても可能な対応方法に対し、関連団体との協議等を通じて適切に解決されるよう努力する。

三、韓国政府はこのたびの日本政府が表明した措置が着実に実施されるとの前提で、日本政府と共に今後、国連など国際社会において本問題に対する相互非難、批判を自制する。

日本政府は外相発表にある「最終的かつ不可逆的に解決される」ことを強調し、韓国政府が少女像の撤去に責任を持つべきであるとの主張を示すが、発表文書では、少女像の撤去を韓国政府の責任とはしていない。

少女像の撤去について尹炳世外相が表明した言葉は、「韓国政府としても可能な対応方法に対し、関連団体との協議等を通じて適切に解決されるよう努力する」というものであって、韓国政府は少女像の撤去を義務付けられていない。

したがって、「10億円を拠出したのだから、韓国政府は責任を持って少女像を撤去するべきである」との主張は正当性を持たないのである。

―この続きは次回投稿します―

(参考資料)

   近代日本の公娼・慰安婦の歴史 !

   (ja.wikipedia.orgより抜粋・転載)

◆一般的な公娼

詳細は「近代公娼制」を参照

近代公娼制は、性病対策と軍隊慰安を目的としてフランスで確立し、その後ヨーロッパ各国、アメリカ合衆国や日本にも導入された[5]。

1802年、フランスで警察による公娼登録が開始され[8]、1828年にはフランス風紀局衛生課が設置され、検診で性病の見つかった娼婦は病院に送られ、治療後、売春業の許可がおりるという体制になった[9]。
18世紀末に梅毒が流行し、ナポレオン戦争による大規模の人の移動のため性病がヨーロッパ中にひろがったが、同時に医学研究もすすんだ[10]。

プロシアでは一旦廃止されたあと1851年に性病予防のために公娼制度が軍によって再開され[8]、風紀警察が特別に設置された[11]。

イギリスはクリミア戦争の際の性病問題に対してイギリス軍の提案[12]で1864年から1869年にかけての伝染病(性病)法によって公娼制度が導入され[8]、警察が娼婦とみなした女性を逮捕し、検診を強制できるようになり、性病に感染していない場合は娼婦(公娼)として正式に登録された[12]。1873年、ウィーン国際医療会議で売春統制を各国共通にするための国際法が提案された[8]。

◆日本統治下の朝鮮

1910年の韓国併合以降は統監府時代よりも取締が強化され、1916年3月31日には朝鮮総督府警務総監部令第4号「貸座敷娼妓取締規則」(同年5月1日施行)が公布、朝鮮全土で公娼制が実施され、日本人・朝鮮人娼妓ともに年齢下限が日本内地より1歳低い17歳未満に設定された[19]。

他方、併合初期には日本式の性管理政策は徹底できずに、また1910年代前半の女性売買の形態としては騙した女性を妻として売りとばす事例が多く、のちの1930年代にみられるような誘拐して娼妓として売る事例はまだ少なかった[19]。
当時、新町・桃山両遊廓は堂々たる貸座敷[23][19]であるのに対して、「曖昧屋」とも呼ばれた私娼をおく小料理店はソウル市に130余軒が散在していた[23][19]。

◆第一次世界大戦以降

第一次世界大戦前後には戦争景気で1915年から1920年にかけての朝鮮京城の花柳界は全盛を極めた[19]。朝鮮人娼妓も1913年には585人であったが1919年には1314人に増加している[19]。1918年の京城・本町の日本人居留地と鍾路署管内での臨検では、戸籍不明者や、13歳の少女などが検挙されている[19]。

1918年6月12日の『京城日報』は「京城にては昨今地方からポツト出て来た若い女や、或は花の都として京城を憧憬れてゐる朝鮮婦人の虚栄心を挑発して不良の徒が巧に婦女を誘惑して京城に誘ひ出し散々弄んだ揚句には例の曖昧屋に売飛して逃げるといふ謀計の罠に掛つて悲惨な境遇に陥つて居るものが著しく殖えた」と報道した[19]。

1910年代の戦争景気以前には、朝鮮人女性の人身売買・誘拐事件は「妻」と詐称して売るものが多かったが、1910年代後半には路上で甘言に騙され、誘拐される事例が増加している[19]。
1920年代には売春業者に売却された朝鮮人女性は年間3万人となり、値段は500円 - 1200円であった[24]。

大正から昭和に入ると、公娼廃止運動が盛んになる。宗教家の高島米峰は報知新聞1931年4月5日号に発表した「国際信義と公娼廃止」において、「今や、公娼廃止は、世界の通念であるばかりでなく、日本国内においても、既に一般の与論となっている。

現に、県会で廃娼を決議したものは九県に上り、また、廃娼を断行したものは二県となった。そうして、中央社会事業恊会の如き、中央教化団体連合会の如き、大日本宗教大会の如き、大阪社会事業連盟の如き、関東々北医師大会の如き、岩手県医師会の如き、最も有力なる団体が、それぞれの立場々々からして、公娼制度の撤廃を決議して居る。

今はただ、内務大臣が、明治三十三年に公布した「娼妓取締規則」を撤廃しさえすれば、それでよいというだけになって居るのである」と当時の状況について記している[21]。

◆朝鮮における人身売買・誘拐事件

詳細は「朝鮮南部連続少女誘拐事件」を参照

1930年代の朝鮮では、10代の少女らが、誘拐される事件が頻発し、中国などに養女などの名目で売却されていた。斡旋業者は、恐喝を行ったり、また、路上で誘拐して売却していた。朝鮮総督府警察は、たびたびこうした業者を逮捕し、1939年には、中国への養女供与を禁止している。

当時の人身売買および少女誘拐事件については、警察の発表などを受けて、朝鮮の新聞東亜日報や毎日新報(毎日申報。現・ソウル新聞)、また、時代日報[24]、中外日報[24]で報道されている。

朝鮮総督府統計年報によると、略取・誘拐での検挙数は、1935年は、朝鮮人2,482人・日本人24人[25]、1938年は、朝鮮人1,699人・日本人10人[26]、1940年は、朝鮮人1,464人・日本人16人[27]となっている。

◆軍隊による公娼(慰安婦)

強姦は戦時に限らず平時でも発生する[28][29]が、戦争におけるレイプなどの性暴力については1990年代以降、「戦時性暴力」として研究されている[30][31]。戦争において性暴力は、勝者への褒美、敗者への懲罰、また単なる快楽として行使されてきた[32]。

秦郁彦によれば、第二次世界大戦当時の戦地での性政策には大別して自由恋愛型(私娼中心。イギリス軍、米軍)、慰安所型(日本、ドイツ、フランス[33])、レイプ型(ソ連、朝鮮[34])の3つの類型があった[35]。

日本における慰安婦の制度・運用・実態に関する研究については、戦後の経緯から、主に日華事変以降(特に大東亜戦争期)に限定されており、さらにその論争の中でも、イデオロギーの思惑が見え隠れするため、客観的な叙述をすることは困難である。

 

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