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平野貞夫:わかりやすい国会の話[第14、第15回]昭和時代の議会政治(1)(2)(Infoseek 内憂外患)
http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/109.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2010 年 6 月 22 日 10:06:59: twUjz/PjYItws
 

(回答先: 平野貞夫:わかりやすい国会の話[第16回]昭和時代の議会政治(3)(Infoseek 内憂外患) 投稿者 クマのプーさん 日時 2010 年 6 月 22 日 09:59:57)

http://opinion.infoseek.co.jp/article/893

わかりやすい国会の話[第14回]昭和時代の議会政治(1)
2010年06月10日 09時00分

平野貞夫

■政党政治の退廃

 昭和天皇が即位された大正15年12月25日、即日「昭和」と改元された。昭和元年は7日間しかなかった。政界では政党間で互いに相手の汚職・腐敗をあばき合う、泥仕合いがつづけられていた。

 新天皇のもと公正な政治を行うべく、憲政会の若槻首相の呼びかけで、田中義一政友会、床次竹二郎政友本党両総裁と党首会談を開き申合せを行ったが、憲政会と政友本党の合同密約が表面化する。政友会は震災手形問題で若槻内閣を追及し、台湾銀行問題に発展し昭和2年4月17日、若槻内閣は総辞職する。

 全国で金融恐慌が起こる中、後継首相に政友会の田中義一が指名される。田中内閣は金融恐慌への緊急措置を、政界引退していた長老高橋是清を大蔵大臣として使う。田中内閣のもう一つの緊急課題は、対中国問題であった。居留民保護を名目に日本軍が山東省に出兵した問題である。「対支政策綱領」を決めたが、国際社会から帝国主義的政策と強い反発を受ける。昭和時代は内憂外患で始まる。

 初の普通選挙は、昭和3年2月10日に行われることになる。それより先、前年6月には憲政会と政友本党が合同して、立憲民政党が結成された。総裁は浜口雄幸で、衆院で222名を数えた。この男子普通選挙は、従来の議会政党に加えて、社会民衆党や労働農民党など無産政党が初めて国政選挙に参加した。

 有権者数1240万人余り、選挙区は122、議員定数466名、候補者965名、有効投票総数996万票(投票率約80%)であった。政友会426万票(217名)、民政党426万票余り(216名)、無産党47万票余り(8名)、その他86万票余り(25名)という結果で、政友会と民政会の二大政党対立となった。与党の政友会は過半数を得ることができず、政局は不安が続いた。

 田中政友会内閣は、昭和3年6月4日に満州で発生した張作霖爆死事件について、田中首相の天皇への奏上内容が原因で、7月2日総辞職する。後継に民政党の浜口雄幸が推される。公約は軍縮促進、財政の緊縮、金解禁などであった。

 13年ぶりの金解禁は昭和5年1月11日に断行されたが、前年の10月24日にはニューヨークのウォール街での株大暴落は世界恐慌となり、最悪のタイミングであった。日本の経済混乱は、労働争議や小作争議を日常化させ、軍部や右翼から革命の危機と思われるようになる。

 その最中、浜口内閣は衆院解散を断行、2月20日に2回目の普通選挙が行われた。結果は、民政党が273名の圧勝で、過半数を得た。この時期が明治憲法下で政党政治が花咲いた最初で最後であった。浜口内閣を悩ましたのは、ロンドン軍縮会議をめぐって起こった統帥権干犯問題であった。

 昭和5年11月14日、浜口首相は東京駅のホームで右翼青年によって狙撃され重傷を負う。入院治療中の浜口首相は無理を押して登院し野党の質問戦に応じる。病状を悪化させ再入院することになり、昭和6年4月14日に総辞職する。第2次若槻内閣が成立することになる。浜口前首相は8月26日死去する。

 若槻内閣が発足して5ヶ月後、満州事変が勃発する。政党政治の退廃の中で、中堅将校や農村出身の青年将校たちは「昭和維新の歌」を謳歌するようになる。満州事変の拡大や軍の台頭の中で、若槻内閣は昭和6年12月11日、閣内不統一で総辞職する。

 後継に元老・西園寺公は、政党政治の長老犬養毅を最後の切り札として、天皇に奉請した。昭和天皇は軍部の横暴と政治干渉を深慮されていた。犬養首相は衆院で171名の政友会少数党で内閣を発足させた。昭和7年1月21日衆院を解散し、2月20日に選挙を断行し、過半数を得た。待っていたのは、軍部の反乱であった。


http://opinion.infoseek.co.jp/article/900

わかりやすい国会の話[第15回]昭和時代の議会政治(2)
2010年06月17日 10時00分

 平野貞夫

■軍部による議会政治の崩壊

 昭和7年になって内外で血なまぐさい事件が続発する。2月20日に衆院総選挙が行われ、犬養首相が率いる政友会が大勝した。総選挙後の議会も珍しく紛糾なく終わり、居留民保護でもめていた上海事件も停戦協定に調印して解決し、一息ついていたとき、国内で重大事件が発生する。5・15事件だ。

 5月15日、五月晴れの日曜日、午後5時すぎ、犬養首相が首相官邸で青年将校たちに襲撃され絶命する。政党政治は、昭和とともに「憲政の常道」を確立させたものの、わずか6年余の命脈であった。軍の横暴を抑え、議会政治の擁護と満州事件の解決などに、78歳の老齢に鞭打とうとした犬養首相の死は、わが国の政党政治の終わりであった。

 犬養首相の兇変直後、高橋是清蔵相が首相を臨時に兼任し内閣総辞職を行う。後継首相に、元海軍大臣斎藤実が就任する。斎藤内閣は「自立更生」をスローガンに発足したが、政友会から3人、民政党から2人を閣僚に入れ「挙国一致内閣」とした。

 議会側では政党内閣が後退し、憲政の危機と認識、政党のあり方をはじめ議会政治の改革のため、秋田清衆院議長の提唱により「議会振粛委員会」が設置された。副議長の複数制や委員会制度の改革、明治以来の議会慣行の改革が議論されたが、成果を得るに至らなかった。この議会改革が実らなかったことが、戦時体制へと進む要因のひとつとなった。

 この年の9月には日本国は満州国を承認し、日本軍が満州国内に駐留するようになる。国際連盟はリットン調査団を派遣し、満州事変の契機となった日本軍の行動を正当な自衛権と認めないことを中心とする報告書を提出。松岡洋石日本代表は連盟脱退を主張する。一方、議会は陸・海軍の兵備補強のための昭和8年度総予算をめぐって紛糾する。

 昭和8年3月には、日本は国際連盟から脱退して国際的孤立を深めていく。軍部の政治への干渉は軍事予算の補強となっていく。政党側では軍部に呼応する政治家と反発する政治家の対立が深まっていく。その最中に、斎藤内閣を総辞職させる「帝人株事件」が発生する。

 この事件は政友会の内紛が原因であった。政財官界に不正事件があるとして、和平と財政正常化を図ろうとする斎藤内閣をゆさぶった。背後に軍部があり、検察が一大疑獄事件を組み立てた。事件は足かけ4年がけの公判の結果、「被告全員無罪、証拠不十分、犯罪の事実なきなり」との判決が出た。「検察ファッショ」と呼ばれ、国民に政党不信をいだかせた。斎藤首相の後継には岡田啓介海軍大将が就任する。

 翌10年には「天皇機関説事件」が起こる。貴族院議員であった憲法学の美濃部達吉博士が辞任することになる。この事件の渦中、永田鉄山陸軍軍務局長が相沢三郎中佐に刺激される事件が起こる。昭和11年1月に衆院が解散となり2月20日に選挙が行われた。民政党を中心に政府与党が多数を占め、岡田内閣の議会での基盤も固まり、新しい議事堂が完成し、岡田首相が安堵しているとき、未曾有の大事件が全国民を震撼させた。

 昭和11年2月26日早朝、大雪の東京で陸軍の一部による武装反乱事件が勃発した。2・26事件である。首相官邸はじめ政府最高首脳層や重臣を殺傷した。クーデターは3日間にわたり、28日になって天皇の強い意志で反乱軍は鎮圧された。

 この事件以後、軍部は政治そのものを牛耳るようになる。岡田首相は奇跡的に難を避けたが総辞職し、3月9日に後継として外相の広田弘毅が就任する。一方、政党が軍部に追いつめられていくなかで、敢然と軍部に立ち向かった政党政治家がいた。昭和11年5月7日の衆院本会議での斎藤隆夫議員の「粛軍演説」と、翌12年1月の浜田国松議員の「腹切り問答」であった。


 

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