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原爆投下は戦争終結を早めたのか? (Aobadai Life)
http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/106.html
投稿者 亀ちゃんファン 日時 2010 年 8 月 08 日 09:25:18: GqNtjW4//076U
 

http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10613297501.html
2010年08月08日(日) 05時35分24秒

原爆投下は戦争終結を早めたのか? 


ツイッターでもつぶやいたことだが、

アメリカのルース駐日大使が、

広島の平和式典参加をしたことについて、

やはり、アメリカの保守系の勢力が批判を強めている。


今回のルース駐日大使の平和式典参加は、

いずれオバマ大統領が、

平和ためのメッセージのために

(と自身の支持率回復、核軍縮戦略のためでもある)

広島を訪問するにあたり、

アメリカ世論の動向を探る目的があってのではないかと、

私は見ているが、


やっぱ案の定、スミソニアン博物館での原爆展示の縮小の件でもあったような、

保守派世論の巻き返しはあったようである。


************

エノラ・ゲイ機長の息子、米大使の広島訪問批判(朝日)

 【ワシントン=望月洋嗣】広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ機長(故人)の息子が5日、ルース駐日米大使の記念式典出席を「前例がなく、すべきではなかった」「暗黙の謝罪だ」などと批判した。米CNNテレビの電話取材に答えた。

 取材に応じたのは、機長の息子で米アラバマ州に住むジーン・ティベッツ氏。「原爆投下は正しかったか」と問われ、「我々は正しいことをした。多くの米兵の命が救われたうえ、多くの日本人の命を救った可能性もある」とも述べた。同氏は保守系の米フォックス・ニュースの取材にも応じ、「日本は真珠湾を攻撃した。我々は日本人を虐殺したのではなく、戦争を止めたのだ」とコメントしていた。

 米の主要メディアが広島の記念式典を取りあげるのは異例。CNNはプライムタイムの番組内で、ルース大使の映像を交えて報じた。ティベッツ機長は2007年、老衰のため92歳で死去した。

************


それにしても、ティベッツ氏も、

彼も彼で、立場があるのだとは思うが、

「日本人の命を救った可能性もある」とは、いかがなものか。


14万人の人間が、広島への原爆投下で亡くなっている。

この事実に向き合ったときに、

いかに、それが国家の命令による虐殺で、

彼の父親はそれに加担しただけかもしれないが、

もう少し人命の前に謙虚になるべきではないだろうかと思う。


ホロコーストで毒ガスでユダヤ人を虐殺したドイツ兵や、

中国でやはり、残虐な殺戮行為に手を染めた日本兵、

そして、原爆を投下して14万人の命を奪ったティベッツ。


彼らの違いは、戦争に勝ったか、負けたか、

ということであって、結局、やってきたことに大差はない。


このティベッツの息子も、もう少し、

歴史や、犠牲の前に謙虚であるべきではないかと思う。


さて、それはそれとして、

この一件もあって、案外、私は、アメリカが主張する


「原爆投下は、日本の終戦を早め、

 アメリカ軍の上陸作戦を止めて、さらなる被害を防いだ」


というプロパガンダが、

ネット上をみると、日本でもずいぶんと信じられていることに危機感を感じた。


やはり、このあたり、

アメリカの戦後日本に対する間接統治の成果なのかもしれないが、

しかし、実際は、


まず、そもそもヤルタ会談で、ソ連がドイツ降伏後、三ヶ月以内に、

対日参戦を行う、ということを決めた時点で、アメリカの勝利は決定していたし、

そもそも日本は、

昭和天皇の侍従長を務めた鈴木貫太郎が組閣した内閣自体が終戦内閣で、

ソ連や、スウェーデンを通じて、ひそかに終戦交渉を行っていたわけだし、


もちろん、原爆の投下は、日本中にショックを与えたことは間違いない。

しかし、だからこそ、軍部からすれば、「徹底抗戦」と復讐に燃える意見もあったわけで、

一概に、それが終戦を早めたと、結論づけられ、

アメリカ世論にも、日本国の世論にも浸透していくのはどうかと思う。


要するに、アメリカの思惑としては、

ドイツの降伏後、ソ連との新しい冷戦がはじまりつつある中で、

すでに第三次世界大戦さえも、見据えた動きに入ってたわけだ。

つまり、「ポスト太平洋戦争」である。


よって、まずは、原子力爆弾の威力を世界に誇示することで、

イニシアチブをとる必要もあって、

また、実際の戦場で、原爆の効果を試さなくてはいけないという思惑で、

プルトニウム型と、ウラン型の原爆をひとつずつ、広島と長崎に投下し、

30万名近い、黄色人種(非キリスト教)の命を実験台とした。


そして、ソ連の対日参戦が迫っていたからこそ

火事場泥棒的に、ソ連が日本の利権を奪っていくことは、

甚大な損害を太平洋戦争でこうむったアメリカとしては認められるわけもなく、

つまり、今回の対日戦争の勝利の果実を、アメリカが独占するためにも、

原爆投下という事実は必要だと、判断したのではないかと思う。


ながく駐日大使を務めたライシャワーが批判しているように、

広島への一発目の原爆投下は、戦争終結を早めたという論理は成り立つが、

しかし、長崎への二発目の投下は論理が成り立たない、

まさしく、その通りである。


さて、話は変わるが、

明日、8月9日は、長崎にとっても65回目の原爆の日である。


しかし、広島と比べて、長崎の印象がどうしても薄いのは、

「原爆ドーム」にあたる、悲劇の象徴的な建物がないことも影響しているかと思う。


本来であれば、1958年に撤去され、1959年に再建された浦上天主堂が、

その役割を担うはずであった。

歴史的な天主堂の価値からしても、

アメリカの残虐な行いがキリスト教の精神に反していることからしても、

もし保存されていれば、

世界にも強い平和のメッセージを残してくれていただろうし、

原爆ドームと同様に、世界遺産に登録されたことも間違いないであろう。


だが、当初は「保存派」でありながら、

アメリカへの渡米後に、なんらかの圧力をかけられたのか、

一転して、アメリカが望むように、当時の田川市長は、浦上天主堂の取り壊しを決定した。


原爆で亡くなった被害者のことを考えると、

なんという罪深い決定を、市長はしてしまったのか。

己の命と引き換えてでも、浦上天主堂は守り抜くべきだったと思うが、

そのために、本来であれば、

キリスト教徒、いやアメリカ国民に強いメッセ−ジをおくることになっただろう

浦上天主堂は被爆した姿で、保存されなかったのである。


ただ、それでも、「被爆のマリア像」が数奇な運命をたどりながら、保存され、

1990年に浦上天主堂に戻ってきて、

今年は、バチカンでローマ法王に祝福されるなど、平和のシンボルの役割を果たしてる。


さて、私はこうした原爆についてのことをブログに書きながら、

よく考えるのだが、

それにしても、敗戦から65年たって、いまだに日本は戦勝国であるとはいえ、

アメリカに対して、原爆投下の謝罪すら、求めることは許されず、


「8月6日広島」というその日、その場所で、

当の菅首相でさえ、秋葉広島市長が訴えた「核の傘」からの離脱に対して、

核抑止力は必要、と記者質問に答えざるをえない、という惨めさである。


本来であれば、日本が核の悲惨さを世界に訴え、

いかに核の拡散が愚かしいことで、人類を破滅に導きかねないことか。

まず、原爆の悲惨さを、世界各国の国民に知ってもらうことによって、

「核廃絶」への人類の総意は動かせてきたはずである。


しかし、現実には、日本はこうした被爆国としての「責務を放棄」し、

なんのリーダーシップも発揮せずに、

アメリカの属国として、唯々諾々として、従うのみである。


オバマ大統領のプラハ演説が画期的だとして賞賛されるが、

しかし、彼の国であるアメリカは、

人類で唯一、核兵器を使用して30万人近い非戦闘民の命を奪った加害者の国であり、

本来であれば、アメリカではなく、日本のリーダーが、

核兵器廃絶に向けての訴えを、世界に向けて発信すべきなのであった。


われわれ日本人は、そろそろいいかげんに、

いつまでもアメリカの属国や、マインドコントロール下で生きるのではなく、

独立した国民として、自分の国のことは自分で決める

こいういう当たり前の普通の国として、目を覚まさなければいけない。


有史以来、日本が外国の属国状態に陥るのは、この戦後がはじめてのことである。


聖徳太子の時代にさえ、隋帝国に対し、「日出ずる処の天子」と、対等外交を求めた。


1959年9月、キューバ革命に勝利したゲバラは、広島を訪れ、

そして、原爆の悲惨さを案内する係員にこう訊ねたという。


「米国にこんな目に合わされておきながら、

 あなたたちは、なおも米国の言いなりになるのか」

 

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コメント
 
01. 2010年8月08日 09:49:06: 3rWFN7OuOw
「米国にこんな目に合わされておきながら、

 あなたたちは、なおも米国の言いなりになるのか」

ゲバラが発した疑問、これは同じく山田風太郎が戦中派、不戦日記に記し、野坂昭如が同じく日記に怒りで書いたように、一億総懺悔(ざんげ)という名のアメリカへの恭順を誓うことで、それまでを無かったことにし間違いだったと言い包め、新たなる帝(アメリカ)のもとで食っていく道を選んだということに尽きる。

野坂は一億総懺悔について、日本を信じて国家総動員の下、勤労奉仕で爆撃を受け這いずり回りながら働きぬいた日々をたった一言の言葉で否定されたようで大きな怒りを抱いたという。
山田風太郎もこの日本人のどうしようもない隷属意識が改まらぬうちは民族の自立も独立も立ち行かぬと冷徹に見抜いている。

戦後は遠くなりにけり、ではなく相変わらず戦後は続いている。


02. 2010年8月08日 09:51:01: WdUZRlOZh6
非戦闘員の大量虐殺は国際法違反なんだけど、この視点はあんまり指摘されない。
日本も同じことをやったことで負い目があるのかね。数の比較じゃ比べ物にならないはずなのだが。

03. 2010年8月08日 10:36:08: Sk1uAHDayk
非戦闘員の大量虐殺という点では、ユダヤ人の虐殺と同じ。東京大空襲もしかり。戦勝国のこのような行為は戦争を早く終わらせるために良い行為だなどというのなら、決着のついてない戦争ではどんどん非戦闘員の大量虐殺をおこなうべきという論理になってしまう。

04. 2010年8月08日 11:21:11: P5EoBf8LJ1
なるほど、アメリカから見れば非戦闘員への攻撃は問題ないというわけだ。

それでよく9.11を非難できたものだな。ああ、あれは自演ってか。


05. 2010年8月08日 12:42:29: GiIG1LvPnw
>広島への一発目の原爆投下は、戦争終結を早めたという論理は成り立つが、
>しかし、長崎への二発目の投下は論理が成り立たない、

2発めで敗戦決定にとどめを刺したということだ。
1発だけだったら、戦争継続は折れなかったろう。


06. 2010年8月08日 14:47:21: Dtp4rJlcgQ
原爆投下は全く必要なかった。
「原爆が投下されなくとも、ロシアの参戦がなくとも、侵攻が計画立案されなくとも
日本は1945年12月31日以前に降伏していた。」
Paul Nitze, Vice Chairman, U.S. Strategic Bombing Survey said,
Certainly prior to 31 December 1945... Japan would have surrendered even if the atomic bombs had not been dropped, even if Russia had not entered the war and even if no invasion had been planned or contemplated.
http://tinselman.typepad.com/tinselman/2006/06/looming_comment.html
当時でも、広島、長崎に対する原爆投下はもちろん、日本各都市への絨毯爆撃は
戦争犯罪。

07. 2010年8月08日 14:49:15: icCUlFrydg
03さま

広島と長崎の被爆者、東京空襲の犠牲者は「丸焼きの供物」と言うことですね。
その意味では、ヨーロッパの供物はドレスデン空襲の犠牲者と言うことになるのでは?


08. 2010年8月08日 16:43:35: J0o6rialnc
『転載』
原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝

1. アメリカ人の原爆観
 
 フィラデルフィアで林間学校に参加していた16歳の時だった。ラジオで原爆投下を知った。周囲の子どもたちは歓声を上げた。私は我慢できず、一人で森の中に入り数時間戻らなかった。
もっと衝撃を受けたのは、ポルノ映画との触れ込みで50年代にボストンで上映された「ヒロシマ」という題の映画で、被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた光景だ。


ルーズベルト「日本人は獣である」

「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。

一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。

「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」

「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」

当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。

「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。人間と猿の中間にあると言っていい。文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。日本人を根絶しなければならない!」

ハイドパーク協定

1944(昭和19)年9月18日

フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が
米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について
申し合わせた秘密協定

1972(昭和47)年に初めて公開された

ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国の
ロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の品種改良と
いうとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア
人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。
ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」

トルーマン回想録

日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)

アメリカからみると対独戦より対日戦の方が、はるかに「人種戦争」という面が濃厚であった。
ダワー教授によれば、アメリカ側の、日本人に対するステレオタイプの典型は「猿」であり、野蛮人、劣等人間、人間以下、害虫、と続いた。それは、個性もなく次々とわいてくるものであったという。
ところがアメリカのヨーロッパでの敵は、ドイツ人自体ではなくヒトラー一派であり、ジャーナリズムも、日本軍の残虐行為については盛んに報道したという。
ダワー教授は、このような相手を人間以下とみなす発想は、日本人に対して初めてではなく、歴史上繰り返してきた非白人に対する蔑視、具体的にはインディアンと黒人に投げつけてきた表現が噴出したものにすぎないとしている。
原爆投下は人間以下の動物とみなされた日本人の大量虐殺が目的だった
ハーバード大学総長で連邦科学行政官のジェームズ・B・コーナントの提案により、陸軍長官ヘンリー・スティムソン は、就業労働者が多数いて、周囲に労働者住宅が密集する軍需施設がもっとも望ましい原爆投下の攻撃対象になるだろうと同意した。  これについてネーション誌は次のように解説している。
お上品な婉曲表現を剥ぎ取って考えれば、この議事録は非戦闘員である労働者とその妻子を殺戮する意図をはっきりと謳っている。これは第二次世界大戦の残虐行為の一部であった
広島は軍事上の攻撃目標ではなかった。住民の大部分は非戦闘員だった。広島を原子爆弾の攻撃目標とするにあたって、米軍参謀部と文官指導層はそのことを正確に予想していた。原爆を投下する第1の目的は、敵の非戦闘員を大量に殺戮することにあり、さらにこれによって生存者を威嚇することにあった。
リンドバーグが見たもの

1927年(昭和二年)にチャールズ・リンドバーグはニューヨークからパリへ、史上初の大西洋横断、単独無着陸飛行に成功したが、この偉業は後に「翼よあれが、パリの灯(ひ)だ」の題名で映画化された。彼は1944年(昭和十九年)にニューギニアの米軍基地で陸軍将校として四ヶ月過ごしたが、その体験を日記に記して後に「第二次大戦日記上巻、下巻」として出版した。

それによると彼は戦場で見たものにショックをうけた。それは兵士が嬉々として敵を殺したからではなく、米兵が日本兵に対して抱く露骨な人種蔑視の念と、それに基づく残虐行為を目のあたりにしての苦悩であった。

たとえ敵味方に別れて戦い軍服に違いがあるとしても、敵の人間としての勇気は勇気として、兵士の使命は使命として認めなければならないにもかかわらず、太平洋地域の連合軍の中には、そうした感情のカケラもないことを発見した。
そこでは士官も兵士も日本人に対する人種差別、蔑視から自分達と同じ人間とは考えず、人間以下の単なる動物としか見ていなかった。
(米英にとっての太平洋戦争、下巻)

太平洋戦争中の米国による日本人に対する残虐行為は、人種差別に根ざすものだと英国人ジャーナリストのラッセル・スーパーは述べています。
「アメリカ人は絶望的になっている敵国人を殺戮することに、気がとがめなかった。彼らは太平洋において人種戦争を常に派手に戦ってきた。新聞の大見出しになる種を探しているアメリカの高官連中は公然と、日本人を殺すことはシラミを殺すよりも悪いことではないと言明した

原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 3 月 14 日 16:54:33: 3bF/xW6Ehzs4I


広島原爆投下
http://www.youtube.com/watch?v=7OCkNa41A6g&feature=related

原爆 10秒の衝撃
http://www.youtube.com/watch?v=U835yjBMtk8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=t2WDX6OL3wA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=pBPBaqjWp8o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Nho4MEK8ZfE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DaWeJW9jSyk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=--7-TBCqHe0&feature=related


1. アメリカ人の原爆観
 
 フィラデルフィアで林間学校に参加していた16歳の時だった。ラジオで原爆投下を知った。周囲の子どもたちは歓声を上げた。私は我慢できず、一人で森の中に入り数時間戻らなかった。

もっと衝撃を受けたのは、ポルノ映画との触れ込みで50年代にボストンで上映された「ヒロシマ」という題の映画で、被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた光景だ。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/428.html


ルーズベルト「日本人は獣である」

「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。

一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。

「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」

「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」

 
当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。

「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。人間と猿の中間にあると言っていい。文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。日本人を根絶しなければならない!」


ウィリアム・ハルゼー海軍元帥

 日本軍との戦闘に際し「敵を殺せ!敵をもっと殺せ!猿肉をもっと作れ!」

など度々過激な発言を繰り返したことで知られているが、日本への原爆投下
に対しては批判的だった。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15


ハイドパーク協定

1944(昭和19)年9月18日

フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が
米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について
申し合わせた秘密協定

1972(昭和47)年に初めて公開された

ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国の
ロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の品種改良と
いうとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア
人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。
ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」

ハル・ノート:日本が対米開戦を決断した無理な米国側の要求。

       米国に潜伏するソ連スパイが日米を衝突させるために作成した。
http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/a-f2.htm#03

トルーマンのカバートへの返事

1945年8月11日

日本人の理解する唯一の言語は、彼らを爆撃することのように思われます。
獣と相対したときは、獣として扱う他はありません。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/RE_sammuel_1945_8_11.htm


トルーマン回想録

"Japanese are beast. So are treated as"(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)


アメリカからみると対独戦より対日戦の方が、はるかに「人種戦争」という面が濃厚であった。

ダワー教授によれば、アメリカ側の、日本人に対するステレオタイプの典型は「猿」であり、野蛮人、劣等人間、人間以下、害虫、と続いた。それは、個性もなく次々とわいてくるものであったという。

ところがアメリカのヨーロッパでの敵は、ドイツ人自体ではなくヒトラー一派であり、ジャーナリズムも、日本軍の残虐行為については盛んに報道したという。

ダワー教授は、このような相手を人間以下とみなす発想は、日本人に対して初めてではなく、歴史上繰り返してきた非白人に対する蔑視、具体的にはインディアンと黒人に投げつけてきた表現が噴出したものにすぎないとしている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15

 


原爆投下は人間以下の動物とみなされた日本人の大量虐殺が目的だった

ハーバード大学総長で連邦科学行政官のジェームズ・B・コーナントの提案により、陸軍長官ヘンリー・スティムソン は、就業労働者が多数いて、周囲に労働者住宅が密集する軍需施設がもっとも望ましい原爆投下の攻撃対象になるだろうと同意した。  これについてネーション誌は次のように解説している。

 お上品な婉曲表現を剥ぎ取って考えれば、この議事録は非戦闘員である労働者とその妻子を殺戮する意図をはっきりと謳っている。これは第二次世界大戦の残虐行為の一部であった。

さら続けて、ネーション誌は指摘する。

 広島は軍事上の攻撃目標ではなかった。住民の大部分は非戦闘員だった。広島を原子爆弾の攻撃目標とするにあたって、米軍参謀部と文官指導層はそのことを正確に予想していた。原爆を投下する第1の目的は、敵の非戦闘員を大量に殺戮することにあり、さらにこれによって生存者を威嚇することにあった。
http://satehate.exblog.jp/7590315

リンドバーグが見たもの

1927年(昭和二年)にチャールズ・リンドバーグはニューヨークからパリへ、史上初の大西洋横断、単独無着陸飛行に成功したが、この偉業は後に「翼よあれが、パリの灯(ひ)だ」の題名で映画化された。彼は1944年(昭和十九年)にニューギニアの米軍基地で陸軍将校として四ヶ月過ごしたが、その体験を日記に記して後に「第二次大戦日記上巻、下巻」として出版した。

それによると彼は戦場で見たものにショックをうけた。それは兵士が嬉々として敵を殺したからではなく、米兵が日本兵に対して抱く露骨な人種蔑視の念と、それに基づく残虐行為を目のあたりにしての苦悩であった。

たとえ敵味方に別れて戦い軍服に違いがあるとしても、敵の人間としての勇気は勇気として、兵士の使命は使命として認めなければならないにもかかわらず、太平洋地域の連合軍の中には、そうした感情のカケラもないことを発見した。

そこでは士官も兵士も日本人に対する人種差別、蔑視から自分達と同じ人間とは考えず、人間以下の単なる動物としか見ていなかった。

(米英にとっての太平洋戦争、下巻)

太平洋戦争中の米国による日本人に対する残虐行為は、人種差別に根ざすものだと英国人ジャーナリストのラッセル・スーパーは述べています。

「アメリカ人は絶望的になっている敵国人を殺戮することに、気がとがめなかった。彼らは太平洋において人種戦争を常に派手に戦ってきた。新聞の大見出しになる種を探しているアメリカの高官連中は公然と、日本人を殺すことはシラミを殺すよりも悪いことではないと言明した。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/445.html


サイパン島バンザイ・クリフの悲劇は米軍の強姦と虐殺が誘発した

 昭和19年7月、サイパン島陥落時に邦人男女が「万歳」を叫んで次々に断崖から海に身を投げて自殺したいわゆる“バンザイ・クリフ事件” 実は米軍による婦女暴行や虐殺が誘発した事件であったことが生々しい自殺説として『我ら降伏せず サイパン玉砕の狂気と真実』田中徳祐著に綴られていた。彼は敗戦後もゲリラ活動で戦い通した元陸軍大尉である。
その手記の一部であるバンザイ・クリフ事件の項を紹介する。
「いまだにジャングル内に残っている日本の兵隊さん、住民に告ぐ。いまかけた歌は、なんと懐かしい歌ではありませんか。みなさんの幼い頃を思い返してください。一日も早く、平和な日が訪れるのを、故郷の父母が待っていることを忘れないでください」
そしてさらに、「米軍は虐待しません。命が大切です。早く出てきてください」 投降を勧める放送は再三くり返された。 投降呼びかけの放送とはうらはらに、米軍は人道上許しがたい残虐な行為を次々と展開しだした。

 我々は、バナデルの飛行場を見おろせる洞窟に潜んでいた。距離にして1000米くらい先に、上陸してすぐの3月20日から作業をはじめ完成させた滑走路が横たわっていた。しかしいまは米軍の砲爆撃で無惨な姿をさらけだしている。
そこへ、三方から追いまくられた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。 幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。積み終ったトラックから走り出した。婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している。
 その声がマッピ山にこだましてはねかえってくる。
やがて、次のトラックも、次のトラックも走り出した。 絶叫する彼女たちの声はやがて遠ざかつていった。 ……なんたることをするのだ! 小銃だけではどうすることもできない。もし、一発でも発砲すれば敵に洞窟の場所を知らせることになる。この悲劇をただ見守るより仕方ない。(この婦女子はその後、1人として生還しなかった)
婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴かあがった。ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴・・・。米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい……。

あの投降勧告はー体なんだったのか。常夏の大空をこがさんぱかりに燃え上がる焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。そのすさまじいばかりの叫びが、中天高くあがり太平洋の波をゆさぶらんばかりである。

 残虐な行為は凄絶をきわめた。火から逃れようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴りとばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ投げこんでいる。

二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊をみつけだし、両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げこんだ。「ギヤッー!」という悲鳴。人間がまるで蛙のようにまた裂きにされ殺されていく……。彼らは、それをやっては大声で笑った。無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。

『我ら降伏せず サイパン玉砕の狂気と真実』田中徳祐著からの抜粋

途中長いので大分中略してあります、ご了承下さい。
>05. 2010年8月08日 12:42:29: GiIG1LvPnw さん
これがもし本当なら、

>広島への一発目の原爆投下は、戦争終結を早めたという論理は成り立つが、

と言えますか?

これはこの後まだまだ続きますでも長いので、続きを読みたい方は
阿修羅の検索に
  
  原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝

を貼り付けて検索すればでてきます。


09. 2010年8月08日 17:55:53: qQzZIhyYNA
原爆投下が終戦を早めた?
との題名で日本が洗脳されていると思えてしまう。
06さん 08さんのコメント記事だけじゃなく。
日本も1944年8月末から終戦工作をしていた。

日本は軍部や外務省がバカだったのだろうが失敗に終った終戦工作を
大きく2回している。
1.ソビエトへ仲介を依頼したが、スターリンに鼻で笑われ愚かだと一蹴された。
2.皇室の関係が深かったスウェーデンに仲介を依頼したが
  アメリカやイギリスに全て阻止された。

アメリカは原爆を落とすために日本の終戦工作を阻止したとも言える。
トルーマンは16個の原子爆弾を準備していた。
日本が往生際が悪かったのは特攻を始めた時に明らかだが、最後の土壇場では
終戦に向け、計画準備はしたのだ。
ヤルタ会談以前から妨害工作は行われ。ヤルタ会談で決定確認されている。
暗号電文は筒抜けで、日本の動向は先回りされ終戦計画は阻止された。

こんな歴史的事実でさえ、教科書から消えている。


10. 2010年8月08日 21:12:43: Ds6cr33W8s
原爆や枯葉剤の使用、今多くの人々を殺傷するだけでなく生まれてくる子供たちにも害を及ぼす、神を冒涜する所業です。これを反省することなく正義の為などと恥ずかしげもなく言うアメリカが核廃絶の先頭に立つなど片腹痛いというものです。何ら反省するべき点がないなら廃絶すべき理由は何なのか、説明してほしい。核を保有していい国としてはいけない国は誰がどのような線引きをしているのかも含めて。真剣に核廃絶を言うのなら、まず原爆使用に関して国として誤りを認めてから始めるべきです。自国に爆弾を浴びたことはなく、いつでも浴びせる側の国には反省、謙虚という言葉を送ります。

11. 2010年8月08日 21:35:35: FTsXsV0ndw
なぜ、広島の原爆の翌日に降伏しなかったのか。
なぜ、まだ1億総玉砕と言い続けたのか。

残念だが、終戦を早めたのは事実だろう。
A級戦犯たちの、卑劣で卑怯な終戦先延ばしがあったのは事実だろう。


12. 2010年8月09日 02:32:38: BczkPhjwbg
2発の原爆投下が無ければ
北海道はソ連、九州は中国、四国はフランス、本州はアメリカとイギリスが
分割統治

おそらく、日本はバラバラに占領されたのでは?

原爆2発でヒロヒトがビックリして敗戦を受け入れた
あのまま本土決戦を決行すると、3発目、4発目、5発目と原爆が落とされて
日本の都市部は壊滅だったでしょう

それと天皇制も廃止だっただろう・・・・
それに気がついたヒロヒトが天皇制維持のために(国体護持だったか?)

日本国民と琉球民族をアメリカの奴隷として差し出した。
日本にアメリカ占領軍を置くことも受け入れた。
皇族が生き延びる事と交換条件だったみたいだね


13. 2010年8月09日 18:09:42: 9XZxRH6hNs


      「日本人は中国人の大量虐殺はしていない!」


      「それは嘘だ!」

      
      「JUSTICE  正義」


14. 2010年8月10日 02:53:59: nJE7k575fA
13さん 虐殺はあった、それは戦場では悲しい事実。
南京虐殺では中国が博物館を造り30万人虐殺したとの数字があるが
中国のプロパガンダの可能性が高いが、検証されていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1937%E5%B9%B4)#.E6.AE.8B.E8.99.90.E8.A1.8C.E7.82.BA.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6
=======================================================================
1938年1月26日から国際連盟理事会開催、日本を非難する為、中国政府代表の
顧維均が意見を陳述、「日本が南京を攻略した際、2万人の民間人を虐殺した
これに対し国際連盟は行動をとるべきだ」と証言、 これに対し
連盟側は「そんな事実はあり得無い」と受け入れなかったとする事実がある。
=======================================================================
民間人の定義も曖昧であるとの指摘がある。
南京に入場したとき、日本軍に銃口を向けてきたのが
一般人の服を着ていた中国兵だったからだ。(これも断定できない)
3に纏わる数字は中国では表現上の慣例である。

戦争犯罪は償わなければならないが、国際法でも過剰な罪は認められない。

原爆による死者数は厳密に記録されていて、明らかに国際法違反である。


15. 2010年8月10日 03:27:40: ocMy6ud3v6
「虐殺」という言葉自体が、左右問わず一般人をミスリードするための
イデオロギー用語なのです。

第二次大線時は細菌と化学兵器は禁止されていても
原子力兵器は禁止されていなかったのでは?


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