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偽装冷戦と、単なる冷戦と、日本人の備えはいかにあるべきか (uedam.com)
http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/794.html
投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 19 日 13:01:26: ulZUCBWYQe7Lk
 

(回答先: アメリカの対日政策の第3期の今、日本人で正義の士は誰か (uedam.com) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 16 日 15:01:26)

http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9059

偽装冷戦と、単なる冷戦と、日本人の備えはいかにあるべきか

投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月19日(火)12時26分49秒  
こんにちは、皆さん、植田です。

 ツイッターおっかけです。

 「@HASSANKONAKATA: ここにいると中央アジアがロシアの「シマ」であることが実感される。 ホテルでさえ、CNNもBBCもない。それなのにアル-ジャズィーラのアラビア語放送が放映されている(しかしよく見ると画面が動かなく、音だけ)。」

 この状況の中に自分がいると思うと、ぞっとしますね。
 窓がない、狭い部屋に閉じ込められた感じです。
 BBCもCNNもないとは。
 西洋文明が消滅した世界とは何か?
 私は、とにかくぞっとします。
 しかし、それでも、そこに生まれ、育った人には、それに慣れてしまうのでしょうか。

 人間の精神は、カメレオンなのか。
 あるいは、いつかは花を咲かせる種子なのか。
 そして、その種子が、桜の花を咲かせるのか、チューリップを咲かせるのか、育ってみなければわからない、と。

 以上、http://twilog.org/kenitirokikuti
から。

 次です。
 「SankeiShimbun 【国際】 モンデール元駐日米大使 「日本は頼れず」自伝で明らかに:  【ワシントン=古森義久】米国の元副大統領ウォルター・モンデール氏(82)が駐日大使在任中の1994年、北朝鮮の核兵器開発による朝鮮半島での戦争の危機に面して日...

 当然でしょう。
 日本人自身が自国の政府は頼れない、と思っているのですから。
 これは日本人自身に能力がないのではなく、戦後の政体(吉田体制)の問題です。
 この体制を今も日本人は変えることが出来ない、というのが、ここが日本人の固有の問題です。律令理性には不可能である、という問題です。

 なぜなら、戦後の日本は、自然理性によって律令理性が囲いこまれた体制です。

 もうひとつ。
 「bilderberg54 とうとう言っちゃった仙ちゃんの「属国」発言。今に始まったことではないのは大昔の中国、明治維新から終戦までの英国、終戦から現在までの米国。そして、これからは米中の「偽装冷戦」(実は上層部は握手)のさなか、中国にすり寄るか?アホだ、アホすぎる。」


 このツイッター文には、これまでの日本史が実に簡潔に要約されています。
 それで、さて、現在の米中は「偽装冷戦」という指摘は面白いです。

 ソビエトが誕生したのは1917年。
 消滅したのは1991年でした。
 その間、74年。

 で、チャーチルがフルトンで「鉄のカーテン」スピーチをしたのは1946年。
 とすると、そまでの29年間は、米ソの〈偽装冷戦〉だったと考えることができます。
 革命を起こし、ソビエトを作ったのはスカル・&・ボーンズ。それと、イギリスのラウンド・テーブル。
 そして怪物となったスターリンのソビエトを主権国家として承認したのがF・ルーズベルト大統領。1933年。
 ここから米ソ協力による枢軸国つぶしが始まります。
 敵の敵は、仲間だ、と。連合軍です。

 第二次大戦が終わると、偽装冷戦は、ただの「冷戦」となります。
 アメリカにこの転換を促したのは、チャーチルのスピーチと、モスクワからのケナンの「X電報」でした。
 ソビエトという国家は、アメリカ人が楽観的に考えてきたような国ではない、と。

 そこで、問題は、いつ現在の米中の偽装冷戦は、単なる冷戦に転換するか、です。
 アメリカという国は、相手国の力が変化するにつれて、姿勢が変わります。
 フレンド、パートナー、ライバル、敵へ、と。
 アメリカにとって、中国の真実を伝える新しいケナンが出てくるのはいつか?
 2015年か、2020年か、2050年か。
 あるいは、22世紀か。

 日本は、偽装冷戦にも、たんなる冷戦にも備える必要があります。
 では、いかなる備えが必要か。

 これからのすべての日本人が挑戦しがいのある課題ではないですか。
 以上、http://twitter.com/DrPetanishiから。  

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コメント
 
01. 2010年10月19日 22:37:37: GGzs178tzQ
五月晴郎さん

「検察審査会による「小沢起訴」とは何か」 で貴方の「論」は、近代化論、詰まりは進歩=発展史観の一変種ではないか?と言った07.です。

ことのついでですから、同じ視点をアメリカに向けたらどうなるのか?も書いておきます。

”change””政権交代”と、共に似た様なスローガンを掲げ、日米の新政権が相次いで登場して来たことでも窺われる様に、これまでの政治を変えたいということでは同じ、政治の現状への不満や不信が渦巻いていることでも同じです。 

貴方は「選挙政治家」に「国家意識」が持てないのはなぜか?と問われるが、それはアメリカの場合も同じ、元来「地元の利益代表」の面もあるのだし、「選挙政治家」が「国家意識」を持っていないというのは、むしろ選挙民の意識の反映と見るべきでしょう。 日本の場合、今般の参院選における「立ち上がれ日本」の惨敗にも表れてる通り、国家を正面から打ち出すと多くの人が引いて仕舞うという現実があります。 
勿論これを以って「敗戦」が投影したものと見做すことも可能ですが、コトはそれ程簡単ではない。 
何故なら、他ならぬアメリカにおいても似た様な状況があるからです。 

但しアメリカの場合、「政治不信」は<権力>への不信であり、「反ワシントン」「反連邦中央」に際立っております。 ”正真正銘の南部大統領”と言われたブッシュ前大統領の「反ワシントン」ポーズも、またレーガン以来の「小さな政府」論も、本来そういう文脈で読み取っておくべきだと思いますね。 

そうしたブッシュ前大統領時代のアメリカと、そういった流れへの巻き返しの様に登場したオバマ大統領、国家分裂の危機を強力な指導力で再統合したリンカーンに自らを擬え、又そういう彼を支持する勢力を観れば、「ブッシュのアメリカ」と「オバマのアメリカ」、丸で二つのアメリカが在るようには感じられないでしょうか?

ここで再び岩井克人を引けば、インフレ、殊にハイパーインフレはもう一つの精神病である分裂病(統合失調鬱症)にその精神構造が酷似している、という。 即ち社会と自己との自明性(関係)が崩壊している、先ほどの話に戻せば、金よりモノ、というより金への<信用>が喪われてるー従ってその究極の意味であり、実体である<権力>の自明性若しくは信頼が崩壊している、となります。

果たしてこの先、アメリカが分裂病(統合失調鬱症)ーハイパーインフレ(ナチス登場前夜の如き!)になっていくのかどうか?

中間選挙に向けて、独立運動の切っ掛けになった事件に因んだ「ティーパーティ運動」の隆盛が伝えられるけど、その予兆なのか? ー正しくこれは、<権力>の根源を問い質すものでもあるのですから。 昨今の「ドル安」がオバマ政権の目論見通りに収まるものなのか?それとも思惑を超えた事態(信用不安)まで行き着く危険を秘めているのか?

こういったことも含め、もし貴方が「鳥の視点」というのであれば、鴻鵠(といって、何も貴方が燕雀と言ってるのではないですぞ)とは言わぬけど、もう少し高い所から、お願いしたいものです。 

追記)
貴方が植田氏と同一人物であるのか知りませんから、これは貴方へ問うべきことではないかも知れないけど、引用しているということで、貴方にもお訊ね、というより疑問を呈しておきます。 
自然理性と律令理性というシェーマが果たして妥当であるのか?の前に、そもそも自然と理性は結び付くのか?という疑問。 何故西欧理性又は近代理性ではなく、自然理性なのか? 更に、最も人工的・人為的な国家であるアメリカを作り上げ、動かす理性が一体自然とどう結び付くのか?

むしろ私には、かかるアメリカの理性を「自然」と結び付ける図式こそがあらゆる災いの元凶の様に思えます。
前世紀の後半より、その本場の西欧では、近代理性への批判や幻滅は大きな潮流として現れていることは思想史の常識でしょう。

しかしながら、その飛び火したアメリカにおいては理性は「原理」になっているのではないか?−と私は見ています。 原理、即ち「キリスト教原理主義」と同じく、信ずべき、帰依すべき対象です。 だから、それが「自然」と結び付いてるのではないか?と。
その他にも、植田氏の政治への考察は疑問だらけです。
せっかく問題設定が優れていても、方法或いは目線が違ってるから、結論は正反対になるーその典型のようで。

>いつ現在の米中の偽装冷戦は、単なる冷戦に転換するか

「冷戦」をどのように定義するかの問題もありますが、もしかっての如き「イデオロギー対立」(それさえ私は疑問ですが)と考えているのなら、明らかに、間違いです。
「イデオロギー対立」という意味での冷戦は有り得ません。


02. 五月晴郎 2010年10月20日 01:25:56: ulZUCBWYQe7Lk : 3TceM4k07M
>>1さん
「検察審査会による「小沢起訴」とは何か」 での、1さんともう御一方のコメントの遣り取り、記憶にございます。今また読ませていただきました。
植田氏の視点は現下の「政治・選挙」を把握する助けになると考え、また私が氏の論考を理解するのに、阿修羅の皆様の視点、考察を参考にしたいとも思い、一連の関連投稿をしました。

以下は現段階での私見です。
感覚的な表現になり読み辛くなると思いますが御容赦ください。

先ず、律令理性(参照:http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/361.html#c1 「官僚だけに「私こそが日本国家である」という意識が持て、選挙政治家に持てないのはなぜか (uedam.com)」)というのを植田氏が様々な文脈で話される時、腑に落ちる感じが私はします。。これは1さんも皆さんも同じではないかと。
日本の中でという条件下で、自分が居て他者が居て、他者と自分は関係性を持ちそれぞれを規定し関係性において自分は他者は存在する・・こうした他者、自分、関係性を、想起し身体的感覚に近い感じで納得しました。

そして、自然的理性とは次の植田氏が語ったところのように理解しました。

「言いかえれば、なぜ普通の日本人の主観性は、自分をこの国の主人であると自認できないのか。 そしてなぜ検察官僚にそれができるのか。 ここが日本問題のすべての核心です。(コメント者記:ここまで「律令理性」)

で、答えは、それが日本人の思想に「哲学」がなかったことのツケです。
だから、哲学とは何か、と言えば、普通の人間に自分を地球の主人と自認させる思考様式です。ここから西洋史に大航海時代が開幕しました。自然科学がスタートし、経済成長が始まりました。
アメリカ合衆国はこれらの申し子です。だからアメリカの政体は、主人公だらけの社会を、いかにチェック・アンド・バランスで秩序づけるか、が基本になっています。」 (http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/652.html 「検察の主観性の問題 (uedam.com) )

で、『律令理性』と命名したものの、西洋での同様な概念に『「自然」理性』と命名したのではないか、何故人工的なものが自然なのかというような意味での「自然」ではないと愚考します。

おっしゃる所のアメリカの場合の「国家」を押しだす政治勢力と、それへの反抗勢力の関係は、どちらも「自然理性」を持った勢力の関係・軋轢で、同列に挙げられる日本でのそれとは違うと考えているのが1さんとの視点の違いかと思いました。

鳥の視点といったものは、1さんが上述のコメントを遣り取りされた方との間の御話なので、すいません言及出来ません。

「キリスト教原理主義」として挙げられたようなような面は、アメリカにはそうしたところもあるということで、上記のような律令理性、自然理性の違いとは別かと思います。日本の近代にも現在に至る蓑田胸喜以来の「日本原理主義」運動もあるわけで。

アメリカに於いて人工的なものが、例えば貨幣という記号が、物神のようになっているという1さんの御指摘は同じ認識です。しかし、これは日本においても同様ですし、敢えてまた別なところで言えば、例えば律令や概念としての天皇は人工ですが、これを神として信じるのは外から見たら同じではないかと。

ありがとうございます。勉強になります。


03. 2010年10月20日 21:38:23: 8Q7OrUt26U
五月晴郎さん

>鳥の視点といったものは、1さんが上述のコメントを遣り取りされた方との間の御話なので

それは失礼。 では取り消します。 ですが、下記の視点及び問題設定自体は極めて重要と思うので、改めて再批判させてもらいます。

>。ヨ言いかえれば、なぜ普通の日本人の主観性は、自分をこの国の主人であると自認できないのか。 そしてなぜ検察官僚にそれができるのか。 ここが日本問題のすべての核心です」


五月晴郎さん、じゃなかった植田さんはヘーゲルの例の<主人>と<奴隷>の弁証法で説明されていますが、西欧思想の文脈から言えば、既に我々は構造主義を経ているのですから、通時的ではなく、共時的な視点でこの問題は捉え返された方が分かり易いのではないか? 極めて大雑把だけど、以下の様に。

主人・主役・主体を意味する英語のsubjectは、同時に隷従・臣民・被統治者等の意味も有ります。
つまり、主人は奴隷でもある、ということです。 これはどのようになっているのか?と言えば、(キリスト教)神の僕(しもべ)であるキリスト教徒は(外の世界には)キリスト教文明の主体として登場する、ということです。 それが「普通の人間に自分を地球の主人と自認させる思考」構造であり、「ここから西洋史に大航海時代が開幕」する、という訳です。

それではキリスト教世界においてはどうか? カトリック(普遍)秩序に組み敷かれたローマ教会中心の支配(主ー従)に対して、それへの抵抗勢力(プロテスタント)は<神>を内面化することによって、教会という外の(神の)存在を否定します。 つまり<神>は内面に居るというコペルニクス的転倒によって、<僕>である自らを<神>の位置に置く=神の目線=理性を自らのものにする(<理性>を神の位置に置く)ということでしょう。 このように中世(キリスト教)的思考を転倒することによって、<近代的主体>=<自由で自立した個人>は登場してきたわけです。 また各々の「国民国家」はそれぞれの国の学校と軍隊、即ち(義務)教育と徴兵制=国民皆兵によって、更には、植田氏も言うように、戦争によって。

かかる<西欧近代的主体>に対して、近代日本も又同じ様な<近代的主体>を創出してきたわけでしょ。 天皇を<神>の位置に据えることによって。 大日本帝国の臣民たることによって、(外には)大日本帝国の主体として立ち現れたわけです、東アジアを中心に、世界に対して。 またそうした「帝国臣民」は、西欧と同様、(義務)教育と徴兵制=国民皆兵によって、更に戦争によってー日清・日露の戦争を経て、「国民意識」は形成されていったわけでしょう。 現在の中国や韓国・朝鮮、或いはロシアに対する意識はそうした「国民意識」の潜在を意味してるのであってね。

丸山真男が指摘している幕末の庶民の意識は、国民国家成立以前の、「国民」に成る以前の状態を語ってるに過ぎないのであって、それを今に至る日本人の宿命と置き換えることは完全な誤りです。

では「なぜ普通の日本人の主観性は、自分をこの国の主人であると自認できないのか?」
上述のことより明らかです。 <神>を喪ったからです。

明治維新と昭和維新、日本近代におけるこの「反復」については近いうちに別途話しますが、上記の問いを見事な文学表現で語ったのが三島由紀夫「英霊の声」でしょう。
「2.26」と占領状態が続く戦後を同一の原因、<神の死>としてー
「かかる日に、などて天皇(すめろぎ)は人となり給いし」


>自分をこの国の主人であると自認できないのか。 そしてなぜ検察官僚にそれができるのか。

官僚の本来的な在り様は「代官」でしょう。 つまり誰かの代わり。 敗戦までは天皇の代わり。
そして、戦後、天皇が人となり、空位になったその位置に座ったのはマッカーサー将軍です。
つまり、官僚の背後に在るご威光=ご意向に従うことにより、官僚は力を持つ、というわけです。
言い換えれば、我々国民がそのご威光=ご意向に平伏す限り日本は独立出来ない、というわけです。


04. 五月晴郎 2010年10月21日 15:36:44: ulZUCBWYQe7Lk : AnPH8ZXDmM
>>3
弊PCの増設用メモリーが明日届いたらリプライ申し上げます。すいません。

05. 五月晴郎 2010年10月22日 16:27:25: ulZUCBWYQe7Lk : AnPH8ZXDmM
>>3
御指摘部分の御解説の、「律令理性」の日本が明治以降に如何に西洋の国民国家の理念を日本化させたかは、周囲の東洋の国に先駆け、当時の日本がプラグマティックな国家体制を整え経済発展をさせ、また周囲の国に進出していったかの歴史で私も承知しております。したがって又「<神>を喪った」(>>3)ことも認識しています。そして、「天皇が人となり、空位になったその位置に座ったのはマッカーサー将軍」(>>3)で、「我々国民がそのご威光=ご意向に平伏す限り日本は独立出来ない」(>>3)のも又、同じ認識です。
御解説に沿って挙げられた三島由紀夫に就いては、植田氏の文を同様にテキストにした阿修羅投稿記事でのコメント「庶民を睥睨しうる男子像がなす、男社会の論理というところです。芸術家では三島由紀夫氏をイメージしてしまいます。」を、御解説の文脈に沿って表現すれば1&3さんの記述になるかと理解申し上げます。(「佐藤・鈴木の両氏が浮き彫りにした日本の「戦後喜劇」 (uedam.com)」 http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/500.html#c13

では、何故「平伏す」る(>>3)のか、「普通の人間に自分を地球の主人と自認させる思考様式」(>>2)がないからと考えます。
端的に言って、そうしたマインド(思考法)がないからじゃないですか。

また、上述のプラグマティズムは西洋由来です。これで明治日本は上述のようになった。現下は、周囲の東洋の国家《中国(台湾)朝鮮半島(韓国、北朝鮮)しかない。これに日本(沖縄)も加えたのが「東洋」》が、むしろ日本より発揮しています。


06. 2010年10月22日 22:27:03: HC2Fi425WY
05. 五月晴郎さん

相当誤解されてるように見受けられましたが、まぁ誤解も理解の一つとして、感受しましょう。
もし、これからも植田氏の論考を引用なされるのなら、個別に反論なり批判することにして、今回はこれでお開きということに。

ただ、もう一つ。
実はウォルフレン氏に言及したのは私でして、それには理由が有ります。

貴方(というか植田氏が)が「律令理性」という概念で論じられてる事と、ウォルフレンが20年近く前、「日本権力構造の謎」で、<システム>という概念を使って論じた事が、殆ど同じことを言ってるように思われたからです。 
ウォルフレンはその後、「山県有朋の遺産」といい、その様な<権力システム>はどの国にもあると、見解を変えて来ておるようですから、勉強乃至は研究が進んでいると思い、かって感じた程の違和感は今はありませんがね。
小沢一郎を評価した同じ論文で、次の様に述べています。 
=====================================================
あらゆる国々は表向きの、理論的なシステムとは別個に、現実の中で機能する実質的な権力システムというべきものを有している。政治の本音と建前の差は日本に限らずどんな国にもある。実質的な権力システムは、憲法のようなものによって規定され制約を受ける公式の政治システムの内部に存在している。そして非公式でありながら、現実の権力関係を司るそのようなシステムは、原則が説くあり方から遠ざかったり、異なるものに変化したりする。
 「日本政治再生を巡る権力闘争の謎(その1)」中央公論3月号
====================================================

植田氏が「律令理性」なる分ったようで解からないセリフで煙に巻くとっくの昔に、「謎」と、西欧理性で判断(停止)していたウォルフレン氏は我々にも納得出来るような認識に到達したように思えます。

そのウォルフレン氏が、小沢氏を欧米に比類無き政治家と認める本当の意味が、貴方には分かるだろうか?

>では、何故「平伏す」る(>>3)のか、「普通の人間に自分を地球の主人と自認させる思考様式」(>>2)がないからと考えます。
>端的に言って、そうしたマインド(思考法)がないからじゃないですか

もちろん、全然違います。
としたら、西欧にも同じことが言えるからです。

「鉄砲から政権は生まれる」とは毛沢東の名言です。
戦後の西欧と日本は、米軍という鉄砲=<暴力>によってリストラ=再建された、ということでは同じです。
そうして、この<暴力>の背後にある思想を克服出来ないことでは、西欧も日本も変わらない。 この「鉄砲」に正面から対峙する構え=構想力を持った政治家は欧米には見当たらない。
ウォルフレン氏が小沢氏を欧米に比類無き政治家と認める本当の意味はそこに在ります。

これは又別途論じることにしましょう。
「私は、人民解放軍野戦軍司令官です」と言った真の意味をね。


07. 五月晴郎 2010年10月22日 23:20:14: ulZUCBWYQe7Lk : AnPH8ZXDmM
>>6
そうですかねえ、私に読解力がないせいか、>>3は、植田氏の言や一般的な理解を貴方の言葉で言い直したようにしか読めなかったですが。
また、西欧が、日本のように「平伏し」(>>3)ているという認識は、どうかと思います。

要は、戦後や冷戦中はともかく、日本が現在もどうして自ら「平伏し」(>>3)ているかで、
>>2 >>5の思考様式(マインド)がないからというのが私には現実に納得出来るところです。

ありがとう御座いました。


08. 2010年10月23日 11:24:13: WAIHK3NrSM
>07. 五月晴郎さん

まぁ、次に繋げる為に、これは「補注」ってことで受け取って下さい。

>植田氏の言や一般的な理解を貴方の言葉で言い直したようにしか読めなかったですが。
これは、例えて言えば、仮に同じものを見ていても、正反対の側から、或いは正反対の方向を見ている、ということだと思っています。 植田氏の時事問題への結論には殆ど全て反対、乃至否定的ですので。


>西欧が、日本のように「平伏し」(>>3)ているという認識は、どうかと思います

これは平伏すという言葉を使うより、ヘゲモニー、或いはリーダーシップを認めるという風に解した方が良いですね。
客観的に見たら、若しくは内面的には日本と同列視はしてないでしょうからね。

しかしながら他方、NATOをどのように見るか?或いは「冷戦」をどのように見るのか?から言えば、事実上、変わらない。

「自然理性」にはイデオロギー対立に見えるのかも知れませんが、それ以外には「ヤルタ体制」=戦後支配体制の具現化、米ソによる欧州の分割支配にしか見えない、ということ。
それに、「イデオロギー対立」は終わってるにも係わらず、依然としてNATOは解体されないし、何故、行きたくもないアフガンにまで行かせられるのか?
何故、冷戦時の遺物とされた「戦略ミサイル防衛構想」が生き残り、ポーランド配備等で揉めるのか?等々
旧東欧を中心に、アメリカ依存が強まったことを入れれば、軍事面から観れば、それ程ヘゲモニーが揺らいでるようには見えませんが。

戦後日本では特に軍事的視点はタブー視されますからーということは<権力>の実態を見ないということですがー表面で流通する「言葉」(CMですね)で迷わされる傾向は事の外強いと思いますね。

戦後、長らくタブー視されていたC.シュミットの「政治学」が復興してきているとのこと。 遅きに失した感もありますが、まぁ当然でしょうね。

では、またの機会まで。



09. 五月晴郎 2010年10月23日 14:20:09: ulZUCBWYQe7Lk : AnPH8ZXDmM
>>8
う〜ん、出来の悪い学生に、先生や助手が噛んで含めるように喩すようになってしまいまして、無用の負担をおかけするというか、すいません。
実は私も「植田氏の時事問題への結論」には、違和感があるところが多いのですが、結論に至る論考には納得してしまうのです。
考えて考え抜く人というか日々の活動が考えることである人はこうなるのかな、とか違和感の原因を想ってたのですが、商学系の実務以外は系統だてた訓練をしたことが私はないので、そこらへんも大分関係あるのかも知れません。つまり、地を這う出来の悪い奴の仰視かと、ま、テキストと関係のないことで、すいません。

覇権を成り立たせる根本的な要素は武力(Force)で、Forceを行使出来るのがPower(覇権、権力)という認識はございますので、御教示のところは理解出来ます。

植田さんが今日ウォルフレンに言及していました。フォローアップ投稿に投稿します。


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